アドラー心理学総合34
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アドラー心理学(個人心理学)を語るスレです。
■関連スレ
[前スレ]アドラー心理学総合 33【嫌われる勇気】
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/psycho/1532016371/
[兄弟スレ]アドラー心理学2 【嫌われる勇気】 [無断転載禁止]
http://fate.2ch.net/test/read.cgi/keihatsu/1493067514/
■関連書籍
岸見一郎『嫌われる勇気』『幸せになる勇気』
向後千春『アドラー“実践"講義 』
岩井俊憲『アドラー心理学ワークブック』『勇気付けの心理学』
野田俊作『アドラー心理学を語る1.2.3.4』『クラスはよみがえる』
清野雅子『3歳からのアドラー式子育て術「パセージ」』
■日本アドラー心理学会
http://adler.cside.ne.jp/index.html
学会のテキストはアドラー心理学を学ぶのにおすすめです。メールで注文可能です。
■課題の分離の注意事項
課題の分離には初心者が陥りやすい問題があります。
課題の分離は個々の人間の独立を重んじるためのものではありますが、断絶のためのものではありません。
個人の課題は分かたれていても、そこに他者への関心があり、協力できることを忘れないようにして下さい。
■共同体感覚について
アドラー心理学のあらゆる理論や技法は、共同体感覚を持つ個人の育成を通じて、協力的な社会を築くという思想の実現に向かう形で整理されています。
ゆえにアドラー心理学の実践はすべて、個人の競合的なライフスタイルを協力的なライフスタイルに代替する事で、すべての人々が所属できるように、自分にできることをしよういう決心を支援するために行われます。
合意を得ずに他者に介入したり、社会構造を変化させようとしたり、個人の自己実現のためにアドラー心理学の理論や技法を使うと、アドラー心理学の押し付けになりかねないので注意しましょう。 アドラー的な英語学習指南
https://dokugakuenglish.com/profile/
英語が上達しない根本的な理由
いずれも、ただ正しい勉強のやり方だけを教えても解決するような悩みではありません。
そして、英語にまつわる悩みはほとんど、原因は結局のところ英語以外のところにあると痛感しました。
これらの悩みの原因を探っていくと、それらは全ては何らかの「満たされない思い」にたどり着きます。
誰かを見返してやりたい、誰かに負けたくない、誰かに認められたい、優越感を感じたい、
すごい人と思われたい、かっこいいと思われたい、自信が持てない自分を変えたいといった感情です。
誰かを見返したい。誰かに認められたい。優越感に浸りたい。自信を持ちたい。
私たちは、潜在的にこういった動機で英語を学ぼうとしてしまいます。
(本人はそう気づいていないことも多いです。)
多くの日本人が英語を満足に身につけられないのは、これが理由です。
これらの感情は、短期的には大きな力となって勉強のモチベーションを上げてくれることもあります。
でも、長い時間をかけてコツコツ勉強を続けることが必要な英語を、こういう満たされない思いを
燃料にして結果を出せる人はそうはいません。
私たちが本当に頑張れるのは、自分のマイナス感情を満たすためではなく
「誰かのために頑張るとき」なんです。そして、このことが真に理解できたら、
英語の勉強がうまく行くようになるのは当たり前で、人生全体が好転していくのです。 アドラーについて日本語で考えたり行動起こすのは絶望的
日本語の問題だけじゃなく、日本人のアドレリアンは怖い人多いし…
アドラーやるには英語を学び英語の発想で考え行動するところから始まる
と、思う(´・ω・`) 与えるなら、野良猫、鳩に餌を与えるのがお手軽。
見返りなんてあるわけないので、
見返りを期待する心は生まれない。 アドラーってドイツ語使ってたんじゃないの?オーストリアってドイツ語だよね?フロイトも同じオーストリアだよね?
それとも英語の文献の方が多いの? >>108
思想が固まってきた晩年の活動の中心はアメリカだよ
個人心理学会はユダヤ系の人たちがメインだったから強制収容所で一度滅びかけてる
アドラー心理学の理論はアンスバッハー、技法はドライカースがそれぞれアドラーの死後に受け継いでわかりやすく体系化してるから、アドラー心理学の文献は英語が多いね より良いモノを求めるのは一見良いことに見えるけど、
目的のモノに直面しない為の言い訳になりがちだから気を付けてくだせえ ・外国語を習得することにより思考、価値観などのライフスタイルを変えることが出来る
(というかライフスタイルを変えるって、語学の習得以外にやりようないのでは??)
・特定の言語を使う共同体から、より広い共同体を志向することが出来る
という2点だけでも外国語を学ぶ意味があるね
それに加えて、
Quranがアラビア語でしか理解出来ないのと同じで、アドラー心理学も
英語でしか理解出来ないものなのでは?という気がしてきてる
日本のアドラー業界が意図してそうなってるのか分からないけど、
日本語で説明されてるアドラー心理学はオリジナルから微妙に改変されてるっぽいし…
こういうこと言うと怒りだす人いるだろうけどさ >>111
ドイツ語は覚えなくて平気になったのですか? >>112
ドイツ語はいらないよ、日本語同様文化的には終わった言語だし >>113
共同体感覚を一つとっても
英語だとソーシャルインタレスト(社会への関心)
ドイツ語だとゲマインシャフトゲフュール(血縁関係感覚)
でニュアンスが結構違うのですがいいんですか? >>114
血縁関係って??
Gemeinschaftsgefühlをgoogleで翻訳したら連帯感と出てくるよ そりゃ直訳はそうですよ
ニュアンス的にはゲマインシャフトは肉親、親戚関係、村落、からイメージしやすい選択意思のない無条件の関係社会
そこにゲフュール、感覚感情が加わって、ゲマインシャフトゲフュールは、家族ような感覚、親しい間柄だなと思える感覚、仲間感覚みたいな感じ
連帯感と一言で括ってしまえば上記のニュアンスも含むし
「俺についてくれば稼がせてやるから黙っていうこと聞け!」
「カッコイイ!一生ついていきます」
のニュアンスも連帯感です >>116
ゲマインシャフトの結びつきの理由としてここでは地縁、血縁、精神的繋がり
の三つが挙げられてるね
要はアドラーはドイツ語ではもっと閉鎖的な共同体を想定していたということが言いたいの? >>117
時代背景を理解する事が大切だと思うのです
ゲマインシャフトと言い出した人は社会学者のテンニースという人で、効率や成果を重視する国家や会社組織を意味するゲゼルシャフトとの対概念です
近代化の進行によって社会はゲマインシャフトからゲゼルシャフトにどんどん転じていることを論じています
そしてアドラーはそのテンニースと同世代の人であり、ゲマインシャフト、ではなく、ゲマインシャフトゲフュールと、言った
つまり、社会がゲゼルシャフト化しても、個人レベルの心構えにゲマインシャフトゲフュールを取り戻していこう
見知らぬあなたを親しいあなたとして捉えることのできる心構えを持つ個人を育成していこう、というような、社会の流れと逆行する思想なのです
ただ同時にヒトラーも同時代の人であり、テンニースの理論を引用して、フォルクスゲマインシャフト「民族共同体」と言って、ゲマインシャフトよ概念をナチズムに使用したのです
この経緯があって、英語ではゲマインシャフトを使用するわけにはいかず、ソーシャルインタレストを使うようになったようです >>119
なるほど、そうだったんですかとても勉強になります
となるとアドラーの理論が英語化されたときに
意図的に改竄されたということになりますね
ただ、その書き換えられた理由はその話からは割とはっきりしているけど
日本語の場合は「分離」という、アドラーが嫌がりそうな言葉が
使われてたりして理由が分からない > 見知らぬあなたを親しいあなたとして捉えることのできる心構えを持つ個人を育成していこう
これ、キリスト教の隣人愛みたいですね しかしアドラーの好きだったニーチェは隣人愛をけっこう批判してるんだよね
アドラーの言うGemeinschaftsgefühlに、一見するとキリスト教的な隣人愛を
連想してしまうけど、それとは決定的に違う何かということなんでしょうね >>120
課題の分離に関してはいろんな意見があると思いますが、アドラー心理学に限らず、カウンセリングのマナーのようなものだと個人的には認識しています
人はそれぞれ別々のライフスタイルを持っているにも関わらず、カウンセラーとクライアントが協力的であろうとするならば、言葉を交わして、治療共同体における共通の存在目的を導き出す必要があるわけです
目標が一致しない場合、無理に治療をすすめるとカウンセラー個人の価値観をクライアントに押し付けてしまうことになる
だから一度、課題を分離して、今のままだとどんな結末になるのか想像してみようか、あるいは体験してみようか、という方向性を作るのです
つまり、課題の分離は、協力関係のための手順のひとつなのです
じゃあ、なぜ日本では課題の分離なのか?
日本語の文法上、日本人は理想を言いあらわそうとするときに、「世界はこうあるべきだ」「私はこうすべきだ」のどちらでも理想として語れるわけです
ビジョンとミッションを特別に区別しないのです
でも、英語だとビジョンを語るのは不自然になる
英語で理想を語ろうとすると「I should be〜」が自然なので、「私は〜すべきである」というミッションによって理想を表現する方が楽なのです
ライフスタイルとは「自己概念、世界像、自己理想」で表現するのですが、
簡単に言うと「私はこういう存在であり(自己概念)、世の中はこんなところだ(世界像)。だからこそ、私はこうすべきである(自己理想)。」という関係にあります
ミッションとして理想を表現するわけですね
だから、自然と課題は分離されているので殊更「課題の分離」という必要がないのです
でも日本人は日本語の文法構造上、理想を言う時に、ミッションとビジョンが混同されがちなので
相手が抱えている、自分のコントロール外にある問題を、自分の責任でなんとかしようと捉えてしまう傾向にあるのです
だから、課題の分離をしておかないとライフスタイルの変容がうまくいかないのです >>122
隣人愛と共同体感覚は近い概念だと思いますよ
アドラーが人間の行動原理を、権力への意志、と言ったように、ニーチェの影響は大きいはずです
これは、フロイトの性の欲動に倣った表現であり、アドラーが人間の内面に研究の意識を向けていた時期だと思われます
一因一果論的なな発想から導きだした権力への意志理論が、目的中心、対人関係中心の理論へと進化していき
目標追求性、対人関係論、共同体感覚といった今のアドラー心理学への理論へと変遷しているのです
そういう意味ではアドラーの思想はニーチェからは離れていったと考えてもいいと思いますね >>123
物凄く分かりやすい説明をしていただきありがとうございます
理想に含まれるヴィションとミッションの違い、激しく納得しました
これから何度も読み返して、自分なりに頭に入れたいと思います
ただ、不思議に思うのは日本人はなぜこうも強く、他人とビジョンを共有、
もしくは押し付けしようとしてしまうのか
それは言語の特性からくるものなのか、または日本人の心性によるものなのか、正直謎です
そこに働く力の強さには霊的なものを感じます > 言葉を交わして、治療共同体における共通の存在目的を導き出す必要があるわけです
> 目標が一致しない場合、無理に治療をすすめるとカウンセラー個人の価値観を
> クライアントに押し付けてしまうことになる
日本人は当人たちが望んでいないのにもかかわらず、ビジョンの押し付けや刷り込みを
してしまうので、正しい治療者と患者の関係になることが難しいのではないですか?
私の勝手な推測ですが… 自己概念、世界像、自己理想
普通の帝国主義国家は自己の利益や権力志向のために、ミッションとして動くけど
大日本帝国はそれよりも、支配地域に対するビジョンの押し付けが激しく、
そのことで今だに韓国から恨まれているのではないかと思ってます
韓国の話題がこのスレのちょっと前に出てたので思い出したのですが…
他の場所では日本が押し付けたビジョンに対してそれほど違和感がなかったため、
その後のトラブルが少ないのでは >>127
スレチ
>>1の◾共同体感覚についてを読んでほしい
国家間の問題はアドラー心理学で語るべきじゃない
アドラー心理学は共通感覚に頼って援助する性質である以上使える場面は治療的枠組みの中に限定される
言葉を覚えた頃からの子育て、相談にきた人に対する援助、民主的なルール作りが可能な家族や学校のクラス
このくらいだよ 最近、毒親ということがよく言われるようになったけど(>>85にも書いてあった^^)
極論すれば日本人の親はすべて毒親だよね、ビジョンを押し付けることしか出来ないんだもん
それでも、西洋的な価値観が庶民レベルで普及する以前(敗戦前)は、何も問題はなかった
毒親は存在しなかった
自分の親を毒親だと騒いでる人たちは、自分の親と争ってるというより、
日本的霊性と戦ってるといっても過言ではないよマジで
親だって好き好んで自分のビジョンをわが子に押し付けてるわけじゃないんだから あれかな、大日本帝国が支配した領土のうち、南朝鮮にだけ
不幸にも日本的霊性が残ってしまったと考える方が自然かな
毒親に反発する子供といったら激怒されそうだけど、親に対する怒り方がそっくりだから
南朝鮮は日本から距離的に近いといえば近いけど、でも樺太よりは遠い
使用言語は日本語とかなり近い、でも一緒じゃない 幸い、国家としての日本には親は存在しない、この点だけ南朝鮮よりは幸せだわ
万葉集の頃から日本語が文化として存在している
古今和歌集の頃になれば文字も完成した
一応言語的に、精神的に独立している
今、アメリカの支配を受けているけど、アメリカを父や母だと思ってるわけではない
極東の平和安全のために引き込んで利用してるだけ、という見方も出来ないわけじゃない
南朝鮮は父親がアメリカで日本が母親のようなものだと思っているのでは
国家レベルで日本的霊性が働いちゃってるのでは 毒親に反発する子供に対して、親と離れて暮らせというアドバイスがよくなされるけど
あれは解決方法にはなっていないと思う
顔を見ないで暮らすことで、刷り込まれたビジョンに対する違和感に対して
親を思い出さないようにしてるだけだから
本当の解決方法とは親から精神的に独立し、親と異なるビジョンをもちながら
協調、協力して暮らすことなのでは?心の奥底に刷り込まれたビジョンを書き換える
のは容易なことではないけどね 書き換えるだけじゃダメか
親は霊的な力によりビジョンを押し付け続ける
子供は親の押し付けるビジョンで、霊的な力により無限に上書き保存を繰り返す
霊力から独立を保つのは強固な地盤を持つ宗教に頼るしかないよね
外国語がセットになっている宗教が望ましい
アドラー+英語+ドイツ語でそれが可能かどうか >>130
放任主義で育った子供が後になって親に対し、
「なんでもっとマシなビジョンを押し付けてくれなかったの!!」
と怒り出すケースはよくあるね
これも日本的霊力のなせる業 アドラー関係ないんで、雑談スレに行ってもらえると嬉しいんですけどねー 「日本的霊力」ではなく、「村落共同体以来日本社会に埋め込まれた共同体での縦の関係の態度の系譜」とかアドラー心理学に沿った表現から省略形をひねり出してもらえないか。 なんかいろいろごちゃごちゃ難しく考えているようだけど、要は親から自立したいって事でいいのかな?
1人でやるならパセージを入手してエピソード分析を自分に対してやる一択だよ 結果が目的でありそのために協力するのが横の関係だが
縦の関係というのは原因が目的になっているものだ。
縦の関係というのは物質の世界での問題解決の方法を
精神の世界に無批判にあてはめた一種の倒錯なのだ。 >>137
それはアドラー心理学の仕事ではありません
もうすこし勉強してくれ
あと>>1のテンプレちゃんと読め >>138
昔の偉い人が決められた道をただ歩くよりも
選んだ自由に傷つく方がいいんです。って言ってた アドラー心理学の道を選んで歩いてもでもやっぱり傷つきはするんですよ 傷つくのを恐れず対人関係に入っていく勇気を勧めてるわけだからそもそも傷つくよね 人間は理屈で動く生き物ではないってこと。
人の心を動かすのは内に秘めた情理のみ。
上っ面の計算を超えるから人を巻き込むことができる。 アドラー心理学では社会性に欠けた人との関係はどう扱うのだろう。
社会性に欠けた人とは公共の善に関する認識がそもそもない人ね。
表面上では公共での善悪に関する言葉を使う事もあるけど理解していない。 ああ。そういう人には嫌われてもいいのか。まさに嫌われる勇気だな。 社会性とは言っても社会は変わり続けるからねえ。今の時代で社会性があると思われている事でも時代が変わると変わるかも知れない。
時代によってはアドラーの思想を実践すること自体が社会性のないこととされてしまうかも知れない。 >>146
社会性に欠けてない人なんていないよ
自分だけはまともだと思う考えからは勇気を持って脱却しよう 自由と平等との間を埋める答えは無数にあるが、アドラー心理学というのは相当に平等寄りだな 走り出した足が止まらない
行け!行け!あの人の隣まで
誰にも抜かれたくないんだ
風!風!導いておくれよ
風吹けば恋 チャットモンチー 今の学歴システムってのはアドラー心理学的にはどう?
うまくいっている???改善する部分はある??? すべての学び働く人の努力が報われる世界を作るのにアドラー心理学としても一言あると思って アドラー心理学が既存のシステムに物申すことは無いと思いますよ よく転職するんだけれど、
そうすると先輩方が
コーヒー缶とか奢ってくれることがよくある
でも、私はシンプルに感謝したりしない。
先輩風吹かせたいだけだろ
とか
たかが120円くらいで恩を着せようとしている
とネガティブな捉え方をしてしまう。
本当はいらねーよクズ!と言って投げつけたい。
だけど嫌われる勇気がないので愛想笑いであざーすと言う。
たかが120円くらいでありがたいもクソもない。
まずコーヒー嫌いだし。 >>161
> 本当はいらねーよクズ!と言って投げつけたい。
これを実行する人がいたらその人は勇気が足りないですね ≫161
ありがとうございます。
せっかくなのですが、コーヒーは苦手なんです…
って言えればいいなぁと思いました。
社会と調和して生きていくこと。 自分の行く先を固定化させないこと。
現在を起点として、未来・過去にも手に届く距離というものがある。
自分の中にないものはないものとして、あるもので進むしかない。 会社の仕事で失敗して上司に怒られてばかり
でも悪いのは自分の課題(仕事)ができていない自分
こういう場合他人は操作できないから上司の説教を気にしてもしょうがないと思うのか、勇気を出して俺のことは放っておいてくださいと言うべきなのか >>165
人間関係は良くも悪くもエネルギーだよ
改善が難しいなら転職が一番
今はどこも人手不足だから次の仕事が見つからないなんてことはない 消費税のupに文句を言ってる奴は
納税に貢献感を感じられない人だ >>167
それが分かるあなたなら勇気付けができるはずだね
貧困で生活が苦しい中でよく頑張っておられますねって いくら自分を厳しく律したつもりでも人間間違う時は間違うし、
むしろガチガチに管理するから失敗に歯止めがかからなくなることもある。
人間の限界を弁えた上で、根をつめ過ぎないこと。 >>164,169
シンプルな事を難しく考えているんですね 負けた時に負けた理由なんかいくら考えてもしゃーないよ。
負けた事実だけを噛みしめればそれでいい。当座はね。 勝敗が気になるということは何らかの勝負をしてしまっているということだ。
勝負をしていないならそんなことは気にならない。
買ってない馬券のレースが気にならないようなものだ。どの馬が何着でゴールしようがそんなことはどうでも良い。
平穏に暮らすためのヒントがここにある。それは勝負に参加しないことだ。
参加すれば勝敗が気になりそれに注目せざるを得なくなり、それが心をかき乱し続ける原因となる。
勝てば良いと考えるのは甘い。参加人数が多ければ多いほど敗者は多い。どうやったって負ける率の方が高い。 敗者に湧き上がる勝者への嫉妬の心が資本主義の燃料だと思う
勝敗を気にするなというアドバイスも、ときには意義があるものだろうけど、
その嫉妬に、資本主義もっと言えばこの世の秩序が含まれてることを踏まえると
注意して慎重に扱わないと人生がおかしくなるよ 何かに勝ったからといって、それとその人の価値とどういう関係があるんです? >>178
だけど資本主義社会はそれを燃料としてるから、いつまでたっても犯罪はなくならないし、
犯罪的な行為を行うほど強い嫉妬の感情を持つ人ほど社会で成功するのかもよ >>179
資本主義社会はそれを燃料として動くように設計して作った社会ではない。
単にそのまま放置しておいたらそれを含む社会になっただけ。 >>173,174
心を乱されるのを避けるために勝ち負けに参加しないでもなく
勝ち負けと自分の価値を同一化して頑張るでもなく
協力関係であると再解釈して勝ち負けを楽しむんだよ >>181
世界全体と協力関係になるのなら競争相手はゼロになり誰とも勝負しない状態になる。 >>182
「全世界が」なんて話ではなく、自分の心構え、態度、行動の問題だと思いますよ
いわゆる「協力的競合関係」というアドラー心理学的な態度の事です
誰かが始めなければならない。他の人が協力的ではないとしても、それはあなたには関係がない。私の助言はこうだ。あなたが始めるべきだ。他の人が協力的であるかどうかなど考えることなく。 >>146
アドラー心理学は苦行でも自己犠牲奨励でもない。合わない人とは距離を置くのが正解。頑張って付き合う
という意見は似非アドラー心理学だな >>175
嫉妬や反感がエネルギーになる人もいるだろうが、そうじゃない人の方が多いよね。
自分に向く、苦もなく出来ることを見付けるのが鍵。もっとも、これはアドラー心理学でも何でもないが(笑) ビルゲイツやバフェットに嫉妬してたジャックマー
西洋人は嫉妬を燃料に成功したくせに、いったん成功すると
自分が逆に嫉妬を喚起できる対象となるよう偽善的な美談ばかり言う
ジャックマーは正直だなとおもう ジャックマーおよび中国人の正直さは、おそらくどこかの時点で
資本主義を推し進めるのが困難になると思う
中国人よりさらに正直な日本人は資本主義的であったことは一度もない >>185
そうじゃない人、は確かに存在する
だけどほんの一握りだよ
その他大勢はフェイク 資本主義的有色人種ってのがそもそもフェイクなんだよね
NHKBSのとある番組で、あるフランス領に住む黒人が、
「金の意味は白人にしか分からない」と言ってて、フランス語を話す人は
例え黒人であっても知的レベル高いなーすごいなーって思った ひょっとすると、課題の分離とは、脳のクールダウンの事を言っているのではないだろうか? 日本人はもっと脳をクールダウンさせるべき
そのためにアドラー心理学を学ぶべき 日本で課題の分離がバズったのは欧米の個人主義が必要なフェイズに突入したからだろう
韓国で嫌われる勇気が日本以上にヒットしているのも同じ理由
日本人はまず課題の分離を身につけるべき
共同体感覚はその後でいい 野田のブログを読んでみたがバリバリのネトウヨじゃないかこいつ?野田の本など読む必要ないだろ
日本人には嫌われる勇気だけで十分 >>198,199
そうやって茶化してまともな議論から逃げるんだな
課題の分離、トラウマなし、目的論
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