出生ガチャ、遺伝子ガチャ、容姿ガチャ、知能ガチャ、身体能力ガチャ、
国ガチャ、肌の色ガチャ、近所ガチャ、隣人、近隣ガチャ、時代ガチャ、
家族、親類ガチャ、自然災害ガチャ、コロナ罹患ガチャ、ワクチン副反応ガチャ、
性癖ガチャ、犯罪被害ガチャ、ストーカ、パワハラ、セクハラ被害ガチャ、
親ガチャ、子供ガチャ、買ったIT製品ガチャ、職場と人間関係ガチャ、
交通事故ガチャ、疾患、障害ガチャ、寿命ガチャ、運の良し悪しガチャ、
性格ガチャ、才能ガチャ、キラキラネームガチャ

このように、世の中の大半は自分で選択できないガチャの差配でほぼ決まっている
ことが分かる。つまり、物事を決定している主体は、ランダム性や偶然性に
委ねられたガチャシステムの方にあり、我々個人は、そのシステムの従属者の
位置にあることが自ずと明らかである。

哲学は、この理不尽で不条理なガチャシステムに対して何ができるのだろうか?

ガチャはまるで気儘な神のようではあるまいか