<チベット犬やモンゴル馬を中国豚が駆逐する――民族弾圧は血の殺戮から文化抹殺の段階へ>

中国は50年代初頭にチベットを侵略した際と、66〜76年の文化大革命中に、チベットと内モンゴルでジェノサイド(集団虐殺)を進めた。

これらの地域を「自治区」として中国の辺境に編入してからは殺戮だけではなく、「文化的ジェノサイド」も行っていると、チベット仏教の最高指導者ダライ・ラマ14世は主張する。英オックスフォード大学から2010年に出版された『ジェノサイドのハンドブック』もその事実を認めている。

ダライ・ラマをはじめ、ウイグル人のラビア・カーディル、「世界南モンゴル会議(クリルタイ)」代表のショブチョード・テムチルトといった中国から亡命した3人の民族指導者の話を元に、「文化的ジェノサイド」の実例を挙げてみよう。

チベットが侵略される50年代以前には2500カ所もの仏教寺院があったが、ダライ・ラマがインドに亡命した59年以降、70カ所を残してそのほかは全て破壊された。十数万人いた僧侶と尼僧も97%が還俗を強制され、寺院は減り続けている。

チベット自治区に隣接する四川省甘孜(カンゼ)チベット族自治州でも、中国政府は最近、世界最大の仏教学府「五明佛学院(ラルンガルゴンパ)」に共産党委員会を進駐させた。公安局と政府幹部を常駐させて、昨年7月には数千人もの尼僧を追放。共産党の直接支配下に置かれている。

また新疆ウイグル自治区では、ウイグル語の使用を制限。大学などでウイグル語を使ってウイグルの文学や歴史を講義することが禁じられている。代わりにたたき込まれる「中国4000年の歴史」は歴代王朝がいかに辺境を征服し、どのように「偉大な祖国の統一を促進した」かばかりのあからさまな漢民族中心史観だ。

13年に私が現地調査したときも、ウイグル人は商売をしようと申請しても許可は下りないのに、外来の漢民族は身分証なしに仕事に就ける、という不公平を目撃した。

北朝鮮非難に隠れた巨悪

内モンゴルもまた文革で34万人が逮捕、2万7900人が殺害され、12万人が身体的な障害を負わされた。約50人に1人が殺害され、全ての世帯から1人が強制連行された凄惨な結末だ。被害者のモンゴル人に冠された「罪」は「日本の協力者」「ソ連のスパイ」だった。

こうした現代史上の血なまぐさい殺戮と異なり、現在の文化的ジェノサイドは新たな様相を呈している。例えば、チベット原産の犬チベタン・マスティフの受難だ。体格は大きくてどう猛なこの犬は、遊牧民の家畜を守るのに長い歳月の中で育てられてきた。

59年にチベット人が蜂起した際に中国兵にかみついたために、多くの犬が飼い主と共に射殺され絶滅寸前に陥った。ところが中国経済が発展し富裕層が現れると10年ほど前からペットとしてブームに。希少となったこの犬が漢民族の間で一時は数億円で取引されるなど、成り金の象徴となった。

征服者が被征服者を奴隷以下に扱いながら、その犬を自らの名誉欲を満たすのに使うという植民地支配の典型的な様相だ。しかしそのブームが去った今、身勝手に捨てられた犬は大量に殺処分されている。

内モンゴルの馬も受難に苦しんでいる。駿馬にまたがるのを最高の名誉とする遊牧文化のこの地で中国政府は今、遊牧民に定住を強制し、馬の放牧を禁止。代わりに草原に大規模な養豚場を建設している。草を根こそぎ掘り起こす豚は草原の砂漠化をもたらすが、中国政府は意に介さない。

冷涼な気候に適さずに死んだ豚の死体をそのまま草原に放置し、伝染病の広がりを防ごうともしない。文化的に豚を忌み嫌うモンゴル人を侮辱するために意図的に進めている政策だ、と人権団体は指摘している。

世界は不条理に満ちている。小国の北朝鮮によるミサイル発射を非難するのに比べ、大国の中国による文化的ジェノサイドの巨悪に無関心。いずれチベット人やモンゴル人の怒りが中国で爆発して収拾がつかなくなれば、国際社会にも付けは回ってくるだろう。

<本誌2017年10月3日号掲載>

楊海英
静岡大学教授。モンゴル名オーノス・チョクト(日本名は大野旭)。南モンゴル(中国内モンゴル自治州)出身。

http://www.newsweekjapan.jp/youkaiei/2017/09/post-2.php