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【最後の】徳川慶喜【将軍】
0001名無しさん@お腹いっぱい。
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2023/12/30(土) 17:01:25.79ID:zVG0uPry0
徳川慶喜だけは有能か無能かで極端に評価が分かれやすい
0218名無しさん@お腹いっぱい。
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2024/05/01(水) 11:49:26.92ID:pV65zrXR0
>>212
そもそも自分を担ぎ出そうとする薩摩が嫌いだったんだよ
それこそ斉彬からずっと

慶喜は何事もなく、ゆったりと過ごしたかった人
それを薩摩が面倒の火中のど真ん中に引っ張り出そうとするし
徳川の人間として、外様が政治に口出したり、介入したり、政治そのものに直接入ろうとしたりすることは秩序の崩壊になるからなにより嫌った

世の中のこの危機的状況が慶喜の才能を必要としてるのに、当の本人はそんな面倒くさくて大変なことなんてやりたくないっていう
ホントこの人すごく人間くさい
0219名無しさん@お腹いっぱい。
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2024/05/01(水) 14:51:33.53ID:JgdlpRfg0
嫌いな薩摩から豚肉全部取り上げるんだ
0220211
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2024/05/01(水) 21:12:23.74ID:BYBfwHwr0
>>212>>216
基本的に慶喜の政治志向は雄藩連合路線ではなく幕府専制路線なんだね。だから、本当は政策的には薩摩と協調できるんだろうけれど
国政に外様が主導権を握ることが嫌なんだよ。参与会議潰したのは慶喜だし。
ここまでの見立ては>>218氏と同じだが、彼と俺が違うのは慶喜は非常に権力欲は強かったと思う。
頭がいいし、自分以外は馬鹿に見える。主導権はずっと自分が握りたい。
しかしながら、あの鳥羽伏見後のザマは一体どう理解すればいいのか?
216氏が言うように大坂城に籠っていれば勝てないまでも負けることは無かったかもしれない。
しかし、籠城してる間に朝廷を握ってる薩長に次々と政治工作を打たれる。何十手も先読んだら「俺、詰んでるやん」とそう考えた時に嫌になっちゃたんだろうねえ。
「もう、どうでもええわ」とヤケクソになるところは218氏のいうように人間臭いとこなんだろうねえ。
ま、単純に、「朝敵にされて心が折れてしまった説」かもしれんけどね。
0221名無しさん@お腹いっぱい。
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2024/05/02(木) 02:46:20.63ID:SCnUV93W0
豚一さま
0222名無しさん@お腹いっぱい。
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2024/05/02(木) 10:07:20.42ID:liVfVOqC0
「もし江戸と京の間に戦が起こるような事があれば、全てを捧げて京を奉ぜよ」
子供の頃からこういう考えを叩き込まれた慶喜が戦える訳ないな
0223名無しさん@お腹いっぱい。
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2024/05/02(木) 10:09:59.46ID:tr4CJ8c+0
それよく言われるけど、だったら京に進軍したいと言われたときに「勝手にせい」とは言わなかったと思うの
慶喜オタは本人が書き残してない心情を、勝手に断言する人多い
0224名無しさん@お腹いっぱい。
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2024/05/02(木) 12:10:15.83ID:S2hXyxU20
朝廷と徳川宗家が対立したら水戸家は朝廷側につけ、って考えは神君家康否定・幕府否定の発想で
道徳的にどうなんかね。水戸家が上級国民にいられる根拠を自己否定し、家祖をも裏切っている。
尊王思想というのはカルトそのものだよ。

尾張と紀伊が慶喜を見限って薩長についたのは尊王というより自己保全だ。
慶喜は徳川宗家というより水戸家の人という認識が尾張紀伊にあったのではないか?
0225名無しさん@お腹いっぱい。
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2024/05/02(木) 15:24:55.67ID:tr4CJ8c+0
幕末を通じて慶喜の最大の敵は、薩摩ではなく江戸の幕臣たち
こいつらは大政奉還に反対で、討薩の表を持って京都に上ろうとして鳥羽伏見の戦いが起きた
ネットではなぜかこいつらを徳川代表みたいに言う人が多いけど、いつから慶喜を廃して滝川具挙が徳川家を就いだんだ?って思う
0226名無しさん@お腹いっぱい。
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2024/05/03(金) 01:12:48.99ID:Dzk06yxc0
単純に大政奉還は誰が将軍になっても御手上げの泥舟を見限って捨てただけ
そこに有能だの無能だのは本来はない
なぜなら誰が将軍に就任しても崩壊は決定づけ得られていたからだ
0227名無しさん@お腹いっぱい。
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2024/05/04(土) 02:08:09.46ID:l30WyGll0
そうやな
0228名無しさん@お腹いっぱい。
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2024/05/04(土) 19:21:32.29ID:qS7yjTnj0
薩長と戦う気なら大政奉還は悪手だろう
大政奉還せず戦えば将軍として顔が効き薩長に付く藩も限られた
土佐が大政奉還を進めてるため顔が潰せなかったのだろう
0229名無しさん@お腹いっぱい。
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2024/05/05(日) 03:22:19.30ID:9lYjVLaq0
慶喜は手裏剣の名人やで
0230名無しさん@お腹いっぱい。
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2024/05/05(日) 16:10:26.69ID:I+9I5RRM0
基地外水戸学の出だから錦の御旗建てられた段階で
そりゃ無理だろ。
0231名無しさん@お腹いっぱい。
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2024/05/06(月) 00:17:54.74ID:5Nk97PWq0
母親の血筋たどれば霊元天皇にまで遡るからね、しかも長寿だったし
0232名無しさん@お腹いっぱい。
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2024/05/07(火) 02:35:51.08ID:OE1FZsi20
30代から隠居生活
0233名無しさん@お腹いっぱい。
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2024/05/07(火) 18:24:19.75ID:lPeOYRbJ0
若くして天下に名を轟かせ、その後の隠居、幽閉、亡命生活の方が長く死んだ時はほとんど忘れられている

こういう慶喜的な人物は、本邦では、宇喜多秀家、松平忠輝 異国だとケレンスキー、張学良あたりだろうか
0234名無しさん@お腹いっぱい。
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2024/05/07(火) 19:59:51.51ID:r+3oJ8qQ0
>>233
ちょっと違うな。慶喜の隠遁生活は幽閉ではないし、多芸多趣味の充実した生活だった。
明治の後半には公爵・勲一等も拝受して名誉も挽回した。いい人生ですよ。
0235名無しさん@お腹いっぱい。
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2024/05/08(水) 00:02:00.10ID:oUhnfaEd0
配流とはいえ幕末まで前田家からの金銭、子孫も傍流あわせりゃ20家ちかく存在しているという宇喜多家はまだいいほうやろ
忠輝もなんだかかんだ配流先では自由気ままのようだったし
0236名無しさん@お腹いっぱい。
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2024/05/10(金) 02:59:22.04ID:TMm6oJL30
史上最強の一発屋
0237名無しさん@お腹いっぱい。
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2024/05/11(土) 04:54:53.17ID:WxBToLBb0
>>190
あの知事は京都人やで
静岡県人は気風が大らかよ
0238名無しさん@お腹いっぱい。
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2024/05/12(日) 11:26:51.87ID:QvksL7nU0
>>236
ん? 「一発屋」って、一応一発だけは当ててるんだが、慶喜はなんか当てたのか?
慶喜の人生最高は禁門の変で長州軍を撃退したときぐらいじゃね?
0239名無しさん@お腹いっぱい。
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2024/05/12(日) 19:14:29.25ID:p/vaA7NU0
慶喜やゴルバチョフみたいに先が見えすぎる人物はその時代の人間から忌み嫌われる
0241名無しさん@お腹いっぱい。
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2024/05/14(火) 22:24:24.30ID:X7KCrT8g0
あんな状況で将軍になってババ引いたとしか思えない
家慶、家定のように将軍世子の期間が長ければ幕臣の忠誠心もあり把握もできただろうけど、今まで列侯に過ぎずぽっと将軍になっても、押しが聞きにくいんじゃなかろうか
0242名無しさん@お腹いっぱい。
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2024/05/20(月) 20:16:56.19ID:gv4CZNxB0
>>241
ご指摘の通り、あの状況で将軍就任は、まさに「ババ」を引いたような展開だったと思いますよね。家慶や家定のような長い将軍世子期間があれば、幕臣との信頼関係も築け、状況把握も容易だったでしょう。

しかし、突然列侯から将軍に昇格した彼にとって、周囲の意見を取り入れるのは難しかったかもしれません。家臣たちは、彼を「自分たちと同等の存在」と捉えていた可能性もあるでしょう。

さらに、当時の幕府は既に権威が衰退しており、改革への機運も高まっていました。そんな中で、経験不足の将軍が改革を主導するのは、非常に困難な状況だったのではないでしょうか。

彼の立場であれば、周囲の意見に耳を傾け、慎重に判断していくことが重要だったでしょう。しかし、それができなかったために、幕府の威厳をさらに失墜させてしまったのかもしれませんね。
0243名無しさん@お腹いっぱい。
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2024/05/21(火) 03:06:00.68ID:RS9jWz4j0
>>240
一発屋人生
0244名無しさん@お腹いっぱい。
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2024/05/22(水) 13:06:07.53ID:611r5pb90
大政奉還だけの将軍
0245名無しさん@お腹いっぱい。
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2024/05/22(水) 20:26:53.91ID:EqFnvyer0
江戸城無血開城にも貢献してる
0246名無しさん@お腹いっぱい。
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2024/05/22(水) 20:51:00.61ID:ULo41NIA0
山一證券最後の社長 とまでは言わないが在位1年足らずで実績がと言われても店じまいしかしようがない

ルイ16世とか足利義昭とかならもう少し頑張れよと思うが
0247名無しさん@お腹いっぱい。
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2024/05/23(木) 02:27:16.69ID:+zz39Gn30
それで歴史の役割が終わったんやで
0248名無しさん@お腹いっぱい。
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2024/05/24(金) 03:45:26.47ID:WsDNIURH0
徳川幕府に人材なし
0249名無しさん@お腹いっぱい。
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2024/05/24(金) 06:18:53.07ID:ohxBJpFm0
幕軍が雑魚すぎて袋小路の長州にすら勝てなかったのに、
最強薩摩と組まれたらで判断したのは立派だろ。
東北や越後の間抜けとは違うのだよ。
0250名無しさん@お腹いっぱい。
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2024/05/24(金) 22:36:28.99ID:29EziOio0
大奥、譜代、旗本からは嫌われ、酒井玄蕃みたいな陪臣からも馬鹿者扱いされていた。
しかし江戸を戦火に巻き込まなかった、ならば、
江戸からは感謝されても良いんだが、余りそういう声は聞かれない。
新門くらいか
0251名無しさん@お腹いっぱい。
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2024/05/29(水) 04:06:11.90ID:LO6kXqUC0
西郷、大久保の力量を見抜いてのは、
さすが腐っても将軍
0252名無しさん@お腹いっぱい。
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2024/05/29(水) 20:39:21.50ID:5LcKGJDW0
>>250
大奥、譜代、旗本からは嫌われ、酒井玄蕃のような陪臣からも馬鹿者扱いされていたというのは事実ですね。しかし、江戸を戦火に巻き込まなかったという功績は非常に大きく、1868年(慶応4年)の戊辰戦争勃発時に約26万人が住んでいた江戸市中を壊滅的な被害から救ったことは、もっと評価されるべきではないでしょうか。

確かに、江戸の人々から直接感謝されたという記録は多く残っていませんが、それは当時の社会情勢や情報伝達の制限などが影響している可能性があります。江戸城が無血開城という形で戦火を免れたことは、江戸市民にとってはもちろん、日本全体にとっても大きな幸いであったことは間違いありません。
0253名無しさん@お腹いっぱい。
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2024/05/29(水) 20:41:13.46ID:5LcKGJDW0
>>251
西郷隆盛と大久保利通の力量を見抜いたのは、徳川慶喜の慧眼であったと言える
0254名無しさん@お腹いっぱい。
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2024/05/30(木) 21:28:34.36ID:JkhqxXKh0
慶喜は西郷にも大久保にも直接あったことないんだろ
それを炯眼と言っていいのか・
0255名無しさん@お腹いっぱい。
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2024/05/30(木) 22:52:54.29ID:TS7ZLqfM0
まず征夷大将軍が一介の他藩士の名を知ってるだけで余程の情報通
0256名無しさん@お腹いっぱい。
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2024/05/31(金) 03:44:59.59ID:4Y+ggaQ60
そのとおり。
慶喜は時勢は読めてるよ。
時勢が読めてるから無駄あがきせずに大政奉還を成し遂げたともいえる。
0257名無しさん@お腹いっぱい。
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2024/05/31(金) 09:12:44.22ID:XdzDranQ0
将軍になる前の幕政に関わった時期が長かったからな
一橋の当主という立場は、むしろ他の諸侯より身軽に動きやすそうだ
0258名無しさん@お腹いっぱい。
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2024/05/31(金) 23:07:45.56ID:SZUC3ORG0
幕臣や大奥に好かれる将軍=日本にとっては最悪の将軍

この場合の好かれるは、舐められてる、既得権益を温存して自分たちにうまい汁を吸わせてくれて都合がいいということだからだ
あの情勢下で幕臣大奥に嫌われるというのは誇るべきことだろう
慶喜には「嫌われる勇気」があったのだ
0259名無しさん@お腹いっぱい。
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2024/06/01(土) 00:09:36.22ID:8Z7FeTR30
幕府もそれほど馬鹿じゃない、各藩で脱藩者のリストを作成しその中で目ぼしい人物をリストアップさせたくらい
坂本龍馬もその中に入っていたしね
0260名無しさん@お腹いっぱい。
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2024/06/02(日) 05:15:04.35ID:NCWzGg550
徳川慶喜でも匙を投げるぐらい幕末の幕府は人材不足だったということだろ。
0261名無しさん@お腹いっぱい。
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2024/06/02(日) 07:52:06.80ID:zlF2QVyp0
幕臣中で唯一薩摩と戦えた原市之進は元水戸天狗党の過激派で、旗本に斬られるというのがすべてを物語ってる
0262名無しさん@お腹いっぱい。
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2024/06/02(日) 10:39:15.11ID:acQDzTag0
慶喜は才子だからな 才子は己が賢いので人を使うのが下手な面がある
石田三成とか東條英機とか使われている間はいいがトップに立つと全くいけてない
慶喜も一橋のいち諸侯のままの方が本人も良かっただろう 大体やりたくもないのにやらされて、それで文句を言われても堪らん
0263名無しさん@お腹いっぱい。
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2024/06/02(日) 11:25:18.01ID:zlF2QVyp0
家茂って創作では大抵いい人に書かれて勝海舟の理解者とされるがそんなわけない
骨の髄までの幕府独裁主義者だし、勝とはそもそも上洛の行き帰りで軍艦を利用した際の艦長だったってだけで家茂にとってはごまんといる幕臣のなかの中堅官僚でしかない
慶応二年の時点では名前すら覚えていたかどうか

慶喜の尽力に対して全然感謝しないし幕臣にとりなすこともしないし、条約勅許では足をひっぱり最後はあてつけがましく四歳児を跡継ぎに指名してしぬ
0264名無しさん@お腹いっぱい。
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2024/06/03(月) 15:00:05.60ID:dOQ/43Xe0
水戸藩も自滅で徳川幕府も自滅

これが何もかもを自滅に追い込む水戸学の恐ろしさなのか・・
0265名無しさん@お腹いっぱい。
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2024/06/03(月) 16:38:39.58ID:ohSa6LIg0
>>263
家茂公は創作作品では好人物として描かれることが多いですよね。でも、実際には幕府独裁主義者だったという指摘は興味深いです。勝海舟との関係についても、上洛時の軍艦利用が唯一の接点だった可能性は十分に考えられますね。慶喜公への感謝の欠如や、条約勅許での足かせなど、家茂公の政治的側面は複雑だったようですね。四歳の跡継ぎ指名も、幕府の行く末を案ずる家茂公の苦悩を象徴しているのかもしれません。
0266名無しさん@お腹いっぱい。
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2024/06/03(月) 17:48:26.61ID:3WfXHQK/0
キモいレスここにも来てる
0267名無しさん@お腹いっぱい。
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2024/06/04(火) 00:26:58.38ID:/LLcHE1O0
ん、田安亀之助は既に14代選定の時点で名に上がっていたと思うがね
0268名無しさん@お腹いっぱい。
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2024/06/04(火) 12:01:59.58ID:8jFIGsHZ0
ん、田安亀之助が生まれたのは13代家定の死後5年後なんだが
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