終戦で日本人が知っておくべき事実。
終戦の日、8月15日。日本人にとっては特別の日である。
日本人としての屈辱。当時の日本人は知っていても口を固く閉じ、学校で教えることもなく、戦後、連合国は人道的だったと思い込まされてきた。
しかし彼らの鬼畜ぶりは、戦前の日本人が知っていた通りだった。
昭和20年8月14日、満洲の興安街の日本人3000人のうち1200人が避難途中の葛根廟でソ連軍に虐殺された。そのほとんどが女性や子供でした。
同じく8月27日、満洲の吉林省敦化で日満パルプ製造(王子製紙)敦化工場の女性社員170名がソ連軍によって連日強姦された。その苦痛に耐えきれず23人が自決している。
満洲のソ連軍陸軍病院から長春第八病院に「日本人看護婦3人を1カ月間派遣せよ」との命令が届きました。1カ月が過ぎるとまた3名の追加派遣命令が届き、さらに3度目の派遣命令が来た。
しばらくすると最初に派遣した看護婦の一人が全身血だらけで戻って来た。「もう派遣してはいけません。私達は看護婦の仕事ではなくソ連軍の慰みものになり、拒めば殺されます」と言って、息絶えた。
ソ連は終戦からの日本女性に対する多くの強姦と虐殺をしました。(下画像)
(『戦後引き揚げ者の記録』より)
戦後、ソ連の蛮行は知られていました。しかし、それ以上の数の日本人女性を強姦していたのが朝鮮人です。これは戦後、ほとんど語られないのです。
現在、日本では敗戦直後の日本人女性への強姦のほとんどはソ連だと思い込んでいますが、実際、強姦の半分以上は朝鮮人だったということを日本人はよく知っておくべきです。
その朝鮮人が日本人が姓奴隷にしたと言って、今回、日本政府から10億円を受け取るのです。
また、戦後、米軍は極めて人道的であったと長い間流布されてきました。
記録映画に登場する占領後の米軍将兵のほとんどが日本兵や民間人に食料を支給し、医療を施す姿で映し出されています。
そして「鬼畜米英という教育は間違いだった。玉砕は犬死だった。文明国の軍隊は寛大だった」と日本人が口にするようになっていったのです。
しかし、日本に進駐した米軍が日本に最初に要求したのが「女」でした。
この性の要求に対して花街の女性達が身を挺身して相手していましたが、米兵は日本政府の用意した慰安所だけでは足りず、一般の民家に押し入って日本人女性を強姦し続けていた。
押し入って来た米兵から妻や娘を守るために殺された日本人は2500人(調達庁)に及んでいます。
また米兵は日本軍捕虜も殺していました。ニューギニアのホーランディア飛行場周辺で米軍は日本軍捕虜2000人を機関銃で射殺していた。
米兵だけではない。
昭和20年9月、ブーゲンビル島でオーストラリア軍の捕虜となった日本兵2000人は収容所に移送されることになりましたが、栄養失調と疾病で衰弱しているにもかかわらず気温35度以上の中、水も与えられず10マイルも行進させられて死者が多数出ました。
またファウロ島の収容所に移動させられた日本兵はマラリアに多数感染しましたがオーストラリア軍は予防薬も支給しなかったため捕虜のほとんどが感染して700人死亡した。・・・
戦時中、日本は白人の捕虜の食生活に配慮して、一般国民が食うや食わずの中でも入手困難なパンや牛乳や卵までも支給していたことを考えると、本当に人道的だったのは日本人だったのだ。(本文より)