大久保利通 其の七
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よしりんは西郷好き大久保一派あんまりすきじゃないだよな
大隈重信とか大村益次郎とか西郷嫌いの人物もたまにいるが一万円札になった福沢と渋沢から西郷が好かれてたのは面白い、福沢は明治政府のほうを痛烈に批判してるし
福沢諭吉
>「明治政府が西郷率いる士族の暴発を未発に留めることができなかっただけでなく、
かえって暴発を促したのではないか」と指摘し、「政府は、西郷の死を防ぐための手立てをもっと積極的にすべきだった」と、西郷の死を憐れんでいます。
加えて福澤は、「政府が西郷を殺したんだ」と繰り返し訴えます。
西郷を「天下の人物」と呼び、「いくら日本の領土が狭く国法(国の法律や掟)が厳しいと言っても、
どうして西郷一人を日本に置いておく余裕がなかろうか」と、西郷を死に追いやった明治政府の狭量さを嘆いています。
https://news.livedoor.com/article/detail/13658761/
渋沢栄一
>西郷隆盛公は一言で言えば、とても親切で同情心が深く、どうすれば他人の利益になるかと、そのことばかりに気を使っていたように思う。
はたから見たところでは、公が賢い達識の人であるか鈍い愚かな人であるか、はっきりとわからなかったものである。
ここが西郷公の大久保公と違ったところで、西郷公は他人に馬鹿にされても馬鹿にされたと気づかず、
その代わり他人にほめられても嬉しいとも思わず、喜ぶこともなく、それと気づかないように見えたものである。
いずれにしてもとても同情心の深い親切な御仁で、器ならざると同時に、また将に将たる君子の趣があった。
明治維新の英傑の中で、偽り飾ることのなかったのは、やはり西郷隆盛公である。
そのため西郷公は、思慮の足りない人々からは、誤解されたり、真意を理解されなかったりしたこともある。これは、西郷公が至って無口だったことによる。
結論のみを語って、そこに達するまでの思想上の経緯などはあまり語らなかったためであろうかとも思う。
西郷隆盛公は、たしかに大人物であったが、適材を適所に置くことについては、優れた人物鑑識眼があったとは言いかねるようだ。
元来まったく私心がなく、孔子の言う 「過ちを観てここに仁を知る」 方で、
その深い優しい情に端を発するところが西郷公の過失ともいえるのだが、
一方それが、公の仁心が深かったことを示すものでもある。
したがって、他人を見誤ることがあっても、他人に陥れられるようなことは絶対になかった。
「現代語訳 経営論語 渋沢流・仕事と生き方」 日本史上最高の英雄 大久保利通 ? 2018/9/26
倉山 満 (著) >>5
大久保にビジョンが芽生えたのは洋行後だよ。大久保のプランは東京遷都まで。
その後のビジョンは木戸や江藤 大隈しか持っていない。 ただ彼らのプランは急進的で、
当時の日本に適していたかというk¥と、かなり疑問である。
んで、リアリストの大久保が漸進的現実的なプランに修正した、ってところだ。
おれも大久保ファンだが、過大評価はするべきではない、と心がけている。
西郷ファンや龍馬ファンはそこのところが(ry >>22
東京遷都プランは大久保にはない
大久保は大阪遷都プランである 歴史通 出口治明が選んだ
日本史の4傑とは誰だ
https://premium.toyokeizai.net/articles/-/17940
>日本史を彩る傑出した人物は誰かといえば、まず次の4人を挙げたいと思います。いずれも魅力的で、人物もユニーク。
平清盛と足利義満、織田信長、そして大久保利通です。彼らがなぜ面白いのか、これからご紹介しましょう。 元はな
ただ政治的なインフラが大阪にはないこと
京都の公家の影響が強い上方で太政官政府の開国政策、金融政策に横車を入れられ易いこと
近代的な港がないこと
上記3点がネックだった
東京遷都はその3点を一気に解消できる策である事を解かれ既に大量に雇い入れ始めていた元幕臣役人の転居も不要なことも東京遷都には大きなメリットになった
洋行の前に大久保が描いていたのは雄藩連合政府だったけど、徴税とインフラの整備をするには大名の横滑り政府では進まない実態がありこの解決策を洋行の一番の主眼にしていた
木戸と江藤はすでに西欧、特にイギリスやアメリカの議会制度にかなり知識を得ていたけど行政面での具体的な徴税の仕組みと金融に関してはほとんど考え方が分かる史料がない
観念的な面での理解に留まっていて行政システムそのものや江戸から明治への移行の具体的なアイデアも書生的で全くあてにならなかったと思われる
その点元幕臣の役人は実務経験豊富で具体的な移行のアイデアも出せて大久保、伊藤、大隈らは彼らとの会合を非常に重視していた形跡がある >>25
大久保は当時政治と経済の融合こそが国の発展に最良であるという観点から大阪遷都を主張
東京遷都は木戸でも伊藤でも大隈でもなく前島のプランがすべてて彼らはそれに同調したにすぎない
公家の影響力云々は大久保側の主張で東京遷都プランでははじかれてる内容である
近代港湾にしても東京は横浜と横須賀であり、東京に施設が整っていたわけでなく
大阪遷都プランでは神戸を用いることになってて変わりはほぼない
東京遷都がとおったのは国家安全保障上のことが大きく
大阪遷都は国防であり
国家安全保障と国防の中で国家安全保障に軍配があがったという
その国家安全保障理論に大久保もそれなりに理解は示したが大阪遷都が最良であるという考えは死ぬまでもっていたことは言及
政治インフラというより土地施設インフラが東京遷都は有利だったのは間違いない
文献調べると
道の広さが相当関係してるという事実がわかる
道の広さで決まったということを知るとなんだかなあとは思うがw 英雄たちの選択「明治日本 首都は三択だった!〜大久保利通 東京遷都の真実」
https://www2.nhk.or.jp/hensei/program/p.cgi?area=001&date=2019-11-06&ch=10&eid=30722&f=2647
>遷都の仕掛け人は薩摩藩出身の大久保利通。日本の近代化を推し進めるには天皇のあり方を変えなければならない。
そのためには古来の習わしに縛られた京都を出なければならないと主張。遷都候補は経済の中心・大坂だった。
新政府の中枢を占める公家たちは猛反発。さらに無血開城で新政府のものとなった江戸も候補に浮上。京都、大坂、江戸。
新生日本の首都にはいったいどの街がふさわしいのか。150年前の東京遷都の真相に迫る。 大久保が大政治家でることは間違いないが、司馬のように盲目的に英雄扱いすること
はどうかと思うな。
●大久保には、自分ひとりで考えた主義主張は見当たらない。尊王、討幕、開国進取、
遷都、廃藩置県、西洋の文明採用、皆自己の発明でない。しかし、その時分の交友
とか、藩公とかの説で、・・・それを固く守る粘着質の強い政治家である。
政治家で、その生命である主義主張がないのは不都合だが、大久保の場合は寧ろ将に
将たりで、帝王流だ。(渡辺三山)
●大久保において重要なのは、一歩前進と明日のことを計るのが、第一であり、
木戸においては、・・・理想が第一である。木戸は批判的であるからこそ、前途につ
いて目を向け、根本方針も考えられる。しかし、実際政治の場面の木戸はややも
すると脆く且つ不条理なのです。そこへいくと、大久保は今日と明日のことしか考え
ぬ図太さがあります。将来は将来として、先ず現在をいかによくするか。そのために
は、不退転の精神と、理性的な行動を怠らないのです(田中惣五郎) 工作員・西郷隆盛 謀略の幕末維新史 (講談社+α新書) 倉山 満 (著) >>11
いずれも既定路線で俺らがいない間に勝手にやるなってのを無視して話進めて留守メンバーの功績ってツラしてたから揉めたって感じ >>19
今時鹿児島人でもあんな一方的な大久保叩きしてる奴少ないだろうよ
それでいて頭山みたいな小物持ち上げるとかそれ自体がギャグ 明治後期から昭和初年にかけて西郷のマネを気取って大物侠客気取った右翼多い
西郷はマジモンの策略家だからしゃべるとマズいことが多過ぎてうっかり口を滑らさないように無口になったんだろう
大久保もかなり無口だったけど西郷と大久保の二人だとかなり長い話をしていたということからもこの二人が維新に関して絶対に表では話せないエグイことをやったことの証左かもね
岩倉も二人と共に幕末の政治劇の舞台裏で色々やったことは話せないとだけ談話を残していることからも間違いない
本当にヤバイ人は粋がってしゃべったりはいないもんだ >>36
論点はズレるが、ガチで幸せな人や自信家はあまり喋らないし、ことさらアピールしないね。
今のSNS全盛は、不幸者や自身の無い人が如何に多いかが分かる。
人間、満たされると吠える必要が無くなるというか…(犬を見てても良く分かるがw >>38
江藤の権力に対する野心が高くて、大久保が恐れたから
洋行から帰ってきたら、留守政府がすっかり江藤に牛耳られていて、
西郷は江藤らの征韓論者に担ぎ上げられていた。
だから、大久保は江藤を政敵とみなし、征韓論を叩き潰す必要があった。 >>39
西郷が担ぎ上げられたというのは同意しかねるが、大久保と江藤が政敵だったというのは
言い得ていると思う。
大久保と西郷は、征韓論で対立しているものの政敵とは言えないし、
大久保と木戸も、さまざまなことで対立しているが政敵ではない。 江藤は急進的だけど西洋の法体系に精通してたんやろ? >>41
そう。欧米の法をかたっぱしから翻訳して、1つ1つ取捨選択して
日本向けの法体系を構築しようとした。
征韓論争がなければ、洋行してそれを完成させるはずだった。 岩倉使節団の前に大隈中心のメンバーで洋行する案があったけど大久保、西郷、木戸がそれを知り大隈の動きを封殺
その直後に大久保、木戸が岩倉を頭に洋行するいわゆる岩倉使節団案が急遽決まった
実務面で大隈、江藤らが新政府内で台頭しつつあったことに対し討幕時の薩長巨魁が揃って懸念を持っていたのはまあ間違いなかったね >>43
オレもそう思う。だから大隈・江藤を抑えるために西郷が残ったはずなのに、
結局留守政府中のその2人の台頭を抑えることができなかったばかりか、
征韓論(西郷にとっては遣韓論という説もあるが)の先頭に立つことになる。
だから、担ぎ上げられたと表現した。
大隈の談話に、「西郷は板垣とダベってばかりだ。政治は任せるとハンコを渡された」
というようなものがあったらしい。 江藤は議会を導入しようとした。そうすると人気のない大久保と岩倉は落選するから
絶対江藤をつぶさなければならなかった。加治将一 議会って言っても選び方は色々
国民が投票するか天皇及び宮中が勅任するか華族士族のみの投票にするかとかね
議会制導入即国民による投票というのは独裁政権による完全管理選挙以外に歴史上ない >>44
板垣は軍人寄りだし
西郷に至っては参議とはいえ陸軍大将・近衛都督で現役だったな NHK歴史の選択で、五代友厚が大阪に行っていなければ大久保の右腕になれただろうにとの解釈だった。 ビジネスセンスとイノベーションへの理解は当時の日本で恐らく最高レベルの人だけど政府要人としては大隈どろこじゃないラディカルさなんで恐らく孤立して早々に下野したと思うけど
機械紡績導入と関西一円をその後100年日本の紡績産業の中心とし外貨を稼ぐ土台を作ったのは五代の功績だ
この人はそもそも長崎留学組の超エリートで長崎で既にグラバーや長州、土佐人士とも交流があって西郷に次いで幕末薩摩の顔だったというのもその後の仕事に大きな影響があったんだよね
坂本竜馬より数段上のビジネスマンでもあり官製産業育成政策のシナリオまで具体的に描けるという破格の人
五代の代わりに大久保を支えたのは吉井友実
この人は西郷、大久保と同郷の誠忠組リーダー格の1人で行政への理解や政治システム構築に関する知見は並み以下だけど殖産興業の必要性とその要に鉄道が必要という着眼はとても良かった
袂を分かった後も西郷への敬意を持ち続け西南戦争後は西郷の名誉を回復しようとする律義さ等も含めて人から信頼されて能力以上の働きができた 伊地知、税所、吉井は歳上だったね
海江田は歳下だけど Wikipediaで知ったネタだが、大久保のかくし芸ネタとして「畳回し」があったらしい。
場を和ませる時に披露していたそうなんだなw
話術で人を和ませる質の人じゃなかったらしいんで、どこにでもある道具で空気を
一変させる芸>畳回しを考案したのだろうか?
暇を見つけては、一人畳回しを練習する大久保利通・・
なんか公史に見える無味乾燥な事績じゃわからん、生きている人間って感じが
して親しみと苦労を察するw
もしかして有名なネタ?>大久保畳回し。 「畳回し」は幕末維新の人物の逸話もので読んだか、見たことがある
西郷従道が台湾に出征中に生まれた子供に
大久保が付けようとした名前は「ホルモサ」
この話も思い出すたびに笑ってしまう その話が本当なら年齢30半ばまで下積みで苦労してきたんだなw
あの氷塊になるのは明治政府誕生からだもんな
維新に関しては完全に西郷や岩倉や長州勢の陰に隠れてたからな >>58
維新後に明治天皇が今田中ってどうしてるのかなぁと懐かしんでたら当時田中と親交のあった小河一敏がそこの大久保に殺されましたと返答
大久保は無反応
このレベルの話だし当時の小河が薩摩藩上層部の細かい事情に詳しかったとも思えないので単なる当て付け臭い >>58
勿論直接手は下してないが久光の側近だった利通が知らない筈はない
河内介を殺すと決めたのが誰かは分かってない 金沢で殺されたのは西郷隆盛の件だけとは思えない、本多政均暗殺に大久保が一枚噛んでると思ってる。明治初期は指導者層の不審死が多かったし何件かは裏で大久保か岩倉が絡んでんじゃね? よく、木戸が人気ないって言われるけど、この人のほうがもっと人気ないよね
木戸はよく漫画とかには出てくるけど(銀魂含む)、この人はほとんど出てこない 江藤や西郷の件の他にも他の暗殺不審死事件の関与も疑われてるし、自分の手を汚さずに政敵になりそうな人達をあの手この手で排除してきたからな
賊に殺されても同情はせんよ >>62
木戸は剣豪の側面もあるので物語に出しやすいわな
維新後はともかく幕末に区切るなら西郷出したほうがやっぱインパクトあるし
大久保の真の覚醒はやはり洋行後と思うが、その頃を扱った漫画あんまないしね この人が政権を掌握できたのは、西郷が勝手に失脚してくれたのと、当初は格上(上役)だった木戸が病弱で退潮してくれたとか運もあった
よく木戸がイケメンだって言われるけど、大久保もかなりのイケメンだと思う
というか、当時としてはかなりバタ臭い顔(高橋幸宏似) 麻生のおじいちゃんのおじいちゃん
あのバカ引き取ってくれよw
あの世にw 甥っ子の外交官の方は冴えないおっさんなのにどうしてこうなった 百戦錬磨の渋沢栄一が「大久保利通は嫌い」な訳
大蔵省では意見が対立して退官、実業家の道へ
2021/04/04 5:20
真山 知幸 : 著述家
https://toyokeizai.net/articles/-/420412
https://tk.ismcdn.jp/mwimgs/0/f/750w/img_0f3761c06cc1ee6c6f19b69107155fd9890023.jpg
渋沢栄一(左)と大久保利通は犬猿の仲だった(左写真:今井康一、右写真:iLand/PIXTA)
(略)
そんな大隈のことを渋沢は「大隈参議だけは、大蔵省の実際の状況をも熟知していた」と、その見識も高く評価していた。
一方、大蔵卿を務めていた大久保利通のことは厳しくこき下ろしている。
「財政の実務に詳しくないどころか、その根本原理さえわかっていない」
渋沢にとって大久保は17歳も年上だったが、「私が嫌いだった人」とはっきり言っており、同時に「私もひどく大久保侯から嫌われた」と書き残している。いったい、2人の間に何があったというのだろうか。
渋沢が大久保と対立したのは、陸軍と海軍の歳費についてである。政府で「陸軍省の歳費額を800万円に、海軍省の歳費額を250万円にする」という提議がなされると、大久保は「やむをえずこれに同意しなければならない」とし、周囲のイエスマンもみな賛同していた。
だが、当時、大丞という職にいた渋沢が待ったをかけている。
「いま政府が軽々しく各省の年間予算を決めるのは、はなはだ不適切なことと存じます」
渋沢としては、年間予算を決めること自体は、むしろ望んでいたこと。ただし、全国の歳入額がまだまったくわかっていなかった。それをできるだけ明確にしてから、予算を各省に振り分けなければならないと、渋沢は大久保に主張した。
スピード感を重視した大久保が詰問
渋沢の言い分はもっとものように思うが、なにぶん、明治新政府はスタートして間もない。そんな理想論では何も物事は進まないと、スピード感を重視する大久保はおそらく考えたのだろう。渋沢をこんなふうに詰問している。
「それならば歳入の統計が明瞭になるまでは、陸海軍へは経費を支給しないという考えなのか」
こうして極論に持ち込んで、相手を追い詰めるのもまた大久保らしい。もちろん、渋沢としても、そこまでのことは望んではいない。陸海軍がなければ国を維持できないこともわかっている。けれども、歳入統計がまったくできていない時点で、巨額な年間予算を決めるのは危険なのではないか、と言っているにすぎない。
だが、大久保にしてみれば、渋沢の意見は具体性に欠けると感じたのではないだろうか。「ならば、いつならばよいというのか」「いくらまでの予算ならよいのか」と事を急いてしまう。いつでも一歩でも前進しておきたい大久保と、どんなときも筋はきちんと通したい渋沢とでは、方針が合わなかったのである。
(略) 凄すぎて渋沢栄一も戸惑った「西郷隆盛の眼力」
大久保利通と同様に「底知れない男」と実感
2021/04/11 7:30
真山 知幸 : 著述家
https://toyokeizai.net/articles/-/421906?page=3
(略)
西郷の真意は「廃藩置県をやろう」
そんなある日、井上は渋沢を呼び寄せた。何でも西郷の「まだ戦争が足りない」の真意が明らかになったのだという。
「わかったよ、わかったよ、このあいだ西郷のトボケた意味が……」
西郷が発した「戦争が足りない」という言葉の真意について、井上は渋沢にこう解説した。
「あれは廃藩置県をやろうということだ。そうすれば戦争になるかもしれないから、ああいったのだ。薩摩と長州が主になっているから、それをほのめかしたそうだ」
つまり、朝廷と政府の権限については、国内がもっと安定してから話すべきことで、そのためには、明治政府は廃藩置県を断行しなければならない。しかし、旧藩主たちが黙ってはいないだろう。そのため、明治政府はすぐに戦争の準備をしてから、廃藩置県を行うべきだというのが、西郷の考えだったのだ。
あまりにもわかりにくく、これには渋沢も「論理の飛躍だ」とあきれながらも、「西郷隆盛とはこんな調子だった」と振り返っている。
西郷のいうとおり、明治政府は廃藩置県を断行。戦争にはならなかったものの、衝突を覚悟して事にあたり、改革に成功している。幕末志士のなかでも、大久保と西郷は、ほかの者とは見えている範囲が違ったようだ。
(略) 大久保って大河の主役には跳ぶがごとくで一応なってるんだね うん
でも鹿児島ではあれでまた不人気に拍車かかったらしい 渋沢栄一って大蔵官僚としては実は全然優秀じゃないんだよね。
大久保と渋沢の予算をめぐっての対立も、結局大久保の見通しの方がずっと正確だったんだよな。
渋沢信者は信じたくないだろうが 年上だろうが関係なくガミガミ言えた山本権兵衛が唯一
借りてきた猫状態になったのが大久保利通だっけ? 大久保は他人に任せることができないワンマン社長そのもの
自分が関与して、自ら監督、指揮のもとやらんと納得しない人間 岩倉使節団に大久保ではなく西郷が行き、大久保が政府に残って指揮していたら
今の日本どうなってたかな 西南戦争が起きずに西郷以下薩摩人が死ななかった、ぐらいでは? あのー
長州関連スレを徘徊してしつこく大久保ageのレスをしまくる通称「大久保おじさん」引き取ってもらえませんか?
ウザイんですが
みんな大久保には大して興味ないし 72 名前:日曜8時の名無しさん 2022/04/11(月) 08:30:26.67 ID:8V1IA93u
オレは佐賀市民だがこのスレは近現代に偉人(政治家、起業家、軍人)を輩出した
県民にだけ書き込むことができるスレにしてほしい
偉人を輩出していないアズマエビスどもにとやかく言われたくない
下ネタ、基本的な知識のないバカまで書き込んでいる
上に江藤先生の話題が出ているが佐賀戦争は完全に大久保の謀略
新政府の中で制度設計ができる数少ない優秀な人材が近代化とは
何かわからないバカに殺された
73 名前:日曜8時の名無しさん 2022/04/11(月) 12:30:14.89 ID:H9MoVfME
江藤の話題は出てないけど?
しかし俺は関東人だけど西国雄藩以外は福井藩などの例外を除いて東の連中がボンクラ揃いだったのは同意
ボンクラなだけならまだしも、桑名より以東、とくに関東と東北の奴らは時々の政局だけを見て大局を見ず日本の近代化を遅らせようとし多くの秀れた人物を虐殺した
その志士たちを虐殺した張本人のアズマエビス新選組が「志士」と呼ばれてるのがこの国の実情よ 「林修のニッポンドリル」で佐賀の七賢人や副島種臣の書の鑑定があってたー!
https://twitter.com/Aoyagi_Aki/status/1124557956161228801
林修は幕末維新期の政治家で一番好きなのは江藤先生と言っていた
『逆説の日本史』の井沢元彦も江藤先生を評価し、佐賀戦争は知性ゼロの
大久保の謀略と書いていた
https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account) そんなこと言ってるから鹿児島はいつまでたってもど田舎なんだよ
薩摩御用盗
江戸において、旗本・御家人を中心とする幕臣や佐幕派諸藩を挑発するため、薩摩藩士・西郷隆盛らは、はじめ乾が土佐藩邸に匿い、
のち薩土討幕の密約に基づき薩摩藩邸に移管していた、中村勇吉、相楽総三ら勤王派浪士達を用いて、出流山をはじめとする
関東各地での挙兵や江戸の撹乱作戦を開始。毎夜のように、鉄砲までもった無頼の徒が徒党を組んで江戸の商家に押し入った。
日本橋の公儀御用達播磨屋、蔵前の札差伊勢屋、本郷の高崎屋といった大店が次々と襲われ、家人や近隣の住民が惨殺されたりした。
そして、必ず三田の薩摩藩邸に逃げ込んだ。江戸の市民はこの浪士集団を「薩摩御用盗」と呼んで恐れ、夜の江戸市中からは人が消えたという。
三田の薩摩藩邸を根城としていた浪士集団、後の赤報隊は、総勢500名ほどとされ、そのうちの多くは、金で買われた文字通りの、
人別帳からも外された無頼の徒であり、強盗、殺戮、放火などを好んでやるような輩であった。幕府は庄内藩に江戸市中取締を命じたが、
時の政治状況をわきまえ、浪士を刺激しないようにした。そのため、活動は益々激化し、江戸だけでなく、野州、相模、甲州といった
周辺地域まで拡大していった。 【ゲーム】ゲーマー最大のトラウマ!セーブ方法と「データ消滅」との戦いの歴史 [鳥獣戯画★]
1鳥獣戯画 ★2022/05/17(火) 09:36:28.28ID:CAP_USER
https://egg.5ch.net/test/read.cgi/moeplus/1652747788/-100
247名無しさん@恐縮です2022/05/17(火) 06:24:55.62ID:uClMotph0
ゲーマー最大のトラウマ!セーブ方法と「データ消滅」との戦いの歴史
https://news.yahoo.co.jp/articles/511637d5b8b8a348b92b2ce586d3c1606f7b37b6 江藤先生を敬愛している佐賀市民だが今総合で歴史探偵を放送している
BSの使いまわしだが日本最初の鉄道開通で大隈が活躍した話だ
江藤先生を敬愛しているものとして大隈については色々言いたいところはある
だがここで一番言いたいのは芋侍西郷と大久保の愚かさ狭量さよw 黒戸清隆好きなので西郷と大久保どっちも好きだけど
榎本武揚助命嘆願の時に政府内で黒田の好きにさせてくれたり
西郷が死んだあともずっと酒乱の黒田を庇い続けてくれた大久保ありがとう 黒田は外交とか北海道重視は木戸に近いんだよなあ。
薩長同盟依頼、芸者遊びしまくって長州派と考えも近くなったんだろう。
木戸が生きてたらさすがに嫁殺しは許さなかっただろうな 第二次世界大戦中の大使館での手記を書いてた大久保利隆氏って、大久保利通の親類の人なんかな? 牧野伸顕も当初の立ち位置からしたら失敗した方だと思うけど
基本的に外交、文部、宮中担当で当時の総理候補になりやすかった軍部大臣、大蔵大臣、内務大臣は未経験ながら自由主義系の西園寺からは原敬の次の総理候補とされ薩摩閥や党人グループからも期待されながら責任を負い切れないとして宮中に逃げた
建前としては天皇にせがまれたとなっているけど
牧野が覚悟を決めて政治家として議会に残っていれば大正末かは昭和初頭で党人派はもっと軍部の圧力に耐えられたと思う 大久保利通は子沢山すぎる
冷酷な顔に似合わず色情が強かったんだな >>99
それも含めて山県有朋と大久保利通は似すぎてる 質問いいですか?
大久保利通がロンドンで街灯が灯るのを見て「これがデモクラシーか」と言ったエピソード、これ結構有名ですよね?
ググっても全くヒットしないので、俺の記憶違いかと不安になってます。
ありましたよね、このエピソードって。 近代板か、専スレ行けって言われて、ここに質問書いたら、今度はマルチ扱いされてます。
レスしてやるかと、気が向いたらで良いので、答えてもらえたら嬉しく思います。
失礼します。 >>101
やはり人民力が向上しないと富国強兵なんて無理なんだな。 鹿児島に行った時にタクシーの運転手から大久保さんの銅像の名前
大久保利通の通がズレてるのは「人としての【道】がズレてるから」
って聞いたけど、それは観光客向け鹿児島あるあるなんでしょうか?
いくら何でも銅像立てるのにわざと字をズラすわけないと思うし
故意にしても途中で誰かが気が付いて訂正するだろうし
あれは何か意味があるのですか? ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています