「究極」とは何か? [無断転載禁止]©2ch.net
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「究極」ってのは「無」だと思うんだが、どうでしょうか? そう考えてる人々は世界には、たくさんおりましたよ♪⭐🍨 >>3
ナリスマシ発見💀
仏教の「無」も世界で絶賛ですよね😃 >>1
無が有と同時に存在していないなら、それぞれの概念が成立しえない。 究極とはtenderloin
そしてteam7代表、TOUSYの事ですね(^_^;) 究極は、永遠だな、永遠であれば、起こりうる可能性があるものは、その確率がどんなに低くても、いつか全て起こるからな。 西洋哲学では「究極」とは“有”の根源的な様態と捉えられている。
例えば、デカルトのコギト(超越論的主観)は、方法的懐疑によって、自己と外界(客観的存在)との
すべてを疑い「疑っている私は疑えない」という“究極”の自覚に至るが、この場合の“究極”は、「有」の根源としての
“究極”として捉えられている。 例えば石原さ女の子に
ちんちんしごかれながら耳元で
「もう」 問い自体が言語の両義性・多義性に発する矛盾を内包している。
正しい問いを用意しなければ正しい答えは帰ってこない。 >>15
これは良くないね。
もっと気持ち悪い人じゃないと。
田中角栄とか。 罪悪感というものは時間が経ってもどうやっても消えない。
死ぬしかない。 罪悪感を消すには死ぬしかないでしょう。
死が究極。 シニカルな鯛でも召し上がれば、身がしまっててコリコリしておいしいよ
。 とても簡単な嘘みたいに金の生る木を作れる方法
役に立つかもしれません
グーグル検索『金持ちになりたい 鎌野介メソッド』
7T274 >>13
デカルトの「疑っている私は疑えない」という“究極”の私(=超越論的主観)を「有」の根源として捉える、と述べているが、
それでは、「無」の根源としての“究極”の超越論的客観は、どの様に捉えられているのでしょうか。 >>29
他人だが以下は考えるヒントになるか
↓
心ってどこにあるかわかる人いる? [無断転載禁止]©2ch.net
http://lavender.2ch.net/test/read.cgi/philo/1498557626/
48 考える名無しさん sage 2018/03/09(金) 21:39:59.66 0
地球の核は高純度の鉄で超高温超圧力
核周囲は不純物混液状鉄で高温高圧力
マントルは静かに流動する岩石宝石群
海底含む地表は大気もそうだが運動群
人に当てると魂は鉄でしなやかさ必要
血液は液状鉄で健康的な温かさと循環
神経や内臓は静かに動く宝石で骨は岩
筋肉や皮膚は呼吸し運動し代謝が早い
そもそも地球には核が無かったという
宇宙は何故か鉄化を指向しているそう
核無い頃の地球はまだ生きてはいない
人含む生命体は核が出来てからと推測
心とはある種の指向つまり鉄化と無化
再生医療やバイオ技術が進めば人の細胞核等から甦りも可能になるだろうし
地球や宇宙の研究が進めば命の意味も ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています