火縄銃
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
スキタイ・匈奴・韃靼・突厥・蒙古・女真・・・
2千年以上もユーラシア大陸に猛威を振るった中央アジア・モンゴルの騎馬民族が
マスケット銃によって無力化され、歴史から姿を消したんだから、
世界史に与えたインパクトは計り知れない。
日本は元々騎馬部隊なんて知れているから、長篠の一斉射撃は過大評価されすぎ。 ◆ 知られている輸入銃器の最大射程
エンフィールド(英・前装式) 1,300m
スナイドル(英・後装式金属薬莢) 1,400m
シャスポー(仏・ボルトアクション後装) 1,200m
スペンサー(米・レバーアクション後装式連発) 900m
三ツバンドミニエー(各国・国別で口径が違う) 820m アイヌ文化を引き継ぐ「またぎ」集団だけど、これって結構最新兵器を使って
いるんだよね。
かの昔は、伝説の範疇だけど槍だけで熊と戦っていた。その後、火縄銃、村田銃、
スコープ付きのライフル銃と銃が年代と共にグレードアップしていく…
そのため、またぎが集団で熊と対峙する必要性も無くなっていくのだけど。 引き金の構造とか火口の構造とか、
どうやって銃身を作ったのかなど
いろいろすばらしいノウハウがありそうだ。
どなたか御存知の方教えてください。 長篠の戦いでの織田信長の三段式の射撃方法は世界初らしい。
(発射、弾込め、準備の各隊の活用で連続射撃)
ヨーロッパではスェーデンかどこかが、数十年後に同様の方法を行っている。 火繩銃を日本人は捨てていたんだよね。
徳川の太平の世に。
それから、
長篠の戦いで使われた馬ってのは背の低い種類だから、
そんなのによちよち乗って来たってなあ。 当時の馬の体高が130センチとか140センチとか言われるが
体高というのは馬の頭じゃない首根っこのセミネと呼ばれる部分だ。
だから頭はもっと高い。当時の武士の背が155センチとしたら
体高135センチの馬は今の175センチの人間にとって
152.4センチの体高の馬になる。
17世紀頃のサラブレッドの標準体高は152.4センチだったから
人の大きさから考えると立派な体形だ。
おまけにサラブレッドは速く走るしか能がないので軍用には不向きだが
日本の馬は横幅がありひたすら頑丈で粗食に耐えるから
軍馬としては優秀だった。
日本の馬を軽視してサラブレッドと比較する人がいるが、
サラブレッドも昔は小さかったし
あれほど繊細で弱い馬はいない。
あんなもの軍馬にはならん。 >>16
「平和になった世に過剰な武器は必要ない」というのが表向きの理由だが、
実際の所は「銃」という武器が武士を頂点とする身分制度を壊しかねないものだったから、という説を見てなるほどと思った。
刀は使いこなすには相応の訓練をしなければならず、だからこそそれの扱いに熟達した武士達が社会を治めるのがいわゆる幕府政治な訳だが、
銃は極端な話引き金を引くだけで誰でも人を殺せる武器であり、それが普及すると武士が武士であるアドバンテージが無くなってしまうからな。 まあ、実際…
最近、けものによる田畑の被害が増えてまして…どうか鉄砲をお貸しください。
そうかそうか。貸し与えるから、仕事に励めよ!
ははあー
ってなことで、鉄砲を借り一揆をやった例があるからなw 優れた軍用のライフル銃を持っていても、ライオン3頭は無茶ですよ!
渚カヲル
「焦るな。僕にはA.T.フィールドがある。」 >>12
現代の犯罪では使われた例は無いな、火縄銃自体に高額な骨董品しての価値があるので強盗しなくても売却するだけで
利益が得られる、逆に火縄銃を所有している時点で盗難や強盗の被害に遭う危険性が高い 近代史の明治維新のように稼げるかもしれないブログ
グーグルで検索⇒『羽山のサユレイザ』
1Y7ER いろいろと役に立つ嘘みたいに金の生る木を作れる方法
念のためにのせておきます
検索してみよう『立木のボボトイテテレ』
M3J >>7
松前藩(≒渡党=日本文化寄りアイヌ)による銃規制下ですら、アイヌが鉄砲使ってる
>『近藤守重(重蔵)が千島方面を探険。
>同地のアイヌが鉄砲を巧みに使っているのを報告している。』
ちなみに1550年に、「ロシア由来の銃」もアイヌが使用したとある
http://www.tamatele.ne.jp/~psmizu-2/started/personal/rekisi.htm
> アイヌも火縄銃を利用したといわれる。
> 幕府はアイヌに銃を渡すことを禁じたが、ロシア由来の銃も利用された ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています