★★★インパール作戦は、史上最良の作戦2
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インパール作戦は牟田口中将が 皆の反対を押し切って
強引に強行した 補給を無視した無謀な作戦で
勝機も意義も全く無い作戦だったと言われてきた。
しかしこれらの話しはその全てが、利権と政治的意図を持つ
商売作家(例:半藤一利 他)らによる
悪意と捏造と曲解による大嘘ばかり。
これらは東京裁判史観と陸軍悪玉論を定着させ宣伝したいと考える
戦後の権力者に迎合した政治的な勢力によるプロパガンダといってよい。
バカ作家、エセ保守評論家らがいい加減に流布してきた
デタラメの昭和の近代史と戦史は、
全てを再検証し直す必要がある。
日本を大敗させた戦犯は、
ハワイをテロ攻撃しアメリカを本気で参戦させた
愚将・山本五十六である。 あれ、お前こういったんだよな↓
>例えばフィリピンでマッカーサーは逃げたが、上官からの命令だったので敵前逃亡とは言わない
アメリカ軍司令部がマニラ退去を発表したのは事後だぞ
牟田口が佐藤師団長のコヒマ退却を追認したのも事後だ
(お前の中では)事後の追認を敵前逃亡というのか言わないのかはっきりしろ こいつ頭悪すぎw
上司に報告して許可をえて作業するのと、
独断で作業するのを等価と思ってやがるw こいつじゃ仕事なんてできないからニートなんだろうけど、
本当に社会常識とかないね 牟田口第十五軍司令官は、果断の人だった。弱音を吐かぬ信念の
人だった。物量・兵員数の劣る我が軍による巧妙な用兵と作戦で英印軍を
一時的にせよ、叩くのに成功したことは、我々日本人は記憶せねばなら
ない。十五軍隷下の各師団長の弱音も聞き入れず、果断、決断、実行に
より、帝国陸軍の名を歴史に残した。よく兵站を無視したと批判されるが、
司令官は、我が軍将兵の発奮を促すのに、あえて食糧・弾薬を少なめに携行
させたのだった。このことはあまり知られていない。これは、司令官が
功に誇るような人物でなく、謙虚な典型的帝国陸軍軍人だったからに
他ならない。印度独立運動の指導者チャンドラ・ボースは、後にこう
言っている。「彼(牟田口司令官)は約束を守った。亜細亜の開放に
貢献した。その獅子奮迅の指揮ぶりは、東洋のカエサルと呼んでも過言
ではない」と。
終戦後、牟田口司令官は、左翼勢力の台頭の為にあらゆる批判を受ける
ことになった。しかし如何せん、時代の弊風には抗えなかった。
赤誠な人ほど、不当な評価を受けることが多いが、彼がまさにそうだった
のである。 独断撤退の例は各国にある これが尉官佐官であれば軍法会議、もしくは即決裁判で処刑となるが将官だと影響も大きく結局追認した上で予備役編入や閑職に飛ばすという、なあなあの処理が多い
日本だと木村兵太郎大将 ナチスドイツの末期は総統の最後の一兵式死守命令など聞いていては全滅ということで、多数の軍司令官たちが抗命独断撤退を行ったが彼らは意外と処刑されたりはしていない マッカーサーは命令があったから敵前逃亡ではなく、佐藤師団長は独断なので敵前逃亡だなどという判断は見識が低すぎなんだよ
マッカーサーも佐藤師団長も独断撤退で、両者とも追認されている
マッカーサーは敵の攻撃を見て自分だけ逃げたから敵前逃亡だ
佐藤師団長は牟田口が作戦中止命令を出さないのを見限って撤退したので敵前逃亡ではない
※佐藤師団長は補給が難しいので3週以内に攻略という計画において、9週目にコヒマを撤退した 牟田口第十五軍司令官は、果断の人だった。弱音を吐かぬ信念の
人だった。物量・兵員数の劣る我が軍による巧妙な用兵と作戦で英印軍を
一時的にせよ、叩くのに成功したことは、我々日本人は記憶せねばなら
ない。十五軍隷下の各師団長の弱音も聞き入れず、果断、決断、実行に
より、帝国陸軍の名を歴史に残した。よく兵站を無視したと批判されるが、
司令官は、我が軍将兵の発奮を促すのに、あえて食糧・弾薬を少なめに携行
させたのだった。このことはあまり知られていない。これは、司令官が
功に誇るような人物でなく、謙虚な典型的帝国陸軍軍人だったからに
他ならない。印度独立運動の指導者チャンドラ・ボースは、後にこう
言っている。「彼(牟田口司令官)は約束を守った。亜細亜の開放に
貢献した。その獅子奮迅の指揮ぶりは、東洋のカエサルと呼んでも過言
ではない」と。
終戦後、牟田口司令官は、左翼勢力の台頭の為にあらゆる批判を受ける
ことになった。しかし如何せん、時代の弊風には抗えなかった。
赤誠な人ほど、不当な評価を受けることが多いが、彼がまさにそうだった
のである。 牟田口第十五軍司令官は、果断の人だった。弱音を吐かぬ信念の
人だった。物量・兵員数の劣る我が軍による巧妙な用兵と作戦で英印軍を
一時的にせよ、叩くのに成功したことは、我々日本人は記憶せねばなら
ない。十五軍隷下の各師団長の弱音も聞き入れず、果断、決断、実行に
より、帝国陸軍の名を歴史に残した。よく兵站を無視したと批判されるが、
司令官は、我が軍将兵の発奮を促すのに、あえて食糧・弾薬を少なめに携行
させたのだった。このことはあまり知られていない。これは、司令官が
功に誇るような人物でなく、謙虚な典型的帝国陸軍軍人だったからに
他ならない。印度独立運動の指導者チャンドラ・ボースは、後にこう
言っている。「彼(牟田口司令官)は約束を守った。亜細亜の開放に
貢献した。その獅子奮迅の指揮ぶりは、東洋のカエサルと呼んでも過言
ではない」と。
終戦後、牟田口司令官は、左翼勢力の台頭の為にあらゆる批判を受ける
ことになった。しかし如何せん、時代の弊風には抗えなかった。
赤誠な人ほど、不当な評価を受けることが多いが、彼がまさにそうだった
のである。 反論できなくなるとコピペで逃げる
牟田口擁護者らしいな
┐(´Д` )┌ ダメダコリャ 牟田口第十五軍司令官は、果断の人だった。弱音を吐かぬ信念の
人だった。物量・兵員数の劣る我が軍による巧妙な用兵と作戦で英印軍を
一時的にせよ、叩くのに成功したことは、我々日本人は記憶せねばなら
ない。十五軍隷下の各師団長の弱音も聞き入れず、果断、決断、実行に
より、帝国陸軍の名を歴史に残した。よく兵站を無視したと批判されるが、
司令官は、我が軍将兵の発奮を促すのに、あえて食糧・弾薬を少なめに携行
させたのだった。このことはあまり知られていない。これは、司令官が
功に誇るような人物でなく、謙虚な典型的帝国陸軍軍人だったからに
他ならない。印度独立運動の指導者チャンドラ・ボースは、後にこう
言っている。「彼(牟田口司令官)は約束を守った。亜細亜の開放に
貢献した。その獅子奮迅の指揮ぶりは、東洋のカエサルと呼んでも過言
ではない」と。
終戦後、牟田口司令官は、左翼勢力の台頭の為にあらゆる批判を受ける
ことになった。しかし如何せん、時代の弊風には抗えなかった。
赤誠な人ほど、不当な評価を受けることが多いが、彼がまさにそうだった
のである。 ムタグチスキーのスレなのに、自分自身で荒らすという焦土戦術 牟田口第十五軍司令官は、果断の人だった。弱音を吐かぬ信念の
人だった。物量・兵員数の劣る我が軍による巧妙な用兵と作戦で英印軍を
一時的にせよ、叩くのに成功したことは、我々日本人は記憶せねばなら
ない。十五軍隷下の各師団長の弱音も聞き入れず、果断、決断、実行に
より、帝国陸軍の名を歴史に残した。よく兵站を無視したと批判されるが、
司令官は、我が軍将兵の発奮を促すのに、あえて食糧・弾薬を少なめに携行
させたのだった。このことはあまり知られていない。これは、司令官が
功に誇るような人物でなく、謙虚な典型的帝国陸軍軍人だったからに
他ならない。印度独立運動の指導者チャンドラ・ボースは、後にこう
言っている。「彼(牟田口司令官)は約束を守った。亜細亜の開放に
貢献した。その獅子奮迅の指揮ぶりは、東洋のカエサルと呼んでも過言
ではない」と。
終戦後、牟田口司令官は、左翼勢力の台頭の為にあらゆる批判を受ける
ことになった。しかし如何せん、時代の弊風には抗えなかった。
赤誠な人ほど、不当な評価を受けることが多いが、彼がまさにそうだった
のである。 牟田口は佐藤の葬式に参列して、家族に「私が悪かった、すまないことをした」と土下座して詫びている
土下座ぐらいで済むわけがない 陸軍の将官で降伏後自決したものは割といる
その陸軍将官の自決者を見ると大した責任なさそうなものが自決 責任大なるものが少ないのである
高位者では阿南惟幾陸相、杉山元第一総軍総司令官がいる 杉山は開戦期の参謀総長であり陸相も務め、自決は当然と言えば当然であるが阿南惟幾に自決するほどの責任があったかどうか
田中静壱大将は英国オックスフォード留学、駐米武官も務めマッカーサーと親交があった知英米派であった 戦犯で処刑される可能性は殆どなかったが陛下に申し訳なしと東部軍司令官として後始末の上自決した
牟田口と陸士同期の安達二十三中将、寺本熊市中将も然り
責任を取るとは果たしてなんなのか 戦前口で勇ましいものの戦後の振る舞いを見ることも現在勇ましいことを宣うチキンホークを見分けるために有益なことであろう 自決や戦死した将官はそれだけの責任はないだろうと感じることが多い
責任を取るという覚悟の有無なのだ
その覚悟のある人はそのような戦い方をし責任を取る
その覚悟のない人は人のせいにし責任を逃れる
インパールの牟田口は覚悟のない典型だと感じる
その立場になったら責任を取る覚悟を持ってほしい
その覚悟があれば変なことは減るだろう いい加減目覚ませよ
ジンギスカン作戦とかどこが最良なんだ
どんだけ人が死んだと思ってんだよ 牟田口第十五軍司令官は、果断の人だった。弱音を吐かぬ信念の
人だった。物量・兵員数の劣る我が軍による巧妙な用兵と作戦で英印軍を
一時的にせよ、叩くのに成功したことは、我々日本人は記憶せねばなら
ない。十五軍隷下の各師団長の弱音も聞き入れず、果断、決断、実行に
より、帝国陸軍の名を歴史に残した。よく兵站を無視したと批判されるが、
司令官は、我が軍将兵の発奮を促すのに、あえて食糧・弾薬を少なめに携行
させたのだった。このことはあまり知られていない。これは、司令官が
功に誇るような人物でなく、謙虚な典型的帝国陸軍軍人だったからに
他ならない。印度独立運動の指導者チャンドラ・ボースは、後にこう
言っている。「彼(牟田口司令官)は約束を守った。亜細亜の開放に
貢献した。その獅子奮迅の指揮ぶりは、東洋のカエサルと呼んでも過言
ではない」と。
終戦後、牟田口司令官は、左翼勢力の台頭の為にあらゆる批判を受ける
ことになった。しかし如何せん、時代の弊風には抗えなかった。
赤誠な人ほど、不当な評価を受けることが多いが、彼がまさにそうだった
のである。 第15軍情報参謀の藤原に「陛下へのお詫びに自決したい」と相談した。これに対し藤原参謀は「昔から死ぬ、死ぬといった人に死んだためしがありません。 司令官から私は切腹するからと相談を持ちかけられたら、幕僚としての責任上、 一応形式的にも止めないわけには参りません、司令官としての責任を、真実感じておられるなら、黙って腹を切って下さい。誰も邪魔したり止めたり致しません。心置きなく腹を切って下さい。今回の作戦(失敗)はそれだけの価値があります」と苦言を呈され、あてが外れた牟田口は悄然としたが自決することなく、余生をまっとうした。 牟田口第十五軍司令官は、果断の人だった。弱音を吐かぬ信念の
人だった。物量・兵員数の劣る我が軍による巧妙な用兵と作戦で英印軍を
一時的にせよ、叩くのに成功したことは、我々日本人は記憶せねばなら
ない。十五軍隷下の各師団長の弱音も聞き入れず、果断、決断、実行に
より、帝国陸軍の名を歴史に残した。よく兵站を無視したと批判されるが、
司令官は、我が軍将兵の発奮を促すのに、あえて食糧・弾薬を少なめに携行
させたのだった。このことはあまり知られていない。これは、司令官が
功に誇るような人物でなく、謙虚な典型的帝国陸軍軍人だったからに
他ならない。印度独立運動の指導者チャンドラ・ボースは、後にこう
言っている。「彼(牟田口司令官)は約束を守った。亜細亜の開放に
貢献した。その獅子奮迅の指揮ぶりは、東洋のカエサルと呼んでも過言
ではない」と。
終戦後、牟田口司令官は、左翼勢力の台頭の為にあらゆる批判を受ける
ことになった。しかし如何せん、時代の弊風には抗えなかった。
赤誠な人ほど、不当な評価を受けることが多いが、彼がまさにそうだった
のである。 昭和のオッサン → ノギガー
平成のオッサン → ムタグチガー
成長しねえなw 「乃木希典」とググると普通の人物紹介が出てくる
「牟田口廉也」とググると「インパール作戦を強行した」「毎夜料亭で酒を ...」「愚将」などと出てくる
人物評は決っているようだな
乃木将軍は、旅順攻囲戦を指揮し明治天皇の殉死をした人
牟田口廉也は、インパール作戦を強行し(毎夜料亭で酒を呑んだ)愚将 ググった程の知識でドヤ顔できるお前はある意味天才だなw >>973
の意味を全く理解してない阿呆
インターネットが昭和にあれば、乃木希典はボロカス書かれていただろう
それの平成・令和版が牟田口司令官なのだ 君は左巻きメディアに洗脳されてるね
庶民は乃木将軍を立派な将軍として認識している
牟田口廉也は保守からも愚将として認識されてるよ 牟田口第十五軍司令官は、果断の人だった。弱音を吐かぬ信念の
人だった。物量・兵員数の劣る我が軍による巧妙な用兵と作戦で英印軍を
一時的にせよ、叩くのに成功したことは、我々日本人は記憶せねばなら
ない。十五軍隷下の各師団長の弱音も聞き入れず、果断、決断、実行に
より、帝国陸軍の名を歴史に残した。よく兵站を無視したと批判されるが、
司令官は、我が軍将兵の発奮を促すのに、あえて食糧・弾薬を少なめに携行
させたのだった。このことはあまり知られていない。これは、司令官が
功に誇るような人物でなく、謙虚な典型的帝国陸軍軍人だったからに
他ならない。印度独立運動の指導者チャンドラ・ボースは、後にこう
言っている。「彼(牟田口司令官)は約束を守った。亜細亜の開放に
貢献した。その獅子奮迅の指揮ぶりは、東洋のカエサルと呼んでも過言
ではない」と。
終戦後、牟田口司令官は、左翼勢力の台頭の為にあらゆる批判を受ける
ことになった。しかし如何せん、時代の弊風には抗えなかった。
赤誠な人ほど、不当な評価を受けることが多いが、彼がまさにそうだった
のである。 牟田口第十五軍司令官は、果断の人だった。弱音を吐かぬ信念の
人だった。物量・兵員数の劣る我が軍による巧妙な用兵と作戦で英印軍を
一時的にせよ、叩くのに成功したことは、我々日本人は記憶せねばなら
ない。十五軍隷下の各師団長の弱音も聞き入れず、果断、決断、実行に
より、帝国陸軍の名を歴史に残した。よく兵站を無視したと批判されるが、
司令官は、我が軍将兵の発奮を促すのに、あえて食糧・弾薬を少なめに携行
させたのだった。このことはあまり知られていない。これは、司令官が
功に誇るような人物でなく、謙虚な典型的帝国陸軍軍人だったからに
他ならない。印度独立運動の指導者チャンドラ・ボースは、後にこう
言っている。「彼(牟田口司令官)は約束を守った。亜細亜の開放に
貢献した。その獅子奮迅の指揮ぶりは、東洋のカエサルと呼んでも過言
ではない」と。
終戦後、牟田口司令官は、左翼勢力の台頭の為にあらゆる批判を受ける
ことになった。しかし如何せん、時代の弊風には抗えなかった。
赤誠な人ほど、不当な評価を受けることが多いが、彼がまさにそうだった
のである。 インターネットもない昭和の時代は「ジャーナリスト」とか気取ってる
奴らに実質情報を統制されてたわけ
だから、司馬が乃木無能論を唱えたら、馬鹿な日本人は拍手喝采で乃木を貶した
今も牟田口司令官は誹謗中傷されてるが、20年後には稀代の名将と言われるだろう ・肯定
福田恆存「乃木将軍は軍神か愚将か」『中央公論』第85巻第13号、1970年
福井雄三「『坂の上の雲』に描かれなかった戦争の現実」『中央公論』第119巻第2号、2004年2月
桑原嶽『名将 乃木希典−司馬遼太郎の誤りを正す』(第5版)中央乃木会、2005年9月(原著1990年9月)
岡田幹彦『乃木希典−高貴なる明治』展転社、2001年2月。
他
肯定の方が多いようです
●牟田口廉也
・否定
半藤一利「兵站や部隊機械化を軽視する日本軍の風潮の極北の存在としてインパール作戦の失敗は牟田口の一連の作戦指導に責任がある」
岩畔豪雄「牟田口という人は日本陸軍の代表的な意見を言うような人で精神一点張りだった」
・肯定
宮崎繁三郎中将「軍司令官は(第31師団)佐藤師団長のいわれるように、血も涙もない人ではない。やはり情もある将軍だよ」
額田坦中将「まさか佐藤幸徳師団長が独断退却に決するとは夢想だにしなかった」
肯定は軍人のものが多いが、身内の評価は除外すべきだろうね
牟田口の罪は作戦中止命令を出し渋ったことにあるが、これを一番に指摘する人はいないようだな
乃木将軍は肯定が多いが牟田口は身内以外の否定が多い
社会の評価は「愚将」で決っているのではないかな ●乃木将軍
・否定
司馬遼太郎の『坂の上の雲』1972年、『殉死』1967年ですね 2000年以降って昭和なの?
頭悪いな
司馬史観が吹き荒れた頃に、乃木を擁護したのは福田恆存ら僅かな保守系論者だけ 昭和って何度も書いてるのに、平成以降の話を持ち出す阿呆
歴史より国語を学べ 昭和も長くかつ時代性も大きく違う
司馬の坂の上の雲は昭和47年 昭和は残17年 後期である
議論の前提である時期時代は正確に指定しないと会話は成立しない 文脈からそんなことも理解できんのかw
阿呆の極みじゃんw 昭和の乃木将軍の評価なら、司馬遼太郎と福田恆存で否定肯定引き分けじゃね
その後肯定の方が多くなった
牟田口は軍人の身内以外に肯定意見がない 牟田口第十五軍司令官は、果断の人だった。弱音を吐かぬ信念の
人だった。物量・兵員数の劣る我が軍による巧妙な用兵と作戦で英印軍を
一時的にせよ、叩くのに成功したことは、我々日本人は記憶せねばなら
ない。十五軍隷下の各師団長の弱音も聞き入れず、果断、決断、実行に
より、帝国陸軍の名を歴史に残した。よく兵站を無視したと批判されるが、
司令官は、我が軍将兵の発奮を促すのに、あえて食糧・弾薬を少なめに携行
させたのだった。このことはあまり知られていない。これは、司令官が
功に誇るような人物でなく、謙虚な典型的帝国陸軍軍人だったからに
他ならない。印度独立運動の指導者チャンドラ・ボースは、後にこう
言っている。「彼(牟田口司令官)は約束を守った。亜細亜の開放に
貢献した。その獅子奮迅の指揮ぶりは、東洋のカエサルと呼んでも過言
ではない」と。
終戦後、牟田口司令官は、左翼勢力の台頭の為にあらゆる批判を受ける
ことになった。しかし如何せん、時代の弊風には抗えなかった。
赤誠な人ほど、不当な評価を受けることが多いが、彼がまさにそうだった
のである。 6万将兵白骨街道が牟田口の一番の罪だが、これは作戦中止命令を出し渋ったことにあった
これを指摘する人を見つけた
河辺司令官「あんな頽勢を知りながら中途で作戦を止めなかったこと」
6万人と一口にいうが、神戸震災の死者が6,434人、311の死者が2万2215人だ
天災より酷い牟田口人災だ 佐藤師団長の撤退は牟田口に追認されているが
この追認時に全師団を撤退させるべきだったのだ
そうすれば6万将兵白骨街道はなく、次の作戦を戦えたはずだ
負け方を知らないというのも牟田口の罪だ 軍命を無視して敵前逃亡するくらいなら、
軍命を無視してディマプールを攻めるべきだった
佐藤が阿呆だから負けた
よって責任は佐藤にある ディマプル攻略は作戦にない
作戦はインパール攻略だ
ディマプル攻略が正しいのならば、作戦ミスということになる
実際にディマプル攻略命令は河辺司令官が取り消している
牟田口は独断が過ぎる 敵前逃亡するくらいなら、ディマプール攻めたほうがよかった
それで英軍が敗走し、飯が食えたのだから
佐藤が6万人殺した事実に変わりなし そういえば、佐藤師団長ではなく、マッカーサーは敵前逃亡したというのは分ったのかい? そういえば、作戦中止後、牟田口は部下を見捨てて先に逃げたそうだな
敵前逃亡ならず敵後逃亡かいw 作戦にないディマプール攻撃はできないといい
作戦にない敵前逃亡は出来るというアホ佐藤の子孫w 3週間以内にインパール攻略が作戦だ
作戦通りに攻略できなければ中止だ
佐藤師団長の撤退は9週目なので、作戦通りといえるだろう 作戦に期間内に攻略できなければ敵前逃亡するって入ってたのか? このスレッドは1000を超えました。
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