「虫は貴重なタンパク源」そんな世界を誰も望んでいるわけではない

 中国で犬を食べたことがある。蚕も食べた。それも繭を作る前の這っている幼虫だ。それが中国ではご馳走だった。その話をする。

ー中略ー

農村の宴に欠かせなかった「犬肉」と「蚕」

 取材で訪れたはずが、企業関係者でもないのに日本人というだけで、この寒村では大歓迎された。そこで一緒に食事をしようと誘われた。話を聞くにも絶好の機会だ。それで案内されたのが、村で唯一という料理店だった。

 そこでは丸テーブルに皿や箸が並んで宴席の準備ができていた。そして私に調理場に行くように言った。訳も分からず、勢いに押されて調理場に入ったところで、同行の通訳が教えてくれた。

「いまここでは、あなたが主賓だ。主賓は自分の食べたいものを選ぶ」

 それで調理場に放り込まれたのだ。それが中国の(あるいは、この地方の)しきたりなのだという。それで調理場には、私と通訳がふたりだけだった。「ただし」と通訳は続けた。

「あなたは食べたいものを選ぶことができるが、同時に他の人たちを喜ばせるものを選ばなければならない。せっかくのご馳走をみんなで食べる機会なのだから、間違ってはいけない」

 つまり、遠来の客である私を歓迎する一方で、私を持ち上げて全員にご馳走を振る舞わせる。そうやって機会を選んで、村のみんなに分け与える。

 とはいえ、異国の地の風習に従って忖度しようにも、何を選んでいいのかわからない。そこで通訳に救いを求めると、「これは絶対に選んだ方がいい」というものと、「これはみんなが喜ぶ」というものがあった。
それが、犬の肉と蚕だった。

ー中略ー

 桑畑しかなったような寒村で、蚕をご馳走にする必要もなくなったはずだ。食文化として犬や虫を食べる習慣が残ったり、それが好きな人がいたりしても、タンパク質は日本人と同じ肉食で補える。その美味さも知っている。

 裏を返せば、虫を食べる文化とはかつての貧しさが育んだ知恵でもある。それを否定するつもりはないが、増え続ける世界人口によって陥る食料不足を視野に、昆虫食を研究開発し普及させることは、食文化が貧しくなることに等しい。

飢餓への備えは必要、しかしそんな事態を誰も望んでいない
 SDGs(Sustainable Development Goals=持続可能な開発目標)とは、17のゴール(目標)を設定して成り立っている。その1番に掲げられているのが「1 貧困をなくそう」だ。

 いま日本政府が推進する「ムーンショット型農林水産研究開発事業」には、『地球規模の食料問題の解決と人類の宇宙進出に向けた昆虫が支える循環型食料生産システムの開発』とするコオロギなどの昆虫食の研究がある。
ここではSDGsが掲げる2番目の目標「2 飢餓をなくそう」に紐づけている。

 日本の食料供給の脆弱性とウクライナ侵攻のような不測の事態に備えて、研究を進めることの重要性は理解できる。

 だが、世界の飢餓を無くすために日本人もコオロギを食べるのだとしたら、私には理解できない。世界がこぞって貧しくなるより、豊かになること、豊かさを持続可能とすることがSDGsの目的のはずなのに。

 昆虫食が常態化する世界など中国人も望まないはずだ。

全文はソースから

2023.3.17(金) 青沼 陽一郎
https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/74404