90〜95年をリアルタイムで体験した人教えて!
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90 アイネスフウジン 大中野コール
91 トウカイテイオー 無敗二冠
92 ミホノブルボン 無敗二冠
93 三強対決
94 ナリタブライアン 無敗三冠
95 サンデーサイレンス旋風
羨まし過ぎる。
毎年毎年競馬が面白かっただろうな。 おいおいマックイーンとライスシャワーに触れないのか? クラシックだけでもこの盛り上がり
さらに、オグリやマックイーン、トップガンもいたんだろ?
凄すぎるよ ブライアンは無敗じゃないよ
2歳時(当時でいうところの3歳)はよく負けてたし
この頃あたりからかな、シャドーロールのような馬具に注目が集まり出したのは >>3
マックイーン
武豊がファンに鞭投げ入れるも失格。
とか現地にいたわ
有馬記念
メジロデュレン−ユーワジェームスの頭文字取って夢馬券とか。これは88年か。
ちなみにマックイーンはデュレンの半弟 1992年世代のクラシックってサンデー初年度だけど面白く無さそうな気がするが
ダンスパートナーとトップガンくらいだろ >>15
弥生賞のフジキセキにはワクワク感があっただろ 初めて競馬場行ったのがナリタブライアンの菊花賞だったけど、凄まじい観客の数だったな
スポーツ新聞の予想にエアダブリンーヤシマソブリンのリンリン馬券が来るなんて書いてあったのをいまだに覚えてる
95年は京都競馬場での桜花賞なんてのも見られたなあ >>15
1995年の牝馬クラシックはライデンリーダーだろ
本番では通用しなかったが一番盛り上げたのは間違いない アラブ競馬の最後の盛り上がりについて教えて欲しいわ、トチノミネフジの強さとか 面白かったのは
タイキシャトル サイレンススズカ メジロブライト
エルコンドルパサー グラスワンダー スペシャルウィーク
が現役だった時代 バンブーメモリーもいたよ
オグリと一緒にMC-JC連闘したのに、JCは完全に空気だった。 当時らしい話題って意味ではオグリローマンも
メインというよりサイドストーリー的な存在だけど 確かに面白かったけど、93年の3強対決ってのはクラッシック戦線のことか?
当時はこんな風に煽ってなかったけどなぁ〜ビワハヤヒデの安定感は秀逸で
秋天でレース後にパンクして馬運車に乗る時のビワハヤヒデの姿は見たくない光景だった。 >>23
それつまらなくなり始めた頃だろ
藤沢っていう観客にとってつまらない競馬にしたクソ調教師が頭角を現しだした ハヤヒデはパドックでよくうんこしてた。なんでハヤヒデだけ切ってた ハヤヒデはパドックでよくうんこしてた。なんでハヤヒデだけ切ってた >>16
早じかけを残した柴田政人のダービーの意地を感じたよね!ビワ岡部とナリタ豊にの三強も良かったしガレオン、マイシンザン、シクレノンシェリフの脇役も良かったな。 ネット(競馬板)が競馬コンテンツ潰した事がよくわかる話 ブルボン、ハヤヒデからそろそろ三冠馬が出そうというか三冠馬がみてみたいって雰囲気 ダイユウサク級の衝撃は、その後の有馬で経験したことないな。
あと、ブライアンートップガンの阪神大賞典。 トウカイテイオーが若葉ステークスで中山へ来るまでミステリアスな存在だった
関西のレース映像まったく見れなかったんよな ブライアンが出てくるまではオグリ基地が今のディープ基地並みにうるさかったしウザかった
強い馬が出るたびに勝った訳でもないJCのレコード持ち出してウダウダ言い始めてたわ >>36
関東も刺客はいただろ
ライスシャワーとかさ シンザン記念がこんなに出世レースになるとは思わなかった 97年3強の春天が1番ワクワクしたな
正直俺の中ではオワコン扱いだったトップガンがまさかね 全部冠付きの個人馬主の馬だな
フランス語とかキモい名前のクラブ馬とか一頭もいないじゃん この時期は毎年、燻し銀の悲願のダービージョッキー誕生で毎年盛り上がった
90アイネス中野
91テイオー安田
92ブルボン小島
93チケット柴田
94ブライアン南井 >>39
テイオーが大阪杯勝った時
「マックイーンよ見ているか。トウカイテイオー復活したぞ〜」ってのがあったな まさに、トウケイニセイが駆け抜けた5年ではないか。 >>40
違うよ
すみれSや若草Sの勝馬がダービーでよく知らないけど強いらしいと穴人気することだよ
大概は秘密にしておけばよかったと言われ唯一炸裂したのがフサイチコンコルド どちらかと言えば関東の刺客はライスの渾名のイメージという意味でね この頃はJCが一番興奮した
仏英独は勿論今は亡きイタリアからも来てたしアメリカやカナダの北米(騎手は南米もいたっけ?)、豪州やNZの南半球からも最強馬の触れ込みで来てた
レース始まる一週間週刊のブックやギャロップ、大スポまで買って読んでた
ほんま楽しかったなあ タイキブリザードのあのかっこいいフォームを知らない世代 JRAのCMがまともだったのもこの頃まで
キムタクの踊るあたりからめっきり劣化した ナイスネイチャーしぶかったな、レガシーワールドとかメジロパーマー、ツインターボ、ユキノビジンとか好きだったわ、イクノディクタス、オースミロッチ、ヌエボトウショウ
トウショウがまだ結構いたんだよな トウショウファルコが好きで競馬見るようになったんだわ サンデーサイレンスは小粒揃いだったから大して盛り上がらなかったよ
繁殖集中させた新種牡馬がクラシック席巻するのはトニービンブライアンズタイムと続いて三番煎じだったし
二年目の四天王揃うくらいから徐々にほんとにやべーなってなってきてた フェブラリーがまだ重賞じゃなくて、重賞になった頃にはミスタートウジンがピーク過ぎた感じでちょっと悔しかった。ナリタハヤブサとかカリブソングとかダイカツジョンヌとか懐かしいな
独りで沢山書き込んですまんかった。有り難う >>51
そうだ。
JCがJCとしての機能を果たしていた時代。日本馬が勝つなんて想像出来なかった時代。
まさかトウカイテイオーが凱旋門賞馬に勝てるとは思わなかった。 関西の秘密兵器
ラグビーボール、や
シンチェスト
ロングシンホニー
メルシーアトラとか
チョットマニアックでは
ランスオブスリルとか
そんな世代
おもろかったなぁ 初めて生で見たダービーがミホノブルボンの年。
雨が降ったらライスシャワーは怖いってレース後に新聞に書いてあったのに気づいた思い出。 >>58
んなことねーだろ。
初年度から本命のフジキセキが消えたと思ったら、皐月ダービーと牡馬クラシック占めたんだから。 >>55
中井時任真田からの本木鶴田は良かったなぁ 関西の秘密兵器はフサイチコンコルド、シルクジャスティスと2年連続で来て言葉自体が廃れた感 福島のきんもくせい特別でナリタブライアンを見たけど、まさか三冠馬になるとは思ってなかった。
素質馬が秋枯れの福島に来ると思ってなかったからね。 ホクトヘリオスに対して冷たいな
東京新聞杯カッティングエッジ1本かぶりからの最後方一気 私はヤクルトファンだが、その年代が一番ヤクルト強かったわ オールカマーのツインターボやビワチケ
スワンSのバクシンオーとノースフライト
古馬の前哨戦にも見所があった
今の競馬には無いね
牧場で仕上げてぶっつけだから >>59
フェブラリーは当時
フェブラリーハンデというG3の重賞だ >>60
ヨーロッパ年度代表馬
英オークス 愛オークス ヨークシャオークス 英セントトレジャー
デビューからG14つ含む6連勝だったけど凱旋門賞はゴール前首差さされた >>72
池山がUFOキャッチャーでオグリのぬいぐるみ取ってた何かの番組で そういや昔は競馬雑誌買ってたなぁ
ネットもないからスポーツ新聞かネットしか情報源なかった 92年のフェブラリーハンデの個性的メンバー、勝ち馬ラジアンゴールド。
92年の天皇賞春マック対テイオー。
敢えて挙げるならこの2つかなぁ〜、レース前のワクワク感最高だった。 >>58
SS初年度産駒と同い年にSSの全妹になるマイライフスタイルという馬がいたけど、その馬ですら「今をときめくサンデーサイレンスの全妹です!」って扱いだったぞ
しかもその馬は忘れな草賞でイージーゴア産駒と対決したという トウカイテイオーとビワナリタの3頭対決が見たかった 震災の後京都の宝塚記念を生で観た
ライスの最期も見届けた 笑っていいともで佐藤浩一がゲスト出演した際
有馬記念感動してしまって亀に「佐藤トウカイテイオー」と名付けたいうて
タモさんに佐藤がついてるの?とか色々やり取りしてた 打倒テイオーのマイカグラさんが余計なレース使って骨折 ネットがなくて情報源が少なかったから熱狂出来たってのはあるよなあ競馬に限った話じゃないけど 好きな馬はイブキマイカグラとセキテイリュウオーです 基本王道ローテで面白かった。名前出てる馬皆故障してるけどな。 ブルースカイ作戦が全盛期だった頃かな?
平日はサトル節聞きたくて、授業サボって船橋か大井に行ってた。
92年の帝王賞は何度見ても痺れる。
ノリもポツンとかしてなかった時代。 佐藤浩市 他の番組でもJCでトウカイテイオーが勝った時、民族意識か嬉しくて涙が出たと言ってた
テイオーが好きだったのかな マジで中学とかのガキが馬券売り場にいっぱいいたなw まあそこと比べると今年は酷いとは思う。サートゥルナーリア辺りが盛り上げないんだもんな。まあ無敗二冠したら面白いけど。 ヒシマサル田島信行のコンビが本当に強かった
武豊が乗ってから急に普通の馬になってしまった。 >>38
わかる 土曜日にビール飲みながら阪神大賞典
懐かしいな! 春天と有馬がチャンピオン決定戦として機能していたことが一番大きな違いだろう >>43
俺も97の春天が一番かな〜
2番人気ではあったけど実際玄人や評論家筋の間でもトップガン一番評価低かったよね >>99
阪大でギリギリまでメジロランバダに1人気譲ってたからな
かかり癖もあったし 当時知ってる人間でもアラブ競馬についてほとんど語れないのかな?
廃止になる直前だけど大レースの賞金も高くて名馬も出現して熱い時代だったんでないの?って後世から見ると思うんだけど
全国交流の大レースとか今の交流重賞よりもよほど面白そうにみえる >>1
すみません、リアルタイムではないですが
間違っていることを指摘させてください
ナリタブライアンは三冠馬ですが、無敗ではないです >>92
あのJC前の報道は国際G1になるから外国馬ばかりスポット当てられていて
欧州年度代表馬しかりJCと相性の良い豪年度代表馬とか英ダービー馬二頭とか
前年JC覇者破って米G1勝って来たとか道悪の鬼とか日本馬はまた今年も勝てない
って言われてたから直線の興奮からドヨメキからもう凄かったよ
あの時のレースに勝つというのは本当によくやってくれたと思う。
報道も何もかも誇らしげで興奮状態だった。アメリカAP電の取り上げも勝ちっぷりなど詳しく報じてるしね。
(翌年レガシーも米雑誌の表紙飾ったはず) >>102
すみませんネタスレだったんですね
確かめもせず、ごめんなさい... 中野コールのダービーは東京競馬場で観戦した
とにかく暑かった…
ウイニングチケットのダービーも東京競馬場で観戦した
直前まで馬券購入に時間がかかってしまい、スタンドには入れなかったからモニターで観戦した
タヤスツヨシのダービーも東京競馬場で観戦した
名前は忘れたけど、一枠にいた長距離が得意そうな馬を本命にした記憶がある…横山が乗っていたっけな? >>61
メルシーアトラは予後らなければ大きいところを勝てたのではないかと思う
大阪杯で首を振りながら苦しんでた光景を今でも覚えてる(´・ω・`) >>101
アラブは平成になってからは中央競馬じゃ
現在の障害競走見たいな存在だったよ。
重賞競走も二つあったけど、
全然盛り上がることはなかった。
地方競馬ではそこそこ頑張ってたけど。 >>101
なにトチノミネフジのことかいな?
宇都宮デビューだったが大井にいっても強かった
しかし中央走ったのは確か吾妻小富士だかに出てきて
かなり人気におされてたが芝は惨敗だったな
俺が一番印象に残ったのはこのあと大井の重賞(ワード賞だったか)
に65kgだか背負って勝ったのを現地で見た時だな
だいたい中央にはアキヒロホマレ以降アラブの名馬なんて
いなかったし
語れっていっても地方もやってた人間じゃないと無理だ >>101
テンプラ問題が有名になって一気に下火になった >>111
シゲルホームランかもしれんww
まあ最後の最後になかなか稼いだ
しかしアラブ競走に関しては完全に地方と中央のレベルが
逆になっており名馬とは言えんな この時代の中央競馬ダイジェストは毎週欠かさず見てた
ナレーションの女の人の声もなんか印象に残ってる 土曜の仕事終わって、ウインズ横浜直行
特別から開始、1Rにつき5000円投下、重賞10000円、G120000円
もうこんな賭け方出来ないやw >>92
あの当時は外国馬が強かった時代だからね
日本の強豪が出てきてもなかなか勝てなかった この頃はむしろG1が社台の運動会じゃなかったことが大きい
使い分けとかもなくて社台も含めた全部の牧場が全力で戦ってた >>96
馬と騎手とのコンビが語られるのは今以上のものだったよな
ヒシアマゾンに中舘とか
今じゃ有力馬はごくごく一部の騎手に集中しているけど
昔はもっとおおらかだった あとちゃんとトライアルも使って春秋各シーズンに4回ずつくらい使ってくれた G1馬でも前哨戦で58とか59とか背負って出走してなおかつ中2週でG1も出走する
今じゃあり得なくなってしまったな
あれを知ってるから今の競馬に物足りなさを感じる
調整過程の進化といえばそれまでだけどね 春天にまだ格があった時代だな
今は罰ゲームの如く避ける馬だらけになったが 人それぞれでしょ。
リアルタイムで経験したけど、楽しくはなかったな。
応援した馬の敗退(ストロングクラウンとか)、馬券とれずで。
若い時にぼっちより、ジジィの今が楽しい、ネットもあるし。
>>14
デュレン有馬は87年。
ライブで見たけど、何が何だか…という感じ
この年は、12月のミホシンザンの引退式を見逃したな。
中山まで行ったのに、雪で順延したんだよね…悔しかったわ。 >>101
モッカンセンプウと、ワクセイが好きだったなぁ 今は情報がありすぎるんかねえ
未知の物がない
関西馬だろうが地方馬だろうが
ググればすぐ成績でてきてレース映像までみれちゃうし >>101
上に書かれているけど本当障害レースみたいな感じだね。
てか障害より盛り上がって無かったんじゃないかな。
競馬始めた当初はアキヒロホマレが強かったなぁ。 >>1
正直これが当たり前だと思ってたから、競馬ってこんなつまんないもんなのかと辟易してる。 >>1
そもそもオグリが大前提だし、みんなスターに慣れちゃってたから斜に構えてブルボンなんて、糞扱いに近かったわ。 >>101
兵庫と福山がアラブ専門だったから、アラブの交流重賞はマジで熱かったよ。現地まで見に行く楽しさもあったし、地方競馬好きなら大概アラブの重賞追っかけに行き着いてたわ。 関西の実況に杉本清ってのがいただけで楽しめた
あと中継の開設に大川&井崎で楽しめた
コレ >>126
そもそも初めてのG1勝ちが春天なんていうアホなことはなく
本当にその時代の代表馬が勝つのが普通だった
イングランディーレ、ジャガーメイル、マイネルキッツ
スズカマンボ、ヒルノダムール、そしてビートブラックwww
こんなのは間違っても勝てる時代じゃなかった >>124
テンポイント以前なら60キロ以上背負って走るのが当たり前だったんだけど?
60キロ以上背負ったテンポイント以前の馬と比べたらどちらもずっと軽いのに、59キロの90年代は良くて
58キロの今がダメっていう感覚がおかしい。 >>15
「バブルガムフェローがいなくても、ダンスインザダークがいなくてもやっぱりサンデーサイレンス!!」
イシノ、ロイヤルタッチめっちゃ盛り上がったよ >>88
NHK杯最高だったな!今のG1よりよっぽど楽しみだったな。 >>131
ナンバーズとかもそうだし、よくわからん子供向けのクジゲームとか駄菓子ですらそんな感じのもあって、子供がギャンブルもどきのするのにそんなに抵抗なかったしな
>>139
ほとんどイメージとはいえ、そのテンポが故障したりしてんだから避けるようになるのは当然だろ
ハンデ云々より前に何よりも怖いのは故障なんだから テンポイントのころはトウショウボーイとかヤマブキオーなんかも
ものすごい斤量で平場オープン戦なんかに出走していたな
90年代よりもっと前なら、
アラブのハンデ戦は、70kgとかものすごい斤量で出てくる馬がいたのを覚えている つ「調教、追切なんかじゃ普通に75kgの助手や調教師が乗って馬追ってる」 1988年(昭和63年)は中山競馬場スタンド改築だったので
中山開催は正月のあとなくて、次が暮れの開催だったが
旧スタンドは4角に近いほうだけ残っていて
新スタンドは完成していず、あちこち囲いだらけで
今の東京駅とか横浜駅の工事中区域みたいに
狭い仮通路を通ってパドックから本場場に出るような
状態だった
開幕週だったか、カリブソングが芝2000mの新馬戦に
一本人気で出て、負けたのを覚えている
(2着だと思っていたが、今調べたら3着だった) 今は重い斤量がなくて、とくにハンデ戦なんかで
買う意欲が高まらんよなぁ
馬場も整備されているし、おまけに騎手の体格向上もあるだろうから
上限を62〜63Kgぐらいに戻してもいい気もするが ラシアンゴールド、アドマイヤボサツ、ミスタートウジン、そしてナリタハヤブサとダート路線が整備されていない時代の名馬達。 これだけは言える
ネットが当時あったらまた別の盛り上がり方になっていたはず >>148
当時ネットがあったらオグリ関係のスレが何百も立つだろうな >>146
馬の平均体重も当時と比べて20〜30kgは増えてるよな >>144
そりゃ当たり前だわな
調教では前後の馬を避けて急加減速や左右に切り返しながら全力追いなんかしないんだから >>147
そこにダイナレターも加えてくれw
当時は重賞が年2回くらいであとはop特別しかなかったので
斤量でだんだん苦しくなっていくんだよな。 93年夏に競馬始めたけど、小倉開催終わって、秋が始まり神戸新聞杯で
ビワハヤヒデがネーハイシーザーを寄せ付けず完勝してたのが印象に残るかな。
ナリタブライアンが現れ、マックイーンが去り、トウカイテイオーが有馬を勝つ。
競馬始めた年は本当に印象によく残るレースが多かった。 源氏パイ藤田も若いころは俊英感があったよな
デビュー2年目だったか3年目だったか、
スターマンでナリタブライアンを下した京都新聞杯なんかは
面目躍如だった 日本は芝優先なのは今も変わらないけど、地方交流によって昔よりは
ダート路線はマシにはなってるね。
ただ、距離体系で言えば2000前後の距離適性ある馬はいいけど
短距離、長距離タイプはかなりしんどいよね。 >>153
札幌記念はダート2000だったのが
芝コースになったのがダート馬には厳しくなった
そもそも札幌がダート専門のコースだったと
知る人が少なくなってきてるだろうが >>159
札幌競馬場と言えば、さらにその前は左回りだった
自分もそのころは競馬やってなかったが……
90年代でなくてすまんが、ダートの札幌記念と言えば
重の鬼にしてダートの鬼オーバーレインボー
(これも4歳春は関西の秘密兵器と呼ばれていた)や
テルノエイトなどを真っ先に思い出す >>159
知識としては知ってたけど始めたのは89年なんで
実体験としては知らなかったなぁ。
自分が始めた時はもう芝あったわ。 90年代からやってる人間にしたら、老舗牧場がどんどん廃業してるのが辛い
メジロ牧場も早田牧場もないんだよなー >>143
テンポイントやトウショウボーイは勝ちまくってたので重賞でも60越えですぜ ムーンリットガールもこの時代だったな。
この頃って年末の深夜に中央競馬の振り返り番組があって良かった >>101
JRA最後の年にムーンリットガールという(抽選馬レベルで)強い馬がでてきて無謀にもスプリンターズSに使ったりしたけど当時の園田や南関では通用しないのは地方競馬ファンなら誰でも判ってた
西日本の公営はアラブ主体だったからそこそこアラブ競走の認知度は有ったのだろうけど
南関は重賞の賞金は高かったけど在厩頭数が減りすぎて
まともに条件戦も組めなかったので今の障害戦以下の存在感だった まだこの頃だとニホンカイユーノスが出る前か。
益田もまだあったんだよな・・・ >>92
佐藤浩市の愛亀の名前
佐藤トウカイテイオー 大学入学で上京してきて初めて買った馬券が天皇賞春
市川の大学だったのに錦糸町のウインズ行くっていうクラスメイトに頼んだのが最初だったよ。
イブキマイカグラの枠からのトウカイテイオーとメジロマックイーンの枠への流し馬券だったけど
同枠のカミノクレッセが2着に来て的中、でも何だかモヤモヤしたのを覚えてるわ。
負ける訳ないって思ったJCでのユーザーフレンドリーの惨敗とか有ったけいい時代だったよ! 俺はマックテイオーからだわ
昔は今みたいな切れ味勝負はすくぬかったなあ カルビソング、カミノクレッセは好きな馬だったな。
特にカミノクレッセは春天→安田記念→宝塚連続2着とか当時はえっ!?だった。 個性派が多かったよな主役級も脇役も
今競馬にはまってる人が同じように感じるなら単に思い出補正なんかもしれんが 個人馬主花盛りの頃だな
まだ名誉やノブレスオブリージュに価値が残ってた時代 >>174
悪い意味でファンの声が大きくなり過ぎた
こういうの盛り上げるにはマスコミの煽りも必要なんだわ >>168
レベルは差し置いて、南関東アラブ三冠とかサラ重賞より全然面白かったけどな。 イブキマイカグラは南井じゃなければ古馬G1を勝っていた。 >>168
ムーンリットガールって坂路でヒシアケボノと互角に走れるとか言われてなかったっけ?
アラブのレースは末期しか知らないけど、未勝利だろうがオープンだろうが1日に1レース、しかも第1レースに組まれていたから本当に見てる人も少なかったと思う
ただ、連闘や中一週が当たり前で走っていてメンバーもそれほど代わり映えしなかったから個々の馬を覚えるのは早かった、自分はエスエムファイヤーという名前のインパクトが印象に残ってる >>1
SS旋風はスゲーなってだけで、盛り上がったり面白かったりはしてない。 レースシーンがプリントされたラガールカードを使って阪神競馬場まで通っていた 大川がライアン!と声を出してしまったのが忘れられない おお逃げのツインターボ
地方移籍で今はなきかみのやま競馬までいったわ オグリのラストラン(90年)
テイオー奇跡の復活(93年)
の有馬に両方出てたホワイトストーンさんのこともたまには思い出してあげてください 銀座WINSが入場規制したときがあったな
あの時に比べたら今はガラガラだよな そう言えばウインズ梅田のエスカレーターで事故が起きなかったか?
ナリタブライアンが参戦した高松宮杯(G1として第1回)、中京競馬場が満員札止めになってたな >>193
ウインズ梅田のエスカレーター将棋倒しは96有馬の日だったはず >>195
明石の歩道橋のやつか?あれは2000年過ぎてからじゃなかったか? >>196
2001年だね
27時間テレビの放送日で番組内でドミノを制作予定が事故が起きて企画が無かった事になった ミホノブルボンが当時の3歳最優秀牡馬?に選ばれた時の司会進行役は草野アナだった
ウインズで映像が流れてた
ミホノブルボンは人気薄を連れて来て特大万馬券を出してたが、当時の本命党は馬連から超人気薄など買わず、特に重賞では度々大きな配当が出ていた >>1
あの頃はみんな本気で三冠馬、凱旋門賞馬を目指してた
今は楽して稼ぐのが偉いって風潮で、短距離馬化、高速馬場になってしまった 94のエリザベス女王杯が大好き
オークス馬とマル外の意地をかけた一戦 >>200
あれは現地で見てたけど、良いレースを見たなぁという気分になったね >>198
テイオーのダービーの単勝が1.6倍も付いて、高校時代の俺は進学しなくても馬券で食っていけると確信したわ。 >>138
ホワイトストーン、ハギノリアルキング、カミノクレッセ、ムッシュシェクル、センゴクシルバー、スターマン、ゴーゴーゼット、インターライナー、エアダブリン辺りがG1勝つようなもんかなぁ
>>167
去年復活したけど何か物足りなかったわ テイオーとマックイーンの春天のレース前一週間が凄かった。
NHKの7時のニュースで追い切りを流したくらい盛り上がっていた。
スポーツ紙も一週間「帝王」が大見出しだった。 ダビスタをやり過ぎて、実際の競馬で3〜4馬身付けてもG1三つくらい勝っても、大したこと無いな、つまんねー、と感じてしまう弊害 >>204
録画したの見たらNHK特集は二日連続だったわ
めちゃ長いので触りだけ書くと
7戦して7勝負け知らずのトウカイテイオー
無敵の新わあを今度も作るか
手綱を取るのは現役最多勝の名ジョッキー岡部幸雄43歳
天皇賞連覇を目指すのはメジロマックイーン
騎乗するのは天才ジョッキー武豊騎手23歳
ファンの声
(トウカイテイオー勝つ メジロマックイーン勝つ (騎手の)武豊勝つ)を挟んで
天皇賞 ‘‘夢の対決”
世紀の対決とも夢の対決とも言われますのは明後日の天皇賞
骨折を乗り越えて今月初め大阪のレースで復活したトウカイテイオーが勝つのか
それとも去年春の天皇賞からスランプを克服してメジロマックイーンが連覇を果たすのか
競馬ファンならずとも注目が集まるところです
いずれも天皇賞に復活をかけるトウカイテイオー メジロマックイーンを追いました
本編〜
カルビソングは芝砂両用のいい種牡馬になっていたはず。 >>207
9歳でダート交流勝って死んじゃったの本当にショックだったわ コウカイテイオー シンガリルドルフ シルバーストーン ベリーナイス
「あっと おどろく だいたんな きじょう」の おがわきしゅは謎 >>87
夢を見られたからね
想像力をたくましくして (;^ω^) 90年代前半は芝のレース体系が長距離中距離マイル短距離程よいバランスだった
ダート重賞が整備され始めたのは95〜96年から ビワハヤヒデ、ナリタブライアンと
続いたと思ったら、
プライムステージから始まった、サンデーブーム。
ジェニュイン、タヤスツヨシとすぐに
G1馬を出したからな〜。 >>203
本番では勝てなかったけど、ステキな敵役がいましたよね。
ホワイトストーンなんかは、ちょっと上手くいけばG1ひとつは勝てたかな?とも思うけど、ホワイトストーン+政人&田面木ていう組合せみると、なんかしっくりくる成績なんだよなぁ。 おかしくなってきたのは
1996年のNHKマイルG1創設からだろ >>215
これは禿同。あとダビグラのグレード化てイシノサンデーが勝って、日本競馬は完全に終了したわ。 うーん、試しに92〜93年の重賞日程を見ると、特にスプリント路線は洗練とは程遠い
マイル路線としての1400m戦と新造路線の1200m戦の施行時期が被っていたり、
スプリンターズSは6ヶ月振りに行われる古馬1200m重賞だったり……過渡期だなぁと この頃ゲーム業界もすげぇ楽しかったよな
PCエンジン、メガドラ、スーファミ時代 >>217
有馬の前週のスプリンターは激熱だっただろ。ほんとJRAは無能だわ。時期変更だけで一気にゴミG1と化したからな。 アメリカでは2歳戦が最も価値があるとか
1600m勝てる馬は2400mもこなせるとか
奇妙な意見であふれてあっという間にステイヤーが滅んだ 「スプリンターズS秋開催に戻したのは改悪」
「なんで?」
逃走
までがテンプレ >>221
2歳戦軽視は今でも変わらないからね、ここで需要を作るってのも馬産のためにやってることだろうに
米国に限らず欧州でも豪州でも2歳戦に重きを置いてるだるお?
例えばユニコーンライオンみたいな血統の馬を2歳戦で走らせないとか本当にもったいない >>223
スポーツ性やファンの嗜好を無視した2歳戦偏重が馬産のためってのは違うな
馬を買う馬主が稼ぐ賞金はファンが払った馬券代だからな
イギリスはまだ長距離や障害を大切にしているから比較するのは失礼
ダメ競馬会比べはアメリカとオーストラリアにしておくべきだな 競馬場やウインズに「シンザンのレースも見たことない奴らが・・」って急に増えた競馬ファンをディスってるオヤジがいた この年代ではビワ、チケット、タイシンの3強クラシックが好きだな。 タイシンの皐月賞の内ラチ強襲と菊の心房細動は驚いた。 京都新聞杯が秋にあっただけで、菊花賞が本当にワクワクするレースだった
神戸新聞杯、京都新聞杯、ちょっと実力ある馬は京都大賞典使ったり、嵐山ステークス使った上り馬とか
セントライト組含め、ここら辺が一気に出てくるのが菊花賞だった
天皇賞秋へ行く馬もあんまりいなかった
いまは神戸新聞杯でほぼ勝負付け済んじゃう印象 ブライアンはスターマンに負けたレースで現地の喪失感が凄かった
最終始まる前まで静かだったわ >>229
その場にいたよ
歓声もなくスタンドが静まり返ってたよね エアグルーヴが弱くなった時から
スペシャルウィークやグラスが古馬になって活躍する頃までが90年代の唯一の暗黒期だった
この間の活躍馬はメジロブライト、シルクジャスティス、サイレンススズカなどの繰り上がって2流の馬ばかり
衰えた牝馬とピークでも弱い古牡馬の争いだった >>228
前哨戦がバラエティあって面白かったよね
牝馬もサファイヤSあったし、重賞に参戦してくる北海道組の構図も楽しかった 95年アイリッシュダンスの快進撃に痺れたね〜なんと天皇賞秋で1番人気になろうとは 95年はたしかにサンデー初年度が席巻したわけだけど
それ以上にマル外旋風というのがあったんだよな
上で書いてる人もいるけどNHKマイルカップの創設
この辺からカオスになってきた >>235
芙蓉Sは今もあるぞ?
個人的にはテレ東杯3歳牝馬を年末に復活させてほしい。
今のフェアリーSだっけか NHKマイルカップもエルコンの第3回、もう少し甘く評価をすれば
クロフネの第6回まではマル外ダービーの名に相応しいメンバーのレベルと格を維持していたが、
ダービーのマル外開放以降は全くもって存在意義が無くなった >>1 俺初めて競馬に携わったのが昭和58年のダービー、シンザン以来の三冠馬で盛り上がった翌年に無敗の三冠馬が誕生。そんで翌年が皐月と菊の二冠馬だかんな。今思うとすげえ時期だったわwww >>173
カリブソングだと思うけど。。。。
ダートもこなせる当時の名脇役だったな。 騸馬がこの頃に比べると少なくなったな
馴致技術の進歩か? >>173
カルビソング (笑)
カリブソングの90年秋からの重斤量路線はアツかった
特に60.5kgを背負って勝った91年目黒記念は印象に残っている
尾花栗毛のトウショウファルコや女傑メジロモントレー、キリサンシー
渋い馬達が多かった頃だ >>14
枠連で44じゃ無かったけ?
スタート直後にメリーナイスが落馬して、4角でサクラスターオーが骨折してと色々有ったから覚えているわ >>101
90年入った時は中央はもうアラブは廃止直前だったからなぁ
いまアラブって生産自体しとらんのかなぁ トウカイテイオー復活の有馬記念の帰りに駅の売店の新聞全部が逸見政孝死去の見出しで大号泣しながら帰ったわ >>1
95に関しては、フジキセキとブライアンの戦線離脱とライデンリーダーの桜敗北で盛りさがったぞ。それぞれが前哨戦で伝説的な圧勝(と当時は信じられていたw)しただけに。
その後もライスの死や、圧倒的なヒロインだったヒシアマゾンのJC有馬連敗やらもつづいた。
マイシンザンが朝日CC圧勝するも秋天前に再発症ズコーってのもこの年だったかな ありきたりだけどこの以前のオグリのときが面白かったよ
ラストラン乗ったあの武すらオグリの前ではスーパークリークとかいう馬に乗って脇役だったから
あのジャパンカップも前週マイルチャンピオンシップで勝っての連投で
解説陣もみななんで出てきたの???みたいな雰囲気の中で激走を見せ付けられたから
みんな、は?え?みたいなかんじで一気に伝説になった
(いまみたいにローテとか管理されてるとありえないよね)
ラストの有馬もすごいけどあれは伝説のストーリーの一部分にすぎないんだよ >>246
マイシンザンは朝日CCの後に、毎日王冠使ったんだよね
脚元弱い馬だったから、あの1戦が余計だったと今も思う >>249
まぁ当時はこれくらいのローテは普通だったから仕方ないわ
フクキタルだって爪弱いのに神戸→京都→菊とかだったし 小栗よりもダビスタブームが大きいな
今の子供って競馬見ないしなあ >>244
中央じゃなくて地方の話を調べようとしてもどこから手を付けていいのかって感じだしなあ
ほとんど顧みたりすることもないからバンバン忘れ去られていく
この時代のアラブの大レースって賞金も高いし語り継がれていいだろうに >>253
アラブが地方に追いやられてセイユウ賞やタマツバキ記念が持ち回りになったあたりは、ウェブの個人サイトブームで、アラブの追っかけや過去のアラブレースを語り継いでる所結構あったのに、
それも今はほぼ消滅しちゃってるしなぁ。
NARや大井は過去のアラブレースをほじくり返そうともしないし、兵庫は目先の金しか興味ないし、現状では何にも残らなくなりそうだな。 >>1
×毎年
○毎週面白かった
5ちゃんなくとも月曜に週刊ブック買って金曜までwktk この時代って主役はもちろん脇役までも個性的だった
いまの脇役ってただの雑魚だし >>249
結果的には余計だったけど、毎日王冠で賞金加算しないと天皇賞出れるか微妙だった記憶 ダービー、天皇賞とマイシンザンに期待したおじさま方多数。 >>258
なぜシンザンやハイセイコーの産駒にはロマンがあるのに最近の産駒にはロマンがないのだろうか
トウカイテイオーまでか >>259
金太郎飴にフランス語かダノンやサトノの名前ばっか付けてて、騎手も上から順番だから、もはやずっと同じこと繰り返してるにすぎない。
ルーレットやバカラで一喜一憂してるのと一緒。 小林ひとみ
松坂李実子
桜樹ルイ
村上麗奈
飯島愛
みんな個性的で良かったよ ビゼンニシキ→ダイタクヘリオス→ダイタクヤマトみたいなロマンが期待出来ないし。
ノースフライトの血を引くミスキャストもビートブラック出したけど血は繋がらないし。 >>249>>257
スガノオージが勝った毎日王冠だったっけ?
朝から一日中雨だったなぁ ジョージモナーク(大井・赤間厩舎)
中央の芝のレースに8回遠征して掲示板を外したのはJCの2回だけ だけど地元の重賞は関東盃しか勝ってなかった
ハシルショウグン(大井・赤間厩舎)
結果は残せなかったけど中央にも度々遠征したステイヤー
この世代(91年の南関クラシック)は古馬になっても南関重賞を勝ちまくった最強世代
90年代前半の大井はナイターにも人が押し寄せて売上も場内と後楽園でしか売って無かったのに1日平均11億も売り上げてた アマゾンは当時のマル外としてマジきついハンデ貰って
アメリカ挑戦失敗等もありなかなか順調にはいかなかったけど
間違いなく日本競馬史上最強牝馬を争う馬だと思う。
ブライアンに真っ向勝負を挑んだ有馬とか
あんなの同じことしたら他の牝馬なら全部ぶっ潰されてるよ。 ナイスネイチャとトーヨーリファールが好きだった。
そして松昌さんを応援してた(´;ω;`)
競馬が国際化していってサンデーサイレンス登場で馬のスピード化と
早熟化に拍車かかったよね。競争馬としては日本はレベルは上がってる
はずなのに何かをなくした感じはするんだよな・・・・。 >>266
短距離化をスピード化と騙してた連中が日本競馬をぶっ壊した この時代の活躍馬はすぐにぶっ壊れて、ピークも短かった印象が強い
マックイーンやテイオーも何回故障してんだろう ちょうど調教手段の多様化が進んだ時期で、加減がよく分かってなかったとか何とか
一戦必勝の極限仕上げで即休養に入る今とは違う意味で離脱が多かったね 地方、障害、ダート、脇役、路線が整備されてなかったけど、とにかく競馬が面白かった。
そして予想も難解だったけど楽しかった。 >>38
懐かしいわ
JKとセックスしてテレビつけたら丁度3コーナーから一騎討ちの場面だった
テンション上がったからそのままもう一回やった ナイスネイチャとかステージチャンプも忘れないであげて
あとこの時期くらいにカシマドリームとかミナモトマリノスとかJリーグがスタートして名前つけてた馬もいたね ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています