【誕生肯定】森岡正博【無痛文明】
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森岡 正博(もりおか まさひろ、1958年9月25日 - )は、日本の哲学者。早稲田大学人間科学部教授。生と死を総合的に探求する生命学を提唱。2006年より「生命の哲学」という新しい哲学ジャンルを提唱している。代表的な著作は『無痛文明論』『感じない男』など。
「誕生肯定」について→
「生命の哲学」のキー概念のひとつである。「誕生肯定」とは、自分が生まれてきたことに対して、生まれてきて本当によかったと心の底から言えることである。森岡は「誕生肯定」を、「生の肯定」や「人生まるごとの肯定」などの概念から区別する。また、「誕生否定」への強制をもっともひどい悪とみなしている。
反出生主義者は住民への攻撃と荒らし、過去に荒らされた恨みをぶつけるのはやめてね
関連スレ→
【誕生肯定】反出生主義批判・分析スレ【森岡正博】
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/philo/1654774347/ 902 考える名無しさん sage 2022/06/19(日) 11:24:21.88 0
生命倫理ってトロッコ問題でいえば少数の犠牲を問題にする立場な訳だよな
少数の犠牲を厭わないという立場も表だって言えないにしろ結構居ると思うし、資本主義適性がある人間は間違いなくそうだろうし
現実にトロッコ問題の再現があるとしても、その前に何らかの社会全体における暗黙の合意があるとは思う、恐らく資本主義もその一つ
要はそういう暗黙の前提を再提起して形にしていくのが生命倫理の役割 アンチ-ナタリズムだからあながち間違いでもないか?いちおつ 森岡氏の誕生肯定の目的が反出生主義の超克なので、反出生主義に対する議論も(スレタイ上否定的な論調の提起が多くなるでしょうが、嫌な人は反出生スレに行ってね)引き続きこちらでどうぞ 森岡さんは著書の「生を肯定する哲学者」の章にアーレントを入れてないんだね 反出生主義批判のスレ消えたんか?
前のスレタイで良かったのに。 森岡氏が自身のツイッターにてスレ住民に「こちらも読んでみては」と教えてくれた英語論文も貼っとくね
著書にはまだ書かれていない反出生主義についての言及がされています
http://www.philosophyoflife.org/jpl2019si_book.pdf >>11
様子見かな このスレタイでも荒らしが湧いたら元に戻していいんじゃないかと 反出生でスレタイ検索かからないようにの措置だから >>14
言うほど嘘でもないからツイッター見てきてみ わざわざ見てきてもらってすまんな まあネットにありがちな誇張表現ということで許してくれ 快苦が質的な評価しか出来ない、定量化出来ない問題は解決出来ますか? 哲学全体に言える事ではありますが、大元を辿ると定量的なデータでなかったり、レトリックで誤魔化されているという事があります
自分は理系なので、何を持って論拠としているのか判然としません
極端な話、個人の感想にしか取れません
助言頂けると幸いです >>20
快苦が定量化出来ないということは、その度合いが相対化されないっていう問題のことでいい? 個人的な良し悪しの判断からすれば、快苦を定量化させる考え自体は悪かな
可能かどうかは知らんが 快苦の定量化は試みるだけ不可能な気はする どうしても各人の主観だからなぁ
「じゃあ個人の感想じゃん」と言われたらそれはそうです 個人の好き嫌いは置いといてベネターの論が完璧でないのは確かだな
ベネターの論を強化する議論はしたいなと思う >>768
〉「生まれる前」と「死んだ後」は同じだが、
「生まれない」と「死ぬ」は違う
反出生主義の文脈では、違わないのです。
思うに、これが理解されないのは、存在するのは「現在」だけで、「過去」と「未来」は非存在=無である、という事実が、根本的な直感と言語による思考に反していて、非常に理解されづらいことに起因します。
ちょっと考えればわかりますが、「昨日の私」とか「明日の私」は、存在しません。中島義道氏風に言えば「この宇宙の隅々まで探し回っても、そんな物は見つからない」のです。過去の記憶とか、経験とか、知識とか、一定の歳を取った身体とか、それらはすべてあくまでも「今の私」の一部です。同じように「未来の予想、計画、希望、不安」等々も、「今の私」の一部です。
ちなみに、昨日と明日を一秒前、一秒後に置き換えても、原理的には同じです。一秒前の私は今では永遠の無の中に消え去って二度と存在しません。一秒後の私も、宇宙のどこにも存在しません。
存在するのは「今の私(世界)」だけです。
「生きる」というのは、要するに「今存在する生命が、次の瞬間にも存在する」「未来に向かって瞬間ごとに生まれ続ける」ということです。図式的に言うと
1「生まれない」=「☓→☓」
2「生まれる」=「☓→○」
3「生きる」=「○→○」
4「死ぬ」=「○→☓」
となります。
本当は、矢印の左側は次の瞬間には過去なので、厳密にはすべて☓であり、どっちみち選択不能なので、倫理的には問題にしても意味がありません。選択の対象として問題になり得るのは矢印の右側だけです。
反出生主義は、要するに「○は、その内容のいかんに関わらず苦を含むから、悪である。従って1は善で2は悪である」と言っているだけです。
それなら、同じ理屈で、3は悪で4は善となるのは理の当然で、なぜこれを認めないのか、さっぱりわかりません。 ベネター、快苦の非対称性の表から何からいろんな哲学者に「論証できてない」と言われてるね 「死は喪失だ、奪われることだ、犠牲者がいる、だから生まれないこととは違うのだ!」
と力説する人が多いのですが、それはすべて「他人の死」の経験から来る日常的な心理や言葉遣いに引きずられた結果で、「自分の死」に関する限り、厳密に言えば「錯覚」です。ベネターも「快の剥奪」とか意味のわからないことを言っていますが、快苦というのは瞬間ごとの状態なので、「剥奪」など原理的に有り得ません。彼はそもそも「不在」と 「回避」の区別もついていないので、話になりません。
正確には、喪失感とか剥奪感とか、喪失や剥奪の予想に伴う悲しみとか怒りとか恐れ(死の恐怖はその一つ)などは、すべて「苦の現在」の一例です。
厳密に言えば、私が死んでも私は何を喪失するわけでも奪われるわけでもありません。単純に、過去も未来も存在しないので奪われようがなく、現在はすでに存在しているので奪われようがないからです。
エピクロスの有名な言葉で「私が存在するときは死が存在せず、死が存在するときは私が存在しない。だから死は私から何も奪うことはできない」というのがありますが、まさにこのことを指しています。
実は、べネターも脚注かどこかでエピクロスに触れて、「本当はそうなのかもしれない」とか自信なげにゴニョゴニョ言っていますw
前スレ>>772
〉殺人の害悪性は、どのような知性レベルの出生厨の皆様でも理解することが出来るかと存じております。
いえいえ、出生厨かどうかはともかくw、哲学とか反出生主義とか聞いたこともない大多数の人は、基本的に誕生はおめでたいことで、生きているのは(多少の苦痛を含んでいてもいずれ死ぬとしても)良いことだ、と思っているので、「殺人の害悪性」は当然と考えるでしょうが、反出生主義は(というか少なくともあなたはw)、誕生は害悪で生を与える犯罪だと主張しているのですから、現に生きている人はすべてその犯罪の被害者、生の害悪を受け続けている犠牲者だ、となるはずです。ですから、常識とは反対に、殺人はその被害からの回復、犠牲からの解放として「善行」となるはずでは? とお尋ねしているわけです。 あー確かに死後の「無」と生まれる前の「無」はどう違うのか、或いは違わないのかって議論は気になるところ 安楽死は認めても認めなくてもそれぞれの状態でそれぞれに問題発生するのがなんともなぁ 「生きている」という状態を善だと捉えるか悪だと捉えているかで変わってきそうよな うーん、
上の長文の人は定期に反出生関連のスレにきて同様のことを書くけど、死とは存在に生じる物理現象だから、それと生まれないことは明確に異なるよね
と思ったら、○×の図式で見ると異なることは認めてるのね >>34
存在する事が絶対的に悪である以上、生まれるべきではないし生きるべきではない
この当然の帰結をベネターがはぐらかしている
死に伴う苦痛や生命の尊厳に関わる問題を回避したいのだろうが、反出生のアイディアも十二分にラディカルであるし、安楽死を社会に受容させる方向性があっても良い筈であるて思う ベネター風に言うと、生まれてしまった人はもう手遅れなのでは?
死を回避する習性は遺伝子レベルでの仕様だからどうしようもないが、それを乗り越えた人が自殺するのかもしれない というか現行の法律上は生命の尊厳の為に安楽死があるんだけどな >>36
ベネターはプラグマティズムなペシミズムを誤魔化しながら生きるべきだと言ってたような記憶
つまり現実的な(世界を反出生主義者にとって良くするような)対応策については何も触れてなかったような。「生きる状態は悪」であるという仮定に基づくとして、それへの対応として安楽死を提案するとなるとそれこそ自殺の肯定になりかねんし、現行の安楽死の目指すところとは違うんじゃないかな >>39
現行の安楽死がどうとか関係ある?
それで言うんなら反出生だって無意味な議論になるけど ヨーロッパの方で、「生きるのが嫌になったから」という理由での安楽死が認められたという件が気になるな >>40
提案するとなったら現行のものを参照しないといけないからなぁ 反出生主義も現実的にはまるで意味のない議論だと思う >>41
この方は高齢だし車椅子だから身体も不自由だし、というのが大きそうだなーと思ったらベルギーの24歳女性が精神的苦痛を理由に安楽死してるんだな
「緩和されない恒常的な精神的苦痛」が複数の医者から認められる状況ってどんなだろ >>43
重度の精神疾患だろうから参考にはならんだろうな 生きることそれ自体が一律に悪ではないことは同意できると思うんだよな 悪なら死なないといけなくなるし 俺が前にみた記事では、元気一杯でスポーツも嗜む高齢女性の「衰えて苦しんで死ぬのは嫌だ、元気なうちに死にたい」という希望が安楽死で認められていた >>45
いや法律は必ずしも個人の為に有る訳じゃないだろ >>47
法律は権利を守るためのものだね
悪法もまた法なりと哲学者は皆言うかねえ そもそも反出生主義は「生きるのが悪」とは主張してないだろ >>50
存在が絶対的な悪だと言ったのは
ベネターだよ? >>50
存在させることが悪なら存在することは?というのは不自然じゃないと思うけど 反出生主義には誕生否定と出産否定が含まれるんだっけ、知らんけど そうなの?
反出生主義は存在を作ることによって主体に苦痛を与えることが悪だと主張しているのだと思ってたが 哲学はよくわからないけど子供をつくることは親の一方的な暴力だという説には同意できる 存在が悪って、本当にそんなこといってるのかな
ベネターとかよく知らないが 存在を論点にするなら当人はどう思っているのか?という話にしかならない 当人が苦痛を感じるに違いないという論旨で出生を一律にすべきでない、とするのが反出生だからなぁ >>61
そうだね、でも客観的に悪だと言えなければ反出生のロジックは成り立たないからそこは目を瞑らないと議論にならない >>62
万人が産むべきではないというのがメジャーな解釈だよ? 当人不在で議論するしかないのが出生/反出生よな
ワインバーグはいくつかの条件をつけて「同意不在の出生は肯定される」としたね 森岡氏はそこに応答責任原理を足したけど 「客観的な悪」というのもまたおかしな話だなぁ
そんなものあるのか?視座の違いにしか帰結しないと思うが
まぁ反出生が絶対正義だと強弁する狂信者には言ってやるべきかもしれないが >>67
ロジックに基づいてるから絶対じゃなきゃらならない 「不幸にならない『かもしれない』だろ!」という恐ろしい理屈 個人的には「産むべきでないが絶対に正しい」は「産むのが絶対に正しい」と同じくらい変だと思うんだけどねー 何せ当人不在だから 被害を被る当人がいないのに、何故作らないことが加害になるんだ なんかよく誕生肯定を義務のように捉えた反出生勢から文句言われがち 違うんだけどなぁ 反出生出生者の皆様が否定すべきは、誕生肯定ではなく出生肯定であるかと存じますね。
AH💖 >>75
>>29の問いに答えるために来たわけじゃないの? しかし誕生否定から導かれている(多くの哲学者に指摘されている通り、ベネターのそれは怪しいが)のが出生否定だからなー >>27
難解ジジイ来てるやんw
時間軸で考えるの凄い難しいなあ、何かの思考法とかを基にしてるんだろうか?
あとあってるかどうかは分からんけど
人間じゃなくてカビとかうんこで考えたら個人的にはちょっとイメージ掴みやすかったで
あんたの書き込み面白いわ! 誕生肯定という自己陶酔の果ての自殺を個人で行うのは自由です。
しかし、その自殺行為に他者(子供)を巻き込むのはやめて頂きたいものです。
現在だけでも80億、その自殺行為に巻き込まれた人間がいることは嘆かわしいことであると存じます。
出生厨の皆様は、あとどれだけ集団自殺の巻き添えを産みだせば気が済むのでしょうか。
AH💖 >>81
>時間軸で考えるの凄い難しいなあ、何かの思考法とかを基にしてるんだろうか?
質問じゃないから答えなくてええでw手が滑ったわw >>29
当人が望むのであれば、解放の為の手段としての自殺・殺人には元より肯定しております。
誕生肯定、自己陶酔の果ての自殺も否定しておりませんが、自殺の慰め奴として、子供(他者)を強制徴用せず、1人で死んで頂きたく存じます。
※出生厨とは出生主義者でなくとも、出生・生存中毒に塗れ、無自覚に産まれることを愛でたいと認識している方も含まれます。
AH💖 >>1
出生肯定は殺人または殺人幇助。
全ての死の原因は、出生厨(出生主義者)による出生肯定という殺人幇助に依るものであると存じます。
出生行為は生苦と死を与える卑劣な行為。
人に死を与える行為、即ち殺人行為に他なりません。
故に、出生厨の皆様に申し上げたいことは、生きて死にたいのであれば、子供(他人)を巻き添えにせず、一人で死んで頂きたい、と言うことです。
死にたいなら一人で死ねとは、出生厨に対してこそ用いるべき言葉なのです。
AH💖 >>86
無自覚な生存ジャンキー、出生厨が大多数であることは、言うまでもないかと存じます。 やれやれ 反出生スレで好きなだけ同意してもらいなよ この人は「生存」が中毒の対象となるものとしているわけか これはきちんとロジックを打ち出さないと
好き放題弄られること必至 この人たぶん誕生と生殖をごっちゃにしてるから話通じないと思うぞw 前スレッドも目を通しましたが、前スレッドでも言った通り、幼稚な人間を許容するなら森岡氏を笠に着るのはやめた方が良いと存じますね。 >>1
「出生殺人は生(性)犯罪である」
生存中毒に塗れた生存ジャンキー、出生中毒者である出生厨の生存欲・性欲に依存して行われる「出生殺人」とは、生(性)犯罪であるとカテゴライズして然るべきではないでしょうか。
AH💖 「誕生肯定」について→
「生命の哲学」のキー概念のひとつである。「誕生肯定」とは、自分が生まれてきたことに対して、生まれてきて本当によかったと心の底から言えることである。
☝
これはなんなんだ
個人の人生観でしかないだろう >>103
前スレにもリンク貼られてたけど、無料で読める誕生肯定の論文あったから読んでくるといいよー Google翻訳して流し読みしたけど
「心頭滅却すれば火もまた涼し」みたいな事しか言ってなかった気がする
んな事いったら何でも肯定できるわい、って思ったw
まあただの俺の感想 「辛いことが起きても前向きに生きよう」
こういう事でしょ?別に反論はないが 犯罪となる基準への解釈も随分といい加減な様子
そこまで必死になるのであれば、
出生を前提とするこの社会から自身から隔離、断絶すべきかと
それをせずに自己陶酔だなんだと喚いて迷惑かけるならとっとと捕まるのが自他共にベストの選択 ここのスレにイジメ肯定派の方はいるのですか?
前スレでいたので気になった >>113
そいつじゃない
「イジメはあったほうがいい」と明言している人がいたよ
スゲーなと思って見てた >>62
いや?それはベネター型の論であって、全ての反出生主義者がその論に基づいているわけではないよ
誕生肯定できずに苦しむ可能性が根拠になってるパターンもある
自殺とかね >>27
なんか頭良過ぎると大変だね
既に指摘してる人もいるけど、死とは存在している生物に生じる現象のことだから、無とは違うよ
死んだ後あとに「無」という状態になるのはそうだが、
死=無ではないんだよ >>116
一応は持ち上げるんだ
お前らの株が上がる事にはならないけどな 反出生主義は、意識が肉体が形成するという唯物論的な前提がある気がするけれど、死を苦痛だ(死を経験しうる)と考えている唯心論的な立場もある気がする ベネターの「生まれてこないほうが良かった」のp40にある、「存在してしまっているだろう~」という表現がよくわからないのだけど、彼は何を言おうとしているのだろう?"してしまっているだろう"なら一応存在してるのかな?でも文脈的には一応非存在として扱ってるっぽいんだけど、その割にはあたかも存在しているかのように「存在してしまっているだろうその人」が苦痛を回避するのは良いことだ、とか言ってるしよくわからない 「存在したかもしれない」というのも、一応存在として考えてるのかな 死と無の違いなあ
いろいろ動画とか見てたら俺も考え方変わったやで
例えば自分に近しい人が死んだら特別に感じるけどそれは特殊例で
一般には死って無とイコールだと思うようになったかもしれんわ
どこかの猿の惑星が爆発してそこの猿もろとも消滅したら
「死んだ」ことはどうでもよくて「猿の惑星がなくなった」って言うと思う
たしかに死んだのは死んだんだろうけど俺には関係ないし
そこの惑星の蚊とかミジンコまで「死んだ」って言うか?
「消えた」って言わん?「死んだ」って言い方しても意味ないやん、無関係なんだから
なんつーか、自分と関係あるものについては特別な価値を付けて「死」と呼んでるだけで
無関係の人からしたらそんな「言霊」みたいな修飾はしないと思う
まあ酒飲みながらだらだらユーチューブ見てただけだからあってるかどうか知らんけどなw
俺は手のひらクルクルするのが大の得意なんだ
てか反出生スレ立ってないの?立て方わからんからしばらく邪魔するでw まあちょっと極論いれたから
辞書的な意味で違うのはさすがに知ってるので
比喩みたいな漢字で 生まれるとか死ぬとかいう言葉は善悪と同じで人間の主観が入ってるのかもしれん
生物と無生物の違いとかだって人間の意思が入り込んでるんだし
だったら有になる、無になる、みたいなことばにおきかえたほうがより一般化してるのでは?
特殊解より一般解よ!知らんけど!よったからもうねます 豚が死んでウジ虫がわくとするやん
ウジ虫からしたら、「豚の死」は「エサの誕生」にしか見えないんだよなたぶん
豚のことなんて1ミリも認識してないんじゃないだろか?
って関係あるのかないのかよくわからん妄想思いついたのでねるまえにメモっとこw 殺し屋ばっか住んでる惑星!
こいつが爆散したとしよう
俺なら「殺し屋がみんな消えた!」って言うかも
「殺し屋がみんな死んだ!」って言わんと思う
そう言うのはたぶん身内を殺されて憎しみという関係を持った場合だな
そのときは殺し屋は特別な存在になり「死」の呼称に値するってかんじ
そろそろメモ帳にすんなと怒られそうなのでマジでねますw さいごさいご
猿人が埋葬の対象に選んだやつが死という言葉or概念(どっちが先かはしらん)のはじまりかも >>122
それは言い方の違いでしかないでしょ
「消えた」でもいいけど、「存在が消えた」という意味だから、初めから存在しないこととは異なる >>107
前向きに生きる為に哲学が必要な人もいるからね
少なくとも反出生主義よりは有用だろう 反出生主義は自分に慰めをくれる哲学だけど他人の子産みの是非まで関知するつもりはないから自分は反出生主義者ではないかもしれない >>130
何が有用かは人によって変わるから、
その比較はナンセンス いいからベネタースレ立ててこいよw
構ってほしいだけか? 哲学的な議論はしないのですか?
アンチがいないと伸びないねここ、クソスレ このスレがもっと荒れていなければ良いのに
などと思ったりしない事だ で、哲学的な議論は?
まぁ大した議論はできないというのが正直なところだろう
哲学とは無縁で反出生の憎しみを抱えているだけの人とか前スレにいたしな 哲学を知らない人間のレスとしか
もう反出生ヘイトはいい加減にしなよ
議論に水さして他人を憎悪してっていつまでも飽きもせずにしょうもない 哲学なんて興味ない人がSNSでの恨みを晴らすために反出生批判しています >>116
いや、概念として「死」と「無」、「死」と「生まれない」が違うのは、当たり前です。
(違わないなら、言葉で区別する理由がありませんw)
肝心なのは、未来に対する効果として「死」と「生まれない」が全く同じ、「無だった未来が無のままになる」選択だということです。
通常「死ぬことは、存在していた未来が無に変わってしまうこと、未来が失われること、未来が奪われることだ!」と感じられて、そのように表現されます。これは心理的には無理からぬことで、ほとんど必然です。
なぜそうなるかといえば、誰であれ生まれてこの方「未来は結局現在(存在)に変わった」という経験をし続けていて、一度の例外もないからです。(例外があったらその人は今生きていないので、当たり前なのですがw)
その結果、「次の未来も当然現在に変わるだろう」と考えて、常にそれを前提に考え行動します。その結果、「未来」はほぼ「存在」同然とみなされるようになります。
別の面から言うと、自分の未来は内容的に概ね想像がつきます。要は今の自分の延長線上にある何かです。またその内容は、細部まで非常に具体的な切迫感をもって迫ってきて、予想や計画や、期待や希望や不安や心配の対象になります。
その結果、「自分の死」を想像したり、実際に近しい他人の死を経験したりすると、「未来が無に変わってしまった、失われた、奪われた!」と否応なく感じられることになります。
しかし、厳密に言えば、これらはすべて心理的な錯覚です。未来はどこまで行っても非存在で、非存在のままになる可能性は常に開かれています。これを昔ながらのことわざで言うと「一寸先は闇」です。 これに対して、まだ生まれていない人の場合、
その未来の内容はどういうものか、さっぱり見当もつきません。それが無いままになったとして、一体何が無いままになったのか、実感も湧きません。
「死」とは対照的に、人が「生まれない」ことは「未来が無に変わってしまった、失われた、奪われた!」という感じをほとんど与えないのは、専ら以上のような心理的な理由によります。純粋に論理的には、未来に対する効果の点で両者に本質的な違いはない、というしかありません。
>>81
難解ジジイw
難解なことは何もありません。
最近「today is the first day of the rest of your
life」という言葉を知りました。「今日という日は、残りの人生の最初の日だ」という意味で、恐らく「毎日新鮮な気持ちで頑張ろう」というような人生訓的な使われ方をすると思われますが、そういう文脈を離れても、端的な事実を言い表しています。
「日」にこだわる理由は別にないので「今という瞬間は、残りの人生の最初の瞬間だ」と言い換えることもできます。
さらに言い換えれば、
「人は、何歳であろうと、今この瞬間に残りの人生(=未来)に向かって生まれる(か生まれないか)しかない」ということになります。0歳の赤ん坊だろうが、20歳の若者だろうが、80歳のジジイwだろうが、違いはありません。
違うのは、「生まれる」身心の状態だけで、それは反出生主義の論理とは、何の関係もありません。
それで、なぜ「0歳の人が生まれるのは悪で、生まれないのは善」になり、逆に「20歳の人が生まれるのは善で、生まれないのは悪」になるのか、不可解というしかありません。 これに関連して、私が以前から非常に不思議だったのは、反出生主義者の人たちの「妊娠中絶」に対する態度です。もし>>88のように
「出産は重大な犯罪、殺人罪だ!!」と本気で考えているなら、妊娠中こそ、出産が行われるか未然に防がれるかの瀬戸際、犯罪に対する戦いの最前線のはずです。ですから「何が何でも中絶するべきだ!」と断固として主張するのが当然だと思うのですが、実際はそういう人はほぼ見たことがありません。あたかも、誰も人殺しなど考えてもいないときは「殺人はいけない」と力説するのに、現実に人が殺されそうな場面では見て見ぬふりをするかのような不可解さです。
しかし、>>88や>>137を見て、腑に落ちました。要するに多くの反出生主義者の人たちは、非常に心優しい、究極の「草食系」で、およそ「他人を傷付ける」可能性のあること、より正確に言うと「方向性に関わらず、何か決定的で取り返しのつかないやり方で他人の生と関わる」ことは、一切嫌なのです。「子供を産むというのは、まさに決定的かつ取り返しのつかないやり方でその子の生の全体と関わって責任を負うことなので、そんなことは断じてごめんである」というのが、彼らの本当に言いたいことの全てであって、「どんな未来の生より無の方が良い」とか、快と苦の非対称云々というべネターのエセ論理wとかを、本気で信じているわけではありません。
だからこそ、彼らが反対するのは純粋な抽象概念としての「出生」だけで、少しでも具体的な可能性のある現実の「出生」、例えば実際の夫婦が子作りを計画している場合には、反対する気も阻止する気もありません。賛成であれ反対であれ、まさに決定的かつ取り返しのつかないやり方で(未来の子供も含めた)その人たちの生と関わってしまう(簡単に言うと面倒臭い)ことになるからです。
まして、より出生の可能性が具体化して、すでに妊娠している胎児を中絶するとなると、親のことは別としても、「具体的で実感を伴う他者の未来の可能性」を「奪う」ことになると感じざるを得ないので、「他人の生と決定的に関わるのが嫌な」彼らにとっては、ますます検討の対象にすらなり得ないわけです。 しかし、考えてみれば、そもそも結婚していないとか、相手がいないとか、「子供が生れる」現実的な可能性がない場面で「子供を生むのが正しいかどうか」など考えてみても、文字通り机上の空論に過ぎません。
そして、現実的に「子供を生む」選択が問題になり得る場面になると、途端にもはやすべてが判断の対象外になってしまうというのでは、実質的な意味があまりない、と言うしかありません。
恐らく反出生主義というのは、何らかの論理とか、社会的実践に関わる「主義」というより、ある種の人たちへの精神的な慰め、詩や音楽に近いものではないか、というのが、私の感想です。またそういう思想が存在してはいけない理由も、別にありません。
一応「反出生主義者」として分類されることの多い(どう考えてもそんな単純な存在ではないですが)ショーペンハウアーやシオランが、体系的思想家というよりも随筆家、むしろ芸術家や詩人に近く、専ら論理で結論を導こうとしたべネターが単なるバカとしか言いようがないwことも、何か示唆的です。 >>142
なんだ、「死」と「生まれない」の区別はついているのか。
あんた過去スレではこの二つは同じと言ってたよ
なら話は早いな
存在が死ぬことと、生まれないことはそれぞれ異なる価値判断がされるので、一律に全ての存在は死んだ方がいいとは言えないな 存在が死ぬにあたって、それ相応の価値判断がされるのは当然だよね(殺すのは悪いことだ、死ぬのは嫌だ、等)
それを無視して「全ての存在は直ちに死ぬべきだ」とはやはり言えないな、倫理的に考えてね >>144
胎児はもうこの世界に母胎の内に存在して、生命として胎動してる時点で非存在とは決して呼べないからでしょう
もちろん個人によっては胎児を生命の権利の主とは絶対に認めない立場もありますけどね
ピーターシンガーのような理論に根差して
そこは議論が割れて当然の部分だと思います というアンチのオナニーレス
本物の小学生なのかもね 長文の連レスも厭味と悪口混じりの個人の雑感以上の意味は無い内容だし
スレタイ負けもいいところ >>143
非存在は生まれないままで居ること=非存在的状態に留まること=時間的空間的制約を受けない状態を維持することが可能
あなたの言う誕生後の0歳~の存在する状態でそれは絶対に不可能
存在は必ず三次元的な制約と制限をもたらされて否応なく変化をするしかない
にも関わらず、あなたのレスでは非存在と存在が無意識 又 は故意に同一視されている
つまり三次元的な制限と制約が無効化された、非現実的な前提のみで話しが進められている
二十歳の人間が 生まれなかった状態 に絶対に出来ないのは私達の生きる世界が三次元空間だからです
二十歳の人間がその命を終わらせても、生まれなかったことと同義に絶対にはなり得ないんです
仮にそれが人知れず生まれて人知れず亡くなったケースであっても
現実の三次元的世界の構造と作用を無視しながら行われる論立ては公正なものにはならないのではないですか 反出生が「「非存在に留めることこそが最善だ」って言ってる」のを「「さっさと死ぬ方が得」って言ってる」としか理解出来ない人は昔から居る
自分自身こそが両親によって作られて、存在して、現に生きてる、その実感をまるで持ってないかのような不思議な人だよ 話変わるけど客観と主観って違いがよく分からんくなるのよな
論理回路っていうやつには組み合わせ回路と順序回路ってのがあって
前者は鏡の反射みたいな単純な動作だけど後者は「状態」を持ってるらしい
状態を持ってるやつが主観で、ないやつが客観って見方アリなんじゃね?みたいな妄想
だからなんやねん、酒がないから、なんも動かねえ、アホのチラ裏おわりw 蛇足(わりとスレチなので適当にスルーで)
蛾かなにかの生き物の体の何か??がそういう反応(フリップフロップ反応?)を示すらしい
彼らなりの「主観」と呼んでも面白いんじゃなかろうか?とか思ったり思わなかったり、分からんけど!
https://invbrain.neuroinf.jp/modules/htmldocs/IVBPF/Engineering/brain_controlled_robot.html
てかなんつか限界効用とか微分とかそういうのを連想するのよな、ひとつ前の状態が影響してくるの
微分の回路図とかみるとやっぱフィードバックループが入ってんのな、やっぱ自然界にもあんのかなこゆの
そうなってくるともう俺の頭のキャパがやばくなってきてもうお手上げの悲しみだわw アンチガーするのは別にどうでもいいんだが
反出生主義ごときに何をそこまで必死になって支持してるのか謎なんだが? エゴがデカすぎるせいなんだろうな
自己像と現実のギャップに苛まれ、そのフラストレーションのはけ口に反出生手段に使って他人攻撃してるだけなんだわ 反出生主義を哲学として位置づけるのがそもそもの間違い
他者への攻撃性を誤魔化し雲隠れさせる手法なんよな、
まるで権力を笠に着るかのように、哲学だと言い張ることで正当性があるかのように偽装、粉飾させてるだけでしかない
違うかねえ? 出生について議論する為のきっかけに
反出生に価値がある、かのような言い方も散見されるが
それなら初めから出生について哲学すればいいだけだからな。
わざわざ反出生主義などという対他的な攻撃性を孕みながら結局はオナニーしかできてない思想を介する必要性はない だとしたらコンピュータにも主観があるって理屈になるのか?
「かんじ」って入力したら「感じ」「漢字」どっちかが出てくる?
仮に上の定義でいくならこれはPCの主観だな人間と同じ動作原理ならw
なんかもう「主観とは()」みたいなめちゃくちゃなことになってきたなwけどオモロイ!w
あとまあ「意識」は主観とは別だと思ってるけど(自信ないw)俺は今のとこ何だっけ?
意識はエピソード記憶にともなう随伴現象、みたいな説が気にいってるw
っていう話を哲学板の雑談スレに何も知らずに書いてたらなんかやばそうな
空気に気付いて脱出したwww 電卓はどうだ?
x2=って押したとき、最初に1が入ってたら2、2だと4になるけど
上の定義だとこれも主観なんだわな
これはあれか、最初の数を状態変数として、
残りの計算式を組み合わせ回路のような単純な写像(?w)する機械とみなす
そのとき、状態変数が変動しちゃったら、結果は人それぞれになっちゃうので
そいつあ主観だ、でも状態変数をなくしてかわりに定数1をいれてやると
1x2=2っていう客観になるわけよ
だから主観がばらけるのは状態変数がばらばらなせいで、
きちんと前提条件に「ワイの生きざまはこうや!」って言っておけば
じゃあ君は人前でハナクソほじる人なんだね、
ってのが論理的に導出できるのでこのハナクソ理論は客観的といえるんかね?
すんませんそろそろやめます ハナクソ理論ガバガバすぎて草
すまんすまんメタファー程度だとおもてもろてw
てか何も考えずに書いてるからまにうけないでなこんなくそかきこw 無痛文明ってPSYCHO-PASSのユーストレス欠乏症みたいな感じかな? で、誕生肯定とやらの哲学的な議論はしないのかね
「前向きに生きよう」という気の持ちよう以上の話に広がるならばだが >>161
お前は反出生にも誕生肯定にも興味がない、哲学とは無縁の人間なのだから、無理して関連スレに張り付く必要ないぞ 状態変数をみんなで合わせたところで
もともとの〇x2=△という式自体が主観なのは変わらんか
〇を1にしたらそりゃ結論は全員一致するけど、
〇x2=△の答え自体はやっぱ人の数だけあって
みんなで合意して〇=1にしました、ってのは
〇=1が客観であるわけではないしな
俺が決めた主観客観の定義からいくと
〇=1が客観であるにはこれが組み合わせ回路の決まり方をしないといけない
そんな条件をみたす集合って相当狭くて、暑いとか寒いとかじゃだめで、
右か左かとか、オンかオフといった排中律を満たすことが「語りうる」の条件なんじゃろか?
結局なんも分からんなとりまここまでの妄想5chにメモしてゲームして寝よw >>171
だから?じゃねーよ
お前から振っといて
論文くらい読んでから来いアホ アホだから英語の論文なんて読めない
誰かが丁寧に説明してくれるの待ってる
お客様かよ 分からないところや気に食わないところがあるなら具体的に書けば良いのに
自分からは何もせず「さあ哲学的な議論をしてください」って言われてもねえ 「漢字」よりも「感じ」のが打った回数が多いなら
「感じ」に一意に決定できるわけだが
どっちを多く打つのかなんて分からんわけだ
こっちを多く打った!と宣言すればそりゃあそうなるのは
当然なんだが、それでもこのときいえるのは
return max(感じ,漢字)
このメカニズム自体の叙述が客観である、としかいえないのか?
でも式の値を評価するとどうなるか、についての叙述は主観なんだろうな
だから選好の決まる「メカニズム」について述べることはできても
選好の「内容」は人によるとしかいえんのか
でもこれ世界が決定論なら「決定した世界の集合」の写像(全単射??なんていうんだ?w)として
ありとあらゆる事を叙述できるんだろか?何の話だっけ?頭おかしなりそう >>173
斜め読みしたが、「辛いことがあってもそれを込みで肯定しましょう」ということが書いてあった
くだらないと思った アンチの悪口しか言わないなぁ、このスレは
悪口言うのが哲学ですか? 反出生スレたててくれよw
エラーで立てらんなかったんだよぉ俺はw 生まれしまった以上は屁理屈や自己暗示を駆使してでも肯定したくなってしまう悲しき性 あらためて駄文読み返したけど論理的におかしな所だらけなので子供の作文くらいにおもってくれw
いきおいで書くとあとから恥ずかしくなるなw ここはアンチ反出生スレ別館
アンチが反出生へのヘイトを撒き散らす場所 憎悪で誕生肯定
他者否定で誕生肯定
イジメで誕生肯定
暴言暴力で誕生肯定 そんなに否定したいならまず文明から離れればいいのに 子供から物申されたらすぐふて腐れて気に入らないなら出てけって怒鳴り散らす毒親と変わらない そんなに反出生が許せないのになんでこのスレに居るんだろ
反出生じゃない人間の誕生だけを肯定する、反出生は存在すら認めない否定しまくるってただの差別主義なのに 理想の子供、理想の人間しか生まれてくるはずないと信じ込んでる、そう思い込みたい人が肯定する誕生は理想の子供の誕生、理想の人間の誕生だけ ナタリストの傲慢さと暴力性だけがどんどん明らかになる
詰んでるのはアンチ メンサロ荒らしてるのもアンチだし
自己投影でもなんでもない
アンチこそ自己正当化やめろ 子持ちへの羨ましさゼロの人は若い世代で増えてると思う
親が子育ての愚痴ばっか子供に言ってたりするし アンチが延々とやってることこそ弱いものイジメでしかない 生んだ後に生むんじゃなかったと後悔するのはよく聞くよね
そういう人が生むと親子共々不幸になる 恋愛結婚に浮かれて子供出来て我が世の春状態から一転子供が望んでたような理想の状態じゃなかった、育児が予想外に辛過ぎたってことで子供を逆恨みするキチガイ親なんかくさるほど居るからね 希望的観測しかしないからね
自分と子供が不幸になる可能性なんてザラにあるのに、そこからは目を背ける 赤ちゃん床に投げつけて殺した母親の擁護してたのも子持ちが殆どだったし
そんな風に残酷に殺すぐらいなら作らないであげてって思うのさえ許さないってなんなんだろね
いいから作るだけ作らせろ、気に入らない時はもっと自由に殺させろって
中絶なら一応通る理屈をもう生まれた後の子供にまで適用させたがる人々
普通に怖い >>203
いや、誕生肯定は酸っぱい葡萄の変種という話
酸っぱい葡萄を掴まされたのに「これはおいしい葡萄なんだ、手に入れて良かった」と自分を納得させる思考法
まぁ、そんなチープな自己啓発のようなもので納得できる素朴な人には有用かもしれないが、現実はそんなに甘くない そういう状況に陥ったとしてどう切り抜けるか
を考えずに発狂する状況を受けてただ嘆き苛むだけ
それが反出生 >>214
それは反出生主義というか、悲観主義に近いと思うけども 悲観主義で完結するならまだいいし理解できるが
そこから何故出生否定、出生批判になりあまつさえ布教活動のような喧伝を始めようとするのか >>216
君のその発言からやはり哲学とは無縁の人間だということがよくわかる、板から離れた方がいいんじゃないのか?
この世は悲惨であるという世界観から反出生が導かれるのは妥当だと思うが
ショーペンハウアーのように >>218
この世は生まれ生きるに値しない世界であると客観的に証明でもされてるの? >>219
世界観と書いたよねえ
世界をどう認識するかは人によって変わるに決まってる
戦争、暴力、差別、災害、貧困、飢餓、病、事故、その他多数の不幸や苦痛があるし、自分と子供がその被害に遭うことも十分にあり得るが、それでも世界はよいものだ、という人もいるんじゃないの?俺には全く理解できないが 哲学での返答できないからって
ショーペンハウアー()という権力の笠(にもならないもの)持ち出してアンチを追い出そうとするつもりなのが情けない
妥当と思うのは個人レベルの話
こっちからすりゃ哲学するまでもないのが反出生
哲学のレベルまで持っていきたいなら相応のレスしないとね、ただそこに反出生という属性なんぞ無関係になっていくだろうが 生みたい奴は生み
生みたくない奴は生まない
人それぞれで良いじゃないですか そそ、人それぞれでいい
なのに反出生は喧伝してやたら出生を扱き下ろしたがる
一人で黙って実践しとけばいいのにソレすらできないその異常なエゴをまずは沈静化してほしいもんだわ 不幸や苦痛はその辺に転がっているし、当たり前のものとして是認されている、その構造自体を根拠に世界は悲惨であると言えるだろうね
国によっては地獄そのもののような所もあるが、それは見て見ぬフリをして、自分が幸福でそこそこ満足のいく人生を過ごしているから世界はよいものだという、つまり視野狭窄 >>222
こんなに中身すっからかんのレスも珍しい >>225
つまりは一部の特権階級による幸福の"独占"状態が発生していると
でも不幸な人間に合わせるのはそれはそれで悪平等だろうな >>228
いや、合わせろとは言わないが、
客観的に世界を捉えた場合にそうなってるよねって話
天国と地獄がはっきりとわかれ、地獄があって当たり前のものと認識されている構造自体が地獄のような世界だな、と ショーペンハウアーが馬鹿にされてるのは生きる意志が輪廻するというくだりか? >>232
この世は悲惨だというのは主観だよ
幸福な人と不幸な人がいるのは事実 >>235
じゃあ不幸な人間には悲惨に見えるって訳か
だからなんなん? 反出生主義はともかく、快楽と苦痛の非対称性は正しいとしか思えないんだけどどうなの?
これを破る事例が見つからん よくわらんが、「それってあなたの感想ですよね?」が思想ベースの議論への反論として通用すると思ってるのか
このスレ民は 誕生肯定してないよ仮想敵でオナニー?
お前読解力ないな😂 >>245
お前へのレスじゃないから過剰反応しないでいいぞ
異常者 森岡氏はもとよりベネターもヨナスも読んでないだろ? 森岡さんは誕生否定だったんだろ?
否定してる人が頑張って肯定しようとしてるんだから213のような構造はあるだろうね >>224←ただのジャイアン
甘やかされたお山の大将 反出生が他人に向かって甘やかされてるなんてよく言えるなあ 森岡さんの「まんが哲学入門」は面白いよ
哲学初心者の反出生の人にも読んで欲しい 「ネットで反出生について話すことさえ許せないいいいい!!!!」とかやってりゃ「甘ったれ」ぐらい言われる 哲学せずに喧しく発狂ばかりしてりゃ文句いわれてもしゃーないがな 甘ったれてんのは反出生だろ?
眼の前の現実に打ちひしがれて、その矛先を何故か出生に向けてる頓珍漢やん 誕生肯定とは自分の人生と他人の人生やあったかもしれない可能世界と比較しても自分のこの人生でよかったと思えることだよ >>268
それしたら駄目とか甘えってお前基準やん
そんなもんが世界標準だとでも思ってんの
だからお山の大将なんだよ >>272
お前的マイ哲学に合わせろと?
お山の大将はこれだから >>268
現実にうちひしがれてるって決め付けが妄想
仮に打ちひしがれてたにしてもそれを何に向けるかなんて個人の自由なのに
単にお前の好き嫌いだけじゃん 理想の人間じゃないから殴り続けてやるってのがここのアンチだし
誕生肯定は暴力肯定 とりあえず最低でも森岡さん、ベネター、ヨナス読んでから語れよ
おまえらは感情論で叩き合っているだけだ >>267
発狂して悪口三昧のアンチに対しては死んでも言わないよね ある個人が反出生になった経過もわからずに安易に否定することはただの思考停止だろう
自分を含め反出生の人たちは自己の出生を肯定できない悲しい人たちが多いんだよ とても哲学的で有意義な議論が展開されているスレッドですね。
感動しました。 ただの個人の主観だなくだらん
お前がどうしたいかなんて誰も興味ないよ 288の面白いところは誕生肯定にもそのまま刺さるという所 俺が反出生なのを理解しろ!ってか。
甘ったれだよね
自己承認欲求もここまでくるか 基本的に思想って広めるものだし、何が甘ったれなのかわからない 個人の経験談を思想扱いしろっことだろ?
壮大な甘えじゃんw 肯定/否定という対概念があって、肯定は哲学であり否定は哲学でないとするのは個人の好みの問題でしかないよね
主観主観と騒いでる馬鹿にはわからなそうだけど
ひろゆきとか好きそうだね そもそも思想は広めるものなのか?
それこそ個人の考え方次第じゃね
もはや宗教じゃんw
少しは客観的に考えたらどうかな >>290
お前は反出生について話す人間が居るだけでヒステリー起こしてる場違いな人間じゃん
アンチスレから出て来るなよ どう考えても哲学的素養のない人がいる
SNSで暴言を受けて精神的におかしくなってしまったのか 誰からも呼ばれても頼まれても居ないのにアンチスレからのこのこ議論スレまで出張って来て「反出生が理解してもらいたがってるううううう~」「甘えられてるうううう~」って何の病気 極端なボキャ貧で繰り返ししか出来ないのは認知症なのかも
服薬忘れずお大事に アンチスレだけで飽きたらず森岡さんの名前まで汚すアンチこそ詰みまくってるね 荘子は山籠りの隠遁生活をしてたら時の皇帝の使者がわざわざ押し掛けてきた
別に荘子が広めようとした訳ではない
反出生みたいな厚かましい奴は何時の世にもいるという事 アンチは自分が孔子サイドだと思ってんの
その方が厚かましいわ 専用のアンチスレがあるのに森岡スレをアンチレスで荒らさずに居られない人間こそ厚かましい 反出生が世の中の役に立たないってキーキー騒ぐアンチ居るけど反出生叩きも糞の役にも立ってないのにな 相変わらず自己投影
キーキー騒いでんのはどっちだよ >>310
反出生だと思うから擁護するんじゃないよ
議論のテーマの元になってる著名人なのにアンチに名を汚されるのが不憫だと思うだけ >>320
議論の邪魔してるのはお前らアンチ
出てけ >>324
嫌いアピールで盛大オナニーしてるのがお前じゃん >>326
そっくりそのままお返しさせていただきます >>323
お前が無能無気力無関心の責任を他人に転嫁するな >>336
誕生肯定というか哲学自体に興味なさそう
反出生への恨みが反出生批判の原動力 昭和脳とは
バカウヨとは
結局そんな言葉で物事を捉えちゃうアタマしてたら議論も哲学も無理だわな >>346
反出生をオナニーだのインセルだ言い募るアンチになら可能なんすか
へー >>348
思想や価値観一つで他人を人間未満呼ばわり
その傲慢さに気付けよ
神様気取りか >>366
お前こそ孤独死まっしぐらだろ
反出生じゃない相手からも嫌われそうだもんな アンチが発狂するベースにあるのは反出生同士が仲良いことへの嫉妬だそうですw アンチが使う絵文字文字化けしててよくわからん
気持ち悪い絵文字なんだろうなってことしか 男だけど
妄想性疾患ってこういうことか
やっぱアンチ怖 誕生肯定だとメンドクセー連中湧くから
無痛文明にしぼったほうがいいかもな 森岡さんにかこつけて反出生の悪口言いたいだけのアンチはどのみち湧きそう 森岡さんの言葉って人格攻撃の援護が必要なくらい弱い? 読書感想文書いてるだけの人って印象
あとSNSに入り浸ってる この人子供いるのか知りたいんだけど誰も知らないのか 人類2500年の歴史で解決できなかった問題の答えをだそうと底辺高卒10名Fラン卒10名の精鋭がここに集結 常に見下す相手を探してて、それが見つかるとその相手に依存しだして、そこからは延々と馬鹿にして攻撃する行為に耽溺して中毒するのが人格障害の特徴
イジメ加害者やストーカーやDV犯や虐待親と同じ
アンチは人格障害 大勢の赤の他人をひとくくりで「反出生」呼ばわりしては悪口と厭味でハラスメントしてるアンチの姿こそ自己憐憫そのものなのに
自分じゃまったく気付かないんだよな
生きてて本当に楽しかったり幸せならその対象が何だろうと差別と迫害と嫌がらせに執心する生き様にだけは絶対ならんわ 言ってみればリアルでフラストレーションをぶつけるターゲットが居ないからこそネットでここまで執拗にターゲットに絡むんだろうし
悪口は言ってる本人の劣等感の表れだってこと考えてもね
アンチって不遇で不幸な環境に身を置いてる人達なんだと思う
下手するとなまじっかな「反出生」の誰それ以上に ネタバレでもないけどさ
誕生肯定の基本って自分は自分でいいんだって思えることなんでしょ
それって自分は他人と違っててもいいんだって堂々と出来ることじゃね?
アンチの「反出生許すまじ、反出生滅ぼすまで攻撃やめない」みたいのって完全にその対極なんだよ
ここの反出生が何十回、何百回ぐらいの勢いで「自分は反出生を支持して採用するし、でも他の人に強要はしないし出来ない」って言っても言ってもね
その都度全部無視しては押し付けるなだの人類の敵だの怒り倒してヘイトして反出生であること自体に禁止しかけて来る
アンチとお揃いの価値観で生きることを暴言や誹謗中傷っていう明らかなハラスメント手法使って強要してくる
アンチこそが誕生肯定から一番程遠い存在なんだよ
みんながお揃いじゃないと自信持てない、相手にどんなに嫌がられてもすがりついて自分こそが正しいって言ってもらいたがるっていうさ
自力で自分は正しいし自分の人生でいいんだってまったく出来てない 自分は自分でいいんだっていう姿勢が出来て、そこで初めて他の人は他の人でいいんだって出来るようにもなるんだしね
自分自身も自由になれるし他の人の自由も許せるようになるっていうこと
白黒善悪二極での判断しか出来ない教条主義に陥る人々ってね
その盲信して崇拝する対象が出生だろうが反出生だろうが他の何かだろうが、動機の部分には必ず自己不在があって、内面が空洞化してて基本的には不安しかないんだって
だから外部の正しさに固執して固着して排他的に他罰や加害を用いてでも自分を守ろうとする
そのぐらい生きてるだけで不安で一杯なんだね
自分を守ろうとする過程で他の価値観や正しさに即して生きる人をどんなに痛め付けて傷付けても良心の呵責も覚えられないんだよ
自分を守ることだけで精一杯だから 児童虐待の発生と虐待を起こすようになった両親の経済状況との間には如実な相関関係があるっていうのにも似てるかも知れないね
追い詰められて余裕をなくしてる人がそこに居れば、その分の皺寄せがその人の身近に居る、その人よりも弱い立場の誰かに向かうことになる 自分で意識してなんとかその負の連鎖止めようとする、そう出来るのが人間の理性とか知性とか偉大さなんだと思うけど
自分より弱い相手への優しさだしさ
で多分その偉大さや優しさって弱い相手も救うし自分自身のことも救うんだと思う
強い人だって別の場面じゃもっと強い他の誰かよりは確実に弱かったりするんだからさ >>423
馬鹿にして気持ちいい?
スッキリする?
あなたからそうされた誰かが悲しい思いしてても?
それでいいの?
そうやって生きて死んでいくの? アンチ長文読む能力皆無だしね
多分反出生認定したレスとみれば条件反射で憎悪の念燃やしてんだよ
哀れっちゃマジ哀れだわ とはいえ執拗にアンチガーやってりゃ同じ穴のムジナでしかないがな
まともな議論する気ないんろ 誰かの粗捜ししたりレッテル貼りして馬鹿にすることしか他人と関わる目的がない人と素で仲良くしたがる人も居ないはずだからね
何か逆にその人のことを搾取したりっていう利用する目的のある人以外は
アンチの孤独は深いだろうな >>427
ちゃんと読め
誕生肯定に関わる話ししてんだよ
お前こそそれに纏わるレス出来ないならすっこんでろ >>427
同じ穴のムジナでは決してない
ここで常に先陣を切って反出生への誹謗中傷を繰り返してるのはアンチだから
私はそれに対してレスをしているまで
それが不快だと言うならアンチにそういう言動を改めるように頼むべき 反出生という余計なエゴは要らん
自然に適合するだけで十分 >>431
君にとってはそうなんだね
他の人にとってはそうじゃなくて違う可能性があることも許せるようになるといいね ベネターの快苦の基本的非対称性に反論できる知能の持ち主はいないのか?
ただ煽ってるだけで森岡氏もベネターもヨナスも読んでいない奴ばかりだよな
そういう奴は子作りは大罪スレに行けよ 出生側に対して頭ごなしに感情論で否定してるのは反出生も同じなのにな ヨナスって読む必要あるのか?
彼のはほとんどキリスト教の焼き直しだろ。
分析的な言説と言うより大陸の思弁哲学だし。 反出生ってふんぞり返ってるだけで何する訳でもないもんな
でもTwitterとかで凸るのは不快だから止めて欲しい 自然を自説の拠り所にするって都合の良い部分を切り取ってるだけだよね。
自然の恣意的な切り取りと自然主義的誤謬はセットで現れることがほとんどだ。 >>436
この人は幸せそうで何よりだが、問題はそうはならない人もいるという事
おまえは誕生肯定できずに「生まれてこなければよかった」という人は軽蔑するのだろうけど 上の方で書いてある「人間未満」という発言はすげぇよな
しかも対象が「反出生」というクソでかい括り
自分でおかしいと気づかないのだろうか 全ての人間について「生れても良い、生まれたほうが良い」と言いうる理路は存在しないというのが
ベネター論なんだけど、これを打ち破る事は難しいと認めたうえでの「誕生肯定」なんだよね。
これが自己欺瞞と言うか自己暗示、気の持ちよう以上の如何なるものか。 森岡さんの「まんが哲学入門」に誕生肯定についてわかりやすく書いてあるよ まず「誕生肯定」が必要な人がいるわけだよね。
そうでないとますます彼の独り相撲の様相が強まるよね。 誕生肯定を簡単に言うと他人の人生やありえたかもしれない可能世界を羨むことなく自分自身の人生を愛すること >>442
それならば自然の恣意的な切り取りや自然主義的誤謬を具体例で示してもらおうか
それを提示したところで反出生の正当性につながるわけでもないと思うんだがな なるほど仏教みたいな方法論だね。
もう十分です。
ありがとうございました。 誕生肯定か
更に簡単に言えば自分の人生はもとより他人の人生も自分事にして捉えた上で、肯定できるかどうかというだけの話か
反出生主義の論拠に援用する程度の題材だわな 人間の知性や理性も自然の所与であって
反出生主義がそこから必然的に導かれたものであるなら
反出生主義も自然の内部のものだよね。 反出生主義が必然的に導かれたならば、という条件付が必要になってしまうね >>148-149
根本的な勘違いですが、ある人が「生まれてから死ぬ」ケースと「生まれない」ケースを客観的に比較すれば、反出生主義の観点からは後者の方がいいのは、そりゃ言うまでもないでしょうw
私が言っているのは、どちらも「未来を非存在のままにする」選択という点では本質的に同じなので、反出生主義の観点からはどちらも同じように「誰にとっても現時点で可能な最善の選択」となるはずでしょう、ということです。
現時点で生まれていない人なら「生まれない」が最善だし、過去に生まれて現に生きている人なら「即刻死ぬ」のが最善のはず、ということです。
〉全ての存在は直ちに死ぬべきだ」とはやはり言えないな、倫理的に考えてね
いやもちろん常識的にはそんなことを言ったらキチガイですがw、まさに反出生主義の倫理的観点からはそう言わざるを得ないのでは、とお尋ねしているわけです。
この場合、その人の過去は変えようがないので、一切問題になりません。また、未来にどんな可能性があるかも、問題になりません。「いかなる可能な未来の存在(生)よりも、非存在(無)の方が良い」というのが反出生主義の根本テーゼなので、それを素直に適用すれば「全ての存在(有意生物)は直ちに死ぬべきだ」という結論は、避けようのない必然です。
これを認めないということは、本当はあの根本テーゼに賛成ではないのでは?としか、考えられません。 必然的に導かれないからこそ、反出生主義という思想を広めなければとする使命感が生まれでてしまうんだわ >>150
〉胎児はもうこの世界に母胎の内に存在して、生命として胎動してる時点で非存在とは決して呼べないからでしょう
そんなことを言い出したら、それこそ精子や卵子だって生きている「存在」なので、オナニーも大量殺人になってしまいますw
そもそも「非存在」から「存在」を作り出すのは、いわゆる「無からの創造」で、神様以外には無理な相談です。生命は生命からしか生まれないので、厳密に言えば何億年も前からずっと切れ目なく存在し続けています。とうの昔に「生まれて」しまっているので、すでに「手遅れ」ですw
快とか苦とか言っている以上、問題になるのは
主観的な意識を持った個体の存在でしょう。胎児はまだまともな意識はないと思われるので、反出生主義の観点からは「生まれない(妊娠もしない)」と「中絶される(妊娠中に死ぬ)」は、客観的に比較しても特に意味のある違いがあるとは思われません。というか、どう考えても、「無事に生まれて存在させられて生きさせられる」より、はるかに良いはずです。
>>88のように出産は凶悪な犯罪だとすると、妊娠はいわば犯罪が着手されても、既遂には至らない状態です。最大の凶悪犯罪を未遂のうちに防止するのに、何を反対する理由があるのか、どうもさっぱり理解できません >>155
〉二十歳の人間が 生まれなかった状態 に絶対に出来ないのは私達の生きる世界が三次元空間だからです
「世界全体」についてなら、おっしゃる通りで、ある人間が生まれたら、その人が死んでも世界は生まれる前の状態には戻りません。というか、人間の行為に限らず、あらゆる出来事は相互に関連した不可逆な歴史の一部で、世界は客観的に「同じ状態」に戻ることは二度とありません。戻したければ、タイムマシンで出来事以前の時点に遡るしかありません。
よく「自分が生まれて生きた痕跡をこの世に残したい」とか言う人がいますが、残したくなくても残さざるを得ない、というのが実態です。
ただし、この「痕跡」が何なのかは、決して正確にはわかりません。それを知るには自分が生まれなかった可能世界と現実世界を比較するしかないですが、そんなことは不可能だからです。
いわゆるバタフライ効果等を考えれば、誰でも知らぬうちに思わぬ重大な影響を世界に与えている可能性もあります。この点では作為も不作為も変わりません。あなたが子供を生まなかったことが結果的に未来の世界大戦を引き起こす可能性だって、ないとは言えません(ターミネーターという映画は、そんな話でした)。 反出生主義の導出に独特の前提を置いたのなら説明の必要がありますね。
現実から立ち上がったロジックで現実を説明しなおすという話も無いでしょう。 一応お断りすると、私は基本的に世界全体の状態とか、他人の視点とか社会的な利害とかは捨象して、当人の主観的視点だけを問題にしています。
(他人の視点を入れるなら、そもそも子供を生むのは親が自分の都合でやることなので子供の視点なんか二の次だ、とか、少子化対策でずんずん産んでもらわなければ困る、とか、そういう話になります。)
主観的意識に関する限り、例えば私が死ねば、まさに私が生まれなかったのと完全に同じ状態、つまり非存在に戻ります。そしてその状態が永久に続きます。本当はこれはかなり奇怪なことなのですが、そうとしか思えないので仕方ありませんw
反出生主義者の人は「生まれることは決定的で、生まれてしまえば取り返しがつかない」とよく言うのですが、正反対としか思えません。個人の主観に関する限り、いつでも死ねば完全に生まれる前の状態に戻れる、というか、いずれはいやでも戻らざるを得ません。誰でも万能のタイムマシンを持っているようなものです。世界のあらゆる出来事の中で個人が「生まれる」ことだけは唯一完全に「取り返しがつく」わけで、むしろある意味最も「お気楽な選択」とすら、言えないことはありません。 >>459
必然的かどうかは客観性があるかどうかということです。
客観性があるかどうかというのは有効な反論が存在するかどうかということなんじゃないですか? >>458
>根本的な勘違いですが、ある人が「生まれてから死ぬ」ケースと「生まれない」ケースを客観的に比較すれば、反出生主義の観点からは後者の方がいいのは、そりゃ言うまでもないでしょうw
根本的な勘違いですが、反出生主義的観点からは「生まれない」のがより良いのは当然で、私はそれを否定していませんが?
>過去に生まれて現に生きている人なら「即刻死ぬ」のが最善のはず、ということです。
根本的な勘違いですが、誕生して存在になってしまった以上はそれ相応の価値判断や倫理的制約を受けるのは当然ですよね(殺すのは悪いことだ、死ぬのは嫌だ、等)
この価値判断は反出生主義とは何ら矛盾しません。
つまり、残念ながら生まれてしまった以上は、単純に「死ねばいい」という話しではなくなってしまうのです。
勿論、当人が「死にたい」と希望して自ら死ぬのは自由ですが。 死の恐怖がなければいいけど、そうはならないからね
人間という生物の基本的な仕様だからね >>463
>一応お断りすると、私は基本的に世界全体の状態とか、他人の視点とか社会的な利害とかは捨象して、当人の主観的視点だけを問題にしています。
ここがあなたの盛大な勘違いの根本で、当人の主観を問題にするならば、尚更「死ねばいい」で片付く話ではなくなってしまうではありませんか。
「死ぬのは痛くて苦しいかもしれない、怖い、死にたくない」と主観的に感じるのは普通です。
主観的視点を問題にするならば、当人が「死にたい」と願わない以上は、他人が「死んだほうがよい」等と口出しすることはできなくなってしまいます。 >>460
精子や卵子それぞれ単体と受精卵が別の扱いを受けることには相応の理由があります
あなた個人の感慨次第でその線引きが変更されることは無いでしょう
精子や卵子はそのままでは「個別の生命」として自律する存在ではないですから
私は今アメリカで問題になっているような、堕胎や中絶に絶対に反対だという立場ではありません
堕胎や中絶は女性の権利としてなくてはならないものだとも考えています
ただ反出生を理由として堕胎や中絶を 推奨すること には強く反対する立場というだけです
安易に子供を作っておいて「子供のために」という弁を盾に取って中絶することを良しとする、
このことは結局、作る側の都合と価値観で苦痛や死の恐怖をを子供(胎児)に与えるという意味で出生と大差ないと考えるからです
賛否両論、信じる信じないがあることを承知の上で
私には胎児期の記憶があります
正確には胎児期の記憶があった子供時代の記憶が残っているという形で
そして、そのようなことを話す子供も実は少なくない数居るといことも分かって来ているとか
それを思っても胎児などは意識もなく感覚もなく一個の人間、生命として認めるに足らないと結論つけるのは余りにも早計だと考えている訳です
私はかつて母が出産をする瞬間までその派生、受胎、妊娠を呪われ、存在ごと否定されていた子供でした
子供時代の私には母にいつ殺されるかわからない不安と恐怖で一杯だった胎児時代の記憶が確かに残っていたんです
そしてその記憶が事実に即して正しいものだったと知ったのは母の他界した後のことでした
私はどんな哲学者や医学者や科学者の分析やロジックよりも自分自身の記憶と経験を採用したいと思うんです
異論反論はご自由に 「胎児の苦痛を問題にするなら畜産動物の苦痛も問題にしなければダブルスタンダードである。」
(ドーキンス) 死ぬか生きるかということに独自の解釈を持ち込まずに反出生主義は導出されてます。
反出生主義に説明責任は全く無いんですから過激極まる別トピックですね。 反出生男が中絶推ししてるの見て出生サイドが繭ひそめるのは分かるしね
自分が堕胎する側の性別じゃないのに平気でそういうこと言わないでほしい >>469
それを言うなら逆に畜産動物の苦痛を問題にする人が退治の苦痛を問題にしないこともダブルスタンダードになるのでは 中絶は誰もが苦しい判断、当事者は更なる精神的肉体的を強いられます。
生じさせないのがBESTであるのは言うまでもありませんが
フェールセーフは必要ですね。 ヨーガ少し齧ってればわかるけど、エゴによって身体的な欲求が充足されている状態は寧ろ良いとされている
エゴが肥大化し過ぎると、かえって生命エネルギーを上手く取り込めなくなってしまう
現代人は全体の方向性としてそうなってきている ベネターのアレはよく分からんな本読んだことないからよく知らんけど
苦痛はあれだろ複雑な生命体が生存するために必要な動機付け因子てか
制御機構の一部であって「苦しい→ゆえにソレは悪い!」とかいう論法は
なんだっけとーとろじー?みたいな感じのごかいでさ
苦しくなる、悪いと感じるようになるメカニズムを進化が人体に仕組むように選択してるからでさ
危険をあらかじめ避けさせる強制力として作用して生存確率を高めてきたわけで
今さらなにいうとんね~んwみたいに思う所があったりなかったりしなくもないなw てかさ医療が発達すれば自分の苦痛を取り除くクスリとかできんのかな?
苦痛を感じる遺伝子(?)を削除した子供を作るのが倫理的だみたいな未来になったりして?
だいたい危険察知に苦痛シグナルが必要か?って考えたらいらん気もしなくない?w
サバンナでライオン狩ってるわけじゃねんだわ(笑
不安とか悩みとかも今の時代に必要か?そろそろ食いもんとか余ってニート養えるんじゃねーのか?
はやく養ってくれwまじでたのむ!w飲んで食ってネットしてゲームしての生活そんなに悪いか?
いろいろ考え事できていいもんだぞほら昔の賢い人ってニート多いっぽいしwあかんかw 避けてええよ全然あたりまえの反応だしwベネター読んでないんだわすまんなw
苦痛は悪いという命題が循環論法ちゃうの?っていうただの妄想やでw 生得的メカニズムについてどうのこうの言っても仕方ありません。
そのようなメカニズムに新たな人間を何十年も委ねていいのかと言う問題ですね。 >>485
当事者にとって苦痛は悪いことというのはあまりに普通なことだけど、循環ではないね >>486
生得的メカニズムが生まれてくるに値しないほど悪いものなの?
>>487
苦痛が悪いものという根拠は?
説明できます? 反出生主義批判は往々にして苦痛回避の相対化になるよな
普段なら絶対そんなこと言わないのに、反出生主義を批判するときだけ「苦痛があって何が悪い」だなんて言い出す >>488
横からだけど
人から強い力で殴られたい?
大事にしているものを盗まれたり壊されたりしたい?
YESかNOで答えてみて欲しいな
そしてその理由も 苦痛が快楽に変わる人もなかにはいるがそれは功利主義のベンサムが斥けている >>488
君は君自身が苦痛に感じることを嫌だと思わないの?
これはほとんど自明な話だけども 定期的に現れるよね、苦痛は悪くない論者
反論したいという気持ちが強すぎておかしなことになってしまうのは毎度のこと 長年ひきこもっていた時に自己憐憫を用い苦痛を快楽に変換していたが末期ガンなどの肉体の耐え難い苦しみは快楽には変換できないだろ 誕生肯定のためには本当は欲しいのに何とか誤魔化したりとか
仏教の修行のような克己が必要である。
さすが森岡さん,嘘は言わないね。 >>490
人から殴られることが生得的?
何が論点なのか理解していないなら
横から出てこないほうがいいと思いますよ。
>>492
生まれつき大事なものを盗まれるとか
意味のわからない質問についてYES、NOで答えたり理由を述べさせられることは苦痛です。 あーベネターって生殖否定してるだけで誕生否定というか存在否定?
みたいなことは言ってないのね誤解してたわ
苦痛あるからお前は本来消えているべし!なのだ!みたいに言われてんのかとおもたw
いやこれ生理現象なんすわ、ってなww
まあ俺は生殖否定というより生殖拒否派だな危険を感じる所には行かない的な >>496
論点は 苦痛は悪である ということを証明出来るかどうかでしょう?
証明可能だと思うので答えてみて下さい >>496
>生まれつき大事なものを盗まれるとか
意味のわからない質問についてYES、NOで答えたり理由を述べさせられることは苦痛です。
ということは、あなたにとってあなた自身が苦痛に感じることは悪いことですよね
他の人も同じです
ですから、元レスの「当事者にとって苦痛は悪い」という命題は真です ちょっとしたやり取りでイライラし過ぎて短文さえちゃんと読めなくなるぐらい苦痛感じる人が苦痛は本当に悪いのかって疑問持ってるのは面白い 批判ありきで揚げ足とりをすると変な理論になって恥をかくから辞めた方がいい あれ?苦痛が生理現象に過ぎないのなら
苦痛の存在を理由にして生殖否定もできないってことか?
まあでも同意不在の問題があるからやっぱあかんやろって気もするけどな
そうなってくるとおれは生殖拒否じゃなくて生殖否定派ってことか
ややこしいがすぎる俺の頭ではきびしいようだ無念 >>504
それも一概には言えないんだけどね
摂食障害の人にとっては食は苦悩や苦痛が伴う行為になるし
悪夢に悩まされる人にとっては睡眠も同じく 反出生主義のwiki読んでたら
>苦痛を受ける主体が存在する場合、その苦痛が欠如したとすれば「良い」。
>これはまた苦痛の主体が存在しなくなることによってのみ苦痛が欠如するのであれば、やはりそれは「良い」
~によって「のみ」苦痛が欠如するのであれば~
って書いてるから、「のみ」を証明しないといけないので、悪魔の証明みたいで大変じゃない?
苦痛なんてそのうちなくなるんじゃ?とか楽観的に思ってたから、苦痛からの非存在への論理展開?
のところでなんかひっかかった、まあそんなに自信があるわけではないし重箱の隅みたいな感想だけどw 苦痛なんてもぐら叩きみたいなもん
いくら主体を消したとしてもよ 何回も非対称性のデシジョンテーブル見てたらなんか
主体が存在しない場合の主体の苦痛・快楽って
A君が存在しない場合のA君の苦痛・快楽っていうことか?
それはありえないから、比べることができない、って思えてきたぞ・・・
何で今まで気づかなかったんだw 「苦痛がなければ生んでも良い」が真なら生殖否定は偽になる、っていう論法はありなんか?
過去スレ読んでもなんかよく分かんねーしw明日用事あるしもう寝んといかんか・・・ぐぬぬ俺にもっと知力があればw 善人が存在しない場合、善人は善いか?
存在しないものに善いかどうかという問いを適用することはできないのでこれはカテゴリー錯誤になるんだろうか?
こんどこそねる・・・( ?ω? ) 過去ログ全部読んでしまった、ベネタースレPart1が特に勉強になったわ
え?俺死んだほうが善いの?って不安になって寝れんかったじゃないか
俺アホだからベネターのロジックに隙が無ければやばかったわ
意味が分かると怖い話かよまったく・・・ 人間に痛覚がある限り生むべきではないと思う
肉体は邪魔、人々と魂だけの交歓がしたいんだ
そうすればルッキズム問題も解決するだろう >>509
存在しないラーメンはおいしいか?
存在しない車は速く走れるか?
存在しないボクサーの勝率はどれくらいか?
こんな事聞かれたって困るわな。
存在しない人の苦痛は0か?という質問もそれ自体が無意味 存在しないラーメンの体積は0
存在しない車の速度は0
存在しないボクサーの勝率は0
存在しない人の苦痛は0
苦痛がないならそれでよかろう! 戦ってないんだから0じゃないだろ
「俺の成績は0勝0敗だ」とはならない
そもそもデビューしてないんだから 打率でも打席に立ってない奴の打率は0じゃなくて-だもんな
-は記録がないので何とも比べられない 「非存在にとって非存在は善い事だ」
これは間違い
だって「善い」って言葉は存在者の作った言葉だから。私たちの作った概念で非存在者を評価することが不適切なのだよ でっちあげのでたらめな理屈をテキトーな社会問題絡めながらゴリ押ししてるだけだもんな、反出生主義ってのは
で、何でこんなお粗末な思想をゴリ押ししたいの?
アンチでなくても誰もが普通に思い考えること。
まあ、十中八九社会を分断したい連中のおもちゃなんだろうが アンチしたい人はアンチスレでお願いしますね
個人の思いはそちらで存分に書いてください >>520
おらんものはおらんままにしておけってこと >>523
それは「おらん者」にとって善いって事? 何回同じ話グルグルすれば気がすむんだろうね
飽きないのかな 悪徳な行いをしない方が善いって特におかしくないけどな
何に突っかかってるんだろう >>521
俺はベネターの理論は疑問だけど同意不在の所はまだ納得できないし
反出生(反生殖)側であることには変わりないな
こんなアンチ奴を援護射撃するつもりはまったくないw ベネター論は反出生側から見ても論理的瑕疵があるからね
そこを突きたくなる気持ちはわかるけど、それで「反出生主義を論破した」みたいに勝ち誇るのは幼稚だと思う >>525
以前のベネタースレにも書いたけどな
例えば、とある海辺を監視してるカメラがあったとして、観測者は遠隔地のモニターでリアルタイムでそれを眺めてたとする
その時、大きな地震が起きてすぐにそれに伴う大津波が押し寄せて来たとする
この時、モニターの中に映る人間の数は0人と1人ならどっちが望ましい? 補足するまでもないが念のため
大きな地震と津波に襲われたのはモニターに映る海岸な 苦痛は悪くない
生まなければ善いと思う主体がいない
こればっか 立論者=観測者と非存在と存在との相関関係を正確に理解した上での思考が出来ずに同じところをグルグルしてる批判者が多いよな それなら外界から隔絶された反出生ムラ作ればオッケー、となるな >>536
接続詞が意味を為してない
反出生ヘイトが目的ならアンチスレでやってくれ >>536
君はアンチ反出生ムラへレッツゴー
同じ板にあるから行ってきなよ、そしてそこで骨を埋めるんだ シンプルな質問すら答えずに言い掛かりみたいなレスしたり無意味なハラスメントレスしたり
他のスレ民と自分や相手の立場や思想がどうであれ、対等に議論する気が端からない人はレスしないで欲しい >>530
なんでモニターの管理人目線なの?
あとなんで苦痛「だけ」を考慮するの? >>540
どうやって?どういう筋道立てるとそうなるの 0と1人のうち、より好ましいのはどっち?って問いでしょ
わざと素っ頓狂な答えをしてはぐらかそうとしてるのかな 観測者目線とか言っちゃうからラスボス思想だと馬鹿にされるんだよ
さっきの津波の例なら、人間はモニターの中の存在に過ぎない、モニターを監視している側に立てるのは神様だけだろ
所詮人間如きが出生の善悪を決められるはずがない >>542
こっちの質問に答えてもらえればその質問に答えたいと思う なんで管理人目線なの?って言われてもね、状態を観測するってそういうことだろ
話にならないのではないだろうか
問いを立てたのは俺じゃないが >>545
ラスボス思想だと馬鹿にするで片付けるのを思考停止と呼ぶんだよ
真剣にその問いに向き合えない人には反出生に纏わる議論は絶対に不可能だと思うよ >>541
なら反出生だけのムラつくれば?って解答以外になにか有意義な着地点はあるのか?あの例え話から導けるもので >>548
うん話にならんな
だって人間の立場を超越した、地に足のついてない議論をしてるんだもの
どこの高みから物を申しているのやら
自分が人間の出生の善悪を決められると思ってる事自体が傲慢。人間の手に余る問題。
出生の善いも悪いも人間が決められる問題ではない >>545
決められるはずないと思うなら決めるための議論に無理に加わらなければいいと思う >>551
思考停止だね
君に議論は難しいから終わりにした方がいいよ >>549
君らこそ反出生は最強だ反論不可能だで思考停止してるがな
どこが議論だよこれの >>551
あなたは参加を控えるのがあなたと他の全員のためだし、良心になると思う >>554
そんなことは一切書いてないよ
書いたことすらない 出生がどういうものかを観測してそれに善悪を判じるって普通にできるけどな
傲慢とか個人の感情はいらないんだよ ベネター訳者の小島の「反出生奨励主義」さえ知らんからなここの住人は。
思考停止と相手を裁く前に勉強し直せ。 >>550
Twitterで馴れ合っていれば良いよ
だって異なる意見を受け付ける気なんて最初から無いくせに議論だなんだって言ってんだから
はよベネタースレ作れよ。ここはアンチスレなので 善悪判じられるはずない・・・!!!が思考停止以外のなんだって言うんだか 生きることは善か悪か、これも判じることができると言えるのか 「出生は悪だ」への反論が「そんなことを判ずるのは傲慢だ」だからね >>561
アンチスレじゃないよ
森岡さんの名前を冠した議論スレだよ
アンチしたい君こそアンチスレにどうぞ 反出生のロジックすら理解出来ずに悪感情だけで批判してる人間の多さたるや SNSでの恨みが過ぎておかしくなってしまった人が前にいたけど同じ人かな >>561
異なる意見受け付ける気ないって完全に自己紹介になってんじゃん
君こそアンチスレで馴れ合ってるのが一番楽しいんじゃね 観測者になれるはずがないって思うなら思うで構わないけどな
それこそがただの個人的主観
ロジックを用いて何かの是非について出来る限り客観的に語ろうと思えば逆に観測者に収まるしかないんだ なんでベネタースレ立ててそこでやらないの?
マナーも守れないのか反出生主義者は。 なれるけどね
当事者目線しか認めませんってことなら、何についても語れなくなるよね 人間が神をも畏れぬ真似をして・・・みたいな罪悪感抱かせたいみたいな人ずっと居るけど
そもそも哲学のベースになってるのが神様の否定や懐疑だよ >>570
>>1が反出生主義の議論も引き続きおねがいしますと言ってるからね(>>9)
とういうか、反出生主義=ベネターという固定観念はいい加減放棄したほうがいいよ? >>570
反出生の否定するのにも知識や前提すらろくに持ってないんじゃ議論にもならないだろ
議論専用スレで延々とアンチレスだけ垂れ流したがる人間の方がよほどマナーにもルールにも違反してる 色んな板に反出生スレ立て過ぎ
マルチは禁止だってのにそれさえ守れない
何が道徳だよ、ルールも守れない癖にね >>575
ここは議論スレです
中身のある発言をお願いします
難しいなら無理に入ってこないでいいよ 昔あったベネタースレの継続しか立てたことないのに反出生でくくられて不道徳呼ばわりされても困る ルールを守らない人間がいる世界に子供を産むのが悪いとか言いそう
君らは生まれてくる子供の目線で語っているのではなく、君ら自身が子供なのでは >>530への回答が「観測者にはなれない、そんなのは傲慢だ」だからなぁ ヘイターと化してる人は自分の憎しみと向き合うべきだね
多分本当にどうしても許せない相手は反出生じゃないから >>579
傲慢で結構だから冷静に、フラットに答えて欲しいだけなんだけどな
それすら難しいらしい 反出生主義「者」が叩かれる度に、やっぱり反出生「主義」は正しいんだなって思う 反出生叩きしてる人間の被害妄想がすご過ぎてね
なんかろくでもないことした反出生主義者の誰だかへの怒りと逆恨みで自分はそんなことしてないのに頭ごなしにひどいこと山のように言われるってさ
なんなんだか >>582
ちょっと上の方でも書いたけど、観測者目線を認めないならば、当事者目線でしか物事を語れなくなる
すると、出生に限らずあらゆる事象について客観的に論じること自体ができなくなるんだよ
それを指して思考停止と言ったのだが、何故かこちらが思考停止扱いされるという意味不明な状況 そもそも子供を亡くした人に向かって良かったなんて言う人間は反出生をまるで理解出来てないからね
反出生の扱う苦痛の範疇にその痛ましい思いが入ってない時点で何もわかってない
生と死を軽く扱う人間は反出生の言わんとすることを理解出来てない
今ここで荒れてる人が反出生にそういう暴言を吐かれたって話してた御当人かはわからない
違ってたら 申し訳ありません しかないけど >>585
そう
観測者目線以外では出来ない行程があるんだ
ついでにな
ある個人の中で出生善悪なんか決めていいはずがないって結論が出てるならな
それがその結論を出した人間にとっての最終的回答ならそれはそれでいいと俺個人は思うしな 自他問わず徹底的に疑い抜くのが哲学の議論だと思うしね
そこにでだけは、それが仮に他の場所でどんなに大きくて強靭な存在なんだとしても、自明や神は無用なんだよね 訳の分からないこと言ってる人たちに、津波の現場に一人存在させるかさせないか選ばせてみれば良いよね。
面白い答えが返ってくるんじゃない?w 答えずに怒りだしたり、答えてもその目線は傲慢だの人間のやっていいことじゃないだのって感情論でしか返せなかったりってのが答えと言えば答えなんだろうけどな
でもそれじゃ対話も議論も是々非々も永久に始まらない 観測者とか津波の話って独自の理論?
ググっても分からなかった 森岡の話誰もしてない
スレタイ一切無視
誕生肯定や無痛文明の話題無し
反出生主義のスレでやれば良いのでは?
道徳を語る前にルールを守りなさい
それも道徳ですよ? 反出生のロジックを出来る限り平易なわかりやすい例えにしてみた俺個人のオリジナルではあるよ 立ててくれたら移動する
自分は規制で立てられなかった 森岡さんて反出生扱ってることで有名なのに森岡さんのスレで反出生の話題禁止する方が不自然じゃね >>595
>>1は反出生の議論もお願いしますといってるからルール違反ではないよね
森岡さん関連の話したいならすればいいじゃん 森岡さんも同じ誤謬を犯しているけど
この問題に観測者は基本不要なんだよね。 勝手にマイルールつくって「ルールを守れ」って
ヤクザかな >530への問いに普通の感覚で答えるなら、誰もいない方がいいよなぁ、まずそこは認めないといけない
反出生主義の理屈はそういうものであると
で、この例えは津波の被害者=存在者ということになってるんだけども、これは反出生主義の思想に基づく、ある意味に於いては恣意的な価値観なのだから、突っ込むとすればそこなんだよ 存在しない事の効用を認めないと正気を失った選択しかできなる。 >>603
観測者不在ってロジックの不在になるだけでは あなたが自分の言葉で自分が迷子にならないで正しい選択をすることを祈るしかない。 反出生スレにアンチがいるのがウゼエって事でこのスレ建てたのに
ここでアンチ出てけって意味わからん
ここは反出生スレじゃないぞ? >>613
いやアンチ専用スレあるじゃん
なんでここまでアンチスレにしたがるのさ 退散いたします。
森岡さんの話題をお続けください。 森岡さんは反出生に絡めて誕生肯定の議論を始めてるのに反出生徹底排除して誕生肯定の議論だけをするの? >>613
そんな経緯は知らない
>>1も反出生主義の議論もお願いしますと言っているし、森岡さんのスレで反出生の話がでるのは普通だけど
うざいならお前がスレに来なければいいよ 森岡さんも言うならアンチ反出生かも知れないけど今は少なくともヘイターではないと思うしね
自分の名前冠したスレがヘイターの巣窟と化すのは本意じゃないんじゃないかと
知らないけど ヘイター属性持ったアンチにさんざん荒らされたりヲチられて陰口悪口言われるだけなら要らないけどね そうだね
アンチはいいと思うが、ヘイターは問題だ
ここの呼称は区別したほうがいいだろう ここで反出生の話しが絶対禁止とかルール違反って言う方がおかしいと思うんだけど 個人的な感情で存在しないルールを押しつけて不道徳扱いで叩くってタチ悪いね 出生だろうと反出生だろうとそれを他の人に対してするのは過激派だしヘイターだね
カルトだしドグマだしセクト >>624
いや元々反出生スレあったでしょ
そこから分離してきたのがここでしょ
なんでわざわざこっちに来るの?
意味がわからんのだが。君はアンチに居てほしくないんだろ?ここはアンチスレなんだけど? >>625
マルチは禁止と書いてあるけど?
読んでこいメクラ >>628
マルチってなに?スレいっぱい立てること?
立てたのは俺じゃないから責任持てないぞキチガイ >>618
でも自分と違う意見は認めないんでしょ?
それのなにが哲学なの? アンチスレはこっち>>619
そもそも反出生について話す人間は出入り禁止ならアンチも出入り禁止じゃないとおかしいよ
>>1に則って反出生主義についての話ししてるのさえ禁止するってマイルールでしかなくない >>630
認めないなんて言ってないよ
脳内バトルでイチャモンつけられる人の気持ちになってくれ 頑なに絶対認めようとしてないのはアンチの方だと思う
哲学的態度を相手に求めるなら自分自身もそのようにあることは必須 気に入らない相手にはキチガイだの思考停止だの
苦痛が嫌いな割に、相手への暴言は気にならないのかな。まずは自分が相手に苦痛を与えないように気をつけるべきなのでは?君らの言動には説得力が無さすぎるわ。よくもまあ倫理だ道徳だ言えたもんだ。
人類の存続がどうとか大きな話をする前に、自分が言動に気をつけたら? はい、悪口しか言えなくなりました
「ルール(妄想)を守れ」、「マルチするな(してない)」
で、最終的には「死ね」
この人はアンチ反出生=誕生肯定支持者からみても看過できないんじゃないの? >>638
それを人をメクラ、死ねという人に向けては絶対言わないのな >>638
少なくとも僕はそんな暴言は一度も吐いてない
反出生でくくって目の敵にする人に哲学がどうとかは言われたくないな >>638
まず人を 反出生 でくくることからやめようよ 全く身に覚えがないのに
「マルチするなって書いてあるだろ、メクラ」って言われればこいつ頭おかしいって思うだろ
キチガイは売り言葉に買い言葉で申し訳なかったが、事実じゃないのか 思考停止を書いたのは俺だが侮辱として用いた訳じゃない
出生の善悪を定める、そんな議論を人間がしていいはずがないって結論が出てる人間に対して結論が出てる以上はそれはもう思考停止だってことを示唆したまで >>641
誕生肯定とか全く興味ない反出生への怨念を抱えた病人の仕業だからセーフ 自分が与える苦痛には鈍感な反出生
苦しみは良くないと言いながら、自らは不快感を与えて平気という矛盾
自分には甘いのね 自分は誰彼構わず反出生でくくってはかなり酷いことガンガン言うのにさ
少しでも返されるとお前ら反出生はほらなやっぱりってマッチポンプ過ぎるよ >>647
誕生肯定スレで死ねとか平気で言う自分達にも言えば 「俺はお前らが嫌いだから攻撃するけど、お前らは倫理的だから反撃すると矛盾するよなぁぁぁ〜(ニチャァ」
馬鹿みたいだ >>530の例えが反出生のどういう部分を表してるのか、さっぱりわからんのだけど?
例えとして適切なの? 病んだヘイター系アンチと関わると毎回そうなるもんね
アンチから先に殴りつけて来るから普通の反応でみんな怒るし嫌がるのに
そうするとそんな態度取ってて何が倫理だ道徳だって馬鹿にされて責め立てられるの >>652
これをやって「反出生を論破した!」と思い込んでる節さえ感じられるのが怖い >>653
立論者=観測者
モニターの映像=この世界
地震と津波=この世界の苦痛や不幸
0人=非存在
1人=存在 また全ての反出生絶対許さないマンが暴れてるのか
医療にかかれば楽になるかもしれないよ 煽り抜きでそう思う
何かの属性の個人に嫌な思いや怖い思いをさせられて、その属性にいる全員が憎悪や恐怖の対象になるところまではわかるけど
その憎悪や恐怖がまるで収まらない、同じ属性の人間の個別性がまるで見分け出来ない状況が長期間持続するって立派な治療対象だよ
専門家の助けを借りてでもきちんと心の傷を癒したほうがいい 肉を食べるビーガン
暴言を吐く反出生
矛盾もいいとこ
何が子供に優しい思想だよ全然だろ >>659
なんで反出生でくくるかな
僕がいつあんたに一回でも暴言吐いたって言うんだよ
無実の相手殴りつけながら優しく居ろっておかしいって気付けよ 赤の他人に反出生のラベリングしては見境なしに暴力振るって八つ当たりして自分自身の傷や苦痛と向き合うことから逃げ回ってるだけだもんな 反出生=ベネター論ではないのはそうだが、ベネター論以外に理論的強度がなさそうだが そもそも反出生自体がベネター論を拠り所にしている節がある
例えば非対称性はベネターのオリジナルだが主張の端々に見受けられる そうか?
その割に批判者は誰もまともに0人がいいか1人がいいかすら答えない 反出生否定することが即誕生肯定じゃないと思うんだけどな むしろ反出生の中には誕生肯定が内包されてるし、誕生肯定の中には反出生が内包されてる気がするけどね >>656
・非存在より存在の方が苦痛だから非対称性理論は正しい
・非存在と存在を比較するとおかしな結論が出るので非対称性理論は誤謬
二通りに解釈できて面白いな 苦痛が悪と結び付いているのに何故か快楽は善とみなされない
悪を無くす為に苦痛を無くすというのなら、善を生み出す為に快楽を生み出そうとすることも成り立つ
苦痛=悪でありかつ快楽=善であるなら、苦痛をなくすことが善であると見なすには不十分であり快楽が必要になる
ここに明らかな論理の飛躍?誤謬が見受けられる >>670
この例えだけでシンプルに考えればおかしなことには絶対にならないだろ?
どこがどうおかしくなるのか教えてくれ >>671
快楽の追及が善行になるのか
確かに直感に反する気がするな >>671
ベネター論でも快楽はちゃんと必要であり善いとみなされてる >>674
そうだよ?だからベネターの論が破綻してると言ってる >>675
破綻はしてない
何故か
そこで0人と1人だよ >>672
言われてみると確かに何がおかしいんだろうな?
そんなクリエイティブな発想できなかったからうまく言語化できないわ
普通にすごいと思うけど、なんていうか意味がない事してない?みたいな感じ、よく分からんw ベネター論は分哲チックだけどガッツリ大陸哲学の系譜だから
分哲やってればあんな頓珍漢な導出は不可能 >>679
何処がどうそうであるのか説明出来ないんじゃないか >>677 つづき
うーん、0人=非存在、の部分かな?
イコールじゃないと思う 要は反証可能性がないんだ、ベネターは所詮くだらない駄文でしかないって分かったね >>683
感情任せの悪口はいいわ
読んでてもおもしろくない まず前提にあるのは生まれなければいけない、その必然性を持った非存在が居ないという事実
ベネター論をダブルスタンダードと断じるからにはその必然性を証明する必要があるはず
だがそれは最初から誰にも不可能だろ
作られる前に作られないと不都合を抱えてる子供が存在してるなんて 詭弁に反論を求める承認欲求だけは評価し得るが
生粋のエゴイストだと言えるだろう >>688
それだと作られる事に不都合を抱える子供も存在しない事になるな >>690
その通り
その 存在しない ことこそを善とする理論が反出生だからな >>684
もうちょい考えてみたけど「擬似問題」を作ってるように思うからかな?
あってるかちがってるかは自信ないけど、こんな感じのパラドックスが起きてるように思った
https://ja.wikipedia.org/wiki/擬似問題
まあ俺も勉強中なんでw >>693
お宅さんは地震と津波の起きてるモニターに映ってる人間の数で0人と1人ならどっちがより良い状態だと判ずる? 真面目に話してる相手を馬鹿にしか出来ない奴は人格障害ってことで >>606に尽きるんだよ
出生にも反出生にもそれぞれの正しさや効用、長短が備わってる
反出生サイドはこれまでもそれを踏まえて議論を重ねて来た
だが批判者とアンチサイドは意地でも反出生の正しさを認められない 凄いな、無知を棚にあげて逃亡者呼ばわり
まあ、これが似非倫理を語る人間の民度という事 といって出生の正しさも全然立論しようとすらしないけどね
毎回 相手に答えさせておいて自分は答えずに人格否定で終了 こういう意味の言葉だよで済む話しなのにね
いきなり無知扱い、論理的な話し出来ない人間扱い >>722
正しさを立論する必要がないのは自明だからだね
結局ロジックは>>715のクワス算といった恣意性を払拭出来ない
論理そのものが不完全であるというのは既知だろうけど、そういった生産性皆無なリスクを取る必要性がないというある種の余裕から来る判断だね
証明しようがないものを立論しなければならないというポジションにはない >>728
クレクレは甘えだって教わらなかった毒子 極力感情論抜きで穏やかに話しが出来る誕生肯定民いないかね 分かっててわざと挑発してる奴はちょっとな
十分哲学してるのに >>729
もっともらしい言葉だけ並べ立てては議論放棄して逃げてるだけだね
なんのためにここに居るの >>732
煽ってるのは俺じゃない
俺は回答と回答求めるレス以外してない 0人か1人かって例えどっちがいいかは、0人がいいと思う。
こう答えたらなんか証明されるの? >>742
少なくとも論理的にはされないな
恣意的にはされうるがw >>733
俺はその人じゃないから応援されても
疑似問題だとしても独自理論組み立てて理詰めで考えてる人間に向かって
よく挑発しようと思えるな
そんな事よりどこがどうおかしいと思うのか説明したほうがいいし
反出生のアンチが性格悪いと宣伝してるようなものだと思うぞ
そんな事やってるから虐待親の行動と相関関係上がってああやっぱりってヘイト買うんだよ >>752
>>734
ブチギレてアンカミスったわ >>751
そのレスは答えてはいないだろ
質問に質問で返してる 恣意的おじさんまだ居るんだ
とっくに論破されたのに >>757
必死の印象操作乙
勝ち負け白黒脳も邪魔だから消えて >>755
0人がいいと思うと答えてるが?
これじゃだめなのか? >>759
エア勝利宣言と人格攻撃しか出来ないおじさん おやすみぃ >>761
キャッチボール形式で落ち着いて話したいんだ >>763
ok
0人がいい。
犠牲者がいないほうがいいと思う。 反出生なんて言葉にすがってるだけだから虚しくなるだろうな
そんな事が慰めになると思い込んでるだけで >>764
Thx
だよな
ごく普遍的な善悪の価値判断を下す多くの人がそういう答えをすると思うんだ
そのことには同意してもらえるだろうか >>771
Thx
つまり、世間一般の常識的なモラル、価値観から判じたとしても(特殊な価値判断由来ではなくとも) ある特定の対象がそこに存在しない状態 こそが最善だと導かれ得るケースがある
この理屈に特段の矛盾や破綻は起きていないことには同意してもらえるだろうか 特定の対象?なんかストレートな言い回しでなくてわかりづらいけど、同意。 おつおつ、立論しまくりだね、精が出るね、おやすみね >>777
Thx
ここで言う特定の対象は人間存在と思ってもらえればいいんだ
だから、そこに人間が存在しない=人間が非存在になってる状態こそが人間が存在する状態よりも良いっていう一個のパターンがここで成立した
ここについて質問なり反論なり批判なりがあればカモン >>780
あの例えに沿って考えると、津波や地震といった圧倒的な力が現前している状態だから、いないほうが良いと答えたけど、穏やかな状態ならいてもいいと答えるでしょう。
条件次第。 >>785
条件次第は了解
ただ 一個のパターン として 非存在こそがベター の理屈が成立したことに同意出来るか出来ないかで答えて欲しい >>788
同意。
スミマセン。
丁寧に答えていただいて申し訳ないですが、眠くなってきました。
キリがよくないですが
よろしければ、また明日にでも
相手していただけたらと思います。
お休みなさい。 人間は馬鹿だから自分が経験しないと分からないもんだろう
反出生は人間を合理的に捉えすぎてる >>793
Thx
こっちの希望を聞いてもらえて、付き合ってもらえて嬉しかった
お陰様で救われた思いだよ
レスしてみて良かったと思う
ありがとう
おやすみ >>797
どの部分がどう誤謬なのか説明出来ないならただの因縁 出生肯定とかただのパフォーマンスだよな
反出生じゃあるまいし 津波対策や耐震性強化のための経験は度外視ね、いつものこと
その経験を活かして次の犠牲を減らす、などは考慮されない局所的発想 少なくともアンチみたいに底意地悪いハラスメントに喜び感じないのは確か 別の議論、として射程外とするのもいつものこと
生きる以上はその連続性が常に発生するが、それを考慮せず、出生だけにフォーカスする 現実との整合性や適合性に欠く論理を必死に考えたところでなあ だって反出生で全部の問題解決出来ないから、不完全だから気に食わないって反論としてのテイをなしてない
それに気付きもしないで大威張り
アンチ恥ずかしい >>818
それなんだよな
人間を無理矢理生む側と生まれる側に分けて、生む側を何故か決まって人格者設定にする
現実に人口は増え続けてんのに、明かに偏りが酷いサンプルでしかない >>823
不完全にきまってるでしょ
逆に完全な理論って何 >>829
不完全という前提で話したいだけなんだよ
なのにソッチは理論に同意ばかりを求めるじゃないか >>829
完全だなんてここの誰も言ってなくない?
脳内バトルは脳内でやってね >>830
同意できるはずの部分まで感情的に否定するのはどうなの 反出生をどこまでも馬鹿にしながら、永遠に人を馬鹿にするためだけに集ってるのが誕生肯定民てことで わざわざ言うまでもない話なんだろうが、
犠牲者が0か1かで単眼的にこの場合に限って0が善いからとして、
犠牲者1が悪であり今後こちらの悪を100%の確度で拒絶すべきかといえば、
必ずしもそうではなく、
1の悪を経験することで、次の犠牲を減らす-1~-nという対策を作り出せる可能性即ち連続性による恩恵の発生を考慮すれば、
一概に、1の犠牲を悪とし0を善と定める事が常に合理的あるいは妥当であるとは言えない。
仮に次の有事が発生した際、事前に1の犠牲から得て生まれた恩恵があれば少数の犠牲で済ませられるが、0のまま何も耐性が無い場合であれば莫大な犠牲を生じさせてしまう可能性がでてくる。
といった形で多少なりともこれが反出生の否定と誕生肯定への理屈になるか?そもそもあの例えに即して考えるのが合ってるかは分からんから何とも言えない。
勿論到達地点としては相互に犠牲者ゼロであるかも知れないが、リスク管理の観点でどちらがより理性的でまともかと問えば言わずもがな。 最後の部分が個人主観でしかないでしょ
危険が予測されてる場所にわざわざ人を置くのと行かせないので考えれば後者の方がリスク管理としては上になるんだから
ケースバイケースなんて当たり前
反出生側が言葉選んで話してても必ず無為にされるっていうのもね 無痛文明とやらも、結局は痛の経験を活かして痛を回避する目的で形成した技術等々の集積で到達するわけだからな
誕生肯定と反出生は、経験を活かすか殺すかの違いかな? 人を置く事を想定した場合と置かない事を想定した場合の重ね合わせ確率が何故か観測者の意志で収束するようになっている
要は物理定数度外視で解釈次第という事 >>853
だからね、その場所が何故危険だと予測出来るのかも、行かせないと判断するのかも、以前に何らかの犠牲を含んだ経験があったからでしょうよ
その経験値で得た一切をゼロにしてしまうつもりじゃない、反出生主義って >>857
間違いではないと思うぞ
反出生は理論上生まれないが先に来るんだから >>858
間違いではないにせよ、反出生主義を採用した場合の連続性を考慮した際の最終的な到達点がね
まあいいや >>859
倫理という言葉のニュアンスが若干異なるのかもな
ブラックジャックでいうDr.キリコ的な ターミナルケアの観点から捉え直せば又違ってくるかもな 1苦痛は悪い=わかる
2苦痛は減らすべき=わかる
3苦痛を0にするためには存在がないのが最善=わからない
という立場なんだが、モニターの例えの人は2に同意するなら3も認めなきゃおかしい、って事かな?まだいるかわからないけど 人間は人生を過去を未来を実際より良いように見積もる
それをポリアンナ効果という >>869
そうかなあ?
良いことよりも悪いことの方が記憶に残ると思うけど >>868
3が理屈、理論としては成立してることを認めないのはおかしいって立場だよ
認めた上でそれを支持する、反対する、他の方法論を探るとかはどれも任意だし自由
ただ、まず最初に「生命主体の苦痛や不幸を減らすなり無くすなりの方向性を希求していく」っていう目的がある時に「苦痛を被り得る環境下に予め生命主体の存在を置かないでおく」は正しい方法論の一つになるはず
その 数多くある正しさ の中の 一つの正しさを反出生への嫌悪感や反発で一切受け入れられない人間も多い
それは出生/反出生/誕生肯定の議論に向かう時には公正な態度とはとても呼べないだろと思ってる >>871
レスどうも。なるほどね。理論として成立している事は間違いないんじゃない?
なんで津波や地震のような苦痛「だけ」を考慮して、他の要素を考慮しないのか疑問だったが
そもそもそこが論点ではないと言うことね >>872
上でも書いた通り
この例えで「海辺」とはこの世界だし、「地震と津波」はこの世界に存在する生命主体の身の上には常時起き得るだろう苦痛や不幸の全部をそこに集約させて表してるんだ
ある一個の生命主体が苦痛や不幸な事態に被災せずに済むことを第一義として求める時にはここの批判者が繰り返すような「全体で見てその被災の経験からの学びが有用なのである」って論が筋違いなものになることもわかってもらえたらなと思うよ
だからそれぞれは別々の議論だって書いてるんだ
ある一個の生命主体の苦痛を削減する目的の遂行と生命主体という存在の集合体、全体(総体)での苦痛を削減する目的の遂行とを並べる以上は時には利害の対立は当然のように生まれる
「個人」と「社会」の利害が時として鋭く対立するのと同じで 簡単な例えで理論の説明をしただけなのに「観測者にはなれない、傲慢だ」とか「津波の対策をしろ、不完全だ」とか滅茶苦茶なこと言われ放題でかわいそう
反出生に絶対的な正誤判定をつけようとしているわけではないからね >>874
Thx
罵り合いやケンカや戦争がしたいんじゃなくて対話や議論がしたいと思ってるんだけどな
同じ思いでここに居る人、こっちのその思いを汲んでくれる人とじゃないとそこは難しいみたいだ
ありがとう 地震や津波という被災が不特定多数への苦痛が前提となっている事象なわけだから
全や個って括りで違うって指摘自体が筋違いじゃね
例えが悪いんだぜ 津波の例えはまあ理解できるけど
なんで観測者目線なん?俺ら人間でしょ?
ってツッコミも信じようとしては理解できるかな
ところで>>868の2と3の間の飛躍はどう説明されるべきなんだろうか?
苦痛の回避を考えるなら産まないのは確実、というのは事実とは思うけど >>880
子供を一人この世界に作り出して生み出すことはその子供にとって自分の生きる世界の全部を与えられるのも同義だろ
つまり子供を作り出すっていうのは子供にとっての創造主、神に匹敵する存在に自らなることでもある
立論者=観測者=神 子供を作る側=モニターに映る人間の数を0人にするか1人にするか管理、選択出来る側 イデオロギー対立に匿名掲示板での簡単なやり取りで白黒つくわけない
それを言い逃れだの狡いだのほざくアホがいる 親は世界を作った神と同じようなもんだな
子供から見れば、だけど
なら神様目線でも良いんじゃねーか? 対立というか昨夜話してた人も言ってた通り
「条件次第」というのも出されて当然の判断基準で
何故なら何も起きてない海辺は風光明媚な美しい快適な場所かも知れない
大勢の人がレジャーを楽しむ活気に満ち溢れる幸せな場所かも知れない
そこを強いて、その場所に存在する人間の数を0に留めおくこと、0人であることを最善と断じることに違和感を覚える人間も居て当然なんだから 神なら生命を誕生させても良いってことになるのでは? 自ら神同然の存在になる覚悟を持って親になる人間はどのぐらい居るんだろう 地球の最適な人口は0人
生物が存在しない地球の美しさは素晴らしいだろうな >>465
〉誕生して存在になってしまった以上はそれ相応の価値判断や倫理的制約を受けるのは当然ですよね(殺すのは悪いことだ、死ぬのは嫌だ、等)
いや、既存の価値判断とか倫理とかは反出生主義者でない他人たちが作ったものなんですから、そんなものに制約されるいわれはないですよ。
自分の価値判断や倫理に従えばいいのです。
〉残念ながら生まれてしまった以上は、単純に「死ねばいい」という話しではなくなってしまうのです。
ですから「なくならない」という話をしているのですw
いつどこで生まれて、今までどんな制約を受けて、等々は、すべて「過去」ですから、関係ありません。選択できるのは「未来」だけです。人間は常に「今」生まれるしかないんですから、生まれなければ(死ねば)未来は非存在のままです。非存在なら、価値判断やら倫理やら他人との関係やらの制約も一切ありません。それも含めて「未来のどんな可能な生より非存在の方がいい」と考えるのが、反出生主義の真骨頂でしょう。
ですから他人(悲しむ家族とか困る職場の同僚とか)のことは置いておいて、自分に関する限り、単純に「死ねばいい」という話にしかならないのでは? とお尋ねしているのです。 >>467
〉「死ぬのは痛くて苦しいかもしれない、怖い、死にたくない」と主観的に感じるのは普通です。
それらはすべて「生」の内容です。生きているから、そうなのです。「痛いのは生きている証拠だ!」とかいうセリフが、昔のつまらないスポ根ドラマとかにはよく出てきましたw
死んだ後で「痛い苦しい、怖い、死にたくなかった生き返りたい」等々と感じる人はいません。主観が存在しないんですから、当たり前です。
そもそも、「死ぬのは怖い死にたくない生きていたい」、というのは、>>88のいう「生存中毒」の症状なのです。これは問答無用で生の全体を支配する力であって、精子や卵子だろうが、胎児だろうが、生きている個体だろうが、全て生ある存在は、この支配下にあります。
それこそ、ショーペンハウエルの「盲目の意志」とか、シオランの「肉が災厄のように繁殖していくこの呪われた惑星」とかいう表現を、我々のようなんバカにふさわしくw言い換えると、この「生存中毒」となります。
その意味では、「自分は生まれたくて生まれたわけではない!」という言い方は、必ずしも正確ではありません。精子や卵子の段階であれ胎児の段階であれ、終始一貫して「生まれよう」という力に衝き動かされていなければ、個体が生誕にたどり着くいわれはありません。 で、この「生存中毒」は、普通の人にとっては当たり前のことに過ぎず問題でも何でもないのですがw、反出生主義者にとっては「諸悪の根源」であり「克服の対象」となります。
例えば「薬物中毒」は、自分の意志で克服するのは不可能に近く、患者の意志を無視して力づくで治療しないと克服は難しいそうです。
「生存中毒」も同じことで、「未来のどんな可能な生よりも非存在の方が良い」と頭で考えていても、「死ぬのは怖い生きていたい」という目前の誘惑は強烈で、逆らうことはできません。だから「未来の非存在を選択する」=「死ぬ」=「生まれない」ことは、容易ではありません。
だからこそ、「当人のためになる正しい選択」をするためには、当人の意志を無視した、他人の強制的な治療が必要です。しかもこの治療たるや、薬物中毒のそれのように長く苦しいプロセスを伴うわけでも、効果が不確かで常に再発やリバウンドの危険があるわけでもありません。
治療は一瞬、効果は普遍的で完璧かつ永続的、という、お値打ちお買い得の代物ですw
「反出生主義は、論理的には殺人を奨励する思想になるしかないのでは」とは、こういう意味です。「妊娠中絶」も広義の殺人の一種です。 >>468
ええと、お話はわかりますが、あなたはどう見ても反出生主義とは程遠いとしか思えません。
私は反出生主義者でも何でもなく、妊娠中絶を勧めるつもりも全くないので、誤解なきようお願いします。
>>530
反出生主義の観点からは、できるだけ大勢モニターに映っている方が良いのではないですか。
多くの人が、「生存中毒」から逃れる可能性があるんですから。
むしろ「全人類」が映っているのが理想のはずです。地震や津波というより、小惑星の衝突みたいな例えですが。まさにこの惑星の「呪い」が一挙に解けるw千載一遇のチャンスです。
逆にお聞きしたいですが、例えば津波の第一波が去って第二波が迫っている海岸に、多くの死体が映っているのと、同数の気絶している人が映っているのと、どちらが良いですか?
普通の人なら「一人でも生き延びる可能性があるなら、気絶してる方が良いだろ!」と答えると思われます。
これに対し、反出生主義の観点からだと、死体の方が良いというしかないように思われます。
死体なら、第二波が来てもモニターに映る苦痛の存在はゼロですが、生きている人が大勢いると、多大の苦痛は不可避で、死なずに生き延びて寿命が尽きるまで苦しみ続ける人も、何人も出る可能性もあります。
実に不思議でならないんですが、自称反出生主義者の皆さんは、苦痛は嫌だとか、人権とか生命の尊厳とか何とか、いわゆる「常識的」な価値観から、反出生主義的な結論を導けると、本気で信じているのですか? この世の全てを支配する「生存中毒」に根本的に矛盾する「不自然な」思想なんですから、それは、土台無理な注文というものです。 >>890-891
はい。ですから、生まれた存在は皆「生存中毒」とやらに取り憑かれるので、それを克服するのは並大抵の精神力では不可能です。超人的な意志と精神力、或いは、死んだ方がマシと思える強い不幸や苦痛がないとそうはなりません。
本当は早く無になりたいと思いながらも、生存中毒のせいで生きている人は多数いるでしょう。
これはいくら反出生主義者が「生まない事が最善」という思想を持っていても覆りません。何故なら、「他人を創造しない」と「自分が死ぬ」は全く違う現象だからです。
そのような意味が私の述べる【制約】であり、その制約があるが故に「死ねばいい」で解決する話ではなくなってしまうと申し上げてます。 >>886
快楽と苦痛の非対称性
非存在が幸福を味わう必要は全くない
幸福を必要とするのは存在者だけ 過去レスでは主観的視点に限定すると言いつつ、モニターの例えで観測者視点を導入したり殺人推奨と言ってみたり、一貫性がないね 長文連投さんは持論に陶酔してるのか、色んな批判を受けてもゴネまくってゴリ押し否定するからなあ
エゴ 「生存中毒」を踏まえても非対称性論は非存在者にしか適用されないと考えるのが現実的に妥当だろう
しかしモニターの話だと結局存在者に判断を委ねているから真偽の判断が難しくなりそうだ
存在者の観点からしても津波に飲み込まれない方が良いと判断するのは十二分に考えられる訳だから これから存在するかもしれない非存在者と
絶対に永遠に存在者にならない非存在者ではまた違うのかも?
「未来の子どもたちのために地球環境を守ろう」と言うのは別に変じゃないもんね。
非存在者の利益や幸福や苦痛の削減を考えている >>894
特殊ルールを作って生存者だけ「非存在であるべき」から除外しているように思う
生存中毒=悪しきもの、とするなら生きてる人も全員死ななきゃいけないことになると思う
そこに恣意性を入れていいなら「~人だけは生きてもいい」みたいな話が通ってしまうと思う
そういうふうに取る人からしたら恐怖でしかないと思う >>894での【制約】について補足すると、私はこの制約(生存中毒)を無理に克服する必要はないと考えます。
生まれた存在は生きたければ生きればいいし、死にたければ死ねばいいと思います。とは言っても、いくら死にたくなくても最終的には死ぬことになりますが。
長文連投さん自身が仰っていた通り、主観的視点のみを問題にすべきではないでしょうか。すなわち、他人の生きていることに干渉する必要がないという意味です。
>>902
特殊ルールw
そりゃ存在と非存在は区別して当然でしょ 難解ジジイが難解じゃなくなってるやん!
この人一貫性がないんじゃなくて伝えるために説明の切り口を毎回変えてるんだと思うぞ >>903
>>そりゃ存在と非存在は区別して当然でしょ
もしそうじゃなかったら?って思わない?
命にかかわる問題だから俺ならそんな簡単に結論を出せない
自分がよく間違える事があるのを知ってるので >>905
大事な視点だな
どこかの神様やモニター管理人と違って、自分が単なる1人の人間にすぎない(だから間違える事もある)事をわかっている
でもここの住人は「議論を放棄してる」だの「思考停止だ」だの言うだろうね。
不可知論も立派な思考なのに 反出生さんはベネターよりもエドマンドバークとかの保守思想を学んだ方が良さそう
理性に頼ることがいかに危険か。
人間が常に正しい行動ができると言う謎の前提があるもん。一歩間違えば優生思想になるって当たり前の話なのにね >>905
生まれる前の非存在を存在にする/しないの選択は他人が任意に決定します。
それと同様に、生まれた後の存在を非存在にする/しないの選択を他人が任意に決定するのが望ましい、或いは、全ての現存在は直ちに死ぬべきだとする考え方を検討するということ?
あなたの考えの方が余程恐ろしいと思いますが
ここは区別するべきではないでしょうか。 >>908
そうそう
そういう事になるんじゃないの?って怖くなってこないだ寝れんくなったんだわw
恐ろしいから区別する、っていうのはちょっとちがくて、
恐ろしくなったのなら、もしかしてどこかでロジックにバグがあったんじゃね?って思うわけよ
まあ俺はベネター理論懐疑派の反生殖派(今んとこ)なので津波っさんが嫌いというわけではないので頑張ってくれ
手の平クルクルマンだから転向するかもしれんけどw >>910
ロジックのバグというか、全く違う現象ですからね。 >>913
あー、ごめんなさい
長文連投さんとあなたの区別はついてる(多分)
長文連投さんが「主観的視点のみを問題にする」と言いつつ、>>893でモニターの観測者視点で「死んだ方がよい」と言ったり、>>892では「殺人推奨」と言ったりしているので、コロコロ変わるなーと思った。 いくら頑張って持論を展開しても「生まない」と「死ぬ」は全く違うから
引くべきところで引かないと強弁垂れてる面倒くさい人になってしまう
もう手遅れかもしれないけど 生殖否定の結果だってとんでもなく重大だが
本当に間違った考えではないんだろうか?ってことに気付いてしまったぞ
けどそうなると同意不在論とかギャンブル論と矛盾をきたすので
また考えなくちゃいけないんだが今日は燃料切れでここまでだ 生存中毒なんて本当にあるかな
日本の若者で、安楽死制臨んでいるの多いだけど。自殺も多いが
アメリカだと白人ワープアや低学歴層がヤクやアル中、自殺率が増えている。大麻解禁も同じベクトル https://news.yahoo.co.jp/articles/086f98283b77e7767adea762c0e5b7d58a8d4f73
「5人家族のうち父、兄、妹が自死。母親は離婚後は疎遠に…」 京アニ放火・青葉真司被告が陥った過酷な家庭環境“負の連鎖”
スレタイ、能天気で非現実で笑える 新自由主義は人を人とも思わない残酷な思想
反出生主義と親和性が高いと思うわ
俺は低学歴で哲学なんて語れないがそう思う >>920
「縁」と言う言葉は結婚などの良いことだけでなく
凶悪犯罪にも使えると思うわ。誰だって縁次第で犯罪者になりうるのにね。
自分だけは加害者にならないと言い切れるのは、意志や理性の力を過信しすぎるから。あと想像力がないから 意志や理性の力で出産を辞めようと言うのが反出生主義なんだけどわかってる? 生存中毒は基本仕様としてはあると思うが、思考や経験によってそこから抜け出す人が多いのだろう。 誕生肯定は良い思想だと思うが、反出生主義への反論としては弱いよね
少しでも前向きに生きられるようにする為の支えのようなものだから 思考は変えられても経験がね
生きてる限り嫌な事は五万とあるし
だからこそドラッグやギャンブルに手を出すんだろうけど
反出生主義もその延長だと思う 反出生主義の人で優生思想と反出生主義の違いがわからない人がいるよな 反出生の議論しかないね
それに絡めた誕生肯定の話はしないの?
まぁしないでもいいけど >>934
な?議論する気ないだろ
なら最初から森岡スレじゃなくて反出生スレにしたら良いのに。
本も読まない無料の論文さえ読まない。
じゃあなんでわざわざここにいるの?
単にベネタースレが無いからこっちに来ただけ?
反出生が嫌われる原因がよくわかったわ、君らは本当は議論も対話も求めてないんだろう >>894
〉「他人を創造しない」と「自分が死ぬ」は全く違う現象だからです。
一言で言うと「未来に人間(苦痛)を存在させない(生まない)」ための手段であるという点で、全く同じなのです。問題はそれだけです。
>>896
すいません、「主観的」という言葉が誤解を生んだようですね。「個人的」という意味です。
要は「生まれるとか死ぬとかが問題になっている、その当人の利害、その当人にとっての良し悪しだけを問題にして、それ以外の人(例えば親)の利害は問題にしない」ということです。
なぜかというと、反出生主義(正確にはべネター風論理)が、そういう思想だからです。「生まれてくる可能性のあるその赤ん坊にとって、生まれてくる(存在してしまう)ことは悪で、生まれてこない(非存在のままにとどまる)ことは善である。だから、親がいくら産みたくても、社会的に必要でも、子供を産んではならない」というのが、その趣旨です。
本当は、これ自体があまり根拠のない話で、世間的にはむしろ「子供は大人にとって必要だから産むんであって、まだ存在もしてないやつの利害なんぞ知らん!」で話は終わりなんですがw、それでは反出生主義の論理の検討にならないので。
ここで問題なのは、反出生主義が、生まれる前は非存在で、主観的な意志もなく、また生まれた後にどんな人生を歩むかも全くわからないのに、そういう区別は一切問題にせず、とにかく「子供は生まれない方が本人にとって良いのだ! それが普遍的客観的な真理だ!」と、断定していることです。そういう種類の、いわば主観的個別的な事情を超越した「神の視点」の論理なのです。 その根拠は、例の「快苦の非対称性」に関する謎理論です。簡単に言うと
「存在する可能性のある快(幸福)が結果として存在しないことは、何ら悪いことではない。存在する可能性のある苦(不幸)が結果として存在しないことは、無条件に良いことである。これは客観的な真理なので、その快苦を感じる主体(主観)が存在しなくても、関係なく成立する!」
というものです。
ちなみに、何を根拠にそんなことが言えるのか、いくら考えてもさっぱりわかりませんw
以上のような頭があったもので、モニターの例で言うと、そこに映る人たちはすべて、上の例でいう「赤ん坊」として考えております。その人たち一人一人の利害だけを考えて、観測者の利害等は考えておりません。
というか、上記の「謎理論」を適用する限り、何しろ普遍的な「神理論」ですから、本当はその種の視点の区別は一切問題になりません。とにかく「いかなる可能な未来の生よりも、非存在の方が誰にとっても良い。それが、客観的な真理なのだ!」ということにしかならないので、観測者だろうが、観測対象だろうが、現に幸福だろうが不幸だろうが、主観的に何を考えていようがいまいが関係なく、世界に存在するどこの誰(何)であれ、今すぐ死ぬのが客観的に最善である、という結論にしか、ならないはずなのです。 実は、べネターもそれでは困ると思ったからでしょうが、「生きている人が死ぬのは悪い」と言いたいがために、「現に存在する快が剥奪される場合は、快の不在は悪い」みたいな留保を付けているのですが、これは意味不明で、なぜそうなのか、の説明がそもそもないのは別としても、全然話になりません。
「現に存在する」快であれ苦であれ、次の瞬間には必然的に過去、「非存在」となります。また未来に存在する可能性のある快苦は、未来ですからあくまでも「非存在」です。
「死ぬ」ことの本質は、「非存在の未来が、非存在のままになる」ということであって、その限り「生まれない」ことと、本質的な違いはありません。
誰かが死んでも、「剥奪される快」も、「快を剥奪される主体」も、どこにも存在し得ません。エピクロス風に言うなら、「死ぬ前には快は剥奪されておらず、死んだ後では主体が存在しない」ということです。
ですから、上の留保は、全く留保になっていません。というか、これはべネター本人も薄々気づいています。
そもそも、反出生主義は結果的には「絶滅の論理」になるしかないので、この結論に至るのはごくごく自然なのです。本人も「理想の人口はゼロだ」と言って、絶滅を肯定しているんですから、その理想が今すぐ実現して何が悪いというのか、どうもさっぱりわかりません。
恐らくこの板にいる自称反出生主義者の人の大半はこの「絶滅の論理」自体に否定的なのだと思われますが、子供が生まれなければいずれ絶滅するに決まっているので、これは実におかしなことです。
「どうせ少数派の理論で、みんなが従うことなんか、有り得ないでしょ」という意味にしか取れないのですが、それは、哲学的な思考のあり方としては、ちょっとどうかと思われます。 死ねば無になって、苦痛を受けたという事実も存在しないとなれば、ちょっと拷問を試してみてもいいかな 過激で先鋭化されたテロイズムに走らなければ哲学的ではないなんてことは一切無いだろ
むしろ哲学として扱うからこそ達成不可能性を織り込み済みで、それでもそのことについて話すんだ >>942
そこを何とかしないと生まれ続けるのにな >>939
>「死ぬ」ことの本質は、「非存在の未来が、非存在のままになる」ということであって、その限り「生まれない」ことと、本質的な違いはありません。
非存在のみを問題にして存在は問題にしないという、かなり特殊な視点で【死】という現象を捉えているのが噛み合わない原因だと思われます。
言うまでもない事ですが、【死】は生物に生じる物理現象です。あなたの述べる【非存在の未来】という概念では共通していても、実存レベルではやはり【生まれない】と【死ぬ】は異なる現象なのです。【生まれない】とは無が無のままであること、【死ぬ】とは有が無に変化することです。これは解釈や視点の違いではなく純然たる事実であり、覆ることは絶対に有り得ません。
当然ながら、無と有は区別され、それぞれに異なる価値判断が為されます。(例:生存中毒)
以上が、必ずしも反出生主義を支持することが積極的な死亡推奨にはならないことの根拠です。
数日前にも述べましたが、私個人としては生存中毒を悪とは認識していません。私が述べる生存中毒とは「生きたいと欲求すること」です。これは生まれたが故のサガなので憎んでも仕方ないというところです。ですから、生きたい人は生きればいいですが、生存中毒から解脱して死にたくなった人はさっさと死ねばいいと思います。つまり、本人がそう欲求する限りに於いて死ぬことは悪くないという立場です。
初めから非存在のままが最善なのは言わずもがな。 輪廻転生があったらどうするの
自殺者は地獄へ行くと、どの宗教でも結構言ってないか
唯物論的な世界がガチなら問題ないが、そんな保証もない 殺人者も同じことかな
あの世があって、そこで生前の咎を贖うような仕組みがあった場合、死ねば無になるからOKとは全然ならない そういう仕組みって、超越的な力を持つものがいれば、出来なくもないんじゃないか あえて迷信的な観点を言ってみようか
世の中には身体が合体したまま二人羽織のような過酷な状態で生きている重度障害者がいるが、もしそれが前世での悪業の報いだとしたら、死ねばOKはなくなる
青葉然り、加藤然り >「どうせ少数派の理論で、みんなが従うことなんか、有り得ないでしょ」という意味にしか取れないのですが、それは、哲学的な思考のあり方としては、ちょっとどうかと思われます。
これは半分正解です。ベネターは全人類が出生を辞めて滅ぶのを理想としつつも、本人が「それは有り得ない」と明言していますし、反出生主義者達もそれは事実として認めざるを得ないのです。
しかし、ベネターの人類滅亡への言及が一人歩きをしていますが、そもそもは他の思想と同様に思想の深度が支持者各々によってグラデーションになっているのが実情です。
例えば、「私は反出生主義に共感して生まないが、他人の出生には口出ししない(それが悪とは認識している)」という人も反出生主義者と言えるでしょう。
とにかく、【出生は悪】と判じる思想が反出生主義で
あり、それを強く主張して他人に干渉しないと哲学の在り方として不適切ということはないかと思われます。 もしビックバンを作れるような超越者がいるのなら、輪廻転生だろうが、あの世での贖いだろうが、簡単に構築できると思われるが
死ねば無に帰するの保証がないので、自殺や死ぬことが問題解決になるのか、つまり苦や不快のない無機物だけになるのかは全く定かでない
そういう意味でも自殺や殺人、悪行は死後のリスク負っている。プーチンでも同様 例えば、死後、無になるだけなら死ぬ前に、滅茶苦茶やってやるか、と考えていそうなのが、プーチンであり、青葉のような人間。唯物論者だが、もしこれが間違っていた場合、あの世や輪廻転生で大きな苦が待ち構えていることになる
麻原は自身の目が見えないことを前世での罰だと思っていると述べていたが、地下鉄サリン事件起こしたから、来世もまた目が見えないか、さらに酷い状態で転生もありうるのではないか 例えば植松は口も聞けない重度障害者は生きるに値せずと断じて殺害を繰り返したが、もしあの世があれば、植松自身がそういう口も聞けない重度障害者として、ペナルティとして転生することもあり得る
つまり、唯物論も神への盲信と同様の危うさがあるのではないかということ 中世の神学論争みたいだな
近代哲学のが好きだけどまあ悪口とかじゃないしいいんじゃない べネターのロジックも暗に唯物論を前提しているのだが、もし、この世界が非唯物論的にできていた場合、机上の空論、ないものねだり、になってしまう
死後やあの世、輪廻転生があった場合は、そこでまた苦や不快に遭うことだろう。生前の行為によるペナルティさえ課されて、生前より大きな苦や不快が課されるかもしれない
そのとき反出生主義者ができるのは、自分の子供を作らない、くらいのことしか出来ない
また完全な非存在があるかも不明なのだ 秋葉原の加藤は自分の容姿や学歴、非モテであることに大きなコンプレックスがあったらしい。加藤の事件後、弟は自殺した
もし、輪廻転生やあの世があって、そこに生前の行為によるペナルティがあるとしたら、加藤はより悪い容姿や学歴、知能であったり、非モテとして転生するのではないだろうか
唯物論的な世界であれば、凶悪事件を起こした加藤や青葉も植松も麻原も死後は苦痛を免れるが、そうでなかった場合は、大きな苦や不快を死後も受ける可能性がある >>950
絶滅が理想だけど有りえない、で安心してるのか残念に思ってるのかどっちなんだろう
理想なんだから残念、だと本来なら絶滅頑張らなきゃいけないし
理想だけど別にいっか、だとそれ理想じゃなくない?って思う
あと個人の価値観なのかはっきりしてなくて二重規範な所があると思う >>949
ショーペンハウアーは人間の生きる意志は輪廻すると考えていたようだ。 >>957
いや、ですから人類滅亡をどう捉えるかは人それぞれですが、
そんな事を本気で考えている人は少ないと思います。
「出生は悪だ。多くの人々はそれを行うが、少なくとも私はそれを行わない。」くらいの認識の人が普通でしょう。 みんなの道徳と自分なりの道徳が違ってても別にいいってことかなるほど
民主主義を感じる
理論だから全員即刻自決しろ、だとテロリズムとみなされるんだろうか
他人に危害を加えることが理論的に導かれたとしても
みんなで決めるというシステム上、一応は不可能になってるのかな
どこかのよその国が怖いのはそういうところか 反出生を導く道徳規範そのものはごく普遍的な道徳的な価値観からであることはもう示した >>961
あのモニターの例えのことを言ってるんなら、あれでは苦しむ人がいない状態をつくる為に、人を生まないという手段に価値を認めるか認めないかという一番重要なところが確認できてないと思います。
目的には首肯したとしても、その手段に同意できないことはいくらでもあるし、そもそも反出生的な帰結(誰もいない状態の実現)には同意できないひとも多いと思いますが、そういったところはあの例えでは特に触れてませんよね。
あれが反出生的な例えとして適切であるかというのは、検討の余地が大いにあると思います。 >>963
理論に備わる道徳性、その精神性についての証明と展開をしたまで
反出生最終的にが導く結論への是非は予め任意で除外してある
その段階を踏まなければ感情で反応して絶対に理解しようとしない人間も多いからだよ
反出生を支持する人間を、ただそれだけの理由で頭ごなしに否定や拒絶して異端視しては排撃しようとする人間の巣窟で反出生っていう理論や思想への理解(賛同では無い)を求めようと思えば必要になる過程だっただけ >>944
〉無と有は区別され、それぞれに異なる価値判断が為されます
まさに、無(非存在)と有(存在)を超越的視点から比較して、
「無=善(苦痛を含まないから)」
「有=悪(苦痛を含むから)」と断定するのが反出生主義の本質だと思うのですが、違うのですか?
〉【生まれない】とは無が無のままであること、【死ぬ】とは有が無に変化することです。
捉え方の違いなので、それならそれでもいいのですが、それなら【死ぬ】は悪が善に変化することなので、どう考えても善いことだと思うのてすが、なぜそうならないのでしょうか?
海岸の例で、今そこに100人の人間がいるなら、津波の第一波で全員が死んで死体(非存在)になっているのが、反出生主義的には一番いいはずです。それなら、未来に第二波が来ても、恐怖も苦痛も全くないので。
しかし、時間を遡れば、100人全員が地震以前に死んでいれば津波に遭わなかったので、その方がより良かった、ということになります。それなら今モニターには何も映りません。子供の頃に死んでいればより良かったし、生まれてすぐに死んでいればもっと良かったし、そもそも100人とも生まれていなければ、それが考えられる限りの最善だった、ということになります。これが反出生主義の論理です。
〉初めから非存在のままが最善なのは言わずもがな。
というのは、そういう意味としか理解できません。 残念ながら時間を遡ることはできないので現時点に戻って、100人が不幸にもw第一波で死なずに生きているとしたら、「現時点で可能な最善の選択」は、第二波で全員死ぬことです。そうすれば、その後は何が起ころうと恐怖も苦痛も全くないので。
まさに「0歳児だろうが何歳児だろうが、今、生まれないのが最善」「次の瞬間に始まる未来の世界の中で、初めから非存在のままが最善」ということです。
反出生主義の論理を適用すれば、この結論に至るのはごくごく自然だと思うのですが。
ここの自称反出生主義者のみなさんの意見を総合すると、どうも
1.ある人が生まれる(あるいは受精する)前は、反出生主義の原理が適用される。その人は生まれるべきではない。その人が、未来に存在する(有=生きる)ことは、悪である。
2.ある人が生まれた(あるいは受精した)後では、もはや反出生主義の原理は適用されない。その人は生まれるべきでなかった、とは、もはや言えない。その人が、生命の自律性又は自由意志(=生存中毒)に従って、未来に存在する(有=生きる)ことは、善である。
と考えているとしか、思えません。
言い換えると「可能性としての存在は悪だが、現実の存在、実存は善だ」ということです。
しかし、これは簡単に言ってしまえば「生まれたもの勝ち」ということですw
「生まれるを境に、「悪」だったはずの「有=生命の存在」がどういうわけだか「善」に転換してしまうんですから、「生まれる」の効用は驚異的、画期的で、ほとんど奇跡、「神様の祝福」みたいなものですw
「生まれることは、良いことだ!」
「産んでしまえばこっちのもんだから、遠慮しないでずんずん産め!」
みたいなことになっても、やむを得ませんw 森岡氏は、反出生主義に心惹かれながらも、それを批判的に超克して(昔風に言うなら止揚して)「誕生肯定」に至る道を模索しているようですが(正直言ってなぜそんな面倒なことをしなければならないのか私には皆目わかりませんがw)、そんなことで頭を悩ますには及びません。
平均的な反出生主義の内実は、どうもそのまま
「誕生肯定、存在祝福」の思想に他ならないからです。
別に皮肉でも何でもなく、反出生主義者でない普通の人にとっては、誕生肯定も存在祝福も生存中毒も当たり前のことに過ぎず、特筆するようなことは何もないですが、反出生主義者は、本来は存在を悪として捉えているのに、現に存在する具体的な個々の人間、「実存」については、「善」として捉えるに至っているのですから、その落差、「肯定、祝福」の度合いは、より大きいとも言えます。反出生主義の精神的な存在意義は、どうもそこにあるように思われます。 中毒というのは、普通、自律性や自由を喪失した奴隷状態を指す
薬物ジャンキーやアル中、あらゆる依存症は自由の喪失
生存中毒は生存奴隷で不自由だということ。そうした奴隷状態から自由になろう、が反出生主義 >>965
いえ、私が述べたのはそのような意味ではないです。
繰り返しになりますが、【有を無にする(死ぬ)】と【無を無のままにする(生まない)】では評価が全く異なります。
そりゃ無になるのは良いこと"かも"しれませんが、なにせ当人が存在として生きているのですから、当人の希望を無視して一律に「死んだほうがいい」とはならないでしょう。
それが私の述べた価値判断の相違です。 あと、「生きることは善である」という主張は存在しないかと思われます。
どうにもこの方は善悪の二項対立で考える癖があるように見受けられますが、少なくとも私個人の意見としては、生まれた後の存在が歩む人生を評価出来るのは当人にしかできないと思います。その評価軸は道徳的な善悪ではなく、主観的な良い悪いの問題になるのが普通です。 誕生肯定と出産否定がごっちゃになってるのも噛み合わない原因のような 当たり前な話だが、それを分かってないであろう方々に向けて丁寧に解説していただいて助かりますね >>971
出産否定ではその可能的存在者の苦痛の評価を、存在者が成り代わって行なっていますが、そこは問題にならないの? >>974
知らんけど何が問題になると思ってるの?
反出生じゃないよ俺 976=972だけど、974は971あてのレスだったのか
安価ちゃんとみてなかった >>969
つまり反出生的には全ての生きている人間は即刻死ぬべきだ、と? 肉体から魂を解き放て
魂を浄化せよ
そんなところか 前にも書いた気がしますが>970に補足を加えると、人間が生きるか死ぬかは本人の意志に任せればいいと思います。
しかし、死にたいと希望する過程にはそれ相応の苦痛があると考えるのが普通です。つまり、死にたくなる程の苦痛を存在に与える可能性を孕んだ行為が出生ということです。
主張の本質は【有(存在)を作ることは悪である】なのであって、【無(非存在)は善である】ではないのです。
以前に「出生は善でも悪でもない」と言っている反-反出生主義者を見かけましたが、「生きることは善でも悪でもない」というのが私の主張です。何故なら、本人は受動的に製造され、その結果として「生きたい」と欲求してしまっているに過ぎないからです。それが道徳的に善だ悪だという話にはならないでしょう。
兎に角、「死ねば無になるからいいだろう」という話なら何でもありになってしまいますが、今の論点は対象が実存ですから、反出生主義の対象となる非存在とは扱いが異なるのは当然です。相手の方はかなり特殊な捉え方をしていて、実存を【非存在の未来】という抽象概念を用いて無効化しています。
これ以上は平行線を辿るだけなので、この辺で終わりにしてもいいかもしれません 五感を司る諸々の器官は全体を包括しないが、これは必ずしも全体に対する欠如を意味しない
しかし我々の直観はそれらを身体の綜合として外延を規定する為に生の感覚を取り零すばかりか外界に対する過分な主体性を錯覚させられている
かくして我々は狡猾さと傲慢さを併せ持つに至ったのである 7 考える名無しさん sage 2020/10/25(日) 09:52:30.03 0
表象主義は例えばジェンダー論争それ自体が内在化されたコードだとするのか
もっとシンプルな話に還元出来る筈だ プーチンのように戦争までして地球環境を破壊するのが人間だ
大量消費社会に生きる人間も同じだが 人間をエコ贔屓している間は駄目だな。人間中心主義の視点でいる限り道理はみえてこない
脱人間中心主義においてこそ、反出生主義のような思想がようやく理解される あとは自由度がないから、人間は駄目だね。黒人で生まれたら、死ぬまで黒人。属性をすべて自分で選択できてこそ、この世界は生きるに値するようになる
つまり、今のガチャで大半のことが決まる世界では駄目だということ
性別は女だけど、自意識は男で、その矛盾に耐えられず自殺した人がいるけど、なんでも強制仕様で属性が付与されるのも倫理的ではない
当人のニーズは全くそこに考慮されていないから 少し前に「天気の子」を見たけど、妙に予言的なリアリティが感じられた
夏に雪が降るくらい、地球環境が滅茶苦茶になってしまう世界。長引く大雨で常時、浸水、冠水した都市
そんな狂った世界で誕生肯定とか能天気でないと不可能 例えば、天皇という属性は自由度の観点からすると、人権侵害のレベルにないだろうか。選挙権さえないのだから
天皇ならパチンコ屋や風俗店に行くことさえ出来ないだろう
日本の象徴がそうした品位のない場に相応しくないとされるからだ。
自分で望んで天皇になるなら倫理上問題はない。なら、天皇も選挙で決めれば、少しは公平になることだろう 次スレタイトルどうします?
個人的には
【誕生肯定】反出生主義批判・分析スレ【森岡正博】
これ引き継いだ方が適切かなぁと思いますが、荒れるかな? >>990
そういうレス、いちいち反出生と結びつけんな
ウンコまみれのトイレみて、ココじゃウンコできねーわって嘆いてるのと一緒。
ウンコ流せるのに流さない、掃除できるのに掃除しないままにしてるのは結局自分のせいだろって事
甘えすぎ でも反出生の話ばかりで肝心な誕生肯定そのものについての話はしないよね
いっそのこと反出生スレにしてしまえば? このスレッドは1000を超えました。
新しいスレッドを立ててください。
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