>>955 の続き♪

さて、その抽象言語だけで構築された、>>715 の冒頭に書いた通りのロック音楽の最高到達点である Univers Zero の UZED ですが・・・

今まで何度か試みたけど、そもそもこの音楽を構成してる抽象言語の意味の連なりに感応出来るのって、恐らくは20代前半までだから、この板住人相手じゃキビしいねぇ・・・

出来の良いスピーディな漫才ってあるじゃん?あぶらだこのアルバムは複数のそれがアルバム一枚分、最初から淀み無く次から次へと続いて終わるんだよ

変拍子まみれで意識し難いがパンクベースのロックであるあぶらだことは違い、UZED の場合は「漫才」ではなくって、やはりプログレッシブロック一般やクラシックの様にメインテーマ旋律に幾つものグライダーを用意して、山あり谷ありのリズム展開に合わせて可変させていく、という「演劇」の筋立て、「ストーリー」になってんのね

反復ばかりのクラウトロックやジャーマンサイケを除いた、所謂「プログレ」楽曲の出来の良し悪し如何は、この旋律展開の説得力というか、抽象言語で綴られる「文章」の意味の繋がり・「途切れの無さ」・接続と接続した先のパートが「ストーリーの展開」として機能してるか否か?で決定されるんだよ

分かり難いならばそれを「ピタゴラスイッチ」のカラクリで、例えばボールが落ちた先のシーソーがきちんと機能して、その先のカラクリに動力を伝える、という仕組みに淀みが無いこと、ゴールに辿り着く為には機能しない無駄なボールやシーソーの動きが無いこと、と考えてもいい

音楽ってのは全て創り手からの一方通行だけど、この様な音楽というのは特に、創り手側からの「読ませ方・見せ方」の誘導が重要で、しかも音楽ってのは聴き手側がコントロール出来ない時間の経過の中で音の意味を追わされる形の芸術なんで、ストーリーや「ピタゴラ」の仕掛けとしての意味を成さない「無駄」を感じさせられると、筋立てやカラクリの仕組みを追う集中力が一気に削がれちゃうのよ

(長くなりますので、続きます♪)