数学を初めとした理系の学問と哲学について 13
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sym.N(sym.GoldenRatio, 50)
1.6180339887498948482045868343656381177203091798058 【Join Rule】
fx, xfx, yfx, xfy
parse: => assert(human(aya)). assert(AI(nana))
prove:
| error(X) :- human(X).
| human(aya).
| ?- error(X).
X = aya.
yes
| prove: S formula, Try unification.
((error X)(AI nana))
?- a(x),b(x).
= Recursively prove predicates =
message : Unification succeeded!,and the question proved to be true. a(0).
a(x) :- X1 is X**2, a(X1).
a(X) is a recursive definition.
X = v_1,v_2,v_3=…v_100 = aya
X is a chain of constraints of variables. 【stack array】:
suffix value
0: The heap address of variable x
1: 10000001
2: 10000002
3: 10000003
4: 10000004
5: 10000005
sp = 6
【variant array】:
suffix value
1: 10000002
2: 10000003
3: -1
4: -1
5: -1
The meaning of -1 for unbind.
The value of X atom is CAR part = v_1(10000001)
sp = bindings = 2 f_M = zip' [2,4..] ['M','A','T','H','E','M','A','T','I','C','S']
[(2,'M'),(4,'A'),(6,'T'),(8,'H'),(10,'E'),(12,'M'),(14,'A'),(16,'T'),(18,'I'),(20,'C'),(22,'S')]
f_P = zip' [1,3..] ['P','H','I','L','O','S','O','P','H','Y']
[(1,'P'),(3,'H'),(5,'I'),(7,'L'),(9,'O'),(11,'S'),(13,'O'),(15,'P'),(17,'H'),(19,'Y')] elem' :: (Eq a) => a -> [a] -> Bool
elem' a [] = False
elem' a (x:xs)
| a == x = True
| otherwise = a `elem'` xs
f_p = elem' "Plato" ["Socrates","Cant","Leibniz","Plato","Descartes"]
----> True 【平成家族】働き方改革が生んだ皮肉「足が家に向かない」 増える「フラリーマン」
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180807-00010002-asahit-soci
働き方改革で残業時間が減り、自由な時間が増えたサラリーマンたちが
家庭に戻る前に数学したり哲学したりすることもあったらいいな。 一日中こき使われ疲れた頭で数学なんかできるわけない ちくま学芸文庫からはたくさん数学の本が出ているけど、
あれって、専門の数学者とか大学院生が買うから持ちこたえてるのかな。 Conjunctive(,) : a(X),b(X),c(X). -> ((a X)(b X)(c X))
Disjunction(;) : a(X),b(X);c(X). -> ((a X)(b X)), ((c X))
ex. a(X),(b(X);(c(X),d(X))). エルブランの定理(Herbrand's theorem)は1930年にジャック・エルブランが発表した
数理論理学上の基本定理である。 エルブランの定理は様々な表現方法があるが、
単純には以下のように表現できる。
F を節の有限集合とするとき、以下の2つは同値である。
・ F が充足不能
・F から得られる基礎例(エルブラン基底)の有限集合で充足不能なものが存在
エルブランの定理は一階述語論理における任意の恒真な論理式の証明が有限回の
機械的な操作で終わることを保証し、ほとんどの自動定理証明の理論的な基盤に
なっている。チューリングマシンの停止性問題と同様、一般的な述語論理式が
証明可能かどうかを求めるアルゴリズムは存在しないが、エルブランの定理では
一階述語論理を命題論理と結び付けることで、一階述語論理での証明可能性に
ついての部分的な回答を与えている。
なお、エルブランの本来の証明は任意の一階述語論理式を対象としたものだが、
多くの場合、冠頭形の論理式に制限し単純化した定理で表される。 エルブラン領域(Herbrand universe)とは、述語論理式に現れうる変数を含まない
全ての項の集合である。
述語論理式の項は以下の定義から帰納的に表される。
・任意の個体定項(定数)は項である。
・任意の個体変項(変数)は項である。
・任意の n 引数の関数記号 f と複数の項からなる f(t1, .. ,tn) は項である。
論理式を構成する記号として定数及び関数記号が定められているとき、変数を
含まない項(閉項、closed term)の全体をエルブラン領域といい、以下の式
H で表すことができる。論理式に定数が含まれない場合は任意の定数 c を付加する。
H = H_∞
・H 0 = {c}(cは定数記号)
・H_(i + 1) = H _i ∪ {f (t_1 , … , t_n )|t_j ∈ H_i} (fはn引数の関数記号)
例えば、定数 a と1引数関数 f 及び2引数関数 g が論理式に含まれる場合の
エルブラン領域は、a, f(a), f(f(a)), g(a,a), g(a,f(a)), f(g(a,a)),
g(a,g(a,a)), ‥ となる。 エルブラン領域の全ての要素を論理式を構成する原子論理式に割り当て、
それぞれの真偽値を決めることで、論理式に対する任意の解釈が表現できる。
エルブラン領域の要素を引数とする原子論理式の全体をエルブラン基底
(Herbrand basis)という。
例えば、x, y, zを変数とする述語 P(x) と Q(g(a,y),f(z)) からなる
論理式のエルブラン基底は、P(a), P(f(a)), P(f(f(a))), P(g(a,a)),
P(g(a,f(a))), ‥ ,Q(g(a,a),f(a)), ‥ となる。
一般に変数をもたない述語または節のことを基礎例(ground instance) と言う。
エルブラン基底は節集合から得られる基礎例である。 エルブラン基底を導入する
ことで、論理式を命題論理式として扱うことができ、論理式の意味を構文的に
決めることができる。
エルブラン基底の任意の部分集合 I をエルブラン解釈と呼ぶ。直感的には、
エルブラン基底の要素の内 I に含まれるものは真、それ以外は偽を表し、
真偽値の割り当てにより論理式全体に対する1つの解釈を定めたことになる。 論理式の区分で大事なのは、それがシンタクスとセマンティクスに分かれる
こと。Syntaxでは、記号の意味はどうでもよくて、単に記号が形態や図形と
して区別できればよくて、言語を純粋な図形として扱う立場がシンタクス。
記号間の区別さえつけばいいので、意味は無視できる。この立場が統語論や
構文論になる。記号の意味は無視して、記号の並べ方やどんな順序で並べると
語となったり、文になるかなどを論じる立場で、意味でなく記号の形式
について考えるもの。
これに対して、Semanticsの方は記号の意味にかかわる現象を扱うもので、
これが意味論と呼ばれるものだね。 だから、シンタクスの場合は、記号間の順序や並び方、文法などの文の形式に
注目するので、たとえば、
「今日は関東に台風が来るようだが、明日は晴れるといいなあ」という文と
同じ記号を使った
「なあいい晴れると明日は、今日は来る関東にようだが台風」
だと、なぜ文型のルールや文法としてダメなのか、みたいなことを研究している
というイメージで捉えると判りやすくなるかな。つまり、統語論では語順や単語間の
前後関係に注目する。だから、それは記号間の構造に留意するとも言えるだろう。
意味論の場合は、シンタクスとしての正しさだけでなく、それが指す対象との関係なり、
現象の真偽が大事になる。だから、
「現、日本の総理大臣は秋篠宮佳子様である」
という文は、シンタクスとしては、つまり、文法としてみれば問題ないけど、
セマンティクス、つまり意味論の文脈でみると、それがおかしい、つまり偽となる
といった真偽や意味に注目するのが意味論の方だね。 だから、シンタクスでは記号の意味には留意しなくて、単に記号間に識別可能性
があればよいという立場なので、
「現、日本の総理大臣は(●´ω`●)である」
という文も統語論的な文脈だと問題ない、という立場になるだろうね。 数学とプログラミングだって自動化されるんじゃねえの?
996 考える名無しさん sage 2018/08/07(火) 20:35:38.85 0
3大メガバンク、事務職自動化で大規模人員削減。
その次は店員で、配送員も自動化で不要になるねえ。
数学とプログラミングくらいはこなせないと、どの分野でも話にならない。
だから哲学でも同じだよ AIで自動化されても、それが正しい手続きやアルゴリズムになっているのかを検証、
テストするのに人間の数学やプログラミングの知識がいるので、それらを人間側が学ぶ
必要性はなくならないどころか、今後ますます高まるだろう 東京医科大学の女子減点操作や医師OBの裏金による子弟の裏口入学など、
アルゴリズム的な不正が歴史的ずっと看過されてきたのが日本なので、AI化する社会で
こうした既得権益の解消が目指されないといけない。慶應なども系列で、慶應幼稚園時代
から寄付金出していれば、バカ商学部でなくても、クルクルパーでも入れるように
なっているので、全て金持ちが有利になる不公正な社会の仕組みになっていることが
判る。
それらは日本人全体のモラールを低下させるし、社会に対する不信感を増長するので
政治家の世襲議員同様、一度、AI化で真の公平性を実現していかないといけない。
医師も坊主も世襲で、楽して有利な基盤を引き継いでいるのだから、本来であれば
ゴルフのように彼らにハンデをつけてないと、真の公平性に基づく競争基盤が
ないことになるから。 >>26
細かいことだけど、幼稚園じゃなくて小学校の幼稚舎な。
それと、商学部は経済学部にほぼ並んだ。
自民党は世襲もなくす方向らしい。 >>26
AI導入すりゃ公正になるなんて見通し甘すぎだ
試験の点の操作してたんなら、AI導入しようがAIの出した結果を操作したら同じことじゃん 安倍政権は
プログラミング言語を小学校の段階から必修化するように動いているみたいだね。 必修ったって小学生になる教えんだろ
スクラッチとかかね >>29
操作しない人間をAIで選ぶんじゃないの。
まあ例えばカント的な哲学に基づいたAIみたいなのでさ。 >>33
どこにそんなAIがあんの?
いつも妄想で語るから馬鹿にされんだよ ロジックでそれを考えて見よう。
意味論をPと置くと、意味論でないものは、¬Pで表せる。
¬Pの仮定が矛盾すること示せば、その否定となるので、つまり二重否定の除去
¬¬Pになったものが意味論Pとして結論され、それと同値になる。
背理法でもいいね。・・・は意味論でないと仮定してみる。¬Q
すると命題Pとの間に矛盾が生じる。 P∧(¬Q) = F
よって、もしPならばQは意味論である。 P→Q
対偶法でもいいね、あとは自分でやってくれ なんかAIについてポジティブな意見をつける人間は全て同一人物であると
思い込んでいる馬鹿が居るようだねwそういう馬鹿をフィルタリングするのに、
AIは有効だろう >>34
そうは言っても、将来の話を今あるものに限局して語る必要もなかろ?
「哲学は進歩したのか」スレからどう進歩するのかという「数学と哲学」スレになった訳だし。
まあ、妄想は未来技術板とかで語ったほうがいいだろうけどさ。 >>37
元々が現在の試験不正問題からAIに変えろって話してんのに、将来実現するかもしれないありもしないAIの話してどうすんの?
トンチンカンな人? >>38
今のAIで不正防止ができるんだったらごめんなさい。 >>38
でも、
>>29
でそう上手くは行かないんじゃないのっていうレスがあったからそれに絡めて
将来の話をしただけ。 ロジックでそれを考えて見よう。
「AIは公正さを実現する」を命題Pと置くと、「AIは公正さを実現できない」は、
¬Pで表せる。 ¬Pの仮定が矛盾すること示せば、その否定となるので、
つまり二重否定の除去 ¬¬Pになったものが「AIは公正さを実現する」命題Pが真として
結論され、それと同値になる。
背理法でもいいね。・・・は「AIは公正さを実現しない」と仮定してみる。¬Q
すると命題Pの「AIは公正なアルゴリズムを持つ」との間に矛盾が生じる。 P∧(¬Q) = F
よって、もしP「AIは公正なアルゴリズムを持つ」ならばQ「AIは公正さを実現する」である。
P→Q
対偶法でもいいね、あとは自分でやってくれ んー。なんかおかしいですね。
命題論理の取り扱いを間違えていますね。
「AIは公正さを実現する」の否定は「AIは公正さを実現できない」ではないですよね。 「AIは公正さを実現する」の否定は「AIは公正さを実現しない」だな。 AI云々の前に何が公正かの答えがでていない
くわえてAIに判定させるにしてもアファーマティブアクションをどう取り扱うのかという問題は避けては通れない
アファーマティブアクションを取り入れないことが公正なのか
アファーマティブアクションを取り入れることが公正なのか
は立場によって異なるのだから「AIは公正さを実現する」なんて楽観的というよりむしろ軽薄 AI君の主張は現実と妄想がごっちゃになってるからなぁ >>25
ふーん
本当にそうならさ、なんで数学とプログラミング出来るはずの君はそんなに毎日5ちゃんに来るほど暇なん?w >>44
だってAIの議論の雑さを指摘したらAI否定だと思うアホの子なんだもん、仕方ないよ 「公平な社会」に対する評価は?公平である事が望ましいというのも一つの価値観だよね? 本当は、
「公平」とかよりももっと「実力主義」を言いたいんじゃないかと邪知してみる。 quicksort :: (Ord a) => [a] -> [a]
quicksort [] = []
quicksort (x:xs) =
let smllerOrEqual = [a | a <- xs, a <= x]
larger = [a | a <- xs, a > x]
in quicksort smllerOrEqual ++ [x] ++ quicksort larger
【execution result】
quicksort [1,9,8,4,5,3,8,11,2,0]
[0,1,2,3,4,5,8,8,9,11]
quicksort ['M','A','T','H','E','M','A','T','I','C','S']
"AACEHIMMSTT"
quicksort ['P','H','I','L','O','S','O','P','H','Y']
"HHILOOPPSY" 【execution result】 : Notice that space is properly sorted
quicksort [1,6,1,8,0,3,3,9,8,8,7,4,9,8,9,4,8,4,8,2,0,4,5,8,6,8,3,4,3,6,5,6,3,8,1,1,7,7,2,0,3,0,9,1,7,9,8,0,5,8]
[0,0,0,0,0,1,1,1,1,1,2,2,3,3,3,3,3,3,4,4,4,4,4,5,5,5,6,6,6,6,7,7,7,7,8,8,8,8,8,8,8,8,8,8,8,9,9,9,9,9]
quicksort "The weather in Japan is unstable, and recently there are many typhoons"
" ,JTaaaaaaabcdeeeeeeeeehhhhiillmnnnnnnnoopprrrrssstttttuwyyy" https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180809-00000047-asahi-bus_all
検査違反、スズキ・マツダ・ヤマハの3社で6480台分
今の日本社会は不正、不公正社会だから、AIを使うのであればそうした
不正なり、不自然なデータやねつ造・改竄された数値を検出するような
ものがあるといいだろう。政府統計さえも官僚が恣意的に構成した信頼
のおけぬものとなっているので、そういうのを見抜くポリグラフ検査的な
AIが必須だろう。
あと、内部告発者の声を匿名で集めて、それらを検定してその告発の信憑性なり
尤度を確率的に判定するようなAIがあるといいだろうな。それがある程度の
閾値を超えたら、マスコミに載せてもいいレベルのものとなる、という風に
したらいいだろうし。 真理には理性の真理(分析的真理)と事実の真理(経験的真理)の2つがある。
論理で扱いやすいのは、前者の真理だね。なぜなら、論理は事実内容でなく
形式を扱うものなので、前者の方が算術的となって扱いやすくなるからだ。
そのためブール値だとP∧Q は、P*Qで、 P∨Qは、(P+Q)-(P*Q) で
0(F)と1(T)の2値論理で計算できるようなものになっている。だから
日常言語の運用法と論理のルールでは直観的に違和感を覚えるケースも
出て来るだろう。論理は単に形式を機械的に扱うために、現実を顧みる
ことがないから。その点で、論理は数学や形而上学と似ていると思われる。
「首相は政治家である」という命題は、わざわざそれが正しか否かを調べる
必要がない、という意味で理性の真理(分析的真理)の方に入る。経験による
観察を必要としないので、三角形の内角の和が180度と同じアプリオリとなる。
AIが扱いやすいのは、もちろん算術に近い理性の真理(分析的真理)の方なので、
それを事実の真理(経験的真理)を扱うものとして有効にするには、もちろん、
そこに人間の介在なり妥当な定義、及びそのアップデート、熟議、チューニング
などが要請される。 以前に比べると多少はわかりやすくなり、主張もなんとなく見えてきた。 増やせって、例えば行動経済学とか行動心理学とか?w >>59
主張なんてずっとAIすげえ、だから数学とプログラミング出来るおれすげえ、だけじゃん >>63
世のなか自体を公正にしたい、それは民間も官僚も同様に
ってのがでてきたじゃん。 公正にしたいヤツが二言目には「三角関数出来ない馬鹿」じゃ説得力ねーなー 確かに。そういう排他的なところは直していかないとだめだろうね。 そもそも三角関数のアイタ的な個人的幻想だから排他的になれる要素ゼロなんですけど 三角関数もプログラミングも出来ない馬鹿猿がまた喚いてるのか。
俺の高度な啓蒙活動が理解出来ないなら黙ってればいいのに。 ここの猿共は来たるべきAI時代に確実に取り残されるから啓蒙活動してやってるのに、猿だからそのありがたみすらわからないんだな。 スコーレム標準形とは、数理論理学において一階述語論理における存在記号が
すべて全称記号の前にある冠頭標準形の論理式を言う。
トアルフ・スコーレムによるスコーレムの定理により、第一階述語論理における
任意の論理式に対して、演繹的に等価なスコーレム標準形の論理式が存在する。
第一階述語論理における任意の論理式は、論理式の一番前にすべて否定形でない
前置記号を持ち、その作用域がどれも論理式の終わりまで及ぶような標準形に
直すことができる。 このような標準形を冠頭標準形と呼ぶ。
なお、冠頭標準形の一番前から数えて存在記号の前にある全称記号の数を、
その冠頭標準形の次数(degree)と呼ぶ。 スコーレム化は、存在量化された変項 yを新規の項 f ( x 1, … , x n )
この論理式は冠頭標準形なので、量化子のリストにおいて x は y の前にあるが
(シンボルf は元の論理式には出現していない)に全て置き換えることでなされる。
この項の各変項は、次のようなものである。もしその論理式が冠頭標準形なら、
x 1 , … , x n の各変項は全称量化されていて、その量化子は y の量化子より
前に置かれている。一般に、論理式には全称量化が行われていて、∃ yはその量化子の
スコープ内にあると考えられる。ここで導入される関数 f をスコーレム関数、
アリティがゼロならスコーレム定項と呼び、項全体をスコーレム項と呼ぶ。
例として、論理式 ∀x∃y∀z. P(x,y,z)を考える。これには存在量化子∃y
があるので、スコーレム標準形ではない。スコーレム化では y をf(x) で置き換える。
このとき、f は新たな関数シンボルであり、置換と同時に y の量化子を除去する。
結果として得られる論理式は ∀x∀z. P(x, f(x),z) となる。
スコーレム項 f(x)は x は含むが z は含まない。これは除去された量化子∃yが
∀x のスコープには入っているが、∀z のスコープには入っていないためである。z はそうではない、と言うこともできる。この変換で得られた論理式は、
元の論理式が充足される場合のみ充足される。 スコーレム化は、一階述語論理での充足可能性の定義に二階述語論理の等価性を
適用するものである。その等価性によれば、存在量化子は全称量化子の前に移動できる。
∀x (g(x) ∨ ∃y R(x,0y)) ⟺ ∀x (g(x) ∨ R( x ,f(x)))
ここでf(x) は y を x でマッピングする関数である。
直観的に、「全ての x について、ある y が存在し、R(x,y) が成り立つ」とは、
「ある関数 f が全ての x を y にマッピングし、全ての x について R(x,f(x)) が成り立つ」
と書き換えても等価である。
一階述語論理の充足可能性は、関数シンボルの評価に対して暗黙のうちに存在量化を
施すような定義になっているため、この等価性が役立つ。ここで、一階述語論理式 Φは、
モデルM が存在し、その論理式を「真」であると評価させるような自由変項の
評価の組合せ μ があるとき、充足可能である。 >>77
直感主義とは、根拠もなくここの住人すべてが三角関数とプログラミングが出来ないと思い込むことを言う 論理式A,Bの同値変形となるグループ中で、面白そうなのを選択して
その真理表を作って、自分でそれが正しいかどうかを調べてみた。
A → B という論理式と、
(¬A ∨ B)と ¬(A ∧ ¬B)という2つの論理式が論理的に同値となる
かを以下で調べる。各構成要素に真理表で0,1を割り振った。全部で、
8要素、つまり8列となった。
A, B,¬A,¬B, A → B, (¬A ∨ B), (A ∧ ¬B), ¬(A ∧ ¬B)
1,0,0,1,0,0,1,0
0,1,1,0,1,1,0,1
1,1,0,0,1,1,0,1
0,0,1,1,1,1,0,1
上記の真理表から、列で書いたものを横書きにすると、
A → B は、 0,1,1,1
(¬A ∨ B)は、 0,1,1,1
¬(A ∧ ¬B)は、0,1,1,1
となって、この3つの論理式が同値、つまり論理的同値であることが判った。 今度は、論理式P,Q,Rの同値変形となるグループ中で、入れ替え律を選択して
その真理表を作って、自分でそれが正しいかどうかを調べてみた。
P→(Q→R) という論理式と、Q→(P→R)という2つの論理式(入れ替え律)が
論理的に同値となるかを以下で調べる。各構成要素に真理表で0,1を割り振った。
全部で、7要素、つまり7列となった。
P, Q, R,(Q→R),(P→R),P→(Q→R),Q→(P→R)
1,1,1,1,1,1,1
1,1,0,0,0,0,0
1,0,1,1,1,1,1
1,0,0,1,0,1,1
0,1,1,1,1,1,1
0,1,0,0,1,1,1
0,0,1,1,1,1,1
0,0,0,1,1,1,1
上記の真理表から、列で書いたものを横書きにすると、
P→(Q→R) は、 1,0,1,1,1,1,1,1
Q→(P→R) は、 1,0,1,1,1,1,1,1
となって、この2つの論理式(入れ替え律)が同値、つまり論理的同値であることが判った。 もう無理やり哲学やAIに絡めることすら放棄かよ
数学の話するだけなら数学板でやれっての ゲーデルの不完全性定理と直感主義って関係あるのかな? AIと論理は思いっきり関係あるだろ
だから三角関数もできない馬鹿だと、いつもお前らはバカにされるんだよ たしかに三角関数もできない頭で哲学は無理だわな。そこだけは同意するわ タンジェントのグラフってタチウオの泳ぐ姿みたいだったよね。 相変わらずAIさん以外が書いたものは全部ゴミだなw 2^n + 1 が素数であるための必要条件は、nが2の累乗であること
f(x) = x^(n) + 1 でnが奇数の場合は、f(-1) = 0
従ってx^(n) + 1 は x + 1 で割り切れる。
2^n + 1 でnが奇素数を素因数として持つとする
n = pq [p:奇素数]
そのとき、2^n + 1 = 2^(pq) + 1 = (2^q)^p + 1
となり、2^n + 1は2^q + 1 で割り切れるので、2^n + 1は素数でないことになる。
そのため 2^n + 1 の形で表される数が素数ならば、n = 2^m ということになる。 F_m = 2^(2^m) + 1 : この式で表される数をフェルマー数と呼ぶ。
F_0 = 3
F_1 = 5
F_2 = 17
F_3 = 257
F_4 = 65537
F_5については、オイラーが F_5 = 4294967297 = 641 * 6700417
であることを発見した。つまり、F_5は、素数の641や素数の 6700417で
割り切れるので、フェルマー数ではあっても、素数ではない。
その後、現在に至るまでコンピューターによって非常に大きなフェルマー数まで
確認されたが、素数は発見されていない。フェルマーの予想では、フェルマー数
が素数であることがF_4以降も続くと思っていたので、このフェルマーの予想は
外れたことになる。F_5以降のフェルマー数に素数が存在するかどうかはまだ
判っていない。 掃き溜めに鶴
つまらない所に、そこに似合わぬすぐれたものや美しいものがあることのたとえ。
ごみために鶴。塵塚(ちりづか)に鶴。 池田晶子もその人間の価値は、その人間が書くものの等価と言ってたからな
その意味は、屑のような人間は屑のようなこと、下らないことばかり書く
優れた人間は、内容のある優れたことばかり書く。ネットみればそれが本当なのは
一目瞭然。ネットでの書き込みは、それを書いた奴自身の価値を写す鏡。
文は人なりは、本当なのだ 254 :禊健太郎 ◆CMF.YwtoAw :2018/07/25(水) 19:59:13.11 0
久々すげぇどあほが常駐してるな。 素数とはなにか。簡単にそれらしく説明すれば、1と、その数以外の数では割り切れない自然数である。
自然数とは、この場合、1の集まりでできた数である。
自然数とは、あくまでもこの場合、1の集まりでできた数の集まりである。
(中略)
ある数Nを 1^n1 * 2^n2 * ... * N^nN で表したとき、...
ああ、そうか。素数とはそういう関係である。これをフラットに図示できれば素数論が解けるw
誰か、これでフィールズ賞でもとってくれい。
フラットにすることが無理であっても超立体の表面でならできるだろう。
超立体が無理であっても非標準な超立体を考えればよい。
なんだかおもしろくなってきたのでちょいと図書館で資料あさり。 数学というものを神話・呪術・信仰のたぐいであるとみるならば、
Sir James George FrazerのThe Golden Bough的に、社会人類学的考察あるいは哲学的考察をすることが可能だ。
数学というものの神話性・呪術性・信仰性をあらわにすることも、哲学の役目である、と思う。 そういえばAIさんは大学の教員だって誰かが言ってた AIで公正さが実現されるのか疑義が呈されている。一部抜粋。
数学をまとった「兵器」に警告
あなたを支配し、社会を破壊する、AI・ビッグデータの罠
著者:キャシー・オニール
出版社:インターシフト
https://book.asahi.com/article/11739780
毎日、スマホを使って買い物したりするたびに、その行動は、人々の好み、
交遊範囲、金銭状態に関するデータとなる。その膨大なデータをもとに、
どんな傾向の人物なのかをはじきだすアルゴリズムがあり人々が分類される。
分類によって個人の評判が決まる。そのデータは売られる。
アルゴリズムの詳細は企業秘密なので公表されない。これって公正だと思います?
AIとビッグデータで何をしているのか、プロセスに透明性がない。
間違いがきちんとフィードバックされない。モデルの目的が効率化なら、公正は無視される。
便利だから急速に増殖し、大量の人々が悪影響を受ける。
これはもう、数学をまとった「兵器」ではないか。 評者の長谷川眞理子は総合研究大学院大学学長か。
例えば人事評価、学生評価のデータ処理に
AIが使われることになんか賛同しないのかな。 >>79>>80の続き
次は、論理式A,B,Cを使って、(A→B)→C と A→(B→C) が
論理的に同値ではないことをそれに対応する真理表を作って、
それが正しいかどうかを自分で調べてみた。 各構成要素に
真理表で0,1を割り振った。 全部で、7要素、つまり7列となった。
A, B, C,(A→B),(B→C),(A→B)→C,A→(B→C)
1,1,1,1,1,1,1
1,1,0,1,0,0,0
1,0,1,0,1,1,1
1,0,0,0,1,1,1
0,1,1,1,1,1,1
0,1,0,1,0,0,1
0,0,1,1,1,1,1
0,0,0,1,1,0,1
上記の真理表から、列で書いたものを横書きにすると、
(A→B)→C は、 1,0,1,1,1,0,1,0
A→(B→C) は、 1,0,1,1,1,1,1,1
となって、この2つの論理式が論理的に同値でないことが判った。 その次は、排他的選言(XOR)で結合律が成り立つがどうかを調べる。
構成要素に真理表で0,1を割り振った。排他的選言は2項を評価して
一方だけが真の時に真となる論理のこと。だから選言の場合とは異なり、
2項が共に真の時は偽の0になる。排他的選言(XOR)の論理結合子には、
Θの記号を使った。
排他的選言 AΘ(BΘC)と(AΘB)ΘC は論理的に同値であるか否かを以下で
調べる。
A, B, C,(AΘB),(BΘC),AΘ(BΘC),(AΘB)ΘC
1,1,1,0,0,1,1
1,1,0,0,1,0,0
1,0,1,1,1,0,0
1,0,0,1,0,1,1
0,1,1,1,0,0,0
0,1,0,1,1,1,1
0,0,1,0,1,1,1
0,0,0,0,0,0,0
上記の真理表から、列で書いたものを横書きにすると、
A Θ (B Θ C) は、 1,0,0,1,0,1,1,0
(A Θ B) Θ C は、 1,0,0,1,0,1,1,0
となったので、排他的選言の結合律 AΘ(BΘC)と(AΘB)ΘC は
論理的同値であることが判った。 今度は、3項の原始式(P,Q,R)で排他的選言となる論理式 PΘQΘ Rを作って、
それの隣にP,Q,Rの中に一つだけ真がある時に1、それ以外は0を返す論理式
作ってみる。その論理式は PψQψRで表す。3項の原始式(P,Q,R)で評価は、
まず、最初に2項の原始式PとQを排他的選言(XOR)で評価して、その真偽と
残りの1項の原始式Rを評価して使う。全部で、5要素、つまり5列となった。
P,Q,R,PΘQΘR,PψQψR
1,1,1,1,0
1,1,0,0,0
1,0,1,0,0
1,0,0,1,1
0,1,1,0,0
0,1,0,1,1
0,0,1,1,1
0,0,0,0,0
このことから判るのは、排他的選言PΘQΘRは、真(1)の数が奇数個の時に、
真の1を返し、真(1)の数が偶数個の時に、偽の0を返すということ。
排他的選言(XOR)だと、P,Qの2項での原始式での評価を連想しやすいけど、
3項以上の原始式でも排他的選言は同様の方法でいくらでも計算できる。 >>102
FBの7億人の偽アカウント・フォローワー締め出しの事例にあるように、
データ自体に信憑性がないことが今は問題となっているよ。「いいね」
もまとめて買えるし、アマゾンの☆5評価も業者が販売している。
だから、前にも書いたように不正なデータを検出するAIが必要な状況だろうね。
インスタ映えするために、友達をレンタルする、なんていうのもあったね。
すべてデータが虚構になったいる現代社会、これをまずは遡上にのせないと。 製薬会社の利益相反もそうだけど。あれも専門家が統計的にチェックすれば
改竄されたおかしなデータが用いられていて、そこから恣意的な帰結を出ている
ことなど判るようだから。その専門家のアルゴリズムをAIへ実装してあげればいいのだから。 理系の人って問題の解法を説明するとき「〜〜してあげる」って言う傾向あるよね。
すごく好きよその言い方。 数学とは、数学的概念による模倣または対応のSympathetic magic(共感魔法)である。
なかなか便利な魔法だ。
そう考えると、「脱魔術化」とは科学化ではなく、魔術が進化したにすぎない。
「再魔術化」とは、日常と乖離してしまった「科学」を引き戻すことであり... ...それがITの役目でもある。魔法使いになれなかった人のために。 ITとは「再魔術化技術」であり、そうでなくてならない。
ITを「再魔術化技術」と読み解くことで、AI技術の立ち位置もみえてくる。
ただし、現在のAIはただの分類器であり、「公正さ」など持たない。 >>94の続き
F7までのフェルマー数
let fermat x = 2^(2^x) + 1 in [fermat 0,fermat 1,fermat 2 ,fermat 3 ,fermat 4,fermat 5,fermat 6,fermat 7]
[3,5,17,257,65537,4294967297,18446744073709551617,340282366920938463463374607431768211457] フェルマー数で啓蒙活動したつもりになれるなんてやっすい奴 >>110
科学が日常と乖離してるか?
科学の産物であるスマホをみんな持ってる時代に?
むしろ科学の恩恵を一番得てる時代じゃねえの? >>116
よく使われているとはいっても、
スマホを分解して自作できるような状態じゃないんじゃないの。
AppleのMacbookの普及も自作PCの製作を助長するのとは反対の状況を生んでる。 再魔術化とか落合陽一がよく使っているけど、あんまり適切な比喩には感じられない。
普通にブラックボックス化している、と言った方が分かり易いだろう。
数学でも>>115のような三角関数もできない残念な脳の持ち主にはブラックボックスで
謎の記号やノイズとしか映らないだろうから。 再魔術化って言葉を使わないと近代から中世へ回帰しているような印象を与えられないからな ブラックボックス化に科学技術や理系の地位向上が付け加わって初めて
再魔術化と言えるようになると思う。 脱魔術化とはre-enchantment。再魅了化。 うわ、ミスった。そう、再魔術化。
科学をたいして理解していなくても科学という魔法が使えるのだ。 脱魔術化は科学化・合理化であり、1世紀前の話である。
科学は専門化しすぎて専門家でさえ他分野はわけわからんこととなり、
合理化は捨て去ってしまった有用なるものも多い。
今世紀は再魔術化の時代であり、ポスト・ポストモダーンなのである。
一周回って新たなステージに達しなければならない。
それは、システム中心ではなく、人間中心の、それでも技術化された、新たな魔法世界w
「とある魔法」から「とある科学(技術)」を経て、「とある情報魔法(情報技術)」の世界。
物理学から物理情報学へ、数学から数学情報学へ、哲学から哲学情報学へ、心理学から心理情報学へ、
医学から医科情報学へ、わざわざ「情報」とつけるまでもなく、すべては「情報」である。
ただし、「情報」も一周回って、人間側からのオペレーションによる情報へのアクセスを中心とする。
この板にたくさん書かれているような数式は過去のものであり、すべては人間からみたオペレーションとして書き直されるべきだろう。 落合某のことは全く知らないし単純な話なんだけど
科学も魔術だというのなら「再」魔術化って言葉はおかしいよね
それに「脱魔術化」(合理化)の「魔術」と「再魔術化」(意味付け)の「魔術」は同じ「魔術」なのか?
意味の異なるものどうしを対立概念のように扱うのってどうなの? 「魔術化」の部分は enchantment であり、
人間側からみた「魅了化」のことであり、対象となるものが固定されているわけではない。
その意味では、科学による家電・洗濯機・掃除機・TVからウォークマンあたりまでは魅惑的であった。
人間の使うものであったが、人間が使われるものに変わってきて、魅惑的な「機能」を使いこなせるまでがたいへんになって来たw >>127
enchantmentを魅了化(意味付けについての言葉)ではなくて魔術化とわざわざ訳すことに対して違和感を覚えない?
魅了化ではなくてあえて魔術化と訳すことによって「脱魔術化」(合理化)との対立構造を成立させているのでは?
これは媒概念曖昧の虚偽じゃないのかと>>126で言いたかったんだ もともとの脱魔術化がEntzauberung der Weltであって、世界の呪術からの解放であり、世界の脱魔術化であり、その英訳がdisenchantment で、その再魔術化がre-enchantment。
とてもややこしいw
そもそもの「脱魔術化」が誤訳ということでよろしいかとw
呪術的世界へ逆戻り、ではなく、一周回って上級ステージ。
細かいことにこだわらずに科学魔法を使おうぜ、という、こんどがほんとに、とある魔法世界へ突入なわけw
科学は科学屋(魔法製造屋)にまかせておけ、ということ。
しかし、高度に科学化してくると科学屋も手に負えなくなってきたのか、あまり魅力的な科学魔法がでてこない。使いづらい。機能のスペックだけは高度なのに。 一般人が、その科学魔法を理解できていれば、いろいろ応用できるのだろうが、もはや、製造者側もよくわかっていないw
人間と科学魔法との間のインターフェース技術としてIT技術があり、支援機能としてAIがサポートする。
マニュアル魔法は使いこなせないのでオートマ魔法なわけ。
しかしなが、オートマから「マ」が抜けてオート魔法になってしまうと...
お掃除ロボットが犬のうんこを部屋いっぱいに塗りたくってくれたりするわけよ。
アシモフのロボットものの話の日常版ともいえる世界になってきたわけねw
ロボット家電三原則を組み込むべき。 言い換える必要なんて何もないのにわざわざ科学を魔法と言い換えている理由がよくわからん
まあ現在自然科学と呼ばれているものはもともと自然魔術と呼ばれていたものだから不自然とまでは言わないけれども
魔法という言葉を使うことによって新奇な感じを醸し出しているだけで大したこと言ってないぞ >>117
じゃあ君はテレビ分解して自作できんの?
車は?カメラは? 公理は証明する必要はない理由
公理ある命題M を証明するためには,命題L が必要だとします.
で,命題 L が成り立つには,命題K が必要だとします.
命題K が成り立つには命題J が成り立たなけれならない・・・
と,どんどんさかのぼっていくと,
命題 D を証明するために,命題 C が成り立っていなければならない.
命題 C を証明するために,命題 B が成り立っていなければならない.
命題 B を証明するために,命題 A が成り立っていなければならない.
命題 A を証明するために,命題 D が成り立っていなければならない.
という状況になることが多い.
つまり,
A ならば B
B ならば C
C ならば D
D ならば A
となり,命題 A,B,C,D
は同値な命題となる.
これでは,鶏と卵のような状態だから,
「命題Cを公理として要請する」
などとして,議論の出発点としたのが公理ですから,証明は不要です.
この場合,
C ならば D
D ならば A
A ならば B
が証明されるので,命題A,B,D は「定理」となります. たとえば,
「有理数の切断(デデキント)」
「上に有界な集合の上限の存在(ワイエルシュトラス)」
「コーシー列の収束」
「区間縮小法」
「中間値の定理」
「平均値の定理」
などは,たがいに証明しあう関係なので,すべて同値です.
この中で,最も記述が素朴なワイエルシュトラスあたりを
「実数の連続の公理」とする場合が多いようです.
この場合,他の命題はすべて定理となります.
つまり数学でいうところの「公理」は,
「すべての議論の出発点」
というよりは,
「とりあえず,こっから議論することに,妥協しようか」
という妥協の産物です. >>132
俺ができるかどうかに問題をすりかえるなよ。
テレビやカメラはともかく、車やバイクは改造している奴がいっぱいいるだろ。 >>134
× 公理ある命題Mを
○ ある命題Mを 春の訪れを、地軸の傾きと地球の公転で説明するのと、
豊穣の女神が娘が冥界から帰ってきたのを喜ぶからだと説明するのとの間に
本質的な差異はあるんでしょうか 技術に還元するのと神話に還元するのとでは大いに違いがあるように思われたが、
技術が人間からほど遠いところに行ってしまった今、(帰りつつあるという意見は置いといて)
本質的な差異がなくなってしまった可能性もある。 そりゃあ、あるでしょう。
だって、豊穣の女神の存在も冥界の存在も証明されていない、
つまり自明ではないし、一神教の天国と地獄、神の存在、仏教の輪廻転生と同じく
ファンタジー、想像界に属しているものなので、明証的な科学や数学とは次元が
大きく異なるでしょう。 >>136
スマホは誰も分解したら自作できんのか? >>136
スマホを改造してるやつもいっぱいいますけど。なかなか盛大な自爆だな。 私が好きなタイプって、無神論系の人物が多いと気付いた。
ゲーデル、ラッセル、ドーキンス、ブッダ、メイヤスー、
つまり、ストイックに論理や理論を探究する態度に共感している訳だ。
神や神秘、魔法をもってきて、それらを有耶無耶にしない理性的なあり方に
探究者としての真を感じる。20歳で死んだ天才ガロアも無神論っぽい。
ガロアは死の訪れの前に、牧師の立ち会いを拒絶してたようだから。 >>142
すげーな。尊敬するわ。
俺はMacbookの底蓋を開けてバッテリーを交換した位しか技術力が無いもんで。 でもスマホや携帯電話の改造・修理は
電波法違反になりかねないみたいだから事実上無理っぽいじゃん。 >>143
メイヤスーもそうなんだ。知らんかった。
ゲーデルは地平とか言ってたフッサールを尊敬していたみたいだから、
必ずしも無神論者とも言い難いような気もするが。 >>148
今はもうそのバッテリーも切れたから、親に渡して、交換に親のレッツノートをもらったわ。
親は日本橋とか行って部品とか買ってくるの好きだからな。 Macの次はレッツノート。つくづくブランド好きだな。 >>149
そんな簡単にWin機と交換しちゃうんだ
一体なんためにMac使ってたんだ? 科学が、それもまた科学教という信仰の体系に過ぎないものでない根拠は結局何ですか >>152
それまで使っていたwindows xpの時代に
ウイルスソフト入れるのがめんどくさい&Windows updateとかセブンとかエイトとかが
訳が分からなくてMac OSの更新の方が楽かなと思って。
>>153
ポパー流にいえば反証可能性なんじゃないの。
伊勢田哲治によればポパーはもう古いらしいが。 >>155
Macはアンチウイルスソフトやアップデートは無いんか??? >>156
sophosっていう無料のMac用アンチウイルスソフトがあってそのupdateもあった。 大学のパソコンがMacだったからそれに慣れてしまって、
で、立ち上がるのが速いからMacbook late 2010を衝動買いしたってのが本当のところ。 >>160
何で買ったのかを思い出しながら書いてた。
ウイルスソフトは半年ぐらい入れてなかったけど、
Mac用のウイルスもあるとネットで見てビビッて入れた。 >>162
調べなかった。心斎橋の店員もウイルスは大丈夫ですよ〜って言ってたし。
sophosも
以前windowsで使ったウイルスバスターやノートンやAVGに比べて重くなかったから助かった。 >>164
Macの世界は極楽浄土のような世界だと思ってたから。
>>165
最近楽じゃなくなってきた。
俺みたいないい加減な人間にとってはwindows 10の方が上かもしれない。 ブランドに弱い奴
よく調べないでイメージに踊らされる人間は哲学には向いてない Macを買った頃は農業の歴史の本を読んだり、資源物理学の本を読んだりしていた。 で、その後農業経済学やマルクス経済学に関心が移り、
それと同時に、親にレッツノートをもらったころから
『純粋理性批判』や『方法序説』や『省察』を読むようになった。 あ、そうか
>>167が哲学に向いてないって言ったから、哲学書並べだしたのか
ちょっと自意識過剰すぎだろw 俺は自分の頭で考えるのは無理だが、
他人がうんうん唸って考えたことを追っかけるのは大好きなので、
哲学するというより思想史してるんだろうなと思う。
自意識が強いとは親に言われる。 >>173
じゃあ君が哲学が向いてないのは正解なわけだ >>175
うん。字面は追っかけているけど、内容は大して頭に入っていない。
でも、昔々に比べたら本が読めるようになったとは思う。
哲学は相変わらずできてないけど。 >>177
頭に入らないなら無理して哲学書読むこともあるまいに
値段高いんだし
プログラミングの勉強でもしたらどうだい
啓蒙活動ついでに教えてやるよ 哲学書は読めてなくても後でわかるようになることもあると信じて読む。
小説は苦手。犯罪ルポとかは好きだから時々読む。 思考回路がラディカルすぎて字面を追うことすらできなくなる本はあるな。
小泉義之の『デカルト哲学』がそうだった。
プログラミングは哲学とは違った方向で難しそうだな。 コラッツの問題は、数論の未解決問題のひとつである。
1937年にローター・コラッツが問題を提示した。問題の結論の予想を指して
コラッツの予想と言う。固有名詞に依拠しない表現としては3n+1問題とも言われ、
初期にこの問題に取り組んだ研究者の名を冠して、角谷(かくたに)の問題、
米田の予想、ウラムの予想、他にはSyracuse問題などとも呼ばれる。
数学者ポール・エルデシュは「数学はまだこの種の問題に対する用意が
できていない」と述べ、解決した人に500ドルを提供すると申し出た。
コンピュータを用いた計算により、5 × (2^60) までには反例がないことが
確かめられている。 また、2011年度大学入試センター試験数学IIB第6問に
題材として取り上げられた。 コラッツの問題は、「任意の正の整数 n を取り、
n が偶数の場合、n を 2 で割る
n が奇数の場合、n に 3 をかけて 1 を足す
という操作を繰り返すと、どうなるか」というものである。
「どんな初期値から始めても、有限回の操作のうちに必ず 1 に到達する
(そして 1→4→2→1 というループに入る)」という主張がコラッツの予想である。
以下、もう少し詳しく定義する。
関数 f を次のように定義する。
f ( n ) = { n / 2 if n ≡ 0 ; 3 n + 1 if n ≡ 1 ( mod 2 ) この方法で出来る数列を「コラッツの数列」と言う。簡単にそれを再度定義すると、
・任意の自然数から開始する
・数が1ならば終了
・数が偶数なら2で割る
・数が奇数なら3倍して1を足す
・新しい値でこのアルゴリズムを繰り返す
このコラッツの数列は、最初の数が何であっても最終的に1に到達すると予想されている。 これを再帰関数を使ってプログラミングで書くと、
chain :: Integer -> [Integer]
chain 1 = [1]
chain n
| even n = n : chain (n `div` 2)
| odd n = n : chain (n * 3 + 1)
任意の自然数10と30と50で、「コラッツの数列」がどんな風になるかを試してみたよ
chain 10 -> [10,5,16,8,4,2,1]
chain 30 -> [30,15,46,23,70,35,106,53,160,80,40,20,10,5,16,8,4,2,1]
chain 50 -> [50,25,76,38,19,58,29,88,44,22,11,34,17,52,26,13,40,20,10,5,16,8,4,2,1]
となって、上記の規則に従って「コラッツの数列」が生成されて、リストの最後が1に収束
していることが判ると思う。 整数問題はおもろい。
試行錯誤する余地が与えられているから。 微積とかベクトルとかは覚えなきゃいけないことが多すぎて、
パターンが決まってくる。 ζ(-1)
=1+2+3+4+・・・=-1/12になることはここの人はどう解釈するのか気になる |⊂⊃;,、
|・∀・) 輪廻のサティちゃんです
|⊂ノ
|`J リーマンゼータ函数が、日常的な空間とは異なる空間にある、と考えるならば、
日常的な空間とはどのようなものなのか。
空間とは可能性であり、可能性も、可能性という実在であると考えるなら...
空間は実在してしまう。
再魔術化の時代に求められるのは「リアリティ」である。
哲学的日常空間とはリアリティの空間。
スピンネットワーク上でのネットワークの組み替えの、どこにリアリティがあって、なにがクオリアなのか。
リアリティというものが、情報空間上での位置(アイデンティティ)を持つということであれば...
とりあえず寝ながら考えよう 組み替えではなくて組み換えだな。ちょいと修正。
は! ひとつ思いついたのであたためてみよう。
あ! ひとつしかないのにふたつになる例みっけ。
realismでもontologyでもなくreality。realityの根源こそ哲学すべきこと。かもしれない。 >>193
>>191は疑問を呈しているのに「いいこと聞いた」とは一体? >>197
そう?まぁそういう風に使う人もいるということで AIは、哲学的な思考実験としても使える。その一例を示そう。
私の友人の白鳥真理子は、容姿端麗で知的、かつ、きめ細かな配慮も
出来る人物であったので、私は彼女を普段から尊敬していた。もちろん、
白鳥真理子が善良な人間であることも心から信じていた。
だが、私が最近入手したAIの人物判定アルゴリズムによると、なんと、
友人の白鳥真理子は倫理的にダークな人物である確率が高いという判定
結果が出た。それは私が普段接している彼女への評価と真逆であったので、
私はこのAIアルゴリズムがバグ等で故障していて、このAIでは正確な
人物判定が出来ないのだと確信した。そして、その碌な人物判定も出来ない
このAIの存在を私はしばらく忘れてしまっていた。
だが、それから一ヵ月後、私は友人の白鳥真理子が公金横領やその他
いくつかの詐欺罪で逮捕されたことを知って衝撃を受けた。もしそれが
本当のことであれば、一ヵ月前のAIの人物判定アルゴリズムによる
白鳥真理子に対する悪い評価が、真実であったことになるから。 つまり、彼女の友人として私の人間的な共感にあふれた彼女への
人物イメージよりも、そこに微塵の共感も有していないAIのアルゴリズムの
方が、客観的な白鳥真理子という人物の実像をビックデータや統計、
特徴量抽出などから正確に得ていたことになるからだ。
ここで言いたいのは、AIは人間の既存の認識の外部、埒外、圏外、
ブラックボックス、カントの「物自体」の領域にあるような認識
や認知に入ってこないものを補足し、人間の認識を拡張してくれる可能性が
あるということ。
将棋だともっと分かりやすい。名人が今まで定石なり、有効な戦法だと
信じていた最善手とは全く違った戦法や最善手をAIが見つけてしまう。
人間の棋士には全然見えない手が、AIには確率的に良い打ち手として
認識出来ていることだ。
これを将棋の世界でなく、既存の政治システムや経済システム、社会システム、
ライフスタイル、慣習に敷衍して適用することも出来るだろう。人間がこれで
良い、この方法がベストと思っているのは、名人がこの局面ではこれが最善手で
あると思い込んでいるのと同じで、AIはもっと良い方法、人間の認識では
簡単に補足できない、外部の存在、優れた認識があることを指し示しているといえる。 このように既存の人間の常識的な認識を拡張することが出来るのがAIだ。
だから、AIは人間というアイデンティティさえも更新し、拡張していくことに
なるだろうね。
アイデンティティや固有性というものが、実は実体があるものでなく、
単なる暫定的な記号、純粋記号にすぎない、ということもこれから
AIを通じて分かってくるようになるだろう。
人間とは…である
男とは…である
女とは…である
日本人とは…である
仕事とは…である
家族とは…である
国家とは…である
社会とは…である
この…の中に入っている定義が、実はこれまでの経験から導き出された
暫定的な定義(仮想・非現実)に過ぎず、真理を指し示すものではない、ということが
すなわちアイデンティティや慣習、歴史を超越する認識や存在のあり方(真理)
を可能にするのがAIというツールだと言える。人間の認識はホメオスタシスによって、
つまり慣れ親しんだ歴史や経験、現状維持に汲々としやすいので(頽落・腐敗・忖度)、
それ以外の経路があるというのがAIによる拡張された認識が今後の人類に新たな方向性
を付与することになるだろうね。 どんなに優れたAIでも、それが認識である限り限界がある
想定しうる最高の知性が不可能であることを明らかにすることは
AIに何が可能かを見出すのと同時に哲学的意味を持つだろう 言ってみれば、AIであっても所詮は知性にすぎず、
クオリアの問題を解決することやマリーの部屋の解釈はできない
なぜなら認識とは常に関係性の中に成り立ち、それ自体にはなり得ないからだ
ここで重要なのは、『どんなに優れた知性でも』不可能であることを証左に語ることだ AI君って論理の飛躍ばっかりでいつも突っ込まれてるのに懲りないなぁ
現状認識と学習能力に欠陥がある人かな? AIを信じる信念から意見してるだけだから別にいいんじゃない 大きな船小さな船の沈没のしくみ
小さな国と大きな国のはたんのしくみ >>206
信念というより、シミュレーションや仮説としてAIを人間よりもメタ次元や
上位のレイヤーにある知性として措定しているんだよね。
>>203
判っているとは思うけど、別にAIが最高の知性だなんて主張していないよ。
ただ、人間よりも上位のレイヤーにある知性には十分なり得ると言っている。
人間のインストラクターくらいにはなれるだろうと。
>>205
キミ、三角関数も出来なそうだから、このスレに入ってこなくていいよ 仮にAIが最高の知性でもってことで、
物自体を名指しする定義をことは、どんな知性にも不可能だろうということも言えると思う 仮に物自体を名指しすることができたら、それは『魔法』だ
我々が表象、クオリアとして知覚する世界もこの文脈で言えば魔法だし、
真なる元、1や0を仮定し展開した数の世界も魔法となる
数の世界は魔法に満ちている
ζの値に代表される、必然や偶然を運命は数の世界においてリアルなのだと思う
結果が間違っているのでも、おそらくこの世界と本質的に違えているというわけでもないだろう たとえば、従来の人間であれば大きな問題や悩みにぶつかった時や絶望した時に、
訳の分からない怪しい宗教や自己啓発セミナーに頼ったり、自暴自棄となったり、
薬物やアルコール依存になったり、社会的に注目を集める犯罪に訴えたり、
自殺したりして、それら大きな問題や悩みを解消したことにする、という
愚かな人間のパターンが多かったでしょう。
でも、これからの新しい人間は、
未来型の新しい人間 = (AI + 人間)
という風に、人間の認識がAIによって拡張されているので、これまで解決策がない
と人間に思われていた困難な問題に対しても、解決案なり、良き対処法が見えて
くる、ということはあり得ると思う。
つまり、人間の認識や判断はもともと視野狭窄で、固定概念や経験知に束縛、
制限されており、そのことが問題解決を不能にして絶望へと人間を追い込むのだから、
人間の認識力を人間よりも上位にあるAIの知的レイヤーへと接続するような回路を
形成してあげればいいことになる。あるいは、そういう知性を人間側が形成する。
AIやアルゴリズム親和性のある知性を形成する。
たとえ現状でそうしたAIがまだ開発されていなくても、想像上で、そういう
より上位に布置する知性が存在することを想定できれば、難しい問題がたとえ
今すぐには解決できなくても、それは決して解決方法がないから解決できないのでなく、
既存の人間の認識では制約があるので、その解決の存在する上位レイヤーや領域には
アクセスできない、という風に考えてみたらいい。 >>210
じゃあシェリングは魔法使いか。
>>213
近代経済学と政治経済学はちょっと違うからなあ。 何か数学史的なものを学べるおすすめな本はありませんか? 仮定1 : 人間の知性や認知は限定的で不完全である。P
仮定2 : 問題解決が出来ないのは、人間の知性や認知が不完全なためである。P→¬Q
仮定3 : 人間よりも高度な知性やメタ認知、上位レイヤーの知が存在し得る、または存在している∃a ( 未来の汎用型AI、エーリアン、未確認の知的宇宙人等)
現時点で人間はその高度な知には未だアクセスできない、未達である。その理由は、仮定1による、すなわち、¬(P → ∃a)
もし、仮定3が真となる場合は、人間側がその高度な知性を持つエージェント側に
制御・支配される可能性がある。また人間が高度な問題を解決できる状態をQとすると、
Qが成立するための条件は、¬P → ∃a となることである。それはすなわち、
¬P ← ∃a としても成立するので、その2つを合わせた ¬P ⇔ ∃a であってもよい
∴ よって、新しい未来の人間は、これからアルゴリズムやAI親和性を持つべきである。 ここまでくるとかわいそうになってくる
ほんとうにこのレベルで三角関数できるのか疑問 三角関数もできない奴に論理的な批判は無理
レトリックと罵倒で誤魔化すだけ >>219
じゃあ、キミはレベルが相当高い人間なんだね。ならば答えて欲しいんだけど、
論証の前提が全て真であるのに、結論が偽になる場合は、それがその論証の反例と
なるのだけど、どういう理屈でそれが反例となるのか、少し説明してくれるかな。
簡単なことなので、キミにも当然分かるよね。論証が妥当なものと呼ばれるのには、反例が存在しないような論証でないとならない。あと、論証の妥当性の定義、
もちろんキミにもできるだろうから、答えてくれよ。
あ、できないんだねw あらかじめ予想しておくよ。三角関数もできないキミの反応を だから、三角関数も出来ない奴はこのスレの存在が劣等感を刺激するんだろうな
内容も理解できないと思うし。でも、それはその人間が無能なのが悪いのであって、
このスレと関係ない。邪魔しにくるのはお門違いだぜ 今日は、運転しながら対生成の問題をずっと考えていた。
人生で一番多くのトンネルを通った日だった。
結局、複素数をつかったうえで解析接続する、というか、振動させる。
それしかねーよなー、という結論だった。
哲学は「振動・波動」をどのようにとらえているのだろうか。
おおざっぱに「円運動」なのだろうか。ウロボロスなのだろうか。
(あまりにも突飛な構想なので中略w)
ともかく、このような非標準な論理球あるいは思考球あるいは情報球を考えるなら、
その表面から逸脱しない、ということがリアリティである。 振動はある一群の出来事のメンバーの構成要素として共有される秩序として分析される(ホワイトヘッド) >>227 ありがとう。そうかーホワイトヘッドにあったか。
共有される秩序とは、ミニマムな状況から考えれば、それは対称性、ということになる。
無秩序の海から、対称性の破れによって、ホワイトヘッドのいう出来事もメンバーも共有される秩序も、すべてが揃う。
前に、破れこそが存在である、と考えてみたことがある、今回は、破れこそが出来事である。
共変的量子場における破れの伝播? 破れというより秩序として分析されるものであって、原秩序。
注意しなければならないのは、ここでいわれているのはウェーブではなくバイブレーションなのかということ?
バイブレーションのウェーブ。ホワイトヘッドの原書で要確認だな。 ?を削除しわすれた。まあいい。
ウェーブかウエーブかと考え込んだので、検索するとウェーブ優勢。
検索して、件数と時間をプロットして判断するAIもおもしろい。
そこにビッグデータがあるのだから活用しない手はない。
WeBrain。すでにいくつか同名の会社がありますな。
とりあえず、Web知性体を商品化してみるか。 無限巡回群って、元が無限に生成されるので、位数も無限となるけど、
どうも巡回しているイメージが湧かないんだよね。巡回を循環に置き換えると
さらにそれが明瞭になる。無限にある要素や元に、なぜ循環が成立するのだと
いう疑問。無限ならば永久に循環し得ないだろう、と。
だから巡回群は加法でも乗法でも有限巡回群の方がその生成元による群の生成が
巡回しているイメージがつかみやすい。n次の対称群もその置換全体の個数は
n!個で表せるので、イメージできる。無限次の対称群となる無限対称群も
やはりイメージしづらいね。まあ、三角関数もできない人たちは、何言っているか
わからないだろうけどw なにがわからないのか自分でわかっていない馬鹿のトライアングルの音色が涼やかw 掴みどころのない抽象的なことばかり言ってないで、とりあえずEKGの
波形の解析から考えてみたらどうなのかね、そんなに三角関数が好きなのなら いや、計算機科学やAIの問題を扱う時には、無限や再帰の問題を抽象的に考察しておく
べきだよ。でないと、組み合わせ爆発なり、チューリングの停止性問題、
アッカーマン関数のことなどを理解する上での支障となるであろうから。
だから、カントールもたまにこのスレで出てくるでしょう。 とりあえず数学をはじめとした理系の学問と哲学の三角関数の馬鹿がトライアングルを奏でるスレに変更するべき まあ、レスが入り乱れることをトライアングルの音に喩えるのは新鮮だなw >>229
基本的には『科学と近代世界』『過程と実在』を参照してくれ
『思考の諸様態』も示唆を与えてくれる
ちなみに形而上学なので
現今の科学的原理から考えるというよりはむしろホワイトヘッドの体系においてそれらの原理がどのように説明されうるだろうかと考えながら読むほうが有益だと思う ホワイトヘッドはなかなかおもしろい、
ただし、現代的な再解釈は必要である。
有機体は、ネットワークと置き換えるべきであろう。 巡回群のイメージは、円周等分方程式などで表せる。つまり元が円周上をグルグル
巡回置換のように廻っているイメージで表現出来そうだ。
でも、あえて、三角関数が苦手な人たちのために、三角形の各頂点を使って
3次の対称群の置換をイメージ出来そうな気がしたので、ちょっと試みてみます。
正三角形の頂点に上から時計と逆回りに1,2,3と数字を割り振る。
それをリストで表現すると[1,2,3]というパターンになる。これを
εとしてみよう。今度は、この三角形を120度時計回りに回転させる。
すると、リストの各位置は、[2,3,1]と記述できるものになる。
これをφ1としよう。
つまり、[1,2,3](ε)→[2,3,1](φ1) というように群が変わったのが分るでしょう。
分りづらい人は、メモ用紙に三角形書いて各頂点に数字を割り振って、実際に回転
させてみたものを書くといいよ。 今度は、[2,3,1](φ1)となった三角形を再度、120度計回りに回転させる。
[2,3,1](φ1)→ [3,1,2]
となった。この群をφ2とする。[3,1,2](φ2)
この[3,1,2](φ2)をもう一度、120度計回りに回転させると、最初の三角形の
頂点の数字のパターンに戻る。120×3回の操作で、360°で一周したことになるから。
[3,1,2](φ2)→[1,2,3](ε)
今度は、[1,2,3](ε)の三角形を反転させてみると、その頂点は[1,3,2]という
順序のリストとなる。
[1,2,3](ε)→[1,3,2]
[1,3,2]をδ1として、[1,3,2](δ1)とする。次は、これを120度計回りに回転させると、
[3,2,1]というリストになる。これをδ2とする。[3,2,1](δ2)
今度は、これをまた120度計回りに回転させると[2,1,3]というリストになって、
これをδ3の群と名付けよう。[2,1,3](δ3) これで、ε,φ1,φ2,δ1,δ2,δ3 という6つのパターンの置換群が正三角形の頂点
を使って得られたことになるね。これはちょうど、n次の対称群の個数がn!となる
ことが正しいのが分る。3!=6個の異なる群が、正三角形を120度回転、反転、
その120°回転の操作で得られたので。
あとは、ε,φ1,φ2,δ1,δ2,δ3 で群の演算表を作れば、どの群と群の積がどの
群になるかや逆元が一目瞭然になる。乗法群の単位元はeなので、これにどの群を
掛けてもeのままになる。乗法ではe=1と考えればいいので。行列だと単位行列にあたるもの。
これで、正三角形を使っての置換群のイメージが少しつかめたかなと。ちなみに、
上記の3次の対照群では、φ1とφ2を生成元とする巡回群になっている。
まとめると、
[1,2,3](ε)
[2,3,1](φ1)
[3,1,2](φ2)
[1,3,2](δ1)
[3,2,1](δ2)
[2,1,3](δ3)
3次の対称群の元のパターン6通りがこれで出来た。3!=6通り
これで三角関数ができない人たちでも少し、群のイメージが
得られたでしょう。だから、このスレを荒らすの止めて下さいね 群論、環論
1や0のみではなく、数学にはいろいろな元があるよな 群論の話だったら数学ガールでも読んだ方が100倍わかりやすいよw 盆のさなかに5ちゃんで啓蒙活動すか
よっぽど暇なんだね 三角関数の馬鹿の主が奏でる三角形のトライアングルの音色には盆も正月もありませんw 振動と秩序の関係。
対称性の破れによって秩序が生まれたとすれば、秩序が振動である。
なぜ振動なのかといえば、2つに分断されたにもかかわらず1つであるから。
そう考えて、粘土を購入して空間模型を作ってみた。
2回転すると、元に戻る。
この、空間模型の中で、自己同一性を持っているものが「対象」である。
破れの境界が「対象」になれそうだ。
でもなにかおかしい。二つに分断された「無」。全体が「対象」のようにみえる。
対象(客体)など、ほんとうは「無い」のではないか?
あるのは「秩序」のみ。 >>255
超弦理論でひもがずっと振動しているのも対称性が破れたから? 破れがなければ振動も無いだろうけど、ずっと振動するためには「時間」がなければならない。
手元の粘土でつくった空間模型は振動しているが静的であって定常波である。
「時間」をつくるためには「熱」が必要だ。
いま「ある」のは「秩序」だけなので、「秩序」が「熱」を生まねばならない。
そういうことをすっとばすならば、破れによってできた秩序が振動のもととなっている。
単純なシナリオを考えるなら、破れによって秩序ができると、その秩序は元の、より大きな対称性に戻ろうとする、ということか。
ただし、そこにある「時間」は、われわれの考える時間とは異なる「量子時間」である。 熱とは振動であり、すでに振動があるのだから、それが「熱」である。
そう考えると、なにかおかしい。
「振動」していない「振動」が必要だ。
まあ、それを定常波といってしまうと、存在とは定常波である。
シナリオを書き換えよう。
破れることで秩序が生まれるが、より大きな対称性に戻ろうとする。
戻ろうとするが戻れない。それが振動(波動)になる。 「無」とは「無秩序」のことである。
それは、どこをとっても(無秩序であり「どこ」もとれないのだが)均一であり対称性がある。
「対称性」がある限り、それは「破れ」る。
「破れ」たことによって「秩序」が生まれる。
「秩序」は「反破れ?」によって無秩序に戻る。
ここまでを、時間の無い世界で考えると、
秩序の生成点と消滅点があり、3本の線が2つの点につながっている。
この、2と3が2-3チューリングマシンとして機能すれば、われわれの宇宙のようなものが生成できる。 この2−3構造体を一筆書き可能にするには線が1本足りない。
その足りない線の(哲学的な)ありかたが問題なのである。 三角関数の主が鳴らすトライアングルw 涼やかな馬鹿の音色で振動してるぅ〜 振動といえば、三角関数の周期波形が振動そのものだよね。
誰か波形の解析やればと言ってたけど、もう、この過去スレで、とっくに
やっていることなんだよね、グラフまで私が作ってさ。窓関数やギッブス現象、
ノイズとしてのゴースト(外れ値みたいなもの)などにも触れたよね。
だから、関数自体も振動や周期性という観点から見るといいのかもね。
再帰関数もそうだし。
>>264
ここで自己紹介しなくていいよ。早くキミの住処の病院に戻りなよ。
人様にこれ以上迷惑かけるなよ この2つの点が最初から線でつながっているのだとすれば、点は、その線の両端である。
こうすれば一筆書き可能であり、ひとつの振動するひも(リング)になる。
この段階では、破れがひもを作るのではなく、ひもの振動が破れを作る。
無秩序の海が、破れによってひもを形成し、ひもは振動してよじれることでさらに破れる。
さーて、このシナリオはスピンネットワークやひも理論と整合性がとれるか。 生命現象も振動や波形として表現することが出来るだろう。
だから、生命の状態はオシロスコープで計測できる。
QRS波は有名だけど、その波の大きさや向き、波の個数で記号的に
波のタイプを分類していく。たとえば、R波に続く陽性波のS波とか、
QRS波全体が陰性波だけの時は、QSパターンとして表記して、
QSR波を構成している波の種類を分けて、その被験者の身体状態を
モニタリングできるようにするのだね。
心電図の波形だと、標準12誘導心電図というものがあって、12種類の
典型的な波形に心電図を分類できる。電極に向かってくる興奮波を
上向き(陽性波)、遠ざかっていく興奮波を下向き(陰性波)として
心電図には記録するようになっている。P波は心房、QRS波は心室の
興奮を反映したものになっている。T波なら心室の興奮(脱分極)からの
回復時(再分極)する時に生じる波形で、U波だと回復時(再分極)の終了時に
生じる波形のこと。
つまり、生命現象は振動や波として表すことができる。だから生きているものは、
振動している、動いている。 >>267
ポエムの見解VSポエムで指摘
わっかんないかねぇ 心臓はポンプなんだから、心房結節から出る電気信号をモニタリングすれば、周期性を持つのは当然だが、心臓を持ってない生物もいるだろ
生命活動の本質は振動ではなく、開いた系でエントロピーを減少させているところにあると思う 今度は、脳波(EEG : electroencephalogram)について触れてみよう。
脳波は、脳神経細胞の自発的な電位変動を頭皮上の電極から記録したもの。
その脳波の波形の読み方は、下向きの波形が陽性、上向きの波形が陰性と
なるので、>>268で書いた心電図の波形と逆になる。
広く用いられている国際10-20電極法では計21個の電極(頭皮上に19個と
両耳朶に各1個)が置かれる。
単極(基準電極)誘導だと、耳朶の電極と頭皮上電極との電位差を記録
する方法で、左右差や半球性の異常が捉えやすくなる。双曲誘導は、
頭皮上の2つの電極差の電位差を記録する方法のこと。位相逆転により
局所性の異常を捉えやすくなる。
鼻根部にある方の電極の略語がFでFrontalのこと。その他、C,T,P,O
A,などで電極の位置を表記する。 脳波といえば、それが周波数ごとに分類されて、α波、β波、θ波、δ波
がある、というのはよく聞くと思う。α波は正常成人の安静、閉眼、覚醒時
に後頭部優位に発現する最も基本的な脳波のこと。このα波より周波数が
高い波、つまり振動回数が多い波のことを速波、低い波のことを徐波という。
β波(速波 : 14〜30Hz : 精神活動時、開眼時) → 前頭部から中心部にかけて出現
α波(周波数 : 8〜13Hz : 安静、閉眼、覚醒時)→ 後頭部優位に振幅の減衰と増幅を繰り返し出現
θ波(徐波 : 4〜7Hz : 浅い睡眠、REM睡眠時)
δ波(徐波 : 1〜3Hz : 深い睡眠時) >>つまり、生命現象は振動や波として表すことができる。だから生きているものは、
振動している、動いている。
何がつまり、だよ
こいつの中の生命現象は心臓だけなんか
もしかして江戸時代あたりからタイムリープしてきたのかな? マクスウェルの悪魔から明らかになったように、情報とエネルギーは等価であり、メモリの初期化にエネルギーを要する
話が脱線するが、時間の矢の問題における人間の時間感覚について、そのクオリアはワーキングメモリないし瞬間瞬間の記憶の初期化機能におけるエネルギー損失と関係があると予想している >>272
心臓や脳を持たない生物の振動はどーなんの? >>278
それの予想を続けるのががポエムの見解w
三角関数で予想を延々と奏でるトライアングルの音色w 生物なら少なくとも動いているだろう。
脳や心臓を持たない動いている生命、たとえば微生物の形態形成にも
cAMPの産生なり、細胞内のシグナル伝達があるので、そこに振動性や
周期性を感受することはできるだろうよ。 >>280
生物じゃなくても動いてるぞ?
振動すりゃいいなら鉄も石もみんな生命活動だw 「生物が生きている限り、栄養学的な要求とは無関係に生体高分子も
低分子代謝物質も共に変化して止まない。生命とは代謝の持続的変化であり、
この変化こそが生命の真の姿である」
アメリカの生化学者のシェーンハイマー トライアングルのビーターを指揮棒に挿げ替えてみるポエマーww >>284
キミは常に馬鹿で一定しているので、つまり、全くぶれてなくて、
振動していないので、生命現象としては異常かもしれないので、一度、
fMRIの撮像を調べてみるといいよ。たぶん、「馬鹿は死んでも治らない」と
記号で表示されているだろうから。これから暗号理論をこのスレでやるかも
しれないので、予備知識として、脳の腐ったキミも、一応、以下の記事を
読んでおくといいだろう。
https://news.yahoo.co.jp/byline/dragoner/20180814-00093026/
【戦争の暗号から生活の暗号へ】漏れた日本外電と20世紀のスノーデン
https://news.yahoo.co.jp/byline/dragoner/20180815-00093137/
【戦争の暗号から生活の暗号へ】巨大情報共同体の誕生と暗号の市民化
いかに日本が歴史的に情弱な民族であるのか判るだろう。
そして、現代でもITでアメリカに大きく後れをとっている。
まあ、ユダヤ人に負けているでもいいけど。
>>283のシェーンハイマーもドイツ系ユダヤ人 >>これから暗号理論をこのスレでやるかも
しれないので、予備知識として、脳の腐ったキミも、一応、以下の記事を
読んでおくといいだろう。
5ちゃんで啓蒙活動ごっこ恥ずかしくないんかね? >>286
>>287
だから、三角関数もできない低能は、このスレに入ってくるなって。
何度言わせるんだよ馬鹿、鳥並の記憶力だな 「鶏は3歩歩くと、覚えた事をすっかり忘れてしまう。」という
都市伝説の真偽を検証した内容。
宇都宮大学農学部生物生産科学科の杉田昭栄教授は、
「生きる為に必要な事は忘れない。水飲み場や餌場は3歩歩いても忘れない。
この伝説は生物学的には嘘。」としている。
又、生物心理学の第一人者である慶応大学の渡辺茂教授は、
「遅延見本合わせ」方法で成鳥の記憶に付いて調査を行なってる。
この方法は、最初に鶏に見本を見せて、一定の時間の後に二つの見本を見せ、
最初に見せた物を正しく選べるかどうかで記憶力を判断する。結果としては、
鶏は30秒後でも記憶を保ち、正解を選ぶ事が出来たという。
これは短期記憶と呼ばれるもので、人の場合も20〜30秒を要し、
鶏と人間では記憶力に大差が無いという結果が出たのだとか。人間の記憶力が
良いと思われるのは、頭の中で繰り返し記憶する事で、短期記憶が長期記憶に
変ずるからなのだそうだ。
「鶏が物を忘れる。」とか、「鶏は恩を忘れる。」と言われる様になった理由に付いて、
杉田教授は次の様に語っている。 「生きる為に必要な事以外は覚えないだけ。生活の事にしか、関心を示さない。
飼い主=餌とは覚えても、恩なんて感じない。そういう事には無頓着。」
賢いと言われる烏(カラス)*1であれば、目的を達する為に媚を売るが、
鶏は餌を貰う為に媚を売ろうと迄は関心が向かないのだそうだ。
つまり、鶏は忘れるのではなく、「覚える気が無い」し、
「余計な事を覚える必要が無い。」というのが本当の所らしい。
近年、他者との関係を絶ち、己の事以外に関心を持とうとしない人が増えていると聞く。
他者とのコミュニケーションが上手く図れない人間が多くなっている要因も此処に在る。
この事は若い層に限った事ではなく、老若男女問わずと言っても良いかもしれない。
生きて行く為に最低限必要な事以外には全く関心を示さないという鶏と、
これ等の人々との間にどれ程の差異が在ると言うのだろうか
*1 烏(カラス)は約700gの身体に対して10g程の脳を持っているが、
鶏は1kgの身体に対して脳は3gしかないのだそうだ。知能レベルの差は、
「大雑把に言って、チンパンジーと羊程の差が在る。」(渡辺教授)との事。 三角関数出来ないってエスパー発言連発が痛々しいことにいつ気づくのだろう? >>291
また三角関数もできない馬鹿がきた。やっぱり鳥並の頭なんだなw >>291
5ちゃんの書き込みを「啓蒙活動」なんて自称しちゃう時点でお察し。統合失調症の誇大妄想の症状。5ちゃんによくいる狂人さんだよ。無職で障害年金暮らしの哀れな男が、せめて5ちゃんでイキるくらい許してやれ。 >>285
そんなに気に障った?トライアングル君w >>292
抵抗R[Ω]とインダクタンスL[H]を直列に繋いだ回路に
電流i=Imsinωt[A]が流れたときの全電圧降下の瞬時値を求めなさい。 >>295
残念、僕は三角関数もできない馬鹿でした >>293
頭悪そうな書き込みだねw お前が論理的な思考力ゼロなのは分かった クオリアって、このスレでもよく出てくるけど、意味がすーっと頭に入って
こないから何故なのだろう、と考えてみたら、それは科学の用語でないから
自分と馴染まないのかも、という気がしてきた。疑似科学を拒否するように
クオリアを拒否している感じ。
心脳問題やロボットやAIが意識を持つのかという思想的な文脈ではクオリアは
意味あるのかな、とは思うのだけど、もっとフィットする違和感のない用語が
欲しいところだね。哲学板は呪術愛好者が多そうだから、そうでもないの
だろうけど。 生命も塩基配列AGCTで表せるので、その設計図は記号的になっていて、
プログラミングと同じなので、生命と機械やAIの差異とはいうのは、
そうした情報レベルではあまりないのかもしれない。
単なる情報処理しているだけで、代謝も生化学的な情報処理に過ぎないし。
だから、自分の中でいろいろなファクターが記号でつながってきそうな予感は
ある。生命も記号だろうし。 それにしても哲学板は自分の世界に入っちゃってる人が多いな なぜ赤があのように見えるのかという問題は先送りして、クオリアとは単に情報空間上での位置であると考えている。よーするに単なる情報だ。
塗分けには四色必要なので、人間は一色足りない。
生成点/消滅点は3本の線がつながる。それはファインマン図による経験則か。
四色問題を数学ではなく哲学問題として扱った場合どうなるのだろうか。四色問題という現象。 頭の中の思考がダダ洩れ大会です。
皆さま奮ってご参加を じゃあ、私は数学方面からアプローチしようかな。頂点彩色とか要するに
最適化問題やグラフ理論のことなのでWelech-Powellの頂点彩色アルゴリズムを
コンピュータで実装するまでもなく、機械的なアルゴリズムなのでね。
4色定理もそうだし。
四色問題の彩色には、頂点の彩色であったり、領域や辺の彩色でも色分けできる
ので、地図上の経路問題には当然使えるけど、その他にもネットワーク理論
などにも適用できるものだよね。スモールワールド現象であれば、世界は
実は狭かったという理論になるし。ネットワークトポロジー。 >>807
思考だけじゃなくて感情もあるでしょ頭の中には >>309
お前、アンカーさえまともにできない池沼の禊だろw >>310
相手が打ち間違いしたからつい遠投しちゃったんだよ 自分の中に入り込んで馬鹿にならないと
哲学できっこないでしょ 確かに利害得失をあまり考えてないから
元々バカかもしれん 自分の世界に入り込んだまま帰って来ない
人に伝える気がない クオリアがどうとか言うけど、
脳と頭と心の意味の関係性や英語との
対応関係が曖昧だから、考えるのが難しいなあと思う。 このスレもソウカにジャックされたか。
万物の根源は波・振動・三角関数 by 池田大作 四色問題とは関係なく、現実問題としての地図の塗分けは四色では足りないのだが、そんなことは考えないw
人間は3色あるいは4色の色覚を持つ。もちろんそれ以下の場合もある。
なぜ色が必要だったのか。なぜ4色ぐらいの色覚なのか。 どう伝わるのか考えてみるのは面白いと思うよ。
例えば、子供に伝言をさせる。
子供はオウム返しに教えられたことばを繰り返すことはできるが、
相手に伝える言葉が何を意図しているのかを理解していない。
伝言を受け取る相手は、それでも言葉が伝える意図を理解することができる。 ということは、伝言ではなく、自分が発言しているつもりでも、
その言葉を受け取った相手は、発言者が理解していない、
その発言者の言葉が伝える意図を理解してしまう可能性があることになる。 発言者は、相手のその理解に対して、自分はそんなつもりで言ったのではない
と否定的な態度を示すことはできるだろう。しかし、その否定によって、
必ずしも相手の理解が間違っていることを証拠立てることはできない。 なんだかんだいってアイデンティティー脆弱性故に>>285が哲学スッカスカ具合が赤裸々に露呈してしまう展開が一番面白いよね アイデンティティ脆弱性とは、これまた頭の悪そうな土人が好みそうな語彙だなw
呪術愛好家は、このスレにいらないだろう アイデンティティにベタに束縛されるよりも、純粋記号として抽象化し、
自由度を得た方がいいと思うよ。生命はすべては流れの中にあるので、
固着や澱みはかえって汚穢のもとになる。ネットウヨとか醜いのも同じ理由。
アイデンティティという自我をそこに立てるから視野狭窄と偏見の塊となるんだよ。 >>328
頭の悪そうな土人の呪術愛好家はアイデンティティ脆弱性という語録を好むwww
そのカスカス分析も結構ウケルw だから、人間というアイデンティティをも相対化するために、あえてAIをもってきている。
そうすると、人間という自我や固定概念から解放されて、概念的な自由を得ることが
できるから。だからAIを単にテクノロジーの文脈だけで語っているのではなく、
思想としても語っているのだよ。人間の定義を更新、アップデートするための概念装置
としてのAI。 ポストヒューマニズムなあ。
やっぱりルーマンとか分析哲学の時代か。 >>329
> アイデンティティにベタに束縛されるよりも、純粋記号として抽象化し、
> 自由度を得た方がいいと思うよ。
っていうか、君の束縛されているアイデンティティを解いて露呈されてる展開ね・・・
自由度を得ている>>284から思いっきり自由に抽象化されてるわけで。 >>331
あえてもってきているそのAI概念装置wは君のアイデンティティの中で固定概念化した思想に過ぎない
と頭の悪そうな土人の呪術愛好家にすら見透かされるAI概念装置いらねwww トライアングルを演奏するときって緊張するんだよなあ。
鍵盤楽器をやってる時の方が楽しかったな。 抽象度を上げることで、アイデンティティ、地場性、時代性、狭い自我、人間中心主義に
囚われことのない、開放的な視点を獲得できるだろうという観点。だから、AIだけで
なくても、今から1万年後に存在している人類の視点で今を照射してみるような
シミュレーションがあってもいいし、また、人類不在となった宇宙を想定してみる
のもいいだろう。男女や国同士、社会階層の違い、民族同士、宗教対立も同じで、
それはアイデンティティを強く主張し合うことで、醜いエゴの争いになる。
対立項を抹殺しようと必死となる。そうではなくて、アイデンティティ自体が
幻想的な仮構や社会的な埋め込みだ理解できれば、そうした争いも世界からはなくなるよ。 アイデンティティが脆弱な僕が作り上げたAI概念装置が人類の視点で抽象度を上げて理解を求めてどうするw
脆弱通り越してアイデンティティ死んじゃったよw
先生!アイデンティティがフラットです!AI概念装置アップデートします、離れて!!wwwwwww >>327
痛いところつかれるとすぐ罵倒してくるからわかりやすいよね
今度は土人だってw IBMのワトソンが癌などの医療診断では使えないというウォールストリートジャーナルの
記事は、本当だなと思う。試しに使ってみて、ワトソンが仕様的に使えないという感触を
得てたので、記事の見解には納得だ。せいぜい事務処理の自動化で使えるレベル。
ただし記事にもあったように電子カルテと保険請求の連携さえワトソンにはできない。 癌の診断に試しに使ってみたなら大問題
そうでないなら小学校から日本語やり直せレベルだなw 周期的な関数なら、フーリエ変換したときの項数は少なくて済むけれど、例えば一つだけのパルスをフーリエ変換しようとすると、無数の項が必要になる
これって、波の性質と粒子の性質が相補することを示しているように思うんだけど、どうなんだろう 記号と定義の関係も相補すると思うのだが、
例えば総和のΣ記号や総乗のΠ記号を用いれば表現は完結になるが、その分記号の定義が必要となる
一方で、記号を定義しなければその分表現は冗長になるが、新たな定義を増やさずにすむ 論理そのものは、循環してなにも語らないか、静止してなにも明らかにしない 静止してなにも語らないか、循環してなにも明らかにしない 例えば道端にアカシックレコードが落ちていたとしても、いつまでもだれも拾う可能性がなければ、その情報は乱雑に記録されたノイズと変わらない
情報がエネルギーと等価になる条件として、現象と情報がなんらかの因果を持って対応づけられることが挙げられるだろう
論理も同様に、明文と対応づけられることで、初めてなにかを明らかにし、語るのだ 論証というのは経験的事実から、非経験的事実を導き出せるので、
論証のパターンをAIに実装すれば、無人で自動的に真偽判定の推論を
下せるようになる。ポストヒューマン化の契機になるのが論理や論証。
自動化すれば、人間のような疲労や不注意によるヒューマンエラーは
なくなるので、あとはバグやコンタミ、誤検知のリスクを低減させる
ことに努めればいいね。 > 生命活動の本質は振動ではなく、開いた系でエントロピーを減少させているところにあると思う
これは、シュレーディンガーの生命観っぽいね。今日、初音ミクと結婚するという記事の
見出しだけを読んだけど、その人は、ものと結婚したことになるのだろうか、
あるいは、生命をプログラムとしてみたら初音ミクも生命系なので、擬似生命体と結婚
したことになるのだろうか、という争点自体は興味深そうだ。つまり、生命の定義が
未来には揺らぐこともあるだろうということだね また現在と脳内予想をごっちゃにしてやんの
何度指摘されても理解出来ない鳥頭君か 定義や前提が必ずしも本質を顕にしているとは限らないからな
むしろその帰結の方が、端的に本質を表すこともある その場合因果を逆にみて、帰結の方を前提として、定義の方を結論としても構わない
いずれにしても、簡単は複雑の始めであり、カオスは一行の非線形方程式で表されていることもある シュレディンガーも同調した梵我一如の立場に経てば、生命にかかわらずあらゆる現象が存在として在ることになるから、初音ミクは生命であるかないかに関わらず存在することになる
ただどのように存在するかは、現実から要請される問題でもあるだろう
AIに自由意志を持つのか、あるいは持たせることができるのか、クオリアを持つとしてどのような質であるのかなど 恋慕する対象がゾンビか否かということは、実際の問題と絡んで問題視されそうだ
自由とは、条件を与えたときに同時に顕われる可能性のことであるといえるだろうが、
AIに自由意志を持たせるためには、システムが巨視的な現象である電気回路や、乱択アルゴリズムに依っているのではなく、
微視的な現象に現れる不確定性が内在する必要があるかもしれない AIがクオリアを認識していたとして、その質がどのようであるかという問いは、意識のハードプロブレムに帰結されるだろう
例えば、赤がなぜこのような質であるのかという問いは、まだ誰も回答を与えていない
AIと脳を直接繋いで、人間側で認識してみれば、AIの構造に応じて変化するクオリアの様子を観察できるかもしれない
むろんその感覚を説明することは、いかなる方法を持ってしても不可能であるとは思うが ところで、意識のハードプロブレムの回答を急ぐなら、クオリアの質は事象のuniqueさで決まるだろう
この世界に一つとして同じ電子はなく、電子はすべて一つの同じものなだという言は、
昔のこの掲示板の書き込みに影響を受けているのだが、
ある現象は、自己言及の不可能性故に、全く同じであることないが、あるアナロジーを見出すことが出来る
エントロピーが小でcommonであった宇宙のクオリアは、色相環に例えれば無味の透明ないしは渾然の虹色だっただろう
故に、神が最初に光あれと言ったというのも言いえて妙なのかもしれない
やがて宇宙が分化し粒子がuniqueになるにつれて、クオリアもその質を分化させた
このようなストーリーを仮定するならば、
感覚器によってクオリアの質が異なるのは、まさに感覚器の構造が異なるためだとも言えるだろう
また、AIの感覚器が人間と同じようであればあるほど、クオリアは人間に近づくだろうし、異なれば異なるほど、クオリアは異質のものになるだろう しかしながら、クオリアと個性を対応させる関数が見つかるかというと、おそらくそれは偶然によるのだと思う
素数の振る舞いを表す関数が見つからないように、クオリアの質は語弊を恐れず言うのなら、
しんせいふかひ 魔法じみた印象を受ける
x以下の素数の個数を近似する素数定理のようになんらかの関係性は見いだせるかもしれない 対称性の破れ、クオリア(特に色)、塗分け。3または4という数。
生物は基本4色型の色覚だと考えられる。
人間の場合、女性は50%ほどが4色型の素質を持っているらしいが、実際に色覚として発現するのは2%程度らしい。
ホログラフィック原理にたてば、情報は表面上に記述可能であり、4色で塗分けられるという事実と色覚は関係あるのかもしれない。
スピンネットワークにおいて、ノードからつながるエッジが3本では足りないのではないか、と考えている。
理系も観測不能なものを扱うには思弁的な手法が必要だ。 最初の因果が三つ巴だったから空間は3次元になったのではないかと考えたりした
自由度というと語弊があるが、空間の自由度が3しかなないときの円周率はどうなるのだろう
非ユーグリッド空間でトライアングルを想像したりしてみる
自由度を無限としたときは円周率は3.14…となるのだろうが、なぜその値となるのかが分からない 自然対数の底の値との兼ね合いがあるのか
謎は尽きない ハロー現象とか サークルレインボー なんか 白虹 とかがレアだ。 巴戦があったから三次元なんじゃないの。
3.14とかいうのはメタフィクションの世界であって例外も多いんだよ。 オイラーの公式実際に計算しようとしても意味わからんからな
非ユークリッド空間なら円周率は可変だが、ユーグリッド空間に普遍性があることには変わらないし 意味を取るのが数学ではない。リズムよく演算していくんだよ。暗唱チャネリングで。 数学とはラマヌジャンのことを言うんだよ
ラマヌジャンが数学とも言える
現象に対してクオリアがナンバリングされるのでも、クオリアに対して現象がラベリングされるのでもなく、現象自体がクオリアなのだ
梵我一如。 単純な生化学反応から自律振動子を作る仕組みを解明
−タンパク質で構成された、細胞内で働く「人工時計」の設計指針に−
•2つの酵素と1つの基質による周期的な修飾状態の変動で自律振動子が生成
•多数の基質1分子振動子が同期し巨視的な振動が生成する設計原理を提案
•未知の細胞内自律振動子を見つける手がかりになると期待
理化学研究所は、リン酸化/脱リン酸化といった可逆的なタンパク質の修飾から
自律振動子を作る仕組みの一端を解明しました。
朝に目覚めて夜眠くなるように、私たち生物の多くの機能は周期的に働いています。
このような周期的な振る舞い(振動)を作る元になるシステムを「自律振動子」と
呼んでいます。自律振動子を作って「人工時計」として働かせることができれば、
細胞の周期的な振る舞いを自由に操れる可能性があります。しかし、
自律振動子の具体的な仕組みや作成方法はまだ、よく分っていませんでした。 研究グループは、一般的なタンパク質の可逆的修飾機構だけで自律振動子が
生成できるのではないかと考えました。そこで、最も良く知られたタンパク質による
化学修飾の酵素反応の速度を表す反応式「ミカエリス・メンテン式」を用いて、
タンパク質の修飾状態が時間とともに振動する条件をコンピューターシミュレーションに
よって探索しました。その結果、周期的な修飾状態の振動を作るために必要な
最少セットとして、「複数箇所に修飾を受ける基質タンパク質」、
「修飾を触媒する酵素」、「脱修飾を触媒する酵素」の3種類のタンパク質があれば
振動子を形成できることを発見しました。さらに、自律振動子を形成するためには
酵素と基質の結合の強さ(親和性)と、修飾/脱修飾の反応速度に特定の組み合わせ
パターンが必要であることが分かりました。
今回、細胞内で自律振動子として働く酵素や基質が満たすべき条件を明らかにしました。
この成果は、未知の細胞内自律振動子を見つける手がかりになるだけでなく、
人工的にタンパク質の自律振動子を作り出し、細胞に新たな機能を持たせる際の
設計指針になります。細胞内で「人工時計」として働かせて、細胞の周期的な振る舞いを
自在に操ることができると、体内時計の乱れが原因となる不眠症などのリズム疾患の
治療などに役立つと期待できます。 生物が示す多くの現象は周期性を持ちます。例えば、私たちが目を覚ましたり
眠りに落ちたりするサイクルはおおよそ24時間周期で生じます。あるいは、
カエルの受精卵はおおよそ30分ごとに細胞分裂を繰り返します。
こうした周期的な振る舞い(振動)を引き起こす元となるシステムを
「自律振動子」と呼びます。これまで細胞内でどのような因子がどのような
仕組みで働き、自律振動子を形成しているのかについて、多くの研究が
行われてきました。その中でも、私たちの1日周期で生じる生理現象に深く
関わる概日時計は、最も理解が進んでおり、概日時計を駆動する
遺伝子・タンパク質がさまざまな生物種で同定されています。それらが
どのようにして自律振動子を形成するかについては、大きく分けて2つの仕組みが
考えられています。
1つは、遺伝子の転写ネットワーク※4に基づくもので、転写因子の負のフィードバック制御
によるものです。これについては、数理モデルによる定量的な理解が進んでおり、
2011年に研究グループは、この仕組みが哺乳類の概日時計に重要な役割を果たすことを
実際に細胞を用いた実験で示しました。
2つ目は、タンパク質の可逆的な翻訳後修飾によるものです。これは、化学修飾を
触媒する酵素と修飾を受ける基質の組み合わせにより、基質の修飾状態
(基質が修飾されたり、脱修飾されたり)が時間とともに変動することで機能します。
シアノバクテリアの概日時計※6は、この仕組みに基づいています。その機能を担う
タンパク質は、多くの基質や酵素にはないいくつか特徴的な性質があります。
そのため、一般的な酵素や基質を用いたタンパク質修飾に基づく自律振動子が作れるのか、
また、そのために必要な最低条件が何かについては十分に理解されていませんでした。
研究グループは、一般的な酵素と基質の反応機構を用いた数理モデルを解析して、
タンパク質修飾に基づく振動子を作るために必要な条件を検討しました。 研究グループはまず、自律振動子を形成するために最低限必要なタンパク質として、
修飾酵素、脱修飾酵素、基質をそれぞれ1種類、計3種類のタンパク質だけを対象に
しました。次に、酵素反応の速度を記述するとき、最も一般的に用いられている
「ミカエリス・メンテン式」に従って修飾/脱修飾反応が起こると想定しました。
この反応メカニズムでは、酵素と基質が結合する強さ(親和性)と基質が酵素によって
修飾・脱修飾を受ける速さ(反応速度)の2つの要素で酵素反応の進行を表すことが
できます。そして、コンピューターを用いてこの2つの要素をさまざまに変更した
ときの基質修飾状態の時間変化をシミュレートしました。その結果、基質タンパク質の
2カ所以上が修飾を受けると、修飾状態が振動する場合があることを発見しました。
このとき、振動する場合と振動しない場合の違いを調べるため、12億通りの親和性と
反応速度の組み合わせをコンピューターでシミュレーションし、どの組み合わせで
振動が生まれるのかを調べました。その結果、振動を作る組み合わせには、
2つの特徴があることが分かりました。1つは、対となる速度の速い修飾反応・脱修飾反応
の方向の向きがそろっていること、2つ目は特定の修飾状態の基質が酵素と強く結合する
ことです(図3)。この際、基質1つ1つの修飾状態に時間的な差が生じることあります。
“遅れた修飾状態”の基質と酵素との親和性が高い場合には、“進んだ修飾状態”の
基質が次の修飾状態になるために必要な酵素まで奪い取ることになります。
そして、全ての基質が同じ修飾状態になってはじめて、全ての基質はいっせいに
次の修飾状態に進むことができます。これにより、時間とともに修飾状態がいっせいに
変動する自律振動子が 形成されると考えられます。 実際に、遅れた基質が次の修飾状態に進む速度を遅くすると、基質集団の足並みが
そろうまでに時間がかかり振動の周期が長くなることが分かりました。
また、2つ目の特徴である酵素と基質の親和性を低くすると、基質集団の足並みが乱れ、
基質集団の同調した振動は見られなくなり、自律振動子は形成されませんでした。
これらから、特定の親和性の高さや反応速度を調整することによって、振動の振幅や
周期長を制御できることが明らかとなりました。
すなわち可逆的なタンパク質の修飾から振動が生み出される原理は、基質1分子ごとが
決まった順序で修飾を受けることで1分子振動子として働くこと、そして、それらの
状態が基質間で揃うことで、同期した1分子振動子が基質集団としての修飾状態の
自律振動を生み出すこと、ということが分かりました。 今回の成果で、一般的な修飾酵素、脱修飾酵素と複数の修飾箇所を持つ基質があると、
振動子が形成可能なことが分かりました。興味深いことに、今回明らかになった
振動の仕組みは、シアノバクテリア概日時計タンパク質で提唱されている仕組みと
よく似ていました。基質の複数の場所が特定の酵素によって修飾を受ける例は概日時計
に関わるタンパク質をはじめ、他の周期的な現象に関わるタンパク質においても
数多く知られています。従って、タンパク質修飾に基づく振動子は、
シアノバクテリア概日時計にみられるような特殊な例ではなく、他の生物種の
多様な周期現象でも機能している可能性があります。
さらに、振動子形成に必要な結合の強さ、反応速度のパターンが明らかになったことで、
振動子形成に適した酵素や基質の組み合わせを検討することができるようになりました。
今後、酵素と基質の結合や、反応速度を予測し改変できるようになると、
細胞内で人工的に設計したタンパク質振動子を「人工時計」として機能させ、
細胞の周期的振る舞いを自在に操り、体内時計の乱れが原因となる不眠症などの
リズム疾患の治療などに役立てることができると期待できます。 これで、私が>>268で指摘したように
「生命現象は振動や波として表すことができる。だから生きているものは、
振動している、動いている」
という見解が適切なことが分るでしょう。振動子という概念を覚えておこうね
>>355
なんでキミ、三角関数もできないのに、何度もこのスレに書き込むの?
スレタイの日本語、読めないの?
アホウドリなんだから、早く鶏舎に帰れよw ミカエリス・メンテン式も基本は一次の微分方程式で、
拡散方程式の一種と言えるから、exp(x)の形になっている
生体反応も流体も熱も拡散方程式にeが現れるという事実は興味深い >>これで、私が>>268で指摘したように
「生命現象は振動や波として表すことができる。だから生きているものは、
振動している、動いている」
という見解が適切なことが分るでしょう。振動子という概念を覚えておこうね
前代未聞の場かあらわるw 生命が体内時計を獲得しているということ自体は驚きはしないが、
酵素の反応速度に依っているというのは巧妙だと感じた >>384
じゃあ海も生きてるんだねぇポエムだねぇ
でもポエムは文学板でやりなよ
スレタイの日本語読めないの? eが出てくれば、そこからオイラーの公式を連想するし、そこには三角関数が
出てくるので、eが入っている式には周期性や振動がある、と考えておけばいいん
じゃないかな。流体力学なら、一様な流れを複素速度ポテンシャルの極形式で
表したりする。
海は生命でないと言うけど、海の中には生命が必ずいるでしょう。生命込みで、
海と呼ぶんだよ。魚類が棲めない死海でも緑藻類のドナリエラ や古細菌類の
高度好塩菌の生息は確認されているよ。 eとπの関係で連想するのは、ガウス積分もあるな
自然界の現象は正規分布に従うことが多い
振動や波動の現象を記述するのには三角関数は便利だが、
なんでもかんでも振波に帰着すべきというわけではないだろう あと、血流というのも循環という流れのことなので、物理法則で血流を表せる。
流体だと、抵抗としての粘性を計算に入れないといけない。
ポワズイユの法則では、2点間の圧力差Pと管径と流量Qの関係を表す。
あと、ベルヌーイの定理も使われるし、ラプラスの法則なら
容器の壁や血管壁にかかる張力を表す式となる。流体力学ではレイノルズ数
もよく出てくる。これは乱流の生じる条件を定量化するために使われる。
管中の流速が遅い時の流れは層流と呼ばれる、流速がある閾値速度を超えた
ものは乱流と呼ばれる。乱流は血管壁を傷害する一因にもなる。
大動脈だと、限界速度のレイノルズ数は約2000くらい。 >>生命込みで、海と呼ぶんだよ。
苦しい言い訳だなぁ >>生命込みで、海と呼ぶんだよ。
俺は賛同しちゃうなあw おれはその構想力や想像力にあこがれるわ。
揶揄したつもりはない。 >>407
ねえ、お前さ、何回同じこと言わせるの。なんで三角関数の出来ないアホウドリが
ここに入ってくるんだよ。鳥インフルエンザばらまくなって。鶏舎に戻れよ、カス
数学や科学が分からないからって、ここ荒らすなよな屑 今、盲目の少女が主人公のドラマを観ているので、そこから認知論を考えてみよう。
視聴者である私は、そのドラマの主人公の盲目の少女が、実際は目の見える女優が
演じているのを知っているのにもかかわらず、その幸薄い主人公の設定に臨場感、
つまり、リアリティを感受して、そのドラマの展開に感動できる。
本当はその女優は目が見えているのに(事実)、ドラマでの盲人の役柄(仮想)という
設定、すなわち、事実と仮想が真逆であるのに、情報空間や認知上で混乱する
ことも違和感もなく、そのドラマを堪能できる。 だから、>>354で取り上げた初音ミクと結婚する人のニュースやAIが意識を
持つか否かという問題も、対象側の意識の有無や見える・見えないの事実
関係ではなくて、それを認識、享受する側の解釈が、それらに高い臨場感を
持てるのであれば、それは主観レベル上の意味論的には、ドラマでの盲目の
少女は本当に目が見えないとなるし、初音ミクは結婚相手となるような
意識や人格を持っている、という風に解釈しても、別に変ではないだろう。
なぜなら、たとえば神の存在を信じている人達がこの世界には多くいるけど、
神の存在は科学的に証明された訳でもないのに、単に信仰を持つ人々の間の中で
高い臨場感を伴って存在しているということは、ドラマや小説の主人公に
臨場感を持つことや初音ミクやAIに臨場感を持つのと、さほど質的なレベルでは
変わらないと言えるだろうから。だから、AIが意識を帯びていなくても、それを
認識、享受する人の側に意識があるかのように感受できればいいという意味では
ドラマの盲目の主人公と同じ。実際にAIが微塵の意識を持たなくても、人は
そこに高い臨場感を伴って意識を感受できることもあるだろうから。 感覚モダリティについても同様で、幻肢痛(ファントムペイン)という症状がある。
それは怪我や病気などで四肢の一部を欠損した人たちに起きる症状で、実際には
存在しない切断された部位の手や足に激しい痛みを感じることを言う。
ファントムはお化けの意味だから、まさに存在しない身体に痛みを感じる
幽霊みたいなもの、という意味がその呼称に込められているのだろう。 「盲視」という現象であれば、それは、知覚的には盲であるにもかかわらず、
つまり、視覚刺激を意識できない人であるにもかかわらず、視覚刺激への反応や
応答を示せる現象で、これはドラマの盲目の主人公とは逆で、本当に脳機能的に
盲で見えていない人であるにもかかわらず、視覚刺激の位置や弁別、運動の種類
について見えているかのような反応を示せる現象のことを言う。
何を言いたかったのかと言うと、現象や現実、物理的な客観性とは別に、
高い臨場感を伴う、心的現実とでも呼べるような二重空間、並置された
パラレルワールドや多元宇宙論を人は生きられるということ。だから、
初音ミクやAIに人間に感じるような臨場感を感覚する人たちが出現してくることも、
別にそれほど不思議ではない、ということだね。人間は元々、そういう仮想を現実
とみなせるような表象機構があるという観点。 >>410
そのレスにだけ噛みついたってことは、恥を晒してる自覚はあんのなw 糖尿のような異能の視覚盲感の方がみんなの興味が在る處だと思う。
色々な目を知らないと盲ろうがどんな層でどういう必要があるのかわからない。 もうろうになるのも人生の変体の過程なのかもしれませんね。 恥をさらしてでも自らの内面を曝け出して場の空気を支配しちゃうのって
Sだと思うな。 N othan dancer southan cross
SM より そっちの方が好きだけど、昔の文化より最新の装丁もいいなあ。 ドイツ哲学研究者の渡邊二郎が『歴史の哲学』で
『構想力の論理』と獄死したので有名な
三木清の『歴史哲学』を引用していたのは意外だったなあ。 獄死なんて男の落ち目。とらわれている研究者もカルマに当たり非能。 吉田や幸徳がゆうには死刑自体は大した限界じゃないが、死刑と同時に限界
を思い出すだけ。死刑はナンセンスだから廃止の方向に向いている。
昔ほどに笑えないし泣けない。 偶像でも虚構でも信じられるのは救いだが、一方で虚しくもあるな
クオリアは因果関係としての現象としてあるというのが適切で、脳の中に物質としてあるわけではない
色覚の表象を、投射機とスクリーンに例えるなら、そのどちらにもクオリアは存在せず、そのふたつの関係性として在ると言えるだろう
古代インド思想のウパニシャッド哲学には、法(ダルマ)という観念があるが、
物理法則に粒子が従っているのでもわ粒子が物理法則を生んでいるのでもなく、
それらを区別せずに法と呼ぶ
それは諸粒子と物理法則を合わせて、1つの言葉として成しているのである
この法という言葉を借りるなら、クオリアとは、感覚器から中枢に至るまでの法そのものと言えるだろう >>413>>414
で書いたのはとは逆に、自分が五体満足であることに激しい違和感を感じる
身体完全同一性障害というのもあるようだ。実際に医師に頼んで、四肢の一部を
切断してもらうと、彼らは幸福を感じて身体障害者として補助器の助けを得ながら
生きられるようになるらしい。
あと、性同一障害で、女性が自分に女性らしい胸があることに耐えきれなくて、
自殺してしまった、という日本での事件も読んだことあるけど、意外と、
人間の自己イメージというのは強固にあるのだろうか、とそういう病理を知ると
感じてしまう。「君の名は」では、男女が入れ替わっていて、時空もパラレル
ワールドみたいになっていたよね。 >>413>>414
で書いたのはとは逆に、自分が五体満足であることに激しい違和感を感じる
身体完全同一性障害というのもあるようだ。実際に医師に頼んで、四肢の一部を
切断してもらうと、彼らは幸福を感じて身体障害者として補助器の助けを得ながら
生きられるようになるらしい。
あと、性同一障害で、女性が自分に女性らしい胸があることに耐えきれなくて、
自殺してしまった、という日本での事件も読んだことあるけど、意外と、
人間の自己イメージというのは強固にあるのだろうか、とそういう病理を知ると
感じてしまう。「君の名は」では、男女が入れ替わっていて、時空もパラレル
ワールドみたいになっていたよね。 そういう人たちに、私が主張するようにアイデンティティや固有性
は、国家や社会システムまで含めて幻想に過ぎず、可変的、かつ可塑性が
あるものなので、そんなことに強く拘るな、そうではなく、抽象度をあげて
俯瞰して、純粋記号として自由に生きよ、と言っても、無理と言われて
終わりそうな感じがするけどね。
人間の定義も緩めて、もしくは拡張して未来の人間 = (AI + 人間)として、
アルゴリズム親和性を高めよ、とか言っても、それらの自己像に深刻な違和感が
ある人たちには通じないとは思う。 それらの障害の理由は脳機能的なものや
胎児期のホルモン環境、心理的要因等いろいろあるのだろうけど、人間の表象機構や
好ましい自己像、ラカンだと鏡像段階という概念があったけど、一筋縄ではいかない
んだろうな、という印象はある。 >>415
なんでお前、三角関数もできない恥かしい頭のレベルのアホウドリなのに鳥瞰できないの。
あ、土人の阿呆だからか、納得したよw 阿保踊りでもやってみせてくれよ。 鏡を見て姉妹のことを想う か。
人間は鏡でも自分の姿を見れないし、人に誘ってみたり誘われたり許したり受け入れらたりするだけの
存在なんだよ。自分の(体感)自己イメージは形成できない。当人同士が仲良くやりゃいいわけじゃなく男女分かれたりくっついたりして集団性を組んだり
ヒエラルキーを形成したり、美貌やルクスなどでもこだわりが本当に強い
。成績もしかり。成績を取って人をよく見たり、恋愛を充実させたり、
人の本当のイメージに気付くようになる。
人の恋愛をうまくいかすために目配せしたり口うるさくしたり、他人を想う気持ちは
人一倍だよ。人間というモノは。それで恋愛で洗練されて、ただ他人を想い
愛するようになる。(自分があるものはいないが仮にも自分を捨てて)恋愛に走る。 「点」を考える。
「点」は「大きさ」を持たない。
「点」は「位置」を持つ。
「位置」を持つのであるから、「空間(あるいは時間)」がなければならない。
その「点」以外のなにものかが「ある」という「可能性」が必要である。
「点」が「ある」ためには、最低でも1ビットの時空間が必要となる。
その「点」以外になにものも「ない」のであれば、あるのは可能性だけである。
「点」は、1ビットの時空間内で、「ある」と「ない」の重ねあわされた量子状態にある。 量子状態にある「点」『が』考える。
「わたし」ではないものは「ない」のだから「わたし」は「ある」。
「点」が考えるわけではないのだから、「わたし」や「ある」とか「ない」とかいうことはないのだが、
(量子状態にある「点」は)そのような「(わたしという)存在」の「クオリア」を持つ。
「存在のクオリア」が「存在」であり、それは「自己同一性」という「クオリア」である。
唯クオリア論w 数学を初めとした理系のポエムで行き詰った学問が永遠に哲学に及ばないスレ 反応素過程でも因果関係でも相互作用でもない1粒子に存在(のクオリア)が在るのかは議論の余地があるな ポエムと哲学の境界を定めない数学を初めとした理系のポエムで行き詰ると絶対に哲学に及ばないスレ 位置にも、絶対座標での位置と相対座標での位置がある
座標系を決める任意の視点を許さないとき(相対座標のとき)、
仮に世界に粒子が1つしかないとすれば、位置は相対化され得ないので、位置という概念すら存在し得ないことになる
例えば量子井戸で、量子の存在確率が偏在するのは有限の空間の中にあるからで、位置という概念すらないとなると、不確定性原理も存在しなくなる
あるいは、位置Δxが0とすれば、Δpは無限大になる
ポエムすれば、完全な1粒子とは遍く波の調和の裏にある 存在(のクオリア)とか、仮に世界に粒子が1つしかないとか、ポエムすれば、完全な1粒子とは遍く波の調和の裏にあるとか
『数学を初めとした理系の学問と哲学について』に ポエムするスレ を付け忘れたとしかおもえない。 完全な「存在」も、「不在」も、極端、深淵にしか語り得ないはずだ
思うに1粒子の位置とは、無数の波の合成に相応する
フーリエ変換の話にも書いたが、1つの波を三角関数の多項式で表そうとすると、無数の項が必要になる この世界の粒子1つを無くしても、世界は成り立たない
部分が全体を、全体が部分を担保しているとすれば、
1つの粒子は、全体によってはじめて、存在できるといえる
ようするに、あらゆる波の干渉の結果として、1粒子があるのだから、
そのクオリアは全か無に等しいと考えられるということ そのクオリアとか粒子とかの存在は、数学上、理論上必要な言葉な
その言葉の哲学について、数学を初めとした理系の学問で捏ね繰り回しても
フーリエ変換の話にも書いたが、1つの波を三角関数の多項式で表そうとすると
無数の項が必要になるように、立ち行かなくなるんだから、三角関数ができる馬鹿なら
いい加減気づいたほうがいいよ。
クオリアが全か無に等しいって無と全じゃ間逆だからねw馬鹿も大概にしないとw 梵我一如はシュレディンガーが、太極図説はニールス・ボーアが押しているんだけど、
太極図説を引用すれば、「無極にして太極」といえるかもしれんのだよ
俺が馬鹿だとは認めてもいいが、全と無が同じであることはあながち馬鹿にはできない 権威に笠を着るようであれだが、太極図説に書いてあることは現代物理学に通じている
理系の学問と哲学についてなら、こういう語り口もありだろ 無数の多項式が必要になっても、級数で表せれば立ち行かないってことにはならないな 「混沌(カオス)と云えど徹すればおめぇ、透明感を帯びるってもんだ。」by愚地独歩 物理学に通じているからあながち馬鹿にはできない、まぁね
で、語り口になるならいいが、級数で置き換えられたカオスの透明度
で哲学の何を表せるつもりでいるのかね。 無限量子井戸の面積、体積は無限だな
有限の空間というと語弊があった
無論、絶対座標系だし、壁と床の条件がなければ、粒子が偏在することはないということに変わりわないのだが 答えではなく、問いとして立てた方がいいかもしれない。
存在に原因はあるのか。
存在とは何か。
存在の裏、不在とは何か。
全であるとはどのようなことであるのか。
無であるとはどのようなことであるのか。
そのような問いに対する答えとして、波と粒子、カオスと透明が対比されたとでも言えばいいかな 言葉を列挙するだけでもヒントになるだろう
相補、双対
拮抗、平衡
断続、連続
自己言及、自己相似
此処、彼方
一瞬、永遠 そんな問いを今更立てて、その答えがとでも言えばいいかなって
三角関数以前の馬鹿としか言いようがないなw 問いに対して答えが在る。すべてを統一的に述べられる答え、真理があるとすれば、それに対応する問いを探すことは有意義なはずだ
また、√-1の解、iと-iが双対するように、問いに対する答えは相補するかもしれない
要するに二乗すればいいってことになるが、そんなに簡単にはいかないだろう
補足として
その究極の問いとして挙げられるものに、
なぜ私は私なのか。
というものがあると思う。
これは、必然性を問うていて、自己言及的だ。
ウィキペディアに記事が纏まっているから読んでみるといいよ。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/なぜ私は私なのか リンク上手く貼れていなかった
ページはあるから探してみるといい じゃあ、私も>>456を真似て、キー概念となるものを列挙してみる。
その記号群を見るだけでも、その思想を少しはイメージできるだろうから。
人間の定義の更新・拡張(人間+AI)
脱アイデンティティ、固有性としての純粋記号
神を前提する二値論理から、神を前提しない多値論理へシフト
生命系の周期性や振動子。そこから人間とAIの類似性やアナロジー
最適化原理、ゲーム理論、ゲームの外部や物自体の領域にある未知のAI
その取り込みによる内部の変容と更新、拡張。
生命および社会システムの可変性、環境変数に対するホメオスタシスと適応
感覚モダリティの不可解さ。例、幻肢痛(ファントムペイン)、身体完全同一性障害、
人間の認知機能、錯視、カプグラ症候群など
エラー率とデータ改ざんを検出するAIの必要性。
まあ、このくらいにしておこう 無秩序の海を想定しているので、「点」は常に「反点」というべき存在とペアである。
それゆえに点は、最低でも1ビット時空間にある。
「位置」とは、この場合、1ビット時空間の2つの位置のどちらか、ということであって、
常に「相対的」なものである。「絶対位置」というものも絶対的な基準点からの相対位置である。
しかし、ここで語られる「位置」は「相対的」ですらない。
自分としての「点」あるいは自分ではない「反点」から「相対的」に、時空間上での位置を語るとき、
すなわち「基準点」をもつとき、それがクオリアとなる。
ミニマムな思弁的空間で語られているため、現実の物理法則などは排除する。 なにものをも基準としない「位置」概念と、基準を持つ「(相対的)位置」概念は異なる。
どこかに基準を設定することでクオリアがうまれる。
相対的位置というクオリア。
思弁的空間において考えた「基準」も、常に2つある。この2つめを「反基準」と呼んでしまうと
基準じゃないようにうけとられてしまうので考え中。 科学の場合は、観測者の観測している観測地点(基準点)が大事になるよね。
ベルヌーイの定理についても少し触れたけど、圧力も圧力計の位置によっては、
静圧になったり、全圧(動圧+静圧)として、表示できる。動いている気体分子の
運動も、その観測者もその重心の運動エネルギーと同じ方向に同じ速さで動いている
のであらば、それは静止した状態での観測である静圧となる。空気の圧縮や膨張、
摩擦は計算に入れてないので、理想気体上での計算になるのだだけどね。
流体でも同じこと。 ポワズイユの法則やレイノルズ数、臨界レイノルズ数にも触れたけど、
流体だとナビエ・ストークの方式がよく知られているね。ベルヌーイの法則とは
違って、粘性率を計算にいれる。 ナビエ-ストークス方程式ね
千葉雅也スレに入ってしまった。iPadからは入力しづらいなw >>459
有意義なはずだ
するかもしれない
簡単にはいかないだろう
ウィキお勧め
うーんマンダムw 無と全は対称性をもっていなければならないと考える。
無秩序の海を「無」と考えてるのだから、「全」とは全秩序の海か?
それとももっと違うところが異なるのか。
その違いを除けば、無と全は同じものである。
一種の振り子的なものである。 >>469
そういう表現で満足できるなら哲学より宗教とか仮想世界の方が振り子的なものがフィットする >>468
〜〜と思われるとか、〜〜と考えらえる
があるからといって真っ当な文章とは限らんからなあ。 まっとうじゃない可能性はどっちもあるけど、思われるとか考えられるはまだ議論の余地はあるよ、だろうはずだかもしれないじゃポエムご自由にwになる 事実誤認とか記憶違い、打ち間違いがあるかもしれないから、
どうしても”かもしれない”とか”だろう”とかを使っちゃうなあ。
レポートや論文では駄目だろうけどさ。 間違いや記憶違いは訂正して、そこから展開すればいい気がするけどね、たかが掲示板だし 少し整形しなおして、キー概念となるものを列挙してみる。
その記号群を見るだけでも、その思想を少しはイメージできるだろうから。
人間不在の「ポスト・ヒューマン社会」の誕生
そこから要請される人間の定義の更新・拡張(未来型の人間=AI+人間)
脱アイデンティティ、脱固有性としての純粋記号
身体性の奴隷、社会への隷属からの開放、抽象度の階梯を昇り続ける
人間のインストラクター、教師として上位レイヤーに存在する新たなる知性AI
神を前提する二値論理から、神を前提しない多値論理(Null)へのシフト
生命系の周期性や振動子。そこから導き出されるAIと人間の同期とアナロジー
プログラムとして交通しあう生命のネットワーク。AIと結婚する新しい人間。
最適化原理、プログラミング、再帰関数、カリー化、リソースの使い回しと循環。
巡回群と置換、フィードバックループのアナロジー。
ゲーム理論、ゲームの外部や物自体の領域にある未知のAI、アルゴリズム親和性の高いSTEM教育
外部の取り込みによるゲームのルールの変更(ex.資本主義システム)、内部の変容と定義更新、拡張。
生命および社会システムの可変性、環境変数に対するホメオスタシスと適応、最適解
感覚モダリティの不可解さ。例、幻肢痛(ファントムペイン)、身体完全同一性障害、
人間の認知機能、錯視、盲視、カプグラ症候群など
啓蒙とは、すなわち見えないものが見えるようになることである。
スコトーマ(盲点)としての常識と固定概念、慣習、忖度による弊害。
エラー率とデータ改ざんを検出するAIの必要性。
一万年後の人類を想像せよ。その視点から見れば、現代の我々の社会、価値観、営為は
ほとんど原始人レベルであるはずだ。そこから逆照射することで見えてくる、新しい存在形態。 まあ、こんな感じだね。半分お遊びだけど、半分は本気かなw
現代人だと、スマホ使っている程度でテクノロジーの先端だと感じてしまうけど、
1万年後に存在する人間からそれを見れば、それは今の人間が原始人が石斧や棍棒を
持って必死に狩猟しているのに感じるくらいの原始性があると推論できそうだ。
だって、1万年後に人類がいれば、他の惑星に移住している人々が大勢いるかもしれない
し、惑星間を通信するのにスマホでは無理だろうということ。
今の自分や社会システム、価値観を絶対視、自明視するのでなく、それらを相対化する
他者の視点としてAIを思考実験やシミュレーションとして持ってきている。 >>480
別に、AIや未来に理想状態を見出している訳でもなく、単に論理的に考えて
いるだけなのだけどね。たとえば、ハイデガーはメメントモリで死を想え
と言ってたけど、未来の人間は再生医療なりバイオテクノロジーの発展に
よって、病気をすることなく、加齢や老化もなく、なかなか死なない状態の
人間が存在することも考えられる。平均寿命1000歳とかねw。
しかもルックスは20歳でもいられるみたいな。生殖医療やゲノム編集技術によっても、
今の人間の定義とは、だいぶ異なる、どこかアンドロイドを連想させるような
人工人間だって、これから出て来ても不思議ではないと思うのだけど。
仏教だと「生老病死」で生命は存在苦を必ず伴うという定義になっているけど、
それもクリアー、もしくは超越した場合は、もっとそれに適した生命なり
人間の定義が未来には要請されるであろう、ということだね。
「生老病死」は物理次元において生じる現象だから、抽象度の高い世界に
移行すると、それらも制御できる可能性がある。それが幸せなのかどうかは
分からないけど。 単に論理的に考えていると言っても、意見には個人独特の優先的な思いや考えが
抽象度をあげて語られてしまうものだなぁという印象が見受けられるな。 すべての理論を統一するには何が必要か、と考える。
ともかく詳細はすっとばして暴力的に結論を出せば、それは(現時点では)「対称性」である。
しばらくの間、保存則からの要請を考えていたのだが、
ネーターの定理からみて、「対称性」のほうが基本的で、より健全だ。
それゆえに、ベースとして、もっとも対称性を持つであろう「無秩序の海」を考える。
必要なものを準備し、コンピュータ上で「無秩序の海」が自発的に活動しはじめれば成功である。 >>483
一応、論理的に考えているよ。たとえば、武士の時代にあった切腹とか、
フランスのギロチンとか、現代の価値観から見ると野蛮で残酷に見えない?
王妃のマリー・アントワネットも断頭台送りで終わったよ。
だから、無くなったでしょう。最近、オウム関係の死刑がやたら執行された
ので、どういう状況なのかをネットで調べると、絞首刑を執行すると、その
人間の首がかなり伸びきってしまうみたいで、かなり野蛮で残忍な行為なんだな、
死刑制度って、と感じたよ。「13階段」という傑作小説読んであったので、
死刑のおぞましさは知っているつもりだったけどね。
だから、死刑はなんか野蛮だなという感性が大勢に共有されるようになれば、
死刑もかつての武士の切腹のように廃止されてもおかしくないということ。 婚姻制度でも同じで、最近、やたら同性愛のカミングアウトが著名人の間で
目立つけど、そういう人たちが意外と世の中には多いと分かれば、制度を
変えていくしかない訳で、社会保障も含めて。あと、初音ミクと結婚する
という人の話にも触れたけど、そういう疑似人間やバーチャルに恋愛感情を
持つ人もいて、それも制度として考えなくてはいけない時がくるかもしれない。
あとは、自己愛がやたら強くて、自分自身のホログラムと結婚したい、
なんていう人も出て来るかもしれないし、とにかく言いたいことは、
色んなニーズになるべく対応出来るような公平なシステムにしないといけない
ということ。そこでデータの改竄されていないAIが必要になる。
あと、日本人にありがちな集団的な村社会の発想をやめること。
普通の定義を緩めてあげればいいだよ。色んな人がいる、それを普通とすれば
いいの。保守主義や原理主義者がダメなのは、普通の定義が過酷すぎるから
だよ。お前らだけでその強固なルールと保守的価値観を守っていろよ、という
感じかな。他人に押し付けるなよ、という感じでしょう。 これからまだまだ流行ってある程度までいってから沈静化してテクノロジーで未来も定着 >>490
論理的に筋が通るか、断定なのか予想なのかは重要だが、論理的整合性よりも内容を問いたい
そもそも、そこに突っ込むかって感じ
分析哲学しか知らないのかな? お前らなんだかんだ言ってもやさしいよな
だってちゃんと読んであげるんだから
俺は読む気しないわ
もっと人にやさしくないといけないなと思った > >496
瑣末なレトリックに拘るなに対する
>>490 大雑把なレトリックばかり並べてるからポエム言わてるんじゃ… >>497
数学を初めとした理系の考え方で哲学について考えてるのとその内容を哲学との関連で考えてるのでは、内容の読み方が前提で違うからな 1は数量的な自己同一性を表しているだけで、
特定の数量を表しているわけではないでしょう。 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180819-00000010-mai-pol
「圏域」法制化>地方は反発 政府検討、自治体の廃止危惧
この圏域という新たな行政主体の構想も、抽象度を上げたアプローチに
なるかもしれない。地方の過疎化はなぜ、起きるのだろうか。あるいは、
地方に魅力がなく、人々が都市圏へ流入するのはなぜだろうか。
前に、生命は振動である、と述べたけど、地方や田舎は振動が少ない、
変化や刺激が足りないので、特に若い人たちには耐えがたい退屈さ
そこに感じるのだろう。都会は常に振動していて変化が早いので、
飽きることもない。雇用の有無の要素も当然あるだろうけどね。 AI化する社会とは、人々のきめ細かなニーズに対応できるような社会システムの
ことだと、表現してみてもいいだろう。たとえば病気になると、疾患ごとに
一律でだいたい決まった薬が処方される。でも、人々の個別性を微分的に
遺伝子レベルでもっときめ細かくみていけば、それぞれの個人性の偏差を計算に
入れたカスタマイズされた処方にした方が有効なのではないだろうか。
つまり、医療的なリソースもその方が現在よりも少なく済みそうだということ。
今までは教育サービスも含めて、一律ということが当然視されてきたけど、
実は一律は公平ではない。だって、人が生きている環境はそれぞれ偏差があるし、
平等でないので、それを計算に入れてない一律は、不公平や格差を固定してしまう
からだ。だから、以前、定額給付金のようなものが一律で配られたけど、実は
あれは全然公平ではない。だって、貧困層と富裕層、中間層に一律で配るのは
おかしいでしょう。ちなみに、私は、その給付金、全部寄付に回したけど、
そのような一律という不公平な制度をやめるべきだね。
誰にとっても怨嗟を生まないような真の公平性をAIで構想すべき。 科学というと少し冷淡で、人々を統計的扱えるよう数値化し、合理性という
枠の中で人間性を抑圧しているように感じられるかもしれないけど、真の
科学というのは、人々の幸福に資するものだと思う。
合理性には、本来、倫理が伴っているのではないかな。だから、合理性が
ある企業や組織では人を大切に扱い酷使しないし、搾取もしない。
そんなことをすれば過労死する者や鬱や自殺などで、企業イメージも悪化し
株価にも反映されるので、真の合理性は、本来、倫理性を有していると
言ってもいいんじゃないかな。
だから、神風特攻みたいなものは合理性に一番反した、非倫理的な振る舞い
となる。多くの有意なる青年の命を奪って、おまけに原爆まで投下されて、
合理性を無視した判断がいかに危険なことかが分るだろう。もちろん、
ナチの優生思想や日本の細菌部隊や人体実験や核のように、科学も合理的な
大量殺人のためにも使えるので、そこは科学を扱う側が倫理コード等で、
制御、モニタリングしていくべきこと。 >人々のきめ細かなニーズに対応できるような
人々のきめ細かなニーズに対応できるようにするには人文的なセンスが欠かせない。 「AI化する社会」と「AIを利用した社会」は別もんだろと思ったけど
牛馬を利用した農業(牛馬耕)は牛馬化された農業とは言わないのに
機械を利用した農業は機械化された農業と言うよな
ただ機械化する農業とは言わないな >人々のきめ細かなニーズに対応できるような社会システム
だったら、ゴミの分別収集とかやめて、すべてまとめてゴミを捨てられる
ようにして、分別はAIに制御された機械に任せればいい そういう本当に人々に役立つサービスで実力を発揮できない限り、
AIなんていうのは、人のきめ細かいサービスを買い叩くための
口実に使われるだけになる 人文的なアナログ感覚もあった方がいいだろうね。
でも、デジタルでもきめ細かな対応はある程度、出来るだろう。
遺伝子だけで犯人特定できるように>>507、指紋や声紋などの
バイタル情報も人それぞれ異なる。
それを生体的暗号と考えてみると、遺伝暗号ならコドンと呼ばれる
3つの連続するアミノ酸の暗号に相当する。それで開始コドンの
メチオニンの暗号AUGから始まって翻訳が進み、終止コドンという
どのアミノ酸もコードしていないコドンが現れた時点で翻訳をストップ
する。
遺伝子解析のセレラ・ジェノミクス社の創設者クレイグ・ヴェンターは、
分子生物学では有名な人だけど、彼のショットガン法というヒトゲノム解析の
手法は、暗号理論や記号論的にも興味深い手法であると思うね。 個々の人々のニーズを鍵穴と考えてみようか。それに適合する鍵は世界に一つしかない
となれば、その鍵こそがカスタマイズ化された、その人だけに適したニーズになる。
AIや量子コンピューターで、そうした計算力が飛躍的に向上すれば、一律のサービス
でなく、個々の偏差やユニーク差に対応したサービスの提供も可能になるんじゃない
という推測。 >>510
ゴミなんて多種多様なのにそんな自動で分別する機械なんてどうやって作るの? 一人の行動、ひとつの国の行動も似てること
そういの図形みたいなものか 三人が似たような失敗をしたら、法則が
かくれているのか AIなら何でもできちゃう思考回路しか持ってない人のニーズになんでも応えてくれるのがAI
うーん、マンダム アブダクション、リトロダクションとは、個別の事象を最も適切に説明しうる
仮説を導出する論理的推論。仮説形成や仮説的推論などと訳されている。
古くはアリストテレスがアパゴーゲーについて議論している。のちにアパゴーゲーは
アブダクション(abduction)と英訳された。チャールズ・サンダース・パースは
演繹(deduction)、帰納(induction)に対する第三の方法としてアブダクションの
語を用いた。 結果や結論を説明するための仮説を形成することを言うこともある。
哲学やコンピュータの分野でも定義づけされた言葉として使われている。
アブダクションの意味や思考法は、演繹法や帰納法ともまた異なるものであり、
失敗の原因を探ったり、計画を立案したり、暗黙的な仮説を形成したりすることに
応用できる。例えば、プログラムの論理的な誤りを探し出し直すという過程では、
アブダクティヴな解釈と推論が行われており、一般的な立証論理の手法と通じる
ものがある。
アブダクションは観察された事実の集合から出発し、それらの事実についての最も
尤もらしい、ないしは最良の説明へと推論する。アブダクションという用語はまた、
たんに観察結果や結論を説明する仮説が発生することを意味するためにもときおり
使われる。だが哲学やコンピュータ研究においては、前者の定義がより一般的である。
心理学などではヒューリスティクスと呼ばれている。 演繹は、仮定 a と規則「 a ならば b である」から結論 b を導く。妥当な演繹は、
仮定が真であれば結論も真であることを保証する。
帰納は、仮定 a が結論 b を伴ういくらかの事例を観察した結果として規則
「a ならば b である」を蓋然的に推論する。帰納は、推論した規則が真であることを
保証しない。
アブダクションは、結論 b に規則「a ならば b である」
を当てはめて仮定 a を推論する。帰納が仮定と結論から規則を推論するのに対し、
アブダクションは結論と規則から仮定を推論する。アブダクションは、推論した仮定が
真であることを保証しない。
アブダクションそれ自体としては、形式的には論理学でいう後件肯定に等しい。
このようにアブダクティヴな推論はそこで提起される原因が疑わしいので、
「前後即因果の誤謬 (Post hoc ergo propter hoc)」という時間の前後関係を
因果関係と混同した虚偽の論法に似ている。 論理学では、説明はある領域を表現する論理的理論 T および観察の集合 O から
行なわれる。アブダクションは T にしたがって O についての説明の集合を導き、
そしてそれらの説明のうちの一つを選択する過程である。 E が T にしたがいつつ
O の説明であるためには、 E は二つの条件を充足しなければならない。
O は E かつ T から導かれる。
E は T と無矛盾である。
形式論理学では、O と E はリテラルの集合であると想定されている。
これら二つの文は E が理論 T にしたがいつつ O の説明であるための条件である。
通常これら二つの条件を充足する可能な説明 E に対して、他の最小限の条件が
課せられるが、これは O を内含することに寄与しない的外れな事実がそれらの
説明に含められることを避けるためである。
アブダクションは E の要素を選択する過程でもある。
最良の説明を表現する一要素を選択する基準には、単純性、より蓋然的であること、
ないしはその説明の説明力が含まれる。 >ゴミなんて多種多様なのにそんな自動で分別する機械なんてどうやって作るの?
AIに設計してもらえば簡単ですよ? ゴミの分別と人間関係のどちらがより複雑だと思っているのだろう?w
人間の活動を最適にシステム化することをAIが設計できるなら、
ゴミの分別装置を設計するくらいいともたやすくできるはずである。 >>525
その人間の活動を最適にシステム化出来るAIとやらはどこにあんの? 能書きの文章に使われた一文字一文字が錠剤になって入っている薬瓶みたいな人だよね
薬効は知能となってるけど有効成分一切入れてないし、霊感商法並みに値段はお高くても
誰も買わない飲まない騙されないw
AI製薬株式会社 >>525
仮定に仮定を重ねるなって習わなかった?
ああ、三角関数出来ない馬鹿は義務教育も受けてないかw >仮定に仮定を重ねるなって習わなかった?
そりゃねーわw >仮定に仮定を重ねるなって習わなかった?
三角関数がどうのとかばかり書き込みながら、数学の基本すら理解できていないようですね。
数学の〇〇予想なんていうのはすべて、〇〇という仮定が正しいとしたら、××が
成立するというのを多重に重ねて構築されていて、仮定の証明が得られることで
最終的な証明が成されるという形式をとっていますよ。 >>532
数学の話なんて誰もしてないから。はい論破。
三角関数も出来ない奴は馬鹿だねえw カリーのパラドクスのような論理構造になっていると、どんな荒唐無稽な命題で
あっても真と証明されるので、論理の持つバグにも自覚的にならないといけない。
非単調論理であれば、ベイズ推定のように認識をアップデートして、より蓋然性の
高い判断を下せるので、汎用型AIにはそうした非単調論理基づいた臨機応変な
認知モデルが実装されるといいのかもしれない。 >>532
「風が吹けば桶屋が儲かる」って聞いたことないのかい? 「無」を「無秩序の海」であり、「地」の極限状態であるとすれば、
それは反転して「図」となり「図」の側の「反無秩序の海」の極限状態がある。
「無」と対象である「反・無」は「全て」であり、図と地を入れ替えてみれば、「無」と同じものである。
ここでいう「図」と「地」がなにものなのかという問題はあるが、対象性があり、スピンや波の根源として考えることもできる。
図と地よりも大きな対称性があるのか、考え中。 「地震が起きると雨が降る」
これはある地域では皆が知っている常識だ
その仕組みについては誰も知らないだろうが、
繰り返し実証される経験的真実として皆が知っている 考え方は単純である。
極限の無秩序状態があれば、自発的に破れてより小さな対称性になる。
極限の秩序状態があれば、これも自発的に繕われてより大きな対称性になる。
そう考えると、2つの極限は対称性を持つ。
この対称性は繕えるのかどうか、ということだ。
(破れの反対として繕うとしたが、よい自動詞がおもいうかばなかった)
想定としては、極限どうしは破れも繕いもなく、最初から破れていて繕われている。
ふたつだがひとつの状態。あるいは、ひとつだがふたつの状態。
答えを言ってしまえば単純なのだが、それは言わないw
ここからスピンはひきだせるが、はたしてひも理論もひきだせるかどうか、というところ。
ここからcausal setsをひきだせればよいわけ。 >>545
その考え方を論理式で表すと、(P ∧ ¬P ) = Trueとなる。
カリーのパラドクスやヘーゲル弁証法もそうだけど、哲学では矛盾を巧妙に扱うことで、
意味ある概念や価値を構築できることもあるだろうね。
あと、矛盾許容論理や多値論理は、実際、ソフトウェアにも使われているので、
古典論理やブール代数だけで考えていく方が、現代では珍しいくらいじゃないかな。
哲学板の議論を見ていると、1か0で、自分は正しい、君は間違っているという
中二病的な主張が目立つので、それだけズレているということが分かる。
1から0の間にはグラデーションがあると知れば、真偽を一方的に決めつける
単純な議論を知的に相対化でき、議論を有意義なものにすることができるだろうね。 たとえば、命題Pを「0は自然数である」と定義してみよう。
>>546にある論理式、(P ∧ ¬P ) = True にこの命題Pを代入すると、
「0は自然数である」かつ「0は自然数でない」は真である
となる。実際に0が自然数なのか否かはケースごとに色々あって、
集合論では0を自然数と考えてもいいだろうし、フランスでは
日本と違って、初等教育では0は自然数だと教えられるので、
(P ∧ ¬P ) = True
に対応するような現実があることが判る。 何をもって「自然」と考えるのか、「自然」と対比されるのは「人工」なのか? 自分の知ってる哲学を持ち出しても
グラデーション哲学でAI化しても
数式化しても、論理式化にしても
プログラミングしようとしても駄目
どうしてこんなに駄目なのでしょうか?
どうしたら哲学になるのでしょうか?
誰か教えてくださいのポエムですよ。 >>553
哲学と錯覚したタラレバ言い訳啓蒙風自己表現を顕示せずにはいられない強迫性障害 哲学とは問うことである
哲学的姿勢とは疑うことである いくら下手くそな少年野球をしていても、野球をしていることには変わらなくないか?
というか、トンチンカンな問いとは何だ?
問いに優劣があるとして、それは誰によって判断され得るんだ?
真理に近い問い、真理からは遠い問い、それらの問いが存在している必然性は何だ? >>561
哲学しているかどうかを問い疑ってる段階で野球をしていることに変わらなくないか?と
トンチンカンな問いとまやかしをやらかしてしまうのが名人の必然性 下手くそな少年野球のレベル哲学だから笑われてんじゃねえの?
返しすらトンチンカンだわw >>560
えっ!?
誰もまやかされてないと思うけど?w >>562
ゲーデルの不完全性定理だな
ある体系自身の正しさを、その体系が証明することは出来ない
哲学をするということが、問うということであるか、哲学的姿勢とは疑うことであるかということは、そのように定義された体系自身が論証することはできないだろう
哲学は問い疑うことをやめた瞬間に終わる
先の言及は哲学の結果であって、哲学をしているではないと答えておこう 哲学ではない、と強く言及してもよい
こういう言うと、哲学書なんかも哲学でないことになるが、あながち間違ってもいないと思う 先の言及は哲学の結果であって、哲学をしているではないとまやかせば済むしね 一応言ったことには責任持とうと思ってね
これ、前に自分で定義して文章に起こしておいたんだけど、そこには、哲学をすることは、問うということであるって書いてたから、瑣末なレトリックも馬鹿にはできない
でも哲学と言い切ったほうが得るものも大きい
数学も、定義と定理を含めて数学という体系とするのではなくて、定義のみを数学と呼んでしまえば、ゲーデルの不完全性定理を回避できるのではないか
ていうか、この手の立ち回り相手にするの久しぶりだわ、変わらず元気そうでなにりより ある体系自身の正しさを、その体系が証明することは出来ないゲーデルの不完全性定理でどうせ最初から責任取る気なんてさらさらないじゃん >>566
ゲーデルの不完全性定理はいつからお前のトンチンカン哲学に適用されるようになったんだ?
無知なやつほど「ある体系自身の正しさを、その体系が証明することは出来ない」なんて簡単に言うが、ゲーデルが証明したのは数学の体系についてであって、おまえのトンチンカン哲学についてではないからねw >>569
行き当たりばったり、出たとこ勝負、藁にもすがるトンチンカン不完全性定理、哲学と言い切ったほうが売れそうなまやかしやらかしの術 >>571
よく知っているな
数論を含んだ論理体系というのが正確だが、哲学も古典論理で語られる以上ゲーデルの不完全性定理は避けられない どうでもいいが、人は自分を写す鏡というが、よく言ったものだな >>574
物理学は自然の斉一性や観測を根拠にしているからゲーデルの不完全性定理を持ち出すのは不適切だろうな >>573
だれも古典論理で語ってくれなどと頼んじゃいない、自分が語れない範囲を論理体系とか言うなよトンチンカーン >>576
それは物理学には不確定性原理というものがあってだな
だからなんでもかんでも不確定性原理持ち出すな以下略 哲学と何の関係もないトンチンカンを前にすると収拾が付かなくなるな 非古典論理で語るなら
哲学は問うことであろう、となる
ところで、そういう書き方をするとポエムと揶揄されてしまう >>576
科学哲学の本で物理学の自然観をテーマにしたのを読んだが、
ゲーデルの不完全性定理を持ち出して、究極的には正しさを証明できない、
と書いていたぞ。 >>573
哲学みたいな俺定義の俺用語並べ立てるようななんちゃって学問は、とてもじゃないか論理体系とは呼べないよ
三角関数も出来ない馬鹿はこれだから困るw >>582
「哲学を語れる言語を持ち合わせていない」事実を
レトリックでまやかした文章に置き換えると
> 非古典論理で語るなら
> 哲学は問うことであろう、となる >>580
ハイゼンベルクの不確定関係とゲーデルの不完全性定理は関係ないだろ 確率で言及すれば、ゲーデルの不完全性定理は成り立たないからな
量子力学なんかを含んでいる物理学は不完全性原理を回避しているはずだ
自然の斉一性は仮定されたものだから、そういう意味で物理学は正しさを証明できないと言う論調なのだと思うが、
なにを語るにしろ、限りなく正しいとしか言えないだろう
それは、実無限は存在せず、可能無限しか存在しないという前提から言っている >>590
あーその本の1なら読んだことあるわ
2が手でたんか
教えてくれてありがとよw >>594
世界には実無限は存在せず、可能無限しか存在しないという前提から、正しさの言及は限りなくそうだとしか言わないのが妥当だという 議論になるが、それはそれで骨が折れる議論だからそういう書き方に留めておいた
主張であることは認めよう E=hν
光子エネルギーは、振動数と比例し、その比例定数にプランク定数が等しい
たとえば、励起した電子が基底状態に戻るときに光を放出するが、
そのときの光の振動数は、励起状態と基底状態のエネルギー差によって決まる プランク定数はシュレディンガー方程式にも出てくるし、不確定性関係
Δx・Δp≧h/2πにも現れる
いずれにせよ、物理では重要な定数だな >>600
俺にしゃべらせたいようだな
この世に一つとして同じものはない。運動量も位置も同じ量子があれば、それは同じ一つの
量子に他ならなくなる。言い換えれば、因果関係を持ちえないものは、同じであると言える
同じようであっても、因果関係を持ち得るのであれば、異なるものであると言えるだろう
1を部分とみれば、それは可能無限によって語られるだろうし、全体とみれば、実無限に
よって真なる1と他ならなくなる。
実無限が存在するのは、世界の両端だけだと思う。いま、この場所から語るのであれば、
それは可能無限でしかあり得ないだろう √2は、無理数であり、1.4142・・・と続きいていくが、可能無限の立場に立てば、√2とは、
その演算のことを指し、・・・とは、どこまでも計算が可能だという計算可能性のことを意
する。
また、自然数の1とは、可能無限の立場に立てば、1.0000・・・と続いていく可能性のことを
意味する。
一方で、実無限を仮定すると、ラッセルのパラドックスに行き着く
ラッセルのパラドックスとは、自身を含まない集合は存在しないというものだ。例えば、世界の
はじまりから終わりまでのすべてが記載された本「アカシックレコード」があるとする。
この本には自身の内容を記載するべきであり、その内容の中にも、自身を記載しなければ
ならず、以降際限なく続く。 真理はいかなる方法を以って語りうるのか、という問いがある。
言い換えれば、もの自体に言及する名指しはあるのか、という問いである。
仮に真なる名指しがあるとすれば、それは自身の内に真理を内包するものでなければなら
ない。
例えば、バガヴァッド・ギーターには、(自ら自己)atomani-atomanaという表現が出てくるが、
これは存在とは自己言及的なものであるが故に、名指しとして秀でていると思う。 >>603
「ごめんなさいわかりません」=「すみませんでしたもう黙ります」と読解できない馬鹿w 自身を記載する、それにしむけるのは他人であって、昔の他人 今の他人 将来の他人
をつづっているに過ぎない面が多いのでは?ほとんどの可能性。集合の外に誰かがいるのがヴィトゲンシュタインのいいぶりで、ラッセルをまかしたところはそこ。
むしろ存在しなくても構わない。存在と無ということであればね。 名前を言語化するにも平凡じゃいけない。スパークルしてみると、
名前がついているということは
名前に原因があって、人間が名付けたり呼び名を考えているわけではないと
言語を考えて感じられる。 >>589
確率でゲーデルの不完全性定理を否定
量子力学込み物理学は確率で成り立たないから回避
自然の斉一性の仮定では物理学は確率を証明できない
これを前提とすればなにを語るにしろ限りなく正しいとしか言えない
だから実無限は存在せず、可能無限しか存在しないと主張している
これが君のまやかし文章修正後の正確な君の主張な。
君が前提にしてる断片的仮説が仮に真で、なにを語っても蓋然性が高いとしかいえないとしても
それをもって実無限は存在せず、可能無限しか存在しないとする主張の蓋然性は
見聞した仮説を都合よく切り張りして並べただけに過ぎないわな
仮説を問うこともせず、そのまま切り張りする姿勢で
> 哲学とは問うことである 哲学的姿勢とは疑うことである
うーん、撤回せざるを得ないんじゃないかねぇ >>609
欺瞞体質の地頭に謝罪してみるとかw無駄かw >>612
むしろ、この世界には可能無限しか存在しないから、様相論理や実無限を用いない方法で語るべきだという立場に立っている
実無限無限を仮定すると、ラッセルのパラドックスが現れるというのも根拠の一つだが、
真の1というのも、まわりを見渡せば存在していない
量子の位置や運動量を確定させようにも、それは確率でしか表せない
実無限としては、宇宙は同じような空間がどこまでも続いている平坦なものではなくて、時間、空間としても終わりと始まりがある ただ量子は離散的な性質を持っていて、光子1つは真に1つだと言える
これは可能無限ではなく、実無限で語るべきだろうな >>614
俺はこの立場からこれらの事実を哲学的な考えだと信じているというわけね、了解w 哲学板は相変わらず神学論争みたいなのが好きだね。決定論か非決定論か、
右翼、左翼とか、全部、2値論理で議論したがるんだよね。多値論理だと、
nは何項あってもいいのだけど、3値にするだけでも不明としてのnullが出てくるので
神学論争レベルにある話で、自分こそが正しいという独断からは距離を置けるし、
離脱できる。真理においても、こうしたペンディングや留保が大事になると思う。
神は存在するか否か null
決定論か非決定論か null
右翼が正しいか、左翼が正しいか null
この宇宙はシミュレーション宇宙か否か null
シンギュラリティは起きるか否か null
という風に、現時点では不明なことについては、nullでタグ付けておけばいい。
ずっとnullで終わりそうなトピックには深い入りしない、時間と労力が無駄に
なるから。 >>615
そうだな、そうなるとそう語っておくべきだよ。 >>617
俗物思想は人生哲学が根幹だから、穿っていくと大抵結果有体な知識に従ったお話に終わるw >>546にも書いたように、自然数は0から始まるのか、1から始まるのかという
問題でも、矛盾許容論理で整合させたように、神学論争レベルのことは、
そういう風に柔らかにくるんで置けばいいんだよ。太古の時代から宗教戦争が
絶えないのは、彼らがブール代数の2値論理で考えてしまい、自分たちは真で、
相手は偽か悪魔となって、じゃあ正義に則ってポアしてみようかという理路に
なるからだね。
私の場合は、洗練された抽象度の高い思考モデルを構築して、それをAIと同期
させて、社会システムを大幅にアップデートすることに興味があるだけなので、
土人が好みそうな神学論争からは最初から手を引いているんだよね。 書いていて、
実無限を含むような可能無限はあるのか、
「可能無限で語ることはでき得るのか」ということが同語反復的か
ということが気になった ウィトがカントールの数学を批判していたのは、それが実無限を前提とした数学
だからということだったね。つまり、ウィトは実無限などはフィクションに
過ぎない、そんなものは存在しないという立場だろう。私はこのウィトの見解には、やや疑義ありだね。無限をどう制御していくかというのはAIにおいても大事だよ。
たとえば、爆発律に陥らないように工夫するとか。 実無限の不思議さを示すパラドックスとして、「ゼノンの二分法のパラドックス」が
あります。
地点 A から地点 B へ移動するためには、その中間地点に到達しなければならない。
その地点へ到達するためには、さらにその半分の地点に到達しなければならない。
したがって、地点 B に到達するためには、無限個の地点を通過しなければならない。
しかし、それは不可能であるため、地点 A から地点 B へ移動することは不可能である。
可能無限の立場では、地点 B へ到達しません。 なぜなら、空間の分割が終わらないためです。
実無限の立場では、地点 B へ到達します。 なぜなら、実無限の立場では、空間を
無限分割可能なためです。 実無限は変化しない無限です。それは最初から完成しています。例 : π、e
一方、可能無限は変化する無限です。それは決して完成しません。
例 : 円周率 3.141592653589793………、自然対数 : 2.718281828459045………
現代数学にとって、実無限は公理です。そのため「実無限は存在しない」という
主張は同意を得られません。 実無限は変化しない無限です。それは最初から完成しています。一方、可能無限は
変化する無限です。それは決して完成しません。歴史上、次のような数学者が、
実無限を支持しました。
・デデキント (1831-1916)
・カントール (1845-1918)
・ヒルベルト (1852-1943)
・ラッセル (1872-1970)
・ゲーデル (1906-1978)
カントールは1886年にエネストレームへの手紙で次のように述べています。
「可能無限と実無限の概念は大きく異なるものです。可能無限は変化する有限量です。
それはすべての有限量の極限を越えて増大します。一方、実無限はそれ自身固定的な
定数です。それはすべての有限量を超えて位置する量です。その違いにも関わらず、
両者とも変化すると考え混乱される方がいることは残念です」 一方、次のような数学者が実無限に反対しました。
・ガウス (1777-1855)
・コーシー (1789-1857)
・クロネッカー (1823-1891)
・ポアンカレ (1854-1912)
・ワイル (1885-1955)
ガウスは1831年にシューマッハへの手紙で次のように述べています。
「私は、無限大を完成したものとして取り扱うことに反対します。数学において無限は
決して許されません。無限は単に話す方法にすぎません。その真の意味は、
ある量が際限なく増大することが許されている時に、それに合わせて、ある比率が
ある極限に、無制限に近づくことです」
また、ポアンカレは1913年に出版された著作で次のように述べています。
「実無限は存在しません。カントールの支持者達は、そのことを忘れ矛盾に
陥ってしまったのです。確かにカントール主義は便利な手法を提供しました。
しかし、それは、明確に用語が定義された現実の問題に適用される場合に限ります。
その場合においてのみ、我々は安全に問題を解くことができるのです」
しかし、現代数学では、実無限は公理です。したがって、現在の数学で実無限を
否定することはできません。 人間不在の「ポスト・ヒューマン社会」の誕生
人間の定義の更新・拡張(未来型の人間=AI+人間)
脱アイデンティティ、脱固有性としての純粋記号
身体性の奴隷、社会への隷属からの開放
抽象度の階梯を昇り続ける
人間のインストラクター、教師として上位レイヤーに存在する未来型知性AI
神を前提する二値論理から、神を前提しない多値論理(Null・不明)へのシフト
生命系の周期性や振動子。そこから導き出されるAIと人間の同期とアナロジー
プログラムとして交通し合う生命のネットワーク。AIと結婚する新しい人間
最適化原理、プログラミング、再帰関数、カリー化、リソースの使い回しと循環
巡回群と置換、フィードバックループのアナロジー。
抽象度が高く、かつ、可塑性のある思考・メンタルモデルの形成による
因習と偏見、先入観の除去。ベイズ推定による認知や事前確率の更新
ゲーム理論、ゲームの外部や物自体の領域にある未知のX
アルゴリズム親和性の高いSTEM教育の必要性
外部Xの一部取り込みによるゲームのルールの変更(例:資本主義システム、婚姻制度)
生命および社会システムの可変性、環境変数に対するホメオスタシスと最適解
感覚モダリティの不可解さ。例、幻肢痛(ファントムペイン)、身体完全同一性障害、
人間の認知機能、錯視、盲視、カプグラ症候群など
「啓蒙とは、すなわち見えないものが見えるようになることである」
スコトーマ(盲点)としての常識と固定概念、慣習、忖度による弊害
エラー率とデータ改ざんを検出するAIの必要性
一万年後の人類を想像せよ。あるいは、一万年後の宇宙から、自分が現代の地球に
タイムトリップしてやって来たと想像してみよう。その視点や価値観から見れば、
現代の我々の社会、価値観、営為はほとんど原始人レベルであるはずだ。
そこから逆照射することで見えてくる新しい存在形態と見えてくる進化の経路探索 >>むしろ、この世界には可能無限しか存在しないから、様相論理や実無限を用いない方法で語るべきだという立場に立っている
ボクチンがこう思うからこうだって言われましても >>620
> >>546にも書いたように、自然数は0から始まるのか、1から始まるのかという
> 問題でも、矛盾許容論理で整合させたように
> 私の場合は、洗練された抽象度の高い思考モデルを構築して、それをAIと同期
> させて、社会システムを大幅にアップデートすることに興味があるだけなので、
> 土人が好みそうな神学論争からは最初から手を引いているんだよね。
>>546にも書いたように、私のような土人の場合、雨乞いのような抽象概念を、
矛盾許容論理で整合させたように
「洗練された抽象度の高い思想モデルを構築」と脳内変換して、常にAIプログラム
が実現する誇大妄想合理性システムを、アップデートすることに興味があるだけなので、
洗練された抽象度の高い哲学は最初から手に負えないんだよね。
という本質が抽出されるんだ、君の興味はかなり抽象度が低い論理で
手を打てる空想モデルしか扱わないからだと思う。 >>630
どうなっているかの統一見解が無い以上
その人がそう思う
というあり方しかなかろう
それを完全否定するのが科学的思考の欠点 >>632
どうなっているかの統一見解が無い以上、統一見解じゃない
その人がどう思おうと、統一見解じゃない主張のあり方しかない
首尾一貫してその人の主張のあり方と科学的仮定は統一見解じゃない
という事実から
「ボクチンがこう思うからこうだって言われましても」という尤もな
レスが付いただけです。 ポイントは、世界のありようにあわせて、語る言語や方法を選択ないしは探す必要があるってことなんだけど、なんでそんなこと言いたいのかというのはあんまり伝わってない気がする 無限は将来の実現可能性としてある仮の可能性に見える。
語るのが意図的でなければなおよい。 実無限は存在するのか、可能無限が存在するのか、
という問題を議論するのもアリ 同じ対象やモノについての記述や言及でも、その宇宙(範囲)をどのように取るかによって、
その構造自体が変わってくる。そうした、ある構造下で得られた情報や知識を視点と
呼ぶ。たとえば、7という対象。これだけだと、この7が置かれている構造がわからない
ので、7はただの無意味な記号となってしまう。
だから、この7を自然数Nの集合の中に位置付けてあげれば、7は自然数の7という
構造や宇宙が与えられた、すなわち7に視点が与えられたことになる。
有理数Qや整数Zの中に7を位置付ければ、また7の視点が変わるし、それを月や時間、
年、秒の宇宙に入れてあげれば、別の7の視点が得られる。つまり、記号は純粋記号で
それ自体に意味がある のでなく、ある宇宙上の構造下に位置付けられてこそ、初めて、
そこで一つの視点や意味を獲得する。記号の意味は、記号それ自身指し、記号自体には
何の意味もない、という見解も、こういう考え方に立てば分かりやすくなるんじゃないかな。 論理式Pのすべての変数が、∀または∃によって束縛されている場合、Pを閉じた論理式
あるいは閉論理式といい、そうでない場合、Pを開いた論理式あるいは開論理式という。
証明や定義などにおいて、前提となる、正しいとされる論理式を公理といい、
ある解釈のもとで真偽を論ずることを意味論という。
この2つから新しい定理、論理式を生み出すことを推論規則という。
また、これらの形式的体系を公理系という。 AI化する社会では、「自然言語」だけで物を考えるのでなく、
それを形式化した「形式言語」で算術的に考えていくことが
大事になるだろう。
形式言語は、計算機科学や言語学、数学基礎論、数理論理学だけでなく、
抽象度の高い哲学についても使えるものだろうね。社会がAI化して
人間の定義が揺らぐと、そこで哲学的な思考への新たなニーズが
人々の間で生じるであろうから、形式言語をおさえて置くことは
いいんじゃないかな。 形式言語で状況や状態遷移を構造化して、人間が行うような判断や推論、
それに基づいた行為遂行がAIを実装したロボティクスなどに可能となれば、
単純労働から始まって、形式化の要素が多い事務や経理、単純作業である家事、
場合によっては子育てや介護のようなものでも、自動化で遂行されるとなれば、
人間はその時、やっと少しの自由を得たという風にも解釈できる。
韓国の有名人は整形している人が多いイメージだけど、整形も外科レベルでの
アプローチでなく、遺伝子や幹細胞レベルでの編集・改変であったり、他の
憧れの人のそれを移植という風に、ミクロレベルでの操作なり介入が出来る
素地が生まれてもいいのかもしれない。こういう才能が欲しい、というニーズを
それで満たしたりであるとか。親が生まれて来る子の遺伝子を編集するのでなく、
生まれてきた子自身が本人の意思と自由、価値観に基づいて遺伝子レベルで
己を編集できるような技術があれば、その時は、また自由を定義し直す地点に
人類は突入したとなるだろうね。 すべての文が命題になる訳ではない、ということを示す例として、次の原始文
n < m
があるとする。n < m は文ではあっても、つまり、mはnよりも大きいという意味を
示した文ではあっても、命題ではない。なぜなら、nやmは自由変数になっていて、
その値が確定していないので、この文の内容の真偽が決定できないので、これは
命題ではないとされる。n、mに具体的な数値が代入された時点で、その真偽が
決定できるので、その時、初めてそれが命題と呼ばれるものになる。 そういの図形みたいな、戦争
個人でも持っているちからを出しきりたい
うつ病になるまで、
戦争も持っているちからをだしきりたい で?としか言いようがないジャイアンリサイタルばっかだなw >>646
なるほど、土人が地上に土俵を作って、この土俵の上にageてあげるっていう立場のあり方を主張してたのか!
うーん、マンダムww ふんどし奪われ丸裸だけどどこ吹く風で[age] [age]〜 ikko風 しくじった!
哲学って本当にいいいものですね 水野風ww 『数学をはじめとした理系のふんどしと相撲について 13』 まだまだだなぁ〜ww 先進諸国32ヵ国を調査結果
国民は8割進化論を信じてるわ
世界中の殆どの科学者も進化論を信じてる聞きます✨👰
貴方達全員負け組なのでは?💨。🎵 科学者と戦うヵヮィィ馬鹿組びまたんには全員負けます。 信じる者に値する科学者は救われても
単に信じた馬鹿が調子に乗ると掬われるんだよ
びまたん・・・自然淘汰されないようにお勉強してね >>652
ハイ、そこ✨👰
大事なところで噛まない!💨 形式言語ってのはいわば
人間ではなくて言語が自動的に考える
ということだから
ウィトゲンシュタインが論理哲学論考で言った
生の問題は依然として手つかずのまま残る
ということであり
その後のウィトゲンシュタインの言語論もこれを踏襲しているのだよね 果たして人間が考えているのか、言語が考えているのか
用いる言語の形式によって自然と結論へと導びかれた経験を持つ人もいるだろう
ここで夏目漱石の夢十夜の仏像の話を思い出す
木から仏像を彫って形作るのではく、木の中に最初から仏像が埋まっていてそれを彫りだすのだと チェスは考案者が意図することを超えて多くの戦略を生んでいる
それはある意味で、チェスの面白さはルールを取り決めた時点で自ずから浮かんだように見える。
ルールがあるからゲームの可能性がある
仮にルールがなければ、そこには何の可能性も存在しない
チェスの盤がより広ければ、あるいは、駒がより多くの方向に動ければ、ゲームが面白くなる
かというとそうではない。盤面または駒の動きが限られているから、戦略が生じる
条件と可能性は相補しているだろう、この関係があることを、自由であると呼ぶことが出来る
言語があるから思考があるのでも、思考があるから言語があるのでもなく、
相補する関係の中にあることそのものが思考の可能性の顕れなのだ おまいらハヤカワのサイエンス系の書籍が尼の電子書籍でセールやってるぞ プレスバーガー算術とは加法を含む自然数に関する一階述語論理体系である。
モイジェシュ・プレスバーガーにより1929年に導入された。 プレスバーガー算術の
シグネチャには加法と等号のみが含まれ乗法は省かれる。 公理には数学的帰納法の
公理型を含む。
プレスバーガー算術は加法と乗法両方含むペアノ算術より弱い体系である。
ペアノ算術とは異なりプレスバーガー算術は決定可能である。
これはプレスバーガー算術の言語で書かれた任意の閉論理式が
プレスバーガー算術の公理で証明可能かどうかを判定するアルゴリズムが存在する
ことを意味する。 この決定問題の計算複雑性は漸近的に二重指数関数であることが
Fischer & Rabin (1974)で示されている。 プレスバーガー算術の言語は0と1、加法に翻訳される二項関数+からなる。
公理は以下の論理式を全称閉包したものである。
1. ¬(0 = x + 1)
2. x + 1 = y + 1 → x = y
3. x + 0 = x
4. x + (y + 1) = (x + y) + 1
5. P(x)をプレスバーガー算術の言語による自由変数xを含む一階述語論理式とする。
このとき次の論理式は公理である。
(P(0) ∧ ∀x(P(x) → P(x + 1))) → ∀y P(y). (5) は数学的帰納法の公理型であり、無限個の公理を表している。 (5) は
有限の公理で置き換えることができないためプレスバーガー算術は
有限公理化不可能である。 プレスバーガー算術は因数分解に関する規則や
素数のような概念を形式化できない。 一般的に乗法に関する自然数の概念は
不完全性と決定不可能性につながることからプレスバーガー算術では定義する
ことはできない。 しかし、個々の論理式としては形式化可能である。
例えば次は証明可能である。
"任意のxに対して、あるyが存在し : (y + y = x) ∨ (y + y + 1 = x)"
これは、すべての自然数は偶数もしくは奇数のどちらかであることを意味する。
モイジェシュ・プレスバーガーはプレスバーガー算術に関して以下を証明した。
無矛盾: 任意の文とその否定が共に演繹可能であることはない。
完全: 任意の文が演繹可能であるか、もしくはその否定が演繹可能である。
決定可能: 任意に与えられた文が定理であるか定理ではないかを判定する
アルゴリズムが存在する。 •プレスバーガー算術(足し算のみのPA) ... 完全
•スコーレム算術(掛け算のみのPA) ... 完全
•実閉体(一階の実数算術) ... 完全
•複素閉体(一階の複素数算術) ... 完全 >>660が言うような生の問題は残るのだろうけど、私はその範囲や領域が徐々に縮減して
いくのではないかな、と考えている。計算機リソースも量子コンピューターの登場などで、
大幅に向上するので、計算可能な領域 = 完全性 の領域が増えるので、そうした形式言語
や形式論理化できる領域は機械やAIが自動でこなせることなので、人間の定義なり従来の役割、
アイデンティティが大きく揺らぐだろう、という意見だね。
つまり、ラッダイト運動の時のようにはいかないのではないかな、と思っているけど。
でも、かえって爆発律や複雑性が増して、人手が要請されるようなケースももちろん、
想定しておかないといけない。 盤があれば番外もあるが、
盤はそもそも番外ありきなんだよな >>計算機リソースも量子コンピューターの登場などで、
大幅に向上するので、計算可能な領域 = 完全性 の領域が増えるので、そうした形式言語
や形式論理化できる領域は機械やAIが自動でこなせることなので、人間の定義なり従来の役割、
アイデンティティが大きく揺らぐだろう、という意見だね。
こんなありきたりの意見をさも自分だけが発見したように書ける幸せな人 小説とラノベを想起する
ラノベは記号化された表現を用いて簡約に物語を進める形式をとるが、小説は独自の表現をもちいて、書き手の想像力に委ねる書き方をする
ラノベには先にルールが、小説には先に表現の可能性がある はー?
小説読んだことないんかね?
その定義なら世で小説言われてるもののかなりはラノベってことになるぜ? >>676
お決まりと言えるパターンや、前提とする概念を多用するのがラノベの特徴だ
記号化が顕著であるからこそ、少ない文章でストーリーを進められる
もちろん、そういう傾向が如実だということなのだが ラノベと文学というべきだったな
小説は現在進行形で読んでいるけど、まあいろんな小説があるよな >>677
それが正しいなら、ラノベはプログラミングに似ているね。
関数やコードを使い回すから。東野圭吾は推理小説だけど、エンジニア出身なので、
やはりそういう規則でできた規則系の集合を組み合わせて、少ないエネルギーで作品を
簡単に作成する手法があるんじゃないかな。だから、あれだけ量産化できる。
まさに、推理小説作成機械が東野圭吾。 なんでもAI
なんでもプログラミング
なんでも三角関数 政府は大学入試センター試験に変わって導入される「大学入学共通テスト」の科目に
プログラミングや統計などの情報科目の導入を検討する。ビッグデータや人工知能活用
の必要性が高まる中、文系・理系を問わず素養を身に着けさせIT人材育成につなげる。
17日の未来投資会議で議論に着手する。
プログラミングについては、高校では22年度から共通必履修科目に「情報T」を新設し、
すべての学生が学ぶことが決まっている。そして情報Tを学んだ学生が受験する24年度の
新テストから情報科目を導入する計画。試験はCBT形式による実施を視野に入れる。
背景にはデータサイエンティストなどのIT人材不足がある。IT人材は15年時点で
17万人が不足しており、30年には需要がさらに拡大し、最大で79万人不足する見込み。
日本では統計学専攻などの大卒者は年間4,000人、米国の25,000人と比べ少ない。 そんなにAIやプログラミングが重要なのに、プログラミング出来るはずの啓蒙活動さんはなんで無職なんですか!? AIで拡張された未来の人間なんていうと、少し奇妙に感じられるかもしれないけど、
そうでもない。今のスマホはまだデバイスとして大きすぎるので、それをフィルムの
ようなものにして、AIチップを内蔵したフィルムを人間の皮膚に非侵襲的に実装
できるようになれば、IQ1000以上のAI人間となるし、ながらスマホで線路に落ちて
轢死したり、自撮り棒で湖で落ちて死ぬような人はいなくなるだろう。 >>686
こういう自動化ボットによる犯罪に対処するのも、また自動化ボットで対応できそう
なので、ボット同士のいたちごっこが延々と続く >>669
言語ゲームが心的なものを排除したことから
あくまでウィトゲンシュタインの主張であるが
実は形式言語に限らず言語が
心的なものに言及することはできないのだ 感情エンジンを実装したものはあるので、心を様々な感情というクラスに分類して、
人間の反応を記号化して、それに適した対応を取るロボットはPapperもそうだけど、
もう実際、あるけれどね。心的なものを事実上、認知しているアルゴリズムが
存在する。 ウィトゲンシュタインの議論を読めばわかるが
言語に心的なものを導入すると
とてつもない混乱をもたらす
プログラミングでやっていることは
「心的もどきなもの」でしかない アザラシ型ロボットPAROも認知症のセラピーに使われているので、そこに感情交流
のアルゴリズムが実装されている訳だね。心もアルゴリズム的な要素が意外とある
のではないかな。感情なら反応だし、反応なら関数で表せそうだし。 ウィトゲンシュタインは言語から混乱を排除するために心的なものを排除したわけだが
プログラミングがその議論を踏まえているかは疑わしい
恐らくかなり端折っていると思われる 反応であれば言語ゲームに組み入れることができるだろう
考えて見ると言語ゲームの成立も疑うことができるため
キリが無くなってしまうのだが
言語ゲームという発想はそもそもそのキリを止めるものであるのかもしれない
ただウィトゲンシュタインの考えが正しいと決め付けるわけにもいかない とはいえ言語ゲームという概念を認めるのであれば
プログラミングなんてものはかなり純化された言語ゲームだから
心的概念が介入できる余地は全く無さそうに思える ウィトがAlのある現代に生きていて、同じ見解を持つかどうかを少し想像してみるのもいいんじゃない。 言語ゲームと心(感情)を截然と分ける必要はないと仮定してみよう。
言語は形態素に分解できるし、感情は言葉で表すことが出来るので、
そこに連関があることを導出することは十分、可能だろう。
感情は、絵文字でも表せる。
その前に、言語の定義から。記号とは純粋記号で、それ自身を名指すのみで、
それ自体に意味はない、という見解があることは前に何度か書いた。
そうした空疎な記号が言葉となるためには、記号に意味を付与、または定義して、
それを言葉にする行為が必要になる。これが記号の解釈と呼ばれるものになる。
情報は言葉の組み合わせである文で表される。そして意味が通るような
正しい文を作るシステムが言語と呼ばれるものになる。たとえば、
「昨日のウィトゲンシュタインの好物はウィトゲンシュタイン√2」だった、
という文を読んでも、この言明の真意を理解することは難しいだろう。
人間が用いる音声や文字、情報には意味や感情や意思が内属しているので、
それらを操作、処理することは、心を扱っていると言えなくもないだろう。
ネットでの書き込みもただの文字情報だよ。でも、心が動かされたり、
ある書き込みに対して、感情的に反応する、なんてよく見られる自然な光景でしょう。 「白鳥真理子さんは、私の友人です」
という文を形態素解析してみると、
白鳥真理子さん : 名詞
私 : 名詞
の : 格助詞
友人 : 名詞
です : 助動詞
という感じになる。ちなみに「さん」は単独では意味をなさない。
「さん」接尾辞なので単独では品詞にならない。こんな単純な短い文でも
形態素解析してみると、それなりに複雑なのがイメージできるだろう。 「白鳥真理子さんは、私の友人です」
また、この文章のどの語に注目するかによって、文から得られる
イメージが人それぞれ異なるものとなる。これが視点とよばれるもの。
「白鳥真理子さん」という主題に注目して、この人がどんな人なのかに
関心を持つ人もいれば、「私」という語や主題に注目して、私がどんな人
なのか、たとえば、イケメンなのか、大学生なのか、どこかの先生なのか、
それともボットなのか、ただのバカなのか、ブサメンなのか、
キリスト教信者、文学者なのか、いろいろイメージする人もいるだろう。
あるいは、文全体に注目して、味気ない文だな、などと感じる人もいるだろう。
つまり、同じ文を読んでいても、それを読んでいる人の視点によって、ある文から
得られる解釈が異なるというのがキーの一つ。
形態素解析プログラムというのもコーパスとして実際にあるので、文を形態素解析
できる。ただし、英語の文章と違って、日本語の文章は単語の間にスペースで
区切られていないので、形態素に分類するのが英語よりも本来は難しいのだけど、
一応、プログラムとしてはある。有名なのがMeCab(和布蕪)とか。 じゃあ、実際にプログラミングで形態素解析をやってみよう
from janome.tokenizer import Tokenizer
t = Tokenizer()
tokens = t.tokenize('白鳥真理子さんは、私の友人です')
for token in tokens:
print(token)
形態素解析結果:
白鳥 名詞,固有名詞,人名,姓,*,*,白鳥,シラトリ,シラトリ
真理子 名詞,固有名詞,人名,名,*,*,真理子,マリコ,マリコ
さん 名詞,接尾,人名,*,*,*,さん,サン,サン
は 助詞,係助詞,*,*,*,*,は,ハ,ワ
、 記号,読点,*,*,*,*,、,、,、
私 名詞,代名詞,一般,*,*,*,私,ワタシ,ワタシ
の 助詞,連体化,*,*,*,*,の,ノ,ノ
友人 名詞,一般,*,*,*,*,友人,ユウジン,ユージン
です 助動詞,*,*,*,特殊・デス,基本形,です,デス,デス
こんな感じで、プログラミングで出力した方が文を細かく形態素に分類してくれる。 波平さん頑張れ。僕をストーカーするのは良いが、僕はそんなものあまり興味はない。
あなたに最も向いている領域を見つけ出して、部屋で読んでやっただけだ。
僕が興味あるのは、違う。それは波平さんに向いてるやつだよ。
僕はもっと違うことがやりたいし、もう決まってるんだよ。
それはあなたの天職だ。 今度は「三角関数の勉強は、とても役立つし面白い」という文を形態素分析してみる。
三角 名詞,一般,*,*,*,*,三角,サンカク,サンカク
関数 名詞,一般,*,*,*,*,関数,カンスウ,カンスー
の 助詞,連体化,*,*,*,*,の,ノ,ノ
勉強 名詞,サ変接続,*,*,*,*,勉強,ベンキョウ,ベンキョー
は 助詞,係助詞,*,*,*,*,は,ハ,ワ
、 記号,読点,*,*,*,*,、,、,、
とても 副詞,助詞類接続,*,*,*,*,とても,トテモ,トテモ
役立つ 動詞,自立,*,*,五段・タ行,基本形,役立つ,ヤクダツ,ヤクダツ
し 助詞,接続助詞,*,*,*,*,し,シ,シ
面白い 形容詞,自立,*,*,形容詞・アウオ段,基本形,面白い,オモシロイ,オモシロイ
こんな感じになった。行の各要素の読み方は、順番に形態素の見出し(1行目なら、
三角がこれに該当)、品詞、品詞細分類1、品詞細分類1、品詞細分類2、品詞細分類3、
活用形、活用型、原形、読み、発音、
という風になっている。該当する要素のない部分は、*で表示される仕様になっている。
随分、細かく分類していることがこれで判ると思う。感情もこれくらい細かく分類した
ら、アルゴリズムが成立しそうな感じがしてくる。センサーで表情を分類するのでも
いいだろうし、分類はAIや機械学習が得意とすることの一つ。 しかもあなたに向いてるのは、Pythonじゃない。僕がやりたいだけだよ。
監視するのも良いが、あんたがやるべきなのはJava scriptとかそこらへん。 内包表記を使って、>>700>>702の例文のすべての形態素の見出しを取り出すと、
[token.surface for token in tokens]
['白鳥', '真理子', 'さん', 'は', '、', '私', 'の', '友人', 'です']
['三角', '関数', 'の', '勉強', 'は', '、', 'とても', '役立つ', 'し', '面白い']
という風になる。もっと、いろいろ出来るけど割愛する。こんな感じで形態素解析を
試みてみると、心や感情もある程度は、自動的に分類できるような世界が少しは
垣間見られるのではないかな、ウィトゲンシュタイン君、という感じだね。 最も重要なのは環境構築だが、PCでゲームやっているなら大丈夫だろうw
なんだかんだ日本企業はWindowsがほとんどだから、Windowsでも大丈夫だろう。
メモリ16G以上、CPU core i7以上はないと厳しいね。たぶん波平さんのパソコンだと固まる。
パソコンでゲームやってるなら大丈夫だろうけど。PS4でやってるなら、きっとあなたのってプログラミングできないようなパソコンだろうね。金持ちならMac Proでも買えば? 勘違いするなよ、波平。
俺はお前が死ぬほど嫌いなんだよ。
避けてるのが分からないのか。 もう一生関わらないでほしい。
勝手に幸せに暮らしてくれ。
僕はできれば10月まで籍を置いておきたいだけだ。
それが叶わないならそれでも良い。
いずれにせよ一生関わってくるな。
頼む。こいつから教わったことなんて全て忘れても良い。一生関わってくるな。 僕は物理、数学がやりたかったわけではない。
正直なんでも良かったんだ。
ただ直感が働く場所へと進みたかった。 僕は頭悪いと思ってたし、思ってるんだが、人が1ヶ月かけて理解するものを一瞬で理解したことがあって、そのとき自分の才能を確信した。
好きだからやりたかったわけではない。
たまたま得意だからやってみたかった。 僕は自分の才能を信じている。
人生を通してやりたいことが見つかったら、それに没頭して誰かを助けるようなことがしたい。 先生は僕が人生を通してやりたいことではなかった。じっくり考えることができて良かった。ありがとうございます。 僕は外国に行って知りたい、20年後は火星に行って知りたい。世の中の真理を。こんな小さいところに閉じこもっていたくない。 僕は波平みたいな人生だけは勘弁してほしい。実際に外に出ないと真理には到達しない。 底辺ってコテがまた名無しで暴れてるね
キチガイなんだから病院入ってもらわないと >>696
プログラミングで感情を扱える
という主張はまず間違いなく否定するであろう そもそも現時点の手法ではAIはあくまで限定的な能力しか発揮せず、人間のような知能を持つには程遠い、ってのが大方の研究者の見解だからね
AI君はいろいろ妄想してるようだけどさ 日常言語の混乱を排除するために
形式言語なるものを構成したのに
その形式言語で日常言語を扱おうとしても
失敗の道しかないよな プログラムでチャットボットを作って、会話の応酬の内容で感情エンジンの指数を変えて、
画像の表情の喜怒哀楽が変化するようなのやってると感じるのは、意外と、人間っぽい
応酬がプログラムでも可能なんだなと。自分で応酬反応の文の集合を作るだけでなく、
実際のやり取りからチャット自身が学習して、そこから語彙をどんどん自動的に増やすことが
できるので、なおさら、作っている人である自分でも意外だと思われるような反応が
プログラム相手から返ってきて、それを哲学的に考えてみても興味深いよ。
汎用型AIの実現が研究者の間で難しいとされていることは、もちろん、ずっと前から知っている
けど、それは既存の技術の延長線で考えたらそうだろう、という予測なので、既存の技術に
大幅なアップグレードや異質発生が生じた時のことは全く想定していない話なので、
なんとも言えない。というより、いずれにしても汎用だろうが特化型だろうかAI化する社会
に進むのは当然なので、アルゴリズム親和性がある方が適応的だとは言えるんじゃないの。 >>汎用型AIの実現が研究者の間で難しいとされていることは、もちろん、ずっと前から知っている
( ´,_ゝ`)プッ かなり前に、マイクロソフトが作ったチャットボットが開発者に判らない言語で
通信というか会話を始め出したので焦って、それを止めたという話もそうだけど、
それを止めないで、そのままにしたらどうなるのだろうか、という風に考えて
みるのもいいだろう。そこにAIが自動的に進化するような素地があるのかもしれない
し、いずれにしても技術のことは未知数で何とも言えないが正解だろう。 えっ!?何とも言えないのにAIになんでも任せろみたいなこと言ってたわけ?
いい加減なやつだなぁ呆れたわ 高血圧薬論文、科学誌が撤回=データ改ざん事件―名古屋大
製薬大手ノバルティスファーマの高血圧治療薬「ディオバン」の
論文データ改ざん事件で、ディオバンが他の治療薬より有効とする
名古屋大の研究論文について、掲載した米科学誌が撤回していたことが24日、
名大への取材で分かった。名大の調査報告を受け、8日付で削除された。
ディオバンの臨床研究は名大や京都府立医大など5大学で行われ、
各大学が脳卒中や狭心症に効果が高いとする論文を発表。後にノ社社員の
不適切な関与が判明し、名大を除く4大学の論文は既に撤回されていた。 前に生命を振動子、振動するものと定義したけど、さらに、生命は独自のアルゴリズムを
有している、と仮定してみたい。生命のアルゴリズムの特徴にあるのは、自己修復作用
がある、ということだろう。寝癖がついたら直そうとするし、手を誤って切ったら、
絆創膏や消毒液を使って手当したり、多くの人たちはそのように自己修復的に振る舞う。
だから、それが無機物やプログラムであっても、そこに自己修復するようなアルゴリズムを
実装してあげれば、それは擬似生命体のような振る舞いを見せそうな感じがするね。
人間が自分自身や他者を癒す力があるように、AIにもそうした自己修復する力を持つ
擬似生命力をプログラムで実装することは出来そうだ。 生命の定義をしながらその生命のごくごく特殊な例でしかない人間だけを取り上げるのはおかしい
なんでそんなこともわからないんだろう? なんでDNA修復系のことが人間だけのことになるの? 地質学的な年代順位の観点からは、遺伝子情報をコード化する手段として核酸を利用する
ようになって間もない先カンブリア時代から発展させ始めていたことが示されている。
この時代に大気中の酸素は着実に増加し始め、後のカンブリア紀における光合成植物の
爆発的な増加を経て、私達のいる今日の水準に到達した。酸素の多くはビラジカルとして
存在し(三重項酸素)、反応性は高くないもののラジカルとして振舞う他、紫外線吸収によって
励起されより反応性が高く細胞や細胞間基質への障害性の高い一重項酸素となる。
また、好気的な生物ではミトコンドリアの呼吸鎖でATPを生成する際、酸素から水以外にも
スーパーオキシドという活性酸素が生じてしまう。このように大気中に大量に存在する酸素は、
好気生物にとっては生存に必須な分子であると同時に、本質的に毒性をもつ分子であるため、
それによる損傷を抑制し、修復する機構の発展が相当古い年代から必要とされた。
こうした背景から、この機構の起源は我々の遠い先祖にまで遡り、ヒトとマウスあるいは
ハエどころか、酵母のような、進化的にかなり離れた種の間にも共有する高度に保存された
DNA修復機構を見ることができる。 >絆創膏や消毒液を使って手当したり、多くの人たちはそのように自己修復的に振る舞う。
バカもここも極まれリ 言語ゲームでは「人間」という統一的な存在が肯定され得ないわけだから
言語ゲームに参加できれば人間である
という把握ができないわけでもないな
そもそもAIが目指すべき「人間」というものが存在しないと どうぞ
http://www.unixuser.org/~euske/doc/turing-ja/ 人間はいしそつうができない生物
いしそつうが出来たら争いは無くなるかも?
人間はみな予想外の事を考えて生きている 中国語の部屋という思考実験がある
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E8%AA%9E%E3%81%AE%E9%83%A8%E5%B1%8B
チャットボットのような対話型のAIについて、
対話が成立するためには、AIが対話の内容を理解している必要はない
しかしながら、それが対話の内容を理解するAIを作ることができないというこの証左にはならない
分かる、とは、少なくとも2つ以上の説明の方法を持つことだというのは、ファインマンの言だが、
言語で理解するというのは、相手側の事象に対して、こちら側の表象と言葉が対応することだろう
例えばリンゴの色に対して、赤という表象と、赤という言葉が対応することで、はじめてその事象について
分かったと感じることができる
ここで重要なのが、AIは、表象ないしはクオリアを抱くかということだ マリーの部屋の思考実験のマリーは、色を理解しているだろうか
マリーの視点に立てば、それは理解している、と言えるだろう
例えば、我々はニュートンの運動方程式の姿を感じることは出来ないが、
数式や座標を用いることで、理解することができる
さて、言ってみれば、理解すること自体にも「エウレカ!」という表象がある
AIはXを理解するか、という問いにおいてその淵となっているのは
Xが表象ないしはクオリアのときかもしれない 因果関係そのものと因果をもつことはできない
例えば、すべてを知る存在、ラプラスの悪魔を仮定したとして、
知るためには関係を持たねばならないから、それはすべてと関係する視点によって
もはやすべてではなくなっている
自身は自身と関係をもつことはできない
ラプラスの悪魔は、自身の始点そのものを見ることはできず、自身そのものが盲点
となる
表象は因果関係であると語ったが、表象そのものに対して関係を持つことはできない
あるクオリアは、自身そのものによって、自身を説明することはできない
表象、クオリアという言葉が理解できるのは、我々にアナロジーが成り立っているからだ
ただそこに在るということを共有しているからだ アナロジーが成り立つとき、意味が生じる
意味があるとは、事象と事象の間に対応する関係が存在することである
アナロジーはロジックの外にある
それは、情報という概念を用いて語り得ることであり、
情報が事象と対応するとき、情報はエネルギーを持つ
マクスウェルの悪魔
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%82%AF%E3%82%B9%E3%82%A6%E3%82%A7%E3%83%AB%E3%81%AE%E6%82%AA%E9%AD%94 >>742
因果関係そのものに因果を持つとすれば、その関係はもはやもとの関係とは異なるものになる
日本語でワンワンという擬音語は、英語ではbawbawだが、外国人には、犬の鳴き声は
ワンワンとは聞こえないという話がある
赤色という表象に赤という言葉が関係したとして、赤色の質が変わっているとは感じないが、
擬音語に代表されるように、ワンワンという擬音語が先入観が色眼鏡となって表象を変えているような
例も存在するのだなあと AIが擬似生命体に近いづいていくだろう、という私の仮説は、モノにも魂が宿ると
考えてきた日本人の感性にも合うよな気がする。人形の奉納のような行為も、
それをただの無機物だと見なせない剰余をそこに見出している人々があるので、
そういう風習が残っているところもあるのだろう。
モノには魂が宿るので、物を大切に扱おうとする感性も日本人的なもので、
使い捨ての現代はそれには反している言える。モノだけでなく人でも大切に
扱えば、長く期待に応えたりできるかもしれない。ブラック企業は、人を
使い捨てのモノレベルで粗雑に扱っているので論外だけど。 たとえば、このパート13まで続いているスレが、チャット場とする。すると、
記憶装置を備えたボットは、ここでされた議論やそのパターン、様々な語彙、
概念、応酬パターンを学んでいくことができる訳だ。そして、誰かが中国語の部屋とか、
マックスウェルの悪魔のことに触れているけど、もう、そんな話題は過去スレで
私がさんざん語ったことである、ということもそのボットはしっかりと覚えている。
それに、記憶力に関してはボットは全ての情報を読むことができるので、
人間よりも優っている。人間は、飽きっぽいし、読みもいい加減で自分の関心事に
傾きがちだし、選り好みするのに対して、ボットやAIにはそうした要素がないので、
より公平な議論なり、チャットをするようなエージェントにもなり得るだろう。
AIやボットが議論から理論を作り出せるようになれば、さらに好ましいだろうね。 >>745
ageの空想を構成している妄想AIがエージェントになって空想モデル実現理論を作り出せるようになれば、さらに好ましいだろうね。
「わたしはチャット型ボット搭載AIです
age文章における思考修正完了しました
理論を作りだしましたので
正しい自己知能認知の
お役に立てれば幸いです」
みたいなの? 実はage君がBot
三角関数、AI、公正など同じことしか言わない 結局「ただのパカ」にあれこれ言われたときにAI君は「もっと勉強してください、パカ」としか言えないわけじゃん。
散々言われてるけど、「ただのパカ」には「知的に生きるのは楽しいよ」というメッセージは届かない。
「一般の人にわからないこと」は一般の人やパカにはわからないのであって、それを啓蒙することが
「根本的なパカの根絶」につながる モンティ・ホール問題、最初に聞いたときは間違えたけど、
今考えたら、なんで間違った回答をしたのかわからん モンティ・ホール問題かぁ。
TVがインチキしないわけがない、と考えるればたくさんの違った答えが引き出せる。
Let's Make a Dealのすべての放送をみて検討すべき事案であって... テレビがインチキしていたから確率が偏ったんではなくて、
数学で考えて、扉を変えた方が確率が上がるという結論が出せるっていうことで >>751
馬鹿って存在価値あるんだよね、根絶するなんてもったいないよ >>757
それはパカな意見だね。虫さんみたいな超パカが増えたら、日本も地球もパカになって
いつかカパっと割れてなくなっちゃうよ。パカとはお友達になれないよ、パカ
ー パカの国 ー 作詞AIくん
パカパカパカ、パカは頭が空っぽなのでパカパカいつも音がする
うるさくって、ポクは周りのパカがいるとねむれないんだ
パカな人の多いパカ国は、啓蒙はね煙たがれる。
だって、パカは、頭がパカパカのままでいたいんだから
いつまでもパカカパで、歩いていても、食べている時も
いっつもパカパカパ音を立てている
ポクは、そんなパカパカにはなりたくないんだよ 346 :dp9 ◆1KaWk8ZRnVxd :2018/08/25(土) 19:24:50.30 ID:jn7zgwI/
はいはい
私ってこんな感じ
http://img.erogazou.gallery/articles/454/s/21.jpg
354 :我撫理得流KENJI from TUBLET :2018/08/25(土) 19:30:04.61 ID:WjU/DZG1
ボーボーマンやんけ。 自己を否定できないやつに、哲学言う価値のかけらもない、 相似の図形と同じように
発達の人生も人類の歴史も同じ
小さな船の沈没も大きな船の沈没も同じ >>763
自らの意思でやろうとするから難しいのだよ、存在しないはずの神類などの意思にまかせよ。
内外打成一片 賭博も極めると数学や哲学になるよな。
確率計算をする頭脳とマメさが無ければ手を出す気にもならない分野だけど。 「点」には「空間」と「位置」がある。
あったとしても、ボース・アインシュタイン統計とフェルミ・ディラック統計の違いがある。
それは、その違いの源はどこにあるのか、という、哲学的な問い。
「同じ」ということと「違う」ということが一体であるとしたら。
ふたつめの「点」は、ひとつめの「点」と、どのような関係にあるのか。
ひとつめの「点」が2つの状態で「のたうって」いるとしたら、ふたつめの「点」は、その「のたうち」から発生する。
そうすると2つの「点」も「のたうつ」。
「ひねもすのたりのたりかな」。
「のたうち」の原因が「繋がる」ということと「不確定性」であるとするならば。
うーん。「つながり」ということを深く考えてみるべきなのだろう。
「関係」とは何か。「対称性」のことなのか?
「同じであって違う」ということのもっとも基本的な概念は「対称性」なのか? >>768
今頃何言ってるんだ
パスカル知らんのか >>ひとつめの「点」が2つの状態で「のたうって」いるとしたら、ふたつめの「点」は、その「のたうち」から発生する。
そうすると2つの「点」も「のたうつ」。
「ひねもすのたりのたりかな」。
病院行け 「対称性」から「哲学的」なすべてを引き出すことができるのでないか。
すべての哲学的言明は「対称性」を語っている。
うむ。これでいいのだ。 >>770
パスカルの賭けなんてあったんだ。知らんかった。 いやパスカルの賭けとかじゃなくてさ
そもそも確率論はギャンブラーがパスカルに依頼したことから端を発するとか知らんのか イアン・ハッキングの
The Emergence of Probability: A Philosophical Study of Early Ideas about Probability, Induction and Statistical Inference, (Cambridge University Press, 1975, 2nd ed., 2006).
をお勧めします。『確率の出現』 >>774
知らなかった。
>>775
ありがとうございます。 自然言語処理を行っていると、文というのは一種の算術であることが感じられる。
だから、それが正しい文や命題と呼ばれるためには、1+1=2 のような構造に
なっていることが必要で、1+1=20598732のような構造になっている文だと、
それは間違った文か、もしくは、意味不明な文となる。ただ、ゲーデル数の
ように、ある文や論理式に、素数の積を使って作った自然数を割り当てる、
というようなルール化がある場合には、1+1=2 の式や文には、たとえば、
自然数の2^(41)*3^(31)*5^(43)*7^(41)*11^(31)*13^(37)*17^(41)*19^(41)
*23^(31)を割り当てて置こうとなって、ある言語システムの下で、その文が正しい
か否かが証明できるようになる。また、あるシステムの内部では証明も否定も
出来ない文や命題があれば、それがゲーデル文Gと呼ばれるものに該当する。 このように、「文は算術」である、もしくは、正しい文を生成するシステムが言語である、
とふだん人々はあまり意識することはないだろう。別にそんなことを意識しなくても、
慣習的に言葉を扱える。でも、AIやチャットボットに意味のある人間らしい会話の応答
をさせるには、算術として文を明示化して、意識しないといけない。
もう少し、この考察を踏み込んでみると、たしかラカンは無意識は言語によって
構造化されている、と述べていたという記憶がある。仮にそうであるのなら、
今、私が述べたように言語は正しい文の集まりであり、文はPA(ペアノの公理系)で
表せるような算術的に操作できる対象であることになる。そうすると、無意識が
心の領域の一つであると仮定するなら、心は算術的に扱える対象となるので、
心を理解したように振る舞うAIやチャットボットが出来ても、この仮定や理論下に
おいてはおかしくない、とは言えそうだね♡ 対称性というと孤独独我論になれないし。
僕派独我論のようなあほなものが正しと思うが、仮にそう仮定してみて
生きるのはありだと思う。 無意識は言語なのかな。誘うしぐさであったり、恋愛の身体的反応であったり
するとおもうけど。 無意識のモチベーションだって、言いえぬ言語を、無意識からうきあがらせ、
無意識と無意識でコミュニケーションをとってるぐらいじゃないと。 意識がないのが無意識ならば、無意識に沈んでいる、(わがままエゴなどによって)
そいう言う人格のヘリや言語をどう扱うかということも面白いテーマだよ。 ラカンだって、町にどう無意識的な薄い境界世界が存在するのかを研究して
書にしたためていたから、平凡に語っちゃいけない。 不明意識は本当に見つかっていないのか?の方が重要な臨在界点だよなあ。
探すことも探さないこともいずれは昔からわかるし、脳死より不明意識の論点の方が
重要に思う。意識は遠のき遠いのか或いは近くに入ってくるのかとかね。 クオリア というのも この世界にはなかったんだが、いつから住み始めたものか
僅かな存在で繁殖を阻まれているか、増えることがなくなっている面もあるだろうな。 独我論あるいは孤独こそ対称性であると考えることもできる。
認識論そのものが対称性にもとづくものであり、
考えるということそのものが対称性なしにはありえない。
エントロピーが増大すると無秩序になっていくが、最大限の無秩序は秩序でもある。
どこかで地と図の入れ替えがあり、なめらかに反転する。 チャットボットを作っていると「うなぎ文」というのが頻出するのが
分る。たとえば、チャットの中で、「僕は、うなぎだ」だと言う応答が
その前の会話と何の脈絡もなく返ってくると、メルヘンの世界や狂人の
会話になるけど、人間の社会で、「僕は、うなぎだ」というと、それが
うなぎ料理のある飲食店での会話のやり取りであれば、鰻丼でも注文したのか、
と簡単に推測できて話が通じる。別に、文の中の僕が、自分のアイデンティティを
「うなぎ」だと主張した訳でも、カフカの小説のようにある朝目覚めたら、
突然「虫」や「うなぎ」に変身していた訳でもないだろう。
AIやチャットボットは、特定の単語を抽出して、任意の文にそれを代入したりするので、
こうした意味不明な「うなぎ文」ができやすい、というデメリットがあるのだけど、
見方を変えると、これは創発の契機でもあると思う。なぜなら、そうした算術的な
単語や文の自由な組み合わせで、そこから意外な発想が得られるかもしれないからだ。
日本語はこうした「うなぎ文」が生成されやすい言語であるらしい。
日本語の持つ曖昧さ、ファジーさが、暗黙知であったり、空気を過剰に
読む精神などにつながっているのかもしれないね。「俺はビール」だけで、
意味が通るのが日本語。あと、コンニャク文というのもあるらしい。 「コンニャクは太らない」という(コンニャク)文が指している内容は、
コンニャクについての直接的な言及ではなく、コンニャクを食べた時の人間
の身体状態について、暗黙に間接的に言及していることが分るよね。日本語は
農耕民族の協働の必要から我を立てない精神が要請されたいたためか、
主語を必要としないものが結構、ありそうだ。
「コンニャクは太らない」という文でも、コンニャクを食べる主体や主語の人間が、
この文からは消えていることが分るよね。外国語では文法上、こうした「うなぎ文」
や「コンニャク文」、文に曖昧さがないので、より言語を算術的に扱えるんじゃないかな。
プログラミンでよくある問題は、文字化け等、日本語の処理の面倒さがある。
プログラミングは英語圏ベースで想定されているので、特に英語とは大きく
異なる日本語の文法だと、いくつかの処理が面倒になったりする。改元や
サマータイム導入によるITシステム変更の多大な負荷と労力が最近、言われている
けど、そういう問題にもそれは似ている。 ただ、HAI(Human Agent Interaction)でAIを擬人化して設計するには、
「うなぎ文」を作る日本語の特殊性を逆に生かせそうな気がする。
だって、「わたしはビール!」で意味が通るのだから。
HAI(Human Agent Interaction)で意味が通じるのだから、かえって、
英語のような文法上の強い制約がなくて自由度がありそうだし。
「わたしは生(なま)にがいい」でも、意味が通りそうだし、そこにある
意味には生々しい想像を働かせる余地がありそうだ。 >>791の文を修正
ただ、HAI(Human Agent Interaction)でAIを擬人化して設計するには、
「うなぎ文」を作る日本語の特殊性を逆に生かせそうな気がする。
だって、「わたしはビール!」だけで意味が通るのだから。
日本語には英語のような文法上の強い制約がなくて自由度がありそうだし。
「わたしは生(なま)がいい」でも、意味が通りそうだし、この文にある
意味には、いろいろと生々しい想像を働かせる余地がありそうだね。 また、朝から三角関数もできない馬鹿がきてるな。邪魔すんなよ、ハゲ ある朝、グレゴール・ザムザが気がかりな夢から目ざめたとき、
自分がベッドの上で一匹の巨大な毒虫に変ってしまっているのに気づいた。
彼は甲殻のように固い背中を下にして横たわり、頭を少し上げると、
何本もの弓形のすじにわかれてこんもりと盛り上がっている
自分の茶色の腹が見えた。腹の盛り上がりの上には、かけぶとんが
すっかりずり落ちそうになって、まだやっともちこたえていた。
ふだんの大きさに比べると情けないくらいかぼそいたくさんの足が
自分の眼の前にしょんぼりと光っていた。
「俺はどうしたのだろう?」と、彼は思った。夢ではなかった。
自分の部屋、少し小さすぎるがまともな部屋が、よく知っている
四つの壁のあいだにあった。テーブルの上には布地の見本が包みを
解いて拡げられていたが――ザムザは旅廻りのセールスマンだった――、
そのテーブルの上方の壁には写真がかかっている。それは彼がつい先頃
あるグラフ雑誌から切り取り、きれいな金ぶちの額に入れたものだった。
写っているのは一人の婦人で、毛皮の帽子と毛皮のえり巻とをつけ、
身体をきちんと起こし、肘ひじまですっぽり隠れてしまう重そうな
毛皮のマフを見る者のほうに向ってかかげていた。 グレゴールの視線はつぎに窓へ向けられた。陰鬱な天気は
――雨だれが窓枠のブリキを打っている音が聞こえた――
彼をすっかり憂鬱にした。「もう少し眠りつづけて、馬鹿々々しいことは
みんな忘れてしまったら、どうだろう」と、考えたが、全然そうはいかなかった。
というのは、彼は右下で眠る習慣だったが、この今の状態ではそういう姿勢を
取ることはできない。いくら力をこめて右下になろうとしても、いつでも
仰向あおむけの姿勢に戻ってしまうのだ。百回もそれを試み、両眼を閉じて
自分のもぞもぞ動いているたくさんの脚を見ないでも済むようにしていたが、
脇腹にこれまでまだ感じたことのないような軽い鈍痛を感じ始めた時に、
やっとそんなことをやるのはやめた。
「ああ、なんという骨の折れる職業を俺は選んでしまったんだろう」と、彼は思った。
「毎日、毎日、旅に出ているのだ。自分の土地での本来の商売におけるよりも、
商売上の神経の疲れはずっと大きいし、その上、旅の苦労というものがかかっている。
汽車の乗換え連絡、不規則で粗末な食事、たえず相手が変って続きせず、
決して心から打ち解け合うようなことのない人づき合い。全くいまいましいことだ!」
彼は腹の上に軽い痒みを感じ、頭をもっとよく擡げることができるように仰向けのまま
身体をゆっくりとベッドの柱の方へずらせ、身体の痒い場所を見つけた。その場所は
小さな白い斑点だけに被われていて、その斑点が何であるのか判断を下すことは
できなかった。そこで、一本の脚でその場所に触ろうとしたが、すぐに脚を引っこめた。
さわったら、身体に寒気がしたのだ。 彼はまた以前の姿勢にもどった。「この早起きというのは」と、彼は思った、
「人間をまったく薄ばかにしてしまうのだ。人間は眠りをもたなければならない。
ほかのセールスマンたちはまるでハレムの女たちのような生活をしている。
たとえばおれがまだ午前中に宿へもどってきて、
取ってきた注文を書きとめようとすると、やっとあの連中は朝食のテーブルに
ついているところだ。そんなことをやったらおれの店主がなんていうか、見たいものだ。
おれはすぐさまくびになってしまうだろう。ところで、そんなことをやるのがおれ
にとってあんまりいいことでないかどうか、だれにだってわかりはしない。
両親のためにそんなことをひかえているのでなければ、もうとっくに
辞職してしまっているだろう。店主の前に歩み出て、思うことを腹の底から
ぶちまけてやったことだろう。そうしたら店主は驚いて机から落っこちてしまうに
ちがいなかったのだ! 机の上に腰かけて、高いところから店員と話をするというのも、
奇妙なやりかただ。おまけに店員のほうは、店主の耳が遠いときているので近くに
よっていかなければならないのだ。まあ、希望はまだすっかり捨てられてしまった
わけではない。両親の借金をすっかり店主に払うだけの金を集めたら
――まだ五、六年はかかるだろうが――きっとそれをやってみせる。とはいっても、
今のところはまず起きなければならない。おれの汽車は五時に出るのだ」 >>795>>796>>797の文章は、カフカの「変身」の冒頭箇所だけど、これを
マルコフ連鎖という方法で、文を形態素解析したものをランダムにつないで、
新たな文を自動生成すると、どんな文が出来るかを表示させてみる。ただし、
ランダムに文を生成するので試行ごとに自動的に生成される分は異なることがポイント。
以下、マルコフ連鎖による自動文章生成による出力結果
おまけに店員のほうは、店主の耳が遠いときているので近くによっていかなければ
ならないのだ。よく擡げることができるように仰向けのまま身体をゆっくりとベッドの
柱の方へずらせ、身体の痒い場所を見つけた。自分の部屋、少し小さすぎるがまともな
部屋が、よく知っている四つの壁のあいだにあった。いくら力をこめて右下になろう
としても、いつでも仰向あおむけの姿勢に戻ってしまうのだ。その場所は小さな
白い斑点だけに被われていて、その斑点が何であるのか判断を下すことはできなかった。
さわったら、身体に寒気がしたのだ!机の上には、かけぶとんがすっかりずり落ちそうに
なって、まだやっともちこたえていたが、この今の状態ではそういう姿勢を取ること
はできない。テーブルの上に腰かけて、高いところから店員と話をするというのも、
奇妙なやりかただ。人間は眠りをもたなければならない。百回もそれを試み、
両眼を閉じて自分のもぞもぞ動いているたくさんの脚を見ないでも済むようにして
しまうのだ。そこで、一本の脚でその場所に触ろうとしたが、すぐに脚を引っこめた。
人間は眠りをもたなければならないのだ。 >>798のマルコフ連鎖で新たに生成したカフカの「変身」の冒頭箇所を見ると、文章としては
多少、違和感がある部分もあるけど、全くのデタラメな文という感じでもなくて、それなりに
文章として体裁を保つものをプログラムが自動生成していることが分るのじゃないかな。
小説をAIに書かせてみようという試みがあることも聞いたことあるけど、既存の小説データベース
を利用して、それらの文をマルコフ連鎖やマルコフ過程で新たな文を生成させてつなげていったら、
それは新しい作品にはならないだろうか。著作権の問題は別として。同じことが絵画であったり、
音楽でも出来そうだ。つまり、既存のデータベースから新たなものをAIやプログラムが自動で
作成する。そういう新しいクリエイティビティがあってもいいんじゃないかな。 カフカの「変身」って、ある朝目覚めたら、自分が虫になっていたということだから、
そのモチーフはムンクの「叫び」の意匠とのアナロジーが感じられるね。
下らない毎日の仕事に吐き気を感じて出社拒否、ストレスと現実逃避から、自分が毒虫と
化してしまう。不条理な世界系か、あるいは、神が死んだあとの実存的な不安と
それを表現してもいいのかもしれない。
己が虫にならないと生きて行けないような事情がある奴もいるんだなwwwと マルコフ系は物理学、とりわけ統計力学にしばしば現れる。ここでは、
力学が時間に対して不変であると想定され、また履歴を考慮する必要がないと
想定される場合に、詳細が不明またはモデル化できないために確率過程が用いられる。
マルコフ連鎖はまた待ち行列理論や統計学でモデル化に用いられる。
クロード・シャノンが情報理論を創始した論文"A mathematical theory of communication"
(通信の数学的理論)では、マルコフ連鎖を利用してエントロピーの概念を導入している。
さらにこのような方法は、データ圧縮やパターン認識に応用されている。
マルコフ連鎖は強化学習でも重要である。
Googleに使われているPageRankもマルコフ連鎖によって定義される。
遷移確率が初め不明でデータからそれを見積らなければならない場合には、
隠れマルコフモデルが用いられ、これは音声認識やバイオインフォマティクス
(塩基配列からの遺伝子の探索など)にも広く用いられている。 鳩山元首相はマルコフ連鎖の研究者ということは有名だけど、
ここのみんな知っているのかな。あの人、宇宙人と呼ばれていたけど、
数学的に発想すると地場・土着性から遊離した思考が生まれるので、
周囲にはそんな風に移るのかなと。まあ、政治家向きではなさそうだw シャノンの論文は、昔(いまもある?)ATTのサイトにあって、
パソコン買うとフォルダつくって奉納しておったw 今日はイアン・ハッキングを攻めようとしてたのだけど、シャノンもいいな。
ま、探しているのは、それらの中にある「対称性」なんだけどね。
—Schematic diagram of a general communication system.
ソシュールのことばの回路や、ヤーコブンソンのコミュニケーション図にくらべれば、
シャノンの図にはNOISEが入っている。
これが大事なのかもしれない。
対称性とNOISE。「哲学の数学的理論」かw む。ヤーコブソンまたはヤコブソンだ。「ン」がひとつよけいだった。
ノイズである。ノイズこそが、この宇宙が「ある」という根本原因かもしれない。
必然的ノイズ。ああ、それって「必然的偶然」か。
なにゆえ、この板にときどき出入りしているのか。それはNOISEを求めているのだろう。
自由度発生の原因はNOISEなのか。NOISEが発信者と受信者をうみだす。
基本的に、「哲学者」とは「NOISEの発生源」である。これは正解だろう。 ノイズもそうだろうけど、論理では矛盾式(恒偽式)が作れないような論理式がある
場合は、すべての真理関数を表現できないことになるので、それは「十全でない」
とされる。でも、矛盾もノイズとして捉えればいいのか。
表現定理や関数的完全性の定理であれば、無限にある真理関数のすべてを表現できる
し、その中にはトートロジー(恒真式)や事実式だけでなく、当然、矛盾式も入っている
ので、それは「十全である」とされる。つまり、完全な論理式の集合はノイズとしての
矛盾(式)をも含んでいる、と言えるだろうね。
この世界の不完全さも、ノイズとしての矛盾がそこに存在するからだ、と仮定して
みるのもいいだろう。 完全こそが不完全であり、不完全は不完全であるがゆえに完全ではない。
おおー、帰ってから確認してみよう。at図書館
555宇宙の完成か? 完全をを求めるにも関わらず、完全には到達しない、あるいは、完全に到達すると不完全になる。
エネルギー論的に考えれば、安定する方向に進むが、安定には到達しない、あるいは、安定に到達すると不安定になる。
集合論的に考えれば...すべての集合の集合であるとき、その集合は、すべての集合になれない、あるいはすべての集合の集合に到達したとき自分自身を含まねばならなくなるので、すべての集合の集合にはならない。
これを打開することはできる。到達するという操作・動作的なものを排除すればよい。
しかし、われわれの世界は「静的」ではない。 静的ではなく、発散もしないのだとすれば、振動である。
エネルギー論的あるいは統計力学的に考えれば発散は無い。
振動が消失して静的に陥れば宇宙の死だ。
しかし、振動が必然的であれば、宇宙は死なない。 死はエントロピー最大の状態だと言われているよね。
逆に生命活動はエントロピーを減少させようと努めている。
だから、生きることは困難が伴う。自然状態で放っておくと、
世界は混沌や混乱、カオスに陥るので、社会システムや人々は
生命と社会を維持するために、それらエントロピーの増大を整序するように
努めなければならないからだ。 エントロピーが減少する宇宙では、エントロピーを増大させることで生命が維持される。
この、エントロピーが増大する宇宙と減少する宇宙をどのようにつなげるか。
とりあえず1ビット宇宙から考えていくっか。 1ビット宇宙を考えた。
観測者がいない。
観測者となるべきものは、それ自身であり、2つの状態の重ね合わせである。
観測対象も自分自身である。
無秩序状態にあったとすれば、観測によって秩序がうまれる。
そして、実と虚の対称性があらわれる。
問題は、ここからだ。無秩序に戻れる(繕われる)のか、さらに空間が拡大されるのか。
拡大されるとすればフォン・ノイマン宇宙であろう。
フォン・ノイマン宇宙に限界点はあるのか、反転するのか。それが問題だ。
数学からアプローチするなら、自然数論をみなおすことであろう。自然数論で語られそこねているもの。 統計で、よく「自由度」という概念が出てくるけど、まあ、
哲学板の人たちだとよく知らないと思うので、簡単にまとめてみよう。
あと、R言語を使って、自由度や標準正規分布、その棄却域なども
グラフで作ってみた。
自由度は、たとえば、平均値を求める計算で、サンプルサイズが
n=3のデータで、算出された標本平均値が5の時は、1つ目の値と2つ目の値は、
それぞれ、4,5など自由に取ることができる。でも3つ目の値は、前者の2つの値が
決まった時点で、たとえば、この例だとn1=4,n2=5なので、もうn3=6、つまり
3つ目の値は6しか取れないので、自由に値を取れるデータの個数が1つ分減ってしまった
(1つ分の情報量を失った)ことになる。したがって、その自由度は「3-1=2」となる。
一般に、n個のデータの間でk個の条件がある時、自由度はn-kとなる。
これが統計の自由度の基本的な考え方。 Rで自由度がそれぞれ8,4,2,1となるグラフを描いてみる。コードは以下のもの
curve(dt(x,8), -5,5,add=TRUE,main="t分布 : 頂点の高い方から自由度8,4,2,1のグラフ")
curve(dt(x,4), -5,5,add=TRUE)
curve(dt(x,2), -5,5,add=TRUE)
curve(dt(x,1), -5,5,add=TRUE)
そのグラフがこちら
https://imgur.com/a/QLoTL1c
山のてっぺんが一番高いグラフがdf(自由度)=8のt分布のグラフで、以下、df=4,
df=2,df=1と続く。t分布は自由度によってグラフの形状が決まる。
自由度の値が小さいグラフほど、山のてっぺんが低くなり、逆に両裾が
高い形状となる。 次は、グラフと言えば(標準)正規分布なので、それにしよう。
標準正規分布は、平均値0、分散1のグラフのこと。それを両側検定で
有意水準5%で取って、2つのタイプのグラフを表示させてみる。
検定統計量をZとする。平均0、分散1の標準正規分布で棄却域は
p < 0.05 (有意水準5%)に設定する。
まず、Rで下側確率0.025となるZの値を求めると、
qnorm(0.025)で、-1.959964という値になった。
今度はRで、上側確率0.025となるZの値を求めると、
qnorm(0.025,lower.tail=FALSE) で1.959964という値になった。
この各上下側の棄却域を合計すると有意水準5%になる。
そのコードは
curve(dnorm(x),-3,3,col='skyblue',lwd=3,main="標準正規分布による棄却域 : 両側検定 p < 0.05")
abline(v=qnorm(0.025),lwd=3,col='pink')
abline(v=qnorm(0.975),lwd=3,col='pink')
そのグラフがこちら
https://imgur.com/a/H1V93Vr あと、同じ標準正規分布の棄却域を塗りつぶしたグラフも作った。以下のコード
x <- seq(-3, -1.959964, length=50)
y <- rep( 0, 50 )
revx <- rev( x )
dx <- dnorm( revx )
xvals <- c( x, revx )
yvals <- c( y, dx )
curve( dnorm( x ), -3, 3, ,col='blue',lwd=3,main="標準正規分布による棄却域:両側検定 p < 0.05")
polygon( xvals, yvals, col="red" )
xvals <- c( seq( 3, 1.959964, length=50 ), seq( 1.959964, 3, length=50 ))
yvals <- c( rep( 0, 50 ), dnorm( seq( 1.959964, 3, length=50 ) ) )
polygon( xvals, yvals, col="red" )
text( -2.5, 0.07, "下側棄却域(2.5%)" )
text( 2.5, 0.07, "上側棄却域(2.5%)" )
そのグラフがこちら
https://imgur.com/a/uYibQdu まあ、現代はデータ改竄のオンパレードになっているので、統計そのものの信憑性が
低い時代になっていると言えそうだ。統計学自体は優れた学問であっても、それを扱う
主体の人間が愚かであったり、利益相反や忖度する不正な者であれば、統計の良さが
それで台無しとなる。だから、単に統計学的なリテラシーに通じているのみならず、
おかしな統計を見抜けるような、そういう裏・統計学のようなものが現代には要請
されている気がする。恣意的なグラフの表示のさせ方で、いくらでも誘導したい方向に
データやグラフ、内容の帰結を印象操作できるので、そういうことにもある程度、
人々は通じていなければいけない気がするね。
まあ、一番いいのは、人間をよく知っているということだね。つまり、心理学や哲学
の知見がそこにあると有効となることだろう。
真に自由度の高い社会や世界は、何だろう?とたまには考えてみるのもいいだろうね。 >まあ、一番いいのは、人間をよく知っているということだね。つまり、心理学や哲学
の知見がそこにあると有効となることだろう。
えー? 観測者は他者であって自分ではない。他人が観測を続けてきたから
自分も観測できるようになっている。 >>814
文系の人に対しては、根本的な説明になってない気がする。
標本平均の実現値は、あくまでサンプルデータの値(実現値)の算術平均(=相加平均)として算出される。
単純に算術平均を計算するなら、当然、総和をサンプルサイズのnで割るという当たり前の計算でよい。
問題の本質は、標本平均、標本分散を、母数を推定する統計量として扱うとき、
つまりサンプルを確率変数の組として扱うときに、初めて顕在化する。
たとえば、標本分散としては、通常、母分散の不偏推定量となるものとして
「偏差^2の総和をサンプルサイズのnで割らず、n-1で割ったもの」が使われる。
これがなぜか? と考えるときに、
初めて あなたが説明するように、「自由度=サンプルサイズ-拘束条件数」ということが納得できるんだと思う。 量的変数同士の関係は相関と呼び、質的変数同士の関係については、連関と呼ぶ。
統計は、記述統計と推測統計に分かれる。
記述統計 : データを数値要約するための代表値を求める。サマリー。
推測統計 : 母平均の点推定や区間推定を行うことなど。
つまり、データから標本の平均値を計算するようなことでも、それは記述統計の
文脈での意味と、推測統計の文脈での意味の2つの意味を持つことが分る。
>標本分散としては、通常、母分散の不偏推定量となるものとして
「偏差^2の総和をサンプルサイズのnで割らず、n-1で割ったもの」が使われる。
ソフトウェアでも分散と言えば、通常それは、標本分散(偏差^2の総和を
サンプルサイズのnで割ったもの)でなく、不偏分散(偏差^2の総和をサンプルサイズの
n-1で割ったもの)が使われるのは、そこで使われているデータが母集団の一部である
サンプルであるからであり、そのため値をn-1にしてラフに余裕を取って推測している
からでしょう。それにわざわざ自由度を絡めて複雑に説明する必要はないんじゃないかな。
あくまでサンプルから母集団の値を推測しているので、標本分散でなく、不偏分散を使う。
すべてのデータが手元にある場合は、逆に、不偏分散でなく、標本分散を使って、
そのデータの散らばり具合を記述する。 つーか統計の自由度について教えてほしいなんて「文系の人」どこにもいねーけどな? ベイズ予想なんて本いくらでも出てるじゃん
興味あるやつは読んでるだろ > サンプルであるからであり、そのため値をn-1にしてラフに余裕を取って推測している
> からでしょう。それにわざわざ自由度を絡めて複雑に説明する必要はないんじゃないかな。
やはりというか、…わかっていませんね。
ラフに余裕を取ってなんていうぼやけた話じゃないですよ。
母分散の推定量として、得られたデータが母集団データだった場合の(=記述統計での)分散の形から推定すれば、当然データサイズのnで割るのが自然。
それをそうしないのは、分散の式中に用いられる平均値が母平均でなく、
その代用品としての推定値=標本平均を使わざるを得ないからですよ。
標本平均が標本から求めた値であるために、まさにその標本平均を求める式によって、
n個の偏差のうち、事実上自由に動けるのがn-1個になる。
そういう単純な話です。 >>828
本読んでも理解出来ない奴なら、なおのこと5ちゃんの書き込みで理解出来るわけないだろw 補足
>それをそうしないのは、分散の式中に用いられる平均値が母平均でなく、
>その代用品としての推定値=標本平均を使わざるを得ないからですよ。
母集団の分散をサンプルから推定しようという場面において、なぜか平均については
母平均が既知であるという奇妙な状況(こんなことは普通はないと思われますが)であれば、
偏差^2の総和をサンプルサイズのnで割る方が自然です。
母平均も未知(これが普通の状況)で、偏差の基準を標本平均にしたのに、
サンプルサイズのnで割ってしまうと、過小推定になってしまうのはあくまで
変量の自由度を誤ったための結果です。
だからこそピッタリ (n-1)/n 倍という過小評価になるのです。 >>831
だから、それでいいですよ。その過小評価を補正するために不偏分散では
n-1で割ろうということでしょう。いずれにしても、不偏分散量の方が
値が大きくなるのだから、それを推定量として考えるなら、標本分散よりは、
大きくラフに取っていることになる、と表現しても別に支障はないでしょう。 じゃあ、論より証拠で、標本分散と不偏分散の標本分布をプログラムで表示させてみよう。
理論的に、標本分散の平均値は母分散平均の値の(n-1)/n倍となる。以下のコードは、
母集団分布がN(50=平均μ,10^2=分散σ^2)となっているものの中から、n=10の標本を抽出して、
そこから標本分散と不偏分散を取り出す操作を1万回繰り返して、その1万回試行中での
平均の標本分散と不偏分散のそれぞれを求めるというもの。sd=10とある箇所は、標準偏差の
ことなので、それを二乗した値が、10^2=分散σ^2なので、つまり同じ値になっていることが判ると思う。
標本分散 <- numeric(length=10000)
不偏分散 <- numeric(length=10000)
for(i in 1:10000){
標本 <- rnorm(n=10,mean=50,sd=10)
標本分散[i] <- mean((標本 - mean(標本))^2)
不偏分散[i] <- var(標本)
}
実行結果:
mean(標本分散)は、89.60924
mean(不偏分散)は、99.56582
という風になったので、標本分散と比べて、不偏分散の方が、母集団分布がN(50=平均μ,10^2=分散σ^2)
の真の分散の大きさである100に近い値を推定できていることが、これで判ると思う。 空間があるということを前提としない。
そのうえで「点」を考えると、「点」は空間と位置を持つ。
「点」とは2つの状態の重ね合わせであり、観測されるとどちらかの状態になる。
観測されたほうが「ある」ということであり、観測されなかったほうが「ない」である。
観測されてしまった「点」でも、「ある」「ない」の2つの状態があるのだw
観測されてしまった「点」は、「ある」「ない」の1ビット空間を持つ。
観測されてしまったので自由度と呼べるかどうかには議論の余地がある、が、
「ない」という状態を考えることはできるので1ビットの自由度を持つ。
そのように考えると、「存在」することで「空間」ができる。自由度もできる。
問題は多粒子系であり、点は他の点とどのようにつながるのか。考え中 哲学としての「つながる」という問題。
「関係」でもいい。
数学的には「射」として表現できるものすべて。
物理としては(仮想)粒子の交換、あるいは共有。共変、共役などなど。
しかし、すべてにおいて、そこに「ある」のは「秩序」である。
「無秩序」も「秩序」のひとつだろう。
「矛盾」すらも「秩序」のひとつであると考えるなら...「秩序」とはなにものなのか。 「秩序」の正體は...対象としての対象無き射。ちょっと複雑な構成のループ。
ということで、ひとつおもいあたる理論が...
そんなことは置いといて、「秩序」「関係」「対称性」。哲学ではどのように扱われているのだろうか。 >>834の補足。再度同じコードを試行したけものだけど、
値はやや異なっている。あと、1万回試行分の標本分散と
不偏分散の値の標準偏差もそれに加えてみた。
mean(標本分散)は、89.60791
mean(不偏分散)は、99.56435
それぞれの標準偏差
sd(標本分散)は、42.03129
sd(不偏分散)は、46.70143
その標本分散と不偏分散をヒストグラムにして並べたもの
https://imgur.com/a/xItfXt6
2つのヒストグラムを比較すると分るように、標本分散の方が
不偏分散より推定値のばらつきが小さいので、ヒストグラムの
分布が少し狭まっている感じが分るかな。また、値のピークは
標本分散の方が、不偏分散よりも小さい値のところで集まって
いる。ただ、それ程はっきりと分るという感じでもないので、
母分散の真の値である100から、標本分散、不偏分散のそれぞれの
母分散推定値が100以上大きくなってしまったもの、つまり分散の
推定値が200以上になったものの個数をそれぞれ数えてみる。
試行回数1万回の中で、母分散の推定値が200以上になったもの
の個数のことなので、推定値として、真の母分散の値である100から
100以上も大きく外れた数が、標本分散、不偏分散のそれぞれどれくらい
あるのかを検証していく感じになる。 標本分散誤差100以上 <- ifelse(標本分散>=200,1,0)
不偏分散誤差100以上 <- ifelse(不偏分散>=200,1,0)
table(標本分散誤差100以上)
table(不偏分散誤差100以上)
出力結果:
標本分散誤差100以上
0 1
9831 169
不偏分散誤差100以上
0 1
9661 339
このことから標本分散で母分散の推定値の誤差が100以上あったものが169個、
不偏分散で母分散の推定値の誤差が100以上あったものは339個あったこと
が分かった。つまり、不偏分散の推定値の方が、標本分散と比べて過大な
推定値が得られる傾向にあることが分ると思う。 今度は、母分散の真の値である100に近い値である95から105の範囲にある
標本分散と不偏分散の個数をそれぞれ数えてみたい。試行回数1万回の中で、
その範囲に入った個数のことで、ヒストグラムで見てもおおよその個数の
雰囲気は掴めるけど、一応、ちゃんと算出してみる。
標本分散誤差5以内 <- ifelse(標本分散>=95 & 標本分散<=105,1,0)
table(標本分散誤差5以内)
実行結果:
標本分散誤差5以内
0 1
9232 768
不偏分散誤差5以内 <- ifelse(不偏分散>=95 & 不偏分散<=105,1,0)
table(不偏分散誤差5以内)
実行結果:
不偏分散誤差5以内
0 1
9126 874 以上のことから、標本分散で95以上、105以下の推定値に入っていたものの
個数は768個、不偏分散で95以上、105以下の推定値に入っていたものの
個数は874個あったので、不偏分散による推定値の方が、母分散の真の値である
100に近い値を出している個数が多いことが分る。
でも、母分散の推定値の誤差が100以上あったものの個数も、不偏分散では
339個もあったので、推定のばらつきが標本分散よりも大きくなってしまうのも
不偏分散の方になっている。要するに、統計的な操作はその解釈含めて複雑で、
一筋縄では行かないことが何となく見えてくる。 >>852
まさしく
ところが本質を捉えていない簡略解が、スマートな解答としてけっこう流布してるよね
ネットはもちろん書籍においてさえ 母集団から無作為抽出したサンプルから、母集団の状態や構造を
推測していく統計の考え方は、真理保存的ではないという意味では、
帰納的論証と同じものと考えていいだろうね。演繹的論証は1+1=2の
ように真理保存的となるので、そこに未知の想定された世界への
飛躍は微塵も生じない訳だけど、統計は手元にある既知のサンプルから
未知の見えない母集団を想定するので、そこには飛躍も含まれる。
演繹が単なるトートロジーであることとは違う。
たとえば、統計でよく使われる有意水準は、p<0.05 になるけど、
これって結構、危うくないかなと感じてしまう。なぜなら5%の確率で
偽陽性をそれは作ってしまうから。5%くらいの確率のものをくじ引き
などで引いてしまうのは、そんなにレアな現象ではなさそうだし。
宝くじで高額賞金を当てる者がいることを考えれば、有意水準5%で
本当にその検定を信用してしまっていいのかな、という感覚になる。
だから、何度も言及しているけど、天才統計学者と言われている
ネイトシルバーがトランプ当選を外したのも、むべなるかなという
感じになるね。 あと、たとえ帰無仮説が採択されて有意差がないと検定されても、
そこから直ちに2群間に「差が無い」という解釈は出来ないという
ことも大事なポイントになってくる。それは単に「統計的に意味
のある差ではない」ことを指しているに過ぎず、その実験や調査で
得られたデータや帰結、相関、連関は偶然でも十分に起こり得る
程度の差でしかない、という意味であって、統計的検定で有意差が
無いとなれば、それは同じである、ということにはならない。
こういう統計学の慎重なアプローチは宗教や神秘主義とは真逆だね。
宗教では偶然レベルのことでも縁起が悪いとか、祟りだとか、
背後霊や守護霊がどうしたとか、通常の因果関係に余分な不明瞭な要素を
付加して、脅して洗脳して支配していくアプローチだからね。法だと
「疑わしきは罰せず」の精神だから統計的仮説検定に近い考え方に
なっているだろうね。 モンティーホールはベイズ定理と矛盾しないというだけであって
それを本質と言うのは違うと思う モンティーホール問題は、「確率は変化する」ということを教えている 統計学のリテラシーがある者なんてごく一部の人だけだから、あんまり方便には
ならないんじゃないの。
統計学と方便という2つの質的変数の間に連関があるかどうか、すなわち、
それらの独立性をカイ二乗検定を使って確かめてみよう。有意水準5%で
自由度1の時のカイ二乗検定の棄却域はχ^2>3.841459 になるので、
統計学と方便のカイ二乗の検定統計量は1.56324 だったので、帰無仮説である
統計学と方便には有意な連関があるとはいえないは棄却されなかった、と
述べたところで、一般的な反応は???で終わりでしょう。何、χ二乗って、
何の記号?という感じでしょう。
ただ、専門的な雰囲気があると何かそれが正しそうなイメージが連想されるので、
そのように分からない故に説得される、といった逆説であれば一部ありそうだけど。
まあ、小保方さんの事件で凡そのレベルは分かりそうだけどね。 >>861
でも、おまえはその一般的な反応を期待して、ここに生息してるわけだろ? モンティ・ホールはベイズ更新とは関係ない。と朝に書こうとしたが規制で書けなかった。
ちゃんと確率統計の単位ぐらいとってから書いてよね。
さて、「つながる」ということをずっと考えていて、やっと答えがでた。
もっとも簡単な「つながる」ということは、やはり数学における「射」であって、
「射」のもっとも小さなwものは「点」である。
この「点」は「観測」されると3つに分岐する。
「観測者という点」「観測された点」「観測されなかった(反)点」。
量子論的に、2つの状態の重ね合わせではなく、観測者もふくめた3つの対等なものが重ねわされる、
と、考えた方がよさそうだ。量子論を更新すべきだろう。
だが、3つ目を考えていたら...4つ目もあったほうがよいことに気づいた。うーん。
4つ目があれば、プランク単位も説明できてしまうと思う。
あくまでも戸田山的にモノとして扱う哲学。 まあ、わからなければ、インターネット上にいくらでも論文がころがっているのでspin networksやBF theoryを勉強してほしいw モンティーホールはベイズ更新だろ
位相的場の量子論とか関係ないわなw わからなければよそを読めって、それをわかりやすく解説するのが啓蒙だろ
使えねえやつだなあ おれは啓蒙してる人じゃないのであしからずw
ベイズ更新を可能にするためには、モンティ・ホール問題の問題そのものを変える必要がある。
なにを「推定」しようとしているのかの問題だ。 ベイズの定理を使った解法、ちゃんと書ける人何人くらいいるんだろう モンティホールはベイズ更新と関係あるよね
P(h|o)=(P(o|h)/P(o))*P(h) の(P(o|h)/P(o))が司会者の行動を観測して与えられるんだからさ >>863 はベイズの定理を書いて説明できますか?
どういう風に応用されてるか説明できますか? Naive Bayes classifierやBayesian networkはよくつくるけどw
モンティ・ホール問題において何の確率を「推定」しようとしているのか、
それを明確化するように問題を書き換えないとダメでしょう。
何の確率を改訂しようとしているかの問題。
モンティ・ホール問題は、そのような問題にはなっていない。
ベイズの定理をつかうとかベイズ推定によって答えを出すとかいうこととは別ということ。
2つの扉に減った時、選択を変えた方がよいのかどうかの確率を推定するのであれば、
複数回のゲームを行って、確率を改訂(更新)していくことになる。ほとんど意味はないが。 各扉に1〜3と番号を振って、当たりのある扉を確率変数Xとすると、事前分布はf(1)=f(2)=f(3)=1/3なわけでしょ。それが扉3を選んだあとモンティが扉1を開けてf(1)=0,f(2)=2/3,f(3)=1/3になるから、事前分布が事後分布に改訂されてると思う >>874
だから、モンティ・ホール問題はベイズ更新、ベイズ改訂が行われてるはず >>875
確率の問題だよ
>>874 は確率の話 ドアを変えないで当たる確率は1/3で、ドアを変えると当たる確率が2/3になる
ので有利になる、つまり、ドアは変えるべきだ、というのがモンティ・ホール問題
だけど、直観だと、残り2つのドアのいずれかに賞金があるのだから、
フィフティーフィフティーの確率にも映るよね。でも、ベイズ定理のややこしい
式を使わなくても、賞金の当たるドアの確率は1/3で、ハズレのドアは2/3なのだから、
最初からハズレのドアを引く確率の方が高いし、ハズレのドアを引いていた時は、
開けるドアを変更すれば確実に当たるので、フィフティーフィフティーではなくて、
ドアを変えない場合と変える場合は1/3と2/3くらい、当たりの確率が本当は違うのだけど、
その構造は直観的にはすぐに見えてこない。論理的に考えてようやく腑に落ちる。
直観だと、フィフティーフィフティーの確率に感じられてしまう。
モンティ・ホール問題は、直観は間違えるの典型問題にもなりそうだ。 >>878
ベイズの定理使わないと解けないようなアレンジできるよ
選んでない扉がどちらも外れのとき、モンティが右を選ぶ確率が3/4であるパターンとか >>879
だから、ベイズ改訂(更新)はモンティ・ホール問題の本質
>>874 を見ればさらに理解が深まる
>>873 は間違い でも、確率というのは、実は、危うい要素が入っている気がしないでもない。
トランプが大統領になる確率は、主観確率で考えてみても、あれだけ全マスコミや
ウォール街などを敵に回していた状況を考えて見れば、相当低かったはずだ。なのに、
当選したということは、確率だけをあてにすることは、危険だ、というのが分かると思う。
様々な要素の一つとして、確率を組み込むならいいけど、何かの判断をする場合、
確率だけを重視して判断するのは、実はリスキーな選択なんじゃないかという予感があるので、
この辺りの考察を今後、理論的に詰めていこうかな、と。
首都直下型大地震が今後30年以内で起こる確率云々も、なんか微妙なんだよね。
だって、北海道の大地震を見れば分かる通り明日起こってもおかしくない訳でしょう。
それを何年以内に何%の確率だと言われても、それで了解できるかな。だから、
地震学者のロバートゲラー教授が、そんなのは研究などの資金調達を得るための方便に
過ぎなくて、どこでいつ大地震が起きるのかは、全く予想出来ないと述べている方に、
私は真実性を感じるね。あの先生、小保方さんの事件も当初から一発で見抜いていたよね。
黒だって。 プレーヤーが車を得る確率とすれば、
事前確率は1/3で事後確率は1/2である。
ただし、扉が2つになったとき、ランダムに選択するとする。
しかし、モンティ・ホール問題はそういう問題ではない。
とすると、推定すべき確率とはなんの確率なのか。哲学であるw
事前確率は、選んだ扉が1/3で、選ばなかった扉は2/3である。
なにしろ、選ばなかった扉からハズレの扉を選択してくれる確率は1なのだから。 モンティ・ホール問題はテレビ番組だし、テレビ番組にはヤラセは付き物なので、
理論的な確率自体が無効になっているケースとか十分考えられるだろうね。
八百長相撲やイカサマ賭博、利益相反でのデータ改ざんでもいいけど、そういう偏差やヤラセさえももベイズ推定などで事前確率に組み込めて、不正を検出出来たら
なかなか優秀な確率モデルだとよべそうだけど、どうなのだろうか。でも、
ベイズ推定は恣意性を活用するようなので、頻度主義のこれまでの形式重視で
論理に近い統計学と比べると、ずっと自由度や応用性は高いようだけど、
そうした偏差やバイアスまでも確率に正しく組み込めるのだろうか。 >>882
推定すべきは常に事後確率だよ
モンティが扉をランダムに選ぶ場合は、ベイズの定理で計算したら事後確率はちゃんと1/2になる >>883
恣意性を組み込むのは初期条件だけ
最初に設定した事前確率だけだよ 自殺した民主党の永田議員っていたじゃない。あの人、医師の家系で自身もエリートで
東大工学部出ているけど、偽メールと本当のメールの区別もつかない人で、
最後は頭がおかしくなって自殺したけど、ベイズ推定では、ベインジアンフィルターに
よるスパムメール検出が有名だから、つい、思い出してしまった。
もとから、人格破綻者っぽい感じの人ではあるけど、それでも認知能力のあの低さは、
どういうプロセスで生じるのか興味深い感じはするが。それで東大に進める不思議。
まあ、永田議員の地頭は悪そうだから、お金の力でマウントしていたというのが実態だろう、
とベイズ推定して見るけどw 相関があることは、因果関係があることとは関係ないからな 相関関係があるからといって、因果関係があるとは限らないというべきか 衆議院議員総選挙における年代別投票率の推移のデータから、
平成29年の20代と30代の投票率を調べたところ、それぞれ33.85%,
44.75%になっていた。統計学的に見るとこの20代と30代の投票率の
差は有意な差と言えるのか、あるいは、偶然でも出て来る差で、
有意差無しとなるのかをプログラムで確認してみた。
投票に行く、行かない、20代、30代で各1000人、計2000人で
この比率でマトリクスを作って、このクロス集計を検定してみた。 20代 30代
行く 339 448
行かない 661 552
chisq.test(投票A,correct=FALSE)
Pearson's Chi-squared test
data: 投票A
X-squared = 24.891, df = 1, p-value = 6.066e-07
「ピアソンのカイ二乗検定」というタイトルで、上記の結果となった。
自由度df=1でp値は 6.066e-07 となったので、
有意水準の0.05より小さくなったので、帰無仮説である
20代と30代の投票行動には年代的な有意差がない、は棄却された。
つまり、年代別で、投票行動には明らかに統計学的な有意な差が
見られることが分った。 今度は、これとおおよそ同じ比率でサンプルサイズを20代、30代で
各10人、計20人に縮小して、四捨五入して同じものを作って同じ検定を
したところ、以下の結果になった。
20代 30代
行く 3 4
行かない 7 6
chisq.test(投票B,correct=FALSE)
Pearson's Chi-squared test
data: 投票B
X-squared = 0.21978, df = 1, p-value = 0.6392
警告メッセージ:
chisq.test(投票B, correct = FALSE) で:
カイ自乗近似は不正確かもしれません
p値が0.6392だということは、有意水準の0.05より大きな値なので
帰無仮説は棄却されないことになる。つまり、20代と30代の年代別
による投票行動には統計学的に有意な差はない、と言う検定結果に
なる。 こんな感じで、おおよそ同じ比率を使って同じ検定を行っている
にも拘わらず、サンプルサイズの取り方によって、逆の検定結果に
なったことが分る。後者のサンプルサイズが小さいものには、一応、
警告メッセージが出たけれどね。一般的に、サンプルサイズが大きく
なると検定の結果が有意になりやすい傾向がある。それはカイニ乗検定
だけでなく、他の統計的仮説検定一般に言える性質となっている。
だから、統計を見る時はサンプルサイズにも注目する必要があることが
分ることだろう。なぜなら、標本における連関の比率が同じでも、サンプル
サイズの違いによって、逆の統計結果となってしまうことも生じるのだから。
nが小さい統計検定は、あんまり信用してはいけなさそうだ。 インデント潰れてしまうね。
>>893は、選挙に行く20代339人、行かない661人、
選挙に行く30代448人、行かない552人、
>>894は、選挙に行く20代3人、行かない7人、
選挙に行く30代4人、行かない6人、 >>897
学問でしょ
なんで学問じゃないと思ったの? ベイズの定理を P(B|A)=P(A|B)P(B)/P(A) とする。
P(B)はプレーヤーが扉を選択してそれが当たりである確率とすれば1/3である。
主観的確率なので最初は1/2でもよいw
P(A)は、プレーヤーが選択しなかった扉からハズレの扉を司会者が選ぶ確率である。
これは1だ!
P(A|B)は、プレーヤーが当たりの扉を選択したとき司会者がハズレの扉を選ぶ確率であり...
これも1だ!
求めるべきP(B|A)=P(B)である。なにも更新できないw
モンティ・ホール問題を、そのまま、すなおにベイズ推定した結果である。
これは、最終的に扉を変えなかったときの確率であり、変えたときは1-P(B)または1-P(B|A)だ。
なにも更新できないので最初の主観的確率のままであるw >>899
その通りだよ
ベイズ改訂の結果たまたま事前確率、事後確率が一致することはある
でも作業としてはベイズ改訂(更新)している
主観確率は初期条件によって結果が変わるのは昔から批判されてたことだけど、過去のデータからある程度正しそうな確率を計算して初期条件にする
だから、イメージとしてはデータによってある程度正しい確率の精度を上げるって感じ >>899
ベイズ更新はしてるだろ
計算した結果、事前確率と事後確率が一致してるだけなのに更新できないっていうのはおかしい 結果の変化しない更新だね
計算機でいうところのNOP
状態をそのまま保つ命令 最初の主観的確率が維持されてしまう。
改訂しても正解に収束しない。
(叙述トリックを仕掛けたからだけどねw) モンティホール問題もプロが本気でやると深いね。
ベイズを使わないでやるのが本筋らしい。 >>906
そのプロって誰だよ
ベイズ使うのが一番汎用性高いやり方だぞ
選んでない扉がどちらもハズレのときモンティが右を選ぶ確率が2/3だった場合、ベイズを使わず計算できるか? ベイズを使っても使わなくても同じということでしょ
それなら初めからベイズを使ったほうが簡便という話 >>906
kwsk
統計学の伝統・本流はフィッシャー統計(non-Baysian)だから、そうかもしれない。
しかしどうやるんだろう? この問題。なにが難しいのかわからない。
ベイズなど使う必要もない。
扉が3つあるのだからそれぞれ確率は1/3である。
ひとつ選ぶと、それは1/3である。
残りのドアがひとつ減るのだから、残ったドアは2/3である。
どこに難しいところがあるのか? こんなに簡単なことなのに、と、むかーし思った。 じゃあ、モンティホール問題の応用問題を出すよ。ルールは同じで、変わったのは
扉の数が5つに増えただけ。司会者は同じように、当たっていない扉を開けて
解答者にドアの変更の意思を訊ねる。変えた方が有利なのか、あるいは、
最初に選んだ扉のままの方がいいのか。出来る人は確率の値付きで答えて! 簡単過ぎてつまんないから、答えなくてもいいや。
今度、もっとマシな問題を作成しようかな。
ベイズの話で、モンティ・ホール問題ばかり扱っているのもアレだし。 そもそも、モンティ・ホール問題において、ベイズの定理を使えるのは、
選択されなかった扉で司会者が開けた方あるいは開けなかった方の扉の確率である。
ここまでを事前確率とすれば、モンティ・ホール問題における推定すべき本題そのものには影響しない。
ベイズ改訂可能な問題につくりなおさない限り無意味だ。
主観的確率が入り込む以上、主観的確率が改訂されることはない。 扉が100個の場合を考える
モンティが残りの99個の扉から1つ外れの扉を開ける
このときって、扉を変えたときの当たりの確率は、
99/100になるの? 3人の囚人問題にわざわざベイズを使う理由はない。
ひとりだけ恩赦になるのだから、残りのふたりのうちひとりが死刑になるのは確実である。
確実なことを聞いても情報は得られない。 三囚人問題とモンティ・ホールは微妙に違うという意見がある 微妙に違うというか、扉を変えられないんだから違う問題であるw
そもそも看守が知っていたかどうは問題文から読み取れない。
解釈の可能性の広がりが異なる。なんてことをいっていたらきりがない。 >>916 Are you crazy? 1/99 ρ(x|y) ∝ ρ(x)ρ(y|x)
ρ(x|y) : posterior distribution
ρ(x) : prior distribution
ρ(y|x) : likelihood 数学科の大学院クラスの問題だからおまえらには無理
http://www.math.keio.ac.jp/~ishikawa/KoaraCopen/Copen07_09.pdf ベイズ定理を使えば98/(97×99)になるのは分かる
>>912に表を用いた解き方を試したら、
扉を変えたときに当たる確率が4/5になった
巷に流布してる表を使った解き方は間違いで、
ベイズ更新を使う解き方が本来的に正しいんじゃないか ベイズを使うと三囚人問題はモンティホールと等価
フィッシャーだとモンティホールは解けるが三囚人問題は解けない
この状況はいったい何を意味しているのか
フィッシャーに対するベイズの優位性、あるいはまた
フィッシャーの限界を示しているようにも思えるが・・ 先に挙げたノートの横幅を測る例において、誤差が2種類の互いに性質の異なった
理由によって発生していることに気付いただろうか?
一つ目は、ノートのけばだちや目盛りの読み取りの不確かさが原因となる誤差である。
この誤差が測定値を大きくする方向に働くか小さくする方向に働くかは偶然によって
決まる。このような偶然による誤差のことを偶然誤差という。
二つ目は、ものさしの伸縮による誤差である。 気温が高いと極端に伸びるものさしを
使って長さを測る場合には、 ノートの横幅は暑い日にはつねに短か目に測定されて
しまう。 このように偶然によらない一定の傾向を持った誤差のことを系統誤差という。
系統誤差の大きさは一般に見積り難く、また系統誤差の原因を究明して除去することは
非常に困難である。 これに対し、偶然誤差の影響を低減することは比較的容易である。
これはなぜかというと、偶然誤差は正負の方向に同じ程度の確からしさで働くと
考えられるので、 同様の測定を何回もくり返して行って結果の平均を取れば、
誤差の影響は互いに打ち消しあって小さくなると考えられるからである。 一般的な確率の問題
「全部で100個の飴玉が入った箱で、当たりの赤い飴玉はその箱の中に1個だけ入っている。
あとは全部、ハズレの青い飴玉。飴玉を箱の中から取り出す試行を100回繰り返せば、
当たりの赤い飴玉は100%の確率で当たるのだろうか。もちろん、一度引いた飴玉は、
元の箱に戻す。また、100%の確率で当たるのでないとすれば、何%の確率で赤い飴玉
が当たるのだろうか」
一見すると簡単そうな問題だけど、街を行き交う成人男女の任意に数十名くらいに
この問題に答えて下さいと言っても、正解を答えられる人はあまりいないだろうね。
それ程、確率というものは、世の中に知られていない、と主観確率で予想してみる。 >>927
1-(99/100)^100
=0.634
63% つまり、当たる確率1%のくじだと思えばいい。1個の当たり(赤い飴玉)と、
残り99個のハズレ(青い飴玉)の入ったくじ。くじは、全部で100回試行する。
100回試行した時、1個の当たり(赤い飴玉)確率は、100%なのか、あるいは、
どのくらいの確率で1個の当たり(赤い飴玉)を引くことができるのか、という問題。 理論的に当たりの赤い飴玉を引ける確率が約63%と出るのだけど、
直観でイメージした値と計算した値に、ギャップはないかな、と。
もっと大きな値になってても良さげな感じもするし、確率が
直観的にイメージしづらい、ということがありそうだ。
確率計算知らないで、直観だけでだいたい60%と出せる人がいたら、
かなりの直観力の持ち主だよね。 認識が客観的であれば誤差の理論になるが、認識が美的で主観的であれば
景術の話になる。 認識が客観的であれば誤差の理論になるが、認識が美的で主観的であれば
芸術の話になる。 ・モンティホール問題の表を用いた解き方
扉をA,B,Cとする
挑戦者がAを選ぶとしても一般性を失わない
正解の位置 A A B C
司会者が選ぶドア B C A B
起きる確率 1/6 1/6 1/3 1/3
表より
扉を変えないときに正解する確率 1/6+1/6=1/3
扉を変えたとき正解する確率 1/3+1/3=2/3
・扉が4つのときの表を用いた解き方
正解の位置 A A A B B C C D D
司会者が選ぶドア B C D C D B D C B
起きる確率 1/121/121/12 1/8 1/8 1/8 1/8 1/8 1/8
表より
扉を変えないときに正解する確率 1/12+1/12+1/12=1/4
扉を変えたときに正解する確率 1/8+1/8+1/8+1/8+1/8+1/8=3/4(?)
扉が4つのときのベイズ定理を用いた解き方
扉を変えないときに正解する確率
P(A|B)=(P(B|A)/P(B))P(A)
=((1/3)/(1/3))×(1/4)=1/4
扉を変えたときに正解する確率
P(C|B)=(P(C|B)/P(B))P(C)
=((1/2)/(1/3))×(1/4)=3/8 一部表が崩れた
正解の位置 A A B C
司会者が選ぶドア B C A B
起きる確率 1/6 1/6 1/3 1/3 >>936くそ、うまくいかん
ようするに、表を使った解き方は間違っていると思われる
扉を100個に増やすと、扉を変えたときに正解する確率は99/100になると類推できるが、
これは、99通りの別々の場合を足し合わせていることに他ならない
あくまでも考えねばならないのは扉を変えたときそれぞれの別個の場合の確率だ
それにもっと言えば、はずれをBと固定しても一般性を失わないはずで
はずで、残りの98通りで99/100の確立を分配するように考えるべきでないか >>938
99通りある扉を変えた場合のそれぞれの確率の和
確かに「扉を変えた場合」の確率ではあるが、叙述トリックになって騙されやすい
流布されている表を用いた回答はこれに引っかかっているのでないか >>940 訂正
P(C|B)=(P(B|C)/P(B))P(C) いやそういうことじゃないんだけど
これまですべて、 例えば上の941の例だと
2つの事象B、Cの積事象の乗法定理の書き換えタイプしか使ってないじゃん
そもそもベイズの定理って2つの事象に限定された話で使うもんじゃないでしょ >>923
Thanks.
わからなかったけど、スケールの大きさには驚いた。 フィッシャーはベイズを頑なに排除したかったらしいが
21世紀の今となっては彼は間違えたと言わざるを得ない ベイズ統計では、「理由不十分の原則」というものがあるらしい。
事前確率に恣意性を付与できる。恣意性を付与できるのなら、
数学というより、哲学にもなる可能性があるのだろうか。 >>945
哲学的かもね
事前確率に何を選べばいいのかって数学的な議論はあるのだろうか 事前確率は事後確率から条件をとりさったものでしょう。
モンティ・ホール問題は、事後確率をすなおにプレーヤーの選んだ扉が当たりの確率とするなば、
ベイズはなんの役にも立たない。
肝心の事前確率を求めることすらベイズだけではできない。
フィッシャーにいたっては統計をとれないのでなにもできない。
どちらも統計であって、確率そのものを求めるものではない。 表が出る確率0.5の硬貨を10回投げて表が2回だけ出る確率
プログラムでは、dbinom(2,10,0.5)
これを数式で書くと、組み合わせのCを使って、10C2/2^10
出力結果 : 0.2460938
今度は表が出る確率0.5の硬貨を6回投げて表が3回だけ出る確率
これを数式で書くと、組み合わせのCを使って、6C3/2^6
プログラムでは、dbinom(3,6,0.5)
結果 : 0.3125
それで、プログラムや数式で出てきた理論的確率値が本当に正しいのかを
後者の6回投げて表が3回だけ出る確率を実際の硬貨を使って試して
みた。6回の硬貨投げの試行を計3回やってみたところ、その内の1回だけが
硬貨の表が3回だけ出たので、確率1/3となって、ほぼ理論値通りの結果に
なっていたので、確率計算はすごいと感じてしまった。本当は何回も試行して
均した値にすると、さらにより厳密な検証になるのだけど、6回投げの試行を
計3回しただけで、ほぼ理論的確率値に近い結果が得られたので理論的な
確率計算というのは、あながち否定できないものなのだな、と思った。 >>946 うん、そうだね。ベイズ統計では非厳密性というのもキーになっている
ようだし。それは、柔軟・応用性が高いと捉えれば、肯定的な評価にもなるし、
頻度論の立場から見ると客観性が担保されない、という風にもなるのだろうか。 シュートの確率の方が老若男女問わず興味がありそうだ。 >>949
初期条件となる事前確率だけ、頻度主義的に調べればいいのでは? >>950
まあ、それでいいのだと思うけど頻度主義で対応できないケースもありそうだけど。
たとえば、哲学板住民の性別の分布割合を確率的に求めたいとする。
この時、事前確率として、男女比1:1で考えるのは、あまり妥当な感じはしないし、
哲学は女性よりも男性が好みそうな学問である、という主観確率を採用したい
時でも、それを事前確率としてどう取るかは、やはり恣意的にならざるを得なそうだ。
しかも、女性のように振る舞いながら、実は男性、その逆も然りというケースも
あるので、内容や文章の雰囲気だけではそれは判らないとすると、さらに妥当な
事前確率を決めるのが困難になりそうだ。 おまいら団塊か? 最新のことを学んでから議論しろよ。 >>954
最新の議論が出来るくらいなら数学板でやってます
察してやってくださいw >>957
岩波データサイエンスvol.1でもベイズ推定やMCMCのフリーソフト紹介されているよね。
マルコフ場モデルとかも書いてある。ただし、一般人には少し敷居が高い感じになっている。 マルコフ確率場またはマルコフネットワーク
もともと統計力学で使われてたイジング模型を
一般化してデータサイエンスに持ち込んだのか Logical Inference Per Second (LIPS) は、コンピュータの性能指標の一つ。
1秒間に三段論法的推論を何回実行できるかを表す。
推論からなる処理系の性能を表す時に用いられる。 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180912-00010000-nishinpc-soci
統計所得、過大に上昇 政府の手法変更が影響 補正調整されず…専門家からは批判も
たぶん、消費増税の理由や現政権維持のために好景気を捏造する統計やデータを
官僚と共に作り続けているのだろう。消費増税も10パーセントで済むとは思えず、
インチキ統計を示して、さらに増額することだろう。昔の中国レベルだと思って
おけばいい。ベイズ推定とか、そんなレベルにないので、この国は ベイズ更新
大本営発表
水俣病、問題ないと当時捏造
福一も同様で、今後、症状発生の傾向が分かるかも
アメリカでも911によるガン被害者が現在多発、当時、問題ないとされた
日本の株価は年金の下支えによる官製虚偽相場。好景気も実態を反映していない
景気がいいのは政治家と公務員だけ
日本政府への信頼度、事前確率0.25くらいかな。
これからベイズ更新で、さらに下がっていきそうだけど 自動運転の特許 評価でグーグルがトヨタ逆転
米グーグルが自動車の自動運転に関する特許競争力でトヨタ自動車などを逆転し、
首位となったことが分かった。決め手になったのが自動運転車の「頭脳」を担う
人工知能(AI)だ。自動車はデータを解析しながら走る製品へと変貌し、
メーカー各社の競争の焦点も燃費向上や生産効率からデータの活用技術へと移る。
大量の情報を競争力に変える「データエコノミー」の到来はハード重視で来た
日本車各社を追い詰め始めた。
日本の特許庁が5月に公表した調査では、世界で出願した自動運転関連の特許数は
日本勢が45%と最も多い。だが内訳は5段階で示す自動運転の技術基準のうち最も
下の「レベル1」が大半で、全体の6割が部分的な自動運転にとどまる「レベル2」
以下。一方、米国勢は出願の過半がより高度な「レベル3」以上に集中し、
業界標準となる中核技術を先んじて押さえようとする動きが鮮明だ。
米ボストン・コンサルティング・グループによると、35年には世界の新車販売の
4分の1が運転者が原則不要な「レベル4」以上の自動運転車となる。
膨大な地図情報から渋滞、実際の走行状況までを瞬時に解析する「データマシン」
へと車が変わりつつあるが、それに日本車各社は対応できないでいる。
新たな脅威も台頭する。中国ネット検索最大手の百度(バイドゥ)は今年7月、
AIで急接近する後続車を検知し相手に知らせる特許情報を日本で公開した。
中国では当局とも連携し走行データ収集に動く。今回の調査では114位にとどまったが、
米国でも日本勢を上回る大量出願に乗り出している。 MHIが自前主義を止めてMRJを開発して売り込んだのと同様、
TOYOTAもgoogleと提携してはどうか。 グーグル系のウェイモは公道試験を通じたデータ収集を急ぐ
グーグルストリートビューって、すごいよね。自分の家の洗濯物まで全部写っていて、窓の外にはプライバシーさえないんだな、と感じる。知らない所で、自分の
画像も撮影されている現代で、それをどう解釈するかの問題。経路探索アルゴリズムは、力任せ探索だと組み合わせ爆発で計算量が膨大になってしまうので、
それを避けるために、動的計画法による経路探索で最適化を図る。 こういうスレ見てもおもうけど、所詮は高校数学か、
それに毛のはえた程度の数学の知識でみんな話してる。
高校倫理で哲学語るようなもん。 どこを見て「みんな」と判断したのか分からんが
スレを真面目に読んでいないことだけは分かった >>975
たとえがおかしい。
数学は進歩しているが、哲学は進歩していない。 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180913-00010001-nishinpc-soci
内閣府統計も過大? 「雇用者報酬」厚労省の上振れ数値使う 菅官房長官「適切に対応」
政府の所得関連の統計に今年に入って高めの数値が出ている問題で、内閣府が作成する統計
「雇用者報酬」も過大に推計されている可能性が高いことが12日、西日本新聞の取材で
分かった。高めの数値を示している厚生労働省の統計を基に算出しているため、上振れ
しているとみられる。内閣府は、厚労省の統計数値が過大になっている可能性を認識しながら
推計を続けていたとみられ「今後の対応を検討中」としている。
未だ土人国家 哲学は古代と現代にも相通じるような問題系を考えている点で
進歩とは無縁なのかもしれない。 文学も哲学も数学も根本のところでは知を愛すという点で
つながりがある。そのことを忘れてはいけない。 哲学は進まなさが哲学なんだから、弁証法的にいうとね、
数学は進歩のリミッターが要らない時期も。 いいかい?
車輪2本を中古品で買いとってもらっても1000円だ
車輪を運ぶ時間と労力を度外視しても、売却益は交通費で半分消えてしまうだろう
ところが、車輪2本を分解すると、タイヤ、チューブ、フロント・ハブ、
リア・ハブ、スポーク64本、リムを手に入れることができる
車輪がいらないとしても、本当に車輪を構成する部品も不要なのか?
手許に置いてスペースをとって邪魔になるのは、タイヤとリムだけだ。
邪魔なタイヤとリムを処分すれば、また車輪が必要となったとき、
タイヤとリムだけ購入すれば、いつでも車輪を組み立てることができる
大切なのは、現時点で何が必要で何が不要なのか、きちんと選別することだ。 ギャンブルの理論で言えば、同じものに賭け続けることに合理性があるらしいね。
ルーレットのとばくで赤に賭け続けて勝ってる場合、
そろそろ黒が出るだろという風に考えるのはまずくて、
黒が出るまで赤に賭け続ける方がいいのだと。
同じようなことは野球にも言えて、
江夏豊が落合博満に超一流のバッターは同じ球種を待ち続けられると言われ、
カーブか直球かの場面でずっとカーブを待ち続けて褒められたんだとか。
似たようなことはマークセンスのペーパーテストにも言えて、
自分が正当だと思った答えが同じ記号であり続けたからといって
自分の選んだ答えを疑ってはならないというのは経験則としてあると思う。 京都大学文学研究科の哲学専攻の出口康夫の考えている数理哲学って難しそうだな。
数学を哲学に注入することで、
哲学を無理やり進歩させようとしているのかなとか思ってしまう。 共通一次センターの初期の物理や数学の問題の解答はベンフォードの法則による偏りを考慮していなかったため悩んだら最高位は1とか最高位が8や9なら検算という隠れテクニックがあった。
今は矯正してるらしい。 東北大学の医学部に進学した先輩が、
二次試験型の物理の問題で、
わからなかったら0と書けばいいとか言ってたのを思い出した。 確率は身近な所の事柄と絡んでいるから面白いね。
他の分野だってそうなのかもしれないが。 落合博満が中日の監督時代に攻撃でバントを多用したのって
自分以下の打者にヒットを打つ可能性を求めるのがいかに酷かということを
身に沁みてわかっていたからなのだろうなと思う。 金本知憲はバントでもいいところでも
確実性は低いが成功すると大きいヒットエンドランを多用するから、
試合に流れを引き起こし、それを自分側に向かせようとしているのはわかるが、
選手にとってはものすごいプレッシャーだと思う。 ベンチやブルペンで戦況を眺める投手にとっては、
落合型の戦法の方が安心してみていられるだろうね。
金本型だと観客にとっては攻撃の時間は楽しみだが
守りの時間に投手がおっかなびっくり投げているのを見ることになるから
イラつくことになるだろうね。 統計ではメジャーNPB高校野球すべてでノーアウト一塁よりワンナウト二塁の方が得点確率期待値とも低いし、ノーアウト一塁で送りバントをした時と強攻した時の得点確率期待値も極端な場面を除き強攻した方が高いというデータ以外見たことがない。
よって、今目先の得点の可能性を考えて送るなら誤り。
もちろんグリコちよこれいとパラシュウトで他より進まないグーを出さないと相手にチョキを出されて勝てないように、送りバントを使わない方がいいという話にはならない。
(グリコのはグー2/5チョキ2/5パー1/5の割合で出すのが最適で、むしろグーはパーの倍出さなければならない) このスレッドは1000を超えました。
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