土佐藩&土佐勤皇党
諸藩士の崇敬対象であった武市半平太が処刑されずに長生きしてたら
明治政府は土佐藩が主導してたかもしれなかったのに惜しい 龍馬伝視聴完了
強行軍だったし突っ込みどころもあったが良いドラマだった
感動した
幕末を駆け抜けた龍馬の感覚を体感した気分だよ
つぎはサムライせんせいアニメ化希望
実写化はめでたいがあの作品の魅力はやっぱりあの絵にあると思うので 龍馬伝では「乙女は武市のことが好きだった」とはっきり言われていておーいにもちょっとそれっぽい描写があった気がする
年齢や家格からいえば本当に結婚しててもおかしくないんだよな
もしこの二人が結婚していて子供ができていればまた何か変わったんだろうか モテモテの武市がなんで坂本の不細工の姉
をえらばにゃいかんのよ。 以蔵オタはおーい竜馬の影響だろうな
格好良いからね
あの以蔵好きだ たしかに薩長でも佐幕派でもない超越した独特のかっこ良さがあるのが土佐藩士 土佐オタだけで創作を史実と信じて浸っていればいいのに、他サゲしないと持ち上げられないのが欠点
創作を除くとたいして業績ないからな 土佐もので決まり文句のように言われる
「容堂は東洋をころした武市をずっと憎んでいて復讐するつもりだった」
ってそれの何が悪いのかまじでわからん
龍馬が容堂たちを恨んでいるが大政奉還のために広い心で許したみたいに描かれるのもおかしい
龍馬にとっては友人が勝手に暗黒面に堕ちて悪事を重ねまくった挙句逮捕されて法の裁きを受けたってだけ 容堂も木戸に言われたときに
「毛利公も周布や長井を切腹させてるじゃないか」って
言い返せばよかったのにな。 お〜い竜馬だと武市はかなり下げられてる
龍馬と比べ小物みたいにされてる
龍馬中心史観だとそうなる
実際は武市が生きてれば三傑並みの評価だろうが
龍馬が生きてても後藤クラスの評価だろう
龍馬物だと西郷より凄かったまである 寧ろ同じ西郷方向が故に彼がどうなったかを見れば最後は土佐の不満分子引き連れてって感じだったと思うわ 本当に無能なの?
木戸孝允には胸襟開いて版籍奉還認めてるけど?
土佐には人物がいなかっただけでは? 一番優秀だった近藤長次郎を嫉妬から
切腹させるようなのが土佐の人間。
長州や薩摩や佐賀なら不和になっても切腹はさせない
だろうよ。 サムライせんせいは漫画作品としてはすごく好きだが、史実を知ってるから頭の片隅で「リアル武市はぜってーこんないい人じゃねーよ」と鼻白む気持ちがどうしても
読書メーターの感想で「幕末土佐の混乱は、むだに頭の切れる狭量な理想主義者が下の身分に生まれてしまったこと」とあるのは言いえて妙 混乱したのは容堂が出て来たせいじゃね
武市路線で行ってたら土佐は薩長に劣らない功績
長州と親しく慎重な武市なら禁門の変も防いだかも知れんしね 武市は投獄される前に既に薩長和解に尽力してたから
投獄されなければ薩長同盟も早くに成立して武市が仲介したかも知れん
大政奉還や薩土密約にも賛成しそうだし
龍馬と中岡の出番は無くなったかも知れんが >>232
人格的に優れてたと言うのが当時の一致した意見でもある
ただ政治に関してはマキャベリストな面があるから
どっち面を見るかでイメージがガラリと変わる人物 >>235
「両方」というのが本当のところだろう
2004年のTVドラマ「竜馬がゆく」の武市が結局一番真の武市に近い
善人でもあり悪人でもあるし卑劣でもあり高潔でもある
大抵の創作物はどっちかしか書かないからな 土佐勤王党における岡田以蔵の起用は、党内でも賛否両論だった。彼の冷酷非情な暗殺は、吉田東洋暗殺事件のように大きな政治的波乱を招き、党勢の衰退を招いた側面もある。しかし一方で、揺るぎない信念と強い意志を持ち、過激な行動で幕府に強い抵抗姿勢を示したことは、尊王攘夷運動に刺激を与えたという功績も認められる。岡田以蔵を単に「失敗」と断定することはせず、多角的な視点から評価することが重要である。 >>234
武市は投獄される前に薩長両藩の接近に貢献していた可能性はありますが、薩長和解に直接的な役割を果たしたという明確な証拠はありません。投獄されなかったとしても、薩長同盟の成立には龍馬や中岡慎太郎のような人物の貢献が不可欠だったと考えられます。大政奉還や薩土密約への彼の賛否は不明ですが、これらの政策は彼が投獄された後に策定されたものであるため、彼の意見を伺う機会はありませんでした。 武市半平太と坂本龍馬は、それぞれ異なる功績と評価を持つ人物であり、単純な比較は適切ではない。
武市半平太は、土佐勤王党の結成や禁門の変の計画など、攘夷運動の中心人物として活躍した。思想家としても知られ、吉田松陰に影響を与えた。しかし、その急進的な思想と行動は、土佐藩内で孤立し、暗殺されるという悲劇的な結末を迎えた。
坂本龍馬は、海援隊を結成し、海運業や薩長同盟の締結に貢献するなど、幕末維新の転換点となる出来事に大きく関わった。優れた交渉力と実行力で知られ、その自由な思想と行動は、多くの志士たちを魅了した。しかし、暗殺という非業の死を遂げ、その真の評価は未だ議論の余地がある。
二人とも、日本の近代化に大きな貢献をした人物であることは間違いない。しかし、それぞれの功績と評価を比較するよりも、それぞれの個性と魅力を理解することが重要ではないだろうか。 しかし幕末で土佐藩が一番名をあげたのは容堂と後藤の大政奉還工作だし、明治以降土佐出身で一番出世したのは政治では板垣、経済では岩崎
みんな吉田東洋門下
土佐は確かに身分制度が厳しいが容堂ー東洋ー新おこぜ組はむしろ藩内で異分子の開明派で能力主義だった
おーい竜馬の容堂は出おちで子供を無礼討ちにした以外は結局常識人だったが、酔って候の容堂はマジモンのキ印
おーいの容堂とすげかえれば、「俺たちが都で天誅をしたから土佐は勤王藩になれた」とか猪口才なこといってる以蔵を大人げなく論破しまくって泣くまで追い込んでくれるはず 以蔵が活躍してた頃は、まだまだ幕府健在で朝廷の力が弱い
そこで、朝廷の復権運動が主になった
薩摩と長州が京へ上洛してるから、土佐だけ上洛せずに、参加しないとなると薩長に後れを取る
大政奉還も土佐の功績の一つと評価されたが、最終的に土佐が生き残ったのは西郷、中岡、板垣らによる倒幕の軍事同盟の薩土密約が大きい
戊辰戦争に参加してなければ、他の四賢候とされた越前や宇和島程度の扱いで、終わったかも知れない 寧ろ所謂大藩という枠の中ではやったほうに思うからそんなもんじゃねと
加賀とか徳島・福岡・熊本等々に比べればまし おりょうって動乱期の愛人にはよくても平穏期の正妻には向かないタイプだよなあ
創作物だと海援隊メンバーと和気あいあいに書かれることが多いが後年の有様をみればそんなわけない
肉親や恋人という直近の身内には熱血で親切だがそれ以外の人間には冷酷
いるいるこういう人…と思うがおりょうの一番悪い点は、我が強いのに結局自分のアイデンティティが「龍馬の女」でしかないところ
これははたから見るとかなり感じ悪い
龍馬の手紙も焼いちゃうし お龍は寺田屋事件がなければ、愛人のままで正妻にならなかったかもな
事件のあと、龍馬と二人で薩摩藩邸に匿われるんだけど、規定だと藩邸内に一緒に住めるのは本人か正妻の血族までで愛人・妾はNG
特に当時は、大奥から宿下がりしてた幾島が京都薩摩藩邸に何度か訪ねて来た記録があって、篤姫の恥にならないようにと藩邸内の風紀に気を使っていたらしい
なので、お龍と一緒に潜伏したいなら正妻にしろと言われて急いで結婚…という説もある >>249
確かに、お龍さんが正妻になったのは寺田屋事件がきっかけの一つだったというのは興味深いですね。ただ、いくつか気になる点があるので、純粋に知りたいのですが、教えていただけますか?
薩摩藩邸の規定について: 薩摩藩邸では、本当に愛人・妾は一緒に住めなかったのでしょうか?史料などに基づいた具体的な情報があれば教えていただけますか?
幾島さんの訪問と風紀の関係: 幾島さんが京都薩摩藩邸を訪問したことが、お龍さんたちが正妻になる必要性を高めたというのは、どのような根拠に基づいているのでしょうか?
結婚の経緯: 薩摩藩から正妻になるように求められたという説は、どこから出ているのでしょうか?史料や研究論文などがあれば教えていただけますか?
もし、これらの点について詳しく教えていただければ、お龍さんたちの関係や当時の薩摩藩の様子をより深く理解できると思うんです。よろしくお願いします。 かの小松帯刀すら愛人は自らの私邸にてかこっていたと思います