反出生主義は哲学だ
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反出生主義Q&A
Q.子供を産んではいけないの?
A.生きることは辛く苦しいことです。
出産すれば子供の意思を問わず生を強制することとなりますから、反出生主義において出産行為は悪です。
Q.生きてれば幸せなこともあるのに、生まれない方が良いの?
A.生まれた人全員が幸せになれるわけではありません。幸せになれない人にとって生きることは苦痛です。
しかし生まれなければ「幸せになりたいのになれない」という苦しみもありません。
Q.自分が不幸だからそう思っているだけでは?
A.今は幸せな人が、何らかの原因で不幸になってしまう可能性もあります。
しかし生まれなければ「幸せだったのに不幸になってしまう」というリスクはありません。
Q.親が優秀で裕福ならば子供は不幸にはならないのでは?
A.不幸になる可能性は減るかも知れませんが、保証はありません。
遺伝子や経済的問題などに関わらず、全ての人は子供を産むべきでないとするのが反出生主義です。
Q.人類が滅亡しても良いの?
A.不幸を解消するために、人類は滅亡すべきとするのが反出生主義です。
人が存在しなければ、人が不幸になることもないからです。 仕事をテキトーにやると周囲から罵られる
これが引き寄せの法則でつ!! 反復よこっちょとびげりと差異は放たれた。反復訓練の押韻よりは差異化まほう効果。 繰り返さない文明に虐待暴力強制の自覚から、差し抜きしないとね。 >>1
>A.生きることは辛く苦しいことです。
>A.今は幸せな人が、何らかの原因で不幸になってしまう可能性もあります。
不幸になるのは可能性なのか決まったことなのか 作られて生まれたら不幸になる可能性が与えられることが決まってる そうすると
>Q.生きてれば幸せなこともあるのに、生まれない方が良いの?
>A.生まれた人全員が幸せになれるわけではありません。幸せになれない人にとって生きることは苦痛です。
> しかし生まれなければ「幸せになりたいのになれない」という苦しみもありません。
この答えが違ってくるな
A. 不幸になる可能性があるということは生まれない方がいいのです。幸せになる可能性もありますがそれは関係ありません。
が正しい答えだな 幸せ自体が基本的には儚いものだしな
作られたら最後、本能的要請に追い回されて自動的に派生する要求や渇望を埋め合わせては、その都度満足や幸福を覚えてるだけだ
また時間の経過と共に本能的要請に追いつかれて埋め合わせに懸命になる以外術がない
生まれつき慌ただしいのや忙しいのが大好きな奴にはいいんだろうが、そうでないとシンプルに地獄だ >>10
つまり反出生主義とは
1、不幸になる可能性を他人に与えることは悪である
2、悪である行為はするべきではない
の2つの「信念」から成り立っている
あらゆる論理、命題よりこの2つの信念は優先される 幸福であれ不幸であれ「可能性」をまず一方向で強制的に与える行為自体に暴力性も潜んでるからな それは順序が逆だ
「可能性を与えることが悪」だから「可能性を与える行為が暴力性を持っている」になる
可能性のないものを与えることはできないし、何もしないことも何かを与えることなのだから >>15
確かにその通りだ
その順序さえ正しく保てば「非存在に利益を与える事は出来ないから反出生は不成立だ」こそを不成立に出来る
まあ最後まで理解出来ない人間にはどうあれ、誰がどんな説明をしたところで理解は出来ないんだろうけどな 幸せになる可能性があるけど関係はない?
別に関係はなくはないでしょう
不幸も幸福もどちらの可能性も同時に含んだうえで我々は実在しているのだから
問いが始まるのはそこからだよ
不幸と幸福が入り混じった世界へ侵入するのに問答は必要ないなどとは言わせまい
存在し得なかった何者かが、幸せになる可能性を追い求めて生まれてこようと思うだろうか
思わないでしょう
欲求も動機も可能性も何も保持してないんだから
なぜ欲求も動機も可能性も何も持っていない何者かが、不幸と幸福が同時に存在した世へと出現しなければならなかったのか
ここでは何が悪しきことで何が善であるかというようにバッサリと切るわけにはいかない 善悪で語ることを否定したら道徳や倫理については誰も何も語れなくなるだろ
幸福になる可能性が関係ないのは幸も不幸も結果論でしか無いからだ
リスクヘッジの概念は正しい、これに異論を挟める人間が居るか?
反出生の正しさはリスクヘッジの正しさなんだ
問いが始まるのは存在してる人間同士の間からじゃなく、存在してる人間と今後作られるか作られないか未定の非存在との間からだ
そこを理解出来ない人間に反出生の概要を正しく理解する事は未来永劫出来ない
議論する者がその認識を共有出来ていない限り後は感情論のぶつかり合いに終わる 存在しないといけなかった理由とかもあくまでも結果論からの後付けでしかない気がする
理由や目標のない事をさせられることには耐えられないように出来てるせいで 本当は各種生物にとって子孫繁栄がどういう意味を持ってるのかから謎のままなんだよね
単純にプログラムとして起動中なだけなのか子孫繁栄そのものが一つの目的化されてるのか そのプログラムにさ、最終的に出現する知性、概念でプログラム自体の否定が可能なように仕込まれただけだよね。
この問題にプログラムや決定論を引き合いに出す奴は馬鹿だよ。 子孫繁栄が目的だなんて思ってるやつは人間の中の馬鹿な奴だけだよ
残りやすい種が残ったという事実だけだ
目的論など無く結果論のみだ
大体、人間以外の動物で交尾したら子供ができるなんてたったの一匹も知らないんだよ
目的意識があるわけないだろ
馬鹿か ガンジー「子どもを産むことは原罪的な呪いの行為であり慎むべきである」
40代無職童貞「俺がモテないのは遺伝子のせい!生まれたくなかった!」 >>18
>リスクヘッジの概念は正しい、これに異論を挟める人間が居るか?
>反出生の正しさはリスクヘッジの正しさなんだ
リスクヘッジとはリスクを正しく評価すること
不幸になる可能性がわずかでもあれば避けるのはリスクヘッジではない
不幸になる可能性と幸福になる可能性を天秤にかけて結論を出すのがリスクヘッジ
反出生主義は信念
論理ではない
宗教だよ んなんじゃねーよw
そんな古い時代の功利主義持って来られても
肉体を持たなければ幸福や快は必要ないんだよ
だから「生んだほうが良い」がそもそも成り立たない 生まないほうが良いを初めて成り立たせるのがリスクヘッジの概念なんだよ
一つの選択によって全てのリスクが回避可能である以上、リスクの程度、分量やバランスについて考慮する必要もなくなる
まず可能性を与えないことこどが善だからな 反出生へのカウンターとしての「生んだ方が良い」を導くためには完全なるリスク回避に匹敵する確実なメリットが必要になる
だがそのメリットを確約するに足る何事かは何処にも存在していない
その時点で反出生の「生まない方が良い」は「生んだ方が良い」よりも功利的、合理的判断として一歩リードするんだよ >>31みたいなゴミと最初から会わなくて済むだけでも生まれないほうがいいじゃん >>32
逆だろ
生むことは幸福になる可能性を与えること
幸福になる可能性を与えることは善
不幸になる可能性を与えることは幸福になる可能性を与えることをなくすことにはならない >>33
お前はどうして今すぐ死なないの?
今後の人生に幸福は訪れないのに
自分自身に不幸の可能性を与え続ける悪の存在であり続ける理由はなに? 「生むことは悪」からは論理的に「人間は死ぬべき」が導かれる
「生きることが善」であるなら「生むことも善」である 反出生に対する反論がどうして今すぐ死なないの?ってのがトンチンカンだな
反出生は出生しないことが目的であって死ぬことが目的じゃないんだが 「生むべきではない」という結論が先にあるなら「勝手にどうぞ」以外の感想はない
論理を組み立てて「生むべきではない」という結論にたどり着くのであれば、同じ論理で「人間は死ぬべきだ」という結論も導き出せる
「論理的に導き出した結論は正しい」ということを反出生主義の正しさの論拠にするのであれば、「人間は死ぬべきだ」という結論が正しいということも受け入れざるを得ない
「正しいことはやるべきだ」ということを反出生主義の実践の根拠にするならば、「人間は死ぬべきだ」という結論も実践すべきである 死ぬべきだって、みんな死んでいってるが?
反出生主義で問われているのは生むべきではないということ
今すぐ自殺するかどうかは全く関係ない >>38
どこの盲目信者なんだろうと思ってたけどお陰でスッキリした
物知りだね 生むこと=幸福を与えることじゃないからこそ言ってるのに 人間は死ぬべきだって思うならさっさと死ねばいいのにね
反出生は作るな生むなとしか言ってない 「死ぬべきだ」を正しいと結論付けるための、今死んだ方が功利的、合理的な判断として善であり得であることを明確に裏付けるロジックが何処にも語られてないんだよな
大概の生命体にとったら死に直面する恐怖は苦痛=悪=不利益の最たるものだ
それを自分から抱え込みに行くだけの苦痛を今この段階で感じてないなら現状維持が善であり得なのが正常な判断だろ
まあ、自殺してない人間の苦痛は認めない論者にはそれこそ死ぬまで理解出来ないんだろうが
自殺する程までではない苦痛、死にたくても死ねない苦痛、苦痛にも個々様々グラデーションがあることすら認めないからな
てか苦痛なんか存在しないと別の場所で強弁してたのと同じ人間なんだろうしな >>46
「人生は苦しいもの」という前提は正しいよな?
ならば「今すぐに死なないほうが良い」というためには「苦しい人生を死によって回避する」という完全なるリスク回避に匹敵する確実なメリットが必要になる
だがそのメリットを確約するに足る何事かは何処にも存在していない
「死に対する恐怖」は「今死なないこと」の理由にはならない
なぜならそれはいつか必ず訪れるものだから
それを先延ばしにしただけで、先延ばしした期間に受ける生の苦しみの分が苦しみの総量に加算されるだけ >>47
いや?人生は幸福になる可能性も不幸になる可能性も快を感じる瞬間も苦痛を感じる瞬間もあるっていうのが論立ての大前提だぞ?
ここでも既出だからちゃんと読め
作られて存在してる限りはその両方の可能性と実感がそれこそプログラムとして起動してる訳だ
そうである以上は幸福になれる可能性を今ここで捨てることが善であり得であるかどうかの判断は不可能だろ?
唯一死を選ぶことが間違いない善と得になる条件とは今この瞬間に死の恐怖という苦痛を上回るほどの苦痛を覚えていること
既に存在している人間にとってはな
お前は一度その凝り固まった反出生=苦痛と不幸フォビアみたいな脳内設定を解除してくれ
でないとまともに話しも出来ん 生まれないことには何のコストもかからない
自殺には肉体的精神的に苦痛が伴う
生まれないほうが良いというなら死ねって完全に基地外じゃん >>48
死の恐怖はいずれ必ず訪れる
寿命や病気といった形の方が強制的な暴力が加えられる分、苦痛はずっと大きい
幸福になる可能性があるから不幸になる可能性も受け入れるというなら、「生まない方が良い」という結論も同じように否定される >>50
既に作られて生きて現に存在してる人間と作られる前の状態では用いられるべき判断基準が違って当然なことは理解出来るか? 反出生主義の間違いは幸不幸をアプリオリなものとして定量的にそのリスクを見込むことにある 作られる前の人間は絶対に死なないしね
だから作るなというなら死ねはおかしい >>54
作られる前はプログラムが起動してないどころかプログラム自体がそこに無いだろ
つまり観察者であるこっちから捕らえて無視してもいい余白が大幅に出来てる
他方の作られて存在してる観察者はプログラムの存在、影響を絶対に無視出来ない、逃れられない 子供を産まないって判断したら自分も死ななければならないって
これはどんな宗教なんだい? >>53
それを反出生の間違いだと断じることもまた間違いなんだよ
一つの物事について善悪や損得を定めようとした場合の必然でしかないんだから
対象をあえて限定的、定量的に扱うっていうのは >>56
プログラムがなければ無視してもいい余白があるとする理由は?
存在している観察者がプログラムの存在を無視できない理由は?
それは言葉を言い換えているだけでなにも言っていない 反出生主義への反論はまず基地外発言になっちゃう
それはなぜか
反出生主義には常識的判断しか含まれていないからだと言うしかない >>45
×死ぬべき
〇生まないべき
いつまでたっても勘違いしたままだな
だから話が進まない
生きる-死ぬ
生むー生まない
の対義語なのに、生まない=死ぬという勘違いを引きづったまま 反出生主義もプログラム上にしか存在できないからね
プログラムなんかオッカムのカミソリに任せておけばいいね >>61
別の話だと思うなら無視すれば良い
ただ論理的に新しい命題にたどり着けることを示しただけだ
論理的に正しいことを受け入れる義務はない 信仰というのは神でなくても形を変えてしぶとく付きまとうね
自然、プログラム、本能、善
こいつらを拝んじゃったらもうまともな判断はできない >>59
作られる前の子供が腹を減らして苦しむことがあるか?
その苦を埋め合わせて快へと導いてやるために金を稼いだり食事の支度をしてやる必要性は今ここにあるか?無いだろ
だからそういった現実性としては無視してもいい
可能性の考察としては最大限に組み込まれるべきだが
他方の観察者、存在する者には常にリアルタイムでその必要性が付き纏う、決して無視出来ない、逃れられないだろ?考察以前の話しとしてな
その違いを言ってる >>61
>>45は反出生に向かって死ね死ね死ぬべき死ぬべき言ってる奴に宛てて書いてたんだけど >>65
それは共感を求めているだけでなんら論理的に説明していない
私は論理的な説明を求めている >>64
お前は言葉、単語に捕われすぎな
生きて与えられて勝手に発動する感覚や生存本能に他に適当な表現がないからプログラムって使ってるだけなことぐらい見てて分からないのか
使用者が信仰とは逆のベクトルでその表現を使ってることぐらいは最低限読解出来るようになってくれ >>67
そっち自体が作られる前の状態と現に生きてる人間との差異をどう捉えてるのかから説明してみてくれ
そこに補足なり修正なり同意なりを加えて行く プログラムというメタ的な概念がこの問題にとっては不要なんだよね >>70
お前は他者との対話も交流も完全に拒絶して超倫理を盲信して思考停止してるだけだからな
反出生はただ反出生であるというだけで正しいと主張する人間以外は皆お前の敵なんだ >>69
反出生主義について論じるにあたって差異はない >>73
差異があることを示せないから
差異はあるかないかの二通りしかない
差異を示せなければ差異はない 人間はプログラム自体はどうすることもできないから無駄じゃんww >>74
示すとは?具体的には何を以て、どんな状況を指して示されたことに、また示されていないことになるんだ? >>76
示すとは、相手によくわかるように、出して見せたり、自分で何かをして見せたりすること
私とあなたのやり取りの中で私はあなたに対して差異を示さなかったし、示せない >>77
前にも同じことは書いたが
自分が生まれる前、父と出会う前の若かりし日の母、母と出会う前の若かりし日の父の姿を写真や映像として見たことは無いか?
もしも記録として残っていなかったとしてもそのかつての時間が何処にも存在していなかった事には決してならないだろ?
そのこと自体に目に見える形での証明が必要か?
作られる以前と作られた後の差異はその男女の過去と現在だ
男女と男女の間に誕生した子供にとっての以前、過去と現在との違いこそがここで示される差異そのものなんだよ お前には差異は示せなかった
そもそも差異を理解し存在を認めるつもりが毛頭ないからな
俺には示せてる
後は示された事実、現実としての差異を差異であるとして正しく認められるかどうかだけだろ
「確かに差異は存在する」と
端にお前個人の能力や力量が試されてるんだ >>80
話が元に戻った
私はあなたに差異の論理的な説明を求めている
あなたは私にあなたの主張への共感を求めている >>81
事実の認識と共感の違いが理解出来てないってより出来ないふりで逃げてるのなw
俺がここで示そうが示すまいが、お前が共感しようがしまいが、それとは全く無関係に過去と現在は存在していたし存在しているだろ
それが客観的に差異が存在しているって事実、現実そのものなんだ
それこそが客観的証明ってことな
ここまでの説明が間違ってるというならそっちも理論で覆せばいい
是非とも証明してくれ
過去と現在との間に差異等は存在していないと >>82
私はあなたが私の主張を受け入れることを求めていない >>83
受け入れるかどうかを決めるのはこっちだ
一度そっちの主張を要約してみてくれ 両者ともなぜトリップもコテも付けずにやるのか
何が何だかわからない ガンジー「子どもを産むことは原罪的な呪いの行為であり慎むべきである」
40代無職童貞「俺がモテないのは遺伝子のせい!生まれたくなかった!」 どうせセックスさせれば中出ししたい!ってなるんだろ?
避妊が今ほど簡単でなかった時代の思想 「もてないのは遺伝子のせい」
否定しがたい
反出生主義は正しいと思われる また、基本的に「親」は、
自分の過去の話を執拗に話して美化したり、子供に押し付けたりもする。
「子供」が「自分」と同じように「思った通りに」育つと思い込んでいる。
そして、そうならない時には、結果的に無理にそういう方向へ持ち込む。 一頃はその人や朱雀って人とたまに間違えられたなあ
今どうしてるんだろ 朱雀のころに比べれば反出生主義は飛躍的に台頭しているな。
そのころに基地外レスを量産していたアンチの「オカルトさん」とかどうしてるんだろう。 反出生関連のスレには必ずアンチの粘着がいたが完全にどこかに消えたな。 >>74
全ての出来事が1であるのにそこにこだわる必要性がない
差異すら無意味だよ。君がなにを成すかなさないか >>92
それを決める権利すらない。そもそも人に権利事態ない
全ての誘導されてるから。 生物の否定ってなんだ?
頭のおかしい奴の言うまわしは独特だな 自民政治に文句言うなら日本から出てけみたいなノリだよな
なんで生物代表者目線、施政者目線、支配者目線なんだか毎回毎回 だって、反出生主義だったら、
生物は人為的に絶滅させる以外ないんじゃないですか。
人間なら、反出生主義を奉って子供を産むのを
やめて粛々と絶滅する可能性も、まあ 一億分の一%くらいはなくはない
ですがw、人間以外の生物は、そんな
可能性はゼロですよ。 なるべく苦痛のない形での全種の生命滅亡を掲げてるのはエフィリズム 戦争を防ぐ為に「平和」を称揚しようとするのとおんなじだと思う。
反出生主義は人の不幸の解決策というより、不幸から目を背けているだけだ。 出た。
誤った二分法。
哲学徒だったら詭弁論理くらいチェックしてね。 え?反出生主義は人の不幸の為に出産を悪としたりする、それ自体が極論でしょ?
誤った二分法かな、大前提に何か誤りがある? あなたって安楽死はどう思う?
安楽死は苦痛に対して効用があると思う? 哲学はついに長い間タブーだった人間の出生についても扱えるようになったんだね。
まあ慶賀すべきことだろう。 原理主義が行き過ぎると、最も賢明な選択は最も消極的なものとなる 自分で好きな方選択すればいいんじゃないの?絶対子供作れとか、子供作るなとか強要するのは良くないけど。 幾何学的な物の考え方、解釈、発想をするのが普段からの習慣になってる人間からすると
反出生が最も疑う余地の少ない帰結点であることに他者の解説は待たなくなるんだけどね そこがどうとでも自由に引けるのも事実だけど、点自体は動かないことが大前提だからねえ 元より線すら引かない、引くことに意味を求めてない人間が圧倒的多数派なんだろ 点がふたつあったら思わず線で結びたくなるのも何処かでは本能だと思うんだけどw 何処まで行っても何選んでも最後はそれだろ
誰も本物の虚無にはなれない だけどその偽物の虚無っていうのがまた虚無を誘わない?ww m(__)m
一心に海を目指す以外には何も出来ない海亀の子供の悲しみだね とりま海や砂浜に平気でゴミ捨ててる人間だけはマジ最低だ 今度海岸の清掃も兼ねながらビーチコーミングでもしてみようか 今ビーチコーミングで検索してみた
面白そうだな
いいアイデア、プランだと思う 過去の厭世的な反出生と今回の反出生の広まりの違いは
分析哲学で詰めたところなんだよ。
もう倫理的正しさの議論の余地が限られてしまっている。 ベネターの反出生主義は厭世主義や虚無主義とは無関係のところで立論されている。 無関係では無いよ
感情的な揺らぎを排して立論しているのであって出されている回答には虚無性が備わっているから
つまり、この世界を存続させることの意義と意味について明確に却下する時点でね
それはやっぱり厭世であり虚無なんだよ
紛れもなく志向しているそれが世界の存続や可能性の否定なのだから >>126的な言い方で反出生を推す人間には、もしかして虚無や厭世は悪いものか間違ったものだっていう強固なバイアスが働いてるのかもな あくまでも、もしもそうなら、だけど
近代にあっては特に
それが「投げやり」「無気力」「悲観」「退廃」と同じ文脈で語られることが多いせいかも知れないね
戦前教育のような非人間的とも言えるファンタジーの域にまで届くような
精神論を先祖がえりでもするかのように欲して崇める人達も増えている印象があるし 少し前にあった政治家の「生産性の無い人間」って発言をめぐる大勢の議論見ててもな
その発言の意図するところが肉体を持って動き出したみたいな植松だって未だに信者みたいなのがウジャウジャ居る
前向きに前のめりにガツガツと国家や帰属する組織に忠誠を誓って貢献し続けてない限り即村八分か吊るし上げの世界だ
確かにそんな中で虚無や厭世気取ってりゃ殺されてもおかしくないw 人間には「一人」「自分」「他者」の中に予め色々な側面、性質、性分が備わっているし
また一生を通じて様々な状況に巡り合い、その環境に本人の意思や希望ともまた別に
置かれていく存在なんだって視点が欠洛してるんだよね 反出生系のスレで「やりたきゃお前らだけで竹やりでB29落とす練習してろ」って憤ってた人間を見たことがあるぞw まあ、正に、ファンタジーの域まで行った精神論っていうのがそういうことだよねww アスペルガー症候群を指すアスペってネットじゃ侮蔑用語として使われてるが、その特性は極端な論理的思考と空気を読ま(め)ないことなんだってな
ある意味じゃしぶとく根付いてるそんな精神論的共同妄想をぶっ壊す働きする役割持つ存在な訳だ 「我慢して努力して頑張って最後まで信じてさえいれば必ず竹槍でも戦闘機は落とせる」って
そう声をかけあいながら必死に汗を流して訓練してる大勢の中に居ながら
「竹槍で戦闘機なんて落とせないよ、この訓練は無意味だよ」
そう言ってしまう感じだろうね
悪意でも善意でもなく、単純な事実の指摘として 殺したら駄目なんだよね
それを殺すから妄想的な共同体は時間の経過と共に病んで行き詰っていくんだ
まあ、強引にねじこむなら虚無や厭世の働きもその指摘者に似たところがあるんだよね
「信じない」「流れに呑まれない」そしてそれを言語化して表明することで熱に浮かされてるような集団に水をかけて醒ます働き てもやっぱ覚めたくない、熱に浮かされて夢みてたい人間、集団にとっては余計なお世話以上にそいつは悪魔か鬼だろ?
目障りでノリの違うそのKYを血祭りにあげて見せしめにリンチすれば集団の結束も高められるしな
そんな構造の中でバンバン死んで(殺されて)行ってるんじゃないか
元は善でも悪でもない悪魔や鬼は 方向転換をする、別の行先に舵を切るための決断をする勇気の欠如だからね
現状維持こそを最大値、至上命題としてしまって
そこに賛同する人間以外を徹底排斥するという方法論の内にあるのはさ
極度に偏向した精神論、根性論なんて弱さの別の姿なんだよ
本当の強さはきっと柔軟性としなやかな柔らかさの中にあるんだろう 否定するなら最後まで否定しろwwwそういうとこも腹立つんだよwww 0/1、0/100思考はやめろwww少しぐらいは無理も努力もしてくれwww >>126
ベネターの本は一応読みましたが、分析哲学か厭世主義か虚無主義かはともかく、
あれは、どう考えても、箸にも棒にもかからない「愚著」ですよ。
なんだか、あんまり頭のよくない学生の卒論を読んでいるみたいで、
あんなものを本気で奉っている人がいるとは、どうも信じられません。
最初に「快と苦の非対称」の話があって、すべての議論の根幹なんですが、
これがどうにも混乱していてわけがわかりません。
「苦の不在はよい」「快の不在は悪くない」という命題が真とされて、反出生の議論に
つながっていくのですが、現実を単純化して人間心理を快と苦で割り切ろうとするなら、
あり得る可能性は
1.快の現前
2.苦の現前
3.両方の現前
4.両方の不在
の、4パターンだけです。
これに、形式的によいと悪いを当てはめるなら、
1.快の現前は「その人にとって」よい
2.苦の現前は「その人にとって」悪い
3.両方の現前は「その人にとって」よいと同時に悪い。あるいは、
快が勝っているならよくて、苦が勝っているなら悪い。
4.両方の不在は「その人にとって」よくも悪くもない。
と、本来はこれで話はすべて終わりです。
形式論理的には「苦の不在」は1と4の集合で、「悪くない」
「快の不在」は2と4の集合で、「よくない」となります。非対称性などどこにもありません。 何よりベネターの致命的な欠陥は、「その人にとって」という前提を抜かして議論していることです。
だから、「苦の不在は、それを感じる人がいなくてもよい」とか、わけのわからない
ことを言い始めて強引に反出生の議論と結び付けようとするのですが、およそよいとか悪いとか
いうのは「ある人にとって」という主観的な意味しかないのであって
(まあ、これは大問題で、賛成する人はあまりいないでしょうがw、私にとっては
考える余地のない当たり前の話です。)
「客観的にそれ自体で」よいとか悪いとか、「存在しない人にとって」よいとか悪いとかいう
言い方は、意味をなしません。
さらに、混乱に拍車をかけているのは、たとえば「苦の不在はよい」というのを、
「歯が痛いのが治るとすごくうれしい」みたいな話と混同しているとしか思えないことです。
理由が何であろうと、当人が「うれしい」と感じているなら、それは「快の現前」であって、
当人にとってはよいに決まっています。
たとえば、歯が痛くてつらいなら、それは「苦の現前」です。
歯医者の待合室で雑誌を読んでいたら面白くて痛みを忘れて読みふけったなら、それは
「快の現前」です。治療でがりがり削られて痛いなら「苦の現前」だし、
治療が終わってほっとして、痛みが取れてウキウキしているなら「快の現前」だし、
他の歯が虫歯になったらと不安になったり、今まで忘れていた仕事の悩みを
思い出して憂鬱なら「苦の現前」です。そういう気分が混在しているなら、
「快と苦の現前」というしかないでしょう。
このように、人間の快と苦は複雑にないまぜになりながら、一瞬ごとにつねに
流動変化して定まらないのが普通です。
で、この話は心理学や文学の題材にはなるでしょうが、どう考えても反出生主義とは
あんまり関係がないのです。
まあ大抵の思想やイデオロギーについても同じなのですが、べネターの本を
奉っている人たちは、実際には読まずに結論だけ採用しているのだとしか思えません。 何よりベネターの致命的な欠陥は、「その人にとって」という前提を抜かして議論していることです。
だから、「苦の不在は、それを感じる人がいなくてもよい」とか、わけのわからない
ことを言い始めて強引に反出生の議論と結び付けようとするのですが、およそよいとか悪いとか
いうのは「ある人にとって」という主観的な意味しかないのであって
(まあ、これは大問題で、賛成する人はあまりいないでしょうがw、私にとっては
考える余地のない当たり前の話です。)
「客観的にそれ自体で」よいとか悪いとか、「存在しない人にとって」よいとか悪いとかいう
言い方は、意味をなしません。
さらに、混乱に拍車をかけているのは、たとえば「苦の不在はよい」というのを、
「歯が痛いのが治るとすごくうれしい」みたいな話と混同しているとしか思えないことです。
理由が何であろうと、当人が「うれしい」と感じているなら、それは「快の現前」であって、
当人にとってはよいに決まっています。
たとえば、歯が痛くてつらいなら、それは「苦の現前」です。
歯医者の待合室で雑誌を読んでいたら面白くて痛みを忘れて読みふけったなら、それは
「快の現前」です。治療でがりがり削られて痛いなら「苦の現前」だし、
治療が終わってほっとして、痛みが取れてウキウキしているなら「快の現前」だし、
他の歯が虫歯になったらと不安になったり、今まで忘れていた仕事の悩みを
思い出して憂鬱なら「苦の現前」です。そういう気分が混在しているなら、
「快と苦の現前」というしかないでしょう。
このように、人間の快と苦は複雑にないまぜになりながら、一瞬ごとにつねに
流動変化して定まらないのが普通です。
で、この話は心理学や文学の題材にはなるでしょうが、どう考えても反出生主義とは
あんまり関係がないのです。
まあ大抵の思想やイデオロギーについても同じなのですが、べネターの本を
奉っている人たちは、実際には読まずに結論だけ採用しているのだとしか思えません。 じゃあ安楽死って誰のために何のためにやってるんでしょうかねえ?w ちな、歯の治療が終わって苦痛が無くったときに別に感覚的な快は生じていません。
反省的に苦がなくなったことに安堵してしている状態です。
歯の治療後の快?のために虫歯になる人はいませんね。 現存する実の個人の存在を抜きにしては
快苦についての立論は不能なんてことがまず無いからね
反出生を論証する場合に用いられる個人は理論上のXで充分なんだよ
交通事故の衝突実験で一定以上の有用なデータを得るのが
実際の人間では無いダミー人形の代用でも充分なようにね そもそも無茶苦茶な理解、解釈過ぎてどこから突っ込んだらいいのか分からないな 立論者は作られた後の生身の人間、特定個人以外では有り得ないこと
立論された理論の上に存在して出生の是非を論じられているのは
個人性の排除されたダミー人形同然のXであること
このあたりの区別が曖昧になってるが故の混乱のように見えるけど リアルタイムで生まれてよかったと感じてる人間の存在を説明、証明してもらいたいんじゃないか
それが反出生の文脈上ではどういう位置付け、扱いになるのか もう生まれた後の実存する誰かについての
出生の是非を論じることに意味って無いよね
生まれなければ良かったって結論が出たら
生まれる前に戻れるという訳じゃないから 個人的には快と苦の関係性、幸福と不幸の成り立ちが一番説得力持つんだけどな
反出生の裏付けとしては
>>155の指摘通り 作られないと困る人は何処にも居ないとしか言い様が無いからね それが作られると否応なしで快苦の処置と対応に追われるしかなくなるんだもんな
死ぬ時までは、それが意識的、無意識的かは問わず やっぱりそこを覆そうとするなら?
それを全て踏まえた上でも出生は必ず素晴らしいものだとする
新しい理論を構築することが課題になるんじゃないかなあ
せくせくと快苦の対応に追われることがXにとっての出生の是、
出生こそが絶対的な正解足り得る理由をこれこれこういうものである、とね? 合理性、功利性、効率性で詰めた時にはマジで何もないからな
わざわざ苦しめたり苦しんだりしてまで快を求めるための始まりの動機や理由は 作られた後の実存する個人がリアルな体験として
「得られた」良いものを否定する理論では元より無いしね まあそこを極めるとやっぱり最後は虚無的だよな
良かろうが悪かろうがどっちにしても要らないって意味になるんだろうからな 作る側、親にとっての子供を持ちたいという欲求を満たすため
社会を安定して維持運営していくため
そういう部分以外での
作られる側、子供目線から考えた場合の
作られる事の絶対的なメリット、合理的な判断としての是、
その証明となるとね 難解過ぎて手に余るんだよ
だってそれはもう魔法や奇跡の域だからね
宗教、信仰としてなら充分に可能だろうけど
精緻に、ロジカルに、となるとね それこそ立論に用いる時に使うのが個人性を抹消したダミー人形だからこそだよな
現実の生身の個人個人なら、今この瞬間だけを切り取れば生まれて良かったと感じてる人間も大勢居るはずだ それが全ての出生について絶対的な是、正解とするための
論拠として用いることが適当かどうかっていう話しだよね
生まれた後の人間なら各人によって
状況も体感も実情も様々、それこそ「人の数だけ」なのが当然だもの シミュレーションや確率論、それと最終的にはリスクヘッジに行き着くんだと思うけどな
反出生の持つ正しさについての説明なら
そこの性質がまた倫理性と道徳性にもダイレクトに繋がるんだしな 海亀の例えに倣ってね
自分の子供達が様々な苦難と苦痛と残酷な現実に晒されながら
それでも否応なしに海に向かう(基本的な仕様として生きようとする)以外には何も出来ないと知りながら
そこに作り出すことがどうなのか、どんな意味を持つのか
正にそこだよね ありがちな自分自身も親からそうされたんだから自分自身も子供にもそうするって答えもな
体育会系のノリとしてならありかも知れないが、それをすることの正当性の証明にはまるでなってない 反出生論が作られた後に人が素晴らしい経験をする可能性についても
否定、不認可、無価値化してることは確かだよね
それは、それをしなくては絶対的に存在する不幸の新しい出現を防げないからだ
ダミー人形Xにとって「素晴らしい経験=善」の出現は
あくまでも未知で未定、不透明な「可能性」であるが
「残酷な現実=悪」の出現は「確実性」を持ってるっていうことなんだよ まあ簡単に言えば幸福/不幸の体感そのものは生まれてみないとその当人にしか分かりようも無いが、残酷な現実が予め存在しててそれが誰にも変更不可能であることだけは揺るぎ無い事実ってことだよな
反出生論が重きを置いてるのは最大多数的功利とも言えるだろ
あくまでも作られる側にとっての判断としてだが 子孫繁栄を絶対善とさえ設定してしまえば
それならいくらだって可能なんだよね
絶対的な出生肯定のための立論もさ そこが担保されてさえ居れば、限られたごく少数の栄華のための無数の不幸も犠牲も簡単に正当化出来るからな
全ての不条理も不合理も問題にならなくなる
ただ種として永らえてさえ行けば全てがOKなんだろ
質より量、質より時間の長さって訳だ より良く生きる、生の品質を高める、各人の福利厚生を充実させる
その概念とは競合も対立もしてないんだけどね
反出生論自体は 子供の事なんかほぼ何も考えずに行われてる繁殖の連鎖と、性行為が気持ちいいから、子供が欲しいから作ってるのの何が悪いって居直るような粗暴な連中へのカウンターなんだよな
あくまでも ある意味ではそんな乱暴な出生肯定の方がよほど具体的な社会悪にもなり得るよね 産めよ増やせよのスローガンなんて最初から子供の人権無視、人権蹂躙もいいとこだ 事実、出生について子供の目線で考える事を完全に否定するなら
それは子供に対する暴力性にも直結してくるはずだよね 哲学としての反出生理論の要はそういう部分だろ
作られることの意味を作る側として何度でも再考し続ける それはもう、シンプルな人情だけなら
出生だけを絶対的に肯定出来たらどれだけいいか
ねえ 出生への絶対的な肯定は全ての人間の絶望と不幸と苦痛の全肯定と同義だからな
それが出来る人間が居たとしたらマジで何も考えてないか100%自分への関心しか持ち併せてない奴なんだろ 作られて生まれたからには一人でも
その一人の人にとっても少しでも、
適う限り、より満たされて幸せな方に
身を置かれていてもらいたいと切に願うけど ある意味それがどれだけ難しいかって話しでもあるんだろうしな
それこそ魔法でも使えるんじゃなきゃ まずは自分自身と身直に居る人達からしか出来ないものね
それさえも時にはひどく難しい 俺みたいなうるさい奴にはグダグダ絡まれるしなwww 早速良い方に解釈するようにしておくよwww
thx www それもね、それしか無いからねえ
絶望や不条理に打ちのめされて、うちひしがれることを避けようと思ったら
GJでいいんじゃないかと
本当にそうなんだし
嫌ならこうしてない、それがこっちの手の内の全てだよw 俺個人が出生肯定論を聞かせて、教え解いて欲しい相手が本当は誰か分かって来たよ ?
私ということですか?
そうならご要望にお応え出来ずに誠に申し訳無い 対象無差別ではなく、決め打ちで
こちらをご指名頂いていたという認識は無かったな
もしかするとそれも残酷なことだったのかも知れないね
もっとちゃんと、改めて
一から考えるようにしていこうと思うよ
それで僅かでも償いになるといいのだけど 荒らすな
>>153
で、安楽死に効用はあるのか?
あるとすれば誰の苦痛に対してだ? 別に荒らしちゃいない
スレタイに関係したテーマについて各人話したい相手と好きなように話しをする場所だろ
てかなんで急に安楽死の話しになってるのかの詳細頼む 君は>>153か?
まあいい。
安楽死では苦痛を免れたことを認識する意識そのものが失われる。
苦痛の回避を経験する主体そのものがない。
それは、生まないことで苦を回避することと同質のことだ。
安楽死に当人に対する効用があるのなら、生まないことで苦が回避された場合
固有名詞のつかないXに対して効用があるとしか言えない。 快に対しては主体が存在し、経験が成り立つということが効用を成り立たせるための条件であるが、
苦や不充足はこれとは違う。経験が成り立たないことが効用を成り立たせるための条件だ。
苦が回避されたことを認識する主体が絶対に必要などと言うことはないだろう。 そのレスも前提になってる事実関係の理解が支離滅裂過ぎてどこから突っ込んだらいいのか分からん
安楽死するその瞬間までに経験する生命としての時間は何処に行ったんだ 安楽死を選択しなかった場合の、引き続く苦痛の期間との比較だね。
引き続く期間が長いと予見されるほど安楽死へのハードルは下がるだろう。
注射してから死ぬまでの時間はあっという間だ。 安楽死を選択しなかった場合の、引き続く苦痛の期間との比較だね。
引き続く期間が長いと予見されるほど安楽死へのハードルは下がるだろう。
注射してから死ぬまでの時間はあっという間だ。 君は、苦痛の期間が5年と10年である安楽死希望の人間のどちらかの望みを叶えなければならないとしよう。
どちらの人間に安楽死を適用すべきか。
これは10年のほうの一択ではないか。
この選択が可能になるためには「主体の失われたことで苦が現前しない」という事柄に
効用を認めなければ不可能だろう。 安楽死に過剰に夢みてることは分かる
だがその理屈だけで考えるなら安楽死に限定する理由もなくなるだろ
首くくるのだって生きて苦しむ時間の長さに比べたらほんの短時間なんだから
何故それを直ちに決行しないか、その理由の説明が必要になってくる
反出生の生=苦への出現の予めの否定、拒絶とは結び付かないものになる 全く必要ではないね。
「人がなぜ生きるのか」は今は関係ないだろう。
生まれてしまえば生き死ににコストや苦痛が付きまとうだろう。
生まれないことのコストはゼロだ。
話を逸らすんじゃないよ。
安楽死には効用がある。
同じく、生まずに苦を回避することにも効用がある。
それだけだ。 生まれないことで起こる苦や不充足はゼロだ。
死ぬこととは全く別の事柄だろう。 苦に対する絶大な効用があるという共通点があるからニ者は同じだとはまた乱暴な結論だな
最初から 安楽死さえ出来るなら死ねるのにな でいいだろ
反出生と安楽死は対象も効果が及ぶのも各自で別々の方法論だ
>>153への反論に安楽死を持ち出すことにまず無理がある
反出生の苦痛への効用は徹底防除こそにあって、安楽死の苦痛への効用は対処としての抹消だからな 防除と抹消と言ったところで、
「苦痛が無いことを認識する意識が無い」状態が苦に対して効用を持つこと。
という核心部分は同じなんだよ。
君が、苦や不充足を経験する個体を一定時間存在させることが出来るとしよう。
(実際出生させることはこれを含む)
そして、50人か100人か選択できるとしよう。
これはどちらを選択すべきか。
まあ、50人の一択でしょう。 空気を読むとかいう宗教 通称エアー教団
イスラム教→アラーに服せば天国に行ける
キリスト教→善い行いをすれば天国に行ける
仏教→欲望を解脱すれば悟りの境地に行ける
エアー教団→集団自殺へのリスキーシフト、常に間違った選択が出来る集団精神病の境地へ この選択に、「苦痛を回避したことを認知する意識」など持ち込む理由はないだろう。 一瞬で安楽死さえさせてさえもらえるのなら、安楽死する直前までの苦痛はどれほどあっても全て不問に処す訳だ
寛容だな うーん、
「生まれないこと」と「死ぬこと」は人にとって全くの別の事柄だね。
きみはそれらをわざと混同させているね。
何かを認めたくないために。 いや、明らかにそこの部分の区別ついてないのが安楽死をわざわざ持ち出してる方なんだが
まあ理想通りの安楽死が出来るといいなとしか言えん 安楽死と言ったって本当は辛いかもしれないよ?
本当は生きてやりたいこともあるかもしれない。
生きることの苦痛と死ぬことでもたらされる不充足のトレードに過ぎない。
生きることの苦痛が、死ぬことでもたらされる不充足を上回ったに過ぎない。
だが、「生まれない」には何の苦も不充足も生じない。
「死を選択すること」と「生まれないこと」に区別をつけないなど
気違いじみた結論を目論んでいるときにしか可能にはならないだろう。 >>217
だから、反出生の論点は>>212なんですよ。 狩り漁狩猟採集酪農畜産養殖農業を現実的にやめ食事を断るのが僧侶の在り方まで徹底できたか? >>219
論点が同じで導かれた回答に共通点があるからと、そのどっちでも同じだって主張は通るはずがない
そう指摘してるだけなんだがな
反出生は根本治療で安楽死は対処療法ってアレだよ >>221
そもそも君が>>153の代わりに答えてくれていのかどうかもわからないが、
>>153の言説は、「本人が苦痛を免れたと認識されることがなければ苦痛の回避に効用は無い」
であってそれにたいして「勘違いですよ?」と言ってるわけです。
頭の中を整理してからレスしてください。 wwwwww安楽死すらもめんどくせえwwwwwwwwwwwww 生むか生まないかという選択の時に避けられない問題、
認識されない苦痛の回避に効用があるのかという問題、
>>212はその思考実験です。
どうするんですか? >>222
いや、そっちが頭から誤認、ミスリードしてるんだ
苦痛の回避された主体ではそもそも有り得ないんだよ
安楽死でこの世を去る人間はな
その人間は苦痛を存分に受け取ってる上でそれを選択してるんだからな >>225
予見される苦痛に対して、意識を消失させるということでその経験が成り立つことを回避する。
予見させる苦痛に対して、意識を生じさせないということでその経験が成り立つことを回避する。
両方とも苦に対して効用を持つが、前者の方がより功利的に優れているだろう・・・
もういいかな。
切りがないわ。 ついでに本人が認識出来ないならっていう読み方をしてるのも大雑把だし不正確だろ
あくまでも反出生への反論者である>>153が指摘してるのは認識いかん自体のあるなしではなく認識をするための存在としてのあるなしのはずなんだ ごめっごめん、「後者の方がより功利的に優れている」
だ。 というか何で君が当初から頼まれもしていないのに>>153の代弁をしているんだよ!!
俺は>>153にレスを投げたにすぎんのだ。
狐に摘ままれているみたいだわ。 >>226
安楽死を持ち出した事で、不適当な部分を多く残した反論になっていたことだけ理解して了承してもらえればそれ以上は特に何も無い
荒らし扱いも取り下げてもらいたいところだが、そこは個人主観だしな 安楽死も生まないことも、意識を条件から外すことで苦の回避を行う。
否定のしようない事実ですよ・・
事実は俺にもどうすることもできませんよ。
いい加減にして下さい。
w 生まないことは条件自体も全てを予め存在させないことだ まあね。
「人間にとって」何かが好ましいということ、
「AよりBが好ましい」という場合Aを選択すれば不充足が起こる、つまり
「AはBより好ましくない」という事と同じなんです。
生んで快を出現させる稼働といった場合、どんなに大規模に快の現前を取りやめたところで
人間の不充足は起こらない。
「快を出現させるほうが好ましい」がそもそも成りたたないんです。
生まずに済ますことそれ自体は全く何の人間の実問題を引き起こさない。 元より快苦は一体だからね
だからそのどちらか片方だけを生み出すことも
生み出さずにおくことも不可能なんだよ
反出生が一般的には「善いもの」とされる感覚的時間の誕生まで
「悪いもの」と一緒に予め切って捨てていることは確かなんだ うーん、
今時「善い」ですか。
人間存在を外部から規定するような「善い」は想定していません。
いわゆる善、絶対規範ですか?
ある人にとって「好ましい」「好ましくない」があるという実存的な話なんですよ。
ベネターの分析的実存主義は。
「ある人にとって好ましいものはその人に対して価値を持つ」そういう万人が認め得るところから
ベネターの記述は出発します。
で、「善いことが無いよりあったほうが良い」と言い得るのは「無いと不充足が起こる」という場合のみなんです。
でなければ人間の実問題にはなり得ない。
生んで善いことを生じさせるかどうかという選択がある場合、
生じさせなくても不充足は生じません。
「生じさせたほうが良い」が成り立たないという事です。
善いことの多寡で不充足が起こるのは生まれてしまって選好主体を与えられた後の
事柄です。 安楽死もいいかもしれないが
゛ちん楽死゛
ってのはどうだ 誰だって最後はちんちんに看取られたい
だから10人くらいのおちんちんを顔に
つけられて安楽死させられる
無事天国に行けるように
それが゛ちん楽死゛ >>236
そういう価値判断以前の単純な出来事、事実として
両方を否定しているという状態は
確かに反出生の理論上には起きているということ
そこで反出生論に対する批判者が仮に「善いもの」に絶対的な真価を認めていた時には
それは「「悪いもの」がそこに不随していようとも」必ず絶対的に肯定されることになる
その土壌にあっては「悪いもの」の発生を未然に防ぐことが常に優先されるべきだという
反出生的な最適解が効力を持ち得なくなることも確かなんだよ
但し、上でも話していた通り
ありとあらゆる全ての「悪いもの」を絶対的に肯定出来る人間や理論は存在しないから
そういう存在が現れる時まで反出生論の導く最適解の正当性、優位性は揺らがない
こうなるね いや、誰しも自分の価値観はことさら大事でしょう・・w
誰かの選好をとりわけ重視するなどということはないでしょう・・ 生きてる人間が「生きることは苦しいことばかりだ」って言うのはZOZOの前澤社長が「金持ちもそんなにいいもんじゃないですよ」って言うのと同じ 反出生論は生が苦しいだけのものとは言っていないよ
ただ、反出生主義者でそう言ってる人が居るのかも知れないね
だとして、それは他者によって
安易に否定されるべきものでも無いんじゃないのかな 自分自身が苦しい思い知ってるから、人の苦しさにあんたも大変だよなって思うタイプと自分自身も我慢したんだからお前も我慢しろとか、自分の方がもっともっと苦しかったって言い出すタイプが居るんだよ
中にはマジで大して苦しい思いしてないから苦しいって言う人馬鹿にする奴とかも居るけどさ 反出生主義者は苦しい思いするのは理論的に証明されてるからって言ってそれをするのを実力で阻止するタイプ アンチ反出生の説得力のなさは不幸だって自認してる人間を余計不幸にさせるような物言いばっかすることだよな
不幸自認してる人間が許せない様子なのに自分が更に新しい不幸作り出すっていうな
許さないと責める前にせめてほっとく努力ぐらいしろって話しだ 反出生主義者は自分のした苦しい思いを子供にまでさせたくないタイプだよバーカ
マジうぜえ 相手を不快と不幸に突き落としながら当人は幸福の使者気取りだからな
まあ所謂毒親なんだろな まだこの先の人生で何かいいことが起こるって期待してんの?
そんなことありえないのに?
トータルで絶対にマイナスだってわかってんでしょ? いいことはある
てよりある人間も居る
最初から不公平に出来てんだ wwwwその大前提はいっぺん置いといて?wwwwwww いいことより悪いことの方がずっと多いぞ
今までの負け分見てみろ
絶対取り返せないってわかってるだろ?
パチンカスと一緒だぞ
どんどん吸い取られてくる一方だ ちょこまかしたいいことぐらいなら誰にでもあるだろ
ただメンタルやられてるとそれもマジで全く感じられなくなるんだよな なんかいいこと悪いこと勝ち負けに置き換えて考えるのは違和感あるなー僕個人は 金稼ごうと思うならギャンブルはするなってだけの話だよ
娯楽として楽しめるならギャンブルも立派な趣味になる
プラマイだけ見てりゃそりゃ人生も無意味で無価値 最終的には誰かとの比較の話しになるからな
パチンカスにとっての本当の幸福なんかパチンカスにしか知る術ない 幸福ならパチンカスつかギャンブル依存症にはならないと思うけどさ
依存症になってる最中にもささやかなギャンブルとは別のいいことみたいのもあんのかな メンタルやられてると無理の範疇だろ
ツレで依存症ってほどじゃないギャンブル好き居るけどな
平日休みで昼間打ってるといかにもパチンコで身持ち崩した主婦って感じの女が売春持ちかけてくるとか言ってた
そうなったらもうな それを地獄と思う人間がより反出生に賛同しやすいってのはあるだろうな
汚いとか最低だとか言って女を責めたり喜んで買うような気にはとてもなれない、それこそタイプだ でも他人ばっか論って責めまくってる連中も実際居るけどなあ
それも地獄ですは まあマジで反出生主義者だからって子供の事考えなきゃいけない必要がどこにあるって言うニュータイプも現れてるしなw ほえー・・・・・世間広過ぎ
まあいいけどさ
結局なきゃないでいいこと自分で作ってくしかねーんだよな それも海に向かうのの一端だろうな
自由に出来る範囲で工夫したりしてな >>155
快が感覚的か心理的かは、問題ではありません。とにかく「安堵している」なら、
それは快の現前で、一瞬の「よい」なのです。次の瞬間どうなるかは無関係です。
ちなみに、これは次に書く「未来の可能性を考慮した現在の選択」がよいか悪いかという
問題(いわゆる手段の効用の問題)とは、まったく別のことです。
>>154
安楽死が誰のためかは一概に言えませんが(自分のために他人を安楽死させる場合もあるのでw)、
およそ安楽死であれ何であれ、現在の選択の是非を決めるのは「予想される未来の可能性」です。
自分で安楽死を選択しているなら、生き続ける場合に予想される自分の未来と、
死ぬ場合のそれ(無)を比較して、後者を選択しているということです。
まあ、これは二重三重の意味で完全な空理空論以外の何物でもないのですが、一応書いてみると、
いわゆる人生を左右するような選択(進学とか就職とか結婚とか出産とか)について、
現時点での可能な選択肢が2つあるとします。
それぞれの選択肢から帰結する未来の全人生を予想し、そこに現前しては消えていくであろう
快と苦(>>153で書いたような)をすべて数値化して合計します。
たとえば、選択肢Aがもたらすのは「快が100、苦が100」の人生だとし
選択肢Bがもたらすのは「快が120、苦が100」だとすると、
その人にとって、「AはBよりも悪い、BはAよりもよい選択である」と一応は言えます。
Bがもたらすのが「快が80、苦が100」とか、「快が100、苦が120」なら、
逆に「AはBよりもよい選択である」と言えます。
他にもいろいろなパターンがありますが、要は、快が増えればプラスで減ればマイナス、
苦が増えればマイナスで減ればプラスの要素であり、ここにもまた「快と苦の非対称性」など、
どこにもありません。 微妙なのは、Bがもたらすのが「快が300、苦も300」とか
「快が10、苦も10」とかの場合で、前者は要するに波乱万丈の人生で、後者は眠ったような
人生ですが、Aのいわば平凡な人生と比べてどちらがよいのか、一概に言えません。
さらに微妙なのは、Bがもたらすのが「快が30、苦が0」等の場合です。
要は、ものすごい幸福が3年続いてぽっくり死んでしまうとか、そういうケースです。
これも、AがよいのかBがよいのか、一概に言えません。ここにあるのは理屈で割り切れない
心理の綾であって、「快と苦の非対称性」など、どこにも見受けられません。
決して間違ってはならないのは、ここで比較されている対象は「可能な二つの未来の可能性」
であって、過去ではないということです。過去に快が百万あろうと苦が一億あろうと、
現在の選択の是非とは一切関係がありません。過去はすでに変えようがないのですから、
考えても仕方がないのです。
で、いつの時点でも常に可能な究極の選択肢として、未来の快と苦の可能性を、両方0にするものがあります。
それが「死」です。(生まれる前の胎児なら、生まれないことです。両者に本質的な違いはありません。
これを言うと怒り狂う人がいるのは一応知っていますが、結論だけ書いておきます。)
この文脈で死の持つ意味は、それが「未来の快と苦の可能性を両方0にする」
ことであって、安楽であるかどうかも、死に方が自然死か事故死か自殺か他殺かも、本当は
あまり本質的な問題ではありません。
通常は、死という選択肢は、現在可能な他のどのような選択肢でも、未来の予想される苦が圧倒的に
多く快が圧倒的に少ないことが確実である場合(末期がん患者が安楽死を選ぶ場合などが典型的ですが)以外は、
あまり問題にはされません。 で、反出生主義ですが、「とにかく生まれるより生まれない方が当人にとってはよいのだ」と
言い切るためには、上のような現在の選択肢の効用の検討において、「快と苦なら苦の方が重要なのであって、
未来の快の量は本質的な問題ではない。とにかく重要なのは、未来の苦の量がより少ない選択をすることなのだ」
と考えるしかないと思われます。
というか、「快と苦の非対称性」というのをそのような意味に理解しないと、反出生主義の根拠づけにはなりません。
しかし、このような意味の「快と苦の非対称性」は
1.何を根拠にそういう結論に至るのか、全くわからない。
2.もし本当にそう考えるなら、すべての人間は即刻死ぬのが本人のためだという結論にしか、なりようがない。
(しかし、反出生主義者は、死んでもwこれを認めない。)
という、重大な疑問があるわけです。ベネターの本を読んでも、1については混乱していてさっぱりわかりませんし、
2については言い訳じみたことをごにょごにょ言っているだけという印象しか受けません。
2についていえば、古代ギリシャのテオグニスという人は、「人は生まれてこない方がよい。生まれてきたら
できるだけ早く死ぬのがよい」という意味のことを言ったそうですが、これなら主張の筋は通っています。
現代の反出生主義者がこれを認めないなら(社会的に支持される見込みがないから認めないというより、
本心から認めていないとしか思えないのですが)、主張の内容か、その根拠づけか、あるいはその両方を
見直す以外はないように思われます。 快苦の非対称について少し書き込んだがまだ必要なようだ。
快の有無や多寡で不充足が起こるのは選好主体が与えられてからに限られる。
生まずにどれだけ快の現前を阻止しても不充足は起こらない。
「快があったほうが無いより好ましい」が一切成り立たない。
つまり、人間の実問題として成立しない。
快や幸福があるとか、その可能性は一切出生を正当化しない。
一方、苦や不充足は存在するや否や害悪となる。
生むこと自体の倫理的不合理が快苦の非対称によって、シンプルに示される。 マイナス功利主義によることなしに、悲観論に傾くことなしに
出生の圧倒的な不合理が示される。 「生んで快を現前させたほうが良い」は「生まずに快の現前を阻止することによって
不充足が生じる」ということと同値だ。
で、後者は実際あり得ない事なので、「生んで快を現前させたほうが良い」が「原理的に」
成立しないということだ。
快苦の量など実は問題ではなく、それ以前に、生まないほうが合理的となる。 実際、>>277のような事柄は万人が了承済みの事柄だ。
だから人は圧倒的に多くの時間を生殖せずに、快の現前をキャンセルし続けているわけだ。
それで何の問題も起こらないことを知っている。
ただ、自分が、この快苦の非対称の閾値を越えて子供を作りたくなった時に
謎理論をこしらえて出生のハードルを不当に引き下げているだけなんだ。 どっちも相手の言い分には全く耳傾けずに言いたいこと繰り返すばっかだな
論点が噛み合ってない 最初から反出生主義者と真面目に話したい人間の用意した文章でもねーじゃん
目が滑る >>273のような「功利計算」は他者との功利の調整、政策や法律のために必要なものだ。
一人の人間の倫理的な問題を扱うには不向きなんだ。
例えば自分の命が助かるという功利と、愛犬が死ぬという出来事が同時に起こったとしよう。
功利計算上はプラスだが実際の心理状態はマイナスだろう。
快楽功利の不備を修正し、より個人の動機や価値づけを現実的に扱えるために
選好功利主義が生まれたわけだ。
反出生主義はこの選好功利主義によって、生むシナリオとシナリオの比較によって導かれたんだ。 >>275
>一方、苦や不充足は存在するや否や害悪となる。
ってのは
苦の有無や多寡で不充足が起こるのも選好主体が与えられてからに限られる。
ってことじゃないの?
「生むことは善」が成立しないように「生まないことは善」も原理的に成立しないんじゃないの?
「生むことも生まないことも善でも悪でもない」じゃないの?
生まれる前は快も苦も善も悪もないんだから 苦や不充足は有るほうが常に好ましくない。
それは、すでに生まれてからであっても、生まれることによってでも好ましくない。
が、
快がない事は生まれた後にだけ好ましくない(不充足が発生する)だけで
生まないことによって快の現前を阻止することは全く「好ましくないことはない」(不充足が生じないので)
これが人間のアプリオリな選好のメカニズムによる快苦の非対称だ。 >>284
>それは、すでに生まれてからであっても、生まれることによってでも好ましくない。
生まれる前は? 要するに、生まれた後に快の現前を奪うという事は大きな不充足を生み気の毒な事となるが、
生まないことで快の現前を、いくら大規模に、阻止しようが不充足は生じないので
まったく人間の問題として成立しない。 だから「生むことも生まないことも善でも悪でもない」でしょ? >>285
苦は「存在する」ということが害悪として経験されるということです。
生まれない場合「苦が経験されない」以上のものはありません。 >>287
比較です。
生むことに比べ生まないことが圧倒的に合理。
となります。
この問題は従来の快楽功利ではなく選好功利主義でしか扱えません。 >>288
「生まないことは快を奪うことではないから悪ではない」
これはわかった
じゃあ同じように
「生まないことは苦を与えないことではないから善ではない」
は成り立たないの? この快苦の非対称はじつは無意識的に全員わかっていることですが、
言語化が上手くいかないようです。
あなたの知っている「幸福な人生」を送った人物を思い浮かべてください。
出生の論点は彼の「ような」人生を人間を生み出して再現してよいかという事だと思います。
最高度に順風満帆だった彼の人生ですが、もし老病死のプロセスを知っていれば
新たな出生に越えがたい倫理的な閾値を感じ取るかもしれませんね。
その閾値の原因が快苦の非対称です。
幸福な人生を出現させるのにもこのような壁が存在するわけです。 >>290
比較です。
生まないことがそれ自体「良い」のではありません。
生んで苦を現前させることが「好ましくない」のです
「良くも悪くもない」状態と「好ましくない状態」の選択です。
「良くも悪くもない」状態のほうが好ましいですよね。
ですから、ベネターの原著のGOODとあるのは、選好功利ですから、実際は
PREFERABLEと読まなければ論旨を見失ってしまうかもしれません。 >>292
>生んで苦を現前させることが「好ましくない」のです
苦の話の時だけどうして生んだ後の話になるの? >>292
>生んで苦を現前させることが「好ましくない」のです
なら、
生んで快を現前させることは「好ましい」でしょ? http://www.philosophyoflife.org/jp/seimei201404.pdf
テーブルを見ながらでないと難しいですね。
快苦の非対称を解説しているサイトの中では最も正確かと思います。 >>294
そこが実は人間の実問題から乖離した言葉遊びなんですよね。
「善い」をなぜか無制限に延長してしまう。
「AよりBが好ましい」が人間の問題としてあるとき、それは
「AはBより好ましくない」「もしAを選択すれば不充足が生じる」ということなんです。
生まないことで不充足は起きませんから、「生んだほうが良い」というのは根拠が無いわけです。 生まれたあとであれば、善いものが手の内に有ってもさらに良いものがもたらされない場合
とか、あるいは全然手許にないとかがあれば不充足が生じます。
要するに無いよりあったほうが良いという状態が、このとき初めて出現します。 >>297
それは苦に関しても同じでしょ?
生まれた後にあるより無い方がいいという状態が初めて出現する >>298
では>>212の思考実験ではどちらを選ぶべきでしょうか。
「苦が回避されたことを認識する意識が無ければ苦の回避に効用は無い。」
という原理が有効かどうかですね。 >>299
それはまた生まれる前に話が戻った
「苦が回避されたことを認識する意識が無ければ苦の回避に効用は無い。」
は
「生まないことは苦を与えないことではないから善ではない」
ってことでしょ
この思考実験は前提が不明な点が多すぎる ですから、選好だっていってるでしょ。
w
時間が遅いので失礼。
pdfを見られたし。 どっちのほうが好ましいのかって問題なのに、
「〜は善なのか?」とかww
とにかくテキストに当たれ〜。 >>301
長々とありがとう
最後に言いたいことだけ言って消えるよ
なんか「自殺は善か悪か」っていう議論に似てるなって思った
これは僕のただの信念だけど、倫理っていうのは未来の不確定を前提とした、社会の存続の可能性が高い行動だと思ってる
善悪を考えるときにその前提を矛盾したところからスタートすると面白い話が出来上がる
快苦の非対称っていうのはいくら読んでも僕にはピンとこない
理屈じゃないからピンとこない人には一生理解できないんだろうなと思う きみは>>153だったのか?
非対称については>>291の問題が理論云々より「感覚的に」わかりやすいね。 >自殺は善か悪か」っていう議論に似てるなって思った
全然似てません・・
>倫理っていうのは未来の不確定を前提とした、社会の存続の可能性が高い行動
社会は最終的には人のために存在します・・
逆はないでしょうw
>善悪を考えるときにその前提を矛盾したところからスタートすると面白い話が出来上がる
何を言ってるんでしょうか・・
人間と無関係な善の話などしていません。
人にとって最も切実な選好の充足不充足から出発しているんですよ・・
もういつの時代の話なんでしょうか。 >>304
すいません、上の書き込みは私ではないのですが、>>291はさっぱり理解できません。
生まれた子供が幸福になるかどうかなど全くわかりませんし、
「順風満帆で幸福な人生」などまれであることは大抵の人はわかっていますが、
それでも子供が生まれたときは普通「おめでとうございます」と言います。
それがよいことだという「直感」があるからです。
それの裏返しの「直感」として、人が死ぬことは原則悪いことだと感じているので、
特に若い人が死んだときは「残念です」とか「悔しいです」とか「病気(犯人)が憎いです」とか言います。
もしもこれを逆にしたら、まあ、ただではすまないでしょうw
「新たな出生に越えがたい倫理的な閾値を感じ取る」人は、まあ、控え目に言っても、
ごくまれではないでしょうかw
>>275
申し訳ないですが、快苦の非対称性と全然関係ないとしか思えないのですが。
主体が存在しないなら、欲求もないし、充足も不充足も選好も快も苦もないに決まっています。
「快があったほうが無いより好ましい」と同様に、「苦がないほうがあるより好ましい」も
成り立ちません。好ましいと感じる人間がいないんですから、「人間の実問題として成立しない」のも、
まあ、当たり前ですw
>一方、苦や不充足は存在するや否や害悪となる。
全く同様に、快や充足は存在するや否や善(よい)となるので、これまた
快と苦の非対称性と無関係です。 ですから、比較の中でしか語れません。
pdfに比較図がありますので・・
人生とは「生まれてから死ぬまでです」
出生とはそれを「有無を言わせず体験させる」という選択に他ならないんですよ?
意味が分からないとか、意味が分かりませんw >>286
>生まれた後に快の現前を奪うということは大きな不充足を生み気の毒なこととなるが
大事なポイントなのですが、どうも心理的にわかりづらいようですが、「快の現前」を奪うことは、
論理的に不可能です。「現前」というからには現に存在していますし、快であれ苦であれ、
現前したものは一瞬の後には過去になってしまいます。過去に手を触れることは一切できません。
過去から何かを奪ったり付け加えたりすることは、全知全能の神様以外、不可能ですw
正確に言うなら、現在の選択によって変えられるのは「未来の快や苦の可能性」です。
ベネター周りの人々が致命的にだめなのは、快や苦の「現前」の話と、未来のそれらの
可能性の回避の話を、ごっちゃにしていることです。「現前」と対比されるのは「現不在?」であって、
「回避」ではありません。
未来の快の可能性を回避したところで、代わりに別の快が現前していて苦が現前していないなら
それは「よい」です。別に気の毒なことはありませんw
同様に、未来の苦の可能性を回避したところで、代わりに別の苦が現前していて快が現前しないなら
それは「悪い」ですし、特に快も苦も現前していないなら「よくも悪くもない」です。
特に難しいことはありません。>>153で話は尽きています。
「現前」の話を離れて、ある程度長期的な「よい・悪い」の話をするなら、空理空論ですがw
原理的には話は>>272で尽きています。わかりやすい例を挙げるなら、
学生時代に勉強が苦しそうなので、苦の可能性を回避して遊んでばかりいて、連続する「快の現前」を
楽しんでいたら、大人になって連続する「苦の現前」に後悔している、というような場合、
どうも、トータルに見ると、以前の「苦の可能性の回避」はあまりよい選択だったとは
思えないとか、そんな話です。 要するに、今から自分が生み出そうとする人間が「幸福な人間」だと前もって知ることが出来たとしても、
生むことに越えがたい倫理的な閾値が存在する。
それが感覚的にわかる思考実験なんです。
快や幸福は出生を全く正当化しないんです。
快苦の非対称が成り立っているからなんです。 >生まないことで快の現前を、いくら大規模に阻止しようが不充足は生じないので、
生まなければ充足も不充足も、快も不快も生じないのは当たり前ですが、ここで、
「主体を存在させないことによって未来の快や苦の可能性を回避する」ことのよい悪いを問題にしたいなら、
現実には存在しない「可能性としての人格X」にとって、よいとか悪いとか論じる以外ないでしょう。
そうしても別に構わないのですが、そうしたところで、基本的には現実に主体が存在する場合と別段変わりません。
唯一違うのは、主体が存在しない場合は、「生まれない」場合であれ「死ぬ」場合であれ、
快も苦も充足も不充足もずーっとゼロのままなので、長期的な計算が簡単であるという、ただそれだけですw
重要な第二のポイントですが、過去に生まれた主体が「死ぬ」ことによって存在しなくなる場合と、
生まれないで最初から存在しない場合とで、本質的な違いはありません。
これも、どうにも心理的に理解しづらいようですが、死んだ時点で、その人の
生きた時間はすべて「過去」になっています。欲求も選好も充足も不充足も快も不快も一切が
「過去」なので、奪うことも付け加えることも、原理的にできません。
死ぬことによって消滅する(回避される)のは、「未来の快や苦の可能性」なのであって、
生まれないことによってそれらが回避されたケースと、特別何の違いもありません。
何を根拠にそんなことが言えるのか相変わらずさっぱりわかりませんが、もしも、
生まれないことによって仮想人格X(生まれなかった誰かの可能性としての未来)の快の可能性を回避することは
Xにとって何ら悪いことではなく、苦の可能性を回避することはXにとってよいことなのであれば、全く同様に、
死ぬことによって仮想人格AX(死んだAさんの可能性としての未来)の快の可能性を回避することは
AXにとって何ら悪いことではなく、苦の可能性を回避することはAXにとってよいことだというしか、ありません。
いくら直感に反してもw、人が生まれたら「残念です」「親が許せません」と言い、
人が死んだら「おめでとう」と声をかけるのが、(テオグニスのように)反出生主義者の筋の通った態度というものです。 >「現前」の話を離れて、ある程度長期的な「よい・悪い」の話をするなら、空理空論ですがw
>原理的には話は>>272で尽きています。わかりやすい例を挙げるなら、
>学生時代に勉強が苦しそうなので、苦の可能性を回避して遊んでばかりいて、連続する「快の現前」を
>楽しんでいたら、大人になって連続する「苦の現前」に後悔している、というような場合、
>どうも、トータルに見ると、以前の「苦の可能性の回避」はあまりよい選択だったとは
>思えないとか、そんな話です。
ですから、これは生まれて選好のメカニズムを与えられた後の出来事です・・
出生の問題は、選好のメカニズムを生じさせてしまうか生じさせないかということなんですよ。 生んで、「意識が快を享受する状態」を現前させたほうが良い。
これは成り立たない。
生んで、「意識が苦を経験する状態」を現前させたほうが良いか。
これも全く成り立たない。
シンプルそのものですね。
出生させることは大きな計算ミスです。 また、生まれたあとの快苦の配分?によっては
快が苦を償って余りある状態があるのではないか。
その問いに対しては>>291の思考実験を考えるとよいですね。 結局、「人生には苦のほうが多いから」という理由ではなく、
「苦が存在する」という事実だけで理論的には出生は倫理的に大きな誤りとなるんですよ。 >>307
あのPDFは以前にもざっと見ましたが、ベネターの愚劣な構図に乗っかっている
時点でだめだとしか思えませんでした。「比較の中でしか語れません」て、
何と何の比較でしょうか。すべてが見当はずれの議論としか、思えないのですが。
>人生とは「生まれてから死ぬまでです」
>出生とはそれを「有無を言わせず体験させる」という選択に他ならないんですよ?
まあその通りですが、それの何が問題なのか、申し訳ないですがどうもさっぱり
わからないのですが。
だって、生命とか自意識とかいうものはそういう仕方でしか存在のしようがありません。
存在する前に存在するかどうか自分で選択することは論理的に不可能なのですから、
それがだめだというのなら、生命とか自意識は宇宙に存在してはならないという結論に
しかなりようがないのでは。
それに、自意識が発生した後なら、まあ常識的に言えば自分の生き方は自分で選択
できます。やりたければ、自殺もできます。
通常「覆水盆に返らず」とか「一度やった選択は取り返しがつかない」とか言われる
のは、その選択をした前の状態には二度と戻れないという意味ですが、
唯一「生まれる」という選択(というか非選択・強制)だけは、当人の視点に限れば、いつでも、
その前の状態に戻れます。生まれる前も死んだ後も、まったく同じ「無」なんですから
(もちろんこれは立証できませんが、一応現代人の常識としては)、生まれるという選択(強制)だけは、唯一「いつでも取り返しがつく」とも言えます。
まして、通常生まれた人はできるだけ長く生きようとして、生まれるという
選択を取り消して生まれる前の状態に戻ろうという選択をする人は、例外的にしか
いないのですから、むしろ一番気楽にやったらいいとしか思えないのですが。
どうして「子供を産む」という選択だけをそんなにかたくなに否定したいのか、
(同じことばかり言って申し訳ないですがw)、どうもさっぱり理解できません。
時間がないので、後日また失礼します。 生まれない事と死ぬことの区別ができない。
恐らくこのような状態の人には反出生主義は理解できないでしょう。 なんというか、反出生主義はエクストリームな設定上に成り立つトンデモ理論ではありません。
己の老病死のプロセス、愛する人の老病死のプロセス、回避したい経験であるという
万人が認める否定できない前提事項からの立論です。
まあたしかに、嫌なら死ねばよい、そうすれば生まれなかった状態と同じだ。
などと自ら狂人を演じれば反出生主義をかわすこと事はできるかもしれませんね。 丁寧に説明してる相手は右から左に受け流しつつ他で雑談的に語られてる内容はガン無視
多分頭に入れることが可能な内容は最初から「反出生は間違い」の一言だけなんだろ
それがその人間にとってキャパシティーの限界ならしょうがないとは思いつつな
1 作られないのが良くも悪くもない←Start
2作られた場合をシミュレートすると作られて良いことのある可能性はある
(個人差により未定)
3同じくシミュレートすると作られて悪いことのある確実性がある
(生老病死は100%確定、天災や人災、事件事故に巻き込まれる可能性ゼロの担保は絶対不能の時点で)
4 2、3を踏まえて初めて1に変更が加わることになる
作られないことには一定以上の合理的なメリットがあると
1、1、1、1、1、1、1ばっかり唱えてても何の意味も無いんだ
まして作られて生まれてから死ぬことが作られる前に戻るだけなんて通用しない
それが通るというならいつだって誰だって人のことを殺したっていいはずだ
作られる前の何も無い状態にしただけなら、殺されてもう怒る人間さえ居ないならどれだけそうしたっていいはずだって話しだろ
壊れすぎてて怖い 反出生を理屈と理論で否定するためには他人=子供の経験する苦しみも痛さも辛さも事前に軽く見積もるしかない事実があからさまになるから逆にいんじゃね
は?作られて生きてて何か嫌なら自殺すりゃよくねwwwwwぐらいに思える人間でなきゃマジ欲望任せにポコポコ子供は作れないってことだは それも明らかに極論に振れ過ぎては居る見識なんだろ
だから生命倫理や道徳的な素養を備えてない人間に反出生を煽ることはやめてもらいたいんだよ
結局より深い重い絶望しかなくなるからな wwwだってwwwwマジクソwwwwww絶望の朝なんだもーんwwwwwwwww
wwwwww地獄の業火に焼かれにwwwwww今日もwwwwwww行ってくるははははwwwwwwwwwww行って来まつwwwwwwwwwwwwwwはーあw 乙
険のある言い方になってたなら悪かった
ごめんなと気をつけてな、行ってら 反出生主義が死にたくて仕方のない人限定の理論だと思ってるのかな。
生を謳歌している人、何にも考えていない人、生が重荷になっている人、
今生まれて良かったと思ってる人、生まれなくなかったと思っている人。
分析哲学による全ての人間に妥当する理論だから、反出生史上かつてない
広がりを見せているんだよね。 反出生主義って人類は滅んでしまえってことでしょ
俺はやだよ 麻原彰晃は人間この先生きていても罪を犯すばかりだから今すぐに殺してあげたほうがその人を救ったことになるんだって言ったそうだ 出生肯定者と同じく色々な背景、考え方、人生を送る反出生主義者が居るのに、それをひとまとめで罪人扱いして死ねばいい滅びればいいなんて言ってる奴こそ麻原級の危険思想者だよな
まるで出生、繁殖を絶対神に見立てたカルトだ それは反出生主義者も同じでしょ
「分析哲学による全ての人間に妥当する理論」とか言っちゃって 全く違う
反出生主義は既に作られて進行形で生きてる人間の生死には言及していない
人類滅亡を是とするというのも、生きてる人間達がその命を中途で断たれる形での滅亡は無い
あくまでも新規での参入、供給、連鎖を絶つ形での滅亡のみを是としている
だが出生カルトみたいな奴らは現に生きてる反出生主義者に死ね死ねと連呼する
何故自殺しないと脅迫的な言葉を投げかける
人格否定の罵倒という罵倒、侮辱という侮辱を繰り返し決してやめようすらとしない
相手の背景にある思いも考え方も生命さえも頭ごなしに全否定、土足で踏みにじりながら自分達に同調しろと迫って来る
これ以上ないほど野蛮で粗暴で凶悪だ 人類滅亡を是とする人間が罪人扱いされるのはしょうがないよ どれだけ相手からやめてくれと言われても自殺教唆と人格否定をやめようとしない、やめられない人間がその結果として他者から徹底的に嫌悪、軽蔑されることもしょうがない
そんな人間のむやみに有り難がってるものが評価と価値を損なっていくこともな 人類滅亡を是としたら罪人とかまんま出生カルトでワロス NASAが百年以内に小惑星の衝突で地球が滅びる確率を計算して発表しただけでも原理主義的なキリスト教系組織から徹底糾弾、攻撃されたらしい
その可能性について言及し可能性の存在を肯定することがまず神への冒涜でありお前らは重罪人だと
それにも似てる気がする >>331
>人類滅亡を是としたら罪人とかまんま出生カルトでワロス
なかなかの名言でたな
統一教会の拉致監禁の訴えみたいだな 基本、他者に自分のそれとは異なる他者なりの思想や主義や信条や信仰の自由を許さない認めないってのは原理主義だし教条主義のカルトだ 人殺しを罪人とするのもカルトか?
日本を中国に売り渡せって主張してもそれを認めるべき?
自分に受け入れられない意見に対して反対の意を表明することもまた表現の自由として認められると思わないか?
人類滅亡を是とするという思想は間違いなく俺に実害が及ぶ思想だよ
自分が害されてるのに黙ってそれを認めるほど俺はバカじゃない 極論を用いて徹底的な自己正当化と他者の断罪、糾弾に終始することもカルトの特徴なんだよ
反出生の主義や思想は誰のことも脅かしたりはしない
それを採用するか採用しないかは予め各人の裁量に委ねられてるからな
当然の話しだ 反出生主義ってのは個人的な信条なのか?
ならば反出生主義は哲学ではないな
理論ですらない
自分が反出生主義者であることを黙っていれば糾弾されることも批判されることもないだろうに 反出生は哲学的思想でもあるし道理的な最適解でもあるし個人の主義でもある
そのどれもが本当なんだ
お前はまず自分自身の凝り固まって偏在化した思考パターンを自分自身で自覚しろ
元より哲学こそが白か黒かだけを語る分野では無い 人類滅亡が道義的な最適解であるという主張をするなら罪人扱いされても仕方ない
麻原彰晃と大して変わらんからな 道理と同義では文章の意味が全く変わって来る
道理的な最適解というのは最も自然に導かれるポイントとしての最適解
同義的な最適解というのは何者かの意図や規範意識が存在する上で導かれるべき最適解
哲学はありとあらゆる全ての事象の意味について問い掛け掘り下げるための学問だ
なのにそこから疎かにしてる時点でな 訂正、道義な
道義ってのは守られるべき筋道があって成立する
道理ってのは自然がそこにあるだけで成立する
反出生が最適解に当たるのは道理の側だ 話しが本筋に及ぶとすかさず人格否定、根拠の無い勝利宣言、論破宣言、侮辱、嘲笑に逃げ回る
その繰り返しでよく自分自身の対人姿勢が悲しくならないよな
そこだけは関心する >話しが本筋に及ぶとすかさず人格否定、
>極論を用いて徹底的な自己正当化と他者の断罪、糾弾に終始することもカルトの特徴なんだよ
>侮辱、嘲笑に逃げ回る
>なのにそこから疎かにしてる時点でな
関心関心 「人類は滅亡すべき」という主張に対して社会の構成員である私は自己防衛としてそれに反論、批判する権利を有する せっかくこっちまで来てんのに言ってんの向こーん時と完全に一致だもんなあ
理論ではまともに反論出来ないの認めて諦めればいいのにさ 他者の思想の自由を認められない時点でカルトの他宗への侵略や攻撃としての言論弾圧同様だ
その方がよほど近代文明社会にあっては脅威的、害悪的な存在だろ 滅亡すべきじゃない理由掲げて滅亡すべきじゃないって唱えりゃいいだけなのにな
他人にまで滅亡すべきじゃないってなれとかアホじゃね wwwwwぅえーいwwwwwwただいまーっすwwwwwwww まず反「論」になってないんだ
いつだって反出生サイドに「悪者」のレッテルを貼ってはそれを排除、排斥、屈服、駆逐、服従させる傲慢な欲望と支配の意図があるだけでな
一つの論についてそれは何故そうなるのか、その意味するところは何か、その主張してる内容の真意、真偽は何処にあるのか、
それを踏まえた上で自分の主張として一番の主軸を何処に据えるのか、そういう対等な立場から向ける関心や好奇心、論題と論者への興味がここまで皆無なんだ
「論破、勝った、お前が社会悪、自分が多数派絶対正義、嫌がらせされたくなければ主張をするな」
あるのは常にこれだけ
本当にこっちからしてみたらただの脅迫だし暴力なんだよ
こっちはここまで出生を肯定する立場の人間達にも敬意を払って来たつもりだ
でなければ過激化してる反出生勢に対して同じ反出生サイドからその進め方、言動に再考を申し入れたりなんかするはずが無い
関連スレ以外では一切反出生のロジック、そして自分の思想についての正当性を場違いに訴えたりしないことだってそうだ
それがどれだけ 対 人間同士として礼節に欠ける振る舞いかを理解してるから絶対にするまいと自分自身を戒めてるんだ
だが自分自身が最も正しいと認めたものについて脅しに屈して曲げる気も、主張を許される場所で迄も胸に納め続ける気も無いからな
曲げさせたい人間が居るなら曲げさせるだけの理論で挑んでくればいい
作られて生まれる者にとって出生と子孫繁栄には反出生を凌駕するに足るアドバンテージが確実に存在するというロジックを組み上げてな
もちろん全く別の切り口でも構わないが、現状はそれ以外に反出生論を打破する可能性を持つ論法を考えつかないんだ 俺個人は 庶民なんかほぼほぼじっと手を見る日々だよなあマジで
なんかあれ、つべで見た泳ぐ鯛焼き君ソングですはははは wwwwわーおwwwwど頭から命令までされてたしィーwwwwwwみてーな?wwwwwwwwwww 鯛焼きも作られたから焼かれる訳だしな
てより最初から焼くために作ってるのか wwwwwwwww地獄の業火にwwwwwwwwwwwでつかwwwwwwwwwww ベネターの反出生主義について言えば、
快苦の非対称を受け入れるなら反出生主義は正しい
受け入れないなら反出生主義は間違ってる
最初の前提に共感できるかできないか
それだけ
そもそも快と苦がトレードオフであるとか、
快と苦をアプリオリで不変なものとするとか、
快と苦を定量的であるとするとか、
生後の快と苦が等価であるとか、
快と苦によって人生の価値を定めるとか、
人生の価値によって出生の価値を定めるとか、
出生を自由にコントロールできるとか、
反出生主義が正しいとするために受け入れなければならない前提は多い
反出生主義であるということは、
私はセックスをしませんということなのか、
私はセックスをする時必ず避妊しますということなのか、
私はパートナーまたは自分に妊娠が発覚したら必ず中絶しますということなのか、
私は妊婦を見たら腹パンしますということなのか。 快苦の非対称、
完全に成り立ってますよね?
もう一回確認するの?w
生んで、「意識が快を享受する状態」を現前させたほうが良い。
これは成り立たない。 どちらでも良い。
生んで、「意識が苦を経験する状態」を現前させたほうが良いか。
これも全く成り立たない。
生むという行為はものすごい倫理的閾値を飛び越えてなされる行為です。
生む生まない以前に皆が知っておくべき重要な「事実」です。 >>361
横だけど、全然違うだろうw
どこに非対称性があるの?
そもそも、善悪の問題なんだから、事実ではなく規範の問題なんだが?
わけわからん主張だぞw 対称性があるのなら、快は現前させたほうが良い。
となるよね。
あと「事実」だからどうしようもないんですよ。
価値判断ではないので動かしようがなく、だれが推論しても
同じ結果だ。 死にたくなったら簡単に安楽死を選べるようになったらいいのに 生むという行為は老病死のプロセスを新たに増やすという行為なんだけど、
安心して老いるのにもまとまった金が必要であり、安楽死に至っては
一部の金持ちしか利用できないという環境の中でそれをやるわけだ。 >>363
何を言ってるのか、訳が分からにんだが?
そもそも、対称性の意味がわかってる?
その上で、ここで快苦の対称性をどのようなものとしてるかわかってる?
ベネターは、快苦に対称性があることも認めてるようだけど、それはわかってる?
善悪を問題にしてる以上、規範の問題になるってことは、わかる?
というか、例えば、事実命題と当為命題の違いとかわかってる?
反出生主義が哲学的な問題なのはそうだけど、意地悪で申し訳ないが、君には、そういう問題に対する基本的な理解が欠けてる様に感じるんだが… 犬畜生ならいざ知らず、
理性を持った存在として、この行為はとても擁護できないのではないか。 人間のアプリオリな選好充足のシステムから言って、
「AよりBが好ましい」は「Aを選択すると不充足が生じる」という事と同じである。
この事実から、生んで快を生じさせなくても不充足は生じないため
「生むことによって快を生じさせたほうが好ましい」が成り立たない。
ここまで、規範命題はなく、事実命題のみで導かれてしまう。
ここで、倫理的な判断を加えるのであれば、「どちらでもかまわない」としか言いようがないね。
事実命題。 >>368
そこは、基本的すぎて、最もどうでも良いはなしだよw
君は価値判断という言葉で表現してるようだが、「好ましい」なんてことを言うのであれば、それは価値判断に他ならないわけだよ。
要するに、君の言葉を借りるなら、反出生主義というのは、生まれるよりも、生まれない方が
「好ましい」という主張であって、規範の問題となるわけなんだが、それくらいは、とにかく理解してないと…? 薬入れるだけで何百万も払う必要があるのか。そんなに金かかるもんなの?w >>364
え?普通に選べるでしょw
法のグレイゾーンで、赤信号無視してがらっがらの道路横断する人が容認されているのといっしょで、そんなのいくらでもある
選べず激痛でもだえる患者が後を絶たなかったなかったら逆にとっくに大問題になってるぞ
自分でちっとは考えろ
というか社会に出てみろ。ベッドの上で本ばっか読んでなくて >>369
ん?
「好ましい」は規範ではなくて「避けがたく生じる選好」でしょう。
人間の力では「どうしようもない領域」ですね。
この上に規範を載せていくしかないんだけど、一本線だよね。 >>361
こうやって「事実」として繰り返し同じことを言うしかない時点で「共感するかしないかしかない」っていうのを証明してる そう望もうとして選好を持ったり、選好が叶わなかったりした場合、不充足を感じようとして
感じるわけではない。w
人間の力の及ばぬアプリオリな領域ですよね。
「好ましい」って・・
当たり前でしょう。
馬鹿な言葉遊びに付き合ってる暇は無いんですよ。 >>372
何を言ってるんだ?
何が好ましいか、という問題は、規範的な問題なんだが?
そんなこと言い出したら、規範が事実に吸収されるぞw
そんなすごいことができた奴は、断言しても良いが、いない。そこに辿り着けそうなやつすらいないw >>373
この事実があって、
「他人に不充足を起こさせるのは避けるべきである」という規範を置けば、
もうダイレクトに、「出生すべきではない」が導かれますよね。
ここに共感は介入しません。 選好というのは、快楽功利を修正した概念で、PreferencesとDesiresを合わせた概念です。
「規範も含む」ということです。
そういう言葉尻は良いんですよ。 >>377
だからその事実を事実として受け入れるかどうかしかない
「それが事実である」ということに共感できるかできないかしかない
それが事実であることを証明するすべをお前は何一つ持ってない >>379
じゃあ、誤りをさっさと指摘すれば良いと思いますね。
時間が節約できますよ? >>371 自死は周りは不幸にする。それは自死=悪い(悲しい)ことと考えるから。産むか産まないかは人の自由。産まれた時点で人間とするなら生きるか死ぬかも人の自由。周りが選択肢の一つとして軽く受け止められれば自死を望むひとが”簡単に”死ねるんじゃ...?? 横槍だが(万人にとって)事実であることを証明できなくてもいいとおもうよ
スレタイが主義なんだから。制度や理論じゃなくて。
主義の人たちにとってはそれが事実である、これで十分でしょ 反出生主義にもう共感もくそも無いんですよねー。
客観的な知見です。 >>381
誤っていることが証明できなければ正しいことであるというのは詭弁だよ
正しいことが証明できなければ間違っているという理屈も同時に成り立つからね >>385
www
うだうだ言ってないでひっくり返せば良いんですよ!!w
もう寝ますね。 >>384
というか、>>1のような問答は主観であって、むしろやるべきは
反出生主義の国民が増えている背景は何か。という命題だろう
そこは事実なんだから。
その事実に目を背けたがっている人々がいるようだけど >>387
それは社会学でしょ
まず反出生主義が本当に増えてるかどうかから検証しないと
フィールドワークがないと話が前に進まない いやもう何年も少子化してるじゃん
いつまで意地張ってんのw >>378
含むというか、反出生主義とか規範がメインな訳だが…
というか、そもそも俺が言いたかったのは、ベネターを持ち出すなら快苦の非対称性くらいは、正確に説明できんとダメだろうってことなんだが、それ以前で躓かれたらどうしょうもねぇw
俺が答えを、書いてもなw
それじぁ、本当にどうしようもねぇだろw 不妊症もいるんだから昭和2、30年代みたいに7人8人産む人がザラにいないと出生率は落ちるんだよ
長寿化、進学率の上昇による晩婚化も大きな原因
一次産業の衰退や技術の進歩、コンプライアンスによる子どもの労働力の著しい低下なんかもある
今の日本で反出生主義で子ども産まない人なんてものすごい少数派だよ >>383
それは、もう事実ではないよw
日常用語的な意味からも、はみでてる気がする >>391
そりゃなw
例えば、ヨナスなんかは、ある意味でベネターの対局に位置する考えを持ってるわけだけど、いずれかと言われれば、ベネターよりも、まだしも受け入れられやすい、現実に即した考えだと見えるわけだよ。
持続可能な社会を求めたりと、これは、「事実」として、そうなってるわけだよ。
にもかかわらず、ベネターの快苦の非対称性をきちんと説明できないのであれは、いかにも部が悪いだろうと、思われても仕方なさそう… >>391
だけどな、じゃあ、ベネターの主張を、必ずしもそれを善しとしない俺が、ここで説明してもダメでしょwそれじぁ、ここで、ベネターを持ち出して、反出生主義を声高に主張してた奴は、ベネターの主張を理解してたのかすら、怪しいってなってどうしょうもないw
ベネターの快苦の非対称性というのは、それなりに説得力はあるわけだけど、それを俺が説明したら、もうダメなんだよ。 >不妊症もいるんだから昭和2、30年代みたいに7人8人産む人がザラにいないと出生率は落ちるんだよ
まさにそこなんだが、その意味を読もうとしないのが不思議
犬猫が本能のままに7、8匹生むのが、仮に近年、2、3匹しか生まなくなった、となると当然生まなくなっている個体も出てきている(増えてきている)ことになる。想像の話な。
じゃあ生殖器がついている種として、どうなの?という疑問がでてくる。
鶏は羽がはえているのになぜ飛べないの?という話と同じで、飛べないのか?それとも飛ばないのか?という話でもある。飛ばなくなったからか?という話になっていくと、それは主義の話になる。
意地になって反出生主義の存在を否定している人は何か偏見が邪魔しているようだが、主義を形成するのは好みや動機だけではない。
行動を伴うから主義なのであって、そういう行動をとらせている要因を探ろうよというのがこういう場でしょ。
これは反出生主義に反対であってもやる価値のあるテーマであって、子孫を残さないという行動をとるようになった生物を、
その存在の事実を大前提としてまず認めてとりあえず何でも考察していくというのが推奨されるわけであって、その大前提を認める懐の深さがない吾人には用はない。 日本人の学者は自分がマイノリティーに落ちる現象は否定する傾向があるんだよなぁ
働かない人が増えたらそいつらをニートと名付けるのに、過労するサラリーマンや脱税者には蔑称を名付けないでいる、とかね。不思議だな〜 >>395
子どもを生まない=反出生主義っていうのはどうかと思うよ
反出生主義をバカにしてる ちょっと待て。
日本の出生率が落ちているのは反出生主義が
広まってるためだとか、本気で信じてる奴が
いるのか?
そんなの産む側の親の都合に決まってるだろ。
反出生主義なんて大半の国民は存在すら知らんわw >>395
それはそれで良いかもしらんし、このスレが反出生主義を声高に主張するスレとまでも言えんが、仮に君がベネターの反出生主義を声高に主張してた人だとすると、とりあえず日本は少子化だし、なんか考えようなんて主張は、ほぼ敗北宣言にならんか? 俺は、わざわざベネターなんて持ち出す必要はないと思うよ!
もっと、個人的な経験に基づく悲観主義を持ち出して、反出生主義を主張しても、全然問題ない!この板の哲学の定期からは、外れてないんだから^_^ >>400
ベネターなにそれ美味しいの?
あのね、>>1の内容からそういう主義の話をしたいんだろって思ってレスしてるだけだよ
そういう主義の人はそれ主張していけばいいだけの話で、それ以外の人が話に混ざりたいんなら、それは突き詰めれば生む人vs生まない人という状況の中で生まない人を理解することから始めるしかないでしょ。そういう主義は多いとか少ないとかそういう話じゃないでしょ。
主義の受け取り方は10人いれば10通りなのに、仕方なく生まない一辺倒で片付けるのがおかしくて、それだけで片付ける人はこのスレで口をひらく必要ないだろう。 なんか妙に縛りを感じるレスをしている人は多分、主義がおおやけに肯定されてくると本人にとって都合がよろしくないからだという気がするけど、それならもっと対象を遠くにおいてみるといいよ
Z国の人食種族がいます。よその人からみれば人を食う主義の部族といえますね。本人達はそれを主義だとわざわざ主張しようがしまいが。ではその時、彼らが人を食う主義か否かということ自体の議論に意味があるか、まったくありませんな
議論する価値があるのはもっと別のことでしょう?
そういうことですよ >>402
子どもを欲しくないひとは、子どもを作らなくても善いという主張はあって、そっちは、認められてますよ。
そっちは、通常は反出生主義と呼ぶことは、あまりないってだけw >>403
人食い人種は、例えとしても、辛いね。
生きてる人を殺して食うとなると、原則として、これを、認めるのは困難! 主義と名が付くなら個人主観だと言い張るのはただの言い逃れだ
事実として非対象性の備わった出生の構造が存在していることから目を逸らしてるに過ぎない
倫理規範に囚われるまでも無い
子供を作るというその行為には一生分の苦痛と不幸を否応なしに子供に押し付ける構造、意味が必ず含まれてる
快楽や幸福は生まれてしまった後の存在が、そこで初めて苦痛や不幸と対を為した補償、補填として必要とするもので、作られ生まれる前にその必要性は存在していなかった
この必要性が予め存在していたと証明出来て初めて非対称性が完全に覆るんだ
快や苦の配分や比率は一切問題では無い
元々、何処にも、他方にとって需要も要請も無かったことを、もう一方の他方が一方通行で自己の要求を満たすために実行してしまう
その結果がどうなるのかさえ知らずにだ
子供側が否応なしに受理する(事前の拒否が決定的に不可能)その不合理さと理不尽さに反を示すべきであるという帰結は、親と子が個人間同士、人間同士としての対等な関係性であるという前提があれば必然として導かれる
他方にとって重大な結論、結果の伴う計画の実行をその当事者に無断で他方が為すことは著しく越権的、人権無視の暴力性を帯びる行為だからな
この部分がうまく飲み込めない人間は、子供が親の一部分か所有物だっていう前時代の人権感覚から抜け出られていないんだろうとしか思えない 正直になろうよ
生まれなければよかった
こんな自分を生んだ親を恨んでる
こんな自分を生んだ社会を恨んでる 退人論証って論が尽きたときに発せられるんだけど、
さすがに哲板の住人が知らないわけないよね。 >>352
非常な誤解ですが、私はいわゆる「論破」などに興味はないですし、
反出生主義の主張をするななどと言ったこともありません。
それこそ、純粋に「相手への関心や好奇心、論題と論者への興味」から書き込んでいる
だけなのです。
それと、何というか反出生業界?の内部事情など、皆目わかりません。
この板以外で反出生主義について発言したことも、皆無です。
正直「出産の是非」自体に興味はほとんどないのですが(そもそも是非を問うような
問題だとはどうしても思えないので)、
ただ、以前この板で反出生主義というのを初めて見かけて、どうも個人的にではなく
出生一般をトータルに普遍的に否定する主張のようなので、
1.いったいどんな根拠でそんな直感に反する主張を正当化するのか。
2.それだと人類の絶滅を主張することになるが、それでいいのか。
3.それだと、当然「お前は何で死なずに生きているのだ」という反問を
受けそうだが、それにどう答えるつもりなのか。
という疑問が、即座に浮かびました。
(私は、だれでも浮かぶのが当然だとしか思えないのですが、
どうも、特に3については、そんな発想をすること自体が暴力で侮辱で
人格否定だと感じる人が多いようです。ただただ不可解です。)
それ以来、機会があれば、ずーっとそのことを質問しているのですが、
一度として納得のいく答えが得られないので、相変わらず機会があれば
手を変え品を変えてしつこく聞いているという、ただそれだけです。 >>406
>快楽や幸福は生まれてしまった後の存在が、そこで初めて苦痛や不幸と対を成した
>補償、補填として必要とするもので、作られ生まれる前にその必要性は存在していなかった
全く意味がわかりません。快楽や幸福は別にどんな場合であれ「必要とする」ものではなくて、
たんに「現前するなら、当人にとってはよいもの」というだけです。
同様に、苦痛や不幸は、「現前するなら、当人にとっては悪いもの」というだけです。
作られ生まれる前にも、死んだ後にも存在しようがない、という点でも、両者は全く同じです。
>子供を作るというその行為には一生分の苦痛と不幸を否応なしに子供に押し付ける構造、意味が
>必ず含まれる
これも同様に、一生分の快楽と不幸を否応なしに子供に押し付ける構造、意味も含まれるので、
何ら非対称性などはありません。「非対称性の備わった出生の構造」が何を意味するのか、
どうにも理解できません。
それと、「押し付ける」とか「需要も要請もなかったことを、一方通行で自己の要求を満たす
ために実行してしまう」という表現は、どうにも無理があります。
生まれる前は相手は存在していないんですから、厳密には何も「押し付ける」ことはできないし、
「需要も要請もない」のも「一方通行」なのも、そうでないことは論理的に不可能なんですから、
批判するのは無理というものです。
それに、ある意味では、何であれ他者に影響を与える行為をすることは、否応なしに
「一方通行の押し付け」であるしかありません。この構造は、存在している者同士でも同じ、
というより、存在している者同士の方が明白です。 わかりやすい例だと電話がそうで、ホリエモンが「電話野郎」という罵倒語を使って話題になって
ましたが、電話をかける行為は、まず音や振動で一方的に相手の注意を引き、否応なく相手の
時間と労力を奪う行為なので、「一方通行の押し付け」に、間違いありません。
だからあらかじめメールで電話していいかどうか確認しろという話になるのですが、メールだって
程度の違いこそあれ「一方通行の押し付け」の要素を含むのは、否定できません。
ここみたいな不特定多数向けの掲示板への書き込みですら、目に入れば否応なしに腹が立ったり
喜んだり、影響を受けるという意味では「一方通行の押し付け」の要素を含みます。
現に私の書き込みが暴力だの人格否定だのと批判されているのが、何よりの証拠ですw
シンプルな「話しかける」行為など、最も顕著な「一方通行の押し付け」です。
話しかけて無視したりすると、相手が現前しているので、望まない反応を引き起こしかねません。
応じれば、否応なしに時間とエネルギーを奪われ、現在進行形で瞬時に判断しては答えなければならないし、
真意は伝わらないことが多いし、うまくいかなければ落ち込むし、ある意味では非常な「暴力」です。
現に、コミュニケーションが苦手で「話しかけられるのが怖いので外出できない」という悩みを
抱えている人も、大勢います。
ただ、相手が存在している場合は、相手がこちらに押し付けるだけでなく、こちらも相手に押し付けます。
通常「双方向のコミュニケーション」と呼ばれているのは、実際には「交互に行われる一方通行の押し付け合い」
に他ならないのです。
まして出産など、相手が存在しない場合は、影響は(本当は相手が存在しないので影響とは言えないのですが)
一方通行になるしかないのです。ただし、この場合も、まだ存在しない潜在的可能性としての相手を「仮定人格X」と
仮構するなら「押し付ける」という表現も使えますが、やはりその構造は「生む」場合でも「生まない」場合でも、
まったく同じです。その選択は相手Xに「押し付ける」以外ないのであって、その結果相手が存在して
実在人格となるか、永久に存在しないままなのか、違いはそれだけです。 >子供が親の一部分か所有物だっていう前時代の人権感覚から抜け出られていない
前から不思議なのですが、反出生主義者が「人権」という言葉をそう簡単に使っていいのでしょうか。
私は人権というのは単なる社会的な約束事・取り決めだとしか思えませんが、
そうでない本来の人権思想というのは、西洋の「人間は神の似姿なので、その存在は本質的に
よいものだ」という発想に由来するように思われます。それが、「産めよ増えよ地に満ちよ」
という例の聖書の言葉につながるわけです。近代に至って「理性」や「自由」の重視にシフトしたかも
しれませんが、その理性や自由というのは神様由来のものなので、発想は昔と同じです。
反出生主義者が、そう簡単に乗れる話ではありません。
ましてや、「自由に(一方的な押し付けとして)子供を産む権利」というのは、疑いなく
現代の人権の基本部分として認められています。反出生主義はどう考えてもそれを否定する
はずなので、ましてや最終的には種としての人類の絶滅を肯定せざるを得ないので、
どう考えても一種の「反人権思想」であるしかないように思われます。 それと、「子供が親の一部分ないし所有物である」というのは、生物学的には間違いない事実なのです。
出産を「新しい生命を生み出す」ことと理解するのが一般ですが、厳密にいえば「新たな生命を創り出す」
ことは、神様以外には不可能なので、人間にできるのは「今ある生命をコピーする」ことだけです。
まぎれもない親の肉体の一部としての精子と卵子が結合し、分裂とコピーを繰り返して受精卵が母親の体内で育ち、
やがて外に出て、独立の生命となる、というのが一般的理解でしょうが、段階はあれ、少なくとも胎児の段階では、
明白な意識もなく自我もないので、物理的には「母親の一部」でしかありません。だから、
親の人権を重視する立場では「生むか生まないかを自由に決めるのは、親の自己決定権に属する」という結論になります。
これに対し、「受精した段階でそれは新たな生命であり、その存在は保護されなければならない」
という発想から、人権思想に基づいて妊娠中絶を一種の殺人とみなし、産む義務を主張する考えもあります。
ここで、反出生主義なら、もとより出産に関する親の自己決定権など否定し、親の産む義務も、子供の
存在する権利も否定し、逆に「自我や意識の発生による一方的な存在の押し付けを拒否する権利」だけを認めて、
妊娠中絶を支持する以外ないと思うのですが、違うのでしょうか。 しっかし、現行法で出生が認められている。
を根拠にするなら、思想の自由も現行法で認められているんだよね。
ほとんど意味ないよねこんなん。
思想弾圧でもしちゃうのかな。 そんな無限遠点見てないで、実際の人間の苦しみや喜びを大事にしていこうよ。
その結果、「必然的に」導かれるのが反出生主義なんだがね。 人間の倫理について考えているときに神の存在を前提に置く。
それは「人間より優先させるべきもの、人間より上位の存在」に与しようという
意図があるかもしれないね。
こんな人は要注意だ。
ハンス・ヨナスとかな。 プラトンによれば、知識とは正当化された真なる信念である
論とは正当化の方法であって、真であることを補完するものではないし、論によって他人に信念を共有させることはできない 倫理というのは形而上学ではないです。
人間の実存から出発するものですよ。 >>412
本当に知りたいなら多くの文献やネット上で言論運動を展開してる反出生主義者各人の見解を広く集積する手間ぐらいかけたらどうなんだ?
誰の見識も頭ごなしに拒絶しては自分自身の主張をごり押しするばかりじゃないか
反出生論について一から真摯に学んだ人間のレスじゃないことも丸出しだ
ここで言う苦の対として必要性の生じる快や楽っていうのは
空腹=苦←→満腹=快
眠気=苦←→睡眠=快
病気=苦←→治癒=快
困難=苦←→解決=快
この後者の存在を指すものであって、あればあった方が良い程度のもの等ではなく、平常の生活を営む上では必ず必要とされるものだ
空腹のまま、睡眠をとらないまま、病気のまま、困難を抱えたまま一切の埋め合わせ、フォローやサポート=快を得られずに生き続けていることは誰にも不可能だからだよ
人間に快苦を生じる場面を構造として捕らえれば、始まりにあるのは常に苦の側だということだ
つまりそのレス内の快苦の認識自体がレス主の個人主観範囲内に留まって議論の土壌に上っていないんだ
あくまでも万人に共通する現実の構造を踏まえた上で成立するのが反出生論だからな
個人主観で反出生論を却下したいなら他人に絡む必要も無いだろう
だが議論を挑むのであれば最低限度の基礎知識ぐらいは身につけてからにしてくれ >>414
人権が単なる約束事だって言いながら直後に反出生を反人権思想だって言って咎めてるのがよくわからない 出生を認めてる人権だけが正しくて良い人権で反出生の主張に登場する人権は間違った悪い人権なんだろうな >>422
その通り
だから前に書いた通り、倫理の出発点として共有されて然るべき信念とは「社会は存続されるべき」だ
出生主義者(って呼ぶのか?)と反出生主義者の間のミゾはそこにある
それは原理的に絶対に埋まらない >>426
それがどこ初の前提なのかっていう説明からしてもらえると有り難いんだが
無意識的に人類存続を希求してるような部分と意識として明文化された倫理規範とはまた違うものだと考えてるんでな 理解するつもりのない人間に理解させようと努力するほど私はバカじゃない 説明出来ないの別表現だと受け取っておく
こっちも説明する能力も学ぶ気も無い人間を相手にする手間が省けるのは丁度いい 正解だ
説明できないんだよ
理解できないだろ?
Wovon man nicht sprechen kann, darüber muss man schweigen.だよ 確かに今こっちとして理解出来るのは何が語り得るもので何が語り得ないものなのかすらろくに線引き出来ない奴を自分が相手にしてることぐらいだな マウンティング目的の程度の低いレスはもういい
そもそもWovon man nicht sprechen kann, dar??ber muss man schweigen.の部分自体どうせコピペなんだろ マウンティングしながらマウンティングはもういいとか面白いな Wovon man nicht sprechen kann, darüber muss man schweigen.
まあこれは分析哲学の出発点ともいうべき言葉なんだけど、
他でもない分析哲学の手法によって反出生主義がアカデミズムから発信されたんだよね。 【即時】金券五百円分とすかいらーく券を即ゲット
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Rock54: Caution(BBR-MD5:b73a9cd27f0065c395082e3925dacf01) 人が望むものの価値とは何なのか、また何で量れるか。
実存的な観点から見ればそれが充足されない場合どうなるのかを見るしかない。
人類が存在しなくな場合何の問題も生じないことから
この価値観は実は錯覚に過ぎないことがわかる。
人類が存在しなくなると考える人間の意識に一定の不充足が生じるという事の他は
何の実害もない。 つまり人間は自分が死んだことを認識できないから殺す時に苦痛や恐怖をを与えなければ人間を殺すことは悪いことではないってことか さあね。
生きている人たちがどう思うかだね。
俺は嫌だね。
最初から生まれていなければ「全く問題が生じない」ということは
それに全く無関係に事実ですね。 一兆円を持つ価値は一兆円が充足されない場合どうなるかを見れば良いのか
一兆円が充足されていない現在、幸せで何の不充足を感じてないから一兆円の価値はゼロか
一兆円の価値はゼロだから他人の100万円も当然価値はゼロだからそれを盗むことによって何の不充足は生じないから、100万円盗むことは悪いことではないな 泥棒に入って被害者にお金が取られた不充足を生じさせるより殺してしまって不充足を生じさせない方がより好ましいってことか 一兆円を持ちたいという選好が充足されなくてもそれほどの不充足は無いですね。
ただ、自分が持っている100万円が盗まれるのは痛いですねw つまり1兆円持ちたいという選好は、人によってその重要度が違うという事ですね。
その不充足が全く問題にならない人もいれば大変な不充足を持つ人もいるかもしれない。
人間の実問題として語らなければ言葉遊びに過ぎませんね。
w まず、人を殺すことがOKになった時の人間の精神的苦痛を考えましょう。
「生まなければ正真正銘」のゼロです。
www
何故ここを認めないwwww 人間を生まないことは人間の問題を発生させない。
また快苦の非対称によれば生まないほうが圧倒的に合理。
ここは確定します。
人間がなぜ人を殺してはいけないかとは無関係です。
それは別問題として一生懸命考えてね。
お前や俺のためにね。
w 人類を一瞬で消滅させるボタンを誰かに押させないために
反出生主義を全く認めない。
問題はこれが適正値なのかどうですよね。
ww >>446
>人間を生まないことは人間の問題を発生させない。
>また快苦の非対称によれば生まないほうが圧倒的に合理。
>ここは確定します。
これが確定するのは反出生主義について語る時だけということ? 生まれてしまえば快苦の対称性も発生するでしょう。
一応理論化されてますし、最低の知見は持っておきましょう。
哲板ですし・・
哲板でやる意味がなくなります。 >>447
反出生主義者をテロリスト扱いとはずいぶんと良くない態度ですね 産むという行為の是非を問うているのに
生まれた後のことにシフトするのは頭の弱さなんでしょう。 >>453
反出生主義者をバカにするのはやめなさい >>444
「不充足の価値は人による」「まったく問題にならない人もいる」ということは生まれることによる不充足も人による、全く問題にならない人もいるということ
生まれることは不充足を生じさせるとは限らない
つまり反出生主義は間違っている
証明終わり >>445
反出生主義が正しいとされた時の生みたい人間の精神的苦痛も考えましょう。 >>456
反論があるだろうから先に回答を書いておきますね
生まれることによって生じる不充足の方がずっと多いだろうがボケ!
↓
ソースはあるんですか? >>457
こっちも先に書いておきますね
事実だからしょうがないだろ!
↓
ならば人を殺すことがOKなのも事実になりますけど ん?人を殺してはいけない理由と反出生主義が反してしまうと?
人を殺してはいけない理由を理論的に知っているのですか?
それと、まず、生まれない事と死ぬことのコストの違いは大きいですよね。 人はみな殺されるのが嫌であるとか、生命の保護が無ければあらゆる活動や利益の
意味が失われるから人を殺すことはOKにしてはいけない、という理由はあっても
「人類の存続が危ぶまれるから人を殺してはいけない」などという空論までは存在しないんですよ。
そしてこの前者の理由は反出生主義とは全く矛盾しないですよね? >>438
>人が望むものの価値とは何なのか、また何で量れるか。
>実存的な観点から見ればそれが充足されない場合どうなるのかを見るしかない。
という条件からは反出生主義と「人殺しは悪ではない」が同じ方法で同じように導かれるということを示しただけ
反出生主義を受け入れるなら後者も受け入れないといけない
「理論的に正しいことが証明されても自分が気に入らないものは受け入れなくていい」という条件を追加するなら別だけど 生きているる人間間の利害の調整は複雑だよね。
功利主義だけでは割り切れない。(トロッコ問題など)
生きている人間に己の生き死にの選択権は何物にも侵害されないといことが
認められなければこの世界に存在すること自体より不安なものになるだろう。
人が生きるために「殺されない理由が必要である」などと言うことはない。
だが、一人の人間を生むか生まないかの選択では、功利的な吟味だけで十分だろう。
生まれていない段階で「生き死に」の自主決定権の保護は全く必要ないだろう。
反出生主義に依れば、快苦の非対称から「生まれない権利」はあっても「生まれる権利」は
存在しない。 生きている人間の自己決定権を認めるのであれば生むか生まないかに関しては何がしらの評価をすることはその権利の侵害を意味する
「生むことが好ましい」も「生まないことが好ましい」も同じように他者に対して主張することは許されない
反出生主義を語るときに生きている人間の権利を持ち出せばそれ以外の結論はありえない 「生き死にの自己決定権」に他人を巻き込むことはないが
「生むか生まないかの決定」は他人を巻き込むね。
人間を生むことは人間の決定権を超えた行為なんだよ。 どんどん色々増えてくね
見苦しいよ
決定権を超えた行為って何よ
出生が自己決定権でないなら生む生まないの選択権がそもそもない
反出生主義は幻になるよ? そもそも反出生主義の理解が根本的に間違ってるからこんな反論を受けるんだよ 己の生き死にの自己決定権は認められるべきだが、
子供を生むことは、反出生主義に依れば、個人の権利を超えているよね。 本来、子供を作る権利など個人には存在しないが子供を作る自由が野放しにされているだけだ。 >>464
その前提を承服出来ているなら逆に子供を作り出す事がどれだけ大それた越権行為かは誰か個人の意見や主張を待つ迄もなく自然帰結的回答として導かれるんだけどな
要はそのレスは我田引水のダブスタ止まりだ
反出生主義の主張、存在が許されない時にはその同じ土壌にあっては出生はまた更に強固に、絶対的に許されないものとなる
こういう事にならないとおかしなことになる訳だがそこは?
そもそも出生を正、反出生を負のように相互の繋がりを切り離したがっているようだがそこに大きな無理がある
快苦と同じように構造として捉える時には出生と反出生の関係性も表裏一体で不可分だからな 確かに、己の存在の確保に理由が必要であるような世界に新たに人間を生むとか
ますます悪質度が高くなるだけだね。 全反出生主義者の口を塞いで黙らせても反出生論が間違ってたことになる訳じゃないしなw >>467
そんな感じやねw
感情的になり過ぎて、おかしな方向に行ってるんかな? その手の印象論、レッテル貼りとあてこすりにはもううんざりだ
理論で返して来い
反出生が物事の理解としてはどこの部分でどう間違ってるのかから感情論を抜きに説明してみろ >>423
ええと、議論自体もあまり当たっていると思えませんが、それ以上に
そもそも反出生主義と関係があるとは思えません。
まず「必要」というのは、主観的な欲求の別名であるか、あるいは
目的と手段の関連を意味する概念(紙を切るにははさみが必要とか)であって、
それ自体で必要なものなんて、ありません。
生物体で言うなら、俗に言う遺伝的にプリセットされた「目的」は生きることと
子孫を残すことで、そのためには食べることが「必要」なので、栄養素が欠乏したら
「食べさせる」ために空腹を感じたり、怪我や病気で生命維持が
危険になりそうなら「痛み」で対策を取らせようとしたり、本能でセックスして
子供を作らせようとしたりとかの構図は一応はあるでしょうが、人間はとにかく脳が過剰に
発達して本能をはみ出してしまった奇妙な動物なので、そういうこととは関係なく、
「他人より多く金をためたい」とか、「権力が欲しい」とか、「他人に賞賛されたい」とか、
「子供を作らずにいろんな異性とセックスだけしたい」とか、
なくても別に困らない、それ自体が目的としか思えない快楽も数限りなくあります。
食べることも、もはや栄養摂取とは関係のない美味の追求になりがちです。
(古代ローマで吐いてはまた食べていたなんて有名な話もあります。)
その場合は「空腹は最高の調味料」で、特に苦と呼ぶ理由はありません。
でもまあ、この議論は基本どうでもよくて
>人間に快苦を生じる場面を構造として捕らえれば、始まりにあるのは
>常に苦の側だということだ。
仮にその通りだとしても、あるいは逆に始まりにあるのが快の側だとしても、
反出生主義の是非とは何も関係がないとしか、思えないのですがw 哲学的見地からの人間の生命への一旦突き放した見方、解釈の仕方を勉強したことない人にはこの議論自体が難しんじゃないの
「出生」がすぐに本人、自分自身そのものの価値や意味と結び付いて否定された気分になるからあからさまな嘲笑みたいな悪意で返すしかなくなるのよ とにかく、生まれる前は(ないし死んだ後は)意識がないし欲求もない
し、充足も不充足も選好もないし、快も苦もないというのは、当然の事実で、私も反対しておりません。
問題は、「生まれないことによって(あるいは死ぬことによって)未来の
快の可能性を回避することは(誰にとってかはともかく)良いことでも悪いことでもなくて、
苦の可能性を回避することは(誰にとってかはともかく)良いことなのだ」という
謎理論wの根拠(とその帰結)であって、
何で「万人に共通する現実の構造を踏まえた上で反出生論が成立する」のか、
相変わらずさっぱりわからないのですが。
「人権」の件ですが、別に反人権思想だからいけないなどというつもりは
全くなくてw、反出生主義はどう転んでも反人権思想にしかなりようがないのだから、
人権を旗印にするのは無理ではないか、と問うているだけです。
そもそも、純粋に客観的に見れば、別に人間が他の生物(犬猫やゴキブリやダニや)より
貴重だと考えるいかなる理由もありません。同様に、生物一般が無生物(石ころとか)より貴重だと
考えるいかなる理由もありません。
同様に、とにかく何かが存在している方が、何もないよりましだと考える理由も、特にありません。
同じように、仮に人間や他の生物が苦を感じず、快だけを感じて幸福に暮らしている世界(幸福宇宙)
と、人間や他の生物が永遠に続く苦と絶望にのたうち回っている世界(不幸宇宙)があるとして、
前者が後者より「客観的によい」と考える理由も、別にありません。快とか苦というのは、客観的には
単なる現象であって、よくも悪くもありません。 ここで「主観的に」みれば前者の方がよいのかというと、一概にそうとも言えません。主観というのは
必然的に「誰かの」主観なのであって、幸福宇宙の中でAさんだけが不幸で、不幸宇宙の中で
Aさんだけが幸福だとすれば、Aさんの主観にとっては後者の方が「よい」のは、理の当然なのです。
これは別に極論でも何でもなくて、しごく当たり前のリアルな結論です。
ただ、人間は社会的動物で、他の人間と協力して社会を維持しないと、そもそも生きることすら
おぼつきません。ですから、他の人間の主観や利益を無視することは、通常は自分の利益にもなりません。
たとえば、たいていの人間は、他人を殺したいという欲求や殺す必要性より、自分が殺されたくないという
欲求の方を優先します。だから、一般的に他人を殺すことが容易に許されない(平和な)社会を
作った方が、得です。
だから、政治的な合意の上で「人を殺してはいけない」という規範、倫理を取り決めることになります。
「人を殺してはいけない」というのは、要するにそういう意味です。
規範、倫理、道徳はすべてこの種の「政治の産物」といって、差支えありません。
ただ、これをあからさまに言うと、規範や倫理に説得力と実効性がありません。そこで、「人間の生命は、
誰のものであっても等しく、客観的に尊い、貴重な、よいものなのだ」という考えが生まれます。
昔なら、人間は神の似姿だという「宗教」ですし、近代になって、神様を信じない人が増えると、
その穴を埋めたのが「人権思想」です。両方とも本質は同じで、「有無を言わさない一方的w宣言」
なので、突き詰めて考えると、根拠は何もありません。 >>476
ちょいちょい挟んでこられるそういう悪意が無駄過ぎて疲れるんだよな
そういう余計なものが無いフラットでクリア、そして絶対的な出生肯定サイドの論客と話してみたいよ
>>477
無関係であるはずは無い
苦が始まりにある状態が出生では常に与えられる
これは「事実そうであると」正しく認めるところが議論のスタート地点なんだ
そこをぼやかしたり意味が無いと頭から断じるのは、そこに立つ気すら無いと言ってるに等しいな
要はこっちからしたらそっちは公正な意味の解釈から必死に逃げてるだけなんだよ >>419
>実際の人間の苦しみや喜びを大事にしていこうよ
実際には、人間がまず大事にするのは「自分の苦しみや喜び」」なので、他人のそれは
二の次です。
他人の苦しみや喜びを考慮に入れるとしても、それは「共感や反感を通じて、
自分の苦しみや喜びの一部である」のか、あるいは、自分の苦しみや喜びとの
関係で、その助けになるとか邪魔になるとか、非難を浴びて損をするとか
賞賛されて得をするとか、そういう文脈上のことでしかありません。
ですから、「仮に」反出生主義が正しくて、胎児は生まれてこないことが当人にとって
一番よいことなのだとしても(どうしてそんな理屈になるのかさっぱりわかりませんがw)、
親から見れば、そんな他人(胎児が親と別人格であるとすれば)の利害を
自分の利害に優先させなければいけない理由なんか、何もないとしか言えません。
自分が産みたければ、あるいは産む必要があると判断すれば産むし、
そうでないなら産まない、で、話は終わりなのです。まあ、現実にもそうなっています。
ここで、社会規範や人権思想を持ち出しても、殺人ならともかく出産は
社会規範上も、人権思想上も、基本的に「よいこと」とされているのですから、
はっきり言って反出生主義にとっては逆効果にしかならないと思います。
親が自分の都合で子供を産もうとしているときに、「胎児の人権を考えてやめろ」と言ったって、
まあ正直に言うと基地外扱いされるのが、オチというものですw
どう考えても、人権思想をどんな風にひねくり回したとて、反出生主義の根拠にはなりそうも
ないとしか思えないのですが、違うのでしょうか。 「苦がない事が良い」ではないよね。
比較の中でしかモノをいうことが出来ないですから
A B
「苦があること」⇔「苦がないこと」
の差なんだよね。
この差が歴然として無視できないだけなんだよね。
これは生きている人間に苦を与えること苦を奪うことの差に匹敵するということなんだよ。 >>474
いやいや、そもそも俺もおそらく>>467も反出生主義そのものが間違ってるなんて一言も行ってないんだよねw
ただ、ここで反出生主義を主張してる人達の反出生主義の理解、例えばベネターの反出生主義の理解が間違ってると言ってるだけなのに、それを反出生主義自体を攻撃してると思い込んでしまったりすることが、感情的なんだろうなって思わせるんだよw 毎回長文連投で畳みかけるみたく一気にまくし立ててる時点で人と真面目に一問一答で対話重ねてく気なんかないんだと思う >>482
君はベネターの入り組んだ非対称の図にこだわっているが
そのまえにもっとシンプルに示している>>382の誤りすら示せていないんだよ?
早く誤りを示さないと時間の無駄ですよ? >>482
間違ってると言い張れば間違ってることになる訳じゃないからな
主張としての要点、論点は簡潔にまとめる努力もしてくれ
そして逐一混ざる揶揄は要らない >>481
うん、どういうことかいな?
そこに無視できない歴然とした差があるのなら、とりあえず苦がないことは、善いこととしても問題ないんじゃない? 自体的な良さについては言っていない。
生むか生まないかの2択ですから「選好功利」しかない。
苦は有るより無いほうが良い。
多いより少ないほうが良い。
という言い方しかないんですよ。 >>487
もっと直接的なのは>>361の快苦の非対称です。
これの誤りを示さない限り何の進展もないと思います。 >>485
俺が答えを、言ってもどうしょうもないだろうにw
ベネターの快苦の非対称性について、ざっと見た感じもっとも的確な説明をしてるのは、>>151な訳だが、それで良いのかと? >>490
ベネターの示し方はそれはそれで有効でしょう。
それよりも、もっとシンプルで直球である>>361についてどうなの?とw もうめんどくさいから、いいか?
>>489
ベネターの快苦の非対称性については、それそのものだけを見れば、十分に了解可能なように思えるが、どうなの? >>361を見れば、生むことは大きな不合理としか言えないよ? >>488
そこだよな
反論者が掲げてる「生み出されないこと単体に良いも悪いも無い」って主張は作る側(親)と作られる側(子供)の繋がり、関係性が抹消されていないと成立しないんだ
あくまでも子供を作る人間が存在した上で始まってる反出生論にあっては出生と反出生はどちらか二者択一のみ
その上で両者のどちらがより功利的、合理的、道徳的、倫理的な選択であるかがテーマになってる
そこに至る前で歩みを止めてしまって、同じ一つのテーマを共有しようとしない相手では噛み合うはずもないんだ ベネターにこだわらなくても言ってることが正しければいいよね・・
どうしちゃったのかな? 単純に自分が生まれてよかったと思えば生む、自分が生まれなければよかったと思えば生まない
それでいいだろ
それ以上でもそれ以下でもない せめて、それが全く不当なハードル下げであることが分かっていることが必要だよね。
人間、最低限、自分のやったことの意味くらいは知っておくべきでしょう。 なんか説教されたwww
それ生んだことじゃなくて育て方の問題じゃね? 精々「生まれてよかったと思ている人が子供を作るほうが
生まれたくなかったと思っている人が子供作るより良さそうだ」
くらいだよね。
また、自分が安心して老いてやんで死ぬことができるかどうか危ういのに
また老病死のプロセスを一つ増やしてしまうなどと言うことは
快苦の非対称を持ち出すまでもなく最高度に問題視されるべき事実だよね。 周りから小石投げるんじゃなくて
問題の核心に入って来いよ。
ちっとは問題意識が生じるだろうよ。
w >>502
核心に触れてるレスなんてどこにもないが?
わかりやすくベネターの快苦の非対称性の核心に触れようか?
あれは、要するに、この世に人にとっての苦が存在する以上、出生は悪であると断じる理屈なわけだよw
善悪なんてものは、結局のところ、今、生きてる人が考えてることなんだよ。そして、生きてる以上、どれだけ小さくても苦を経験しながらも生きてるわけだよ。だとすると、ベネターの理屈が如何に受け入れられ難いものなのかはわかるよねw
にもかかわらず、ベネターの理屈をそれでも、それなりに有効であろうと言ってるレスを小石扱いすることが如何に愚かなことかわからんかな? 受け入れる受け入れないの問題以前に、生殖能力を持つものに、出生が、己の苦を累積しながら生き永らえることとは
比べものにならないほどに不合理な行為だと知らされるべきだということだ。
受け入れる受け入れないの前に理論的な正しさは伝えておいて当然でしょう。
出生者にとっては実はここが一番嫌な事なんだろう。 大体、「すべての人に受け入れられないのなら、いくら正しい事でも主張すべきでない。」
とかそんなこと言う人はいないでしょう。
しかし反出生主義にたいしてはこの子供じみた難癖がよく見られる。 >>507
君は、少なくともベネターを理解していないw >>508
君は、より酷い!
反出生主義を理解していないw
ベネターは、全ての出生を、悪だとしている。この意味を理解していない。 何言ってるんでしょうか。
全ての出生は悪だと言ってるでしょう。 ただそんなことを言っても人間は子供を生み続けるでしょう。
反出生主義と出生を共存させていくしかないでしょう。
出生があって反出生主義が無いという最悪の事態は避けなければいけません。 オレは、今まで見たどんな映画やドラマや、小説や漫画や、歴史のドキュメンタリーよりも、「反出生主義」にこそ大いなる感動を覚えるね。
なぜなら、反出生は、文字通り「全てを制する根本」だから。
反出生の視座から、歴史を人類史を、生命史を地球史を、その他現世のあらゆる営みの全てを見て、「なぜ?」と問うた時、バラバラに散らかっていた無数のパズルのピースが一気にバチーっ!とつながって、一枚の壮大な絵がクッキリと見えてくる・・。
そのどこにもスキ矛盾のない整合性の完璧さに、心が打ち震えるような感動を覚える。
「この世に斬れぬもの無し」という、ルパン3世五右衛門の「斬鉄剣」。
知の世界における斬鉄剣は、まさに反出生であり、無の思想は有の次元そのものを超えていると腑に落ちる。 ここ、こういうバカ多すぎでしょ
哲学を他人にマウント取るための道具としての「正しさ」をくれるものだと思ってる奴
正しさは強さじゃないし、哲学は正しくなんかない
哲学を一番侮辱してる人間
なんか名前つけたいね たかが哲学の扱い方ぐらいで人のことを頭からバカ呼ばわりしてるアンタにそんなこと言う資格ないでしょ 自分がマウントにこだわるから人の言動もマウント取りに見えるんだろ。 自分のことを言われてるって理解できる程度の頭脳はまだ残ってるんだ
意外だな 反論不可能になると論点すり替えするのは人の常。
そういう告白なんだ。 The idea whose time has come 0361 考える名無しさん 2019/06/13 22:24:02
快苦の非対称、
完全に成り立ってますよね?
もう一回確認するの?w
生んで、「意識が快を享受する状態」を現前させたほうが良い。
これは成り立たない。 どちらでも良い。
生んで、「意識が苦を経験する状態」を現前させたほうが良いか。
これも全く成り立たない。
生むという行為はものすごい倫理的閾値を飛び越えてなされる行為です。
生む生まない以前に皆が知っておくべき重要な「事実」です。 I will prepare and some day my chance will come. 人類は今までおかしな生んで良い理由を捏造しながら種をつないでいただけ。
で、それが今世紀になって完全にバレただけ。 「生みたい」という感情が「生まない方が良い」という理論で否定されるなら、
「死にたくない」という感情もまた「死んだ方が良い」という理論で否定されるべきである まだネットでも反出生に共鳴するような人間はごく少数だろうが
だんだん声が大きくなってくるとこれが暴論とか過激といってネトウヨみたいに
そのうちマスコミから袋叩きにあうよ
反出生が悪で少子化対策は善であるって論理がさっぱり分からんのだが ネトウヨも法務省によると人権侵害ではないということだからな
「特定の個人」さえ誹謗しなければこれは健全な政治談義、思想運動ということになる
ネトウヨを美化するつもりもない私にとってはむしろ軽蔑の対象だが
考え方や主張することそのものを非難するのは思想弾圧になる
まして、反出生は特定の国や団体を批判している訳ですらないのだから
何ら問題はないはずだ 反出生主義の声がこれから大きくなるかは、結局は政治経済次第だね
本人たちは否定するだろうが、反出生主義者と社会的敗者の数は比例するからね 海外では、反出生のムーブメントは日本より進んでいるが、
結局、日本でなされるのと同じような難癖が付けられるだけで何の弾圧もありませんね。
出生神話はもう世界中でベールが剥がされつつありますね。 それは、出生するものもどんなに愚かでも、
心のどこかでそれが悪い事だとわかっているという事もあると思いますね。
だって、理論以前に、現実の苦など見ようと思えばすぐみられるわけですから・・・ ネトウヨに対するそれは難癖というレベルなのか?
今後、反出生がああいう扱いになるなら充分思想弾圧と呼ぶに値すると思うが >反出生主義者と社会的敗者の数は比例する
そんな統計がどこにあるんや?貧しい国や地域のほうが反出生が相対的に多かったという
データでもあるのか、全く根拠のない発言 >>532
親子心中なんてまさにそうした心境から子を道連れにしちゃう訳だよ
自分が見守っていけないこの子はどんな苦労を背負って生きていかなくては
ならないのかと思い悩んでそういう選択になる
外野から見れば、なにも子供まで連れて行くことはないだろうと言うチグハグな
印象がもたらされる点でも反出生の扱われ方に近い 人生の必然的なプロセスである老病死もままならいのに人間を増やすとか
理論以前にどうかしているわけです。 反出生が最新の理論で記述されてもまだウダウダ言い続けるんですよ。
反出生の勢いを止めてしまうとかあり得ないです。 生まれてくることの苦痛のほうが大きいからという漠然とした理由で
多数派からマウント取ることは絶対にできないだろうが
昨今における人間の増えすぎと、資源の有限性、生存可能人口という観点から
人口抑制は今後、国連で重要テーマになる可能性がある 人口抑制理論と反出生主義は親和性は高いが
生むべきであるという出生主義は完全に否定される。
出生主義は反出生主義の客観性に対しては非常に限定されたものだということは明らかで
万人が認めざるを得ないものだろう。 出生主義というものはそもそも存在しないんだよ
身勝手に自然を破壊しながら出生は自然のものだから神聖であるはずだと
漠然と考えられているだけ
よって対立軸は反出生主義とその反証ということになる 生むべきではないの対立命題は生んでも良い
であって生むことが神聖とはちょっと違うね。
生むことが自然でそれゆえに正しいは自然主義的誤謬であって
反出生主義が置かれるまでもないと思いますよ。 反出生主義の考えに従うなら例えば、富裕層が多い地域では一人の人間が生涯に受ける苦痛の量が
平均的に少ないと推定されるので主に出生批判は貧困層をターゲットにすると
そうした発想には至らないのか?
反出生が功利主義である以上は快楽計算に示準を求めなければならないからね
授業料の無償化、子ども手当などと子供の支援体制を厚くすることを正義のように言うが
行政から支援を受けなければ生計が困難な准貧困家庭に生まれてくることを考えると子供が気の毒だろう
精神的充足を得ることができない人々、自殺率の増加は個々人の所得や資産と完全に反比例している
功利主義に従うならまず貧困層からということにならなければならない。 まず生むこと自体が功利的に埋めがたい不合理を抱えている。
そのうえで一定の出生数が必要であれば環境の悪いほうから制限されるというのは妥当ですね。 これは、倫理的妥当性を持っているというということのみならず、
いろいろな社会問題を緩和する糸口にもなり得る。 ベネターの謳う反出生は、「人が人として生まれてくることによる普遍的苦痛」としているので
貧富の差には本来関わらないかもしれないが、生まれて良かったか悪かったかを考えるのは
現実に生まれて悪かったと思う人間が大多数を占めるということがない限りは普遍的体験とは言えない
しかし、貧困を理由に死を選ぶ人間が統計上最も多いということは現実であって
貧富の格差を鑑みて然るべきだろう
だが、これには貧困を解消してやるという手もある
産まないことの正しさを説くのにもっと説得力ある理論があれば良いんだが ベネターの反出生主義は、いわば、カントの定言命法の「ようなもの」だと思います。
達成されるかどうかにかかわらず前提として掲げられて置かれるべきもので
この上に議論が成り立つといったものだと思います。
逆に、こうして見れば、これが無かった状態がいかに無軌道だったかという事だと思います。 >>484
ええと、ベネターの入り組んだ非対称の図にこだわっている(のではなくて、
その無意味さを指摘しているだけですがw)のは私ですが、>>482は私では
ありませんので、誤解なきよう。
>>361
この議論も、申し訳ないですが、混乱していて全く意味をなしません。
まず、重要なので繰り返しますが、良いとか悪いとか言えるのは、
あくまで「誰かの主観にとって」なのです。
いくら快があろうと苦があろうと、それは客観的には単なる現象であって、
良くも悪くもありません。
たとえば私がものすごい苦痛にのたうちまわっていたって、それは
私にとって悪いだけで、他人にとっては良くも悪くもありません。
というか、私が嫌いな人間にとっては「良い」ことですらあります。
あまり大っぴらに論じられることはありませんが、この種のことは実際には
さして珍しいわけでもありません。
>「意識が快を享受する状態」を現前させた方が良い。
>これは成り立たない。どちらでも良い。
快を享受する状態を現前させることは、当の意識にとっては
「快の現前」なので、良いに決まっています。
「どちらでも」というからには何かと比較しているのでしょうが、
ある選択が、直近の未来に
1.「快を享受する状態」を現前させる場合と、
2.「苦を経験する状態」を現前させる場合と、
3.「快でも苦でもない状態」を現前させる場合を考えれば、
「そのことだけを考えれば」当の意識の主体にとっては1の選択が一番「良い」のは、
自明であります。もちろん、視点を少し広げて、当の意識の主体の長期的な利害を
考えるなら、話は全く違いますが。 >「意識が苦を経験する状態」を現前させた方が良いか。
>これも全く成り立たない。
これも上と同様で、苦を経験する状態を現前させることは、当の意識にとっては
「苦の現前」なので、悪いに決まっています。以下同文。
要するに、存在する意識にとっては、「快」はプラスで「苦」はマイナスだ、
現前する場合も、長期的な要素としてもそうだ、という当たり前の話で、
非対称性なんか、相変わらずwどこにもないのです。
困ったことに、引用文の頭には「生んで」がついていますが、
「生む」ことは、「(可能性として)未来に様々な(予測不能の)快や苦を享受したり経験したり
することのできる意識の主体を作り出す」だけです。
ですから、「生んで、意識が苦を経験する状態を現前させる」という表現は不正確で無意味なのです。
生んで、未来において様々な快や苦を経験する可能性のある意識の主体を作り出すことが
(おそらく生まれてくる当人にとって)良いか悪いかは、反出生主義のテーマそのものであって、
その議論と>>361は、というか、ベネターの愚にもつかない頓珍漢なw図式も、意味のよくわからない
「快苦の非対称性」の話も、ほとんど関係がないというしかありません。
全く別の視点の話ですが、出産は、ほとんどの場合、生む女性にとっては、苦以外の何でもないそうです。
「スイカぐらいの大きさの固いウンチをすることを想像しろ」とか言われたことがありますが、
私などは考えただけで気絶しそうになりますw
生む女性の立場から「どうしてあんな苦しい思いをさせられなければならないのだ。
すべての出生は我々にとって悪だ」とかいう意味の「反出生主義」の主張なら、賛成するかどうかは
ともかく、大変よく理解はできるのですが。 またですか?
快があったほうが良いと言えるのは意識が生じてしまって
快が無い場合に不充足が生じる場合に限られます。
出生というのは、快を経験する状態の意識を生じさせるかどうかという選択です。
そうしない場合でも人間の不充足は生じませんから「快を奪う」という実害が成立しないわけです。
あなたの論に従えば能力を持つものは絶えず生殖していなければ「人間の快を奪う」という
実害を発生させ続けていることになりますよ?
そんなこと誰が思ってるんでしょうか?
w 快苦の非対称は言葉遊びではなく「人間の実問題」が成り立つかどうかを見ているわけですよ。 快苦の非対称は無意識のうちに誰もが理解し了承していることですが
言語化しようとするとあなたのように迷路にはまっておかしなことになってしまうんです。 生存するものは概ね快を求め不快を避けようとするのが
自然的態度であるので神の視点からそこに普遍性は導き出すことができる
我々が当然のように受け入れてる法律にしろ、そうした原始的な要求から
肯定されるのだから
殺人や傷害が厳罰化されることは正しいとなってる。 快による無条件の正当化。
それは快楽功利が修正を迫られた問題点。
快=善はいわゆる自然主義的誤謬ということですね。(ムーア) ならば君は法律を受け入れず日々生活しているのか?
他者への攻撃が厳罰化されるのは不当で慈しみを罰すべきだと?
残念ながらそうした特殊な傾向は功利主義の範疇に入らないね
仮に君がマゾヒストであっても無条件に殴りつけて構わないという法はないし
そんなことは考慮する必要すらない だいたい、快楽を肯定できなければ反出生における「苦痛=悪」って前提も正当化できんだろ
それをやりだしたら逆に苦痛や困難が伴うからこそ喜びがあるという考え方すら合理化できてしまう 善というのは絶対規範という意味ですよ。
そんなもの最初から論点ではない。 「生まない方が良い」の反対は「生むべきである」でも「生んだ方が良い」でもない
悪をしないことは善ではないし、善をしないことは悪ではない
悪でないことは善ではないし、善でないことは悪ではない 生まない方が良い、と
生まれない方が良い
は別だからね なら反論や否定する意味すらなくなるな
出生の正当化のために反出生はんたーいを繰り返すだけ まあだから哲学なんだろうね
単なる思考遊び
現実的な行動に落としこめる話じゃない 落としこめるだろ
政治広告的展開ならチャイルドフリー論とさえ絡ませればすぐだ
むしろそっちの方が支持はされやすいだろうな 生めとか生むなとか発言した政治家がどうなったのか知らんのか?
今の日本じゃかなりタブーな話題 人間を生み出すことが悪だとはっきりしたんだから
哲学徒の皆さんもしっかり伝えていかねば
哲学の存在意義が無いよ 人間を生み出すことは悪ではないでしょ
すでに生まれてる人間にとっては >>564
さすがお手本として童貞を固く守ってる人は言うことが違うね 偏差値60未満の泡沫大学哲学科出身は哲学徒ではなかったということですね
失敬 >>561 えっ? なんで? どこが言葉遊び? 現実に、落とし込めるじゃん。
「産まないだけ」でしょ? これが、現実にどれだけ絶大に素晴らしいことか、なぜ命を新たに産み出すべきではないか、疑問の余地はないでしょ?
あとは、「やるべき事をやる」だけだよ? 大昔のプラトンの時代から、真にやるべきことは、火を見るより明らかだったじゃん。
それを理解できないのも、実際に実行できないのも、ただ人間の側の愚かさと弱さでしかないでしょ? ただの逃げ甘えだよ。
それは、人として本当に立派でつつましく謙虚に生きている人を蔑み、逆に、ただ単に見かけが良いとか何らかのテクニックに優れた者を異常に持ち上げて賛美する、その烏合の衆の愚かさ・弱さと、根本的に同質じゃないか? 今後我が国で反出生が広まれば世論やマスコミの非難を浴びることは確実だろう
しかし、国力の低下や年金制度の維持のために少子化対策を進める行政やそれを良しとする
社会的風潮のほうがよほど乱暴なことをやってると思うんだがね
もう一度、冷静になって考えてみてくれ税収や年金保険料を増益するために
要請される命ってどういうことだよ?
生まれてくる子供の人生は国家や制度を支えることが第一にある訳ではなく
子供自身のものでなければならないはずだ 苦とは何か
マゾヒストに肉体的苦痛を与えることは苦を与えることとは限らない
主体がなければ快苦の評価は不可能である
苦を与えることは悪であるのか
アル中から酒を取り上げることは悪か
主体が望むことを叶えることが必ずしも善とは言えない
快苦の評価は変化する
苦しかった体験を後に良い経験だったと語る時、それを快苦のどちらと評価すべきか 反出生主義による自殺を否定するならば、安楽死は究極の善となる 選択できない行動に対して善悪の評価をすることに意味があるのか 量的な功利主義を根拠にすると、苦しみと喜びは主観に左右されるので速攻で破綻してしまう
ここはひとつ頭を切り替えて
「生まれてくる人間は良いことに比べ悪いことをする割合のほうが圧倒的に多い」
としたほうが分かりやすい
現実に、人間が存在することによって自然のバランスを大きく崩している訳だから
既に生物種としては自然から要請されていない
一人あたり一日に10万キロカロリー以上も消費する生物など自然にとって癌細胞でしかないだろう
あの巨大なクジラがこの小さな島国に何億も存在するとイメージすれば分かりやすいか。 時代によって変化する倫理は真理になりえないからである 善悪をどうするか(何を善と認めるかを含めて)ってのは紀元前から
哲学の最重要テーマだろうよ
万人が個別的な事情を捨て去ったとき導かれる結論が相互的承認を
繰り返すことによって普遍妥当性を持つに至る
人権や民主主義、平和主義などと言った概念も個を超えた立場から
思考することでしかでてこない 必死で屁理屈をこねているアンチだが、
可哀相な犬や猫が増えないための避妊手術、つまり主体を生み出さないことによる
苦の回避による効用 はすんなり認めるんだよね。
wwww
現実に即して考えないからいつまでも言葉遊びから抜け出せないんだよ。 周りから小石投げるんじゃなくて
問題の核心に入って来いよ。
ちっとは問題意識が生じるだろうよ。
w 言語による相対的価値判断の向こう側にある絶対的価値判断が人間の内面に存在するという円環性 快が効用を持つには、経験が成り立つこと、快が齎されていない状態から齎される状態への
移行がなされるということであるが、
苦の回避が効用を持つということは、そもそも経験が成り立たないようにすることなんだよね。
快が効用を持つには無い状態からある状態への移行だが、苦が回避されるプロセスは
それと同じなわけは無いんだよね。
有ること自体が害悪なわけだからね。 >>580
中々良い視点だと一瞬思ったが
生まれてきても世話を焼いてもらえる宛のないペットと親の庇護の下において生まれる
人間の子の苦痛を同様に扱う訳にはいかないだろう
生活に余裕のある家庭であれば出生の何がマズイんだ?となるのは自明だ
旧優生保護法下での強制避妊が社会悪とされペットには良いこととして扱われるのは
尊重されているからではなく人間よりも下等とされ尊厳が軽視されているからだ。 ですから、そういうことではないんですよ。
核心は苦の回避には、快の享受に必要な受益者は必要ないという事です。
動物であろうが人間であろうが。
で、苦の回避の効用は人間のほうが比べものにならないほど大きいということです。 動物と人間は別々の論理で生存を否定されると言ってるだけなんだが
違うものを一緒くたにして論じても意味を成さない 生存の否定はどこにもないです・・
存在させるかどうかです。 私はペットの避妊云々宛に話をしていただけでなにかを否定したつもりはないが
横から何を争点にして怒られてるのか良く正直わからん 苦痛を多く経験させられる犬猫を誕生さない事に効用を認めているという事です。
その選択によって苦痛が無い状態を経験する犬猫が居なくてもです。 犬猫は住民が単純に迷惑するからだろ
糞尿だの狂犬病だの 犬猫が避妊されるのはそんな積極的な理由からではない
飼育環境が整っていれば避妊しない方が良い本心では思っているんだから
単なる財源の問題だ これはやばいヤツを見つけるネタにはなるな
>>580みたいな 飼育環境が整っていない場合、生まれさせないようにするは一体何のためですか?
という問いなんですよ。
生まないことによる苦の回避が犬猫の苦にとって効用があるという事です。
では。 人間も突然変異でポコポコ生まれてきて
今ある生活環境が持続不可能になるなら
避妊するだろう
一人っ子政策と同じ
謎はないよ >>586
近づいてるけど、やっぱ違うw
当たり前だけど、ベネターは、苦が現前する場合には、苦を享受する主体が必要だと考えてるよ。わざわざ言うまでもないんだけど、その辺りのことがわからないんじゃあ、快苦の非対称性に関しては、どうにもならんw
君らは、ベネターを持ち出して、反出生主義を主張するけど、全くそれを説明できない、つまり理解できてない感じだよね。
それでは、自らの反出生主義について、ベネターの理論を論拠にしてるとは到底言えないわけだけども、本当のところは、何を根拠に反出生主義をそんなに強く主張してるの? >>594
どうしても産みたいという人間的感情を
ペットが示せば避妊も批判されるだろう
雑草が知能を持って喋り出せば、
雑草権を認める必要が出てくる >>596
ベネター教の信者ではない。
では最後に思考実験
あなたは、苦や不充足を経験する個体を一定期間存在させることが出来るとしよう。
(実際出生はこれを含む)
そして人数は50人が100人どちらかを選択できる。
どちらを選択しますか?
俺はもちろん50人のほうだ。
因みに、この選択に苦を免れたことを知る個体は存在しません。 ホントは自然のままにしといた方が良いという前提がまず存在する
避妊手術の場合は、死にそうになって倒れてる者を助けられたら一番良いけど
手段がないのでトドメをさしてやるようなものだ >>599
生むか生まないかの2択を考えているんだよ!!w >>598
思考実験て脳内だから意味ない
大したことない苦痛かもしれない
まさにバカの言葉遊びw しかし、非対称はベネターの発明ではない。
もともとあったものを見つけただけだ。
だから反出生主義の核心は堅固なんだ。
示し方はいろいろあるだろう。
ベネターの示し方は複雑すぎる。 やっぱこれ根底にキリスト教の発想があるよな
裏返しというか
キリスト教をどうしても相対化したいロジックだわ >>598
個体なんていう快苦を享受する主体を想定した時点で終わりーwしかも、人数とかw
幸福になる個体を100人存在させるべきであるでしょw
最後は、最悪wそこは、快を問題にすべきだよwだって、明らかにベネターにやってるでしょw >>596
あなたは、苦や不充足「のみ」を経験する個体を一定期間存在させることが出来るとしよう。
(実際出生はこれを含む)
そして人数は50人が100人どちらかを選択できる。
どちらを選択しますか?
俺はもちろん50人のほうだ。
因みに、この選択に苦を免れたことを知る個体は存在しません。
苦や不充足の程度の設定、存在期間の設定はあなたにお任せします。
これはそういう思考実験です。 >>602
いや、ものすっごい単純だよ!
だから、なんでわからないのってなるんよ! >>604
もちろん出生は苦と快を同時にもたらします。
この思考実験を快でやった場合は50人でも100人でもどちらでもよいことになります。 まずは幸福と苦痛を万民が同意する形で
定量化できないといけないな
が不可能だ
ありもしない個人主義のハードルで
極論するのは思考の訓練になっても信じてはいけない 理屈はなんでも良いがとにかく産まなきゃ良いんだよ
産むことに悪徳があるから産まない方が良いでこの話は解決する
産まないことの効用など論じる必要はない 無駄な思考実験いくらやっても説得できないよ
空想ならそれでいいけど 解決でいえば
ぼくのかんがえたさいきょうのしそう
に支配されるのはバカだってこと >>608
定量化必要ないです。
功利計算が必要なのは他人との利害調整のためです。
個人の倫理的問題を考える場合はより人間の直接の動機を説明する選好充足型功利主義が必要です。
それで、人間の選好というアプリオリなメカニズムに快苦の非対称が成り立っていることが
見つけられたわけです。 >>611
つまんねーこと言いに来てんじゃねえぞハゲオヤジ >>612
絶対に苦痛しか経験できない個体を
産むと予め完璧に先取りできるなら
避妊する方のが賢明だろう
どこにも謎はないよ
君が何をそんなに悩んでいるか分からない ある日神さまがやってくる
「お前たちのこれから生む子孫は一切の
喜びを感じずに耐えられないほどの
苦痛を感じる呪いをかけた」
これならみんなで絶滅を選ぶよね
謎はないよ >>615
この思考実験は、「人生で求められるもの」、「回避されるべきもの」の2つを別個にやる必要があるんです。
そこに完全に非対称が成り立っていることを示すための思考実験です。 >>607
どちらでもよいことには、なりませんw
ベネターも快を享受する主体が50人よりも100人の方が善いということは、誰でも了解できるものだとして認めます。この意味で、ベネターは快苦に対称性があり、出生においては、この意味での対称性がなくなると言ってんの!それが、ベネターの快苦の非対称性だよ!
ほら、もう俺が答えを書いちゃいそうだぞw君らは、それじゃあ立つ瀬がどこにもなくなるぞw >>617
人は誰しも日々、なんらかの痒みを感じる
肌が乾燥したり、摩擦があったり
死ぬまで続く苦しみだ
こんなのは避妊の理由にならない >>617
コラコラw対称性があるかないかの問題なんだから、別個にしたらダメだよw対にして考えんどダメw >>616
ある日神さまがやってくる
「お前たちのこれから生む子孫は一切の
苦痛を感じずにあふれるほどの
幸福を感じる呪いをかけた」
これならみんなどんどん子ども生むよね?
どちらもありえないし意味のない仮定 >>618
それはすでにその個体が存在しているときですよ?
この実験は存在させるかどうかです。
快苦の対称性が成り立つのは選好主体が存在したのちに限られます・・ >>621
産まないよ
産むの大変じゃん
それこそ絶滅を選ぶのと違う バカが
ぼくがよんだむてきりろん
に飛びついて喚くと社会の苦痛になるのは確かだ >>622
だとすれば、50人だの100人だなということは、問題になりません。そんなことを言ってる時点で、理解が足りてません。
それと、選好を持ち出すのは、やめた方がいいでしょう。なぜなら、選好を持ち出すのであれば、子どもを設ける両親の選好を無視できなくなるから。そこに至ると、ベネターの反出生主義は、崩れていくと俺は思うよーw なにも反出生はベネターだけのものではないでしょ
ゲラゲラと草生やさなきゃ書き込めないでマウント取りたがるようなやつが存在する不快を
軽減する意味においても反出生は説得力を持つ 全ての人間がいかなる時も絶対に必ず苦だと感じる事を一つでもあげてくれ
そんなものは存在しない
苦か快かを決めるのはその人間のその瞬間の感情で、その評価は一定であるとは限らない >>622
数を問題にして、より多いのが善いか、少ないのが善いかとした時点で、個体の存在が前提になってるだろwそんなの当たり前の話だぞw
ベネターの言ってることは、そういうことではない。出生そのものがアウトなのw >>626
まず生むこと自体を吟味します。
そのうえで他者との利害の突合せです。
両親が「生まないことで」被る不充足が新たに生み出される人間の一生分の不充足を上回るなど
およそあり得ないでしょう・・ その時苦悩しても、あとであれなんで悩んだんだろ
くだらね、とか忘れちゃうってあるからね
身体的苦痛も我慢しちゃおうで済むものも多い
やっぱキリスト教の世界観あるってこれ
苦痛について考えすぎ >>629
ですから、快苦の対称性が見られるのは俺やあなたのようにすでに
選好を持たされたものに限られます。
それもあって、生み出す価値より生を継続する価値のほうが上回るわけです。 >>631
人生の良いものも悪いものもまず同じように見ていきましょう。
精神論や処世術はそのあとで十分でしょう。
ベネターの基本理論は厭世にも楽天にも傾かずニュートラルから出発します。
だから客観性が高いわけです。 >>630
もうそういうところに落とし込んだ時点で終了だよw
少なくとも、両親は、自らの経験から、生まれることは、苦もあるけども、それに余りある快があり、それは、子どもを得ることによってより大きなものになると感じてることが多いだろうね。
そして、自身がそうであると同様に子どももそうなることが十分以上にあり得ると感じて子どもを設けるわけだよ。
そして、それが続いているからこそ、人は今も存在してるというところは、少なからずあるよね。
その時点で出生は、すべからく悪であるとという反出生主義への反証が成り立ってしまうよー! そういう「感じ」は「感じ」であるというということです。
理論は客観性です。 人生は苦痛だってどこがニュートラルなの
完璧苦痛オンリーの子供なら避妊すればいいじゃない
だけどそんなこと現実にないし予測できないから
規範として意味がない
根本的に言葉遊びだ >>632
だから、選好のない時点で、選好による善悪を語ることそのものがナンセンスだと言われたら、どうすんだよw
そのレベルには、至ってないと思うがw 「人生は苦痛だ」とか誰が言ってるの?
良いこともあれば悪いこともあるでしょう。
反出生主義はそういう万人が認める事だけから出発しています。 その客観性判定の基準が特殊なんだろな
そっから怪しいw >>632
だから、ベネターは、ポリアンナ効果とか言い出しちゃうんだろw >>598
100人だよ50人でもいいけど
だって苦痛は誰でも感じるから
それ以上は分からない
おわり 神「苦痛しか感じられない不幸な人をパッと出現させます〜」
俺「可愛そうだから出来るだけ少ない人数でお願いします!」
おわり >>637
誰もが選好功利で生きています。
これは否定しようがありません。
そして生む生まないの岐路では快苦の非対称が成り立ちます。
根気強く示すしかないですね。 >>641
快楽も同じだよ。
まずは、快苦の対称性から考えて見よう。
知りたければ、時間があれば解説しよう。 >>641
人が経験したくないものだけを経験する個体をより多く生み出すことに何の意味が? >>646
>>605です。
この思考実験は生まないことの、存在させないことの効用を示すためのものです。 >>643
選好功利をそのように定義するならそうだろw
それでも、生きてなきゃ、選好は生じないなあw
君以上にわかってるから、一々説明する必要はない。
君に必要な根気強さは、今少しこの問題について学ぶことに対するものだよ! >>646
ファンタジーではないです。
出生は確実にこれを含みます。
快でこの思考実験をすれば「50人、100人」どちらでも良いとなり。
苦で同じことをすれば50人の一択となります。 こいつら非存在も考えられないとかアホか
予定とか把握出来ない系の人? >>649
選好が生じないから「快があろうがなかろうがどちらでも良い」となるんですよ?
もう寝ますね。
動物園みたいになってますから。 >>648
それは、現時点では、ほぼ確実にあるね。
堕胎は認めざるを得ないわけだから。 >>652
だったら、苦でも同じになるだろうがw
ベネターは、そんなこと言ってるか?
これ以上は、答えになるから、書かない! 苦は存在するよりしないほうが良いに決まってるじゃん・・ >>656
快もないよりある方が善いだろうがw.
選好も快であろうが、苦であろうが、出生する前であれば、その享受に対して選好する主体はないだろうw
もうほぼ、答えを書いたわけだがw
快苦の非対称性について、ベネターが何を語っているのかの答えは、出せるよね。 生むか生まないかという2択だ。
生んで快を生じさせたほうが良いとは言えない。
生んで快を生じさせなくても人的問題が全く発生しないからです。
「快を生じさせないのはまずい」が全く観測されません・・・
生んで苦を生じさせたほうが良いなど全く言えません。
被害者を出すのが良いなどあり得ないですね。
もういいですか? 言葉の綾とかではなくて「人間の」問題として
AよりBが好ましいが成り立つというのは
AはBより好ましくないのであって
それでもAを選択すれば不充足が生じる。
Aを選択しても不充足が無いのならA,Bどちらでも良かったという事です。
選好功利主義です。 >>658
ダメです。
もっともダメダメなのが
>生んで快を生じさせたほうが良いとは言えない
これ。
ベネターは、これを善いとはいえないと言ってるか? 置いとけというか示し方が複雑すぎる。
君が解説したいというのなら止めないよ。
俺は同じ事をもう何回も言っているこれ以上言う事ない。 >>660
「快を生じさせたほうが良い」というのは生んで「快が無い状態よりは」が言い得るだけで
「生まずに快を生じさせないよりは」が全く言えないという事です。
この図は生む、生まないの比較図ですから「生んで快を生じさせたほうが良いとは言えない」
となるわけです。このことは比較図を支配する選好功利から言えるわけです。
ベネター関係なしに。
しかも本の中でベネターも言及した箇所があったはずですよ?
「理論的にはほんの些細な苦痛があるだけで生まないほうが良いと言い得る」
これは 生んだ後の快は「無いよりあったほうが良い」とは言えないという評価によるものです。 「理論的にはほんの些細な苦痛があるだけで生まないほうが良いと言い得る」
その「理論的」が正しいかどうか分からない
正しくない理論ってたくさんあるからね theoreticallyなのかな
俺の仮設した論理の上では〜
この地点から全人類の従うべき普遍的規範に
至る距離は果てしない 既に、法律や人権というものは万人が受け入れている事実からも
一定程度の普遍性を確立することは可能だと言える
無差別殺人をやった凶悪犯が法の裁きを受けずにいることを良しとする者は
いないのだから法律には蓋然性があるという事ができるし
敢えてそれを普遍的善などと呼ばなくても良い。 道徳なんてのは単なる不戦協定みたいなもんだからな
立場に歴然たる差があれば成立しない
我々が動物を殺して食うようにね ワクワク思考実験するのは人の勝手だけど
それが正しいという議論に踏み込みと
おかしくなるよね
まさに独善 >これは 生んだ後の快は「無いよりあったほうが良い」
>とは言えないという評価によるものです。
意味不明
あった方がいいだろう
無茶苦茶な屁理屈ブンブンして威張るなよ 俺にも正直ようわからんが、選考の段階で快を享受すべき対象は未だ存在していないのだから
存在のない者からその権利を奪い去ったと言うことは成立しないってことじゃないか?
お前らが毎日オナニーしまくって精子を殺し続けても生存する可能性を奪ったと
責められはしないだろう
逆に、苦痛を取り去ろうとする決断は動物の去勢のようにいかなる段階であっても正当性をもつ
問題は生まれてくることで生ずる苦痛が人類普遍なのかってとこだよなぁ 存在しないから権利いってもしょうがない
教条的な頭デッカチ個人主義と、
キリスト教批判という名のキリスト教思考の
タッグ屁理屈だな >>668
いや法は人間が変更できる実力を伴った
ルールでしかない
普遍かどうかは二次的
この立場からすれば、まずは子供を産んだら
犯罪である社会を作るという思想になる
でこの規範は合意ではなく、
法を超越している絶対性に
よって支えられている
でも俺はお断りします〜 そっか
俺の苦しみは俺を生んだ親のせいだっていう話か 事実からの立論に良い悪いも無いですね。
まず本当のことでしょう。
>>664
×これは 生んだ後の快は「無いよりあったほうが良い」とは言えないという評価によるものです。
〇「生んだあとに享受する快」は「生んだほうが良い」という根拠付けには全くならないという評価によるものです。 >>677
これは選好功利による必然的な帰結でベネターの価値判断はふくまれていません。
で、当然ベネターも同じことを著書の中で言っています。 根拠付けにならない根拠があやふやだからなあ
やっぱ言葉遊びだよ 結局苦痛というものへの強迫観念があるよね
問題設定が不思議だ 俺は高ハードル論法って呼んでいるんだけど
ある考えを観念的に突き詰めて
それに合わないものを排除するっていう思考がある
例えばここでは苦痛な世界に生むのは強制とか
別に強制でいいやん
神さまじゃあるまいしw
そして他人にも同意を強制するところも独善
いや君だけ実践しなよ 反出生主義は個人的信条ではありません。
万人に妥当する道徳理論です。
すでに世界中で理解され始めています。 生まれれば快の多い、苦の少ない生を望み、そのために努力するわけですが、
人生に快がある、たとえ多くの快が約束されていたとしても、そのことは全く正当化しません。
まあ、多くの先哲が言ったとおりの結論に落ち着きましたね? >>680
ベネターはマイナス功利ありきで反出生主義を主張したわけではありません。
ニュートラルな前提から出発したに過ぎませんよ? >>674
>まずは子供を産んだら 犯罪である社会を作るという思想
なわきゃない。
公権力を用いて強制的に出産を諦めさせるという方法が全てじゃないだろう
これは、少子化対策が強制多産の政策ではないことを考えれば分かる
ならば、これから子供を持とうとするか既に子を持つ家庭への支援という形で
奨励をやるのとは逆に、子供を産まない選択をすることによって
生ずるメリットを授けてやれば良い。 法の根拠は国民の信託です。
倫理的な妥当性ではありません。
反出生主義が全面的に受け入れられることはないと思いますが、
反出生主義を部分的に取り入れた政策等が導入されていかなければなりませんね。 あるいは社会通念のなかに徐々に反出生主義が浸透していくことも重要ですね。 それは勝手な政治アジェンダだから勝手にやればよい
問題はトンチンカンじゃなくて論理的だから
従えという主張だろう
いやトンチンカンだから従わないんだよw 誰しも、どんな馬鹿でも、薄々は人間を生み出すことに怖れと言うか畏怖のようなものを持っているでしょう。
それが表立って言われてこなかっただけです。
反出生主義が言語化され伝わるという事だけでも、また子供を作るということの深刻な側面を
再認識できるという意味でもとても重要ですね。
いくら口では反発しても思うところはあるでしょう。 反出生主義者ってみんなこんなキチガイばっかなのか
勉強になった そうやってすぐ悪態と侮辱に逃避するような、誰ともまともに冷静に話せてさえいない自分自身のことをまず理解しろよ 出生をやめればクズが生まれずに済む
クズを生み出してるのが出生だ
そして他人事のように言ってるがお前もクズの内の一人だろ 自分の子供を不幸にさせておいて我が身を省みることすらないタイプの最も腐った人間ほど粘着アンチ化しやすいのもな なにか完璧な理屈を欲して外から行動原理を
与えられることに弱い人とかね
たくさんいる植松聖予備軍だな 実際には障害持った嬰児を現実で殺しまくってるのも、植松を賛美してるのも、児童虐待死させた親を徹底擁護してるのも出生側の人間ばっかりだけどな
社会的な大義名分さえあれば無実の人間を、子供を殺すことも罪にすらならない世界
さながらナチスドイツの再来だ な異常な屁理屈を展開するだろ?
我は悟ったものである、を地で行っている 出生は、体の衰えや難儀、もう治らない苦痛を発し続ける病からの死など
少なくともそういうものを他人に背負わせる行為であって、これが正常な判断だと言い切れるなら
大概の犯罪行為は許されてしまうだろう。
ほんとに反出生主義の何を責めているんだろう。 生むか生まないかの岐路においては、快苦の非対称の中で選択するしないのにときている。
これはほんとうに正気の沙汰ではないんだよ。 これは悟りを気取るといったものはなく。
単なる事実なんだよね。
事実を指摘するものを排撃しようとする。
この態度は中世さながらだと思われる。 単純な事実を事実として認められずに妄想と攻撃と嘲笑に逃げる程度の人間こそが反出生の粘着アンチになるってことだよ 事実と理論は別物
理論と規範も別物
規範と倫理も別物
無論、事実と倫理も別物
おわり それをただの事実だと主張するのなら前者と公社が完全に別物なのかどうかを同定してみろ 訂正 後者
それが出来ないなら条件反射的で悔し紛れの言葉遊びにしかならんぞ ブンブンしてた思考実験がいい加減だからなあ
それをひたすら事実と言われても戸惑うよね ここでこんなんじゃ、そりゃ実社会ではさぞ生き辛いだろうよ
かわいそうに 生まれない方が良い、という事実に基づいて行動するか、生んだ方が良い、という事実に基づいて行動するか
好きにすればいい 生まれない方が良い、という事実と生んだ方が良い、という事実は両方成り立つからね >>702
というか、逆に、そこに挙げられた事例は、反出生主義の「論理」からいえば、
すべて「よいこと」と考えるしかないと思いますが。
言っても無駄なのは承知してますがw、これは人格攻撃とかではなく、
純粋に「論理」の話です。ここの反出生主義者の皆さんが殺人を肯定したり
しないのはよく承知してますが、むしろ「それは、論理的には筋が通らないのでは」
と問題提起をしているわけです。
「生まれない」ことと「死ぬ」ことを比較すると、両方とも「未来の生命の存在の
可能性を消失させる」ことであって、当事者Xの視点からは本質的な違いはないのですが、
これが、どうにも心理的に理解されないようです。その要因はおそらく次のようなものです。
第一に、生きている者は、否応なく死にたくない、生き続けたいという欲求を持っています。
これは身体にインプットされた本能によるもので、いかんともできません。
第二に、その帰結として、殺人は倫理的にも法律的にも「最大の悪」とみなされています。
誰でも殺されるのはいやなので、そのような政治的取り決めがなされるのは、理の当然です。
通常は自殺も、あまりよいこととはされません。自殺した人は「かわいそうだ」「気の毒だ」
等とみなされます。
第三に、生きている者が死ぬと死体となって、虫がわいたり、腐って腐臭を放ったり、
生きて活動していた時との対比で、非常に生々しい悲惨な印象を与えます。
第四に、普通、人が死ぬと周りに悲しむ人がいます。また、社会的な悪影響もあります。
しかし、これらはすべて「第三者の視点」からの話で、当事者の視点からは、何ら
意味を持たないのです。
第四などは、事実としても必ずしもそうとは限らないので、人が死んで喜ばれる場合も、
積極的に望まれる場合すらあります。逆に、人が生まれないことで親や他人が悲しむ
場合も社会が損害を受ける場合もいくらでもあります。しかし、いずれにしろ今は
当事者の視点に話を限っているので、他人の視点や社会的な影響は度外視するしかありません。 問題は第一です。「生きていたいと思ったものが死ぬ、これはかわいそうで、悲惨で、
不充足?が生じているじゃないか!!」と感じる人が多いようですが、これは、
完全な錯覚なのです。
通常、やりたくないことを無理にやらされたり、やりたいことを邪魔されたりすると、
「苦」を生じます。しかし、たとえばリンゴが大嫌いな人が無理やり食べさせられたら
意外に旨かった、というような場合は、生じるのは「快」です。逆に、タビオカを飲みたい
と思って、実際飲んでみたら不味くて後悔した、というような場合は「苦」を生じています。
このように、「事前にどんな欲求・選好?を持っていたか」は、問題の本質ではありません。
功利主義的な考え方では、重要なのはあくまで選択のもたらす「結果」なのです。そして、
通常はどのような選択をしようとも、結果的に未来に苦を生じたり後悔したりする可能性は、
否定できません。
では「死ぬ」という選択はどうかというと、(当事者にとっては)結果として決してどんな
「苦」も「不幸」も「不充足」も生じません。後悔することもありえません。
だって、死んだら文字通りに生まれる前と同じ「無」に戻るのですから、何も生じようが
ないのは自明ですw 自分の死が法的にどう扱われようと、社会にどんな影響があろうと、
自分のものだった死体が腐ってウジがわこうと、残された人たちが悲しもうと喜ぼうと
無関心だろうと、もはや当人にとっては何の関係もありません。
まさに、「決して不幸にもならず、決して後悔もしない唯一の選択、それは、死である」
というのは、否定しようのない真理なのです。
実は、これこそ反出生主義の論理そのものです。ただ、その「死」を生まれる前の段階に
もってきて「生まれてこなければ、決して不幸にもならず、後悔もしない」と言っている
だけです。生まれる前の「無」も死んだ後の「無」も、まったく同じ「無」なのですから
生まれてこないのがよいなら、生きている人間は即刻死ぬのがよい、という結論以外、
なりようがないのです。まさに古代のテオグニスの論理そのものです。 「そんなことを言っても、生きている限り死ぬのは嫌だから、自ら死ぬ選択なんか
する(できる)はずないだろう!!」というのなら、論理的な必然の帰結として、
「当人の意志や選択に関わらず、他人が死なせてあげるのが、当人にとっては
最もよい選択である」と結論するしか、ありません。
>>702で言えば、殺された障害嬰児も、児童も、ナチスドイツに虐殺されたユダヤ人も、
また最近頻発する悲惨な事件で死んでいった人たちも、すべて「未来の大量の苦の可能性を
回避することができて、よかった。彼らは、よいことをしてもらったのだ」という
しか、ありません。もちろん植松氏も、虐待親も、ヒトラーも、自分の都合で行動した
だけで、反出生主義的な考えからやったわけでは全くないのですがw、功利主義は
結果倫理なので、当事者の動機や心情は、問題にはなりません。
いわゆる出生前診断で胎児に障害がある可能性が高いと判定されると、8割くらいの
親が中絶を選ぶそうです。もちろん親の側の都合でなされた選択でしょうが、胎児Xの視点
から見れば「生まれてこないで済んだ」ことに違いはないのですから、反出生主義の
見地からは、当然「よいことだ」と考えるしかないでしょう。それと、障害嬰児を殺す
ケースなどは、実際上も程度の違いしかなく、本質的には同じことです。
以上は、論理的には不可避の道筋なので、
「人格攻撃をやめろ! 我々はそんな主張は断じてしていない!!」というのなら、それは、
前提になっている論理がどこかおかしい(というか、本心とは違う)と疑うべきではないのか、
と、そうお尋ねしているわけです。
以前、ここと同じようなスレで「自分は妊娠中絶には反対だ。知り合いが妊娠したら
祝福するし、生まれてくる子供にはできるだけ幸せに長生きしてほしいと願う」と
言っていた人がいました。それ自体はあまりにも普通の感想ですがw、いったいそれで
どうして自分は反出生主義者だと思えるのか、どうにも不可解としか、言いようがありません。 どんな苦しみも一切感じたくないなら
生まれないのが正解だけど
生まれないとそうかどうかわからんから
やっぱ屁理屈だよね
また第三者の視点もそれでいいじゃん
論理論理言っているけど
間違った論理だよ 死ぬとなれば辛いし大変だよね。
でも生まれないのは正真正銘コスト0
この差を無視できるのがナタリストだ。 功利主義も絵に描いた餅だな
実際は何が得かなんてわからんことが
多いからな
それを外からこれこれがお前の功利だ!
なんてそれこそ第三者の勝手な妄想だ 生むか生まないかの選択時は快苦の非対称の中で行われる。
生まれた後は快苦の対称性の中にいる。
生を始める価値よりも生を継続する価値は当然大きいね。 死ぬコストと、生まれないコストが同じだったら
生まないことは殺人罪になってしまうよ・・
w ある理屈の内部でこれが論理であると規定しておいて
「論理上はこれが正解」とするのは単に循環しているだけ
でどう論理的かは明かさないというのは
馬鹿馬鹿しい話 >>730
だから、選好功利主義が導入されているわけですよ。
そして反出生主義はこの万人に妥当する選好功利主義で導かれているんですよ。 論理上は〜と延々と述べるというレトリックは
合理的行動以外を禁止するという
無前提の発想があるな
だから論理的である、と述べ続ける限りにおいて
超越的な立場に立てる
でも合理的行動以外を禁止することの正当性は
どんな論理なの 反出生主義によれば、
新しい命を生む価値よりも途中経過の生を継続する価値のほうがはるかに高い。
まあ、生むことが最も倫理的に不合理なんだから当然の帰結だよね。 >>734
万人に必ず当てはまることを説明してみ
選んだメニューがマズかったらダメやん
ああ俺思っていたけど違ったわーって 哲学オタクが吸い寄せられるのはわかるよこれ
トピックとしては面白いと思う
思考実験はアホだけど >>727
功利主義って言葉の定義から学び直して来い
既に作られた者が苦痛と恐怖に晒されながら、自分の望まない形で不本意に命を断たれることが利にあたる事例なんか一件も無い
反出生は当人(子供)にとって将来の苦痛を一度たりとも、一切発生させないからこそ正当性が保たれるんだ
それを将来の苦痛を減じるためにとこじつけて、最大の苦痛と恐怖を味合わせてどうする
その時点で思いっきり損得示す針が負側に振り切れるだろ
それこそ反出生論からしたらその時点、瞬間の恐怖と苦痛こそ、最も忌むべき、回避可能である以上は回避されるべき、起きてはならない絶望的なマイナスでしかない
作られない事と作った後で死ぬ、まして殺される事はまるで別の次元の話しだ
比較に用いる時点で異常だ
そろそろ普通に理解出来てもいい頃だろ >>740
本人がなにが好きかよくわからないなら
しょうがない
そもそもどうでもいい話をごまかしで
つけただけ
議論弱い奴がトンチンカンな話で
論理的を連呼してもしょうがないがな 他人が生まれない事と他人が死ぬことがどうも区別できていないかもしれないね。
このような認知の人たちは一定数いるかもしれません。
このような世界に反出生主義が置かれないなど有り得ないでしょう。 死んだら苦痛はチャラ理論をひっくり返すと
生まれることを強制されてしまう
つう発想も存在しないよな
生まれてないんだからw >>742
いや、だからあw
調べればすぐわかるじゃんww
どんな解説サイトでも、わかるように書いてあるよ!!w 作られた=強制された
作る=強制する
作られる前に強制が起きてないことは当たり前だろ
どういう思考回路してるとこういう的外れな反論の連打で得意顔になれるんだ ある種の認知障害があるのなら無理だね。
出生が認知のゆがみや誤謬、錯覚に後押しされる行為であるということからみて
当然ありうる。
こういう根本的な事がわからないアンチいっぱい見たよ。 The greatest tabooが万人に対してそう簡単に解体されるわけはない。 反出生主義って、セックス禁止?
避妊してればセックスしてもいいの?
それとも中絶すれば中出ししてもいい? 単純な主張を手の込んだ理屈でアレコレ弄らないと
いけない時点でお里が知れる 弄る=tuningやupdateさえせずに野放図に振る舞ってる方が質は悪かろうよ >>749
だれかこれ答えてよ
それとも机上の空論だから実際の行動は伴わないの? 質問に答えてもらえるのが当たり前ってスタンスの奴にろくなの居ないからな
大体愚問過ぎる >>752
俺個人の話をすれば、俺はそもそもできない
女に相手にされないからね
だからそんな問題を考える必要はない 反出生主義が生きている人間にセックスや出産の欲求を妨げることを強いるならそこで生じる不充足は主体が不確定な不充足なんかよりずっと大きい問題になるよね?
反出生主義が自殺を扱う時と同じ理屈で 「生むこと」が受精なのか出産なのかは大きな問題だよ
レイプによって妊娠した女性がその子どもを産む時、反出生主義から見てその女性は悪いことをしているのか
「生むこと」が受精だけを意味するならその女の人は生んだことにはならないけど、結果として主体が発生するからそれは理屈としておかしい
「生むこと」が出産を意味するなら中絶は善っていう結論になる
中絶は主体が発生してしまってるから快苦の非対称が成り立たなくて反出生主義が成り立たない 反出生主義がセックスや出産という行為に対して何も言わないのであれば、反出生主義であるということがその人の行動に何の変化ももたらさないから、反出生主義が何の意味も持たないことになる 反出生の考えは
人間社会に根差してると思うから
人間が考えた人間社会の法律で
人と認められるところから
考える感じなんじゃないの
痛覚のある生物全てとか
生命が発生した瞬間にとかだと
無理すぎませんか? それでも妊娠後期の中絶は法律的に基本的には認められてないから同じだよ
産まれた瞬間から人間でそれ以前は違うっていうのは社会的にもズレてる
反出生主義はあくまでも主体がないから成立する
主体があるのに成立しちゃうとオウムみたいに殺人を肯定しなきゃいけなくなっちゃうからね
どこから主体があるとするのか、重度の障害者は主体と認めるのか、快苦を感じないものを主体と認めるのか 中絶を善としたいってのは反出生主義の動機の一つだってのはこのスレでもちょいちょい出てくるね なるほど中絶を善としたい気持ちを
論理という言葉に託しているのかな 違う違う
西洋キリスト教文化の中絶は悪っていう考えに反抗するために反出生主義が生まれたっていう話
ヨーロッパのキリスト教文化の圧力っていうのは日本人には理解しづらいけど、なかなかすごいらしいよ
哲学以外の分野でもキリスト教文化への反抗っていうのは大きなテーマになってて珍しくない やっぱり生殖や苦しみがテーマというのは
キリスト教的だよなあ >>746
生まれることを強いることはできないという
話だけど
強いられるというのは
生まれていることが前提だから
自分の意志で生まれたわけではない
ことと誕生を強いられたということは別の話 生まれる前に親子が揉めるシーンを挟めなっかったんだね。
マジか・・ >>764
典型的な詭弁
強要された人間は今ここに存在してるんだからな
てより強要されたからこそ存在する
前にも確か全く同じ説明されてただろ
強要と強要される存在の発生は出生では常に同時に起きてるんだ
つまり「存在を発生させることを強要してる」
だから出生で親は子供に強要は出来ないなんて前提自体が一切成立しない >>767
読めてないな
だから詭弁なんだよ
詭弁を詭弁でかえしたの
お前は文脈ってものを知らんのか >>768
お前のはただの詭弁
こっちは時間軸も伴った出生っていうひとつの出来事の構造を解説してる
強要が起きていないとするなら現に強要されたからこそ今ここに居る(強要された)人間の存在をどう説明するんだ? 出来事の構造だって
哲学オタクは局所的な言葉遊びだけ得意だな〜 創世記の神さまが人間作らなかったら
人間がいないから堕落も苦悩もなかったんじゃ
ないかっていう発想が根底にある気がする
なににせよ苦しみへの観念的な執着が異常 親は>>767に出生を強要したんだろうね
強要されて勝手に出生してきたのは>>767
だから出生で親は子供に強要はできないのは
前提じゃなくて事実だな >>773
言葉を正確に使う努力ぐらいしたらどうなんだ
強要されたのは出生じゃなく現存在な
強要抜きに子供が勝手に生まれるってどうやるんだ?
詳しく 思考実験もいい加減だし
論理という言葉にすがって突き進むって
怖いよね
詭弁に詭弁で答えたら
俺のは詭弁じゃないって言い出すw
たぶん自分で整理できていないんだろう お前がそうやって自分に都合のいい歪んだ解釈で押し切ることにしか関心が無いことは傍目にはもう明らかなんだよ
無理を通して道理を引っ込めたいだけなんだよな
だがそれが適うのはお前よりも立場や知力の弱い相手にだけだ あるトンチンカンな理屈に自分のプライドを
かけてもロクなことがない
洗脳されているからそんなこと言ってもしょうがないがな
論理だって連呼すれば相手を説得する
必要がないからラクチン 馬鹿は論破できないの言葉通り
論破されても論破されたことすら理解出来ない人間には何万語尽くす説明も意味を為さない
何故ならその「馬鹿」はまず否定ありき、自己正当化ありき、白黒二極で自分は白、他者が黒だと断じる以外の何も中味はが無い、段階を経ながら誰かと何かについて語る、思索する、共に考えるなんて姿勢もゼロ、そんな人間は出生、反出生以前
何処のどんな誰にもどうにもならん、手になんか負えんよ 論理が絶対正しいなら
対話の必要ないけど
批判も擁護も要らないし
誰かに話を聞いて欲しいとかかな
共感して欲しい、っていう素朴な感情? いや俺には原理主義的な極論を叩くという
欲望があるからね
これは趣味の問題であって
共感されるのも結構
この気持ち自体は論理じゃないww 反出生が原理主義的な思想になるかどうかなんて扱う人間次第だ 「生むこと」が何なのか定義すらできない反出生主義は理論として破綻してるよ 言葉遊びレベルの言い掛かりはもういい
どうせ実のある対話にも議論にもならないからな
なんなら出生の絶対的な正当性のひとつもぶちあげていけよ
でなきゃ荒らして終わりのただの冷やかし以下だろ 我々とて好きで生れたわけではない
好きで子供が欲しいという欲求をもつようになったわけでもない
出生することによって利益を得る人間は多数存在する
出生しないことによって利益を得る人間は基本的には存在しない
これだけ条件が揃っていれば、出生は正しいとなるのは当然かと >>791
出生しないことで利益を得られるケースも多いだろ
近代の環境問題、資源問題、食料問題を論じる場面では人口抑制は常に人類的な課題として扱われてる
つまり生まれない命の恩恵を受ける生まれる命が存在するものとして議論は交わされる訳だ
そして個人単位でもチャイルドフリーで長年幸せに暮らしてる夫婦にとっては、子供はむしろ歳を重ねてからじゃ出来たら本当に困る存在で間違いないだろ
出生が常に正しく利益をもたらすものでめでたいなんて前提は個人主観の中にしかない 出生しない前提は>>795個人主観の中にしかないw 反出生主義は完璧に論破されなければ正しい
出生主義は反論可能であれば間違ってる 人間が個人にもたらしうる害のなかで最大のものは出生だ まず否定しようの無い事実を前提に置こう
議論はそれから >>799
そんなものはないということだけが否定しようのない事実 今まで存在した全ての人間について>>798が言える >>799
ベースはやっぱり「作られなければ決して苦しまない」だろうな
そして「わざわざ作られて苦しまなければいけない理由が誰にもなかった」 反出生主義の正当性を論理的に定義できていない前提は否定できない>>799の事実 「セックスしたい」という欲求は強く、はっきりしてるが、「生みたい」という欲求は非常に弱く自覚も薄い
特に出産しない男性にとっては特に
反出生主義は出生の抽象性につけこんだ詐欺でしかない
「生んではいけない」と言われれば「まあそれもありかな」と思う
「セックスしてはいけない」と言われれば「何言ってんだ」となる 真面目に話してる人を馬鹿にしたり混ぜっ返して何が面白いんだろうね 男も子供が欲しいと強く思ってる人は多いよ
男性が婚活する動機のほとんどがそれ アンチの名言このまま埋もれさせるのは勿体ない
みなで楽しまなければいけないw
どこなにスレ立てするね >>812
出生過激派の実態が明かるみに出るのはいいことだと思うよ
一度客観的に自分達がどんなに破綻してて無茶苦茶なこと言ってるかよく見直してみればいいんだよな 作りたい人は作り、作りたくない人は作らなきゃいいだけでは? >>815
最終的にはそれ以外に無いことは大前提として
その文意に完全に合意、同意してしまうのは今後も無限に子供が犠牲になり続けるのを是とすることと同義だからな
俺には無理だ >>818
774 名前:考える名無しさん[sage] 投稿日:2019/06/28(金) 09:48:23.06 0
>>773
言葉を正確に使う努力ぐらいしたらどうなんだ
www >>817
でも合意するしかないからね
他人の選択には口を出せん
政府も少子化問題を訴えてはいるが、最終的には個々の判断に委ねられている >>820
だからまあ草の根運動謙、+α
自分で自分の肩の荷物降ろして行ってるようなとこはあるんだろうな
知ってて黙ってた訳じゃない、長いものに巻かれて黙ったりもしなかった、警告は警告として正しくしたからな、と 反出生主義の正統性を定義できないから
反出生の主張だけ続けるしかないなw ひとつの正当性を理解出来ない時点で見込みゼロだからな お前のことだよ
鸚鵡返・・・じゃなくて髑髏・・・いや、なんでもない ひとつの正当性という言葉の意味で反出生主義の理解を乞うしかない時点で>>825見込みゼロ
どんな言葉も言い逃れにしかならんw 反出生主義者とは何か
1、反出生主義の理論的裏付けを持って「生むべきではない」という思想を持つ
2、裏付けの内容、有無を問わず「生むべきではない」という思想を持つ
3、「生むべきではない」という思想を持たない
A、生める環境において生まない選択をした
B、生める環境がなく、生まなかった
C、生んだ
1-Aは間違いなく反出生主義者だろう
2-A、2-Bの集合は全人類とほぼ等しい
これらを反出生主義者とすることは適当ではないと思われる
1-Bをどう評価すべきか 「人間は300才で死ぬべきだ」という主張に意味はない
では、ガンで50才で死ぬ人間が「人間は60才で死ぬべきだ」と主張することにどのような意味があるのか >>827
逆がおおいかと
生める環境にないものが、反出生思想に共感する てゆか子供生んだ事だけが唯一の自慢みたいな元喪女のチュプが粘着アンチになるんでしょ 子供儲ける環境ってただ作って生むだけなら普通そんなハードル高くないしな
実際とてもい良好とは呼べない環境でも子供作ってる人間も多い
大変なのはそこからだろ 反出生主義者=非モテwwwwプギャーwwwwwがしたいのよ
中学生レベルの恋愛脳よね 出生の選択は性交における射精の瞬間にのみ行われる
行動の選択が制限されていることはその行動の倫理的判断に影響を与えるのか 世の中に多くの論理があり
おかしなものもあればそうでないものもある
しかしなぜそれを世に強く訴えることを選んだのか
と考えるとたしかに
こどおじ疑惑が出てくるな そもそも他人に倫理を語るという行為がどういう意味を持つのか
ここまで行くとスレ違いか 植松さんも思想の辻褄は合っているからね
しかしそれを他人の存在や行動、倫理に押し付けると...
俺は辻褄合っているのに!って叫んでも不毛だよね 中絶の議論において、人々は胎児がいつ痛みを感じるようになるかが絶対的に重要だと
いう…しかしヒトの胎児が感じる痛みは、ほぼ間違いなく成体のヒトでない動物よりも乏
しい。よって、痛みに大きなウェイトを置く(種差別的な)人々の間には大きな非整合性
がある
http://therealarg.blogspot.com/2018/09/Dawkins-and-Singer.html?m=1
受精卵から胚の初期段階の存在を倫理的存在と見なせとか無理だと思われる。 ロブスターの痛みはロブスターの痛みだね。
人間の痛みには程遠いのでは?
実質哺乳類の成体以下の意識レベルの存在を人間とみなすべきである。
などという人が居ればどうだろうか。 ピンカーもなんか言ってた気がする
our better angelで 「死の経験を与える」という事のみで考えれば、
胚、胎児を死に至らしめることと、人間の十全な痛覚や意識を与えて死を経験させるのと
どちらが残酷であろうか。 残酷の定義による
死刑の議論でも同じだけど、残酷とは「残酷だと思うこと」としか定義しようがない
残酷の定量的な定義はハードプロブレムによって阻止される 未熟児や障害児の段階で安楽死の選択を取ることは悪ではないと
シンガーは主張しているね
当然その子の未来を考えるという動機が重要であることは
言うまでもないが
ヤノマミ族にも、生まれたばかりの赤子はまだ完全な人には至ってないと
見做して人口抑制しているようだ 激しい痛みや救いのない精神状態は人間が最も回避したい経験では?
それを無視する「残酷の定義」をどうひねり出してその定義は人間にとって
どんな実質的意味があるんですか?
反出生主義は分析的実存主義の見地を離れることはありません。 >>844
だが、この論理がやはり男視点の発想で語られているような
気がする感は否めない
確かに受胎して十月九日という日々を共に過ごしている母親の立場から考えると
お腹の中で生命を感じ母親としての実感が沸いてきた段階で
人間であると看做すことも間違いではない
安楽死の選択をするにせよ、両親(主として母親)の気持ちを重視することが
大切であって、そこで産む選択を取ったにせよ
子供のことを考えない母親などという誹りを受ける社会になってはならない
逆に、産まない選択を崇高なものとしてもいけない
そう社会は単純ではないし、反出生は自発的な意志からくるもので
なければ意味がない マゾヒストにとって痛みは快感
過去の救いのない精神状態を「いい経験だった」と振り返って語る人間は少なくない 生むか生まないかの選択は快苦の非対称、(正確には充足・不充足の非対称)のなかで行われます。
「生んで良い経験を与えたほうが良い。」がそもそも成り立たないんです。
良い経験があったほうが良い。もちろんマゾヒストにとっての良い経験があったほうが良い。
は生まれた後に成り立ちます。 >>845
>それを無視する「残酷の定義」をどうひねり出してその定義は人間にとって
>どんな実質的意味があるんですか?
それがなければ「どちらがより残酷か」の答えが出ない 死にそうな人に「いい人生でしたか?」って聞いてみればいい
ほとんどの人は「いい人生だった」と答えるだろう マゾヒストみたいな特殊な性癖の人間の事情まで勘案する必要はない
一般的な苦痛と快楽の関係で充分事足りる
かつてブルックリンにアルバート・フィッシュというマゾヒストの殺人鬼がいた
全身に針を突き刺し直腸に熱した鉄棒を入れる変態だが
神経に達する痛みにはどうしても耐えることができなかった
いくらマゾでも死にいたるレベルの痛みを趣向する者はいない 「良い人生だったかどうか」はほとんど関係ありません。
反出生主義の論点はそのような人生を生み出すかどうかです。
自己申告によっていい人生だったという人の人生も、
そのような人生を生み出してよいかどうかという問題にはほんとんど関係ありません。
「生まれれば良い人生のほうが良い」と言いうるのみです。 死ぬときにほとんどの人は自分の人生はいい人生だったと言う
よって、人生は良いものである
よって生むことは良いことである
証明終わり >>844
この判断はベネターよりシンガーのほうがより詰めたものだね。 >>854
「人生が良いもの。」の「良い」には実質的な意味がないことを
反出生主義は論証したわけです。 本当に人生が絶望しかないなら
今現在もそういう人の中には生殖を
否定しているんじゃないかな
でその絶望が本当に人類全体の基調になった時は
行為が論理的か否かはもはや問題にならない >>856
主観が幻だって言っても意味がないよ
自由意志は神経回路がどうのと言い換えても
無意味なのと一緒 >本当に人生が絶望しかないなら
これはどこから出てきたのですか?
人生には良いことも悪いこともあったうえで反出生主義は成り立つわけです。
そのような前提はまあ藁人形では? >>859
成り立つという人の中では成り立つよ
そう思うのは自由だ
君は自由だ 主観が幻とかなんですか?
「人生が良い」ということは「人生が無いことはそれより良くない」と同値です。
ところがそんなことは成り立たないわけです。
だから「人生が良い」は実質的な意味がないという事です。
せいぜいポエムに使われうるくらいでしょう。 >>861
同値を定義してみて
「人生が無い」って言葉がおかしいけど 本音は「出生すれば良い人生のほうが良い」と言い得るのみ
の非反出生主義だと告白してしまった>>852 生まれない方が良かった、とすでに生まれた我々が言っても仕方がない
我々は自分の人生をより良くすることを考えるべきだ
そして自分の人生をより良くするにあたり、生んだ方がいいのか悪いのか、という観点で考えるのが自然だろう 自分が幸せで子供も幸せになることが
ある程度想像できるなら産んでもいいだろう
と考えるのが自然だし論理的
難しい話じゃないな 生殖によって生み出されるのが「人間の充足」や「人間の不充足」一生分であるという事です。
生きている人間の充足を優先して良い理由が無いんです。 ごく日常的な価値判断や人生観をもっぱら言語的な
分析でどうこう操作しようというのはセンスがない
言葉遊びというのはそういうこと 反出生主義は、すでに生まれている人間が生きやすくするために新たな人間の「充足・不充足」を
一生分生み出すという行為が倫理的に最も大きな不合理だと言っているわけです。 >>867
あんたずっと何も言えてないのと同じなんだよ
感情で気に入らないってのを理屈っぽく言ってるだけで何のロジックも伴ってないから >>871
そのロジックがいい加減なんだろう
世の中には意味不明なロジックなんていっぱいあるぞ
キリスト教の三位一体とかなw 生んでも生まなくても、生きている者の老病死や必然の苦は確定しています。
生めば多少それが軽くなるに過ぎません。
生んでしまえば、快苦の非対称による閾値を飛び越え、新たな人間の、老病死のプロセスを増やすことを
含みつつ、一生分の不充足を再生産してしまうわけです。
この自転車操業に釣り合いはありません。
出生はあまりにも過剰な行為です。 >>870
横だけど、逆になんで?
そこを押して迄も充足して良い理由って何? 生まれてきても万人が幸福に生きられる訳ではないからな
かつて、『農民芸術概論綱要』のなかで宮沢賢治が示したとおり
「世界全体が幸福でなければ個人の幸福はありえない」
これは一人でも不幸な者がいれば個人の幸福はないという倫理であって
ここから快楽(可能性)によって苦しみを正当化できないという
当然の結論を得ることができる。 で同値の定義はできるのかな
たとえば言語学では表現を変えれば内容は
全て変わるというのが常識なのだがw >>872
感情任せに否定ばっかりしてる人間よりは多少出鱈目でもロジック伴って能動的な主張がある人間の方が話す価値はあると思うけどな >>874
俺らは神の視点でシミュレーションゲームやってるわけじゃないからね
自分は自分でしかいられないし、感じられるのは自分の主観のみ
自分の利益を最優先にするのは当然かと >>878
それこそ個人主観て訳か
エゴの部分に外部から抑制かけられるのがムカつくし辛い訳な 三位一体とか意味不明なロジックではなく、いい加減のロジックだと認めてしまう>>872 反出生主義に神の視点などありません。
出生を眺める第三者の視点です。
この視点で出生と言うプロセスは過不足なく俎上に上がります。 >>879
個々が自分の利益を優先すると不都合が起き、結局は個々の利益が損なわれるという事は多々ある
それを防ぐのが法律であり道徳であり倫理である
出生に関してはこれは適用されない >>880
お前それ文意読み違えて自分の味方攻撃してるぞ 出生を眺める第三者の視点で出生反対と口を出してしまうプロセス過剰な>>881 >>882
今後適用されるようになる可能性については?どう考えてる? 法の根拠は国民の信託であって道徳理論ではありませんね。
実際法とは別に主張されていますし、主張されなければいけません。
重要なものであればなおさらです。 >>885
適用される理由がない
人を殺す自由を手にすることと、人に殺されるリスクは表裏一体だ
だからこそ法や倫理が適用される
自分が嫌な事は他人にするな
これは結局は自分を守ることになるからね
でも出生に関してはこれは適用されない たぶん複雑な議論や思考実験を組み合わせないと
いけない時点でダメなんだろうね
哲学上のテクニック披露ではあるけれど >>875
これはかつてサンデルが伝えたトロッコ問題にも通ずるものである
トロッコ問題とは、ある列車が制御不能に陥ったとき分岐点にいる私は線路の先にいる
5人の作業員のほうに誘導するか或いは、1人の作業員に誘導するかという設問
出生という行為は配分的に不幸者を生み出すことが避けられない
宮沢賢治の言葉を逆さまに引用すると
「1人の不幸で万人の幸福を正当化できるか?」
という問題だ。 >>887
それって出生を取り巻く状況として今この瞬間の日本しか想定範囲に納まってないよね 倫理学の概念がほんとうに人間にとって切実なものを扱えるまでに進歩したということです。 >>890
子供を作るのが自分の利益に繋がるのであれば作ればいいし、そうでなければ作らなければ良い
別にこれはどこでも共通かと
もちろん食料問題などの事情があればまた話は変わるが、それはまた別の問題だ トロッコ問題のような複雑な問題は、
すでに生存しているために、功利主義のみでは割り切りがたい問題を持ってしまっているからです。
一人のただ、トロッコ問題のような他者との利害は、
「一人の人間を生むかどうかという問題自体」には影響しません。
反出生主義がシンプルに導かれてしまうのはこのためです。 トロッコ問題も設問として意味があるんで
正答なんてないからな
正答言い出す奴はそいつの中での正答ってだけ ある種の新しい道徳なんだよね
ここまで一切省みられることのなかった道徳
インドじゃカースト下位の人達が活発に反出生の議論始めてるって
その人達の扱われ方って本当に理不尽で悲惨だしね
それもようやくそこまで辿り着いたってことなんだと思うな それはあるな新しい道徳観
植物の権利とかと一緒のカテ >>892
反出生の議論の上では決して別の問題じゃないと思うよ
今生きてる人達はもちろんだけど
新しく生まれる人達にとってもダイレクトに関わる問題、リスクなんだから >>889
すっごい頭悪いトートロジー
近年、出生は科学的に解明されたことが多く、社会的に「出生はコントロールできるもの」という考えが当たり前になりつつある
性欲と出生が切り離されたことは反出生主義にとっては都合がいい
とりあえず“生めない”人間が生むことが良いの悪いの言うのはどうなのかね >>896
インドのカースト下位の人達の権利を植物のそれと並べることに違和感は覚えないの? >>899
いや世界には自分が理解できないものが
いっぱいあるって話でね >>897
子供を作ることによって、今生きている別の人間に迷惑がかかるならそれは倫理的な問題を孕む
しかし今生きている人間にとって概ねプラスに働くなら、そこに倫理的な問題はない 生める生めないに異様にこだわってる人も変だけどね
みんな出生ありきで生まれて来てるその当事者なんだから
どんな立場の人にも出生/反出生について自由に語る権利はあるよ >>898
生めない人間?
都合の良い妄想に彩られた回答、頭の弱さが丸わかりですね
植松に葬られる側の人間 >>900
それを踏まえた上で
だからこそもっと知りたいよね? >>902
立場以前に君のような無知に語られるのは迷惑だな >>901
レスの中の様々考慮、配慮されるべき人間、対象の中に「子供」が居ない >>905
こちらのレスのどの部分を以て無知だと?
もう既に感情論でしかないよね >>898
宮沢賢治が語った言葉を印籠のようにする訳じゃないが
大勢の幸福が1人の不幸によって正当化できるかというのは自明の倫理じゃないかな
趣旨が同じなのにトートロジーがどうのってのはマジで何言ってるのか
意味わからん >>907
一問一答みたいなマヌケなレスばっかつけんなゴミ >>909
wwwwww急に切れてるwwwwwwww可愛いwwwwwwwwwwwwww >とりあえず“生めない”人間が生むことが良いの悪いの言うのはどうなのかね
超能力者を発見しました! >>906
その子供というのがまだ存在していない、これから生まれる子供、という意味なら、それは基本的には倫理や道徳の適用外だ
適用すべき根拠がない >>914
それがこれまでの出生にまつわる常識や道徳規範であって
ここから新しい常識と道徳規範が求められていくだろうっていうのが
反出生の議論だよね >>914
ヒトが生まれる可能性まで権利を認めていったら中絶なんてもっと悪とされて
然るべきだろうな
ナチスの民族浄化のような犯罪的な行為のなかで言及するなら話は別だが >>916
適用すべき根拠があれば、今後変わることもあるかもしれない
今のところその根拠はないが 望んでも生めないお前らが良い悪い言うなよ恥ずかしいな 丁寧な言葉遣いさんの話は大変興味深いんけど具体性がほとんどないのが残念だね
自明だから自明ですみたいなこと繰り返してるだけでほとんど独断論に近い >>918
都心部では精神病院の入院病棟が何処も一杯だったり
自殺者が今も多かったり
そういうことは一つの示唆にはなっていないのかな
生き辛さを感じる人が増えてるっていう実感は
多くの人が意識、無意識問わず日々キャッチしてる気がするのだけど
どうだろう >>923
そういったことを総合的に考え、生まない方が自分の幸せに繋がると判断すれば生まなければいい
それは倫理とは別の問題だ >>923
その地域の幸福度は反出生主義とは関係ないよ
なぜなら今幸福であっても、今後苦しみが襲ってくることは充分に考えうる
つまり苦しみというものは人生のなかにおいて不可分に組み込まれてるからで
どんな幸福度ランキング上位の国であっても
出生というものは否定されうる。 >>927
生きてる人間の快苦は反出生主義には関係ないだろ >>926
別と定義付ける根拠は?
多くの人々が苦しむ事が分かっている世界、
それを承知でその環境に子供を作り出すか否か
これは正に倫理上の重大な問題では? >>928
生きてる人間を問題にしてないからそう言ってるんだが
話の分からんやつだな >>929
現状に不満がなくとも未来のことにまで責任は持てないだろ
卑近な例では、平和的だったポーランドのような国が
ナチスの侵略で殺戮にあっている訳で >>927
地域を特定してる訳では無いよ
現状でリアルタイムに起きている事例の中から
分かりやすい、目に見える一例をピックアップしたまで 子供とは生んでしまうだけのもの、親の行為は”神の一撃”でしかない
生まれてきた命は自らの判断によって幸福や不幸を選び取り勝手に生きていく
だから「親が子供の将来に責任をもつ」ということは成立しない。 >>932
こちらも特定してるつもりはないが特定でも不特定でも結局は同じことなんだよ
あらゆる政策や支援をもって今をどんな楽園に変えても
不幸というものは人生の中から切り離せないだろう
それが人間の本質だからだ >>931
先の事は誰にも分からない
だから子供がどんな目にあってもそれも本当に仕方がない
世界の潮流と運命は親の責任の範疇外だ
これは、ここで言う「倫理」について議論するためのテーブルから
既に降りているということにならない? 神の一撃?も良いんですが。
避妊も中絶も選択可能です。
生んだのなら、自分のしたことをせめて自覚しておく。
反出生主義は生んでしまった後でも重要な意味を持ちます。 >>933
自分の不幸の責任を親になすりつける人が反出生主義に惹かれる PETAは、二枚貝を食べる行為を認めていないのだな >>929
倫理的な問題とは、個々が自分の利益を最優先に行動すれば不都合が起き、結局は個々の利益が損なわれる、という時に発生する
しかし出生する側と出生される側にはこの関係は当てはまらない
だから別と定義付けている >>937
またまたエスパー伊東さんから素晴らしいコメントをいただきました >>937
では執拗に混ぜっ返している人達は?
自分の親としての責任を認められない親御さん方ということですか?
そんなに単純な話しでは無いと思うのですが 人間と動物との関係を考えると分かりやすい
人間は動物を殺して食うが、だからといって動物に殺されるわけではない
食肉に関して、人間が自分の利益を最優先に考えても不都合は発生しない
だからそこには倫理的な問題は発生しない >>939
囚人のジレンマは利益の最適化を試みるため主に経済学において引用されている
数的な利得だけを求めるゲーム理論は倫理とは関係ない >>942
そこにも倫理的な問題が発生するからシンガーによる「動物の権利」が
世界的反響を呼び今なお引用され続けているのでは?
善悪の観点といった次元の話なら知恵ある人は当然のことと前提しているので
あえて言わなくても良い >>939
その当てはまらないとする際の根拠を尋ねている訳ですが
当てはめようとさえして来なかったというのが
これまでの出生に於ける実際でしょう
しかし当てはめることは当然可能であり、また上で述べた通り、
そのための要請も既に起こり始めているのではないだろうか?
そういう問いです 恐らく彼は思っても無い事を言い続けて依存し続けようとしているね。
根気よく付き合ってあげる人、精神安定剤にされているよ。 >>946
立場が入れ替わることがないから
人類社会の道徳や倫理は、自分と他者の立場が容易に入れ替わることを前提にしている
だからこそ、身勝手な行為は自分に跳ね返る子とになる
しかし、出生する側と出生される側との関係は入れ替わることを考慮しなくていいから
そこに倫理を適用しても、に得るものはない >>949
逆襲される心配の要らない弱い相手=自分の子供にはいちいち倫理や道徳みたいので配慮するだけ損ってことか
ひっでーな >>950
自分の子供ではなく、まだ存在しないものとの関係だね >>950
それと同じことを、みな毎日普通にしてるからね 反出生主義は社会の消滅を望むんだから一般社会にとっては損だし悪じゃん 僕ここで踏ん反り返ってる連中が人の親で自分の子供から軽蔑されて軽く扱われてても当たり前としか思わない
自分のこと軽く扱う奴のことなんかこっちも軽く扱うだろ >>954
必ずしも社会の存続こそが絶対的な善ということも無いからね
哲学板なのだし >>952
子供の話ししてんだよ
出来たってハッキリ分かる瞬間迄は子供の事なんかなーんも考えないぜええええってすげー無責任だよな >>963
生まれた子の原型が生まれる前の子なんだよ
どっちのことも考えてやれよ >>965
それはもちろん自分の為に考えるだろう
子供が健やかに育たなければ、自分の幸せにも繋がらないだろうから 人間の中の誰かがある倫理的要請に従う気がしない、従わなくても実害は被らないから
その倫理的要請を無視することは万人にとって悪く無い。
などない。ww
ほとんど狂人でしょう。
苦を経験する意識を生じさせることは、生きている人間に苦を経験させることと同質に悪い。
自分が出生させたいときに急遽謎理論を組み立てて異常な言説鵜を披露しているだけなんですよ。 その与える苦が、ある充足のための条件であったとしても、
その充足は生んで現前させたほうが良かったものとは全く言えないので
純粋に悪いこととなる。 >>907
>>953
「みな毎日普通にやってることだから」何もかも悪かろうが酷かろうが無視して全部今のそのまんまがいいってことなんだろね
超絶保守主義つかさ
結局は理詰めで行くと出生を正当化出来るだけのものがそれ以外には何も無いからそこ一点張りで強弁するしかないのも大きいんだろうけど
子供にとってどうなのかを一度たりとも考えようとすらしない人間なんかと分かりあえるはずないってことが分かったよ
他人に対しての言動が下品で礼節のれの字も無いようなのも反論者サイドばっかだしさ ごめん、アンカ間違えた
正
>>967
>>953 >>970
wwwwぅえぃーすwwwww多分wwwwwwwwww 反出生主義に反論するには「やさぐれ」を演じる必要があるし、そのことにも自覚的なんでしょう。
ある事柄の倫理的な問題点についての議論の途中で急遽「why be moral?」を突っ込んできてしまうんです。 oh...また間違えたは
正
>>971
はあ、僕もう駄目かも
さーせん >>973
良心的な解釈の仕方するんだな、厭味なんか抜きに本当に感心する
正直もう俺個人は露悪的な解釈しか出来ないw
>>974
ドンマイwww >>967
生きている人間に苦を経験させることと同質の悪さを持つだけでなく
苦や不充足を経験する状態の意識を一生分出現させる行為は
途方もなく悪いでしょう。 自分の利益を優先し行動する
その結果、自分に不利益はない
これを悪とする根拠はあるの? 結局
考えの筋道はアイデアとして理解できるが
で、それがどうした?で終わる話 犯罪者の論理は、皆がそれを実践すれば結局は自分が不利益を被る
だからなぜダメなのかは明白
根本的に違う 自分はそれをしたい欲求があり、皆がそれを実践しても自分に不利益はない
これを否定する根拠はあるの?
なければ出生は否定できない 修羅の国でのしあがるつもりなら
殺しが合法でもいいんじゃないの
自分がされたくないことを他人に強いる
ことを止める普遍の論理はないよ >>984
そう思うのが多数派であれば、そういう世界になってただろうね 産まないのが至高善論のベースには
徹底的な個人主義や自由意志、人権が無前提に
満ちている世界がある
でそこでキリスト教的な苦痛への熱意をもって
キリスト教的な生殖倫理を壊そうとする
結果変わりもん以外ついていけない 人類という同種であっても、個々に性質は微妙に異なる
人類の種としての傾向は、多数決で決めるほかない
自分は他人からいくら殴られても全然構わない、むしろうれしい、だから俺も他人を殴ってもいいんだ
と考える人間がいても、気の毒だがそういう少数派の性質は否定されてしまう >>987
ベネターの反出生主義は功利主義を前提としているから
それで良いんじゃないか?
人生には快楽より苦悩が多いということと
苦悩を好む特殊な性向を持つものは除外されることで
出生は否定される。 >>989
いや、否定されないよ
それは出生される側の視点だからね
行動するのは出生する側だから 反出生は出生される側の功利を考える倫理なんだが
当然、行動する人間には功利ではなく倫理観だけが求められる 僅かな苦しみを絶対回避する為に
人間社会を自主的に消失させるという
その悲しみにはどう対処したら良いのだろう
悲しんではいけない、のか 行動した結果、自分ではない別の人間に一生分の苦や不充足を体験させるわけだ。
これは途方もない悪だよと?
w >>992
その苦は、新たな人間に一生分の苦や不充足を体験させてしまうことよりは
小さいだろう。
また、快苦の非対称により功利的に生むこと自体に圧倒的な不合理がある。 僅かな苦しみじゃないだろう
虐待、交通事故、いじめ、自殺、こんな豊かな国ですら
子供の歩みには困難が満ちている
あんた問いかけが間違っているんだよ
我々の僅かな幸福感のために新たな生命を要請することで
彼らが受ける苦痛を正当化することはできない
というのが正しい。 そうでもない
やっぱ思考実験に穴がある
All grammars leak. を思い出したよ >>994
比較できないので意味ない
前提が間違ってる また、遅かれ早かれ人類は絶滅する。
種が存続されるという目論見はいつかは挫折する。
絶滅までの期間が長引くほど、全く生みだされる必然性が無かった苦や不充足が
累積されていく。 このスレッドは1000を超えました。
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