数学を初めとした理系の学問と哲学について 6
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虚数i
i^0 = 1
i^1 = i
i^2 = -1
i^3 = -i
i^4 = 1
虚数を考えない実数の場合は、-1を掛けることは180°(π)の回転に
相当する。cos0 = 1, cosπ = -1 で、それをイメージ出来る。
虚数の場合は、iを掛ける度にその半分の90°(π/2)だけ回転している
計算になる。 このiの回転のイメージを大事にする。回転は、そこに周期性を伴う現象がある
ことを示している。だから、波、音、電磁波、交流電流、電圧などを
数式で表す時に、虚数が大事になる。これらの複雑な数式も、虚数を使うことで
比較的、簡単に表現できる。sinθ,cosθ,tanθ,などの三角関数も、ある現象に
周期性があることを表す時に使うもの。つまり、波のあるもの。 つまり、この世界は波で出来ているということ。
数学がそれを教えてくれる。 重力波は、ブラックホールなど重い天体が合体した時などに発生する
「時空のさざ波」で、物理学者のアインシュタインが約100年前にその存在を
予言していた。今回、重力波が直接、観測されたことで、今後、ブラックホールの
正体や宇宙誕生の謎の解明につながると期待されている。 ニュートリノ[ neutrino ]
物質を構成する基本粒子である素粒子の1つ。存在が予言されていたが、
1969年に米国の実験で初めて見つかった。通常の物質とほとんど反応せず、
あらゆる物質を通り抜けてしまうため、光や電波と異なり検出が難しい。
太陽などの恒星は大量のニュートリノを常時放出している。特に星が寿命を
終えて大爆発を起こす際には膨大な量を宇宙に放つ。このニュートリノを
とらえれば、星が放つ光や電波などの観測では得られない星の中心の様子や
星の進化などの情報を得られる。小柴昌俊・東京大学名誉教授がニュートリノ
観測実験での功績から、2002年にノーベル賞を受賞した。 2012/2/25
ハイゼンベルク自身を含め物理学者らの多くは、これまで
2つの不確定性原理の区別をきちんとつけてこなかった。
今回の実験で実証された小澤の不等式は、誤差と乱れ、
そしてゆらぎをきちんと区別した上で、かつてハイゼンベルクが
追究した測定の限界を正しく語っている。2003年に提唱され、
これまでは一部の専門家にしか知られていなかったが、
今回実験で実証されたことで、物理学界全体に知れ渡った。
名古屋大学の谷村省吾教授は「誤差・乱れとゆらぎの区別が
明確になったことは、特に実験において意義が大きい」と指摘する。
従来は誤差を小さくするにはゆらぎを小さくするしかないと考え
られていたが、小澤の不等式は「わざとゆらぎの大きな状態を作り、
誤差を小さくするという方法があることを示した」という。
宇宙の背景放射やニュートリノ観測などの精密測定は、いずれ
量子雑音が問題になる領域に近づき、誤差と乱れの限界値が
問題になるだろう。それに最も近いとされているのは重力波検出で、
建設中の重力波望遠鏡「KAGRA」の研究チームは今後、
小澤理論が重力波検出について持つ意味を検討することにしている。 >>9
素粒子物理学者がこの世で1番頭良いんだろうな。揺らぎが大きい方がより自然的に即している気はする。ゼロ点エネルギーが不確定性原理によって存在し、液体Heは固化しないわけだし。 揺らぎと言えば、「表記ゆれ」というのもある。
「サーバー」と「サーバ」、「バイオリン」と「ヴァイオリン」
ピンクノイズのような揺らぎは、自然現象に多いらしい。
目の動き方にも、ゆらぎがある。流し目。 2進法において1は、それ自体、0.1を2つ数えることによって現れる
単位としての半周期となるのだから、それ自体2つという偶数を表し
ながら、1+1=10の半周期、すなわち、10−1=1として奇数を
表している。その一見矛盾しているように見える偶数と奇数の関係を
表すのがπなのではないか。 >>12
このことは、私には数学的にきちんと説明することはできないものの、πの連分数計算から
もイメージすることができる。e^(πi)=−1を、e^(2πi)=1が2進カウンタとなることに
なって、2進法で10が数えられることに対する10−1=1の−1と見ることができること
を指摘したが、これをπの連分数計算の手続きから次のように見ることもできる。
円の4象限にの各象限における円周区分がカウントされるとし、これを2進法で表す
と、各象限において1が数えられ、半周して10であり、1周して100となる。この
場合、普通のオイラーの公式においてe^(πi)=−1と表現される関係における−1
は、2進法で円周長が100となる円の直径なのだから、10がカウントされる半周期
において−(10/π)であり、周期において(10/π)である。πの連分数計算は、
奇数をカウントする分数を計算することによって、どのようにかその振幅、つまり、
100/πを近似することになっているが、逆に半径の10/πを単位の1と見なすこと
によって、円周率としてのπを算出している。まだ考えが混乱していて、誤りが含まれて
いるかもしれないが、そのような方向で考えが整理できるのではないかと思っている。 単位を数えること、無限に数えることができること、奇数を数えることは
どのようにか円と本質的につながっていて、それをきちんと言語で表現する
ことができなければ、連続性や円を本当の意味で理解したことにはならない
のではないかと思う。 要するに哲学と数学は別の学問であり両方修める事もできるし何方か一方を修めた所でもう片方がいつの間にか習得しているなん事はないのでありんす。 >>13
つまり、この見方をして、10進法で表現するなら、連分数によるπの近似計算において
行われているのは、本質的には、円周長を4とする円周上で数えた奇数の分数関係
を計算することによって、その数える単位によって円の直径を近似することであるが、
最終的に円の半径を単位と見なすようにイメージを反転させることによって、4が、
円周ではなく、円周にに辺を接して円を囲む正方形の面積として、πがその正方形に
囲まれた円の面積として現れるようにすることであると考えることができるのではないか。 逆関数は、入力する値と出力される値が逆になる関数のこと。
たとえば、tan(タンジェント)の逆関数であるtan^-1(アークタンジェント)
を考えてみると、tanθ = x が θ = tan^-1(x) となるような関数のこと。
だから、アークタンジェントは、角度θを求める式として使えることが分る。
三角形の辺の長さは分っているけど、角度が分らない時、このタンジェントの
逆関数であるアークタンジェントを使えばいい。
複素平面上だと、x方向の実軸を複素数の実部、y方向の虚軸が複素数の
虚部になるので、それで複素数Zの大きさを三平方の定理で求められる。
そして、複素数 Z = x + iy の 実部と虚部が分っていれば、そのまま
アークタンジェントを使って、複素平面上の偏角が求められる。
波動や季節パターンやなどの周期現象をモデル化するには、三角関数を使用する。
三角関数は、電気工業、デジタル画像処理、X線、熱力学、電気通信のほか、
科学技術のさまざまな分野での高度分析の基礎となる。
※ 三角関数も知らないで、数学や哲学を語らないようにね、とても恥ずかしいから。 三角関数を知らないで数学を語るな、なら分かるが、
哲学はそれとほぼ無関係かな。 波平くん、いい加減にしたまえ
キミは今年でいくつなんだね? ノーベル物理学賞の「重力波」もノーベル化学賞の「高解像の電子顕微鏡」も、
共に、正しく測ることや検出することに、価値を見出されたということだろう。
測定が難しい対象に対しても、それを客観的に評価出来るものにする。
それは、観測者問題を超える試みと言えるのかもしれない。 昔は十分な装置がなくてできなかったDNA鑑定も、
物理、化学の発展によって明らかにされることもあるんだろうな。 現代社会でのニーズから考えて、数学である程度は出来た方がいい単元は、
微積分、統計、確率、関数、線形代数、行列、数列、集合、論理、位相くらいかな、
とりあえず。あと、プログラミング言語が幾つかできれば、一応は、適応している
ということかな。 プランク長より小さいスケールの議論は進んでるのかな? 半径1の円弧の長さは、そのままラジアン [rad]として、その円弧が
作る角度を表せるので、たとえば、円弧の長さπの作る角度
ラジアン [rad]は、そのままπとなる。同様に円弧が2πなら
ラジアン2π、円弧の長さがπ/2なら、ラジアンもπ/2
円弧の長さをL=θrとして、扇の面積を求めるには、
(θ/2π)・πr^2 = 1/2θr^2 = 1/2Lr 例題1 半径 6 ,中心角が120°の扇形の面積は?
円弧の長さL = (2/3)π・6 = 4π
半径r = 6
1/2Lr = (1/2)・4π・6 = 12π
例題2 半径 10 ,中心角が90°の扇形の面積
円弧の長さL = (1/2)π・10 = 5π
半径r = 10
1/2Lr = (1/2)・5π・10 = 25π
扇の面積は中学生でする問題らしいけど、ラジアン表記は教えていない
感じがする。やっている意味は、同じだけど。結局、ラジアンは、
半径1の円を描いたとき、弧の長さが1になるときの中心角を
1ラジアンとしたもののことね。 マイクロソフトは25日、次世代高速コンピューターとされる量子コンピューターの
開発で、外部エンジニアの知見を活用すると発表した。専用のプログラミング言語
を公開し、演算シミュレーションなどに役立ててもらう。人工知能(AI)の
性能向上などにつながる量子コンピューターは米グーグルや米IBMも開発を
急いでおり、競争が激しくなってきた。
サティア・ナデラ最高経営責任者(CEO)がオーランド市内での講演で
明らかにした。仮想現実やAIと並ぶ重要技術に量子コンピューターを位置付け、
12年前から続けている開発に一段と力を入れる考えを示した。
その一環として、量子コンピューター上で動くアルゴリズムを開発するための
「言語」を公開。同言語を使うことで、外部エンジニアもクラウドやパソコン
を使った量子コンピューターの作動シミュレーションに参加できるようにした。
量子コンピューターが実用化すれば、AIの学習速度が格段に上がるなど
「これまで解決できなかった問題が解決できるようになる」(ナデラ氏)。
量子コンピューターは作動の安定など商用化に課題も多いが将来性や期待は大きい。グーグルなどIT(情報技術)大手による開発競争は激しさを増しつつある。 >>27-28
それが三角関数の哲学ですか?
単に数学の教科書かなにかの書き写しに見えるのですが? 量子コンピュータ(のエミュレータ)を自作しとります。
量子状態をネットワークで計算できないか、など趣味で取り組んでいるw
複素数ライブラリとかMatrix計算とかから自作だし。
それには「哲学」が必要だから、哲学問題のふりをしてさらっと哲学スレにしのばせて、
スレを量子コンピュータとして計算してもらっているんです。気づいていないでしょうけどw
非常に/非情にたすかっております。 三角関数は、三角関係の問題などに応用すればよろしいかと。
「計算」というより、「関係」と「概算」であたりをつける程度でいいんです。
あくまでも「関係」と、そこに隠された「世界のパラメタ」がみえてくることで「魔法」が使えるんです。
数学を「数値」だと思うからいけない。「計算」も「推論」だと思えばよろし。 >>28
感じがするってなんだよ
おまえ中学不登校か?高校では数学習ってないのか? 俺の射精するまでの長さはプランク長を越える短さ
時の長さはプランク長などでは測りきれぬ刹那の事よ
人類には俺のレイプは理解できまい 観測不能の処女レイプ48人切り
お前はもう妊娠している >>三角関数は、三角関係の問題などに応用すればよろしいかと。
ギャグにしてもつまんね 波平よ、これ以上恥を晒すのはやめろ
見てるこっちが恥ずかしいぞ サーカムバンクトや六芒星は神聖幾何学の範疇なのかねぇ
そもそも何のために数学を学び研究するのか、そこが最重要ポイントだから なんの為に数学を学ぶのかといえば、実用性以外の部分では、真理を探究するためかな。この宇宙や世界の構造を数学によって抽象化した状態で全体的に把握出来るようにすること。その観点では、数学を学ぶことと、哲学を学ぶことは同じだね。
まあ、最近は、哲学より数学の方がずっと興味深い訳だけど。 あと、頭を使うには数学が一番いいよね。
頭を使うのが嫌いな人たちは、ネットウヨになったり、下らない宗教やスピリチュアリズムに走ったり、メタファーで物事を誤魔化すのみとなる。最も低脳だと、
掲示板を荒らす行為に喜びを見出すようになる。要するに、短絡的な人間に
退化してしまう。
知的な貴族には、数学が必要なんだよね。 数とは何か?
数えるとはどういうことか?
そこから始めないとダメだね。 物事を相対的に考えるのに数学的な形式は必要だけど、数学のイデオロギーは
相対主義的ではないことが多い。 人間がはじめて数を数える必要に迫られたのはどんな状況だろう 確かに
体の構成要素が現在と同様の価値観で認識されていれば
おっぱいを「ひとつ、ふたつ」と数えるのかもしれません
しかし、おっぱい二房ぶんをまとめておっぱいとしていたなら「おっぱいはひとつ」なので数える必要は無くなってしまいます
つまり人が最初からおっぱいを「ひとつ、ふたつ」と数えるかは分からないのです
したがって「おっぱい」が人間にはじめて数を数える必要を迫らせたとは言いにくいでしょう そもそも左右のおっぱいを「おっぱい」という同一のカテゴリーにくくっている時点で高度な抽象化がなされているわけで、左のおっぱいと右のおっぱいというまったく別のものと理解していたら、ひとつふたつと数えるという発想に至らない なるほど考えが甘すぎました
ではもっと単純なきっかけですかね。。。
構成員が平等な集団で生活を営む人間ならば数を数える状況は多そうですが >>メタファーで物事を誤魔化すのみとなる。
哲学全否定 >>47
もしかして今までそれを考えたのを自分が最初だとでも思ってんの? 高尚なことを考える必要はない。数学とはパズルである。
知的ではあるが哲学も高尚でないと考えればなぞなぞに近い。大喜利にも近い。
ほぼ落語である。
落ちが弱いだけだ。 >人間がはじめて数を数える必要に迫られたのはどんな状況だろう
独りになったときだろ。多勢に無勢。ひとひとり。 × 今までそれを考えたのを自分が最初だとでも思ってんの?
○ 今までそれを考えるのが最初だと自分が思ってるの? >>60
自分が最初だと思ってましたって言う告白じゃね? 誰が最初に考えたとか個人崇拝カルトの発想を捨てることができない限り、
哲学史研究とか哲学学はできても、哲学は始まらないよ。 自分で考えるまで哲学は始まらない。
他人に金を払えば自分の家を建ててもらうことはできる。
いくら哲学者に金を払っても、自分で考えなければ
哲学的な思考が自らのものとなることはない。 >>68
来るところを間違えたようですよ。2ちゃんねるにお帰りください。 >>63
0を処女レイプして穴を開けて女にしたのは俺だ。
俺がいなければ0はいつ迄もおぼこ娘の.(ピリオド)のままだった。 ダメだ、もう我慢の限界……
物理学をやってる自分には馬鹿馬鹿しくてこのスレ見てられない。
文系とか高卒の人達には楽しめるかも知れないけど自分は無理。
っつーことで退散しますわ、あとは素人の諸君だけでやってくれや。 学問そのものに哲学は大いに寄与しているのに。残念だ
数学は理系でもなければ文系でもない、それらを超越した存在なのだ >>73
ここで連投してる奴は文系でもバカの部類だろw >>80
そのボクは駄目な人間ですアピールやめてもらえませんか 数学についての話題から、どんどん離れていくねえ。
e^(iθ) = cosθ + isinθ.
このオイラーの公式を使って、なんか出来る人ここにいないの?
オイラーの公式は複素解析をはじめとする純粋数学の様々な分野や
電気工学・物理学などで現れる微分方程式の解析において重要な役割を演じる。
物理学者のリチャード・ファインマンはこの公式を評して「我々の至宝」かつ
「すべての数学のなかでもっとも素晴らしい公式だ」と述べている。 e^(iθ)は、リングが1つしかない2進カウンターだと考えればいい。
e^(iθ)=-1の「−1」は、10-1=1として奇数を表し、
e^(iθ)=1の「1」は、10としてカウントされた偶数を表している。 じゃあ、簡単な問題で、オイラーの公式を使って、直交座標表示で書いた
以下の複素数を極座標表示に書き換えてみて。これ出来る人、この板に
何人いるのか知りたい。哲板の数学の基礎学力をチェックしてみよう。
1) 4 + 4i
2) √3 + i
3) 5 - 5√3i 数学について哲学としてではなくて、数学の話がしたいだけなら、数学板に行った方がいいよ。 >>73
数学板で相手にされないからって哲板来てどうすんの?w
哲学の事何もしゃべれんのにそりゃ無理だわな。
君には。
どっちかまともにしゃべるようになってから来たらどうなのの? 複素数の直交座標表現は、x+yi の形で書ける。
x = rcosθ, y= rsinθ
複素数の極座標表現は、 re^θi の形で書ける。
rは動径で、r=√(x^2+y^2)
θ = tan^-1(y/x)
>>85
全部解くとコピペする人がいるだろうから一問目だけ
とりあえず、出来る人がいて良かった。(*'ω'*)
>>90の人、わざわざ座標まで丁寧に描いてくれて、ご苦労様。
それで、ご名答です。じゃあ、>>85の問題の答え。
1) 4 + 4i = √(4^2+4^2)e^itan^-1(4/4)
= √(16+16)e^itan-1
= √(2 × 16)e^i(π/4)
= 4√2e^i(π/4)
= 4√2∠(π/4)
2) √3 + i = √(√3^2+1^2)e^itan^-1(1/√3)
= √(3+1)e^(π/6)
= 2∠(π/6)
3) 5 - 5√3i = √(5^2+(5√3)^2)e^itan^-1(-5√3/5)
= √(25+25×3)e^itan^-1(-√3)
= 10e^-i(π/3)
= 10∠(-π/3)
ここには7日前に来ました
物理学を学ぶ学生です
哲学の授業を履修し科学の本質の一端を学びました
そこで哲学に興味を持った次第です 93
そうなんだ。物理学で、哲学とリンク出来そうな概念はいろいろとありそうだけど、
非線形科学で、物理学者の蔵元由紀の「蔵元モデル」の概念などは、この複雑な
ネットワーク社会によくある同期現象を記述出来るものとして、使えそうな感じが
する。また、反応拡散系のような数理モデルを使って、物質の化学反応を示せるように、お互いに影響を受ける人々の行動パターンや心理の転移現象も、そんな感じで
記述出来そう。
車の渋滞を整流化して、その解消を目指す西成活裕の「渋滞学」は、待ち行列理論から得られたアイディアだったと思うけど、渋滞をセルオートマトンモデルで表すのもそうだけど、現象を数学的に記述することで、人間の直観では不可視であるものを
抽象的に可視化して問題解決へとつなげる試みだと言えるだろうね。 数量的に捉えられている現象を数量的に処理して示すのは、計算科学ではあっても、
哲学ではないな。 数量的に捉えられた対象や現象から、それを上手く説明出来る数学モデルを構築
し、そこから対象を処理していく手続きや意味を考察していけば、それは当然、
哲学になるだろう。それは、科学哲学と同様の観点で考えておけばいい。
哲学的な考察の対象にならないものなんて、この世界にありません。
哲学を一定の枠に区切るのは、あまりに知的狭量な態度、もしくは無知と言えるだろう。 >>97
それって物理学とかそのものじゃないのか?
少なくとも今の学問は区切って専門家している時代だ。
最早哲学王とか全ての学問を修めた人間とかを求めていないし現実的じゃないからな。
考察するのは大いに結構だが目的も定めずに闇雲にやるのは君のような愚か者のする事だよ。 >>98
理系コンプレックスがひどいからなんとか哲学でマウントとりたくて仕方ないんだよ
察してやれ オイラーの公式なんてクソ有名なのでドヤれるヤツのおつむのレベル どうして人は世界を意味付けるのに自然を持ち出すのか
大昔においてはトーテミズムという形をとり
近現代においては自然科学や弱肉強食等の「自然」の摂理が持ち出される
精緻さは違えどやってることはほぼ同じ https://twitter.com/hashtag/%E4%BB%8A%E6%97%A5%E3%81%AE%E3%81%BE%E3%83%BC%E3%81%8F%E3%82%93?src=hash
https://pbs.twimg.com/media/DIc97pSW0AAgGnp.jpg
AとBが違う色に見えるのは、目の錯覚であり、実は同じ色だと結論づけるのが
数量化の発想。哲学では、AとBが数量化において同一であるのであれば、
それが同じ違う色に見えることは、「〜として見えることは、既に判断である」
ことを示していると考える。AとBが違う色に見えるのが錯覚だとするなら、
画像ピクセルのパターンが動物に見えてしまうのも錯覚だとしなければならない。
言語とはそのような錯覚の意図的で、相互的な利用であり、そのことは、人が
アニメーションを見て、その場面に何が起きているのかを理解することができる
ことに現れている。このような錯覚を、相互的にではなく、一方的に利用して
いるのが、動物の擬態であり、人の言語は擬態の進化形態であると考えること
もできる。 >>97
>そこから対象を処理していく手続きや意味を考察していけば、それは当然、哲学になるだろう。
意味を考察していけば哲学になる。数量化された対象の操作の技法だけを追求していれば、
専門技術にはなるが、哲学にはならない。 >>101
じゃあ、君は何を持ち出すの?
そういう気楽はコメントは、ただの無意味な感想。 >>104
何を持ち出すかとかそういういかに世界を意味付けするべきなのかという話ではなくて
意味付けという恣意的なものそして自然からの過剰としての文化を自然の名の下に正当化しようとするつまり私達は自然に適っているのだと主張すること
古今東西変わらずそうであることに興味わかない?
世界の恣意性を主張するポスト構造主義が自然科学を濫用した理由がそこにあるような気がしない? 自然が人間の感覚の「自然」にあわせてくれる義理はない ところが概ね自然は自然なのです。不自然に感じることがあって初めて、
その現象を解明する必要が生じる。でも、解明されてしまえば、やはり
それも自然であったことが分る。なぜなら、それが自然に感じられなけ
れば、その現象はまだ解明されているとは言えないから。でも、解明
できた時点で、その不自然に感じられた現象の仕組みが分り、その
不自然に感じられる現象を意図的に再現することができるようになる。
それを人為と呼ぼうと、人工と呼ぼうと、その現象はやはり自然でもある。 ポエムを書いているのではない。
哲学の思索の歩みが、結果として詩の試作となるのだ。 数学を絡めた哲学というか宇宙論でまともなの今の所一つぐらいし
か見たことない。お前らには教えないけどとあるブログを書いている
人は本当に真理に到達してた。 本当に才能ある奴はこんな所で作品を書き込まないだろ
不完全な物を表には出そうとしない。中途半端なものをここに書きに
くる時点で薄っぺらい奴だと分かる。
いったい何のための数学か、これこそが最重要な問題であり哲学でもある 科学的に変わらないものの世界がないと
今日は1+1=2
明日は1+1=3
明後日は1+1=6
の世界だと霊界であるからである 今日も明日も変わらない数字がある
それこそが数学というものの精神運動である 人間のための数学であり哲学だ。卑猥な言語は宇宙的であり非人間的
である。 いやらしいアワビのプリプリ感の神秘性を表す言葉が
他にないのさ 人間の宇宙論は卑猥な言葉で綴られており、例外は真に人間的な人間
が宇宙次元に達した時にのみ卑猥な言語と一体になれる 宇宙の原子 すなわち言霊
卑猥後のみここに到達出来る これはいわゆる「お笑い」を極めた者が宇宙的感性を有する事と
よく似ている。卑猥な言語が話者とは独立して宇宙次元に到達してもなお
真に人間的な者がその領域に到達できるのだ。卑猥な言語を話す者はお下劣な
ままである。 お下劣なパッパラパーはお下劣な状態で低空飛行していればいいのだ 真に人間的ない者が脱落しているのにも関わらず敗北してしまう理由とは?
見えない精神性による内部球体分裂の違いか? JavaScript Charts and Maps | amCharts
https://www.amcharts.com/products/
https://www.amcharts.com/demos/
数学は、対象や対象間にある関係をグラフ化して可視化する。 グラフ理論だと、10個の頂点と15個の辺からなる無向グラフである
ピーターセングラフなどがあるね。
こういうグラフの場合は、その見た目がいくら違った感じに映っても、
その辺と頂点の隣接や接続状態が全く同じであれば、それらのグラフ
は同型であるとみなされる。
グラフをGの頂点をPとすれば、Pに接続する辺の数をPの次数と言って、
d(P)で表せる。ループしている頂点は2辺として数える。
点Pから出ている辺の数が点Pの次数となる。
d(P) = 0である点Pは、孤立点
d(P) = 1である点Pは、端点
d(P) = 偶数 である点は偶頂点
d(P) = 奇数 である点は奇頂点 生きとし生けるものは幸福を求めている。
その生き物を傷つけるなら、
幸福を求めていても、
その人は、死後に幸福を獲得出来ない。
生きとし生けるものは幸福を求めている。
その生き物を傷つけず、
幸福を求めるなら、
その人は、死後に幸福を獲得出来る。
ゴ―タマ・シッタルータ
ブッタ 👀 👀
Rock54: Caution(BBR-MD5:0be15ced7fbdb9fdb4d0ce1929c1b82f) 世の中に存在するもので、孤立点であるようなモノは稀で、すべては
なんらかのネットワークの中でつながりあっていると思う。
たとえば、哲学が哲学単一で成立しているような考え方は、グラフで
可視化すると孤立点として捉えているということだろう。
哲学は、そんなに孤立した状態で成立できるものではないんだけどね。 結局人を傷つけるって
自分を傷つけてると同じだからね >>129にあるPixel Map Generatorを使ってみると、
世界の地理が簡単な点の集まりとして抽象的に表現できることが分る。
つまり、抽象度を上げていけば、この世界や宇宙は数学化して捉えることが
できることが分る。
人が争い傷つけるのは、抽象度が低い所で生きているから。抽象度を上げれば
自他の区別はなくなって共に点のような存在になるから、争いが生じる
原因がなくなってしまう。白人と黒人の差はない。ともに数学的には点の
集まりだから。 >>135 数学で人為的に抽象度を上げただけでなんでそこまで
断言できるんだ?具体的な話になって申し訳ないが人類の抽象的思考は
向上しているのになんで未だに隠れた差別があるのか? いや、人類の抽象的思考や抽象度は全然上がっていないだろう。
トランプ大統領が抽象度が高い政治家?世界の右傾化は抽象化が高い?
抽象度の高いのは科学者や数学者、一部の人間であって、
人類全体の抽象度は依然として、低いままだろうね。
地を這って土着的に生きているので、この宇宙や世界の抽象的な構造に気づけない。
だから彼らに必要なのは、数学でなくて呪術なんだよ。 >>138 確かにそういう問題もあるけど平均的に見れば昔よりは上がっていると思う。
例えば動物に対する扱いとかは今のほうが格段に抽象的優しさになっている。
昔なんて動物は畜生扱いで老人とかでたまにいるけど物扱いだから。それに比べたら
今はペットなんて至れり尽くせり人間よりも大切にされているし、これ以外にも抽象的思考が
上がった例はいくらでもあるよ。 コルモゴロフ複雑性とは、計算機科学において有限長のデータ列の複雑さを表す
指標のひとつで、出力結果がそのデータに一致するプログラムの長さの最小値
として定義される。コルモゴロフ複雑度、コルモゴロフ=チャイティン複雑性
とも呼ばれる。
コルモゴロフ複雑性の概念は一見すると単純なものであるが、チューリングの
停止問題やゲーデルの不完全性定理と関連する深遠な内容をもつ。
コルモゴロフ複雑性やその他の文字列やデータ構造の複雑性の計量を研究する
計算機科学の分野はアルゴリズム情報理論と呼ばれており、
1960 年代末にアンドレイ・コルモゴロフ、レイ・ソロモノフ、
グレゴリー・チャイティンによって創始された。 厳密には、ある有限長の文字列 x として表されるデータ列の
ある万能計算機 u におけるコルモゴロフ複雑性は以下の式で定義される
K_u(x) = min[p:u(p)=x] l(p)
ここで、p は計算機 u のためのプログラムであり、u(p) は
それを実行したときに出力される文字列である。l(p) は
プログラムの長さを表す。ただし、プログラムは入力をもたず、
常に決まった出力を返すようなものとする。 ここで万能計算機とは
万能チューリングマシンと同等の能力をもつ計算機を意味し、
例えば C など通常のプログラム言語を解釈し実行するような
処理系だと考えてよい。 直観的な例 :
ある文字列が別の文字列よりも複雑であると言うためには
どうすればよいかという問題を考えよう。 例えば、
同じ 60 文字の長さの 0, 1 からなる以下の 2 種類の
文字列が与えられたとする。
a : 010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101
b : 110010000110000111011110111011001111101001000010010101111001 これらを見比べると、直観的に前者の文字列aはより簡単であって、
後者のb方はより複雑であると感じる。 この直観を明確にする
ひとつの方法として、文字列を言語で説明することを考えよう。
このとき前者aは「01 の 30 回の繰り返し」と 11 文字で説明できる。
それに対して、後者はそのような簡単な説明が与えられそうもなく、
説明するには文字列そのものを含めて 60 文字以上で記す他はないように思える。
この例のように言語による記述によって短くできる文字列がある一方で、
圧縮できないような文字列も存在しており、文字列の説明の長さは
文字列そのものの複雑さと関係していると考えられる。
このことをより形式的に取り扱うためにアルゴリズムという概念を用いて
定式化されたものが「コルモゴロフ複雑性」である。 コルモゴロフ複雑性を定めるためには、文字列に対する形式的な記述言語
をまず指定しなければならない。 このような記述言語としては何かの
具体的なプログラミング言語を選べばよい。 あるプログラム言語 L を
固定したとき、 L のプログラム p が有限長の文字列 x を出力するなら、
p は x の「記述」であるということにする。
このとき特に p として x 自身を明示的に含むような自明な記述がある。
例えば、上記の前者aの文字列を標準出力に出力する Perl プログラムは、
print "010101010101010101010101010101010101010101010101010101010101"
のようになるだろう。 このようなプログラムの長さは明らかに x の長さよりもある定数分だけ長くなる。
しかし文字列に何かの構造が発見できれば、適切なアルゴリズムを用いることに
よってより短いプログラムを作れるかもしれない。 例えば次のPerlプログラムは
上と同じ文字列を出力する。
print "01" x 30
このように記述言語 L における文字列 x のあらゆる記述のうちで
最小の長さをもつ記述が見出せたとするなら、その長さが L における
x のコルモゴロフ複雑性となる。 つまり、数学やアルゴリズムは現象や対象の中にある構造を抽象化していき、
かつ、それを簡潔に最短で記す記法であると言えるだろう。 逆だろう
数学やアルゴリズムは最初から構造を定めている >>150
で、その構造って、どこから出てくるの w
言ってみただけ? >>153
それは説明になってないよ。
まるでオナニーアスペのウィトゲンシュタインの回答みたい。 「規約によって定めた」だけでは、「それはそうなってる」と言ってるのと同じ。 >>154
そうかね
公理系とはそういうものだろう 規約によって構造が定まる
演繹とはそういうものだろう 自分はオナニーアスペではないとでも言いたいようだな そもそも公理からどのような諸定理が導かれるかが
最初から分かるわけではない
しかし後から見れば、それはそうなっている ヒルベルトのように公理主義を強く打ち出した人もいるけど、、直観主義とか論理主義とか、いろんな立場あるからねえ、数学の歴史は。 直観主義や論理主義と対比するなら、ヒルベルトは公理主義というよりは形式主義 直観主義や論理主義が公理主義を包摂できるわけではない
そもそも直観主義も論理主義も規約によって成り立つ
直観主義が公理主義と違うのは
神学的真理の存在の拒否すなわち排中律の拒否
それぐらいのことだ ゲーデルは数学的実在論者だね。
実際、数学者は実在論者が多いらしいよ。 直観主義も論理主義も数学屋は公理主義の元で展開してるんで
最初のアイデアは違うとしてもね たとえば、宇宙人がいるとして、三角形の概念とか、証明問題を理解出来たら、それらは客観的に実在するものだろう。
ただの規約だったら、人間の間だけで通用するはなしだから。
といわけで、実際、NASAが飛ばした宇宙船に数学問題かなんかを図形化したものをカプセルに入れてあるという話聞いたことある ww
宇宙の知的生物の存在を調べるのに、特殊な電波をサーチしてろいうのも、同じ発想。
自然には存在しえないパターンの信号ね。それが人間にも理解できるというのが不思議。 IQの関係でいえば、宇宙人 >> 人類 なのだから、宇宙人にとって数学は容易いものだろう。
それに人間だって、もともと宇宙人が猿に己の遺伝子を注入して出来たものという観点も
あるのだから、宇宙人は人間が出来る程度のことなら全て容易にこなせることだろう。
AIというのも、宇宙人が人類制覇をいよいよ実行に移す試みだと考えれば、
それもまた興味深い現象に見えるよ。 >>169
容易いとか、難しいとか、そういう問題じゃないの。
全く無関係な生物種が、「規約」なんかで同じ概念を持てるはずがないというお話。 つまり全く由来を異にする存在が問題を共有できるとすれば、その問題は客観的に実在すると考えるしかないという話。 もちろん、宇宙人が「数学に基づかないで」宇宙船を飛ばしたり、科学技術を発達させたりしたなら、それはそれで大変興味深い話だが。 うーん、別に由来を異にしていても、また、問題の体系が異なる種や存在形態に
よって全く違っていても、その規約や問題はある程度は共有可能だと思うよ。
ただしその条件は、IQが高い存在者が、己よりIQの低い存在者の行為を分析・理解
することはできても、その逆はないということかな。
つまり、宇宙人は人間と異なる数学や物理学、学的体系を持っていても、
人間のレベルにまで降りてきて、それらを理解することは出来るだろうと。
だから、別に規約を共有していなくても、理解することは出来るんじゃない。
蟻が人間の存在や規約は全く理解出来なくても、人間は蟻の生態を研究出来るのと同じ。 >>173
>>だから、別に規約を共有していなくても、理解することは出来るんじゃない。
だから、もともと規約なしで問題は存在してたんだよ。 生態の外部観察と、概念の理解・共有はちょっと違うような気もするけど。 高い知性が規約抜きで問題を理解し、解けるとしたら、そもそもその問題(の構造)は規約なしに存在できるということにならないか。 そして、「そもそもその問題(の構造)は規約なしに存在できる」という立場が、数学的実在論なんだろう。 そんな風に飛躍することなく、宇宙人は、より抽象度の高い高度な規約やコードに
従っている、と解釈すればいいだろう。規約が高度化されれば、
そこから照射される問題の位相やレイヤーが変わることは、ある程度は自明なんじゃない それって、無限後退してしまうか、行き止まりで実在論になるか、どちらかだよ。 つまり、従っているコードが違うだけ、と仮定すればいいんだよ。
今の人間が信じている数学や物理学の既存のコードや規約がある。
この広大な無限大宇宙で、人間のコードとは違う宇宙人や他の知的生命体の
コードがあっても、別に違和感ないでしょ。その宇宙で整合的ある知的体系
になっていればいいだけの話だからね。
人間中心主義で考えてしまうから、思考がフリーズして人間化・擬人化されて
しまうんだよ。 無限後退してしまうと、より抽象度の高い高度な規約やコードが続くことになって、本当にそれが規約なのか結局、決定できない。 別に宇宙人や火星人でなくても、神でも天使でも悪魔でも霊でもいいよね。
それぞれの存在形態の宇宙の中で整合していればいいだけの話。
だから、たとえば人間の規約やコードで神を定義すれば、矛盾するだろう。
だから、ゲーデルはその点で、少し足りなかったのだろう。 でも、お互い整合するってこと自体が、結構すごいことだよ。
多分、「規約」じゃ無理。 たとえば、ファンタジー小説やゲームがあるじゃない。そこで生起している事象が
人間世界の物理法則や規約と違っていても、それを仮想的にファンタジーとして
楽しめるでしょ。なぜ、ファンタジーで非現実なのに、それを楽しめるかと言えば、
その想像世界の内部では、それらが整合的であるからだろう。その宇宙で使われている
関数があって、それらは整合的に機能している、ということだよ。 世界中に神話が存在するのは神のような宇宙人存在する可能性が高い。
世界中の支配層はそれを秘密裏に知っているが、愚民には教えない
古代中国 >>136
差別は、区別と蔑視の組み合わせ。
蔑視は、存在に優劣を求める時に現れる。
自分を定義して、生き続ける為に区別は行なわれる。
その為には、それぞれの能力の優劣を判断する必要がある。
しかし、どうあっても納得出来ない現象に囚われた時、
人は、人自身に優劣を求める。
つまり、蔑視が伴う。
わたしがレスして以来、議論が活発になっているようだね? 結局、数学における存在の問題は、(1を)数えるとはどういうことか、
等しいとはどういうことかという問いに帰結するんだよ。 数える・等しいということは「関係」の問題であり、
本質とはすべて関係の側であらわされるものであって、直接扱えるものではない。
現在の数学・そして科学はこのように本質を扱っていると考えられます。 そして、関係してしまうということは本質をそこねてしまう可能性があるので、
関係から本質を推測するしかありません。
本質をいかにして推測するか。あるいは関係の側だけに本質というものを求めるか。
そういうことですね。 「本質」などという表現を使うから不要な混乱が生じるんだよ。
「質」は関係においてしか現れてこないのだから、「本質」が
あるとするなら、その本質が現れる関係も「本関係」と呼ばれ
なければならないことになる。 本来性が関係的であることは、関係が本質であることを意味するわけではない。 結局は論理学なのだよ
この形式的体系は普遍的だと思うね
数学をもっと深く学ぶべきなのだよ、そうすれば本質が見えてくるやも知れん というより、三角関数も出来ないで数学の本質が分かる訳ないからね。
基礎学力がない人は、本質に迫れる訳もなく、妄想を真理だと誤解する。 大貫の群論は素粒子論の基礎原理であり、これを基礎とした理論は大統一理論に
まで及んでいる。益川と小林のノーベル賞も、大貫の与えた課題を大貫の群論を
基礎にして得たもの。大貫の生み出した素粒子を群で解明する方法に従い、
素粒子論は形成されてきた。1965-1966年ノーベル賞候補。 少なくとも人間にとって、概念の通用する範囲の広さは真理の近さと等価だ ノーベル賞の受賞が基準なら、平和の本質に最も迫った日本人は佐藤栄作ですね 真理への近さは、概念そのものをどれだけ深く知っているかには依らない。
キリスト教、学問、社会主義、などなど
この人間界には様々な概念が溢れている。
真理かもしれないと思う概念は、その概念が(良い意味でも悪い意味でも)人間社会にどれだけ通用するかに依って決まる オイラーの等式 : e^iπ + 1 = 0
この等式が美しいと言われている理由は、
この等式にネイピア数e,虚数i,円周率πと3つの無理数が
使われているにもかかわらず、右辺が0になるような式
になっているからだね。 ネイピア数eは、lim[n→∞] (1+(1/n))^n で表すことが出来る。
ネイピア数eを級数で表す場合には、
e = Σ[k=0〜∞] 1/k!
となる。これなんか一瞬、無限大に発散していきそうな予感がするけど、
e = 2.71828 18284 59045 23536 02874 71352 …
に収束する。直観的なイメージと実際の演算が異なることが数学では
よくある。だから、数学がいるとも言えるかな。直観だけで済むので
あれば、数学はいらないかもしれないから… しかし、それを数学板でやらないのは
要はより詳しい人に突っ込まれたくないからでそ? 俺バスケ得意なんだぜ〜っていって卓球部に入り浸ってたら
やっぱこいつ下手なんじゃね?って思うでしょ普通
数学マンセーを連呼するのに何故哲学板に入り浸るのやらw
そもそも数学を、理系の学問と考えること自体が間違いなのだよ オイラーの公式なんて有名すぎて何をいまさらレベルだからな
哲学板なら感心してもらえると妄想したんだろう 三角関数の本質は、数えることとπの関係を直線の幾何として捉えることにあるのでしょうか? オイラーの公式 : e^iθ = cosθ + isinθを証明する場合は、
マクローリン展開をするのだけど、その前に、
テイラー展開が分っているといいので、それを先に述べよう。
テイラー展開は、関数f(x)がaを含む区間Iにおいて何回も微分可能とした時
区間Iにおいてn→∞ であれば、以下のようにベキ級数展開されるもののこと。
f(x) = f(a) + (f'(a)/1!)(x-a) + (f''(a)/2!)(x-a)^2 + …
+ (f('n回微分n→∞)(a)/n!)(x-a)^n + …
としたものが、テイラー展開。この式にある(a)を(0)にしたものが、
マクローリン展開。 sinxとcosxをマクローリン展開すると、以下のようになる。
sinx = x - (x^3/3!) + (x^5/5!) - (x^7/7!) … + {(-1)^m/(2m+1)!}x^(2m+1) + …
cosx = 1 - (x^2/2!) + (x^4/4!) - (x^6/6!) … + {(-1)^m/(2m)!}x^(2m) + …
このイメージは、たとえば、sinxを1回微分するとcosx、2回微分すると-sinx
3回微分すると-cosx、4回微分するとsinx と最初に戻る感じで、値に直すと、
f(x)=sinxの x=0 での導関数の値は、f(0)=0からスタートするので、
0,1,0,−1,0,1,0,−1,……を繰り返していく状態。
f(x)=cosxの x=0 での導関数の値は、f(0)=1からスタートするので、
1回微分すると-sinx,2回微分すると-cosx,3回微分するとsinx,4回微分すると
cosx と、やはりこちらも、4回微分すると、最初に戻る。
値で言うと、1,0,−1,0, 1,0,−1,0,…と繰り返していく。 こういった感じで、無限回微分できる関数は、級数の和として展開できる。
e^iθ の中には、今、マクローリン展開したsinx とcosxが全部入っている
ので、e^iθ = cosθ + isinθ となる。
sinxのマクローリン展開は奇数のべき乗と階乗になっていて、
cosxのマクローリン展開は、偶数のべき乗と階乗になっていることが
ポイントかな。 しかし、ボクはそれを数学板で披露する勇気がなかった
数学に詳しい住人に突っ込まれるのを恐れたからである sinxとcosxが、両方とも4回微分すると最初(の値)に戻るということは、1回微分するごとに、
90°= π/2 だけ動いているのが分るね。だから、4回微分すると2π分動くので、
ちょうど、円を一周した感じになる。
三角関数くらい分らないと、この説明さえも理解出来なくて困ると思うので、
数学を考察(哲学)したいなら、せめて三角関数と微積分くらいは出来るようになろう。 哲学板なら大丈夫だろう
ボクの方が数学に詳しい筈だ
何故なら本当に数学が好きで得意な人はまともな精神状態ならば
数学板に行って専門的な議論をするからである >>204
プラグマティズム?
俺も最近はその立場に近い
真理か否かは確実だとされるものとの近さで測られてきたと思っている
イデアとか神とか理性とか過去の偉人とかとの近さ
科学の成果が借用されるのも科学が確かだとされているからに過ぎない素朴実在論的に
やってることはどれも同じで人が考えたことを人の考えや営みで説明し正当化するというある種のトートロジーで永遠に真理には近付けない
どちらにしろそれらは基礎付けへの強い衝動であって不確実性に対する不安に過ぎない
不確実性を踏まえていかに生きるのかいかに社会を形成するのかここが問題だと以前は思っていたけど
人はそこまで賢くなかったし強くもなかった
今では
不確実なものの中でも最も暴力性が弱く最も広くそして最も強く受け入れられるものはどのようなもの(道徳)か
それを確実なものと錯覚させ社会により広くより強く通用させることが重要なんだと思い始めた
誤解を恐れずに言うと儒学的な社会を志向していることになるかもしれない >>216
考察と哲学は全く同じものですか?
全く同じならその理由を違うならどこが違うのか挙げて下さい >>219
いまどき、そういう素朴社会構成主義論者がいるとは。 また日本語がおかしいな
素朴社会構成主義論者・・・ 大学は当面安泰だろうなあと思った
独学だと「いま」がわからないからなあ
こんなところで>>219みたいなことを書き込んでいる時点で察してあげて「いま」を教えてあげるべき 哲学がド素人でも数学できれば勝手に居座って良いという
マナーの悪い観念がどこで生まれるかだな 素朴社会構成主義論者
やっぱそんな言葉は無いな
一応、検索したが
波平の造語か 素朴社会構成主義論者
まあ、言いたいことは分かる。
「ワードとピクセル」みたいなもんだろ?
「ワードとピクセル」でも大体、ああ、これが言いたかったんだろうな〜っていうのはわかるわ。 ただ、哲学に関してモノを知らないな〜ってはそういうので分かるな。
米英哲学とか
素朴社会構成主義論者
ワードとピクセル
まあ、テキトーに言ってるなって感じ。 しかし、モノを知らなくても数学できれば
全部免除される、という根拠なき自信で喋るからな。 > 255 : 第三の波平 ◆JXLBbnYqTY : 2011/10/03(月) 19:40:14.99 0
> 武士の精神性である。強固なしゅしゅうかんこいや、義理人情もパフェー満背からは逃れられない。
> それは江戸時代にさらに形式化されたときがひどい。もはやぱへぁーマンスは慣習かして逃れられなくなる。
> 殉死、腹きりしないほうがひさんとなる。
これも何が言いたいのかは分かるが、感想としては馬鹿だろ?
素朴社会構成主義論者ってのも言いたかったことはわかるがやっぱ馬鹿だろ それでも数学できれば全て免除されるだろうと思ってこいつも喋ってるからな 数量化することは、どのようにか等しいことを数えている、または測っている
のだから、そのどのように等しいのかを言語化することを疎かにすると、
数量的な操作の記述が意味不明になるんだよ。リンゴ1個、自転車1台、
ネズミ1匹、薔薇の花束が1束で合計4つというようなナンセンスになる。 それを哲学板という板違いで堂々と数式を書き連ねる荒らしのお前が言うことに
ナンセンスを感じないのかね? バスケが如何に素晴らしいかという内容も
卓球部に入り浸りながら語ればナンセンスにしかならんぞ 数式を書き連ねているのは私ではないな。異なるものを等しいものと
取り違えると記述がナンセンスになる実例ですね。 しかし、数学板でやると詳しい人に突っ込まれるから
意地でも数学板ではやらないんだろうな >>222
どういう哲学がいまどきなのかを愚かな僕に教えてください 数学が絶対に正しいという根拠無き自信から始まってるからな〜
しかも数式を書いてるのに計算と数学は違うとか言ってるしな
いやいや、計算してるやんとか思うけど いやいや、それ以前に素朴社会構成主義論者なんて言葉が無いだろ >>222はあんまり哲学に関して知らずに喋ってるな 素朴社会構成主義論者ってのがまたな
パロール+エクリチュール=パロリチュール
みたいだな 数学が哲学にとって必要ってのは、
バスケも卓球も球技だからバスケ部の俺を尊敬しろよ卓球部
ってくらい詭弁なんだけどね e^((i/73361698777663417823509011957888573950952305745241626687452984196759740688178926126151382145)*(230472573934774707842404216444096156856954356127677523896716863794721544322478959628646350848))≒-1 じゃあ、得意な数学板でやったら?って言っても行かないんだよな
そこがかなり怪しい
どうもそのへんが波平臭い まあ、なんか数式を書いて真理に迫ってるつもりなんだろうな〜とは思うが リーマン予想でも証明すればまだ面白いがな
逆にそのレベルは無理なんだろうね e^(((2^14)*19*167*932963i)/(3*5*7*11*13*17*457*132347)))≒-1 e^(4/(1+1/(3+4/(5+9/(7+16/(9+25/(11+36/(13+49/(15+64/(17+81/(19+100/(21+121/(23+144/(25+169/(27+196/(29+225/(31+256/(33+289/35)))))))))))))))))i)≒-1 三角関数の数式を書き連ねていたのは私ではないが、数式の話が出たので、
ちょっと試してみた。教えてもらったサイトだと、こんな式でもきちんと計算して
くれるんだな。オイラーの公式もこんなふうに書き換えてみると、いかにも数えて
いる感が出るね。 如何に数学ができても板違いもわからんようなら終わりだぞw そもそも大前提として哲学=数学じゃないしな
仮にそうならワイルズが哲学者と認められている筈だろ ワイルズが哲学者じゃないといことに異論が出ないということは
世界的に数学=哲学ではないことをマトモな人は認知しているということ
つまり、青字みたいなのは世界的に見てキチガイの一種ってことだな ワイルズ本人が私は哲学者ですとか言ってるならまだしも、
トップクラスの数学者ですらそんなこと言ってないのに
青字というキチガイだけが数学=哲学等と叫びまわってる状態だしな しかも、数学が哲学にとって必要ってのは、
バスケも卓球も球技だからバスケ部の俺を尊敬しろよ卓球部
ってくらい詭弁だしな こういう風にまず数学以前に文章レベルで言ってることに
無茶苦茶詭弁が見られる
これじゃあ数学を使っても詭弁の上に数学を都合よく適用させたものにしかならんだろ (-1)^(1/(π((-1)^(1/2))))=e 素朴社会構成主義論者を過去の遺物としたいまどきの哲学って何なの? >>225
数学も素人にうぶ毛が生えたレベルだけどな ほら来た
波平の存在しない用語シリーズ
その調子でパロリチュールも存在したかのように言うのかね 、z=ニ三三ニヽ、
,,{{彡ニ三ニ三ニミヽ
}仆ソ'`´''ーー'''""`ヾミi
/  ̄`Y  ̄ ヽ lミ{ ニ == 二 lミ|
/ / ヽ {ミ| , =、、 ,.=-、 ljハ
,i / // / i i l ヽ {t! ィ・= r・=, !3l いつまでこのキャラ続けるんだ?
| // / l | | | | ト、 | `!、 , イ_ _ヘ l‐'
| || i/ ノ ヽ、 | | Y {.┬=、__` j ハ ̄"''─-、
(S|| | (●) (●) | ,. -‐ へ、`ニ´ .イ / / ,, -‐‐ヽ
| || | .ノ )| /、 |l`ー‐´ / / -‐ {
| || |ヽ、_ 〜'_/| | / l l |/__|// /  ̄ /
____ / | / l l l/ |/ / /
(_ ) ・ ・ || ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ 要するにペレルマンには到底及ばないゴミが書いてるの? 最終結論は、数学も出来ない程度の低知能には、哲学は出来ない、
でいいでしょ? 思考の精密さには、数字を適切に扱うことや数学的能力が必要だろう。
カントの散歩の時間に合わせて、街の人々が時計の時刻を合わせた
有名なエピソードも、そういう事情を示している。 じゃあワイルズはなんで哲学者と認められないのか?
とか自分で反証できないのかね (e^(iπ/2))^n=cos(nπ/2)+isin(nπ/2)=i^n
n=∫(0→2) i^n=4i/π≒(1+1/(3+4/(5+9/(7+16/(9+25/(11+36/(13+49/(15+64/(17+81/(19+100/(21+121/(23+144/(25+169/(27+196/(29+225/(31+256/(33+289/35)))))))))))))))))i ナンバーセンスはすべての生物に備わっている基本的な能力である。
この能力において人間は他生物にまったく敵わない。 数学のことはよく分らないのですが、虚数のn乗をnについて0から2まで積分すると、
虚数の大きさとして円周長4の円の直径4/πが現れるということですか? 2考える名無しさん2017/10/04(水) 00:39:03.810
虚数i
i^0 = 1
i^1 = i
i^2 = -1
i^3 = -i
i^4 = 1
虚数を考えない実数の場合は、-1を掛けることは180°(π)の回転に
相当する。cos0 = 1, cosπ = -1 で、それをイメージ出来る。
虚数の場合は、iを掛ける度にその半分の90°(π/2)だけ回転している
計算になる。 虚数iと2の2乗とπと奇数から成る連分数(1+1/(3+(1+3)/(5+(1+3+5)/(7+
(1+3+5+7)/9+...の関係はどのようにイメージできるのですか? 朝の6時台から哲学板で数学の質問するアホなんていないだろ
自演するならもうちょっと上手くやれよ 哲板より受験生相手に話した方がいいと思う
正直レベルがその程度だし >>266
数学者が数字に無頓着な人多いの知らないんだね >>278
で、具体的には、i^nの積分は連分数との関係でどのようにイメージされるのでしょうか。 n=∫(0→2) (i^n)/i=4/π≒(1+1/(3+4/(5+9/(7+16/(9+25/(11+36/(13+49/(15+64/(17+81/(19+100/(21+121/(23+144/(25+169/(27+196/(29+225/(31+256/(33+289/35))))))))))))))))) π≒4/(∫(0→2) (i^(n-1)))≒4/(1+1/(3+4/(5+9/(7+16/(9+25/(11+36/(13+49/(15+64/(17+81/(19+100/(21+121/(23+144/(25+169/(27+196/(29+225/(31+256/(33+289/35))))))))))))))))) これを1と数学記号だけ使って表すと、こういうことですね。
π=((1+1)^(1+1))/(∫(0→(1+1)) ((-1)^((n-1)/(1+1))))
https://www.wolframalpha.com/input/?i=((1%2B1)%5E(1%2B1))%2F(%E2%88%AB(0%E2%86%92(1%2B1))%E3%80%80((-1)%5E((n-1)%2F(1%2B1)))) 私には数学的な説明はさっぱり分らないのですが、このように表現してみると、
やはり、πと単位を数えることが表裏一体であり、単位として数えられる1が
2つ、すなわち、1+1=10として偶数であるとともに、(1+1)-1=1として奇数である
2進法に見られる関係性が、πを求める計算に反映されているような気がします。
私が個人的に抱くこのようなイメージが間違っていたとしても、πの計算が
上記のように表現され得る理由の、数学のできる人による、より明確な説明が
あるといいですね。 >>285
こう書き換えた方が、シンプルでいいのかな。
π=((1+1)^(1+1))/(∫(-1→1) ((-1)^(n/(1+1)))) 括弧の数を間違えたみたい。訂正。
π=((1+1)^(1+1))/(∫(-1→1) (-1)^(n/(1+1))) 大森荘蔵→野矢茂樹の流れはどこに受け継がれているんだろう。
野矢茂樹しか読んだことないけどさ。 >>すなわち、1+1=10として偶数であるとともに、(1+1)-1=1として奇数である
2進法に見られる関係性が、πを求める計算に反映されているような気がします。
二進数でなくてもその二つは偶数と奇数だけどな 単位が偶数であると同時に奇数であることを言っているのですよ? オイラーの公式は、e^iθ = cosθ + isinθ
オイラーの公式を使って、x^3 = 1を解いてみる。
xの3次関数なので、その解は3つとなる。nは任意の整数とする。
x^3 = 1 = 1 + i・0 = cos2nπ + isin2nπ = e^i2nπ
両辺を1/3乗すると、
x = (e^i2nπ)^1/3
x = e^i2/3・nπ
となる。 n = 0 の時
x = e^i2/3・0π = e^i・0 = cos0 + isin0 = 1
n = 1 の時
x = e^i2/3・1π = e^i・2/3π = cos2/3π + isin2/3π
= -1/2 + √3/2・i = (-1+√3i)/2
n = 2 の時
x = e^i2/3・2π = e^i・4/3π = cos4/3π + isin4/3π
= -1/2 - √3/2・i = (-1-√3i)/2
n = 3 の時
x = e^i2/3・3π = e^i・2π = cos2π + isin2π = 1
n = 4 の時
x = e^i2/3・4π = e^i・8/3π = e^i(2π + 2/3π)
= (e^i・2π)・(e^i・2/3π)
= (cos2π + isin2π)・(cos2/3π + isin2/3π)
= (1 + i・0)・(-1/2 + √3/2・i) = (-1+√3i)/2 以下、解は同様のサイクルで出現するので、
x^3 = 1 の3つのxの解は、
x = 1, (-1±√3i)/2 の3個
となる。こんな感じで、オイラーの公式を使って3次関数を解けるけれど、
面倒くさい感じになってくる。普通に解くなら、x^3 = 1 なら、x = 1
は自明なので、(x-1)を作って、あとは整式の除法などを使って、2次関数
を作って、それに2次方程式の解の公式を使えばいい。 現行の哲板のレベルにはぴったりだよw
フーリエ行列なんて書いても、どうせこの板では
一人も理解できないんだから、書くだけ無駄になるだろう。 >>293
偶数と同時に奇数って量子力学のパクリすか? >>301
無理矢理にでも哲学に絡めればまだしも、その能力すらないのだろう いや、数学の演算や公式をほとんど理解していない状態で強引に哲学に絡めても
阿呆だろ。たとえば、二重和ΣΣ、三重和ΣΣΣの演算から、ある哲学的な洞察を導く、
ようなことを試みたところで、二重・三重和の演算の仕方や意味が理解出来ないので
あれば、そんなことをするのは、無意味だということ。
だから、この板だと、なんで数学が出来ない人間がこんなに大勢いるのか?
を哲学した方がいいくらいだよ。脳の欠陥の問題としてそれを考えれば、
意義深い考察になるだろ。 「数学ができない」なんて曖昧なこと言ってる時点でそいつの数学のできなさ加減がわかるというw 現在数学ができないということが脳の欠陥にあたる理由とかね
自分で設定した仮定が多い 「数学者が言ってるから」
自分じゃなんにも考えられない人がなんで哲学板にいるんだろ? 脳の欠陥レベルの「数学ができない」ってどういう状態のことを言うのさ?
中学レベルの数学?高校?大学?
脳の欠陥って病理学的にどの部分に欠陥があると数学ができないとかわかってんの?
テキトーこきすぎ 結局、このスレには、この式が何を意味しているのかを説明できる人はいないようですね。
n=∫(-1→1) (-1)^(n/2)≒1+1/(3+4/(5+9/(7+16/(9+25/(11+36/(13+49/(15+64/(17+81/(19+100/(21+121/(23+144/(25+169/(27+196/(29+225/(31+256/(33+289/35))))))))))))))))≒π/4 訂正
n=∫(-1→1) (-1)^(n/2)≒1+1/(3+4/(5+9/(7+16/(9+25/(11+36/(13+49/(15+64/(17+81/(19+100/(21+121/(23+144/(25+169/(27+196/(29+225/(31+256/(33+289/35))))))))))))))))≒4/π 積分のプロットが面積にならずに直線になることは何を意味しているのですか?
https://www.wolframalpha.com/input/?i=x%3D%E2%88%AB(-1%E2%86%921)+(-1)%5E(x%2F2)
x=∫(-1→1) (-1)^(x/2) >突っ込みどころ満載だよねえ
どうぞ、すべて突っ込んで説明してください。
数式で遊んでいるだけで、何を意味しているのか全然分かっていませんからw だから、数式の意味はまったく理解していないと言っているでしょう。
どんどん指摘してください。それとも口先だけ? >>322
甘えんじゃないよ
>>298を自分でよく読み直しな
理解していないのは確かだろうが考えずに書くなら掲示板じゃなくブログにでも書いてればいい >>323
>>298を書いた人ですか?残念ながら、それをきちんと理解できるほどの
数学の知識もないんですよ。繰り返しになるけど、私は、アルゴリズムが
返してくる結果が面白いから、それを書き込んで、その意味が分かる人が
いれば教えてもらいたいと思ってるだけですよ?別にあなたが答えたく
ないなら、わざわざレスする必要もないでしょう?なにがそんなに気に
食わないのですか? >高校生によく指摘するレベルの間違いだよ
間違いというのが私にはよく分らない。アルゴリズムが数学ではない結果を戻して
きているということですか?それならそれで、私は、そのことも哲学的にとても
面白いと思いますが?私の入力が間違っているなら、エラーを戻してくるのが
正常なアルゴリズムの機能のはずでしょう。しかし、アルゴリズムはそのまま
計算して機械的に意味のあるような結果を返してくる。これは、そのような
性質が、そのアルゴリズムに備わっているということであり、いわば、その
アルゴリズムのの自然です。人が、環境的な自然をどう捉えていようと、
自然の側は、それにお構いなしに人に反応するということ。 自分で考えながら勉強しようとせずに人に教えてもらおうとする甘えた態度 >>323
それにあなただって、誰に頼まれたわけでもないのに>>298とか、ずらずらと三角関数の
計算を哲学にまるで無関係に書き込んでいるではありませんか。他人のことを言えた
ものではありませんよ。 それは>>298を書いたやつに言うべきことだ
関係ない俺に言うな >>332
私に>>298を読めと言ったのはあなたですよ? >>330
哲学に無関係な書き込みしてる自覚はあるわけね
クズ >>333
ああ、君が書いたんじゃないのか
>>298に間違いがあると指摘したのに絡んできたからてっきり君が書いたと思ってたよ 波平がixtlanでポールであると考えるとおもしろいな ∫(-1→1) i^n=(2(√-1-1)(√-1+1))/(√-1log(-1))=4/π
なぜ虚数の累乗の積分が
1+1/(3+(1+3)/(5+(1+3+5)/(7+(1+3+5+7)/9+...=4/π
と等しくなるのか、これをきちんと説明できる人はいないのですか? 数学を完全に無視して根拠の不明な個人的な印象からだけ言えば、虚数の
累乗の積分も奇数を順に足して順に奇数で割る連分数計算も、単位を構成する
関係性の逆算に見えるんだよね。 >>298は合っているよ
>>332は適当なことこいているのでなければ、誤りを的確に指摘すべきだな >>339
本気で言ってるなら中学高校の数学の教科書読み直せ
なんなら数学板に書いてみたらいい
笑い者になるよ >>340
だから、正解書いてみろって。馬鹿か、この程度の問題で数学板とか池沼なの? >>340
もういいよ。>>340が、こんな低レベルの問題さえ理解出来ないことが
理解出来たから。馬鹿は、このスレの邪魔をしないように。
算数くらい出来るようになったら来てね♪ まったくこの程度の間違いをわからないのは恥ずかしいよな どうやら
哲学板の抜き打ち数学テストらしい
これに合格しないと哲学板でレスができないわけだ 普通さ、間違いを指摘するなら、ここが間違っていると指摘して
正しい答えを回答するものだよね。それが普通の社会人なり、学生のすること。
ガイジの場合は、それさえも出来ないで、ただ妄想脳内で間違っている連呼するのみ。あんな問題で数学板とか言い出す時点で、池沼認定しました。 >>347
だから、>>298で正解だと言ってるだろ。
なんで、哲板には池沼しかいないの? >>349
それなら、ごめんね。同じ意見だよ、普通そう思うよね https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1140659011?__ysp=eF4zPTEg6Kej
こんにちは(^O^) 数学?の質問です。
xの3乗 =1
の解は三次方程式なので、三つありますよね? しかし、
解の公式を使ってもルートの中身がマイナスになってしまいます(>_<)
2乗してマイナスなんてないですょね…
ふっと、気になり今ノートに書き散らしていますが答が見えません
誰か教えて下さいーp(^^) ベストアンサーに選ばれた回答
x^3=1 (x^3はxの3乗)
x^3-1=0
(x-1)(x^2+x+1)=0
と因数分解出来ます。(展開したら元通りになるでしょ?)
よって、x-1=0、または、x^2+x+1=0になります。
実数の範囲ではx=1しかありません。
しかし、虚数というものも考えれば、残りの解も出てくるのです。
虚数はiと表し、2乗すると-1になります。
x^2+x+1=0を解の公式を使って解くと
x={-1±√(1-4)}/2
=(-1±√-3)/2
となります。
iを使うと
x={-1±(√3)i}/2
と書けます。(√-3=(√3)i)
よって答は
x=1、{-1±(√3)i}/2
の3つです。 つまり、>>298で正解ということ。阿保のせいで貴重な時間が無駄になった。 うわあ恥ずかしい
>>352は正しいが、>>298は間違ってる
その違いがつまり理解できていない部分ということだよ 馬鹿だ。お前、ここに二度と来なくていいから、明日病院行って、MRI検査受けてこいよ。
精神科も、ちゃんと受診を続けろよw 両親にこれ以上、心配かけるなよ。 それで間違いが理解できるならいいんだけどな
まあがんばんなさい いや、別に数学の正解はどうでもいいんだよ
それよかここは哲学板だから
数学のクイズ大会は数学板でやれよ 板違いすらわからないのに論理的とか
頭おかしいのか? 数学と哲学のカップルなんて割とうまくいっているんだろうか。
僕はしっくりこないと思うけど、他人は割合うまくいってそうな気もするね。 「同じことを繰り返しながら違う結果を望むこと、それを狂気という」 アインシュタイン > いや、別に数学の正解はどうでもいいんだよ
実は、ここに数学の本質の一つがある。明確に解を導き出すこと、これが数学では
大切になる。正解などどうでもいいというのは、詩人か廃人、無学者の態度であって、理系では一番忌避されねばならない態度である。 哲学の弱点は 文専 になっちまったことだ
物理や数学とか自然科学もきっちり勉強してからでないと優秀な哲学者にはなれない >>362
日本語が読めるようになってから出直しましょうね >>364
自然科学ができないやつが哲学やるんだよ
察してやれ 馬鹿のままでいたければ、別に数学が出来なくてもいいんじゃね。
「バカになれ」by アントニオ猪木 >>367
翻訳
だから板違いでもボクをかまってくれ 数学の能力で必要なもの要素を列挙すると、
抽象化能力、論理性、思考の精密さと柔軟性、集中力、想像力、耐性
という風に、これはそのまま哲学的な思弁に必要な要素となる。
だから、数学を忌避して厭うレベルの低知能には、哲学なんて無理だろうという
推論が成り立つ。ポエムでも書いていればいいんじゃない。 >>370
>>367
翻訳
だから板違いでもボクをかまってくれ 推論がいきなり結論になる奴には哲学は無理だろうなw で、誰も>>337のリクエストに答えられる人はいないの?
数学ができるとか、できないとか、論より証拠でしょ。 ∫(0→-π) (2/πi)*e^(i*n)=4/π ∫(0→π) (2/πi)*e^(i*n)=4/π >>381
問いを立ててそれを自分で考えるのが哲学
丸投げするなら幼稚園児でもできる
「ねーねーママ、お空はどうして青いの?」
おまえのやってるのはこれと同レベル そもそも数学がわからないくせにどう説明しろって言うのだろう?
まさか数式を使わず日本語で教えろって言ってるわけじゃあるまいな? 大事なことは、このスレが学びや知の契機になっていることだよ。
その意味で、>>380>>382のようなレスは下らないポエム以下で何の役にも立っていない。π連分数くんは、学ぶ姿勢や知ろうとする気持ちがあるから、
全然、良いのだよ。この人、伸びてくると思うよ、数学力が。 例えばこんな時にご相談下さい。
借金の返済で困っている・・・。
(金融機関、住宅ローン、会社、個人など)
家賃や税金、公共料金、学費の支払いに悩んでいる・・・。
給料が減少し、生活が苦しい・・・。
数社から借入があり、どこからも借りられない・・・
お金の悩み、相談はエスティーエーで オイラーの公式、三角関数、虚数、複素数、微積分、
微分方程式、フーリエ変換、波動方程式、ラプラス変換と
と全部つながってくるので、ちゃんと学んでいけば、
奥深い処まで辿り着いて、それは深遠な哲学にもなることだろう。 哲学を学ぶ人には数学的思考能力が必要だという持論を提唱するだけではなく
哲学板の住民に対して数学の問題を出すことなどで積極的に自分のロジックの正しさを訴えている
それだけならいいんだが
問題は、この一連の「主張」のレスが多いこと
恐らくこの持論が正しいことを完膚なきまでに(ある意味数学的に)証明したいんだろう >まさか数式を使わず日本語で教えろって言ってるわけじゃあるまいな?
可能な限り普通の日本語に変換しようとすることが哲学になるのですよ。 でもその証明の仕方は哲学の範囲では少なくとも間違いだ
数学は「たった一つの真実」
哲学は「無数の現実」
だからね このスレの目的は哲板住民の貧弱な数学力をパワーアップさせて、それで得た新たな力を
高度な哲学的思考力や生きる力に変換させることだからね。それは、一種の錬金術なのさ えっ当分は>>390がこのスレの趣旨でいいのか?
スレタイもそれに見あったものに変えないとね 数学が対象を一意に収束させようとする学問である、というのは正しい。
不確かなこと、不条理なこと、意味不明な事柄も少なくないこの曖昧で
矛盾や背理だらけの不確かな世界にあっても、数学は論理的な収束を着実に志向する。そこに理不尽な格差はなく、嘘はなく、阿諛追従もなく、詭弁も利権もないので、数学宇宙の中では物事は常に正しく美しく秩序立って進行していく。
だから数学は、この腐った狂った汚らしい人間世界とは真逆のイノセントな方向に
あると言えるだろう。 >>392
スレタイねじ曲げる奴になんであわせてやる必要あるの? >>390
それならば
>>337
を説明してください 「一つのレスに一つの主題」
今の流れは副題だから長々とやられてもただ冗長なだけで
正直うんざり 397のような依存心は、自己啓発セミナーや新興宗教の餌食となる。
そんな他力本願な態度ではダメなのだ。
お上がなんとかしれくれると思うのは、超甘い認識なのだ。
どうすればより良く学べるかを考え探求することも数学力を鍛え上げる。
自分の足で立たないで、何が数学だ、何が哲学だw >>388
全部丸投げして全部人に説明してもらうのは哲学じゃないね
自分の頭で考えたまえ >>388
数学はわからない、勉強するきもない、だからボクチンにわかるように説明してくれ
ここの住人はお前の無料の家庭教師じゃねえぞアホ 私が自分では何もしないで他人に説明だけを求めているというのは完全な事実誤認でしょう。
何度も繰り返すとおり、私は学校教育での数学もまともに勉強していないので、あたかも
自分が数学の表現をきちんと理解しているかのように自分が説明しようとすることは意識的
に避けている。いずれにせよ、学校教育の数学はパターンに慣れて、それを出題される
問題に応用する技術の習熟を求めているだけで、それを身に付けてもそこから数学の
哲学など出てこない。学校英語でいくら高得点を出せる技術を身に付けたところで、
英語の表現を日本語で適切に説明できるようになるわけではないのと同じことです。
∫(-1→1) i^n=(2(√-1-1)(√-1+1))/(√-1log(-1))=∫(0→π) (2/πi)*e^(i*n)=1+1/(3+(1+3)/(5+(1+3+5)/(7+(1+3+5+7)/9+...=4/π
この関係をきちんと普通の日本語で説明することにこそ、数えることを哲学することの核心が
あるように私には思えるのです。これに関連して、私は、数学において知られている事柄に
ついて、多くの哲学的な解釈を提案してきた。乗法を「qualification」、除法を「de-qualification」、
累乗を「self-qualification」、その逆に「x^(1/n)」において「n」を大きくしていくことを「self-
de-qualification」と表現し、nを無限に大きくすることによって現れる「1」が、不特定の自己
同一性を表していると解釈したこと、πに数値としての自己同一性がないことを示した
ことなどが、これまでのそのような取組みに含まれます。 >>388
数学における言語は数式だ。根本的に間違ってる。おととい出直せ。 >>402
学校で教わってないことはわからないとか、学問に対する態度がなってないな。お話にならん。 >>402
■ちょっとした物理の質問はここに書いてね216■ [無断転載禁止]©2ch.net
http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/sci/1506836184/
423 ご冗談でしょう?名無しさん sage 2017/10/11(水) 23:11:51.47 ID:???
>>421
計算練習をたくさんしましょう
計算が得意になれば、余計なことで悩む時間が減り、より深い、本質的な難しいことについて考える余裕が生まれます >>402
最初、πの連分数計算に私が関心をもったとき、私は、この計算が円周率を
どのように求めることになっているのかという問いを立てた。しかし、そこで
私はおそらく、思い違いをしていたのだ。虚数iが現れることなく、現れる
数が単純に増加する分数によってπが整数の比として求められることから、
虚数iは、円周率πに副次的にしか関係していないと思い込んでいた。
その思い込みには、虚数iを単に円周率を利用した操作だろうと暗黙に見なす
私の先入観が影響している。しかし、>>402の関係を眺めてみると、むしろ、
整数の比として近似され得るπに周期としての性質を与えているのは、むしろ、
整数で表される数ではなく、虚数iであることが分る。しかし、このiという
便利な表記こそが、数学に疎い私の先入観を強化していたのだ。虚数iは、
そもそも、√-1と書き表されるべき数であり、そのようにして初めて意味が
見えてくる。2進法で考えるなら、10-1の-1は、単位を1桁小さくする操作を
表すことになり、√-1=1^(1/2)は、そのような操作のちょうど1/2の
「self-de-qualification」として見ることができ、πの連分数計算は、
そのものとしては整数の比しか現れないものの、1/2の「self-de-qualification」
として√-1が操作として繰り返し現れる単位の逆算関係に変換される
性質のものなのだ。そのように私には思える。むろん、これは私の哲学的な
解釈としての感じ方であって、数学的な説明ではない。 >>406
つまり、学校で行われるパターン化された教育は
この「計算練習」にあたります
もちろん計算練習は本質とはかけ離れています
私は
人間は与えられた問題から直接「本質となるモノ」を見極め、それを言語化する能力を持っていないと考えます
しかし、様々な演算操作(算数、数学)を学習した後なら「本質となるモノ」を理解できるでしょう
さらに言葉を操る能力(国語)に長けていれば、その「本質となるモノ」を言語化できるはずです
だからこそ教育という文化は存在し続けているのです
すぐに本質は分かりません。教育を受けてください! ixtlanも謎のクイズを出し、
答えが受動能動論にならなかったら不正解にしてたけど
そもそも受動能動論自体誰も言ってないんだよね 計算 数V以上を打ち込んどいて。巡回警備してくるから。シケモク探しに。 案外、波平の本体がこの数学好きのキチガイなのかもよ?
ポールとかまさにこういうキャラだったし、
この数学マンセーキャラが実は波平の本体で、それがポールだったとしても頷ける モーガンフリーマンの時空を越えて見たけど、哲学者で物理学者の人もいるんだな
その人は科学で宇宙の全ては分からないと言ってた 数学者、数学好きの方が素数を愛する理由は様々なものが考えられますが、
私が一番の理由と考えるものは「無秩序の中の秩序」という言葉で表せます。
数学者は様々なものを観察し、そこから共通のパターンを抽出し、一般化、
抽象化して強力な理論を組み立てます。
そういった意味で数学者はパターンを探す天才です。そして古くから
知られている対象であるのに数学者がそのパターンを見出せない存在、
それが素数なのです。
素数は多くの天才数学者からの「お前を制御したい」というアプローチを
ひょいとかわします。それほど素数は無秩序です。しかし無秩序であると
考えられてきた素数が、実はある側面では驚くべき秩序を兼ね備えている
ことを数学者達は歴史を通して発見してきました。ここでは私が特に
「秩序ってるなぁ」と思う3つの数式、定理を言葉だけで簡単に紹介します。
http://mattyuu.hatenadiary.com/entry/2017/04/01/200045 リーマンゼータ関数とは何かというと、18世紀にオイラーが研究し、
1859年にリーマンの記念碑的論文「与えられた数より小さい素数の個数について」
でζ(s)という記号で名付けられた関数で、自然数のs乗の逆数の無限和で
定義されます。sが変数で、ζ(←ゼータと読みます)が関数名となります。
注意したいことはこの関数は通常中学校で学ぶ関数とは異なり、複素変数で
複素数値を返す関数になるところです。つまり、変数sとζ(s)は複素数になります。
例えばs=2とすると、ζ(2)は平方数の逆数の無限和になりますが、なんと
この無限和はπ^2/6と等しくなります! これは誠に驚くべきことで、小学生でも
理解できて、円とは全く関係のないように見える分数の足し算の先に、
πが現れるのです。この級数が無限大にならず収束することは容易に
分かるのですが、誰もその値に辿り着けずにいました。
1735年に人類で初めてオイラーがこの級数がπ^2/6と等しくなることを発見、
証明しました。とても美しいですね。私は学生時代に学んだ数式の中で
2番目にこの数式が好きです(1番はコーシーの積分公式です)。 マイナスの偶数という自明なゼロ点以外にもリーマンゼータ関数の
ゼロ点が存在します。それらは非自明なゼロ点と呼ばれます
(スライドのピンク色の点となります。)。リーマン予想とは
「リーマンゼータ関数の非自明なゼロ点は一直線上に並んでいるはずだ」
という予想になり、この一直線とは実部が12の直線になります
(スライドのピンク色の点線になります)。
リーマン予想が生まれて160年弱、世界中の大天才達が挑み、
未だ証明できていません。このことを考えるだけでもゼロ点が
凄いものということがわかっていただけると思います。 「天才達が挑んだ歴史なんてどうでもいい、そもそもなぜゼロ点が重要か?
ゼロ点がどこかわかって何かいいことある?」と思われる方もいらっしゃる
かもしれません。すみません、私の力不足で詳しく色々語ることができないのですが、
世の中にはリーマン予想が正しければ正しいという定理が何千もあるようです。
それだけリーマン予想は数学の根底に関わる問題なのでしょう。
リーマン予想を証明することは多くの数学者が最後のピースを埋められずに
証明できていない、数々の定理を証明することになるのです。
http://mattyuu.hatenadiary.com/entry/2016/10/02/134730 418訂正
> この一直線とは実部が12の直線になります ×
> この一直線とは実部が1/2の直線になります ○ 数学が出来ない奴らには板違いに見えるだけで、これはまさに哲学にへ通じる道。
ドゥルーズ・ガタリも、リーマンの数学にはよく言及していた。
数学が出来ない己の無能や基礎学力の欠如をよく反省してから、哲学すればいいと思うよ 422の言うことが正しいなら
数学板と哲学板は統合するべきとの声が出てきてもおかしくないよね
数学板でも「数学は哲学への道」ってレスして仲間を募った方がいい 文系哲学を学ぶ自分としては
理系哲学を極める人は本当にゆかしく感じるわ〜。 時空の起源を探求する物理学も、量子力学も、本格的にやろうとしたらバリバリに数学が必要だからなあ。
まあ、俺なんか文系なんで、ポピュラーサイエンス的な読み物(数式も最小限)しか楽しめないけどね。
高度な数学が理解できる人には、また違った風景が見えるんだろうから、羨ましいと思う。 「重力理論 Gravitation-古典力学から相対性理論まで、時空の幾何学から宇宙の構造へ」とか読みたいけど、ハードル高すぎて・・・
題名に惹かれるんだけど w >>422
リーマン予想の解説コピペして数学できる気分になれるとはお安い人間だな、おまえって >>422
へー
おまえリーマン予想わかるんだ、すごいな
じゃあなんでゼロ点が直線上に並ぶのか説明してくれや 「わたしはつねづね、数学者はまず観察者であると考えている。はるかなる山域を
眺めては、観察したものを書き記す人物だ」
G・H・ハーディー(英国の数学者)
(数学の世界を観察する人々には)Aはくっきりと見えているが、
Bは一瞬ちらりとしか見えない。観察者はついにAからはじまる稜を見つけ、
その稜を最後までたどると最高点Bに達することに気づく。この観察者が
ほかの人にもBを見せたいと思ったなら、直接Bを指し示すか、
自分自身がたどったように、Bへと続く稜をたどっていってBを指し示す
ことになる。その頂が相手にも見えたとき、その研究の議論と証明は完了する。 ある数学者の弁明から引用か?
ついでにラマヌジャンのことでも書いたら 数学の操作に慣れることと、その操作の意味を理解することができるようになる
ことは同じではない。四則の計算とその計算結果の検証を繰り返していれば、
誤りを犯すことなく四則を適用する能力は身に付く。しかし、その技能を身に
付けることと、四則の意味を理解できるようになることは別である。すべての
数学の操作について同じことが言える。例えば、ほとんどの人は、「○○が
1つある」と数えることに慣れている。1を数えているのだから、これは明らかに
数学操作である。しかし、1を数えるとはどういうことか、その意味を説明する
ことを求められた場合、うまく答えられる人は極めて稀だろう。 ラマヌジャンとか架空の人物じゃないのかなと思う。
架空という言い方が気に入らないなら、口実と言い換えてもいい。
研究の副産物に神秘的な装いを与えるように意図的に手を加えながら発表する口実。 >>417
>>418
そんな有名なのちょっと数学かじった人なら誰でも知ってるよ >>437
1を数えるという数学操作をいくら繰り返し正しく行ったところで、
1を数えることの意味が理解できるようになるわけではない。数学
操作の意味を問うことに対して、計算訓練をしろというのは、1を
数えることの意味を問う人間に対して、1を数えることを、その意味
が分るようになるまで繰り返せと言っているのと変わらない。 同じことばかり書いてる連分数くんのことですね、わかります ∫(0→π) (2/πi)*e^(i*n)=(2(1)-1)+(1^2)/((2(2)-1)+(2^2)/((2(3)-1)+(3^2)/((2(4)-1)+(4^2)/(2(5)-1)+...=4/π
この関係を見ていると、半径2/πiの回転運動の円周の周期として数えられる整数が現れる
という逆転した見方が成立するのだろうか? ところで、半径2/πiという表現は奇妙だ。iが表しているのは、数量という
よりも、√-1という操作であり、その操作自体が回転にかかわっているのだから。
すると、半径2/πiの回転運動という表現が示唆するのは、回転運動の回転運動
なのだろうか? 数学をポエムに変える錬金術に嫌悪感を抱くなら、数学のできない人にも分る
ように普通の言葉で数学的に正しい解釈を示すことだね。 πが出てくりゃなんでも回転運動かのかよ。アホすぎるwww √iが回転させる作用にかかわっていると言っているのに、それも読めないの? 私は、自分には数学の基礎的な知識も計算の能力もないとはっきりとことわったうえで
数式の奇妙なポエムのような解釈を示しているのだから、これは、数学の知識のある
人々には、本来、歓迎すべきことなのですよ?語学の知識も能力もない人が、そのこと
を明示したうえで、自力で辞書を引きながら、自分のよく知らない言語の表現の解釈
を示したとする。それが奇妙極まりない解釈であれば、それこそ、専門家が自らの
力量を人々に示すいい機会を提供していることになるでしょう。それが、その場の
書き込みのレスによってであれ、自らのブログやその他のメディアを通じたものに
よるのにであれ、専門家は、素人がどのような奇妙な誤解をするのかを具体的に
知ることができ、架空の誤りの想定をしなくても、具体的に何を説明しなければ
ならないかが明確になる。 素人がゴルフのボールを真っ直ぐに打てなかったり、ボールをクラブにまともに
当てることができずに、奇妙なフォームでボールを打っている姿を晒したり、
スキーを滑るのにうまく曲がれずに転んだり、大きなループを描いてバランス
を崩しながらようやく曲がっている様子を見て、自らの価値が下がると
思うスポーツ・インストラクターはいないでしょ。それと同じこと。 >>455
どこの世界に素人のために時間を割いてタダで教えてくれるインストラクターなんているの? >>448
ポエムは技巧をこらして読者に感銘を与えるもの
おまえのは単なる無知からくる妄言 >>452
数学と物理を中学生レベルからやり直してこい。 >>456
どこの世界でも、素人が不様に失敗している姿を見せていれば、自分がそれを
格好よくできることを人々に見せて自らの力量をアピールして宣伝しますよ?
>>458
何でも答えが教科書に書いてあると信じているなら、自分を育てた親
や学校の教師を恨みなさい。 >>456-458
あなた方は、どのような発言に対してでも機械的な反応として書き込める
ようなレスしかしていない。上から目線で他人に命令できるような
自らの資質は何一つ示すことができていない。 数学的に正しい表現は、数学で用いられる記号のみで構成される
大学の教育を受けていればその事に気付くんだけれど。。。 >>459
>>どこの世界でも、素人が不様に失敗している姿を見せていれば、自分がそれを
格好よくできることを人々に見せて自らの力量をアピールして宣伝しますよ?
アピールするのとタダで教えるのとは違うね
話のすり替えはやめたまえ
>>何でも答えが教科書に書いてあると信じているなら、自分を育てた親
や学校の教師を恨みなさい。
いったいどこにそんなことが書いてあるのかね?
捏造はやめたまえ >>459
証明もなしに「どこの世界も〜」なんてほざく時点で、君の数学の資質ゼロだなw >>459
学校で習ってないから数学できないとかぬかしてたのお前だろ
バカか? >>467
理解できてないことを短絡的に内容が無いと解釈しているだけ 私の書いていることが内容のない空虚な妄想だったとしても、空虚な妄想の
方が、個人に向けられた空疎な罵詈雑言よりずっと役に立つものだと私は
思っています。 >>471
役に立つ空虚な妄想w
もはや日本語の体に成してないなw >>471
数学を知らない、勉強する気もない
なのに何も知らない数学のことを的外れな妄想してそれが役に立つ、と
どんだけ傲慢なの君? そもそもグラフ上で円を描くのと円運動はまったく別物
怠けて勉強しないからそんな恥さらしな妄言並べるんだよ
妄言だから相手にしてもらえなくて当たり前
他人のせいばかりにしてないで、数学を語りたければまずは自分が勉強しろ 私の妄想がよほど気にいってもらえたようなので、再び書き込みますね。
∫(0→π) (2/πi)*e^(i*n)=(2(1)-1)+(1^2)/((2(2)-1)+(2^2)/((2(3)-1)+(3^2)/((2(4)-1)+(4^2)/(2(5)-1)+...=4/π
この関係を見ていると、半径2/πiの回転運動の円周の周期として数えられる整数が現れる
という逆転した見方が成立するのだろうか? >>475
実はこれについて詳しい人を知ってるよ
管野正人っていう人なんだけれど
この人の考え方は多分あなたの考え方に似てると思う >>この関係を見ていると、半径2/πiの回転運動の円周の周期として数えられる整数が現れる
という逆転した見方が成立するのだろうか?
数学どころか日本語も出来てない件 検索してみました。「素数と魔方陣」の著者ですか。
読んだことはありませんが、素数の問題を数学的に解決できたと主張しているようですから、
私とは真逆の立場のように見えますが。 >>480
どうぞ、数学的に意味のとおる説明を日本語で披露してください。 >>482
そう主張はしているんだけどね。。。
彼のなかではリーマン予想は証明完了してるらしいから、その証明手順を追ってみて感想を教えて欲しい 私は、誰に似ているとか、誰と同じだとか、そんなことはどうでもいいんですよ。
私は、数学的な現象の日常言語による適切な説明を求めているだけです。
私の考え方が大きく間違っているのなら、別の人がそれを正しくやって
くれればそれでいい。言葉では何も説明できないというなら、黙って
いればいい。 なぜそこまで個人ばかりが気になるのか、私には理解不能ですね。 >>484
そんなことこいつに出来るわけねえじゃんw
>>485
ほらねw 何度も何度も「話題を寸断する形で」主張するから
全く別の話題の話をしていたのに急に数式だけのレスが来たらびびるだろ
哲学の話をしていたら急に数学や情報学のレスが来たらびびるだろ
「こいつなに考えてるんだ」って気味悪がるだろ >>483
おまえはバカだから、その発言がどれほど矛盾してるかもわからないのだな
かわいそうに それだから、なぜポエムのような言語が必要になるのかも理解できないのでしょう。 哲学の本を読んだことある?どんな本を読んで「あーこれはポエムだわ」って思ったの?読んでみたい 哲学に限らず、成功した表現は、そのことにおいて詩的なんだよ。
その表現が、サッカーでゴールを決めることであったとしてもね。 表現として成功していること
表現が美しいこと
表現が詩的であること
表現をこのように形容して称賛するのは人間の特徴だよね
称賛される表現は言語や文化を超越した存在として君臨する ポエムのような言語
意味不明
言語をつくっちまいやがったw 哲学は、つかみどころのないことを、つかみどころがあるかのように捉えて
表現しなければならない。 ポエムのような文章、ならわかるがポエムのような言語ってw
あー、自分の書いてる妄言が日本語としては成り立たない違う言語だという自覚はあるわけだwww 452 考える名無しさん sage 2017/10/13(金) 10:56:18.89 0
√iが回転させる作用にかかわっていると言っているのに、それも読めないの?
病院行けとしかいいようがないな つかみどころのないことを捉えるために取っ掛かりを探す。その取っ掛かりは、
手元にある必要があるが、掴まれたとたんに哲学によって流用されること
になる。哲学は、日常言語を流用するように、それぞれの専門分野の
日常言語である専門用語や概念を流用する。 ちゃんと通院してるか?
それは統合失調症の誇大妄想という症状だからな
薬ちゃんと飲めよ >>499
書き間違えたから、すぐに√-1と訂正したはずだが、なんでわざわざ間違ったまま
引用するの?それに、言及している式に現れるのも√-1とiという表記だけだが?
言い間違えや単純ミスを引用してまで、攻撃しなければならない理由は何?
専門知識があるなら、少しはマシな批判の仕方があるのでは? どちらにしても無意味であるなら、相手の訂正を受け入れたうえで、それが無意味である
ことを示すのがまともな人間の振舞いでしょう。わざわざ、訂正された言い間違いを
そのまま引用するのは、それ自体が意図的な印象操作になり、まともな人間のする
ことではない。 いまさらお前の印象もくそもないだろwww
まさか好印象もたれてるとでも妄想してたのか? >>505
板違いで粘着してる尾前がまともな人間じゃない
数学がわからないし、勉強する気もないのに数学について語るのはまともな人間じゃない
まともな人間じゃないからまともな扱いをされない
当たり前の話 そうやって議論の対象をすぐに個人にすり替える。
私の言っていることの内容が妄想である、無意味であるというなら、それを
具体的に批判すればいいことであり、言い間違いをそのまま引用したり、
人格を攻撃する必要はどこにもないはず。 >>505
まともな人間としての振る舞いができない状態はつまり興奮状態だけれどもね
人を興奮状態にした本人があなたになっているんです
手違いなら訂正します すぐに興奮して、相手の揚げ足をとるような人は哲学には向きません。 私が哲学に向いているのではなく、哲学が私に向いているのです。 私が哲学に向いているのではなく、哲学が私に向いているのです( ・`д・´) 数学と哲学が同じと主張しているのではなく、数学的操作から得られる様々な事実を哲学的に説明したいと考えているんだと思います
問題となっているのは、この「数学的操作によって得られる事実」の例『そのもののみ』を断続的にレスしていること
だから毎回「で、それが何?」という気分にさせられる 無駄にレスに労力をつぎ込む代わりに、数式についての代替のまともな説明を提示すれば済む話でわ? まあ、それは良いとして、
数学できても哲学の能力とは無関係。
そうならワイルズが哲学者として認められてるっての。 結局、2人とも板違いなんだから、
女湯で温泉の効能について語ってるようなもんだ。 >>517
なら数学や物理も全然ダメなお前には哲学は無理だな
背伸びせずジャンプでも読んでなさい y = x^2 の放物線を右に90°回転させると、
y = √x となる。
y = √x がx軸で対称になるグラフが
y = -√x となる。
y^2 = x は、y = √x と y = -√x を合わせたもの 中心:原点
半径:r の円の方程式
x^2 + y^2 = r^2
rとθを使って円周上の点Pを表すと、
x = rcosθ
y = rsinθ
なので、
x^2 + y^2 = (rcosθ)^2 + (rsinθ)^2
= r^2(cos^2θ + sin^2θ)
=r^2 中心:C(a,b),半径:r の円の方程式
(x-a)^2 + (y-b)^2 = r^2
rとθを使って円周上の点Pを表すと、
x = a + rcosθ
y = b + rsinθ
よって、
(x-a)^2 + (y-b)^2 = (a + rcosθ -a)^2 + (b + rsinθ - b)^2
= r^2(cos^2θ + sin^2θ)
=r^2 複素数を用いた円の方程式
複素平面上において、原点Oを中心とする半径r の円の方程式
複素数を z = x + yi とすると、
|z| = r (r = √(x^2+y^2))
それを極形式で表すと、
z = r(cosθ + isinθ) 別に意味はありません。面倒くさいから一度に両方のプロットを描かせただけです。 >>531
では、∫(0→π) (2/πi)(cosθ + isinθ)=4/πの意味は? 何をやりたいんだ?
自分でモデリングソフトでも作りたいのか?
それともcgで簡単な図形でも描きたいの?
なんか小学校時にベーシックで作ったゲームを思い出した。 >何をやりたいんだ?
誰に聞いているの?私?
それとも私が質問している相手? とりあえず>>534は>>531や>>533の話し合いが一段落するまで質問をしない方がいい
また話が脱線して最初から説明し始めるから −は180°の回転という説明を見かけるけど、「turn back」という表現に
しても、この場合の「turn」は、競泳のターンとかと同じで折り返し地点
での「turn」だよね。マイナス符号そのものは単に逆方向として捉えられて
いた。それを回転としての180°に解釈するように転換をもたらしたのが、
90°の回転として解釈された√-1の扱いでしょう。 >>531
さあ、私がしつこく書き込んでいる問いに答えるまであと数歩ですよ。
頑張って最後まで答えてしまいましょう。
複素数を用いた円の方程式を極形式で表すと、
z = r(cosθ + isinθ)なんですよね。そこで簡単のため半径r=1として、
私の問いと同じように積分してみると
∫(0→π) 1(cosθ + isinθ)=2iという答えが出る。この2iは何を表しているのでしょうか。
私の問いは、rに1の代わりに2/πiを代入したものに過ぎません。すると、
∫(0→π) (2/πi)(cosθ + isinθ)=4/πとなり、πを求める連分数計算における
1+1/(3+(1+3)/(5+(1+3+5)/(7+(1+3+5+7)/9+...=4/πと等しくなる。
∫(0→π) 1(cosθ + isinθ)=2iにおいて2iが何を表しているか説明できれば、
連分数計算における4/πが何を表しているかも説明できるのではないでしょうか。 数学も出来ないで哲学が出来ると考えるのは、出来の悪い妄想のようなものである。 数学が哲学を代用できるんだったら今頃
ワイルズがデリダより有名な哲学者として認められてるって ところで、なぜ、(-1)×(-1) = 1 となるのだろうか。
この式の関係を連分数君のように日常言語で表現すると、最初サラ金屋Aで(-1)の
借金をしました。次にサラ金屋Bでも(-1)の借金をしました。そして家に帰って、
そのサラ金屋Aとサラ金屋Bでの借金を掛け合わせてみたら、+1という
資産や収入、貯金が出来ていたので、どこか腑に落ちない気がする、という
イメージでも描けるかなと。
(-1)×(-1) = 1
を連分数君のように別の日常言語で表現すると、
(欠点)×(欠点) = 長所
あるいは、
(病気a)×(病気b) = 健康
(哲板での荒らし行為)×(哲板での荒らし行為) = 哲板での知的貢献度
という少し異常な印象になるだろう。 だから、(-1)×(-1) = 1 を日常言語でなく、オイラーの公式を使っ
て少し数学的に考えてみよう。
オイラーの公式 : e^iθ = cosθ + isinθ
θにπラジアンを代入すると、
e^iπ = cosπ + isinπ
= -1 + i(0) = -1 となる。 ここで複素数の掛け算をする。-1を掛ければ、もとの数の大きさ(-1)が
-1倍の大きさになる。複素数の掛け算は動径rが伸縮しながら、
回転していくイメージで捉えることが出来る。
(-1)×(-1) = 1 を複素数の掛け算として考えると、もともとの
-1の偏角は、πラジアン(=180°)になる。このイメージで考えていくと、
e^iπ = cosπ + isinπ
=(-1)×(-1) = e^iπ + e^iπ
=e^i(π+π) = e^i2π
= cos2π + isin2π
= 1 + i・0 = 1 となって、-1は日常言語でのイメージされる借金や欠点、病気のような
マイナス状態ではなく、πラジアンの方向で回転していく大きさ1の数字に
なっていることが分る。-1は2回掛け算すると、2π分の方向を向いた
数字=360°になるので、2πラジアンは0ラジアンと同じで、1となる。
つまり、複素数の演算で掛け算や割り算をする場合のイメージは、
原点0を中心に、動径rが回転しながら、原点からの距離(=r)が伸縮
しているイメージで表せる。 >>546訂正
> =(-1)×(-1) = e^iπ + e^iπ 間違い
> =(-1)×(-1) = e^iπ × e^iπ 正しい そんな高校レベルのどうでもいいから、4元数の説明でもしてくれや 数学における意味とは関係のことであり、関係以上の意味を求めるのは数学としては負けである。
関係は関係であって、それ自身が意味であって、その外部に意味は無い。
これが数学における哲学のすべてである。
それ以上の、哲学へのかかわりは「無い」。
しかし、哲学ツールとして数学の利用・応用は可能である。なぜそれを敬遠するのか。
フランス現代思想系のトンデモな数学の扱いがその原因でもあるw
数学を哲学の一部として使用する「接続」のしかたがいい加減なのだ。
分析哲学や思弁的実在論には、そのへんの問題点を解決しようとする動きがある。
数学は「関係」であって、「意味」を与えて「使える」ものにするのは「哲学」の役割である。 複素数をz(a + bi)、その共役複素数(a - bi)をz*とすると、
その足し算と引き算で見る共役複素数の関係は、
z - z* = 2bi
z + z* = 2a
となる。
掛け算と割り算で見る複素数と共役複素数の関係は、
z × z* = (a + bi) × (a - bi) = a^2 + b^2
z ÷ z* = (a + bi) ÷ (a - bi)
= {(a + bi) ÷ (a - bi)} × {(a + bi) ÷ (a + bi)}
= {(a + bi)^2} / {a^2 + b^2}
= {a^2 + 2abi + b^2・i^2} / {a^2 + b^2}
= {a^2 - b^2 + 2abi} / {a^2 + b^2} >>551
頭悪い癖に、態度だけは偉そうな君。4元数の前に、連分の質問の問題に答えてあげなよ
簡単に出来るんだろ? >>553
教師きどりで悦に入ってるところ悪いが、そんなの真面目に高校レベルだからよそでやってくんない? >>556
で、556の大学レベルの数学のレス、どこにあるの?
マジで読んでみるからw 四元数がどうとか言いながら、それに基づいた何の見識も提供出来ない池沼レベルだろw
ガロワの群論とか呼称だけ知っているバカと一緒だね 数学版とリンクしてもいいけど。数秘術も不思議だけど。 一番いいのは、簡単な数学のテストをしてみることだよ。
口先だけではいくらでもマウントできるので、数学の簡単な問題や一般的な問題が
解けるか否かを、理解度をチェックして、それで評価すればいい。基礎的なことさえきちんと分かっていない癖に、高度なことを理解したがるバカって、多いんだよ。
簡単な問題さえ解けないと自尊心が傷つくので、四元数とか言い出して
己の無能を誤魔化すというパターン 海外の マセティクスとかのほうがいいじゃん。問題の意図、数式
解くこと 解法の多様性、問と答えの因果関係 出題採点 みにつくから。
国家経済タナサイトとか、経営エロサイドとか。 ごちゃごちゃ言ってないで、連分数の問いに単純明快に答えてはっきりとケリをつけたらどうなのか。すぐに脇道にそれ問いに答えずに誤魔化そうとする。 口だけ四元数くんが、連分問題に華麗に答えてくれるからそれに期待しようw
口先だけでなければ、四元数とフーリエ変換を使ってそれを解説してくれるはずだw それも答えられないというのなら、より一般的に単に
e^(iθ)=(cosθ + isinθ)のe^(iθ)と(cosθ + isinθ)のどちらの形でもいいから、
それを積分するとは、どのような数学的意味を表すことになるのか示したらどうか。 積分は慈恵医大 ドレスデン大 工科に通ってるから、女性に感謝してる。
アンナ フロイト 先生(心理学・自然科学・医学)
ブ レーン スパークル も 見守ってくれたし。
積分?東京のタケノコビル群と 台場や、晴海が沈没気味なぐらい、
人口が多く、逆搾取 搾取がはびこり、ぐらいの数学的、経営、経済の仕事はしてきました。 逆に、他の書き込みに頻繁に繰り返されるとおり、連分数の問い自体が空虚で
数学的に無意味であるというのなら、それを数学的に具体的に示せばいい
だけのことだろう。そのことによって、問いがどのように意味がないこと、つまり、
示される数式がどのように意味を失っているのかが明確になるのだから。 問いがどのように意味がないこと×
問いがどのように意味がないかが○ 乱次元立体関数 異次元緩和 空間のゆがみ 時計 時間 の針の速度。 >>562
おまえが答えてやればいいじゃん
ごちゃごちゃ言ってないでさ 簡単すぎるが 簡単に数式暗喩を立てすぎるよ。自分は。自己は。 >>570
ありがとう。まだ私には数式の意味を理解できるような力量はないけど、
ごく稀にこうして有用なレスをしてくれる人がいるから、しつこく書き込む意味がある。 >>576
意味を理解できないのに解答だけ求める怠け者 >>573
コーシーの積分定理のページとは違って、回転数 (数学)の方は、日本語のページは
しっかりと記述sれているね。
https://ja.wikipedia.org/wiki/回転数_(数学)
これをまともに勉強すればいいわけか。それにしても、説明の記述において
これが数論と直接に結び付けられていないことが私には不思議に思える。 連分数か。新しいとはいえん。 意味は表象をきわめて丁寧に抽出すると、解釈癖の
くせの悪さに陥らないだろう。言語という並び的にはね。 数論?論理学と 形而上学の誤謬を修正して、ドラマティックな出産につなげれればなあ。古いものじゃなくて。ハイデガー、クワイン以降。 >意味を理解できないのに解答だけ求める怠け者
私のような文系専門の人間は、関連性、つまり、文脈から意味を理解しようとするのです。
学校で教えられるような教科書的な数学の勉強の仕方では何も理解できない。
逆に、文系の読解のようなものであれば、何も教えられなくても、簡単にできる。
向き不向きが違うのです。 >>579
一気にいろいろつながるところが面白いね。
>最後に、回転数は (2 + 1)-次元連続ハイゼンベルグ ferromagnet equation と
>その integrable extension、Ishimori equation などと関係が深いことを注意しよう。 クラウドヴィッチの戦争論となると理系も文系もな。役に立たない。
アバズレ サノバビッチ マザー12〜ふぁっかー >>579 ここらへんに重要な鍵がありそうですね。
「関数 r(t) と θ(t) は r > 0 で、連続であることが要求される。最初と最後の位置は同じなので、θ(0) と θ(1) は 2π の整数倍異ならなければならない。この整数が回転数である」 >>582
学校の教科書的な勉強がわからなきゃ自分で勉強すればいいだろ
出来ないやらない言い訳ばっかりだな >>586
回転と円と円運動の違いにいい加減気づこうね 太古の記憶として学ぶべき時もありました。詩や酒 恋と 地獄 天国のためにね。 私が、文系の学問も含めて学校での教育や教科書的な勉強の仕方が嫌いなのは、
それが意図的に"wild-goose chase"に誘導しようとするものだから。
おとなしく素直にしていると、どれほど無駄な労力をあらかさまに
間違った方向で使わされることか。その誘導が意図的であることに
気づくと、言うことを聞いていることがアホらしくなってくる。 >回転と円と円運動の違いにいい加減気づこうね
どっちみち、あなたが定義に基づいて厳密に区別しているような理解をしていない
から、私の表現が、あなたに混乱をもたらすだけのことです。 >>592
他人にわかるように書くのが哲学なんじゃなかったんかい? >>591
だから学校じゃなくて自分で勉強すればいいじゃん
なんで勉強しないの? 定義から入ってそれを必死に学んで適用することを身に付けた人間は、そのこと
によって、哲学的な思考を理解できなくなる。 >>595
じゃあお前の回転と円と円運動の定義を示してくれ。
それを示さなければ数学でも哲学でもない無益な妄言にすぎないぞ。 >>595
哲学ってのはなんの定義せずに適当なこといっていい学問じゃねえぞ 円周率が三付近の設定だと 奇球。運動画。だからな。
文学(バスケット)ボールゲーム部数哲学科開設。
京都祇園今宵舞わんかな芸者大学院(仮)=上兵役
神戸〜三宮〜明石【モノとはず日記がたり】、
大帝都子庭園圏芸人大学。 >>594
こうやって勉強しているんですよ。その方法の曖昧さが気に入らなかったり、
理解不能だったりするのでしょう。その勉強には、他人がどのように物事を
区別しているのかを知ることも含まれる。私は、自分の専門分野の知見を
提示しようとしているのではないので、私の定義などどうでもいいのです。
私の表現が多くの人に混乱を招くものであることが分れば、それに応じて
表現を修正する。少数の人が専門の定義に基づいて拘るだけのものであれば、
それは無視してもいいと考える。それを、むしろ、主体性なしに調整して
いくことが哲学になる。 >>591
学校の勉強が勉強のすべてだとでも思ってるのですか? >>599
ごちゃんに妄言書いて、訂正は全部他人任せで哲学したつもりとは、お安い勉強だね >お安い勉強だね
その通り。勉強が安いことは哲学に不可欠なのです。
理系のように実験機材に金がかかっていては、哲学は万人のものとはならない。
哲学をしたところで、誰にお金を恵んでもらえるわけでもなく、働いてお金を
もらえる時間を削ることになるわけですから。 しかし、まさにそのことによって哲学は専門の学問分野が無自覚にであれ、
蔓延させる毒に対する毒消しの効果を発揮する。 >>602
お安いを文字通り金額にとらえる文脈読めないバカ >>603
それで勉強できない勉強しないの言い訳終わり? 専門家というのは、自分の分野の用語の定義に強いこだわりがあるんですよ。
それを学ぶことの多大な時間と労力を投資しているからね。で、その定義を
無視されると、自分が安く値踏みされたような気分になる。
で、ハイデガーを勉強すれば、存在と存在者と現存在の違いに強くこだわる
ようになり、レヴィナスをすると、「顔」や「他者」という言葉に強くこだわるよう
になる。でも、一般の人々にとっては、そんなことはどうでもよく、哲学をする
ことに関しても、そんな言葉遣いの定義に対する執着は妨げにしかならない。
いくらそんなことを厳密にやったところで、ハイデガー学、レヴィナス学など
の哲学者研究か、哲学学になるだけ。 数式はわからない、定義もしらない
しかし勉強しないする気もない
間違いだらけの妄言書くけど訂正よろしく
それが哲学だぜ( ・`д・´)
病院行け その意味なら、数学もお安いんだよね。紙とペンとノートとテキストだけで出来る。
パソコンくらいはあった方が計算は楽だが。リーマンは、たしか貧しい家庭
だったような気がする。数学はお安い学問だから、あとは謙虚に学び続ける姿勢あるのみ。 魔術病院 ニュートリエンナーヌ青空市ICU 完備 外科喫煙外来。 >>611
一番安価だろうな。
文系のような文献漁りも少ないので、本代もあまりかからない w >数学はお安い学問だから、あとは謙虚に学び続ける姿勢あるのみ。
その意味では、哲学と似ているのかもしれませんね。
違いがあるとすると獲得したと思った学びに対する姿勢でしょうか。
数学者は、証明できたことを確保した陣地のように死守しようとする。
しかし、哲学で重要なのは、デリダがヘーゲルを引き受けて言っていた
とおり(私は、デリダの書き方自体は好きではありませんが)、反芻
をつづけることなのです。専門分野の人間は、哲学はなんでも
よく理解してないまま鵜呑みにして流用すると非難することがよくある
が、それは誤解なのです。まずは拒否せずに飲み込んでみる。
しかし、それは飲み込んだものをそのまま受け入れることは意味
しない。消化できるようになるまで、いつまでも反芻しつづける。
それが哲学の思考の方法です。だから、相手の言い間違いを、
それと知りながら鬼の首をとったかのように晒して勝ち誇る
ような、すぐに自分の損得で感情に流される人は、哲学には
向かないと言ったのです。 >>615
図書館で借りれば文献もタダ
でも連分数君は勉強しないみたいだね
ようするに出来ないだけだろうけどさ だから、勉強して、できる限りお安くさせていただいていると言ってるでしょう。
勉強ばかりでは、実入りがありませんから、働く必要もあるのです。
哲学は職業ではありませんからね。 >>619
勉強したのに数式がまったくわからないと? >>620
そのように他人に勉強を求めるからには、あなたは自らの勉強の成果を示せるのですね。
では、n=∫(0→2) (i^n)/i=4/π
が何を表現しているのか、説明してください。 誤:n=∫(0→2) (i^n)/i=4/π
正:∫(0→2) (i^n)/i=4/π >>616
数学的手法も、消化できるようになるまで反芻しようね >>624
まずは自らが模範を示したらどうですか。私の問いに一つも答えられないようでは、
私に勉強しろなどと言えた立場ではありませんよ。 >>24
((√-1)^n)/√-1をn=(0→2)の範囲で積分したものです。さあ、答えてごらんなさい。 >>625
数式わからない、数学用語もわからない奴にどうやって数学を説明しろと? >>628
それは、数式と数学用語であなたが適切に説明した後の話ですね。
それができれば、あなたは不特定多数に自分の正しさを示し、私の勉強不足
を示すことができます。現時点では、あなたにはそれを主張する資格がない。 >>629
数学的な説明はやはり数学の勉強をしっかりした人にお願いするべきだから、ちょっと数学板で聞いてくるね。。。 >>629
数式を勉強する気もないくせに説明しろとか、どれだけ自己中で傲慢なのかね、君は? それがいい。
哲学板と違って、適当なこというとすぐ指摘されるとこだから。 最初から数学板に書き込めばいいのに、板違いのところに書いて他人にお使いさせるとか、いいご身分だな >>632
ここで数学のレス書いてるやつらはそれが怖くてここにいるんだもんなー ここは哲学板だし、私は数学操作の哲学的な解釈を求めている。それができない
というから、それなら、数学的な説明はできるのかと尋ねているのです。
∫(0→2) ((√-1)^n)/√-1=4/πの哲学的な解釈なら、私は、それが
妥当なものかどうかは別として、既に個人的な見解を示している。
それを数学的に無意味だと繰り返し書き込まれるので、その根拠を求めて
いるのです。根拠を求めるのは、別に私が自分の哲学的解釈の正しさを
確信しているからではない。間違っていると主張するのだから、どのように
間違っているのかを知りたいだけです。 >>637
お前のいう回転と円と円運動は一般的な意味じゃないんだろ?
ならその意味を説明しなけりゃ無意味な妄言にしかならないな
数学を日本語でわかるように説明するのが哲学だと言うのなら、まずお前が実践してみろよ >>637
数式わからないヤツの数学の見解にどういう意味があるの?
わからないのにどうして見解もってるの? 日本語もオン?オフ?スクレプト?
up シテ okay ・kyou・ words >>638
逆ですね。私は、むしろ、数学的には十分に定義されていない一般的な
用法でそれらの表現を用いている。それが無意味だとか、誤りだとか
指摘しているのだから、より厳密に定義されなければならないと主張
するなら、それを主張する側が、従うべき規範を示さなければならない。
それが本当に従うべき妥当な規範であるかどうかが明示的に言語化
されることによって哲学的な議論となる。 私は正しい用法を知っている。お前がそれに従うようになるまでは議論はしない、
というのでは、哲学にはならない。哲学は、対話そのものであって、それをあらかじめ
拒否するのなら、哲学を拒否するのと同じことです。誤りを指摘するなら、どのように
誤っているのか、相手が当然従うべき規範があると確信しているなら、その規範を
相手に明示して初めて対話になる。 oh mrs justis! will be feat mt.machat お幸せに。 se-ea god jobs!
thanks for fx=y goddes bresst.
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two th o thor >>641
じゃあお前の一般的な用法とらやらでの回転と円と円運動の意味を説明してくれ
わかるように説明するのが哲学なんだろ? 結局ここには数学を正しく理解する人はいない
つまり、
>>642のいうような、 「私は正しい用法を知っている。お前がそれに従うようになるまでは議論はしない」という解釈は間違っている
正しくは、
「私はお前の用いている用法に誤りがあると知っている。ただ、私は正しい用法を用いて表現する自信がない。だから、お前が正しい用法を勉強して説明して欲しい。私はそれを検証し、議論する」 >>645
いないと思うならよそへ行けば?
ここにいる必要ないよねー 論より証拠。自分は数学ができると主張していなら、まずはこの式の意味を説明できてからだな。
∫(0→2) ((√-1)^n)/√-1=4/π というか、数式を哲学板で書く時点で
二人共板違いだぞ。
ラカンが書いた数式を数学的に解釈するとかならまだわかるが。 数式を並べて、俺は頭が良い、
だから、哲学も数学みたいになるべきだ
くらいしか言ってないよな ワイルズが俺は哲学者だとか言ったことある?
ないなら数学が哲学でないことは
一流の数学者でも自覚があるってことでしょ。 逆にキチガイほど、数学は哲学であると主張する傾向があるってことになるんじゃないの。 >>651
ラカンの数式を数学的に
それは無茶ぶりだw >>652
一人は高校レベルの数学、もう一人は数式わかんないけどデタラメ書くのが哲学
だもんなーw >>648
数学板で無視される
今荒らしが来てるから解答に時間がかかりそう ヘルマン・ヴァイルとかは哲学者ではないけど、ハイデガーも読んで論じて
いるから、哲学的な関心はかなりあったんじゃないかな。数学者でありながら、
曖昧なことを言うと評判が悪かったのが、ポアンカレ。 数学は哲学じゃあないんだよ
むしろ、数学を捨てたところから哲学は始まる。 >>659
誰かこの図を数式で記述できる人はいますか?
哲学とか数学とかもう面倒なことを議論しなくても、数学の実力を示せますよ。 数学の実力を示すんじゃあ駄目なんだよ。
ここは哲学板。 数学ができるとか、数学の勉強をしろとか、やっぱり口先だけだな。 権威と礼儀と権力の関係をきちんと理解することが哲学には欠かせませんね 数学なんて哲学にはいらんのだよ。
デリダは数式なんか使わんだろ。 デリダを破壊論してた人の方がおもしろいよ。ニーチェ系じゃないの。
看護兵じゃない方。 エクセルはまださ。ワードがニールヤング&ドライブミークレージホーシーズ=ガーベジの指定。
エクセラからね。 大体、ゼノンは問題設定そのものの問題なんだから、
数式やらを並べても無意味なんだよ。
人間っては元々数式の中に居るんじゃなく、
数式の外側に居て、後から数式を作ったんだからそこを理系は勘違いしがち。 >>551 >>656
だって、高校レベルの数学の問題さえ解けないのが哲学板の実力だもんね。
中学生くらいの数学でも無理な奴が多そう。
論より証拠で、高校レベルの定積分の問題出してみるよ。
1) ∫[0~π]√(1+cosx)dx
2) ∫[0~2π]√(1-cosx)dx
3) ∫[0~π/2]√(1+sinx)dx
>>551 >>656 もバカだから当然、このレベルの問題さえ解けないだろう。
低能な己の足元を見つめることから始めよう!現実逃避するなよ、ポニョ。 というより、数式自体いらんだろ。
数式で哲学してる哲学者なんて皆無だが。 分かりもしない数式や数学的概念を適当に借用して、それを指摘されて大恥かいたフランスの哲学者はいるけどね、 わかりもしないというよりはメタファーで使ってるものを
真面目に数学として扱って、それで間違いと指摘したって感じだろ。
ラカンの黄金比の話とかは数学的な意味ではなくて
あくまでメタファーとしてしか使われてないからな。
そこを勘違いしたらアカンよ。 それが、具体的に何に対するどういうメタファーかを説明した文献はなにもないんだよね w
ただの逃げ口上と考えられている。
意味のあるメタファーなら排除しないとソーカルも述べているんで。
それとも、僕が知らないだけで、あなたが知っているなら、謝るけど。 無理数と虚数の違いも分からない人間が、いったい、どういうメタファーを語れるのか。
そもそも、「元の意味も分かってない」のに www この場合の式は、
y/x = x/x+y
とある。 哲学板住民の数学の能力は、平均で中学2〜3年レベルなので、
672の積分の問題さえ答えられないのが大半。推して知るべし。
ラカンの数式とか言っている池沼しかいない。 解説を見てみよう↓
> いきなりうさん臭いタイトルで始まってしまったが、とりあえず左の式を見てほしい。
> xをわたし、yをあなたと置く。左辺はわたしから見たあなたという関係を意味する。
> 右辺はわたしとあなたから見たわたしという関係を意味する。かのラカンによれば、
> この関係が相等しくなるとき対象aに至るという。対象aとはラカンにとっては愛の実体のようなものである。
> その意味で、この式は関係者の間ではラカンの愛の方程式と呼ばれているそうな。
> ちあきなおみのx+y=Loveのように単純ではない。大抵の人たちが、こりゃ一体何じゃ、
> トンデモか?と言いたくなる。 意味はわからないけど、その言葉を使って有意味なメタファーを作る能力があれば、もう怖いものなしだよね ww 元の意味が分かっても発展したメタファーを理解できないなら数学どまりだろ。
哲学の領域に入ってきたいのならそのメタファーを理解する以外ない。 数学板にも哲学を話題としたスレがあるからな
そっちの方が確実に高度な議論ができる 解説続き↓
> ラカンの研究者たちも、この式についてよく解説を試みているのだが、どうも今ひとつピンとこない。
> たとえば、S氏なんかはこんな調子だ。
> 「神がわたしを愛するように、わたしがあなたを愛すること。そこに対象aがある。」
> さて、困った。ラカンは一体この式で何を言いたかったのか。ラカンに限らず、あの時代のフランスの知識人たちは
> ナチスの検閲から逃れるために、故意に自分たちの思想を晦渋に表現していたふしがある。
> 暗喩、隠喩、換喩等のレトリックを駆使し、文章の端々に織り交ぜるのだ。それも、わざと文意を読み取りにくくさせるように。
> ふふ、所詮、ファッショ連中の頭じゃ分かるまい。分かるやつだけが読め、という感じである。
> だから、ラカンの言葉をその文面をなぞるだけではそうやすやすと理解することはできない。
> 彼が生涯行った思索の足跡の中から、共通するイメージを摘み取って、その一つ一つの座標点を結ぶ形でしか、
> 意味の輪郭は描けないのだ。
ちなみにここで言われているS氏とはたぶん新宮さんだろうな。 繰り返すが、意味のあるメタファーなら排除しないとソーカルも述べているんで。
だが、当該の概念を全然理解していないから、そもそもメタファーにもなっていないと。
単に、意味もなくかっこつけてるだけだと ww 続き。
> 左辺のy/x……yを目の前に現れた現象世界とし、xをそれを受け取っているわたしとしてみよう。
> つまり、この分数を主体世界と客体世界の分割比であると考えてみるのだ。とすると、右辺側の
> x/x+yは何を意味することになるだろうか?主体と客体を合わせたものが、実は真の主体であり、
> そのとき主体だったものは客体へと変わる。。そして、その分割比は、前のものに等しい。。。一体、どういうことだ? 意味わからんじゃなくて、折角数学得意って公言してるんだからちょっとは考えてみろよ。 > さて、y/x=x/x+yという愛の方程式。y =1と置いて、この式を解くと、xは黄金比φになる。
> ラカンが対象aと呼んだものだ。この対象aはラカンが言うところの「消え去った現実界」の中に息づいている。
> 此岸と彼岸はこの対象aによって分断され、かつ、この対象aによって結ばれているのである。。
> 対象a。おそらく、それは双対性の思考が生み出す自己言及の成長である。見ることを見ることを見ることを………。
> 負の鏡像原理を正の鏡像原理へと反転させること。そこには燃え盛る生命の火が黄金螺旋の風に煽られて燃え立っていることだろう。
> 風に乗ろう。火を起こそう。そうすれば奇跡は起こる。 > 一つだけ言えることは、この式は主体を客体へと変えること、つまり、見つめる者を見つめられる者へと変換している式だろうということだ。
> このとき、真に見つめている者とは、主体と客体を併せ持った世界そのもの、つまり、神そのものとなる。世界はどういう事情からかは知らないが、
> 此岸と彼岸に分かれた。此岸から見た彼岸。それがy/xが意味していることだ。そして右辺のx/x+yは、その逆、すなわち、彼岸から見た此岸を表している。
> 彼岸に「わたし」はすでに渡っている。だからこそ、ここにわたしがいる。。そして、おそらく彼岸へと渡り終えた「わたし」とは「あなた」のことである。
> なるほど、y/xにおけるyにも「あなた」はいる。しかし、それは、わたしと対立する「あなた」である。しかし、「わたし」を他者として見ている彼岸の「あなた」は
> 対立するものではなく、わたしを含むものである。だから、「あなた」は神なのだ。神は自分を見るために「わたし」と「あなた」を作ったのである。 数式を計算してるとおぼしき箇所は以下の部分だな↓
> さて、y/x=x/x+yという愛の方程式。y =1と置いて、この式を解くと、xは黄金比φになる。 数学得意な人、とりあえず↓の式を解いて解が正しいか検証してくれ。
> さて、y/x=x/x+yという愛の方程式。y =1と置いて、この式を解くと、xは黄金比φになる。 ちなみに新書で出てる新宮さんの本を読んでる数学好きな人は↓の文章で意味が分かるらしい。
俺は数学知らんからわからん。
> この式は、私にとっての他者は、私と他者の両方を合わせた普遍的な神のような視点から見た私の姿に等しい、
> ということを言っている。汝の隣人を愛せよ、なぜなら神は、汝が隣人を見ているのと同じ仕方で、
> 背後から汝を見給うから、という訳だ。すなわち、私が、私を見る神の視点を持って隣人を見るとき、隣人の中に、
> 神にとっての私の姿が見えてくるのである。
(新宮一成・『ラカンの精神分析』より引用) ラカン 『私が「無理数=不合理」と言うとき、何も私はある種の測り知れない情動の状態を指しているのではなく、正確に虚数といわれているものを指しているのです』
なにが正確だよ。
もっとも恥ずかしい発言 ww たぶん、数学的センスがある人だと↓の文章と、y/x=x/x+yという黄金比の解説だけで
何かピンと来るらしい。俺はわからんが。
> この式は、私にとっての他者は、私と他者の両方を合わせた普遍的な神のような視点から見た私の姿に等しい、
> ということを言っている。汝の隣人を愛せよ、なぜなら神は、汝が隣人を見ているのと同じ仕方で、
> 背後から汝を見給うから、という訳だ。すなわち、私が、私を見る神の視点を持って隣人を見るとき、隣人の中に、
> 神にとっての私の姿が見えてくるのである。
(新宮一成・『ラカンの精神分析』より引用) こういうこと?
黄金比って、a / b = b/ (a + b) だよ。 > つまり私(AP)から見た他者(PB)は、私と他者を合わせた全体(AB)から見た私(AP)に等しいわけです。
うーん、ピンとこないな。
数学的センスのある人解説よろしく。 >>700
たぶんそう、俺はわからん。
>>701
それをxとyに置き換えたんじゃないの? じゃあ、 『私が「無理数=不合理」と言うとき、何も私はある種の測り知れない情動の状態を指しているのではなく、正確に虚数といわれているものを指しているのです』
の正しい解説は www 哲学的には、数学の解法を暗記してそれを適用することと、計算機を使って
答えることの間に大差があるとは思えないな。 >>708
明らかにナンセンスな方を先にするのが効率的だよ。 > 精神分析家のジャック・ラカンは、自己と他者との関係を表すのに、「黄金比」という概念を持ち出しています。
> ご存知のように、黄金比とは、ある線分を2つに分割した場合、その長い方と短い方の比が、
> 線分全体と長い方の比と等しくなっている場合の比率のことです。つまり、線分AB 上の点 P が、
> AP:AB=PB:AP を満たすとき、この線分は「黄金比」に分割されているといいます。 うーん・・・意味不明。
> で、ジャック・ラカンの理論ですが、(なぜそうなのかという途中の理路は、非常に込み入っているのでいっさい省略して、結論だけを言うと…)、
> 「私」を分割された線分の長い方、「他者」を短い方と考えると、この「私」と「他者」の関係が、黄金比になっているというのです。
> つまり私(AP)から見た他者(PB)は、私と他者を合わせた全体(AB)から見た私(AP)に等しいわけです。 >>712
意味不明と感じるのが正解。
多分、意味ないんだから w この表現はあってるかね
なんだ、数学用語で画像検索したら出てきたから何か意味があるのかと思ったw たぶん正解と思われる解釈↓
> 疑念を抱きつつ読み通した感想は、この人が「喩え」を用いて説明しようとするときの観念的混乱の部分を読み飛ばせば、
> 確かにラカンの難解な概念の説明を読み取ることはできる。
> だが、そのような混乱は、本書全体を通して何度も繰り返されており、本書の多くの説明部分を侵食する。
> 例えば対象aを説明するとき、「それが黄金比である」などということはその説明に全く本質的に関わるものではない。
> 「私が、私を見る神の視点をもって隣人を視るとき、隣人の中に、神にとっての私の姿が見えてくるのである。
> そんな場合の私にとっての隣人が、対象aである」という説明で十分であるのに、どうして「黄金数」などということを余計に付け加えてしまうのだろう?
> この本を入門書として読むとき、そのような観念的混乱をいかに除去するかという苦労が伴うことをかんがえれば、
> わざわざこの本を入門書として勧めるのは、その入手の易しさ以外に正直言ってありえない。
> もしくはそのような観念的混乱の構造をも取り込んでしまうような観念的貪欲さを誰かに強いることをよしとする場合のみだろう。 >>715
俺の理解力が及ばなかった。
たぶん、あってそうな気はする。 > 「私が、私を見る神の視点をもって隣人を視るとき、隣人の中に、神にとっての私の姿が見えてくるのである。
> そんな場合の私にとっての隣人が、対象aである」
まあ、↑の意味を式にするとy/x=x/x+yというメタファーになるってことだろうな。
俺にはさっぱりだ。
数学のセンスがあるおまいら解いて。 ∫(0→2) ((√-1)^n)/√-1=4/π
こっちの解釈の正解を示す方が簡単だろうに、どうしてそんな難しい方向に話に逸れるのか。 ↓の説明はかなり親切な説明だと思うがこれでも俺はピンと来ないな。
> まず最も難解な概念『対象a』は、そのまま『黄金数』であると説明されています。
> これはラカン曰く、その名の通り数学からの援用した言葉で、以下のような理論になっています。
> 主体である人間が客観的に自分を把握しようとする時、他者の視点が要請されるといいます。
> ここで言う〈他者〉とは、自分にとっての人間全体=みんな、というような意味です。
> この〈他者=みんな〉に〈自分〉の視点を加えた複合的な視点を作り出すことで、
> そこから見ることの出来る客観的な自分こそ、真実の自分だと、人間は思うからだとラカンは言います。
> ちょっと聞いただけでは意味のよくわからない奇妙な考え方ですが、この〈自分+皆〉という空想的な視点
> (というより概念)を考え出し、〈自分〉をさも客観視するように認識する行為を、ラカンは数学を用いて、黄金数と呼んでいます。
> (数式的には、自分=X、他者=Yと書き、客観的に自分を把握するには自分Xと他者Yを足し、X+Y/Xという分数の表記にします。
> この分数に代入などの操作を行うと、黄金数(美しいとされる比率の無理数/0・618...)が現れるそうです)
> こうして、『黄金数』=『対象a』という概念が提示されるのですが、では、この『対象a』とは一体何なのでしょうか。
> 一言で言えば、『対象a』とは、真実の自分を隠していると主体(人間)が想像する概念的な存在。
> そして、それこそが人間の本当に求めている真の〈欲望の対象〉であるという説明です。 >>713
ありがたい
答えが載ってるURLを教えてくれた
9 KingMathematician ◆LoZDre77j4i1 2017/10/15(日) 01:38:24.24 ID:n3InErcl
Re:>>8 https://en.wikipedia.org/wiki/Dessin_d%27enfant これが一番わかりやすいな↓
> 著者の新宮氏は、ラカンの「対象a」という用語を「黄金数」という概念によって解説しています。
> 黄金数というのは、たとえば長方形の〈 長辺 : 短辺 〉の長さの比が、
> 〈 長辺+短辺 : 長辺 〉の比と同じになるような関係のことです。
> 具体的な数字でいうと1:0.618…です。いわゆる「無理数」ですね。
> ラカンは、この比(黄金比)が人間関係にも当てはまると主張しています。
> では、実際にこれを「人間同士の関係」に置きかえるとどうなるでしょうか。
> それは、「私があなたを見つめる」という関係が、
> 「私とあなたが私を見つめる」という関係に等しくなるということです。
> 〈 私 : あなた = 私+あなた : 私 〉という「比」ですね。
> このとき、〈私+あなた〉というのは「他人」とか「みんな」のことだと思って下さい。
> もしこの二つの関係が等しいとすれば、「私があなたを見る」とき、
> 私はみんな(私+あなた)の視点から自分自身を見ていることにもなるでしょう。
> 「私とあなた(みんな)が私を見つめるように、私はあなたを見つめる」です。
> この「あなた」を見つめるのと同時に見出された「私」、これこそが「対象a」にほかなりません。
> この「私」は「みんなにとっての私」ですから、それはある意味「ほんとうの私」に一番近い存在でしょう。
> つまり「対象a」とは「ほんとうの私」のことなのです。 なんとなくわかった気がする。
y/x=x/x+y だと、たぶんxが問題なんだな。
このxは自己で、要は相手を見る自分と、
客観的な視点から見た自分が一致するという状況なんだろうな 686考える名無しさん2017/10/15(日) 00:51:52.790
繰り返すが、意味のあるメタファーなら排除しないとソーカルも述べているんで。
だが、当該の概念を全然理解していないから、そもそもメタファーにもなっていないと。
単に、意味もなくかっこつけてるだけだと ww
まさに、哲板住民の民度がこんな感じ。数学の基礎も理解していないくせに、
四元数とか言い出す。つまり、はったりメタファーとして数学用語使っているだけw >>551 >>656
高校レベルの数学の問題さえ解けないのが哲学板の実力だもんね。
中学生くらいの数学でも無理な奴が多そう。
論より証拠で、高校レベルの定積分の問題出してみるよ。
1) ∫[0→1] {(3x + 2)e^2x} dx
2) ∫[1→2] {(2x + 5)2^x} dx
3) ∫[-π/6→π/2] {(x sin2x)} dx
4) ∫[e→e^2] {(x^3 + 1)logx} dx
>>551 >>656 もバカだから当然、このレベルの問題さえ解けないだろう。
低能な己の足元を見つめることから始めよう!現実逃避するなよ、ポニョ。
※ こういう普通レベルの数学さえ出来ないのに大口だけ叩くのが
哲板池沼クオリティ。>>551 >>656は、まずはこれに解答できてから、
大口叩いてね。数学をポエムやレトリックとして悪用しないでね。 哲学の欠点は、レトリックを駆使することで己が利口になったような気分をもたらすこと。
普通に考えれば、それはポエマーレベルの低知能な振る舞いなのに、賢者になったかのごとく
幻覚や錯覚を与える。ラカンやポモ思想は、人々のそうしたまともに学問をせぬ怠け心があっても、
己の自尊心を高め、底上げする装置を作ることに成功した。だが、ソーカルによって、それらは
砂上の楼閣に過ぎぬことがすぐに露呈したのである。
すなわちラカンやポモ思想は、詐欺や霊感商法、ネットワークビジネスみたいなものだったのである。 ラカンの「私とあなた、神の黄金比」が意味不明で無内容なのは、
そもそも比を扱うのなら、定量化できる対象を扱っていなければならないのに、
定量化しうる何を比較しているかが全然わからない。
平均寿命や体重、放射性崩壊系列なら比で表せるけど、ラカンが何を測定して
いるかが皆目分らない。
たとえば、関係や存在のようなものを比率の対象にしているのかしれないが、
それが黄金比になっている証明はどこにもない。単に、そうなっていると、
ラカンが自分勝手に決めつけているだけ。どんな恣意的な比率でも代替できる。
あなたにしたって、愛する者、配偶者、家族、友人、職場の同僚、死者、
まだ生まれていない者、赤の他人、地球の反対側にいる者、敵対者という
変数によって、その関係なり、意味、心理を含めた距離感がそれぞれ異なるだろう。
また、神もイスラムの神から、キリスト教の神、ユダヤの神、汎神論、無神論、
老荘思想、マルクス的唯物論、科学主義と様々な神が考えるので、それらの
個々の違いを全部無視して、いきなり、神と私とあなたが黄金比のもとで
真理のように語られてしまうのは、宗教と同じだね。
結論としては、ラカンはただの優れた詩人です。 宗教やスピリチュアリズムというのは、その存在を証明出来ないものを
基礎的な要素として、そのお話や世界観が構築・展開されていくので、
いうなれば、何でもありのお手盛りのポエムのごとき世界観がそこには形成される。
神、天国、地獄、天使、悪魔、輪廻、前世、転生、仏、霊
など、それらが真実かどうか証明・検証出来ない事柄で、お話が作られて
しまうので、要するに信仰、すなわち、だた唯唯諾諾と信じるか否かの
ファンタジックな世界になってくる。
様々な宗教が相争って、歴史的にも大量の殺し合いをしてきたことを考えれば、
確率的に一番高いのは、どの宗教も真理を体現したようなものではない、
ということだろう。 >>729
この人は、このままだと優秀な馬鹿を脱することは一生できない。 >>729
そこまで言ってやるなよ
そのラカンの滑稽なポエムを今ごろになって目指している連分数君が泣くだろw 人が、ある地点Oまで辿りついた時、たとえばそこから経路Xへと向かうOX
という経路(選択肢)と経路Yへと向かうOYという経路(選択肢)の2つの経路
があるとする。
OXの方向にあるのは、知識、正当な学問、努力、科学的・論理的などの特徴である。
OYの方向にあるのは、ポエマー、無知、無学、レトリック、詭弁、言い訳、
ネットウヨ、掲示板荒らし
という、かなり特徴のある2つの方向性へと分岐しているのがイメージできると
思う。数学は当然、経路OXの方向にあるが、それが経路OYで誤用されている
ケースがある。ファルスを虚数iとして提示するラカンの下らない比喩表現などに、
それがよく象徴されている。
哲学も本来は、経路OXの方向にあるべきだが、ラカンやデリダなどに象徴される
ように、経路OYでポエムのような言葉遊びのダンスのような哲学、意味不明な
呪術のごとき観を呈した本来の経路から脱線・逸脱した哲学もある。
人は、正気を取り戻して、経路OXの方向に舵をきって日々精進、地道に勉学に
親しむべきであろう。 ラカン×デリダ 寄合予知立ち話も怠惰。
ジジュク× 1/3=0.333333....
2/3=0.666666....
ところが
1/3+2/3=1と教える
なんで? なんでかというと、分数と少数は始原のスープからあるない違うから仮の答えを出すしかないじゃないの。
無限ルーパーか 有限図称。事象の世界のはなしだよ。 分数と少数は確定しないから競馬のパトロールフィルムみるといい勉強になるよ。 1/3=0.333333....
左辺と右辺は、単に表記法の違いであって、本質は同じである。 >>749
ラカンと数学の話が出てるけど、ちょっと上のレスも見られないの?それとと見ないふり?
ただの数学の話は板違いだからスルーされてるだけ
子供じゃないならそのくらいわかろうね 小学算数の分数計算にさえ、すでに詭弁が紛れ込んでいるんだな だから数学というのは比較的優れた「バカ発見器」なんだよ。
哲学であれば、哲学書を適当に買ってくるか、図書館で借りてくるかして
適当に読んで、内容は大して理解出来なくても自分が利口になったような
中二病的な自己満足が得られるけど、数学はそうはいかない。
数学だと演算のプロセスが適切でなければ、いつまで経っても
正しい解には辿りつけないので、自分の脳の機能や精度が
そこで試されてしまう。
それに、だいたい哲学なんて文学と同じで、客観的に読む必要がないもの
かもしれない。文学作品の解釈が幾らでも成立するように、ある哲学や
哲学者の思索から何を読み込むかは自由なので、基本的には哲学は
何でもありの世界なのだろう。ジジェックの哲学解釈なんて、あれと
同じ調子で正反対のことを主張出来るような代物だから、最初から
真理性など哲学には期待出来ない。解釈の多義性なり、豊穣性があるので、
それでいいと思うよ、哲学は。 >>723
ありがとう。これほど興味深く、連分数計算にも関係のありそうな図が
数学的に無意味でなくてよかった。
>>753
で、∫(0→2) ((√-1)^n)/√-1=4/πの解釈はまだですか? 誰が馬鹿だとか、私の方が優れているとかそんな下らない話は、それこそどうでも
いいんだよ。ただ興味深い現象の意味を追求していれば、いろいろなつながり
が自ずと現れてくる。 おまえが興味深いと思うものは全員が興味深いと思うとでも? >>753
哲学は読むもの
数学は演算するもの
として対比しているけれども
それは
AVを見る
と
セックスをする
を対比しているようなもので
読むと演算するは同じカテゴリーじゃないから
それは外在批判に過ぎなくて
読むと演算するとの間に既にある価値観の二項対立に依拠している
つまり受動的なものとして読書と能動的なものとして演算の二項対立
受動に優位する能動という価値観に依拠している
哲学を読むもの
とするのなら
数学もその演算過程を読むもの
として
数学は演算するもの
とするのなら
哲学も論理的に説明するもの
として
カテゴリーをそろえた内在批判という観点も必要だと思うけど ∫(0→2) ((√-1)^(n-1)
これほどシンプルな形式の関係から4/πという答えが出てくることを
興味深いと思わない方が、感性が鈍っているのではないですか? >>758
しかも、それが2n-1のnにおいて1から順に無限に数える自然数が現れる、2n-1の数値
の間の関係として表現される連分数計算の答えと等しくなるのだから、そこに何かの
意味解釈を見出そうとするのは自然なことでしょう。 誤:∫(0→2) ((√-1)^(n-1)
正:∫(0→2) (√-1)^(n-1) >>1から順に無限に数える自然数
なにこの頭痛が痛い文
アホすぎて笑ったw >>757
だから、数学と哲学の粒度をそんな風に無理矢理揃えなくていいんだって。
これこそが正しい哲学的な答えだ!というものが全然存在しないのが哲学
なのに対して、数学は、これが正しい解ですよ、と提示できる。
なので、数学は現象を一意に収束させる志向を持つのに対して、哲学は、
現象に多義的な解釈やエントロピーの増大をもたらす。だから、
そう考えれば、哲学が詩に似たようになるケースがあるのも別に不思議ではない。 Yet when we follow their most proper intention, in all the sciences
we relate ourselves to beings themselves.
Precisely from the point of view of the sciences or disciplines
no field takes precedence over another, neither nature over history nor vice versa.
No particular way of treating objects of inquiry dominates the others.
Mathematical knowledge is no more rigorous than philological-historical knowledge.
It merely has the character of “exactness,” which does not coincide with rigor.
To demand exactness in the study of history is to violate the idea of the specific
rigor of the humanities. The relation to the world that pervades all the sciences
as such lets them — each according to its particular content and mode of being —
seek beings themselves in order to make them objects of investigation and
to determine their grounds. ラカンの数学の隠喩がどうのと議論になっているようだけど、ソーカルも
ラカンも読んだことないな。ラカンについて書かれたものなら一部目を
通したことはあるけど。いずれにしても、ラカンが用いている数学の
隠喩が不適切なものなら(そうであるかどうか私は関知しないが)、
適切なものに置換すればいいだけだと思うよ。数学にしたって表現に
過ぎないわけだから、不適切な表現に固執して擁護しなければならない
理由はどこにもないし、逆に、不適切な表現があったからといって、
全面的に数学を隠喩に用いるなというのは馬鹿げている。 なぜそのような禁止が馬鹿げているかと言えば、いくら禁じたところで、
人々は、数学の専門家や数量を扱う専門家も含め、日常的に無反省に数学や
数量を不適切に比喩や隠喩として用いるからだ。数学の方が哲学より優れている、
数量化の方が文学的表現より適確だと考えること自体が既に優秀性において、
数学>哲学、適確性において数量化表現>文学的表現という数学的な隠喩
または比喩とみなすことができるわけで、そのような表現も反省的に検討
される必要がある。 >>754
まだです
数学板の人に無視されています
問題の意味が分からないようです さらに、倫理学者が、私たちは、他者に対して無限の責任/債務を負っていると
主張してみたり、経済学者が、世界のわずか〇〇%の人々が□□%の富を独占
しているとか言ってみたりして、世論に訴えかけることがよくあるけれども、それも
数学/数量的な比喩または隠喩とみなされるわけで、しかも、少し考えてみれば、
それがいかに無反省で馬鹿げたものであるかはすぐに理解できる。だから、
重要なのは、数学を比喩または隠喩として用いることを禁止することではなくて、
使われている数学/数量的表現に自覚的になって、それをより適切なものに
置き換えるようにする取組みを忘れないようにすることだ。 >問題の意味が分からないようです
問題の意味に暗黙に含意されているのは、πを表出させる最もシンプルな数学的
操作はどのような形式をとるのか、それは、数を数えることとどのように関連している
のか、という問いです。 だから、哲学は哲学でいいんだよ。ある哲学者が提示したパースペクティブ
や哲学的な世界観・世界像に、それなりの魅力なり、説得力や偉大さなどが
感じられれば、それでいいだろう。へー、こんな物の見方や捉え方、考え方が
あるのかと思わせれば、それで哲学として成立している。世界の見方はいろいろ
あった方が世界が豊穣になるのだから、様々な異なるベクトルを有した哲学が
あった方が健全で、むしろその方がいいだろう。
哲学的な世界観や世界像を説明するにあたって、数学を用いるのは当然、
あっていいし、むしろ、積極的に使うべきだ。そのためにも数学の学習が
必要になる。数学の学習をまともにしていない者が哲学に数学を使えば、
それはポエマーのようなものに堕する。 >数学の学習をまともにしていない者が哲学に数学を使えば、それはポエマーの
>ようなものに堕する。 数学を使えば、それはポエマーのようなものに堕する。
そこですぐに問題を個人化して、自他の優劣の問題にすり替えようとするから問題が
こじれるんだよ。数学をつかおうと使うまいと、不適切な表現は絶えず用いられるわけで、
それを禁じるのではなく、それをどのように改良すべきかだけが取り組まれるべき
課題であり、その取組みは、対話によってしか進まない。 >様々な異なるベクトルを有した哲学
例えば、この数学的な隠喩は適切なのか?無反省に隠喩を使っていないか。 >>770
意味わからない記号が帰ってきた(泣)
20 132人目の素数さん 2017/10/15(日) 13:30:55.39 ID:1CsCN52B
>>19
A→BがあったらSA→SBがあるでしょ
X×Y→X,Y,X∧Yは自然なものがあるから
πは自然でしょ? 数学とは意味が発散しないように構築された言語に過ぎない
数学的正しさとは
無矛盾特に不動の前提との無矛盾
であって
それは前提の再生産に過ぎないから真理性を担保しない
そういう点では数学は神学に近い >>767
ラカン 『私が「無理数=不合理」と言うとき、何も私はある種の測り知れない情動の状態を指しているのではなく、正確に虚数といわれているものを指しているのです』
単に、ものを知らないだけでは w 歴史に名を残す数学者の業績というのは、ピタゴラス、オイラー、ガウス、
パスカル、ガロア、フェルマー、アーベル、ニュートン、ライプニッツとか
数学を知らない私が思いつくままに挙げても、すべて複雑に見えていた現象
をシンプルな形式で表現して操作する手法を考案した人々ですよね。
宇宙際タイヒミューラー理論が数学の歴史上、大きな業績であると、
どのような現象をどのように表現しようとしているのでしょうか。それは
上に挙げた数学者のように複雑な現象に極めてシンプルな表現を与える
ようなものなのでしょうか。 ラマヌジャンの数学が胡散臭く、なにか数学研究の副産物に意図的に手を加えて
神秘化したものではないかと思えるのは、自然に見えるシンプルさが欠けている
からでしょう。 複雑な現象に極めてシンプルな表現を与えているのではなくてシンプルな表現に合致するように現象を解釈しているだけでは?
経済学がX軸とY軸において世界を説明するのもネトウヨが韓国という要素で世界を説明しようとするのもそれと同じ ラマヌジャンの円周率の公式があるけれども、それが計算的に正しいとして、
なぜあのような複雑な表現を考える必要があるのか、その必然性が不明なのですよ。 >>779
無理数と虚数の区別もついていない、まさに妄言だなw >>784
に対してレスしてるのに、なんでそれにはなんの返答もせず関係ない話するの?
しかも何かお困りとかトンチンカンなレスつけてさ
きみコミュ障か? 面白いね。例えば、AとBが似ているとと言う場合、AとBは
関係があるという主張になるのだろうか?それともAとBが
関係しているかにかかわらず、AもBも私に対して似たような
効果を有するということなのだろうか。その場合、私に対して
似たような効果を有することにおいて、AとBは関係している
と言えるのだろうか? 関係しているかにかかわらず×
関係しているかどうかにかかわらず○
考えながら書いているといつでも抜けたり、書き損じたりするな。
でも、考えた後に書いたのでは、書こうとしていることを捉え損ねる。 >関係ない話するの?
関係があるかないか、どのような場合に関係がある/ないと見なすかの前提にかかわる問いだから。 宇宙論=神学=哲学=数学ってのがまーだ分らねえのか、この馬鹿どもはw 何をやっているのかを普通の言葉で説明できるようにすることは大切だと思うんだよね。
だって、宇宙際タイヒミューラー理論を研究して何が分るようになるのかという問いの
答えが、「宇宙際タイヒミューラー理論を理解できるようになります」だったら、別に
理解するための時間と労力を費やすための対象としてそれを選ぶ理由はどこにも
なくて、ジグソーパズルをやったり、テレビゲームをやって時間を潰しても同じことじゃない。
どっちみち、自分がその理論構築に貢献するわけでもないのだから。 その意味でラマヌジャンの数学とか宇宙際タイヒミューラー理論とかは私には似たような
ものでしかない。ラマヌジャンの円周率の公式を計算してみたところで、ただ、答えが
合うことが確認できましたということにしかならないからね。 数学のごく普通の複素解析あたりなら、十分に哲学の対象となり得ると
思うんだよね。それが私個人の力量の及ぶ範囲かどうかは別として。
数えるとはどういうことかという問いが、表面上の簡明さとは裏腹に、
その意味を追求していけば複素数にまで問いの範囲を広げなければ
ならなくなるようだから。それに、数学が複素数をごく普通に扱う
にしても、その操作を日常言語で説明することはできていないからね。 何か問いを立てて追及することきに、それを問う個人の力量でその問いに
答えることができることを要求するのは、とても偏った奇妙なイデオロギー
に暗黙に基づいている。個人の身体能力に依存するスポーツの世界ですら、
指導者は、自分のできなかったことを指導する選手が実現できるように
なることを求めるわけで、自分で答えられないなら問いを立てるなと
いうのは、なにか個人の才能と技能がすべてであるかのような誤った
前提条件に対する信仰のようなものだ。個人ができなくても、そこに
可能性があるなら、失敗の原因を見極めて可能性を追求する。それが
普通の探求の姿勢だろう。 三角関数や複素数は大事だよ。直流(DC)と違って交流(AC)は、
電圧や電流の向きが時間の関数で周期的に変わるから、
それをサインカーブで表せる。
Φ=LI
Φ鎖交磁束数で、Lが自己インダクタンス、Iが電流。
角振動数(角周波数)は、ω = 2π/t で、2π秒間に振動する
数を表す。周波数の単位はサイクル毎秒(c/s)やHz(ヘルツ)を
用いる。100Hzなら、1秒間に100回振動することを表している。 東日本の家庭用電源周波数fは50Hzなので、
ω = 2πf = 2π×50 = 100π = 314.159 [rad/s] (radian per second)
西日本の家庭用電源周波数fは60Hzなので、
ω = 2πf = 2π×60 = 120π = 376.99 [rad/s] (radian per second)
この周波数の違いがあることで、東日本大震災の停電の時にも
西日本から電力融通がしづらいというのが問題となったはず。
周波数変換能力にも限界があるようだ。世界を見渡してみても、
一つの国の中で複数の周波数が混在するのはインドやアフリカの
一部の国など、ごく僅かであるとのこと。周波数の日本国内統一
は発電所の周辺機器の総取り換えが必要で、コスト的に難しいらしい。 πは、単位を数えることの裏として見るなら、数えられなくなるプロセスを表しているのだろう。 それは、円を形として見るなら、形を失うプロセスと見ることができるのと同じことだ。 物理的な物体は、その形状を失うことによって丸くなる。 単位を無限に数えることができることが、単位を数えられなくなるプロセスによって裏から支えられている。 今までのはギリギリ無知な変人程度だったが、ここまでくると完全な狂人だな
病院行ってる?
季節の変わり目はおかしな人がよりおかしくなるって本当なんだね 病院は、生まれたときと、交通事故に遭ったときと、両親が亡くなったときを
除くと、ほとんど行ったことがない。脳の異常を検査するためのMRI撮影を
してもらったことがあるが、まったく異常は見つからなかった。 ここで言おうとしているのは、前景化と背景化は別々のプロセスではない
ということだ。数えることにおいて、単位が現れること、すなわち、前景化
することは、πが背景化することであり、πを数値として前景化させる
ことは、数えられる単位が背景に消えていくことである。 例えばこんな時にご相談下さい。
借金の返済で困っている・・・。
(金融機関、住宅ローン、会社、個人など)
家賃や税金、公共料金、学費の支払いに悩んでいる・・・。
給料が減少し、生活が苦しい・・・。
数社から借入があり、どこからも借りられない・・・
お金の悩み、相談はエスティーエーで 定係数2階線形微分方程式の特性方程式
λ^2 - (α + δ)λ + (αδ - γβ) = 0
パラメータtを時間と考えれば、時間tの経過とともに
曲線が描かれるので、解曲線となる。解軌道とも呼ばれる。
上記の特性方程式の解λ,λ^2の関係によって解軌道は
様々な形を取る[安定、不安定、漸近的安定]。
それらは、カオス理論でよく取り上げられるローレンツの
ストレンジアトラクターの軌道を連想させる。つまり、
抽象化された宇宙そのものにも映る。 808 考える名無しさん 2017/10/16(月) 09:30:59.93 0
それは、円を形として見るなら、形を失うプロセスと見ることができるのと同じことだ。
809 考える名無しさん 2017/10/16(月) 09:31:45.87 0
物理的な物体は、その形状を失うことによって丸くなる。
なんじゃこりゃwww ポエムには正しい正しくないなんて関係ないからな
好きに書けばいいわな 宇宙探査において巨大な立方体が発見された場合、それは自然物として認識されるのか 太陽系外から受信される電波信号が、日本語に解読できるものであった場合、
それがランダムな信号であるのか、意図されたものであるのかはどのように
して判断可能なのか。 時間的な問題を除外するために「太陽系外から」じゃなくて、「月から」に変えておきますね。 >>828
だからなに?
話題にして欲しいならまずお前の見解を示せよ >Henri Poincaré : un poète de la mathématique à l'Académie française
ひどい言われようだな。 >Belyi functions and dessins d'enfants – but not Belyi's theorem – date at >least to the work of Felix Klein
教えてもらったあの図について少し検索してみたら、無意味で数学に関係ない
どころか、多くの著名な多くの数学者の研究に深く関係しているみたいですね。 前景化とか背景化っていいなぁ。やっぱ哲学って詩だよね。 哲学って何のためにあるんだろうな
自分を見つめ直す時に、哲学が生まれたり哲学に助けられたりすることがあるけれど
もしもそれがただの詩であったとしても、それが人の心に本質として現れるのなら、それでいいとも思えてしまう 印象かぁ。文学的だねぇ。
その点、数学は記述されていることを組み立てて操作しないとイメージにならない/なりにくい記述が多い。
視線が違うのかねぇ。 思いつき並べてりゃポエムで哲学か
ポエムや哲学もなめられたもんだな 哲学には人間としての心情や人生が含まれていると思う
論理的手続きに一切の心情を含めない数学などとは違って
だからこそ
何となく考えたことは哲学に昇華せず時には「ただのポエムだ」と罵られる >数学は記述されていることを組み立てて操作しないとイメージに
>ならない/なりにくい記述が多い。
そうなんだよね。そこが難しいところ。数学は複雑な幾何学模様のような
もので、それを描けるようになるには、相当な訓練と集中が必要だけど、
どうその模様を描いているのか説明を求めても、それに慣れた人は言葉
にできない。それに対して、哲学は、デッサンとか抽象絵画の違いがある
にしても絵画に近い。幾何学模様を描く訓練に集中していると、絵画が
下手になってしまうというか、描く感性が失われる恐れがある。 というか、幾何学模様ばかり描いている人は、その世界に入り込んで入るから、
絵画を描く感性が失われていることにもはや気づけなくなってさえいる場合が
ある。 印象を表現にする大切さにさえもはや気づけなくなっているのだろう。 マウリッツ・コルネリス・エッシャーって人の絵の中にはこれにインスピレーションを得たものがあるよね
「極限としての円」とか「円の極限」とか呼ばれてるやつ
幾何学的紋様の中に人間性を織り混ぜてる イスラム世界の模様は、数学としては記述されないものの、明らかに何らかの
数学的な関係に基づいて描かれているよね。
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/9/9f/Mekhnes_Place_El-Hedine_Mosaique2.jpg/1024px-Mekhnes_Place_El-Hedine_Mosaique2.jpg
興味深いことに、イスラム世界では具象画は禁止されていることだ。
幾何学模様を高度に発達させることと、絵画の技法を発達させることに間
には、何か相互排他的な関係があるような気がする。曼荼羅なんかは両方の
要素を取り入れているけど。 もちろん、絵画にも幾何学的な認識はその基礎に入り込んでいるが、
その用いられ方が違うのだろう。 >>834
前景化と背景化という表現を使うことで、特に難しいことを言おうとしているわけではないよ。
円周率をπとして表せば、数えられる単位が前景化されて、円周率は背景化されるが、
逆に円周率を数として表現しようとすれば、つまり、数値として前景化しようとすれば、
今度は、数えられる単位の方が背景化されて、数値として表される円周率の背景に
単位が退いてしまうということ。 それにしても、フェリックス・クラインの研究に由来を遡ることができるとされ、
リーマン面に関係付けられているとされる数学的な図表を提示されて、数学的に
無意味だと言う人々が、よく数学について偉そうに他人に説教できるものだ。
もちろん、私がその図を見て意味を理解できるわけではないが、数学の素養
のない私が見ても、これは数学的に重要な意味がありそうだと直観的に
感じられるのに。 こら!毒吐かない!
まぁ直感で数学的本質の存在を認知できるのはすごい事だがなぁ
だがなぁ。。。
あなたの直感で認知された「数学的本質と考えられるモノ」に内在する人間性が垣間見える毎に、「数学的思考に心情を含ませるべきではない」という私の直感が割って入ってくる
これは即ち『価値観の違い』ってやつだろう 連分数くんの、頓珍漢な意見が続いているね。
数学化で絵が描けなくなるとか、全くの出まかせ。
ダ・ヴィンチ見れば分るけど彼は理系の天才で、その一ジャンルとしてようやく絵画がある。
ダビンチの絵画は、心象や印象ではなく、すべて緻密な計算のもとに描かれている。
だから、それはむしろ設計や科学に近いんだよ。優れた画家は、大量のエスキースを
使っているので、その場の着想だけで描くポエムではないんだよ。 イスラム芸術のアラベスク様式も幾何学模様で、この宇宙の構造を表現している。
その抽象表現自体が芸術となっている。アラベスク様式はユークリッド幾何学から
その着想を得ているらしいね 曼荼羅はその顕著な例だけど、数学・幾何学的に抽象化されて描かれた図像そのものがこの広大かつ深淵な宇宙のイコンになっている。
日本人は現場主義者の具象脳の人たちが多いので、こうした抽象モデルの構築から
宇宙をイメージ出来ない。つまり、日本人はそもそも形而上学には向いてなくて、
形而下で以心伝心、空気読めの職人気質なんだねえ。即物的と言いますか。
観念論的なことにあまり興味を抱けない民族と言うイメージ。
でも、真に知的なのは抽象度の高い側にあると思うよ。だって、極限的宇宙の構造が
そうなっているのだから。 ゼータ関数を解析すると曼陀羅模様なんかが見えるらしいね >数学化で絵が描けなくなるとか、全くの出まかせ。
他人の書いた文章の文意もまるで読み取れないくせに、自分が誤読した相手の
意図で他人を誹謗中傷するのはやめたらどうかね? 「すべて緻密な計算のもとに描かれている」図を見せられて、数学的に無意味だなど
という人が、よく他人に数学について説教できるものだ。 >>848
だれがそんなことを言ったの?
レス番を示してくれ >幾何学模様を描く訓練に集中していると、絵画が
>下手になってしまうというか、描く感性が失われる恐れがある。
ダ・ヴィンチ見れば分るけど、あらゆるデッサンに優れた能力を発揮したので
あって、幾何学模様ももちろんデッサンしている。しかし、幾何学模様を自分で
描く訓練をしていたわけではない。幾何学を絵画の基礎として利用すること
と幾何学模様を描くことに専念すること違う。 真偽はともあれ、恐れがあるだけなら感性豊かな人もいるんだ ルネ・トムとかは、絵画にも映画にもまったく興味がなく、どこだったか
米国の地層の風化した風景を眺めるのが好きだと言っていたな。 「幾何学模様を描くことを目的として幾何学模様を描く」という作業を続けると感性が損なわれる
という説? 「幾何学模様を描くことを目的として幾何学模様を描く」という作業を続けると
デッサンする感性は損なわれるだろうね。ダ・ヴィンチの感性は、デッサンする
ことに向けられている。で、実際にダ・ヴィンチの発明とされるものを詳細に
調べてみると、ほとんどすべて他人の発明物のデッサンだったという話。 さらに、ダ・ヴィンチはあれだけ観察力が優れていたのに、後世に取り上げられるような
ダ・ヴィンチ独自の哲学的な洞察は何も残していないようだね。 >>859
都合の悪いレスは見ないフリかな?
856 考える名無しさん sage 2017/10/17(火) 08:25:59.92 0
>>848
だれがそんなことを言ったの?
レス番を示してくれ >>870
ああゴメンね。>>661で図の意味を質問したら、まったく答えられずに、意味不明に
ラカンがどうのという話に逸れて行って、意味がないとか、分らないとかのレスばっかり
書き込まれるようになったから、混同していたよ。で、結局、何の図であるかを
数学板で聞いてきて、教えてくれる人はいたけどね。で、あなたはこの図の数学的
意味を説明できるの? >>871
>>それにしても、フェリックス・クラインの研究に由来を遡ることができるとされ、
リーマン面に関係付けられているとされる数学的な図表を提示されて、数学的に
無意味だと言う人々が、よく数学について偉そうに他人に説教できるものだ。
つまりこれは捏造だったと?
卑怯な印象操作だね >>871
はあ?
哲学板でラカンの話して何が悪いんだよ?
ここはお前の質問専用スレだとでも言うのか? >>661にまったく答えられずに、誤魔化していたくせによく言うよw でも、いくら詭弁で誤魔化したり、数学を貶めようとしても、理系の時代なんだよ。
だから少しでも分らないことがあると、数学板に照会に駆け込むのだろw はて、ラカンの数学の隠喩がどうのという議論がなぜ下らないのについては、
既にきちんと説明したはずだが? つい人のダメなところを探してしまうのも能力の内だが、使いどころを間違えるとこういう状態になるわけだな >>874
数学の話は板違いだから相手にされないだけ
板にそったラカンの話ならレスがついて議論になる
そんな当たり前のこともわからないのか? 数学の知識がほぼなくて、図を見ただけでも、それなりに直観というのは当たるものだ。
直観を磨いて、関心をもった事象からアプローチするというのもありだと思うよ。
Belyi "continued fractions" 約 5,220 件
Riemann surfaces and Belyi pairs >>876
ラカンの数学の隠喩がいかに愚行だったかという話は、自分のやってることが無意味だって言われてるのと同じだから、話題を変えてほしくて仕方ないんだよ、連分数くんはw >>876が、連分数について問いを発し続けている私ですよ? 「ラカンの数学の隠喩がいかに愚行だったかという話は」それ自体、個人崇拝の
裏返しみたいたもので、実体/本質主義的で、関係主義的ではないんだよね。 連分数くんの数学者批判と無学の開き直りは、それ自体、数学コンプレックスの
裏返しみたいたもので、実体/本質主義的で、関係主義的ではないんだよね。 ほらね、すぐに話を個人の問題にすり替える?
選挙で投票するのに、ソーカルさんは人柄が信頼できるから、とか
ラカンさんは人柄が信頼できないから、みたいな話。
コンプレックスがどうのなんて話をし出したら、後世に天才として
名を残している人間なんて、分野にかかわらず、コンプレックスだらけの変人揃いですよ? 数式の意味について問われても、答えられなかったり、板違いだとかしか
レスできないくせにw で、ラカンが表現したかった関係は、数学を隠喩として適切に用いるなら、
どのような数式になるのですか? 私自身は、前にも書いたようにラカンを読んでいないし、ラカンについて書かれた
本を読んでも、ラカンの精神分析の枠組み自体が有効だとは思っていないから、
自分自身の枠組みを別のところで提示している。ここでそれを提示する必要が
あるとは思わないだけ。 >>891
名無しが「前にも書いた」とかバカか
ブログでやれ >アホだろお前
>ブログでやれ
その手の個人攻撃を相手にしても無意味だから、名無しでやるのですよ。 >>894
君は名無しが前に書いたことをいちいち覚えているのい? >>894
コテつけるとNGされるもんな
荒らしの常套手段 いずれにしても、私にとっては、いろいろ言われながらも、このスレや
別の関連したスレに書き込むことで、既に大きな収穫があった。
それは、πの連分数計算について考えることで、正の整数の間の
計算にも実は虚数がかかわっていることだけでなく、単位という考え方
自体に既に虚数の概念が結びついていることに自分で遭遇し、実感
することができたことだ。もちろん、教科書的にはi^4=1だから、
そんなことは当たり前だと言われるかもしれないが、そのような
知識を得ることと、単位の概念と虚数の概念の間の関係をイメージする
ことは違う。 それならばそれで結構なことだ
結局、「学校教育というバイアスを掛けずに数学というツールを使って何らかの本質を見つけたい」というこだわりがあなたを突き動かしているんだな。。。
とはいえ、その営みは長く険しい道のりになりそうだと感じる
自分自身で自分自身の教育体系を確立することとおなじだからね 私が遭遇するものに何らかの価値があるなら、遭遇したのは「自画」ではない。
その対象に「自画」が映し出されているとしても、その「自画」は、私の自画像
ではなく、「人としての自我」だ。 >>898
>>それならばそれで結構なことだ
結局、「学校教育というバイアスを掛けずに数学というツールを使って何らかの本質を見つけたい」というこだわりがあなたを突き動かしているんだな。。。
そう言えば聞こえはいいが、早い話、自分で努力して勉強する気はなく全部人に教えてもらう、だからなー 数学できない理由を学校のせいにしてるだけだからねえ。
学校の教育が嫌なら自主的に勉強すりゃいいのに、それを指摘されると逃げ回るんだよなw 違います―。
教育は親の責任って言ってるんですー。 数学も出来ないなんて、一体、猿とどこが違うのかね
猿のまま、一生を終わるつもりかい? 自分の頭で考えられないで質問ばかりなのも親のせい? 私自身にとってラカンの精神分析とかどうでもいいんだけど、ラカンの数学の隠喩がどうの
と議論している人々にとって、次のいずれか1つだよね。
1)ラカンが議論している内容に重要性はあるが、ラカンが用いている数学の隠喩は
ナンセンスである。
2)ラカンが議論している内容に重要性はなく、ラカンが用いている数学の隠喩は
ナンセンスである。
2)の立場なら、そもそもラカンが用いている数学の隠喩を議論するまでもなく、
ラカンの議論には重要性がないのだから、それを議論の対象とすることが時間の無駄である。
1)の立場なら、さらに次の2つの立場があり得る。
1)−1.ラカンが用いている数学の隠喩は不適切であるが、より適切な数学の隠喩を
用いてラカンの議論を表現することができる。
1)−2.ラカンが用いている数学の隠喩は不適切であるが、そもそもラカンが議論して
いるようなことに数学の隠喩を用いるのは不可能である。
1)−2.の立場をとるのであれば、ラカンの精神分析には(したがって、一般にも)、
数学を適用することが不可能であるが、重要な議論が存在すると主張していることになる。 私は、ラカンを読んでいないから、それが数学を適用することが不可能だけど、重要な
議論をしているのか、そもそも議論そのものがナンセンスなのかを知らないのですよ。
でも、1)−2の立場を、ラカンの精神分析に限定せずに、議論一般に広げて、
アプリオリに何に数学の隠喩が適用可能であり、何にそれを適用することが不可能
であるかをあらかじめ決めてかかるのは生産的ではないと思う。 知らないのにくだらないと断定出来るこの傲慢さよ
876 考える名無しさん sage 2017/10/17(火) 10:01:29.74 0
はて、ラカンの数学の隠喩がどうのという議論がなぜ下らないのについては、
既にきちんと説明したはずだが? 議論の仕方が下らないと言っているのです。きちんと代替の数学の隠喩を表現
として提示するなら、下らないとは言いませんよ。 要するに、>>912の選択肢2)ではない可能性が十分に示されていないということです。
そもそも下らない議論をやっているのではないですか? >>916
他人の書いた文章の文意もまるで読み取れないくせに、自分が誤読した相手の
意図で他人を誹謗中傷するのはやめたらどうかね? >>919
君となどそもそも議論していない
知りもしなくいくせに横から口を出して難癖つけたことをまず謝罪したまえ >>919
本当に二つしか思いつかないの?
ふーん >>904
お前はいい年して全部親に与えてもらうつもりか?
恥ずかしい奴だな。 またお互いに人格否定か
まあ文章だけのやり取りだとついつい攻撃的になっちゃうよね
これは細かい感情が伝わらないせいだけれど
どちらかが妥協するまで終わらないのに http://www-bcf.usc.edu/~fbonahon/Images/FareyPoincareMovie.gif >>925
じゃあお前には数学も哲学も無理ってことだ
無理して背伸びするから笑いものになるんだよ
身の丈にあった板に行きな
マンガ板なんて君にぴったりだよ 公理的に何も理解していなくても、直観的な類似の認識は、検索の効率を上げるのにとても役立つんだよ。 検索の効率w
やっぱり自分の頭では考えられないわけねー >>932
トンチンカン君は中学生くらいかな?
もう少し大人になってから出直しておいで 情報をどう絞り込むのかは、考えるプロセスにおいてとても重要。
その絞り込み方を知らないから、個人の性格とか、相手に対する自分の感情
とか、どうでもいい余計なものばかりが思考のプロセスに沢山入り込む。 じゃあ頓珍漢君は検索してコピペだけしてろよ。
君の頓珍漢な解釈はいらないからさ。 で、ラカンについての考え方の選択肢はどうしたの?思い浮かばないの? 行き詰まると質問して、必死にちっぽけなプライドを保とうとするトンチンカン >>938
ラカンを読んでもいないのにくだらない議論だと難癖つけておいて、なんで自分が解答を求める立場だと思えるの?
どこまで傲慢なの? あら探しなんてなんと愚かな
蚊帳の外から見ると、最早どちらも同じ「争う人」 >>589
>回転と円と円運動の違いにいい加減気づこうね
http://www-bcf.usc.edu/~fbonahon/Images/FareyPoincareMovie.gif
回転と円と円運動の違いに留意すると、このgifで表されている動きはどのように言葉で表現されるのですか? >>942
質問を質問で返してしまいすみません
まず、これを見たときあなたは「何が」動いていると感じましたか? 動画だと思いましたよ。別にそう思わなくても構いません。
適切であるとおもわれる言語表現で何がどのように示されているのか記述してください。 >>945
いえ、ここではあなたの直感が大事です
まず、この動画の一つのコマには、一つの図形が対応しています
つまり、「図形の」動画ですね
このコマをパラパラめくると動画になる訳です
ここで「コマをパラパラめくる」操作は、「パラメーターを離散的に変化させる」操作に対応します
よってこの動画は、「ある図形に対して、その図形を構成するパラメーターを離散的に変化させることで動いているように見える例」であることを示しています。
ちなみに円運動は、「ある点に対して、その点の座標を構成するパラメーターをある規則で変化させたらその軌跡が円になった」ことを示しています
同じに見えますね?
でも実は違うんです >>945
この二つの本質的な違いは、「変化させているパラメーター」です
円運動で変化させるパラメーターは時間です。しかし、その動画で変化させているパラメーターは時間ではなく空間を特徴づけるパラメーターです
時間と空間が別のものだということがあなたの直感で認められるかは別として あなたは、それがこの動画が表現しようとしていることだと思うわけですか? アニメーションの原理とアニメーションが表現しようとしていることとは別だと思うのですが。 私は「何が」動いていますか?と聞きました
あなたは動画と答えました
この答えをうけて私は「あなたは『動画が動いている』と回答した」と解釈しました
私はあなたの直感を尊重し、動画が動く事のそのものの意味(つまりアニメーションの原理)の視点から説明した次第です
しかしどうやらあなたの反応を見るに、あなたはこの動画を見た時に「図形が」動いている事を認知していたようですね
あの動画は「パラメーターが変化すると図形が動いている様に見える」例をパラパラ漫画で分かりやすく説明したものになりますね 親切なやつだな
まともに話が通じない相手によくやるよ
しかしせっかくヒントをくれようとしてる人に対して、ちっぽけなプライドでまともに議論が出来ないトンチンカンって哀れな狂人だな 人間もパラパラ漫画と同じで離散的だよ。一瞬ごとに人間の組成は変わっているので
同一性や連続性(持続するもの)はそこにない。ただ、その変化がこぐ僅かの瞬間で
切れ目なく行われているので人間は己を同一性を有する自我があると錯覚しているだけで、
実際には、コロコロ転移して刻々と変化している。 あなたの解説は、よくこの掲示板にもアップされるスポーツの動画のgifに
ついて、何が見えるか説明を求められて、撮影されているプレーの内容ではなく、
動画の原理について説明しているのと同じことですよ。 数学を勉強しろと言われるので、主として高校生や大学生に向けられて書かれた
数学の本を借りてきました。複素数などに触れた本です。そこには、実数解析は、
複素解析に包含されることや、実数が複素数の世界の一部に過ぎないことが
指摘されています。確かに数学の考え方や技法を学ぶのに役に立つのですが、
やはり、そこには、数の存在を前提とする存在論(数学的な言い方をするなら
集合論ということになるのかもしれませんが)が前提とされているような印象を
受けます。そこで解説される数学操作に習熟すれば、複素数を操る技能が身に
付き、実数もその一部として見えてくる。そこまでは分ります。しかし、そのような
技能を身に付けることと、虚数が数えられる単位、すなわち、数を数えること
そのものと結びついているという哲学的な考え方を追求することは、やはり
別のことであり、そのような哲学的なイメージをよりうまく表現しようとするなら、
数学操作を身に付けるように努めるとともに、数学的な考え方からは距離を
とる必要があるように思われます。 「虚数が...数を数えることそのものと結びついている」と書きました
が、そのように表現することが哲学的に考えれば、既に誤りなのだろう
と思います。「虚数」と名指すことそのものが数学的な存在論にコミット
することになるからです。むしろ、哲学的により正確を期すなら、
「『虚数』と呼ばれる数学操作が...」と言い換えなければならない
のでしょう。 数学的な考え方の共通認識は何であるかを明確に定義する必要がありそうですね
とりあえずその共通認識から離れる方向で始めれば、こちらもおいてけぼりを食らわずに済みそうです ここπや円はよく出て来るけど、なぜか楕円は全く出てこないよね。
a>b>0の時、楕円の方程式 x^2/a^2 + y^2/b^2 = 1 から導き出される性質で
面白いのは、楕円は±√(a^2-b^2) でFとF'という2つの焦点の座標が求められ、
楕円軌道の任意の点PとFとF'を結ぶ線分の長さが、すべて2aとなることだね。
三平方の定理からそれが導き出されるのだけど、その証明は少し面倒かな。 数えることと対称性の関係を明確に言語化することの方が先ではないか
と思う。それが明確になっていないから、本来はよりシンプルに統一
できるはずの数学の分野が複雑に分化しているのではないかな。 楕円は、円柱や円錐を斜めに切断するときに出来る切断面で表せる。
円錐の場合は、切断する平面の角度によって円・楕円・放物線・双曲線等になる。
つまり、いくつかの図形や関数の性質が隠れて同時に存在しているイメージだね。 要するに円柱や円錐の数的な対称性の理解の方がより一般的であるということでは? 数えることと対称性の関係ねぇ
一部の言語には非可算名詞と可算名詞がある
このような言語を開発し使用することができる人がいることから、人間は「数えられるものと数えられないものを体系的に分別する能力」を有していると考えることができる
もしも関係があるのなら
人間は昔から、数えられるものの条件として無意識に対称性を定義していたのかもしれない
(俺は対称性という言葉がどう定義されたものなのか知らないので、その言葉が存在することだけ借りた) 数えられるのは等さなのだから、その等さが既に対称性の現れなのでしょう。 例えば、重さという性質自体は「数えられない」わけです。
それでも天秤という道具を使って、2つの物を両側の皿にのせてみると、
釣り合うことがある。そこでその2つの物は、A/B=B/A=1、
すなわち、ともに1の重さを有するものとして、重さが「数えられる」
ようになる。それと同時に、その数えられる等さが表しているのは、
何らかの意味での対称性の現れでしょう。 お前のいう「対称性」がどういう意味だか不明なのでは議論しようもない
ポエムならご自由に 数って概念なんだな。
1がなんだかわからんくってなってきたよ。 モノAとモノBがある
これらの「モノ」はまだ数えられるものかどうかが判別できていないとする
AとBには(数えられるかどうかという点以外について)共通点が全く無いと判明しているとする
ある時ある人が、「A,Bそれ自体がその人が認知する世界に存在した場合のA,Bのイメージ」を思い浮かべるとする
ここでAにはっきりとした形のイメージができる場合、仮定によりBにははっきりとした形のイメージができないと分かる
感覚的に説明すると、Aはその人の認知する世界に対して境界を持つモノ、Bは境界を持たないモノ
(数学的な説明の例としては、その人が観測可能なn次元空間内(n∈N)に対し、その空間を構成する一部又はすべての座標パラメーターを要素とする有界な集合A、有界でない集合B) 次に、 「A,Bそれ自体が、その人が認知する世界に存在した場合のA,Bのイメージ」を、その人が認知する世界のなかで移動させる事を考える
Aは境界を持っているため、いつかかつていた場所のAと重ならない位置にAは移動する事ができる
この位置にあるAをA'とおき、 AとA'は互いに「領域を異とするモノ」であるとする
Bは境界を持たないため、どれだけ移動してもかつての場所のBと重ならない位置にたどり着くことは出来ない
AとA'は位置が違うだけで同じものであるから、この時点でその人が認知する世界には領域を異とするモノが存在可能だと分かる ここまで考えると
AとBは互いに領域を異とするモノである事が分かるだろう
では、領域を異とするモノの広がりを表すにはどうしたらいいか
その答えが「数」になる
これにより、AとBは「2つ」のモノと数える事ができるし、Aが可算でBが非可算であることも分かる あ、967の最初に書いたモノAとモノBの「A,Bには共通点が全く無い」という条件は、暗黙のうちに「A,Bはどちらもモノである」という共通点を例外としている そういう論法は、結局のところ同一性、つまり1を前提としてしまうことになるのではないかな。 問題は、同一性を前提にしなければ、何も言葉で表現することができない。
しかし、同一性を前提にして、そこから論理を構築しようとすると、1について
何も語ることができない。それを明確に意識して、どのように議論すれば
いいのかを模索するところから哲学が始まる。 >>では、領域を異とするモノの広がりを表すにはどうしたらいいか
その答えが「数」になる
なんで?
>>これにより、AとBは「2つ」のモノと数える事ができるし、Aが可算でBが非可算であることも分かる
なんで? >>967
なんでその「仮定」で、ある時ある人がABのイメージを思い浮かべただけでBにははっきりとした形のイメージな出来ないなんてそんなことがわかるの? >>967
>>モノAとモノBがある
これらの「モノ」はまだ数えられるものかどうかが判別できていないとする
AとBには(数えられるかどうかという点以外について)共通点が全く無いと判明しているとする
モノAとモノBがある
これらの「モノ」はまだ数えられるものかどうかが判別できていないとする
AとBには(数えられるかどうかという点以外について)共通点が全く無いと判明しているとする
ある時ある人が、「A,Bそれ自体がその人が認知する世界に存在した場合のA,Bのイメージ」を思い浮かべるとする
両方ともイメージ出来るという点では共通点あるじゃん
仮定からして間違ってるじゃん
はい、終了 任意の角度で移動しても何も変わらないという等さが円の対称性、つまり、
円として対象化される関係性であり、円の同一性としての等さ、すなわち、
1である。 >>975
イメージできることはモノの性質に含まれるって思ってくれ ここにこそ、円と数えられる数、すなわち、単位との関係がある。 >>977
性質だったらなんだっての?
そのモノの性質にイメージ出来るという共通点があるってことだろ? >>978
どこがどうすればそういう結論になるの? >>979
うん
つまり970における暗黙の了解の範疇だったということ >>977
共通点が全くないって仮定なんだから、性質に共通点があったらダメだろ?
そもそもモノの性質を共通点の有無から除いたら、一体なにをもって共通点の有無を決めるんだよw 小一時間で考えたことだからまだそこまで考えを詰められてないからすごく助かる
色々突っ込んでくれてありがとうな >>981
仮定なのか暗黙の了解なのかどっちなの? だから、哲学がないと同一性、すなわち、1を前提としてしまうことになる。 >>983
考えを詰める前に結論出ちゃうってすごいな、君は >>982
あらら。。。
全然ダメだったな
まずはそこから決めないといけなかったか
仮定、暗黙の了解という二つの表現を使ってしまったのも反省点だな
両方仮定と思ってほしい >どこがどうすればそういう結論になるの?
移動して元の位置に戻ってきてもその間ずっと等さが変わらなければ、
円対称で移動していたことになるでしょう? むしろ結論が「○○が数として定義される」として、
○○が分かればいいと思ってた
ゴールから逆算して考えた結果がこれよw >>973
ここで眠くなって説明が面倒になった
まあ非自明だよね
今はあれこれ考えて説明できる時間がないけれども >>991
へ?
なんでそうなるかは非自明なのに説明出来ないの?
じゃあその結論には何の意味もないじゃない >>993
すらすらと論理を言語化して表現できればしてるよ
文章を考えるのに15分くらいかけるから >>997
それをやるのが哲学だろ
出来ないならやるなよ >>998
出来ないとは書いてない
時間がかかるだけだな >等さって何よ?
644 名前:ポエマー思考 2017/06/19(月) 10:18:01.63 0
同一であるとはどういうことかという問題ですね。
数学記号を隠喩として用いるなら、同一性は、例えば、A=Aと表現される
ことになるのではないでしょうか。ところで、この「=」が何を意味して
いるのかは自明ではない。AがAとしての同一性を表しているなら、
Aと表記すれば済むことで、「=」は不要である。「=」が意味を有する
とするなら、「=」は別々の2つの項目を関係付けていることになるが、
その場合、「=」は、同一でない2つのものが同一であることを表して
いることになり、これは矛盾である、というのが哲学で議論されてきた
同一性のパラドックスでしょう。
同一性を表すのに数学記号の「=」を隠喩として用いることを続けるなら、
私は、このパラドックスは、同一性を、あたかもそれが閉ざされた単独性
を意味するかのように、すなわち、「=」がそれぞれ孤立したものである
かのように考えていることに由来するのではないかと思います。ところが、
A=Aにおける「=」は、A=C=Bにおいて用いられる「=」と別の
仕方で用いられているわけではない。A=Aという表記において、「=」
は1つしか現れないが、この「=」は、A=C=Bの場合の2つの「=」
が、互いに他方の反復であるように、明示的に現れない他の「=」の
反復であり、何が反復されているのかと言えば、それは、「相互性」と
「再帰性」でしょう。つまり、同一性とは、相互的な再帰が反復すること
を意味しているのではないでしょうか。 このスレッドは1000を超えました。
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