中国の著者によって書かれた日本史の本——とても奇妙な作品のように思えますが、実は意外と興味深いものです。
我々が知っている日本の歴史を通して、当時中国との比較、現代中国への暗喩、日本に対する正直な気持ちなどが随所に散りばめられています。
この記事では、12月5日販売開始の新刊『明治維新の教え —中国はなぜ近代日本に学ぶのか』(中信出版日本)を一部抜粋して面白くなる「読み方」を紹介します。

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しかし『明治維新の教え』の著者・馬国川氏は国と国民を守るため自ら強大な権力を手放した世界でも稀な例として、一人の日本人を挙げています。
江戸幕府最後の将軍、徳川慶喜です。
日本では「江戸時代を終わらせた」「戦わずして逃げた」などの理由で評価が高いとは言えない人物ですが、
中国人ジャーナリスト馬国川氏の目には、「自ら権力を手放す」という世界でも例を見ない偉業を成し遂げた政治家だと同書には描かれています。

<「国家の転換」という重要な局面において、政治家は重要な役割を担い、しばしば難しい選択を迫られる。もっとも難しいのは、彼ら自身の進退である。
なぜなら、それは個人的な栄辱だけでなく、歴史の進展にも影響を及ぼすからである。徳川幕府最後の将軍・慶喜がまさにそうだった>

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<自ら権力を手放して、潔く隠居を決めた「紳士」を、弱虫だと貶めることはできない。1868年、もし慶喜が新政府軍との決戦を決めていたならば、
日本の歴史は書き換えられていたに違いない。少なくとも明治維新はあれほど順調には進まなかっただろう。日本は長期的な内戦に陥り、敗北国家となっていたかもしれない。
慶喜が個人的権力のために戦わず、勇敢に一線を退いたことは、国家の進歩に大きく貢献した。彼の行為は英雄と呼ぶにふさわしいものである。
権力は、一度握ると手放せなくなる。歴史の舞台に立つ政治家には勇気が必要だが、それ以上に度胸を試されるのは、舞台から下りるときである。
特に19世紀半ば、徳川慶喜が自らその舞台から下りた英断には感心させられる。
当時、東方国家には、指導者と平和裏に交替できる民主制度がなかったため、政治家は政界で老死するか、他から追い出されるかであり、自らその権力を放棄した者はいなかった。
100年以上が過ぎても、政治家というのは、死ぬまで権力を手放さない(最終的には、暴君や国賊に成り下がってしまうことが多い)。
その意味で、勇退した慶喜は、日本の歴史における功労者であり、世界の政治文明史における偉人であると言えよう>

日本では負の評価が多い慶喜ですが、日本国外の人からこのよう客観的に評せられることで、「歴史観」の多面性を実感せざるを得ないのではないかと思います。
もちろん、現代の政治家を判断する上で「歴史的な視点」というものも忘れてはならないということも改めて喚起されるのです。


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