8月29日早朝。北朝鮮がミサイルを発射した。北朝鮮の「火星12号」と呼ばれるICBM(大陸間弾道ミサイル)と思われ、これまで日本海の海上に落下するケースがほとんどだったが、今回は日本列島を飛び越え、北海道の襟裳岬・東方約1180キロメートルの太平洋上に落下。

北朝鮮は7月にも2回、同じICBMとされる「火星14号」を発射している。今回の火星12号は最大飛距離が5000キロメートルだ。

8月に北朝鮮は米軍基地のあるグアム島近海に向け、4発の火星12号を発射すると予告していた。今回はグアムに向けられたものではなかったが、グアム島へ十分に到達できるミサイルだ。ソウルや東京、北京はすでに射程圏内であり、北朝鮮のICBMはすでに米国の首都ワシントンまで到達できるという見方も広がっている。

米国は朝鮮半島に戦略的な軍事資産を展開する一方、北朝鮮・イラン・ロシアの3カ国を、一つのパッケージとした制裁法案を迅速に通過させ、ドナルド・トランプ大統領は法案に署名した。

北朝鮮への原油輸入を遮断し、北朝鮮労働者の海外派遣を中断できるようにするなど、制裁レベルを引き上げた。中国には米中貿易不均衡を解消するため、スーパー301条の再発動を切り札として取り出した。

日米韓3カ国の安全保障閣僚会議では、北朝鮮に対する圧力をよりいっそう強化することで合意。これまでの制裁と圧力を強化する方向に傾いているようだ。

1950年代から核開発が始まった

が、このような制裁と圧力によって、北朝鮮は核とミサイルによる挑発を中断し、降伏するだろうか。結論から言えば、「ノー」だ。これは北朝鮮が核開発をこれまでどのように行ってきたかを見るとわかる。

北朝鮮による核開発の過程を見ると、大きく3段階に分けられる。

第1段階は、1950年代から1980年代で、核兵器開発への意思を決定し、技術者と技術力を確保する段階だ。1990年代半ばに脱北した北朝鮮高官らの証言によれば、1980年代半ばに金日成主席が金正日総書記に対し、「もし米国が北朝鮮を攻撃する場合、どのように対処したらよいか」と質問したという。

すると金正日は「地球を消滅させても防ぐ」と答えた。この金正日の回答こそが核兵器開発を意味したということだ。

朝鮮の核兵器開発史は1955年3月、原子・核物理学研究所の設置を決定したことから開始。特に南北が競争関係にあった1970年代には、南北共に核兵器の開発競争に突入した。韓国は極秘に開発しようとしたものの、露見し、米国など国際社会からブレーキをかけられた。

が、北朝鮮には、ブレーキをかけられなかった。旧ソ連との原子力開発関連協定に従い、旧ソ連に派遣された北朝鮮技術者は毎年数十人ずつ増加。1970年代に彼らに技術を伝えた旧ソ連の核物理学者は、当時の北朝鮮技術者らについて、「まなざしが彗星のように輝いていた」と振り返る。

第2段階は、1990年代から2012年で、核兵器の開発を本格化させた時期だ。1991年の旧ソ連崩壊によって、北朝鮮はCIS(独立国家共同体)国家出身の核物理学者を確保。このときから北朝鮮の核兵器開発は本格化したようだ。

1993年の第1次核危機当時、米国が要求する特別査察の受け入れを北朝鮮は拒否し、NPT(核拡散防止条約)脱退も宣言した。IAEA(国際原子力機関)の査察団もすべて追放されたため、北朝鮮の核開発を抑制できない状況となったのである。

2004年ごろ、金正日主席が北朝鮮の国家保衛部(現在は国家保衛省)に下した非公開の指示文によれば、「われわれはようやく、安心して眠れるようになった。この開発に功績が大きい旧ソ連の学者をきちんともてなせ」と言ったという。

徐々に高度化、水素爆弾実験も

2005年2月10日、北朝鮮は「核兵器保有」を宣言した。そして2006年10月と2009年5月に、1回目と2回目の核実験を行った。さらに2010年5月には核融合実験に成功したと発表。そして2011年12月に金正日総書記が死亡する。北朝鮮の核問題の第2段階が終わろうとした時期だ。

第3段階は、2012年から現在に至る、金正恩時代が幕を開けてからだ。

http://toyokeizai.net/articles/-/186095

>>2以降に続く)