孔子が人肉を食べていたって知っている?
孔子が人肉を食べていたって知っている?
弟子が人肉の塩漬け肉にされてから、ようやく人肉を食べるのをやめたんだって。
そういうやつの説く道徳というのがどういうものかは分かるよね。
古代中国でも人肉なんか食べないやつはいくらでもいた。
カニバリズムだよ。ガチで悪魔崇拝者の世界。
儒教道徳では
子供が自分の肉を親に食べさせるのが美談
自分の子供を売り飛ばし、豪華な自分の親の墓を立てるのが美談。 >人に肉って無いんで。
肉って字には人が2つ含まれているけどね。 確かに支那人は、平気で人を食う。
日本人と違うところだ。
但し、孔子が人肉を食ったかどうかは何とも言えないように思う。
つまり明白な文献記録史料がない。
博学な人がいるようで、詳しい書き込みは既に出ている。
勉強になります。
有難うございました。 人肉食べてみたい
首を刎ねたら袖切りにしてあつものにして頂く
うまそう 青銅戈で首を刎ね、青銅の包丁で肉を刻んだのだろうか
どういう味付けで出されていたのだろうか
臓物も食べられていたのだろうか
興味深い 日本だと火葬した骨を親族がちょっとかじるくらいが関の山だな >>149
山田浅右衛門が刑死者の内臓などを薬の原材料として販売していた話ですね。
薬と日常食は分けて考えるべき? 寒くなるとわたし早川莉里子(剛)はヘラって男の人なら誰でもよくなります(腐女子で元レズです)
ハメ撮りで有名な相馬ドリルおじさんと二人でラブホに行って服を全部脱いで
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l:::::::::. / 有熹 \ |
|:::::::::: (●) (●) | <おじいちゃん、一番おいしいのは人肉だよ。
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ヽ:::::::::::::::::::. \/ ノ 人肉を食らうというのは基地外の証拠だろう。食ってみたいという人間は
精神異常者だ。
今の人間が食べていない理由はその食生活をすると確実に病気になるからだ。
特に精神異常系の病気になる。狂牛病などもその一種である。
食人をする集団は確実に病気の発生が増大する。
孔子がそのような事をするわけが無い。そのような話はデタラメである。
儒教では人肉を食うなどという話はない。 孔子は人肉を食べていたかどうかは興味無い
されど春秋時代より前の商周の時代から人肉は食べられていたのではないだろうか
羮や膾や脯醢にされて一般的に食されていたのではないだろうか >>218
>その食生活をすると確実に病気になるからだ
人肉薬膳で元気回復アルヨ 頭のおかしい人間しか居らぬのでは古典も古文もないな。 まぁ中国だから、机以外の4本足はなんでも食べるよ。 食人が珍しいってことも無いでしょ。
数年前はまだあっちのネットサイトで人肉粉カプセルとか売ってたし。 今でも名前変えてあるかもね。 諸侯に贈り付けられた彭越の脯醢は実際に食われたのだろうか
それとも劉邦の威しの域を超えないものだったのだろうか
子路の脯醢もどうだったんだろうね 孔子が人肉を食っていたかはともかく
チャイナに食人の習慣があったことは確かだと思う 日本[17]には綏靖天皇が七人の人を食べたという故事(『神道集』)をはじめとして、伝説の酒呑童子説話中の
源頼光一行や、安達原の鬼婆の家に立ち寄った旅人など、説話にカニバリズムが散見される。
「遠野物語拾遺」第二九六話と第二九九話には、遠野町で5月5日に薄餅(すすきもち)を、
7月7日に筋太の素麺を食べる習慣の由来として、死んだ愛妻の肉と筋を食べた男の話[18]が記録されている。
『信長公記』によると、戦国時代に織田信長の武将・羽柴秀吉が鳥取城を兵糧攻めした際、
城の兵たちは草木や牛馬を食べ尽くした末、城を脱走しようとして織田軍に銃撃されて死んだ人間を食い争ったとある[19]。
随筆『新著聞集』では、江戸時代の元禄年間に増上寺の僧が、葬儀にあたって死者の剃髪をした際、
誤って頭皮をわずかに削り、過ちを隠すためにそれを自分の口に含んだところ、非常に美味に感じられ、
以来、頻繁に墓地に出かけては墓を掘り起こして死肉を貪り食ったという話がある[19]。
戊辰戦争の折には幕府側総指揮官松平正質が敵兵の頬肉をあぶって酒の肴にしたといい、
また薩摩藩の兵が死体から肝臓を取り胆煮を食したという[20]。
確実な記録には、江戸四大飢饉の時に人肉を食べたというものがある。
また天明の大飢饉の際には1784年(天明4年)弘前で人食いがあった。 人間の内臓が、民間薬として食されていたという記録がある。
江戸時代、処刑された罪人の死体を日本刀で試し切りすることを職とした山田浅右衛門は、
死体から採取した肝臓を軒先に吊るして乾燥させ、人胆丸という薬に加工して販売したとされる。
当時は人胆丸は正当な薬剤であり、山田家は人胆丸の売薬で大名に匹敵する財力を持っていたと言われている
明治3年(1870年)4月15日付けで、明治政府が人肝、霊天蓋(脳髄)、陰茎などの密売を厳禁する弁官布告を行っている[23][24]。
しかし闇売買は依然続いたらしく、たびたび事件として立件、報道されている(東京日々新聞など)。
昭和40年代まで全国各地で、万病に効くという伝承を信じて、土葬された遺体を掘り起こして
肝臓などを摘出して黒焼きにして高価で販売したり、病人に食べさせたりして逮捕されていた
ことが新聞で報道されている[26]。 北九州監禁殺人事件に代表されるような、リンチ殺人事件では、裏切りを防ぐために
リーダー格の人間が命令して、遺体の肉を食べさせるという行為が行われてきた。 >>3
塩漬けを捨てさせたって書いてあっただけだよね、たしか
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http://www.m-garden.tv/ 日本には綏靖天皇が七人の人を食べたという故事をはじめとして、伝説の酒呑童子説話中の源頼光一行や、安達原の鬼婆の家に立ち寄った旅人など、説話にカニバリズムが散見される。
「遠野物語拾遺」第二九六話と第二九九話には、遠野町で5月5日に薄餅(すすきもち)を、7月7日に筋太の素麺を食べる習慣の由来として、死んだ愛妻の肉と筋を食べた男の話が記録されている。
『信長公記』によると、戦国時代に織田信長の武将・羽柴秀吉が鳥取城を兵糧攻めした際、城の兵たちは草木や牛馬を食べ尽くした末、城を脱走しようとして織田軍に銃撃されて死んだ人間を食い争ったとある。
随筆『新著聞集』では、江戸時代の元禄年間に増上寺の僧が、葬儀にあたって死者の剃髪をした際、誤って頭皮をわずかに削り、過ちを隠すためにそれを自分の口に含んだところ、
非常に美味に感じられ、以来、頻繁に墓地に出かけては墓を掘り起こして死肉を貪り食ったという話がある。戊辰戦争の折には幕府側総指揮官松平正質が敵兵の頬肉をあぶって酒の肴にしたといい、
また薩摩藩の兵が死体から肝臓を取り胆煮を食したという。
確実な記録には、江戸四大飢饉の時に人肉を食べたというものがある。また天明の大飢饉の際には1784年(天明4年)弘前で人食いがあったと橘南谿が『東遊記』で述べている。
江戸時代、処刑された罪人の死体を日本刀で試し切りすることを職とした山田浅右衛門は、死体から採取した肝臓を軒先に吊るして乾燥させ、人胆丸という薬に加工して販売したとされる。
当時は人胆丸は正当な薬剤であり、山田家は人胆丸の売薬で大名に匹敵する財力を持っていたと言われている。
明治3年(1870年)4月15日付けで、明治政府が人肝、霊天蓋(脳髄)、陰茎などの密売を厳禁する弁官布告を行っている。しかし闇売買は依然続いたらしく、たびたび事件として立件、報道されている 昭和40年代まで全国各地で、万病に効くという伝承を信じて、土葬された遺体を掘り起こして
肝臓などを摘出して黒焼きにして高価で販売したり、病人に食べさせたりして逮捕されていた
ことが新聞で報道されている。
中沢啓治の自伝的漫画『はだしのゲン』には、日本への原子爆弾投下直後より被災地では
人骨を粉末状にしたものが放射線障害に効くという迷信が信じられていたという描写がある。
にあやかろうとする素朴な感情が根底にあるとみられる。最愛の配偶者の遺骨をかむことは、
強い哀惜の念からと思われ、これらは素朴な感情表出として受けとめられている。
俳優の勝新太郎は父の死に際して、その遺骨を「愛情」ゆえに食したと、本人が証言している。
太平洋戦争中南洋や東南アジア戦線(インパール・ニューギニア・フィリピン・ガダルカナルなど)の日本軍では、
補給が慢性的に途絶したことで大規模な飢餓が頻繁に起こり、死者の肉を食べるという事態が発生した。
グアム島では敗走中のある陸軍上等兵が逃避行を共にしていた日本人の親子を殺害してその肉を食べるという事件が発生。 しゃぶしゃぶ温野菜で人気No1のたんしゃぶが、特別価格に!通常価格より300円引き
って広告の隣にこのスレ。 日本には綏靖天皇が七人の人を食べたという故事をはじめとして、伝説の酒呑童子説話中の源頼光一行や、安達原の鬼婆の家に立ち寄った旅人など、説話にカニバリズムが散見される。
「遠野物語拾遺」第二九六話と第二九九話には、遠野町で5月5日に薄餅(すすきもち)を、7月7日に筋太の素麺を食べる習慣の由来として、死んだ愛妻の肉と筋を食べた男の話が記録されている。
『信長公記』によると、戦国時代に織田信長の武将・羽柴秀吉が鳥取城を兵糧攻めした際、城の兵たちは草木や牛馬を食べ尽くした末、城を脱走しようとして織田軍に銃撃されて死んだ人間を食い争ったとある。
随筆『新著聞集』では、江戸時代の元禄年間に増上寺の僧が、葬儀にあたって死者の剃髪をした際、誤って頭皮をわずかに削り、過ちを隠すためにそれを自分の口に含んだところ、
非常に美味に感じられ、以来、頻繁に墓地に出かけては墓を掘り起こして死肉を貪り食ったという話がある。戊辰戦争の折には幕府側総指揮官松平正質が敵兵の頬肉をあぶって酒の肴にしたといい、
また薩摩藩の兵が死体から肝臓を取り胆煮を食したという。
確実な記録には、江戸四大飢饉の時に人肉を食べたというものがある。また天明の大飢饉の際には1784年(天明4年)弘前で人食いがあったと橘南谿が『東遊記』で述べている。
江戸時代、処刑された罪人の死体を日本刀で試し切りすることを職とした山田浅右衛門は、死体から採取した肝臓を軒先に吊るして乾燥させ、人胆丸という薬に加工して販売したとされる。
当時は人胆丸は正当な薬剤であり、山田家は人胆丸の売薬で大名に匹敵する財力を持っていたと言われている。
明治3年(1870年)4月15日付けで、明治政府が人肝、霊天蓋(脳髄)、陰茎などの密売を厳禁する弁官布告を行っている。しかし闇売買は依然続いたらしく、たびたび事件として立件、報道されている 南北朝時代の編とされる『神道集』によれば、綏靖天皇には食人の趣味が
あり朝夕に7人もの人々を食べて周囲を恐怖に陥れたため、人々は
「近く火の雨が降る」との虚言を弄し天皇を岩屋に幽閉して難を逃れたという 孔子のハプログループが漢民族に少なく
モンゴル人、朝鮮人に多いC2と判明したね
これで儒教の祖は純粋な東アジア人だと確定した 孔子食人のことが書いてあるときき「食人文化から読み解く中国人の正体」
って本の孔子食人のとこ読んでみたがなんかうっすら。
そういう解釈ができるのではないか?みたいな感じだったっけ このスレを元にして作られたゆっくり動画
孔子の弟子で一番成長した男!子路【ゆっくり武将紹介外伝 第79回】
https://www.youtube.com/watch?v=kFE8Fk0-ZHo 俺の親父はアホだから気に入った中華料理屋があるとその中国人店員に「孔子人肉好んでた」説が本当かどうか聞く
そんで大体の人は「本当だよ」って答えるらしい
史実かどうかともかく中国国内では割りとポピュラーな説らしい 有名だろ
あと殷の末裔
身長190以上の長人といわれた人種