【山の民】サンカ(山窩)について語るスレッド
今でも中国地方にいるだとか聞くけど、本当なのだろうか? 今でも中国地方にいるだとか聞くけど、本当なのだろうか? サンカの末裔
https://9ch.net/ZCrRC
私が生まれた広島県の被差別部落のはずれに、
ひとりだけ、掘っ立て小屋のような家に住む孤老がいた。
うちの部落の住民のほとんどは、定住・農耕を生活の基盤に置く人々だったが、
竹細工と魚とりを生業にするその老人は、ボサボサの白髪の仙人めいた風貌で、
明らかに私たちとは違う文化圏の住人であることを感じさせた。
家の外を歩いていて、たまにその孤老を見かけることはあったが、面識もなく、
なんとなくその風貌が子供心に不気味だったこともあり、口をきいたことはなかった。
当時(1980年代中頃)は、部落解放運動の一環として、
郷土の部落史づくりが盛んになっていた頃で、各地で聞き取り調査が行われていた。
そんな流れの中、父がその孤老に話を聞きにいくというので、私も一緒についていき、
島根県の方まで竹細工や魚を売り歩いていた話や、
道具を使わずに魚を捕まえる方法など、いろいろ面白い話を聞いた。
一般的な広島弁とは違う、ちょっと引っかかるような独特の発声が印象的だった。
たぶん実家には当時の録音テープが残っていると思う。帰ったら聞きなおしてみたい。
その後は、外でじいちゃんと顔をあわせたら、あいさつするようになった。
にっこり笑ってあいさつを返してくれたじいちゃんの苗字は「竹屋」だった。
たぶん通称がそのまま呼び名になって定着したのだろう。
数年前、『サムライチャンプルー』制作中の渡辺信一郎監督に取材したとき、
この話をしたら、身を乗り出して聞いてくださった。
おそらく、じいちゃんは、サンカの末裔だったのではないか。 【つけびの村】山口県周南市連続殺人放火事件について
https://9ch.net/F7Uqy
個人的に興味を引かれた部分は、父・友一についてである。
一部には、先祖代々から家があった訳ではなく山中から降りてきた、
竹細工売りなどをしていた話は一部報道されていたが、
本書に出てくる周辺住民の「噂」を加味すると、
生活困窮民(漂流民というより難民)としてのサンカのような暮らしぶりが想起される。
彼が眠る保見家の墓の見開き写真も強烈なものがあった。 https://www.youtube.com/watch?v=pym_7PyoLCE
拾いだけど地方は色々な風習が残っているんだよね。皇室もお米のとぎ汁で体
あらったり色々あるらしいし。お葬式で棺をみんなで抱えて一度近くの川を
渡るってのもあるっていう。三途の川ってことみたいだけど 566 日曜8時の名無しさん 2021/02/10(水) 14:01:24 ID:yiSg+Mx5
秀吉が遊芸民・漂泊民の出だったという説はどこまで信憑性があるのか
572 日曜8時の名無しさん 2021/02/10(水) 14:21:51 ID:olDzbNST
>>566
自分は親の出自(とくに父)が明確でないうえ
右耳の穴のとなりに針穴のような小さな穴が開いてるんです
母から聞いた話ですがこの穴は産婆さんによると蛇の穴といってサンカの印だと
いうことなんです
大人になって気になりサンカ関係の書籍をあさってみました
サンカの幻想は元朝日新聞記者の三角という人がエログロを主題として創作に近いもので
沖浦氏によると飢饉などで生活に困窮したさまざまな階層の人が流民かしたものが
漂白民であったり遊芸民であると定義づけています
一方でネットワークの存在する河の民や大道芸人や傀儡子そして修験道者などの研究もあり
何をもって漂白民とか遊芸民とするのかがまず難しいのですね サンカを世に広めたのは昭和の中頃に活躍した三角寛という元新聞記者だが
実はこの人、研究者と言うよりサンカ小説というジャンルを生んだ作家だった
刺激的な創作で有名になってしまったため、まじめな研究はむしろ廃れた
被差別民への偏見が絡むデリケートな問題もあった
山に棲む謎多き流浪の民は本当に居たかもしれないけど
結局その実態は、歴史の闇と虚実の狭間に消えてしまった 居合術を使うサンカっていますか?
実は子供の頃に、近所の山奥の河原に浮浪者みたいな夫婦が住みついて、近所の友達とそいつらの小屋に花火打ち込んだりしてからかいに行ったら、小屋から長い刀を腰に指した浮浪者が飛び出してきて、我々が打ち込んだロケット花火を抜き打ちで斬り落とした
怖くなって逃げてそれっきりだが未だに気になる
場所は大分県の大分市戸次って所から少し山に入ったあたり 昔からいろいろな事情の人が山に隠れて暮らしてきたんだろう
そんなロマンのある山の民なんかいなかったのかも
>>25
それにしても刀振り回すのは怖いね 事情があって、人里には住めなくなった居合の達人だったのかね。 山で生きるのって普通無理だよ
俺の経験だけど、若い頃に色々あって東京から大分の山間部へ入り浮浪者生活始めたんだがやぶ蚊に堪えられず1ヶ月で山を降りた >>31
大勢で森を拓いて隠れ里かキャンプ場みたいのを作ればいけそうだけどな あと漂白民だから里を渡り歩いて細工物を売ったりしていたと言われてる
日本は山がちだからジプシーみたいな連中がいたとして、山道を移動することが多かっただけかも 昭和のドキュメンタリーをつべで見たけどアナウンサーやお役所の人の言葉はわかっても地元の人の言葉が何言ってるかわからなかった
津軽や鹿児島ではなかったのに
今だって曾祖父世代の言葉は方言キツくてわからないのに
今のように気軽に地元を出なかった各所の人達の言葉がわかるのかなあ
流浪して物売りするなら言葉がわからないと難しいような 過去スレに毎日新聞の記事がコピペされてた
長すぎると言われたので分割します
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237 こぴっぺ 2001/06/22(金) 17:32
これでしょ?
最後のサンカに会った ロマンに潜む虚像の怖さ
池田知隆(大阪社会部編集委員)
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独特の川魚漁を見せる最後のサンカ=広島県で
◇差別された窮民の子孫
「私たちはサンカ(山窩)と呼ばれていました」。広島県東部に住む男たちが、
目前で語り出した。サンカとは、かつて日本列島で箕(み)作りや竹細工、川魚
漁などを生業とした漂泊民のこと。1950年代末に消えた。虹のような幻の民
としてロマンチックに語られてきたが、実像は被差別民だ。より学問的に解明し
ようと桃山学院大学名誉教授(比較文化論)、沖浦和光さんがこの5月、部落解
放同盟の人たちの案内で聞き取り調査をした。それに同行し、最後のサンカと言
われる人たちから生の声を聞いた。「3歳のとき、父が亡くなり、隣のおじさん
と10歳のころまで川魚漁をして回った。とにかく魚を食べられるのがうれしく
て……」。尾道市に住む公務員、Aさん(59)は懐かしそうに語り出した。両
親は、大正時代に被差別部落内にできた「融和」住宅に入って定住。「地区内で
も『山のもん』とか『サンカホイト』と差別された。中学のころから、何をして
いいのか分からなくて、暴れていましたよ」 サンカといえば、三角寛(190
3〜71)の名を思い出す古老は少なくない。 朝日新聞記者を経て、昭和のエロ
グロ時代に猟奇的なサンカ小説を書きまくった人気大衆小説家だ。昭和の初めに
現れた説教強盗を、その犯行の特異さから「サンカの仕業」と考えた警察の見方
にのって「伝奇ロマン」ものや荒唐無稽(むけい)な物語を生み出した。戦後、
三角は約30年にわたる研究成果をまとめた「サンカ社会の研究」で文学博士を
取得したが、学問的に信頼できないとして柳田国男などの民俗学者からは無視さ
れた。沖浦教授も「三角のサンカ像は奔放な想像力の所産であり、虚構の部分が
少なくない」と指摘する。だが、一方でサンカのイメージはよりロマンチックに
なる。私がサンカの世界を知ったのは「戒厳令の夜」「風の王国」など五木寛之
の作品からだ。国家の規制を超えて独自の文化をもち、管理社会の下で閉塞(へ
いそく)した状況に風穴を開ける集団として登場し、痛快だった。中島貞夫監督
の映画「瀬降り物語」(85年)では、山々を流浪する孤独な生活を萩原健一が
好演した。作家の椋鳩十は、自然に生きる漂泊民として詩情豊かに描き、自由に
生きる人間の原風景を呼び起こした。昨年末から刊行されている「三角寛サンカ
選集」(全7巻)が今、予想以上に版を重ねている。版元の現代書館編集長、村
井三夫さんは「もう読めないとあきらめていたが、よく出してくれたと喜ぶ高齢
者が多かった」と語る。社会の窒息感が昭和初期のころと似てきているのだろう
か。 だが、サンカの実像はいったいどうなのか。サンカに関する初出史料は安芸
国(広島県)の庄屋文書(1855年)とみられる。三角がサンカ発生の地とし
て「雲伯石の三国」(島根・鳥取両県)を示唆しているが、「それに広島県を加
えれば、その指摘は当たっている」と沖浦教授は語る。ただ、サンカが古代国家
成立前の山人という説に対して、「近世末期発生説」を提起した。当時の度重な
る大飢饉(ききん)で農山村が荒廃し、餓死を逃れて山へ入った窮民が山間川辺
を漂泊する流民となった。サンカは漢字では「山家」「山窩」という字があてら
れるが、「山にひそむ盗賊」の意味だそうだ。文明社会から置き去りにされた漂
泊民をあたかも犯罪者集団と見た名残がある。そのサンカは明治初期から次第に
被差別部落や都市部のスラム街に溶け込んでいったというのである。 「学校があ
るから、と私を残して両親はあちこち仕事に出かけ、寂しかった」とサンカの古
老、Bさん(83)は話した。聞き取り調査の後、Aさんたちが川で代々伝わる
「はえなわ」の仕掛けを教えてくれた。「車や冷蔵庫がなかったころ、山間地の
人々にとって川魚は貴重なたんぱく源。農家でよく米などに換えてもらいました。
この川魚漁は私たちの生活文化として子供たちにも伝えたいですね」。そのにこ
やかな表情には、差別に屈せず生きてきたサンカの人たちのたくましさが息づい
ていた。漂泊へのあこがれと、隠された差別の実態。サンカの人たちの話を聞き
ながら、ロマンに彩られた虚像の怖さを改めて思い知らされた。
(毎日新聞2001年6月22日東京朝刊から)
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/min/988420242/237 >>35
富山の薬売りは江戸時代に全国を売り歩いた
物売りなら外国人にもできるからなんとかなったのでは
>>36
乙
サンカと呼ばれてましたと自己紹介する人が本当に居たんだね 大和民族とは別の文化をもつ山窩なる人たちがいたのか?と言うことが知りたいけどそっちはわかんないよね
山に住んで生業が竹細工だったりした人たちや犯罪者集団として山窩呼ばわりされてた人たちはいたんだろうけど >>42
大和朝廷に追われたまつろわぬ民の成れの果てならロマンチックだけどな
そんなおとぎ話みたいなことはないだろう >>42
冷静に考えれば竹細工とか川漁師とかそう特別なもんじゃないな
夏目漱石は米はイネになるって知らなかったそうだけど
都市部だけで育った人からすれば農村に当たり前に存在する竹細工とか川で魚取ったりする光景も
見たことない珍しいものと特別な感じでとらえてしまったのかもしれない 戦前までなら東京でも京都でも川魚や竹細工が珍しかったことはない
珍しくないがプロから買う意味はあったのだろう
あるいはお情けで流れ者から買ってあげたみたいなことも多かったかも
戦後でも昭和の終わり頃まで行商人というのがいて香具師もそうだけれど
ニーズより人情に訴える商売というところがあった
サンカと呼ばれた人々はやはりジプシー的な独自性があったりして
文化の違いが感じられて珍しかったのではないかな >>25
>>26
人が住んでる小屋にロケット花火を打ち込む方が恐いわ
サンカの人達が忍術を伝える人達と
ルーツが重なる部分もあるかも知れないという説は何かで読んだことがあるな ttp://2006530.blog69.fc2.com/blog-entry-572.html
http://www.kumanolife.com/History/sankamoji.html
ヲシデ文字 秀真文字
https://yamatohime.info/kamiyomoji/
ttps://ameblo.jp/sankalab/entry-11910474121.html?frm=theme その他、神農道や的屋、香具師の世界を調べてみても得るものもあるかもしれません? 似て非なるものかも知れませんが歴史的にも興味深い分野ですので
その辺りは、添田知道『テキヤ(香具師)の生活』、雄山閣出版
を読まれると詳しく分かるかもしれません?
色々間違ってたらゴメンね その他、忍者の世界を調べてみるのも得るものは多いかと思いますよ? サンカやタタラは共通項も多いということなので
もしかしたらその辺りで
習合分布図が重なり合うかも知れませんな? 別府には無職対象の授産的な竹細工の学校もあったしな
たしか大分県には文献に良く出てくるサンカの小刀とか残ってるはず ウメガイ?
ナイフの雑誌では評判悪かったみたいだけど
普通に山菜取りに使う両刃の小刀じゃないの? 三角寛さんが書き残した内容には
嘘や間違いが多いってのはよく言われてる事だし
筒井功さんの『サンカの真実 三角寛の虚構』
みたいにそこを調査した本もあるけど
最近は、飯尾恭之さんから
サンカの子孫の型が三角さんと会った話や
三角さんからもらった原稿(なぜか表題が三角さんの筆跡で内容は他の人の筆跡)を
持っていたのが見つかったと報告があったり
沖浦和光さんがよく著作に書かかれた「三角さん得意の作り話」という
姿勢への疑問も出て来ているし
三角さんが調査して取り上げたサンカの方々を
利田敏さんが再発見して嘘ではなかったと証明して見せたり
三角さんの調査記録も再評価はされてはいるみたいですね?
この辺りは「歴史民俗学研究会」の会誌や
批評社の サンカ学叢書 というシリーズに
詳しいようですので、興味ある方はお読みになられれば如何でしょう?
それでも何も解らないのがサンカなのかも知れませんが >>78
パッと見でなさそうだけど
http://www.eonet.ne.jp/~jellysbamboo/gallery/beppu/learning/learning.html サンカなんて普通にどこにでもいただろうにね。
山に棲むもので竹細工や狩猟を生活の糧として生きていた(る)人って当たり前のようにたくさんいたよね
ってネットで発言したら
なんか必死になってそれを否定する輩が沸いてきて
何で?って疑問に思うのと同時に「あぁ」って察するものがあったね。
触れてはいけない何か?
当たり前として接することがはばかられるような存在として、こちら側からも向こう側からも「明確に」不可侵なモノ。
関東東北なんかだとそういう意識本当に低いというか弱いけど、察したわ。
下手に刺激出来ない?怖いね。 でもま〜、言いたいことはわかる気もするけど
この時代に? とも思うよな?
ところで、関東東北の方は
そういう意識が低いというか弱いのかな?
逆に不可侵意識が強い地方って何処ら辺だと思う? 民族というよりかは部落とかそういう方面の話に近いんだろうな 昔、大分県で刀指してるサンカ見たんだがなんだったんだろう? >>84
そんな怖がるようなことではなく、サンカといえば被差別扱いにもになってるから
ピリピリするのもいるってだけじゃないの?
そうしたことを深刻に受け止めないのは自分も東日本の人間だからかもしれないけど >>84の言いたいことはわかる気がするような?
過去スレ見て見たら明らかだしな
>>84の理屈で荒らされてるスレが実に多い >>88
>昔、大分県で刀指してるサンカ見たんだがなんだったんだろう?
詳しく! 昭和の終わりごろに金閣寺の大改修があったのを覚えてますか?金閣寺大改修の時に使われた漆、あれだけの量の最上級の漆を何年間もかけて集め、あの厚さに誰が塗ったのか、私から言えるのはここまでです。 >>91
昭和58年頃だけど、大分市の戸次近くの河原に夫婦のルンペンが小屋掛けをしてて、その小屋に地元の子供たちでロケット花火を撃ち込んで遊んでたら、浴衣みたいなのを着たルンペンが居合術に使うような長い刀(鞘は黒で柄はかなり使い込まれてる感じの)を腰に指して低い姿勢で飛び出してきてロケット花火を抜き打ちにしてパッと鞘に納めたのを見た。
その夫婦は夏が終わった頃に何処かへ行ってしまった。 >>92
?
>>93
昔の事ではあってもやっちゃいけないことだけど
それでも
貴重な証言を有難う御座います!
個人的には、サンカに伝わった武術の研究をしているので
興味があります
実際に、打ち込まれたロケット花火を走りながらの
抜き打ちで切り払えるとしたら相当な腕前ではありますね
なかなか出来るものではありません
居合というのは基本、武士か公家を中心に伝播した技術だと考えられますので
サンカ民族?に居合いという文化があったかどうかは分かりませんが
ラッパやスッパという職業?的な所で忍術のルーツとしての
体術や格闘術はあったのだろうと思ってますので興味深い証言だと思います もしもサンカ民族由来の武術でなかったとしても
基本、大分市の戸次川は
古戦場跡で、武将・長曽我信親の墓もあるぐらいだから
その辺りの地域での古流武術の伝承が残っていれば
何かの技術の流通や交換、伝承などの手掛かりになる何かがあるかも知れませんね
とにもかくにも貴重な情報提供に感謝いたします 大分でサンカっていうと的ヶ浜事件があるよね別府市的ヶ浜集落には、山窩やハンセン病患者が小屋に住んでいたのを警察が焼き払った事件といわれているけど、大分には他にもこういった集落があったのかな?
大分から別府にかけての海沿いの急な崖地に小さな家が密集してたりするけどあれも気になる 平家の落人の集落も多いみたいだし
家船も多かっただろう 前から気になってるんだけど埼玉のサンカの松島さんって実際どうなのかな?
埼玉群馬栃木(あるいは福島も)で松島さん=被差別って図式もあるからたまたまなのかそれともつながっているのか・・・
しかも鳥海弥三郎安部宗任の子孫を自称しているみたいだし >>94
>サンカに伝わった武術
そう言えばそんな小説があったね >>102 もうちょっと詳しいヒントや資料は残ってないですかね? Wikipediaの「大白森」の項目に江戸時代に記録されたサンカの物語が書かれていますね。 肥後熊本藩じゃないけど、土佐藩山内家の郷士で土佐勤王党の那須信吾はサンカ出身だという話はある >>94
刀剣の技術として抜き打ち(抜いたままに斬りつける)は割と普遍的で
わざわざ「居合」を云々する必要もないと思う
何か「居合」「抜刀術」を普通の剣術流派と異なる特別のもので
普通の流派は「抜いてからだけ」とイメージしてるむきが多いように思うことも多いが
多くの剣術流派はその体系に抜刀術(もしくは居合)を内包してる
もしくはその逆(居合を主体として他の技法を併せ持つ)
一例を挙げれば「子連れ狼」で有名な「水鴎流」は実在の「居合」流派だが
(漫画のそれは概ね創作で一部の技法名等を借用している)
曰く、薙刀や組み打ち術などを併せ持つ総合武術とされる
しかしこれについては元々は普通の剣術であったものに後から居合を取り込んだとする研究もあって定まらない 刀術に巧みなサンカ
まあ武士が世の中を嫌になったり精神的疾患等で山に入ってサンカになったのかもね
上州の国定忠治一党や下総の勢力富五郎みたいなヤクザも追われて山に入ったから、そういう渡世人でもあったかもね 山賊とか避難民を除いてサンカなる独自の民族が日本に存在していたかは疑問だろう
狩猟採取民族的な性格を持っていたアイヌ民族も一定の集落を形成しているのに
つい最近まで定住地を持たないキャンプ生活のような流浪民族がすぐ近くに居たとは考えにくい >.106
後半で一例を挙げた内容が前半の書き込みと矛盾するのでどう読めば良いのか・・・?
別に古流剣術流派の何処もかしこもが
居合を含む訳ではないと思うが?
むしろそういう流派は少ないかと
ある藩内で総合武芸として学習されていた流派なら
剣術に居合いや柔術、馬術弓術などを含んでいても不思議はないが
剣術から見て居合はかなり特殊ですよ?
居合には居合いの特殊な技術や思想があるので
剣術とは別体系だし使用される状況もまた別ではないかと? サンカっていうよりドロップアウトした山伏みたいなのも刀指してる 大道芸で居合抜きみたいなことをしてた流浪の人かもしれないね
そんな本格的じゃなくても素人は感心させられるだろう 昔の縁日にはガマの油売りとか刀使った駒回し芸とかやってる人いたね 大道芸もまた特殊な世界ではあるが
落ちぶれた浪人も大勢いた事だろう >>100
鳥海弥三郎、つまり安倍宗任とかいわゆる蝦夷 サンカの食べ物に興味あるんだが魚ばかりだったのだろうか? 陸軍関係者お気に入りのサンカ料理の料亭とかあったらしいけど
そこでは川魚料理にヨモギそばとか主流じゃなかったっけ? 差別を受けていた人達が、生きてゆくために選んだ職業がサンカ。
主に、箕作や竹製品の修理、川魚の採集などを行う人を常民(百姓)がサンカと呼んだ。
竹製品や川魚は常民に売って生計を立てるので、生活圏は深山幽谷などではない。
2022年8月現在、私の住む街にはサンカの末裔が暮らしている。
地域の人は、みんなそのことを知っているが、特別、問題になどしない。
彼らはサラリーマンだったり、お店を経営していたりと、ごく普通に暮らしている。 サラリーマンのサンカとか自衛官や警察官のサンカってイメージ沸かないけど、ようは普通の人なんだろうなぁ 上の方でも武術や忍術の話が出てたみたいだけど
そういう独特の文化を伝え残している人達はいないのかな? 其の人達は、食べるために、鋳掛屋や笠修理、サンカをしてきたんだ。 子どもの頃リンゴ畑の中にピザ窯みたいな石積みのかまくらみたいなのがあってジイサンがよく佇んでた
農家の人に聞いたら“サンカの爺さん”と呼ばれてて昔はリンゴ畑のある山の真ん中で野鍛冶して農具の修理してたらしい
呆けてときどき昔の仕事場に出かけて来るって話だった 北極星でナビゲーションってサンカなら老若男女ともお茶の子さいさいなのかな >>84 「聞き書き 兵庫の食事」(農文協刊)の神戸のところに書いてあった、冬になると神戸に山肉(ジビエ)を売りに来てた人がサンカっぽいな
角のついた鹿の毛皮を被って、肉を入れた箱を首からかけて
確か丹波から来てたとか書いてあったかいたか
丹波なんて日本の分水界では一番標高が低くて、古くから開けてた場所なのに、そんなところにもいたか >>123
ルンペン、浮浪者は人のいる町中でゴミ漁りしたり小銭を恵んで貰ったりして生きてる
サンカはコミュニティを作ってに山に隠れ住み、竹細工や川魚等を売りに里に来たとされる Aさんは平野部に住居を持ち、春から秋は竹と川魚を生業とし、冬は鋳掛屋や門づけを行っていた。こんな季節ごとに商売を変え行商する人がサンカと呼ばれた。庭場(行商テリトリ)の広い人はセブリも使ったでしょう。でも山奥に住んだら商売にならないよ。 兵庫県の地図を見てたら加古川市と丹波篠山市の山際っぽいところにそれぞれ「細工所」という地名があった
里の人間との交易の場所だったのかな。それこそ細工の工程を見せて即売をして 木地師やマタギとは職域をわけてたわけですからね。
村落のごく近傍でやる箕作り箕直し竹細工野鍛冶。市中なら川魚売りや下駄の歯入れ。 大分水界の奥山というより丹波高地や吉備高原や多摩丘陵といった低くて浅い山が広がる地域がメインの生活圏だったか 偏見や差別を受けずに生きるには、生まれ故郷を離れるのが最も簡単である。
手に技術のある者は(竹細工、川魚漁、金属加工)職能集団として、
そうでない者は(薬売り、門づけ、経文師、行商人)として全国を回った。
その行動範囲はそれぞれで、自宅があっても、四国から関東まで通っていた例もある。
山奥に住み独自の風習と伝統を持つ人々は今もいるが、それとサンカとは違う。
家船の末裔も防予海峡の島々には残っているが、今は普通の現代人である。
サンカとは、職種をさす言葉であって、決して民族をさす言葉ではない。
兵庫県丹波地方は、サンカ小説では本拠地として有名だが、作家のフィクションである。
大分県竹田市にはサンカ(竹細工師)がいて活躍したことを調べた論文がある。
また別府市には大分県立竹工芸訓練センターまであり、移動型竹細工師の活躍がしのばれる。 >山奥に住み独自の風習と伝統を持つ人々は今もいるが、それとサンカとは違う。
根拠は? で、サンカでなければ何?
>サンカとは、職種をさす言葉であって、決して民族をさす言葉ではない。
この一行は最初の文言に矛盾しないか?
>偏見や差別を受けずに生きるには、生まれ故郷を離れるのが最も簡単である。
>手に技術のある者は(竹細工、川魚漁、金属加工)職能集団として、
>そうでない者は(薬売り、門づけ、経文師、行商人)として全国を回った。
偏見や差別を離れるのにもっとも簡単な方法は職替えでは? >>130
>でも山奥に住んだら商売にならないよ。
高速で移動する人達だから関係ないのでは?? 夫れ當流の武術は羽客の傳にして矢田半官の創業也 九世を経て後矢田讃岐守源頼章善く天下の諸流を学び悉く其 奥意を極め遂に其妙旨に至りて長を採り短を補ひ亦一家の業を開き始め神傳慈眼流と称ふ 其後源徳幸に至り又神傳不動流と唱ふ
矢田半官
羽客
・・・何かサンカを連想しないか? 木地師もマタギもサンカとは別物じゃない。山にいるのはサンカだけじゃないしむしろ村落や市街の周辺にいる存在。 h
ttp://www.oumaga-times.com/archives/1067027386.html
あの夏、俺たちは禁忌の山に登った >>135
まず生活圏を変え、次に職種を変える。これをトケコミと言う。
>>136
高速で移動って小説には書いてあったね。健脚だとは思うけど山と里の間で生きた人々だからね...。 その差別を避ける為と言いながら長い間職業だけでもトケコミ的に変えずにいた理由は?
例えば行商人として山から離れ町から町を巡っても悪くはない
例えば薬売りがそうだけどみんながみんなサンカでもなかったみたいだし?
田舎から都会へ仕事を求めて出て来る人は昔からいた訳だし?
で、山奥に住み独自の風習と伝統を持つ人々がサンカでなければ何なのだろう? >>141
その人達は日々進化して、サンカと呼ばれないよう、社会にとけ込めるよう、
不断の努力を重ねた。そして、昭和40年迄に、彼らは見事に、消えていった。
山奥に住む人の話は板が違うから詳しくはしないが、木地師、マタギ以外にも
いる。平野部に家を持ち、ネット社会に適応しながらも、山の家は捨てない。
なぜか・・調べてごらん。日本人が見えてくるよ。 >>134
内容は個人的に調べたこと?
なにかの書籍や資料の抜粋かまとめ? >>143
サンカ関係の文献は多数あり、図書館めぐりをすれば読めますよ。
でも、もっといいのは、貴方のお爺さんやお婆さんに聞くことです。
みんな常識人なので、差別にまつわる事はなかなか話してくれません。
でも孫なら・・。大分県の図書館にはサンカ関連の論文がありますよ。
私は、サンカの末裔から話を聞きましたが、サンカは西日本一帯にい
らしたから、地域ごとに習俗が違うことは理解してね。 まぁ一般論としてそんなことはわかるけど
聞いたのはそうじゃなくてですね
おたくが書いた内容のソースが知りたかったのよ
私見なのか何かの抜粋まとめなのかなんなのかを ソース?
既存の資料と自分で調べたものだって書いてますよ。 昭和の末ごろにサンカシノガラのコネクションによると囁かれてた陰謀論が、平成に入ると在日があちらにもこちらにも入り込んで日本破壊を企んでいるという話にそっくり入れ替わっていて笑ったもんだ。
ヒトはいつでも見えない敵を欲している。 自分じゃ調べずソースを出せっていうヤツがここにもいたか 逆だよ逆
データや考察を提示するなら、普通は自分が使った資料もあわせて提示するもの
そういうの抜きで書かれても妄想と同じ こんな限られた分野を好きで調べていて
他人の文章や調査結果使うなら引用元示す
のは常識だろうね >>147
サンカは敵じゃないだろうに何言ってんだ?
>>142
ヒント位は書いてくれてもいいんじゃない?
普通は独自の風習を持って
山にひっそりと住む人をサンカ、山人というのであってそれ以外は調べようがない
そのままだと調べようがない 司馬遼太郎の花神だったかで幕末の長州藩の奇兵隊とか諸隊にサンカもいたというけど本当かい? >>152
>>ヒント位は書いてくれてもいいんじゃない?
沢山書いていると思うけど、まだ必要? 解放出版社の本が参考になると思うよ。
>>普通は独自の風習を持って山にひっそりと住む人をサンカ、
>>山人というのであってそれ以外は調べようがない
サンカを山にひっそりと住む人だと思っているなら、その線で調べてみたら。 >>154
山にひっそりがキーワードか?
しかしお前の情報が出鱈目間違いだらけという可能性もあるだろ?
第三者からしたら
思い込み強いだけの奴がヒントは沢山出したといっても
お前が間違ってたら意味がないしな ヒントは出してるとか調べればわかるよとか
お前らわかってないなー的なよくいる
屈折した優越感にひたりたいだけの変態なのか ヒントは出したとかさw
今の時代に秘密にする必要は何にもないのに
何言ってんだ?ってのはある >>142 第二次大戦後の引揚者の開拓村の墓守状態の最後の住人(子供の代ですら70以上)
70年代のヒッピーコミューンのなれの果て
この辺? >>162
前者は独自の風習は関係ないし
後者は普通に町中に降りて来るだろ
カルトなんかでも卵売りに来てるコミューンもあるし 鬼怒川の奥にまで入り込んで住み着いてた在日が、北朝鮮への帰国運動に応じて出国したというのは何かの本で読んだな
帰った人もいるけど帰らず山中に住み続けた人も? 逆に今でも朝鮮半島に潜んで住んでいるサンカとか
一時期話題になったなぁ 山奥の県道沿いに掘っ立て小屋みたいな所で川魚や山菜等を売ってる人たちってやはりそっち系?
大分の山間部(玖珠町・耶馬溪あたり)でハチミツと川魚を売ってる小屋があったんで寄ったらマムシや竹細工の篭とかも売ってたわ 山人とサンカって混同しやすいから注意が必要だね。
高地集落(山奥)には、そこに住まいする歴史的理由がある。
21世紀の今日でも山を降りない理由に山人の矜持が見える。 >>166
本物のサンカがいたとして末裔が今もそのまま暮らしているのは極めて考えにくい
それっぽい人がいたなら趣味でサンカっぽいことして半隠遁生活してるんだろう シノギはあくまでシノギ
漂泊する理由がなくなればすぐに市井に溶け込むだろう。 人間は慣れ親しんだ生活をなかなか変えられないものだ
しかし政府が徴兵のためもあって戸籍整備をするようになってから
流浪の民みたいなモグリの国民がいることは許されなくなった >>171
山に暮らし、山で生計を立てている人を山人と呼ぶことが多いですね。
木地師、猟師、漆採集、炭焼き、樵(きこり)等が分かりやすい例です。
次に歴史的理由から山に住んでいる方も山人と呼ぶことがあります。
源平の落人や、忌部氏の一部、山岳武士、圧政からの逃避者等がその例です。
多くは農業をされています。
サンカが生きるためには常民(平地人)との交流が必要です。なので
仕事の材料確保に里山程度には行ったでしょうが山奥には住みません。 サンカの食いもん?
イワナ、ヤマメ、アマゴ、ウグイ、アユ、猪、鹿、キノコ各種、山菜各種 季節で移っていくのなら吉野の宮滝や長崎県勝本町とかのようなのは とかのようなのは・・・?
どうなるって?
ホントにどうなるのよ >>172 多摩丘陵や房総丘陵や丹波高地(芦生は除く)や吉備高原というところがサンカの活動が特に盛んな場所だったのかな
丹波高地だと山国郷や八瀬童子との関連も気になる 宿場町 温泉地 宗教上の聖地 この5つのパターンが多いんだろうけど、もちろん太古からの原住民由来のものもあるだろう もう呆けて施設入ってるけど俺の爺さんサンカだよ
出身は三次なんだけどその前は炭焼きとか蓑売ったりして一族で渡り歩いてたらしい
自分達のことワタリとかサンカって言ってたわ >>185
広島の三次だよ
戦争が終わるちょっと前に三次にきてそのまま一族はそこに定住したらしい
三次は部落多いんだけど部落民とサンカは扱いが別だったらしい
爺さんが言ってたのはうちの一族の他に5つのコミュニティがあったって言ってた >>186
サンカ文字とかサンカに伝わる特殊な道具や言い伝え、宗教などについてに
何か聞いたことはありませんか? >>187
爺さん字書けんよ
学校も戦争も行ってない >>188だけどこの話しは俺が爺さんから聞いた話しで本当かどうかはわからないから話半分で聞いてくれ
山の事は何でも知ってて俺が子供の頃一緒に狩り行ったりした
爺さんは銃とか使わず罠で狩猟するんだけどその辺の木の皮とかつるを編んでそれを使ってやってた
今俺もいい歳になって趣味程度で狩猟するけどワイヤー、バネが無いと絶対無理だって思う 山の中で絶対に殺生しちゃダメな場所があるんだけど小さい頃教えてもらったけどどんな場所かは忘れた シシ(鹿、猪)獲れたらそこに左の前足を供えて榊さして御神酒するのは覚えてるけどその時変な呪文みたいなこと言ってたけどそれも忘れた 爺さんは長男だったんだけど本家筋から絶縁されたんだよ
詳しくは教えてもらってないけど婆さんが天皇家の乳母の系譜だったんだけどそれと一緒になったのが原因らしい あとは俺も最近知ったんだけどウメガイ?ってやつ
あれは使ってるの見たことない
山刀みたいなの使ってたけど全部包丁って呼んでた サンカの刀で知られるウメガイは証拠がなく、フィクション説が有力のようだね
誰かが特殊性を持たせたくて言い出したのかも >>192-193
こういう文化が山の神の民って感じでいいね
なんかゾクゾクするわ 仏教のせいで日本人は肉食してこなかったような意識が一般にはあるけど、
連綿と狩猟と肉食に関する習俗や祭祀は伝わってるのよね。
古い神社の祭りとか肉の供物や獣の犠牲は普通にあるし。 戦後に三次に定住したのは上に書いたけど本家に何度か行ったことあるんだけどめっちゃお屋敷なんだよ
何でか聞いたら樵の親方が全部用意してくれたらしい
三次って今でも部落あるんだけどサンカだった爺さんたちは部落民とは扱いが違うんだってさ
山神の遣いだって爺さんが言ってた
爺さんの婆様は祈祷みたいな事してたって聞いた あー、あと爺さんと山に狩り行ってだ時一度だけ心臓がめっちゃ大きくて周りに膜がある猪が獲れた事あったんだけど無口だった爺さんがめっちゃ喜んでたんだよ
何でか聞いたらそれ山の神の使いで獲るんじゃなく授かるものなんだって言ってた
食べれるのも長男だけで俺も食べたけどあれを超える食べ物に出会った事ない 拡大型心筋症のイノシシだったのかな
体自体も大きいイノシシだったのかな?
普通は「産まずの三歳のメス」が一番肉質的にいいと聞くけれど
(もちろん子イノシシだったら豚肉(享年約半年)同様クセもないんだろうけど、小型種の二ホンイノシシだとこの年齢は肉の量が少ない)
こういうものは味というより捕れたことに意味があるのかな? どこの民族にも内臓占いというようなものがあるからね 【RK川柳】 ワクチンを、打てば打つほど、救急車
://egg.5ch.net/test/read.cgi/rongo/1666566606/l50
>>199
山神の遣いとかカッコいい
サンカといえば非差別民問題と一緒くたになりやすい印象だけど、そちらでは山の神秘的な民として認められていた感じかな
役行者が山で不思議な力を得たように、実際山に住むと感覚が鋭敏になってシャーマン体質っぽくなるのかもしれないね 江戸時代の後半の時点で、「漂泊する」生活は難しいね。
というか、そもそも日本みたいに雪が降るような気候で「家を持たずに暮らす」って現実的ではない。
縄文時代はやってただろうというかも知れんが、あの時代は人口が少なかった。
江戸時代なんか、ふらふらとどこかに仮小屋でも作ろうもんならすぐに追い出されただろう。
誰もいない山奥はそれこそ雪が積もる。
食い物がない。
自分一人で10年だけとかならあり得るが、家族を作って子孫を作って集団を維持していくだけの
「漂泊できる土地」は残念ながら存在しなかったと思うわ。
うちの地域の山奥の今は廃村になったムラがあるが、
近くの村から分村したらしい。次男や三男が。
だけど、多分100年も持たなかったと思われる。 戦後に三次に定住したのがうち含めて3つなんだけどその3つともお屋敷だよ
今はうち以外途絶えたけど >>206
普通の村に定住することになったとき三次では不思議と尊重され、いい待遇だったということだろう
>>207
実際は完全な漂白民というより山の隠れ里みたいなとこで暮らし、魚や竹細工を売りに麓に来たり
季節によって拠点を移したりして生活していたということではないかな 民俗学的な話なので
超能力とかUFOとかUMAの雑誌と
同じにされてもな・・・
>>208
他にも何か思い出せる事があったら書いてください >>8でサンカの老人について語ってる月刊音楽誌『remix』元編集者でライターの春日正信氏の出身地の安芸高田市吉田町の外堀部落も三次市のすぐ側だな 『起ち上がる瞬間(たちあがるとき)ー吉田を中心とする部落解放の歴史抄』
吉田町部落解放推進協議会(1997年)
「この本の内容は、古老からの聞き取り、フィールドワーク、古文書の読み取りなどを通して、吉田を中心とする被差別部落の生活や差別との闘いのあゆみをまとめたものです」(序文より)
https://twitter.com/mskasuga/status/1254116144576819200
https://pbs.twimg.com/media/EWeD6M0UwAAT4aY.jpg
https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account) >>207 江戸時代は小氷期だったな。なんせ雪女の舞台が青梅。2014年2月みたいなことが毎年だっただろう
洞窟おじさんも戦後だから山奥で一人暮らせたんだろうな。まあ当時ですら今よりは寒かったけど
江戸時代だと木地師やマタギとの縄張り争いも避けられないだろうし サンカと呼ばれた人たちが実在したのは本当だろう
おそらく何らかの事情があって閉鎖的な山の集落で暮らし、川魚等を売ることで普通の村との接点を持った
一方、このスレの初めの方で言われてるように、三角寛という元新聞記者がそれを元に刺激的な創作をした
そのために虚像が独り歩きして、すべてトンデモでは?といわれるようにもなった
その辺の混乱はあるけれど、>>36-39のような記事も残っているのでまるっきり想像の産物でないこともたしかだ
お爺さんがサンカで三次に定住したと言ってる人は、被差別部落とは違う扱いだったと言ってるのが興味深いね
自分は信じるよ >>219
三角寛がサンカ本を書く以前からサンカという言葉はあってもそう呼ばれる人達も居たわけだから一定数は当然存在してたんだろうし
川で魚を採ったり竹細工をして生計を立ててたという事実のみに着眼し神秘性を排除して考えればそう特別な存在でもないのだろう
マタギや木地師に比べて扱うものが庶民向けで単価が安く経済や文化的余裕が持てず
出自に関する伝説や自分達の生活を記録して保存しようとかしなかったから実態が分からなくなっているのが現実なんじゃないか >>208だけど爺さんの葬儀とかでバタバタしてこれなかった
亡くなったって本家の方に連絡した時になんで絶縁したんか聞いてみたんだけど爺さんが一族で大事にしてた物を博打でスっ無くしたんだってさwww
穀潰しって怒ってたけど俺もキレそうになりながら色々聞いてみたらウメギ?っての無くしたんだってさ
何に使うんか聞いたら他所のもんが知らんでええって電話切られた ウメガイの訛った言い方じゃないかな
サンカの山刀とされるもの
山菜掘りのナイフなんかに似てるけど今だと両刃のナイフは所持するだけで法に抵触するから改造して刃を落とすか処分した人も多いんだろうな
実際はすべてが両刃なわけじゃなく各自使いやすい形状だったんだろうけど >>221
亡くなったんかー
すごいタイミングだな
また貴重な歴史の生き証人が一人…
ご冥福をお祈りします >>220 淡水魚や竹は定住民にも綿密に利用されてたことが多そうだから、サンカが幅を利かせたのは何らかの理由で定住民に天然資源を利用する余裕や動機がない場所だろうな
農文協の日本の食生活全集でも、場所によっては驚くほど淡水魚や山菜の利用が低調な土地もある
北上高地とか
農業生産性が低いけどなぜか天然資源の利用を増やすという方向にはいかなかったんだろうな
こういう土地がサンカの独壇場か。大分の大野川中下流も、暴れ川で淡水魚漁はあまり定住民はしなかったらしい 山がちの田舎の道端で川魚売ってる小屋に竹細工とかあるのを見るとサンカに見えてしまう >>224
竹カゴとかどこでも使われたろうが、誰でも作れるわけじゃない
でも需要が頻繁に発生しないから小さい村では売る店もなかったのでは?
そしたらサンカが来たとき買っておこうという事になる
あと>>46でも書いたけど、昔はニーズより人情に訴える行商スタイルがあった
貧しい身なりの物売りは同情を引く
サンカの商売もそれで成り立っていたかもしれない たぶん、ウメギ?=ウメガイ・・・?
と言いたくはなりますよね? >>8
農商務省の高等官僚であり民俗学者な柳田国男のエッセーだっけな~
官僚で地方視察してる最中、向こうに見える山並みから幾つもの煙が立っていた
「ああ、山窩だ」って一節が出てくる
当時の政府も彼らの生息を確保してませんでした
ところが、戦後ある1つの法律が施行されます
この法律のために多くのサンカ達が山を下山させられました
その一種の悪法と言ってよいのがこの法律だと聞いております
https://kotobank.jp/word/%E4%BD%8F%E6%B0%91%E7%99%BB%E9%8C%B2%E6%B3%95-1336461
1950年に施行
さて、なぜ1950年なのか分かりますか? サンカの末裔を根こそぎ里に定住させたのは戦前、徴兵のためにかと思った
1950年なら意外に昔じゃない
サンカだった人がまだギリギリ生きてるか最近亡くなってるならそんなもんか >>229 山民からの赤化を警戒?当然アメリカからの要請か
窮民革命論の一番早い気づきか
日本の左翼がこの鉱脈に気づくのは干支一回り+アルファくらいの年月がさらにかかったけど 戸籍があったほうが得な時代になったら自由民でもそうするだろな たった70年ほど前まで日本国政府も把握出来なかった人物が結構いた
国家管理すらされてない遊牧民がこの島国日本に存在したという歴史事実に震えを感じます なんていうか、誰にとって都合のいい「管理」ですか? この問題って義務教育課程でも高校社会科課程でも教えてない
これは穿って捻くれた考え方だが、誰かにとってマズイ事実
さすがにそれなりの大学まで行くと講義で教授されますが〜 >>230
軍事の員数に彼らは一切入ってません
治安維持法を犯す基地外狩りに心血を注いでましたけどな それこそ、白戸三平『カムイ伝』の世界観にも繋がります 国家も含めて組織とか全部が「暴力」装置です
登校拒否寸前まで行きましたが人間関係の観察と養成には学校は悪くない
国立大学まできちんと終了して大手企業に就職しました
こういう予定調和な流れに幼少期より違和感あるんだ
酸化還元反応じゃねーけど、「サンカ」みたいな自由な人に憧れます
ゼニカネから最も遠い世界で人生を謳歌したいけど柵だらけ 欧州のジプシーはサンカより差別されてました
ナチスも絶滅作戦をしてるし
サンカ、当時の大日本帝国政府にとって、どーでも良かった アイヌは、なぜか知らないけど、徹底的に潰されたけど >>240
おれも憧れがあって、たまに短期間限定でサンカやってるよ
キャンプとかじゃなくて狩猟もすれば物乞いもする >>234 独自のルールによる自治はいい意味でも悪い意味でも存在してそう
喰えなくなったら老人や嬰児の間引きとか容赦なくしてそう >>233
サンカの存在を過剰に神秘的なモノに思い込まない方が良いのと同じで
定住するようになった理由を陰謀論的に考えるよりも単純に学校教育や社会保険制度なんか整備されて
放浪生活するより住民票持って子供を学校に行かせて病気になったら健康保険でちゃんとマトモな医療を受けたほうが良いからくらいに思ったほうが良いんだろうな
国は国民管理してちゃんと税金納めさせたいというのはあるだろうし
漂泊民を自由生活やめさせて定住化させるというのはダムを作るために村人を別の土地に移住させるようなもんでそれなりの軋轢はあっただろうけど
高度経済成長期にサンカが自然消滅してしまったのは社会制度に乗っかって普通に暮らしたほうが楽で便利だったとかその程度な理由なのだろう >>245
現代的な生活は楽で便利だけど、世界の原住民たちは文明と出会ってすぐに生活を変えてきたわけではないよね
どんなに便利になると言われても人はなかなか古い習慣を変えられないものだ
だからサンカが里に降りた理由もやはり山の開発とか戸籍整備、土地の所有権の整理、国民保険や義務教育の徹底…
そうしたものが進んで、徐々に曖昧な存在が許されなくなったのが大きいと思うわ
本人たちが楽をしようとしたというよりやっぱ社会の圧かなあ
サンカを過剰に神秘的に見ることや陰謀論にハマるべきでないのは同意 >>246
家屋や農地だとかはともかく山林の所有権だとか河川の漁業権なんかは自由生活者なんかには説明しても理解し難そう
この村の周辺は竹や山菜とか川魚とって売ることはできるけどあっちの村の周辺だと怒られて追い出されるとかそんな感じでの理解だったんだろうか 里のルールに対しては案外敏感に対応しながら生き延びていたのかもね
トラブル回避は大事だから
だがやがて国のルールを全て受け入れるしかなくなったのだろう 国家の中央集権化で国土の住人全てを統一法のもとに管理したいというのはあっただろうけど
そういう方針自体は奈良時代の律令体制以降ずっとあったわけで
サンカが消滅したのは高度経済成長期以降の社会では小規模な竹細工や川魚漁だけでは生活が成り立たなくなったという当人達にとって現実的な問題も大きいんじゃないか
たまたまサンカは民俗学の研究であったり三角寛の創作よってサブカルチャーの関心の対象になったけど
実際は川漁師とか鋳掛屋とか田舎鍛冶
とかサンカの生業と重なる職種の人達も観光や民芸として少数生き残るだけで産業としてはほぼ壊滅したわけだし サンカの生業とされる仕事がなくなったというのはあるだろうね
それも含めて世の中の流れには逆らえなかった 八切止夫によるサンカを扱った著書で見るべき内容はあるのかしらん >>249 江戸から明治への変化よりも第二次大戦をはさんだ変化の方がサンカに与えた打撃は大きかったかもな
第二次大戦後は広大なブナ林がスギヒノキの人工林に置き換わって水源の山が瘦せて、ダムもできて、大量消費社会で水も汚れて、川の恵みはめっきり減った
江戸から明治への変化もツルやコウノトリやトキの絶滅に近い減少を招いたけど、もともとサンカの獲物になるようなものではなかっただろうし 今後日本国は凄まじい勢いで衰退し、山林やダム・道路から農地に至るまで荒廃しまくる。
霞が関ももう面倒見切れず、地方は役所周辺数キロ圏内を除いて放置プレイで自然回帰w福島原発周辺が先行例。
一方、これまでのような安い海外製品の輸入も激減、だからって国内量産復活も人手不足等でままならず・・。
ほとんど崩壊した日本の近現代制度下を離れ、金持ちは海外移住。米中大戦で向こうもどうなるやら分からんが。
貧乏人は田舎で自給自足・物々交換生活に転ずる者も出て来るであろう。戦渦を逃れて新サンカ復活あるよ。 サンカ・ベドウィン・ジプシー・ティンカー・トレイラー・シンマニ・マタギ・木地屋・アーミッシュ・カーゴカルトが増えるんじゃない
いずれも新がつく
そしてその中からまた定住民に冠する支配者が出てきたり、定住民も強いリーダーの下反撃したり 近現代の社会制度が維持できなくなってサンカのような漂白民がこの先の将来出てきて出てくるとしたら
リヤカーにジャンクの農機具やトラクターのパーツなんかを軽トラに満載して旅をしながら各地でし修理をして周ったり
昆虫食を作って貴重なタンパク源として農産物と物々交換したり売り歩いたりとかそういう内容になるのかね マッドマックス・北斗の拳・ウォーターワールド....
特定外来種問題も割と食べて解決?それとも持続的利用のためにザリガニやブラックバスの禁漁期とか定められるのかな ブリーチw
漂泊は漂白と変換されやすくて間違いに気づきにくいね 1952年(昭和27年)住民登録法でみなさん山から下山 旅一座なんかは現代でもあって本拠地に法人置きながら数ヶ月単位で各地の演芸場なんかを周ってて
就学年齢の子供が居るような場合だと数ヶ月単位で住民票移したりとかしてるそうだし
サンカも竹細工売るような商売が成り立つなら組合だとか会社とか作って集団が現代化はしながら移動生活を送ってたんじゃないか
流石にテンバ作って野宿とかはしないだろうけど 山窩のモデルは一言主神か!?
雄略天皇が葛城山中で狩猟をしていた際、天皇と同じ姿の一言主神(一事主神)が現れ、天皇と狩猟を競ったという… 山上は名前からしてサンカの末裔だよね
銃を自作する器用さ
不思議な経歴
このところの世の中のおかしな動きは裏で日本国の主権を巡って争いが起きてるから
日本は単一民族じゃなかったってこと サンカって実際の交易の場ではどんな感じだったんだろう
口八丁手八丁でまさに世間師・山師といった感じだったのか、それとも寡黙に常民の定めたレートに従ってたのか 父親が子供の頃、山に周期的に物々交換する半定住する家族がいたって言ってたけど恐らくサンカではないかと思う。ちな西日本。 山窩のモデルは宮大工・寺大工か!?
飛鳥・奈良時代以降、人が近寄れないような断崖絶壁に投入堂を建立した者がいる。山中に入り生活をしながら木を切り出し、また建築を行う… 鳥取に二つもあるな
倉吉の近くの有名なのと、知名度には劣るけど若桜の方と
長野のブランド薬師もその名前と相まって不思議な存在だな。もちろんハイブランドの守護神というわけではない 火付盗賊改方みたいなもんか。(元)火付けや盗賊というわけじゃなくそれを取り締まる役職
箕作姓も箕作りそのものではなくその常民側の総代理店みたいな意味? 俺の父親は大正15年生まれ
北信越地方山の頂上ある隔絶された部落生まれ。
冬に生まれたらしいが6月生まれとなっている。当時役所のある里へは雪の為に6月まで降りれなかったから。
今と違って届け出の日が出生日だったとか。
小学校入学でもかなり成長度合いが違ったらしい。
どう見ても2・3歳は違う1年生もいたと言う事です。
冬は一体どうやって生活していたのでしょうね。
今は舗装こそされていますが谷底を見ながら車のすれ違いも困難な道しかありません。
最も拡幅も不可能ですが。ずっと昔に小学校も閉鎖され今でも数世帯はあるのかと思います。
姓はほぼ皆同じで2?しか無いそうです。
当然?の様に平家の落ち武者伝説と聞かされました。ただ父親からでは無く死後兄弟からです。
里に降りてから結婚し再婚もありますが、母親の違う兄姉は体格が大きく170・180オーバーで
顔の彫りも深くカザフスタン人の様な容貌です。私と妹は170・160骨格は太いと思いますが顔つきは普通の日本人といったところです。
それぞれの母親の遺伝子の影響もあるでしょうが。
谷底ギリギリの 山奥なのでウサギなどがご馳走だったみたいです。
幼いころ親戚が剥いたウサギを良く持ってきてくれました。
汁にするのですが鶏肉みたいなものですね。
山奥なので犬猫はいなかったそうです。母親は犬猫食べたそうです。
犬は旨いけど猫は灰汁が凄くてまずかったらしいです。
落ち武者伝説はあったようですが 何故あんなところに部落があって住んでいたのか
不思議でなりません。ただ何か気が引けてそれ以上兄弟に聞いたことはありません。
被差別部落の扱いは無いのでかなりの期間住み着いていたのだと思います。
縄文人?の末裔のような。死ぬ前に調べておきたいとは思っています。 長野と言えば、「ほん笑」系の漫画で、読者の体験談で、夫の実家の長野県の「ひっそり」集落に行ったら一族全員同じ顔だったというのがあったな
日曽利と書き、伊那の方で文字通りひっそりした場所らしい 戦国時代は見張りをしていたという事です。
山のほぼ頂上の部落なので、少し歩くと峠から反対側の平野(盆地)が一面に見えます。
向かい側の山の標高が一緒位で恐らく狼煙でもあげてたのではないかと
ただそこにも部落があったのかは分かりません。
市街地から部落までの道に沿って川が流れています。
峠付近には小さな田んぼが段々に作られていたので湧き水が出ているようです。
その川の水源なのかと。
定年退職となったので 少しづつ調べ又現地も訪れようかと思っていますが
親族は無く(苗字はほぼ全世帯同じなのですが)聞き取りには勇気がいります。 母親の出身地は山里ですが水田は無く
畑作と大きな池で鯉を育てて定期的に業者が取りに来ていたようです。
幼少の頃は良く遊びにいったのですが
市街地まで子供の足で1時間もかかるような部落でした。
家はその地方の造りらしく土間から上がると板の間に囲炉裏があって
天井から吊るした鍋で煮炊きもしていました。
土間には様々な農耕具が残されていて以前は稲作も行っていた痕跡もありました。
2階には稲わらで筵を作っていたという作業場もありましたから。
そこの子達は蜂の巣を取ってきて中の幼虫を生きたまま美味しそうに食べていて
勧められましたがとても無理でした。蝗煮は美味しかったですが。
そこも被差別部落では無かったようです。
犬殺しだとか番田だとかの話をしているくらいだったので。
野鴨や兎、近くの川で採れるかじか?川蟹?が特別なご馳走でした。
それ以外は野菜山菜類しか食べた記憶があまりありません。 特に父方部落の先祖は 現代人ならとても生きていけない環境で
何故に住み着いていたのか不思議でなりません。 大正15年生まれ 小学校に行っているのでちゃんと戸籍はあった訳ですが
そういった部落は山菜や干し魚、獣肉毛皮など(竹林は見当たらなかったので)
で春から秋まで里へ下り各地で交易しなければならなかったはずです。
そんな人々も後にサンカと呼ばれたのと思います。 いろんな出自の人々が
いつかの新聞記事に載ってたサンカのことじゃないかと後から呼ばれるようになったのでしょう >>285 ついでにジプシーも日本に渡ってきて合流してほしかった
サンカ音楽とかサンカ舞踊とかサンカ占いとかサンカ語とか生まれてそう >>285
もともと全国的にサンカって言葉があったわけじゃなく
一部の地域で使われてた言葉が警察用語や報道で使われるようになって
それっぽい生活をしてる人たちを大きくまとめてサンカって一括りにしたのが実態なんだろうな
サンカ自らが我々はサンカであるって主張したり自覚してきたわけでなく
大半のサンカは気づいたら社会からそう呼ばれるようになってたったのだろう 滋賀の「知内川」「しりうち」川かと思ったら「ちない」川
まさかアイヌ語?東国の蝦夷を俘囚として西日本に連れてきたそうだけど
アイヌ語(族)も人工言語じゃないから当然奈良時代ごろの段階の祖語がどこかで話されてたわけで
俘囚はやがて東北へ帰されたそうだけど、逃げて山中でサンカの祖先になったものもいる? ちなみに滋賀は木地師発祥の地でもある。滋賀の山の民の歴史を探ると面白そう。探れるかどうかが問題だけど 中国地方、特に山陰地方の山は、大地主の私有地。
大地主の私有地を歩いていけば山陰から京都まで行けるとも言われる。今はわからないが。
本拠地には封建主義が今でも多少残る。
1950年までには農地解放があり、山の住人が土地を得、住民登録法で住民になった? 四国山地を貫く
国道439号線
通称、与作の道
木樵、猪、ツキノワグマ 竹細工を売っていて温厚な人たち、窃盗集団や人身売買をしていた、外部とは接触しなかったがサンカの内部では決まり事があり助け合い統制のとれた生活をしていた
いろんな情報がありすぎて分かりづらい、どれも正解で間違っていないのかな >>301
窃盗や人身売買をしていたのはサンカじゃなくてサンゾクというやつでは?
山に潜んでる胡散臭そうなのを何でもサンカとしてひと括りにするのは無理がある >>293 山の生活に欠かせない栃の木(実)なんか広い範囲で呼称が一緒らしいな
栃餅の製法も各地に伝わる
一方水田の魚メダカの方言名は異常に多い
サンカがいたかどうかはともかく、山の住民は尾根伝いか少なくとも中央分水界を越えるくらいのネットワークは持ってたってことか
生まれた村から一度も出たことがない、というのはあくまで低地の稲作中心の農村の話なんだろうな 山は人間を養える余力少ないから。
山岳民はつねに移動していないとすぐに枯渇する。人口も増やせない。 日本どころか世界を放浪するタイプのサンカもいたな
放浪タイプのサンカと知り合えたのは良かった 118ウィズコロナの名無しさん 2023/08/13(日) 21:14:34.10ID:ECFj41N90
やっぱり誰も見てないのかなw
・海上の船が”まとめて”燃えている
・リング状の炎が発生している 見事に環状
https://twitter.com/pills_truth/status/1690058504449478656
う~ん自然な自然現象過ぎて言葉が出ない…
534ウィズコロナの名無しさん 2023/08/16(水) 23:54:32.19ID:i4m+5N6G0
>火が歩道を横切って燃えているのを見たことがありますか???
私はカリフォルニアの山火事を何度も見てきましたが、このような光景は見たことがありません。
https://twitter.com/j_sato/status/1690922749953540096
0561ウィズコロナの名無しさん 2023/08/17(木) 02:43:14.20ID:fSqf8BrM0
DEW(指向性エネルギー兵器)は既に飛行機✈にも搭載できる程に小型化されてますがハンドガン位の大きさでハワイをレーザーで焼く事ができるのか実験してる動画が、ありました。
https://twitter.com/w2skwn3/status/1691763766546100404?t=h1T2LjI7ATbmx4gzskW4GQ&s=19
似てるやん
https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account) >>301
いつの世もどの世界も色んな人間が居るので
山の民もマジメに竹細工や川漁師なんかを地道にやって山麓の町や村から重宝される人もいれば
山賊やって追い剥ぎや人攫いして町や村に降りて盗みを働く奴も居るだろう 似た様な立地の山奥の集落でもやっぱり集落ごとに雰囲気は違うのかな
低地の稲作集落をそのまま山奥に移植しただけのところや山の暮らしにかなり特化した感じのところとか
本来は婚姻も似たタイプの集落間=同一文化圏だけで行ってた?時に分水界の山を無視した形で 山の民「サンカ」とは? 歴史の裏をつなぐ謎多き放浪民の正体は?
https://tocana.jp/2023/09/post_256222_entry.html
サンカとは、山で非定住の生活をしていたとされる人々を指す呼び名である。その発生の由来や文化に及ぼした影響などについては多くの謎が残っており、民俗学でも重要なテーマとして扱われている。のちに里へ定住化が進んだ末に、昭和30〜40年代ごろにはほぼ消滅したとされている。
山の民とも呼ばれるサンカについては、その発生時期も諸説紛々としている。江戸時代に税収の取り立てから逃散した農民という説もあれば、戦国時代のスパイ集団「乱破(ラッパ)」「素破(スッパ)」にその関係性をみなす説、古代末期から中世を通じて京都や奈良を中心とした街道の坂道に集住していた坂者(さかのもの)を由来とする説、より遡ると農耕文化を主軸とした渡来の弥生人に追いやられた縄文人ではないかとする説がある。
サンカは、主に竹細工を売ったり農具を修理したりして生計を立てていたと言われているが、忍者やゲリラ戦の傭兵として雇われていたのではないかという意見もある。彼らは、肉食の忌避やタブーであった文化的事情から離れており肉を常食していたということから、男性は背格好も大きく女性は美人も多かったと言われている。また、並外れた運動能力を持っており、それが忍者や傭兵の活動にもつながったのではないかと考えられている。
サンカは文字を持たなかったとされる一方で、独自のサンカ言葉を持っていたという。「バラす」「ホシ」「メボシ」といった犯罪・警察関係の隠語は、盗賊となった一部サンカが使用していたことに由来するとも言われている。またサンカ言葉と能や狂言の世界の隠語が似ているという指摘もあり、これはサンカの一部に芸能をもって投げ銭を得る者もいたことから、影響があったのではないかとも考えられている。
作家の山口敏太郎は、サンカのルーツは海を渡って移動した漂白漁民「家船(えぶね)」にあり、彼らが太平洋を渡りそして川を登って山に入り住み着いたことで、サンカが形成されたのではないかと説いている。
サンカは、ファンタジー色の強いものとして描かれることが多い。しかし、表立った“正史”ではなく、その背後に影を潜め語られずにいる部分にこそ歴史をつなぐカギがあり、サンカこそがその重要な存在となっていることは疑いの余地もない NHKのファミリーヒストリーでそのうちサンカ疑惑の先祖を持つ有名人が発覚しないかな
アナ「ひいお婆さまはかなり....ワイルドな暮らしを送ってらっしゃった方でいらしたんですね」とか言葉を相当選びながら苦労しそう >>319
ガチのドキュメンタリーならともかく芸能人が出演する番組で放送できないレベルの話だとビートたけしの父親みたいに調べても何も分かりませんでしたでおわるんじゃないの
佐藤浩市なんかもいいネタになりそうだけど三國連太郎の義理の父の話が放送しにくいのか出演してないしな
ファミリーヒストリーで漂白の民みたいな存在を取り上げたのは父親が一時期家船に住んでたサントリーの新浪剛史くらいだろう
80歳以上の昔の旅一座みたいな集団を知ってる世代の芸能人なんかは詳しく聞くとそういうネタが出てくるかもしれないけど 旅芸人の子だった梅沢富美男なんかは80にはなってないけどいろいろ知ってそう
けど言いにくい話ばかりだろうな
サンカは被差別問題とリンクしてるせいでタブー度が高いんだよ サンカ・シノガラについて語ろう
https://egg.5ch.net/test/read.cgi/c/rights/1685094321/
10世紀後半〜11世紀頃にサンカの最高位だったとされるアヤタチミチムネ(乱裁道宗)は藤原道隆の隠し子だと言われています。
その頃のサンカは13歳になった男子を2年間、丹波に修行に行かせたと言います。なぜ丹波かと云うとミチムネの本拠地だからです。
修行内容は、武術はもちろんのこと、隠れ身の術や攻めの術・攻め手を防ぐ術・投げての術・暗中を行く術・秘密連絡術などの忍術が含まれていました。
サンカのネットワークを2年間でガッツリ構成出来るシステムがこの頃にあったことがわかります。このネットワークを後に隠密族(シノガラ)と言い、サンカは政財界や右翼組織に流れ込み戦後の混乱の中で力を蓄えたとされています。 サンカの末裔シノガラたちが裏で日本を支配している
CIA日本支部がシノガラ マタギ・木地屋・サンカが同一地域にいたらすみ分けが起きるのかな >>329
マタギは夏の間は村で耕作している農民だぞ
狩猟はあくまで冬の副業 70年代に安保闘争挫折組の物書きが自由な民のイメージふくらませすぎたんだよ。
カツカツの生業やってた人たちにすぎない。 >>329
住み分けというか山の民みたいな人達も仕事によって住む場所というのは異なるのでそれぞれ木地師とかサンカとか別々の集団として存在してるのではないか
ヒエラルキーみたいなものがあったとしたらサンカはどちらかというと生活基盤が脆弱で弱い立場だったろうから良い場所なんかはとれなかっただろうとは思うけど ヤマンチュウ
ウミンチュウ
カワンチュウ
モリンチュウ
アライチュウ ヤマンチュウ
ウミンチュウ
カワンチュウ
モリンチュウ
アライチュウ ヤマンチュウ
ウミンチュウ
カワンチュウ
モリンチュウ
アライチュウ >>331
学問的な分類では木地師とサンカは別物だろうけど
別府の竹細工なんかは木地師が始めたという伝承だし
実際は中間的な存在とかはたくさん居たんじゃないの
サンカという呼び方自体が警察や役所や民俗学者が特定の集団を分類するためそう読んだだけで
実際に我々はサンカであると自認自称してた人達がどれだけ居たかという問題もあるだろうし 木地師と山師のせがれを知っているがろくな奴ではなかった サンカってやっぱり見知らぬ土地でも北極星で大まかな方角はナビゲーションできたのかな ヒーリング系もしくはドローンアンビエントで最強のリラックスを手に入れてください。
自然の波音も入っているので、さまざまな周波数の恩恵をえることができます。
神経過敏でイライラしやすい人、なんらかの依存症にも少なからず効果が期待できます。
//youtu.be/e1IPKVrDUoM 洞窟おじさんはサンカに会ったことはあるのかな
というかあの人自体がリアルサンカみたいなものだけど 言葉でわかるらしいね
非人や流民ではなくホームレスだったと もし実際にサンカがいたとして、構成員が何らかの原因で亡くなったら遺体はどうしてたんだろう
大正・昭和初期の官報だとなぜこんなところに?というような辺鄙な場所で見つかった行旅死亡人の記事があったりするんだろうか
それとも自分たちで埋葬なり火葬なりして、遺体を死んだ場所にそのまま置き去りとかはしないか 大きな箕二つを合わせて遺体を入れて風葬していたと書いている人もおるわね >>345
昔は山に土葬とか普通だったみたいだからなあ
遺体は火葬して霊園に納骨…みたいな発想は最近のものだろう
今も田舎では裏山などに先祖の墓があったりする
サンカは流浪とは言っても拠点から拠点に渡り歩いていたと思う
死者は拠点の近くに埋葬したのでは ヒーリング系もしくはドローンアンビエントで最強のリラックスを手に入れてください。
自然の波音も入っているので、さまざまな周波数の恩恵を得ることができます。
神経過敏でイライラしやすい人、なんらかの依存症にも少なからず効果が期待できます。
食事前にナイアシン療法を行うと、効く人には大変有効と思います。
自然な形でセロトニンが増えれば、ほとんどの神経症や精神疾患は良くなっていきます。
薬も確実に減っていきます。それと同時に高タンパクな食事が大変大事です。
そして適度な運動で最強です。
試してみてください。//youtu.be/e1IPKVrDUoM 第8節 サンカ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・734
(1)ノアイ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・734
(1)本村のノアイ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・734
(2)ノアイ小屋・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・736
(2)サンカ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・737
(1)サンカについて・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・737
(2)サンカの住居・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・739
(3)テンジン・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・739
(4)ハタムラ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・740
(5)セブリサンカと居附サンカ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・740
(6)トケコミ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・741
(7)生業・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・741
(8)セブリ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・743
(9)シノガラ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・744
(10)サンカ社会の解体・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・744
この部分か 用語が要を得すぎていて
そのへんの成書を引き写しただけの記事じゃないかと思う サンカってこの間みたいな大地震が起きたときはどうなったんだろう。小規模の集団で簡素な住まいだから、案外住居の倒壊による死亡は少なかったのかな
そしてそそくさと移動?土砂崩れが起きたら集団単位で全滅しそうだけど >>352
まともな家を持たない小規模の集団だと自然災害による大被害もないと言えるからね
最悪みんなで埋まっても気づかれない
>>353
今なら山の神に助けられて渡り歩いていたとかの設定で
スピリチュアル系サンカ小説が作れるかもしれないな >>355
一方で外国から革命を進めようとした連中がいて、
かたや物書きになって日本民族の深層に潜って書かれてない歴史から社会をひっくり返す論理を見つけようとする連中もいて、
後者がサンカとか古史古伝とかアイヌなんかに目をつけた。 左巻きの人に評判のいい史家・網野善彦も、さすがにサンカ縄文人残存説には与しなかった? >>57
愛知県の人間だけど現在は岡崎市豊田市に取り込まれた町村部には結構そういう人たちいたよ
高速道路や宅地、工業団地等開発のため居場所失ってったんだけど、消防署員とかになって土地売って悠々自適って人多いかな?
最後の世代がいま80手前くらいじゃないの? 徳川家の先祖も室町時代くらいのそういう人か
捏造と書き換えで系図を源氏にしてるけど 佐賀の脊振山はサンカの拠点セブリからきていると何かで読んだけど本当かな
近いうちに調べてみたいとは思っている