エマニュエル・レヴィナスについて語ろう [無断転載禁止]©2ch.net
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神への罪は許されうる
他者への罪は許されない
本人の同意がなければ
神にもどうにもならない問題がある
だからこそユダヤ・キリスト教思想は深いし面白い
その逆転こそ、ありふれた日常の他者との深淵、許してはならないが
いつかは許さなければ社会は崩壊する
だからと神が許せと言ってはならない
人間に許すと言わせなければならない
その緊張感
神にもどうにもならないことかある
神にも答えらろないことがある
このことの理解が西洋思想の核心
安易に他力本願持ち出して神や他者を消去する馬鹿は死んだ方がいい >>284
> こういう西洋を「越えた」思考
そんなこと、どこに書いてある? >他者への罪は許されない
>本人の同意がなければ
だから罪があるかどうかすら、現状の力の均衡で変化するのですね。 豚が権力を握ることができたら、人は大量殺豚犯でしょう。 眩いものらしい。レヴィナスにとっては。
哲学というものその自体が。 青木は論理が図式的過ぎていて論ずるに足りない
自力は否定して他力が正しい
だから従来型仏教ではなく親鸞を
フッサールではなくレヴィナスを
マルクスではなく宇野をと言ってるだけだが
問題はそんな単純じゃない
レヴィナスのタルムード講話の中で大晦日だっけな、
神への罪は許されると書いてある
しかし、人に損害を与え被害者が許してないものはその限りではないとも
人が罪を犯したらその罪には罰を与えないといけない
しかし、いつまでも許されないなら人間社会は荒廃する
自力はほどほどにして他力で許せ
神への罪は許されるはそういうこと
でも被害者の感情を無視して許すことはできない
それを認めたら社会は崩壊する
だから神、絶対他力でさえ立ち入れない領域がある
かと言って絶対に永遠に許されないなら、
それは被害者を神に絶対者にするだけ
加害者を荒廃させこれはこれで社会は崩壊する
神の他力の決定不能性、パラドックスが生ずる
神としてはほどほどのところで許せと思っているが
そこは神の側から強制はできない
絶対他力でさえ無力の決定不能がここにある
レヴィナスは問題の所在には気づいているがまともに答えられない
青木の図式性じゃこんな決定不能性とか全く出てこない
青木は純粋に混じりっけなくゴミ
こんなもの今更どや顔で持ち上げる奴は死ね
頭がおかしい 理性による小賢しい設計なんかくそくらえ、自力じゃなく他力と言っても
それが加害者にとって犯した罪はどうしょうもないか
被害者にとって犯された罪はどうしょうもないか
それ自体意味不明
絶対他力と言っても意味はない
そんなんで親鸞持ち上げても親鸞にとってもいい迷惑 レヴィナスを語るなら書くなら、レヴィナス以上の部分もちらほら。
しかしまだ足りないよ。
現実被害なのだよ、被害がない聖域は、レヴィナスのいう。
作文や戯曲、脚本なのか
それがマジでリアルじゃなさそうな。派生した学だ。
映像音声じゃなく。リア充顛の 時間 にいればいいし、
なにも恐れることはないよ。2ch 自体は。
最近はプロモぐらいは見るけど。ディープハウスとか。 他者を踏みにじっても必ず時が来たら許される
そうなったらそういうどや顔の加害者は他力でもなんでもなく自力だし
そうなってどんどん罪が許されるなら社会は必ず崩壊するし
かといって許される可能性を全く閉ざしても同じこと
被害者が自力の絶対者になるだけ
他力を称揚すること自体には全く完全にパーフェクトに何の意味もない
レヴィナスは他者だ神だ他力だ絶対だ何だと言って答えた気になる
馬鹿は死んだ方がいいぞ
レヴィナスの核心は絶対の他者か日常の第三者か論争も同じこと
意味のない袋小路 現生人類が生き残っているからには、それ以前の人類は直接にであれ、
環境的に追いやられて、間接的にであれ、絶滅させられてきたのでしょう。
崩壊した集団は絶滅した。生き残っている集団が絶滅した集団に対して
罪の意識を抱えているとも思えない。 カリブ海の島々、今の人口は、アフリカから連れてこられた奴隷の子孫だらけ
だけど、それ以前は原住民が暮らしていたんですよ。原住民の社会は、崩壊
して消えた。誰が誰に罪を負って、誰が誰を許すのか? レヴィナス論者には暗黙の前提が多すぎる。暗黙に神の秩序や近現代の人権の
概念を前提としている。それを言語化することすらしないから、なおさら
たちが悪い。 つけ麺を喰った。調味湯 調味料入れ放題だから、
助かるなあ。冷凍は。薄味だけど。あとはネギスープをなしなむ。 >>283の井上は>>275の書評も書いていたりする 世界最強の国と言えばアメリカと誰もが答えるだろう。
そしてももっとも進んだ国友いうだろう。
つまり現実はそう言事。
現実から逆引きすれば強者は弱者を踏みじることも見逃すこともできる。
弱肉強食はマクロ視点で見れば社会の根底に絶対的に存在している。
社会が高度化して日常的には気にしなくなっているだけで基盤は弱肉強食の上にで成立している。 >>300
私に北風と太陽作戦で発言力があれば日本を守ることくらいは
できたのになぁ〜😹
残念(>_<) ハイデガーの存在が、自ら贈与をする充溢した<あり-がたき>存在であるのに対し、
レヴィナスは収容所で、生が剥奪された単なる死が<ある>だけの風景を目の当たりにする。
こうしたことが、ハイデガー存在論への批判の一端となっていた。
その様な歴史的背景は無視できるものではないが、
レヴィナスは自身の専門である解釈学において、神聖で充溢した解釈を説くところがあるし、
レヴィナスはレヴィナスの文脈において、凡庸なものを棄却している。 “聖書解釈のあの神秘的な可能性こそ、そもそも、私にとって超越を意味するものでした。”
― レヴィナス『倫理と無限』 ハイデガーが存在神秘の哲学であるなら、
レヴィナスは解釈学的神秘の哲学。 もっと言えば、ハイデガーの場合は、表だっての神秘主義者ではなかった。
「中世の神秘主義、もっと正確に言うなら神秘主義的神学は、
われわれの考えるような意味で、また悪しき意味で神秘的なのではなく、
まったく卓越した意味で概念的に把握可能なものなのです。」(ハイデガー『現象学の根本問題』) レヴィナスもハイデガーもあの手この手と魅力は有るけれど
言ってることはメチャメチャですものね✨😁 “「ただひとつの聖句から無数の意味が立ち上がる。」(「サンヘドリン」34a)”
― レヴィナス 『困難な自由』 (内田訳) “ユダヤ教は偶像たちを昇華しなかった。ユダヤ教は偶像の破壊を要求した。
科学技術と同じく、ユダヤ教は「自然」を脱魔術化した。
ユダヤ教はその抽象的普遍性ゆえに想像力と情念を傷つける。
けれども、ユダヤ教はその顔の裸形性を通じて、人間を発見したのである。”
― レヴィナス 『困難な自由』 (内田訳) ユダヤ人は、自分たちが信奉していた偶像を、自ら破壊したことが美談になっているのだが、
他者の偶像は破壊されるべきだろうか。 馬鹿が荒らしているけど
神への罪は許されるが人間への罪は許されない
この逆説がわからないならどうしょうもないぞ
一見、絶対神だ、超越だという存在が本当にどうでもいい存在だと
あっさり証明されてしまう
ユダヤ思想の底深さにはレヴィナスも全然相手になっていない
下らないこと書いている馬鹿は反省しろ >>312
レヴィナスが書いたタルムードについての本はいくつか読んでるけど、
キミのお説には、今のところ興味を持てていない。
出典を示してみては?
興味を持てるかは分からないが。 自分が展開したい思想/イデオロギーのために疑似哲学言説を利用しているようにしか見えない 自分の思想/イデオロギーを展開したいなら、それはそれで自由に好きにやればいいと思う。
だけど、あたかもその思想/イデオロギーが哲学から導き出されるような体裁を装うのはいただけない。 >>314
こういう馬鹿は何なんだろ
反省しろ
すぐわかるのに目が見えないのか
また、絶対者の決定不能性の証明の価値がわからないとか
めくらのキチガイは相手にしても意味がない
死ね 絶対神にとってさえ人に怨みを残した罪は許すべきか許さざるべきか
決定不能
ユダヤキリスト教なんかの神学の肝なわけでこの逸話の意味がわからない
奴が何を語っても無意味
ゴミ
これがピンとこない奴がレヴィナスの他者とか隣人を
何をわかるというのか
レヴィナスさえわかっていないというのに
レヴィナスより私の方が頭はいいし 無意味なおしゃべりは収まったかな
タルムード講話も神の決定不能性もまともに理解できない馬鹿は
沈黙して欲しい IQの低い人は人種、宗教、性的指向、性別、思想、障害、職業などあらゆる差別的な発言や行動をすることが判明←お前らじゃん [無断転載禁止]©2ch.net [358530584]
http://hitomi.2ch.net/test/read.cgi/poverty/1493422102/ レヴィナスのタルムード講話は、邦訳だと
困難な自由
タルムード四講話
タルムード新五講話
聖句の彼方
諸国民の時に
に収められている
神への罪は許されるが人への罪は許されないは四講話に載ってる
ここで解説したことの方が整理されてよっぽどわかりやすく
レヴィナスの頭の悪さ爆発だから読みたい奴にしか勧められないが レヴィナスは単純に頭が悪い
馬鹿だけど何が大切かはわかる奴だから、羅針盤としては役に立つ
羅針盤にもならないゴミよりはいい 出典もまともに書けない奴の神学論争とか、何の罰ゲームか… >>322
エマニュエル・レヴィナス 『タルムード四講話』(1987)
「第一講 他者に対して」
“人間が神に対して犯した罪過は大贖罪日に赦される。
人間が他者に対して犯した罪過は、あらかじめ加害者が相手の怒りを鎮めておかない限り、
大贖罪日においても許されない。”(ミシュナー)
この講話は「神」、「他者」、「赦し」といった重要なテーマを扱い、
タルムードの読解にも非常にレヴィナスらしさが出ている。
ドイツ人やハイデガーを赦すか赦さないか、という話もある。 >>319
> 絶対神にとってさえ人に怨みを残した罪は許すべきか許さざるべきか
> 決定不能
まず、この講話の中に「絶対神」という言葉が一度でも出てきただろうか?
レヴィナスは何のために、注意深く、何度も神の名を呼び換えているのか?
例えば、「エロヒーム」を「神」と読むか「裁き人」と読むか、こういうところがこの講話の肝だろ。
キミは自分の思い込みを語っているだけだ。 >>285
> 神にもどうにもならない問題がある
>>290
> だから神、絶対他力でさえ立ち入れない領域がある
>>319
> 絶対神にとってさえ人に怨みを残した罪は許すべきか許さざるべきか決定不能
>>320
> タルムード講話も神の決定不能性もまともに理解できない馬鹿
これは神の能力の問題ではないんだよ。
そもそも、無限である神の権能なんて記述し切ることは出来ない。
だから、人間による解釈や宗教的実際的運用が説かれている。
「マイモニデス以来、ユダヤ教の中で神について語られたことはことごとく人間的実践を経由してはじめて意味を持つ」
キミが理解できたのは、この講話の1/3ぐらいの部分だ。
レヴィナスは、こう続けている。
「話をここで打ち切ることもできます。そうすると(略)こういう結論がでてくるでしょう。
『ユダヤ教は社会的道徳性を儀礼の実行よりも上位に置く』と。しかし話はそれほど簡単ではありません。」
タビ・ヨセフ・バル・ハボは「エロヒーム」を「裁き人」と読む。
「もしも人間が他の人間に対して罪過を犯しても、神は介入しない。人間たちの正邪理非の判定は地上の裁きの場によらねばならない」
これによって、聖書とミシュナーの矛盾が解消される。
人間たちの間に起こるいかなる争いも、永遠の時間を前にして、創造の平衡を乱すものではないと。 >>319
> レヴィナスより私の方が頭はいいし
この点も誤読では? >>306
続き。⭐ポムポムプリン🍮明日も食べます✨ >>284
>>283の如来蔵思想とは、仏性のこと。
「生きとし生けるものの全てが仏になれる能力と可能性を具えている」というもの。
一切無差別、平等の世界。 空海も説明に用いている。
「生きとし生けるものの身中にはみな仏としての本性があり、如来蔵をそなえている。
生きとしい生るものは無上のさとりを得るための能力を持たないものはいない。」(『空海コレクション4』) ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています