復興というが歴史上東北が興った事はない
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東北復興ではなく、東北復旧や東北修復と表現すべき。
東北の復旧という現実の課題と夢物語は区別して考えよう。
役人や政治家は東北復興を気違いのように連呼し増税の口実に利用した。
しかし東北が今まで政治経済の中心地として国家を牽引したこともなければ文化の中心地として全国に影響を与えたこともなかった。
貧しい農家や漁夫をかかえるだけの東北は都会に従属する周辺地域に過ぎなかった。
朝鮮人≠フ生活が第一民主党
民主党は、自国民大量虐殺そして人権無視の極悪政権 中国共産党そして(北)朝鮮労働党と非常に親密で思想的に共鳴している政党です。
だから民主党は、政権を維持するためなら、東北の被災者や北朝鮮による拉致被害者そして日本人が、困っていようが、死んでしまおうが、
全くおかまいなしで、なんとも思っていません。
まさに東北の被災者や日本人は、民主党に見捨てられた棄 民≠ナあると言われても仕方がありません。
東北の被災者や日本人を放置または無視している一方で、
民主党は、在日外国人のために人権救済機関設置法案≠竍在日外国人参政権≠フ成立を目指して現在必死に活動しています。
つまり民主党は、日本人の生活よりも「在日外国人の生活が第一」の政党なのです。
※「朝鮮人による日本乗っ取り計画」である人権救済機関設置法案≠竍在日外国人参政権≠フ成立を断固阻止しましょう!!!
奥州から出る金が無いと仏像などを飾ることが出来なくて都人も困ってしまうことを知らないようだ。 東北1=近畿10
弓馬戦闘、夷リョウ生習、平民之十不能敵其一(続日本後紀)
東北1=近畿100
夷種衆多、逓相合従、賊徒数万、窮寇死戦、一以当百、難与争鋒(藤原保則伝)
夷リョウ→差別用語
夷種→差別用語
佐治敬三「仙台遷都などアホなことを考えてる人がおるそうやけど、(中略)東北は熊襲の産地。文化的程度も極めて低い」
熊襲→九州 自民党田中派によるバラマキで潤っていた昭和終盤から平成初期は、
東北の黄金期と言える時代じゃなかったの?
今の東北の初老くらいの世代はバラマキの甘い汁にずっぽし浸かって生きてきたから、
未だにその時の感覚で政治・行政果ては民間企業に対してまでクレクレクレクレうるせーし。 中央集権の明治時代になってからだね。
そういう感覚になったのは。 東北という地方は実際はバラバラな部落、楽天は宮城仙台とその取り巻きのチーム
民放もバラバラで青森や秋田なんかは仙台から300キロも離れている異境
三木谷はテレビも広域、インフラ整備され言葉も通じ何千年にも及ぶ和文化圏で育ったから
東北もまとまれると思ってたんだろうが 復興というが歴史上東北が興った事はない
東北復興ではなく、東北復旧や東北修復と表現すべき。
東北の復旧という現実の課題と夢物語は区別して考えよう。
役人や政治家は東北復興を気違いのように連呼し増税の口実に利用した。
しかし東北が今まで政治経済の中心地として国家を牽引したこともなければ文化の中心地として全国に影響を与えたこともなかった。
貧しい部落民をかかえるだけの東北は従属する地域に過ぎなかった。 だからといって日本海側、太平洋側で仲がいいとかもないからな。
日本海側にしても内陸部メインの山形が仙台むいてて海沿いに県都がある秋田は孤立って感じに見えるし 岩手のあたりは後三年前九年で滅びる前は繁栄してたし
その後も奥州藤原氏は繁栄していた
(南北朝と戦国時代はぱっとしないが)
真に悲惨なのは八戸市を除いた青森県
よそからやってきた勢力と戦っては負けてばかり
岩手のように強力に抵抗できたためしもない
江戸時代は飢餓地獄
明治から昭和もどんずまり
戦後も八戸市を除いて貧困にあえぐ
とにかく人材がない 八戸市以外の青森県は誇るべき歴史を何も持っていない 青森は青森りんごをここまでのブランドにしたのは凄いと思うよ。
明治時代に入ってきた果実をここまでのブランドに育てたわけだし。
農家の涙ぐましい努力の結晶だ。 ただ単に生産量が多いと言うだけで
うまいと評判なのは岩手と長野のリンゴだそうだけどね
青森リンゴとかいうけど青森市内にほとんどリンゴはないんだよな
弘前リンゴとか三戸リンゴというほうがしっくりくる そのリンゴも明治政府だの農協だのといった
中央からの支援のおかげでもあるけどな
青森県民の中には創造性も独創性も先駆者になる気概もない 八戸市以外の青森県が日本からなくなっても
日本は別に困らない
産業、工業力がまるでないから 平安末期に隆盛を極めた「平泉」。
当時、京(14万人)に次ぐ10万人都市で日本第二位の大都会だった。
アイヌなど北方民族との交易で大繁栄した「十三湊」
幕末期、薩摩と長州と並び影響を与えた「会津藩」 >>20
十三湊は発掘の結果
たいして大きな町じゃない事が分っている >>17-18
りんご改良に賭けた農業技術者の涙ぐましい努力の歴史を完全に無にする書き込みw
まあ、知らないとそう書くわなw
大体、日本で一番人気があるりんごは「ふじ」だろ。藤崎町の藤だ。
無茶旨いけど極端に病気に弱い品種をここまで育てるには、本当に涙ぐましい努力があった。 >>21
それは、例の偽書に記述されているような大きな町という意味だろw 青森の農業技術者だけが頑張ったわけじゃない
中央の支援があればこそだ 東奥日報だったかで読んだ
新潟の米研究と製品化技術は
他県ながらすごいと思ったわ
青森県民にあんな真似は出来ないね >>22
ふじも普通に岩手県で栽培されている
リンゴコンテストで岩手のリンゴが優勝したしな 青森県民は人材の層が薄い
青森県初の大企業などないし
有名企業の社長になった人も少ない
科学者も少ない
ノーベル賞やフィールズ賞受賞者が青森から出ることはないだろう
(八戸市は可能性あるかも) 大体工業化もせず
起業の誘致もせず
利益も雇用もたいして生まれない
リンゴに心血注ぐなんて青森県はほんと馬鹿だね
北上や
第二次産業を発展させようとしている盛岡を見習えと言いたい 百歩譲って
リンゴ農業に努力したと言うのは認めようだが
他の県だって
栃木のいちごや熊本のスイカや山形のサクランボ
静岡の茶というように
それぞれ特産物生産に努力して生産量を上げている
青森県だけが他の県よりすぐれたことやってるわけじゃない
リソース投入の作物分野が違うだけ
郷土愛に目がくらんだ
文章にwとか草生やす低能には分からんだろうがな 青森県の
全国最低レベルの求人倍率
全国最低レベルの賃金
上場企業の少なさ
はだてじゃないってか 青森県はもう解散するべきだ、南部は岩手県に帰り津軽は弘前県として出直す、
これが正しい道だ。 >>31
南部+秋田で冷遇されている鹿角郡地域は岩手に戻ったほうがいいよな。 >>24
中央の支援って具体的になんだよw
>>26
ふじは世界中で栽培されている超人気のリンゴだ。
多くの国で栽培量が一番になっている。 東北と沖縄どちらが歴史が悲惨なのだろう。
沖縄は在日米軍であれだけ恩恵をうけている側面もあっても大規模なデモが
おきるのに、東北では女川原発・東通原発廃炉デモが大規模にならないのだよな。 日本政府は東北でも福島・宮城・岩手&新潟には支援が甘いくせに
青森・秋田・山形には支援が厳しいよな。 歴代内閣総理大臣ランキング
【S1】伊藤博文
【S2】原敬、吉田茂、池田勇人
【S3】山県有朋、桂太郎、鈴木貫太郎、幣原喜重郎、小渕恵三
【A1】加藤友三郎、加藤高明、東久邇宮稔彦王、岸信介、福田赳夫
【A2】西園寺公望、山本権兵衛、鳩山一郎、佐藤栄作、大平正芳
【A3】黒田清隆、松方正義、高橋是清、犬養毅、竹下登
【B1】田中義一、石橋湛山、田中角栄、三木武夫、橋本龍太郎
【B2】若槻礼次郎、浜口雄幸、斎藤実、岡田啓介、細川護熙
【B3】寺内正毅、米内光政、片山哲、芦田均、鈴木善幸、中曽根康弘、安倍晋三、麻生太郎
【C1】清浦奎吾、東条英機、宇野宗佑、海部俊樹、宮沢喜一、羽田孜、福田康夫、野田佳彦
【C2】広田弘毅、林銑十郎、平沼騏一郎、阿部信行、小磯国昭、森喜朗、小泉純一郎
【C3】村山富市、鳩山由紀夫、菅直人
【D1】大隈重信、近衛文麿 >>1 くだらんこと言ってんじゃないの!
名前なんかどうでもええ。
とにかく君も、さっさと現地に行ってボランティアでもやんなさい。 今のように日本中で過疎が問題化している現在では
かつての北海道東北開発公庫や沖縄振興開発金融公庫みたいに
国が露骨に特定地域へ手心を加えるのは不公平な気がする 会津・庄内は売国奴
http://dd.hokkaido-np.co.jp/news/society/society/images/2016/09/21/M16092112178/efc636fa3839ddca1fa39fdeffab7c06.jpg
戊辰戦争さなかの1868年(明治元年)、新政府軍(官軍)と戦っていた会津・庄内両藩が、プロイセン(ドイツ)から
資金を借りる担保として「蝦夷地(えぞち)の領地を99年間貸与すると申し出た」と記した駐日公使発本国向けの外交書簡を、
五百旗頭(いおきべ)薫東大教授らの研究チームがベルリンで発見した。内容通りなら、ドイツの蝦夷地租借構想が水面下で
具体化していたことになる。東大史料編纂(へんさん)所の箱石大(はこいしひろし)准教授は「戊辰戦争が長引いていれば
実現していた可能性がある」とみる。
これまでは、日大のアンドレアス・バウマン教授が1995年にドイツ連邦軍事文書館で見つけた文書から、1868年
7月に両藩から蝦夷地の土地売却の打診を受けたものの、10月に本国のビスマルク宰相が却下し、交渉は立ち消えになったと
みられていた。
その後、ボン大学の研究者と箱石准教授が同文書館で、宰相が3週間後に一転、交渉を認可していた文書を見つけ、本国側では
ゴーサインが出ていたことが明らかになっていた。
今回見つかった外交書簡を書いたのは、横浜にいた駐日プロイセン公使マックス・フォン・ブラント。貸与期間を具体的に盛り
込むなど、両藩との間で交渉妥結の下地が整っていたことがうかがえる。
とはいえ、ブラントが横浜から本国の宰相に新発見書簡を発信した日付は68年11月12日で、すでに会津藩の降伏から
6日、庄内藩主が降伏を申し出てから5日経過しており、現実には交渉そのものが意味をなさなくなっていた。
書簡の保管先はベルリンの連邦文書館。五百旗頭教授らが2013年に着手したドイツの史料発掘プロジェクトの中で、国立
歴史民俗博物館(千葉県)の福岡万里子准教授が読み解いた。
それによると「シュネル(当時東北にいたプロイセン人の仲介役)が、借り入れに対して蝦夷地の領地を99年間、担保として
与えるとする会津・庄内領主の(シュネルに対する)全権委任状を持ってきた。100平方ドイツマイル(5625平方キロ)の
土地を得るのに30万メキシコドルで十分だ」などと書かれているという。
幕末期の会津藩の領地は現在のオホーツク、根室管内の一部、庄内藩は留萌、上川管内の一部など。書簡には「会津・庄内藩の
蝦夷地の領地に良港はないが、ひとたび足がかりをつかめば他の地の購入が容易になるだろう」ともつづられており、海軍拠点
確保に向けた意図が読み取れる。
当時のプロイセンは2年前の1866年に対オーストリア戦争に勝利して北ドイツ連邦の盟主となっており、ドイツ帝国の
形成に向かう軍備拡張期だった。(報道センター編集委員 小坂洋右)
09/21 17:15 更新
http://dd.hokkaido-np.co.jp/news/society/society/1-0317478.html これまでは 土地売却の打診を受けたものの、10月に本国のビスマルク宰相が却下し、交渉は立ち消えになったと
みられていた。
その後 宰相が3週間後に一転、交渉を認可していた文書を見つけ、本国側では
ゴーサインが出ていたことが明らかになっていた。 東北は江戸期はおろか昭和期においても娘の身売りをする貧しい地域であったのは事実
しかし、単に貧しいだけに見えるなら西日本の為政者は何故わざわざ武士のトップの称号を
征夷大将軍にするだろうか 大和朝廷が東北全域を制圧するのに何世紀かかかったか
頼朝も奥州藤原氏を滅ぼしているし、南北朝時代には陸奥将軍府が置かれた
ただの貧しい地域だと認識するだけならそこまで執念をかけて制服しようとは思わないだろう
大和や河内というのは土地が狭いし、ある所の東北住民が貧しくとも実際に東北を見て
この広大な土地に興味を持たない関西人はいまい そんな奴は目の前に大金が置かれても興味を持たないだろう 「丑寅日本国に倭国の皇統を砕く書が残っている。秩父に残った蘇我一族の国記及び天皇記である。将門を討ったけれども、本命の国記、天皇記の奪取がならなかった。倭国朝廷の企ても不覚に終わったのである」 近代史の明治維新のように稼げるかもしれないブログ
グーグルで検索⇒『羽山のサユレイザ』
T3AM4 いろいろと役に立つ嘘みたいに金の生る木を作れる方法
念のためにのせておきます
検索してみよう『立木のボボトイテテレ』
EO2 これは旧憲法の73条を改憲したことによって成立したからと考えられている 東北地方は今でも日本国に戦争を仕掛けて敗戦した国なのさ
NGワードにひっかかるので分割した 戊辰戦争の会津藩と徳川幕府をテーマに語り合う(左2人目から)松平氏、伊達氏、上杉氏、南部氏、酒井氏、丹羽氏、柳沢氏、左は白石氏=会津大
http://www.minyu-net.com/news/181022news1.jpg
戊辰150年に合わせた歴史文化講演会「戊辰戦争 会津藩と徳川幕府」が21日、会津大で開かれた。会津、庄内両藩や奥羽越列藩同盟で主力を担った各藩の当主がパネル討論で
同盟の意義などを語り、「先人の努力で平和な社会が成立したことを忘れず、未来につなげる役目がある」と結論付けた。
約450人が来場した。会津松平家14代当主の松平保久(もりひさ)氏(64)、庄内酒井家18代当主の酒井忠久氏(72)、仙台伊達家18代当主の伊達泰宗氏(59)、二本松丹羽家
18代当主の丹羽長聰(ながとし)氏(74)、米沢上杉家17代当主の上杉邦憲氏(75)、盛岡南部家46代当主の南部利文氏(48)が登壇し、在京の会津出身者でつくる「会津会」会長の柳沢秀夫氏(65)が加わった。
進行役は漢字文化振興協会の白石宗靖(むねはる)常務理事・事務局長(85)が務めた。
当主らは各藩の置かれた状況を語り、戊辰戦争が新政府軍の「大義なき侵略」を目的に行われ、「義」の在り方に対する疑問が東北、越後諸藩の同盟成立につながったとした。
松平氏は「戊辰戦争は明確な侵略戦争。民に塗炭の苦しみを与えることが分かっていて、なぜ推し進めたのか理解できない」と指摘し、柳沢氏は「過去を変えることはできないが、今の時代に
生きる者が何を教訓にし、未来に向けてどう生かすかが大切」と語った。
討論に先立ち、徳川宗家18代当主で徳川記念財団理事長の徳川恒孝(つねなり)氏(78)が「江戸時代に
築かれた日本の基礎」の題で講演、「武」から「文」に大転換した江戸時代に平和の基礎が築かれたことを語った。漢字文化振興協会長の石川忠久氏(86)は戊辰戦争に関係する漢詩を紹介した。
「戊辰戦争から150年、これからの街づくり」をテーマにした鼎談(ていだん)も行われた。
文化講演会は漢字文化振興協会、徳川記念財団、福島民友新聞社の主催、戊辰150周年
記念事業実行委員会の共催、県、会津若松市、市教委、読売新聞東京本社福島支局、福島中央テレビ、ふくしまFMの後援、弓田建設、会津商工信用組合、会津若松商工会議所、会津若松観光ビューローの協賛、会津まつり協会の協力。
福島民友 2018年10月22日 08時00分
http://www.minyu-net.com/news/news/FM20181022-318073.php 明治政府によって野蒜はとても厚遇されていたのに
なぜか仙台ではなかったことに 災害が起こる
↓
助けて~助けて~
この繰り返し
いつも助けてもらってばかり (-。-)y-゚゚゚zzz… (*_*)y- アチ! ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています