漢詩・漢文鑑賞スレ
最近の中国の歴史ドラマとか映画にもちょくちょくのんきな李白が登場する。
杜甫は見たことないけどね。
空海っていう日中合作映画でも李白が出てきてた。
こういう映画やドラマに出てくる李白は若い頃からとんでもない奇抜な天才で、飄々としていて、いつもふざけているというキャラクター。
一番最近見た華流ドラマでは、李白は登場しなかったけど、主人公の女性が、子どもの頃に、李白から勉強を教わったことがあるという設定だった。父親に「だったらなぜ私を李白先生に教えさせたの」の一言だけ李白の名前が出た。
李白は朝廷で自由に遊びまわる恵まれた立場というのが通説。 >>147
実際にはあこがれているのではないだろうね。
何しろ立場的に世間から高く評価されているスターでもあり、気まぐれで自由奔放な李白に対して、地味で神経質な杜甫は、お世辞を言っているだけだと思う。
君子詘於不知己而信於知己
君子は信頼できない人(自分を理解して尊んでくれない人)の前では言葉を慎んで頭を下げて難を避けるというからね。 失鶴
白居易
失為庭前雪 失いて庭前の雪と為り
飛因海上風 飛びて海上の風に因る
九霄應得侶 九霄 応に侶を得たるべし
三夜不歸籠 三夜 籠に帰らず
聲斷碧雲外 声は碧雲の外に断ち
影沉明月中 影は明月の中に沈む
郡齋從此後 郡齊 此れより後
誰伴白頭翁 誰か白頭の翁に伴はん
岩波文庫の白楽天詩選に載ってないので、良いのを見つけた
引き続き文集も読む 漢文は日本の文化
中国は文化大革命で自国の古典を捨てており、古代中国の文化を保存・継承してきたのは日本なのだから 必要は無い
現代中国語の声調が分かれば、多くの場合、漢字の平仄も分かる(当時の発音は分からない)
が、それは漢和辞典を引けば分かることだし、結局現代中国語の音を調べるのに辞書を引くなら、手間は省けてない 白氏文集は長すぎる
こんなの全部は読めない
全訳した先生と明治書院は偉い 白居易はやはり琵琶行がいい
風景描写が美しく叙情豊か
女が琵琶を弾く描写には非常に迫力があり、幽寂たる風景との対比も見事
余韻も深い 杜甫は
兵車行
月夜
石壕吏
曲江 其二(人生七十古来稀)
春夜喜雨 李白は、
静夜思
早発白帝城
峨眉山月歌
望廬山瀑布 其二
黄鶴楼送孟浩然之広陵
玉階怨
贈汪倫
秋浦歌 其十五
などなど 宋代とか隋唐時代とかの大昔の発音ってどうやって調べるんだろう 臨終詩
謝霊運
龔勝無餘生 龔勝 餘生無く
李業有窮尽 李業 窮尽有り
嵇公理既迫 嵇公 理既に迫り
霍生命亦殞 霍生 命亦た殞つ
淒淒陵霜栢 淒淒たり 霜を凌ぐ栢
納納衝風菌 納納たり 風を衝く菌
邂逅竟幾時 邂逅 竟に幾時ぞ
脩短非所憫 脩短は憫む所にあらず
恨我君子志 恨むらくは我が君子の志の
不獲岩下泯 岩下に滅ぶを得ざること
送心正覚前 心を正覚の前に送り
斯痛久已忍 斯の痛み久しく已に忍ぶ
唯願乗来生 唯だ願わくは来生に乗りて
懇親同朕心 懇親として朕が心と同じくせんことを 律詩というのは、そもそも無駄な制約課してるだけの言葉遊びだと思う 漢詩なんて今日学ぶ意味があるんだろうか?
時制の概念さえ無い原始人みたいな言語
字が無駄に多いだけで表現の幅は大して広くない
ほとんどが公務員が仕事で作っただけの下らない作品
「出世か隠遁か」みたいな下らない二律背反を何百年もテーマにし続けるワンパターンさ 「白髪を見て老いを嘆く」
なんて一体何人の詩人が読んでるんだ
顔洗うたびに勝手に絶望してろよ >>118
杜甫は下手だからね
「春望」なんて下らない句ばかり
「国破山河在 城春草木深」なんて小学生でも書けそうな具体性ゼロの何の趣も無い句
そのくせ「人為と自然の対比」みたいなテクニックだけが露骨に目立つから、ただ拙いよりも余計にたちが悪い
「烽火連三月 家書抵万金」
これよりも品の無い句もそうそう無いんじゃないかな
品詞が対応してるだけで、内容的には対句でも何でもない。ただのダジャレ
律詩の制約をみたしているだけで、何の内容も無い。クロスワードパズルを解いてるようなもん
>>107-108にあるような句の断絶もある
信者には「これが杜甫の詩の格調を高めている」とか言う連中もいるが(笑)
芭蕉の句にある「軽み」も無い
「隣の爺さんと酒を飲もう」というだけの詩を、まるで厳かな史跡でも詠むみたいな七言律詩にしちゃう(「客至」)
何よりテーマが下らない
「(40代無職で)世直しがしたい」とか「出世できなかった」とか、クソしょうもない詩ばっか そもそも下手な詩を沈鬱頓挫とか言って高度なものだと思ってる奴・・・w >>165
このスレは居酒屋で蘊蓄たれてるレベルなので読めないと思いますよ すみません、私も日本の漢字で書かれたものでないと読めません。学校の先生なら読めるかな?無理か。こういうのはどうやって身に着けるんだろう。
日本人が勝手にわかったつもりで解釈しているだけで、中国人の文化や風習を知らないと本当の意味はわからないのかもしれないね。 ↓こんなん面白いと思う奴おるんか?
縛鶏行
杜甫
小奴縛鶏向市売 小奴 鶏を縛りて市に向って売らんとす
鶏被縛急相喧争 鶏 縛られ急に相ひ喧争す
家中厭鶏食虫蟻 家中 鶏の虫蟻を食ふことを厭ひ
不知鶏売遷遭烹 鶏の売らるれば遷た烹らるるに遭ふを知らず
虫鶏於人何厚薄 虫鶏 人に於て何の厚薄あらんや
我叱奴人解其縛 我 奴人を叱って其の縛めを解かしむ
鶏虫得失無了時 鶏虫の得失 了時無し
注目寒江倚山閣 目を寒江に注ぎて山閣に倚る 涼州詞
王翰
葡萄美酒夜光杯
欲飲琵琶馬上催
酔臥沙上君莫笑
古来征戦幾人回 日本語ベースで、日本語意訳→日本語直訳→書き下し文→白文(漢詩)
あえての中国語を習っていって、現代中国語(北京語)→古典中国語→古体詩(漢詩)
皆さんはどっちのコースで来ましたか? 漢文は日本国の古典文学です
実際、古代の漢籍を保存・伝承し、その精神を受容してきたのは、日本人なのです
日本人がそうしなければ、現在の地球上に漢文は残っていません
中国(中華人民共和国)は七十余年の歴史しかありません
したがって二千年以上の歴史を持つ漢文が中国の文学であるなどという馬鹿な話はありません
これはナショナリズムでも何でもなく、至極公明正大な意見です 漢詩は学べば学ぶほど、その芸術性の低さに失望させられる。
和歌では、海や川を詠むのに、江、津、沖、渚、磯、浜、堤、岸、汀、瀬、淀、淵、……など極めて多彩な表現を使う。
そして、「瀬をはやみ」とか「入り日を洗ふ沖つ白波」とか、その描写も克明かつ繊細。叙情性も豊か。
漢詩における川の表現はほとんど江、漢といった固有名詞ばかり。
しかも、その川がどのような様子で流れているのか・それに何を感じるかという表現も、李白や山水・自然詩人を除けばほとんど無い。単に「何某とかいう川がある」というだけ。 漢詩は儀礼的なものや政治や処世を詠んだものがやたら多く、詩の王道である花鳥風月や恋情を詠った詩が極めて少ない。
べつに政治や処世を詩にすること自体は良いのだが、肝心の内容が、ただ厭世に走っただけのものや、卑屈なものばかりで、全く芸術性が無い。
杜甫の後期の詩はほとんど全部そう。
「文選」には招隠だの反招隠だのという章があるが、本当に下らない。
「楚辞」の離騒はめずらしい字が並んでるだけで、内容はネトウヨの高校生がヤフコメか嫌儲に書き込んでる程度のもの。
われこそは新島守よ隠岐の海の荒き波風心して吹け
こういう詩はシナには無い。
後鳥羽院の歌は、自らの不遇をかこちながらも、雄々しさ・雅やかな心はそのままで、それが却って沈痛な趣を醸し出している。
己の不遇をかこつ漢詩はどれも、「左遷された。世の中クソ」みたいなのばかり。こんなものは文学ではない。 そもそも、古代中国語みたいな時制の概念すらない原始人レベルの言語で、まともな文学を書くのが無理。
しかも、漢詩の場合は接続詞や助字も省略されるから、どうやったって
オニク オイシイ
ワタシ ウレシイ
みたいな阿呆みたいな文章にしかならない。
正直、漢詩は日本人が書き下し文にして初めて詩の体裁になっていると言ってよい。 陶淵明にはまっている
遊びに全力を注げの意味が曲解されている詩が気に入ってる 萩原朔太郎が、日清戦争後に歌人たちが国威発揚の短歌やら軍歌やらを濫造したことを批判しているが、杜甫の詩ってまさにこれだよな
古詩の言葉をたくさん使ってるだけで詩の心がまるで無い 玉華宮 杜甫
渓廻松風長 渓廻りて 松風長く
蒼鼠竄古瓦 蒼鼠 古瓦に隠る
不知何王殿 知らず 何王の殿ぞ
遺構絶壁下 遺構 絶壁の下
陰房鬼火青 陰房 鬼火青く
壊道哀湍瀉 壊道 哀湍瀉ぐ
萬籟真笙竽 万籟 真に笙竽
秋色正瀟洒 秋色 正に瀟洒
美人為黄土 美人も黄土と為る
況乃粉黛仮 況んや乃ち粉黛の仮をや
當時侍金與 当時 金與に侍せしもの
故物独石馬 故物 独り石馬のみ
憂来藉草坐 憂来り草を藉いて坐し
浩歌涙盈把 浩歌すれば 涙把に盈つ
冉冉征途間 冉冉たる征途の間
誰是長年者 誰か是れ長年なる者ぞ
唐詩選に最初に出てくる杜甫の詩
これは名詩だと思う
渓廻松風長
蒼鼠竄古瓦
というのは、繊細な叙景描写だし、晩年の律詩にあるようなわけの分からん屈折も無く、全ての句が緊密に働いている 唐詩選の七言古詩の巻に、劉希夷の詩がふたつ載っていて、「代悲白頭翁」の方が有名なのだが、「公子行」のほうが良いと思う。 唐詩選には良い詩が多い。
解悶 杜甫
一辭故國十經秋
毎見秋瓜憶故丘
今日南湖采薇蕨
何人爲覓鄭瓜州
一たび故国を辞し 十たび秋を経る
毎に秋瓜を見れば 故丘を憶ふ
今日 南湖に薇蕨を采る
何人か為に覓めん 鄭瓜州
> 毎見秋瓜憶故丘
杜甫がこういう名句を書いているとは意外だった 商山早行
温庭筠
晨起動征鐸
客行悲故郷
鶏声茅店月
人迹板橋霜
槲葉落山路
枳花明駅牆
因思杜陵夢
鳧雁満回塘
晨に起きて征鐸を動かす
客行 故郷を悲しむ
鶏声 茅店の月
人迹 板橋の霜
槲葉 山路に落ち
枳花 駅牆に明らかなり
因りて思う 杜陵の夢
鳧雁 回塘に満つ
唐詩選には無い詩 来是空言去絶跡
李商隠
来是空言去絶跡
月斜楼上五更鐘
夢為遠別啼難喚
書被催成墨未濃
蝋照半籠金翡翠
麝薫微度繍芙蓉
劉郎已恨蓬山遠
更隔蓬山一万重
来るとは是れ空言 去りて跡を絶つ
月は楼上に斜なり 五更の鐘
夢に遠別を為して 啼くも喚び難く
書は成すを催されて 墨未だ濃からず
蝋照 半ば籠む 金翡翠
麝薫 微かに渡る 繍芙蓉
劉郎 已に蓬山の遠きを恨むも
更に隔つ 蓬山一万重
漢詩に、こういう耽美的で哀切な情の籠もったものがあるとは意外だった。
李白の「玉階怨」に並ぶ傑作だと思う。 鍾山即事 王安石
澗水無声繞竹流
竹西花草弄春柔
茅簷相対坐終日
一鳥不啼山更幽
蕪村の、ひねもすのたりのたり哉に似た風情があるような気がする この人は、ほかの作品もなんか和歌や俳句っぽい
落花
牆角數枝梅
凌寒獨自開
遙知不是雪
為有暗香來 細雨
李商隠
瀟洒傍廻汀
依徴過短亭
気涼先動竹
點細未開萍
稍促高高燕
微疏的的螢
故園煙草色
仍近五門青
瀟洒として廻汀に傍ひ
依徴として短亭を過ぐ
気涼しくして先づ竹を動かし
点細くして未だ萍開かず
稍や促す 高高たる燕
微かに疏にす 的的たる螢
故園 煙草の色
仍ほ五門の青に近し
感覚が抜群に優れているな 春雨
李商隠
悵臥新春白袷衣
白門寥落意多違
紅樓隔雨相望冷
珠箔飄燈獨自歸
遠路應悲春晼晚
殘宵猶得夢依稀
玉璫緘劄何由達
萬里雲羅一雁飛
悵臥す 新春 白袷衣
白門 寥落として意多く違ふ
紅樓 雨を隔て相望めば冷やかに
珠箔 燈に飄りて獨自り歸る
遠路 應に春の晼晚たるを悲しむべし
殘宵 猶ほ夢の依稀たるを得る
玉璫 緘劄 何に由りてか達せん
萬里の雲羅 一雁飛ぶ 寄令狐郎中
李商隠
嵩雲秦樹久離居
雙鯉迢迢一紙書
休問梁園舊賓客
茂陵秋雨病相如
嵩雲 秦樹 久しく離居す
雙鯉迢迢 一紙の書
問ふを休めよ 梁園の舊賓客に
茂陵の秋雨 病相如
私も遠方の友人から手紙がきたことを、双鯉迢迢とか言ってみたい 白居易は、唐詩三百首には長恨歌と琵琶行のほかに4首あるだけ。唐詩選には1首もない
もしかして、人気あるの日本だけなの? 落花
李商隠
高閣客竟去
小園花亂飛
参差連曲陌
迢遞送斜暉
腸斷未忍掃
眼穿仍欲稀
芳心向春盡
所得是沾衣
高閣 客竟に去り
小園 花亂飛す
参差として曲陌に連なり
迢遞として斜暉を送る
腸断たれて未だ掃くに忍びず
眼穿たれて仍ほ稀ならんと欲す
芳心 春盡来るに向かひ
得る所 是れ沾衣のみ >>198
これは良い詩だ。
杜甫の詩と比べてみよ。
曲江二首 杜甫
其一
一片花飛減却春
風飄万点正愁人
且看欲尽花経眼
莫厭傷多酒入脣
江上小堂巣翡翠
苑辺高塚臥麒麟
細推物理須行楽
何用浮名絆此身
こうして見較べれば、杜甫のは大袈裟な言葉を並べただけの何の心も無い詩と分かるだろう。
技巧においても李商隠の方が遥かに上だ。
李商隠の詩は、楼閣、客、小園、花びら、道、夕日などのモチーフが分かち難い関連を保って詠まれており、しかも詩人の心象を象徴している。
杜甫のは、花びら、風、翡翠、園辺の塚などが個別に描かれているだけ。七言詩はより多くのことを書けるはずなのに。
また、李商隠の詩は、全体的にもの寂しさがある中で五六句目に「腸断」「眼穿」も強い言葉がきてリズムがある。
一方、杜甫のは一句目から「滅却春」「愁人」と強い調子で詠みだして尻下がりになっている。 杜甫にしろ陶淵明にしろ、だいたい最後は哲学や人生論で締めちゃうのは、文学よりも論を重んじた中国人の欠点だよね >>200
哲理を説いても謝霊運や謝朓は叙情性豊か
陶淵明はまだ生活の実感に根差した趣がある
杜甫は頭の中で考えたことを美辞麗句で飾っただけ 現代日本でわざわざ漢詩なんか読む人間が、ああいう卑屈な詩を好むとは思えんのだが。 芭蕉が杜甫の詩を読んでいたことは、「奥の細道」の平泉のくだりからもわかるが、芭蕉の作風には杜甫の影響というのはほとんど感じられない。 >>203
うむ
「五月雨をあつめてはやし最上川」は、李白の「早発白帝城」のようなダイナミックな叙景だし、
「草臥れて宿かるころや藤の花」は、陶淵明の「採菊東籬下、悠然見南山」のようだ。漱石が「草枕」で評したような解脱感がある。
「古池や蛙飛びこむ水の音」や「閑さや岩にしみ入る蝉の声」は、全く日本人特有の感性で、シナの詩人の書くべくもない。
「秋深き隣は何をする人ぞ」なんて詩は杜甫には絶対に書けない。 昔々なんとコンピュータ関係の雑誌に載っていた読み下し
冒頭だけ覚えている
漢皇重色思傾国 シナの王様スケベな野郎
御宇多年求不得 可愛い子探して日々送る ↑ これ、7-7-7-5 になっており、
つまりは「都都逸」のフォーマットで読み下したという訳か・・・
作者は柳橋あたりで鍛えた粋人じゃろうか? つづきはこう↓だったか
天生麗質難自棄 こんな別嬪見たこと無いぞ
一朝選在君王側 ウシシ嬢ちゃんこっちへおいで
古典の教師に教えてやったら唸っていた
ただし、「答案に書いたら0点にするからな」だった