クァンタン・メイヤスー
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>事実性が(今後は知と相関関係にあるがゆえに)今や偶然性と同一視されているが
「今後は知と相関関係があるが故に」って何気にとんでもないことをぽつんと書いてるよね 事物は絶対的偶然性を持つ。
だからと言って事物が神でありうると言って良いのか。 「知」とは揺らぎやすい相対的なものだということか。 >>183
事実性は、今後は知と相関関係にある
それが故に、事実性は偶然性と同一視される
どういう意味? 事実性と知は結びついている
それが故に、事実性は偶然性と同一視される
こんなことを突然言い出すのはどういうこと?
これは、知にとって、事実性とは偶然性であるということ? ポストモダンな文脈では絶対知なぞないということだろう。
知的コードは絶えず更新されて行き、偶然性までもが入り込んでくるというべきか。 この文を素直に解釈するなら
事実性と知に相関関係がないなら、事実性と偶然性は同一視されない
そう言っていることになる
つまり、この事実性と偶然性の同一視には、知が大きく関わっている
そういうことになる メイヤスーってそういう、ドゥルーズとかフーコー的な圧縮文体やってるよね時々
フランス流儀なのか他の実在論者に比べて目につく スーパーカオスという割にどっぷり論理空間に入っていくなあ そもそも出来事の偶然性の効果に神の働きが映し出される/反映される
という形でしか、神は現れない。 偶であることは同一性であり、何も変わらない。
何かが変わるなら、それは出来事であり、奇なることである。
奇なることそのものには、意味はない。
その奇なることが如何(「何の如く」であるのか、つまり、
何に等しいと見なされるか)であるかが判明すること、
すなわち、奇遇(/偶)なこととして現れることによって初めて、
その出来事は意味を有する。 数学専攻の人って素数が好きなんだよね。
しかも2以外の奇数。 ハイパーカオスで無矛盾律のみ成り立つというのは無理だろうと思う
同一律が成り立たないのに矛盾も糞もない
というか、無矛盾律という概念を持ち出すこと自体が、思考の枠内から出ていない
まあそこから出るのは不可能だが
つまり、「有限性の後で」の後半の議論はほぼ無理
ただ、「反復・重複・再演」についてはなかなか良い感じだと思う 無矛盾律が成り立たないととハイパーカオスではなくなるというが、
それならハイパーカオスを絶対と見なすこと自体が、ハイパーカオスではなくなることを意味するのでは?
無意味な議論だと思う
ハイパーカオスが絶対性を持つのは、論理空間から見た場合であって、論理空間から見てハイパーカオスでも無矛盾律は成り立つというのなら
ありかもしれないが、それは論理空間から見た場合ということですから、結局は実在の証明までは届かない
ただ、ハイパーカオスとの境界にある種の絶対性が存在するということのみ、言うことが可能なんだろうと思う 結局、哲学の議論で問題なのは、非論理空間を神に丸投げしていたデカルトの時代と同じような
論理空間内での議論をし、それでいて神のいなくなった非論理空間に無秩序に手を突っ込むから
おかしな結論になるんだと思う 結局、論理空間の分析をしてるだけ
論理空間は真偽の2値に還元される
これだけで済む話を長々としてるだけだな さすがにその雑なまとめはちょっと…
ポストヒューマン君のでかい声を真に受けない方が 数学の無限という概念だって、所詮はシミュレーションだからね
論理空間から出てない
数学で計算されたビッグバンの真実性は、目の前にあるリンゴの実在性を超えることはないわけですから
結局は、問題は何にも解決しない >>201
論理空間という表現も語弊があるんだけどね
既出の構造主義はまさに幾何学と論理を融合させて実在を扱おうとしているわけだが、メイヤスーのは
そういうものではない
とはいえ、バディウは強制法という数学理論を使って真理について考えていた
これは実は構造主義のそういう論理空間論の原型になっている
意外と繋がりがあるということ ニッコマだけど旧司法試験の短答式だけ合格した
みんなから尊厳されたのは嬉しかったな
いい思い出だ 絶対性はハイパーカオスから生じる
人生処世訓的にもかなり役立ちそう
特に頭が固くなりがちな老年の人たちにとって 哲学はぼけ防止に非常によさそう
ぼけたら生きてても意味ないでしょう? これまたら生きている意味とかいう既にぼけてるあほがいるよ
>>209は自分でボケてるのが分かっていないのが辛いのやら幸せやら
君の今の実感が答えw
今生きて幸せならボケても幸せ
今生きて辛いならボケても辛い 答えは自分の中にしかない
そしてそれはその時に判断すべきこと
辛くても生きてきたならそのまま生きる
死にたくなったら死ねばいい
人に聞くことではなく自分で感じて実行に移すだけの無意味な問い ぼけても食欲とかの欲求は残る
人間としてではなく、何か別のものとして生きている 人間とは何かを勝手に規定されてもなw
また幸せとは何かを具体的に一般化して規定することすら現実にはできないのに
本人が幸せと思っているかどうかという曖昧な主観的な感覚に基づく ぼけてしまうと、ハイパーカオスと同じ側に立ってしまうことになる
そうなると、ハイパーカオスとの境界が消失し、したがってその境界に由来していたある種の絶対性をすべて失う
つまり、絶対性をすべて失った存在になる ポストモダニズムに対してメイヤスーが提示したことは、現実ではこんな風に
適用できそう これは、最終的には、ヒューマニズムとポストヒューマニズムの差に帰着する
ヒューマニズムでは、人間自体が絶対であり、どんな人間であってもその絶対性を有する
しかし、ポストヒューマニズムでは人間以外の何かに絶対性があると考え、したがって人間であっても絶対性を失うことはあり得る >>176、>>179
偶然性や事実性の元はシェリング 【盗聴盗撮犯罪者・色川高志がしつこく嫌がらせを継続】
色川高志(葛飾区青戸6−23−21ハイツニュー青戸103号室)
●色川高志「清水婆婆の息子の金属バット集団殴打撲殺を熱望します」
龍神連合五代目総長・清水婆婆の息子(葛飾区青戸6−23−19)の挑発
●清水婆婆の息子「糞関東連合文句があったらいつでも俺様を金属バットで殴り殺しに来やがれっ!! 糞関東連合の見立・石元・伊藤リオンの糞野郎どもは
龍神連合五代目総長の俺様がぶちのめしてやるぜっ!! 賞金をやるからいつでもかかって来いっ!! 糞バエ関東連合どもっ!! 待ってるぜっ!!」(挑戦状)
492盗聴盗撮犯罪者色川高志(青戸6−23−21ハイツニュー青戸1032021/02/03(水) 13:53:22.55ID:QtP78E4Z
●青戸六丁目被害者住民一同「盗聴盗撮犯罪者の高添沼田ハゲエロ老義父の逮捕を要請します」
色川高志(盗聴盗撮犯罪者の高添沼田ハゲエロ老義父を逮捕に追い込む会&被害者の会会長)住所=東京都葛飾区青戸6−23−21ハイツニュー青戸103号室
●盗聴盗撮つきまとい嫌がらせ犯罪者/アナル挿入食糞愛好家で息子の嫁で自慰行為をしている高添沼田ハゲエロ老義父
高添沼田ハゲエロ老義父の住所=東京都葛飾区青戸6−26−6
【通報先】亀有警察署=東京都葛飾区新宿4ー22ー19 рO3ー3607ー0110
盗聴盗撮つきまとい嫌がらせ犯罪者/アナル挿入食糞愛好家で息子の嫁で自慰行為をしている高添沼田ハゲエロ老義父の盗聴盗撮つきまとい嫌がらせ犯罪者/愛人変態メス豚家畜清水婆婆(青戸6−23−19)の
五十路後半強制脱糞
http://img.erogazou-pinkline.com/img/2169/scatology_anal_injection-2169-027.jpg
アナル挿入食糞愛好家で息子の嫁で自慰行為をしている高添沼田ハゲエロ老義父によりバスタブで清水婆婆の巨尻の肛門にシャワーのキャップをはずしてずっぽり挿入。 読んだことないけどな
マルクス・ガブリエルの本はあんなにたくさんあるのに カント以降、メイヤスーまでの人が取り組んできた物自体と表象、手前と奥のように乖離した二元論の問題を、
シャンカラは上下に二分割することで克服した。
形而上的で高次の「無属性ブラフマン」と、形而下的で低次の「有属性ブラフマン」。
何という力技。 メイヤスーをやって初めてシャンカラの不二一元論の意味が分かった。 神を信仰しようが無神論であろうが宗教は最高の欲望でそれは最大の可能性があるため最悪のものとなる ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています