吹奏楽部は「ブラック部活」 NHK「クロ現」で議論に[長文先生のお悩み相談室] Part.3 [無断転載禁止]©2ch.net
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>>890
吹部に限らず部活なんてみんなそんなもんだよ。
学生時代に脇目も振らずに打ち込んだ、仲間とぶつかり合ったりしながら一喜一憂した、やめたいと思いながらも逃げずになんとか乗り越えた、そういう経験は後々役には立つんだろう。
でもそれに耐えられない子が出たり勘違いした指導者が理不尽な振る舞いをしたりするあたりがこの問題の問題点、なのでは。 >>900
まとめると、そうだね。
経験には環境とか個人差がある。
万が一、判断能力が未成熟な学生時代に全国大会とか行ってしまったら、宗教と変わらない猛烈な信者になるかディープなオタクになるか。
その変化に周りが振り回されてしまう。
これを避けるには?
公教育が吹奏楽部を提供する環境の一律化。
ムリだろ。
こんな共産主義じみたこと。
芸術としては無いわ。
未来に科学技術が進歩してAIが指揮できるようになってもムリだろ。
だからもう、このスレ打ちきりで。
パート4は無しで。
最後は良質な新入部員勧誘について議論してみられては? もうみんなこのスレのことを忘れたかな、とも思いながら書いたら、いろいろとレスいただきありがとうございます。
私は今は吹奏楽部を持っていません。別な分野の音楽系の部活を持っています。コンクール要素はないので、純粋に音楽を追求する方向性で
できて幸せ半分、もの足りない半分です。 吹奏楽は「勝負なので」「戦う以上は礼儀として」「これでは勝てない」という理屈でかなり引き締めが可能です。しかしこればかりになると
音楽の本質を目指す方向性が薄らいできます。特に、顧問が勝負へのプレッシャーからいら立って威圧指導に走り始めると、これは単なる
「調教」になっていきます。私はそういうアプローチは絶対にしませんが、それでも勝負押しをしすぎると「音楽」という雰囲気ではなくなるな
と思っていました。 現在の部活は勝負要素がなく、音楽の本質や演奏のクオリティへの関心を高めることしか引き締め要素がありません。抽象的な目標は生徒には
見えにくく、その場その場の指導で演奏のクオリティを確実に高め、延長上にある究極目標を生徒たちに感知させる…というような方法論しか
私は持てていません。音楽の本質に近い、正攻法だとは思いますが、「コンクール」と言いさえすればある程度雰囲気が締まってくれる吹奏楽の
(こう言っては悪いが)手軽さが、多少懐かしく思ったこともありました。
こうやって、じわじわと音楽の本質(らしきもの)に迫っていくことや演奏のクオリティを上げることはできますが、そしてそのこと自体は
時間と労力をかけて追求する価値もあると思いますが、卒業と言う総決算の日には、生徒と別れを惜しみながら、それまでできたことを振り返る、
これで良かったのか多少の迷いが生じる、そんな日でもある、と言うことです。結局は、最終的には祈るくらいしかできませんが。 良質な新入部員勧誘ですが、これを考えるには結局、良質な活動とは何かというテーマに帰着しそうです。
素朴な話ですが、生徒が本気で部活動を愛していたら、どんな形であれ勧誘に反映されるでしょう。
演奏の質が本質的に高ければ、新入生の心に訴えることができるでしょう。
こうやって、妙にぎらついた人為性を排して勧誘できれば、それが一番です。
吹奏楽部の活動が宗教団体にある意味近い以上、「とりあえずわけがわかっていない新入生でも、とりあえず
入部させて、後は活動の中でガッチリ拘束して、洗脳して、とりあえずそれらしく振舞ってもらい、音量と人数を
稼ぐための要因として吹奏楽部にいてくれればよく、本人が気に入って入ったかどうか・卒業までに音楽の充実感を
得られるかどうかはどうでも良い」などという、えげつない新興宗教のような勧誘ではまずいと思います。
熱心に勧誘してもいいですが、入部する新入生の主体性・演奏へのあこがれや共感・入部後に充実した音楽経験を
させようという思い、などは不可欠でしょう。
しかしこれ、普段から良質な活動をし、目的のために手段を選ぶ品位が備わっていないと、なかなか難しいと思います。
えげつないコンクール至上主義の部活は、えげつない人数獲得の勧誘をするでしょう。
難しいことと思いますが、コンクール至上主義=ある種の全体主義・ファシズム=ある種の狂信的宗教団体こそが
吹奏楽の本道で、これこそが音楽だという勘違いを、教師側も生徒側も排することができたらいいですね。
「コンクールで上を目指す」のはわかりやすく、意義深いことにも思われやすいので危険なのですが、本当は練習の中で
生徒の音楽的な力を伸ばすことをがんばって、その延長にコンクールがあるべきものだ、と言うのを共通理解に…
なりそうもないと思ったので、吹奏楽界を後にした部分があるのですが、でも一応言っておきたいです。 吹奏楽に限らずピアノやオーケストラ、ソロのコンクールやコンテストは勝負や勝ち負けを何処かで競い合うものですよ。
どのジャンルにも言えますが勝敗がある種充実感を与えます。音楽は芸術だから競い合いは間違っている何て考え方がそもそもの間違えです。常に仲間と良い関係の争いをして舞台に上がっている事を忘れてませんか?
芸術も切磋琢磨競い合う事も全て含めて良い方向へ教育するのが教師ではないのでしょうか。少しがっかりしてしまいます。互いに競い合い技術を磨き上げるからこそ素晴らしい演奏に繋がりますし、芸術にも繋がります。それはどの音楽にも共通して言える事ではないでしょうか。 指導者次第です。本当に生徒の幸せを考え時に厳しく指導するか、指導者の名誉や名声の為に過度な指導をするのか。
それがブラック部活なんて言われる原因の一つだと思います。
極論ですが最終的に生徒達が笑って大変だったけど部活に参加出来て良かったと思えれば洗脳だろうが何だろうが良かったのではないでしゃうか。
苦しみ体罰で身体や心に傷を負って死まで意識する様な部活はあってならない事です。そうでなければ部外者がとやかく言う事ではなく、見守って幸せを願えばそれでいいです。
生徒本人が一つでも何かを学んで良かったと思えれば外野がブラック何て言うのは少し違う様に感じます。 >>908
あんたは芸術家か?
簡単に人をカス呼ばわりとか何様? 芸術にライバル関係が生じたりコンクールに出たりすることを否定するものではありません。
生徒同士がライバル関係を感じ、切磋琢磨する気配を歓迎したりあおったり、他校へのライバル心をあおるような
事は私だって言いますし、それを否定する気はさらさらないのです。
ただ、「指導者の名誉や名声、勝負で勝つことのために、生徒が自分で考えたり感じたりする部分をすり潰すような
過度の指導をし、休みも与えず、心身ともにボロボロにさせるリスク」に無自覚ではいけないだろう、
「とにかく強い指導・スパルタ指導で生徒の鼻面を引っ掻き回し、とりあえずコンクールで勝てる演奏を
させることこそが吹奏楽の本道であり、それをしないのはやる気のない指導者である」と言う、危険な勘違いを
排することはできないか、
私が言いたいのはこれだけです。 中学生や高校生は若く、若いということは(申し訳ないが)考え方が単純です。ライバル心を良い方向に持っていく
ために、生徒を煽りながら自分も燃えながらもその限界を知っておかなければならないのではと思います。
教育が洗脳の一種である以上、全ては程度問題でもあります。私の指導の中にもブラック要素はあるでしょうし、
どう見てもブラックだろうという吹奏楽部にも教育的要素はゼロではないでしょう。あらゆる実技指導は完全
ホワイトはあり得ず、ごく薄いグレーか、ライトグレーか、ダークグレーか、ほぼ真っ黒か、どれかしかないで
しょう。完全ホワイトを目指しすぎてゆるみきった部活動は、それはそれで別種のブラックだと思います。
908氏のは、端的ですね。
「(908氏の考える)芸術と言うレベルに達していない顧問は(ただの怠慢もしくは能力不足の負け惜しみであるから)
(いくら真面目に吹奏楽部顧問をしようとしていても)この種の問題を語る資格がなく、カスであるから黙れ」。
カスで構いませんが、(908氏の考える)芸術と言うレベルに達するだけのスキルを持とうとしている顧問は、現在は
そのスキルがないからこの種の問題を語ってはならない、と言うのは無責任な勝者の論理ですし、まともな勝者は
こんなことは言わないでしょう。スキルを苦労して得た人間は、スキルを得ようとしている人間に対しては寛容な
ものです。今でも吹奏楽部顧問をしていたら、全国大会を目指したいとは思いますが、そこまでたどり着けない学校を
カス扱いする生徒は育てたくありません。敗者をカス扱いする感覚は、ブラック部活動の一つの重要な要素に成り得ます。
一番のブラック部活動は、おそらくとんでもない強圧的・抑圧的な指導と活動で、しかも顧問が吹奏楽指導のポイント
の部分で能力不足で、結果的に練習が非効率・無意味で、結果が極めて不満足と言うような部活動だと思いますが。 というか、勧誘の話をしましょうよ。
勧誘に関しての考え方は書きましたので、私の「好み」を申し上げます。
以前は、吹奏楽経験者の住所を入試の資料から調べ、生徒に手書きの勧誘状を出させたりもしました。
現在はそうしたことはしにくくなっていますが、ビラに全て手書きのメッセージを添えたりマーカーでキレイに着色したり、
色々な趣向を凝らすことはみんなやるでしょう。
現在の私は、演奏に物言わせることと、楽器体験で「できた」「できそうだ」という感覚を持たせること、この2点に関心を
絞っています。
結局、「やってみたい」「やれそうだ」と思ってもらわない限り、その他のことはあまり意味はなさそうです。
むかし私が書かせた勧誘状なども、いま考えれば自己満足です。本筋から離れたことをしても、それが決め手になって入部
することはないでしょうし、仮にあったとしても、本筋から離れたことに反応して入ってくる生徒と言うのは残念ながら
それなりかも知れません。そういう生徒も育て上げるだけのスキルを持て、と言われたら謝るしかありません。すみません、
まだそんなことはできそうにもありません。がんばってはみますが。 知能も生産性も低そうだからカス共と言ったまで。
Hi,Jack的なただの呼びかけ。そこに芸術の出来不出来は関係ない。
というか、なんで逐一反応してるんだ?
ただ、芸術っていうレベルに達してないならカス云々関係なく黙ってろ。
才能の芽を摘みそうだ。 >>913
このスレに来る人は基本的に真面目なので、無責任な書き込みでも真面目に反応してしまうのですよ。
知能や生産性が高い人は、わざわざこんなスレに顔を出して人をカス呼ばわりはしないでしょうし、自分の書き込みに
反応されているのを見て驚いたりもしないでしょうから、あなたもおそらく人のことは言えないでしょう。
913氏の考える「芸術っていうレベル」ってどのくらいでしょうか?
日本音楽コンクールで優勝できるくらい?ブザンソン指揮者コンクールで入賞できるくらい?カーネギーホールで
リサイタルできるくらい?ローマ大賞をとれるくらい?どれも私には無理ですね。913氏にも無理でしょうが。
そうでなくて、まさか、吹奏楽コンクールで支部大会に出られるくらい?
吹奏楽コンクールに「芸術」を求める人のことを、音楽の世界では「素人」と言います。
913氏の考える「才能の芽」って何でしょうか?
摘み取らずに育てられたら、どんな花を咲かせるのでしょうか?できれば具体的に、イメージ喚起的に示していただけ
ないでしょうか。 音の連なりが人生に語りかけてくるような演奏
が芸術的なんじゃないかと思います。
生演奏では最近聞いてないですね。
映画「セッション」
の演奏レベルがそんなでした。 コンクール自体を否定はしないが、
コンクールがなければ、生徒のモチ
ベーションが保てないような活動は
ダメだと思う。「吹奏楽は勝負」と
か「戦うもの」とか言っている奴が
いるけど、あまりにも視野が狭い。
まず「音楽をする場」であって、
その中に他の団体と比べられる場も
あって、それも選択できるだけのこ
とでしょ。本末転倒なコンクールオ
タクが諸悪の根源だと思う。 いくら綺麗な「べき論」言ってても
まあ人間、やる気出すには、闘争本能の刺激が手っ取り早いですわ
音楽なんて曖昧なもの中で闇雲に上達を目指してもすぐ壁に当たる
それよりも技術力をもとに他校と戦って勝つ、
そういう明確な目標あってこそ、部も一致団結して厳しい訓練にも耐えられる >>917
大変明解に、考え方を述べておられます。理解もできます。が、
>いくら綺麗な「べき論」言ってても
>まあ人間、やる気出すには、闘争本能の刺激が手っ取り早いですわ
確かに手っ取り早いです。でも、それだけになっていいのでしょうか。
>音楽なんて曖昧なもの中で闇雲に上達を目指してもすぐ壁に当たる
音楽は「曖昧」ではありません。よく分かっていない人が「生徒の自主的な探究」を隠れ蓑にごまかしながら指導をすると
曖昧っぽく感じます。よく分かっている人の指導はいつも明解です。ただし、上達が困難なのは否定しませんが。
>それよりも技術力をもとに他校と戦って勝つ、
>そういう明確な目標あってこそ、部も一致団結して厳しい訓練にも耐えられる
「それよりも」と言いだすと、それは音楽ではなく競技になります。表現ではなくオウム返しになります。指導ではなく
調教になります。理解ではなく丸のみ・棒暗記になります。知的な要素は消え、反知性主義になります。自発的集団ではなく
軍事組織に近づきます。何より、勝てたかどうかが最終的判断基準では、プロセスと結果如何によっては相当に深刻な状態に
なるように思います。
厳しい指導や相当程度の組織化はあってもいいと思いますが、目的はあくまで音楽表現と質の向上であるべきです。
演奏は朗読のようなものです。「完璧な発音と抑揚だが、意味は全く分かっておらず、オウム返しそのもの、猿回しのサル
そのもの」みたいな状態で勝負だけ勝っても大した意味はないでしょうし、上位大会ではさすがに勝てないでしょう。
音楽そのものの面白さのなかに、やる気スイッチは埋まっていると思います。
ここに気づけば、一生じわじわと(あるいは燃えるように)音楽への関心を持ち続けることも可能だと思います。
これを尊重すれば、吹奏楽は生涯教育としても意味がありうると思いますが、ここを軽視して勝負だけに向かわせ、学齢期が
終わる頃には一生やった気になっていてしかも何もセンサーが育っていないだと、潜在的に音楽嫌いを育てますからやめた方が
いいと思います。 >>915
残念ながら映画「セッション」は見たことがありませんが、「音の連なりが人生に語りかけてくるような演奏」とは
とても詩的な表現で、素晴らしいです。
ストラヴィンスキーが言ったように、最終的には「音楽は何も表現しない、ただ鳴り響く音があるだけだ」というような
ものかも知れません。標題音楽のタイトルを知らせずにスノッブに聴かせたら、一つもタイトルを当てられなかったという
悪名高い実験もあります。音楽は、言語や絵画ほど明確に意味やイメージを伝達することができません。
しかし、質が高く、配慮と熟練が行き届いた演奏は、時に「人生」だの「神」だの「究極の孤独」だの「十字架」だの
「民族の誇り」だの、何やら抽象的なものを強烈に意識させる場合があります。そう言った観念を触発する場合が
あります。私は生演奏を聴いて十字架が見えたことや、演奏の背後に神の息吹を感じたことがあります。
それ自体には意味のない音の連続が、作曲家も演奏家もそれを確実に狙うことは恐らくできないでしょうが、こうした
途方もない印象や観念を呼び覚ましたりするところが、音楽の大変に面白いところであり、こうした部分を一切捨て去って
ただ勝負に突撃することは、音楽と言う文化への冒涜行為であるとすら思います。私は音楽の先生なので、「音楽と言う
宗教の信者だからそう思うのだ」と言われれば、返す言葉もありませんが、ある種の宗教のようなものとして敬意を持って
扱うのでなければ音楽の指導をする資格などないだろう、とも思います。 >>919
長文さん、ごぶさたというか
「音の連なりが...」
を書いたのは実は私だ。
牛さん、おらんしここで名乗る必要も無くなったかな?と。
「セッション」と同じ映画監督制作の「ララランド」が現在日本で猛プッシュされてるけど私は全然興味がありません。
この「セッション」という映画によって私厨は自分を客観視し落ちつかせる領域にまで導かれた。
結局のところ私どもはどこが「ブラック企業」と分かっていても生活の中でそこのサービスを無しにするのは難しい。
それと同じで日本の各県各ブロックごとに必ず一箇所「ブラック部活」は必要だと考える。
無くなったら日本人の精神性が危うくなると危機感さえ感じる。
でこの考えに反対の人で「セッション」観たこと無い人は観とけと締めさせていただく。 そうそう。
新入生勧誘の演奏曲は「前々前世」吹いとけばいいんじゃない。
そういうキャッチーな曲にフワフワ誘われて楽器吹きたいなって子供はカモ第一段階だと思う。
もちろん、こういう子供に育ってほしいを前提にしたマジメな曲を演奏する考え方も存在するのも知ってるけど、それは後の演奏活動にとっとけばいいんじゃないかな。 >>920
お久しぶりです。3月以降の名無しのレスの中に、何となくいそうな気はしていました。
「コン厨」と言いながら、完全にコン厨だったらこういう詩的な表現はなさらないでしょう。素晴らしいと思います。
コン厨氏は、言い方が露悪的に寄るだけで、実は考えていることに私とあまり差がないのかも、と思ったりします。
今回の>>920,>>921はほぼ全面賛成です。
全部が全部、ブラック部活では困るけれど、スパルタ式・軍隊式・結果は必ず出すけど鬼のように厳しい吹奏楽部、
これは各県各ブロックに1つくらいずつはあってほしい…残念ながら、わかります。
前々前世で新入部員を釣れ…わかります。演奏に物を言わせるのは大切ですが、選曲で興味を惹けるなら、ウケの
いい曲で質が高い方が強いに決まっています。
私はどちらか言えば「失敗したブラック部活の弊害」を意識して書いていますが、コン厨氏は「顧問の不勉強などに
より緩んでしまった部活の弊害」を意識されているようにも思います。何を為すかも大切ですが、何を避けるかも
大切です。避けたい部分に差がありますので、言い方が違ってきますが、コン厨氏と私の差は結構それだけかも、
などと言う気もしてきました。失礼。実績がかなり違いました。 そもそも部活を教育活動の一環としてることが間違いなんじゃ
生徒がやりたい人だけやるように先生もやりたい人だけやる 吹奏楽は本当に吹奏楽が好きな人だけが
してほしいです。
吹奏楽が好きでもないくせに
私吹奏楽部なので忙しいですよアピール
して、サボっているくせに先生に
好かれている
「卓球部入れば良かった、楽やし」
とかいってるやつは
さっさとやめてほしい 個人的にはあなたみたいな人は苦手
真面目でこだわりすぎて他人を管理したがるから空気が重いんだよね
気に入らない奴はやめろ理論はどんどん音が減って成り立たなくなるぞ
そのお友達は先生に気に入られる何かを持っているんだろうね案外上手いのでは?
うちは吹奏楽が好きじゃなくても初心者でもいいから一人でも多く部員が欲しいけどw
あなたが中心になって、吹奏楽の素晴らしさを感じられるような部活作りをしたらいい
頑張ってね 埼玉新聞 5/9(火) 22:32配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170509-00010006-saitama-l11
埼玉県川口市立中学3年の女子生徒(14)が歩道橋から飛び降りて死亡した問題で、生徒が通っていた
中学の男性校長(55)が9日、埼玉新聞の取材に応じ、女子生徒が死亡の2日前に部活のことで顧問に
相談していたことを明らかにした。女子生徒は「続ける」と決意した2日後の5日朝、部活の練習に向かう途中に死亡した。
校長は女子生徒について「部活の中で人間関係のトラブルを抱えていたことは把握していたが、
いじめとは認知していなかった」と述べ、「生徒の保護者に連日面会した結果、いじめがあったのか
どうかを視野に入れた客観的な調査が必要と判断し、市教委に伝えた」と語った。
校長によると、女子生徒は吹奏楽部の人間関係でトラブルを抱えていた。しばしば衝突があり、
顧問教諭が話を聞いて和解を指導。その都度解決を図り、校長にも報告があった。
このトラブルを学校として、いじめとは認識していなかった。 素晴らしさを感じるとか、徒党を組んだバカが思い込んで「指導」を始めると
>>928みたいになるんだよ。
旧日本軍だって、戦後のアカやクソサヨクや教員ドモだって、大半は悪気ないんだぞ? 教員に管理する能力なんてない
変な利権と性犯罪のネタにするだけ
学校教育における部活動は即刻全面禁止すべき 失敗例が重大であるのは認めるとしても、
だからと言って「全部やめてしまえ」と言うのは、
「交通事故で人が死ぬから車は全部禁止にしろ」
「踏切事故で人が死ぬから列車は全て運行禁止にしろ」
と言うのに近い。 問題が全然違う
教職員は勉強とその前提の学校の中の環境を整えることに注力すべき
満足なこと出来ないくせに遊びを教えようとするなんて最低だ
児童生徒である自分の子が死なないようにするのは親の責任だけどな
クズ教職員が環境を整えない学校に行かせないで子供を救えるのは親だし >>933
部活動のルーツは明治時代に学校制度ができた時に生徒が自主的に団体をつくってスポーツを楽しんだことにあり、
軽く100年以上の歴史を持つものです。文部省は長くこれを学校教育として認めていませんでしたが、戦前の1931
年に中学校令を改正して学校教育として認知しました。ただし、部活動は軍国主義教育の尖兵ともなりました。
戦後になり、戦前の部活動の反省に立ち、選択科目としてクラブ活動が導入されました。1971年には必修クラブが
導入され、週1回生徒は好きな活動を選ぶ形になりました。最大の目的は教職員の負担軽減だったようですが、
放課後の部活動がなくなるわけではなく、教職員の負担はかえって増え、生徒は好きな活動ができず、問題が噴出
しました。そこで1980年に「部活動への参加をもってクラブ活動の一部又は全部の履修に替えることができる」ように
なったため、必修クラブ活動は実質廃止され、代わりに部活動参加が必修化してしまいました。
日本の部活動の歴史をごくざっくり書きましたが、933氏が言っているような「満足なこと出来ないくせに遊びを
教えようとするなんて最低だ」というのは見当違いもいいところです。そもそも生徒が自主的に始めた活動が徐々に
市民権を得て、制度化されて、学校内の位置づけを得て、学校教育に位置付けられ…という形で部活動は発展して
来ました。万が一、933氏の希望通り、部活動を全て一斉にやめたとします。放課後にすることがなくなった生徒たちは、
アルバイトをしたり非行に走ったり無為に過ごす者もたくさん出るでしょうが、そのうちの一部は必ず気の合う者同士で
放課後の体育館やグラウンドでスポーツをし、音楽室で歌ったりピアノやギターを弾いたりし、体育館や音楽室の割り当て
や教員の助言を求め始めるでしょう。お金の管理や補助も欲しがるでしょう。これ、完全に部活動です。
ブラック部活動の問題は、指導の行き過ぎや、過熱を呼ぶ業界のあり方への問題提起はあり得ますが、部活動全てを
全て悪のように言うのは明白に間違いです。明白に怠け者・束縛が大嫌いな生徒以外は、何らかの部活動をしたがるもの
ですし、多少そういう傾向のある生徒も部活動を通じて耐性をつけたりし、成長する場合があります。問題山積なのは
認めます(だからこのスレがある)が、933氏のは明白に暴論です。 どこの県も今、
少子化の割に中学の部員は増えている
その割に
高校の部員は激減している。
例外もいるが。 >>934
教職員に満足なことなんて出来ていないだろ
何の見当だよバカ 北朝鮮の幼稚園児ぐらいのチビッ子共が
ギターとかで凄い演奏をする動画を見ると哀しくなる
吹奏楽部も、見た目が年いってるからまだマシな印象受けるだけで本質は同じだな
正確に演奏できるように長時間の訓練で徹底的に仕込まれた技術を披露するよりも
もっと音楽の創造性を求めた方が良いだろう ミュージシャンってのは芸術家なんだ。技術者ではない
それを伝えいくべきなんだ まあ吹奏楽部なんて無駄に金がかかるだけのお遊戯会みたいなもんだ >>937
吹奏楽の方は技術も大したことないからなー。
救いがねぇ。 >>936
ルーツが生徒の自発的活動だから、教員の指導はあくまで添え物と言っているのですが、わからないですかね。
授業については、教員の責任において内容を厳選し指導力を磨き、生徒の学力を最大限伸ばすべく努力することが
求められます。公平で妥当な評価もしなければなりません。授業について「大したことができていない」「何で
最新の教育の動向や諸外国の意欲的な実践例に学ばないのか」と言われれば、返す言葉もありません。
933の前半の「教職員は勉強とその前提の学校の中の環境を整えることに注力すべき」はその通りです。
しかし「満足なこと出来ないくせに遊びを教えようとするなんて最低だ」は間違いです。
歴史的に見れば、生徒の自主的活動に教員がお願いされてつき合っているのが部活動であり、学校での位置づけも
あくまでオマケです。別に教員が全体として好きこのんで教えようとしているわけではありません。
生徒のお遊びにつき合わされ、責任を負わされているのが部活動の顧問です。 まあ部活の顧問は気の毒に思うよ
あれ、ろくに手当てが出ないんでしょ?
自分の経験から授業や部活の指導で色々思うところはあるけど
現場の人間に言っても仕方ない部分もあるよな
「もし楽団を率いるなら」って理想だけぶつけられても
困るよな >>937、>>938
音楽の「創造性」って何ですか?「芸術家」って何ですか?「技術者」との違いは何ですか?
「イメージを膨らませて、メロディーの吹き方に活かす」とかであれば、それは「メロディーを上手に吹く
ノウハウ」の一つに過ぎず、創造性と言うほどのものではありません。音楽で「創造性」を発揮できる場面
と言うと、作曲になると思います。
芸術と言う言葉自体が、もともとは「技術」と言う意味です。18世紀くらいまでは、音楽家は教会や貴族の
召使です。現代的に言えば「技術系職員」です。19世紀に入って聴衆が増えると、未来永劫残す価値のある
作品と言う考え方が生まれ、それを生み出せる人を芸術家として尊敬する気風が生まれました。そうすると、
「芸術」と「技術」を分けるのは、「未来永劫残す価値があるものかどうか」と言う点になります。演奏で
あれば、超絶技巧・人知を超えたような凄まじい技術で名手と呼ばれた人が芸術家となりますが、ロマン派の
名手たちは自作曲も多く遺しています。
つまり、厳格に言えば、「音楽の創造性を求める」と言うのは「作曲をできる能力を身につけろ」と言う意味
になりますし、「芸術家であって技術者ではない」と言うのは「未来永劫残したい価値のある名演奏・名作を
遺せるからただの技術者ではない」と言う意味になります。
どちらも、学校吹奏楽程度では相当に難しいのではないかと思います。 >>944
吹奏楽はプレイヤーズ・ミュージックであり、音楽におけるアール・ブリュットだ、と言うのはそうだろうと
思いますが、>>938氏が書いている「芸術家」が「アール・ブリュットの作者」の意味でのものとは思えない
ので、反証や弁護にはならないのではと思います。
というか、>>938氏がどういう意味で「芸術家」と書いているのか疑問だったのでああしたことを書きました。 >>941
でもさー。
部活指導も教員評価に結構関わってるじゃん。
体感の上だけど、部活に注力しまくって一定のポストを気づいてる教師って相当数いるよね。
にもかかわらず、「お遊びに付き合わされ〜」ってのはちょいと違うくね?
勿論、>>941さんが
「いやいやそんな奴らは教師の風上にもおけないレンヂュウです」
ってスタンスなら何も問題ないんだけど。 >>945
あっなんか絡まれてるw
別に>>938擁護するつもりでもないんだから反証や弁護になるわけないじゃんw
まあせいぜいこんなのがあってこんなことやってる人もいるよー、てな程度だよ
あなたがわざわざ私を敵にしようとしようとしてるならそれでもいいけどw
>>生徒のお遊びにつき合わされ、責任を負わされているのが部活動の顧問です。
これなら部活動廃止になったら大喜びしそうですねw >>946
これがねえ、(建前上は)関わっていないのでした。
教員評価は各教員の自己評価を参考に管理職がします。自己評価の項目は本県では「教科指導」
「教科外指導」「校務処理」の3項目で、部活動は自己評価するとしたら「教科外指導」です。
おまけに、教科外指導には担任としての指導も該当し、そちらの方が優先されますので、ざっくり
言って評価に占める部活動の割合は6分の1以下です。
しかし、現実には部活動人事はありますし、それぞれの部活動は種目ごとに組織をなしており、
組織にはトップと組織統制、上下関係、幹部へのリスペクトなどがあり得ますので、「ポストを
築いている」ように見える先生は存在するでしょうね。県の幹部となると、実務量もかなり発生
しますから、学校内でさまざまな配慮が必要になる場合もありますし。
部活動については、「学校側」、つまり一般教員ではなく、校長・教頭・事務長の三役は、
@基本的には生徒の自主的活動を教員がサポートするのが部活動である
Aと言いながら学校管理下なので、事故やケガのないように細心の注意を払え
B優先順位としては担任と授業と校務処理が最優先、部活動はその次である
C公式には部活動を理由とした人事は難しい
Dしかし現実には部活動が活躍すると学校のネームバリューにつながるので頑張ってほしい
Eだけど部活動の手当の財源は限られているので1日2400円だし、部活動の担当希望は叶うとは限らない
概ねこんなスタンスでわれわれと接してきます。
これはご都合主義であり、職場としての学校のブラック化の原因です。私は部活動は好きでやっていますが、
純粋に待遇を見たらやはり腹立たしいです。その腹立たしさを前面に出してもいいことはないので、そこは
考えないようにして部活に向かっています。部活動が熱心に見える先生ほど、熱心にやりたい時の制約の
大きさに立腹しながらやっています。ポストと言っても、お金の面では何もありません。理解とリスペクトを
得られる、と言うだけのことでしょう。 >>947
こちらも突っ込んでみただけなので、敵になる気も別にありません。
ただ、アール・ブリュットは美術だとできるけど、音楽だとなかなか成立しにくそうだ
とは思います。
>>部活動廃止になったら大喜びしそう
喜びません。部活がやりたくて教員になりましたから。
私が腹立たしいなと思っているのは、「半分ボランティアで、生徒の自主活動のサポートだから」と
言ってロクな賃金も支払わず、担当部活動についての調整はきちんとせず(できませんが)、部活動で
使える予算も本来必要と考えられるものよりはるかにショボイものしかつけず、万が一部活動のために
研究会に参加したり通ったりしたい教員がいても全くお金を出さないくせに、「現実には学校の宣伝に
なるから」と成果を求め、人事の材料にしている点です。教員はない時間をやりくりしながら全て自費で
負担して、専門家教育に近い内容を部活動で指導できるようになれ、と言われているようなものです。 同じ曲でも演奏次第で千差万別だよな
そこに演奏者による創造性の発揮の余地がある
そういう話だよ
でも、もしも、その違いが想像性の発揮ではなく
単に技術的に上手い下手でしかないと言うなら
それはもう演奏者は技術者でしないな
これはもう音楽をどう見るかの姿勢の問題だ あと、演奏が創造とかは、この本に書いてある
●吹奏楽部員のためのココロとカラダの相談室 メンタルガイド編: 今すぐできる・よくわかる アレクサンダー・テクニーク
同意、反論、異論なんでも興味があるなら読んでみて >>950
同じ曲の演奏の差は、
・技術
・曲の解釈
・奏者の音楽的基盤や肉体的条件
この三つによって生まれると思います。
技術の部分は上手下手がありますから、これはがんばって確実に身につけるしかありません。
しかし同様に、曲の解釈にも、少なくとも明白なハズレや見落としはありますし、妥当な解釈はおそらく数パターン
に絞られることでしょう。…と言っても、リズム・フレーズ処理・ダイナミクス処理・バランス処理など様々な切り口
それぞれに対して数パターンずつですから、実際には組み合わせはかなりの数になるでしょう。でも、「こうするなら
こうだよね」というような、楽譜から自然に導き出される結論のようなものは確実にあります。
この「解釈」を一生懸命にやる作業を、「読解」と考えるか、「創造」と考えるかが微妙なところだと思います。
「分析や解釈が上手くないけどいろいろ工夫して正解らしきものに行きつく」だとやっている方は「創造」のような
気になるでしょうが、慣れた後で考えるとこれは単に「分析や解釈の具体化を練習しているだけ」とも言えてしまいます。
楽譜の解釈とその具体化は、はっきりと言葉にして伝達するのが難しい分野ですが、多くのまともな演奏家に共有されて
いるノウハウは間違いなくあると思います。少なくとも、これができる人は筋の通った合奏指導や演奏指導ができます。
その意味では、その「共有されているノウハウが身についているかどうか」ですから、これは技術と言ってしまうことも
可能ではあります。個人的には、下手に「創造性」とか言いだすより、これを謙虚に教え学ぶことを考えた方がより深く
音楽を理解できるように思います。 つづき
この「解釈」から導き出される「順当な演奏」を上回るために、どんなアイデアや感覚を持ち込めるか…となれば、
さすがにこれは「創造」と言ってよさそうにも思えます。しかし、同じ曲には無数の演奏例があり、本当に独自性のある
アイデアや感覚は通常は残っていないでしょう。必ず、すでに誰かがやっていると思います。話が微妙なレベルに及びます
から、技術の有無も無視できません。
まとめると、演奏において「創造したような気になる」ことは比較的簡単ですが、曲やこれまでの演奏史の「釈迦の掌の
上で踊っているだけ」と言うのもまたよくある話だと思います。であれば、様々な解釈や演奏アイデアを謙虚に学んだ方が
生産的ではないかと思います。
最後の「奏者の音楽的基盤や肉体的条件」ですが、チェコフィルはモルダウを弾くと神懸かり、N響は大河ドラマの
テーマ曲で神懸かり(いくら上手いとは言え、ベルリンやコンセルトヘボウが大河ドラマテーマ曲を本当に和風に弾けるで
しょうか?)…などのように、技術や解釈を超越して「そうなってしまう」部分が残ります。個性や才能は最終的には
ここに行きつくだろうと思います。でもこれも、残念ながら「創造性」とはあまり関係がなさそうです。 >>948
建前上の話をしてもねー。
学校は物凄くムラ社会に見えるしー。
もちろん文科省(っていうか、行政機関の殆どが)もムラ社会だと思うけど、別のムラっぽいからねー。
だったら構成員間での評価って結構大きそうだよねー。 >>954
ムラ社会なのは認めますが、「構成員間での評価が『大きい』」とはどういう意味でしょうか?
給与には一切反映されませんし、分掌部長も学年主任も自分からやりたがる類の人は珍しいですし、
指導主事だの管理職だのは部活動に熱心な先生方は真っ先に避けたい仕事です。 長文先生です。
微妙に過疎っていた方が、コテがない方が、吹奏楽に限定しない方が、好き放題書けて楽しいかもしれません。
でも、コテはつけていませんが、隠す気もないので、文体や改行の癖は放置です。 >>953
自分達奏者、指揮者で切り開いたものであれば、
結果的に先人と被ってしまっても、それは創造だと思うよ
真似たのであれば違うと思うけど
自分はそう考える >>959
微妙なラインだと思いますが、そう考えることはぎりぎり可能かもしれません。
「個性」みたいなもので、実はそんなにそんなに人と違う考え方ってできないものですが、やっている本人は
「これが自分だ」と思っている、そういうものかもしれません。 人数足りない所は下手でも強制参加で
その下手なやつが演奏ぶち壊すから人数少ない所ほどギスギスする ことし4月に中学校の部活動の元教え子にアダルトグッズを贈ったとして、
県警が当時横浜市中区の市立中学校の吹奏楽部で外部講師を務めていた男性(32)=川崎市在住=を
県青少年保護育成条例違反(有害玩具の贈与)の疑いで書類送検していたことが19日、分かった。
書類送検は14日付。
書類送検容疑は、男性は4月上旬、18歳未満と知りながら
卒業した同校吹奏楽部の元男子部員に、成人男性向けのアダルトグッズ1個を渡した、としている。
捜査関係者によると、男性は「生徒が卒業なので記念としてあげた。悪気はなかった」などと供述、容疑を認めているという。
捜査関係者や学校関係者らによると、男性は吹奏楽部顧問の知人とみられる。
ことし3月下旬から4月上旬にかけて、
「良い物がある」などと言ってアダルトグッズ3個を別の男子部員に渡し、1個を同部員を経由して元男子部員に渡した。
男性は計4個のグッズを川崎市内で1個数百円〜千数百円で購入していた。
受け取った2人はグッズを使わずに、4月上旬に開かれた吹奏楽部の送別会のレクリエーションに景品として提供。
同会に参加した在校生ら3人がそれぞれ1、2個のグッズをもらったという。
うち2人はグッズを捨てたが、3年生の男子部員が自宅で保管。
母親が見つけ、5月下旬に県警に相談していた。
以下ソース:神奈川新聞 2017/06/20 02:00
http://www.kanaloco.jp/article/258980
どうして学校ブラバン文化に関わる奴はクズばかりなの? 学校教育の部活動を全面禁止すべき
特にブラスバンドの即時廃止は直ちにすべき
抵抗する顧問がいたら懲戒解雇で >>962
>どうして学校ブラバン文化に関わる奴はクズばかりなの?
・ガチの音楽家養成ではないので真正のプロでなくても偉そうにできる
・しかし本格的に音楽を教えたい場合は物足りないはず
・時間がかかる割に大した謝礼がないので、まともな仕事にはならない
・こうした条件でもやってくれる人は、
よっぽどいい人か、何か学校の吹奏楽に寄って来たい事情がある人か、
どちらか。
・「寄って来たい事情」に問題がある例が数多い、ということに見える。 うちの学校に出入りしているデブの金管講師、ロリだとの噂が絶えない。
彼氏いるんだろ?いないの?マジでー!?
どこに住んでるの?
とか聞きこむのもやめて欲しいし何より見た目も声もキモい。 こんなの教師がやったら一発アウトだよ。
出入りさせるからにはもう少し厳しく取り締まって欲しい。 教師がやって発覚したら一発アウトな
全力で隠蔽するだろ、教職員のクズどもは http://i.imgur.com/EQuIRD8.jpg
http://i.imgur.com/s0gRQ0M.jpg
学務WEB:注意喚起情報
本学学生への内定辞退の強要及びハラスメント事案が発生しています。
下記企業を受験予定の学生は事前に就職支援センターへご相談ください。
企業名:褐ツ別指導塾スタンダード(鰍rCホールディングスのグループ会社)
詳細:内定を得ていた学生2名が、内定者研修参加後の面談において甚だしいセクハラを受け、
1名が自ら内定辞退、1名が内定辞退に追い込まれた。 いまNHKでやってます
吹奏楽部もブラック部活動として番組冒頭で紹介 >>973
もうちょっと何か書いたら消えると思いますので、そろそろ消しますか。
「ブラック部活」とかそういう話題が大好きでたまらなそうな、朝○新聞の記者に取材を受けた時に、「どうせ音楽系の部活は
ある程度ブラックにしかならないし、完全にホワイトを目指した部活は別種のブラックだと思うが、顧問にできることは同じ苦労
でも楽しくできるように指導を工夫することと、勉強ができるだけの余力をちゃんと残してあげるオーダーに留めることだろう」
と言ったら「さすがです」とか言って去って行きました。
この感じがわかる方が指導されると、ブラックにはなりにくいでしょうし、はたから見ていてどう考えてもブラックだろうという
くらい活動がハードでも、意外と生徒は持ちこたえられそうな気がします。 夏休みだからとダラダラパート練習1週間とかやってるのどうにかならんのかね?
全体練習主体にしてパートはそれまでに終わらせろってやらないと締まらないだろ
こんなんだから市大会で銅なんて取るんだよ ブラック以前に部活なんだろうか?
同好会でいいんじゃないの。 なんでもかんでも
ブラックブラック
廃止廃止
ゆとり教員どもの横暴ひどすぎ
仕事しろ
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/52598 >>981
吹奏楽で全国大会をなくしたら、ブラック部活動は減るのだろうか?
支部大会が全国大会の代わりに目の色を変える対象になって終わるような気がする。
もともと、吹奏楽部は専門家育成機能はあまりないし、2の図のような棲み分けがキレイにできるようにも思えない。
それよりか、同じ記事の中のリンクをたどって出てきた「女子部員に全裸強要…日本に根付く「セクハラ部活」の闇」
に目を疑った。当然(?)吹奏楽部の事例も出ているけど、運動部のセクハラの凶悪事例ってすごいな。
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/52036 部活動を全面禁止しろ
教職員に能力がないんだから勉強を教えることと学校の中の環境を整えることだけを考えさせろ
給料も下げて解雇もし易くして最低限のことをまずやらせろよ >>983
と、ゆとり教師が手抜きを堂々と主張する時代 やっぱりうっつー先生の演奏技術はたいしたものだよ。生で聴いたけど圧巻だった。
さて、そのうっつー先生に比べおまえらはどうかね?
演奏技術のわりに、自分より上手な人に嫉妬して叩くことしかできない程度の低いアンチなのかね? 顧問の先生と遊びに来るOG/OBがまともな部で良かったー やっぱりうっつー先生の演奏技術はたいしたものだよ。生で聴いたけど圧巻だった。
https://www.facebook.com/ono.takatsune/posts/1725451070807699
さて、そのうっつー先生に比べおまえらはどうかね?
演奏技術のわりに、自分より上手な人に嫉妬して叩くことしかできない程度の低いアンチなのかね? レス数が1000を超えています。これ以上書き込みはできません。