【コテ禁止】西部邁61
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西部さんは最後まで自己決定論者だった
知的存在としての人間が自己決定できる範囲を大きくしていくこと
これが、人類の文明が歩むべき方向性であることは間違いない
それは、この宇宙・世界に対してまったく勝ち目のない戦いではあるけれど
それでも人間はそちらに進んでいくしかない
撤退することは、動物に戻ることであり、それはたとえこの世界に適合性が高まるとしても
人間としての矜持がそれを許さない
ご冥福をお祈りします
前スレ
【コテ禁止】西部邁60
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/philo/1516585149/ 一応ここには左派の人も来ているみたいだから書いておくと
なぜネトウヨ問題がここまで深刻になったか
それは、パチンコ店などに代表される問題を放置、あるいは許容したから
その根拠となったのは、ポストモダン的な合理の衝突を適当さで解決するという手法にあったと思う
ここまで来ればわかるように、合理をおろそかに、適当さ、いい加減さに頼ることが
いかに社会を腐敗させ、またその反動がいかに社会を混乱させるか、身にしみてわかると思う 『表現者criterion』メールマガジン
隔月刊の思想・言論誌『表現者criterion』の執筆陣がお送りするメールマガジンです。
時事ニュースをはじめ、政治、経済、社会、文学、技術、サブカルチャーその他あらゆるテーマについて、
「危機と対峙する保守思想」の立場から論じます。
メルマガでは、雑誌では読めないオリジナルの記事をお届けします。
──真正保守思想の立場から『発言者』『表現者』が、2018年2月に『表現者criterion』としてリニューアル創刊。
編集長は藤井聡、発行元はMXエンタテインメント。
http://www.mag2.com/m/0001682353.html
https://twitter.com/h_criterion 👀
Rock54: Caution(BBR-MD5:7bff9ed63942b4cd01610d20b2c06e65) 『表現者criterion』は、どれだけの言論人を集められるか
「発言者」は、
若手では八木秀次、宮本光晴、佐藤光、福田和也、宮崎哲弥 、植草一秀
富岡幸一郎、中野剛志
中堅には、呉智英、中川八洋、保阪正康、スガ秀美、高沢秀次、
佐伯啓志、東谷暁 、小林よしのり、榊原英資
高齢では、井尻千男、小堀桂一郎 、新しい歴史教科書絡みで西尾幹二 中野って「発言者」時代から出てたんか?
たけもとのぶひろが執筆してたのがぶったまげたが。だから寺脇研が出てても驚かなかった。 金に無自覚的になり、それなりに裕福にも関わらず
フェアトレードで無いものを買っているのなら
結果的には一般大衆も罪を重ねてしまっているのでは無いのか。
その購入するという結果によって、中国、アフリカ、中東、東南アジアの
子供達にまで死に追いやってしまっているとしか思えない。
市場にでまわっているもののほとんどはフェアトレードではないものだから
これは深刻な問題だ。
シュタイナーの本で勉強するのももちろん大事だが、我々の行為で、地球の遠くで
人々が餓死をしている。今や経済的に我々と彼らは密接にリンクしている。
カルマに関係しないとはとても思えない。
それに、金は精神性を破壊する。
我々がシュタイナーの本をこれだけ読めるのは、我々が日本人だから。
それでも日本は、最近99%の国民が所得水準が激減しそうな動きを政治が見せているが・・
金は全てではないが、金は精神性すらを破壊する力を持っている。
もちろん、裕福でないものはフェアトレードのものを購入する余裕が無くなるほど
この世界は仕組まれている。資産家によって。
だからある程度裕福な人がなにを購入するかは世界に革命を起こせる数少ない行為なんだが・・ 人間は人を愛して、正しいことを自分からすすんでやる=天使
人間は欲望のためには何でもやりかねない=悪魔 神智学大要読んだら、気功の施術みたいなことも書かれてるんだけど
シュタイナーがそういうこと書いてるの読んだことない
読んでないだけで、どこかに書いてるんだろうか?
なんとなく神智学の方がいわゆるオカルト的というか呪術的な要素が濃い気がする >>8
666の定義は人間至上主義、あるいはヒューマニズムね
6は人を表す数字、ここに知恵が必要であるってこと
単純ではない エデンの園で人間をそそのかして、知恵の樹の実を食べさせた蛇はルシファーなんだね
この意味がわかりますか? なんらかの力を他人に向けることに対してシュタイナーはすごく慎重だった感じがする
他人に対して影響力があると主張しだすと
すくインチキに結びつくもんなぁ エンデの「モモ」は、個人の人生と不可分の特別な「時間」を、
抽象的で交換可能な「時間」に変換する話だと思った
貯蓄が可能になるということは、その前に交換可能になるということで
灰色の男達は、経済の原理を、時間にまで押し広げた。
経済生活に、精神生活を支配させたともいえる。
交換は、経済生活の中にとどめておかなければいけない。
しかし経済生活の中の交換のことを、シュタイナーは、どう思っていたんだろう
商品は市場に出る際に、モモにおける「時間」のように、
固有性を剥奪され、抽象化される。
それは、経済生活においては、「許されること」なんだろうか?
あるいは、「のぞましいこと」なんだろうか?
機械で生産される商品ひとつひとつに、個性なんてあったら、逆に困ることの方が多いだろうとも思う
一方、商品にも個別の個性があった方が、素敵なような気もする 所得は上がっている。持ち金にこだわるべきじゃないよ。男性は特に。
時間というと経済生活の中の時間は短く感じるだろうな。あっという間に老後が来るしもっと怠惰に時間を楽しんでみれば退屈もして、悠久の時間を感じれるだろう
。 AIとITの集合知が最適解を出してくれるよ
あくまで「最適」でしかないけど
それは、個々の人間に対してそれぞれ個別の解を提示するようなものになるはず >>10
>>11
知恵の樹の実というのは、善悪を判断できるようになる実ってこと
合理は善悪を判断しない
善悪の判断は合理の終端で行われる
この合理の終端に人間を置くなってことだね
合理の終端には神を置きなさいってこと
これが聖書の教えの本質 非常に興味深いですね
経済生活の中の交換の原理で 無固有化された商品は、
「無固有のオーラ」を纏っているんじゃないだろうか。
生活の中でそれは「どこにでもあって交換可能なモノ」から、
「特別なモノ」になったり、ならなかったりするけど、
意識的に、「無固有のオーラ」を取り除くような、ある種の儀式も、
経済生活の影響を限定的にしておくために、
役立つ気もする。
そういった「個物の祝福」に関して、シュタイナーは語っていないかな 神を場所に指定する。神を操作する、神を利用するなんてあってはならない。 善悪の判断は無理にくっついていて分解が難しいだろう。
各々独立した存在にして、無理に縁を組まず、分かれて行動するのもよしだと思う。 神という存在がなぜ必要かってこと
これを考えること自体も神を利用するってことになってしまうが、キリスト教徒としての考えではないからね
なぜそれが必要なのかってこと 合理的に神を捉えれば、合理に神は負けると考えるのかもしれないけれど
事実は逆
合理の方にこそ、終端・限界がある 必要か。在るもの輝けるもの 闇にうずめくものを、人間の伴侶とするより、その神より
下にいて付き従うこともまれであるだろう。 惑星進化記のアイデアはどこからきたんだろう?と以前このスレに書いたけど、
荒俣宏の「神秘学マニア」にファーブル・ドリヴェという19世紀初頭の人が出てきた
このブログで引用されてる
http://blog.goo.ne.jp/moomoo03/e/1f6256911af900f971c5fb5c7c765819
「かれ(ドリヴェ)は太古の地霊信仰にしたがい,地球も他惑星もすべて「生物」であるとの態度をとった。
神秘学的な意味における地球は,太古に多くの惑星が融合してつくられたものであり,
現在の諸大陸は融合した各惑星の名残りだとする。
しかし陸地がたがいに結合して大陸を形成する段階で,
独りそれを拒絶した月は,進化の道から外れて空間へ弾きだされた。
なかでも最も進化した惑星はアジアで,以下レムリア,アトランティス,アフリカ,
ヨーロッパの順に固有の人種と文化を発展させた。」(「近代神秘学の構造と系譜」『神秘学マニア』) 大量生産される物品の中にも
少なくともそれを発案した人間の思考のかけらが含まれている。
香水瓶でもオーディオ・スピーカーでも、他のどんなものであっても、それを感覚器官を用いて仔細に観察する時、
観察者の五感からではなく、観察者の魂に生起して来る何か。それが、工業製品に含まれる人間性の真髄だ。 いずれにしろ合理の終端では、救いが求められる
合理的に神を捉えても、合理には終端があり、そこでは人はただ救いを求めるだけの存在になる
そういうこと ツイッターで、十二使徒は獣帯から来ているってつぶやいてる人がいた
キリストが太陽神であることを考えたら当然だけど
気づかなかったな
そうすると、獣帯のひとつひとつに、一人一人の使徒が対応するわけで
それぞれは何なのだろう?
四ケルビムは、既に四福音史家との対応が語られているけど シュタイナーとマリー夫人が交換していた書簡があって、
君が側にいないと駄目だから側にいてほしいとか書いていたらしい
そんな人間くさいシュタイナーの文章読んでみたいな 神秘学オデッセイ、
有機的なギリシア精神の末裔がドイツで、
論理的なローマ精神の末裔がフランスだっていう話もおもしろかった
個人的にドイツロマン主義や観念論哲学に興味深さを感じて
構造主義におもしろくなさを感じていたのは、そういうことだと思った
エンデがドイツ人なのも、偶然じゃないんだろう 神って言うのは、合理の終端の外側にいる存在
それはつまり、乱数ってこと
乱数は認識できない、認知できない、理解できない
そういうもの
したがって、神智学は無理です 合理の終端とその向こう側には大きな断絶がある
その断絶の向こう側を人間はいかなる意味でも認識することはできない
つまり超越ってことだね
神は人間を超越している
人間にできることは、合理のこちら側をできる限りながく伸ばすことだけ
しかし、必ず合理には終端があるので、いくら合理を伸ばしてもこの構図自体は変わらない 合理とか神とか人智学だの神智学だの、一匹で発狂するキチガイの隔離スレか
ちゃんとした西部のスレは立て直さんとな このスレはそういうスレ
追悼したいなら哲学以外の板の方がよいかも 読書人紙面掲載 特集 2018年2月16日
追悼 西部邁
対談=田原総一朗・猪瀬直樹 /寄稿=山本光久
http://dokushojin.com/article.html?i=2886 https://blog.nxpt.net/washida_koyata/archives/2408
鷲田小彌太の仕事
Works of Koyata Washida
読書日々 866
◆180126 読書日々 866
西部邁さんの死。合掌ははやすぎる カルトはいらんけど、ITは最重要トピックだよ
哲学やる人にとってはもはや必須知識 用語集のフランスの項はけっこう散々なことが書いてあるよな
フランス語は美辞麗句の言語だから将来ヴァルドルフ学校のカリキュラムからはずすとか笑ってしまった
あと英語も神智学には向いていないとか西の結社の支配のための物質的な言語だとか
まあそれが真実ならばそう書いてくれてるシュタイナーは本当にありがたいんだけど
個人的にも英語嫌いだし 近代哲学者の四天王デカルト・カント・へーゲルを読まないと思想も哲学も分からない ギリシア・ラテン文化期→第五文化期
・ギリシアの精神→ドイツへ
・ローマの精神→フランスへ
ということかな?
第五文化期=ゲルマン・アングロ文化期かと思ってたんだけど
・ギリシア的な内面性→ドイツへ
・ローマ的な外面性(ローマ法やラテン語などの役割)→アングロ系
だと個人的に考えてた
ただ『民族魂』を読むと、第五文化期の指導的な霊はフランスの民族霊、と読めなくもない箇所がある
フランスはケルト、ラテン、ゲルマンの諸文化が混淆しているから納得していた面もあるんだけど シュタイナーの古本もよく買うけど
ときどきお香か香水みたいないいにおいがする本がある
元の持ち主は部屋にお香焚いてたのかなー 神智学の本でも、お香で空気を浄めるのはいいみたいなこと書いてたな
シュタイナーは道具を使った、いかにも「いわゆるスピリチュアル」的なものについては語ってないね
あくまで身一つでやるっていうか シュタイナーはこの世界に存在しないものをイメージしろって言ったけど、
「この世界に存在するものをイメージすること」も難しいよね
春分点や黄道を、イメージを伴って理解していなかったから、やろうとしているのだけど
地上からの視点と宇宙からの視点が混在していて、難しい
情報として知ることと、イメージすること=脳裏にそれを自分で作ること、は全然違う
こういうことをすると、表象力が思考力とほぼイコールだということがよく分かる 北方の秘儀では、弟子の自我を助手たちが支えました。助手たちは秘儀を伝授する導師をも支えました。(...)
弟子の魂が高次の世界へ参入し、そこで得た経験をほかの人たちに伝えることができるように、
この魂に強い自我の力を送り込むには、一二人の助手が必要でした。
すなわち三人の「春の人」、三人の「夏の人」、三人の「秋の人」、三人の「冬の人」の一二人です。
この人びとが集って、一団を成していました。その伝統は、もちろん退化した形で、今日の結社の中にも残っています。
(「照応する宇宙」)
この十二人は、当然一人一人が月に対応しているだろうけど
十二使徒にも対応していそう 現代哲学もしょぼいよ
言葉の問題とかよりも、情報処理の問題として扱った方がより本質的なのに
もう思考停止なのかよい人材が哲学にいかないのか ポストモダンとか壮大に間違えるからな
間違えるだけならいいが、悪影響を与えまくる
言語方面の研究も表層的すぎて無意味
認識論はまだまだ掘り下げられるはず まずスピノザ、デカルト、カントの西欧哲学二大巨頭を読むことから始めるべき 睡眠と覚醒の境界上にいる時など、他人の思考や感情らしき物を突然キャッチすることがある。
気をつけないと、それらが自分の感情に影響を与えようとする気配もごく稀に感じるが、
もちろん、そんなものは絶対に受け入れない。
あるいは場合によっては、単に自分の健康状態を反映した印象に過ぎないのかも知れない。
それが高次の存在の場合は、自分の場合は、部屋の空気がかすかに変化した気分の後、
明確な表象ではなく漠然とした「感じ」として受け取る。
そんな時は受け入れようとも拒絶しようともせず、ただ大人しく座っていることにしている。 どうして俺らは日本人が嫌いなんだろう?
本来したくもない低俗な安倍叩きをしてまで日本のことを思って行動してるのは俺らくらいだ
ネトウヨという幼稚な思想を先進的な極左思想人智学で書き換えたい 自然科学は、「恐怖にも特有の機能がある」というような説明をする
シュタイナーは、「恐怖を感じてはいけない」という
両者をどう止揚するのか。
動物に恐怖感がなければ、天敵や人間に捕獲される危機がますだろう
でも、機能性を逸脱した、むしろ機能性をそこなう恐怖もあるし、
人間の感じる恐怖は、ほとんどがそうかもしれない。
自然科学は、「かつての名残だ」というけど
その説明では心からは納得できない。 霊界の秩序と調和を理解するためには、星の世界、特に太陽系諸惑星の運動が
霊的本性たちの行為の外的な表現であると思えなければなりません。
時計の針の位置から現実の推移を読み取ることができるように、星と星の関係を宇宙時計として見るのです。
或る惑星はこの星宮に、別の惑星は別の星宮に位置しているのが見えます。
このことを霊的な本性たちの行為であり、そして黄道十二宮そのものを霊的な本性であると見るのです。
そうすれば、この比噛によって、霊界で生じる事柄を大雑把ながら表現できるのです。
(「照応する宇宙」)
こういう占星術的な理論について書いてるシュタイナー本ないかな? >>56
読んだけど意味が分からん。つまり何?
俺らはジャップ叩きをしたいしその先にある革命を見据えて行動している
安倍叩きもシュタイナー思想を広めているのもまだ手段に過ぎない ↑こら朝鮮人!お前は出て行け!
ジャップ?お前は人間のクズだ!! 自由の哲学の自由って、何からの「自由」なんだろう
悪魔からのかな?
道徳的想像力を使って、理念界を物質界に顕現しろという
なるほどそうした時に、もっとも嬉しく、気持ちよく、自由を感じるだろうことは想像できる
でも、神的な意志からは自由になっていない、とも言える。
それに従うことによって、もっとも自由を感じる指示が、天使の声なのかもしれない
でもなんで自由を感じるのだろう
自由とはそもそもなんなのか? 「覚醒時に他人の思考や感情が飛び込んでくる」なんて現象
シュタイナー言ってたっけ?
それは統合失調症の症状では? 西部が”保守の神髄”だって・・・これ後ろ向き保守だんべ。
保守っていつから後ろ向きになったんだよ。
まー最後は仰向きかうつ伏せだったにせよ。 これが自分の思考であり感情であると思い込んでいるものが、実はそうではない場合があります。
我々はみんな、多くの思考と感情の海の中を泳いでいるようなものだから、
他者からの悪影響は受けないようにした方が良いということです。
シュタイナーの著作ではありませんが、神智学大要の想念波、想念伝達のメカニズムの項目などが参考になります。 神智学大要は著者が霊界参入者じゃないし玉石混交な印象
統合失調症でないと何故言えるだろう?
発想に不健康さを感じる 太陽系だけじゃないしみんなの出身はね。昼の星とか。 統合失調症者の不健康さは、戦い、救世 カオス などで混乱しているから、
悪化傾向ととらえるよりはむしろ従順に本人なりと世界のよさと見たらいい。 哲学者の人たちの前提条件の設定付けがなんか皮相なんだよな
その条件は論理的に十分じゃないだろうというのが多い
それがすごく違和感を感じる原因なんだよ まずね、客体は認識できない
確かにそう
しかし、だからといって客体がないとは言い切れない
それなのに客体はないという
あるいは客体などどうでもいいという
どうでもいいとなぜ言い切れる?
ここに論理の飛躍がある
こういう感じで抜けてる部分がどんどん出てくる
有名な哲学者であってもだ
まあ、それほどに不十分な人たちだからポストモダンみたいな方向に行っちゃうわけだが 何もないなら乱数になるはず
しかし、自分の意識を含めて、乱数でないものが存在するんだから、
客体は確かに存在するんだよ
逆に言えば、この世界に乱数が存在しないなら、それはすべて主観の幻といえる
なぜなら、意識=認識は乱数を作り出せない
しかし、乱数はしっかりと存在しているので、自分の主観の外部に何かがあるのは確かってことになる
結局、乱数問題がキモだ
ここを研究しないといけない 要するに、物体の存在の有無は、せいぜい確率でしか表せない
それは確率の波だ
それが現代物理学が明らかにしたところでしょう
そのことがつまり、この意識の外部に何かがあることを証明しているということになる
もし、この世界が意識の幻であるならば、物体はすべてその存在をソリッドに示すはず >>62 日本っていつから後ろ向きになったんだよ。
戦後の日本は後ろ向きじゃない保守でさえと流行らないからだけど、
マスコミだろ 流行を決めてるのは。そりゃ 販売不調もむべなるかなだけど、操られてると知らないワケでもあるまいに /\
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ユダハ シホンシュギ ジャナイト イキテ イケナイ ユダ
シャカイシュギ キョウサンシュギ ハ ツブス ユダ!
サヨク ノ シンヨウ ヲ ツブス ユダ!
村山内閣・・・阪神大震災、サリン事件
菅内閣・・・東日本大震災、原発爆発
伊豆大島共産党町長・・・数百年に一度の土砂災害
仏社会党オランド大統領・・・過去に例をみない大規模テロ
メキシコの左派制度的革命党の人間が大統領の時・・・1981年、2017年の大地震
左派の三田園鹿児島県知事・・・桜島大噴火? 川内原発への北のミサイル攻撃?
韓国の左派「共に民主党」の文在寅大統領(韓国の菅直人的存在)・・・朝鮮動乱?
ふぇ 議論あまたでも、その根拠が勉強した知識そのものだと、過去に遡るから後ろ向きになる。 観音経には、「念彼観音力(ねんぴかんのんりき)」という経文が 13 回出てきます。「観音様のお力を念じれば」、いろいろな危険や苦しみ、困難から解放されるという 13 個の例え話が説かれています。
1、燃えさかる火の穴に落とされても、観音様のお力を念じれば、火の穴はたちまち池に変わる。
2、大海を漂流して龍・鬼に襲われても、観音様のお力を念じれば、波に溺れることはない。
3、悪人に山の頂から落とされても、観音様のお力を念じれば、太陽のように空中にとどまる。
4、悪人に追われて山から落ちても、観音様のお力を念じれば、傷一つ負わない。
5、強盗たちに殺されそうになっても、観音様のお力を念じれば、彼らの心は優しくなる。
6、刑場で処刑されそうになっても、観音様のお力を念じれば、刀はばらばらに折れてしまう。
7、鎖につながれても、観音様のお力を念じれば、たちまち鎖は解けて自由になる。
8、呪いのため命が危険にあっても、観音様のお力を念じれば、その人に呪いが戻っていく。
9、悪鬼毒龍(あっきどくりゅう)の怪物に出会っても、観音様のお力を念じれば、怪物は毒を与えないようになる。
10、猛獣に囲まれて殺されそうになっても、観音様のお力を念じれば、猛獣は去ってしまう。
11、マムシやサソリが毒を吐いても、観音様のお力を念じれば、たちまちいなくなってしまう。
12、稲妻が光り大雨が降っても、観音様のお力を念じれば、それらはたちまち消散してしまう。
13、戦場で死の危険にさらされても、観音様のお力を念じれば、敵たちは逃げ去ってしまう。 リアルな心霊写真が撮れた話を知り合いから聞いてかなりブルーになった
この世を彷徨う霊、いわゆる幽霊って人智学的にはどういう存在なんだろう
シュタイナー自伝の中に、親戚の幽霊を見た話があったけど。
幽霊という存在がどの程度存在しうるのか、
また「心霊写真」という現象は本当にあり得るのか。
人智学してるから霊の存在はほぼ信じているけど
それがカメラに映るなんてあるかな
神智学大要には、人間が捨て去ったエーテル体に元素存在が入り込んだりするとか書いていたような 聞いた話しだが、男2人が夜中に六甲山を走っていたら、
女の子が道の真ん中に突っ立っていた。
「あれって、噂の六甲おろしでもされたんか!?」
って、車のスピードを落として可哀想な女の子をピックアップしてやろうと思った。
すると助手席の男が
「あれは違う幽霊だ。そのまま突っ切れ」
と言うもんだからドライバーは動転した。
確かに近づくと女の子は体が半透明だったが、幽霊でも跳ね飛ばして行くのは躊躇する。
スピードを緩めて女の子をかわそうとすると助手席の男は怒鳴った。
「あの女はオトリだ。バックミラーを見ろ!」
バックミラーにはどう見ても死んでる女が今にも車に飛びつこうとしている姿が映っていた。 んだかズレた人たちだ。
スレタイを見て去りなさい。 シュタイナーはいつも、できる限り真理について述べているので、
限りなく真理に近づいた賢者たちと同様の見解が随所に見られるのだろう。 一人よがりにしか見えない 言いっぷりの、、あれは芝居だろ。
芝居を見て感心しても別に悪くはないけど、他人にまで「感心しろ」というなかれ。 週刊金曜日次号予告:2018年2月23日号(第1173号)
【中島岳志責任編集 <追悼特集> 西部邁とリベラル・マインド】
●追悼座談会|寺脇研×佐高信×中島岳志
●「評論家」を演じ続けて|長崎 浩
●学生運動のリーダーだった西部邁|森田 実
●最後のリクエスト曲|青山 恵子
●中島岳志セレクト 「西部邁この10冊」|中島岳志 層醴醴醴醴醴醴醴嬲夢體醴靦gggji!;'..、..'` .. .(巳|jc'}i,.
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、 ゙濁髟. |i ′$ . 新潮45 2018年3月号
[追悼・西部邁]完璧な制御内にあった「自裁死」/東谷暁
反・幸福論/佐伯啓思
〈83〉「死の哲学」と「無の思想」、西部邁の死を巡って グローバル化資本主義経済下で苦しむ庶民を救う思想が求められている
これに応えることができる思想はマルクス主義しかいない
また再び21世紀に団結しよう「この世界には妖怪がさまよっている 共産主義と言う妖怪が」と低くつぶやきながら 一本の理論だけでは、大半の人が不幸になる
それぞれの人の無数の合理に寄り添う精密な仕組みが求められているんだよ 西部邁って人の言ってることおおむね正しかったなと思われる時代は訪れないだろうなあ
この国の人見てるとそう思う 結局ポストモダンのいい加減さから離れられなかった
そこから離れれば、さらに先に行けたはず >>54 → >>62
日本の混迷はGHQが仕掛けたとされているけれど差別民族は他にもある。
日本は実体として役割分担はあるが、虚象である差別は嫌悪されてきた。
つまり日本人の平等感覚と外国人の差別感覚が混合して不調和を起こしているのだが、
西部氏あたりが、日本本来の和合平等を保守の本道として示せば良かったのに、やらずに西洋かぶれ & アメリカ嫌い というコンプレックスに埋没した。 和合なんて誰かが唱えても無意味
大雑把なストーリーは人を不幸にするだけ
それで洗脳してもすぐに人々は目覚めるし
それぞれの合理を精密に整合させるシステムがまず必要 日本本来の和合平等笑
西部が大学辞めた理由を踏まえれば絶対に認めなかっただろう 職人の仕事は機械では代われんものだということを強く感じております
一人前の職人になるには長い修行の時間がかかります
近道や早道はなく、一歩一歩進むしか道がないからです
学校と違って頭で記憶するだけではダメです
また本で読んだだけでもおぼえられませんな。
たくさんの人が一緒に同じことを学んでも
同じ早さで覚えられるものでもありません
自分で経験を積み、何代も前から引き継がれてきた技を身につけ
昔の人が考え出した知恵を受け継がなくてはならないのです
なぜならすべての仕事を基礎から
本当のことは何なのかをしらずには何も始められず
何をするにしても必ずその問題にぶつかるからです まずは自然の命というものに対してもっと感謝して暮らさななりませんな。
今の人は空気があって当たり前、水があって当たり前
木があって当たり前と思っていますけど
水がなかったら命がありませんのやし、生命も育ちませんな
今の人は自分で生きていると思うていますが
自分が生きているんやなしに
天地の間に命をもらっている木や草や他の動物と同じように
生かされているということ、それを深く理解せなあきません
自分だけで勝手に生きていると思っているとろくなことになりませんな
こんなこと、仕事をしていたら自然に感じることでっせ
本を読んだり、知識を詰め込みすぎるから肝心の自然や
自分の命がわからなくなるんですな
知識はあまり植えつけんほうがいいと思いますな
仏の教えのなかには
あらゆる世の中の現象は人間の心の中に納められている
人間の心ももまた自然のなかにある、というてますな
そして今まで説教してきたけれど
それをまねたらあかん
自分自身が生きていくんやから自分自身で悟らないかんということでしょうな
そういうふうに自然を悟れということでしょうな 大工や職人の仕事というのは体で覚え経験を通して学んだ学問なんですわ
それが無視されていますな。軽んじられてますわ
何でも計算できると思っているんですな
そして、そうした学問が重要視されてますな
本の中や議論のうえではそれでいいんでっせ
しかし、私らは実際に堂や塔を作らなならんのです
頼りにするのは先人の残してくれた知恵と積み重ねてきた経験ですな
それと勘です
長いこと木を扱い、かなづちで釘を打ち込んできた経験が教えてくれる勘ですわ
ですから私らだって完璧ということはないんです
じゃあ、どうするのかいいましたら精一杯のことをするしかないですな
自分ができる仕事を精一杯する。
これだけですわ 中国の老子という人は教育は人をダメにすると言うてますな
生まれたまんまのほうがよろしいということでしょうな
人間でもみんな自然の中におかれ生かされているんです
建築でもそうや
自然から飛び出すというわけにはいきませんやろ
みんな自然の中での行いです
ですから自然というものを理解せないけませんな 先人の経験を言葉や知識として、それをもとにその上に築くということが
できんのです。経験は学べないんですな
経験は自分ではじめから基礎を積んで載せていくしかありませんから。
世の中全体がせちがらくなってきました
人を育てるのも大量生産で何しろ早くですわ
それとそんなに丁寧に物を作ってもらわんでいい
適当な大量生産の安いものでいいというんですからな
そうするとせっかく長い時間かけて育てても活躍の場がなくなってしまうんですな。
職人の仕事のよさは一つ一つ違う材料のよさを引き出して物を造ることやけど
そんなもんいらんというんですからな
日本の文化はそうやって自然の持つ素材の良さを生かして
自然の中に置いて調和の取れるものを作っていくなかで生まれ
育ってきたんですけどな しかし、木を育てるというのは大変なことです
自分のことだけを考えていたらできません
国の未来や国土を守るという使命感があって
初めて木は育てられるんです
人間を育てるのも同じことでっせ
次の世代を担う人を育てるという使命感がなければあきません
それも口先だけやなしに
心底から信じてなくてはあきませんわ
人間は自在に動くことができますし心がそなわっています
この心の動きによって人間に差ができますのや
そやから人間を育てるには、その心をしっかりつかまななりません
けれど、人の心というやつは形が見えませんさかいに難しいんですな
体は飯を食わせれば大きくなりますが、心はそうはいきませんやろ
心の糧は五感を通して心の底に映る万物を正しゅう判断して蓄えること
これが心に飯を食わすということですな
この心に糧を与える手助けをするのが教育というもんでっしゃろな ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています