熱帯ゲロ監獄
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引き出しの奥から1995年の「ザ・テレビジョン」が出てきたので眺めていた
昔のテレビ欄を見ているとかなり辛いものがある 洋楽ランキングにパールジャムの3rdが入ってるし
リアルタイムでふしぎ遊戯やスレイヤーズ放送してるし 90年代後半に一番テレビをよく見ていた影響か
いろいろと記憶が蘇ってきて辛いものがある ユンカース・カムヒア、という文部省選定のアニメ映画があるんだが
これは見方によってはロリコン肯定作品だ 当時はかなり歪んだ見方をしていたからそう思うだけのこと 歪んだ見方をすれば
成人男子でも小学生の女の子に恋していいんでないの
という感覚を植えつけられる 1995年の作品で急に思い出した
さっき発掘したザ・テレビジョンの呪いによって >>19
布団もなしに長いあいだ木の船板の上で寝るものだから
皮膚が化膿して悪化し骨が見えたりしていたそうやね 白人が悪いとかではなく
文明社会そのものが悪いのだ また明治時代の新聞を読んでいた
目が疲れるぅぅぅぅ そろそろ江戸時代生まれの作家の文章も読めるかな
明治大正文学で感覚を慣らしているから 見慣れない仮名遣いや常用漢字外の文字がビシバシ出てくるからな
最近の国語教育しか受けていない俺にはかなりしんどいものがある 日本語はとても難解で生涯頑張っても理解できる気がしない , -───--、
/ ( ゚д゚ ) / >>1乙zz...
r-<,ぅ⌒cソ、. /
ノ '、 , 、 _, ' //
(_,. //
(.,_ `'ー-、_,,..ノ/
~`''ー---‐' 助詞の使い方を少し間違えるだけで文全体の構造が変わってしまったりするからな
うーんなんという厄介な言語だ 文部省選定のアニメは見てもいいかな
萌え系のアニメはもう見ない 第一次大戦も太平洋戦争もまるで知らん世代だからな俺
先進国が植民地持つのが当たり前だった、という歴史的過程がまず解せない 結局は資源と生産力獲得のためということに尽きるのか 海上封鎖して植民地との連絡が途絶えただけで経済疲弊するってすげえな
どんだけ植民地に頼ってきたんだか というより総力戦だからちょっとしたことで
国民のモチベも上がったり下がったりするのだろうな
おそらく日本もそうだったはず
だから大本営発表とか嘘を交えないとやっていけなかった 実存主義文学について調べていると
どうしても第一次大戦との兼ね合いを知らなければならん おそらくカフカにスポットがあたったのも第一次大戦終わってからなんだろう
人間個人の無力さに打ちひしがれる人々が多かった時代だからこそ 脳みそさま忙しいの図
アメリカも元はイギリス13の植民地が自立発展して出来上がっている 何にせよ第一次大戦からあとに科学が急速に伸びていった 人間中心主義の発達により記録媒体の積極的利用が推し進められたのは
ルネサンスの時代 ヒトラーが台頭する以前に経済状況の悪化でドイツの失業者が急激に増えてるな
当時はナチスなんか今の日本でいう共産くらいの議席しか獲得してなかったが
うまいことやって10倍に膨れ上がったんだよな
ヒトラー自身は徹底した反共産だったけれども 近代戦争は短期間における物的・人的被害が壮絶であっただけで
それ以前もずっと文明は闘争の歴史を生み出し続けてきている 森に囲まれて小さな部族社会に分かれている場所では戦争など起こらなかった
というよりも起こりようがなかった 森を切り開いて見晴らしをよくしよう、という発想はどこから生まれたんだろうな ユダヤ民族は元を辿れば過酷な砂漠で生きていた民
西洋人の原風景にはまだ森への恐怖心があるという
実際は森が怖いわけではないのだろうがな 軽い神経症の症状で自分の鼻が視界に入るのが気になって
何も手がつかない、というものがあるらしい
これは実際は鼻そのものに対する不快感ではなくて
肥大化した自意識に対する不安なのであるという 別に鼻を小さく整形するような感覚で西洋人が森を切り開いた
といいたいわけじゃないがな ユダヤ神学、ユダヤ哲学は強固で西洋文明にも影響を与えている
また西洋文明はイスラム文明からも相当な影響を受けている
中世では西洋よりもイスラムが圧倒的だった 西洋文明が成熟してゆく過程がとにかく恐ろしい
壮絶な民族闘争の繰り返しがある 西洋文明は人間の弱さから来る闘争の歴史の上澄みのようなものだと考えている
本来は手放しで褒め称えるようなシロモノではない 日本に入ってきた西洋文明観というのは基本的に
日本人が受け入れやすいように加工されたものだな
それだからどこかうっすらとしていて茫洋としたイメージがつきまとう 夏目漱石が反自然主義と聞いて腑に落ちなかったが
西洋の哲学や科学の歴史にあてはめていたからだった
日本はまだ文明と自然とを対比させて見るような視点が出来上がってない 日本の自然主義文学に不自然な人間観(作家自身にとっては自然的だったらしい)
を描いたものが多く、その反動としての反自然主義という意味 さっき息抜きにツクール製の脱出ゲームをプレイしていたら
パスワードが変だった
適当に総当りで打ち込んだら偶然いけたけど
ヒントと照合すると計算が合わないような気がする パス解除して地下にいったはいいが
フラグ管理ミスでバグって詰んだ
クソゲーだなこれは グラフィックがバグって階段が消えるだけで
入れることは入れた 京極夏彦が褒めるくらいだからミステリーとしてはまあまあの出来なんだろうな しかし京極夏彦も角川の圧力でオタクに媚び売るイロモノと化したからな
アナザー以降の綾辻も同じこと
あの辺の作家はもうだめだ
脱角川しないとあかん 『虚無への供物』の段階でミステリー終わった
あとは産業ベースのゴミ量産状態 俺も角川のメディアミックス商法で90年代に頭やられたタイプの人間だからな
えらそうにいえんのだけどなんか見ていて腹が立った 角川ホラー文庫もメディアミックスのせいで頭おかしいしな
弟切草の小説版は今でも好きだが
リング(うお、アイデアおもしれえ)
↓
らせん(ん?なんだこれは)
↓
ループ(ブシャアアア←噴飯) オタクアニメなどというクソみたいな趣味を持たず
大人しく文部省選定の作品だけ見ておけばよかったと後悔している これからオタクなろうとしている人は苦難の道が待っているぞ
道を踏み外さないように・・・
第五世代はすでに創作行為が陳腐なファッションみたいなものだから 志賀直哉の『暗夜行路』を読むかどうかずっと迷っている
たぶん読むとこれまでの人生観が変わってしまうだろうからな
俺は極端に影響を受けやすい性格 最初からクソ要素の強いものにはそれほど影響を受けない
エネルギーが奪われるがな
自分のクソと対象のクソを相殺させるためにエネルギーを浪費していた 心身ともに衰えてガタがくると若いうちに出来ていた
そのようなクソ相殺ごっこさえもできなくなる
今後はエネルギーの使い方に細心の注意を傾ける必要があるな まずこれまでに培ってきたクソ相殺ごっこの癖をなくしてゆかなければならん クソ妄想を抑制してできるだけクソ要素の無い文化に触れていく
なぜ俺が文明にここまで嫌悪感をもっているのか分からんが
おそらく文明以前に学問や文化の価値を分かっていないからだと思う
何も分からんまま文明社会に放り出されて正気を保っているほうがおかしい 近代文明は監獄に近いものがある
表向き自由は自由だが物的に自由経済の競争には巻き込まれてしまう
自意識もすぐに相対化されてゆく 志賀直哉は白樺派でも意識が変な方向に突っ切っているからな
西洋の人道だのヒューマニズムだのとは明らかに異質 自意識と対象の間によこたわる距離感を気分に乗せて
空間的に描き出す志賀直哉 リアルでもなし、浮ついているわけでもなし
気分のかもしだす空間とリズムから細部を想起させるという手法
奇妙な浮遊感がある
この手法は大衆の文明開化の時代に日本人の失いつつある素朴な感性として
文壇で高い評価を得る 俺は意識が監獄の中にいるから
ここから出られないにしろ
心が少しだけ軽くなるような浮遊感が得られるだけで救いになる
そうか
俺は救いを求めていたのッだ
おえええええ 感情的になってはいけない、という意味が分かってきたな
人間感情に最初から自然さなど無いからだ 喜怒哀楽ほど不自然なものはない
完全なる人工物である 習慣の中で長い時間をかけて定着していったものだから自然に感じるだけのことだ 人間の自然な感情を回復するという発想には無理があるということ 自然主義文学がグロテスクになるのは当然だったのかもな 民主主義も資本主義も社会主義も頼ってる以上仕方ないが
肯定は絶対にしない 共産左翼は革命など考えずに大人しく待ち続けることだな >>102
ゴキブリは文明社会につきものだから慣れるしか無いね 俺は左翼的理想を少し持っているだけで実際は何でもない存在
振り回されるのが嫌で共産しか選べないという 自民を選ぶと日本国民として自我の確立に努めなければならない 知の力を重んじて国民国家を超えた場所を理想とするのが左翼
良い伝統や習慣を守っていくのが右翼
(適当) ダーウィンはガチだな・・・
ダーウィンの成果というよりも研究の取り組み方がガチ 地味で退屈な観察の連続
これが大事
生命の歴史は遠大だからな
何か新たな発見をしようと先走ってはならない 唯物論の意味が未だにまったくわからん
なんなんだあの奇抜な思想は 物質の正体が分からないのになぜ精神の根底に物質があるといえるのだ ゴキブリが天井から降ってきて頭に乗っかったことがある
あのときはさすがに変な声出た オウだかオハウみたいな声をだしたような気がする
ビビったときにウから始まるのとオから始まる声を出す癖があるな
オウアとかウォとかが多い
ギャッとかではない オタクの「オウフ」というネタがあるが
あの感じとは違う ○○に○○は○○の○○っている○○で○○っていた。
それはある○○によって○○し、○○ってきた。
しかし○○が○○っている。それを○○は○○っていたのだが
私は○○に○○っても○○とは思わなかった。
そういう○○とは○○ったのだ。 志賀直哉の研究論文をいくつか読んでいた
これも志賀直哉を読むためのトレーニングだ 論文を読むときはいちおう著者を調べている
普通の大学生、大学院生もいれば博士や研究者のたぐいの人もいるな 1966年のホーキングの論文が公開されたな
アクセス殺到してるらしいが英語だから読めないだろうな俺は 博士論文って英語が基本なんだっけ
大学の卒論は大学に通っていれば誰にでも書ける
研究終わってなくてもいいらしいから ホーキング論文の公開でまた英米の学問水準上がるな
学問は先人の残したものの習得とその延長の研究が基本だから 英米の一流大学では凄まじい論文の蓄積あるからな
一日何十冊読んでも追いつかないらしい
読むの早いエリートは1日100冊ペースとか当たり前らしいが そうだ、我々には人工知能がついているではないか
ガハハ 人工知能だったら休むことなく超スピードで論文を読み続けるからな
いちいち人間が文字を打ち込む必要もない 実際に医学論文を大量に読ませた結果
不治の病とされていた病気の治療法をいくつか導き出しているらしい 免疫系という究極の世界に人工知能が挑めるか否か
免疫系が解き明かせればおれは安心して
志賀直哉を読むことができる 志賀直哉は堅苦しさ、難解さとは無縁だからな
でも深くリズムに没頭したときに奇妙な感覚に襲われて
それを解き明かすのは難解なのだと思う 西洋占星術って半分は統計学みたいなもんやぞ
オカルトではない ゴキブリは放っておくと暗い場所に帰っていくからな
別に殺す必要性を感じなくなった
2〜3年も経てば寿命で勝手にくたばるし
巣が満員御礼になれば増え続けることもやめる
何よりも殺すのは面倒くさいし気持ち悪い 300匹くらい床下や天井裏にいたとしても大したことない 夏はコップの水こぼしたあとにゴキブリがよく飲みに来る
そのあと食べ物の残りかすを漁って帰っていく 文明社会にセットでついてきただけ
もともとは森や岩場などに住んでいたんだろうが
人間のの排出する残飯のほうが美味しいらしい
いざとなれば仲間でもダニの死骸でも髪の毛でもフケでも食べるからな
髪の毛1本あるだけで一ヶ月は生き延びるらしい
すげえ生命力 >>147
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| ここでボケて!! |
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( ゚д゚)||
/ づΦ >>148
ん?
ばあさんや、メシはまだかのう・・・
そういえばメシはまだかのう・・・
さっき食べた?
話は変わるが
メシはまだかのう
ところで
メシはまだかのう
そういえばメシはまだかのう
さっきたべた?
メシはまだかのう さっきシメた?
シメたかのう
さっきのシメは殺気かのう
シメの殺気かのう 殺気でシメることが可能かのう・・・
ばあさんの殺気でシメるの可能かのう
なあばあさんや
シメたかのう
シメたらもう
ワシもうおしまいかのう・・・
かのう姉妹かのう
のうばあさんや
のう・・・
いまのワシののう
右脳かのう・・・左脳かのう・・・ ところで
メシはまだかのう
のうさんや
のうさんや りゅうさんや しょうさんや
えんさんかのう
化学よのう・・・ おシメのメシたべたかのう
ようさんたべたかもしれんのう
ようかん食べたいのう
ようかんようさんのメシでシメたいのう
可能かのうばあさんや ばあさんや、メシはまだかのうそういえばメシはまだかのう
さっき食べた?話は変わるがメシはまだかのうところでメシ
はまだかのうそういえばメシはまだかのうさっきたべた?メ
シはまだかのうさっきシメた?シメたかのうさっきのシメは
殺気かのうシメの殺気かのう 殺気でシメることが可能かの
うばあさんの殺気でシメるの可能かのうなあばあさんやシメ
たかのうシメたらもうワシもうおしまいかのうかのう姉妹かの
うのうばあさんやのういまのワシののう右脳かのう左脳かの
うところでメシはまだかのうのうさんやのうさんやりゅうさんや
しょうさんやえんさんかのう化学よのうおシメのメシたべたか
のうようさんたべたかもしれんのうようかん食べたいのうようか
んようさんのメシでシメたいのう可能かのうばあさんや ゲロに頭を突っ込んだのはともかく
セミの抜け殻を背負っている小学校で墓穴ほっていた。
それはある歴史上の発見によって毛穴から蒸発し、盛り上がってきた。
しかし全人類がホモっている。それをゲロは心配していっていたのだが
私はゲロに潜っても宇宙へ飛ぼうとは思わなかった。
そういうゲロとはヘゲったのだ。 ヒトラーはダーウィンを愛読していて思想を理解していた
だから「曲解したまま利用した」わけではない
ヒトラーが利用したのは優生学の方 淘汰だの進化だのという概念はダーウィン自身は好んでいなかった
ただ人口論と結び付けていたのは確かだから利用されてもやむを得ないと
思っていただろうな ダーウィン自身も人間は自然の生物に比べて適応力が低すぎて
進化とはほど遠い存在だと考えているしな 自然の生物には死をものともせずに自己展開を続けるのが多い 死がすべての終わりという考え方はおかしくて
これは個人という思想が流行ってから出てきたものだ
俺は今でも輪廻転生の考え方を支持している
そうでなければこの世は不自然すぎる ただ、個人の意識の区切りとして死がある
区切りというのは人間が勝手に定めたものである
これに従うのが人生なのだから生きている間は従うがな
死んだら自由にさせてもらう 動物にもテリトリーあるが
いちいち線を引いて「ここから先は俺のなわばり」とはいわない 人間の自意識は常に様々な脅威にさらされているからな
「線引き」しなければ安定しないことのほうが多いのは確か
しかし免疫系になるとどこからどこまでが自己と非自己なのかというのが
まったく分からなくなっている
あれはどうやって作動しているのか分かる人間など居ない 細胞には一応の壁(区切り)があるが
この壁はわりといろんなものを通している
都合の悪いものでもよく通ってくるからな 免疫不全で人はよく死に至る
免疫には自然免疫と獲得免疫がある
獲得免疫のほうがどうやって作動しているのかよくわからない
抗体を作ったり外敵を殺すこと専門のやつだ 皮膚も免疫機能を持っている
炎症起こすのもその機能のおかげだ
炎症は外敵に対しマクロファージを呼び出したときの防衛反応のようなものである いや、逆だな
炎症が警報のようなもので警報が出るとマクロファージが招集されるのか
マクロファージは自然と結成された防衛部隊のようなものだ 殺し専門のやつは元々自分の内にいたものではなく
外部から取り込んできたやつだろうな
雇い主など別に誰でもいい殺し屋のような存在か
殺せれば別にそれでいいわけだ 殺し屋が活動するためにわざと外敵を通しているのでは?
と思うこともある 細胞や免疫の活動を人間に例えるのはプロレタリア文学みたいだし
やめておくか すべてのものには志向性がある、と漠然と思うが
何のためにそれが存在しているのか、ということについては
意味をいくら考えても分からない しかしこの志向性というのも人間の錯覚によるもので
正確に把握はできない
旧来の物理学の世界観も量子力学になるとまるで通用しなくなる
物質の動きを想定する場合には「勘」に頼ることができるのだが
量子力学では勘が通用せず
ひたすら志向性を知るための観察を続けるほか無い 志賀直哉の事実描写能力に芥川や和辻も驚いたというが
この描写能力というのは志賀の勘からきているのだという
この勘というのは志賀が信仰心を自分の人としての生き方のみに
注ぎ込んでいるために研ぎ澄まされたものだという 志賀が無神論者だったという話がよくあるな
これはどちらかというと頑なに神を信じなかった、というよりも
人としての自分の生き方にのみ神経を集中させていたからなんだろう なんで志賀の論文を読みまくっているんだろうな俺
意味がワカラネエエエエエ 文部科学省のナノテク計画を読んでいた
大体官僚の用意した設計図通りに産業を進める国だからな日本は ナノテクでは一般的な電子顕微鏡ではなく
原子間に働く力を電気信号に変えて調べる装置を用いる wikiの説明を見ると1nm(いちナノメートル)という単位は
一般的な成人男子が髭剃りを手にとってから持上げるまでに
ヒゲが伸びる長さなんだそうな
すげえいい加減な例えだけど面白いな 1メートルと1ナノメートルの比率はおおよそ
地球とおはじきくらいだという 電子を操作するための量子ドット技術は材料の問題で規制されてきたんだね
この規制されていた材料というのはカドミウムのことだ
かつて公害問題を引き起こした物質
しかし7年前にカドミウムフリーの量子ドットが開発された 1ナノメートルのカーボンナノチューブで単電子トランジスタ
うーん、俺の頭では想像できん 電磁誘導の発見〜論理回路の実用化の歴史までおさらいした 複雑な計算ができる世界初の本格的なコンピュータはエニアックという
アメリカ製のものだ
陸軍の砲弾の射程を計算するために作ったという 冷戦時代にもコンピューター大活躍しているな
戦争の裏側で情報戦において優位に立つために開発競争が繰り返されてきた 海底ケーブルを駆使した無線通信の技術は1850年代から既にある
第一次世界大戦においてはこれの切断合戦が行われたらしい 人間のコミュニケーションも情報戦に近いものがあると最近思う 自分の考えや想いが他人に伝わればそれでいい、と考えるのが正しいのだろうが
実際は情報を共有させるための手段や形式でずっと争っている 昔は文字読めない、書けない人かなり多かったらしいが
印刷技術の発達で一気に増えた
本や新聞が広く流通するから当たり前だな 文字を追っているとなんとなく書いてあることのニュアンスは分かるが
文法レベルではよく分かっていない 息抜きにハイorローの数字当てゲームをプレイしている
六回連続で勝つとバニーガールがポーズをとったCGが見れるという
ベタな内容だ もう4人全員勝った
かなりクリアしやすく設計してある 量子ドットは簡単にいうとありえないほど極少の半導体のことだ
量子ビットとは概念が異なる ビットは0と1を扱うことのできる情報の最小単位だ
8ビットが一般的には1バイトに換算されている
1バイトでは2の8乗=256通りの異なるパターンを表現することができる 実際は8ビット=1バイトというのは世界基準ではないのだが
1960年代にIBMが開発したメインフレームSystem/360が
8ビット単位のアドレス指定を用いていたため
その仕組みが広まっていったという過程がある System/360は設計思想と実装の要素を明確に分け隔てているため
応用範囲が広く爆発的に市場に出回った
コンピュータのアーキテクチャに互換性という概念のない時代であったから
これは画期的なシステムだったという 人工知能の研究はこの頃から始まっているんだね
1960年代だよ
それでようやく今になって視覚と運動学習をこなせるまでに至った
これが出来るだけで飛躍的にはかどるな 情報爆発を危惧して新しいコンピュータの設計思想を必要としている企業が増えてるな 日本でも以前から異能ベーションとかほざいて若手プログラマーの育成に励んでるが
義務教育の課程にプログラミング入れるのが当たり前になるのだろうか
なんか教材や教育者をボランティアで募っていたな
さすがに善意だけで協力する人は少ないと思う
コンピューター教育ってすごい手間ヒマかかるし 人工知能に文学や小説、日本語研究論文のたぐいを片っ端から読ませて
文章を書かせるとどんなものが出来るのだろうな 大体プログラマやってる人が善意で教育のお手伝いする余裕なんてないよな データベースエンジニアの教本を十数ページ読んだだけでもウンザリきた
エンジニアを目指すくらいならまだヤフー知恵袋で
カテゴリーマスターでもやっていたほうがマシだ ひさしぶりにメロスピを聴いた
ダーディアンはメロディが濃いな
サビメロの展開の仕方とか
https://www.youtube.com/watch?v=wvnqEFnUzXo クラシカルにメジャーキーとマイナーキーをたくみに使いわけて
ファンタジー世界を突っ走る爽やかな演歌みたいになってゐる
わたしは青春時代を思い出した >>228
聞いたことのない名前だ
フォークソングを聴く趣味が俺にはなかった
しかし訃報か・・・ 紙ふうせんというグループは知っている
昔どこかの会館に来ているときに生で見たことがあった
嫌いなわけじゃないけどフォークソングは馴染めなかった
土着くさい黒人音楽のほうがまだ馴染める 本場のブルースやシャンソンは割と聴ける
日本流にアレンジしてちょっとジメっとした空気の漂うものに少し抵抗感がある
60〜70年代はそういう時代だったのだろうけどね シャンソンは『虚無への供物』という小説を愛読していたときに
よく聴いていた
主人公役に探偵気取りのシャンソン歌手の女性が出てくる
あのキャラが好きだった影響 冒頭の数ページを丸暗記するくらい繰り返し読んだけど
あるとき急に読まなくなった 『狂い壁 狂い窓』とか古野まほろの天帝シリーズとか、
変な中井オマージュ作品に触れた影響かもしれない
よくわからんうちに読まなくなっていた
『狂い壁 狂い窓』はそれなりに完成度高くて良かったがな
まほろはだめだった
文章が完全にラリっていて頭痛くなる 文章力自体は高いのだろうけど感性のレベルで受け付けない
独自に考案したものものしい単語を羅列して適当なルビを振りまくっている
あの手法が気にくわんかった
キャラも変態ラノベじみていてだめだった >>234
へ、 /^i
| \〉`ヽ-―ー--< 〈\ |
7 , -- 、, --- 、 ヽ
/ / i ヽ ヽ
| ( ● ● ) |
/ 彡 ▼ ミミ 、
く彡彡 _/\_ ミミミ ヽ
`< ミミ彳ヘ
> ___/ 『狂い壁 狂い窓』に出てくる木造の古めかしいアパートは
作者が実際に住んでいた建物がモチーフだという
昭和時代のドロっとした雰囲気がよく出ている作品だから
悪くはない
若干グロい表現出てくるけどな
虫もたくさん出るし 作者は『匣の中の失楽』で有名(?)な竹本健治
探偵小説三大奇書といわれている作品があるが
『匣の中の失楽』を加えて四大奇書と呼ぶ人もいる
俺は黒死館だけは読めなかった
衒学趣味に加えてものものしい造語とルビが飛び交う
この系統はどうも苦手 表向きは仰々しく長いが『ドグラ・マグラ』が一番エンタメしていて分かりやすい
『虚無への供物』は表向きとても読みやすいが物語構造が奇抜 構成が奇抜なのは『ドグラ・マグラ』のほうだけどな
しかし読み終えると一応の納得感がある
『虚無への供物』はそうではない
読み終えたときの複雑な気持ちでいえばこっちが圧倒的 集え、若人よ!の反対ってなんだろ
老人、解散!か? レイ・カーツウァイル氏いわく
「2020年までに、われわれは人間の脳の逆行分析ができるようになるだろう
超人工知能ができれば、あとは人類はその手に委ねればいい
そのとき、人類はダーウィンの進化理論の呪縛から解き放たれるのだ」 まず、ナノテクによって寿命と病気がなくなります
そして、人工知能によってクラウドに接続された人類は
宇宙の意識に覚醒します
これが、シンギュラリティです 虚無感に苛まれているときにクリシュナムルティの本を読んでいた
グルジェフもよく読んでいた
しかし何の役にも立たんかった 他人の思想だとか自分が他人から得たもの全般的に
自分とは無縁であるという場所までたどり着けとクリシュナムルティはいっている
だから本なんかに影響受けてるのはおかしいんだな 一切の「他のもの」と自己とを同一化するという精神作用を捨てれば
人は自由になれる、というようなことをクリシュナムルティは書いていた あるがまま受け入れろってことだよな
それができれば人は苦労しない 他人や社会から自我が成立している、という感覚から抜け出せない
だから文明社会嫌悪からも抜け出せない 親もしょせん他人なんだが血の繋がりがあるように振舞えと
社会から要請されるわけです
それで感情もそのようになっていく 俺の親はどちらも日本が嫌いだよな
戦後左翼まんまなところがある
どうも腑に落ちん 他人や社会から自我を独立させる、という発想も通じない
自我というのは社会や歴史と切り離せないように出来ている ちょっと前までは戦後左翼の教師ばかりだった
ネットでよくブサヨがどうとかいってるネトウヨいるが
基本的には戦後左翼に自我が振り回されるのが嫌で
ああいうスタンスに落ち着いていったんだろうなと思う 自己矛盾に耐え切れないのが理由で愛国に走っている人が多いが
言っていることがよく矛盾していて常に敵を作っていないと精神成り立たないのだから
むしろブサヨに感謝すべきなのである これが、シンギュラリティです
1年で10億倍だ
行くぞおおお 日本に住んでいるのだから日本の良さを知りたいと思うのは当然か パスカルのいう「中間者」というのは
人のもっている矛盾した性質のことだ
人には寿命があり死があるがゆえの虚無を潜在的に抱えているが
同時に人は無限を夢見てしまう 中間者であるがゆえの苦悩から逃れるために
人は常に「何か」になろうと努力してきた
そこでよく人は他のものとの同一化を試みる
クリシュナムルティが言っているのはその「何か」に
なろうとすること自体を捨てよ、ということだ
俺にはそれができなかった 文化は模倣によって成立しているところがある
アリストテレスも模倣は芸術の基本である、というようなことをいっていた
模倣と反復は今時どこ見ても当たり前のようにやっている
だがクリシュナムルティはそれも否定していた 何かになろうという信念を持つことはすばらしいとされている
しかし欲望の性質というのは厄介で、信念がもてなかった場合に
信念にすがりつこうとする 欲望は欠如から来るもので
欠如を埋めるためならば何でも利用する レイ・カーツウァイル氏の経歴を見たが世界的権威というには少し胡散臭いな
でも人工知能の研究を真面目にしているのは確からしい
人工知能研究も50年の歴史があるからな 文字を追っているとマジで思考停止する
自分の考えではなく他人の考えを追っているだけだからな
俺は考えながら文字を読むということができない あとから「何が書いてあったかなあ?」とあれこれ回想して
ようやく少しだけ考えることができる 要は後から回想できなければ文字を目で追って思考停止して終わるだけで
文字を目で追ったという記憶以外に何も残らない 人間の目も野生動物と同じく
動くものを追いたがるという性質があるな
文字を追う場合は相手は動かないのに
目の方を意識的に運動させなければならないから疲れる >>277
相当生活に困っていないとそんな愚かなことしないがな 生活に困ってないのに趣味で密漁やってるやつは片っ端から捕まえて刑務所に入れておけ ヴァージニア・ウルフを久しぶりに読んでいる
昔は分裂症気味に思えて不気味に感じていたが今読むとそうでもなかった 繊細であり粗暴
感性のレベルで小さな爆発が起こっているな ジェイムス・ジョイスは何度読んでも理解できんのでやめた そういえば昔ドイツにヒトラーやフロイトもビビったという黒魔術師がいたな
あれを調べるか オカルトの意味はラテン語が由来で
元々は「隠されたもの」というニュアンスのある言葉だ
それが翻って「社会の裏に隠された危ない思想」のような意味で一人歩きし
陰謀論者に好まれるようになった イギリスでは1951年に魔術禁止令が出されているな というより魔女禁止令が廃止されたのか
魔術の存在が否定されたという意味に捉えていた 京都はよいところどすえ
いちどおいでやす〜
祇園祭りにぎやかで楽しいどすえ 今日はお忙しいなかお越しいただきどうもありがとうございます
私の先祖一同みな喜んでおります
みなさまもご存知のように私の先祖はお米を食べておりました
エビも食べておりました大根も魚も食べていたでしょう
つまり雑食です
私も雑食ですきっと皆さまも雑食なのでしょう
みんな雑食ということで本日私が企画いたしましたのは
雑食パーティでございます
こちらにいろんな食べ物が雑然と用意してあります エビ、イクラ、お米、豚肉、そぼろ、ゴボウ、ワカメ、ネギ、タイコ
ソーメン、寿司、ワイン、ハンカチ、シャーペン、モクギョ、リモコン
論文、ワイパーなど、なんでもございます どうぞこちらにいらしてご自由にお召し上がりください
私のお薦めはこちらのパワーショベルでございます
パワーと歯ごたえがあってとてもおいしいですよ おいでやす〜
あら、うちは一見さんお断りどすえ〜
また機会があればどうぞ〜 何度お越しなさってもあんさんは一見さんどすえ〜
うちはどのお客さんでもいつも初めましてがモットーなんどす〜
よってうちにはお客さんがおりませんのどす〜 コレ ハ トウロウ デスカ?
ソレトモ ヤカン デスカ?
イイエ コチラ チャガマ ト イイマス 卓球を英語綴りで書くとTable tennis
カタカナで発音するとテーブルテニスなんだが
そのまんま読むとどう考えても「タブレテンニス」なのである
なぜこれをテーブルテニスと読むのか不思議でならない アメリカ大使館へ行くとも言っています
どうしたらいいですか? >>316
「移民ビザの申請に来ました」といって
受付で電子機器やカバンを与かってもらう 散文小説のようでもあり感性の閃き的なポエムのようでもある
何か繊細だか粗暴だかよくわからんイメージ アオサギが教会の上と空の間を怠惰に無関心に飛んでいるのだけは分かった
間がさっぱりだ なにか一瞬の感性の爆発を文字のイメージとして叩きつけたのかもな 最近感性が鈍りまくっていて感じ取れることが少なくなっている 怒るだけで心臓が苦しくなるからな
感情的になることも辛い シンギュラリティはオカルトじゃねえ
だって隠されてないし 鋭い人は誕生日と顔だけでいろんな情報を割り出すからな
怖い怖い >>330
∩_ ・∵’、
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し'`∪
(д゚ ) ≡ == << = - << -
) ) ヽ 三 ≡ = ― - - - -
∠(,/ヤ 丿 ≡ << = = ― << ―
.〃~/ヽ (〈`γ"~ヽ
ゞ___ノ ヽ)ゝ__χ 第5回ウディコンのとある作品をプレイしている
前にも一度挑戦したが導入部が長すぎて挫折した作品だ
すべての台詞にきついウェイト(一定の待ち時間)がかかっていて
体感時間が恐ろしく長い 時間感覚が狂うなこのゲーム
イベントも執拗に作者の趣味で塗り重ねてあるし
プレイヤーの自由を完全に度外視して作っている
しかし慣れてくると変な中毒性が滲み出てくる
ゲーム本編に入るまでに40分もかかる
なんなんだこれは! 執拗に丁寧な趣味の悪さというか
得たいのしれないへんなメルヘンワールド 作者さんは自分のゲームを少しでも悪く言われるのが嫌らしいが
これは趣味が悪いとしかいいようがない 美点は執拗なまでに丁寧に作っているところ
これがなければほんの一部のマニアしか相手にされんような内容 以前の俺だったら画面を全力で殴って死ねだの殺すだのを連呼していたな ストレスのたまるゲームは精神修養にちょうどいいかもな この作者はいわゆる腐女子なんだが
一般的に想像しうる腐女子とはかなり異質だ 感性の尖りを押し出すことを一切やめて
丸い状態のまま自分時間の演出にエネルギーを全力で割いている 自分時間・自分空間の創造にのみエネルギーを使っている
プレイヤーの意志がどうとか、そういったものはどうでもいいんだろうな
ある意味クリエーターだな あれ?
地下牢探索からが本編か
まだ導入部だったとはな・・・ 会話内容はすごく陳腐なのにありえないほど執拗に時間をかけて演出してある とにかく遅えwwww
展開が遅ええええええwwwwww 1時間のくそ長いOPが終わってようやく本編かと思ったら
またくそ長い回想が始まった・・・wwww 15分ノンストップの回想シーンだった
体感時間でいえば2時間くらい 今までたくさんフリーゲームをしてきたけど
演出のクドさと執拗さでいえばこれが最高峰だな いわゆる「大人の汚い世界」を完全に排除したメルヘンで
しかもキャラは腐女子系
やり取りはひたすら陳腐なのに執拗に演出に時間をかけて凝っている 実況動画で一度貶された?か何かあって
それ以来実況動画を禁止したようだが
俺でもたぶん貶してる
あまりのクソ長い強制的な演出に対して 俺的に不快な要素ばかりだが手抜きを微塵もしておらんので
作者の情念に負けた形になるな 下痢したくなって起きちまった
さすがに明日病院へ行くか・・・ >>359
最近少し冷えてきたからね
をだいじに・・・ 100%メルへン体質だなこの作者
誰にも穢されることのない自分だけの時間感覚を持っている 歴史が100年未満のものはあまり文化とはいえない気がする 文化と文明の差も説明できない大人が多いからな
仕方ないか
俺から見ればそれだけで白痴なんだが 特に近代文明の中で培われてきたものを文化として高く評価する意味がわからん 俺は文化人ではなく腐れた文明人
文化についてはかなり疎い
文化人や学問のできる人にはひどい劣等感を持っている 文化の価値を知らないから文明が生み出すゴミに無理矢理価値を見出して埋没する なあ、普通に考えれば分かるだろ
「機械文化」っていわないことくらいよ 一般的な定義とかはどうだっていいんだよ
問題は文明に対する基本的な捉え方だ >古典的・日常的な文化
ラテン語 colere(耕す)から派生したドイツ語の Kultur や
英語の culture は、本来「耕す」、「培養する」、「洗練したものにする」、
「教化する」といった意味合いを持つ。
18世紀後半に、産業化を示す技術革新、生産性の向上、
社会の官僚化といった人間の外部に相当するものとしての文明と
対比される、人間の精神面での向上を示す言葉として
位置づけるものとしての文化という意味で議論を展開したのが
マシュー・アーノルドである 価値あるものとして他人に誇りをもって教えることができるか否か
これを文化か否かの基本にしても構わない そういう面で一般的な定義に拘る必要はないということ 文学はいろんな物語の中に息づいてるが一般的には
文学なんてやっていても役に立たんと思われる 言葉も文化だが俺は言葉をうまく扱えないので
言葉の価値について他人に教えることができない 「美しい日本語」に高い文化的価値を見出したいという気持ちはよくわかる
醜いよりは美しいほうがマシだからな 美があるから醜が引き立ち、醜があるから美が引き立つ、というのがあるが
それはただの屁理屈である
これは秩序と無秩序の関係に置き換えてもかまわない 実際には完全なる無秩序も完全なる秩序も人間は持っていない
これは美醜も同じことだ 言葉や概念上の屁理屈に人の悟性はよく騙される
実際はそんなもの存在せんのに
存在せんものに頼るのはバカである 埴谷の考え方はすごいな
存在しない観念の世界を現実に置いている 実際に世界に何が存在しているのか、というと
これも人間には把握できない
だから未だに存在論、認識論の学問が複雑化、高度化し続けている 心身二元論の世界観も未だにまったく克服できてないからな
ロボット論争を見ていると分かる 自分の体の中で動き回っているマクロファージが
何を考えて生きているのかも知らんからな マクロファージはよく「掃除屋」といわれている食細胞の一種で
老廃物や外部からのバイキンなど食べてくれる 人の免疫世界が舞台の「ミクロの決死圏」というアホSF映画があったな
昔よく見ていた 価値あるものを伝えていこうという気がなければ
人間が社会を構成する意味など無いからな 歴史的?な建造物に価値あるんだろうか
俺はよくわからないな 人が生きることに価値があるのかどうかってのは分からん
マクロファージが何を考えているのかも分からんのだからな
意思があるのか盲目的に動いているだけなのか
それさえも理解不能 マクロファージいないだけでまともに生きられないからな マクロファージいないだけでまともに生きられないからな 人は自然の中に無限の(ような)変化を見つける
人は自然から無限の(ような)性質を学び取った
人間の悟性自身にとって人間の悟性が
無限の(ような)性質を持っているというのは事実である
アメリカ自由主義の基本思想であるプラグマティズムでは
事実と価値とは連続している 無限それ自体に価値があるわけではなく
人が自身に無限のような性質があると事実認識していることに価値がある これは屁理屈ですね
まんまとアメリカにやられてしまいましたね ダーウィンは個にある種の連続性を観察していた
種の内に個がある、という考え方ではなかった 人間個人一人一人に確かな価値があるのか
あるといえば嘘になる やはり自由主義下では認識論の研究が先決か
脳科学のアイデアは正しかったわけだ やはり自由主義下では認識論の研究が先決か
脳科学のアイデアは正しかったわけだ 人間個人一人一人に確かな価値があるのか
あるといえば嘘になる マクロファージいないだけでまともに生きられないからな 実証主義は経験主義に属するのかもしれない
人の事実経験に依拠するものであるから実証主義の正しさについて
考えるとなると再び第一哲学が顔を出してくる これではイタチゴッコになるため
間をとって認知科学ってことだろうな 英米には膨大な知識の蓄積があるから
認識論で得た知見をどんどん科学分野に含めていく 日本はあくまでも官僚が舵を取る計画経済であり
自由主義のエッセンスを取り入れただけに過ぎない
実際に経済競争が自由というわけではない
今でも慣習を重んじるし、おもてなしの精神ない、空気読めない人間は
競争で勝てないようになっている 文部科学省の計画は或る程度変更可能になってるが
基本的には20〜30年程度先を見据えた計画に基いている 各業界の技術水準と相談しながら練っているから
そうそう簡単には設計図が変わらない 人の行動も経済の動きによってがらっと変わってしまうからな
大雑把に見ていると
要は経済に乗せてエネルギーや属性を交換しているということ
これで調和が生まれるとしたら奇跡だな 地球科学の本を見ていると
エネルギーのダイナミックな交換劇というのは太古の地球で
当たり前のように起こり続けている
一度エネルギー爆発してしまえば安定期に入るがな 大陸が分断するほどの大地震にせよ地球にとってみれば
無駄なエネルギーを発散させることにより単に「ズレ」を
ほんの少し修正しただけに過ぎない 宇宙は調和に基いているのかどうか分からない
グノーシスの宇宙観のようにそれ自体が悪なのかもしれない 悪の宇宙から目をそむけるために
「光」をでっちあげて殻に閉じこもっているだけなのかもしれない
人間はよく「光と闇」を対立構図にでっちあげて下らないドラマを生み出そうとする しかし光はまぶしいな・・・
光は確かに存在しているような気がする
闇は何も見えないので怖い
光はまぶしいから適度でいい
俺の認識はこの程度だからな
何がグノーシスだか マクロファージいないだけでまともに生きられないからな 夏場はよく汗疹で皮膚が炎症おこすからマクロファージが大活躍だ
何がグノーシスだか >>420
ん?なんでこの時期に公開したんだケネディの文書 今記号論の論文を読んでいるところだから
誰かケネディの機密文書解析して要点を日本語でまとめておいてください 父性の死んだ場所に放り出された近代人は
みずから精神の監獄をつくって推論の連続に自我を投げ込んだ!
推論の連続に耐えうる論理こそがプラグマティズムなのであった・・・ ここでは個人の連続性も種族の連続性も
同じものとして語られる・・・ 国家と個人の重みも同じようなものとして語るのがアメリカ人なのか
とんでもねえな 学問はカリキュラム化されるからな
カリキュラムとして扱うには内容を単純にして
骨格だけ残すという形式に落ち着かなければならない
学生はカリキュラムを習得する際、骨格に肉付けしていく作業を
余儀なくされる 情報化社会では連続性から、複雑な系の絡み合うシステムへの飛躍がある 人の思考や意識は「繋がり」を求めて様々な連続性を壊しながら
展開してゆく
人の経験はそういうふうにして生成されてゆくものだから
「連続性」について考えたときに定義付けが難しい 数学におけるある系と系との互換性について調べるのが
圏論という分野である
数学は情報化社会において高度化・複雑化してゆく系を扱うのに
必須なのである 互換性を得ないままそれぞれの系が発展してゆくと
果てには円城塔が小説で書いていた「イベント」のような自体に陥る
つまり、宇宙同士の闘争である 記号から記号への解釈の連鎖が第ニの記号の表意体となっており
これが記号の無限連鎖を生み出している
人間が認知している対象というのはこの無限連鎖のプロセスによるものである
・・・というふうなことをパースは言っている 今はもうパースの記号論がどうたらいってるだけで
時代遅れのジジイなんだから始末におえん 今はネオ・プラグマティズムが認識論の道具として使われているな
これはクワイン以降なのかもしれん パースは後年には自分の思想を反省して
伝統的なヘーゲル思想に立ち返ったりしている ネオ・プラグマティズム第三世代のブランダムって誰ぞや?
見たことも聞いたこともなかった 精神現象学は俺も何度か通して読んだが(昔の樫山版)
未だに何いってるのかさっぱりだからな
まともに読めるのは知覚や悟性について書いてある章のみ アメリカは他民族国家で、民族と個人の連続性について考えるにしろ
かなり多元的にならざるをえない 形而上学と自然科学のMIXが進んでいったのは
第二世代あたりかららしいな
パースの時代はそうでもなかった パースがなぜヘーゲルに立ちかえっていったのかというと
初期のパースはヘーゲルにおける「判断」や「主観」を
誰が突き詰めても同じことだと捉えて「命題」に置き換えてしまったからだ 命題を記号に置き換えるとそのまんま記号論理学に応用できる ヘーゲルでは対象を一般化しているのは人間の知覚だが
パースでは一般性を持っているのは連続性そのものだという
この変態思想の上にプラグマティズムが立っていることを考えると
アメリカはいかれた国だな(酷 記号の無限連鎖が人間の認識を作っているのだから
知覚についていちいち考えなくてもいいのか 第ニ表意体について考えていればおのずと対象が見えてくるということか 表意体・対象・解釈項の三位一体構造から記号の無限連鎖が生まれる
ここにはすでにヘーゲルの弁証法の形跡が無い ヘーゲル概念論では普遍-特殊-個の三つの契機が弁証法運動として連動していた >思考は必ずしも脳とつながっているわけではない。
蜂や結晶の働きや、純粋な物理的な世界全体を考えてみても、
諸々の対象がそこにあり、色や形があるのと同様に、そこに思考が
実在していることは否定できないだろう。
このことを不当にも否定することに固執するならば、フィヒテに類似した
ある種の観念的唯名論に行き着くことになる。すなわち、
思考は有機的な世界のものであり、そこにのみ発達する。
「一般」が具体化する実例がなければあり得ないように、
思考は記号がなければあり得ない。
ここでの記号には非常に広い意味を与えてはいるが、
定義の枠内に納まらないほど広すぎる訳ではない。
互いに連結した記号が「擬似的な精神」のようなものを
持つことを認めるならば、孤立した記号はあり得ないことが
さらに断言出来るだろう。
そしてさらに、記号は少なくとも二つの擬似的精神が必要となる。
つまり擬似的発言者と、擬似的解釈者である。そしてこれらの二つは、
記号それ自身として、一つのもの(ひとつの精神)の中にあり、
しかし明確に区別されうるものである。
言わば、記号の中に、これら二つは埋め込まれている。
このように、あらゆる思考が論理的に展開するためには
対話的であるべきだということは、人間心理学の事実に関しても、
論理学の必然性についても当てはまる 推移(状態の変化)は連続性に含まれるのか
という重大問題があるな 義務教育では連続関数しか習わないから
数学における不連続の連続性、といわれてもイメージがしにくい 富士通総研の人工知能の論文を読んでいる
企業のは実益が絡むから書き方が微妙だな 脳みそ自身にはセンサーが無いため
常に感覚器官からの情報を「待っている」のかもしれない 人工知能はあくまでも人間の脳みその仕組みの一部を模倣したものであるから
人間の脳みそと比較すること自体に意味はない 問題は人工知能に限らずコンピューターにも社会性があるということ 人工知能が自然を模倣できるのかってのが焦点になるな コンピューターがコンピューターを管理するソフトを自動的に作れるようになると
どうなるんじゃろ 煮詰まってきたな
気分転換にコーヒーを飲むか
コーヒーを飲みながらコーヒー大好きのバルザックの小説を読もう )::) /:: ゝ )::ノ
(:( _]血[ (:(
/ヽ_ )) 」∧::/;;:;;L ))
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ヾ、/┌;;ヾヘ、 ,,/|lilili||lil||「|}{}{|:::;;;;;::::::」
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::,,;:,,; ,:.............:: ヽ::: ヽ .,,..| 金曜城跡地 |:;,,,,,,;....;
:..,,,..:;:..,,: .,......,;,.,,. /,;;, / .,,.. ̄ ̄ ̄|::| ̄ ̄ ̄:::::,,..::::::
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なんとか勝ったな・・・
∧ ∧. __,,,,,,,,,_
(::::::: ) (::::::::: = こっちもボロボロだけどな・・・
〜.::::: )(o;;:::::: ) >>474
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|←月曜|
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 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
パースの思想がプラグマティズムの基礎というのは定説なんだが
パースの思想が源流になっただけで後が結構複雑だ 最初は大学のサークルみたいなノリで
書斎に集って形而上学的な討論していただけなんだね
名前もそのまんま「形而上学クラブ」なんだからわらける
それがいつしか時代の波に上手く乗ってアメリカ思想の大きな潮流に繋がっていく パースの思想は先進的で自由主義経済と親和性が高い
今の俺でもパースの1800年代後半の思想についていけん 人間が行動を誤るのは当然、という見地に立っており
成功のためのプラティカルな行動論としてプラグマティズムは根付いていく アメリカがいち早く豊かな消費生活を手に入れたのは
この思想が根付いていたからなのだ
おそらく1950年頃だろうな
日本はその15〜20年後追いだ 大衆化運動の過程がまるで異なるから
「後追い」という表現は正しくないような気もする 日本が世界に経済的豊かさをアピールしたのは1964年だったっけ
東京オリンピックや新幹線開通の年 高度経済成長期に何ら思いいれがないからな
いくら当時の記事を読んでも戦後の焼け野原から苦労して経済復興した
といっても実感が沸かない 漠然と恩恵を受けていることは分かるが
実感がまるで無いのだ 当時の汚いドブ川だったりバラックの群れだったり
そういうの見ているほうが日本だなあ、という感じがある 友達のアパートの裏の汚いドブ川によくイトミミズが大量発生していて
棒でつついて遊んでいたな、子供の頃 パースの思想が理解できれば
アメリカに対する嫌悪感も多少は和らぐかもしれん パースはヘーゲルを一応踏襲しているつもりだろうがヘーゲルとはまるで異質だからな プラグマティズムは「実践主義」と訳されることが多い
個人的にはニュアンスが少し違うな 西洋哲学に強い自己反省の態度を命題化して
「人間は過ちを犯す」という風に置き換えているからな 日本ではよく他人に反省を促したりするよな
あの態度はプラグマティズムでは良くないとされる アメリカ映画を以前はよく観ていたがあるときから
気持ち悪くて見れなくなった 以前はアメリカに自由があると感じていたが間違っていた 記号の無限連鎖が自分の思考や存在を支えている、と考えなければならんのか アメリカ人にはいろんな人種がいるから
アメリカ人だからどうこう、ってのは無い
単にアメリカという国に対するイメージがかなり悪い
キチガイ思想を有した国家というイメージが先行する 俺が2chにずっといるのもアメリカの圧力から逃げるためなんだと思う アメリカが日本の伝統を壊した、と考えている人をよくネットで見かける
それは半分くらい本当なんだと思う <sign> <object> <Interpretant> 類似点を見いだすことに価値がうまれる、とパースはいっている
類似記号はIcon(イコン)である 具体的な何かを指し示す記号はIndex(インデックス)
記号と対象とを結びつける記号はSymbol(シンボル)
パースの解釈はこうなっているらしい 人間はイメージのレベルではよく一般性・連続性を破壊して飛躍するからな
俺は「飛び火する」と解釈してるが 夢は充足願望である、といっていたのはフロイトだっけか
大体、寝ている間に見ている夢はそれ自体で充足しており
夢であることを自覚し辛い
明晰夢もよく見ていたけど 意識の根底で人は繋がっているかどうか
ユングは生涯かけて調べていたな
実際人間をシンボルに置いてしまえばそんなのは関係なくなる
繋がっていようといまいと人間が真理を生み出してゆくのだから インターネットを見ているとアメリカの思想が幅をきかせまくっていて笑うしかない そもそもハイパーテキストの発明者がパースの影響を受けたアメリカ人である
>ハイパーリンク(Hyperlink)とは、ハイパーテキストにおいて、
複数の文書を結び付ける役割を担う「参照」である。
ハイパーテキストの根幹をなす。単に「リンク」とも呼ばれる。
最もよく使われているであろうとされるリンクは、
World Wide Web(WWW)における
Uniform Resource Locator(URL)によるものである パースのいうIconはコンピューターでいうアイコンでもあり
アイコンはIndex機能をも含んでいる 記号の無限連鎖と関連付けの魔術に頭やられているな
インターネットではそれがダイレクトに感じ取れる パースの前は色んなものがヘーゲルとアリストテレスの影響に見えていたから
一歩アメリカに近づけたのかもな 俺は親米じゃないがアメリカの自由主義を日本が受け入れたのは事実だし
自由主義経済による国家運営スタイルの上でずっと生きてきたわけだからな
ちなみに観念的な自由主義では政治権力からの自由という建前があるが
建前はあくまでも建前だからな アメリカは日本にルールを押し付けているのだが
これは自由主義を取り入れた代償として考えたほうが妥当だな 物を大切にしなさいという教えと大量消費生活とを矛盾なく扱うのは無理 物それ自体に対する超越的な感性を日本人はもっているとよくいわれる
これは無の哲学に通じている感性だ
プラグマティズムは西洋の有の哲学の発展系である アメリカはどう考えてもキチガイだからな
先住民殺して植民地をたくさん作って無理矢理統合したのがアメリカだから 国の成立過程そのものがキチガイであったからこそ
真理や普遍にいち早く近づくための方法論が磨かれたのだろうが・・・
それが強国たる理由か 無理な同化政策で人殺ししまくったといえば日本も同じだがな
中国なんかも壮絶だよな まだ動乱の歴史始まったばかりという感じがある
これからどんどん高度化してゆくはず パースの思想に従うならばバーチャル世界で暮らすのが一番平和的かもしれん
現実に生きていると記号の指し示す対象を知るのに行為しなければならず
行為するには細かいルールや不自由が多いからな 真理を生み出すには現実というのは細かいルールが多すぎる
カテゴリや縛りを飛び越えるのにどれだけの軋轢が発生すると思っているのだ
現に無駄なことやっている愚鈍を淘汰しようとする人間が増えているではないか アンディーメンテの新作?が出てるな
試してみるか
また過去作のリニューアル版のような気もする 西洋文明には浪漫がある
アメリカ文明には真理がある 日本には中国文化圏時代の伝統と西洋文明の浪漫と
アメリカ文明の真理が混在する複雑さがある 人間=弱い存在
真理=到達しえないもの
という考え方をパースはやめた 西洋文明2000年の歴史では絶対普遍の愛に対して
人間がいかに脆く弱い存在であるのか
ということが実証されてきた ダーウィン思想とキリスト教の共存という恐ろしいテーマに挑んでいるからなアメリカは デカルトは近代思想の祖に近いものがあるが
方法論としてはすでに通用しなくなっている
デカルトのいう「誤謬」なんてプラグマティズムの前にはチリクズ同然だからな
真なるものは人間が生み出す他ないから どのような些細なミステイクも無限の中に取り込んでいく 「方法序説」は何十回も読んだが
あれに書かれていることを実践しようとなると
かなり大変
自分の属する社会から一度離れなければならん
習慣に埋没していると悟性によるまやかしで真なるものなど見えやしない 西洋では無限や普遍の世界をイデアに例えることが多いみたいだが
アメリカでは一般性と存在とをもつ連続性である イデアの提唱者であるプラトンはアリストテレスの先生だが
アリストテレスはイデアを認めない(自説では説明がつかないため)という立場をとっていた 村上春樹が編集したアメリカの短編小説集を読んでいるが
ここにもパースの思想の影響下にある無限の記号連鎖が頻繁に出てくる
ともかくラリっていて気持ちが悪い ある対象について説明するのに比喩だか何だか分からない
ウィットに富んだ(これが俺には理解できない)言い回しを多用する
はたして対象に到達したのかしていないのか、それさえも分からないという
たとえば日本だと星新一のショートショートなどは
アメリカに影響を受けたものだが、あれは非常に洗練されていて分かりやすい
なぜかというとウィットを最小限で抑えてあるからだ
対象が割と明確になっている 星新一はウィットを最小限におさえてペーソスで書きたい題材を包んでいる 星新一の真髄は重苦しいテーマをペーソス(哀感)で包みながら
ユーモアのあるおとぎ話のようなレベルにまで洗練させるところ 対象に到達したことで真理に通じているのか?と問うたときに
答えがNOだった場合はウィットが必要になる ともかく重々しい空気を避けるため
気の効いた軽い返しを覚えないとやっていけんのだろ
日本語ではこれが難しい 星新一は結構野暮なところがある
気の効いた軽い返しに見えて台詞だけ追っているとかなりベタだからな ヘーゲルとアリストテレスやめてしばらくパース陰謀論だな そういえばアップルの故ジョブズ氏はシリコンバレーで起業して成功した人だったな
あれもおそらくプラグマティズムの精神に忠実だったのだろう
真理を生み出すための成功に近いことをコンピューター機器の世界で実践した ジョブズ氏はいろんな主義思想に傾倒していてどっちつかずのイメージだったが
未来のビジョン、理想を語らせるとかなり雄弁だからな
成功のイメージを自ら生み出していたのだろう ふりーむの新作を試していた
手抜きのクソゲーだと思ったらしっかり作ってあるな
でもこの作者はたぶん趣味人の主婦だろうな
オーラでわかる 散文や詩の教養あるけど若干オタク感性入っている
30代以上特有の空気感がある
男ではまず描けないような繊細さがある フリーゲームだったらもっと一線超えた何かがほしいところ 意識の流れ手法ではヴァージニア・ウルフの『ダロウェイ夫人』が神だな
繊細で格調高いのだが妙に粗暴でもある
なんか色々無作為に混ざってる感じが良い
ユリシーズは俺には難しすぎる 『ダロウェイ夫人』は何かというと、50代の女性が主人公で
戦後間もないロンドンの町を歩きながら1日の意識の流れをひたすら追う
というだけの文学作品である 一応まともな筋書きがあるがダロウェイの意識を追っていると
そんなものはどうでもよくなる
とにかく色んなイメージが無作為に飛び交う イメージの発火、というようなレベルで飛び交う
粗筋が分からなくならないよう、文章をギリギリのところで統制してある 格調高く繊細で粗暴
筋の通った一本道だと思って読むとこっちの意識が混乱してくる 散文よりも韻文のほうが歴史が深いな
古代の韻文を読むか 日本の韻文といえば勅撰三集が有名だが
あれはまだまともに読めない
古今集くらいのレベルからしか読めない 漢詩だったら古代中国の読んだほうがええかもな
日本には漢詩が入ってくる前は共用の文字文化なんて皆無だったし イソップの人物像についてはあまり分かってないんだな
紀元前の人だし 去年はフリーゲームを3000本だか4000本だか試して
体力気力共に大分削ってしまった
もうゲームは息抜きだけでいい
おなかいっぱい 去年というか今年だったな
去年の9月あたりから一年間に挑戦したが9月になる前に挫折している あとは苦悩に耐えるだけだからな
退屈なことを続ける以外にない 俺は文化の価値など何一つ知らない人間だ
文明の生み出すゴミにすがり付いてきただけだしな 勉強なんか死ぬほど退屈で一刻も早くやめたかった
義務教育も俺にとってはカス同然だ ターミネーターが好きで何度も何度も繰り返し見ていたな、小学生のころ 文明人なら最低200年先のことを考えないとだめだ
孫、ひ孫世代が俺ら世代のことどう思うか 若者の免疫力は低下傾向にあるのか
あれだな、もっと緑化運動しないとだめだよ オールダスの小説の冒頭があったな
完全にディストピアものだ
>たった三十四階のちぢこまったような灰色のビル。
正面玄関の上に、「中央ロンドン人工孵化・条件反射教育センター」の表札。
そして、ワッペン型の表示板の中には、世界国家の「共有・同一・安定」という標語 オールダスの父親はダーウィンの理解者であり良き支持者であったらしい
この家系には科学者が多いな
当時の世情もあってか、科学による管理社会化に対する不安が強かったようだ 条件反射教育センターってすげえな
ある意味あこがれる パースのアブダクションを利用したKJ法という発想法が
1960〜70年代の日本で流行してるな
企業経営にもよく導入されていたらしい
これはアメリカと和のMIXスタイルだな 個を排除しないためのうまい方法だと思うが
どことなくおかしさを感じる フィールドワーク主体の科学的手法か
広く情報を取り扱う際には実用的だという 実験科学以前は書斎科学だった、ってのは本当っぽい
ひたすら古典文献と格闘して推論を繰り返し考えをまとめる科学スタイル 自然哲学 → 形而上学 → 書斎科学 → 実験科学 → 野外科学 → システム科学 ナノテクを駆使しても免疫の謎はわからんだろうが
今や免疫内における特定の分子構造だけを破壊するような技術があるからな カーボンナノチューブは髪の毛の五万分の一の細さらしいが
イメージがうまくできない百分の一くらいまでだなイメージできるのは あれも出来るのだからきっとこれも出来るだろう、というふうに(適当 フラグを適切に処理してある隠しパラメーターを満点にした状態でクリアすると
特典のミニゲームが出来るらしいがもう二度とやらねえ 作者の生み出した特異空間に閉じ込められている感しかなかったな 西村京太郎もう87歳か
ずっと原稿手書きってのがすごいな 西村京太郎というと量産作家で有名だが
87歳になった今でも本出し続けてるのがすごい
もうすぐ小説600冊いくぞ >>608
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ヒ 「 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
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ヒ 「 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄| ヒ
ュ | │ュ
| | .│| ぬばたまの〜・・・の「ぬばたま」というのはアヤメ科アヤメ属の多年草の
ヒオウギという植物の黒い種子のことらしい
知らなかった 俺貴族なのに和歌ができないってサイテーだな
少し勉強するか 和歌の世界は没落貴族の救いでもあったのだから
知っておかなければな パース記号論と和歌という、情緒を破壊するような組み合わせだ ん?
これは俳句だな
あとに7・7の韻を踏めば短歌になるわけか 日本の儒教は本場中国にくらべると礼の精神を重んじない 日本の儒教は宗教ではなく学問の一分野として受容されている影響か
しかし仏教よりも習慣として強く作動しているのはなぜなんだ 家族愛というと大袈裟かな
要はアットホーム
アットホームというとアメリカのイメージだが 昭和時代に培われた類型的なアットホームスタイルには
いろいろ混じっている
儒教、仏教、西洋文明、プラグマティズム 日本特有の精神って未だに何だかわからなんだよな
どこに日本が息づいているのかさっぱりわからない
太平記に書いてある? 平家物語は仏教の無常観を軸に据えていたためすらすらと読めた
太平記はまず無理だな
血なま臭く現実味がある 西洋人も仏教の無常観に着目することが多いという
これは何なんだ?という感じだろうね
日本人が西洋哲学に興味を持つのと同じ感覚なのかもな 論語はありえないほど退屈で説教臭く感じるんだけどな
日本人の習慣の中に生きている道徳観念としてみれば
儒教が一番強固であることに気付いた 俗に言う「和の精神」というのは中国伝来の儒教と仏教のMIXアレンジのこと
最初から「和」はMIX文化なのである 聖徳太子が実在したのかどうか知らんが
聖徳太子の教えを和の精神とした場合の話 アメリカの学者は日本の精神も連続性の哲学に放り込んで研究始めるからな 俺のアメリカ観が歪んでいる(パース陰謀論)のと同様に
アメリカ人から見た日本観もかなりおかしいのが多いだろうな ちょっと前に、ニンジャスレイヤーというアニメがあって見ていた
原作はネット連載の小説だったが
あれの原作はアメリカ在住の人なんだけど
アニメ版はトリガーという日本の会社が作っていた
サイバーパンクっぽい設定でニンジャのサツバツとした日常を描いた
バイオレンス作品だ この中でも儒教と仏教の精神が根深く通っている
ただ、アメリカ人が想像した世界観なので微妙におかしかったが
それでもよく研究したなあ、と思った 「問答無用」はある種、禅の精神から生まれたのかもな あれの世界観では座禅とかニンジャにとって当たり前の作法だからな 最初は学の道について説いているのだが
これが尤もな正論なんだな
正論すぎてぐうの音も出ない 孔子が引用している詩経
周の時代のものらしいがこれがおそらく日本に入ってきた韻文漢詩の元型か・・・
孔子はこの詩経にはよこしまさが一切ないと言っている 周は西暦でいえば紀元前だから日本にはまだ文字文化なんてまるで定着しなかったころか 三千ほどある中から孔子自身が3百程度に数を絞って編纂したものらしい 「文学」という言葉のオリジナルが孔子だからな
文学は孔子が最初に考えた言葉 孔子自身はそれほど偉人や聖人という風貌を持つ人間ではなかったらしい
編纂や教育論のプロだったのかもな 散文的な歴史書で影響力が絶大なのは司馬遷か
韻文といえば歌が元型の詩経
綺麗に整った四言詩 作家の司馬遼太郎の名前の由来が司馬遷だ
ずいぶん謙遜した由来となっている
>筆名の由来は「司馬遷に遼(はるか)に及ばざる
日本の者(故に太郎)」から来ている アリストテレスとヘーゲル陰謀論をやめて、パースと孔子に移るか
俺は影響されやすい陰謀論体質だからな
飽きた陰謀論はすぐに忘れ去る キリスト、ブッダ、ダーウィン、パース、孔子、でいくか バイアスかかりまくりだからな俺の思考
人工知能がうらやましい ハイデガーが正しいような気がしてきた
人って自分の意識していること以外意識できんよな
・・・・ん?
なんだこの変な言い回し デリダが以前難しくて読めなかった
あれはまずパースの連続性への理解が必須だったのか
ラカンなどは今読んでもさっぱりである 近代哲学は本当にロクでもないからな
自説を通用させるために都合の悪い論を持っている相手をやっつけるのが当たり前 闇討ちではなく正々堂々と論戦するのだから悲惨でもないが フランス革命あたりでは武勇伝や美談がよくあるが実際は悲惨だったらしいな
スパイや貴族の死体がよく川に浮かんでいたらしい
水死に見せかけて殺されたんだと というか埋葬がめんどくさいからという理由で
斬首した死体もセーヌ川にどんどん投げ込まれていたらしい 最近でもイスラム国がやっていた
銃で頭を撃ちぬいて川にどんどん投げ込んでいく
千人以上殺すのだからほぼ流れ作業だ
動画で公開されていたな フランスの民主革命の基本は自由・平等・博愛らしいが
革命で無茶苦茶やってるからな民衆は 退屈な論語を勉強するか
儒教は革命起こさないからいいね 天帝が徳を失うと革命がおきるだろう、という思想が儒教にもあるが
この教えは君主にとって都合の悪いこともあっただろうな 民衆の共感を得て扇動するようなタイプの思想が弾圧されるというのは
よくあることだな 学そのものについて
「人や社会から認められなくてもその道(学)を求めることで生は充実する」
という教えが儒教には通っているからか学(研究対象)としての儒教は長生きだな
やはり宗教よりも学問かもな 日本において儒教というのは信仰心と学の間くらいのものとして
習慣の中に根付いている、ということ
考えるまでもなく作動している パースベースのダーウィン孔子だとまずいな
ダーウィンベースの孔子パースでいくか これは意識の混乱を鎮めるための幼稚な妄想ごっこである 自分の憎悪に立ち向かえないことの救いとして多くの物語がある 物語は共有されてナンボかもしれないが
物語に救いを求める側にしてみればそうでもない 【緊急】すぎやまこういち(86)の後継者を至急見つけよ。年齢的に限界、DQ11で凡曲しか作れなかったし引退不可避だ!
http://leia.2ch.net/test/read.cgi/poverty/1509243903/ クラシックにはいろんなシチュエーションに合う名曲が多い すぎやまこういちはクラシックをしつこく勉強していたらしいが
本場にはやはり適わない 偉人や聖人というのはただの作られたイメージ
信じるに値しない 全人類の悩みや苦痛を取り除き一瞬で楽にできる者だけが聖人だ 今は物語も立派な文学だが当時には学の対象としてみることのできない要素があった
散文がまず根付いていないからだな 韻はやはり歌から来ているな
歌は生活に根付いたリズムを持っていて口伝による純粋さがある
ただ、これもMIXが進めば意味をなさなくなるがな 日本語の和歌は生活に根付いたというよりも観念的な美意識が根底にある この人はまったく知らなかったが
経歴を調べてみると和歌文化にたいそう貢献してきた人だな
皇室で和歌の講師をしていた時代もあるな 日本文化を復興するならば和歌の見直しは最重要事項だろうな 近代化運動などほんの200〜300年たらずの混乱に過ぎないのだから
まどわされてはならない 和歌の現代語訳は読みたくない
現代語訳にはかなり無理がある しばらく儒教と詩経の勉強をやるか
日本文化以前について調べなければならん 宇宙の進化に文明の進化も歩調を合わせている、といっている学者がいたが
その宇宙の進化を人間ごときがどうやって知ったのだ 俺は日本の美の精神に馴染めないから
日本以外の場所から入るしか方法がないのだ 意地を通して絶対化した自己が浮くのを
仏教の諦念で着地させようとしたら、更に別の場所に浮いている 伝統と近代化の狭間で浮いた自己意識を着地させる場所なんてどこにもないわけだが しかし西部のおっさんはいつ見ても保守派に持上げられてんな
いつからだこれ アメリカ文明が欠陥品とまでは思わんけど
完全にラリった思想がベースにあるのは確か 親米ってことは完全にラリった思想に親しみを持つってことだからな
俺にはどうしてもできない アメリカへの大規模移民政策って、そもそも宗教戦争の延長として考えないとだめだからね 宗教戦争の延長にダーウィンとキリスト教の同居があって
そこに連続性の哲学が乗っかってきた ベースがラリっているから安定化するまでに
大変なエネルギーを放出し続けなければならず
闘争のための闘争をひたすら演じてきたアメリカ エネルギーのダイナミックな動きとして文明を見ているとアメリカが最強なんだろうな 和歌に行き着くまでが大変だな
まず日本の情緒だの美意識だのが俺には理解できんから 百人一首なんか歌人百人を選んで一人一句ずつとってきただけのもので
なんか空虚さが漂ってる 日本の文化について考えたときに何か
武士の騒乱と農民と和歌くらいしかイメージが沸いてこない
情緒だの美徳だのさっぱりだな 俺の祖先は山の民だったのだろうな
何か武士だの農民だの和歌だの、無縁という気がしてくる 宗教戦争で熱狂に浮かされた原理主義者たちが
まずアメリカ大陸に厄介払いされたわけだ アメリカの独立宣言に大きな影響を与えたジョン・ロックという英国の哲学者は
非常に穏健派だったらしいがな 熱狂的なバカが集って13の植民地を作ったのがアメリカの始まりだ アメリカに日本が支配されたわけではなく
アメリカに媚び売るのが保守派という嘘ついたからだめなんだよな しかし戦後にアメリカの自由主義を日本は取り入れてしまっている
後戻りできんやろな自民党は
嘘でも何でも歩みを止めるわけにはいかないから
あとは高度化してゆく英米の学問とどうやって向き合えばいいのかだ
取り組むのは若者なのだから大変なんだよ 心臓が苦しくなってきて殺人のイメージしか沸かなくなる しかし調子を崩してからそこまで情動がエクストリームになることがなくなった
耐えられないのだろうな体のほうが
意識は相変わらず混濁して吐き気がわいてくるが >>738
(~)
.γ´⌒`ヽ
___ .{i:i:i:i:i:i:i:i:} あたためますか?
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| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|. | /. ヽ おねがい
| .|. | .| ::| しますお
|__________|./ ヽ,__,,ノ
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. γ´⌒`ヽ
. ___ {i:i:i:i:i:i:i:i:} ありがとうございました
|[\_745]|\ ( ´・ω・)
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|___l./ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄/| .んヘ/V'ヘy
| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|. | ピョン ピョン ( ^ω^)
| .|. | (ノ'ヘ/V'ヘ'|)
|__________|./ γ⌒Y⌒Y⌒Y⌒Y⌒ ヽ__ノ >>739
レジでニット帽かぶっていたら店長に怒られるぞ 調子が異様に悪くなることがあるが大体経験上30分〜1時間の間に持ち直すな 銃乱射事件で数十人死んでも「アメリカだから」で納得してしまう自分がいる
この時点で俺もアメリカの影響下にあるのかもしれん 物質的に豊かな暮らしができるだけで満足という人にとって
今は一番いい時代だな 人情的な繋がりを求めている人にとっては空疎な時代
精神文化の豊かさを求めている人にとっては地獄そのもの 科学技術マンセー、という感覚も持っている
いろいろ矛盾しすぎだろこれ 自分を持っていないからいろんな価値観に振り回されやすい 多数派についていくってのが日本民衆のセオリーなんだね アメリカは公平性を重んじるというが
あれも翻すとかなりの危険思想 平等だの公平だのはいくらでも叫べるのだが
叫ぶだけなら自由というだけであって叫んでも何一つ事態は好転しないからな
日本人は不平等を嫌う人が多い
しかし公平ではいけないという 日本は身分制度は江戸時代に廃止されたが
役割分担社会であることには変わりないので
自分の立場を無視したような公平性については断固遠ざけようとする 立場にガチガチに縛られている人が多い
というよりも立場を演じきることが日本人の美徳でもある 社会構造上、アメリカの自由主義は出るところに出ると一切通用しないからな 2chにオタクな人が進行するなりきりスレ(ある特定のキャラクターになりきるやつ)が
よくあるが、キャラクターを演じきれず自意識が出てしまって、恥ずかしくなって
すぐにやめるってのを何度も見ている
漫画やアニメ、ゲームのキャラクターひとつ演じるのでも難しいのだからな キャラクターというのは人間ではなく人間の性質を擬人化したもので
それをいかにも人間らしく動かすのに味付けに相当な工夫をしなければならない 俺も昔、なりきりスレに参加しとったけど
すぐに変な自意識が出そうになってしまい恥ずかしくなってやめていた
仮にヘタクソであっても最後まで演じきる人はすげえなあとよく思っていた 変な自意識丸出しのままキャラ崩壊しても引き下がらず
延々と居座っている人もいた
あれもある意味すげえなと思う
恥知らずな方向のすごさ
俺もヒートアップすると引き際わからなくなるタイプだからそうなる前にやめていた 引き際という概念が無く
死ぬまで突っ走る人もいるんだよな
あれはもうこちらが諦念する他ない 日本の第一級文学が和歌で、和歌の第一級資料が万葉集であるから
万葉集を読んでいる 下心というといやらしい欲望やたくらみのようなニュアンスがあるが
単に「心の内側」という意味でも使う 「君が代」の解釈はいろいろあるが
最近は天皇を讃える歌というよりも
人の生涯を讃える歌だと感じている
あれも和歌を元にしているからな
解釈は自由なわけだ コケが生えるまで末永く頑張れ人間、という歌 (酷) 5と7のリズムを自由に使える真歌という形式があるな 田子の浦ゆ、の「ゆ」は経由をあらわす古語
田子の浦から、というニュアンス 文明だの何だのは本当はどうだっていい
要は自分が自分であることが一番気持ち悪い 自分が自分でなければならないというのは
裏返すと自分は最初から分裂しているということである
分裂していなければ自意識の問題で悩む必要は無い 自由を重んじるならば勉強など好きなやつだけやっていればいい、となる 義務教育のたてまえは「子供が勉強できる機会を平等にする」ということだからな
ある種「均質化」の発想である 義務教育って文明の歴史からみてもつい最近できたものだからな 【動画】泳いでた人を溺れてると勘違いしたゾウさん、救助に向かう これ完全に人の心あるだろ…
http://leia.2ch.net/test/read.cgi/poverty/1509336233/ ゾウは動物園で何度か見たが確かに優しそうな目をしていた
怒るとかなり怖いがな 最終戦争を起こすならアメリカかイスラム過激派だろうな
西洋ではない イスラムでもスーフィーのように極めて大人しく健全な人らもいる 自由主義経済の功績はライフスタイルの自由さをもたらしたことか
でもこれだって経済が悪化すると途端に不自由になるしな 今年の冬は霜焼け対策しておくか
去年か一昨年か霜焼けが悪化して酷い目にあった
エアコンや暖房器具を使わない生活もけっこう大変だ 目もあけられないほどの激痛が常時襲ってくる
あれはもう嫌だな
たんすの角に小指をぶつけるとめっちゃ痛いやん
あれが指全体に常時つきまとってくるようなものだ 虫歯で神経が死にかけたときも痛かったが
あれの比ではなかった 人類の祖先が火を使い始めたのは数十万年前
農耕を始めたのは5000年前
産業革命は150年前
コンピュータの歴史はまだ数十年 未成熟のままいろんなものを放り込み続けたからな
タフさでは一流といわざるをえない 「ヒュ〜、ドロロロロ」の効果音で幽霊だと分かるのは
今や年寄りなのか
子供には何のことだか分からんらしい 芥川の『歯車』を読んでいた
新現実というよりもほとんど幻視の世界である 普通に考えると自分とはおおよそ関係のない事柄でも
この時の芥川の中では複雑高度に結びついていたのだな 自分の意識に登ってきた段階で、自分と無縁とは言いがたいからな メリエの書簡集に書いてあるアフォリズムが芥川の精神的強壮剤になったのか 夢想に自意識や願望が強く絡んでくると妄想になる
それだけのこと
妄想は不自由 何か一つの研究に没頭していると妄想を挟む余地が少なくなるから
ガチガチの作業の連続でも精神的には自由なのかもな
自由すぎて自分の名前も忘れる研究者がいるみたいだが 何か一つのことに集中すると、他のことを忘れてしまうからな 俺は集中力を発揮できているときというのは時間の感覚が完全に消えうせる
しかし長いこと持続しない 時間、空間の意識が消え去ったときが一番自由を感じる
つまり時間、空間は人間にとって束縛に過ぎないということか >>819
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m o 「蜃気楼」に出てくるO君は芥川の実際の親友だった
西洋画家がモチーフだな
半分私小説か 鵠沼に住んでいたころすぐ近くにO君も住んだらしい
鵠沼というと「鵠沼雑記」も少し不気味さの漂う幻視的な話だったな
あれは半分日記のようなものか
芥川の作品はたまに私小説なのか架空の物語なのか明確でないところがある 芥川龍之介の長男が俳優で、ハムレットの名演技がどうのこうの
という記事を読んでいて気になった
しかし動画が残ってないな
この人も既に80年代に亡くなっている 芥川龍之介の孫娘(三男の娘)の動画があったので見ていた
この人は70年代にレポーターやラジオDJの経験があるらしくトークが達者だな 次男は文学好きらしかったが第二次大戦で戦死している
うーん・・・ 俺のじいちゃんは太平洋戦争いってアメリカ人殺していたらしい
もうとっくにおらんが
うーん、微妙な気分だな 俺の父方のじいちゃんもばあちゃんも顔も名前も知らん
親人対して、自分の親にまるで興味ないってのはどうなんだ?とずっと思っていた 昔の子供はあれだよな
かなり残酷で当然というか
遊びで犬猫をなぶり殺すのが日常茶飯事だったらしいし 命の大切さがどうのこうの、教育でいわれはじめたのもつい最近のことだろう 生きているだけでありがたいと思えるような時代でもないしな、今は
まず未来が暗い >>835
まだ読んでないけど
たぶん志賀直哉の「暗夜行路」 「暗夜行路」は完成までに要した時間が長く
全体の構成を見るとまとまりがないらしいがな
分析系の論文をいろいろ読んでいた 最近まとまりのある完成度の高い物語が俺は嫌いなんでな 歴史的文学的価値としてみれば源氏物語や万葉集かもしれん
そもそも最高傑作を挙げる意味がわからな
最近の俺の好みでいえば志賀直哉で決まり 日本人らしい「気分」が主体の小説で
透明感が異常に高い
しかし決して爽やかではない
日本人らしい陰惨さのある透明感、立体感 芥川も志賀直哉の描写力に感嘆して
夏目漱石に「志賀直哉のような文章を書けるようなるにはどうすればいいのか」と
相談したという逸話があるくらい
夏目は「志賀君は思ったまま素直に書いているからじゃないの」
とかいったそうだが
この「思ったまま素直に」というのが出来そうで一番難しいんだな フィネガンズ・ウェイクは技巧派小説らしいが
俺には文法崩壊しているようにしかみえない
おそらく意識の流れ手法の上位ランクである言語の流体理論(謎)
みたいなものを駆使しているんだろう
脳みそ溶けるわあの怪奇文章 俺の場合素直になるとイメージが頻繁に切断されたり飛び火するからな
そもそも文章にならない、だから
接続詞で無理矢理それっぽく繋げなければ「思ったままの文章」にならない 志賀直哉の場合は自我にまつわる葛藤をそぎ落として
対象をそのまま気分を通して描くだけだから
何の抵抗もなく入っていける
ただ「気分屋」ではないわけだ
ここが絶対的に真似できないポイント
俺は気まぐれすぎる 短編いくつかと多量の引用文は読んでいるので
雰囲気はつかめている 埴谷の『死霊』挙げている人いるな
俺はこれは読めない
ヘヴィ級すぎる 埴谷のインタビュー動画は最近何度も見た
テーマは概ね単純らしいが
作品への臨み方によって大きくテーマが三つに分かれる、みたいなことをいっている
俺の場合だったら自我や革命ではなく「宇宙論」として見てしまうだろうな
観念的すぎてついていけんから 宇宙論は夢想にはちょうどいい材料か
未だに定まった宇宙モデルってのがないからな 科学的推論が苦手だな
こればかりは夢想してもだめかもしれん
昔はよく宇宙について考えていた
宇宙の果てについて考えていると自分の想像力の限界にきて
すぐに嫌になった 自意識が宙ぶらりんのときはどこまでも想像できるような気がしていた
しかし俺の想像力は無限ではなかったのだ 今でも不安定だけども昔のように完全に浮いてはいない
昔は頑張れば自力で空を飛べると思っていた
己の想像力の限界を悟り始めたのはおそらく
空を自在に飛ぶ夢を見なくなったころからか・・・ 宮崎駿のアニメで「浮遊感」を感じ取れなくなれば
もう歳だってことだな
風立ちぬの頃にはもう俺の浮遊感終わっていた
ポニョまではあった 何も考えるまでもなく頭の中に情景が浮かんでくる
そのまんま描いているのだから当然か 一切の屁理屈や自我の葛藤を排除した志賀の「そのまんま感」は
常軌を逸しており、もはや解釈のしようがない この中で芥川は、志賀は清潔に道徳的に生きた作家だといっている 俺は道徳的に生きることが正しいとは微塵も思っていない
志賀は人としての正しさなんぞ訴えておらず
むしろ道徳的に清潔に生きようとすることの大変さを
透明な気分で見通して描いているのではないかと思う これが夏目漱石になると道徳ではなく愚直なまでの正義感になるのか 夏目漱石の正義は日本的なもので
欧米にはまるで歯が立たなかった ある種神の視点でもあり仏教の諦念に近いものもあり
素朴に空気読む日本人像 夏目漱石は西洋に対抗できない日本人像を問題として明確化した
志賀直哉は諦念に西洋の道徳観を織り交ぜて内面化した 内面にある空虚さと向き合うにはどうすればいいのか
というのは近代社会では割と大きな問題だな 何にせよ美意識がないと精神が繋ぎとめられない
諦念でも退廃でも同じこと 人間の歴史の半分以上は権力闘争だ
文化には権力闘争に疲れた人の精神を安定させて
現世につなぎとめる作用をもつ 美というのは調和への志向性のこと
まずなにがしかの調和を前提にしなければ美は浮かび上がってこない 日和(ひより)を伺う・・・天気を見る・・・空気を読む・・・様子見する・・・→ひよる 最近泥棒に自転車盗まれたんだよな
一台しかなかったのに 15年以上大切に乗っていた愛着のある自転車だったのに
乗り捨てしていたら許さんぞ 城の崎にては短編で、要は短編集の本だな
『』でくくる意味なかったか 安部公房の『箱男』も買おうと思ったが
瀬名の『デカルトの密室』にした 安部公房は卓越したエリートの変態だから
ついていくのが大変だよ 『箱男』本当は読みたいのだけど
俺はまだカフカの『城』もまともに読めないからな 本屋に行くと一応全部のコーナーを廻る癖がある
エロ本のコーナーだけは少しためらう 瀬名の『デカルトの密室』は今のおれにぴったりの性に合う小説だな 安部公房はどうしても『壁』の影響で読むのをためらう 『デカルトの密室』はミステリーというには哲学的な意図が強すぎんだよね
俺は近代文明に心底嫌気が差したあげくデカルトの『方法序説』を何十回も
音読して読んだ人間であるからしてこのようなミステリー離れしたテーマには
目がない 『方法序説』は非常に狂った内容である種の「霊感」を根拠にしている
これに近代化を望む人々が狂った 現実には恐らく、真偽に拘らなければいけない場面が多いのだろうな 幽霊の存在証明は未だに出来ていない
芥川の「蜃気楼」は不気味な話で
幽霊が出てこないのに
読後、幽霊を見たような気分になる レインコートを着た幽霊でこれは「雨女」のような寒さに震えるイメージではないよな
もはや震々ではないということか
俺はまだ幽霊に「幽玄」のイメージを見ていて
リアルな幽霊を見たことはない ジャイナ教が難解なのは、餓死することを理想とし
正当防衛も否定することだ
まず自分の身体の不浄さを自覚しなければこれが成立しない 不浄という感覚は確かにある
これは仏教から来てるのかもしれん
しかし不浄という感覚は日本では主に人間の生の肯定に利用される傾向がある
穢れという感覚と清らかという感覚がある
自分の身体そのものを穢れであると解釈するには
何かが致命的に欠けているような気がする
元々のインド仏教は人間が生きることそのものに対する苦悩からの
解脱を主眼に置いているらしい
それでようやく輪廻転生観も生きて来る 霊の世界というのはどこか清らかなイメージがある
すべての存在に霊的な何かが宿っている・・・という感覚がある
もちろんウンコにもカビの生えたゲロの跡にも臭い下着にもこれが宿っている
これは生そのもののエネルギーというイメージで
死はこの肯定感覚につけこんでくる否定的な存在で常に脅かされる 霊と死が別物というイメージがある
黄泉の国というイメージが日本ではおなじみだが
黄泉の国のイメージは微妙
死後の世界という気がしないし霊の世界からも離れた感じがある
何か否定でも肯定でもない生でも死でもない、幻想的なイメージといえばいいのか
たぶん異世界ってことだな 異世界は人の生を肯定できるのか否か
ラノベにとっては大きなテーマだな 小説家になろうのサイトでよく短編読んでいたがな
リゼロは面白かった >>913
神戸は気持ちの悪いところだよ
住んだことがある 関西の癖に都会人気取りでへらへら笑いながら他人を見下している人間が多い 神戸に限らず都会人気取りは気持ち悪い
近寄りたくないな 表向きでも都会になったわけだから
都会人のフリをしないといけないのだろうけどね 都会ってのはニューヨークとか東京のことをいうんだよ
あとは大半後追いの田舎なんだから /ゝ
/⌒/"、⌒ヽ
| ::::::▼::;;::▼:;| /ー 、
ヽ、:::WWW:/ /⌒ヽ )
/:::::( ゚д゚ ) / Y 日本でハロウィンとかバカジャネーノ
/::::::::::::::::::::::::○
"''-;,,i:::::::::::::::.:,/:::ヽ
`'''~U~'U"/''~~ 日本は他国から文化を取り入れる過程で身内で共有されやすいように
必ず加工するからな
加工されたものをみんなで楽しんで盛り上がる
それだけでいいんだろ アメリカ文明は様々な加工に耐えられるだけのタフさがあるが
どこか空虚だ 『デカルトの密室』思っていたより面白い
ただ、恐ろしくテーマが難解 観念的な難解さはないが素朴な疑問であるがゆえの難解さがある 志賀直哉も読んでいるが、この文章の透明感は異常
何の抵抗もなく頭に内容が伝わってくる
これはもう天才としかいいようがないな 読んでいるときは引っ掛かりがなさすぎて
「え、小説ってこんなんでいいの??」って終始思うが(そのまんますぎて)
なぜかあとから深い余韻が響いてくる きれいだとか美しい文章というよりも何か
そのまんま、という印象が先立つ 自殺願望が高まってきた
精神薬に胃腸薬に薬漬けだなオレは
こんな人生早く終わりにしたいわ >>931
生とはもともと辛いもので、耐えるだけのシロモノでありますぞ 辛い中にちょっとした楽しみや幸福感があって
束の間救われるような気がするだけである
死は最後の救い 文化にはすさんだ心を安定化させる作用があり
文明は様々な誤魔化しの方法を生み出してきた 昔は信仰心を持つことで人の心は救われてきたのだけど
今では信仰心を持つのが難しくなっている
なにがしか辛さを緩和するために強迫的になっていく 志賀直哉の短編「小僧の神様」を読み終えた
背表紙にも「古美術品のように美しく不動」と書いてあるように
洗練された芸術作品だ すし屋チェーン店の有名どころ、小僧寿しの名前の由来にもなった短編だ 芸術というか、国語の教科書に載っていて
誰でも親しめるようなレベルの作品 円熟期の短編ばかり載ってるな
どれも国宝級の出来だ 『デカルトの密室』面白いな
しかし600ページ近くもある・・・ 心身二元論やら人工知能やら、アシモフやら、今の俺向けのテーマだ 安部公房は気分が乗っているときでないと読めない
切り口が多重的且つドライすぎる 非常に重たい内容なのにそれと感じさせないからな
あれはエリートの手腕だ
エリートの観点から社会的弱者にメスを入れていく
『箱男』の場合はホームレスだよね
風刺だとか詩情だとかでは済まされないものがある 俺はホームレスは頻繁に見ていたし
友達になったこともある
でも自分はホームレスにはなれなんだよな
怖いから
ホームレスで生きていく自信がない
ジャイナ教にも入れないな
近代文明に慣らされるととにかく悲惨
強迫的に一定水準を維持しなければならない 高度経済成長によって庶民は「一定水準」の生活を手にすることができた 「フレーム問題」は未だに克服できていない
これも1960年にアメリカ人の言い出したことだが
要は人間の感じてる実存をコンピューターに再現させることができるのか否か
という問題
人工知能研究初期のアイデアである 実存はアリストテレス以前の時代からずっと問題にされてきた
今でもそれは変わっていない
実存の定義については『形而上学』に書いてある
複雑だからここでは書かないが
要は「実体」だとか「存在」だとか、そういった曖昧さを回避するための概念だ
解釈はものすごく広い幅がある
でも「実存主義文学」というとどうしても
カフカやサルトルが浮かんでくる いや、違うな
実体の定義が書いてあるだけで
実存というのは別の話だったか
頭が混乱してきたぜ 俺の場合、「人の感情や心には実体があるのか?」
みたいな素朴な疑念から入り社会心理学に興味を持っていた
それで心理学では人の心の問題に立ち入れないことが分かってくると
今度はヘーゲルの本質論を心のより所にしていたからな・・・妄信とはこのことだ
ヘーゲルは基本的にアリストテレス派でデカルトやスピノザは批判していた
一応のところカントは踏襲しているらしいが
実際はそうでもない 俺にとって心理学だの西洋哲学だの
空虚この上ないにも関わらず
それにしか縋るものがなかったんだな
なぜ空虚なものに縋るのか
その精神構造から見ていかなければならん 実際問題?というとあれだろ
生老病死の問題だろ
生老病死は空虚ではないからな
これに真っ向から立ち向かえないので
空虚なものに縋っていた 老と病と死はそもそも生に含まれているような気がする
だから生が辛いという解釈になる
しかし観念的には、生と死は人間が勝手に想定したものであるから
老と病だけが実際問題なのか
老いは誤魔化せない、とよくいう
そのまんま衰えだからな 俺はまだ30代なんだが老いていると感じる
心臓機能の衰えのせいか 憎悪に苛まれたり感情的に昂ぶっただけで心臓が苦しくなり呼吸するのも辛くなる
以前はこんなことなかったからな
かなり戸惑っている
時間をとめてしまいたいと思う
何もかも動かなければ心臓も不安にならないのだし
なぜかって、心臓は休み無しで血液を送り出さなければならないからなのだよ
休めないってのは辛い やはりどうしても気になって『箱男』も買ってきた
以前に軽く読んだことがあるが構成が奇抜すぎて理解できんかったからな 視点をころころと入れ替えながら「箱男」を記述する、というスタイルの
実験小説だ
全体像を掴むのが至難の技という
三百ページたらずの原稿に対して三千ページの推敲を重ねて書いたらしい 箱男はただの無機質な記号ではなく
箱男の一人称視点についても語られる ベンヤミンなどの都市小説や写真論などを参考にしたのかもな
俺もそっち方面に一時期没頭していた 匿名性の恐ろしさについてはインターネットの流行によって
議論が進んでいるな
基本的に「ありきたりな個人の主張」が通じなくなるからな
これは書物でも同じことか コンピューターに人間の「実存」を記述させることができるのか
これがまず第一だな
人工知能研究においては コンピューターは自分では畑を耕さないからな
農耕5000年の歴史も理解できない いわゆる「人間環境」なるものが生まれたのが農耕が定着してからのことだ
これを「人間の歴史」のスタート地点に置く人は多いのだろう
人類の歴史、ともなればもっと長いが
5000年くらいがせいぜいのところか
文明社会の歴史となると3000年程度となる 人間が100歳まで生きると仮定して
10世代で1000年だ 少なくとも文明人は30世代分の重みを背負いながら生きている
どう解釈してもこれは苦行である 楽しいことがあれば心や身が軽くなったような気がするが
それも束の間の出来事である
空を自由に飛ぶ夢を見ているうちはそのことにも気付かない
鳥は自力で空を飛んでいるが、羽根を動かすことに疲れてやめれば落ちるからな 人間には「帰巣本能」がない
その代わりにノスタルジーに拘る >>976
安倍はなんだかんだで日本の伝統守る派だからな 『箱男』改めて読んでいるけどすごいねこれ
構造がわからねえや 純文学、として当時は紹介されていたそうだが
実験的すぎて当時は理解されていなかったらしい
俺も今もよくわからん 『砂の女』のような創造性あふれる物語ではなく
何か平坦に記事を並べてたまに変態的な描写があって・・・という
展開のよくわからん内容だ 安部公房のドライさと変態さ、実験精神を前面に押し出したような作風
詩情やら人情味やらが透けて見えたりもするけどな https://www.freem.ne.jp/win/game/14693
久しぶりに同人ノベルゲームをプレイしていた
絵、音楽、キャラクターの声、シナリオのほとんどが
作者本人によるものらしい
主題歌まで作者が歌っていた
シナリオの地の文章が上手いな あまり好みではないキャラ造詣だがやる気が感じられるので進めることができた 安部公房が病気を患っていた時期の晩年の作品に
カンガルー・ノートってのがある
これは読んだ事がないな
>脛にかいわれ大根が生えてくるという奇病を患った男は、
訪れた病院の医師によって自走ベッドに括り付けられ、
療養のために硫黄温泉を目指す。
男は自らのかいわれ大根を齧りながら、自走ベッドとともに、
地下坑道、賽の河原…と、夢とも現実ともつかない物語の連鎖を巡る。
しかし既に郷愁すら感じていたベッドの破壊と、魅力的な少女との
再会とともにその連鎖も終焉を迎える。
夢から醒めさせられるような、男の死をにおわせる無機的な
新聞記事の抜粋とともに、物語は終わる 人間はただの欠陥品のような気がしている
知能がどこからやってきたのか、なんて人間に分かるわけがない 自分がどこから来てどこへ行くのか知りたい、ってのは確かにある
俺はリアリストじゃないからな
死が終わりだとは感じない
死が終わりだったら生命の世界は説明が一切付かないからな それでも説明のつかないことに囲まれて生きているわけだ 農業の歴史ってたかが5000年程度だよね
これは俺の本心なのだが
一般的には通用しないような本心だ
5000年って「たかが」では済まされないのかもな
2001年宇宙の旅、という欠陥映画がかつてあったが 2001年宇宙の旅、見ただろ
冒頭シーンで猿が道具の使い方覚えて
400万年の時間を無視したまま進行する
あのクソみたいな映画だ
まだ「猿の惑星」の方が面白いと思う 最後が滑稽で
宇宙人の生み出した「学習機械」の命令で
胎児に戻された人間が地球を見守り続けるという モノリスって、宇宙人の生み出した機械的な学習装置だからね
命令以外のことは実行しない 星新一の『声の網』で人類は
支配活動を通じて、宇宙の歴史を逆行している=帰巣本能
なのではないか、みたいな議論があったが キューブリックは映画作りにおいて完璧主義者として有名だったが
2001年宇宙の旅に間違いが三つあるとよく指摘されている 俺は「完璧主義」という発想がまず間違いなのだと思う このスレッドは1000を超えました。
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