仏教哲学総合スレ4

1考える名無しさん2017/12/22(金) 22:10:34.520
原始仏教から現代まで

前スレ
仏教哲学総合スレ3 [無断転載禁止]©2ch.net
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/philo/1497619233/

◆オンライン仏典
大正新脩大蔵経(大正蔵)
http://21dzk.l.u-tokyo.ac.jp/SAT/

サンスクリット語仏典
http://www.dsbcproject.org/

パーリ語仏典
http://www.tipitaka.org/
http://www.accesstoinsight.org/tipitaka/

Thesaurus Literaturae Buddhicae(University of Oslo)
https://www2.hf.uio.no/polyglotta/index.php?page=library&bid=2
Sanskrit, Chinese, Tibetan, English, etc.

◆論文検索
http://ci.nii.ac.jp/ (CiNii Articles - 日本の論文をさがす - 国立情報学研究所)
http://www.inbuds.net/jpn/index.html (インド学仏教学論文データベース)
https://www.jstage.jst.go.jp/browse/ibk1952/-char/ja/ (印度學佛教學研究)

781考える名無しさん2018/06/05(火) 12:23:41.670
仏教系の学校で六年間宗教の授業をうけた。
般若心経の研究に生涯をかけても、まだ終わらないのがざらだと言ってた。
サンスクリット語で無という意味の研究だけで何十年もかけてるとか。
最後の授業で、その坊さんが言ってたけど、とどのつまり、屁理屈らしい。

782考える名無しさん2018/06/06(水) 01:22:28.370
『村上春樹と仏教』 平野純 (2016)
『村上春樹と仏教 II』 平野純 (2016)

783考える名無しさん2018/06/06(水) 21:15:36.910
村上春樹がDJを務めるラジオ番組が8月からスタート。やれやれ [741292766]
https://leia.5ch.net/test/read.cgi/poverty/1528214831/

784考える名無しさん2018/06/06(水) 21:16:45.070
これは偶然>>573

785考える名無しさん2018/06/07(木) 04:07:19.880
パンタカ「あばばばばば」
ゴータマ「この布でお掃除してください」
パンタカ「あばばばオソウジタノシーあばばばココロもオソウジするおお」

そしてチューラパンタカは悟りを得ました。めでたし。

786考える名無しさん2018/06/07(木) 19:54:45.400
仏教3.0回りの本を整理

787考える名無しさん2018/06/07(木) 19:55:15.670
「大乗仏教/上座部仏教(原始仏教)」を理解する本

(1)『〈仏教3.0〉を哲学する 』 藤田一照、永井均、山下良道 (2016)
(2)『別冊100分de名著 大乗仏教 こうしてブッダの教えは変容した』 佐々木閑 (2017)

1.日本の伝統的な〈仏教1.0〉と、上座系瞑想実践的な〈仏教2.0〉を、共に包み超えて、新たな〈仏教3.0〉を提唱。
2.原始仏教から大乗仏教へ、運用面での思想の変容を中心に解説する、数少ないリアルな仏教史。

788考える名無しさん2018/06/07(木) 19:55:48.520
上座部仏教(原始仏教、テーラワーダ仏教、ヴィパッサナー瞑想)の本

日本

・『悟らなくたって、いいじゃないか ―普通の人のための仏教・瞑想入門』 プラユキ・ナラテボー、魚川祐司 (2016)
・『仏教思想のゼロポイント ―「悟り」とは何か』 魚川祐司 (2015)
・『「気づきの瞑想」を生きる ―タイで出家した日本人僧の物語』 プラユキ・ナラテボー (2009)

スリランカ

・『自分を変える気づきの瞑想法 ―ブッダが教える実践ヴィパッサナー瞑想』 アルボムッレ・スマナサーラ (2015)

ベトナム

・『ブッダの<気づき>の瞑想』 ティク・ナット・ハン (2011)

789考える名無しさん2018/06/07(木) 19:58:29.160
>>469の中でも紹介されてるけど、
ティク・ナット・ハンがいいね。

ヴィパッサナー瞑想について、この人ほど平易な言葉で深い洞察をする人はいない。

そういう話をしながらも、時折、井筒レベルの唯識、華厳から曹洞宗まで、
大乗仏教の理論が縦横無尽に展開される。

臨済宗の人で、世界レベルの叡智。

790考える名無しさん2018/06/08(金) 06:46:36.230
http://www.j-world.com/usr/sakura/buddhism/ku03.html
佐倉氏の有名な縁起論です。今はどう言う評価か知りませんが。
龍樹の縁起説が十二支縁起の言い換えである>縁起を因果関係では無く論理的関係として解釈出来なければ言い換え出来ない...
と言う風に議論が進行していく訳ですが。
一つ興味深い事に気がついたんですよね。

佐倉氏は「龍樹は初期の縁起説の対偶律を用いて〜」と仰っているんだが
「行がなければ無明も生じないし、それ(無明)がなければ行も生じない。(空七十論 11)」という書き方が佐倉氏の論理と矛盾しているんだな。

791考える名無しさん2018/06/08(金) 06:56:46.720
「ところが、もし、縁起を論理的関係を示しているものとナーガールジュナが解釈していたと仮定すると、そのような言い換えが可能であったことがわかります。たとえば、

B : もし食べ過ぎる(P)ならば、腹痛が起きる(Q)。
を、ナーガールジュナふうに言い換えると
B’: もし腹痛が起きない(〜Q)ならば、食べ過ぎではない(〜P)。」

しかし龍樹の「行がなければ無明も生じないし、それ(無明)がなければ行も生じない。(空七十論 11)」
という「言い換え方」は佐倉氏の「言い換え」と異なっている。
佐倉氏曰く「行がなければ無明も生じないし」の部分が十二支縁起の言い換えに相当するらしいが
後半の「それ(無明)がなければ行も生じない。」をよく注視してみると
言い換える前の直前の文章は「無明があって行が生じる」というもので有ると分かる。
龍樹の空七十論 11をオリジナルに直すと「無明があって行が生じる。それ(無明)がなければ行も生じない。」というもの。

しかし龍樹は
「無明があって行が生じる。」の部分を「行がなければ無明も生じないし」と言い換えている。
これでは佐倉氏が
「まず、縁起を時間的生起関係・因果関係を示しているものとナーガールジュナが解釈していたと仮定してみますと、
このような言い換えは不可能であったことがわかります。たとえば、

A : 食べ過ぎ(X)によって、腹痛(Y)が起きる。
を、ナーガールジュナふうに言い換えると
A’: 腹痛(Y)がないことによって、食べ過ぎ(X)が起きない。」
として例に挙げているように、龍樹が縁起を因果関係として捉えて言い直している事になってしまうんだが...。
佐倉さんは生きとるんかね...

792考える名無しさん2018/06/08(金) 07:10:57.850
時間・因果的な十二支縁起の言い換え(2つの文章に関係が無い)
「XによってYが起こる」→「Yが無い事によってXが起らない」
(無明があって行が生じる)→(行がなければ無明も生じない)

論理関係的な十二支縁起の言い換え(対偶の関係・佐倉氏の主張)
「Xで有るならY」→「Yで無いならX」

龍樹が十二支縁起を本当の意味で言い換えているつもりなら後者の解釈しかないが
実際には龍樹は前者の方法で言い換えているんだよね。
じゃあ龍樹は十二支縁起とは全く別の縁起を説いてるのか、と言われるとそうなんだよね...

793考える名無しさん2018/06/08(金) 07:21:25.200
つまりこのままだと龍樹は十二支縁起を対偶律を用いて言い換えているように見えて
実際には全く関係の無い文章を用いて説法している事になってしまう(笑)。

これを回避する(=対偶律を用いた言い換えと見なす)為には
「行がなければ無明も生じないし、それ(無明)がなければ行も生じない。」
という文章を
「行が『生じなければ』無明も生じないし、それ(無明)が『生じなければ』行も生じない」
という風に書き換える必要性が生じるのだが
誰か「空七十論」の原文を持っていませんかね泣。
「これが生ずることからかれが生ずる」の形式と一致するので無理ではないと思うけれど笑

794考える名無しさん2018/06/08(金) 07:26:51.870
ちなみに
「行が生じなければ、無明も生じない」と書き直した場合
「これ(行)が生ずることから、かれ(無明)が生ずる」との対偶の関係が成立する。
「AがVするから、BがVする」を丸ごと「XゆえにY」と書き直せるという事。
問題は原文に「AがVする」に相当する文章が有るかどうかだけれど...

795考える名無しさん2018/06/08(金) 07:29:48.210
まあそもそも龍樹は対偶律を用いるつもりが無くて、ハナから逆方向の時間的縁起を展開するつもりだったと解釈すればそれでストップする話なんだけれどね。

796考える名無しさん2018/06/08(金) 07:43:17.270
以下、『阿含経』より
http://space.geocities.jp/buddha_res/2.html (リンク切れ)
http://d.hatena.ne.jp/koumichristchurch/20130505/p2
「…マールンクヤプッタよ、世界は常住なりとの見解の存する時にも、あるいは、世界は無常
なりとの見解の存するときにも、やっぱり、生はあり、老いはあり、死はあり、愁・悲・苦・憂・悩
はある。そして、わたしは、いまこの現生においてそれを克服することを教える」

 「…マールンクヤプッタよ、<人は死後もなお存するとの見解が存するとき、そのとき清浄の
行がなる>ということはない。マールンクヤプッタよ、<人は死後には存しないとの見解が存
するとき、そのとき清浄の行がなる>ということもない。マールンクヤプッタよ。人は死後にも
なお存するとの見解があるときにも、あるいは、人は死後には存しないとの見解の存するとき
にも、やっぱり、生はあり、老はあり、死はあり、愁・悲・苦・憂・悩はある。そして、わたしは、
いまこの現世においてそれを克服することを教えるのである。」
(増谷文雄訳『阿含経典』p52)

797考える名無しさん2018/06/08(金) 07:45:32.050
以下、末木剛博(すえきたけひろ)『東洋の合理思想』講談社現代新書33ー34頁より
「…カントはこれら三種(魂、宇宙、神)の問題に一定の解答を与えることは
不可能であることを論理的に証明している。したがってこれらの問題に関
する形而上学は論理的には成立しないといって、形而上学を排除したのである。
 これを初期仏教の形而上学批判とくらべると、精粗の違いはあるが、主旨は
はなはだよく似ている。初期仏教では形而上学の立場を前述のように常見と
断見との二種に大別しているが、さらにカントのあげた諸問題とほとんど
同じ問題を論じている場合もある。たとえば『中阿含経』の一部の「箭喩経
(せんゆきょう)」では次の諸問題があげられている。


(A) 自我および世界は時間的に、
 (1)無限である。
 (2)有限である。
 (3)無限かつ有限である。
(B)世界は空間的に、
 (1)無限である。
 (2)有限である。
(C)魂と肉体とは、
 (1)同一である。
 (2)別異である。
(D)如来(完全な悟りを得た者)は死後に、
 (1)生存する。
 (2)生存しない。

798考える名無しさん2018/06/08(金) 07:45:58.000
 これらの問題は、カントのあげた問題とは多少のずれがあるが、それは時代と国土
にもとづく関心のちがいである。しかし、たとえば(A)と(B)とは、カントの
第一および第二の問題とほとんど同じであり、(D)の如来の問題とカントの第三の
神の問題とも類似している。
相違点を挙げれば、初期仏教は(A)の問題に対して四種の解答を用意しているのに対し、
カントは、(1)無限であると(2)有限であるとの二つだけを用意し、その二者択一を
せまるのである。
『箭喩経』では四種の解答を(A)の問題だけにそろえてあるが、他の文献では、あらゆる
問題に対してそろえている場合もあり、そのほうが論理的には完全なわけである。それで
後世には、この四種の解答、つまり一問題に対する(1)肯定、(2)否定、(3)肯定
かつ否定、(4)非肯定かつ非否定、の四つを四句分別と名づけている。
 ともかく、カントの提出した問題と、形の上では多少の差はあるが、本質的にはほとんど同じ
問題をかかげて、しかもカントと同様にこれらの問題に対しては何らの解答も与えられない、
と言うのである。したがって形而上学批判に関しては初期仏教はカントの批判哲学と本質的に
一致するのであり、哲学上は一種の批判主義である。」

799考える名無しさん2018/06/11(月) 22:23:44.930
座禅の入門書

・『禅を楽しむ本 』 ひろさちや (2008)
・『禅 ―心と体が綺麗になる坐り方』 池田書店編集部 (2004)

巻末には、参禅できる全国のお寺の一覧もある。

800考える名無しさん2018/06/11(月) 22:24:47.040
座禅や瞑想は、ちゃんとしたところで教わるのがいい。

8011232018/06/13(水) 07:38:24.140
800。.坐禅、瞑想は、悟れないバカがすることである。

802考える名無しさん2018/06/13(水) 12:03:39.010
悟る悟れない以前に人間としてウンコだなお前は

803考える名無しさん2018/06/13(水) 12:30:15.560
>>802
ウンコとは何?

804考える名無しさん2018/06/13(水) 14:02:13.320
http://www.hikari-k.ed.jp/zenchoji/houwa/houwa2508.htm
http://www.interq.or.jp/sun/rev-1/LB-zen-14.html
 「糞かきベラ」

 ある僧が、雲門文偃(うんもんぶんえん)に尋ねた。
 「仏というのは、どんなものですか?」
 「糞をかき取るヘラだ!」

 −無門関−[第21則]


http://www.rinnou.net/cont_04/myoshin/2012-11b.html
禅の修行の中で大切な禅問答の中に、「仏とは何ですか?」と問うものがあります。
それに対し「乾屎*」と答える所があります。この「乾屎*(かんしけつ)」とは、
「糞かきべら」または「糞(排泄物)」そのものを指しております。

皆様も今日からトイレに行く度に「仏様に出会う」という心を持ってみては如何でしょうか。

805考える名無しさん2018/06/13(水) 14:39:13.250
悟るという抽象的で一般化できない現象を他人に対して訴えるべきではないね
大乗仏教は誤りで仏教とは鉄塔鉄扉、自己内省的な取り組み

806考える名無しさん2018/06/13(水) 14:53:47.190
鉄塔...なんかカッコイイw

807123師2018/06/13(水) 16:09:01.420
804.糞をかき取るヘラ、か。
糞をかき取る、と綺麗になる、という問題である。

808考える名無しさん2018/06/13(水) 16:37:43.420
>>801
シャアに怒鳴られそう。。。

809考える名無しさん2018/06/13(水) 16:40:04.360
糞123師をかき取る、とスレが綺麗になる、という問題である。

810考える名無しさん2018/06/13(水) 23:35:41.650
「老子」 第十六章(抜粋)

致虚極、守静篤。
万物並作、吾以観復。

虚を致すこと極まり、静を守ること篤し。
万物並び作(おこ)れども、吾は以て復るを観る。

心を出来る限り空虚にし、深い静けさをしっかりと守る。
すると、万物はあまねく生じるが、わたしには、それらが元に返っていくのがみてとれる。

811考える名無しさん2018/06/13(水) 23:36:12.610
>>810
これなどは仏教に近い

812考える名無しさん2018/06/13(水) 23:37:02.420
仏典の内容が『老子』と似ているのは、
老子が天竺に赴き釈迦を教化したからであるとか、
釈迦とは西に出た老子その人であるなどといった、「老子化胡説」というのもある。

813考える名無しさん2018/06/14(木) 19:29:15.070
シュレーディンガーやハイゼンベルク、ニールス・ボーアなどの原子物理学者は
ブッダや老荘を読んでいた。

「われわれはブッダや老子といった思索家がかつて直面した認識上の問題にたち帰り、
 大いなる存在のドラマのなかで、観客でもあり演技者でもある
 我々の位置を調和あるものとするように努めねばならない。」 (ニールス・ボーア Wikiより)

814考える名無しさん2018/06/14(木) 19:29:48.640

815考える名無しさん2018/06/14(木) 19:34:25.260
“本書を執筆するきっかけとなったのは、五年前のある美しい体験である。
 夏も終わりに近いある午後、海辺に腰をおろし寄せくる波を見つめながら、わたしは自分の呼吸のリズムを感じていた。
 と、その時、とりまくすべてが壮大なコズミック・ダンスを舞っていることに気がついた。

 まわりの砂や岩、海や空気が振動する分子あるいは原子で構成されていること。
 その分子や原子が粒子からなりたち、たがいに他の粒子を生成、消滅させつつ相互作用していること。[略]
 また、地球の大気には「宇宙線」(コズミック・レイ)が絶えず降り注いでいて、
 高エネルギ−粒子である宇宙線が大気に突入する時に、衝突を無数に繰り返している…”

― フリッチョフ・カプラ 『タオ自然学』 (1979)

816考える名無しさん2018/06/14(木) 19:35:19.860
>>815
仏教…原始仏教と大乗仏教、禅、華厳
中国…老荘、易経、淮南子
印度…ヒンドゥー、ウパニシャッド、バガヴァッド・ギーター

これぐらいの話が読み分けられている。

817考える名無しさん2018/06/14(木) 19:42:55.230
鍵概念は「万物の合一性 the unity of all things」

818考える名無しさん2018/06/14(木) 22:31:19.630
>>810
>すると、万物はあまねく生じるが、わたしには、それらが元に返っていくのがみてとれる。

これはバラモンのアートマンブラフマン思想に近いのでは?

819考える名無しさん2018/06/14(木) 23:18:31.370
>>818
似てると思う。
老子の道(タオ)というのは、万物の根源、一なるもの、という感じ。

仏教的には、

> 万物はあまねく生じる

現象的意識の生起

> それらが元に返っていくのがみてとれる

心の働きの止滅、寂静、だろうか。

820考える名無しさん2018/06/15(金) 04:18:35.040
老子には発生論があるが
仏教は発生論を禁じている
批判哲学に近い

821考える名無しさん2018/06/15(金) 04:28:58.380
道鏡は以下のような図式を持つシステム論だが


       道
     ┏━┻━┓
  絶対の道  相対の道/政治
┏━━┳┻━┓   ┣━━┳━━┓
範囲 体  用  人の道 不道 非道
      :  ┏━┻━┓
     天下を得る方  天下を得たる後/修身
      :      ┏━┻━┓
      :    積極的  消極的
      :   ┏━┻━┓ ┏┻┳━┳━┓ 
      :  方針  教育 法 兵 刑 ┃
      :   ┃ ┏━┻━┓     ┃
      :..柔弱 無欲 無智     ┃
      :   等     ┃   ┏━┻┳━━┓
      :........嬰児  学問 行為 多言


仏教はそれを禅問答のように内側から破壊する
華厳はライプニッツ的な多元システムだが再帰的である
老子にも逆説性はあるが再帰性とは違う

822訂正2018/06/15(金) 04:29:37.510
道教は以下のような図式を持つシステム論だが


       道
     ┏━┻━┓
  絶対の道  相対の道/政治
┏━━┳┻━┓   ┣━━┳━━┓
範囲 体  用  人の道 不道 非道
      :  ┏━┻━┓
     天下を得る方  天下を得たる後/修身
      :      ┏━┻━┓
      :    積極的  消極的
      :   ┏━┻━┓ ┏┻┳━┳━┓ 
      :  方針  教育 法 兵 刑 ┃
      :   ┃ ┏━┻━┓     ┃
      :..柔弱 無欲 無智     ┃
      :   等     ┃   ┏━┻┳━━┓
      :........嬰児  学問 行為 多言


仏教はそれを禅問答のように内側から破壊する
華厳はライプニッツ的な多元システムだが再帰的である
老子にも逆説性はあるが再帰性とは違う

823考える名無しさん2018/06/17(日) 20:25:02.640
・旧約聖書、新約聖書
・コーラン、ハディース
・タルムード

・アヴェスター

・仏典(原始仏典、大乗仏典)
・リグ・ヴェーダ、ウパニシャッド、バガヴァッド・ギーター、ヨーガ・スートラ

・孔子、老子、荘子、易経、淮南子
・日本の古典

ぐらいは目を通しておくのがいい。

824考える名無しさん2018/06/17(日) 20:26:02.950
西田と井筒の間の世代にあたる人達。
宗教哲学を中心とした、西洋と東洋の比較思想を扱うが、今日的で読みやすい。

・柳宗悦 『柳宗悦宗教選集』
・波多野精一 『宗教哲学序論・宗教哲学』
・久松真一 『東洋的無』
・田辺元 『仏教と西欧哲学』
・九鬼周造 『偶然性の問題』
・清沢満之 『清沢満之全集』

825考える名無しさん2018/06/17(日) 20:26:52.240
井筒のカバラとセフィロト(参考:『意識と本質』 10章)

(1)「ケテル Kether」
意味は「王冠」。存在流出の究極的始源。
『旧約』(出エジプト記 3:14)の神言「在りて在るもの」に当たる純粋「有」の絶対的「一」。
仏教でいう「空」すなわち「真空妙有」の「妙有」的側面に当たり、一切の「多」を無文節的に内蔵する。

(2)「ホクマー Hokmah」
「叡智」。仏教の「般若」に相当するが、カッバーラーではこれを神の意識とする。
神が自らを観想するところに現成する知で、絶対無文節的覚知。
イマージュとしては、際涯ない空間の拡がりの中に、独り燦然と輝く巨大な太陽。
この太陽から不断に発生する光線の一つ一つが、もっと下の存在段階で結晶して経験的事物の「元型」となる。

(3)「ビーナー Binah」
「分別知」。神が自らをそこに映して、自らの内面をあるがままに眺める鏡に例えられる。
神は自らの一者性の内に潜む多者を見る。
あたかもプリズムを通った光のように、「神の顔」は無数に分かれ、ここに最初の存在文節が起こる。
密教でいう「種子(ビージャ)」。

(4)「ヘセド Hesed」
「慈悲」。神の創造性の肯定的側面を表し、全てのものに存在を与える。



(10)「マルクート Malkut」
「王国」。先行するすべての「セフィーロート」のエネルギーが一つになってここに流れ込んでくる。
神的実在の世界は「元型」構造的にここで終端に達し、その下には被造界が展開する。

セフィロトの樹:http://blog-imgs-76.fc2.com/a/a/5/aa57/treeofflife20150115.jpg

826考える名無しさん2018/06/17(日) 20:28:41.800
今思うと、ある種の神仏習合だな、これは

827考える名無しさん2018/06/17(日) 20:33:49.500
創造主(曹洞宗)

828考える名無しさん2018/06/17(日) 21:02:38.650
>>827
鎌倉仏教より千年、ついに気づいてしまったか

829考える名無しさん2018/06/17(日) 22:29:11.430
はい

830考える名無しさん2018/06/21(木) 13:31:25.860
オナニーしかやることないんだが

831考える名無しさん2018/06/21(木) 15:39:50.080
>>830
大乗仏教の如来さんであります、阿閦如来さんの誓願には「夢精しない」「誰にも夢精させない」というのがあるそうです。
阿弥陀如来さんの衆生を極楽浄土に往生させて救済する崇高な誓願も素晴らしいですけれども、阿閦如来さんの誓願には修行者のリアルがあるような気がします。

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