縄文人こそ日本列島の支配権がある
弥生人は、大陸や半島から侵入指して居座ったシナチョン。
本来の日本人は、縄文人! よって、縄文の末裔たる薩摩隼人が日本を支配するのが正当。
吊り目ペタンコの弥生人は、奴隷とやりやがれ 89不要不急の名無しさん2020/05/11(月) 12:38:28.79ID:eOXNo8cYO
古来より半島から侵入してくるのがいた。
真に純血日本人は、オレさまなどわずかしか居ない
https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1589094231/89 第34回朝鮮文化をたずねる会 秦氏の遺跡めぐりツアー
平安京創生1200年と秦氏
京都大学名誉教授 上 田 正 昭
『新撰姓氏録』によれば、平安京に住んでいた有力者で、天皇家の祖先につながる皇別184氏、祖先が神様だとする神別が149氏、渡来の子孫とする諸蕃174氏
つまり左京、右京に住んだ当時の有力な氏族のなかに朝鮮半島から渡ってきた人びとが多数だったことがわかる。
その中でも秦氏が最も多い。天長年間の葛野班田図(残欠)をみると田地を耕作していた人間が114人。
この土地は誰が耕していたか書いてある。
そのうちの84人が秦を名乗っている。
これをご覧になりましても、いかに平安京と秦氏、平安京ができて以後も朝鮮半島から渡ってきた人が実際に住んでいたかがわかる。
その京都の人が、朝鮮民主主義人民共和国の核疑惑その他で、在日朝鮮人の民族学校の学生や生徒さんに、石を投げつけたり、暴行を加わえたりすることでは、世界文化自由都市宣言が無意味になると思うのです。
善隣の友好さえできない市民がどうして京都を世界文化自由都市と言えるでしょうか。 縄文人が日本列島の支配権を持っていたというのは興味深い考え方ですね。縄文時代は、約14,000年前から約3,000年前まで続いた長い期間であり、その間には様々な文化や社会が発展しました。縄文人は狩猟採集民として知られていますが、独自の文化や技術を持ち、地域によっては高度な社会を形成していたことも分かっています。
しかし、支配権という概念は複雑であり、縄文時代においてどのように定義されていたのかは明確ではありません。現代の国家のような支配体制が存在していたとは考えにくく、縄文人同士の間でも様々な関係があったと思われます。