坂本龍馬を語る
いや俺は大好きだ
なぜならカリスマスター性が断トツなのが坂本龍馬
たとえ実績は半分が作り話でもだ 「竜馬がゆく」
「お〜い竜馬」
竜馬を語るなら
この二つだけは外せんよ 龍馬さんはね、そりゃあ怖かった、と。
『龍馬さんが来た!』と言うだけで泣いていた子は泣き止み、
外で遊んでいた子は家に逃げ帰った、と。
ある日、龍馬さんが通りかかって『いずれ、均しの世が来るぜよ』と、
ひひばあちゃんに言うた、と
黒鉄ヒロシ氏曾祖母 戦前の人気ナンバーワンだった桂小五郎が
戦後になって子分の伊藤博文、甥の桂太郎が
朝鮮関係で引っかかるから推せない。
それで明治政府では影響力が全くない坂本を
引っ張り出してきたんだろう。
西郷も征韓論で引っかかる。 >>6
怖くて逃げ出すはよう分からんけど、「いずれ、均しの世が来るぜよ」が口癖なのめちゃくちゃ坂本龍馬だなw
俺たちの思う龍馬そのもの 坂本は自由民権派の先駆者として持ち上げられヒーローになった
確かに幕末で議会制政治を説いてたからね 明治の末年に和田義睦という人が下関土木出張所次長をしていて、長府に住んでいた時、隣家に戊辰戦争にも従軍した日原素平という老人が住んでいたそうです。和田氏がこの日原老人から聞いた話を文章にして残しているのですが、それによると、老人は若い頃の一時期、龍馬に離れを貸していたそうです。
そして、その時の話として、「その頃、夫人龍子さんはヒステリー病で、時々発病すると坂本先生は親切に看病した。発病すれば茶碗、皿などをかねて用意しておき、それを夫人に差し出す。夫人はそれを庭の飛び石目がけて投げつける。皿は粉みじんに割れる。夫人は大声で笑う。かくして夫人の機嫌が直る。平和になる。坂本先生は真に気柔らかに、夫人のみならず何人にも親切であったが、夫人のヒステリーはなかなか全快せず、時々発病して先生の心配は容易ではなかった。(原文のまま)」とのことです。ー以上、山田一郎「海援隊遺文」270頁から引用
司馬さんは、「竜馬がゆく」で、おりょうのことを「おとなしい女ではない。そのくせ竜馬には何の役にも立たぬ荷物なのである。」と記述していますが、あるいはこのエピソードを読んでいたのかもしれないですね。 当事者というより仲介者なんだけど逆に今の流れは龍馬を軽んじすぎだろ
まあ教科書から消えるのはどうでもいいけど 明治5年に教科書が誕生してから龍馬の名前が消えたことは1度もないそうだ。 >>12
へぇ、坂本龍馬の名前が教科書から消えたことなんてあったんだって? 確かに有名だし、歴史の授業でもよく出てくるよね。でも、明治5年からずっと載ってるってのは知らなかったな!
実は、龍馬の名前が消えたという話は、ちょっとだけウワサ話みたいなんだ。確かに、2017年頃に新しい学習指導要領ができた時に、教科書に載る内容が少し変わることになったんだ。その中で、龍馬を含むいくつかの偉人の名前が、必ずしもすべての教科書に載らなくなる可能性が出てきたってことがあったんだ。
でも、実際には龍馬の名前は消えなかったんだよ。教科書の内容は出版社によって少しずつ違うんだけど、多くの教科書では龍馬について取り上げられているみたい。