【力と交】柄谷行人を解体する60【換様式】
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もうすぐ原爆記念日。そしてそれは柄谷の誕生日。
トランスクリティークの後書きは、柄谷が還暦を迎えた日、つまり
2001年八月六日に書かれた。その年の秋にいわゆる9.11事件が起こった。
その10年後の春には、東北震災と原発事故、いわゆる3.11事件が起こった。
さらに10年後が今年であり、コロナ禍による、異例の一年遅れ東京オリンピック。
柄谷傘寿の年の原爆記念日に、前々から予告していた『力と交換様式』の後書きを書くのだろうか?秋には『力と交換様式』は刊行されるのであろうか? だから君等がそれは勝手に調査してくれと言ってるw
必要十分な情報はもう出した。
もっと核心的な話は、必要に応じて出してあげるよww 栗原、新潮1989年新年号高橋源一郎の、『ヒズ ファーザーズ・ヴォイス』は、中年の芸術家のパパとママと僕(語り手)の物語。栗原らしき人物やエピソードはかけらもでてこない。 1989年群像一月号にいたっては、柄谷は、評論出していない。創作合評には、出席しているけどな。むろん栗原らしきエピソードはない。 栗原、おまえ、還暦近くなって、ウソで人生ぬりかためて何がたのしいの 高橋源一郎の小説は、突然しゃべらなくなって、画用紙に言葉書いて、意思表示しはびめた、パパの子ども視点の物語。くりはらのようにあることないことしゃべりまくる人間はでてこないな。 高橋源一郎の小説は、突然しゃべらなくなって、画用紙に言葉書いて、意思表示しはびめた、パパの子ども視点の物語。くりはらのようにあることないことしゃべりまくる人間はでてこないな。 そう。当該の小説はそれ。しかしよく調べたねw
高橋源一郎の「ヒズ・ファーザーズ・ボイス」は、
当時中上健次のやっていた文芸誌採点の連載でも、点数が「5点」でした。
それで高橋は当時SWITCH誌上でたしか連載していた自分の日記で
中上から低い点数を付けられたことに泣言を述べていました。
つまり、中上健次も、上の人と同じで、あの小説が一体何を書いているのか?
意味不明で全く読み取れなかったわけなんだw
あの短編小説で書かれている「事件」の内容が、
どう当時の栗原のことと結びつくのか?
だからそこに同席していたのは、
柄谷行人とねじめ正一、
当時の高橋源一郎の伴侶(その後離婚した)
栗原と一緒にいた友達三人、
それを遠くから見ていたのだろう当時の早大文研の人達
そして柄谷と同伴してきていた文研出身で現代思想の編集長から
当時アスキーの編集長になった西田さん?
その位の人たちである。
つまり、あの小説は、講演会後の事件を目撃してる人間たちでなければ、
一体何を書いている短編小説なのか?全く意味不明な小説だったのである!
これは当時三十代後半だった高橋源一郎の力量の問題だったのか?
あるいは小説の価値自体を低く見積もった中上健次の目が正しかったのか??? このスレッドの主な書き込み人物
■佐々木真―熱狂的な柄谷ファン。20年〜30年前から柄谷の講演会があるときは必ず日本全国のどこにでも北海道から出かけ、最前列にすわる。「柄谷行人を解体する」というサイトも運営する。この5ちゃんねる柄谷スレッドも基本的に佐々木がたてている。柄谷からは20年前から「たんに迷惑」「一種のストーカー」「本人に特に悪意があるわけではない」「ストーカー的な人こそ最も厄介」と認識されているhttp://web.archive.org/web/20030718212008/http://askaccs.ne.jp:80/tokushu/sp_06.html
もっとも佐々木的には柄谷がかまってくれたことは「光栄な態度」と思っている。
■栗原信義 ―元NAM会員 自称ピエール・リビエール 20年前、柄谷にNAMで下記のようにいわれ、さらにそれを20年前、5ちゃんねる柄谷スレににさらされ、恨みに思い、この柄谷スレとスガ秀実スレを主戦場に、業界ウラ事情通風な立場で柄谷神話を破壊しようと言論活動を20年前から続けている。数年前から佐々木と結びつき、頻繁に会い、自らの発信の立ち位置を確立しようと模索する。
栗原君
君は、かつて法政大学で私のゼミに何度も来て、私に「来ないでくれ」と言われ、昨
年の駒場の集会のあとでも、私に「君はNAMに入るな」と言われたはずだ。その翌日
の紀伊国屋ホールのシンポジウム(NAM生成所収)で、私が、ダメ連とか現代思想オ
タクにはNAMに入ってもらいたくない、としゃべったが、そのときも、君のことを念
頭においていた。しかるに、君はNAMに入り、案の定、支離滅裂な議論で、まじめに
受け答えする人たちを困らせ、また、事務局を不当に攻撃している。どんな人からも
学ぶべきところはあるが、現代思想オタクや三流物書き志望者から学ぶことはなに一
つ無い。今後、発言に注意してもらいたい。今後、MLの議論を無用に混乱させること
をするなら、私の責任で、MLから除くことにする。 柄谷行人 高橋源一郎の「ヒズ・ファーザーズ・ボイス」において、
あの小説に出てくるお父さんは、何故だか、全く喋らなくなってしまうのである。
そして高橋源一郎が1988年に予言した通りに、
柄谷行人もやっぱり、全く喋らなくなった。。。
それは何故か?
そしてあの小説のラストシーンが、すべての事件を物語っているのだ。。
椅子からズルズル滑り落ちていった、「僕?」の姿である。
(たしか私の記憶では、椅子から滑り落ちたのは、
父さんではなくて僕のほうだったと思う。)
あれは全く謎の小説に見えるのだが
しかし、あの小説に、その後柄谷行人が、
どのような経緯で、喋らなくなるのであろう?
という構造が、すべて予言されているのである!!www それで柄谷行人の方から上の「応答」ということで謂われてるのは、
「死語について」という評論ですね。
それは「終焉をめぐって」に収録されています。 「死語について」が栗原への応答なはずないだろ
うそつきもいいとこだな。 柄谷行人が喋らなくなる一つの例
(これは高橋源一郎が小説「ヒズ・ファーザーズ・ボイス」で描いている
お父さんがある日突然全く喋らなくなってしまった理由を、
柄谷本人の口から説明している貴重な例である。)
https://book.asahi.com/article/14327879
学校、行かなきゃいけないの? これからの不登校ガイド [著]雨宮処凛
評者: 柄谷行人 / 朝?新聞掲載:2021年04月10日
日本では近年、小学校から大学にいたるまで、不登校の人口が増えている。
少子化にもかかわらず、小中学生だけで全国に一八万人いるとされる。
本書は、不登校の実情を、当事者、保護者、支援者などの多彩な体験談を通して
示している。著者自身も、学校に行くことが極めて苦痛で、
未だに「後遺症」が残っているという。
ちなみに私も、幼稚園で「登園拒否」をし、小学校でも登校はしたが、
二年間口をきかなかった。それでも何も問題はなかった。
ただ、それは後遺症として今も残っているが。 > 「死語について」が栗原への応答なはずないだろ
違う。あれがまさに栗原への応答なんだよw
「死語について」では、
「プロレタリアとはもはや死語と見做されている」
という話から始まっている。
そして吉本隆明の示す世界観の批判へと展開されている。・・・・
あれが、文研講演会後の、応答なんですよw 栗原が「僕」ってか。
やはり、柄谷の「息子」になりたいという栗原の欲望しか感じないな。 栗原が「僕」ってか。
やはり、柄谷の「息子」になりたいという栗原の欲望しか感じないな。 栗原が、1988年11月早大文研講演の後で、
横に高橋やねじめの席上で問題にした事案とは
「柄谷さんって声が小さいんですね」
という話から問題を振ったわけだ。
この問い掛けが、まず、柄谷、高橋、ねじめの爆笑を誘った。
そこからすべてが始まった。。。 栗原が自分で、父さんの僕と見做したわけでは全くない。
後で見たら、高橋源一郎が勝手に
そういう見做しの小説を書いていたわけですww
それを見たときには、さすがの私も面食らいましたw 全共闘親父とかで、○○にこう質問したら、文章で応答があったんだ、とか
醜いこというヤツがいるが
栗原も結局そういうポジションにおさまったということだよ。
だから何なんだってはなしだよ。
当然、そういう全共闘オヤジは全共闘のことなどなにもわかっていないし
ほとんどかかわってもいない。 まず、柄谷行人の「声」から問題にした人、
たぶん、それは柄谷に話をきく人の中でも稀な問い方だったのだろうと思うが、
それが、1988年11月の栗原だったということですね。
それを横で見ていた高橋源一郎は、
声から問題にする短編小説を、新潮の誌上に発表した。
そして中上健次の反応を見ればわかるように、
この小説は一体何のことが書いてあるのか?
第三者には全くわからなかった、。
中上健次から低い点数を付けられて、それで高橋は落ち込んだ。。。
こういうあらましですw
(ちなみにあの短編小説で高橋源一郎が取っている方法、
書き方とは、ウィリアム・サローヤンのパロディです。
当時それが流行っていた。) それで事件の場所で話された、内容的な面から
ストレートに応答してるのが、
柄谷行人の「死語について」です。
プロレタリアの視線、
これを当時早大文研の講演会が行われていた
革マル派主催の学園祭という点から、
柄谷行人に向かって突き付けたのが、栗原の指摘でした。。 つまり、以上の条件から、
栗原の言ってることには、全く嘘がない
ということですよ。(笑) なんだったけかな?
たしか、講演「坂口安吾その可能性の中心」で、柄谷は、
「批評は遊民が始めた」
という話をしたんだよ。それでその話を、
ベンヤミンがそう語っているということで説明していた。
(これはこの講演がその後「言葉と悲劇」に収録されている通りです)
それで、栗原が言った質問は、
批評の起源について、その語り方は、何か重要な過去が隠蔽されていて
柄谷さん自身においても、そこが抜け落ちてるんじゃないですか?
ということだった。
つまり、栗原君がそこで示したのは、現在我々がここで話しているこの場所が
革マル派によって作られている学園祭の中であること。
ベンヤミンからのその引用発言は、プロレタリア的人間の哲学、
つまり革マル派のイデオロギーというのが、
そのまま丸ごと隠蔽されているのではないですかという指摘だったんだ。 この講演会後に生じた語り合いは、
雲行きがやばくなったところで、
強制的に文研の人から打ち切られたんだよね。
それで栗原の一団は、逃げるように会場から立ち去っていった。
講演会場の隣の三号館地下にある哲学研究会の部室へと
そのまま逃げ込んで雪崩込んだ。
(高橋の小説のラストシーンは、この文研の人から、
話しているのが突然打ち切られたときの瞬間を、描写している。) 話きいていると、栗原が、ある時代の、3流物書き志望で、現代思想オタクのアイコンだったのは確かだ。NAMにはいらないでくれ、といわれたのはしょうがないな。 いってることが、モーヲタとかAKBヲタとかわらん。したがって、5ちゃんに、栗原がながれこんだのも必然だな 「死語について」で、柄谷は、
プロレタリアという言葉はもはや死語と見做されているが、
しかし、プロレタリアの視線が、日本文学における他者の視線だったのだ
と言ってるでしょう。そう言って吉本隆明を批判している。
そして1988年12月発表のこの評論について、1988年11月(たぶん3日の文化の日だな)
において、他者としてのプロレタリアの視線を、柄谷行人に対して突然導入した人が、
ピエール栗原だったわけです。
つまり、それはオタクでもなんでもない、三流でさえもない、
まさに強烈な他者体験を、革マル派主催の学園祭に、導入したんですよw
そして柄谷行人にとって、この1988年から1989年に跨る一連の出来事が、
彼の政治的な転回点になっているということなんです!
真実は。 よく冷静になって考えて呉れ給えよ
そして冷静になって想像してみてくれ
1988年11月3日の昼間までは
「批評というのはねー 遊民が始めたんですよー 遊民がーーーー」
とかベンヤミン引いて語ってた人が、
(「坂口安吾その可能性の中心」として講演の文言は
「言葉と悲劇」に収録されてそのまま残っている)
翌月の12月8日発売の群像誌面では、
やっぱり大切なのは、プロレタリアの視線だったのだ、、、
というように、言うことが180度真逆に変わってるわけだよw
(「死語について」、「終焉をめぐって」に所収)
これは何かこの短い一月間に何か彼の身にあったに違いないわけだ。
自分の態度を改めさせる何かが。。。
それが早稲田で、栗原から為された、
元中核派の高橋源一郎の目前で、カクマル突き付けられ事件だったということなの!
とにかくこの一月間で、柄谷には何か自分を改めさせる事件があったわけなんだ。
「坂口安吾その可能性の中心」も「死語について」も
ちゃんと証拠に出来る文面として残っている。
そしてこの二つの意見の間には、僅か一月の時間しかなかったということなんだよ! 高橋源一郎は中核じゃないよ。横国だったから、赤軍の近傍には、いたけど。 そういう小説もある。
栗原は、つまりすべてが、AKBヲタで柄谷ファンなんだよ。 > 高橋源一郎は中核じゃないよ。横国だったから、赤軍の近傍には、いたけど。 そういう小説もある。
それはあんたが完全に有名な事実の誤認ですwww
糸井重里と高橋源一郎が有名な元中核なの
これは常識ですよ 今、「高橋源一郎 中核派」でググりを入れたら
トップに来たのが、ピエールのブログだったわw
この情報がネットから消えてるのはちょっと不思議だが
たぶん高橋が自分でもう隠してるんじゃないかな?
80年代なら高橋が中核だったのは有名な話で、
彼はそれで巣鴨拘置所に入っていた。
それに対して何故だか糸井が中核だった話は
今でもネットにしっかり残ってるんだなw まあそういう、共産趣味者的なことしかいえないんだよね、、、ピエーは。 今だと高橋が中核派だったことを証明するのに、
何の文献を参照すればいいんだろうか?
糸井が中核だったとバレて有名になったのは
もともとフライデーに中核時代の写真がすっぱ抜かれたことだったから
それは隠しようがないのかもしれないが。 爆弾預けられてこまった、という橋の小説よんでないだろ。渡部直己の電通文学にまみれてにものとているよ。 いや少なくとも高橋が赤軍関係だったということは有り得ないねえ
イデオロギー的に言ってまず赤軍に近づくわけないね
こういうのは誰が知ってるんだ?
スガだと分かるのかな 栗原が知ってることなんて殆ど常識の範疇でそれ以上はないよ
そういうのに特に詳しかったのは中川文人とかだな
法政入ったとき最初に付き合ったのが、
中川や田上孝一のグループだったからさ
中川の知識と比べたら、
外山恒一は大学行ってない分モグリなのがバレるねw あほか、ともかく、電通ぶんがくにまみれてあ、を参照しなさい。柄谷ファンなら、常識ですよ! 高橋源一郎だともう文化功労者に近いレベルだからな
中核派とかいう単語が出てきたらヤバいと思ってるんだろう また渡部情報どこまで信憑性あるのかという問題もあるだろうね
そもそもあの人は元々左翼殆ど関係ないでしょ あと、横国の赤軍状況は、数年前、中心人物により「追想にあらず」というのもでたから、参考にしなさい。 > まあそういう、共産趣味者的なことしかいえないんだよね、、、ピエーは。
趣味者じゃなくてピエールだけが本物の革命芸人だと言ってるw 新左翼関係の思い出なんてどれも気持ち悪い話ばかりで
できれば思い出したくないww 特に法政大学学生会館の記憶とか嫌だよね
思い出すと大体吐き気がするわw 法政大学から中核派を追い出した島田雅彦教授はやっぱり正しいと 嫌われる人というのは大体正しい人だからw
法政の島ちゃんもそう そもそもピエさんは多摩校舎の人間だったし法政殆ど関係ないんだよね 法政大学の場合
本来多摩校舎を中心にしてすべてを考え直して立て直すべきですね。。。
柄谷行人はそもそも最近になって八王子になんか移住してきたけど 「探究V」から「トランスクリティーク」になった、というのもどうかと思う。Vはそれほど、カント、マルクスを論じてなかったし、Vの後、トラクリも群像に連載後、単行本化された。Vで見開き、フッサールの引用の回があって、松本零士「キャプテン・ハーロック」みたいと思ったけど、始まりも終わりもない、というのはまさにハーロック的ですね 学生運動やるなら多摩を中心にして
市ヶ谷なんかでやっても意味ないと思う
という前に既にネットの進化で学生運動自体が終わったと考えられるが 高橋の小説の失語症テーマは、高橋の体験にもとづくもので、柄谷もピエも関係ないな。 「中国語の7割が日本語だ」という言葉を見かけた。
共産主義、社会主義、資本主義、自由などの熟語は
明治時代に日本で作られた、とドヤる竹田恒泰のような話だろう。
だが、漢字は元々、中国から日本にもたらされた。
その新しい組合せを日本人が考えたのであって
車、電化製品、マンガ、アニメ、音楽も同様で
それほど日本がオリジナルとは言えないと思う。 天皇もそう。
浅田彰、ホリエモンの天皇制廃止論はどうなったのか。
愛子が天皇になれると思ってる人もいる。
皇室典範に、男子皇族のみと書いてるのに。 「探究T・U」は奇跡の産物だったんですかね。「アソシエーション宣言」「総括」も読まなきゃと思いました。 ドストエフスキー「悪霊」『ドストエフスキー全集』第一一巻
第二章 チーホンのもとで 一節
「いいですか、僕はスパイとか心理学者とかいう連中が嫌いです。少なくとも僕の心に入り込もうとする奴らがね。」
第三部第七章二節
「私は一生嘘をついてきた。本当のことを言っているときにもだ。私は一度も真実のために語ったことがない。いつも自分のために語ってきたのだ。そのことは以前から気がついていたが、いまこそはっきり分かる……」 ドストエフスキーの未公刊ノートにプルードンの名前がある。
『経済的諸矛盾の体系』の書名の後にこう書かれている。
《さまざまな国民性の思想こそは、デモクラシイの新しい形態にほかならない。
それはspontanement(自然発生的に。フランス語)現れた。
われわれは人類の思想のspontaneite(自然発生。フランス語)を信じる。プルードン。》
(『ドストエフスキー 未公刊ノート』筑摩書房、32〜3頁より、22頁にも名前がある)
これが記された1863〜4年は『地下室の手記』の直前。
ドストエフスキーの水晶宮?への嫌悪と結びつけられなくもない。
『悪霊』で批判されたバクーニン以外に、アナキズムのイメージをドストエフスキーが
持っていたということは少なくとも言える(フーリエの名も28頁に出て来る)。 高橋なんかより村上春樹と早稲田の学生運動との関係ご知りたいんだけどなあ ナポレオン三世は、ドストエフスキーの「罪と罰」で言及されているのかもしれない。柄谷行人によって、ナポレオン三世は、加藤典洋、ダライ・ラマと同様、価値がないイメージを持たされている。 ソフィスト「都市国家は人工的に発生した」
アリストテレス「都市国家は自然に発生した」 #丸山ゴンザレス #裏社会 #クレイジージャーニー
GACKT活動休止と裏社会における仮想通貨【丸山ゴンザレスの裏社会タイムス】
https://www.youtube.com/watch?v=7zygP2avC-A 笠井はずっと中核だと思ってたぞw
じゃああの人は何やってたんだよ?
和光大中退 栗原は、事情通きどって、デマまきちらす。 自覚した方がいいよ。
笠井は、プロ学同だよ。ネットで検索すればわかる水準だぞ。 そんな党派の細かい知識まで知ってて一体何の意味があるのか?
まー実際中核じゃなかったなら笠井さんには失礼したが
やっぱり栗ちゃんはオタクや趣味者とは違うんだよ
全然別の次元を生きている
だから細かい知識は知らない
そんなのどうでもいいですw ごはん論法的に話しずらすなよ。栗原は、一時が万事、こういう感じで事情通きどりのデマ屋なんだよ。自分の醜さを直視した方がいいよ。それはまちがいない。 > ご飯論法
> ご飯論法とは、質問に真正面から答えず、論点をずらして逃げるという論法。
> 「朝ご飯は食べたか」という質問を受けた際、「ご飯」を故意に狭い意味にとらえ、
> 「ご飯は食べていない」と答えるように、質問側の意図をあえて曲解し、
> 論点をずらし回答をはぐらかす手法である。
> 報道によっては「ごはん論法」とされることもある。
匿名掲示板で、相手のツッコミを真に受けてたら
誰でも即死するに決まってるだろうw
だからこれはこれでいいんだよ
{笠井さん傷ついたらごめんねw)
匿名掲示板というのは皆がおおらかに生きていければそれでいいのw >>929
匿名掲示板では、自分が匿名だから、匿名の人を相手にするのがいいね。 親ガチャって「俺が東大行けなかったのは親のせい」という話? >>931
そうだね。
身近な東大出身者を見ると、9割は真実だな。 栗原信義は、典型的な現代思想ヲタクで、3流物書き志望(かつて)というのは、間違いない。それがファクトだ。 高3で初めて東大模試受けて、現国の長文解答は訓練が要る感じがした。
まあ有名大出てなくても楽しいよ ソクラテス、プラトン、アリストテレス、
孔子、ブッダ、キリスト、マホメット、
デカルト、カント、ヘーゲルを一応一流にしとけば >>939
宗教家は哲学者ではない。
その意味で、その中で哲学者といえるのは、孔子ぐらいか。
とはいえ、孔子もまた、哲学者というより人心掌握と処世術の人というべきか。 トマス・アクィナス
スコットゥス
親鸞
アンドレ・ジイド
ドフトエフスキー
キルケゴール
などは哲学者 issaku
@issaku14
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10月13日
自分が何者かになれないからといって何者かの足を引っ張るのは
非常にみっともないので止めなさい。 issaku
@issaku14
20時間
「飲まない東京」とか言い出す人って飲まないと辛い人生をやり過ごすことができない
とか、飲まないと嫌なことを忘れられない人の気持ちとかがわからないのだろうな。
飲まなくてはやってられない人とはなかなかわかり合うことはできないと思う笑 栗原も柄谷の陰口いわないと、人生やりすごせなくなっているのか。しょーがないやつだな。 レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。