【千両箱】埋蔵金発掘が趣味の人【9箱目】
レス数が1000を超えています。これ以上書き込みはできません。
前スレ 【千両箱】埋蔵金発掘が趣味の人【8箱目】
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/hobby/1511435129/
古今東西埋蔵金の話ならなんでも結構です。
ただし、「my雑巾」は禁止します。
※皆さんの自由闊達で、活発そして想像力豊かな書き込みをしてください。
【書込み注意事項】
荒らし防止のため、E-mail欄に sage と入力し書き込みしてください。
E-mail欄に sage と入力し書き込みすると、カテゴリーのトップに上がることはありません。
sageを入れることで、ひっそりとお話ができるということです。
【指定返信方法】
個別の書き込みに対して返信したい場合は、半角で入力しましょ。
>>71 ←全角× >>71←半角○
【注意事項(諸注意)】
@埋蔵金の本質から地域・人物等に迷惑がかかる場合があるので、人名・固有名詞等の記述は慎重に 様々な思いがあるでしょうけど、ここは同じ趣味同志仲良くやりましょう。 注意事項のAが抜けてました。
【注意事項(諸注意)】
@埋蔵金の本質から地域・人物等に迷惑がかかる場合があるので、人名・固有名詞等の記述は慎重に
A仲間募集・共同出資・物証等売買において、詐欺等の可能性もありますので、くれぐれもご注意ください。 165さん
リセットされた新しい箱なので、たまには書き込みをお願いします。 10番目の書き込みなので、以後書き込む場合は「天」(※10⇒てん⇒天)の名前で書き込みます。
よろしくお願いします。 心機一転のスレです。
躊躇せず書き込みを!
出来れば、今までの由緒ある書き込み者の方々、今の現況をよろしくお願いします。 少し寒いが、最高の天気だ!
春だ、春!
さぁって、今年はどこを挑戦するかな。
そして、「埋蔵金発掘が趣味の人」の活躍を大いに期待してま〜す。 春真っ盛り! さて、みなさんは探索の準備は出来ましたか?
5月の連休に向けての準備なら、今が一番いいですよ。 誰だよ偽165でスレ建てたのは。
シラけて過疎ってるじゃんか。 おいおい、いつまで続くのか生暖かく見守るのがお約束だろ?我慢できない男の人ってさいてー >>22
先ず始めにお前が書けよって
またなるから自重したほうがいいね
かけ声みたいのいらないから 勢いで引退宣言カマして誰からもチヤホヤしてもらえなくてウズウズしているみたいだよ。
アマチュアなのにプロ気取りの某氏は。 スコップを置いたわけじゃないだろ。ここに来ない宣言なだけで。グループでやってんじゃねーの、知らんけど。 >>29
誹謗中傷ばっかりのスレにウズウズするわけないだろ(笑)
新スレも相変わらずだし
きっと今ごろ笑ってるよ 10人ぐらいメンバーいるんだし5ちゃんはいらんわな 偽「埋蔵金発掘が趣味の人」の井戸端会議の始まりかな? マジか10人もいるのかよ、このスレから連れ去られたのはそんなに居なかったし、どこでリクルートしてんだか >>35
嘘乙
ちゃんとカウントしてみろよ
しかも誰も戻ってきてない 165沼に踏み込んだ者は誰も戻ってこなかったのじゃ。怖っ いつまでやってんだ君たちは!
友達や行く所もない根暗の暇人たちか?
>>37
このスレに書き込まなくて直接メールして仲間に入った人もいる可能性が有るので、
正確には今現在の加入者は加入者以外はわからないと思うよ。
>>38
大いに結構だが、何が欲しいのだ君は? もともと「真面な」書き込み者の少ないスレです、気長に待ちましょう。 >>52
お前ほんと頭弱いな
>>48
の「気長に待ちましょう。」は
誰かが書いてクレるのを待つんだろ?
クレクレじゃないか
あ!貰うクレクレだけだと思ってた?
どや顔で書いてんだろうけど
まじで頭わりーやつだな >>52
のような全方位に煽る馬鹿がいるから書きたくない
話はたくさんあるんだが残念だ 趣味の人何人かと会ったことあるが、銀縁メガネにネルシャツイン、普通からズレてるんだよな。 箱が変わってもしつこく粘着からみをしてくるやつはきもい
精神おかしいやつと関わりたくない
山でバッタリなんて考えただけで恐ろしいから話なんかかけませんわ 寒かったんだろ。価値観は人それぞれ。人に迷惑をかけていないのなら問題はない。 >>53
そう言う奴こそ、人が書いてクレるのを待って書く。
何だかなぁ 識者に相手にもされないトンチンカンな持論を吹いて、突っ込まれると発狂しちゃう君達に同情します。
正直、あんまり頭良くないよね笑 >>63
識者って誰の事を指してるの?
「表面」の歴史学者等は、我々が言う識者じゃないんですけど。
我々の識者は「裏面」の強いて言うなら、(故)畠山氏や今でいう八重野氏ぐらいかなぁ。
君は識者どころか、誰にも相手にされていないだろう。
トンチンカン極まりない君に「同情」するよ! 荒らしはスルー!スルー!
一々反応すんなよ!
埋蔵金以外のことは読み流せ! 【書込み注意事項】
荒らし防止のため、E-mail欄に sage と入力し書き込みしてください。
E-mail欄に sage と入力し書き込みすると、カテゴリーのトップに上がることはありません。
sageを入れることで、ひっそりとお話ができるということです。 ageるのは、荒らしを呼び込むだけです。
埋蔵金ファンは、ageなくても来てくれます。 【書込み注意事項】
一部の古参だけでこっそりと話すことを防止するため、時々E-mail欄に未記入または age と入力して書き込みしてください。
E-mail欄に未記入または age と入力して書き込込みすると、カテゴリーのトップに上がります。
一部の人だけでなく、初心者の方を含め多くの方が参加しやすくなります。 時々E-mail欄に未記入または age と入力して書き込むことで
他を排除してスレを独占しようとする古参だけでなく
初心者やまだスレを知らない埋蔵金ファンが来てくれる機会を増やします。 >>73
>>74
何箱使えばageるリスクが高いのがわかるわけ?
古参すらいなくなっちまったんじゃね?
検索でスレ引っかけてくるんだからスレタイ一覧を見て来る奴はいないだろw
おじーちゃんいいかげんにしなよ 今シーズンの龍喰谷・大常木谷は、押すな、押すな、の大入り満員状態になるのかなあ?
ひょっとして、入山整理券が配られたり…
入山整理券を配っている人がいたら、それは私です。
3箱目・4箱目・8箱目で有ることの確実性は証明されたようなものだもの。
信じる信じないは個々の判断によるが、内容を吟味すれば自ずと判断の結果は見えますね。
しかし、両谷は熊の巣ですよ! (※特に大常木谷は、超危険個所です)
十分な装備の上、決して一人では行かず絶対複数での入山をお願いします。
くれぐれも山を軽く見ないことです。 某氏は龍喰やめて理屈なんとかやるいうてたでえ
山ん中でかち合いたくないからやろな >>85
なんで某氏と「理屈信状」が結びつくねん。
まったくの別人やで。
文面が似ている程度で、どいつも、こいつも、ひと間違いだらけや(※ >>84含む)、
そこから勉強しいや!
ほな、さいなら! >>86
お前こそ誰や
某氏も中身を知っとるってことやろな
某氏は織田方分としてなんちゃら砂金弐樽高弐なんちゃらいうてたな
和睦金がどうの言うて織田が2で北条が3とかいうてたな
場所もわかっとって龍喰寝かすためにやるみたいやで
ま!ええわ ほな、さいなら! >>88
下から二行目「龍喰寝かすために…」って、
その言葉自体が「龍喰谷」に有る事をじさんしてるがな。
理屈信状は、その昔関西を拠点としていたグループの案件でっせ。
何でもかんでも某氏と引っ付けたら可哀そうやでほんま。
それに某氏は某金遊録を否定していた人やで、嘘はアカンで嘘は。 >>89
神戸のN氏やったかの
S氏がなんちゃらとかもいうてたな
あわてんでもええ。某氏は口が固いお人や
しかし、なんや理掘と某金がつながるんやったら和解金になるわな
せやから砂金話がでてたんかいな
遠回し過ぎるでしかし(笑)
残りはいただくいうてたで
龍喰あたりは一本道やそうやないか
そりや龍喰いいますわ(笑) >>90
あんた、無茶苦茶言うたらあかんがな、
そして、あんた関西人のマネして書いてるけど関西人と違うやろ、
しかも趣味の人でもなさそうやな、「神戸のN氏」「S氏」、これ誰や?
私は、その関西を拠点としていたグループの残党やで、
何度も言うが、嘘はアカン嘘は。
あんた無茶苦茶やで。 なんや関西人やないとうたがっとるんか?
鶴光でおま!
どや!関西人っぽくなったやろ?
本物の探索者でてくるとおもろいわ >>92
K氏 ⇒ く氏 で、 Nが「な」なら合ってるで。
>>93
残党だと言ってまんがな。
知人は例の「豊臣の財宝」の件で、有る場所を特定し所有者と裁判まで行ったと聞いてるで。
話すと長くなるので、やめとくけど書き込みは正確に頼んまっせ! >>96 の追加、
我々の事を知っているとしたら、あんたは何者や???
我々の事を今現在知っているのは、かなりの少数のはずやが…
当然、残党の方々も居るので、その方々意外と言う意味やで。
それと、某大学の某助教授(※今は過去かも)も我々の事は知っていますがね。 >>97
手間とらせてすまん。堪忍やで
わしは残党仲間やないし助教(たしか助教もKやたっか?)でもないよ
関西弁めんどくさいな!やめやめ!
ネタの真偽を知りたかったのよ
それと発掘の状況をね
昔話とはいえ差し障りない程度でいいから教えてくれませんか?
質問は簡単で理屈で2ヶ所掘り出せたか知りたいのです。
何者かは、、あんた何べんも書いとるで(笑) >>98
現地調査を一度もしたことのない「偽・趣味の人」の外野は黙っとれ! アホか!
>>99
○わしは残党仲間やないし…
●当たり前だ、そんなことは初めからわかっとるわい。
何故なら、私は初代会長が高齢の為に引き受けた二代目会長だから、会の内容は把握してるがな。
○ネタの真偽を…
●「理屈信状」は、その存在自体も真実なら、内容も偽りはない。(※今現在の存在は知らないが…)
○それと発掘の…
●その当時、精力的に何度も暇が有れば4、5人で山梨の該当地と思われる場所に行ったものだ。
しかし、実際に人力で掘った場所は1、2ケ所程度だった。
隠した当人達が忘備録的書き込んだものだったら、絶対的なピンポイントはいらない。
その「絶対的なピンポイント」を割り出すのが、かなり難しかったと思っている。
○質問は簡単で…
●和睦金がどうなったか気になるのかな?
上記にも書いているように、答えは簡単だ「×」だった。
○何者かは…
●私もある程度は答えた。
次はあんたに答えてもらいたい。
許せる範囲の正体を明かしてもらいたい。
ひょっとして、某氏では…
ちなみに、一つだけ面白い話をあんたにしておく。
例の「梅雪」はピンポイントを既に絞り込んでいる。
今年のいつかわわからないが、隠した形跡がその場所に有るか無いかを確認しに山梨に行く。 >>100 の続き、
このスレでは、かなり難しいが、出会える機会があれば微力ながら協力は構わないが、
今年は2軒の案件に挑戦する予定なので、その見通しが付いたら考えますわ。 >>100
ひょっとしなくても165でございます。
丁重なご返答感謝いたします。
二代目会長とはしらず、へたな関西弁で大変失礼しました。
いや〜なれない関西弁に苦労しましたが甲斐がありました。
会長のおかげで、やっと某金遊録の尻尾がつかめました。
某金遊録は伝承集ではなく、Yのメモだったのですね。
そして畠山氏の元ネタになった・・・楽しいですな。
2箇所の話ですが、
目印があったと聞いていましたが、2箇所ともダメだったとは意外でした。
残り1箇所を私たちがいただきます!
とは言えず、会長たちを超える知識はないので、ただの社会科見学になります。
>例の「梅雪」はピンポイントを既に絞り込んでいる。
すごく興味がわきますねw どのへんだろう?K翁とのつながりも?
>今年は2軒の案件に挑戦
今年すでに先遣隊が1箇所を調査しましたがダメでしたw
>このスレでは、かなり難しい
いえいえ簡単です。私のホームページからメールを送るだけです。
キーワードとして、伏字のK氏とNをしっかり書いていただければ会長だとわかります。
ご連絡お待ちしております。 あんたがチョイチョイ書き込んでたのもバレバレだったよ笑
つか、昔からヘンテコ関西弁で自分にレスしてたよね笑
ココで再び登場とか恥を知れよ笑笑笑 これは恥ずかしいwww
所詮ドカタのやることwww >>102
超おもろい話をしますわ!
あんたのホームページにメールすることも当然有りやが、
既に、あんたと私はもう繋がっとるがな。
世の中は広いようで、実は狭かったりしてな。
証拠に、あんたの名字を書きますわ。
これくらい許してや! → 「は行」やろ!
いつか、「必ず」あんたと何らかの方法で直接的な接点を持ちたいと思ってますので、
その時は、よろしくたのんます。 >>102
正体を明かしてくれたことに感謝してまっせ!
ついでに言うと、あんたとじっくり赤城等のおもろい話もしたいでんな。
やはり、直接会って話すのが一番でんな。
機が熟したら、私からメール等であんたにコンタク取りますわ。 >>102
一か所だけ注意しとくわ!
「某金遊録は伝承集ではなくYのメモ…」
※私の私感では、某金遊録は「梅雪」か「長安」の金遊録だと思ってます。
Yを「弓削」とあんたが思っとるなら、それは私は違うと思いまっせ。
もう一回あんたに念を押しておきますが、正式な名前は知らんが「某金遊」は確実に存在します。
3箱目、4箱目、8箱目の人々の内容に差異はありますが、本質的には「真実」を書かれていると私は見てますよ。 >>102
もうわかっているとは思いますが、
「理屈信状」と「某金遊録」は、全くの別物でっせ!
本日は、これまで。 どなたさんも、お休みやす! >>106
>証拠に、あんたの名字を書きますわ。
>これくらい許してや! → 「は行」やろ!
残念!違います。つながりは一切ありません。
二代目が知っている人たちと面識がありませんから、二代目のお名前がわかりませんw
>ついでに言うと、あんたとじっくり赤城等のおもろい話もしたいでんな。
>やはり、直接会って話すのが一番でんな。
いつでもどこでも行きますよ。気軽にご連絡をください。
本格の方とお話しすると時間を忘れるほど楽しいですからね。
>Yを「弓削」
弓削じゃないと思えるとは・・・細部が違うのかな?んー
某金遊録から梅雪ですか。ふむふむ。
梅雪だとすると、歴史と符合しないのが難点です。ここが私の否定するポイントです。
長安は、新府城の遺産だと思っています。この遺産をなんと呼んでるのかはわかりません。
今のところ、長安が一番見つけやすいかと思っています。
>3箱目、4箱目、8箱目の人々
山梨の龍喰はお休みなんで、何かやろうという話から理屈信状とメモの情報を得まして、
あれ?って思いましてね。
理屈の経緯がら関西で、以前より関西の方もいるようだし、もしやと思い関西弁で理屈信状と書き込んでみたら、
二代目が反応してくれるとは思いもよりませんでした。
そうそう!龍喰と書いていますが、あのあたりは「おいらん淵」が「龍喰川」しかいい目印がないんで使いました。
畠山氏と同じですね。探索ポイントは別なところです。
>「理屈信状」と「某金遊録」は、全くの別物でっせ!
はい。別物だと認識しています。
ご連絡をお待ちしております。 >>110
たぶん連絡は、みなさんの「ほとぼり」が醒めてからだと思ってください。
では「165」さんの今年の活躍を期待しています。
※追伸、これからも時々このスレに「165」として表れてくれるのを望みます。
多くの方も望んでいますよ! (※頻繁でなくても要所要所で結構ですので…)
もう一つ、貴方とどうしても組みたいことが有ります。この件は、いつか会う事が出来た
時に話します。 貴方には私個人として色々な意味で、大いに期待しています。
今後も頑張ってください。 二代目。常駐してくださいよ。
実際に掘った方の話は、ここにいる人たちへの刺激にもなると思いますし、
苦労話を聞きたい思っているのではないでしょうか。
「ほとぼり」は大事ですが、なるべく近々でお願いしますw
それと私に期待するより、大御所に期待してくださいw
呼んでいただければ、いつでもお伺いしますので、気軽にご連絡ください。 名無しで書き込んでたのは皆も認識していましたが、堂々と戻って来たのはどうしてですか? 中茎だけどさ、城主の隠居してた所の庭に、不思議な庭石があって。
大人が乗っても、子供が乗っても、同じような音がしたとかの言い伝え。
これって、庭石の下に空洞があったってことだろうな。 >>114
自分のところがありますから、荒れてる箱に興味はないです。
理屈信状の確信を持っている方の登場(>>83)で書き込みました。
数箱前から関西方面の方らしき人物が書き込んでいるのを目にしていました。
>>83の登場と>>86の登場で関西グループがいると確信し、仲間に入れるために書き込んだわけです。
おかげさまで東西タッグが組めそうです。
9箱目を立てた甲斐がありました。
>>115
初耳ですね。
下が空洞なのに石がのるんですか?崩落しないのはなぜなんでしょうかね。
しかも大人が乗っても大丈夫だとは奇怪ですね。本当に空洞なんでしょうかね
。 >>116 お久しぶりです。以前の板にいた、中久喜が好きな者です。
あの後、地元の伝記とかを調べていたら、この話が出てきました。
庭石は大きなものだったそうで、耕地化されたときに行方が分からなくなったそうです。
周囲より低い場所にあったみたいで、埋められてしまった可能性が高いかと思いますが、、
それにしても、鬼門の方向では無い所に社があるのは不思議ですよね。 おおお!中久喜の人でしたか!お久しぶりです。
精力的に調査しているようでなによりです。
社ですか?私も紹介したあの天満宮の祠のことですか?あの祠の話だと仮定してお話をします。
以前も書いたかもしれませんので、そのへんはお許しください。
あの祠の堤下の不自然にへこんでいた部分が神社跡です。
私も神社跡が怪しいと思っていたんですが、
その昔、結城を調査してた女史グループが神社を掘り返したという話を聞きました。
移転で取り壊したのか、発掘のため取り壊したのかは不明です。
女史の結果はダメでした。※女史は金光寺の三種の和歌を解読したと言ってた人だそうです。
久しぶりにGooglemapで確認したところ、線路わきのへこみが見れましたのでご確認ください。
私が見た当時より整地されていますね。ショベルカーで再度掘り返したんでしょうかね。そこに神社がありました。
この神社は、中久喜城の縄張りから見ると丑寅の方角ではありませんが、曲輪T(主郭)から見ると丑寅になります。
庭石は、中久喜城内なのですか?
城内ならとあるグループが掘った際にドーム状の大岩に当たって(当てた?)、
なぜかここで発見したらヤバイと発掘を中断した話があります。
その大岩の下が空洞なのか、その伝説をもとに掘ったのかは不明です。
発掘場所はピンポイントではわからないのですが、神社跡(Googlemap)の南側(線路の向こう側)の
へこんだ(禿げた)部分だと思います。 >>118 165さん、覚えていてくれて光栄です。
地元の伝記みたいなものを、調べたら、本丸の中に隠居していた邸宅があったそうです。
小さな建物みたいですが、そこにあった日本庭園の中に問題の庭石があったそうです。
おそらく、推測ですが普段暮らしている場所の中ではないかと思った次第です。
まあ、今となっては掘削するのも難しいのかもしれませんが、、、 中久喜の人さん
中久喜さんは、このスレ唯一の結城探索者ですから覚えていますよ。(グループにも一人いますが山梨にはまっています)
本丸の中なら>>118で書いた大岩の話かもしれません。
曲輪T(主郭)が本丸だと考えられています。
掘った場所ですが、>>118の場所@のほかにK氏が動画で公開している場所Aともいわれています。
@は農道からの登り口で、傾斜になっています。上がりきると草ぼうぼうで冬場がおすすめです。
地元民がキャンプしていたり、キャンプ用品が投げ捨てられたりしていましたので、ひとりでいくと怖いです。
Aは動画でもわかりますが、資材置き場になっています。こちらが本命か?
掘ったというより横から切り崩したというイメージです。
当時は、金属探知機を持っていなかったので社会科見学でおわりましたが、いずれ探索したいと思っています。
古銭でも見つけられればといいな思っています。
今シーズン行くかな。緑いっぱいで居心地がいい場所ですよね。 >>120 165さん20、中久喜に注目する方は少ないのですねー。気楽に身に行ける場所としては、
良い所だと思うんですがね。(いざ発掘となったら、故人の所有地ばかりで難しいでしょうが。)
興味深いことに、本丸の位置が諸説あるみたいです。まあ城というより、時代によっては砦みたいな
場所とも考えられていますから致し方ないのかもしれません。
伝記みたいな話の中には、隠居中に造園とかも何度か行っているみたいだし可能性は高いと思われます。 もう「ほとぼり中」なのに、私の心を掻き立てるような話をして。
結城は実に奥が深い、確か「字」は知らないが「えそ家(※間違っていたらゴメン)」と言うあの地方では
有名な名家が有ったと思うが…この「えそ家」の話が重要でもあり特に面白い。
言っておきますが、165さんが言う女史●嶋さんも直接的ではないが私も絡んでいます。
結城も何回が行きましたよ。当然、金光寺の山門も直接見て3種の和歌?も研究しました。
成功はしませんでしたが、既に「中久喜」は掘ったことが有りますよ、と言うと驚きますか?
結城は本当に奥が深いと感じましたね!
今私に「結城は有りますか?」と聴かれれば、51パーセント以上有ると答えます。
あぁ、また書き込んでしまった。ほとぼり、ほとぼり、 では。 二代目いるじゃないっすかw よかったw
>>122 中久喜の人さん
>隠居中に造園とかも
となると、本吉田の幻の会之田城なんですかね? 東持寺ですかね?
会之田城は出城と言われていますから、中久喜さんの話に符合しますね。
ただ、祠がるそうですが、会之田城は本吉田じゃないと思うんです。
どうしてかというと、本吉田は、低地の川の氾濫域なんです。
出城であったとしてももう少しずれた河岸段丘面に構えるはずだからです。自然地形は重要です。
地域がずれますので、調査のし甲斐があると思います。
>>123 二代目
ほらw からんでるしw しかも女史とからんでるってw もう驚きませんよw いったい何者ですかw
関西じゃなかったんですかw 関西グループ結成当時は、私も若かったんであれですが、関東やるときは私を混ぜていただかないとw
しかも中久喜を掘っているってw 女史との絡みだと神社跡のほうですね? 伝聞でしか知らないので詳しく聞きたいです。
「えそ家」?知りませんね。小判が出た旧家のことですか?
そんな「ほとぼり」なんて、私がいる限り無理でしょw
知識だけは豊富ですから、二代目が首を突っ込みたくなることばかりですよw >>124
今日は、暑かったですね。
久々にゆっくりできる日だったんで、庭の草むしりでもと思ったんですが暑くてやめました。 >>125 さんへ
中久喜好きな者です。
えっと、結城晴朝は隠居した場所は中久喜城内でしたが、結城市内にも邸宅があったようです。
(場所は不明ですが。)
また、中久喜城跡も今では遺構が失われていて、正確な城の縄張りが不明な所もあります。
また、当時の城では鬼門に神社を祭るのですが、鬼門の位置に相当する場所には神社ではなく
寺があったそうです。(この寺は、晴朝の時代には移転していると見聞きしましたが。)
また私は、会之田城という話には疑問を感じてます。遺跡として、会之田城というのが存在して
居ないのが理由です。 中久喜好きです。続きます。
戦国乱世の時代には、砂金とかはお金ではなく、軍事物資(主に食料)の交換材料という認識
だったそうです。結城氏は、乱世の時代城を奪われることもあった家柄です。
居城を奪われるという体験をしているにもかかわらず、再興できたのは軍事物資をどこかに
埋蔵していたからかなーと思われます。(腹が減っては戦は出来ない。人も集まらない)
ですから、用心深い結城氏の事ですから、複数個所に分けて秘蔵していたのではないかと。
中久喜城とか、別邸とか、関係が深い寺院とか、、
まあ、憶測ではありますが。 >>129 中久喜の人へ
そうなると、結城一族の山川氏の館跡と思われる東持寺じゃないかな。
一応、結城一族の本拠地とされ、土塁も残っています。
とにかく結城には寺が多すぎて、どこがどうだかw
会之田城があるとしたら、本吉田ではないと上記でも書きました。
現在までに遺構が残っていないことから、場所が違うといえます。
結城の埋蔵金は砂金だといわれていますが(また砂金かよw)、
砂金を溶かして竹金にしたという話もあります。 >>130 165さんへ
砂金だと思います。当時、この地域は穀倉地帯でもあり、河川物流の拠点ですから。
当然、年貢や税金も集まった事でしょうし。
結城近辺には、仰るように寺とか、小さな城跡や砦跡が数多く残っています。ですから、
可能性がある場所は、実は多いのかなとも思います。
まあ、でも中久喜城跡が一番でしょうけど。 こういう埋蔵金探索している人、たまに見るけどさ。少なくとも江戸時代から前だと、
埋蔵金ではなくて、埋蔵物資なんだよなー。
貨幣経済が発達したのが、明治時代からで、少なくとも江戸自体のお金はお米だから。
だから、江戸時代前の人の場合、砂金とかはあくまでもお米とかとの交換物資だったわけで。
今の時代みたいに、金に大きな価値がなかったんだよな。
だから、甲州とかでたまに聞く話は、河川の中にある岩盤のポットホールなどに貯めておいたとか
よく聞く話だしな。 >>132
せっかくのとこごめんな
埋蔵金というのは、畠山氏が作った昭和の造語なんだ。江戸以前は物質なんて言葉もないんだけどね。
それとな貨幣経済は昔からあってな
結城氏など東国では、年貢高に応じて貨幣で納めさせてたんだ。貨幣で納める年貢を永楽法というから勉強してみると楽しいよ。 165さんの今現在の「趣味の人」の現況を簡略に書き込んでもらえればうれしいのですが。
よろしくお願いします。 >>135さん >>136さん >>137さん >>138さん ありがとー
>>139さん
龍喰あたりが前箱でだいぶ盛り上がっていたので、しばらくお休み
状況は進展していません。幻の鉱山跡を掘ってみたいのです。
お休みの間は、理屈信状をやります。
やるといっても社会科見学程度で、現地をみんなでブラブラします。 今だに外野で何かホザイてる輩が居るようだが・・・
165が戻って来なけりゃ沈殿スレのままだった
144&145は同一人か知らんがネタ投下もできねーカスが! いやいや
来ない宣言したのに現れてごめんな。
雲霧さんや理屈をかたってくれた方とか報われないままスレが進行してるのに耐えられなかった。
二代目!結城教えてくださいよ 名無しで書き込んでいた貴方を見抜いて擁護してた人もいますよ。 >>149
擁護はありがたいです。
まあ関西グループ関係者かな?と思える人がが見え隠れしてから、
誘引のため書いたことは事実です。
そのほか名無しでの書き込みはしていません。
雲霧さんや入道さんだっけ?と話がしたいな。
結城の人と会之田城を探しに行きたいな。
二代目と一杯飲みたいな
そのほかの人も気軽に埋蔵金を楽しみましょう。 まずは、赤城周辺を軽〜く参考のための見学視察ですね。 近くの城跡でも散策なされては。
(史跡整備されてないとこも多い。単なる里山程度の城跡も数多くあるし。) ありがとうございます
赤城って群馬ですね、結城はどこでしたっけ
あまり遠くは大変なのd近くの城跡調べてみようかな 城跡は、城跡マニアさんのサイトを見るといいですよ。(おすすめ:タジローの日本全国お城めぐり)
全国津々浦々、歴史背景、縄張り等付きで詳しく解説しています。
古墳は、古墳マニアさんのサイトを見るといいですよ。(おすすめ:古墳マップ)
駅前の小さな植え込みが古墳だったりと、面白いです。
世に出ていない古墳は数多くありますよ。 ありがとうございます。おすすめのサイト見てみます。 城跡はいいかも。戦国乱世が長く続いたから、埋蔵金の話は、有名じゃない城跡とかに未だにひっそりと眠っているかもな。 著書「日本の埋蔵金100話(八重野著)」を読むと、面白いかも。 タクジローでスシロー思い出した
寿司食いに行こうかな 混雑の連休が終わった。
さて、ぼちぼち山梨行きの準備でも始めるか! 連休中は、お家でゆっくりしていました。
連休といってもカレンダーとおりでしたので、ただの四連休でした。
みなさん有意義な連休をおくれたでしょうか?
さてさて、中久喜の人に影響されて、連休中に古地図とにらめっこしていました。
安上がりな机上の幻の会之田城探しです。
会之田城の土塁、石垣すら残されていない難問です。
会之田城があったとされる場所は、栃木県下野市本吉田とされています。
これがどうも合点がいかない。
本吉田は、鬼怒川と支流の江川、田川の河岸段丘内で、氾濫域内にあります。
鬼怒川は名前のとおりの暴れ川で、たびたび氾濫していました。
周囲に島が付く地名が多いことからも氾濫域だったことことがわかります。
結城氏が、氾濫すると島になってしまうような土地に城(砦)を作るとは考えられません。
また、地理的にも西に宿敵の壬生氏の壬生城、北は強敵の宇都宮氏一門の横田氏の上三川城があります。
この二大勢力の抑えが、、本吉田の東にある結城家家臣水谷氏の久下田城です。
(※多少時代に誤差がありますが、城跡があることから城としての機能はあったと思います。)
本吉田に城があっても危険なだけです。
幻の会之田城は、やはり幻なのではないかと思うわけです。
そう考えると、結城氏の北の抑えは結城城になります。
こうした理由から、大岡越前や水野侯爵が、中久喜城ではなく結城城を掘ったのではないかと思います。 畠山氏の日本の埋蔵金上巻P176に会之田城の位置について記述があります。
この吉田村の会之田城跡には、筆者もたびたび訪れている。
俗に『金山』と呼ばれるこの場所は、古くは『的場』と称された地で、本吉田の端れ。
まず、この本吉田ですが、吉田村に本吉田はなく、上吉田、吉田、下吉田となっています。※現在は本吉田がある。
近世になって、元町や本町と同じく吉田を本吉田としたのでしょう。
次に金山(今は地名がない)ですが、吉田村ではありません。
いったいどこをたびたび訪れていたんでしょうかw
結城を放り投げていて未調査でしたので、後日、調査に行ってまいります。中久喜の人元気かなぁチラチラ
水野侯爵ではなく、子爵でした。訂正とお詫びをいたします。 チラシの裏のメモ書き
GW中の収穫 緑青にまみれた10円玉3枚 >>172 165さんへ
中久喜のものです。私も、数日の連休を利用して、中久喜城跡を散策してきました。
近くの農作業している方に聞いたところ、何人かが城跡を観光に尋ねてきているそうです。
このスレを見て、興味を持った方が居るのかもですねー。 >>173千葉県在住さん お久しぶりですね。
金属探知機ですね!10円玉3枚!見つかるもんですね。
収穫0円の私より大成果じゃないですか!
>>174中久喜の人さん
中久喜城跡に行ってきたとはすばらしい。
城跡という城跡じゃないんですが、何人かが訪れたとなるとこのスレの影響かもしれませんね。
埋蔵金の楽しさを後世に伝えたいです。
山に登りました?神社跡を見ましたか?感想をお聞かせください。
やっぱり中久喜城いっぽんなのでしょうか?
金山地区の神社仏閣を調査してきますので、報告をお待ちください。 >>175 165さんへ
中久喜好きのものです。山というより藪の中も入りましたし、神社後も見学しました。
現在に残っている城跡が少ないのですけど、邸宅跡はどこかなで迷っています。
一説には、本丸と聞き及んでいますが、実は万年寺曲輪ではなかったかとか、、
仮にですよ、結城氏が何らかの軍事物資として埋蔵する場合、何か所にか分けたはず
だと思っています。仮にも、過去には結城合戦で本城すら落城した一族ですから。
(お寺の山門に残っている、和歌もなぜか3種類あります。もし一か所なら、わざわざ
3歌残すのかと疑問があります。)
怪しいなと思う城跡等がまだあるんですよ。憶測ですけど。
隠居後の結城城ではなくて、ほかの城が。(隠居して代替わりしたのですから、本拠地には
徳川家側の家来が多数いたわけですし。)
結城晴朝が隠居後に、邸宅とか茶室・寺院とかを建造した場所が、山川綾戸城・山川氏館砦・
城の内館跡とか、複数に分かれていたそうです。(こっそり、領内を動き回っていたのかも。隠居後にも。)
私は、複数個所に分けて隠したのではないかと思ってます。
(ただ、どこも土地開発されていて、城跡が正確には残ってませんが、、) 金光寺は、三種の和歌に注目が行きますが、あの山門には数多くの「謎」がひしめいています。
大きな絵馬の絵図の内容や柱の上に彫られている文字等々も有り、何かを暗示しているように思えてならないのですが…。
伝承として、勝海舟だったかな?が、一部を掘り出したということは知っています。 結城は隠されている量も大きいし、隠されている場所も一カ所だけかな?
結城も確かに面白いですね。 しかし、奥がかなり深そうですが…
そして「船玉古墳」、あそこはかなり重要な部分だと思っています。
以前に165さんが古墳の現状を書き込んでくれていたように思っていますが、
誰かも書いていたように、いつの時代かは忘れましたが、一度古墳で何かが見つかったという
内容の古文書のコピーも持っています。しかし有るとしたら、かなり深いところに有ると推察していますがね。 結城は、他の埋蔵金伝説と違い、可能性が高いかもな。結城家は、武田と違い滅亡したわけでないし
徳川側に乗っ取られたという感じ。だから、結城一族が生き延びていけるように、徳川方に分からないように
こっそり埋蔵しておいた可能性が高いかもと。
ただ、残念な事は、結城氏が国替えになって、主だった人が結城の地に戻れなくなったから、今もそのまま
残っているかもな。 埋蔵金というと、組織的じゃなきゃ隠すことができにくいものな。
滅亡とかだと、略奪とか裏切りとか色々あるだろうし。また、埋蔵するにしても
計画的に時間をかけてというのは限りなく不可能だろうし。
結城氏が滅亡してなくて、一族皆国替えで移住させられたのなら、可能性は高いかもな。
まあ、もっとも当時の城跡とかは、宅地化と開墾によって当時とは地形が違うけどさ。 どこまでが中久喜の人なのかわからんw
>>176中久喜さんは研究熱心ですね。
城の内館はポイント(埋蔵ポイントではない)かもしれないと思っております。
複数個所は、三種の和歌がそれぞれを暗示しているという説がありますね。
>>177
金光寺の三種の和歌を解読したというのが、私と二代目の話に出てくる女史です。
三種の和歌のほか山門に掘られた文字、絵を見て説いたとか。
金光寺の住職曰く、山門の下から出たという話でしたが眉唾です。
近代になり、境内の別の場所を掘ったらしいですが、ハズレています。(証人がいます)
>>179
船玉古墳は、貸し椀の怪談があることが知られています。
昭和期に市だったか忘れましたが、3回発掘調査をしていますが、妖怪も埋蔵金も出てきていません。
東北の震災(2011)に社殿が倒壊して以降、更地のまんまですから金属探知機をもって急いでいきましょう!
>>180
宅地、開墾になっているということは、ハズレだったということになります。
まだまだチャンスはあるかと思います。 でも、埋めたのなら目印があると思うんですが、そのことろどうですかね。
結城市は、寺が多いことでも知られています。
中久喜の人さん
城之内館は、、東持寺の境内だそうで、土塁も残っていますのでご確認してください。
結城古城の中心は、源翁和尚の墓がある場所だともいわれています。
また、江戸末期に小判が出土した某家の墓あたりもあやしいです。
とにかく広範囲なので、地道な調査が必要ですね。 >>182 165さんへ
中久喜好きのものです。
結城領内の城跡が、耕作化された経緯のひとつが、江戸時代に起きた五十里大洪水でして。
山川綾戸城・山川氏館砦なども、この時期には廃城でしたのが、堀跡とかが埋設されたみたいです。
(この山川氏も、越前に家臣として国替えになっています。国替え後は、天領となり廃城)
ですので、堀の跡は不明ですけど、とくに山川綾戸城などは確か周囲に池が張り巡らされていたとか。
今では開墾されているとはいえ、まだ可能性が高い場所があるのではないかと思ってます。
埋蔵したときに、徳川側の人間が居なかった城跡が怪しいのではないかと。
(ですから、結城城を発掘しても出た話は聞いていません。また、金光寺や徳川家側の
家臣団が住んでいた城の内館跡も発掘した方はいたとしてもハズレたみたいですし。) 五十里大洪水を初めて知りました。
低地の吉田村はダメなのか、洪水で城が流されたのか
山梨はお休みだから近場の結城をブラブラしようと思います。 >>185 165さんへ
山川綾戸城・山川氏館砦跡地に行ってみてください。大まかな場所は史跡になっています。
ただ、堀の後とかは埋もれてしまっているため、城郭の縄張りは不明ですが。
周囲の畑のどこかに、本丸や邸宅跡地が今も埋もれたままです。 165さん、山梨はお休みってGWに何かあったのですか?差し障りない程度にネタ投下希望です >>187さん
いやいや
前箱で龍喰近辺がだいぶ盛り上がっていたので、
見学者と山道で会うのは恥ずかしいと思ってのお休みです。
中久喜の見学者もいたとこのことですから会う可能性もありますね。
鉱山跡だと思しきところを詳しく調査痛いので、時機を見て再開します。
>>188さんのおっしゃることも一理ありますね。、
ズリのような石ころだと草が生えると見落とすこともあるかと。 >>186さん
山川綾戸城・山川氏館砦跡地に行ったことがありませんので、
おすすめのとおり見てくることにします。 寛永三(1626)年に曹洞宗の東持寺が館跡のごく一部に移り、現在まで続いている。 龍喰とか赤城とかは、そこに行くのも大変だけど、結城は手軽に行けるな。
畑とかを金属探知機で、探ししまわるだけだから、地主の許可だけ得られれば、
趣味レベルの埋蔵金探索が、何のスキルも無くても手軽に始められるかも。 中久喜好きのものです。
個人的な解釈、を少し書いてみます。(自分は史跡とかが好きなだけで、埋蔵金発掘には
興味がないものですけど。)
1 お寺の和歌は、時代的に考えてもあまり関連性はないと思います。
晴朝は、江戸時代初期の人。たいして、金光寺が建立されたのは、それよりも後の時代。
時期的に、どう考えても一致しないかと。
2 前スレで、古墳の事を書いていた方がいたけど、関連性はないと思う。
埋蔵されていたのは、戦いのための物資だから、普段から人の目が無い所には埋めないと思う。
3 結城家初代の藤原氏から略奪した莫大な砂金との話だけど、結城家は戦国時代に一度滅亡していたこともあります。
だから、その資金は使われていると考えるのが妥当ではないかなと。
(まあ、その莫大な砂金の、残りを軍事物資として埋蔵したのかと思う。)
4 結城城とかには、晴朝が隠居した当時から徳川家の方が居たから、埋蔵するには不自然。
普通に考えれば、見つかってしまう、、、
5 逆に、晴朝は国替え後にわざわざ、庵を作ったり、庭園造営を行っている。
また本来なら、国替えであったとしても、栄転なわけなのに旧領に拘っていた。
実際、越前国へ転封していても中久喜城に住み着いてたわけだし。
(埋蔵金伝説も、これが最大の理由。隠した時期もこのころかも。)
6 会之田城というのは、存在しない。栃木県・茨城県の施設としても存在しない。
また、戦国時代の様々な古文書にすら存在しない。結城領地の北方では、戦いが数多くあったのに記録なし。
(埋蔵金関連の、話の上だけで存在する地名ですわ。ペテンかも。)
7 晴朝の後の時代、江戸時代に廃城された場所があるけど、数か所だけ使われた場所がある。
代官屋敷とか、陣屋として。使われている以上、発掘は不可能だった場所。
ただ、洪水とか不便だからとかいう理由の為か、堀は埋められていますが、、、
自分が思うに、この江戸時代265年間、手つかずだった場所が怪しいかもと思っていますわ。 雨で結城へ行けず残念。
結城の人さんへ
一か所あるっちゃあるんですが
しかも摩訶不思議な逸話、晴朝の逸話付きの場所が 失礼
中久喜好きの人さんでした。
だけど、中久喜じゃないんです。
だいぶ離れているんです。 はい。来週も雨みたいで・・・
中久喜好きの人は、石屋さんさんなのかな?
ん〜公職についていそうな気もするが
二代目〜ヒントくださいな >>199 165さんへ
中久喜好きなものです。いや、石屋ではないです残念ながら。
自分の知っている逸話・怪しい話ですと、中久喜城跡・山川綾戸城なんですよ。
晴朝が亡くなる直前まで、晴朝自身も部下の武将も、月に何度も通っていたそうです。
また、領地替えが決まった後にすら、庭園を造ったり庵を作ったり頻繁に行っていたとか。 結城は可能性あるとおもうよ。予想していなかった国替えで、晴朝の信頼していた部下も 移動になってしまったわけだし。
(その後、幕府天領で発掘不可能。)
お寺から見つかったとかいう話は聞くけど、幕末に何千両とかありえないし。
(初代からの埋蔵なら、砂金とかだから千両箱とかは違う気がする。)
幕末には、戊辰戦争の影響でここら辺も戦いがあって、勝海舟が来たとか言う話も違うはず。
政府軍側が掘ったという話も聞いたことあるけど、事実は違う。掘ってない、またその余裕もない。
(時間をおかないで、宇都宮方面に進軍していった。)
ただ、五十里大洪水とか戦後の宅地化で、遺跡がなくなってしまったのがネックだが。 結城関係が上がってきているな。いい流れだと思う。
これで、マイナー趣味の埋蔵金が少しでも活性化すればいいのだが、、、 一石=一両
結城百万石だから毎年百万両
六民四公で毎年六十万両の収入
数千両なんて軽い軽い
なぜ財政難だといえるのか聞きたい 徳川家康は晴朝死後、腹心の武将を捕らえて 足の指を1本ずつ切り落とすなどの
拷問にかけたという話だから。何らかの埋蔵をしていたと思っていたんだろうな。 以前の板みていたけど、赤城山とか探している人今もいるのかな?
ひとつ疑問なんだけどさ。
仮に、赤城山の中腹を埋蔵のために掘ったとするじゃない。当然、地下水の湧水があるよね。
だから、穴が深ければ深いほど、近くに配水するための沢のようなものが作られたはず。
また、穴を埋め戻すよとなったら、当然、土が閉め固まってないよね。
だから、山頂からの地下水が地表に出てくる。
だから、穴を埋め戻す時には、粘土とかで止水しなきゃ、バレバレだよね。
あと、どうやっても、地表が地山とは違ってしまうよね。だから、不自然に小石を敷き詰めたり、
または、木を植えたりして周囲と違った風景にならないように偽装するはず。
あるいは、地下からの湧水を利用してため池みたいなの作るとかさ。
こういう跡地は、今はのこってないのかな?(行ったことないから、分からないけどさ) 山の中腹とかを掘って、埋め戻した場合。湧水していると思うんだよね。
いくら何でも、江戸時代の技術では止水は難しいだろうしさ。
ましてや、赤城山のように頂上に湖があって、また標高が高い山の場合はさ。
合理的に考えたら、小さな池みたいにして偽装するとか。
もしくは、取水用の井戸を埋蔵地点の下側に何か所も掘ってさ、水を抜きながら埋めるとか。
その場合は、埋め戻した井戸跡が、何か所も跡となってのころだろうし。
(もっとも、この場合は埋設した地表面が不自然になってのころけどさ。) 謎解きとかばかりに、注意が向くけどさ。
こういう不自然な場所を探したほうが間違いないかもな。 >>203さん
結城の越前への国替えは、慶長9年(1604年)で幕末じゃないですよ。
元禄13年(1700年)しばらくは幕府直轄地(天領は、「天」皇の「領」地のことです。)になりますが、
能登の西谷藩から水野家が転付で着て幕末まで続きます。
結城の埋蔵金は、結城氏の国替え(慶長9年(1604年))の時の話なのです。
>>208さん
赤城周辺は、地山が黒土で、その上に赤城山などの火山灰が降り積もった赤土で形成されています。
この赤土は粘土質ですが、地下水を形成するまで水を含みません。(不透水層)
簡単に言うとサンドイッチのパンの部分が赤土で、具の部分(滞水層)が水脈となります。
赤城山の場合、最上部のパンの層(赤土)が数メートル〜数十メートルになります。
TBSが掘った穴で水が出たのは2回で、1回目は10m掘って黒土層に当たり出水。2回目は30m掘って黒土層に当たり出水。
なので、>>208さんのご心配は、>>208さんの埋蔵金を埋めるために何m掘る必要があったかが、出水の基準となるかと思います。
また、ご指摘のように、穴を掘るといくら埋め戻しても地表の変化は消えません。
なので、徳川埋蔵金で有名な水野氏初代は、金棒で地面を突き刺して探していました。
標準的な人が出入りできるマンホールの直径は60センチです。直径120センチまであるそうです。
赤城山は広大で、数日たてば雑草も生えるでしょうから、直径120センチの穴であっても探し出すのはかなり困難かと思います。 上記のも書きましたが、赤城山には30メートル掘っても出水しない分厚い赤土層があるわけですから、
数メートル掘って黒土層にあたるもしくは出水のであれば、埋蔵場所に適さないと判断し場所を変更することもできるわけです。
掘れば水が出るわけではなく、滞水層に当たらなければ水が出ないわけです。(降雨時の周りからの水の染み出しを除く)
ちなみに同じ関東ローム層の関東では、温泉を掘るのに深いところで深度1,200m、浅いところで深度200mと言われています。
海やや川の近くは、滞水層の露出部分ですから、浅い深度で水が出ます。 >>211 165さん
ごく一般的な土木工事の場合、関東ローム層であっても途中に薄い砂や石の層があり、
地下水が流れている場合もございます。
ですので、まあ結局はケースバイケースですけど、一概には言えないのかなと。
まあ、テレビのような深い場所までは掘り進んでないという証明にはなりますが。
(あれは、当時テレビで見ていても深すぎるなーと。)
以前から疑問なんですけど、穴を掘って埋めたと方々で聞きますが、人数・時間が必要になりますよね。
だから、自分は窪地とか沢みたいな場所を選んで、そこを埋設したのかなとも思っています。
この場合ですと、掘るのは手間が省けますし人員も少なくできますから。
(ただし、周囲と異なる風景になるため偽装は大事になりますが。) 偽装工作が必要な場合(この場合は、武士団の開墾作業)
どうしても、別な人員が埋蔵していたはず。
(全員が埋蔵作業していたとは考えにくいかなと。)
すると、少人数で埋蔵なわけだから、手間が少ない方法出なかったかと考えました。
どの発掘者とかの自説を見ても、深い穴を掘り埋蔵したとしか思考されてないから、
それとは逆に、少人数でこういう仕事をする場合、どれが効率的かを考えてみた次第です。 >>213さん
薄い砂や石の層がサンドイッチの具の部分で、滞水層になります。
地形などの要因で赤土層の深さが変わってくるのと、噴石(赤土は灰)の含有率でも変わってくることから、
赤城山のどこを掘っても30m掘らないと水が出ないということはありません。
このことから、サンドイッチを横にしたパンの最上部に例えで、数メートル〜数十メートルと書いたわけです。
テレビでは、たまたま10m下で帯水層に当たる赤土層と30m下で当たる2箇所をやっただけです。
次に穴ですが、>>213さんのおっしゃる通り、「沢みたいな場所を選んで」崖部分を横に掘れば上から掘るよりは楽です。
私のサイトでご紹介している八重野氏が登場したフジテレビの番組でも竪堀の大変さを解説しています。(5時間で2m)
実は、この大変さと後々の苦労を古墳が教えてくれています。
古墳時代前期の前方後円墳等は竪穴式石室でしたが、後期は横穴式石室になりました。
横穴式の利点は、入り口の蓋を取れば中に入れる点です。竪穴式だと石蓋を破壊するか持ち上げないと中に入れないのです。
後日、埋蔵金を取り出そうとした場合、古墳と同じで横穴式のほうが大掛かりな作業が必要ないからです。
古墳時代の横穴は、後日にお妃様などが死んだ後に追加で入れるために便利だった。 話が前後しますが、沢や池、川はだめです。洪水時に流されてしまいます。
また、地形が変わる可能性があるためです。
これは、畠山氏、八重野氏もだめと言っています。
これまた私のサイトのTBSの林修氏が手掛けた三枝茂三郎の発掘場所は、
>>213さんと同じ考えで、沢の崖を横から掘っています。崖になんか怪しい点があったのでしょう。
それと、深い穴ではないのです。
水野家の話に登場する児玉某が、水野家初代に教えた深さが刀を振り上げた深さ(約3m)でした。
私のサイトのTBSの1994年放送の番組の解説でご紹介しています。(石坂浩二が手を挙げているシーン)
上記に書いた八重野氏が手掘りで掘った深さが三人がかりで5時間2mとなると約7〜8時間で3mになります。
埋蔵金は7箇所に埋蔵されているというのが通説ですから、同時に作業を開始すれば、三人×7箇所=21人になります。
採掘道具こそ時代の違いがありますので、朝から夕方までの時間で埋め戻しも完了すると思います。
1グループ作業員3名、監視2名であれば、延べ35人で作業が完了ですね。 >>216さん 116さんへ
ここから先は、推理になってしまうんだけど。
幕末にさ、赤城山で武士による開墾があったよと。
(偽装工作でも、人の目を紛らわせるためには実際に行っているはず。)
昔は、今と違い普通の農民とかでも山の中から生活物資(薪とか、屋根の草とか、山菜とか)
を採取していたから、今と違い人の目もあった。
それで、武士団はちゃんと人を2手に分けて、開墾チーム・埋蔵チームで作業したと。
江戸時代が終わって、武士の世が終わりますよね。すると、武士は仕事がない人も多い。
そういう時代だから、埋蔵を何にも知らない開墾チームの人は、ここに戻ってきたと思うんだ。
農民としてね。
だって、開墾された土地が入手できるんだから。
(埋蔵に関しては、この幕末は殺人とかは無かったと思う。だって、もしあったら内緒に出来ないから。)
今の、赤城山で水野さんが発掘している集落とかには、この戻ってきた元開墾チームの家はあるのかなー?
もし、無かったとしたら、そういう観点から言うと不自然な気がします。
(あるいは、他の武士団による開墾場所が本当の埋蔵場所の近くかも。) 続き。
自分は、単なる興味本位の目線しか持ってません。
ただ、埋蔵がされている場合、開墾が絶対に不可欠だと思う。
だって、仮設で小屋とか建てて作業したのだろうし、人数だってチームを分ける場合
ある程度の人員が必要。
何もない山の中、絶対に物資の輸送(必要物資・埋蔵金含む)とか人の目をごまかさなきゃですから。
こういう、他人の目をごまかす場合は、ある程度当時としては規模が大きな開墾地が無きゃ変だなーと。 >>218さん
興味本位で十分です。私も興味本位でやっていますw
山奥とはいえ、人目があったでしょう。
畠山氏の記述では開墾と書いてありますが、あてになりません。
元開墾チームですかー 一軒一軒聞いてみないとわからないですね。
郷土史を読んでも元開墾チームのことは書いてありません。 >>219 165さんへ
仮にの話ですけど、例えば様々な物で場所が特定できそうだとしますとね。
(古文書とか銅板とか、その他もろもろ)
その場所の近くに、江戸時代頃から開墾された場所があるかどうかが自分の推理では
大事な事かと思うんですよ。
だって、人の目を遮るのなら開墾作業とか必要ですもの。
(重いものをもってだ、山の中道なき道を進んで、埋蔵するのはリスクがありすぎるなと。) 一度、見てきてはいかがですか?
私の動機もテレビでやった場所をこの目で見てみたいでしたw
私はいつもオートバイですが、
電車で敷島駅まで行って、タクシーで回ったというお人もいますよw
水野家、三枝氏の場所、双永寺、十二社であればGooglemapでも見つかります。
渋川市 赤城行政センターに行けば、1万分の1の地図も買えます。350円だったかな。
まぁ地図を買ったら最後で、抜け出せなくなりますw >>221 165さんへ
私は関東在住なもので、近く見に行きますわ。
普段は、中久喜とかの城跡巡りですから(笑)
うーん、秘文とか物的証拠とかよりも、自分は開墾地の近く
かつ緩やかな崖などの地形が先なのかと。
行ってみてから、現地の郷土資料読み漁りますわ。 あれ?中久喜好きさんだったの?w
今の時期ちょうどいいですよ。
私のほうは、今週末も雨のようなので、結城はお預けです。 >>223 165さんへ
中久喜好きのものです。
だってさ、誰も書き込まないんだもの。なんか、寂しさ感じてしまって。
結城は、武田と違い安全だけは恵まれた場所ですよ。
危険な地形とかないし。
真面目な話、徳川は最初は赤城山の南側かと思ってました。あのあたりは、明治時代
とかまで不毛の地でしたから。(たしか、開発されたのが大正時代とか。)
ただ、偽装工作と今でいうキャンプ拠点が無いんですよ。たとえ不毛の地だとしても
自分は、拠点が無いと埋蔵という工事が出来ないなと。
自分の考えでは、拠点を作らなければ、当時山中での活動は出来なかったと思ってます。
それで、開墾がセットになっているなと考えた次第です。 見てくれる人いたんだ。
今まで、ここを見てきたけど実務的な視線は無かったなーと感じたので書き込んでみたんです。(いや、自分が見逃しているだけかもですが。)
江戸時代は、今と違い山中に人が数多くいました。樵・炭焼き等。また普通の農民とかも山の中に入って、薪炭を得ていました。
今の赤城山は、場所によっては人がいないような感じだろうけど、当時はそうではないなと仮定しました。
するとさ、正当な理由が必要になってくると思うんですわ。
他の人が、そのエリアに入らないようにする理由が。
その理由が、開墾なんです。当然、武士が行うやつで。
ですから、自分としては歴史をまずは調べて、そういう開墾があったのかを調べてみたいです。もしくは、藩の領地とか所有している土地だとかを調べたいなと。(開墾の場合、規模がある程度大きくなきゃです。規模と時間がかかっていなきゃ成立しません。)
いくら江戸時代だとは言え、そういう正当な理由がなければ、人が立ち入らない理由ができませんよね。ですから、まずは其処からかなと。
次に、立ち入り禁止エリアができたとしても、出来る限り埋蔵は短時間で行うと思います。また、人員が少ないと思うので効率よく。
山中とはいえ人の目はあるわけですから、洞窟みたいなものは掘っていないと思います。当時は、今と違い治山工事はされていません。石垣とかは可能だろうけど、埋蔵を考えるとそういう人工物は構築しないと。
また、例えば崖とかの傾斜地に横穴を掘ったとすると、治山工事がされていない自然の山ですから、がけ崩れや自然災害等により露見したときに不都合だなと。(山中とはいえ、今と違い人は多く居たから。)
自分は、傾斜地や低い崖のようなところの下に、埋蔵物を並べて、上から崖等を切り崩して埋設したのではないかと思いますわ。これなら、短時間・少人数での埋蔵が可能だし、当時の自然の山では、がけ崩れは普通にあることですから、自然ではないかと。 >>224
中久喜好きさん
アクセス解析から、北は青森県から西は山口県まで15名ほどの人がいるかと思います。
中久喜好きさんの書き込みもあって、皆さんじっと話を堪能しているのではないでしょうか。
TBSが掘った場所の真横にキャンプ場ならあるんですけどねw
中久喜好きさんの説で、似たような説を持っていた庄司さんという方が、長年、沢を中心に探していました。
また、物証も沢の崖の粘土を取っていたら出てきたという話も残っています。
赤城山のテレビでやったあたりは農地に適しておらず、田んぼはなく畑しかありません。
畑も30cm掘り下げると細かい軽石層が出てきて保水性が悪く、畑としても不適切な場所で、
現在は畑が広がっていますが、表面に土を置いたりと、だいぶ苦労したとのことです。
中久喜好きさんの開墾のイメージは、田畑ですか?
昔から桑の栽培は活発だったようですよ。明治の古地図だと、旧沼田街道以西は桑畑です。 >>227 165さんへ
やはり同じような事を考える人はいるんですな。庄司さんの事は、自分は知りませんでした。
ただ、自分は城跡とかが好きでして。
一つ一つの城には、そこに作られたちゃんとした経緯があるんですわ。
ですから、赤城山に埋蔵をする場合、当時の実情とかそういう物を加味すれば、おおよそのエリアが
分かるのではないかと思っていた次第です。
おおまかなエリアが分かったら、そこから銅板とかの物証を組み合わせていけばいいのかなと。
(手順としてです。あくでも。)
自分は、この前の板とかの書き込みしか、そういう物証に対しては知識が無いんですよ。
ですから、物証の前に、ある程度のエリア分けが必要なのかなと。
江戸時代の開墾は、まずは土地の木木を伐採して、平らにならしてから、栽培する作物を考えたそうです。
あのあたりは、仰せのように火山性の土地ですから、おそらくは蕎麦・稗等の雑穀主体の畑として考えたのかなと思います。
(養蚕が盛んになったのは、明治からだったと聞いたことあります。) 続けますね。
自分の考えですと、崖と言っても高い所ではないと思います。
それこそ、5メートル程度の崖。もしくは、自然のくぼ地みたいなもの。
(窪地ですと、目印とか複雑になるかもですけど。対して、崖なら一か所からの
大まかな距離で説明可能です。まあ、崖が続いていればの話ですけど。)
高さがある崖ですと、土砂を上から落下させた場合、埋蔵するものにダメージが。
また、埋蔵するにあたっては、例えばですが砂とか細かな土で周囲を埋めてからだと
思います。発掘する時の、まあ今でも土木工事等で行っている目印になりますから。
(埋設物の保護にもなりますから。) 中久喜好きさんメールをくれていたんですね!
気が付くのが遅れて申し訳ございません。
返信しておきましたのでご確認ください。 水野家は、はじめはマムシ谷を探索しましたが、中盤以降はいろんなところを掘っています。
三枝氏、庄司氏は、芳川沢沿いを終始探索しています。
2008年放送TBS「徳川埋蔵金 大発掘 篤姫は知っていた!?」でも芳川沢沿いを掘っています。
なぜ芳ヶ沢なのかはよくわかりませんが、水野家の土地争いに巻き込まれたくなかったのかもしれません。 テレビ番組等で、竪穴のほかに横穴が登場しますが、
水野氏が、借りられない土地の下まで調べたいので、横穴を掘って調べに行ったと語っていますので、
埋蔵金の埋め方とは関係ないと思っています。 >>232 165さんへ
水野さんの事で、以前私もテレビで拝見しました。
たしか、深い穴を掘っていると。
それで、疑問なんですけど、発掘している途中で消石灰が出たとか
(三和土とか良く書いてありますが、、)
御存じのように、江戸時代は消石灰を利用して壁材にしたりしてました。
自分が思うに、あれは消石灰の製造プラントだったのかなと?
(消石灰の製造では、各種の材料と人手が必要です。ですので、プラントとしてあの場所
を使っていたのかもと思いました。製造プラント跡地ですから、そこから小分けして
運搬して利用したのかもと。その後、証拠隠滅で埋設したのかな?) 消石灰が、本当に出たのかどうかは私には不明です。
ただ、自分の想像ではプラントとして開墾地を利用したと思っています。 わざわざ、石灰岩とかの材料を運んできて消石灰作る意味あるのかと?
しかも、御丁寧にそのまま地面に捨てとけばいいのに、わざわざ穴掘って埋める必要があるのかって事。 榛名山に隠しておいたものを、移動したと。移動させた理由は今となっては、憶測だけど
、多くの人に知られているとか、そういう感じかなー。
んで、たまたま近くに武士団が開墾していたと。
武士団の開墾地なら、主従関係とかが明確な時代だから、秘密保持が可能だと思ったのかな?
なんせ、上の人は命令すればいいわけだし。これを運んで来いとかさ。
(ただ、開墾者全員が関与していたとは考えにくい。秘密保持の観点から。だから、埋蔵したのは
ごく少数の人だと思う。)
ただ、徳川家康の像とか亀の像とかは、正直不明。
だって、埋める必要ないもの。家康の像なら、持っていてもいいはずだし。目印の亀にしても、
わざわざ埋設する必要があるのかなと?
逆に、目印としてなら、開拓記念碑でも建てればいいだけなのにと。だって、開墾自体は秘密には
出来ない事だからさ。
それで、地下に埋もれていた三和土?消石灰?が疑問になったわけですわ。
これなら、悪意がある人が騙すとしても、簡易すぎるなと。
簡易すぎるけど、なんか説得力あるものだなと。
んで、自分が思うに目印は、かなり大雑把なものではないかと。
もし掘り出す場合は、社会秩序が元に戻った場合だから、秘密の必要性は無いと。
だから、数多くの人員が用意できるはずだから、だいたい、あのあたりを掘り出せ
でいいと思う。だから、細かな詳細は不明でもいいのかと思いますわ。 想像力は埋蔵金探索にはかかせません。
1 徳川家康の像はありました。
2 亀の像は、三和土(たたき)ですが、写真も残っていないので亀だったかは不明です。
3 消石灰はありません。
林修氏の埋蔵金番組で、石灰だといわれてきたものが火山灰だったと解明されました。(私のサイト参照)
>もし掘り出す場合は、社会秩序が元に戻った場合
この想像はちょっと違っていて、掘り出せば天下泰平(天下平ナリ)になると物証に書かれていることから、
戦乱の世が終わると解釈でき、戦後の話ではないと思います。
中久喜好きさん メールしておきました。
中久喜から撤退したくなるかもしれませんが、悪気はありませんw >>239さん
ん〜人によって見方が違うから、本に書かれていたことは違うとも言い切れないのがもどかしいです。
例えば、
1の家康像ですが、本には写真付きで約10cmとありますが、手に取ってみた人は30cmと言っています。
現物が失われていますので、写真も証言も「真贋」の決め手になりませんが、「あった」ことはわかるわけです。
次に
2のカメですが、写真はなく、絵しかありませんので「あった」決め手にはなりませんが、その下を掘った実績が
あるので、「あったかも」にとどまります。
3の消石灰ですが、三枝茂三郎氏は、当時こう書いています。
「昭和32年の夏。地下190尺(約58m)で石灰を混ぜ合わせ川砂が赤く色づけされて、
朱までまじったもの」 「地下200尺(約61m)で石灰交じりの黒砂」
ですが、林修氏の番組で見る限りでは、どう見ても地層です。「石灰交じりの黒砂」も地層です。
「想像するに」谷の真横であることから、段丘形成時の川岸の砂だったが段丘形成時に取り残され、
赤城山の降灰により埋没したと考えてよろしいかと。
ただ、「当時は石灰だと思った」のでしょう。
では、その石灰はどこから?となると「運んだ」となるわけです。
あくまでも個人的な感想です。
ご自身で調べて解釈するのがよろしいかと。 中久喜好きさんメールしておきましたのでご確認ください。
中久喜好きさんは、歴史からなんですね。私は思いつきからなんで恥ずかしいですw
疑問に思うことがあれば、どんどん質問してください。
そして徳川埋蔵金にハマリましょうw
でも、私の個人的な感想で徳川埋蔵金を語っていますので、中久喜好きさんと合わない点もあるかと思いますが、
そこは意見のひとつだとしていただければ幸いです。
ほかの方も結城、徳川以外も書いていただければ、この板の活性になるかと思いますのでよろしくお願いします。
私も万能ではありませんで答えられない場合もあります。時に関東以西はさっぱりわかりません。
埋蔵金ねー 掘る費用がないんですよね。
流行りのクラウドファンディングでもやろうかしら。
掘り出せたら出資に応じだ小判の返礼でいけるかしらw >>241 165さんへ
中久喜好きのものです。メール感謝です。
徳川に関しては、まず自分の目で見に行ってみます。おおよそでいいから、現地の地形、
集落とかそういう物を見てからの方が良いかと思いますので。
また、今の地図を買ってみますわ。
埋蔵金は、自分は歴史の一部だと思ってます。だって、人が組織的に行ったことですから。
(個人の埋蔵金に関しては、まあ組織的ではないですが。)
色んな話が出ると思うんですよ。どうやったのか?自分ならどうするかとか。
これも、実は歴史好きの中では良くある話です。
色々と、165さんには教わることが多いです。また、長年にわたってこういう場所で、書き込み
している姿勢には、頭が下がりますわ。
時間のある時にでも、現地を見てから想像の話しでも書き込みいたしますわ。 おはようございます。
中久喜好きさんレスありがとです。
埋蔵金探しは楽しいですよね。
さて、中久喜好きさんのおすすめの場所を見てきます。
ご報告はのちほど おはようございます
今日は天気いいですが寒いですね 白川村で四百年前の大地震で一夜で埋まったとされる「帰雲城(かえりくもじょう)」の位置は
「同村保木脇の庄川の左岸」だったとする研究結果を、歴史愛好家でつくる白川郷埋没帰雲城調査会がまとめ、
十九日、発表する。
調査会によると、飛騨の地役人が一七四六(延享三)年に書いたとされる地誌「飛騨国中案内」に、城のあった場所として
「往昔は帰雲、其後(そのご)は帰山なり。に今至て其所を帰雲川原と言ならし候」との記述があった。調査会ではこれまでに
「氏理の居城のあった所を帰雲川原と言うようになった」と解釈してきた。
新たに今回、白川村役場が所蔵し、地誌より十年以上前に描かれた同村の古地図「享保年度山林絵図面」を調べたところ、
保木脇周辺の庄川の左岸部分に「帰雲川原」と記されていたという。調査会事務局長の野田秀佳さん(56)は
「長年追い求めていた場所が分かり、感無量。伝説にも一歩近づけた」と喜ぶ。 当然ですよ!
しかし、ピンポイントの絞り込みは困難かな >>256さん 正解!お仕事忙しかったです。
先週、結城市等へ行ったので、サイトを更新しておきました。
中久喜好きさんお薦めの場所にも行ってきたのですが、
畠山氏の著書を追ったもののみとさせていただきましたので、
お時間があるときにでもご覧ください。
もちろん掘ったりしていませんので、大したものではありません。 >>247さん
帰雲城の場所は、白川郷埋没帰雲城調査会の研究よりも
城郭マニアさんたちの推理のほうがかなりしっくりきているように思えます。
どうしても自分たちの手でというのはわからなくもないのですが、
もっともっと幅広く意見を求めた方が早く見つかるような気がします。 結城を修正
地図を追加してより分かりやすくしました。 調べなおした。
吉田村の本吉田の会之田城ではなく、吉田村の的場っぽい。
詳しくはwebで 中久喜好きです。
結城は、家康と上杉の戦いに備えて、秘蔵したという話があるみたいですよ。
北関東が戦場になる可能性が、当時はあったから。
ただ、結果として小山評定で戦は無かったけど、、、 だから、戦乱を恐れての埋蔵の意味もあっただろうから、城跡ではないかと、、
うーん、対象が広くなるから分からないこと多いですわ。 様々な本を読み直してみたけど、瓦版と、発掘願いを根拠に周辺を当ってみたら金山と呼ばれる場所があり、
発掘願いに誰々さんちと書かれているから決め手としたんだろう。
ここまでそろうとこの場所と思うのはよくわかる。
瓦版はウソではないだろうが、尾ひれがついて事実と異なるのかもしれない。
的場にある東福寺には、寶蔵院なるお城がある。
往年のの埋蔵金ブームで、会之田城を意識しているのかもしれない。 (速報)
フィリピンの「山下財宝」関連で、日本人等が逮捕されたぞ! >>270
165さんがフィリピンで逮捕されたから? フィリピンで日本人ら17人を逮捕 違法採掘の疑い 「旧日本軍の埋蔵金」探し
"宝探し"邦人ら17人逮捕/比
フィリピンで「財宝探し」のため違法に地中を掘り起こしたとして、現地の警察は先月31日、
15歳の少年を含む日本人4人とフィリピン人のあわせて17人を逮捕しました。
違法採掘などの疑いで逮捕されたのは40代から60代の日本人の男女3人と日本人の少年(15)、
それにフィリピン人の、あわせて17人です。
警察によりますと、このグループは海洋保護区に指定されているフィリピン北部サンバレス州のカポネス島で、
5メートル四方の穴をおよそ5メートルの深さまで違法に掘った疑いが持たれています。
警察は逮捕された17人は「財宝探し」のグループで、少年は通訳を担当していたとみています。
フィリピンには「山下財宝」と呼ばれる旧日本軍の埋蔵金が眠っているという説があり、
たびたび「財宝探し」をめぐるトラブルが起きています。 先月の5月25日、タイにて大量の金塊が地中から発見、旧日本軍が埋めたものではないかとして話題になっている。
発見された場所はミャンマーとの国境付近にあたるタク省メーソート地区。政府によるゴム園の開墾中に作業員たちが洞窟を発見。
その土中から大量の金塊が出てきたという。
金塊は数トン規模のもので刻印はない。発見者である農場主らは金塊の所有権を主張し、国に対して裁判も起こす予定だという。
しかし、この金塊騒動に対して、現地メディアが「そのような事実はない」と報じているなど、現地でも情報が錯綜している。
もし金塊が旧日本軍のものであったとするならば泰緬鉄道やラングーン部隊が保有していたものである可能性があるが、
終戦間際の激戦地であり敗戦も濃厚であったため、大量の金塊を持っていた部隊が隠れていられたのかという疑問も残る。 >違法採掘などの疑いで逮捕されたのは40代から60代の日本人の男女3人と日本人の少年(15)、
少年は3人のうち誰かの息子でしょうか。それにしても謎な編成です。この中に165さんがいるのかどうか。 165さんは、居ないと思うよ。
ただ、タイの金塊は気になるニュースですね。 (速報)
地域によって違うかもしれないが、本日の午後9時からBS5チャンネルで、
地球大紀行が放映され、本日の内容は「宝探し沈没船の黄金…」です。
この番組は以前より、色々な宝探し関連の放映内容で゜毎週やっています。 >>267 165さん へ
中久喜好きの者です。
瓦版に書いてあった、話は尾ひれがついた話です。また、自分も調べた限りでは、
瓦版と、発掘願いがあった金山という地名は、そこで埋蔵金捜索が何度か行われたから
地元の方が、「金が山ほどある」省略して「金山」と呼んだいわれがあるそうです。
瓦版と、それに付随する発掘願いは、残念ながらガセだと思います。
ただ、この話の元となった出来事があるんですわ。(真実かどうかは不明。確認のしようがない
昔の事ですから。)
五十里大洪水のあとに、田川という小さな川の岸で、三尺程度の金の棒を偶然発見したとか。
また、大正時代にも、西仁連川で、三尺の程度の金の棒を偶然発見したとか。
もっとも、これは上流の城跡に分散されて埋蔵していた軍資金の一部ではないかという話です。
五十里大洪水で、城の崖とかが崩れて流されたものではないかと。 165さんの書き込みがないけどフィリピンで囚われの身なのかな?
とても気になります!! アメリカの大学で公開している、明治時代の地図。
赤城山周囲の地図を見ると、一本松の箇所が記載されている。
(パソコンで見たほうが良いかも。)
https://stanford.maps.arcgis.com/apps/SimpleViewer/index.html?appid
=733446cc5a314ddf85c59ecc10321b41 日本最古の全国地図が見つかったってニュースでやってた 反りたて! 男の自信
梅雨が明ければ、我々の季節だ!
みなさん、頑張ろう! 結果は必ず付いてくる。 お久しぶりです。
多忙でなかなか書き込めなくて申し訳ございませんです。
過去をさかのぼって
中久喜好きさん頑張っていますね! 今も昔もピンポイントで探したいものです。
さて、フィリピンですが、山下財宝の地図は、土産物屋で売っているレベルなそうです。
また、日本人が地図を片手に歩くのは危険だそうです。
昔、「歴史の闇から蘇る旧日本軍の財宝」さんのブログを楽しみに見ていました。
歴史的時系列からいうと、山下大将が財宝を隠す余裕はなかったんですが、その辺は無視されていますよね。
タイのは、現地ニュースを見ますと、フェイクニュースとして取り扱われていますね。
タイは、一時期日本と手を組んでしましたが、途中で寝返っていますので、これまた難しいです。
>>288さんが言っている松は、羽端の松のことですね。
当時、埼玉県本庄市からも見えてたそうで、3本あったそうですが枯死しています。
ちなみにアメ公に頼らなくても、今昔マップで見ることができますし、古地図は今でも手に入ります。 例年より早く梅雨が明けました。
ということは探索できる期間も長くなるということです。
そういえば、埋蔵金伝説がある長楽寺の池が枯れたそうで見に行きたいのですが、
この猛暑の中でヘルメットをかぶる気が無くて足踏みしています。
この長楽寺には赤城山(私のサイト参照)があるのと、となりに天海が住職を務めた世良田東照宮があります。
そして、枯れた池には竜の伝説があり、また過去に境内の築山で地中レーダに反応があったなど、
埋蔵金の候補地としては役満なんですが、いまいち盛り上がらない場所です。
TBSあたりが池に地中レーダをかけてくれると面白そうなんですがね。
お時間がある方は見に行ってみてください。 >>302-303
おつ
梅雨は明けたけど大雨なので気を付けてね 人手が必要な発掘をするのですか?
毎週参加や週末以外も参加必須など条件はありますか?場所はグンマーなのかな?
興味はありますが、条件が心配なので詳細の発表をお願いします! 興味があるなら何日も時間がかかるわけじゃないから過去板見てみるのが
良いと思いますけど。 教えて君ってバッシングされますよ。 165さん、ここらでいっちょうやりますか!
赤城ですか? 武田ですか? >>314
最近も募集していましたっけ。前箱では募集はなかったと思います。
それにしても続報がありませんね。連休に向けてかもしれないと期待していたのですが。モノがモノだけにグループ内でメンバー募集はもっと慎重に!など反対があったりして? お、おう。お仕事頑張って!
連休はどこいっても混んでるよ。代わりに平日休みの方が楽しめるよ、たぶん。 ありがと!明日は休みになったよ!
でも疲れたから家でゆっくりかなー おはようございます。
続報というか近況から
停滞しています。
1.近況
(1)赤城
地権者との話し合いが難点。掘るのにお金がかかる。
(2)山梨
@龍喰
調査報告待ちだが、調査進まず。
A金山跡
あからさまに露天掘りの跡があるため、ワクワク感がなく手付かず。
人数さえそろえば瓦礫を撤去できるので、全容はわかるだろうが複数個所あるのが難点
2.その他
@コインシューティング
秋口に海水浴場でのコインシューティングを予定
金属探知機が必要。
探知の反応は値段に比例しないが、ハンディタイプ不可。
A埋蔵金巡り
観光目的で埋蔵金伝説(候補地)を訪ねる。 前箱の募集はウソですね。応募のメールは来ていません。
中久喜好きさんとメールのやり取りをしています。
閉鎖的な活動はしていませんので、皆さんも気軽にメールください。
中久喜好きさん!「金山」見学したいです。堀跡が見たいです。
お金がかからないのは山梨なんだよね。
だけど、龍喰は、壁外調査兵団並みに過酷で、耐えうるメンバーが不足していて
長距離索敵陣形がとれないので延び延び。私には無理。
停滞しつつも、情報発信や細々と調査できているのはウチだけですかね?
メジャーなところは、からみもありません。二代目さんとこはどうなんでしょ? 問題としては、たとえば、埋蔵金とつながりがあるとされている長楽寺の池ですが、
枯れている間にかい堀が了承された場合、埋蔵金が沈んでいる確証が0の中、
ここに念のため掘りたいという人がどれだけいるかです。
もちろん無給で、宿泊交通費は自腹です。 165さん近状ありがとうございます。
新メンバー募集というのは近状報告からすると、龍ばみ調査メンバーが不足してるから。と言うことですか?
それから、条件などの詳細は165さんにメールで問い合わせということなのでしょうか? >>324さん
>>320を見て、何がやりたいですか?
特にどのジャンルで人が不足しているというわけではありません。
少数で活動していますので、例えば山梨の鉱山跡を探索にといっても、
鉱山跡は私ともう1名の2名でやっていますので二人の予定が合わないと行かないのです。
3名になれば、私と324さんもしくは、もう1名と324さんといった具合に機会が増えるのかなと思っているしだいです。
もちろん、ウチの企画からのだけではなく、提案していただいてもかまいません。 いやいや 100%遊びなんですけど
競技人口が少ないっていうのは、チャンスではあるんですが、やっぱさみしいですよね。 そういえば、長楽寺の池の話を書いていませんでしたね。
先日見に行ってきたのですが、もうカラッカラに干上がっていました。
水の跡を見るに、深さ1m強といったところでしょうか。
この池は、そこが竜宮につながっていて、何か必要なものがあればその品名を紙に書いていけに投げ込めば
渦を巻いてその紙を吸い込み、やがて忽然とその品物が浮上してくると云われていた。
寺の坊主が、千畳張りの蚊帳を借りたが、もったいなくて返さなかったところ、
それ以来、紙を投げ込んでも異変は起こらなかったそうです。
これは、椀貸し伝説の長楽寺版と言ったところでしょうか。
一般的な椀貸し伝説の多くは貸し先が不明です。長楽寺版では竜宮と具体的です。
次に借りてが具体的で、寺の僧となっているのも具体的です。
中身は一般的な借りたものを返さなくて次に借りられないですね。
このような怪談話があるということは、昔から人を寄せ付けないよう何かがあったのかもしれません。
もちろん、池ですから、深夜うろうろしていて溺死されても困るからという見方が強いかと思いますが、
長楽寺には古墳がありますので、古墳の盗掘を避けるために流布された話かもしれません。 つづき
しかし、残念ながら、昭和44年に護岸工事
昭和57年に浚渫工事(しゅんせつこうじ)(水底をさらって土砂などを取り除くこと)をしていました。
最近TVで出てくる掻い掘りですね。
当時、どこまで掘ったのかは不明ですが、浚渫時は泥ですから、今のようにガッチリ掘れるタイミングではなかったかと思います。
金属探知機を当てながら掘っていくのも面白いかもしれません。 ごめんよ。
群馬県太田市世良田町にある長楽寺です。
世良田は、徳川家(新田)発祥の地です。
長楽寺の隣は世良田東照宮で、東照宮なので徳川家が関係しています。
世良田東照宮は、埋蔵金でおなじみ天海が住職を務めた格式がある神社です。
寛永16年(1639)天海大僧正は徳川家康公から御下命されていた長楽寺を臨済宗から天台宗へ改宗復興。
三代将軍家光公は先祖の遺徳と当地方の守護神として、二代将軍秀忠公造営の日光東照宮奥社(神廟=多宝塔 ・唐門・拝殿)を移築
元々長楽寺と世良田東照宮とは一緒だったのですが、神仏分離(明治維新の政策)で二つに分かれてしまいました。
長楽寺には赤城山(古墳)があったり、過去のテレビ番組で、本堂裏の地中に空洞らしきものがあるなど、
一時期脚光を浴びたのですが、今は静かにたたずんでいます。 年々厳しくなってくね
春秋は季節消滅しかかってるし ははは…
さては、私の師匠から何か連絡が有ったのかな?
(※N氏のことを初対面から私は、師匠と呼んでいます) メールが来て返信しておきましたので確認してみてください。 了解しました!
いつか会いたいですね。
その機会を待ちます。 明日、真夏の赤城西麓にて磁気探査します。
死ぬほど暑いので、秘密裏に成功できると思います。
帰りに、見晴らしの湯でひとっ風呂あびて帰ります。
こんな暑い日誰も探索していないよね。
赤城西麓、がんばるぞ! 二代目!いつかってw
近々会いたいから連絡してきたんとちゃうんかいw
おいしいたこ焼きごちそうしてくれたらいつでもいくで〜
お!磁気探査楽しそうですね。
赤土の特性をすり抜けられるかしら?
赤城もしばらく行ってないなあ >>353 「磁気探査」とは?
どういう探査方法ですか?
そして、確率は? (※発見の正確度的な見解は) 真夏の赤城行って来ました。高速の社外温度は40度でしたが、お山は35度。
やはり、すれ違う車もなく、ましてや人もいません。いたのは野生のシカでした。
草は伸び放題で、暑さよりも虫が凄かった。特にアブには難儀しました。
さて、磁気探査ですが、成功確率は掘ってみないと分かりませんね。
そこの帯びている磁気の違いを測るもので、磁力計の一種です。 赤城の土はすでに磁気を帯びているので向かないのではないかと懸念していましたが、あらかじめ、何度か普通の土地でデータをとっていたのと変わりませんでした。
バランスを何度もとりながらというのは、他の金探と同じですね。こんな暑い日にと思うでしょうが、土地がカラカラに乾いている時にやってみたかったのです。
結果は、200m×200m位の所に一か所だけ何度やっても強い反応(金属を示す赤い印)が3m×3mにわたって出る所がありました。そこを金探でもしたかったのですが、山歩きと調査で体力の限界が来てしまい、できませんせした。
帰宅後体重を測ったら3kg減っていて、日頃ビール漬けの体には、ちょうど良いトレーニングになりました。 お〜他の土で研究してから挑んだとは本格ですね。
あとは、赤土層と黒土層の遊水帯の判別でしょうか。
暑い中お疲れさまでした。 335>
世良田の下に徳川町と言うのがあり
明治には徳川東照宮があり現在⇒満徳寺
↓明治初期の地図
http://habs.dc.affrc.go.jp/habs_map.html 世良田東照宮と徳川東照宮は別です、300〜500mぐらいはなれています 調べて見ました。ありそうですね!⇒
徳川満徳寺(まんとくじ)は、江戸時代に鎌倉東慶寺(とうけいじ)と並んで女性を救済するという縁切りの特権を認められた尼寺です。
満徳寺の由緒書等によれば、鎌倉時代、徳川氏の祖新田(世良田・徳川)義季(よしすえ)を開基とし、
義季の娘浄念比丘尼(じょうねんびくに)を開山として創建されたと伝えられます。代々の住職は新田氏一族の子女が住持となりました。
新田氏の衰退と共に荒廃していきましたが、天正19年(1591)徳川家康より徳川郷内に朱印地(しゅいんち)100石を拝領し、
衰退していた寺を復興させました。大阪夏の陣(1615)の後、2代将軍徳川秀忠の娘千姫が豊臣家と縁を切るために入寺
(実際は待女が入寺)し、離婚後再婚した例にならい、縁切寺法の特権が幕府に容認されたと伝えられます。
明治5年(1872)廃寺となりました。現在、縁切寺満徳寺遺跡公園として、本堂・門・庭園等を復元し、資料館を開設して一般公開をしています。 >>361さん 正解です。
徳川寺に関しては、お書きのように後から付けた部分が多く、ノーマークでいいかと思います。
そして徳川寺より川沿いにに赤城神社があります。
しかし、この赤城神社は、もっと川岸にあったのですが、流出してしまい現在の位置に再建されました。
すべてが新しいのですが、お祭りがいまでも続いており、流出前の信仰が今でも息づいています。
世良田に関しては、長楽寺の赤城山、東照宮、そして赤城神社等徳川埋蔵金のワードがそろっている場所でもあります。 今回、長楽寺の干上がった池を掘りたいと書きましたが、それなりに考えるところがあります。
長楽寺を訪れるとわかるのですが、あちこち小型重機で掘ってあります。
>>339で書きましたが、過去に空洞らしきものがあることが調査で判明しています。
その調査の精度は不明ですが、調査に影響されて掘っている可能性があります。
まあ住職に直接聞いたわけではありませんが。
もし、山っ気がある住職であれば、無給で池を掘りたいと申し出れば許可していただける可能性があるわけです。
怪談がある池で、徳川関連の地であれば、モノが出なくてもワクワクするといった寸法です。 ご丁寧にありがとうございます。埋蔵金発掘が趣味の人たまに覗いてました。
自分もお寺か神社に分割してあると思います。
日本人は信心深いですから浅い場所に埋めても掘り起こさないですものね。
龍バミもどんなところか見に行きましたが明治の北朝鮮のようなはげ山の写真を見て
その時に見つかってかなって、今は木がぼうぼうだし熊の糞もあったし・・・
山奥とか洞窟とかは赤城山のように軍が大人数で掘り返して軍資金にしてしまったのでは? >>364さん 聡明な見識恐れ入ります。
龍喰は、お話のとおりハゲ山で、364さんと同じように感じました。
しかし、よくよく調べてみると、伐採を逃れた地帯があることがわかりました。
現在そこを調査中で、その地帯周辺で鉱山跡と思しき場所を発見しました。
もうすでに無いかもしれませんが、ここでよく論議していた「無いなら無い証拠」を見つけなければなりませんので、
その作業をコツコツやっているのですが、
連絡をくれない二代目が「ある」とおっしゃっているので困惑していますw 流石です、新発見を期待いたします、初めていろいろやり取りできたので是非に
聞きたいことがあるのですが、ドキメントで戦地へ向かう事になった学生がその前に
金峰山目指して登山して途中道に迷い一晩洞窟で泊り朝日が差し込んだ時周りに
鎧があり下に木箱に入った金の延べ棒を発見して10本ずつ持ち帰り
一人は亡くなり一人は山中で工事関係者に助けられてその時
延べ棒を重くて捨てて最後の一本だけ持っていた話をご存知だと思いますが
うそですかね?そのような洞窟がもし口を開けていればすぐに林業関係者に
発見されると思うのですが、、、 歴史好きさん
そのお話は有名ですが、ほとんど書物には書かれていません。
今パッと思い出せるのは、加門七海の黄金結界ぐらいでしょうか。
一度検証したことがあるので、忘れてしまっているだけかもしれません。
一度、話にあるルートを検証したことがあるのですが、意外に可能性がありました。
可能性とは、鉱山師(工事関係者ではない)と出会った点です。
その後、東大の学生(当事者)、大学教授らが捜したなどのキーワードがありますので、記録が見つかれば事実だったのではないしょうか。
山中を歩くと光の加減で浅い窪地が洞穴のように見えたりします。
そんなところが数多くあるわけですから、埋蔵金探しをする人でなければいちいち覗いたりしないのではないかと思います。 歴史好きさん 里山とか山中の城跡とかを訪ね歩くのが趣味の者です。
山の中の地形は、意外と変わりやすいものです。城跡とかを訪問しても、
井戸跡とか、武者隠しのくぼ地とかは時の流れによって埋もれてしまった箇所
も多々見受けられます。洞窟等も、入り口が埋まってしまっていたり、昔は人が
自由に出入りできたところが、小さな穴になってしまったりとか、、 過ごしやすい秋がやってきました!
みなさんのこの夏の成果は…
酷暑や災害で無理かな? 暑さも和らぎ、皆様におかれましてはますますご盛栄のことかと思います。
だいぶさみしくなっていますので少々。
埋蔵金伝説の中に黄金のニワトリ(時にはつがい)を埋めてある伝説があります。
朝、鳴くなど、奇怪な伝承すらあるものもあります。
皆様がもつ、この黄金のニワトリのイメージは?宇治の平等院の屋根の鳳凰ののようなイメージですか?
わざわざ埋めるのですから、美術品の価値が高そうなフォルムをイメージしがちかもしれません。
実は、黄金のニワトリが見つかった事例があるのです。
見つかった場所は、宮城県栗原市金成
ここの金成には、炭焼き藤太伝説があります。炭焼き藤太については記録もあり、どうやら実在の人物のようです。
炭焼き藤太の話は、全国にある炭焼き話とほぼ同じです。
この藤太が長者になった後、同地の鶏坂に黄金のニワトリを埋めたという伝承が残っていました。
1818年、この坂を直していると、炭の中から黄金のニワトリのつがいが発見されました。
この黄金のニワトリは現存しており、雄は尾までの長さ7.5cm 高さ3cm、雌は尾までの長さ6.3cm 高さ3cm
雄には「神」雌には「山」という文字があります。
検索すれば、黄金?のニワトリの画像を見ることができますのでお探しください。
埋蔵金?の伝承があり、たまたま合致するニワトリが見つかった事例としてご紹介しました。 165さん
黄金の鶏見ました😙自分の思い描いていたのと若干違いましたが🐔しかし実際に発見されているのを知りませんでした。貴重な情報感謝です(^_^ゞ 赤城や武田、今まで色々な方々が書き込んでくれたのに…
みんな疲れたのかな?
165さん、よろしくお願いします。 とあるブログに、場所は非公開でしたが、
40年ほど前、庭に池を作ろうと掘っていると、油紙で封をされた壺が出てきたそうです。
伝承などがないため、封を開けるのが怖くなり、そのまま池の底に沈めてあるそうです。
伝承があれば封を開ける気にはなるでしょうが、ブログにも人骨だったかもしれないと書いてあります。
日本人は、信心深いのか水木しげるの罠なのか、この手の得体のしれないものを忌み嫌います。
特に封をされているとなると、さらに手が出しづらい。
埋蔵金探しも難しいですね。 165さん、ありがとうございます。(※困ったときの165氏ですな!) Amazonの埋蔵金本を見てたらサヤサヤさんのレビューがいたるところに
サヤサヤさんどうしてるのかなあ ノルウェー、エストフォル県に広がるのどかな農村地帯には、数世紀前の秘密が隠されていた。船葬墓が新たに見つかった。
高解像度の地中探知レーダーによって、そこにバイキングの墓が隠されていることが明らかになったのである。
バイキングには船を棺として用いる船葬墓の習慣があったことが知られている。
これまでも船葬墓はいくつも発見されてきたが、保存状態の優れたものとなれば珍しい。
https://niku.no/en/2018/10/georadar-detects-a-viking-ship-in-norway/
過去にバイキングの墓から、多くの副葬品が見つかっている。
今回の船葬墓にも副葬がも一緒に葬られている可能性は高い。
歴史的価値も相当なものだろう。
私が歩く限りだが、未発掘、未登録の古墳らしきものを多く見かける。
考古学の教授でもない私が、市に掛け合っても調査も掘らせてもらえないだろう。
熱心に掛け合えば掘らせてもらえるのだろうか?
教育委員会等は、話だけ聞いて自分たちで調査、掘るのではないか?
一旦、教育委員会が絡めば、埋蔵金の分け前すらもらえない。
工事途中にたまたま発見される埋蔵金は、国や市の網目を抜けるための手段ではないのだろうか。
埋蔵金というのは、そうしたジレンマの中に埋もれている気がする。 埋蔵金で説の多くに古墳が関係している。
朝日さす夕日輝くがそれだ。
古墳とまではいわないが、こんもりとした墓である可能性は高い。
古墳は今でこそ貴重な遺物だが、石田三成の忍城攻めのように古墳を切り崩したり(石田堤)と、
昔は、古代の墓程度に扱われ、消えていった古墳も多く存在する。
以前、徳川埋蔵金を調査していると古墳に当たると書いた。
原点に返れば、赤城山の伝説のように、更地にわざわざ新たに穴を垂直に掘る必要があるのか?
更地の縦穴を掘り返すのも容易ではない。
古墳の当初は、横穴式埋葬だったが、その手間から竪穴式石室に代わっているほどだ。
古墳には、しっかりとした石室がある。
この縦穴石室を利用すれば、埋蔵するのは容易だと思う。
となれば、俗に赤城山の山中に、わざわざ新たに縦穴をほるより、
古墳とまではいわないが何らかの墓跡に埋めた可能性は高くなる。
それが、水野智之氏が著書に書いている、児玉老人が探してたという五輪塔だ。 五輪塔は、墓である。(塔婆も五輪塔を模している)
五輪塔の構造は、下から地・水・火・風・空を表し、これこそまさに風水であり、八問遁甲につながる。
五輪塔は墓である。
その下に石室(石棺)がある可能性は非常に高い。
畠山氏の日本の埋蔵金で登場する児玉老人が、五輪の塔を探していたとのことから、
児玉老人は埋蔵金埋蔵の当事者ではなく、水野家より早く、どこかで聞いた話から埋蔵金を探していたひとりとして扱うべきだと思う。
なので新たに登場したライバルとなる水野氏に突然切りつけたりしたのではないか。
余命いくばくもないと悟った児玉老人は、今までの探索結果を大儀兵法秘図書にしたため、水野氏に渡したのではないかと思う。
しかし、私もそうだが、ここだという場所を打ち明けるのには躊躇する。
なので、大儀兵法秘図書のように話をぼかし、あとは自力でという意味で、水野氏に託したのではないだろうか。
大儀兵法秘図書に児玉老人の探索結果が書かれていることになる。 また、「掘りかねる井戸」という言葉も残されている。「かねる」は、できないという意味だ。
直訳するならば、掘れない井戸ということ。
井戸をイメージしてもらいたい。
円形に深くまで崩れないよう石組みがされているのではないか?また、木材で井桁状に補強されているものではないだろうか?
掘り返すのは容易だ。水野家をはじめ、源次郎の井戸を掘り返している。
井戸は元々人が掘ったもので、水が枯渇して埋めたからといって掘れないわけではない。
児玉老人が残した言葉の「掘れない井戸」は、井戸を指しているのではない。墓なのだ。
墓は掘り返したくないというのが日本人の感情だ。児玉老人は墓である五輪塔を探していた。
五輪塔は墓であり供養塔で、その下に石室(石棺)がある可能性は高い。
数メートル下の墓に向けて穴を掘るのは簡単だ。そして墓は信条から暴きづらい。特に五輪塔を崩してまでも掘りづらい。
石室(石棺)であるなら、構造的に井戸に近い。
日本の埋蔵金を持っている人は、P57を見てもらいたい。三枝茂三郎氏の発掘の図面が載っている。
TBSの林修氏の番組を見返してもらいたい。(私のサイトでも見れるよ^^)
三枝氏は、五輪塔方面に向けて横穴を掘っている。
当時の地主が許可してくれなかったので、やむなく五輪塔まで横穴を掘ったかもしれない。
ということは、児玉老人と同じように、五輪塔を探す必要がある。
さて、サヤサヤさんはどう思うかな?w 読み返すと、つくづく日本語が下手だなと思うw
酔っぱらった勢いもあるかもしれないが、本当に下手だw
赤城山に埋もれた五輪塔が数多くあるのを場所も含めすでに把握している。
あとは、銅板と照らし合わせた上で、埋蔵場所かの確認をするだけだ。
埋蔵金を発見する日は近いかもしれない。 勢いで書いてますw
とうか、私は赤城山以外説
なぜなら、ほかの場所で、古墳に行きついている。
なにも山の中の五輪塔にこだわる必要はないのだ。
しかし、いろいろと見過ごせないのも確かで、
日本の埋蔵金の中で、赤城山で石の祠を発見した記述もある。
三枝氏も埋められた多くの石を見て、宝庫だと思っている。
ということは、三枝氏も石で囲われた井戸のような所に埋められていると思っていると思ってたわけだ。
残念ながら、水野家のように土中に直接埋めてあるといった代物ではない。
メディアの皆様もY氏だけに頼るのではなく、他の研究者の意見も聞いていただければ、世紀の発見になるかもしれませんよ。 165さんお久しぶりです
五輪塔ですか。私は訳があって道祖神を探しているんですよ。似たり寄ったりですねw
暇なので、歩尺図のこじつけを書いてみますね。
実は、本当はこの図には他の意味合いがあるんですが、こじつけの一つを書いてみます。 1から9ということで頭に浮かぶのは九星魔方陣ですよ。
この1から9に甲から庚を入れていきます。定位の位置は決まっていて、1は北が入ります。
つまり、甲は北、乙は南東、丙は西、丁は南西、戊は中央、己は北東、庚は東に入ります。
なぜなら、甲186の最初の1は入るマス(北)すなわち方度で同じように乙297の2が方向の南東です。
魔方陣を見ながら入れてみるとすぐ分かります。 図を見ると、番号で言えば6,5,4のラインですが、己、戊、丁になりますね。これは「戊己ト記シタルハ丁ノ目ヲ續キタルノ記ナリ」に相違ないですね。
中心の戊を銅板が見つかった双永寺とすると、北東の己は金山宮、南西の丁は井戸もしくは家康像。己64の6は方度、4は足斟なので4町すなわち道のりで
436メートルで金山宮、南西に位置する丁429は、4が方度、29が29町だから道のりで3200メートル行くと目的の家康像になりますね。
これは、道が一本道だったから分かるのかも知れません。方度足斟ノ両用トスにも相違ないですね。
でもね、これってこじつけなんですよ。
私が重要だと思ったのは、甲から庚までが7こある点と1から9までの繰り返しなんです。
ですが、あるとしたら井戸を中心としたどっかでしょうね。いい大人が真顔で言うと恥ずかしい話ですね。(-_-;) やっぱりサヤサヤさんはずごいなあ
九星魔方陣!超大正解です。
ここまでは水野家も解いていた形跡があります。
7つと9つが対応しきれなかったようです、苦し紛れに付け加えたのが二十四方向でした。
ここで、三枚の銅板の謎文の解読をやめたっぽいです。
ご存知の通り、水野家は、家康像が出た地点と思われる場所から、円周上に調査をしましたが発見できませんでした。
九星魔方陣の解読が中途半端だったのと、中心点を誤っていたということです。
九星魔方陣における中心は「5」であり、中心の5を五方(ごほう)といいます。
この中心(五)をどこに定めるかが問題です。
水野家は初動を誤ってしまいましたが修正しはじめます。
水野家は、なぜ円周上に調査したのでしょうか?
ここからは、私の想像です。
水野家は、児玉老人が埋蔵の関係者だと思い込んでいました。
児玉老人が、五輪塔を探していたと聞いて、自分へのヒントだと思ったかもしれません。
なので、中心(五)から円周(輪)上に探索したのではないでしょうか。
その最長端にあるはずの塔を探して。 サヤサヤさんも
そういった理由で、道祖神を探しているのではないでしょうか?
沼田街道沿いの石仏は、ある程度抑えられていますが、赤城山西麓の石仏の資料は皆無です。
群馬県の石仏についてのありとあらゆる資料を見ましたが、沼田街道沿い以外の石仏についての資料はありませんでした。
こうなると、山中に分け入り、転がっている石すら調べなければなりません。
大変骨が折れる作業となりますね。
>私が重要だと思ったのは、甲から庚までが7こある点と1から9までの繰り返しなんです。
赤城本命さんも私も同意見です。私より赤城本命さんのほうが三歩ぐらい先に行っています。
三人とももう少しのところに来ているような気がします。
赤城本命さん元気かなあ 最近、クラウドファンディングなる資金を調達手段が盛況でして。
ものによっては数千万円の資金を調達しています。
場所さえ確定したら、クラウドファンディングを使って資金調達もいいかなと思っています。
この資金調達方法には、ある程度見返りが必要で、安いものはお礼のお手紙から、物産品の返礼まであります。
埋蔵金発掘となると数千万円でしょうから、3,000円でお手紙、10,000円発掘イベントへの参加、100,000円で赤城の物産品と出れば小判1枚など
妄想だけがどんどん膨らんでいますw
やっぱり資金ですよね〜 三枚の銅板の写しをお見せすることはできませんが、内容について正確に書いてみましょう。
三枚の銅板の写しのほかにもう1枚、謎文と方位図が書かれた長い和紙がありました。
その長い和紙には、サヤサヤさんがノーヒントから導き出した九星魔方陣が書かれています。
その九星魔方陣の上に、薄く墨で縦(951)横(357)斜め(258、456)の線が引かれており、方位を考えたと思われます。
謎文に書かれている甲・乙・丙・丁・戊・己・庚は7つ、九星魔方陣にマスは9つで甲乙を当てはめると2マス埋まりません。
この埋まらない2つのマスを埋めるため、本来であれば十子の甲・乙・丙・丁・戊・己・庚のつづきである辛・壬・癸を使うのでしょうが、
これだと逆に1つ余ってしまいます。
そこで水野家は、埋まらないマスに、後天八卦の乾・坤・震・巽・坎・離・艮・兌を使い埋めていきます。
それを同じ長い巻物に書かれている方位図に書き込んでいっています。 つづき
書き込んでいったと書きましたが、水野家が書き込んだのかは不明です。
誤りや解読途中のメモなどは書かれていませんでしたので、三枚の銅板の写しのほかに解き方について書かれたものか、
三枚の銅板は謎文、九星魔法陣、方位図の組み合わせだったか、本当は4枚の銅板だった可能性があります。
この組み合わせの銅板の写しであったと仮定すると、九星魔法陣からサヤサヤさんの導き出した解き方に近づくはずですが、
解けなかったのか放棄してしまったようです。 今日、地元蓮田市で、遺跡の発掘をしている人と話す機会があった。
遺跡の発掘をまじかで見るのは初めてで、微妙な土の色を頼りに掘っていくとのこと。
製鉄をした跡があるなど、興味がわく話と、縄文式土器の破片をまじまじと見た。
話が弾み、蓮田から出た甕に入った大量の古銭(A)についての話になった。
165「あれは埋納銭だと思いますね。埋納銭であれば甕はあと5つあるはずかと」
先生「え?・・・実は報道に出ていないんですが・・・Aのほかに2つ埋めてあった形跡があったんです!」
165「おお!やはり!」
先生「どういった理由で6つなのですか?」
165「埋納銭は、風水で6か所に埋めてあるそうです。ある一定の方向に・・・」
先生「埋納銭は呪詛的な目的なのでしょうか?」
165「いやいや。永楽銭などが入っていましたので、災害復興資金かと思います」 先生「一説ですが、戦に向かう前に埋蔵して出かけ、帰ってきてから掘って戦後処理にあてたのではないかと推察しています」
165「それなら、全部掘り出しているはずでしょう。元荒川の氾濫もありますので復興かと」
先生「実は、今回見つかった甕(A)は、地上40cmぐらいのところに埋まっていまして、あと10cm残して掘るのをやめた形跡があるのです」
165「あとひと鍬だったわけですねw おしかったw」
先生「そうなんですよw」
165「今後、発掘範囲を広げる話は?
先生「道路工事の際に、たまたま見つかったのでないです。
165「そうですか・・・あるかもしれないあと3つの行方が気になりますね」
先生「はい」
165「実は私、埋蔵金を探している者なのです。トレジャーハンターです。赤城とか山梨とか」
先生「!?」
165「掘るにはお金がかかるので、まったく進めていませんけどw」
先生「堡塁にはお金と時間がかかりますねw」
165「発掘に大変興味があるので、バイトとか雇っていませんか?w」
先生「ボランティアならw」
165、先生「www」 それと、古墳についてもお話しした。
先生「この辺には古墳が多く、あの辺にも3基ほどありました」
165「(チラ 狭い一角だなあ)あのあたりなら、円墳ですか?」
先生「!?(なんだこいつ?)その通りです。」
165「石室とかありましたか?」
先生「古墳で石室がちゃんと残っているのは数が少ないんです。」
165「・・・副葬品とかは?」
先生「盗掘されていましたが、銅剣が見つかっています」
165「長い時間で石室が露出したりと、古墳だと分かれば盗掘されますよね」
今日は非常に楽しかったです。 >戦に向かう前に埋蔵して出かけ、帰ってきてから掘って戦後処理にあてたのではないかと推察しています。
ここに埋蔵金マニアと考古学者に違いがあったと思いました。
埋蔵金マニアは、滅亡後の御家復興資金
考古学者は、戦争に行く前に埋めて、帰ってきたら掘り返す。
似たような感じですが、埋蔵金マニアは敗軍の将で、考古学者は勝軍の将の視点でした。
戦に行って必ず勝てるとは限りませんが、勝ちを前提にした簡単に掘り返せる深さとなりますね。
埋蔵金マニアは、敗軍の将の視点ですから、「みすみす取られるわけにはいかない」が前提となり、深く深くなってしまうのでしょう。 もう少ししたら、山の中も藪が無くなって探索しやすい時期ですなー。 165さん、山梨・赤城の今の状況と進展は…
よろしくお願いします! (速報)
今夜9時から、BS-TBSにて市原隼人の「幻のスペイン財宝船を追え!第1夜」
が放送されますよ! はいはーい。ちょっと忙しかったけど、落ち着いてまいりましたw
どうしましたか?
>>143のご質問のことかしら?
*山梨
今年は行っていません。><
危険な龍喰、大常木以外の探索なら大歓迎。
幻の露天掘りの跡らしき場所のご案内もしちゃいますよーw
*赤城
掘りたい場所はあるんだけどお金がね・・・><
掘りたい場所が本物なのか?「中」の場所が3つあるので調査を続行中! 近況報告、ありがとうございます。
他に何か面白いネタ、有りませんかね。
よろしくお願いします。 面白いネタかあ
以前に書いたネタですが、
地主の許可がとりやすいと思われるのは、
世良田の長楽寺の枯れた池のかい堀り、
かい堀は、過去にやっているけど、金属探知機使いながらとか面白そう。
住職も山っ気ありそだし、枯れている池を戻したいだろうし話に乗ってくれるかも
それと紹介したブログの池を作るときに出た壺
かなり具体的なんで一発ありそうな気がする
これまたかい堀りw
あと、品川にある寺の池に沈んでいるとされる黄金の観音像
京浜急行の工事の時に池を削った際に手のひら大の土偶が見つかってる。
土偶で当たりなのか、別に観音像が沈んでいるのか調査しても楽しい。
この寺は、墓石の下まで掘り返せるコネありますw まあ、いずれにしろ、どこまで人(メンバー)がついてきてくれるのかと、自主性がどこまであるかですよね。
多くの方が会社員でしょうから、有給休暇使っても土日の探索が中心になりますから、
集まりが悪ければ計画通りにはいきませんよね。
それと、手掘りとしてもスコップなどの道具が必要です。
上記の3個所は、いずれも小さい池なので排水にそうそう時間がとられないと思いますが、
素人がTV番組の見よう見まねでどこまで水を抜けるか?排水の行き先は?などがあります。
業者に水抜きを頼めば、お金がかかるでしょうし、池が原状回復費用するかも素人なのでわかりませんw
このような費用負担をどうするかが問題なのです。
もちろん割り勘ですが、一人当たり10万とかになったときに、
お宝が出なくてもいいことを前提に負担してくれるかどうかですね。 あと、二代目と電話会談をしたときに話にでたのですが、「たたり」が大きな問題ですね。
お宝が埋まってると伝わってて、誰も掘り返していないという場所(過去に書いた)があるんですが、
「たたり」も伝わっているんですよ。
迷信なんでしょうけど、万が一にでもたたられたら嫌じゃないですかw
そこを掘り返してくれる強者が欲しいですよねw 話を繰り返してばかりで申し訳ありません。
気になったブログを無断転記します。
子供の頃から動物が大好きだった私は、近所で可愛いワンちゃんを飼ってた老夫婦が住んでたお家によく遊びに行って、
そこのおじいさんとおばあさんととても仲良くしてました。
おじいさんがお煎餅を焼いてくれたり、いろんなお話をしてくれました。
お茶を飲んでいた時におじいさんが、この家を建てた時に庭に池を作ろうと穴を掘っていたら油紙で蓋をしてある壺が出てきたそうです。
小判が入っているのか、ひょっとしたら人骨が入っているのかもしれないしと、ご夫婦で話し合い悩んだそうですが、
結局、蓋もあけずにそのまま池の下に埋めたままにしてあるそうです。
これは掘りたい! 上記ブログ主にコンタクトをとってみました。
場所が特定できれば、遠方でも訪れてみたいと思っています。
もし、承諾が得られれば掘ってみたいのですが、
さて、どれだけの人がついてきてくれるでしょうか?
昨日書きましたが、
交通費宿泊費は自己負担、排水費用およびその他経費は道具を持っていても割り勘、掘削は人力
※蓋を開ける特攻隊には、総費用の100%OFF(OFF分は他の参加者が負担)
お宝だった場合、警察に届け出て、その後、法律を遵守したのち、余った埋蔵金を現代換算し、ブログ主に3割
残りの7割を参加者に分担でどうでしょうか?
ツボの中身が人骨だった場合、警察に届けて終了。
特攻隊のお祓い費用は、他の参加者で割り勘
その後、祟られてもアフターフォローなし 中二病で申し訳ないが、リスクとしては
のろわれる、たたられる、可能性はあります。 どうなんでしょうね
ツボの蓋を開けた人だけなのか、一緒にツボまで掘った人たちまで及ぶのか、
呪いやたたりは、目に見えないものですから
特攻隊や支援者が呪いやたたりだと思えば呪いやたたりでしょうし
偶然や迷信だと思えれば呪いやたたりではないでしょう そうするとスレを見て心の中で応援してるだけでも祟られるのかな >>429
書き込んでいる人に対して、揚げ足を取るような書き込みをしている「君だけ」
たたられると思うよ。 >>430さん 気にしない気にしない
先日行われた忘年会でも笑いを提供してくれましたw
来シーズンの予定が決まりました。
@山梨の幻の露天掘りらしき跡は、新しい参加者が加わり引き続き調査を続行。
A徳川埋蔵金は、過去に関東グループで場所を再調査するため続行。
B新しい箇所として、山間に眠る梅雪の埋蔵金をやります。
二代目率いる関西グループとの合同「発掘」になります。
すでに事前調査で、岩に刻まれた武田菱を発見済み。
過去の調査結果を踏まえ、ついに辰の口を掘ります!もちろん!出たても闇から闇ですw 揚げ足を取るようで、悪いですが、梅雪も山梨なんですが… 梅雪が謎の死を遂げたせいもあり、梅雪埋蔵金伝説が残っています。
山梨県の龍喰川流域の財宝は、梅雪が移し替えたものだといわれていますが、梅雪じゃないと思っています。
来年手掛けるのは、山梨県の梅雪です。 434さん、165さん、ツッコミ、お返事ありがとう。
塩山に親戚がいるので竜ばみの話は興味深く読ませてもらってました。穴山梅雪は南部のほうでしたっけ。書き込みは難しいかもしれませんが、報告楽しみにしています (速報!)
本日、テレビ BS-TBS 午後7時から、
4K開局SP 「市原隼人 × 黄金伝説A スペイン財宝船を追え」
が放映されま〜す。 見ている限り山梨が多いようですね。山梨の親戚に埋蔵金伝説を聞いても、曖昧な笑いで返されます。現地の人にとってはただの昔話なのでしょう。 >>440さん
関東地方と近県しか遠くてやらないからね。
関西や九州でやってる人がいても、書かなきゃそれまでです。
>>441さん
まあ知ってたら掘るわね。
自分の五代前のじーさんが、どこで何をしていたかもわからなくなった時代ですから、
他人がどこで何をしてたなんかもっとわからない時代の話だししかたない。 どうなんですかねー
関東以外にも有力そうなところがあるでしょうから話が聞きたいですよね。 23日(日)19:54〜、テレビ東京で日曜ビッグ「緊急SOS!!最強探知機で日本の“お宝”ぜんぶ掘る大作戦」をやるそうです。
こうした情報が精一杯なんだと思います。
私が特殊だと思います。 (お知らせ!)
28日(金)午後9時より、BS朝日(BS5)にて
地球大紀行「謎の死海文書は宝の地図? 消えた財宝を追え」が
放映されます。
これは題名の通り、財宝関連のテレビです。 ゼーレのもつ死海文書。その記述に従えば、15年後、必ずサードインパクトは起こる。 >>448
最近の「お宝テレビ」としては、かなり面白かったです! 昨今の「お宝テレビ」の無い状況で、興味深く拝見しました。
情報や知識として、世界のお宝も、面白いですね。 本日!
テレビ「たけし×古代エジプト 新・世界七不思議」 最近ようやく「某金遊録」の主人公が分かった。
多分165氏なら、分かっていたとは思いますが、
8箱目の806番4行目に記載されている秀金の名称について、
「理由はその某が猿楽に通して…」と記載されていますが、
「大久保長安」は、武田家に仕えた猿楽師の子です。
某金遊録の主人公は、「大久保長安」の隠し金だ。 そして、そしてですよ、
勘のいい方は、気づくとは思いますが、4箱目の617番の下からの2行に記載されている
「ある有名な埋蔵金伝説が…」は、誰かが以前に質問されていた通り、箱根に有るとされる
「大久保長安」の埋蔵金につながります。
この箱も今では、9箱まで進んできましたが、改めて一から見直すと、色々と面白いことが
見えてきたりするのではないでしようか。
改めて、この箱に感謝します。 みなさん、良いお年を!
そして、来年こそ… >>452 面白く拝見しました。
改めて思ったのですが、数々有る秘文の解釈も文面通りに単に解釈してわかるほど埋蔵金の隠し場所は
甘くはないということが、よくわかりました。秘文や証拠の中に、さらに隠した者の思いが込められて複雑に
隠し場所を指示していると思います。奥が深いですね、埋蔵金探索は。 あけましておめでとうございます
本年もよろしくお願いいたします 昨日はBS朝日で、「地球大紀行 発掘エジプト考古学の迷宮スフィンクスの謎」と、
BSTBSで、「ヨーロッパ財宝ミステリー 消えた黄金列車の謎 ナチス財宝は? 西島秀俊が真実に迫る」と、
続いて、「失われた琥珀の間の秘密ヨーロッパ財宝ミステリー2」が放映されていたので興味津々で見入っていました。
難を言えば、同時間帯の放送だった。でも初心者の入り口としては、いずれも面白かったです。
最近のBSテレビは、ちょくちょくお宝番組の放送があって救われます。 どうした、みなさん。
やはり冬場は、これといった活動や情報はありませんか?
あと2ケ月もすれば待ちに待った、活動の春ですよ! 千葉県在住の古銭ほりさん頑張っていますね。
海水浴場でのコインシューティングもなかなか面白いですよ。
先日、スーパーの小さなゲームセンターを何の気なしに覗いたら、
古銭ガチャが設置されていました。
レプリカ品を含む古銭か特賞として旧紙幣や古銭が出るらしくて1回300円
特賞は、鍵がかかるコインロッカー型ショーケースに入っています。
おやおやと思い、1回ぐらいならと早速チャレンジ
ガチャっと回してみると、カプセルの中に特賞のカギが!
どの特賞なのかと見てみると、永楽通寶でした。
古銭を集める趣味はありませんが、大切に貯金箱にしまってあります。 >>472
165さん自分もやりましたが、昭和10年の一銭貨でした(*_*; おお!アフリカの星さんもやっていましたかw
一銭?アルミ硬貨のやつかな?
永楽通寶も4〜500円で買えますから、特賞というより元が取れたていどかなあ 先日、埋蔵金が好きな方とお会いしました。
その方は、165さんは呪いが怖いから掘れないって言ってたけど、自分は気にせず掘れますよ!とのこと。
すでに呪いのツボのフタをあける係員がいますので、これで作業員がそろったことになりますねw
おし!今年は、宝が埋まっているが呪われるという伝説があって、地元の方も掘った人はいないと断言する場所にチャレンジかな。
念のため、各隊員は、傷害・生命保険への加入、お札や数珠、遺言状などを用意しておいてくださいね!
あ、あと、何があっても165に責任は問いませんという公正証書ねw >>474
165さん桐1銭青銅貨というやつでした。価値は40円位だそうです(笑) 遅ればせながら、鈴木盛司さんの多田銀山発掘の本を読みました。いつ出てもおかしくないくらいの事を書いてたのに、結局、出なかったんですよね。難しいのだなぁ >>453 >>454
寒の戻りで、まだまだ肌寒いが165氏は、次回のターゲットを練っているのかな?
徳川か武田か?
今後の貴殿の動向を注視しています。 週末は、桜が満開だろうなあ。
我々の満開は、いつのことだろう。 すいません。
過去ログから見てきた者です。
「埋蔵金」などと興味の湧く文言に惹かれるものがあります。
何度かここの記事をみて「龍喰谷の巡視路?」を現地に訪ねました。
一部石垣の崩れや桟道の崩落・崩壊箇所もあり、スリリングな行程を楽しめました。
途中に人が入れる人工的?な穴もありましたね。
金場沢?とかの上流までも詰めてみましたが何もわからず下山しました。
ところで一つ質問があるのでどなたかお答え頂ければ。
ずばり龍喰谷を疑っていらっしゃる方々の推測では「谷の詰めから下の合流点までの間」で、
どの辺が臭いとお思いですか?
上・中・下流などと漠然で良いので教えて下さい。
徳川みたいに津久田原などと広範囲でなく「沢=谷」として線状の範囲ですよね。
あとは露天掘りの跡か疑問点として近くの高橋川の上部に???なる場所を見付けました。 「sage」を付けてね!
もうすぐ10連休、さて、みなさんの活動は… >>482 さん
初めまして。
龍喰谷の水源巡視道へはお一人で入られたのですか?
巡視道は谷の下流域までしか伸びておらず、中、上流域へ行くには別ルートから入るか沢を遡行するかになると思います。
私も金場沢を詰めましたが、特に何も見当たりませんでした。ただ、古い坑口は埋もれていることが多いので見落としてる可能性大ですけれども。
今年のGWは沢へ入る予定は無いのですが、もしご興味があれば下のアドレスまでメールをいただけませんか?情報交換をしたり、グループ内で合意が取れればですが、ご一緒できるかもしれません。
lonebunny@protonmail.com
※ @は半角にして下さい >>489さま
書き込みしてからレスがないので期待薄でした(笑)ので、ありがとうございます!!!
実は3回ほど龍喰谷を遡行しました。
初回は単なる沢登りでしたが2回目以降は「お目当て探し!」ですヨ。
『メモの大岩など見ない内に詰めまで行き着きましたので、自分は龍喰谷に無いんじゃないかと他を。。。
大常木ほか周辺の沢も行きましたが「単なる遡上とお目当て探し」では視点が自ずと違うから、
視界に入る対象の印象にも大差が出るもんですね。
そんな中を地元の人を共通の知り合いから周辺にも目を配っては?とアドバイスを受けました。
単純な動機で護岸工事のされた高橋川を詰めたら露天掘り???の跡を発見したんです。
牛王院平にも行きましたが痕跡は顕著ではなかったですね、まぁ見方が悪く見付けられなかった可能性大ですけど。
古い抗口がどれだけあるかは未知ですが、殆ど見分けが着かないくらいに入り口は自然化してるのでしょうね。 過去の箱を読み返すと、きっと「有る」と確信できますよ。 過去ログは漁ってみたら興味が湧いて、趣味の沢登りから転向しちゃいそうです!
大常木も龍喰も埋めたものを何処の誰が、ほじくり返しに来るのを見込んだのですか?
一之瀬周辺の集落の祖先が隠したんですか?
『高橋修二郎のメモ』でしたっけ?あれも実在の人物じゃあ無さそうだし。。。
修二郎の一件自体が本当にあったことなんですか? 3箱目、4箱目等を完読すると、ある程度の感触はつかめると思いますよ。 >>482さん
さらしているメアドは、怪しいものではありませんので大丈夫です。
さて、せっかくメアドを乗せたのにメールが来ないと嘆いている人がいるので、水を向けてみます。
>>482さんが書かれましたことについては、ここでは詳しく解説できませんのでご了承ください。
修二郎については、実在の人物だったかは不明です。
これは、畠山氏が正直に指名を書いていたかが問題で、今となってはわかりません。
ただ、火のないところには煙は立たないことからも、何らかの発見はあったかもしれません。
また、詳しい方にお伺いすると、埋蔵金を隠すには物語は必要ないとのこと。
となると、なんらかはあったかもしれませんが、物語は創作の可能性もあります。
さらに、金山衆が隠したのかとのご質問ですが、金山修は近隣の試掘も幕府に願い出ていることから、金山衆が隠したとは言い切れません。
ただ、金山衆の復興までの間の備蓄だとも取れます。
しかし、龍喰説は、某氏の説に頼るところがあって、これといった根拠はありません。 おいらん淵周辺の埋蔵金伝説って「高橋修二郎の伝説」が起因って訳じゃないみたいだけど、
165さんのご意見の「詳しい方にお伺いすると、埋蔵金を隠すには物語は必要ないとのこと。」
だったら大常木・龍喰を探索しても無意味ってことになるのですか?
そんな急峻の谷合いに隠匿するより集落近くに隠匿するのが理に適ってる気がします。
でも、金の採掘・精錬などが山中で行われてるのだから山中に隠匿するのが常套でしょうね。 隠す側からすれば常日頃から自分の目の届かない山奥なんかにゃ隠さんよ。
屁理屈を捏ね繰り回して谷だの沢などご苦労さんw 金山集(小さな組織)のへそくりかもよ。戦国時代で治安が悪いから、集落・人の多い場所から離れたところ
選んだんじゃないかなー。 >>501さん
隠すときに物語は必要ありません。地図と内容さえあればいいのです。宝の地図とはよく言ったものです。
このスレで登場した記録らしきものも、埋めたときに書かれたわけではないでしょう。
修二郎の話も隠すときの話ではなく、見つけたとされる話ですから、まあ物語でもいいのです。
その物語をどこまで信じるかです。
ちなみにお聞きしますが、なぜ龍喰川なのですか?
畠山氏の本には、「柳沢川と龍喰川が合流する花魁淵の近くの山中」と書いてあります。
柳沢川は、龍喰川と合流しません。 龍喰川は一ノ瀬川と合流し、その合流地点は花魁淵ではありません。
現花魁淵は、龍喰川から近いですか?さらに修二郎のメモに龍喰川も花魁淵も登場しません。
畠山氏を信じ、龍喰川を探すのであれば柳沢川も探さなければなりません。 >>501さんが行かれた金場沢の行き止まりまで行きました。
金場沢には、テラス思わせる平らで開けた場所があっていい雰囲気ですよね。
龍喰川の対岸が精錬場尾根と言われるところです。巡視道よりはるかに危ないです。
皆さん、手掛かりとされるメモを無視して、物語に入れ込んでしまっています。
私のサイトを見たことはありますか?「埋蔵金 165」と検索してください。
武田のページに、大きな岩もメモに「三つ目のほらあなから入る」を思わせる連続する穴も紹介しています。
ページの冒頭に「幻の鉱山を探す 平成29年7月8日 龍喰川の確率が低いとみて、龍喰川ではない場所を探します。」と
書いておいてあります。
もちろん、メモも物語の可能性が非常に高いですが、メモを検証した結果、酷似した場所にたどり着いています。 龍喰川や大常木川を探すのもいいと思います。
広大な土地で、可能性がある場所を一つ一つ潰していくことは非常にいいことです。
私もそうしてきました。
過去スレを見ればわかりますが、龍喰川あたりはハゲ山ですからね。
あったとしてもすでにないでしょう。
さて、ここからが本題。
hotmailでいいような気がするんですが、なぜか外国のフリーメールを作って書いた人がいるのですが、
メールが来ないと毎晩泣いているオレンジ色のTシャツが似合う憎いやつですw
オレンジじゃかえって虫が寄ってくるんじゃないかと思っているんですが、お気に入りなのか誤射を恐れてかオレンジです。
埋蔵金視点で龍喰川を探していますので話の一つでもしてやってください。
私は、龍喰川否定派なので、オレンジと話が合うかと思います。 165さん、気候も活動しやすい気候になってきました。
そろそろ本題に入りましょうよ。
よろしくお願いします。 今年は、去年できなかった幻の鉱山を引き続き調査したいと思っています。 龍喰川のおさらいを客観的に書いておきましょうか。
龍喰川の発端は、
*畠山清行氏の著書に柳沢川と龍喰川の合流する花魁淵と書かれているのと、
修二郎の遺体を発見したのが二ノ瀬の某と書かれていることから、二ノ瀬から近い龍喰川だろうとのこと。
*出所が怪しい某氏の資料で、某氏は資料に龍喰川の「り」の字もない中で龍喰川と断定してしまう。
とっかかりの根拠は、これだけ。
このとっかかりの内容が気に入らず、様々な視点から検証してみたことを客観的に書いてみます。
@高橋修二郎の滑落死に関する新聞等がない。代わりに花魁淵で女性の滑落事故はあった。
A日本橋にアサバ写真館がない。近所の山の名前が浅葉
B金場沢があり、博物館には龍喰金山があったと書いてある。
C一ノ瀬林道は、昭和50年代に東京都の水源林管理のために作られた道で、明治には無く犬切峠ルートしかなかった。
D飛竜山は、東京都が買い取るまで、麓から頂上に上る人が見えるほどハゲ山。
E一ノ瀬の住民に修二郎の話、埋蔵金の話を向けても知らないという。(嘘かもしれないが)
F金山衆は、金鉱脈を求め越境してトラブルを起こしているほど、えらく困窮していた。 @高橋(十字不明) 腕の形(九字不明)る
A大本(三字不明)右三本(八字不明)山(五字不明)あり穴は大きな岩の左からみ(七字不明)る
B木で(六字不明)本 棒は大で(六字不明)十枚
Cのべ板(四字不明)二つの穴にもま(五字不明)ある
D右の(三字不明)口は川について下って三つ目の(一字不明) のほらあなから入る 165さん、ありがとうございます。
畠山さんの本より以前に龍喰ほか周辺の沢には入っておりました。
と言うよりも元々が登山・沢登りを趣味にしてたので、読書後に改めて遡上したのが事実ですが。
510の中の@Aに関して事実に見られないとなると疑わしいけど、高橋の先祖は金掘衆であったのなら???ですねぇ。
また、Fが事実なら埋蔵するどころか消費するのが筋ではないでしょうか。
511は「修二郎メモ」の中身ですね。
しかし、修二郎の実像が怪しいのなら「このメモ自体の存在自体」も怪しくないですか? B金場沢があり、博物館には龍喰金山があったと書いてある。
古文書や一般的な表現としての『金山』とは最低規模でも、どのくらいの物を指すのでしょうか? 高橋の先祖は金掘衆と書きましたが、この高橋は【一之瀬高橋の高橋】を指します。 >>501さん
>修二郎の実像が怪しいのなら「このメモ自体の存在自体」も怪しくないですか?
私が調べる限りの範囲で男性の滑落がないだけで、漏れている可能性もありますし、
畠山氏が名前や時代を変えているがありますの引き続き調査が必要だと思っています。
龍喰金山の場合、資料(泉昌彦の著書)を見る限りでは試掘程度です。
高橋と一ノ瀬とでは風俗が全く違いますので、一ノ瀬グループの金山衆ではないと思います。 龍喰金山は、大学の先生が黒川金山の調査のついでに立ち寄っているので、
そこで「金山」と名称付けしたのかと思っています。
>>501さんの探索の話になりますが、
>>501さんはメモから大岩を探したんですよね?
上の修二郎のメモを読むと、大岩と穴は、同線上にないことがわかると思います。
龍喰谷のような深い谷底で、同線上にない穴を見つけるには崖をよじ登らなければなりません。
さらに、メモに川について下って三つ目の()ほらあなから入ると書かれていますので、
あの崖を登った(登っている)途中に連続した最低でも3つの穴がなければならないということになります。 まぁ毎年のように大常木谷で滑落している人がいるけど、全部が新聞に載っているわけでもないでしょうしね。
ところで、私のHPみていただけました?
川(沢)も三つの連続する穴と近場にある大きな岩の写真もありますよ。
一緒に大きな岩の左に行ってみませんか? >>川(沢)も三つの連続する穴と近場にある大きな岩の写真もありますよ。
HPのどこにありますか? HPの武田埋蔵金の項目を開いて、右上にある「165が行く!現地レポートはこちらから!」をクリックしてください。
わかりづらいか。直しておきます。 >>519
165さん、お手数をお掛けしました。
「165が行く!現地レポートはこちらから!」見ました。
ここってもしかしたら「◯◯川」ですよね。
自分が見つけたのも「幻の鉱山編」写真と同じ場所だと思います。
残念ながら「2」の場所は見つけられなかったです。
大きな岩が沢筋にあれば樹林帯でなければ必ず目に付きます。
基本的に水流近くなら鉄砲水など氾濫で状況変化があるでしょうから、
少なくとも斜面などある程度水流より上部なことは間違いないと確信します。
掘り出す際も安定した場所であることは必須でしょうし。
ただ何度も書いたとおり【修二郎のメモ】自体が本当にあった物か?
内容も上手く核心について避けた文章になってるので信じがたいのです。
柳沢川に関しては現行411国道から離れた上流部と思います。 >>520さん
>>520さんの書き込みをみると、別の場所だと思います。
理由として、川は関係ないからです。 言われてみれば別場所かも。
記憶しか無いから断言できませんね。
大変失礼致しました。 高橋川の上流部、源流より上がった場所に似てます。
てっきり高橋川と思いました。 こういう林の中とか、ドローンで撮影できないのかな?
崖とかよじ登るのも大変そうだし。 川は、修二郎が滑落したとされるだけです。
川にこだわる必要は全くありません。
>高橋川の上流部、源流より上がった場所に似てます。
のであれば、その場所を見てみたいと同行したメンバーと話しています。
あなたが、見つけた場所を私たちも見てみたいと思っています。
別の場所であっても、双方の場所をほじくってみないといけませんねw
ドローンも考えましたが、樹木が多く飛べる環境ではありません。
また、時代が古すぎて、一見、これといった場所が見あありません。 私も仲間内で話題になりました。
大変面白い話でご提案です。 連休入ってから寒いし雨だし、山も砂金も行かずにゴロゴロしてますw
後半は日光行くんでお天気回復して欲しいなぁ 連休は無休で仕事してま〜す
中旬は鹿児島に4泊で出張
また山梨辺りにみんなで出掛けたいです
風の子さんたち元気かなぁ 983さん鹿児島なんて遠くに行かないで飲みに行きましょうよお さて、
コンビニしか行かないまま、GWも後半ですw
社会に出て、生まれて初めての10連休です。
GWを利用して赤城山の探索へと思っていましたが、渋滞表示に挫折して、
ぐだぐだしながら昼から酒を飲み、ゴロゴロしたまま就寝する日々を繰り返しておりますw
Googleで、埋蔵金を検索しておりますが、悲しいことに都市伝説化しております。
以前もお伝えしましたが、地元蓮田市で甕にに入った大量の古銭が発見されています。
調査では、同じjような穴が数か所発見されていますが、残りを未調査で終わらせています。
埋蔵金ブームじゃないですが、これを火付けに埋蔵金と騒ぎ立てて、自治体名を売り込む気がないのが残念です。
同じ埼玉県西部、南部の人に蓮田市といっても通じず、大宮のほうという残念さw
自治体のやる気のなさのおかげさまで、毎月、着々と人口が減っています。
まあ、酒を飲みつつネタもないので愚痴を書いています。 >>536
同じような連休の過ごし方で安心しましたw 親父が昨夕、鬼籍に入りました。
これから暫く忙しいです。
忌引休暇7日間出るけど・・・。 まずは、>>1 「sage」をよく読んでから書き込んでね!
話は、それからだ。 突然ですが…
このサイトを見ている全て方々にお願いします。
このスレもなかなか伸び悩んでいると思っています。
165さんに頼っているところが多いとは思いますが、
確信的なことを書くのは無理なのは、みなさん承知しているとは思いますが、
ここらで一つ、何か、何か、面白い話の書き込みを切にお願いします。 EVERYPROJECT
世界3ヵ国同時上場
カウントダウン
第1弾Coinexchange io
6月9日(日)日本時間17時から
EVEO/BTC取引スタート 【緊急速報!】
本日、午後9時より「NHK BSプレミアム」ダークサイド
「徳川・秀吉・信玄!埋蔵金伝説」か゜、放映されます。 やっぱり山梨なら、「ぶとう」か「桃」狩りでしよう。
ところで、「お宝」狩りはどうですか。 165さん、ぼちぼち武田をやりますか?
微力ですが、協力は惜しみませんよ! 武田の難しい所は、ピンポイントじゃないところです。
龍喰であれば、探すのに上流下流左岸右右岸のすべて探さないといけません。
遡行した人も書いていたとおり、目印は大きな岩なのですが、
大きな岩はゴロゴロあり、岩の大きさもわからないままです。
長年の風雨、地震で昔のままあるのかもわかりません。
また、私のサイトの武田の現地レポート幻の鉱山編にでてくるような
突然ポンと大きな岩が転がっていても、その岩でいいのかも正解なのかもわかりません。 いつもの繰り返しになりますが
ただ一つ言えるのは、修二郎のメモにある「穴は大きな岩の左からみ(七字不明)る」は、
龍喰谷や大常木谷のような谷底ではありえない視点であることです。
また、岩の正面をどの方向から見るかによって左が変わってきます。
山梨の人も畠山氏には疑問を持っているようですが、ひねった部分が多くあります。
しかし、無から有を生み出すのは難しいので、必ず何らかのネタがあったでしょう。
畠山氏に勝った人が、埋蔵金を手にするのです。 >>165さん
ってことは、杣道や巡視路など中腹なのかな?
水源巡視路なんかは都水道局などが開削したんでしょ?
埋蔵当時の道なんか残ってるはずなさそうだし
仮に埋蔵者の末裔やらがそこを通り続ける(仕事などで)でなけりゃ残らない
となると金鉱や炭焼など???
高橋周辺の住民で山仕事を生業にしてる人って皆無じゃない?
的が絞れなくなってきました 165さんの「半信半疑」的な感想はよ〜く理解しているつもりですが、
やはり、最大のポイントは「某金遊録」を見られるか見られないか、
で展開は大きく変わってきます。
当然、某金遊録は「100%有る」を前提にしています。
某寺院に有るらしいですが、某寺院の名称すらわからないのなら
165さんのように「某金遊録の存在に対して、否定的になるのは理解できます。
しかし、某金遊録に対しての今までの、この箱への書き込みを内容を検証すれば
某金遊録が、この世に存在するか、はたまた過去に存在していたか自ずと想像できますよ。
要するに、「大常木谷」と「龍喰谷」の埋宝を手中にできるか否かは、
某金遊録をどう攻略するかが、最大の一番確実な近道です。
あえて言わせてもらえれば、危険な思いをして何の資料もないまま現地へ
100回調査に行っても、何らかの証拠を見つけることすら皆無だと思います。
だから、この辺を165さんと話し合いたいのですがね。 某金遊録ねえ
写真でもコピーでも写しでもいいのですが、断片すらい。
畠山氏の1973年の日本の埋蔵金出版から、2019年までの好事家たちの記録に、
それらしい言葉や似た出来事すら出てこない。
100%無いとは言い切りません。
今だ戦国大名の新たな記録が出てきますからね。
あるかないかわからないものを信じて探せませんね。 検証?何をもって検証?2ちゃんの書き込みを信じて検証ですか?
まぁいいでしょうw 昼間っから酒を飲むほど暇なのでw
関係寺院は5つですよ。が、ひとつも静岡県にない。
関係寺院にそんな記録はない。
おかしいじゃないですか。
関係寺院にないのに、なんで関係ないとこから出てくるんですか?
土肥金山や大久保長安のとこんがらがってないですか?か、噂話かガゼネタです。
私が否定する理由は、こんなんです。
膨大な枝葉の資料を漁れば、ほんの一行でも何かしらの記述が見つかるもんです。
だから、山梨県博物館にない鉱山跡が見つけられたのです。
確かに龍喰金山は存在しましたが、歴史的にも無理なんですよ。
龍喰、大常木なんて更地にしたって出てきませんよ。
そもそも、龍喰、大常木は、畠山さんの記述に一切出てきませんしねー。 ものすごく基本的な質問なんですが、某金遊録ってそもそも何なのですか?すみません。まるで判らないので… >>572さんゴメン 酔っぱらって見落としていました。
龍喰、大常木は、東京都水道局が植林しました。
現在の一ノ瀬林道は、昭和50年代に開削しました。
高橋や一ノ瀬周辺の住民の主な仕事は山仕事です。
伐採から水道局の植林などに従事していました。
>杣道や巡視路など中腹なのかな?
道のではダメで、片方が崖に接していなければなりません。
目の前にコップを置いてみればわかると思います。
炭焼きは、排煙の関係で崖のそばに作ることがありますが、穴を掘って炭焼き窯を作ることはほぼありません。
みなさんの考えでも、大きな岩は、道しるべでしかありません。 おー作家のアフリカさんじゃないですかw
四箱目だったかな?書き込みがありますので探してください。 >>578
作家のアフリカです(笑)四箱目拝読しましてやっと何たるかが判りました。しかしその金遊録書いた僧侶は資料を何処で手に入れて書いたんでしょうね。自分も実在するなら見て見たいですね(^_^) 修二郎のメモ、渓谷沿いとかではなくて、もっと山頂付近とかじゃないだろうか?
そもそも、地形変化が大きすぎる谷間に埋蔵するってのも変な話だし。
いくら山奥だといっても、昔は山仕事する人多い時代だから偶然発見される危険性
が高すぎると思う。 >580さん
そうです!いい筋していますね!もう少しです! まあ埋蔵金なんて何かに頼らなきゃ探せません。
その何かが、偽物であっても、現実に存在するものであれば糸口になります。 偽物は偽物以外の何物でもない。
貴方らしくない言い回しですね。
そのあたりが貴方の本音なのかな。 火のないとこに、煙は立たない。
偽物だとしても、「何らかの事」があって偽物ができていますから。
偽物だとしても、何もない中から想像だけでは、出来にくいものです。
人を騙す目的で作られた文物があったとしても、「何らかの事」が無けりゃ人は騙せませんから。
もっとも、年月がたって「口伝」で伝わった話ですら尾ひれがついて大きくなっている場合もあります。
それが、偽物だとしても、事の真実は存在していたわけでしてね。
ここら辺の事が、582の165さんの書き込みの事だと思う。 >581 165さん
580は私の書き込みです。
私は武田は興味持ってないですけど、当時は薪炭が生活必需品でした。だから、山の中腹あたりまでは
普段から里の人が出入りしていたと思われます。
(たとえ、それが小さな集落であってもです。)
ですから、まだ発見されていないとしたら、それは山頂付近だと思いました。
山頂付近まで、日常生活では立ち入らないからです。 結城かあ〜、面白いですけどね。
色々な資料も有ったみたいですが(※山門和歌?含む)
特に女性の挑戦者には頭が下がりました。
今も何らかの可能性は、ゼロではないと思っていますが。 私は、目に見えないものを追いかけません
UFOを見たことない人に信じろって言ったってむりですよw 中久喜好きさん
山頂もね。麓から山頂を歩く人が見えたんですよ。(写真あり)
それほど伐採が激しかったんです。 >590 165さん
山頂までですか?
そうしたら、場所が違うのかもしれませんね。
そこまで、人が伐採のため立ち入っていたら、洞窟とか興味本位で調べますもの。 ところが、目に見えない物を追いかけていると目に見える物が出てくる可能性や見える時が有るんですよね。
ここのところを理解できないと、なかなかお宝発見は難しいのかな。 >>165さん
過去スレを読むと165さんも「龍喰・大常木にあるのでは?」と推察された時期があったようですが、
お仲間と何度か龍喰谷に入られたりもされてましたね?
いつ頃から?何を根拠に「龍喰・大常木」を否定されるようになったか、差し支えなければお書き頂けますか?
>山頂もね。麓から山頂を歩く人が見えたんですよ。(写真あり)
それほど伐採が激しかったんです。
それなら単純に非伐採地という事になりましょうか?
ちょっと以前の此処に「高橋川上流(詰め?)に気になる箇所を見付けた」って人が居ましたが、
案外、存在条件としては良い線行ってるんでしょうか。
確かに修二郎は「花魁淵近くの山中で発見」されたが、メモには「川について下って三つ目・・・」
と。
そうなると畠山氏の意図的な改変を汲んでも「山中/川沿い」どちらにも取れるんですが。 だからぁ、その畠山氏も某金遊録を見た可能性が有って、例の転落の話を書いたのではないかと過去スレで指摘しているだろ。
但し、165さんの言っている幻の採掘跡とは別物なので、それはそれとして興味深いよね。 >>595さん
龍喰・大常木、大人の事情によってです。
過去から近代までの歴史から、龍喰は対象外でした。
単純に非伐採地?
非伐採地だからといって有る確証もありません。
ハゲ山より「残っている可能性がある」だけです。
修二郎の話は、死体発見現場の話で、埋蔵場所の近隣であったというわけではないと思います。
国土地理院の地図をご覧になればわかりますが、花魁淵の近所には無数の川や枝沢があります。
私のサイトにありますが、一ノ瀬林道がない時代、龍喰川は花魁淵から近いといえるでしょうか。 林野庁でも東京都水道局でもハゲ山の写真が見れますよ^^
想像するのは楽しいですが、歴史という現実を知らなくてはだめです。 >588 名無しの愉しみさんへ。
結城は、まだ「ある」と思います。
あの場所は、結城家は言うに及ばす、戦国時代争いに敗れた結城家関係者が一時的に
身を寄せた場所でもありまして。
山門和歌のあるお寺も、住職不在の時期があり過去の経緯が忘れ去られた状態ですが、
一説によると結城家を頼って落ち延びた武将一族がいたこともあるそうです。
(御家再興を狙っていたものの土着して流れていったとか、戦乱に巻き込まれたとか?)
また、幕末には官軍と旧幕府軍が戦った場所でして、敗走して陣を引き払った時の埋蔵
も噂された地域だと聞き及んでいます。
ただ、今は宅地化され、城跡・砦跡は史跡化され、むやみに発掘できない状態ではあります 女史が熱を入れていたアヤメ池ってどこなんですかね? >601 165さんへ
恥ずかしい話ですが、自分は女史の事はよくわからないんですよ。
ただ、アヤメ池は邸宅の庭園ではなかったのかと思っています。
金光寺の南の方、小田林には池があったと聞いたことはありますが、不明です。
理由は、地形です。西仁連川が近くに会って、池ができる地形ではないなと。
(江戸時代の大洪水で地形が変わってしまった可能性は否定しませんが。)
自分は、おそらくですけど、結城氏館跡かなと?
結城城ができた後も、重臣とかの邸宅に利用されたり、藩主の離れがあった時期
があると思われます。
そこの、庭園の中の池ではないかと思ってます。 みんな林野庁や東京都水道局のハゲ山の写真を見たかな? みなさん「某金遊録」の書き込みが有った「過去スレ」を見に行っているのかな?
特に3箱目・4箱目が私としてはお勧めですが。 黒部は遠くてなぁ行ったことすらないわ。当方、関東在住です 黒部をやっている人たちは高齢で、積極的な活動が難しいのが実情です。 情報、ありがとうございます。
誰か活動家は居ませんか。 次は台風が来たな。
最近の気候は不安定で、なかなか探索予定が立てられないですね。 「さぁ、やるぞ!」と、言いたいところですが、猛暑、猛暑の毎日です。
誰かなんとかしてぇぇぇ。 大型台風が来た。今年は本当に、探索計画が立てずらいな。 「360万両」の謎を暴くのですね!
やはり、赤城・猿ヶ京が本命ですかね?
隠されている物が大きいだけに、探すのも困難ですね。
知恵者として、解明できるか… 暇を持て余しているのなら、このスレを「1箱目」から読むことをお勧めします。
意外と、隠れた部分がわかったりするものですよ。
最初の箱等は、最上記等に示されています。
長かった夏休みも、もう終わります。
今後の自分自身の調査に向けた参考部分が、かなり出てくるかもわかりませんよ。
みなさん、一度この箱を一から読み直してみては… 誰か、夏休み中の探索結果でも書き込んでくれないかなあ
よろしく頼みます 結城の前に、武田はどうなったのかな?
探索には絶好の季節になってきたのですが… みなさん、こんばんは
165さん、なんとかしてよ この状況を! 是非165さんの最近の調査等に関する状況をお知らせください。 言っていいのかな?
某島のお宝を探している人と、しばらくやり取りさせていただきました。
西のほうはよくわからないんで、お役に立てなかったです。
ある方から聞いた昔話をちょっとご紹介させていただきました。 天気が良かったので近くの浜辺に散歩に行き、かなり偶然的に昭和43年の50円玉一枚と
寛永通寶の左上の寶の部分四分の一のみ発見。 今年の収穫はこれが全てです。 いやいや埋蔵金人口自体は、もっともっと居るとは思いますが、問題は多数の方は秘密主義だと言うことです。
特に自分の研究が佳境に入っている人ほど、こういったサイトには、なかなか出てくれないのが一番の難点ではないでしょうか。
今まで何人かが面白い情報も何回となく投稿してくれていますが、結局長続きはで゜きませんでした。
非常に残念です。このサイトには165さんのような知識者も何人かいるのに惜しいなあ。
しかし諦めずに、また面白い投稿が有ることを心待ちしています。 季節がら、12月から3月の期間は机上による歴史や資料等の研究ですかね。
そして春から活動に! 雑草が枯れてきたから、城跡歩きには良い時期。だけど寒いね。 今年も「週刊実話」で、埋蔵金特集が掲載されてま〜す! 今年も、なぁんも無かったなぁ。
山梨の龍喰谷の件も中途半端やったし、みんなどこ行ったんやろ?
来年こそは、「お宝」挑戦者にとって良い年でありますように。 あけましておめでとうごさいます
昨年は、自然災害に祟られ、思った活動ができませんでした。
天候に恵まれますように >>681
無い、根拠は?
無いにせよ、有るにせよ、根拠を書かないと成立しないと
いつも誰かが言っているでしょ。 ちなみに、有る「根拠」は、3箱目及び4箱目等を参照ください。
ヨロシクで〜す。 >>684
コラコラ、そう言う君が一番喰い付いているではないか(笑) >>682
龍喰谷一帯は伐採されて樹木が皆無状帯になった
そのときに隠蔽箇所が目に付いた可能性が大で、
洞穴などあれば既に取られてないでしょ?
仮に有ったとしても度重なる台風などの自然災害で沢は大荒れ
結果、流失したか埋没してしまった
現場に何度も足を運んだけど「まず無いと確信」に至りました
それよりも付近の沢筋詰めた上流に?って場所がある 秘文をそのままに解釈しているようでは、いつまでたっても見つかりませんよ。
秘文の謎は、かなり深いですよ。 お
あなた筋がいいね
飯のたね?だから詳しくは書かないけど
もうひと山あるけどね そもそも秘文をそのまま解釈して、場所がわかるようでは敵の手に入ったら、
すぐに見つけられてしまいますね。
全ての秘文が、そうだとは言いませんが秘文自体にも謎が多く隠されていると思いますよ。
従って、「地蔵小坂」自体、存在しないと思います。
もっと違った意味が隠されているのでは…
今回の書き込みは、お正月の「お年玉」ですよ。
以前の過去箱にも同じようなことを書かれている方が確かいたように思いますが、
誰かが書かれているように、この箱を一から見直すのも大いなる発見への近道かもわかりませんよ。 >>696
当該集団の間でだけ分かる文化ギャップを利用してますから、あなたは間違ってます
ま、間違えてもらう分にはむしろありがたいのですガ >>697
は〜い! 了解しました。
「地蔵小坂」を発見したら書き込んで、連絡くださいね。
待ってま〜す。 当たるも八卦、当たらぬも八卦
なんちゃって!
地蔵小坂の件は、どうなってんのかしら?
有るの、無いの、どっちなの 八卦さん。 事の発端は、 >>689 ですよね。
そこんとこ宜しく。 地蔵は金堀衆の墓碑(大ヒント)
金堀衆は八卦と関連あり、これ当時の常識
少し書きすぎましたガ >>703
ナイス!
貴方、かなりやりますね?
「煽り運転」は罰せられますが、貴方を煽った甲斐がありましたよ。
貴方の力量が少しわかった気がします。
この板も書き込み者が激減しているため、
許せる範囲の書き込みをこれからも、よろしくお願いします。 まあ今日は昼から挨拶回りで飲まされたから書いちゃうけど、あざい家旧臣が生きてる時代に「隠し湯」なんて概念はないノダ
かといって全部ウソかと思うと、ちょと違う
そこら辺はたけだ家の金堀衆統治機構を学べばわかゆこと
いにゃ、統治というより認可かな
少しはしょるけど、たんまり貯めた金堀衆末裔が一種の脱税として江戸時代中期以降に埋めたもんが、これ
拝みたいね、早く 武田家は、イメージとは違い領民に高額の税負担を強いていた。そのため、金掘衆にも高額な納税をさせていた。
金堀は、当時の技術では安定はしていなかった年もあるわけで。
そのためにも、ある程度の掘り出されていた金の貯蓄をしていた。
事の発端は、この隠していた金貯蓄。
また時は戦国時代なため、他の戦国大名に侵略される恐れもあった。(勝頼時代)
ここに至って、今までの納税用貯蓄とは別の隠された金が必要になった。
また、当時の金は江戸時代のように貨幣としての利用価値はなく、もっぱら装飾用・
贈呈用の品に過ぎなかった面もある。(金の価値が上がるのは、江戸時代に貨幣として
利用されてから。)だから、当時金を隠したとしてもそんなに手の込んだ場所(深い穴の中
とか 謎めいた場所)には隠さないで、複数個所に分けて隠したのかなと思う。 戦国時代が終わって、江戸時代に。
江戸時代は、比較的安定した時代。こういう安定した時代には、
納税も安定してきた。そういう安定した時代には、大量の隠し金
はリスクがあるから、していないと思う。
統治している奉行集団の目をかいくぐって隠すのは、大量にはできない
と思う。 色々と、面白くなってきましたね。
やはり全国の色々な埋蔵金研究者の方々が、このサイトを見ているのは間違いないですね。
165さん、総体的な埋蔵金人口は少ないですが、逆に思っているほど少なくはないですよ。
過去に書き込んで、今は一切書き込んでいない方々も、必ず覗いていると思います。
今年は面白くなるといいですね。
ちなみに、「>>705 の下から2行目の意味」と「梅雪の埋蔵金」の存在が気になりますね。 この辺で、165さんの感想と今年の目標をお聞きしたいですね。 んじゃ少々
>>681
龍喰にはないのは同意見。理由は>>687のとおりです。
龍喰の沢筋だとハゲなんですが、沢筋だと龍喰と同じになってしまう。見つけた金山跡らしきものは、だいぶ山の中です。
あるもないも、龍喰自体根拠がないしね。
>>689
地蔵小坂はわからないですね。むかしはあったかもしれません。
秘文について
昨年は天候にも恵まれなかったので、今まで発見された宝の詳細を調べていました。
すべて、秘文、書き残はなく、口伝でした。
よくよく考えると、子々孫々あてではなく、子供や直近の血縁あての宝ですから口伝で良いわけです。
むしろ、秘文があるほうが不自然だと感じます。 次に
金山衆の古文書等を読み漁りましたが、金山を見分ける秘術はあるのですが、八卦つながるものはないですね。
金山衆は、納税していないです。さらに公用のための労役、業務は免除されていました。
その代わり、坑道(個人)から産出される金の3割を所場代として納めていました。
あくまでも所場代は、産出される金に応じてなので、産出が少なくなり食うや食わずになると免除されたりもしています。
体を悪くすれば休暇もあり、正月には代官から酒がふるまわれました。
文献を読んでも、金山衆は通行手形もなしで全国を行き来できるほど大事にされていました。
もし、金を隠すとすれば、バイト感覚の砂金取りのでしょう。
所場代は取られませんので、お小遣いにはなります。 歴史が歪曲されているのか、金山衆=徴用工というイメージになっているようですが、
公私ともにお互いを気遣い、和気あいあいと暮らしていました。
イメージは、アメリカのゴールドラッシュですよ。
佐渡金山で在任が働いたのも、金が出なくなって金山衆が移転した後に、未練がましく掘っていた時期ですからね。
特に戦国・江戸の時代の坑道は、個人限定です。
何人も入ってツルハシで掘っているのは、戦中の戦後の炭鉱ですよw
なので、黒川金山あたりの坑道が、ひとがひとりやっと入れるほどの穴なのです。
武田家時代の農民は日本三大貧困の一つで、甲斐国は、最貧だったことは間違いないですが、
金山衆は特権が与えれれています。 お風呂入っていました。
修二郎の埋蔵金に金山衆は関係ないと思います。
むしろ、管理していた側の埋蔵金ではないでしょうか。
修二郎が見つけたとされるものは棒金ですから、精錬後に加工されたもので、
管理する側が政変で隠したほうがシックリきます。
金山衆は、大家が変わるだけで、慌てていないことがうかがえます。
管理する側は、武田から徳川となると、身分の保証はないわけですから、
滅んだ武田から怒られることなく隠せたわけです。
となると、あのあたりには、一か所だけ怪しい地帯がありますので、今年はそこを訪ねてみたいと思っています。 お正月の記録を
旧冬、申し立ておいた職人共へ、神酒を下される。3ケ日のうち職人総休み。
右については、下された酒は、斗入り一樽、肴
暮れに藩主から無料給付されたもち米は一人、1日五合にあたり三日分
大工浪人国松の葬儀は、ただいま、相すみました。
このことにつき、おふくみに相成り、ありがたく仕合わせに申し上げます。
職人一同よりも心から御礼申し上げたき旨
葬式もやったし、体の不調を訴えればお休み、湯治も許可されている。
役人が、近所の温泉にしろと申し付けても、そこじゃ嫌だといって5日間の休暇をもらって遠くの温泉に行ってるw
安定していたのですよ。 そうそう。
甲斐の炭焼き金次郎の話は、明治5年あたりの口伝がありましたよ。
場所も特定できるほどでしたが、はやり全国シリーズですね。
期待薄ですが、屋敷跡もあったそうなので訪ねてみたいと思っています。
というわけで、お仕事が忙しいので、またしばらくお休みです。
皆さん頑張ってください。 これだから165は情報欲しがり屋だっていわれるんや、思うとこあるやろ? >>718
この世界、誰だって情報が欲しいから、むしろ正直でいいんじゃない。
但し、165さんを情報欲しがり屋さんとは思いませんけどね。
そしてなにより、情報の提供を含め165さん以上にこのサイトを
盛り上げている人はいないと思いますよ。
ある意味、彼のおかげでこのサイトを利用できている部分も多々有るとも思います。
新情報を誰もが欲しがっている状況です。
活動を終活して、情報等が埋もれている場合も数多くあると思ています。
今後の活動者のためにも、書き込める範囲で書き込んでくださることを期待します。
皆さんにとって、今年こそは… >>718
>これだから165は情報欲しがり屋だっていわれるんや
そんならオマエが165さん以上のネタ書き込みしてみろや!カス ネット時代を生きて来られた方の中には、ネット上にない事実は、調べて確認せずに、無視する、無かったことにする傾向があるようです。 今までも、上の方の書き込みを見ても
否定するにも根拠を書いているのは165さんだけですよね >>722
ほなら、松山城の戦いでも調べてみたらどうやろか?
これでわからん御仁には無理やで、諦めや >>726
アンタ、165さんの足元にも及ばんね
もうちょい頭捻って皆にわかるようにね
まぁ、その程度なら続き書かなくていいよ >>726
どこの松山城かな
伊予松山城、出羽松山城、武蔵松山城、陸奥松山城、上野松山城、日向松山城、大和松山城、豊前松山城、備中松山城 八卦さん、どこ行ったんだろ?
八卦と地蔵小坂の関係、もっと書き込んで欲しかったなあ。 近いレスから
八卦や八門遁甲ですが、埋蔵金伝説を調べていくと、なぜか畠山さんの説だけに登場する摩訶不思議な言葉です。
松山城ですが城好きではないので詳しくわかりませんが、どなたかよく調べた通り複数あります。
松山城といえば伊予(愛知県)松山城なのですが、江戸時代に作られたので戊辰戦争すらしていないようです。
戦争がなければ埋蔵金もないでしょうから、それを知ってて聞いたんでしょう。
幕府には金がなかったなどの都市伝説を鵜呑みにする方が多いですよね。
雪江の記録には、帳簿も金銭も1枚1文もなかったと書かれているからでしょうか。
方や、松平太郎が金座銀座から100万両を持ち出し、大鳥圭介に20万両前後を渡したなんてありますから、
都市伝説を信じるなら松平太郎の話も信じなければいけません。
まさに「ネット上にない事実は、調べて確認せずに、無視する、無かったことにする」クセはやめて、
コツコツいろいろな資料を深堀りしてほしいです。 私は、ここで皆さんと競争しているわけではありません。
皆さんと一緒に謎解きをしていこうと思っています。
黄金の家康像のように、事実と異なることが常識になるのを避けるため、違っているものは違うと、いつも直球勝負なのです。
上記の八卦の話のように、埋蔵金本からの話と埋蔵金本以外からの話が食い違うことはあると思います。
「じゃどこだ?」「記述に創作があるのか」と、疑って調べることが重要なのです。
>>687さんのように、実際に現地に行った人と、意見が合致することもあります。
様々なご意見、多ジャンルの知識をすり合わせて、埋蔵金を探しましょう。ね 修正
>>732
誤 江戸時代に作られたので戊辰戦争すらしていないようです。
正 江戸時代に作られたので戦争はしていません。戊辰戦争でも戦争はしていません。
戊辰戦争で思い出したけど
埼玉県の忍藩が、官軍から「お前んちの近所に幕府軍がいるじゃないか。ってことは官軍と戦うんか?あ?」と詰問されたので、
忍藩は、幕府軍に600両とワラジ千足を渡して、立ち去ってもらったって記録があるよ。
とすると、幕府軍は忍藩と同様にいろんなところで立退料をもらったりしてたかもね。
当然だけど、江戸城の金庫がカラだったら、官軍と戦争をしようなんて誰も考えないよね。 今年は、大河ドラマの「麒麟がくる」の影響で、明智光秀関係の書物や雑誌等
が実に多く出版されていて、各学者先生方も色々な解説をされています。
「埋蔵金」関係は、言うなれば歴史の裏側なので、それを言う先生方は皆無ですが、
しかし、しかし、「明智光秀」を語るなら、畠山著書「新・日本の埋蔵金」P201
「明智光秀・護法救民の宝」の見解を語らずして、明智光秀を語ってほしくないなあ。
表面だけが歴史ではなく、表面だけでは本当の歴史にはたどり着けないのになあ。
このサイトでも、以前に何人かが書き込んでいた気はしますが。 「八卦よーい」てわ分かる通り、八卦は鉱脈を探す手段(当時の認識では)であり、なおかつ安全を祈るおまじないでもあった。各地に海運の安全を祈願する神社があるのと同様。
地蔵は一種の本地垂迹で、事故で亡くなった金堀衆のお墓になってる。八卦信仰と五十六億七千年後に世界を平和にする地蔵の垂迹ね。金堀衆にとってとても大事なものであり、その風俗を知らない人には分かりにくい。そういうところを突いてるんですガ 掘ってる人は誰でも分かるけど、それ以外の人には判別できないってことでOK?それなら暗号みたいなものですね >>738
ちょっと違うけど似たようなもん。ヒントは武田金堀衆と石見の違いですガ @家族(縁者)の者にはわかるけど、他人にはわからない。「庭に…」や「〇〇木の下に…」
A和歌「朝日さす…」
B伝説(伝承)
@は、戸棚にお菓子がるから食べていいよ。と同じで、家族にはわかるが他人にはどの戸棚かがわからない。
Aは、事実に基いた創作。創作といえるのは、枕詞がほとんど同じ。
どっかの話を聞いてきた人が、地元や家族に話したときに内容が変化したもの。妖怪伝説と同じ。
B伝説は、〇〇さん家は、宝くじに当たったらしい。というウワサと同じ 類似する和歌や伝承は、昔話資料集(1975)昔話の伝承者の型を見ても
行商人や旅芸人がその土地の馴染みの家や木宿に泊まって各地の話を伝えた。
行商人などが持ち込む話なので、主人公の名前こそ違えど、内容がほぼ同じになっている。
例えば、皆さん大好き山梨県に伝わる「炭焼長者」だが、「延命長者」「炭焼き小五郎」と題名や主人公名こそ違えど、
出だしや物語の順序こそ違えど、内容はほぼ同じなのだ。 同資料集(全20巻)には、学があるものは疑って覚えず、無学なものほど覚えたと書いてある。
そこから私が推察するに。
無学なものには書き留めるすべがない時代なので、「朝日さす夕日かがやく…漆千杯、朱宣杯」など、印象的な部分が強く伝承されていると思う。
むしろ、この枕詞がない和歌や伝承のほうが有力だと思う。
心霊スポット愛好家が無学とは言わないが、根拠や歴史をしっかり調べず、ウワサだけでキャーキャー言っている。
余談だが、wikiのおいらん淵の由来と背景がものすごくいい加減だったので、私が書き直したw 明智 今やってますよね。
明智光秀の埋蔵金伝説には、いくつか和歌が残っています。
篠山市のHPから拾ってみましょう。
金山の 尾の尾の先の尾の先に 朝日照らす木のもとに 小判千両 有り明の月(追入地方)
夏栗の 尾の尾の先の尾の先に 黄金千両 有明の月(宮田地方)
朝日射す 夕日輝く花の木のもとに 黄金千両 細縄千ひろ(草山地方)
ね。出だしや物語の順序こそ違えど、内容はほぼ同じですね。
有明は、明け方の月を意味して、有明海ではありません。
3番目の歌には、有明の月が出てきませんが、その代わり朝日射すと明け方を示唆しています。 只今、1箱目から8箱目まで、見直し中!
過去箱には、色々な重要な書き込みもあり、又、色々な人も書き込んでたなぁ。
懐かしいなあ!
みんな、どこ行ったんだろ?
元気に研究、調査してるのかなあ? 冬場のみなさんは、野外活動ではなく机上の研究だろう。 >>745
このスレの住人ではないけど、ちょっと気になったので。
Wikipediaを読んだけどなんか書き方がここのスレの人たちの視点になってるような気がした。
本当のおいらん淵はどこかという内容が書かれてることはいいけど、
Wikipediaは今のおいらん淵という場所についての説明をするページなので
もう少し書き方を正確にするべきだと思った。
特に「花魁淵は現在の場所ではなく…」の部分。
なんか、埋蔵金はどこか!?を追求している人たちが、その勢いで書いたみたいになってる。
「実際に悲劇があったのは今のおいらん淵ではない」とか付け加えたりしたほうがいいかも。
まあ、みんな読解できると思うけど。
ちなみに、このスレ読んでないのに適当なこと言ったけど。笑 >>757さん
おいらん淵の概要はいじっていません。
今は、閉鎖されているけど、国道411号(青梅街道)旧道(現在は通行止)の書き出しのとおりです。
「由来と背景」については、正確な位置(藤尾橋周辺)と名前の由来(花魁淵)、伝説の背景(悲劇)を書いてあります。
「由来と背景」の中段の場所についての記述の最後に「このような調査、事実から、花魁淵は現在の場所ではなく藤尾橋の付近である。」とも書いておきましたけど見落としたのかな?
そもそも、心霊スポットとしてのおいらん淵って銚子の滝の俗称ですから、おいらん淵って名称自体創作に近いんです。 見る人の視点によって記述の違和感はあるとおもいます。
wikipediaであろうと、多くの人が目にするわけですから、ウソやウワサで項目を埋めるわけにはいきません。
青木ヶ原の樹海の項目も、俗説を否定する記述が書かれるような時代になっています。
特にソースを出して真実を書く 噂話は5ちゃんでw 『花魁淵』
55人の遊女を蔓でできた演台ごと落下させたと云うのが通説だけど。
単純に花魁の平均体重を着衣込みで、50kg/人✕55とすると2,750Kgです。
演台の吊り部を仮に6本と仮定すると一本あたりの耐荷重は2,750÷6=450kg。
周囲の木で450KG/本を支持できる樹木が断崖に存在したんでしょうか?
その他に「蔦演台そのものの荷重が加味された」訳だから、どうも通説は現実ではないのでは?
・・・っと、考えてます。 50kg/人✕55とは、
50kg/人掛ける55(人)ということです。
文字化けしちゃいましたね。 藤尾橋付近に行ったことがあるけど、とても55人纏めて演台吊るすスペースなんか無かったけどなぁ
確かに下流の丹波山村には「おいらんを祀るおいらん堂」なるものがあったけど、そうなると「花魁淵伝説」もウソではない? >>764
花魁淵が埋蔵金に結び付くのは「高橋修二郎の遺体発見の云われから」でしょうか。
花魁淵の近くで遺体が見付かったことから埋蔵金と結び付いたのでしょうか?
黒川千軒が金採掘のメインだったとしても花魁淵伝説がどうしても結び付くのが疑問なんです。
金鉱の秘匿のためなら演台など作らずに深夜に女郎連中を斬り捨てれば良いだけでは?
殺すのが目的なのにそんな手の掛かることをするでしょうか。 そんな逸話がない、ほらや、ちゅうことよ。たかはししゅーじろーも、おらへん。そらそうよ 花魁淵の件は、過去箱の3箱目、4箱目、及び8箱目等をよ〜く読むと解決するよ。
>>1 >>2 コロナ困ったね。
>>761さん >>763さん ですよねー
わざわざ舞台を作らず、たったっ切ればいいだけです。
柳沢川の川幅は広く、京都の鴨川のように川岸にやぐらを組んだ舞台ならわかるんですけどねー。
口封じをするなら、黒川金山出身の一ノ瀬の金山衆を生かしておくわけにはいきません。矛盾しているのです。
ただ、花魁淵伝説はあるので、何ら頭の事件はあったかもしれません。
危険な場所には妖怪伝説があると言ってきましたが、あのあたりも急峻な崖が多いし、
今でも滑落死する方がいることから、伝説を創ったのかもしれません。 ここの書き込みも一人で何役もこなしているからな。
みんなスルーしているけど。 >>765さん
花魁淵が埋蔵金に結び付くのは「高橋修二郎の遺体発見の云われから」です。
修二郎の遺体の発見場所はどのへんなのかを教えるため、青梅街道沿いの花魁淵と書いたまでで、
花魁淵から龍喰川と案内しています。
そのほかに花魁淵と埋蔵金を結びつける畠山説以外の文献はありません。
現在閉鎖された花魁淵と藤尾橋はさほど離れていませんから、畠山氏は宗教団体や管理者が移転させる前の
花魁淵のことを示唆していたのではないでしょうか。 前にも書いたので繰り返しになりますが、
今の青梅街道は昭和期のもので、柳沢川の左岸にありますが、明治期は右岸でした。
明治期は、藤尾橋を渡り左岸に出て落合に向かう順路ですから、
藤尾橋下が花魁淵というのはセンセーショナルで、まったく別の場所で花魁の幽霊ガー!とかと同じ自然発生の伝説だと思います。
肝試しスポットって、安全な場所にあるんですよ。だから安心してスポット化しているんですよね。
うちの近所に月に1回ぐらいは自殺者がでる踏切があるんですが、心霊スポットになっていませんw
また、心霊スポットも、いわくつき、伝説付きじゃないと流行らないんです。埋蔵金と似たとこがありますね。 >>768 八卦を研究して、「物」は出たかな?
>>770 果たして、そうかな?
武田関係は、ここの過去箱の熟読で、かなりの情報が得られますね!
但し、ピンポイント的な確実性の情報を得るには、何らかのアクションや行動が伴いますが。 静岡の某寺に存在するという、「某金遊録」一度でいいから見たいなあ。
多分、一度見ると二度、三度と虜になるとは思いますがね。
誰か、寺名だけでも教えてよ! よろしく、お願いします。 >>775
寺を回ったところで、「ハイ、うちの寺に有ります」とでも言うと思ってるのかな。
わからない事を尋ねるのが、この「5ちゃん」の良いところでしょうに。
せこせこせず、広〜〜〜い心で受け止めてよ。お願い!
ヒントです、ヒント! >>779
「ネットで見た。金遊録見せてください!」とでもいうのか、君は?
どうせそんなものはない。捏造だから。
簡単に探したければ静岡の教育委員会に片っ端から電話して聞いてみればいい。 名称は不明だが、何らかの書物は確実に存在するよ。
勉強、勉強。 左翼の言い訳そのまんま
証拠はないけど疑惑は深まった >>782
じゃ、詳細が分かっても君にだけは、言わないでおこうっと。
それと、寺名や内容が分かったところで、すぐに見つかるとも思えないがね。
単なる最初の一歩ですよ、最初の! 今年の探索は、新型コロナでどうなることやら。
春から先の、みんなの健闘を祈る。
色々と書き込んでね。 >>788
コロナなんざより熊や蛇、蜂の方が危ない
いけいけ飛雄馬 >>789
山で熊・マムシ・蜂、等々に出会う前に、「新型コロナ」にかかる方が
危ないですよ。
飛雄馬はコロナに勝てません。よろしく!
確かに山中の「お宝」が多いようですが、必ずしも山中だけでは有りませんよ。
熊・マムシ・蜂、に会わない場所も以外と多いかも。
やはり、今年の最大の敵は「新型コロナ」オンリーですよ。 >>794
薩長が占領するところに残しても仕方あるまい
能無しほど「だから暗号でー」などという 165みたいのは愉快犯だから。
M資金の詐欺と一緒。
もしあるなら函館。 隠されているらしい何百年の間に、八卦や遁甲を解析して見つかった例は有るのですか。
それとも、八卦や遁甲は何百年間も解析できないのですか。 結局具体的な話がなく解説もない
夢物語ばっかりだよね
八卦いうなら具体的に解説してよ
165の話を待ってるとしか思えない だから八卦が使えるのは金堀がらみに限った話。鉱脈探しに八卦が用いられたから。八卦は金堀衆の基礎知識だったから暗号にも使われた。
ほかの埋蔵金とは違う。 >>802
これは、例の山梨の埋蔵金(※某金遊録関係)の事を言っているのか?
それとも、山梨の武田関係の事を言っているのか?
だから八卦が、どう絡んでくるのですか?
書き込める範囲で、もう少し具体的に書き込んでもらえると解りやすいのですが。
よろしくお願いします。 >>803
録の話だ。
それと直接のつながりはないのだが、底流に流れる当時の前提の一端として高島嘉右衛門でも検索してみたらいい。
強調しておくが嘉右衛門を調べても高橋某のお宝には結び付かないからな。先行投資と思ってやってみな。 某なんとかは165が否定した
否定したものがあるんだったら
165みたいに具体的に書き込んでもらわないと
デマを流すのと同じだぞ >>804
「録の話だ。」と言う事は、少なくとも貴方は録の存在をご存じなのですか?
そうでないと >>805 と言われますが。 お願い!!!
「録」が本当に、有るか、無いか、だけでも教えてください。 赤城に徳川の埋蔵金、三百六十万両が埋まっていると、どこに書いているのですか。 >>797 〜>>810
こんな事書いてると、また何役もの自作自演と書き込まれますね。(大笑) バカ言ってんじゃないよ
ロマンで飯は食えまへん
所詮最終的には銭でっせぇぇぇ 「某録」は、某寺に必ず有るよ。
でも間違ってはいけないのは、某録を見たところで見つかるとは限らないがね。
むしろ、欲をかいて危険な山中に入ることのリスクを考えることだ。 165氏の仲間以外で、「埋蔵金発掘が趣味の人」机上研究や現地調査を行っている人は、
このスレに何人いるのだろう。 >>820
165は2万分の1地図みて妄想してるだけ コロナ、コロナ、コロナ、
待望の春だというのに、全世界がコロナの渦の中
どうしたものか、今年の探索は…
山の中には汚染はないが…
山に入るまでの行程が気になるが…
クソッ 今年は諦めるしかないのか… コロナ怖い能無しが引きこもってる間にミーがゲットしますから 924 名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 2020/03/27(金) 13:55:40.79 ID:Rg4XZUtf
俺はもうすぐ還暦、嫁は30代前半、がそんなことよりだ
手コキのヘルスを調べ倒し良さそうな店のサイトで
良さそうな10代の娘をチェックしまくってたら
「いい子、見つかった?」
後ろから嫁の声
振り返ると能面のような殺気だった嫁の顔があった
その後、えらいことになりかけた
若すぎる嫁もいろいろある
おまえらも気をつけろよ 165は自演バレバレなのに平然と書き込めるメンタルは見習うべき。 どれと、どれが自演なのかな?
今までにも何回か、このような書き込みが有りましたが、多分自演では無いと思いますよ。
何故そう思うのか知りたいなあ 自演なのか、自演では無いのか、
それがわからないようでは、到底埋蔵金なんて見つかりっこ無いし、それ以前の問題だよね。
果たして、真相は… スレをくれてやるレスからの復活には笑ったよ165さん笑
毎度毎度の的外れの考察も御苦労さん笑笑 全部ひとりの自演だよ、このスレのすべての書き込みは。
もちろんこの書き込みもね。 的外れの考査というなら
議論してみればいいのに
いないと強いな
ビックマウス君
草 そもそも「埋蔵金発掘が趣味の人」では無い者が、
大きな顔をして165氏を批判できるのかな。
決して彼を誉め上げる気はないが、事実としてスレの功労者、重鎮で有ることに間違いはないはずだ。
「5ちゃんねる」は十分理解するが、趣味人以外は進入禁止とは言わないが、
人を批判することなく黙って見ていたらいいのに。
趣味な人以外に、趣味の内容の何がわかると言うのかな。 >>836 ⇒ 良く効く頓服、出しときました。
帰りに薬局で、貰ってください。 このスレくれてやるのイタチの最後っ屁からの復帰には笑ったわ このスレも、終盤に入ってきました。
いずれの「10箱目」設立の検討をお願いします。 >>842
こらこら僕ちゃん
作ったら、また来るくせに
だから君は嫌われるんだよ、みんなに >>843
別に〜
ミーはミーで見つけるザマス
見つかる根拠ありーの、問題はどう現金化するかザマス >>845
ほら、僕ちゃん
やっぱり来てるじゃない
さっ、頓服、頓服、しっかり飲んでね。 >>847 ⇒元々誰のスレでもありません。
強いて言うならば、「埋蔵金発掘が趣味の人」達の共同のスレなのでは。
みんな仲良く、埋蔵金について思うことを語り合いましょう。 >>853 そこをもう少し詳しくです。
書ける範囲で、よろしくお願いします。 >>853 偶然出たのか、それとも探して出たのか? 出来れば何が出たのか? ・世間で言われてる場所ではない
・小判の類と砂金(大量ではない)
・独自の解釈で行き着いた
残りがまだあるのかないのか不明! いけない、sage忘れました!
『城内ではない』ですよ!
これ以上は今は書けないのでゴメンです 再確認したらミスってました
小判ではなく金の延べ棒?と砂金です!
知り合いがチョイ前に見付けたんです 色々と興味津々の書き込みありがとうございます。
内容はすべて気になりますが、856の「独自の解釈」が特に気になっています。
このスレで聞くのもなんですが、差し支えなければもう少し具体的に書いてもらえれば。
もう一つ、なぜ結城のお宝だと言えるのですか。
多分、このスレの性質上、「これは嘘だ」と言う方々もいるとは思いますが、
まだ嘘と決めつける内容ではなく、むしろ確実な内容だと思ってきています。
久しぶりに、このスレの面白さが楽しめそうです。
勿論、貴方の許せる範囲での書き込みを期待しています。
よろしくお願いします。 >>860
>なぜ結城のお宝だと言えるのですか。
見付けた友人も「結城城から」とは言ってなかったですから、
結城の埋蔵金とは言い難いかもしれません
しかし、城近くでの発掘発見でしたし近くに「結城以外の埋蔵金伝説」ないです >>861
早速の返信、ありがとうございます。
それと >>850で、「負の方で」と書かれていますが、決して「負」ではなく
「勝」だと思いますよ。それも「大勝」だと思っております。
※どうしても「独自の解釈」気になるのですが。まさか金光寺の山門の三種の和歌を
解読した結果なんて言わないでくださいよ。
「独自の解釈」と言う事は、探そうと思って探したわけですね。と言う事は、
やはり「結城のお宝」の一部発見、ですね。
書き込みは無理だと思いますが、次に気になるのは、やはり出てきた「量」ですよね。
とにもかくにも、これからのみんなの「力」になったように思いますよ。
うらやましいなあ。
、 ミーは「負の方」を書いた本人ザマスが、「負の方」は「負の方」ザマス 165さん、この辺りで一つ書き込みを。
よろしくお願いします。 お願い、
3箱目の406さん、4箱目の548さん、8箱目の807さん、
多分覗いていると思っています。
今一度、近況報告等の書き込みをよろしくお願いします。みんなに希望と力を! >>871
そんなに銭子がほしいか?育ちがいやしいな 掘り当てたものは
然るべきところに届けているの?
ネコババ?
いつもの妄想? >>874
届けられるわけないやろ、届けたら勝手に掘ってるんやからそもそも法令に触れるんやから
あほか >>874
掘れてみい、そいつをうまいこと処理せえへんと、かねにはならへん
かねにするんやったら、掘れたこと公にして、講演やらでかせぐしかあらへん >>874
地下ルートのマネロンもっとるなら別やで
そんなものあらしまへんが
あってもとーしろには無理や 165さんへ
多分今年の活動は無理ですが、「新型コロナ」が終息するであろう来年には、
大変申し訳ないのですが、165さんの主催で何らかの「お宝現地ツアー」(現地集合・現地解散)の
企画を考えてもらえませんか。何かがないと… よろしくお願いします。 ウイルス怖くてカネ見つけられへん
アホかいな
カネよカネ、世の中は >>102 と同じ?
箱も変わらぬうちから?テレワークで暇なのでしょうか。 ここは一部に有名な某氏による実に判り易い自演スレですから建設的な話を期待しても無駄ですよ。
考察内容も相変わらずトンチンカンな下の下な内容ですから。 自作自演がルーチンの某氏は以前から判り易い斜め上なことしか書き込みませんから笑
そろそろ引退したらどうですか???笑笑笑 >>888、>>889
「トンチンカンな下の下な内容」以下の内容ですね。
人を批判する以前に、それ以上の書き込みをお願いしますよ。
育ちが卑しいと誰かに言われますよ。 でかいこと言う奴の話を見てみたい
どうせ書かないんでしょ 草 真に「埋蔵金発掘が趣味の人」達にとっては、少ない書き込みでも、
今まで色々な書き込みが有ったこの箱に少しの安らぎや期待が持てていたと思っている。
だから、そういう人達の為にもこのスレの存続を願う。
世知辛い世の中、このスレは、有ることに意義がある。 >>892
>>893
結局はアンタも情報が欲しいんだろ? 165さんから
それならココ見なけりゃいいのに! 自演している本人は上手く立ち回っていると思っているところがウケるよねw 自演、自演とウルさい事。
誰かさんみたいに何も書き込まず他人を批判している人よりも、
たとえ自演であったとしても、楽しく読ませてもらっているよ。
知識がないと、なかなか書けないと思うよ。
こう書くと「知識がなくデタラメを書いている」と、又批判されそうだが、
なら、何でもいいから知識のある書き込みを一度お願いしますよ。 ↑ あえて言っておきますが、書き込みは一度でいいですよ、一度で。 短時間少人数で隠すには神社仏閣の類しかないよ。
その辺の土地になんかに隠すわけがないでしょ。
井戸や土の中からからなんかが出てきた?
アホだろ笑 庶民から武士まで戦火が近づくと財産を埋める文化があった
どうしたわけか埋めたことが忘れられる事例があり、それがたまたま見つかるだけ
秘文だの金の家康像でありかを示唆したり、幕府の埋蔵金などあり得ない
あるのは山下財宝のみだ ははは
実に面白い、
特に山下財宝と言った所に興味をそそられますね。
何故、今、山下財宝なのかな? 大型組織の埋蔵金がないのは先に触れた通り
山下財宝については軍票でフィリピンはじめアジア各国から金銀白金ダイヤなど莫大な財産をせしめている
内地に送る輸送手段も乏しく現地で使い途もない
戦後復興に備えて少なくともいまの価値で数十兆円が秘匿されているはず。ついでに山下奉文は戦犯として口を塞がれているのも大きい
あとはマッカーサーがどこまで見つけられたか 少し質問です。当然、書き込める範囲で結構です。よろしくお願いします。
➀「有る」と思われる根拠は?
A埋蔵候補地は、国内ですか、それとも有名なフィリピン方面ですか?
B江戸より前(江戸時代は含みます)の埋蔵金には興味はないのですか?
C興味がないとすれば、何故?
D可能性として、見つかると思っていますか? >>906
山下財宝がいまも存在するなら比国国内以外にあり得ません。なぜなら海上輸送網を米軍の無制限潜水戦で破壊され、輸送手段を失ったからです
日本軍は大陸でも軍票を使って財を集めましたが、こちらは各種日本特務機関、ないしは中共にあらかた回収されています
比国はマッカーサー父の代からマッカーサー王国でした。その莫大な財を回収し、国家再建に使うこともできず、隠匿されています
問題はマッカーサーがどこまで取り戻したか。ですがマッカーサーは狙っていた大統領選立候補を逃すあたり、失敗した蓋然性が高いのです
他の質問ですが、先に触れています。豪商がさまざまな理由で埋めた日本国内の「埋蔵金」は今後も少なからず見つかるでしょう
しかし、幕府や大名が埋めたものが見つかることは未来永劫、ないと存じます
敵方に奪われる土地に埋める必要性がないからです
その表裏として特殊性のある比国には現存する可能性が比較的、あるのです 加えるならば、こうした植民地からの財や軍需物資の「密輸」は一部で動きがありました。阿波丸事件が参考になります
しかしこれはシンガポールからなのです、そこをご注意を >>907、>>908
早速の返信書き込み、ありがとうございます。
最近、これと言った書き込みが無かったため、
今までにない山下財宝に関する書き込みに感謝します。
多分、趣味の人たちは興味津々で見ていると思います。
質問質問で、申し訳ないのですが、
貴方は、比国に行って現地での探索を実際にしているのですか?
比国には、嘘か誠か私にはわかりませんが、「財宝秘図」なる物が多種類存在すると
以前に色々な書籍で読んだり見たりしたことは有るのですが。
貴方の書き込み内容から想像して、貴方もかなりの研究者と想像しますが、
今一つ疑問なのが、>>907 の下から三行目で、断定しておられる「未来永劫ない」と言う言葉です。
国内の埋蔵金伝説には、上記の内容により興味が無いとすれば、何故それほど強く断定できるのか?
何故なら、貴方が言われることが本当とするのならば、
今までこのスレでの書き込みは、ほぼ全てが「無」と言う事になるからです。
貴方は国内を研究したことは無いのですか?
今少し、貴方の国内の埋蔵金に対する所見を述べてもらえると、ありがたいのですが。
それと、比国について私見で結構ですが、発見の可能性は?
よろしくお願いします。 上記の続きで、
>>901、>>903 で、超伝説の「徳川埋蔵金(赤城)」を私見ながら、
完全否定しているところに、ある意味「男気」を感じるのは私だけかな。
しかし、赤城かどうかは別として、
私はいくらかの徳川埋蔵金は、この国内(赤城以外の場所)に存在するとは思っています。
但し、その「男気」をもう少し述べてもらえると、ありがたいと言う事です。 自粛、自粛のこんな時こそ、このスレの書き込みは楽しみですね。
それにしてもコロナは、いつ終息の目途がつくのか、暗い話ばかりだ。 私は比国で探索はしておりません。わずかながら、人生に困らない蓄えはあるからです。また、見つけたとしてその財宝をロンダリングする術を持っていないですので。足るを知る、ですね
信憑性のある「財宝秘図」なるものも知りません。詐欺の題材となるM資金絡みなら心当たりはありますが
山下財宝については、いくら紙幣ではない財とはいえ、かなりの分量だったと存じます。「それを軍に運搬させたはずなのになぜ、漏れない?」と私も思います
当然、それなりの軍、もしくは軍属がかかわったことでしょう
その疑問への答えは実は簡単なのです。「これは条約違反の化学弾である。隠蔽せねばならない。この搬送にかかわっていたと知れれば貴様たちの身も危ない」。こんなやりとりがあったはずです
同様な事例は中国大陸でもありました、ぜひ調べてみていただきたい
ただ、私がいまいちわからないのはマッカーサーが比国に再上陸した際、どこまで回収したかです。ここはマッカーサー元帥の野望が途切れたことのみしか、私の中で状況証拠がないところです
日本国内事例については、現状で確認されている「埋蔵金」事例が戦災逃れで一時的に埋めたものが忘れられた、というケースが極めて多いことです
つまり、そういった層は平和が回復されればまた、ある程度蓄財できる層なんですね。もちろん中には没落した家もあるのでしょうが。いずれにせよ、さしたる額ではありません
武士階級は基本的に土地からの利益です。たとえば江戸幕府末期の金欠状態で(もちろんかなりの額はあったでしょうが)戦(いくさ)周りの金に回さず、埋めますかね?
もっといえば埋めたとして、神君家康公の金の像を埋めて証としますか?
当時の幕府軍(といえないようなもの)の動きを考えるべきですね >>912 書き込み、感謝いたします。
疑問が少し、
上記の書き込み内容を考察してですが、貴方自身が比国(埋宝現地)での探索をされていないのに、
当時の状況等の調査等々を詳細にできる因子はなんですか?
当時を知るご年配の方々と何らかの関係状態に有るのかな?
そして、このスレも設立されて数年が経とうとしています。
今までにも書き込める事が出来るのに、何故、書き込むのが今の時期なのですか?
一番の謎として、今まで、このスレで皆無の書き込み内容であった、何故、「山下財宝」の書き込みなのですか?
質問ばかりで、申し訳ないのですが、よろしくお願いします。 >>913
箇条書きでお答えします。
@調査できる因子
これについては、かなりなうぬぼれですが、あえていうなら「アームチェア・ディテクティブ」の手法です。公表されている資料から類推できることはあまたあります。世界の諜報機関の情報収集手段の8割程度はこれです。さして難しいことではありません。
Aなぜいま書くか
さしたる理由はありません。私もこんな過疎スレ(失礼)をのぞく以上、好き者なのです。このご時世で暇なので書いてみるかと思ったまで。ここが国内「埋蔵金」の話題だけというなら、スレ違いなので謝ります。
Bなぜ、山下財宝なのか
これはAと同じです。そして以前にも書いたとおり、日本国内で有望、もしくは書物等に記載された「埋蔵金」が出てくることはないと考えているからです。165さんですか。あの方が必死に研究されていることはうかがえますが、望みはありません。申し訳ないと存じますが。
最近では海洋考古学なども進化しています。そちらの方がよほど「財」を見つけ出す蓋然性が高いと思うのです。この場合の「財」は金銀も含まれますが、歴史的に貴重なものも含まれます。
そういう意味で日本国内にもホープフルな場所はあるのですけれども、今は言及したくはありません。一部触れるとすれば、中部地方です。 書き込みありがとうございます。
日本には純国産はなく、有るとすれば大戦中の物か、それとも沈没船関係か。
確かに伝説の埋蔵金が見つかった例は無かったと思っていますが、
私としては多少なりとも自己研究している身なので、日本全土を掘ってみるまでは
見つかる可能性は「0」では無いと、微かな希望を持っているのですが。
それと私自身は、このスレは国内に関わらず全世界的に埋蔵金及びお宝に関する情報なら
何でも書き込めるスレと理解していますが。
要するに、あらゆる「お宝」関係を書き込んで下さい的なスレだと私自身は理解させてもらっています。
こういう時です今後も書き込める範囲での書き込みをよろしくお願いします。
このスレの方々は、お宝の話なら何でも興味津々で見ていると思いますよ。 失礼ながらのあえての質問です。
「日本国内にもホープフルな場所は…」をもう少しだけ詳しく述べてもらえれば幸いです
特に種類(何が)です。よろしくお願いします >>919
日本国内で「埋蔵金」が見つかる確率は、それはなくはないでしょう。ただ、極めて絶望的とみてよいと考えます。とくに徳川埋蔵金の場合、幕府の物資や資料はきれいに接収されています。これは麗しい伝統でもあります。赤穂藩などが参考になり得ますね。
私が「ホープフル」と考えるのは岐阜県です。このスレをのぞくような人なら分かると思います。 書き込みありがとうございました。
まさか、「帰雲城」関係では…
世の中が、このような時期です。
これからも書き込める範囲での書き込みをよろしくお願いします。 何をそんなに困っているんだい。
当たるも「八卦」
当たらぬも「八卦」
信じる者こそ救われる。 南無阿弥陀仏!
そもそも八卦でわかるようなら、占い師の先生方は今頃大金持ちになっているよ。 10万円より埋蔵金法(土地所有者と発見者が折半)を施行してほしい >>931
当分出そうもないので何の心配もご無用です。 wとか草とか
嫌だったら来なければいいのに
それこそwで草なことが、わからないのかなあ。 結局、他力本願寺なんですよ!
いつかの「日向」のようにね 全てのスレについて、嫌なら見ないことをお勧めします。 こういう時です。
165さん何か面白い話無いですかね。 おいおい、困ったときの165頼みか?
散々煽って虫が良すぎないか?
165の気持ちも、ちったぁ考えなよ 資料等根拠がないと想像でしかない。
>資料はきれいに接収されています。
資料や根拠は?
165さんと大きな違いだし超えられない壁
所詮妄想 草 この前の結城がどうなったか気になりますね。
話自体が実話なのでしょうか。 誰かさんって的外れの大王なのになんでこんなにチヤホヤされてんの? >>950
「的外れの大王」以上の書き込みって有ったっけ?(但し、私的には何人かは居ましたが)
実際に現地に行って経験している人でないと「埋蔵金発掘が趣味の人」の真実はわからないと思いますよ。
趣味の人が私感的に書くのには何ら抵抗は有りませんが、趣味でもない人が批判的に書くのは如何なものかな。 >>952
それは真実です。
ちょっと考えてほしいんですが、幕末に焦って隠そうとするときに銅板つくったり黄金の神君埋めますか?
あなたが逃げなきゃいけない幕臣だったとして考えればすぐ分かるでしょう。 徳川に関して言えば、隠した時期は通説の「幕末」とは限らない。
計画的に隠したとしたら…
それと埋蔵金は徳川関係だけではない。
銀行も何もない時代に将来的な資金として、計画的に隠していたら焦って隠すことは無い。
気になさらずに単なる独り言です。 「銅板」や「黄金の神君像」を全く根拠にしてなく、研究調査しているとしたら…
あっ、気になさらずに単なる独り言です。 >>954
もうちょっと歴史を知ろうね。日本は世界ではじめて先物取引を行った国だぞ。
いまでは金融後進国だが(少し復権気味)。 歴史の正史(表面)ばっかり知っててもねぇ。
こういう時こそ、過去箱を1箱から読み直す「読書」をお勧めします。
要するに有るか無いかの見極めです。
有るにせよ無いにせよ信じる者こそ救われる。 誰か書いてよ
私は無理ですよ
だってネタが無いもの
ネタも無い者が恥ずかしくて草・草なんて偉そうに書き込めませんよ
ねぇ草さん よろしく 対案もないのに批判だけ
パヨパヨチーンと同じ草
書くやつがいると思えばフィリピンに行ったことないのに山下財宝草
八卦をかけない八卦草草
知的レベルをうたがっちゃうわ草
主の帰りを待つのみコロナとか? 結城、動きあったね。ステイホームとインフレ懸念の流れに乗じてうまくやってる >>972
えぇ、こういう時に面白い。発見は本物か?
出来ればもう少し詳しくお願いします。
山下財宝の方は結城の件をどう見てるかな? 感謝、感謝、感謝!
また、これでしばらく楽しめます。
ありがとうございました。 165さん、コロナが終息して落ち着けば一度タッグを組みませんか?
来年秋を目安に色々と調査候補は考えていますが、当然候補地は関東方面です。
また連絡します。(※多分見ていると想定しています) 真偽のほどは私にはわかりませんが、何かが結城であったと埋蔵金に対して希望を抱いています。
5ちゃんねるでも真実は真実、希望は希望で楽しみたいと思います。 クソッ
コロナがなければ今頃は、山梨へ調査に行っていたのになあ
どうしても行きたいところが有るのになあ
やはり梅雪は下部方面か、確認しに行きたいなあ そうです、最低でも今年一杯です。
何故かと言うと、コロナに対して今年中に終息するという根拠が今のところ全く見つからない。
よって机上の研究にはある意味最適な時期ですが、現地調査には最悪な時期です。
今年一年間十分な充電をして、次のステップに各自で万全に備えるのがベストだと思います。
苦あれば楽ありです。 >>986
楽あれば苦あり
埋蔵金探索促進法の制定が先決 >>987
制定に向け国への働きかけを是非お願いします。 >>990
選挙資金は心配いりません。
某山中にたっぷり有りますから。 9箱目を埋めるため、単なる雑学として少し書き込みます。真贋は各自で
朝倉義影の埋宝
福井県 東新町一乗谷、殿上山一乗滝
織田信長に滅ぼされた節、財宝を「あんぐり岩」と「一乗滝上」に埋める。
大まかな資料としては、福井藩に伝わる福井藩主松平春岳の記事。
伝承によると「あんぐり岩」に金子1200枚(3200枚とも言う)
朱1000杯を埋める。
一乗滝上に朱1000杯と家宝を埋める。
朝倉家の資料にも財宝を埋めたとある。 三重県志摩郡磯部町沓掛
黄金の釜を納めた小金岩と金鶏二羽を納めた二羽岩がある。
※地域名等は、合併のため名称変更されている場合有り。 高遠町金剛山峰山寺の埋宝
峰山寺の鳥居家墓所にある石碑に刻字された碑文
石碑は高遠の城主であった鳥居忠春の墓台の北東隅に設けられている。 このスレッドは1000を超えました。
新しいスレッドを立ててください。
life time: 772日 17時間 26分 41秒 5ちゃんねるの運営はプレミアム会員の皆さまに支えられています。
運営にご協力お願いいたします。
───────────────────
《プレミアム会員の主な特典》
★ 5ちゃんねる専用ブラウザからの広告除去
★ 5ちゃんねるの過去ログを取得
★ 書き込み規制の緩和
───────────────────
会員登録には個人情報は一切必要ありません。
月300円から匿名でご購入いただけます。
▼ プレミアム会員登録はこちら ▼
https://premium.5ch.net/
▼ 浪人ログインはこちら ▼
https://login.5ch.net/login.php レス数が1000を超えています。これ以上書き込みはできません。