熱帯ゲロ監獄
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引き出しの奥から1995年の「ザ・テレビジョン」が出てきたので眺めていた
昔のテレビ欄を見ているとかなり辛いものがある 洋楽ランキングにパールジャムの3rdが入ってるし
リアルタイムでふしぎ遊戯やスレイヤーズ放送してるし 90年代後半に一番テレビをよく見ていた影響か
いろいろと記憶が蘇ってきて辛いものがある ユンカース・カムヒア、という文部省選定のアニメ映画があるんだが
これは見方によってはロリコン肯定作品だ 当時はかなり歪んだ見方をしていたからそう思うだけのこと 歪んだ見方をすれば
成人男子でも小学生の女の子に恋していいんでないの
という感覚を植えつけられる 1995年の作品で急に思い出した
さっき発掘したザ・テレビジョンの呪いによって >>19
布団もなしに長いあいだ木の船板の上で寝るものだから
皮膚が化膿して悪化し骨が見えたりしていたそうやね 白人が悪いとかではなく
文明社会そのものが悪いのだ また明治時代の新聞を読んでいた
目が疲れるぅぅぅぅ そろそろ江戸時代生まれの作家の文章も読めるかな
明治大正文学で感覚を慣らしているから 見慣れない仮名遣いや常用漢字外の文字がビシバシ出てくるからな
最近の国語教育しか受けていない俺にはかなりしんどいものがある 日本語はとても難解で生涯頑張っても理解できる気がしない , -───--、
/ ( ゚д゚ ) / >>1乙zz...
r-<,ぅ⌒cソ、. /
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(.,_ `'ー-、_,,..ノ/
~`''ー---‐' 助詞の使い方を少し間違えるだけで文全体の構造が変わってしまったりするからな
うーんなんという厄介な言語だ 文部省選定のアニメは見てもいいかな
萌え系のアニメはもう見ない 第一次大戦も太平洋戦争もまるで知らん世代だからな俺
先進国が植民地持つのが当たり前だった、という歴史的過程がまず解せない 結局は資源と生産力獲得のためということに尽きるのか 海上封鎖して植民地との連絡が途絶えただけで経済疲弊するってすげえな
どんだけ植民地に頼ってきたんだか というより総力戦だからちょっとしたことで
国民のモチベも上がったり下がったりするのだろうな
おそらく日本もそうだったはず
だから大本営発表とか嘘を交えないとやっていけなかった 実存主義文学について調べていると
どうしても第一次大戦との兼ね合いを知らなければならん おそらくカフカにスポットがあたったのも第一次大戦終わってからなんだろう
人間個人の無力さに打ちひしがれる人々が多かった時代だからこそ 脳みそさま忙しいの図
アメリカも元はイギリス13の植民地が自立発展して出来上がっている 何にせよ第一次大戦からあとに科学が急速に伸びていった 人間中心主義の発達により記録媒体の積極的利用が推し進められたのは
ルネサンスの時代 ヒトラーが台頭する以前に経済状況の悪化でドイツの失業者が急激に増えてるな
当時はナチスなんか今の日本でいう共産くらいの議席しか獲得してなかったが
うまいことやって10倍に膨れ上がったんだよな
ヒトラー自身は徹底した反共産だったけれども 近代戦争は短期間における物的・人的被害が壮絶であっただけで
それ以前もずっと文明は闘争の歴史を生み出し続けてきている 森に囲まれて小さな部族社会に分かれている場所では戦争など起こらなかった
というよりも起こりようがなかった 森を切り開いて見晴らしをよくしよう、という発想はどこから生まれたんだろうな ユダヤ民族は元を辿れば過酷な砂漠で生きていた民
西洋人の原風景にはまだ森への恐怖心があるという
実際は森が怖いわけではないのだろうがな 軽い神経症の症状で自分の鼻が視界に入るのが気になって
何も手がつかない、というものがあるらしい
これは実際は鼻そのものに対する不快感ではなくて
肥大化した自意識に対する不安なのであるという 別に鼻を小さく整形するような感覚で西洋人が森を切り開いた
といいたいわけじゃないがな ユダヤ神学、ユダヤ哲学は強固で西洋文明にも影響を与えている
また西洋文明はイスラム文明からも相当な影響を受けている
中世では西洋よりもイスラムが圧倒的だった 西洋文明が成熟してゆく過程がとにかく恐ろしい
壮絶な民族闘争の繰り返しがある 西洋文明は人間の弱さから来る闘争の歴史の上澄みのようなものだと考えている
本来は手放しで褒め称えるようなシロモノではない 日本に入ってきた西洋文明観というのは基本的に
日本人が受け入れやすいように加工されたものだな
それだからどこかうっすらとしていて茫洋としたイメージがつきまとう 夏目漱石が反自然主義と聞いて腑に落ちなかったが
西洋の哲学や科学の歴史にあてはめていたからだった
日本はまだ文明と自然とを対比させて見るような視点が出来上がってない 日本の自然主義文学に不自然な人間観(作家自身にとっては自然的だったらしい)
を描いたものが多く、その反動としての反自然主義という意味 さっき息抜きにツクール製の脱出ゲームをプレイしていたら
パスワードが変だった
適当に総当りで打ち込んだら偶然いけたけど
ヒントと照合すると計算が合わないような気がする パス解除して地下にいったはいいが
フラグ管理ミスでバグって詰んだ
クソゲーだなこれは グラフィックがバグって階段が消えるだけで
入れることは入れた 京極夏彦が褒めるくらいだからミステリーとしてはまあまあの出来なんだろうな しかし京極夏彦も角川の圧力でオタクに媚び売るイロモノと化したからな
アナザー以降の綾辻も同じこと
あの辺の作家はもうだめだ
脱角川しないとあかん 『虚無への供物』の段階でミステリー終わった
あとは産業ベースのゴミ量産状態 俺も角川のメディアミックス商法で90年代に頭やられたタイプの人間だからな
えらそうにいえんのだけどなんか見ていて腹が立った 角川ホラー文庫もメディアミックスのせいで頭おかしいしな
弟切草の小説版は今でも好きだが
リング(うお、アイデアおもしれえ)
↓
らせん(ん?なんだこれは)
↓
ループ(ブシャアアア←噴飯) オタクアニメなどというクソみたいな趣味を持たず
大人しく文部省選定の作品だけ見ておけばよかったと後悔している これからオタクなろうとしている人は苦難の道が待っているぞ
道を踏み外さないように・・・
第五世代はすでに創作行為が陳腐なファッションみたいなものだから 志賀直哉の『暗夜行路』を読むかどうかずっと迷っている
たぶん読むとこれまでの人生観が変わってしまうだろうからな
俺は極端に影響を受けやすい性格 最初からクソ要素の強いものにはそれほど影響を受けない
エネルギーが奪われるがな
自分のクソと対象のクソを相殺させるためにエネルギーを浪費していた 心身ともに衰えてガタがくると若いうちに出来ていた
そのようなクソ相殺ごっこさえもできなくなる
今後はエネルギーの使い方に細心の注意を傾ける必要があるな まずこれまでに培ってきたクソ相殺ごっこの癖をなくしてゆかなければならん クソ妄想を抑制してできるだけクソ要素の無い文化に触れていく
なぜ俺が文明にここまで嫌悪感をもっているのか分からんが
おそらく文明以前に学問や文化の価値を分かっていないからだと思う
何も分からんまま文明社会に放り出されて正気を保っているほうがおかしい 近代文明は監獄に近いものがある
表向き自由は自由だが物的に自由経済の競争には巻き込まれてしまう
自意識もすぐに相対化されてゆく 志賀直哉は白樺派でも意識が変な方向に突っ切っているからな
西洋の人道だのヒューマニズムだのとは明らかに異質 自意識と対象の間によこたわる距離感を気分に乗せて
空間的に描き出す志賀直哉 リアルでもなし、浮ついているわけでもなし
気分のかもしだす空間とリズムから細部を想起させるという手法
奇妙な浮遊感がある
この手法は大衆の文明開化の時代に日本人の失いつつある素朴な感性として
文壇で高い評価を得る 俺は意識が監獄の中にいるから
ここから出られないにしろ
心が少しだけ軽くなるような浮遊感が得られるだけで救いになる
そうか
俺は救いを求めていたのッだ
おえええええ 感情的になってはいけない、という意味が分かってきたな
人間感情に最初から自然さなど無いからだ 喜怒哀楽ほど不自然なものはない
完全なる人工物である 習慣の中で長い時間をかけて定着していったものだから自然に感じるだけのことだ 人間の自然な感情を回復するという発想には無理があるということ 自然主義文学がグロテスクになるのは当然だったのかもな 民主主義も資本主義も社会主義も頼ってる以上仕方ないが
肯定は絶対にしない ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています