熱帯ゲロ監獄
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埴谷の『死霊』挙げている人いるな
俺はこれは読めない
ヘヴィ級すぎる 埴谷のインタビュー動画は最近何度も見た
テーマは概ね単純らしいが
作品への臨み方によって大きくテーマが三つに分かれる、みたいなことをいっている
俺の場合だったら自我や革命ではなく「宇宙論」として見てしまうだろうな
観念的すぎてついていけんから 宇宙論は夢想にはちょうどいい材料か
未だに定まった宇宙モデルってのがないからな 科学的推論が苦手だな
こればかりは夢想してもだめかもしれん
昔はよく宇宙について考えていた
宇宙の果てについて考えていると自分の想像力の限界にきて
すぐに嫌になった 自意識が宙ぶらりんのときはどこまでも想像できるような気がしていた
しかし俺の想像力は無限ではなかったのだ 今でも不安定だけども昔のように完全に浮いてはいない
昔は頑張れば自力で空を飛べると思っていた
己の想像力の限界を悟り始めたのはおそらく
空を自在に飛ぶ夢を見なくなったころからか・・・ 宮崎駿のアニメで「浮遊感」を感じ取れなくなれば
もう歳だってことだな
風立ちぬの頃にはもう俺の浮遊感終わっていた
ポニョまではあった 何も考えるまでもなく頭の中に情景が浮かんでくる
そのまんま描いているのだから当然か 一切の屁理屈や自我の葛藤を排除した志賀の「そのまんま感」は
常軌を逸しており、もはや解釈のしようがない この中で芥川は、志賀は清潔に道徳的に生きた作家だといっている 俺は道徳的に生きることが正しいとは微塵も思っていない
志賀は人としての正しさなんぞ訴えておらず
むしろ道徳的に清潔に生きようとすることの大変さを
透明な気分で見通して描いているのではないかと思う これが夏目漱石になると道徳ではなく愚直なまでの正義感になるのか 夏目漱石の正義は日本的なもので
欧米にはまるで歯が立たなかった ある種神の視点でもあり仏教の諦念に近いものもあり
素朴に空気読む日本人像 夏目漱石は西洋に対抗できない日本人像を問題として明確化した
志賀直哉は諦念に西洋の道徳観を織り交ぜて内面化した 内面にある空虚さと向き合うにはどうすればいいのか
というのは近代社会では割と大きな問題だな 何にせよ美意識がないと精神が繋ぎとめられない
諦念でも退廃でも同じこと 人間の歴史の半分以上は権力闘争だ
文化には権力闘争に疲れた人の精神を安定させて
現世につなぎとめる作用をもつ 美というのは調和への志向性のこと
まずなにがしかの調和を前提にしなければ美は浮かび上がってこない 日和(ひより)を伺う・・・天気を見る・・・空気を読む・・・様子見する・・・→ひよる 最近泥棒に自転車盗まれたんだよな
一台しかなかったのに 15年以上大切に乗っていた愛着のある自転車だったのに
乗り捨てしていたら許さんぞ 城の崎にては短編で、要は短編集の本だな
『』でくくる意味なかったか 安部公房の『箱男』も買おうと思ったが
瀬名の『デカルトの密室』にした 安部公房は卓越したエリートの変態だから
ついていくのが大変だよ 『箱男』本当は読みたいのだけど
俺はまだカフカの『城』もまともに読めないからな 本屋に行くと一応全部のコーナーを廻る癖がある
エロ本のコーナーだけは少しためらう 瀬名の『デカルトの密室』は今のおれにぴったりの性に合う小説だな 安部公房はどうしても『壁』の影響で読むのをためらう 『デカルトの密室』はミステリーというには哲学的な意図が強すぎんだよね
俺は近代文明に心底嫌気が差したあげくデカルトの『方法序説』を何十回も
音読して読んだ人間であるからしてこのようなミステリー離れしたテーマには
目がない 『方法序説』は非常に狂った内容である種の「霊感」を根拠にしている
これに近代化を望む人々が狂った 現実には恐らく、真偽に拘らなければいけない場面が多いのだろうな 幽霊の存在証明は未だに出来ていない
芥川の「蜃気楼」は不気味な話で
幽霊が出てこないのに
読後、幽霊を見たような気分になる レインコートを着た幽霊でこれは「雨女」のような寒さに震えるイメージではないよな
もはや震々ではないということか
俺はまだ幽霊に「幽玄」のイメージを見ていて
リアルな幽霊を見たことはない ジャイナ教が難解なのは、餓死することを理想とし
正当防衛も否定することだ
まず自分の身体の不浄さを自覚しなければこれが成立しない 不浄という感覚は確かにある
これは仏教から来てるのかもしれん
しかし不浄という感覚は日本では主に人間の生の肯定に利用される傾向がある
穢れという感覚と清らかという感覚がある
自分の身体そのものを穢れであると解釈するには
何かが致命的に欠けているような気がする
元々のインド仏教は人間が生きることそのものに対する苦悩からの
解脱を主眼に置いているらしい
それでようやく輪廻転生観も生きて来る 霊の世界というのはどこか清らかなイメージがある
すべての存在に霊的な何かが宿っている・・・という感覚がある
もちろんウンコにもカビの生えたゲロの跡にも臭い下着にもこれが宿っている
これは生そのもののエネルギーというイメージで
死はこの肯定感覚につけこんでくる否定的な存在で常に脅かされる 霊と死が別物というイメージがある
黄泉の国というイメージが日本ではおなじみだが
黄泉の国のイメージは微妙
死後の世界という気がしないし霊の世界からも離れた感じがある
何か否定でも肯定でもない生でも死でもない、幻想的なイメージといえばいいのか
たぶん異世界ってことだな 異世界は人の生を肯定できるのか否か
ラノベにとっては大きなテーマだな 小説家になろうのサイトでよく短編読んでいたがな
リゼロは面白かった >>913
神戸は気持ちの悪いところだよ
住んだことがある 関西の癖に都会人気取りでへらへら笑いながら他人を見下している人間が多い 神戸に限らず都会人気取りは気持ち悪い
近寄りたくないな 表向きでも都会になったわけだから
都会人のフリをしないといけないのだろうけどね 都会ってのはニューヨークとか東京のことをいうんだよ
あとは大半後追いの田舎なんだから /ゝ
/⌒/"、⌒ヽ
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ヽ、:::WWW:/ /⌒ヽ )
/:::::( ゚д゚ ) / Y 日本でハロウィンとかバカジャネーノ
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`'''~U~'U"/''~~ 日本は他国から文化を取り入れる過程で身内で共有されやすいように
必ず加工するからな
加工されたものをみんなで楽しんで盛り上がる
それだけでいいんだろ アメリカ文明は様々な加工に耐えられるだけのタフさがあるが
どこか空虚だ 『デカルトの密室』思っていたより面白い
ただ、恐ろしくテーマが難解 観念的な難解さはないが素朴な疑問であるがゆえの難解さがある 志賀直哉も読んでいるが、この文章の透明感は異常
何の抵抗もなく頭に内容が伝わってくる
これはもう天才としかいいようがないな 読んでいるときは引っ掛かりがなさすぎて
「え、小説ってこんなんでいいの??」って終始思うが(そのまんますぎて)
なぜかあとから深い余韻が響いてくる きれいだとか美しい文章というよりも何か
そのまんま、という印象が先立つ 自殺願望が高まってきた
精神薬に胃腸薬に薬漬けだなオレは
こんな人生早く終わりにしたいわ >>931
生とはもともと辛いもので、耐えるだけのシロモノでありますぞ 辛い中にちょっとした楽しみや幸福感があって
束の間救われるような気がするだけである
死は最後の救い 文化にはすさんだ心を安定化させる作用があり
文明は様々な誤魔化しの方法を生み出してきた 昔は信仰心を持つことで人の心は救われてきたのだけど
今では信仰心を持つのが難しくなっている
なにがしか辛さを緩和するために強迫的になっていく 志賀直哉の短編「小僧の神様」を読み終えた
背表紙にも「古美術品のように美しく不動」と書いてあるように
洗練された芸術作品だ すし屋チェーン店の有名どころ、小僧寿しの名前の由来にもなった短編だ 芸術というか、国語の教科書に載っていて
誰でも親しめるようなレベルの作品 円熟期の短編ばかり載ってるな
どれも国宝級の出来だ 『デカルトの密室』面白いな
しかし600ページ近くもある・・・ 心身二元論やら人工知能やら、アシモフやら、今の俺向けのテーマだ 安部公房は気分が乗っているときでないと読めない
切り口が多重的且つドライすぎる 非常に重たい内容なのにそれと感じさせないからな
あれはエリートの手腕だ
エリートの観点から社会的弱者にメスを入れていく
『箱男』の場合はホームレスだよね
風刺だとか詩情だとかでは済まされないものがある 俺はホームレスは頻繁に見ていたし
友達になったこともある
でも自分はホームレスにはなれなんだよな
怖いから
ホームレスで生きていく自信がない
ジャイナ教にも入れないな
近代文明に慣らされるととにかく悲惨
強迫的に一定水準を維持しなければならない 高度経済成長によって庶民は「一定水準」の生活を手にすることができた 「フレーム問題」は未だに克服できていない
これも1960年にアメリカ人の言い出したことだが
要は人間の感じてる実存をコンピューターに再現させることができるのか否か
という問題
人工知能研究初期のアイデアである レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。