パレート効率は飽くまで効率に関する概念。

奇しくも>>66に一致するのだが、それは成員全ての犠牲抜きで、つまりは誰の効用をも低める事無く、現在の各人の効用の状況を改善する余地の無い効率的な配分状態を示す。

犠牲を払ってもそれに関わるのが正義とすれば、パレート効率は必ずしも正義の基準にはならない。
自己の、或いは他人の、更には社会の効用を犠牲にしてもなされるのが正義では無いか。

とは言え近代合理的な考えからすれば、パレ−ト効率は正義の飽くまで必要条件ではある。