なんで昔は世界の強豪馬がジャパンカップに集結したの?
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まあ金だよな
もう10億単位でいかないと
香港には勝てんだろ そのうち
中国がとんでもない競馬場つくるだろうな
橋を渡って走るコースとか
世界一決定戦になるよ >>138
今年の香港やドバイで4才日本馬は恥を晒してきたが? >>172
正直逆なんだよ
昔のまだ日本競馬の世界における地位が低かった時代はそういう輩にも媚び諂う必要があったが
現代はそのレベルの金だけ持ってる俗人やその持ち馬なら別に来て頂かなくて結構ってのが日本の立場
それでショボい外国馬しか来なくても、もっと言えば外国馬が1頭も来なくてもJRAは何も困らない
多少面子は潰れるかもしれないが別に面子で飯を食ってる訳でもないしな >>178
毎年勝たないと恥を晒した事になるなら欧州馬なんて恥晒しまくりなんだが
それともそれ日本馬だけの特別なハードルなの? >>157相対的じゃなくて絶対的な意味では出走馬の質はターフのが高いよ
1800をワンペースで走れる馬は腐るほどいるけど、2400をワンペースで走れる馬はもはや世界にほとんどいないからな
チンタラ走るのが上手いからスタミナないけど2400走らされてますって馬がほとんど
メイダンになってからターフは今年や2015,2014,2012とかかなりハイレベルな流れになることが多いけど、シーマはハイレベルな時計だったことなんて2011年の一回のみ 海外の有力馬が来日しなくなったのはアメリカでブリーダーズカップが始まって、アメリカ馬はそちらを優先するようになったのと、日本馬が凱旋門賞で勝てないように、欧州馬も日本では勝てないからだろうね 2000年代に入って外国馬が連対すら出来なくなった約20年間で、唯一2002年だけが外国馬にワンツーフィニッシュを決められている。
それも日本馬9頭中7頭がG1馬という最上級の面子にも関わらずだ。
これが何を意味しているかわかるなら、外国馬がジャパンカップを勝てない理由というのも自ずとわかるだろう。 >>177
立体交差とか言わないと凄そうじゃ無いぞ。橋って言うなら浦和のコースは一部は橋だし。 >>177
ドイツの途中で池を泳ぐレースに比べたら橋なんて子供の遊びみたいなものだろ >>72
90年代前半までは普通に昼に水撒いてたからなw
時計は普通の良より当然タイム掛かってた なんかのGTで重馬場が得意な馬に勝たせるために必要以上に水を撒きまくったのあったな >>186
90年代前半JCは当時としてはなかなかの高速馬場じゃん
水撒いたのは97〜00だろ
96年に負けたエリシオの陣営から馬場が堅すぎるって苦情がきたとかそんなんじゃなかったっけ 日本馬が強くなったんじゃなくて日本馬しか勝てない馬場になった 東京の2400には欧州の1600−2000で活躍してる馬が向いてる。
これが、まだ欧州の競馬人には分かってないのでは? (´・ω・`)ローラーかけてカッチカチのコンクリート馬場って揶揄されるようになりました
(´・ω・`)パート1国での話です 80年代後半から90年代前半にエピファネイアがいたら超絶無双してた >>192
ローラーかけてカッチカチのコンクリート馬場だった80年台後半〜90年代前半はパートII国だったけどな >>187
実際に当時G1を5勝し前走でも単勝1.6倍に応えて圧勝していたゴールドシップは、天皇賞・春ではまさかの2番人気。
1番人気は高速馬場が得意なダービー馬キズナに譲った。
ところがレースが終わってみればゴールドシップが快勝。
この時はスターホースがついに苦手課題を克服したものだと思い、皆が大きな祝福を送った。
しかし、レース後に数々の騎手から直前に「芝に散水があった」とのコメントが寄せられたことで状況は一変。
当時のファンやメディアの間では「JRAが散水し芝のコンディションが変化したおかげで、ゴールドシップが勝てたのではないか」という見解が圧倒的多数を占めたのだ。
その後、この騒動は後にデイリースポーツがJRAの馬場造園課に直撃取材するまでに発展。
最終的に「改善に取り組んでいきたい」という言葉を引き出して、一応の決着がついた。
https://biz-journal.jp/i/amp/gj/2016/03/post_142_3.html レベルの高いシーマでは欧州馬になかなか勝てないのが現実
欧州馬有利?とかただの言い訳、嫌なら出なけりゃいいだけ
2年連続で連体したジェンティルは立派けどね
日本馬は強くなったけど欧州馬が築いてきた地位にはまだまだほど遠い そもそも国毎でなく欧州馬とか一纏めにしてる時点で情けない >>193
そんなこたぁない。
せいぜい90年代の名馬に紛れてそこそこG1勝てる程度だよ。
2014年のJCのパフォ見て言ってるんだろうが、あれくらいの馬場であれぐらいのペースで走れる馬は90年代ならゴロゴロいる。
逆に90年代の名馬達が今の時代にいたらエピファネイアみたいな成績になってただろうな。
ペースが遅いのに引っ張り倒してディープ産駒やキンカメ産駒にキレ負け。 エピファネイアのJC
もし杉本アナが実況してたら、こう言う?
「やっぱり この馬は強かったのか!」 メジロマックイーン、トウカイテイオー、ミホノブルボン、ナリタブライアンなどは重馬場を苦にしなかった
ビワハヤヒデも稍重の京都記念の圧勝や時計が掛かる阪神での神戸新聞杯での勝ちっぷりから重馬場は大丈夫だろう
重だったオールカマーの時はすでに脚を痛めていたようだが脚に問題がなければウイニングをもっと千切っていた可能性もある >>201
90年代はトップ層が薄くて突出した馬が少なかったから「どんな馬場でも強い」扱いされてたんじゃないかと思うけどな。
(懐古厨に配慮して)トップ中のトップのレベルは昔と比べて上がったとは言わなくとも
層が厚くなってるから多少の適性の差や展開のアヤで勝ち馬がコロコロ変わる。
昔と比べて出走回数が減ったのも1レースごとにしっかり仕上げ切らないと勝ちきれないから。
極端な例だとは思うけど、今レイデオロが準オープンクラスの馬とだけ走ってりゃ
馬場がどんなに荒れようが高速だろうがドスローだろうがハイペースだろうが連闘だろうが勝つだろう。 今の馬が勝ち馬がコロコロ変わるのは層が厚いからじゃなくてスローの折り合い合戦ばかりしてるからだと思うけどな。
こないだの菊花賞なんて10回やったら10回勝ち馬変わるだろ。
層が厚いからとは思わん。 オセアニアの馬が上位人気にできた理由が知りたい、それで好走するベタールースンアップやナチュラリズムみたいな馬がいたわけで
情報だって限られていただろうに、なんで他地域との比較も含めて実力を適切に評価できたんだろう >>203
レイデオロにルメールが乗り続けてたらそうかもしれないが、田辺や戸崎が乗ってたら準オープンでもたまにウインテンダネスやムイトオブリガードみたいな馬に逃げ切られるよ。 第3回JCのマクギンティは騎手の糞騎乗がなければ実質勝っていたとも言われたし、
第5回のウェイバリースターも外国馬最上位に来た。
オセアニアの馬場は日本のように速く、馬はベストな能力を発揮できる
ということがファンや関係者に徐々に浸透していった。
ベタールースンアップの頃には自分は絶対この馬が勝つと思っていた。 間違えた、ルドルフの時はザフィルバートだった。
オセアニアの1流半の馬。 当時はオーストラリアやニュージーランドは日本より完全に格上で
日本馬弱い割に賞金がめっちゃ高かったから
外交交渉の度に外国馬の出走制限を緩和しろってしつこく言ってきてたな
今は出れるのに来ないし、日本のG1未満を買い漁るようになったな おかしいのが向こうの実績馬が来て
負けてんのにそれを買おうと思った奴
が居て産駒はそこそこ日本で走ったこと。
トニービンはかなり当りだったが。
俺は買い取り前提でJRAが営業かけて
来てもらってたと思う。 オーストラリアは今でも日本より断然格上でしょ。
現代の馬の強さは互角でも歴史が違う。
日本からはまだファーラップやカーバインやブラックキャビアのような伝説的な
スーパースターホースは生まれていない。 豪はゴールデンスリッパーが出来てより短距離重視にシフトして競馬が変わったんだよ
80年代始めははやっと海外競馬の情報がマニアの手によって入り始めた時期。それまで海外競馬の事なんて日本人は殆ど知らなかったんだからね ダビスタ世代の人たちが海外競馬に憧れて、ちょっとずつ海外の情報を仕入れてきて今があるんだよ
よく考えてごらんよ、サドラーズウェルズ、ダンチヒ、ヌレイエフ…こんなの海外の競馬を知らなきゃ作れないもんね
今は隔世の感があるが、かの時代のマニアに感謝しないとね >>213
豪ゴールデンスリッパーは1957年創設なんだけどなぁ
つまり1950年代〜60年代くらいに短距離重視にシフトしたって事で良いのか?
イメージより随分早いんだな >>211
トニービンはJC来る前に既に社台が購入済みだったんだけどJRAは誰に営業かけたんだ?善哉? 知ったかを指摘されたら揚げ足取りとかこれは恥ずかしい 揚げ足取りじゃないの
ゴールデンスリッパーが出来てって書いたけどまさかね
1957年を連想する奴はいないよ ゴールデンスリッパーの創設期からスターキングダムとその子孫が猛威を振るって
オーストラリアで大勢力を築いてたんだから少なくとも1950年代から短距離重視だったんだろ 2歳最高賞金G1になってからでしょ
流石に草生える 知ったかの言い訳が見苦しいな
歴史も経緯も大して知りもしないくせに何で適当な事を言ってるんだ?
もしかして他の人間は知らないとでも思ってたの? 創設当初で賞金総額10000ポンド、1着賞金6000ポンドだろ?
当時のレートだと1着賞金600万円以上、同年の朝日杯の1着賞金が75万円だからな
1957年の時点で既に2歳の世界最高賞金なんじゃね?
ID:fLJLa5w40は知ったかじゃないならその辺どういう認識なん? で、2歳最高賞金G1になったのは具体的にいつなの?
知ったかちゃんは当然答えられるんだよね? ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています