出身/行方が分からない歴史上の人物
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
どこから来たのか・どこへ行ったのか分からない人物について推測を交えて語りましょう。 左慈とかサンジェルマン伯とかラスプーチンとか
得体の知れない連中しか浮かばん やっぱボルマンだろ
あれだけの有名人&大物なのに未だ定説がない
しかも20世紀の話だ ヒトラーだって、生存説が出るくらいだから
このスレに載せるだけの根拠はあるはずだ ジーザス=クライストほど
出身/行方が分からない歴史上の人物はおるまいて プーチンもオバマも得体の知れない過去を持ってるんだよなw
プーチンの履歴は消されてるし、オバマも
本物のアメリカ人か今でも未解決だしw オスマン帝国の軍人で青年トルコ革命やその後の政治に関わった、
エンヴェル・パシャは近代の人にも関わらず出生に割りと謎が多い。
出生年月日や両親の名前や6人兄弟という事などは分かってるけど、
いまいち不明な点も多い。どういう家の出だったのかとか諸説あるし。 それ言ったらケマルだってそうだ
ケマルも隠れユダヤ疑惑があるしな >>11
ケマルはエンヴェルよりはまだ分かってる部分が多いとは思うけどね。
ケマルもエンヴェルも中流階級の出身でさほど裕福じゃなかったしね。
まぁケマルのほうが少し裕福だったらしいし、生家も残ってるんだけど。 ・ハーキム
→エジプトのファーティマ朝の王。奇行で知られ、供も連れずに砂漠まで
散歩に出かけたまま、行方不明となる。
・羅貫中
→『三国志演義』の作者とされる。最期は行方不明となったともいうが、
そもそも経歴に未詳の点が多い。
・橘正通
→平安中期の文人貴族。源順の弟子であったが、弟弟子の源為憲の方を評
価され、官位も分相応という程度しか上がらなかった。
最期は高麗に渡って宰相となったとも、仙人になったとも言われる。
・天智天皇
→平安後期の史料に、一人で山に入ったまま消えたという異説がある。
・木下逸雲
→幕末の長崎で活躍した文人画家。江戸から海路帰還する途中、船ごと消
息を絶ってしまった。 ・高岳親王
→平城天皇の皇子。真言宗の僧侶。天竺を目指して大陸に渡ったが、途中
羅越国で流砂に呑まれたという。また、虎に食われたとの異説もある。
・石田玉山
→大坂の絵師で、法橋に任ぜられた。人物画を得意とし、上方で高評価を
得た後に江戸に移住した。ある日家を出たまま、遂に帰らなかった。
・メネス
→古代エジプトの王。カバに襲われて水中へ消え、そのまま見えなくなった。
・能海寛
→河口慧海と同時代に、チベットを目指した日本人の僧侶。途中で消息を
絶つが、近年では山賊に襲われたものと見られている。
・宗不旱
→熊本の歌人。昭和17年、阿蘇山中で行方不明となる。
・藤牧義夫
→版画家。24歳で突如失踪した。
・ロムルス
→言わずと知れたローマの王。豪雨の中で消えた。 >>16
>・ロムルス
>→言わずと知れたローマの王。豪雨の中で消えた。
ローマ帝国最後の皇帝であるコンスタンティノス11世もコンスタンティノープルが、
陥落する時に、戦禍の中に自ら突っ込んでいったから行方不明に近いんだよね。
ローマ帝国の最初も最後も行方不明の人物というのは偶然とは言え少し面白い。 ここまで辻政信の名前なし
20世紀で謎の失踪を遂げた人物と言えば真っ先に出てきそうなものだが。 出自不明
・桂昌院
→徳川綱吉の母。父は京都の公家とされるが、織屋の娘、大根売りの娘な
どの諸説が同時代からあり、母は朝鮮人ともいわれた。
・唐の武宗の妃
→誰かは判然としないが(候補は二名)、父は寺院に来て大根などを売っ
ていた野菜売りであったのが、娘のお陰で金吾大将軍となったという。
・空也
→平安中期の念仏聖。死の前後から皇族に連なるという噂があり、後世に
は醍醐天皇の皇子であるなどの諸説が生まれた。
・韓志和
→唐の穆宗に飛竜衛士として仕えた日本人。カラクリ細工の名手であり、
皇帝を驚かせ、かつ満足させた。最期は何処かへ消えてしまったという。
・テォファノ
→東ローマ皇帝ニケフォロス・フォカスの皇后。「酒を売る家」の出身。
最期は不明。
・ゼノビア
→ローマと戦った、パルミラの「女王」。前半生がよく分からず、最期も不明。
・西太后
→血筋も父も分かっているが、出生地不明。子供時代を語るのを好まなかったという。 >>17
一応、それらしいものは見つかったそうですが。
>>18
ビアスやテグジュぺリと並んで、著名すぎるせいではないかと。 >>20
確かに遺体らしきものは一応見つかったらしいけど、
それでも不明な点が多いからなぁ。遺体に関しても、
本物かどうか疑ってる人いるし。 >>14
家康のブレーンだった金地院崇伝は別名「黒い宰相」と呼ばれていて、
肌が非常に黒い大男で、出自が京都という以外は良くわかっていない。
崇伝は、もう一人の家康ブレーンだった南光坊天海と覇権を争っていたが、
この人物も出自が謎に包まれており、一説には本能寺の変の後に突然失踪した明智光秀ではないかとみられている。
更に言うと、家康の徳川家自体も唐突に三河の地に出現した土豪であり、系譜も捏造された臭い。
ともかく、江戸幕府を創始したこの三人ともが出自に謎が多いのは大変興味深い。 イスラーム圏ではシャジャル・アッ=ドゥッルやバイバルスみたいな、
奴隷出身の人物が結構いるからそういうのは当然出自も不明だね。
後、カニシカ王などに代表される古代インドの人物も出自不明の、
場合が結構多いね。ブッダですら生年には諸説あって謎が多いし。 >>21
ボルマンといい、「遺骸はあるが確証なし」も入れるとかなり増えそうです。
>>22
松永久秀も、よく分からない様ですね。
・伴善男
→応天門の変で失脚した大納言。古代の名族伴氏最期の大物。佐渡の百姓
が成り上がったとする異説があった。
・菅原道真
→もはや説明不要の文人貴族。右大臣。後世神格化されたせいか、6歳ぐ
らいの童子が出現して菅原氏に養われたとする伝承が生まれている。
・大江時棟
→文人貴族大江匡衡の息子。どうも養子であったらしく、藤原道長が路上
で牛を曳いている童子が項籍と同じ重瞳であったのを見つけて見込みあ
ありと考え、養子にさせたともいう、
なお、匡衡の妻は才女として著名な赤染衛門であるが、彼女の出身であ
ある赤染氏というのも、よく分からない。 よく考えたら、秀吉からして生年に異説があり、出身も賤民説までありました。
アッカドのサルゴン1世は、巫女の母が川に捨てて庭師に養育されたという。 ・ヤンセン親子
→スウェーデン出身の漁師。ノルウェー沖でタラ漁をしている最中に嵐に遭い
その後息子のO・ヤンセンのみが発見される。巨人の国へ迷い込んだとの異説もある。 正体不明といえば、華国鋒もそうだな
経歴不詳で毛沢東の隠し子説や失踪した三男の後身説もある
権力を掌握した決め手となった「あなたがやれば私は安心だ」も作り話だし、
出世できた理由や、失脚後も派閥を背負っていないにもかかわらず、
痛烈な体制批判を長年にわたって公然と展開できるほど強い立場にあった理由など、ひじょうに謎が多い >>16 高岳親王って60過ぎて冒険の旅に出たんだな。現代でも驚く歳だし、どうやって死んだかという情報が日本に伝わったのもすごい。
羅越国はジョホールバルあたりで、熱帯雨林気候の土地のはずだけど流砂って...砂丘とか?
サラディンも生没年はわかってても何でクルド人ってわかるんだ?とずっと思ってて調べたら叔父の名前にクルド語の「シールクーフ」(山の獅子)というのが出てきて
状況証拠だけじゃないんだと納得した。でも、一族はさらにさかのぼるとアラブ系らしい 仰る通り、今ではマレー半島あたりとする説が一般的です。
平安時代後期には、マレー語も断片的に日本に伝わっていたらしい。
(但し、通常はペルシャとされる「波斯」国語とされている)
しかし、正史には流砂とあります。
地名の推定が違うのか、死因が違うのか、それとも地名が誤報であったのか。
出身不明といえば、唐代に金剛三昧という日本僧がいました。
四川にも行った事があり、中天竺にも二度行って唐に帰還したそうです。
事実とすれば、日本人で最初にインドまで行った人物でしょう。 金日成
抗日戦線の指導者だったとか、ソ連のエージェントだったとか、日本軍の将校だったとか 高岳親王が雇った船主はインドではなく、オーストラリアへ行ったという説もあるね。
今でもそうだが旅先では言葉が通じ難く、自分の意志と違う意味で伝わってしまったのだろう。
インドへ行くはずがスマトラを超え、豪州のカーペンタリア湾付近に到達したらしい。
その後、行者(アボリジニ)の案内で須弥山(エアーズロック)に行き、読経や瞑想に耽ったり、
コアラやカンガルーなど不思議な動物と触れ合ったりして豪州を満喫したが、
幻の仏典があるという蓬莱島(タスマニア島)に向かうために通過中のシンプソン砂漠で流砂に巻き込まれて行方不明となったそうだ。 ナチス親衛隊には行方不明者がたくさんいる
ハインリヒ・ミュラー
リヒャルト・グリュックス
ハンス・カムラー
のような超大物から末端の雑魚まで。
終戦と同時に一斉に姿を消すところがホロコーストが
紛れも無い事実であることを物語ってるw ミュラーはソ連に「窮鳥懐へ」をやって成功して
むこうの秘密警察で働いた、って説がある。 そういわれると、敗戦で逃亡・亡命した日本軍の将校って聞かないな。 >>30
金日成を名乗ってた抗日指導者は何人もいたけど、
北朝鮮の国家主席になった本名金聖柱さんは弱小パルチザンの隊長で、
ソ連領に逃げて、ソ連軍大尉になった人だよ。
一番有名だった金日成は金聖柱の一世代上で、金聖柱の満州派ではなくて、
甲山派の前身となる一派の指導者の一人。 ここまで、エルビス・プレスリーがないなww
プレスリーの生存説も何回も流れているだろうww >>38
そっち方面だと女性飛行家のアメリア・イアハートも、
行方不明になってるね。そうなりやすい職種だからね。 ここまでアンブローズ・ビアスなし
人物だけでなく集団・民族単位でも
メソポタミア文明を築いたシュメール人をはじめ出身や行方がわからないのは多いね >ここまで・・・なし
まだ50スレもいっていない。早過ぎ。
天海僧正の前半生不明 >>35
特攻兵器桜花を作った大田正一なんて
国内亡命してたよ
戦後50年死んだことにしていた
あと731部隊の医者は全員教授サマになっちまったからなあw >>43 エトルリア人やメロエ人だな。後者なんか現存する周辺の民族(ヌビア、ヌバ、ベジャetc)の言語から解読への糸口がつかめそうな気がするんだけど....できないということはまったくの別系統か。(ナイルサハラ、アフロアジアとは)
まさか今ははるか南方にしかいないコイサン系の民族だったとか? 少年十字軍を呼び掛けたとされるエティエンヌなる少年。
フランスかドイツで啓示を受けたらしいという事しかわからん。
消息も不明。そもそも実在したかどうかも怪しいけど。 アッバース朝のムスタアスィム
処刑の記録があいまいで、実は幽閉されたとか追放されたとか テオドラといい、玉の輿だと素性がよく分からない人が多いですね。
綱吉の母は有名ですが、家綱の母も両親が死罪にされていたりと波乱万丈。
由羅(島津斉興の側室)
→いわゆる「由羅騒動」の中心人物。父は大工とも八百屋とも船宿の主とも
言われ、親も生年もはっきりしない。
しかし、その玄孫が香淳皇后である。高祖母がよく分からない人間と、先
祖が徳阿弥という阿弥号を持つよく分からない人物であった人間が、皇后
を「粉屋の娘」と冷遇したというのも、考えてみれば皮肉な話。
そして、高確率で今後の歴代天皇は末代まで大工だか八百屋だかと粉屋の
子孫が続くことになる。「皇を民、民を皇」にすると言った崇徳院も吃驚。
・祇園女御
→白河院の寵愛を受けた女性。平清盛の父を白河院とする説に、彼女ない
しはその妹を清盛の母とする説もある。
出自は不明で、元は中級貴族の妻であったともいうが、祇園社の前で水
汲みをしていた卑賤な女が、院の御目に留まったともいう。
>>51
源範頼も、どうなったのかよく分かりません。
やや時代が下って書かれた史料通り、誅殺されたというのが妥当でしょうが。
与一に至っては、実在も不明。同時代人では、巴も消息は不明ですね。
尼となって、90過ぎまで生きていたとも言いますが。 失礼、殺されたのは家綱の外祖父のみです。
禁猟の対象であった鶴を射殺したのが原因。
孫ピンの最期は、某漫画でどう締めるのか、気になるところです。
李信も気になりますが、こちらは一応子孫とされる人物がいますからね。 >>15
船ごと消息を絶ってしまった。
って、普通に海難事故だろ。
死体が見つからなければ、結局は行方が分からない止まりです。ロマンは残る。
海で行方不明といえば、ディーゼルもそうですが。
これを普通の転落と見て終わるか、更に妄想するかは人それぞれです。 補陀落渡海で流れていった人は最終的にはどこに辿り付いたのだろうか? 黒潮に乗って北アメリカ大陸か。着いたときにはとっくに行旅死亡人だろうけど 遣唐使船もかなり行方不明になってるが、どこへ流れ着いたのだろうか?
阿倍仲麻呂の船は唐からの帰路、琉球まで他の船と一緒に着いてきたが、
その一隻だけ流されて、ルソン島に辿り付いたそうだね。
ルソン島には唐王朝の駐在員がいたので長安まで帰ることができたが、日本へは二度と帰れなかった。 >>60
京⇒伊豆遠島⇒伊豆諸島支配⇒追討⇒琉球⇒琉球列島支配⇒尚氏始祖 カエサルの生年も二説あるね。紀元前100年と102年。
役職に就ける年齢の関係で紀元前102年でないと「法を無視した」
ことになるってんで未だに決着してない。
ガリア戦記に出てくるガリア人の有力者たちはほぼ生年不明。
二十歳くらいだったと言われるウェルキンゲトリクスですら
ガリア戦記に年齢が書かれてるわけではない。
ローマだと青年というのは30歳くらいまで含むからね。 今の日本、青年実業家だと45歳くらいまで言ってたりするで
劉邦とかどうじゃろ。
出自にさんざん疑念を向けられてるが。
名前もない層だったという人も居るが、姓氏がないならともかく名前がないは無茶振り過ぎな気がする。
奴隷かよと。
むしろ俺は逆に案外本当に士会傍系ってのも実際あり得そうと個人的には思ってるが。
というより、ぶっちゃけそんなに階級の流動性があったとは思えんのよ。
>>35
林彪の下で中共空軍の指導に当たった日本陸軍の佐官の林って名字の人が居たはず。
期せずして同じ名字で笑った記憶がある。 >>65
劉邦に関しては、
・幼少の頃に盧綰と一緒に書を学んでいた
・弟の劉交は学を好み多芸多才で詩経を荀子の弟子に学んでいたが、焚書坑儒の時に学業を断念した
・兄や弟にもちゃんとした字がある
・働きもしないのに、長い間酒食に溺れるような生活を送ることができるような財力
・魏まで旅行もして張耳のもとを訪れ、食客にしてもらった
このあたりから、劉邦の実家は子弟に良い教育を施せるような富裕層であると思われる
そして、劉邦自身も信陵君の薫陶を受けた張耳に食客にするに足る「士」と認められるだけの教養や技術を身につけていたんだろう それを言うなら朱元璋とかどうなんだろう。
何しろ凌遅三千刀、滅九族のお方だから
いろいろ都合の悪い記録が抹消されてそうだ。
>>67
そりゃ元は名家でしょ
丸っきりの貧農からあんな人物が出てくるはずは無い >>67
朱元璋は完全な貧農。食うに困って僧になって最低限の
文才は身につけたが、教養は低かったと考えられる。 親や兄が餓死した様ですからね。
他に王胤の出身でなく、若い自分に貧乏だったり苦労したりした王は、
チャンドラグプタ(カーストが低かった)、イヴァイロ(豚飼い)、馬殷(木工)、
劉邦の弟の子孫と自称した宋の高祖(父に間引きされそうになった)、エカチェ
リーナ1世(農婦→娼婦)、ディオクレティアヌス(兵卒)、バシレイオス1世(農民)など。 >>52
江戸時代に御落胤と公認されて宮家を継承した
伏見宮貞致親王。この御方、本当に皇胤なんでしょうかね。
ただの鍛冶屋だったらとんでもないこと。
言うまでもなく香淳皇后の父方の直系先祖。
それと故人、しかも皇太后陛下をこういうのもどうかと思いますが
香淳皇后には徳が欠けていたような・・・。
「魔女」を寵愛したり。 戦争末期、昭和天皇が懊悩して寝室で独り言を言い続けるので
「眠れない」と侍従に言ってきたこともあるとか出典は忘れたけど読んだ。
自分が眠れないと悩む前に夫君と苦衷を分かち合うのが先では? >>71
> イヴァイロ(豚飼い)
イヴァイロについては資料がほとんど存在していない為その出生は謎に包まれており、
民主化後のブルガリアではイヴァイロは実は貧困層出身ではないのではとの説が出始
めています。聖キリル・メトディー大の故アンドレーエフ教授によるとイヴァイロはむしろ
重武装も可能なオヴェチ(現在のプロヴァディア近辺)の豪農だったのではないかと問題
提起しました。ボジダール・ディミトロフ国立歴史学博物館館長は更に踏み込み、イヴァイ
ロはオヴェチを支配していた貴族と断定しました。ただ、これらの説も一次資料の不足とい
う問題がある為、科学アカデミーから支持されているとは言えません。また、ディミトロフに
至っては普段から暴論も多い上に共産党、社会党、そして現在の与党であるГЕРБの
歴史イデオローグを務めていました。これは通常の歴史研究以上に歴史の曲解や改竄を
行っていたと言うことでもあり、彼の言説を真に受けるのは危険ということでもあります。実
際に、政府の威を借り自分の学説に同意しなかった学者に対し恐喝まがいの言動を行った
り、秘密警察協力者だったと言う文章も暴露されました。
ちなみに、数年前に偶然ブルガリアの受験生用参考書(執筆は聖キリル・メトディー大の
教授陣)を入手しましたが、見事にイヴァイロに関する記述がありませんでしたw
>>73
時代小説の主人公にされてもおかしくない御経歴。
漫画化するなら、高瀬理恵先生ですね。
>>75
結局のところ、未だ判然とせず、ですか。
現代史のゴタゴタの方もある意味面白そうですが。
「実は豪農」といった説が後から出て来るのはよくあることですが、談論風
発の光景は見ごたえがありますね。
東欧というか、ハンガリーに関しては詳しい方がいらっしゃったのですが。
左寄りの史観をお持ちということで叩かれて、以後お見えにならず。
残念なことです。 >>73
貞明皇后と香淳皇后の女官、今城誼子を魔女呼ばわりしてたのは、
入江相政とその一派。どちらが君側の奸かと問われたら、入江なんじゃないでしょうか。 魏の斉王・曹芳
皇帝なのに正史にまで父親不明と書かれてる有様 ホークウッドやヤンジュシュカなど
戦で名を挙げた人は
産まれの話とか聞かないなぁ >>79
それでもヨーロッパの場合は生まれてそう時間経たずに洗礼受けるから
その記録が残ってれば一応生まれた年と場所くらいは分かったりするんだけどね。
ダルタニャンなんかその記録もないから
名前だけは有名なのに1610〜23年と生まれた年に諸説があって
大体1615年頃ということしか分かってない。
>>80
三十年戦争の最中だろ、そりゃ寺に焼き討ちとかやりまくってた時期だから過去帳なんて残ってるかよ。 >>16
>・ロムルス
>→言わずと知れたローマの王。豪雨の中で消えた。
ナニ言ってんだ。ロムルスに関しちゃ古代ローマ人は皆知ってる。
空に昇ってクイリヌス神となり永久にローマを守るようになった。
………ということにローマ建国神話ではなってるね。
実際は嵐の夜に外に出たロムルスを、反感を持ってた元老院の面々がぶち殺したらしい。
遺体が出なかったのはその元老院議員達がバラバラにしたロムルスの死体を別々に服に隠して持って帰り、処理したから。 ローマといえは皇女ホノリア。
いろいろあって幽閉されていたが、アッティラ大王に救いの手紙と指輪を送ってフン族のローマ侵攻の口実を与えてしまう。
混乱の中、ホノリアのその後は不明。 オーストラリアの首相にも海水浴に行ったままの人がいたな >>84
あの人中凶のスパイで
中国で見たという人もいたなぁww >>65 >>66
劉邦の近しい先祖は魏の大夫って新唐書にかいてあるね キリストや親鸞聖人は一時本当に実在したのか?
といわれていたのに、
お釈迦様はどうなのだろうか?
今でも生まれた年が学説によっては100年くらいずれているだろうww
これが孔子様だとそこまではずれていないだろう 釈迦非実在説というのも、19世紀に出されたことがありました。
しかし、当時ですらあまり相手にされていなかった上に、アショーカ王の時代
に建てられた舎利塔や銘文の刻まれた舎利容器、アショーカ王が釈迦の生誕地
の税を八分の一としたという石柱が発見されていることから、実在自体は、あ
まり疑えないと思いますよ。
怪しいといえば、老子。『道徳経』の作者がそうだと言えばそれまでですが。 元朝に行方不明になった少年皇帝がいたよな。
いくら内乱の渦中とはいえ、
なんでユーラシアをまたぐ大帝国の皇帝が行方不明になれるんだ。
ドーソンとかに若い頃影響されたので
いくら杉山正明読んでも蒙古帝国には強烈な嫌悪感がある。
虐殺、強姦、略奪、乱脈な欲望のままの施政ってイメージが
もう拭い去れない。 「張、李、王、趙、劉の姓を持つ者を悉く殺し尽くしましょう」
こんな上奏をおおっぴらに出来るってやはり元朝は狂っているな。 >93
むしろそうやってた方が世界は平和になったかもしれない。 >>34
ミュラーはローマの寺院で余生を送ったんだよ
昔ミュラーの隠し子が親父を探すっていう番組があって
ミュラーの墓碑もそこに立っていた >>91
モナコとかリヒテンシュタインとかトンガとかのちっこい国の方が行方不明になりにくいだろ。 カインの嫁。
妹らしいのだが、人類2世代目でいきなり近親相姦ってw つーか最初の猿人は進化直前の猿とやって子供作ったのか、同時進化した猿人とやって子供作ったのかも不明だな。 >>93
あの国の文弱・軍事蔑視・腐敗以外の悪徳は大体遊牧民由来だからむしろ史実より大変なことになりそうだな。
天の思想や、「兄の国、弟の国」(一番最初に言い出したのは匈奴)といった中華思想の発想自体がモロ遊牧関連。 >>104 それ鳥類・哺乳類だとほんとうに厄介な疑問だよな。まさか一卵性双生児で性別が違って生まれるってことはないだろうから、
先祖種とのいわゆる戻し交配を一回はやってるのか、
なぜか同じ部位の遺伝子が変化して生まれた別の個体がたまたまいたのか(ある意味多地域進化説のごく小さい版)
植物なら自家受粉で片付けてもよさそうなんだけど 最初は神が完全な人間を作って努力を怠ったヤツが退化したことくらい知らないの? 出身/行方がわからないっていうか、正体に疑惑があるのがシェイクスピア。生年、没年、出身地、親もわかってる通説の人物と作品を書いたのは別人だという説と政治絡みの陰謀論がしつこくあって、今度映画にまでなってしまった。
個人的には、別人説は全然信じてないけど。別人作者の候補は何人もいるのに、映画の主人公は一番あり得なさそうなバカだし。 日本人が写楽の正体探しを楽しむように英米人はシェークスピアの正体探しを楽しんでるんだろうな。
正直どちらも正解はどうでもいいのかも。 ヴォー・グエン・ザップ。ベトナム戦争の英雄のはずが20年前に党籍剥奪されてから消息不明。
生きてれば100歳だが・・生きているとも死んだともニュースはない。
張学良が100歳、ヘスが93歳まで生きてたから意外と生きてるかも・・
写楽も江戸時代の複数の史料に阿波の能役者だと書いてあったのに、あれだの
これだのと諸説が立てられましたね。
現在では過去帳も発見されており、能役者説が有力な様ですが。
某推理作家の御大の小説では、オランダ商館員とされていましたが、あれは洋
画とは異なる、東洋画の線描の技術で描かれた作品です。
ノウハウがまるで違うので、清人や朝鮮人には描けても、オランダ人には無理。
勿論、行動範囲や滞在期間を考えれば、朝鮮人も有り得ませんが。
写楽ではありませんが、北斎朝鮮人説というものが、韓国から出た事があった
そうなので、一応申し上げておきます。 >>93
張献忠はポエマーだよな
七殺詩おいときますね。
生万物以養人
人無一物以報天
殺殺殺殺殺殺殺 >>113
たまに記念式典によく顔出したり、政府批判したりするのがニュースになるぞ?
最近は陸軍病院に入院してるけど >>117
まだ生きてるんだ。サンクス。
詳しいね。ベトナム在住の人? >>118
いや、海外ニュースのサイトで見かける
今年は韓国の新聞がインタビュー載せてた
ボー・グエン・ザップが消息不明って釣りかよw
孫がドラえもんにハマって、自分にかまってくれないってインタビューでこぼしてたのはかなり有名だと思うが >>119
100歳だから死んでるものと勘違いしてた。
ソフトバンクの孫がドラえもんにはまってる?って読んじまった。
100歳なら曾孫くらいか。 >>115
史書に墓のことも含めておおよその事跡がありますし、実在はしたでしょう。
事跡不明瞭といえば、師升の方が年代的には早くて一応疑う理由もないとい
うのに、卑弥呼が日本史上最初の「人物」であるかの様な扱いを受けている
のは、不憫。
一行で終わる様な内容ですので、無理もないですが。 >>121
それプラス男で有るって事が面白みに欠けてるってのも有るだろう
卑弥呼はなんと言っても女王って言う(実際はともかくも)そう言うある種のロマンチシズムが有るからな 行方がわからないというよりも
死後ミステリーなったのは
エバ・ペロンだな
何で死体があそこまで流転したのだろう
スターリンの死体だってどうなったのかちょっとわからないところがあるだろう
一説には、どこか秘密の隠し部屋に隠してあるとかいわれていた時期が
あっただろう
ベリア、処刑されたのは間違いないにしても、いつ殺されたか
どんな死に方をしたかちょっとわからないところがあるだろう >>120 ちなみにあと12日で100歳
そういえば世界史板の長寿の人物ってスレがなくなったな >>121
宋の皇帝、趙匡義。宋ったって、倭の五王の宋ではなくて、五代十国を平らげて、西夏やら遼やらと対抗していた、統一王朝の宋な。
隋に盛んに使節を出していた倭が、盛唐期に対外的に国号を日本としていること、その後も連続した王朝が続いていることを知らなかった。
夜盗あがりの明や漢とは違って、宋王朝の趙家はは長く続く有力家系の出で、且つ、禅譲を受けての王朝。趙匡義は故事に通じ文治策を
進めたことでも有名。
そういう教養人が、商船の盛んに往来していたところの国情に全く疎かったわけだよ。官的な交流は無かったにせよ、その百年前まで
遣唐使が来ていた。にもかかわらず、隋以前に使節を遣した「倭」と、唐に使節を遣していた「日本」と、今(10世紀末の宋)の東の海にある
「日本」が、連続した王朝の連続した政権に配下にあるとは知らなかった。
オマケに、日本国には、犀や象がウヨウヨ居る、とまで思い込んでいた。
双方安定期の政権のときに支那の皇帝の認識がこういう有様なのに、分裂戦乱時代の一地方政権の魏の政権が、原始時代からチョロっ毛の
生えたような時代の日本にのことを、正確に把握しえるのか?
>>125
詭弁のガイドラインにあったな。
特殊な例を持ち出して一般的であるかのように主張する。
アホ皇帝の知識と歴史家が書く史書の信憑性に何の関係が? >>126
ちょっとスレ違いだが
明史倭人伝でも、に本に対することはかなりトンデモを書いているぞww
あの時代は、倭寇はやってくるわ、朝鮮征伐でたくさんの日本人
捕虜を捕まえるわで日本の知識は豊富にあるはずなのにだ
ああいった史書は、皇帝の業績だけを書くためにあるのだから、
日本のことなんか適当でいい、ただ皇帝に朝貢に来たことだけを
載せたらいいとの感覚で書いたのだろうww
>>125そういや、この皇帝も殺されたのか病気なのかわからない
ところがあったのではないかな
>>113>>117
去年だったかニュースで見た。
ハノイの街に出たところをアメリカ人観光客にキャーキャー騒がれて囲まれていた。 >>125
時代も事例も別の話を持ち出してきて言ったところで、反証になりません。
それでも一応申し上げておくと。
>日本国には、犀や象がウヨウヨ居る、とまで思い込んでいた。
発言者は「然でしょう。家畜の面でも羊などが飼われていると言っており、
何故そんな事を言った(厳密には筆談した)のか分かりませんが。
あるいは、日本を大国であると意識させたかったかものか。
「然はこの時、日本の年代記を献じています。
『宋史』には、歴代天皇と諸道について長い引用がありますが、それまでの
中国の史書には見られなかった記述です。
つまり、新出の知識であって、知らなかったことは無理もない。
私は、中国側の事情というよりも、日本国内における書籍というものが、正
史以外でもある程度充実してきたからこそ起きえた現象だと思います。
「然と当時の文人貴族、就中慶滋保胤は『作文大体』や『本朝文粋』に親交
が見える仲で、保胤以降、中国の書籍の日本版が執筆される例が増え、概要
を掴みやすい書籍が次々と生まれている。
そうした、アンチョコ本の様なものが日本で生まれる様になるまで、中国側
では細かい事情まで知るに及ばなかったのでしょう。
『日本書紀』の題名が海外を意識したものであることは有名ですが、宋代よ
り前に中国に伝わってはいない様です。 扇や刀に対する評価といい、この頃ようやく日本の文化が中国に対してある
程度評価され、注目されるレベルに達していたと思います。
『源氏物語』も含めた「国風文化」も、中国文化の消化が生んだもの。
それだけに、近年中国の影響を離れたという意味での「国風」という名称は
カッコつきで扱われていますね。
しかし、日本自体は太宗自身が言っている様に、あくまで「島夷」です。
太宗が意識していた「古之道」というものは、所詮中国で成立した古籍に習
うべきものであって、日本については「教養」と見なされなかったのでは。
実際に、「然が国内にありとしているのは、儒典・仏典・白氏であって、中
国側に伝えるべきものとして、国産の書籍が挙がっておりません。
また、献上品として特に解説があるのは、中国で散逸していた『鄭氏孝経』と
『孝経新義』です。
知るべき価値ありと認めていたのは、島夷の情報より、本来その辺りでしょう。 また、過去の出来事については伝聞となりますが、『魏志』に関して言えば、
直接使者が行ってきた見聞を記したものです。
発掘結果と多少の食い違いはありますが、まだ理解出来る範囲内。
こんな「別の話」を持ち出すのも恐縮ですが、『海東諸国紀』では、日本の
歴代天皇や地理について、概説を記している。
要するに、それまでほとんど知る機会がなかったのでしょう。
『日東壮遊歌』でも、過去の天皇について、事跡と名称に錯綜がある。
過去の情報について、詳しく知る手段が限られた時代であったという、現代
との環境の違いを考えてみないといけません。
『明史』の秀吉ほかの扱いはいい加減ですが、直接行って来た人が書いた本
である『看羊録』でも、どっこいどっこいですからね。
しかし、卑弥呼とその国については、後継者の台与に魏の使節が激を伝えて
いますし、戦争→「鎖国」に至った時代の日本の情勢よりも、よりよく見る
ことが出来たと考えます。
かたや使節としての朝貢国倭国の見聞、かたや捕虜や居住・移動を限られた
人々からの伝聞ですから。 >>129
或る程度、往来の盛んになっている時期ですら、この程度の知識、この程度の関心しかないものが、
往来の困難な自分の状況を把握しえるのか?
新出の知識、というところがそもそもおかしいだろ。 >>132
>往来の困難な自分の状況を把握しえるのか?
移動行程が、実際おかしいでしょう。
西域と距離を合わせたためだとも言いますが。
しかし、現地に行って見たことをおかしいと判断する必要はない。
更に、人物の実在や葬送の状態まで疑う必要もないでしょう。
>新出の知識、というところがそもそもおかしいだろ。
何がですか。過去の歴史を通して見た訳でなければ、無理もないでしょう。
隋の使いも、推古天皇を実見していなかった様ですし。
隋代以降は日本側がいささか夜郎自大的な態度を見せたこともあり、中国側
もつかみにくい点があった様に見えます。
それだけ、国として発展していたということですが。
隋に対して天子を名乗ったり(日没する処、致すという表現などが問題とな
ったとも)、自国を倭皇としたり。 >>113
ヴォー・グエン・ザップは党の全ての役職を剥奪されたのは確からしいが
共産党から除籍されたという話は発見できなかったが。
アレクサンドル一世にも死んだのは別人で
シベリアかどこかの修道院に入ったとの説があるだろう? やたら宮廷社会に詳しい世捨て人がいて
その人が実はアレクサンドル1世じゃないか、って話ですな。
パーヴェル1世の庶子、つまり皇帝の兄弟だった人じゃないか
って説もあるね。
アレクサンドル1世は意志薄弱な偽善者という印象がある。
自由主義を信奉するようでいて農奴制はそのままだったし
屯田兵制度で農民を塗炭の苦しみに陥れた。
皇后も貞淑なふりして間男と密通する淫乱だった。 明の崇禎帝の皇太子。
李自成軍に捕らわれて後行方不明。
処刑はされていないようだ。 >>133
何が、って、為政者が、近隣国について関心も持たず知識も無い、というところがおかしいだろ。
しかも皇帝としては二代目だよ。
遠方の今まで見も知らず聞きも知らずというようなところでもない、前の統一王朝の頃にはそれなりに官約の交流のあったところに
新出もなんもないだろ。唐の頃に、対外的な国号を倭から日本に改めているのに、それすら知らんとかいうのが。 ナポレオンってどうやって亡くなったのでしょうか?(・・) >>139
最後の遣唐使から150年たってるし、軍事的脅威も無けりゃそんなもんじゃない。
戦争中に海軍の司令長官が行方不明になってしまう世界史に類を見ない椿事
「海軍乙事件」
信憑性は低いけど、古賀峯一大将が実は生きていたって話は時々出るよね
>>138
本人のものとされる心臓をDNA鑑定にかけたら、本人のものと判断された様ですね。
ニコライ2世一家といい、ボルマンといい、つまらないと言えば、つまらない。
>>139
>対外的な国号を倭から日本に改めているのに、それすら知らんとかいうのが。
そこは、太宗個人の言葉ではありませんが。『旧唐書』の記述を踏まえたもの。
原文にも、9世紀以降の伝を失ったとある様な混乱ぶりで、致し方ない。
それに、話は戻りますが、それとこれとは別です。
宋の太宗が日本について知る所は、史書によればここからここまでであった。
これは、史書から実際に読み取れることです。
『明史』に見える、日本の記録がいい加減である。
これも、日本の記録から判断される事実です。
しかし、『魏志』の倭人に関する記述は厳存しているのであり、いくら宋や
清の例を引いたところで、否定する根拠にはなりえません。 >>143
いやさ。
だからさ。
直接攻め込まれたりする心配ないから、日本への大陸からの関心なんてそんなものなのよ。
魏志倭人伝の卑弥呼にしても、漢書に出てくる大秦国の安敦にしても、どこまで把握していたか。 エジプト女王クレオパトラーの弟で夫のプトレマイオス13世。
ナイル河で溺死して行方不明。
今まで登場して居ぬところから察するに、お前らは『西洋古典学事典』も購入していぬようだナ
貧乏人どもは実に哀れなものだ! >>145
どういう生まれで、どこでどんなふうに死んだか、ちゃんと判ってんじゃん。 >>145
そんなに西洋古典学事典を薦めるなら貴殿が自腹で希望者分を購入して無償配布してくれ 溺死は、死んだ筈だが、死体が無いんで「行方不明」になるね
フリードリヒバルバロッサもハルツ山地で今もドイチュライヒを見守っているのだ! 遺体が見つからなかったのならコンスタンティノス11世パライオロゴスも >>149
こういった最後は胸が熱くなるなぁ
新撰組の土方歳三と同じで >>150
貴様には硫黄島戦を勧める。
栗林中将とバロン西。逆に身バレしてルーズベルトニ与フル書を残した市丸少将。 >>150
小芝長之助と安富才助とが戦死を確認しているだろ。 >>149
私の胸に剣を突き刺してくれるキリスト教徒は一人もいないのかって最期の言葉がカッコいいな。
誰が聞いたんや〜ってツッコミは無しで。 ロシアの偽ドミトリー一世の話も面白いな
一応モスクワを占領したからな
それに、偽者の偽者まで出てくるのだからなww >>154
自分から「偽のドミトリーだ」と言ってたの? ロマノフ朝成立までの混乱とgdgdは面白いな
偽ドミトリー1世、偽ドミトリー2世の
1世、2世が、一人目二人目の意味だと分かったときはどこの小説かと思ったよ なんと、ここまでドイツ語圏で「謎の人物」の代名詞である
カスパー・ハウザーなし フランスの有名な山師
サン・ジェルマン伯爵とカリオストロ伯爵には
いずれも出自があやふやで死後にも生存説がある カスパー・ハウザーなんてただの池沼ホームレスだろ。 エジプト・マムルーク朝の初代皇帝も出自不明
てか、もともとハーレムの女奴隷だし ジンギスカン。日本にわたり源頼朝になったとの説があるが
真相は不明である。 最初の人間はどうやって猿から進化したか。
さらにいうと最初の生命は・・宇宙の始まりと終わりは・・ エコール・ド・パリの画家モーリス・ユトリロ
母親は画家のシュザンヌ・ヴァラドンだが、父親が誰か今でも不明
科学者アインシュタインの最初の子供、長女リーゼル
生後、里子に出され、その後は消息不明 >>164
アインシュタインほどの超有名人の子孫でも不明者がいるのがすごい。 石川ゴエモンが逃げてヌルハチになったかもしれないって漫画なら最近あったな。 星野泰視先生の『風と雷』ですね。
五右衛門も、江戸時代に「絶景かな」などの名台詞や辞世の句、名場面など
で有名になったものの、同時代人のスペイン人の記録によって実在が確認さ
れたという人物で、諸説紛々です。
そういえば、江戸時代には清王朝の遠祖が義経であるという説が出ていました。 五右衛門出してよければ山本勘助出しますがな。
記録に出て来て実在確認されたのは昭和になってからで
しかも使者としての登場だから生没年も史実としては未確定。
通説では第四回川中島の戦いで戦死。
出生地は諸説あって定まらず。
デッドライオン・・・
という冗談はやめておいて、切り裂きジャック事件の最後の被害者とされるメアリー・ジェーン・ケリーも出自不明ですね。
本人の言説による出自はでたらめだったと証明されたそうですが、実際には孤児院あたりの捨て子だったのでしょうか。
写真も当然無く、遺体すら当人だったかも不明。
そのあたりの不確実さが後世の諸説(皇族がどうのとか真犯人はメアリーだったとか)を生んだ気がします。
>>169
それでは、百地丹波と藤林長門と佐田彦四郎を(ry
あれは、使者に「山本菅助」がいたというだけの史料ですからね。
同音異字が珍しくない時代ですが、普通なら単なる同名で済ませる所です。
発音だけなら同名の人物が、当時何人いたことやら。
モデルになった可能性あり。これ以上もこれ以下も言えなさそうです。
しかし、それもまた面白し。
>>170
一人だけ若いですしね。娼婦の経歴詐称は、時代と地域を問わずいつもの事
でしょうが、事件がその内の一つの記憶を半永久的なものにしてしまった。 チンギスハーンも病死とか暗殺とか落馬による事故死とか死因がはっきりしていない >>18
> ここまで辻政信の名前なし
> 20世紀で謎の失踪を遂げた人物と言えば真っ先に出てきそうなものだが。
ラオス王国最後の国王サワンワッタナーも、病死と発表されたが、どうなったかの真相は不明。
墓も無い。 >>173
弥助ってのもかなり謎めいた黒い人物だよな。 >>23
遅レスでスマンが、
カニシカ王に関して言えば、近年発見されたバクトリア語の碑文から、
クシャーン王朝の代々の王の血統であり、父は前王ヴィマ・カドフィセスであったことが知られている。 >>177
確かにそうだね。クシャーナ朝における王朝交代説は最近になって、
否定されてるんだった。古代インドだとチャンドラグプタとかのほうが、
出身が不明な人物として有名かな。ヴァルナも良く分かってないしね。 弥助の正体は小林克也・・・・と言っても知っている人はもういないだろうな >>179
困った時のウィキペ先生に頼ったら「おしゃべり人物伝」て番組だったのか完全に忘れてた。
それにしても「へうげもの」の弥助はぶっ飛んでたな。 >>167
油でかまゆで
油はヌルヌル
ヌルヌルでヌルハチ
ということか >>168
>江戸時代には清王朝の遠祖が義経であるという説が出ていました。
それってモンゴルの始祖、チンギスハーンでは?
寧ろ清の祖先(金)を滅ぼしちゃった方では?
>>179
>おしゃべり人物伝
超懐かしすぎるんだがw
竹中直人が源義経の回に演じてたね。 >>184
>それってモンゴルの始祖、チンギスハーンでは?
そんな当たり前のことなら、わざわざ書いておりません。
確かに、シーボルトが来日した時代にはあった様ですが。
随筆『甲子夜話』や、贋作者として有名な沢田源内が偽作した書にも出て来る説です。 ヌルハチ自体の出自がよくわかってないからな。
だから後世の日本の漫画界でゴエモンがヌルハチかは定かではないとか、抜かずヌルハチとか書かれちゃう。
完顔阿骨打って名前のエロ漫画家もいたな。 しかし、五右衛門が処刑される頃(1594年)には、とっくに満洲の主を
名乗って勢力を拡大していましたからね。 秀吉の朝鮮出兵のとき、明の和平使節として送られてきた沈惟敬は、
やる事も怪しげだが、その出自も不透明で山師っぽく面白い。 >>186
となるとWikipedia辺りに出てるヌルハチの生年月日は
眉唾と思っていいのかな?
月日はともかく生年は間違いなかろうと思ってたが
出自不明なのに生年だけは正確って考えにくいんだけど。
親がそこだけ正確に覚えてたとも限らんし。
ウィキペディアの記述が何を元にしてるかわからんが。
当時でも自分の年と誕生日を知らない人間の方が珍しいだろう。
清朝成立後でもドルゴンとかヌルハチの子供らに聞けばわかるだろうし。
wikiに頼ってる奴は自分の知識の無さを認めている奴。
よく覚えておけ。 >>184
先に清祖義経説があったの
元祖義経説はその焼き直し
焼き直しの方がメジャーになったというだけ 民族単位だと出自も行方もわからんのは多いよな
ヒッタイトはアーリア系語族じゃなかったことがわかったし
扶余もわからん
高句麗だって民族構成が未だに不明、扶余説から女真説まで 今のコリアンもそうだな。
李朝の四代目の作った諺文の見本には今の朝鮮語に似たような語呂の単語がいっぱいあるから、李朝の早い時期には
そういうのが主流になってきたんだろう。
でも、高麗の単語は残ってないし、人名は唐名とモンゴル名で固有語っぽいものも無い。
その前の新羅や三韓の人名や伝わった事物についての単語は、およそ今の朝鮮語とは結びつかないし。 >>194
扶余系はアルタイ系らしいとはかなり言われてるけどツングースではないそうだ
ではトルコかモンゴルかと言うとそれとも違うと
それで海外主に欧州系の学者は第4のアルタイ諸語って言う扱いで探ってるらしい
しかし余りにも不明確な部分も多いし未だ確固たる定説は無い様だ
高句麗に関しては王族っつうか支配層は扶余系って説が強い
被支配層がそれだけどの民族が居たのかに関してはこれも諸説紛糾して不明確
高句麗は後に上層部の連中が渤海を立てたりしてたけど
これなんか扶余とツングースの連合体って説が結構有る
何れにせよ高句麗と現在朝鮮とは直接的な繋がりはほぼ無いはず >>196 何せ「村」が白村江にあるように「スキ」だったようだし。今は「マウル」か 高句麗どころか新羅や百済の文化も全然残ってないでしょ今の半島には
辛うじて高麗文化の痕跡があるって程度 エベンキと同系統でしょ。
トーテムポールとか鳥のヤツとかそのまんまでしょ。 ロシア人やウクライナ人、ポーランド人も出自はゴチャゴチャだな ん?
モンゴルの被征服地つながりか?
polskaは別か。 テオティワカンやナスカやインダス文明並みに担い手の民族系統がよくわからないんだな
高句麗や新羅や百済って
まだ契丹や西夏のほうがあたりがついてる
唐を建国した李氏も史書では老子の子孫だとかになっているが
武川鎮軍閥の来歴といい、血縁関係といい、どうみても漢族ではなく
鮮卑族だろjkて説がある。
李氏朝鮮を建国した太祖李成桂は朝鮮族ではなくて女真族だとか
書くと2ちゃんがまた鯖落ちするのかな?
岡田宮脇研究室
論証:李氏朝鮮の太祖李成桂は女直人(女真人)出身である
h ttp://www10.ocn.ne.jp/~okamiya/liseikei.html >>203
李朝の廃仏が効いたね
高麗だけでなく新羅や百済の仏教関係事物が根こそぎ消された
仏教遺物は書物以外も歴史的価値のあるものの宝庫なのに 中国の王朝の開祖って異民族か出自が微妙なやつばかりだな。 女真人なら朝鮮人・高麗人より格上じゃないか。
漢土の正統王朝を二度も担っているんだし。 金朝って正統王朝扱いなの?
支配地域の広さや軍の強さでは圧倒していても南宋の方が正統かと思ってた
並立王朝を両方正統としてあるのは文字通りの南北朝時代だけじゃないの >>205
李成桂自身は晩年熱心な仏教信者となっており、息子の反仏教政策には心を
痛めていた様ですね。
ただ、官寺の数は限られたものの、民間の寺院までもがことごとくつぶされ
た訳ではないそうです。
大蔵経は高麗版が有名ですが、大内氏が何度も朝鮮から招来していますし、
遺物も全く失われていた訳ではなかった。
>高句麗や新羅や百済
しかし、この辺りは、もっと史料が残されていて欲しかった。特に言語。 >>210
しかし日本に併合された頃にはほぼ寺院が壊滅状態
五百年かけてゆっくり消されていったってこと? 古代文献資料に記述がある半島周辺の諸民族との関係が不明瞭な朝鮮人とは違って
日本人は古代の倭人と連続している
倭人は有史以前の縄文人に直接つながる事は恐らく確かだろうが、その縄文人自体が一枚岩の集団では無かったみたいだな
何度にも渡って各地から列島に渡来したのだろうか >>211
私が読んだ中世に関する書籍では、まだ存在感がありました。
朝鮮出兵当時も、僧侶が抗戦したり、寺院を日本人が訪れたりしている。 >>209
ジンギスカンの許に盟約の交渉に赴いてきた太子・衛紹王について
「漢土の皇帝は天子と聞いていたが、あのような阿呆にでも勤まるものなのか」
と言って、金朝の攻略、ひいては漢土の皇帝に取って代わる決意をした。
結局朝鮮半島の寺院が荒廃したのはいつなんだ?
朝鮮人は秀吉や清正や日帝のせいにしてるけど 司馬遷とかヘロドトスとか、直ぐ後の時代の歴史家に影響を与えたのに、
それら史家(班固とかトゥキディデスとかクセノフォン)は
司馬遷やヘロドトスの最期について書いていなかったような。プロコピオスも
没年がわかってないようだし、古代・中世くらいまでの歴史家って、最期が
不明な人が多いような気がする。 そもそも歴史家自体地位が危うい(現政権批判となりうる内容なら消される)からあまり残ってないんだろうな。 有名どころで...
西施
→中国古代四大美女のひとり、呉王夫差の妾。生きたまま皮袋に入れられ長江に投げ込まれるが生存説あり。
フランソワ・ヴィヨン
15世紀フランスの詩人。強盗・傷害事件を起こして、パリを追放されその後の行方は不明。
ロアール・アムンセン
→南極点一番乗りの探検家。北極で遭難したノビレの探索に出かけ行方不明に。(なお、ノビレはその後救出される)
崔承喜
→日本統治時代朝鮮出身の舞踏家。北朝鮮で粛清され消息不明になる。
ジム・トンプソン
→タイシルクを広めたアメリカ人実業家。マレーシアのコテージから突如姿を消した。
松浦潟達也
→昭和初期に活躍した力士。東京大空襲で消火に当たっている姿が確認された最後。遺体は確認されていない。
徳川剛
→紀州徳川家18代当主。レストラン経営に失敗して夜逃げ。 >>219
崔承喜は、韓国、日本の舞踊家や知識人らの働きかけのおかげで、
2003年に『人民俳優』として愛国烈士陵に葬られていることが公式に発表された。
ブルジョワ的修正主義者として粛清されたはずだから、名誉は回復したということだけど、
結局死因やなんやらはいまだに謎のまま。
>西施
そこまで古い時代になるとよっぽどの重要人物以外は生涯がつまびらかになってる
方が少ないよw >>215
李朝時代。
高麗、モンゴル帝国とも、仏教徒で寺院を熱心に崇敬。
政権が代わって、反モンゴル、胡色一掃。明に事大、モンゴル帝国では疎外されていた儒教が
取って代わった明では儒教朱子学派が国家宗教。
反動で、仏寺を壊して、孔廟に建て替える。 >>209
遼・金が正統王朝で、宋は朝貢国だろ。歳費を納めて統治を認められている地方政権。
次の代に漢土をまるっと支配したモンゴル帝国が、漢土の属領の支配に、遼・金からの帰順者を使って
宋の官吏は使ってないだろ。蛮子(田舎人)は役に立たないとばかりに、西域やチベット出身の知事に
遼・金の実務官を組み合わせて。 >>224
当時の実情の話やなく
後の中国から見た正統の話な >>225
元朝が、遼・金を正統と扱ってんてじゃん。
>>224
今は「中華民族」的な視点からそういう見方をしたりしますよね。
清代など異民族王朝の場合には、天命は民族の別なく有徳の者にくだると
整理されたり。
日本の南北朝の正統論争もそうですが、その手の話はその時代の政治的な思惑に
よっていろいろ変わるんでしょうね。 >>225
直後の元朝が、金、遼を正統と見做してるじゃん。
後から、明とか中共とかが歴史歪曲してるだけだし。 正しい政府なんて極論すればその時代の他国の認識でしか決まらないよ。
今でも中国の正当な政府がどこか、とかコソボを支配する正当な政権は?とか国によって見解が割れてるだろ。 そも「正統」なんぞというのは価値判断だから既に政治でしかない。
本来の歴史は「実態」という事実しかない。
当該時期当該地域に「政府」の体裁を整えた組織が複数存在した。
事実はそれだけだ。
行方不明といっても実際には人知れず死亡なんだろうな。
植村直己あたりは「もしかしたら」と思うが、アムンゼンはどう考えても寿命だろうね。 そういえば、まだこのスレはカルロス・ガルデルが出てないね。
アルゼンチン屈指のタンゴ歌手として有名だけど出生地があやふやなんだよね。 そういやぁスターリンも生年月日をごまかしていて、100%確実なものとは
証明されていないのだよな
まあ、9割がたこの日だろうというのを定説にしているけど
本人からして、ユリウス暦とグレゴリウス暦を混合して
あいまいなことを言っていたようだし
父親にしても、ロシア人の将軍との私生児だとの噂が流れていたようだけど
本人はそのうわさを取り締まらずに、放置していたようだからなぁ
同じようなことはブレジネフもやったらしい
ユリウス暦とグレゴリウス暦の違いを利用して
2種類のカレンダーがばら撒かれていたことがあったらしいし フランス革命の時に、行方がわからなくなったルイ一七世になるはずだった男の子。
あるいは、ロシア革命で行方が分からなくなり、最近ようやく遺骨が発見されたけど、
まだ真偽の程が定かではない、ニコライ二世一家。特に、アナスターシャ王女。 >>167
織田信長がヌルハチになったって漫画があったような気がする
>>170
村枝賢一の「仮面ライダースピリッツ」に出てきましたよw
エルウィン・ヨーゼフ2世もその後どうなったんだろう >>233
落城、敗軍の中で行方不明となった人で有名なのは建文帝、コンスタンティヌス11世、スパルタクスあたりかな。 昔、大河ドラマの北条時宗で、兄・時輔が二月騒動で時宗の軍に攻め込まれるシーンがあって、時輔自身は脱出に成功し生き延びる。その後、中国大陸に渡って、こともあろうにマルコポーロなんかとも交流するという無茶ぶりw
確か原作者の高橋克彦がNHKのアナウンサーと対談する番組があって、上記のことが話題に上がると、高橋は「時輔が屋敷から逃げるのに成功して生き延びたという伝承があった。」みたいなことを語った。
どうやらその伝承に乗っ取って、作家なりの壮大なドラマにしたらしい。まあ、伝承をドラマに取り入れるのはまだしも、さすがにマルコポーロと会うとか無理にもほどがあるだろw
>>241
日本は盛大に誕生日を祝う風習はなかったみたいだからな
信長くらいじゃないの
自分の誕生日だ、祝えと言い出したのは >>242
太陰暦だから変動して面倒だった(閏月など) >>236
心臓と遺骨のDNA鑑定から明らかになっていたと思いますが。
>>240
あの大河ドラマは、原作にない平和主義が酷すぎました。
あれ以降は、山本勘助のもの以外、見るに耐えません。
高橋先生もまず目的(主に東北礼賛)ありきの方ですが、作家としてはプロです。
>>242
15世紀以降、天皇や公家、畿内一帯の高位の僧侶は「誕生日」を意識しています。
社参や読経、陰陽師の祈祷によって、生まれた日に更なる寿命を期待した日。
数え年でしたので、生まれ年はともかく、生まれた月日はあまり意識されておりま
せんね。
古人には、わざわざ気にする、現代人の方がおかしいと思われかねません。 高橋克彦は戦国時代の終わりを小田原攻略の年じゃなくって
九戸政実の乱の年にしてたりその九戸政実こそ最後の戦国武将とか言ったり
東北っつうか完璧な岩手大麗賛主義の人だなってのはあからさまに分かる
本人もその件を寧ろ矜持にして大々的に誇ってる感じだし
因みにマルコ・ポーロで思い出したけど
モンゴル歴史研究家教授でかなり頭がDQNな杉山は
マルコ・ポーロって人間自体存在しないと主張してて
歴史書に出てるマルコ・ポーロって言うのは当時旅行しまくってた白人達が
都合の良いペンネームを適当に付けて言っただけに過ぎないと主張してる
にちゃんねるで言うねらーふたば二次裏で言うとしあきみたいなもんだって理屈
流石にこの理屈は杉山くらいしか賛同されてないと思うけど >東北っつうか完璧な岩手大麗賛主義の人だなってのはあからさまに分かる
東洲斎写楽の東洲も、江戸の東だから東北、東北で江戸と関わった絵師なら
秋田蘭画で秋田の人、という人ですからね。
仙台四大家に触れなかったのは、浮世絵と関係しないせいか。
江戸を指して東洲に近い号を名乗るのは当時の流行でしたし、実際は阿波の
能役者が江戸用に名乗った雅号であった様ですが。
ただ、そうしたトンデモに至る過程をお話にする分には良いですよ。
九戸政実の話でいう蒲生氏郷の様に、持ち上げたい人物に対抗する人物が、
あまりにいいとこ無しの馬鹿に描かれ過ぎなきらいはありますが。
政実の話でも、城方は抜け穴で脱出して実質勝利とか、正史で負けていたの
を無理矢理勝たせてみたり。
どうも歴史上東北が日陰者扱いされて来た反動が強い様で。
>モンゴル歴史研究家教授でかなり頭がDQNな杉山は
ワールシュタットの戦いは存在しなかった、とか。
マルコ・ポーロ非実在説自体は、西欧にも論者がいましたが。 高橋克彦みたいな人の書籍が後世に残ったりするとまたやっかいになるんだよな。 原哲夫が漫画描いたアテルイ2世も原作者が高橋克彦だよな
まぁあの人の小説は歴史小説っつうよりも
歴史の人物を壮大に自己フィクション化した小説っつうか
今で言えば戦国BASARAの岩手版先駆けみたいなもんだと思えば良いのよ
>どうも歴史上東北が日陰者扱いされて来た反動が強い様で。
よく戊辰戦争でも東北は敗北してその後もしばらくそんな扱いだったとか実しやかに言われるけど
10年後の西南戦争では政府の兵隊なんて東北系で薩摩の人材絶滅に近い勢いで追いやったり
新政府の時代になって20年もしない内に東北閥の連中がやたら増えてたり
東北の人間が思ってるほど不遇だった扱いじゃなかったと思うが
ただそう言うイメージが有った反動で高橋克彦みたいな存在が出てくるとは何時かは思ってた 杉山は歴史は小説家如きの中途半端な知識じゃなく
ちゃんとした正確な資料を元に公正な知識で判断しなきゃいけないとかそんな事言ってるくせに
本人自身は異常に感情論優先で資料が気に入らなかったら平気でこき下ろし
マルコ・ポーロの件にしたってかつてヨーロッパに有った
一部の根拠性無い俗説をさも正しい説とか言い張ってるしな 奥羽越列藩同盟の地域は開発が遅らされたとか、そういう被害者史観はどうかと思う。
官軍側の秋田も決していい思いしてないし
東北、特に岩手青森の貧しさは江戸時代から後進地域だったのが尾を引いてたんでしょうよ。
秋田>岩手だったのも江戸時代からだし。新幹線開通後は岩手>秋田と化してるが そう言えば数え年制度って何時から完全に無くなったんだろうな
確か昭和天皇が若かった頃はまだ数え年だった気がするし >奥羽越列藩同盟の地域は開発が遅らされたとか、そういう被害者史観はどうかと思う。
>官軍側の秋田も決していい思いしてないし
実は明治政府時代になって一番不遇だったのはなんと官軍についた秋田
逆に岩手&宮城の連中は西南戦争以降続々明治政府の元に人材送り込んで増え続いてた
ネットのイメージで東北wwwとか語られるけど
あの地域って不遇どころか場合によっちゃ東名阪の次くらいに優遇されてる気がするぞ 秋田>岩手だったのも江戸時代からだし。新幹線開通後は岩手>秋田と化してるが
新幹線どころじゃない
明治以降日本海側と太平洋側の立場が完全に逆転してずっと岩手>秋田になってる >>254は>>250に対してな すまん
江戸期は基本日本海側って重要な流通地域だからそっちの比重が高かったけど
明治になって東京がかなり中心に近い状態になって
(正確に言えばまだ全部が東京の時代じゃないけど)
大阪よりだった日本海側の地域が不利になったのと
岩手&宮城閥の影響が政府内でも東北内でも非常に強くなったので
それ以降はずっと太平洋側の方を中心に開発が進んでったんだよな >>255
水運が蒸気船メインになると荒れやすい日本海より太平洋の方が移動しやすくなったのと、陸路でも鉄道が整備されたことで日本海側が寂れていった。
もちろん冬の豪雪や対露(戦後は北朝鮮も)で整備しづらい政情もあったのだと思う。 >>256
単に政治的なだけじゃなくって実際に天然の気候も非常に関係有ると思う
実際冬になると大雪まみれの日本海側と
ほとんど雪が無くて快晴状態が続く太平洋側では段違いだしなぁ
あと高度成長期以降は完全な東京一極集中型になったので
そうなると東京のラインが元から強い岩手宮城福島(と栃木茨木)
の方面が常に優先される様になったんだろう 日本は東西で別文化の国だからね。
西の人の東北観には根強い偏見があるのは確かだよ。
また当人同士が無意識なのが尚そのことを表している。
これは形のない文化差別だからどうにもならない。 >>248
何を以って冷遇とするとかは色々と議論が尽きないでしょうが。
「白河以北一山百文」という言葉、実は東北出身者が一番よく使う気は致しますね。
原敬(岩手)の号である一山も、これに由来するそうですし。
その手の意識を持ち続けて来た根は深い。 >>257
しかし、これからはわからんぞ
なんでも、京都府舞鶴市と韓国、中国のフェリー航路を2015年めどに開通予定らしい
豪雪も温暖化でなくなりだしているし
中国やロシアがこの調子で経済発展していくと日本海側は、東アジアの重要な物流の拠点となる可能性があると思う
まあ、これから、といっても、21世紀の半ばということだろうが >>259
仙台中心とした河北新報だって白河以北を省略した名称だしな
ずっと前に広島や四国の人に話されたのが東北は不遇だとか言うけど
公共施設とかそう言う部分とか新開発の技術とか
どう考えても優遇されてばっかりじゃないか
こっちなんかそう言うの回るのもっと遅いしどこが不遇だとかそんな話あったが
そこまでくるともう完全にお互いの主観論での話になるからなんとも 何時までもスレ違いの話もなんなんで
原敬の話が出てきたところで
原敬暗殺の実行犯の中岡艮一
出獄後イスラム教徒になったらしいが
それ以降の動向が不明 戦争前後に起きる混乱期の消息は現代になっても把握できないからな。
オサマやサダムも実は生きているのかも。 中岡艮一ってゆうと
あの慎太郎の息子か。
そうかムジャヒディンになっていたとは。 >>256
えっ
太平洋も同じくらい荒れるよ。
日本海荒れるの厳冬期だけじゃん。 >>267
太平洋側の海運が遅れた他のは熊野灘、遠州灘、銚子沖、鹿島灘あたりの難所が多かったせいじゃね。
>>268
別に遅れてないし。
律令時代に、志摩国、安房国、伊豆国があんなに狭いのに一国にされていたり、上総が先っちょで下総が湾奥というのは
航路順に都に近い方が前・上で都から遠い方が後・下をあてはめたからだろ。
銚子の周辺が海上評(下海上郡)だったり、伊豆国に式社が92もあったり三嶋に祀られている八重言代主神が漁業と通商の
を守護し妻が安房女神だっり、記紀では、神武天皇が長臑彦彦討伐の際に、難波上陸を諦めて熊野上陸に切り替えたり、
この際に鹿島より献ぜられた布都御魂剣を用いたり……と、まあ神話は史実ではないとしても、律令時代の初期には、
海路によって結びついてたことを反映しているからではないのか。
銚子が航路の難所なのは利根川の渡河、遠州灘にしても浜名湖南縁の地盤が不安定なために海路と陸路の選択を
迫られたことを反映している。
そもそも交通の難所というのは、往来が必要で相応に往来のある箇所だから難所であって、通らないものならば
難所でも何でもない。
ほぼ同意だけど伊豆はそれほど狭くない気がする
山がちで地味は薄そうだから海運なしでは経済成り立たなかったろうけど >>252
京王線沿線で良く見かけるアフガン帽をかぶった青年のことか? ザビエルを日本に連れてきたヤジロウも、その後どうなったか不明な人物だね。 宣教師を連れてきたヤジロウも
宣教師に連れてこられたヤスケも キリシタン大名の明石全登は家康の全国指名手配を振り切ってどこに行ったんだろうな。
諸説紛紛で、台湾に渡ってオランダ軍と戦ったという話まであるようだが。
三浦安針の息子と娘も消息不明だな
壮大なファンタジーが創れそうだけど
>>277
三百石級の旗本の盛衰なんて記録に残ってる方が少ないんだから、別段、珍しいことでもないような。
藩部出自の氏姓はランクが低い上に、そもそも、三浦按針は無位無官無姓だし。 フランスの探検家ラ・ペルーズ行方不明の件を映画化するって話は
結局無くなったのかな。
「ヴァニコロ」とかいうタイトルになるはずだったが。 >>277
三浦海岸で行方不明となり水死したと
見せ掛けて幕府の目をごまかして
太平洋からインド洋を経て未だ見ぬ父親の故郷イングランドへ
日英混血の姉弟の壮大な冒険が始まるみたいな話でヨロヒク 古代ローマの名将スティリコも父親がポーランド人(ヴァンダル族) >>253
戦前一人当たり県民所得ベスト10に入ってた秋田が
そう悪い状況になったとは思えないが >>248
西南の「ボシンの恨み」か
あの部隊は別に東北出身者がそれほど多くいたわけじゃない
色々な地方の兵隊がいたがそのうちの一部に
たまたま会津出身者がいたということ 岩手は政府に人材を送り込んでいるし
有名企業の社長もおおい
北上は工業地帯だしな
真に悲惨なのは八戸市を除いた青森県
人材すくなし、よそからやってきた人間に負け続けの歴史(しかも岩手のように激烈な
抵抗を示したわけでもなし)
青森県出自の大企業だとか
有力な企業家とかほんと少ない
愛知や静岡や、日立のある茨城が日本からなくなったら日本が大打撃を受けるが
青森県(八戸市除く)がなくなったところで日本はそれほど困らない 今年受験で慶応経済受けるんだけど、どうしたら受かるかな? ボルマンて、1998年にDNA鑑定で、レアター駅近くの工事現場で発見された死体と確定されただろ。 ヒトラー生存説ではベルリンで死んだのは影武者で兄のアロイス・ヒトラー二世
この人物が1955年に死んでるから
仮に説が正しくても入れ替ったヒトラーはこの時に死んどるな
南極云々はもはや「説」にすらなってない与太話 >>282
もうある
こないだ終わった安彦良和の漫画が
そういうような話 新宿西口の「私の詩を買ってください」の女の人最近いない >>310
あれ、元々おっちゃんがやってたらしいよ
で、詩をきっかけにおっちゃんと結婚した女の人が引き継いだ なんでモーゼが出ていないんだ。
ナイル川に流されたのをエジプトの王女が拾い
実母が育てたなんてチョー怪しすぎるW >>294 オスマン帝国のスルタン・マフムト2世の母、ナクシディル・スルタンもフランス人だとかコーカサス出身だとか諸説あるな。
フランス人説だとナポレオンの妻の従姉妹と言うことだけど。果たして本当は何者なんだろう
西ヨーロッパ系の妃でも本名がわかっている人もいるのに オスマントルコの王様って、暗殺防止のため
自分の部族以外の妻(つまり外国人)を
もらってたんだろ
混血かなりすすんでそう オスマンに限らずイスラムのハーレムはいろんな女性を集めてくるから
エジプト・マムルーク朝の開祖スルタナのシャジャル・アッ=ドゥッルなんか
出身部族はおろか生年月日も本名すら不明。 推古天皇、聖徳太子は実在したのかな?
隋書にはこの時代の日本の君主は男性だったと書かれているし、聖徳太子に
関する記述もない。
→日本書紀等は政治的意図の強い書物だが、隋にとっては日本は外国で
政治的配慮など不要だから、事実をそのまま書ける。
また当時、日本と隋は交流が盛んで、隋は日本の情勢を相当程度把握していた。
→隋書のほうが信憑性が高い。
→よって推古天皇、聖徳太子は後世において創作された人物である。
こんな説があるようだけど、どうなんだろう。 新唐書には推古天皇が記されてる。
欽明之十一年、直梁承聖元年。次海達。次用明、亦曰目多利思比孤、直隋開皇末、
始與中國通。次崇峻。崇峻死、欽明之孫女雄古立。次舒明、次皇極。
欽明の十一年は、梁の承聖元年(552年)に当たる。次は海達。次は用明、
また目多利思比孤といい、隋の開皇末に、初めて中国と通じた。次は崇峻。
崇峻か死ぬと、欽明の孫娘の雄古(推古)が立った。次は舒明、次は皇極。 >>321
どこかから持ち運んできたと思われる。・・・ケータイだけに。 (゚o゚)なんで誤字を記録するんだチュ-ゴキ人は!ワザとだな ☆日本の真の盟友は歴史が知っている。ASEANと中島慎三郎
平成3年、海部首相がASEAN諸国を歴訪し、先の大戦について謝罪しました。
この時、「インドネシア・センター」代表の中島慎三郎さんはこう言いました。
「日本人は中国や韓国だけがアジアだと思っているが、日本のことが好きで好きで仕方がない親日アジア諸国が並んでいる」。
海部首相がアジアで謝罪外交して廻ったことに対してインドネシアの復員軍人省元長官のサンバス将軍は激怒しました。
「日本の戦争目的は白人の植民地主義の打倒であった。その目的の大半は達成したが、まだ植民地主義国が残っている。
ソ連であり、そして中国もチベットやウィグルを併呑した植民地主義の国だ。
これから我々が取り組まなければならない植民地一掃の大事業は中ソが相手となる。
そんな時に行った海部演説は、日本の植民地主義打倒の悲願を放棄したことになる。
本来、海部さんは日本の歴史を踏まえアジア・アフリカの悲願を代表して、まだ残っている植民地主義国を攻撃すべきだった。
たった一度の敗戦で大切な先輩たちの目的を忘れてしまったのか」
これに対して中島さんはこう言いました。
「戦争に負けたからと言って、その戦争で自ら掲げていた理想まで否定するのは無責任ではないか、とサンバス将軍は言っている。
その無責任さが、現在の日本の東南アジア政策のお粗末さになって現れているのではないか」
続きは→ http://blogs.yahoo.co.jp/meiniacc/45242861.html >>319
隋の時と唐の時とは日本の王朝が変わってるんじゃないの >>15
ハーキムは、その一方、別の宗派からは、
イスラム世界のくせに生き神様扱いされている、
ということもあり、
そういったエピソードも作り話の可能性がそれなりにあります。
なんせアラブ人は作り話の名人で、
歴史家泣かせですね。 >>30
漢字には敏感な文化圏なのに
「日」本に「成」る
とも読める怪しい名前。
いうまでもなく跡取りにも「日」の文字。
日本の極右勢力に都合のいい時に、いつも
ミサイルを「無害に」打ち上げてくれる
北朝鮮さんですから、いろいろ考えてしまう ww 「ペルシアのナポレオン」、「第二のアレクサンドロス」ともいわれる
アフシャール朝開祖ナーディル・シャーも元奴隷とかいわれ出自不明 出自不明の定義は?
秀吉は出自不明?
何代まで遡れればいいの? >>336
新宿区西早稲田3丁目に住んでいるぉ(ノ_-) 空海
父方の出自の佐伯氏も、蝦夷の俘囚とする説もあるし、そして何より現在も真言宗的には生きてることになってるw ロイエンタールも素性がよく解らない、本名ではないのではないかといわれてる
※帝国元帥ではなくてタンホイザーと同じ吟遊詩人のほうね >>253
石油採掘と杉と銅の発掘で豊かだった秋田が何で不遇になるんだよ 秋田って将来も暗いね
2050年には人口が40%まで減る予測 戦前は一人当たり県民所得東北一位だったが
石油も中東勢に圧倒され
ふるわなくなった 郁達夫の行方は中国文学史の謎
日本留学後に小説家として名をなしたあと
大学教授、官僚、雑誌編集者などを務めるが
抗日戦争でシンガポールに移り抗日活動を継続
シンガポール陥落後はスマトラで変名を使い経済活動
日本軍にも通訳として重用されたが終戦直後に行方不明 ある意味で出自不明なのが、秦の太子扶蘇・二世胡ガイ
始皇帝の后妃について司馬遷は記していない 三代目の子嬰になると母親どころか父親も分からんね。
あれだけ中国で歴史書が書かれていて、肝心の君主の血縁関係が不明とか、
何でそんなことになるのかよく分からん。 曹叡の後継の曹芳も一族ってだけでよく分かってないよ >>352-353
あとの歴史書で悪く書いてるからだろ
だいたい始皇帝自体、売春婦の孕んだ
おとしだねって設定になってる ブルガリアの反乱者ペタル・デリャン
出自も怪しいながら
最後も戦死したのかコンスタンティノープルで処刑されたのかはっきりしない 豊臣秀頼も生まれる十ヶ月前には当時の記録を調べると
秀吉は九州の名護屋城、淀君は大阪城にいて秀吉の子ではあり得ない
という研究が最近発表されたね だから当時からよく大野治長との不倫の子とか噂はされていた訳だ >>364
実際にはその手の俗説で父親扱いされる大野や石田三成は朝鮮にいるから
もっとありえないというw 大野や石田でもないと思うが
秀吉でもないよな
誰なんだろうな
あまり名の知れた人ではなさそう どの辺が嘘なの?
安倍頼時→安倍宗任→筑前宗像郡大嶋に流罪→三男・安倍季任が松浦三郎大夫実任になる
→松浦水軍の松浦高俊が治承・寿永の乱により現在の山口県長門市油谷に流罪→
安倍氏に復姓→安倍晋太郎 徒然草にある狂人。
都大路を全力で走った精神病者が実際にいて
それを見て「大路を走らば狂人なり」って兼好は書いたんだろうな。
どんな身分だったのか、どういう経緯で心を病んでしまったのか
もう分かりようがないけど。
そういう人の救済はなかったのかね。
平成の今ですら明らかに心を病んでいるホームレスがいるから無理か。
見ていて耐えられなくなるけど、でも何かその人に進んでする勇気もないんだよな。
募金をちょっとする程度しかできない。 あべし!!!!!!!
北斗の拳は預言書だな wwwww >>368 そんなことを言ったら皇室の父系での末裔を自称する武将の家系のいくつかは 本当にそうだろう
南部氏、佐竹氏、上杉氏、武田氏、結城氏、土岐氏、京極氏
吉良氏、今川氏、細川氏とか平安時代までさかのぼれるから 南部氏はかなり怪しい
今の南部氏につながる三戸南部氏とか
いきなり出てきた家で
どこから出てきたのかわからん
断絶した根城南部氏も南部光行からの系図がどうもはっきりしない >>374
余談だけど、武家華族で源氏の流れと称していた
家はかなりあるけど、平氏の流れと称していた
家って余りなさそうなのは何でだろう?
平氏の貢献がなければ、武士の時代はありえなかったと
思うんだけど・・・。 源氏の足利一族が幕府開いたから
箔をつけたかったんだろ領有呂有していなかった
細川や今川なんて分家の物でものさばれる世の中なんだし 領有呂有していなかった
小さな村しか領有していなかった >>376
むしろ長尾氏による事実上の簒奪から足利主流系の血統に戻ったと言える >>102
それは違う。聖書は至るところに叙述トリックが使われてる。
天地創造で七日間の話とエデンの園で一見すると冒頭から矛盾に見えるのもそうだし、
カインの場合なら誰もいないように見えるエデンの外に追放されて
誰と結ばれたかは分からないが子供を作っているわけだが
神がエデンの外にもアダム家以外の人類を創造していた可能性が高い。
しかし、困ったことに古代ユダヤ人は解答編を用意してなかった。
死海文書あたりに眠っているのかもしれないが。 韓信 劉邦 陳平
3人とも前半生が似すぎてワロタw ふと思ったんだが、韓信って実は韓の王族の傍流の末裔くらいの出自じゃないのか?
例のおばあさんがご飯を恵んでやった時、史記原文では「王孫」と呼びかけている。
注釈書では「丁寧な呼びかけ」程度に言ってるけど
そのまま血筋のことじゃないのかね。 本当に完全に無名で、何の後ろ盾もない男が、
一軍を任されたり、任された兵を天才的に操れたりできるか、っていうと確かに疑問だわな
秀吉なんかでも、「実は結構豪農だった」なんて説があるし >>377
好んで敗者を自称するやつはいないだろ。
将門とか鎮圧されたけど地方で大乱を起こして伝説になったヤツは
子孫も名乗り出るだろうが、
平家とか源氏と闘争して負けただけの印象が強い。
しかも大衆にまで広まってる話で奢り高ぶって負けたとか言われてるし。 劉備の出自も相当あやしい
現代でいえば熊沢天皇みたい >>386
もし韓に遠くでも関わってたら
何かしら話が残るとは思うけどな。隠す意味もそうないし。
年齢的にも韓滅亡以前か滅亡後近いうちに生まれてる感じがするから
何でわざわざ楚まで行ってたのかよく分からん。
偶然韓王信がいるし話としてはいろいろ作れそうな題材だけど 芥川龍之介「羅生門」の「下人」。
歴史じゃないね(´・ω・`) >>385
劉邦 韓信 陳兵
項羽と違い3人とも出自が似すぎてる アブー・ムスリム
身一つで異国に乗り込んで煽動工作を重ね、ついにアッバース朝イスラーム帝国を作り上げた稀代の戦略家
出自もなにも謎だらけだ なんで明智光秀が出てないんだ?
信長に仕えるまで(この時点で結構な歳)の前半生がほぼ不明。
ぶっちゃけ大分前に出てたイヴァイロ並に謎だらけの人物。 『金策』同志
北朝鮮革命の殊勲者でありながら、出自経歴が不明で不審死を遂げた。 >>398
普通に姓が白で名が起だろ?
「左伝」の僖公三十二年(前628年)に出てくる
秦の穆公の家臣の白乙丙が先祖だから出自としても低くないし >>409 内戦からの復興も、ツチとフツがどう和解し融和するかだけが重要視されてるもんな
でもレソトやスワジランドのコイサン系みたいに、完全に消えてしまったよりはまだましか 西部劇の有名人ビリー・ザ・キッド
19世紀の人物なのに出自不明 なあピクト人よ、もうちょっと言語資料を残しといてくれよ >>413
阿部定なんか活動期が昭和なのに没年不詳だぞ 女真族ではないかと言われている李氏朝鮮の始祖イ・ソンゲ >>418
高麗史編纂時に史書が焼却されたので推測しかできないが
李之蘭は李成桂の本当の兄弟で
李成桂が朝鮮支配の正当化のために全州李氏を仮冒したので
本当の遠祖のトウ氏を李之蘭の家系に代わりに祀ってもらったんじゃなかろうか >>417 処刑されたり獄中死したら報道されると思う。何かの間違いで恩赦されて、アレフかひかりの輪が引き取って行ったら別だけど イエスのカーチャンのマリアはどこへ行ったの。
お墓はどこに?。 「皇軍の名を騙り 南京で掠奪暴行 不逞支那人一味捕る 【同盟南京二月十六日発】
皇軍の南京入城以来、わが将兵が種々の暴行を行なつているとの事実無根の誣説(ぶせつ)が一部外国に伝わっているので、
在南京憲兵隊ではその出所を究明すべく苦心探査中のところ、このほど漸くその根源を突き止めることが出来た。
右は、皇軍の名を騙って掠奪暴行至らざるなき悪事を南京の避難地域で働いていた憎むべき支那人一味であるが、
憲兵隊の活躍で一網打尽に逮捕された。
この不逞(ふてい)極まる支那人は、かつて京城(現在の韓国ソウル)において洋服仕立を営業、
日本語に巧みな呉堯邦(二十八才)以下十一名で、皇軍入城後日本人を装ひ、
わが通訳の腕章を偽造してこれをつけ、…三ヶ所を根城に、皇軍の目を眩ましては南京区内に跳梁し、
強盗の被害は総額五万元、暴行にいたつては無数で、襲はれた無辜(むこ)の支那人らは、
いずれも一味を日本人と信じきつていたため、発覚が遅れたものであるが、
憲兵隊の山本政雄軍曹、村辺繁一通訳の活躍で検挙を見たものである」
(大阪朝日新聞1938年2月17日付)
(^。^)コンナ報道は何故か無視されているね >>430
死に顔をビデオに撮って公開しなかったのはなぜ? ↓の人がどんな末路だったのか不明
202 名前 投稿日: 01/11/30 07:38 ID:/jDnbtss
かぎのおとが
おやがかぎわたしや
もうだめぽ なぜ生け捕りにして裁判にかけないのか。
抵抗されて殺害だとしてもなぜ慌てて水葬にしたのか。
怪しいよな。 >>433
だよなー
あるいは、顔を吹っ飛ばしてグロ画像になっちゃったとか? >>433
んならどうすれば生け捕りにできたのか提案すればよかったのに 義経だって秀頼だって淀殿だってニコライ二世一家だって生存説が囁かれたんだから、ビンラディンだってやっぱり生存説が囁かれるだろう。 そして大抵の場合は通説通り本当に氏んでいるものよ。 明智光秀、生存説も根強い。
歴史上の人物が何だかんだで生き延びてることも結構あるだろう。
逃げた後、ひっそり死んだら歴史に何も残らないが。 ロシアの元皇帝ピョートル3世の名を語ったプガチョフが乱をおこしたりしてるから
ビンラディンが伝説の抵抗者として殉教したように捉えられる風潮がその後できたら
生存説も出てくるかも 没後80年経って生存説が出てきたりして
しかも弘法大師みたいに未だに生きてるというていで 義経は前半生も怪しい。ほんとうに義朝の子牛若と同一人物なの? 京浜東北線で発生したJR東日本の不祥事兼珍事
http://www.youtube.com/watch?v=BWH_bkk0s4A&feature=channel&list=UL ブリトン人の英雄アーサー王も存在がはっきりしないな
アングロ・サクソン人の侵入期に、ブリトン人を率いて戦った王たちは実在したんだろうけど 宗教から歴史、オカルト、UFO問題まであらゆる情報の宝庫!
本日の講義は「大日本帝国は生きている ヒトラーのUFO」です。
UFOはドイツ製って本当? ヒトラーは日本神道を学んでいたのか??
http://blog.livedoor.jp/nakasugi_h/ 『吾妻鏡』には楠木氏が玉井、忍、岡部、滝瀬ら武蔵猪俣党の武士団と並んで将軍随兵となっており、
もとは利根川流域に基盤を持つ武蔵の党的武士だった可能性が高い。
武蔵の党的武士は、早くから北条得宗家(本家)の被官となって、播磨や摂河泉など北条氏の守護国に移住していた。
河内の勧心寺や天河など正成の活動拠点は、いずれも得宗領だった所であり、正成は本来得宗被官として河内に移住したものと思われる。
討幕運動への参加は、同じ得宗方の紀伊湯浅党との勢力争いがきっかけである。
楠木正成は得宗勢力の内紛によって、旧主を裏切って後醍醐に接近したのであり、この点では足利尊氏と何ら変わるところがない。
(海津一朗・和歌山大学教授) 俺の先祖も村上天皇を経て天照大神までははっきりしてるんだが、それ以前がわからない 出自一般の話でいうと、
フランク王国地域の貴族のほとんどが、いくらさかのぼってもカール大帝以前にはさかのぼれないっていう
マルク・ブロックの記述には興味深いって思った 世界的権威のある賞をすっぽかして
それとまた別の、授与される相当な賞金を無視して
誰とも合わずに山奥でキノコ取ってる人 ザラスシュトラ
初期の世界宗教を起こした世界的偉人だが
生まれた場所も、いつ生まれたかも不明 ポアンカレ予想を証明したペレルマンでしょ
受賞辞退したのはフィールズ賞と、クレイ数学研究所の賞 >>282
天正遣欧使節の千々石清左衛門(ミゲル紀員)の棄教の理由の一つが世界各地での日本人の勾引。
日欧混血なんかその時代にはうじゃうじゃ居たんではないかい? >>461
彼を保護したヴィシュタースパ王やそのカヴィ王朝も中央アジアの無名の部族の酋長あたりだったろうな
ダレイオス1世の父名と偶然(後者があやかったのかも)同じだったせいで、アケメネス朝と混同されてしまったけどさ >>468
ペルシャ語で本当にそれに近い発音だったかどうか判らんよ
無理やりバビロニアの音節文字で書いてるものだし >>480
「朝鮮系」はともかく「中国系」なんて無意味だぞ。
今も地域によって人種的にかなりの差異がある。 ISILの自称カリフ、バグダディという男も
実際の出自はよく分からんらしいね。 モサドのスパイがパレスチナゲリラに沢山いた(いる)のは
周知の事実だね。日本の公安警察と中核派みたいなマッチポンプ
後者が大人しすぎると前者の予算が減るので定期的に暴れてもらうという
戦前の日本の右翼は初期のレーニンとかを支援してたな バグダディは最近ニュースで名前を聞かなくなった。
このままフェードアウトして消えてしまうのかな。 最近アニメになった葛飾応為も生年不明、最期は行方不明 観阿弥
南朝の武将?の子孫だと言われてるけど、果たして……
世阿弥
佐渡に流された後どうなったのか?
尚「自分の一族は秦河勝の子孫だ」と主張している。
初期のお能関係者はみんなわからない! 基本的に昔の日本の芸能関係者は
「売れてた時期」を除くと
よくわからんとです 物質と反物質の性質を同時に持つ仮説の素粒子「マヨラナ粒子」は
実際に発見されれば現代物理学を根底から塗り替えると言われるが、
近年その存在の証拠がいくつか観測され物理学界を大いに騒がせている。
この素粒子を理論的に予言した物理学者エットーレ・マヨラナは
第二次世界大戦直前の1938年に、32歳の若さで行方不明になった。
ノーベル賞級の天才科学者が旅行中に意味不明な失踪を遂げた事は、
後年目撃者が現れ生存説の本が書かれるなど、社会を大いに騒がせた。 あなたは40代ですか?ドーハの悲劇「中国衝撃イヤフォン」「中国悪夢イヤフォン」ですか?
それともいくつですか?
それともいくつですか?
それともいくつですか? アマゾンの失われた古代都市「Z」を求めてジャングルに消えた
パーシー・フォーセット大佐と彼の探検隊。
祝映画化 ネット版のホストみたいなの発見。
イケメンなら稼げるんだろうけど。
話が上手けりゃ稼げるかな。
誰かレポ頼む。
メンガでググると出てくる。 >>274
ヤジロウが海賊稼業に戻ったという話は有名だと思ったが 李氏朝鮮の英祖の生母である淑嬪崔氏の出身が分からない。
宮中で水汲みをしていた奴婢だとか、裁縫専門の女官とか言われるが、
出身・氏名・前歴全て分からず。
そんな女が粛宗の元王妃張禧嬪を刑死するまで追いつめる。
そりゃドラマにもしたくなる。 オスマン帝国もスルタンの母親は出自がわからないのが多い。
スレイマン大帝の生母ハフサ・ハトゥンも、どこかの王女様という説と
ハレムの女奴隷という説があり、つまりさっぱりわからない。 プーシキンとシーチキンを上手く融合させればプーチンができそう
ラスがあればラスプーチンも作れるぞ >>501
確かにエウメネス漫画はどう決着をつけるんだろうな。 ラウル・ヴァレンベリ
ソ連に連行され(?)行方知れず >>104
現代でも猿みたいなヤツはDQNとして、社会問題になることばかりしとるヤツいっぱいおるやん。 世界史のようにおもしろいかねがはいってくるさいと
グーグルで検索⇒『羽山のサユレイザ』
BMLZ2 周の昭王
周の4代王で、初代武王の曾孫にあたる
南征に向かったまま行方不明 友達から教えてもらったパソコン一台でお金持ちになれるやり方
興味がある人はどうぞ
検索してみよう『立木のボボトイテテレ』
XEI パルティア王国の初代王アルサケス1世
のちにローマ帝国のライバルとなるこの大国の建国者に関しては
出自に関する同時代の情報がない。前後の状況からみてイラン系遊牧民の族長の
ようなポジションだったのだろうという歴史家、いやスキタイ人だろうという見方
ギリシア系かもしれないという憶測など、さまざまな説がある。 第4回十字軍が東ローマを乗っ取ってラテン帝国を建てたことは教科書で習うが
そのラテン帝国の初代皇帝となったボードゥアン1世は、ブルガリアとの戦闘で
捕らわれたきり消息不明になるという最後だった。
20年後にボードゥアンを名乗る人物がひょっこり現れ、詐欺師として処刑されるが、
案外本物だったりしてな・・・ >>518
初代だけじゃなくて歴代のパルティア王が全員アルサケスって名乗ってたから余計分かりずらいよな
ここまでくると初代アルサケスも個人名っていうより王のための特別な称号だったみたいな感じがする。
そもそも「アルシャーク」って英雄の意だし 旧宮家復帰の是非で
旧宮家の共通の子孫
>>73
の伏見宮貞致親王が脚光を浴びそう ポルトガルのセバスティアン1世はまだ出てなかったっけ。
やらんでもいい十字軍を起こして大負けし行方不明に。
これがきっかけでポルトガルという国自体が消滅するという
迷惑な王だったが・・・ >>524
うぃき見たら、日本人を奴隷として売買するのを禁じたってある。
いいとこあるじゃんよ。 >>512 >>513
いまごろ殺したって言われてもな・・・
もう存在を忘れてたわバグダディww >>516
その300年後、斉の桓公は「300年前に昭王が行方不明になったこと、3年前から楚が周に特産物
を貢納していないこと」を理由に楚に侵攻、楚軍は敗北する。
楚の使者は「昭王?知らねえよ!川っぺりでも行って探せや!」という言葉をオブラートに包み込
んで弁解し、特産物の貢納も約束して、兵を引いてもらった。
その直後、斉は「勤王の戦に不参加であった」として蔡を攻めている。
しかし、何故300年も前のことを今更取り上げたのか?
特産物というのも祭祀用に濁り酒を漉す茅であり、戦を起こすほどのものではなかった。
実はこれより先、桓公は蔡の公女を妻に迎えていた。
ある日、舟遊びをしていると桓公は舟が揺れるのを怖がって妻に揺らさないように言ったが、妻
は面白がって余計に揺らしてしまい、怒った桓公は妻を離縁した。 その後、思いなおして実家から元妻を呼び戻そうとしたが、すでに蔡では再嫁させた後であった。
桓公「勝手に嫁がせおって!許せん!蔡を攻めてくれるわ!」
名宰相の管仲は夫婦喧嘩で戦なんて出来ないと止めたが、桓公は言うことを聞かない。
やむをえず持ち出したのが「勤王の戦として楚を攻め、それが終わったら参加しなかったことを口
実に蔡を攻める」という、非常に迷惑な策であった。
という行方不明こぼれ話でした。 去年、世界遺産に登録されたラオスのジャール平原って
辻政信が行方不明になったところだったんだな 新型コロナの影響で公開延期されてる映画『峠 最後のサムライ』だが
この主人公である河井継之助(長岡藩家老)にガトリング砲を売ったという
スネル兄弟、ずいぶん日本で稼いだはずだがその後消息不明だな。 >>531
そのうち、観光客が白骨死体を見つけたりして・・・ 西ローマ帝国崩壊後のローマ貴族、殊に紀元前から続いてる家柄の連中って
中世の頃は何やってたん? 出自をあやふやにしといたほうが都合が良かったからだろうな。
現代でも関西生まれで幼少期に東京に引っ越したやつとか、場面によって関西人、東京人を使い分ける。 >>535
ヨーロッパで今残る一番古い家系ってパレオロゴス家?
パレオ=古い ロゴス=言葉 って何か意図があるのかな
キリスト教化して教会はコイネー以後の知識しか持たない中、ギリシャで古典ギリシャ語とそれによる知識を伝えた家柄? >>503
>王女様という説とハレムの女奴隷という説
その二説はべつに矛盾しないのでは。 日本だと役の行者かな
一応歴書にも記述されている実在の人物今の伊豆地方に流されたとされている
じっさい伊豆には役の行者に所以の加茂の地名が多く残っているし
伊豆葛城山と呼ばれる場所もある
伝説じゃ中国へ留学した道昭が、行く途中の新羅の山中で
五百の虎を相手に法華経の講義を行っていると、聴衆の中に役行者がいたとされて
そこから不明w >>540
>伝説じゃ中国へ留学した道昭が、行く途中の新羅の山中で
『日本霊異記』にある話ですね。
成立は9世紀前半なので、史書の『続日本紀』についで、比較的早い時期の成立です。
『続日本紀』
小角配流を699年とする。
『日本霊異記』
小角配流を699年とし、赦免を701年正月とし、その後飛び去ったとする。
『三宝絵』(平安中期の成立だが、霊異記も含めそれ以前の史料を引く)
小角配流を699年とし、赦免を701年5月とし、その後飛び去ったとする。
『扶桑略記』(平安後期の成立だが、霊異記も含めそれ以前の史料を引く)
701年の10〜12月に、再度罰を受けたとする。
道昭(霊異記では道照)は700年には没していますから、701年以降の遭遇は無理ですね。
そもそも在唐中の出来事とされていますが、それなら653〜660年の間です。
なお、行く途中ではなく唐から新羅へ招聘されたようにも読めます。
『日本霊異記』が道昭について別の説話で解説しながら年代を挙げないのは、矛盾に気づ
いた上で説話の収録を優先したためか。 ディアドコイの一人ネアルコス
激動の大乱の中どこでいつ死んだのかも分からない 清の初代皇帝(実質的に統一したのはドルゴン)・フリン
出家してどうなったのか アダム・ラクスマン
ロシア初の遣日使節。帰国して昇進したが、その後の動静がはっきりしない
ってかラクスマン家自体のその後も良く分かってない 永楽帝に倒された建文帝
遺体が見つからず生存説があった ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています