ソクラテス以前の哲学者
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ソクラテス以前の哲学者(独: Vorsokratiker、英: pre-Socratic philosopher) は、哲学の祖ソクラテスが活動する以前から同時代にかけて、
すなわち紀元前7世紀から紀元前5世紀にかけての古代ギリシアで活動した思想家たちの、哲学史上の便宜的な総称である。
前ソクラテス期の哲学者、初期ギリシア哲学者、フォアゾクラティカーなどとも表記される。 ニーチェやハイデッガーは、哲学者という以前に、哲学史家であり、古典文献の研究者だった。
彼らは、古代ギリシャ哲学に回帰しようとした。 たとえば、ニーチェの「永遠なる回帰」の説。
あれを、「インドの輪廻転生思想の影響」と誤解している人がたまにいるけど、そうではない。
古代ギリシャ人にとって、「時間」とは、過去から未来に向かって一直線に進むものではなかった。
それは、朝が来て、夜が来て、また朝が来る。
春が来て、夏が来て・・・、また春になる。
そんな風に、グルグルと回るものだった。
それは、直線ではなく、円環だった。 最初の哲学者は、タレス
タレス以前にも哲学者はいたかもしれない
アナクシマンドロスのほうが古いかもしれない
だが、アリストテレスが、「タレスは最初の哲学者」と書き残したおかげで、それが定着した 水がないと、誰も生きられない。
水が涸れると、植物は枯死するし、動物性も干からびて死ぬ。
水が豊富だと、大地も青々としてきて、生命感に溢れてくる。
水こそ、万物の根源だ。 アナクシメネスは、「万物の根源は空気である」と言った 人間も動物も、息をすることで生きている
息が止まったら、ただちに死ぬ
これを見れば、「空気こそが命のもとだ」と考えるのは、自然なことであった プネウマ (pneuma) はもともと気息、風、空気を意味したが、ギリシア哲学では存在の原理とされた。
アナクシメネスは万物の根源、宇宙全体を包括している物質とした。
空気中のプネウマ(精気、空気、気息)が体内に取り込まれ生体を活気づけると、ヒポクラテスらは考え、
アリストテレスは植物プシュケー、動物プシュケー、理性プシュケーの3種のプシュケー(精気)を区別し、
ローマのガレノスも肝臓にある自然精気、心臓にある生命精気 (pneuma zoticon) 、脳にある動物精気 (pneuma physicon) の3つを考えた。 ディオゲネス・ラエルティウスには、ソクラテス以前以後の哲学者の
逸話がたくさん載っているねw ソクラテス以前の2大哲学者
ヘラクレイトス パルメニデス ヘラクレイトスはいまでいう西トルコ
パルメニデスはいまでいう南イタリアの人 パルメニデス(古希:�ョαρμεν�ツη, Parmenid�s, パルメニデース、紀元前500年か紀元前475年- 没年不明)は、古代ギリシアの哲学者。
南イタリアの都市エレア出身で、論理哲学的・超越思想的な学派であるエレア派の始祖。
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/2/20/Sanzio_01_Parmenides.jpg/220px-Sanzio_01_Parmenides.jpg 「あるものはある」「ないものはない」という自明な前提から、存在を論理的に限界まで考究したパルメニデスの哲学は、
それまでの哲学の常識を覆す途方もない試みであり、生成消滅、運動変化、多数性といった自然現象の根本原理を否定するものだった。 あるものは不生にして不滅であること。
なぜならば、それは(ひとつの)総体としてあり、不動で終わりなきものであるから。
それはあったことなく、あるだろうこともない。それは全体としてあるもの、一つのもの、連続するものとして今あるのだから。
それのいかなる生まれを汝は求めるのか。またどこからそれは成長したのか。あらぬものからと言うことも、考えることも、私は汝に許さぬであろう。あらぬということは言うことも考えることもできないからだ。
いったい、いかなる必要がそれを、始原のあらぬものから――以前よりもむしろより後に無から出て生じるように促したのか。
かくしてそれは全くあるか、全くあらぬかのどちらかでなければならぬ。 それにまたあるものの他に、なお何かが無から生じて来るなどとは確証の力がけっしてこれを許さぬであろう。
あるものが後になって滅ぶなどということがどうして可能であろうか。また生じるということがどうして可能であろうか。
かくて「生成」は消し去られ、「消滅」はその声が聞けないことになった。
さらにまた、あるものは分割されない。すべてが一様であるから。
すべてはあるもので充ちているのだ。それゆえすべては連続的である。あるものが、あるものに密着しているのだから。
それは大いなる縛めの制限のなかで動くことなく、始めも終わりももたない。 それまでの「自然哲学」は、あくまでもこの世の物質とかに関心を向けていた 学問として哲学を始めたのはピタゴラスからで、それ以前は集団ではなく
個人思想で知識の共有はない。 さらに、その流れをくむのがプラトン
プラトンがアカデメイアを創立して学派を形成したのも、ピタゴラスの影響か 12とか60は、約数が多くて便利な数だ。
半分に割っても整数。
3つに分けても整数。
4つに分けても整数。
非常に分割しやすい
百、千、万・・・と単位が上がっていくものなら10進法に限るが、時計のようにグルグル回るものは12進法がいい ニーチェの「永劫回帰説」の元ネタは、ギリシャ哲学の古典
古代人にとって「時間」とは、過去から未来に向かって一直線に進むものではなかった
春→夏→秋→冬→春→夏→・・・
朝→昼→夜→朝→・・・
そのハテしない繰り返し。
古代人にとって時間とは、「時計のようにグルグル回る円環」だった
それが「過去から未来へと進む直線」に見えてきたのが、近代ヨーロッパではなかったか パルメニデス(B.C.515?-B.C.450?)
一般に、ソクラテス以前の哲学者のなかで最も高く評価されているのがこのパルメニデスです。
この評価の高さは現代に限ったことではなかったようで、プラトンの対話編の中にもこの「パルメニデス」は他の対話相手とは別格扱いで登場します。
通常、プラトンの対話編の中で、ソクラテスは常に飄々とした態度をとり、対話相手を簡単に言いくるめてしまいますが、
このパルメニデスは、唯一(『ソクラテスの弁明』に登場するディオティマもそれっぽいところがありますが……)、議論によって若きソクラテスを言いくるめてしまいます。
パルメニデスの学説の柱は「ある」という一言です。
この上なく単純な一言ですが、この単純な一言によって、パルメニデスはそれ以前の哲学者達が示した学説とは明らかに一線を隔した高度に哲学的な議論を展開していきます。 「なぜ、存在者があるのか。そして、むしろ、無があるのではないのか?」
ハイデガーは、パルメニデスに傾倒した。
パルメニデスこそ、形而上的な存在論の創始者と言ってよい >>38
静止した状態が、脳内に仮想的に作り出されたということ 自分の観念の世界の中で、永遠に存在するということなのだろうか >>43
あるかないかではなく、あるがままにあるかそうでないかということ
我々が見たままに感じたままに世界は存在しないということであり、
また存在の否定も虚無ではなく静止した状態がないということである ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています