洋画と邦画のカメラワーク・演出の差は何か?
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個人的には脚本は同レベルであっても、洋画と邦画では
洋画の方が演出・カメラワークの点で圧倒的に優っていると思う
邦画の何が悪いんだろうか 向こうはそれぞれが専業化してて
プロが責任持ってやってるから >>1
答えは簡単、物量の差。
アメリカなんかは複数台で(だいたい四方向)から対象を撮影して
ショットごとに一番よく撮れてるものを編集して使うが
日本のはだいたい1台固定で撮ってるから、それを使うしかない。
脚本家崩れの俺が言うんだから間違いないよ。 >>4
それならそれなりに絵コンテの段階で完璧な構図をつくり上げるとか、
なんパターン撮っとくとかいろいろあるやん? >>4
POV形式の映画でも明確な差があるんだよなぁ POVでも複数カメラで撮影していいほうを使ったほうが有利だろ。
それとカメラマンも日本では専門教育受けてる人間が少ないだろ。
徒弟制度みたいなのはもう育たなくなってるし。 >POVでも複数カメラで撮影していいほうを使ったほうが有利だろ
小学生かな? >>10
え、被写界深度は浅いんじゃないの?
セットとか金をかけられないからぼかしてごまかすのが邦画 9 :名無シネマさん:2013/09/27(金) 21:55:02.67 ID:Rux5xLiI
>POVでも複数カメラで撮影していいほうを使ったほうが有利だろ
小学生かな?
10 :名無シネマさん:2013/09/28(土) 00:37:08.40 ID:dbmq3EsA
邦画は被写界深度が深いもとい不快
11 :名無シネマさん:2013/09/28(土) 01:30:40.83 ID:wlTNgSOy
>>10
だれがry
12 :名無シネマさん:2013/09/28(土) 01:49:41.64 ID:6EX8aCUN
>>10
え、被写界深度は浅いんじゃないの?
セットとか金をかけられないからぼかしてごまかすのが邦画 カメラ自体の性能はどうなの?やっぱハリウッドのは全然高い? ワンシーンワンカットがただの引きで工夫なさ過ぎ。
クソつまらない演技でそれやられると救いようがない。 素人だが、邦画の絵はきれいに感じる
ストーリに必要の無い絵が多い
玄人受けを狙っているのかと思ったが、プロの皆さんからみても、ダメですかね。 アクション映画にしてもほとんどの邦画では
編集がだるすぎ
切ったほうがいい余計な動きが平気で入ってるし
テレビ屋が映画作り始めてから余計ひどくなってる でもアクションシーンにカメラ揺らせばOKと思ってるハリウッド映画も多すぎ シネコンでかかるようなアメリカ映画は何の必然性もない何となくカッコ良さげなアングルで撮っておけばいいみたいな画面にしかなってませんもんね そういうのもあれば誰がどこにいるか、酔わないよう観客の生理に配慮した
ものもちゃんとあるけどね キューブリックみたいな計算しつくされたカメラワークの監督はおらんのか? >>21
邦画でそうゆうのがあったら教えてください
テレビで幸福(しあわせ)のスイッチを見た:監督(安田真奈)
印象は、連続テレビドラマ仕立てで、映画である必要ない
監督に比べて役者が大物過ぎて、演技まで監督できていない 邦画ってピントを全てに合わせすぎる傾向あるな。
動かさなくても色々できるだろうに。 >>15
それは本末転倒
引きで耐えられる演技を要求すべきで
アップやカットでどうにかしようというのは単なる誤魔化し >>26
いやいや、少しでも映画演出、映像を勉強すれば演技に任せるのは愚かな行為って分かるはず 引き固定ワンカットでよく出来てる例って寅さんの居間のシーンくらい。
裏からタコ社長が出てきて大げさに喧嘩するまで、
見えない位置から聞こえる声含めて演技と注目対象をバランスよく配置してるから観客はカメラの事など気にせず映画が成り立つ。
どういうわけか邦画はキャラクター全員を引きで映して一人ひとりが下手な演技で自己アピールするのを「日常のリアリティ」とか壮絶に勘違いした解釈する。 昔の映画はどれもカット割りやカメラワークは良かった印象がある
上の誰かも言ってるけど
テレビ屋が映画やりだしてから一気に糞になったと思う
素人の俺ですら
え?いきなりこのシーンに飛ぶの?とか
このカットいるか?とか
もっと見せ方あるだろ?
とかそういう不満が出るようになったのはここ15年くらいの間かな >>4でだいたい言い尽くされてる。
キャメラを4台回すならバレないように大がかりなセットが必要になるが、
広いセットを作るカネがなければキャメラが何台あろうと1台しか回せない。
ステージが狭いのも衣装が安っぽいのも照明がしょぼいのも雨さえまともに
降らせないのも、結局は予算がないからだ。 >>14
キャメラはデジタル撮影になってから日本製がトップクラスになった。
でもレンズはまだまだ。 TV屋は、どこに人がいて、どういう位置関係で・・・
と分かりやすく分かりやすく説明するのが習性となっている
ふつうに数百万人が見る媒体は、大部分の視聴者に分かりやすくないとダメ
特に報道で、そうするように叩き込まれる
観客を選ぶ映画は、そういう撮り方するわけにはいかんでしょ
1台で撮るか、4台で撮るかは、本質的な問題ではない ハリウッド映画とか馬鹿にする人多いけど
演出力は凄いよな
ヨーロッパ映画はハリウッドがやらない題材で勝負するしか無い >>4
違うと思う。たけしの映画なんかカメラ一台しか使ってないけど、カメラワークも画面の繋ぎも
他の邦画に比べて圧倒的に優れている。単純に画面構成力の違い。頭の中で画面を描けるような頭のいい人が少ないだけ。 >>33 >>35
たけし映画が「優れている」例になってる時点で・・・あれは所詮は「アート」
系の絵であってハリウッド的な商業映画の絵には全くなっていないでしょ?
ワンキャメで行くかツーキャメ(マルチキャメ)で行くかって、それだけでも
現場の効率も編集も全然違ってくる。
ワンキャメでチマチマ撮る暇にマルチキャメで大量に効率よく素材を撮れるし、
編集で色んな試行錯誤をする余裕も出てくる。
商業映画を舐めんなよっての。 >>36
じゃあ、日本の監督が複数のカメラや豪華なセットを手にしたら、素晴らしい絵が撮れるかって言ったら絶対違う。
結局画面構成力の違い。少ない予算でも画面構成力があれば質の高いエンターテインメントは撮れる。
確かにハリウッドみたいなゴージャスな映像にするんならマルチキャメラが必要になってくるだろうけど、日本の映画監督はそれ以前。
日本の監督に膨大な映像素材を渡したところで、その繋ぎ方すら分らない。頭の中に映像を描けないのが根本的な問題だと思う。 >>32
でもそういうのも結局はカネじゃないの? いい機材・技術を買う(借りる)・開発するにも結局はカネだしさ。
デジタルカメラが日本のメーカーのものはいいって、それは35mmフィルムカメラとも
また違ってデジカメが(映画TV制作以外の)プロユース・民生用などへの転用・
応用に使える(売れる)からでしょ?
あの辺のメーカーは別に映画TVの為だけに開発してるわけじゃないからね。
日本映画なんかここ40年ぐらいは機材も現場もポスプロもケチケチ、チマチマやってるだけだし。
あと現場の勘違い(引き絵がカッコいい、アップは駄目みたいな)もひどいよ。
あんまTV局が映画を撮るようになってどうこうってのは関係ないよ。
それ以前から日本映画の絵は悪くなっていた。
これは(それ以前⇒70年代)(70年代⇒80年代)と見比べれば歴然としている。
だいたい70年代〜80年代と二つの断層があるからね。 >>37
言いたいことは分かるが結局は精神論だよね。
個人的には上に書いたように日本の映画人の勘違いもひどいとは思ってるけどね。
まあそういう「頑張ればなんでもできる!」みたいなのを信じたいならご自由にねwww 座頭市、キッズリターン、アウトレイジ辺りは商業映画の範疇に入ってくるだろうけど、
他の邦画なんかよりずっと画面構成は上手い。金の掛け方の問題じゃない。あと三池崇あたりも上手い。
このぐらいのレベルの監督が物凄く少ないというそれだけの問題。 >>40
>座頭市、キッズリターン、アウトレイジ辺りは商業映画の範疇に入ってくるだろうけど、
>他の邦画なんかよりずっと画面構成は上手い。金の掛け方の問題じゃない
そもそもあの辺が本当に「上手い」かあという気がするし・・・
つかたけしの映画って実はたけしのイラストと一緒。あのイメージをそのまま
映画で再現しているだけ。
あとその辺は「他の邦画」なんかよりは遥かにカネかかってるしなあ・・・
結局はやはりカネじゃないの? カメラ一台で撮ってる人でも才能のある人なら、画面から匂い立つような何かを感じる。
日本の監督からはそういう物を全然感じない。才能がないから。映画って言うのは、監督が頭の中で
画面を思い描いた時点で大部分決まってるようなもんだと思う。頭の中に思い描いている物が貧弱だから、
それが画面にも現れる。
日本の映画製作者というのは、映画を、お金を掛けてみんなで映像を撮って、みんなでこねくり回す何かだと
勘違いしているんじゃないか。 >>42
なんかますます言ってることが抽象的になっていってわけがわかりませんm(__)m あと岩井俊二の映画も上手い。内容はともかく、編集や画面構成はハリウッドの水準に達している。
しかも、フィルムを使わず全部ビデオで撮ってるのだから、金を掛けている訳でもない。 黒沢清も上手いかな。この人も絶対金は掛けてないはず。 >>44
もうメチャクチャ。少なくとも篠田昇が生きてきた頃の岩井の現場は照明もフィルムも
贅沢に使うもの凄い事になっていたらしいがな。
岩井は決して安上がりな監督ではないよ。むしろカネを使う方。
>>45
で今度は黒沢か・・・ああいうのが「いい」ってのも所詮はあんたの好みじゃんかw
あと少なくともメジャーで撮る場合は黒沢さんもそれなりにカネは掛けてるでしょ?
というか黒沢さんの「低予算」以下のまさに無予算で撮ってる日本映画も
多いと思われる現状で「カネ掛けなくてもいい絵が撮れる」と言われてもねえ・・・ >>46
>>岩井は決して安上がりな監督ではないよ。むしろカネを使う方。
他の邦画に比べてどの程度金が掛かってたのか教えてくれます?それに岩井俊二ってフィルムで撮ってたの?
照明を贅沢に使うって一体何? 極端な例を挙げると
たとえば、夜の画を撮るとして、手前の人物の背後で500m先にあるアパートが
ブルーでぼぉと下から照らされている構図が欲しいとする
そしたら、電源車付きでライトを手配しないといけない
その分の応援の人手もいる
が、予算はない、どうするか
ロケハンしまくって、ブルーに照らされてるアパートらしき建物を探す
後で似たような画を見つけて合成でハメ込む
諦めて別の安上がりな構図で似たような効果は出ないか考える
脚本を書き換えて、シーンそのものを消す
とかね
Dがどうしてもやりたいとゴネるか、Pが説得して諦めさせるかですね >>42
>日本の映画製作者というのは、映画を、お金を掛けてみんなで映像を撮って、みんなでこねくり回す何かだと
勘違いしているんじゃないか。
これむしろ最近の洋画でしょ。邦画のすべてが素晴らしいとは言わないが
洋画もどうしようもなくつまらん映画は普通にたくさんある。 >確かにハリウッドみたいなゴージャスな映像にするんならマルチキャメラが必要になってくるだろうけど、日本の映画監督はそれ以前。
ハリウッドがゴージャス?
ゴージャスな映像って何だよw
そもそも、マルチキャメラとゴージャスがどう繋がるんだよ? >>44
撮り方がうまいのは篠田昇が撮影してたからじゃないの?
あの人が関わってない岩井俊二の作品はそこまで映像に魅力感じないんだけど CG使った超大作でもない
アート映画でもない
これがハリウッドの普通のエンタメ映画のレベル
日本じゃ無理
http://www.youtube.com/watch?v=TzU3UJuV80w >>52
これボーンシリーズの監督だろ
スピード感や緊迫感をカット割りで表現させたら世界トップレベルの人だと思うんだけど
いずれにしろこういう演出にはちゃんと方法論が確立されてて海外のスタッフはきちんとそれを学んでる
こういう構図やカット割りってのは個人のセンスが全てじゃない
日本はそういうのを学ぶ場所があんま無いんじゃないの?
とくにTV番組上がりの人はそのへんまったくわかってないで映画作ってる印象
アニメ畑のほうがまだちゃんとしてる >>52
「普通」っていうけどそのレベルなら充分に大作じゃないの?(本編は観てないが)
>>54
>とくにTV番組上がりの人はそのへんまったくわかってないで映画作ってる印象
日本の本編の連中はもっと何も分かってないよw
ここ30年ぐらいは引き絵で長回しして特機でゆっくりとカメラを動かすのが
カッコイイ、みたいな現場でしかみんな育ってないから(要するに相米・黒沢清・
北野武・是枝・西川、ああいうのw)
>アニメ畑のほうがまだちゃんとしてる
コンテをキメて後は優秀な作画スタッフを確保できれば何とかなるアニメと
実写を簡単に比べるなw(まあアニメの作画レベルも結局はカネだがな!)
学ぶっていうか、現場的にもそういうのを客に媚びてると嫌う傾向があるような気がするし、
あとそういうのも結局はカネなきゃ出来ないんだよねえ・・・
ちなみに「学ぶ」といっても日本の映画の学校・大学はもう全然駄目だよ。教えてる監督たち自身がそういうの
自分はやったことない(できない)人しかもういないから。
今や是枝とかも大学の教授なんだろ・・・ >コンテをキメて後は優秀な作画スタッフを確保できれば何とかなるアニメと
>実写を簡単に比べるなw(まあアニメの作画レベルも結局はカネだがな!)
絵コンテを切らないと作画が始められないから
カット割りやカメラワークや構図の取り方を頭でイメージ出来る人間がちゃんといるわけで
やっぱりアニメ畑のほうが優秀だと思うわけよ
もちろんそのアニメに関しても絶賛劣化中だけどね 絵コンテ描く邦画監督が少ないからね
「うんうん、そんな感じ〜」と和気あいあいで撮影は進むw
照明は、俳優の表情がくっきり分かるように、上からカンカンに焚く メイキング見たら邦画も洋画も変わらないんだよね。
洋画アクションなんかもメイキングだとたいした事無い。
それが完成品になると全く違う。 >>58
拳銃のマズルフラッシュにしても、いつまでも西部劇スタイルで、
煙ばっか噴き出すの見てると、邦画は工夫が無いなぁと思うよね
CGとか織り交ぜて、バンバン煽るような演出も洋画の方が数段上
http://www.youtube.com/watch?v=yhvrzPL-BHQ >>56
それはそれで買い被り過ぎ。
アニメも予算がある作品以外は基本的にリミテッドだからカット割だけしてあって
個々のカットでは構図や(実写における)カメラが全然動かない事が多いw
一般的な日本アニメとアメリカのCGアニメ・実写VFXものと比べると差は歴然としてるよ。
>>58-59
結局はポスプロもカネ。
カネがあればセンスのない日本のスタジオを見捨ててアメリカ辺りで仕上げできるけど
結局はそれもできない。
あるいはたまにアメリカのスタジオで仕上げするけど日本の現場で撮った絵のカット数が
全然足りてない(あるいは初めの絵そのものがショボイ)から実際には日本で仕上げた
のと同じレベルのものしか出来てこない罠。 ハリウッドの映画はカット割りがチャカチャカし過ぎ。観客を飽きさせないようにするとああなるんだろう。
だけどそれって、視覚的な刺激に釣られて見てるだけで内容が高まってる訳ではない。
日本が良い訳じゃないけど、日本とかヨーロッパの映画がゆったりしてるのは、実際の人間の生活をそのまま反映させているから。
カット割を速くすればするほど実際の生活感覚とは離れて行って、単なる刺激としての消費物に変わっていく。 >>61
それは間違った伝統だね。実際には戦前〜70年代頃までの日本映画のカット
割も大変に細かいものが多かった。また映画のテンポも早いものが多かった。
論より証拠、観れば分かる。
そういうのが成り立たなくなったのには理由がある。
日本映画は昔から基本ワンキャメ撮り。マルチキャメで大量に素材を集めるハリウ
ッドのように編集室でモンタージュを操作するのは難しい。
そんな日本でそういう細かい撮影・編集を行えていたのは「現場の段階でコンテまで
完璧に脳内に創り上げ『中抜き』や役者・特機の動かし方などのテクニックを知っている監督」
「その意図を解釈し現場で段取り良く動けるスタッフ」こういう人たち。
80年代頃になると長年業界にいるこの辺の監督・スタッフの多くが引退や死去で徐々に
いなくなり、あるいはトシを取り現場的な動きや感覚が鈍ってきてしまい、
もうそういう撮影が出来なくなってしまった。
また70〜80年代には既に日本の業界の現場が荒れていて後進が上手く育たなくなっていて
そうした技巧が殆ど継承されなかった。 また映画の内容的にも後期黒澤明や相米慎二のように「引き画で長回し、アップは入れない
のがカッコイイ」という妙な風潮が出来てしまい、本編の監督・スタッフが細かい
カッティングやアップを殆ど撮らなくなってしまった。
80年代以降の日本映画が「引き画・長回しばかり」「アップも無い」間延びした
ものばかりになったのはこの辺の背景故で、「実際の人間の生活をそのまま反映させている」
なんて高尚なもんじゃないよ。
単に間延びした映画を撮って「アート」「本格」ぶってるだけ。おまけにたまに海外で
賞を撮ったり、またハリウッド商業映画の文法に飽きているハリウッド監督がそういう
映画に実は憧れていて高く評価してくれたり(実はハリウッド映画人も「アート系」やアメリカ外の
珍しい映画が大好きw 要するに自分達が普段は出来ない事に憧れている隣の芝生)、
その辺で勘違いしているだけ。
あと一口に「ヨーロッパの映画」っていうけど、あの辺の映画も「アート系」以外の
商業映画は普通にカット数は多いよ(ハリウッドほどでは無いにせよ)
ここ30年ぐらいの日本映画が余りにカット割がいい加減なだけだよ。 「あんな風に撮りたい」と思って映画業界に入ってくる人はいるからね
黒澤明風みたいな作調ばかり溢れることになるのかなw
エピゴーネンばかりじゃね
観客の嗜好も変わるし、って安手のTVドラマの拡大版で満足する客も多いけど ハリウッド映画でも編集者の腕による部分は大きいと思う
例えば新生007シリーズで言うとスチュアート・ベアードが編集した『カジノロワイヤル』と『スカイフォール』には何の違和感もなく没入できる一方
彼が担当してない『慰めの報酬』はガチャガチャして見づらかったり
あと日本でハリウッド風の編集をしてる監督といえば原田眞人がいる
個人的にはあれもガチャガチャしてるだけでうっとうしく感じるけど
それもハリウッド風だからというわけじゃなく単に下手くそだからだと思う 映画ってカメラワークだけで決まらないからね。最近の洋画ってBGMのかかる
タイミングとかセンス悪すぎ。そもそも場面と合ってなかったり。「ディープ
インパクト」なんてこれから地球が滅びるかもって時に犠牲者ゼロでした的な
曲流れてるし。はっきり言って話にならねーわってレベル。 なんでアメリカと比べようとするの?
フランスやイタリアと比べようよ
美しさが全然違う
予算の問題じゃない
アメリカ、フランス、イタリア、スペイン、ロシア、イラン、ドイツ、イギリス、インド、中国
少なくとも上記の国に負けてる
もしかしたらブラジル、カナダ、ポーランド、韓国、タイにも負けてる ディープインパクトが酷いのは単にディープインパクト単体の問題であって
最近の洋画全体に拡大されてもな…
しかもディープインパクトなんて最近の洋画ですらないし
てか邦画がポーランド映画や韓国映画に負けてるのはしょうがないだろ
ポーランド映画なんて昔から巨匠を多数排出してるし
韓国映画は下らないのも多いが一部は化け物級のクオリティーだしね >>69
だから予算の問題じゃないよね
むしろ日本は予算がある方なんじゃないの?
映画産業が盛んな方だと思うし今のポーランドや韓国に負けてるのはしょうがないと思わない
今のポーランドの話ね。今の日本映画の話をしてるんだから トップレベルの比較だと映像にセンスがないよね
内容も挑戦的なものが少ない
社会派映画もぬるいものばかりでしょ
昔は特徴的で文化的な魅力もまだ文化的特色の強い中東やタイなどに興味が移った感じ 村川透監督のアクション演出は好きです。
特に長回し。 引き固定でくっちゃべり続ける舞台演劇的ダメさもあれば
踊る大捜査線映画の様にステディカムの使い方が
動きの切り替えに無駄な瞬間多すぎて痛いだけというものも。 画質もぜんぜん違う
使ってるカメラの差かな?
それとも証明技術の差? 踊るや海猿のカメラワークて、ほんと永久凍土並に寒いよね ハリウッドで撮影監督やってるタカヤナギ・マサノブって人いるけど
いい絵を撮るんだよな
経験値、機材、考え方の差が大きすぎると思う 70年代に邦画が低迷して優秀な人材が入ってこなくなったから。
代わりに半島系がごっそり入って来て… >>63
石井輝男の顔面どアップに衝撃受けたもんなあ、最初。
ペキンパーのスローモーションなんて今でもしょっちゅう見かけるけど、
石井輝男の顔面どアップってほとんど見かけないもんな。
>>66
やっぱ『アルマゲドン』の方が感動するよねーw >>80
ペキ・スロも黒澤からだろうからな
昔の邦画監督はすごいねー
邦画の今のレベルは世界の底辺らへん
悲しいし、恥ずい 今の邦画は切った方がよくなるような演技とか残したままにしてるよね
あれすっごいたるい
切ったら70分くらいになっちゃうからかもしれないけどさ ハイキックガール、ほとんどのアクションを通常再生したあとで
わざわざスローモーションで繰り返すのはどういうつもりだ 向こうの映画は制作費1億ぐらいの超低予算のでも
日本の大作より画面が綺麗だなぁ 日本はカメラマンの労組が強くて監督の言うこと聞かないって聞いた 労組はハリウッドの方が厳しいんじゃないの。撮影監督はカメラを直接オペレートすることができないとか聞くし >>82 70分。大歓迎だ。
最近はやたら長すぎる。せめて90分位にしてくれよ。 昨日見たるろうに検診も白くてのっべりした画面だった 演出には素人なんで詳しくわからないんだけど、フィンチャー作品とかで、
場面転換のときにカメラがパンしながら早送りになって、「ゴォッ」って効果音が入る。
あれがうざくてうざくて・・・
「ホットファズ」って映画が評判よかったから観たが、ことごとく場面転換のたびに「ゴォッ」って
うるさいから途中でやめてしまった。 >>88
ハリウッドの労組は政治闘争はほとんどしないで、
あくまで待遇改善とか契約条件の改善とかに拘ってるからな。
今もって、(悪評紛々だけど)ストライキができるほど力あるのは
そういうのも大きいかと。 >>87
それ大賛成!
アイディアややりたいことが溢れるほどあるのに
90分しか制限時間が与えられてない方が、よく考えて中身の濃いものが出来上がってる
気がする。 邦画があまり動かないのは映っちゃいけないもんが多いからだろ 洋画は数十メートル四方の空間のショットを撮るのに
数百四方の面積を占拠して
対象からたっぷり距離をとって
望遠気味の撮影でクレーンやレールを使って撮るけど
邦画は数十メートル四方ショットに数十メートル面積しか占拠できない
カメラは近距離から広角撮影気味で狭苦しくて圧迫感のある映像ばかり
やはり予算の問題は大きいよ。 セットを組む予算の違いがカメラワークの単調さを招いてるってのはあるかも セットかどうかは関係なくロケでもダメなんだから
元々の時間の無さが発想を狭めてしまって
何やってもショボイ蟻地獄に陥ってるんだよ 15年前、サムスン電子が、ハリウッドのニューリージェンシー映画制作会社を
買収する時に関与したことがある。
うまく行った交渉が突然に白紙に戻る危機に直面した。
サムスン側が
「映像事業団の課長が、ワーナーブラザースで9カ月間の
職務研修(OJT)を受けられるようにしてほしい」
と、追加要求をしたからだ。
この条件が聞き入れられなければ投資しないということだった。
難色を示していたハリウッドは、サムスン側から繰り返される要請のため鉄則を破った。
サムスンの若い課長がワーナーブラザースで映画制作・配給の貴重な
知識と経験を積めることになったのだ。
サムスン映像事業団が分社した後、彼らが韓国映画産業を
ハリウッド水準に発展させるのに寄与したのは言うまでもない。
http://yutori7.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1262776436/ すごく客観的に邦画、洋画の演出だなんだを分析して
語っちゃってる業界の方がいらっしゃるが
ご自身の作品がとてつもなく凡庸でねえ
表現出来るポジションのお方がここまで解っていらっしゃるんだから
クチ先だけと思わせない程度のモノは見せてほしかった 映画の講師ってなんで微妙な監督や脚本家ばかりなんだろうな
漫画だと手塚治虫や鳥山明の書いたマニュアルがあるのにな 日本の街なみが絵にならないという人がいるけど
洋画や外国の番組での日本の街なみは魅力的なんだよなあ
何かが違う るろうに剣心の映画みたことある?
制作費30億かかってるけど最高によかったよ。
美しい京都の町並み、息もつかせぬ殺陣、面白い脚本
案外残酷なシーン、船のCGは圧巻で、主人公たちの心の交流を感じて素晴らしかった!
https://www.youtube.com/watch?v=emy8JkKV6LQ
このCMも良かったけど、本編は更にやばかった 画も◎
ずっと、予算なんてカンケーねーよ、
画が悪いのは日本の甘え!と思ってたけど、
ハリウッドは制作費200億〜300億くらいかけてて、その三倍稼がないと赤字なんだってさw
逆に「ええ〜そんだけかけて、その程度?」と思ってしまった・・・・
昔のET時代くらいのが面白かった気がする 邦画はカメラワークは当然として照明も酷い。
人物に影が全く出来ないから浮いて見えるし何より単調な絵面。 >>100
いや間違いなく日本の景観の汚さは先進国最悪
だがトップギアでは奇跡的に魅力的に映ってた 二郎は鮨の夢を見る、は東京良かったけどなあ
銀座線地下、築地市場
ブラックレインの大阪も良かった
邦画とは明らかに違う空気感
瞳の色の違いじゃろか マニアックな物見てますねえ
いつやってたのかすら知らんかったわ
お世話になります。
私、責任者の加茂と申します。以後、宜しくお願い致します。
http://www.apamanshop.com/membersite/27009206/images/kamo.jpg
浪速建設様の見解と致しましては、メールによる対応に関しましては
受付しないということで、当初より返信を行っていないようで、今後につい
てもメールや書面での対応は致しかねるというお答えでした。
http://www.o-naniwa.com/index.html 事務員 南野 東条
http://www.o-naniwa.com/company/ 岡田常路
このように現在まで6通のメールを送られたとのことですが、結果一度も
返信がないとう状況になっています。
http://www.apamanshop-hd.co.jp/ 加茂正樹 舟橋大介
http://s-at-e.net/scurl/nibn-apaman.html 大村浩次
私どものほうでも現在までのメール履歴は随時削除を致しております
ので実際に11通のメールを頂戴しているか不明なところであります。
・「ジュラシック・ワールド」 http://s-at-e.net/scurl/JurassicWorld.html
・「ジュピター」 http://s-at-e.net/scurl/JupiterAscending.html
大阪府八尾市上之島町南 4-11 クリスタル通り2番館203
に入居の引きこもりニートから長期にわたる執拗な嫌がらせを受けています。
この入居者かその家族、親類などについてご存知の方はお知らせ下さい。
hnps203@gmail.com
〈 http://s-at-e.net/scurl/kenmou-post_id_28.html 〉
〈 http://atsites.jp/sate/ImaLin/imaitsuwa/imaitsuwa.html 〉 照明の差もあるんじゃないの
HWは照明さんはいないよ、照明のデザインや指示は撮影監督の仕事
一方日本は昔の量産時期に主任カメラマンの仕事が多過ぎて
照明部という別セクションができちゃった
それが当時の裏方主義で結構うるさい部署になって
なかなか文句を言えるとこじゃなくなった
その弊害が元になってると思ってたわ >>101
これ見る限りでは最高に良い・・ってほどでもないなぁ
割と頑張ってるのは見て取れるけど、ダメなカットも多そう >>98
口が達者で、仕事も出来るヤツって見たことないわ
ふつう、どっちか片方だけだよw 単にスタッフがろくにノウハウ蓄積してないんじゃないか
抜かれるのを嫌って後続にろくに教えない、仕事は盗んで覚えろとか未だにやってそう >>101
「るろうに剣心」、大友監督のケレン味たっぷりの演出は買うが、カメラワークが特に優れているとは思わない。 微妙なスピードで主役が走るのを微妙なテンションで追っかけるカメラワーク封印してほしい。あれかっこ悪いとか通り越してる。 >>114
逆だわ
邦画というかJSCカメラマンは広角使うのが下手で滅多に使わない
JSC外のテレビ系の人なんかはサラっと使うけどテレビと同じユルユルの絵になるし
カッコいい広角使いはあまりない
その点、るろ剣なんかは結構いい方だと思うが アクションシーンにおいてるろ剣のカメラワークは
アクション監督の谷垣健治が初期のコンテを全部考えてる
それが香港スタイルの彼のやり方で、色々変更はあっても
大友もその辺り割と任したようだよ ここに書き込むひとはレベル高そうで気後れするが20年ほど前に読んだ
「マスターズ・オブ・ライト」という本はハリウッドの撮影監督を取材したものだった
当方、映画の知識には乏しいが これを読んでの第一印象は「映画は光(照明)が大事」
というアホみたいなものだった ハリウッド映画はアホ程照明を使って撮影をする
撮影監督はとにかくそれをコントロールすることに腐心する どの名手に聞いても最も
大切にしていたのはこの点だったと記憶する (ネストール・アルメンドロスだけ異質
だったのが強烈に残っている) 物量の差は馬鹿にできない 押井 アニメでも実写でも、僕の場合、まず写真集から出発する。
資料として購入するのはほとんどが風景の写真集。
いろいろな風景写真を眺めながら、その作品における”世界を見つめる目線”をつかむのが映画を作る初期段階での一番重要な作業なんだよ。
最初に写真集でおおまかなイメージをつかんでおいて、その後カメラマンを同伴して実際にロケハンに回り、山のようにスチール写真を撮る。
『機動警察パトレイバー2 the Movie』(93年)を作ったときにこの方法論を確立して以来、これは変わらない。
――なぜ、そんな方法を?
押井 まず、”現実の風景の中でアニメを作る”ということは決めていた。
その意識は『天使のたまご』(85年)や『迷宮物件』(87年)を作っていた頃からすでに芽生えていたけど、
明確に意識したのは『機動警察パトレイバー 』(89年)から。
ただ、『パト1』を始めた頃はまだ準備不足で予算もなかったので、東京の風景を写した写真集をいっぱい探してきて、それを眺めながら考えるしかなかった。
『パト2』では最初からそこに自覚的だったので、ロケハンでスチール写真を膨大に撮った。
――ロケハンで撮影する写真には、何を要求するんですか?
押井 原則的にモノクロで撮る。カラー写真は一切撮らない。
なぜかといえば色のイメージに惑わされるから。
大切なのはどういう角度から街を眺めるのか。
水路から見上げた風景であったり、高い所から見下ろした俯瞰であったり、あるいは廃屋を探して撮ってもらったり。
そうやって撮りためた写真の中から映画のイメージの原型になりそうな写真を自分で選んで、アニメーターに参考資料として配る。
それはレンズを意識したレイアウトが欲しいから ――レンズを意識したレイアウトというのは、具体的にはどういうものなんでしょう?
押井 アニメの場合、作画や動画のリズムをメインに考えると、一番見やすい視線のポジションは自動的に決まってくる。
どうなるかといえば、アイレベル(人が立った状態での目の高さ)になる。
それが一番描きやすいし、俯瞰にするとキャラクターの情報量が極端に減るから、絵描きはやりたがらない。
だから昔のアニメーターが好んで取る構図はほとんどアイレベルで、これは宮さん(宮崎駿監督)といえども例外じゃない。結果的に映画ではなく、絵本アニメにならざるを得ない。
『パト2』では、そこから一歩踏み込んで、レンズの味が欲しかった。
要するにディストーション(光学的な歪み)のあるレイアウト。
それがあることで、アニメの画面であるにもかかわらず、レンズで撮影したような臨場感が立ち上がる。
――レンズを通したほうが、風景に臨場感が出るものなんですか?
押井 人間が風景を見る目って、実はレンズを通した絵のほうが印象が強いんだよ。そのほうが意識的に見ているから。
人間の目って意識的に見たいものを見ているわけじゃない、というか反射的に見たいものしか見ていない。
画角は無限で、フォーカスも見たいところに瞬時に行く。だからかえって意識に残らない。
むしろフレームで切り取ってやることで強さが増す。
なおかつレンズを通した風景でないと”強い風景”として意識されない。
――確かに『パト2』の映像では、キャラクターより風景のほうが印象に残りますね。
押井 だから『パト2』は絵が動いていない。
劇場公開された当時、”動かないアニメ"だってさんざん言われたのは、絵が動けば構図が崩れるから。
強い風景にナレーションやセリフを重ねていくことで、映画としての説得力を生み出そうと思った。
つまり、レイアウトが持ってる力だけで映画が成立するんじゃないかっていうのが『パト2』で試みたこと。 ――いまアニメを作るとしても、同じ方法論で作りますか?
押井 僕は動画の専門家じゃないから、アニメの場合はそうやって画角から入るしかない。
今さらジブリみたいな緻密な描写で流れるようなアニメを作れますかっていわれても、そういう能力はもともと持っていない。
だから余計なことを言っちゃえば、庵野(秀明)がジブリの後継者になるかといったら、あいつも実は画角で作ってる男なんだよ。
あいつは過去に見た映画のレイアウトは全部覚えているって特殊な才能を持っていて、それを紙の上に再現する能力も持ってる。
それだけは大したもんなんだよ。その代わり、全部何かのコピーだよ。
東宝の特撮映画だったりのレイアウトが頭の中に大量にためこまれていて、必要に応じて即座に取り出せる。
――庵野氏は、世間的には動画寄りの監督に見られていますが、押井さんの評価は違うんですね。
押井 俺は、アニメーターとしての庵野なんて評価してないもの。
でも、あいつのレイアウト能力はたいしたものだと思ってる。
あと彼は、情報量の操作ってことを知ってる。どこの情報量を増やして、どこを省略するか。
アニメって、それでしか演出できないから。
――実は『イノセンス』以降、押井さん自身はレイアウト主義で映画を作ることに飽きたのではないかと思っていました。
押井 もう『GHOST IN THE SHELL 攻殻機動隊』(95年)のときにとっくに飽きてるよ。
『攻殻』は基本的に『パト2』の応用で、『イノセンス』(04年)はさらにその発展形。
『イノセンス』が終わった段階で、自分の方法論で作るアニメは、これ以上にはならないとわかった。
だから『スカイ・クロラ』(08年)では全然別のことを考えた。
レイアウト作業は通常通りだけど、そこで目指すものから逆算してレイアウトを割り出した。
何かと言ったら〈時間を撮影する〉ということ。
だから作業自体は変わっていないけど、目指すものがちょっと変わった。 ――今は、そこから先の表現のテーマは見つかったんですか?
押井 自分のテーマがあって、それに企画をはめ込んでるわけじゃないんだよ。
この企画だったら何をテーマにしようかってところから出発するわけだ。
『スカイ・クロラ』って作品は要するに日常性の世界の話だから。
キャラクターは死なない、年も取らない。
年を取らないってどういうことかといったら、それは時間が止まってること。
キャラクターの時間が止まってるんだったら、世界の時間をゆっくり動かすしかない。
――なるほど。では新作『パトレイバー』で目指した表現のテーマはどういうものなんですか?
押井 今は教えられません(笑)。
表現っていうのは、なんとなく伝わるだけで、前面に押し出すものじゃないんだよ。
ましてや公開前に監督が語るものでもない。
物語は時代に寄り添ったものだから、いずれは意味がなくなる。
だけど映画の表現それ自体は、いつの時代に観ても成立する。
今でも小津安二郎の映画を見る意味がどこかにあるのは、あそこにしか流れてない時間があるから。
それは98%の人間にとっては、単に死ぬほど退屈な眠い時間かもしれない。
でも、ドラマだけだったらテレビでいい。
映画を作る以上は、お客さんに対するもの以外――見えざる表現の部分のテーマが必要になる。
それなしに、映画を撮るモチベーションはありえない。
映画監督は単なる演出家ではなく、〈映画〉を作っているんだから。 種田:当時の人は、ジョン・フォードのモノクロを見て、夜のシーンなのに空が明るかったり、
昼のシーンなのに空が暗いことに驚いたんです。それはどのシーンも昼間に撮影しているせいなんですけど、モノクロの中にグレートーンの階調があって、写真の美学が生きているんですよね。
―インタビューでも「白黒こそがフォトグラフ」という発言を残してますよね。
種田:映像のトーンには相当うるさかったみたいですね。それはカラーになっても同じで、
『静かなる男』はカラーですが、発色が今の映画とは全然違いますよね。初期のフィルムは発色のコントロールが難しかったので、光を強く当てて撮影したり、
補正したりいろんな工夫をすることで、映画の世界が本物らしく見えるように映像にも演出を加えていた。
つまりそれは絵画的な美しさだったわけです。一方で最近のカラー映画というのは、解像度が良すぎるせいか、ほぼ実物の見た目通りに写るので、
こういう油絵みたいな映画がなくなってきました。かつての絵画のような質感の映像を安易に手放してしまっていいのか、これからの映画の作り手は真剣に考える必要があると思います 例えば、溝口健二なんていうのは大衆シーンは下手ですよね。そういうことはもう、助監督にやらせる、っていうことになっちゃうんですよね。
クロさんはそうじゃなくて、もうすべてにわたってやる、という監督だから、だから、黒澤組についたらキリキリ舞いですよ。
そういう、とにかく、自分ですべてのことをやらねば気が済まない、というようなやり方で映画を作る、といったら、ま、やっぱり、黒澤さんが一頭地を抜くんじゃないですかねえ。
あの、木下恵介なんていうのも、クロさんより2歳ぐらい若いんだけれども、この人はキャメラ出身ですからね。キャメラ助手の出身だから、キャメラについてはよく知ってますよ。だけども、
すべてについてというわけにはいかないですよね。たとえば、クロさんは音楽まで指定しますからね。木下恵介なんかは、木下忠司っていう弟がいるんですが、
この人にまかせっきりで。キャメラは自分でも重視していたから、詳しいんだけどもね。そういう点では、やっぱりクロさんがあらゆる面で突出していた、ということでしょうね。だからねえ、あんなに忙しい組はないですよ。
他の監督につくと、たとえば、成瀬巳喜男サンなんて人は、自分のスタイルというのが決っているわけです。だから、どんなカメラマンが来ても、それに全部、右へ倣えですからね。ところがクロさんは、写真写真によって違いますからね。
作品、1本1本が全部、形が違う。出来不出来もあって、不安定なんだけれどもね。今度はこれをねらうんだという、そういうのがありますからね
http://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=922578&id=8826889 「帰りの船が沖縄に近づいたとき、ああまたあの水蒸気の国に帰るのか、と思いました」
55年に帰国した節子は、産経新聞の美術記者福田定一、のちの作家司馬遼太郎と会ってそう述べた。司馬は後年、「このひと(節子)の色彩がみごとに乾いて発色していることを思いあわせ、さまざまなことを連想した」と書いた。
日本の山河が最高の美しさを見せるのは雨上がり、と紀行作家の宮脇俊三が指摘している。日本人の心性に根ざした美の光景は、湿っぽい幽遠さであり、靄(もや)であり、日本の代表的な絵画は今も雪舟の山水図とされる。
こうした「水蒸気の国」の伝統に対する反骨が、節子の基調になっている 成瀬截巳喜男のキャメラサイズは決まっている。人物のクローズアップ、
バストサイズ、フルサイズ、誰がキャメラマンになっても違いはない。また、成瀬作品のキャメラは人物が動いても動かない。
パンは絶対にしないのである。人物の動いたことは目線の動きで知らされる。成瀬が「ハイ、ここ」とキャメラの位置を示せば、
キャメラマンはキャメラをセットする。「バスト」といえば、位置をずらす。同じバストといっても成瀬の好むバストの大きさは、
決まっている。後は照明がライトを決める。照明係りが忙しく立ち働くだけで、外のパートは何もすることがない。
ところが黒澤組はそうはいかない。キャメラは、どの位置がいちばんいいか、クロさんはルーペを覗きっぱなしで決める。
人物が動けば、それに従ってレールが敷かれ移動車が動き、速度を決める。それによって照明も変わってくる。
大道具さんはクロさんの指示に従って背景のミスを直さなければならない。小道具さんは状況によってやれ「水をまけ」
やれ「スモークを焚け」と言われる。各パートはクロさんの指示に従って立ち働くことになる。最も効果的に画面を作るために、
クロさんはあらゆるパートに指示を出すのである。それだけクロさんの狙いは、各パートに対して要求が大きくなるのである。
http://world-directer.com/entry11.html ミケランジェロ・アントニオーニの映画は構図が建築学的で面白い。彼の特徴的な演出として、登場人物とカメラの間にストーリーとは直接関係のない被写体を置く傾向がある。
左の写真では、主人公の2人のフルショットの前に、花を配置して、ちょっとしたアクセントになっている。こういう映像はアントニオーニの諸作品でよく見られるので、機会があれば探してみてほしい。 http://www.nowdo.com/production/j_cam_work1.htm
俯瞰(ふかん) 卑小感、哀れ、弱い。
水平角度
前方 訴え、強い、単調、平板。
横方 やや立体感、やや無関心。
後方 拒絶感、別れ、終わり。 >>129
わざわざ検索してマルチポストは必死すぎるわ ここでカメラワークについてお勧めの映画を教えて欲しい 小林 プロデューサーのかたから「これをテレビ枠でやろうと思ってるんだけど」と。
さてどういうふうにやるかってなると、スタジオドラマって
全明かりにしちゃうんですよ。 影を作らないっていう。
テレビ方式でいくと、全部を明るくする。 影がどこからの方向にも掛からないように。
そうすると、まぁ、要するにベタな絵になっちゃうんです。
糸井 絵で描いちゃうみたいなもんだよね、いわばね。
小林 そうすると、この『深夜食堂』の世界、いかにも作り物っぽい世界の中で、
もう全体に作り物っぽいようになっちゃうと、味わいがあまりにもなさすぎるなと思ってたんです。
「たとえば映画の人なんかにやっていただくような作り方をちょっと意識しないと難しいかもしれませんね」
とかって言ってて。 映画的っていうのは、ワンカットでワンキャメでいくと、
そのたびに照明をこしらえるんだ。そこから先、しばらくは進展しなかったんですけど。
https://www.1101.com/iijima_shokudo/kobayashi/ 「ブラックマジック M-66」は実写撮りを前提にした絵コンテならぬ
アニメコンテの様に思える。アニメであのカメラワークが出来るなら何故邦画で出来ない? じゃあ金さえあればカメラワークや演出の差を埋められるのかっていうとそうじゃないだろ
太平洋戦争に負けたのは物量に差があったからって言ってるのと変わんねえぞそれ いや、そもそもハリウッドにアメリカ人スタッフなんて全体の半分もいないから
邦画は日本人だけでよくやってると思うよ
ハリウッドは世界中から優秀な才能を集めてる、というか集まってくるんだし勝って当然
なに言ってんだか・・・ 比べるならフランスやイタリア、イギリスといったヨーロッパ映画(かつ非ハリウッド資本)と比較しろよ
あとは同じ制作規模のアジア映画 >>147
いまの日本アニメは低予算でそれなりの物を
作ったりしてるんだがw
下らんものも多いけどそれと比べると実写は…
やはり日本の実写には無能力者が多い なんでそこでアニメが出てくるのか意味不明
アニオタはもれなく脳に疾患でも抱えてるのか? いくらほざいても、漫画やアニメ原作の実写の駄作撮っとるんでは説得力無いわな。
漫画の進撃でとてつも無い糞実写を撮った
樋口 真嗣とかどう弁護するんやwwww 樋口は前からクソだろ、何言ってんだ
エヴァのコンテもケレンだけで中身空っぽだし 豊かになったが考えた方貧困になったな
後は落ちるだけ パクリは中国だけ
起源は韓国だけにしとけよ 糞実邦画wwwwwww ゆとりの頭じゃ考えも・・・おっとここまでにしとこ
何っても反論もどき >>147
邦画は監督韓国人だったり出演者もスタッフも外国人いるじゃん
アニメなんか作画スタッフ大量に外国人いるし日本人だけではできてないよ。 邦画における外国人の割合なんてたかがしれてるだろ
なにを言っているんだ?
しかも現地で書いて送ればいいだけのアニメのそれとは状況がちがいすぎて比較対象にならないんだけど 言い訳、言い訳…
アニメとは違うと…
黒澤が草葉の陰で泣いていると
海外勢に揶揄される糞邦画界wwww
確かにアニメ作家の方が海外評価は高いわ 言い訳?
俺の知らない間に言い訳という単語の意味が変わったのかな? カチューシャ
「言い分と言い訳なら差があるかもしれないかも
日本語難しいね
日本語だめならロシア語で良いわよ クラーラ」 邦画支持者は都合が悪くなるとすっとぼける”言い訳
”蒸し返されると言い分になるらしい と読んで良いの? 崇拝するのと信じるのは違う のとはまた違った次元か
外国人を使わない 使いたくない
がんばってる やってはいる みんな馬鹿ばっかだなwww
まぴおさんがいかに偉大か今にわかるよwww キャメラを振り回した男 撮影監督・川又昂の仕事 単行本(ソフトカバー
変革に挑戦し夢の中を駆け抜けた男。伝説の映画キャメラマン・川又昂の軌跡をたどる初めての集大成! 「OZUの弟子」として映画修行の若き日々『東京物語』(小津安二郎監督)にはじまり、旧体制映画への抵抗と松竹ヌーヴェル・ヴァーグ『青春残酷物語』(大島渚監督)へ...
そして、不朽の名作『砂の器』(野村芳太郎監督)から、円熟の傑作『黒い雨』(今村昌平監督)に至る、伝統ある撮影所の黄金時代と共に歩んだ一人の映画人を通して、映画の夢とその秘密を探る。
砂の器』『八つ墓村 鬼畜』『黒い雨』 映画は谷崎潤一郎作品を思わせる。モダン画家アリス(アンヌ・パリロー)にはボクサー志望の恋人フランク(パトリック・オリニャック)がいた。2人はアツアツ。そこへひょっこりアリスの姉エルザ(ベアトリス・ダル)が訪ねてくる。
エルザはこの2人のセックスものぞくし、ことあるごとに妹を痛めつけるが、この姉妹どうやらレズビアン。姉の嫌がらせの怖さ、その毒の裏に妹への恋が感じ取れ、愛という厳しさでこの怖い姉をも映画はかばう。
ありきたりのストーリーで甘い。しかしこのフランス映画、そのフランスの底力を見せた。
姉がうまい。姉の顔に学校のいやな級長の冷酷さが感じ取れ、この姉の演技がこの映画を大人の映画にした。脚本もこの監督、そしてこれでもかと女の弱さ、怖さを押しつける。
姉が妹の恋人を奪ったうえに、妹の両手を縛ってこの恋人とセックスするうめき声を妹に聞かす。この姉妹、レズビアンに近いこともわかってくる。
この映画、男がバカみたい。筋肉豊かな若者で女の夜の相手にはもってこい。けれど自分の恋人の姉に誘われて断れぬあたりが、この映画、もすこし大人にならないと困る。テネシー・ウィリアムズくらいの描き方、もっと怖く谷崎文学に迫るべきだった
しかし最近の、セックスだけが見せ場になってきたふぬけたフランス映画の中では、やっとフランス映画だといううれしさ。とにかく姉が演技を見せた。姉のマスク、目、笑い、唇、
このすべてが女の監督、同じ彼女のその脚本でいやらしさ、怖さを出した。ありふれた脚本ながら残酷さは最近最高の描写。近ごろ多くの凡作とアクションものに疲れた観客は、この映画で目を覚まさせるといい >>1
一言で言えば技術
ハリウッドとかの洋画は光の加減や当たり具合とかカメラと役者の距離感とか全てをきちんと計算した上で、カメラの位置とか役者の動きを考えて撮影してる
邦画の場合はちょっとレフ版かかげて、カメラ固定して、役者の位置バミって動く場所を教える程度で撮影してる感じ
だから画面に臨場感もないし、どれもテレビのコント番組みたいなロケの映像とかと殆ど変わり映えしない
あと日本の邦画やテレビドラマ全般に言えるけど、、役者の演技や演出が戦後の大衆演劇みたいな頃のやり方をそのまま変わらずにやってるような不自然さがある
例えば家の食卓で朝食とか食べるシーンでも必ず家族全員姿勢よく椅子に座って一人ずつ話すとか、会社が舞台だと必ず誰か上司とかの机の前で集まって同じようなアングルや間合いで話すとか
日本って良い悪いは別にして、例えば上で指摘したように食卓なら食卓での決まった演出、会社なら会社の机の前で話す演出みたいなのが場面場面で全てマニュアル化されて決まってて
それをどの映画、どの局のテレビドラマでも撮影スタッフや役者全員がその一つの決まった演出のマニュアルに沿って撮影してる感じ
だからどんなジャンルのどんな映画やドラマでも、どれも同じような演出や映像のものしかないから、見てても飽きてつまらなく感じる 宮川氏が絶賛していた映画キャメラマンに平野好美という人がいる。戦後それも東宝争議後はほぼ新東宝の撮影所で活動していた人だ。
中には溝口健二監督と田中絹代の畢生の代表作「西鶴一代女」の撮影を担当している。後は伊藤大輔監督の「下郎の首」もこの人が担当だった。
日本映画データベースによると1929年あたりからキャリアが始まり、1962年で途切れている。戦前は中小のプロダクションを経て東宝に合流、そして争議で新東宝に移ったというキャリアだ。
新東宝は初期は文芸ものなどもあったが、後半になるとエログロ路線に転換、そういう中にあって担当を淡々とこなしてきたという感じだ。1962年というと新東宝が倒産して、撮影所はTBSの傘下国際放映となる。ここは貸しスタジオとテレビ映画などを撮影していた。
平野好美はなんと「忍者部隊月光」のいくつかのエピソードを担当しているのである。この子供向けのドラマはほぼ新東宝からの残党によるスタッフによって撮影されている。これには少々驚いた。 >>163
黒澤監督が宮崎駿監督に手紙を送って絶賛した映画が
高畑勲監督の「火垂るの墓」
宮崎駿監督は自分の映画ではないし困ったらしい テレンスマリックの映画みたいな映像にするにはかなり高いカメラ使ってんのかな ローグワン見ると
東洋人がだいぶハリウッド映画で異物感醸し出さなくなっているな。 邦画は実写が斜陽になってカメラの使い方の技術の蓄積がなくなってしまった
断絶してしまったという印象
ハリウッドの映画はズボラに見えてもちゃんと職人を作り出すシステムが出来上がって
いるために技術の蓄積があり、それが映画をスクリーンで写した場合に違いがあるという
感じがする。あくまでも個人的な意見です・・・ 撮影監督が職人肌で素晴らしい仕事をしても持っている技能を後の世代に
伝えることができなければ人は育たないということ
そんな出来る職人にかぎってか 見て盗め というがそれで育つニンゲンの
出来はマチマチになる
技術の伝承するためにも体系的で分かりやすく、山本五十六みたいに
やってみて、やらせてみて、できたらちゃんと褒めてやるみたいなことが
必要と思う。テレビなんかで凄い職人さんとかが出演したりするが
技術を伝える術がなければ一代で終わる。本当にこれが凄いことなのか?
その人の技術が後世にまで伝えられたときにやっと正当な評価を勝ち得る
のじゃあないのだろうか?好き放題かかせてもらったな 駄文失礼する。 >>181
アニメは基本平面で絵を動かすからパースの付きにくい望遠気味の絵にするんだよ
だから望遠多用する洋画の絵っぽくなる 君の名は。は映像が綺麗だと言うけれど
コントラストの強いフォトジェニックなだけなんだよね
日本の夏の風景なのにヨーロッパのような乾いた空気感
全てが一定の綺麗さで留めていることの違和感、不自然さ
新海さんは綺麗と美しいの違いの演出が下手というか希薄なのが
綺麗なだけのラッセン風と言われる所以か
この世界の片隅になると、花鳥風月だけでなく
空の霞の違いで季節が表現されてた
B-29を地上から観た時の空の色と
高高度からB-29を映した空の色は透き通った真っ青な違い。
四コマ漫画風ほのぼの系なのに、みょうにリアルに感じるのは
そうした監督の積み重ね、観察力の違いか >>183
そういううすら根性悪い書かれかたすると
片隅みる気なくすわあ 君の名は。冬休み&紅白ブーストもあり250億超えが決定した。これは、国内興行収入で邦画アニメでは千と千尋の拉致隠しに次ぐ成績である。世界合算では君の名が邦画1位となった
また、週末ランキング連覇も9週間、これは千尋に次ぐ快挙。通算13回目の首位は邦画アニメでは今まで例を見ない快挙である
また、公開5月たっても週間ランキングに入っており27週連続ランキングは千を超える快挙。250億超えは単なる通過点で、270億、300億もありえる
世界でも大人気で、中国では100億円超え決定。韓国でも初動10億超え、日本以外の世界で最も売れた日本映画になった
ロングランについては、これはまだまだ先の話だが、邦画アニメでは今まで千しか達成していない一年超ロングランを、君の名は達成する可能性は大きい
春先には若干減速して箱も減ったりするかもしれないが、そこで4DXや4MXD、D-BOX、INAX、ウルトラ上映、TXN、イモサウンズ、ドルビーアトモス、爆音、絶叫上映のブーストはそれぞれ5億以上、合わせたら軽く50億以上は積める
史上二番目の一年超ロングランなら、さらに売上は伸びる。一周年記念で300館上映して、そこで千尋を抜く。というシナリオも良いかもしれない 映画作家は路面電車を撮れる人と撮れない人と二分される
蓮見重彦 海外も昔のは酷いのあるよ ポワロとか外だろうがどこだろうがガンガン照明あてて見れたもんじゃない
黒澤明も昔のは森の木陰ですら、ベタ照明で光が一方向 アホかと
つーか照明なんからいらねぇだろ 自然で撮れや ロケーションで光を調整しろ
ドラマのなぞの転校生とかそういう照明がすごい良かった
http://www.tv-tokyo.co.jp/nazono_tenkosei/gallery/index.html べっぴんさん』を見ると、まず映像的に「4Kカメラ」を使用したことで、屋外での撮影での風景や日差しの美しさを見事に表現していました(序盤のはなが生きていた頃なんかそう)し
、屋内セットでも光を巧みに使った濃淡のきめ細かい表現は、プログレッシブカメラでは出せない表現力。
脚本は、登場人物たちを言葉数の少ない自己表現力が豊かでない設定にし、会話を少なくして、その分前述の美しい映像だけで間を創り出したり、状況や心情の説明を削いで視聴者に解釈を委ねたりと言う実験的な部分もあったかもしれません。
だから放送開始当初は、美しい映像と実験的な脚本は、テンポが良く斬新で光の演出がきれいな映像と評価されたのでしょう。
しかし、スタッフはそこに胡坐をかいてしまいました。その結果が、いつも逆光で眩しい映像に、描写不足で話が箇条書きに進むだけの脚本 聞いた話ですけど、今の監督さんって、何台ものカメラで同時に撮るそうですね。
伊武:今、多いのは、たとえばこの対談のシーンなら、林さんのアップと引きと、さらに大きい引きを、3台のカメラで最初から最後まで撮っちゃうんです。そして今度はライティングを変えて、俺のアップと引きと、さらに大きい引きを撮って、
今度は2人が話しているツーショットを横から撮る。それが主流なんですよ。ハリウッド方式というのかな。
林:俳優さん、緊張感を保つのが大変ですね。
伊武:何回もやらされてね。テンションが高いお芝居だと疲れちゃう。声がガラガラになっちゃうし。
林:そうですよね。
伊武:そうやって撮った素材を、今度はエディターが編集する。エディターの力で映画はどうにでもなっちゃうんですね。ハリウッドはそうですよ。そういう方法もあるけど、昔は、監督がイメージした映像があって、
そのとおりに撮れたらオーケーという人が多かった。今でも京都の撮影所なんかに行くと、そういう撮り方をする監督さんがいますけど、時代が変わってきちゃったんですね。 そこでフィルムノワールですよ。そしてヌーヴェルヴァーグですよ。 「春樹さんに『薬師丸ひろ子ってアイドルになりませんかね』と相談されたのが始まり。将来を嘱望されながら、人気がなくて。じゃあ、ひろ子の“ワッペン映画”を撮ってやろうと。隅々まで任せてくれた。命がけでやりましたよ。
本人は理解できずに演じていたでしょう。公開後は倍、倍にお客さんが増えて。でもひろ子は本物の女優。アイドルを脱するために相米(慎二)組に。『セーラー服と機関銃』(81年)は、あれはアイドル映画ではありませんよ」
―ヒットした理由をどうみますか。
「コツがあってね。ひろ子はアイドルとして欠点だらけ。スタイルは悪いし、脚も太い。でも実は人に見せたくない顔が一番かわいいの。寝顔やくしゃみしたり。いまのアイドル映画がダメなのは、いいところばかり撮ろうとするからだね」
―「時をかける少女」(83年)では原田知世が一躍有名に。
「キャメラの隣に立つのが僕の演出。まばたきひとつも口移しのように伝えて。僕と向き合って芝居するから必然的にキャメラを見る。
スクリーンを見ると観客は自分が見られている感覚になる。彼女は早くに引退すると思ったけれど、多くが知世に恋しちゃったんだね」 複数のカメラでいろんな角度から同時に撮影するときは
照明が平坦になりがちで面白味のない絵になることがあるが、NHKの照明は深みがあってほんとにいい仕事してる 知り合いから教えてもらった簡単確実稼げる秘密の方法
暇な人は見てみるといいかもしれません
グーグル検索⇒『金持ちになりたい 鎌野介メソッド』
NCYWG >>194
すげえ亀レスだけど
NHKの照明クソだけどなぁ
目線もむちゃくちゃになってるしセットや衣装はお金かかってるけど
撮影の技術的にはかなりレベル低いで。 http://www.nichieikagaku.com/glossary/ka.html
肩ごし(かたごし)
カメラ撮影(カメラショット)の呼び方のひとつ。手前に人物の肩を入れ込んで撮影すること。
略して「ごしショット」という。具体的には、手前人物の肩の上に被写体をとらえる構図のもの。
「肩ごし」と「肩なめ」は同じという考えが一般だが、実は意味合いは違う。「“ごし”と“なめ”の違いがわかるようになったら
演出家として一人前だ」と言われたことがある。だから、ここではあえて、その違いは伏せておきます。
肩なめ
カメラ撮影(カメラショット)の呼び方のひとつ。手前に人物の肩を入れ込んで撮影すること。
略して「なめショット」という。具体的には、手前人物の肩の横に被写体をとらえる構図のもの。
「肩なめ」と「肩ごし」は同じという考えが一般だが、実は意味合いは違う。「“なめ”と“ごし”の違いがわかるようになったら
演出家として一人前だ」と言われる。だから、ここではあえて、その違いは伏せておきます。ご自身でお考えください。 洋画、
競争が激しく才能が必要
邦画、
在日コミュニティの内枠で決める 才能不要 羅生門見たとき京マチ子を中心にカメラがグルって回るのが
現代風で、うおっ!って思った とても簡単なPCさえあれば幸せ小金持ちになれるノウハウ
少しでも多くの方の役に立ちたいです
いいことありますよーに『金持ちになる方法 羽山のサユレイザ』とはなんですかね
F7E ETV特集「キャメラマンMIYAGAWAの奇跡」
初 2018年12月8日(土) 午後11時00分(60分)
再 2018年12月13日(木) 午前0時00分(60分)
日本映画を代表するカメラマン宮川一夫。黒澤や溝口、小津などの巨匠と組み、「羅生門」「雨月物語」などで数々の世界的映画賞を
受賞した。近年その作品は世界の映画人による4K復元が進む。生誕百十年の今年、本来の光と色を取り戻した作品27本がニューヨーク
で上映され多くの客を魅了した。自宅に残された撮影台本などの膨大な資料や、名だたる映画人の証言から奇跡の映像を生み出した
秘密に迫る。是枝裕和、山田洋次ほか。
https://www.nhk.or.jp/docudocu/program/20/2259645/index.html ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています