昭和17年1月下旬、シンガポールが間もなく陥落というときに
朝日新聞記者が現地マレーについて 千田商会の千田牟婁太郎ら関係者
を集めた座談会を掲載した。 マレーには実は阿片戦争のころから
支那人が逃げ込んできて 白人支配に取り入ってマレー人労働者を
仕切ったり、彼らに阿片を売りつけたりしていた。
昭和に入るころには支那人子弟のための学校が「三百くらいあった」
と千田が紹介している。
 そこ頃には日支の緊張がそもまま入り込んで在マレーの日本企業や
邦人を支那人が襲いだした。 その一つがマレーの虎こと谷豊の事件だ。
 彼が日本に戻っていた時期に支那人の群がトレンガヌの街を襲い、
彼の妹を犯したうえに首を切り落として持ち去った。
支那人らしい残忍さだった。

(週刊新潮4月18日号)