修道会の歴史
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イエズス会、フランシスコ会などのキリスト教修道会の沿革、影響、果たしてきた役割について語るスレです。 騎士修道会もあり?
テンプル騎士団って中世のメガバンクだよね。 イエズス会は日本を唆して朝鮮へ出兵させ、ポーランドを唆してロシアへ出兵させた
中国全土とロシア全土のカトリック化のため あるよ
秀吉が軍備についてイエズス会に相談した手紙もあれば、
ジグムント3世王がイエズス会で育てられた事実もある 秀吉とイエズス会の通信については日本史板で。
ジグムント3世とイエズス会の関係についてはこのスレで。 >秀吉とイエズス会の通信については日本史板で。
多少はいいんじゃないのここでも。
どうせまだネタないんだし。 秀吉とイエズス会(コエリョ)の関係は、幕末の薩長土肥と当時のメーソン(グラバー)の関係に似ている
どうせ書くなら一行レスじゃなくて、もうちょっと語ってよ 昔はメーソンがいろいろな国際的な政治運動の場として利用された
いまは昔ほどでもないんだろう
イエズス会もカウンターリフォーメーション運動の場として最も利用された修道会
組織やその規律については武器を持たないがほとんど近代式軍隊だった >>1
カルトゥジオ会、フォントヴロー会、グランモン会、シトー会などもよろしく
シトー会は聖ベルナールのような傑出した人物が出たので急速な発展を遂げている
>>15
>組織やその規律については武器を持たないがほとんど近代式軍隊だった
テンプル騎士団の影響だろうか?
それとも、単にロヨラの軍隊経験が元になってるから? これがマスコミの編集による矮小化
176 :七つの海の名無しさん:2011/11/17(木) 21:57:56.45 ID:gClQt5ed
【重要】 ブータン国王の演説の報道は、重要な部分がことごとく反日マスコミにカットされて報道されています
「世界史において、かくも傑出し、重要性を持つ機関である日本国、(その)国会の中で、」 →★全部カット
「ブータン国民は、常に、日本に、強い、愛着の心を持ち、何十年もの間、偉大な日本の成功を →★全部カット
心情的に分かち合ってきました。」
「日本は、当時外国の領地(植民地)であったアジアに、自信とその進むべき道への自覚をもたらし
以降、日本のあとに続いて世界経済の最前線に躍り出た数多くの(アジアの)国々に希望を与えてきました」 →★全部カット
「日本は、過去においても、現代においても、世界のリーダーであり続けます」
「このグローバル化した世界において、日本は、技術と革新の力、勤勉さと責務、強固な伝統的な価値における模範
であり、これまで以上にリーダーにふさわしいのです。」 →★全部カット
「世界は、常に、日本のことを、大変な名誉と誇り、そして規律を重んじる国民、歴史に裏打ちされた誇り高き伝統を持つ国民、
不屈の精神、断固たる決意、そして秀でることに願望を持って、何事にも取り組む国民、知行合一、兄弟愛や友人、
ゆるぎない強さと気丈さを併せ持つ国民、であると認識してまいりました」 →★全部カット
「他の国であれば、国家を打ちのめし、国家を打ち砕き、無秩序、大混乱、そして悲嘆をもたらしたであろう事態に
日本国民の皆様は、最悪の状況下でさえ、静かな尊厳、自信、規律、ここの強さを以って、対処されました」 →★全部カット
他にもカットシーンがたくさんあるので、元資料で↓確認してください
http://news.nicovideo.jp/watch/nw147415
http://www.youtube.com/watch?NR=1&v=FtxuPyRNszY
フランスで解散させられたテンプル騎士団は、ポルトガル王のディニス1世が創設したキリスト騎士団に引き継がれるんだよね。
エンリケ航海王子も、キリスト騎士団の団長だった。 カトリックを自民党に例えたら
修道士会は派閥でOK?
ほとんど極右に近いのがいるかと思えば、
解放の神学みたいにほとんどマルクス主義者みたいなのもいるとの
認識でOK? ウンベルトエーコの薔薇の名前という小説にはいろいろな修道会や異端派の名前がでてくる。
その辺をきちんと押さえておかないとあの小説は理解出来ない。
フランシスコ会の最左派(ヨアキム主義の流れを汲む一派)はつきつめればドルチーノ派の
ような異端となり、北イタリアのベネディクト修道会の某修道院を舞台にそれを異端審問官の
ベルナールギー(ドミニコ会)が裁くという構図はキリスト教異端趣味及び修道会マニアに
とってはたまらない小説だといえる。 漫画のチェーザレの最初のほう読んだら
ドミニコ会がすげえ黒い組織に描かれてて笑った >>22
カトリックを真言宗に喩えたら●●修道会って高野山真言宗とか
東寺真言宗とか真言宗醍醐派みたいなものじゃないかな? 修道院って中世は学問の中心地だったんだよね?
戦国時代に日本に来たポルトガル人たちは、比叡山のことを大学って呼んでるけど、
修道院も大学って思われていたんだろうか? 学問の中心地は大学だろ
修道院は修道生活をするところ 修道会っていうのはそれぞれ会の目的・精神があって、中には
学問研究に力を入れているところがあるんだよ。イエズス会や
フランシスコ会やドミニコ会など。こうした会の修道士が大学を
開設したり大学で学問研究したりしたことから修道院と大学は
深い関係にあるんだよ。ガリレオではないが、キリスト教の
世界観を脅かす学問研究が制限されていたということは
当然宗教者が大学を統制下に置いていたということでしょ。 それは修道会のやっている大学
上で話題にしたのは修道院 古代の文献が現代に伝わっているのは、
修道院で行われた写本によるところが多い。
中世の西欧において修道院が学問の中心といっても過言ではない。 ルネサンス以前の西欧では読み書きできる人間がいて、
本がある場所といえば限られているからな。
ウィキペディアの「大学」にも
「12世紀以前には、ヨーロッパの知的生活は修道院に託されていた」とあるように
修道院が高等教育機関として果たした役割は大きい。
とゆーかキリスト教自体にそれほど関心がない異教徒の日本人としては
そっちの役割にまず目が行く。 そういえば、イエズス会って教育機関としての機能も昔から強いよね。 イエズス会って、なんでやたら陰謀論と結びついて語られやすいんだろ。
フランシスコ会とかドミニコ会だとそんなことないのに。 イエズス会とフランシスコ会とベネディクト会の
修道士3人が食事をすることになりました
さて食事をはじめようとしたところ突然部屋の電気が消えました
ベネディクト会の修道士は神の与えたもう静寂に感謝して祈り
イエズス会の修道士は停電の原因究明に乗り出し
フランシスコ会の修道士は隣の人のおかずをつまみ食いしました フランシスコ会の連中は、ずるいことばっかりやってて、油断がならないっておち? >>36
意味が分かると怖いコピペスレからコピって来たやつだろ、それ
単なる改変じゃないの?
特に意味なさそう 1 観想修道会 → 沈黙のうちに祈る
2 イエズス会 → 学究的態度
3 フランシスコ会 → 清貧がモットー
→ 普段ロクなもの食ってない → 貧乏ったらしい
と解釈したが。
1についてはカルメル会とか厳律シトー会のほうがピンとくるかも,
というのと,
清貧はどの修道会も共通だよとか言い出すとキリはないけどな。
フランシスコ会も原理派会派と社会活動派みたいに分派しているけど。
まあジョークとしての出来はともかくとして,
世界史板の修道会板で基本的な修道会のイメージができていない人が,
「これは意味がないコピペだお」的な書き込みをするのはいかがなものか。 >>47
定義にもよるけど、コプト派とかあの辺の流れを汲むものなんじゃないの。 禁欲生活を送る集団はコプトなんかよりもっと古くから存在していたんじゃないの?
ペテロは妻帯していたらしいけど、禁欲生活をほのめかす記述は新約聖書にも出てくるから
今では名前も忘れられた修道会は2世紀以前にあったと思う。
コプトの修道生活を描いた山形孝夫「沙漠の修道院」がすごく面白いから
コプトに興味があったら読んでみたら。
http://thenude.eu/Inna_15302.htmhttp:/galleries.tease-pics.com/artlingerie/781a/://www.littlethumbs.com/mgp/jujana/girl-models/://www.littlethumbs.com/mgp/jujana/girls-kissing/TATIANA_752.htm やっぱり修道会って、テンプル騎士団の影響が強いところが多いのかな? >>55
いろんなキリスト教的組織のオリジナルと思われているからでは? >>59
影響力の大きさならベネディクト会でないの?
シトー修道会は、ベネディクト会よりテンプル騎士団の方に似てるね。
ベネディクト会の特徴は、
・共同生活
・厳正な規則に従った生活
・修道院長の互選
・祈りと労働の生活
・一生涯一つの修道院に所属
で、各修道院は別個に運営(総本山は無い)
が、
シトー修道会はこの「定住性」を廃して、総長の命令でどこにでも赴く、「移動性」を持つ。
同時に、現在のコンツェルン組織同様、本部があって、これが各管区長を統制し、
全修道院は本部の巡察によって厳正にチェックされる。
ソースは、篠田雄次郎著『聖堂騎士団』 2 名前:ウーゴ ◆eaYqa3SeLE 投稿日:2009/09/16(水) 22:15:05 0
極東では人売り人買い。
南米では建築家にして音楽家にしてコミューンの創始者。
その名はイエズス会!
3 名前:世界@名無史さん 投稿日:2009/09/16(水) 23:44:33 0
南米でも若い娘を専用の建物に住まわせて、あんなことやこんなことをさせてるって
非難されてたけどねイエズス会。
ウソかホントか知らんけど。
4 名前:ウーゴ ◆eaYqa3SeLE 投稿日:2009/09/16(水) 23:47:31 0
やりたい放題やってたのは本当らしい。
ジルベルト・フレイレがそのことについて批判してたお。
フランシスコ会とかも相当ひどかったらしいけどね。 イエズス会にかぎってそんなことやるわけない
組織内部で発生するような堕落からは最も遠い修道会
36 名前:人間七七四年 投稿日:2009/01/29(木) 09:29:49 ID:bTNd73Jk
西洋人より知能の劣る倭の庶民
「あんたらの言うように神の教えが唯一普遍的な真理なら、そんな事は誰かに教えてもらう物でもなく、誰もが
はじめから知ってるはず あんたら宣教師は今という時代にここに来て、わしらに何を教えにきたんかいのう?」
倭人より知能の高いはずの西洋人の中でもトップクラスの知識を兼ね備える宣教師
「………!!」 >>64
クレメンス14世が、イエズス会に解散を命じたのって、内部腐敗が理由だったんじゃ?
あれって単なる言いがかり? スレタイにキリスト教騎士団が入ってれば、もっとスレ伸びたのに >>66
そうじゃなくて、イエズス会が対抗宗教改革運動の過激派だったから。
あまりにあちこちで政治的陰謀をやるから多くの国で嫌がられていて、
これらの国々が前任のクレメンス13世にイエズス会をどうか解散してほしいと要望していた。
大規模な事件として、
ポーランドではジグムント3世王をそそのかしてスウェーデン王国やモスクワ大公国に政治介入させた。
東洋では秀吉をうまいことそそのかして中国征服を決意させ、朝鮮出兵させた。 イエズス会って宣教地で現地の慣習や宗教を尊重する方だったと >>69
最初そうやって入ってきて地元有力者の警戒感を解く >>69
日本に来てた連中は、比較的そういう人たちが多かったけど、本部はそれに大反対だったんで、
かなり揉めてたよ。 現代も、プロテスタントよりもむしろカトリックの方がそこら辺のとこ寛容なんじゃないか? カトリックは教団としては全体的に寛容だが、イエズス会は政治的組織だから。
ただイエズス会もカトリックなのだから、その哲学自体は寛容。
コスモポリタニズムを世界中に広めるための、兵器を持たない軍隊みたいなもの。
ボーイスカウトのもっと内部規律が厳しい版のような、鉄の組織。 >>71
イエズス会では、カトリック教団内でも特に頭のいい人たちが厳しい教育を受けて宣教師になるからな。 >>71
今じゃ寒流なんて喜んでケツ差し出してるしな日本人。アホくさ なんか抽象的な言葉ばっかりだな。
世界史板とは思えない だってアタイ、文学部の歴史専修でさえないただのアホ学部生だし(ノ゚∀゚;)ノ >>65
パガン(アニミズム・シャーマニズムなど)相手の宣教なんてそれこそローマ時代からやってるし
キリスト教の繁栄自体が体系的な宗教を持たないパガンの民を取り込む課程そのもの。
ごく近い時代にも新大陸で宣教しているわけで、土民相手の宣教の心得などいくらでもある。
神道とかいう非文明圏にありふれたアニミズムしか信仰を持ってないのに世界に誇れる独自の宗教を持ってるとか勘違いしてる、
宗教に無知な典型的日本人の土人根性丸出しの妄想がバレバレで何とも恥ずかしいレスだな。 >>78
そう興奮せずに、元ネタ探して読んでみたら?
フロイスか誰かが書いていた、かなり有名な話だったと思うけどこれ。 そのコピペの名無しって三戦板かどっかのヤツでしょ?
居酒屋で酔っ払いがわめき立ててるようなもんじゃん。 こぴぺ自体はどうでもいいよ。
これに限らず、日本では、他のアジア諸国と違い、宣教師が答えに窮することが
多かったので、後に想定問答を用意する必要があった。
というぐらいのことは、当然知ってるよね?>>78 >>78
世界に誇れる独自の宗教といえば葬式仏教があるじゃないか。
儒教と仏教という水と油の関係にある宗教を、
平和共存を越えて一つの宗教として統合したんだから。
戦国時代には既にクリスマス休戦があったとか。
織田信長と松永久秀の戦いの最中に、ルイス・フロイスがクリスマス休戦を提唱し、
両者がそれを受け入れ、両軍のキリスト教徒兵士がミサに参加し、翌日からまた殺し合ったそうです。
松永久秀は2年前にも三好三人衆との戦いでもクリスマス休戦をし、これが日本初だそうです。
なお、この記事は19世紀のドイツがクリスマスツリーの最初としてますが、クリスマス自体が
ミトラ信仰の流れを汲み、6世紀のドイツには既に常緑樹と太陽信仰で存在したともされます。
ゆえに、織田信長や松永久秀もクリスマスツリーは見ていた可能性があります。 >>88
ちゃうちゃう、『赤と黒』の場合、軍人カラーが赤で聖職者カラーは黒。
修道服といえば黒色か灰色か茶色だな。
喫茶店でカプチーノを注文するとき、さりげなくこれはカブチン派修道会士の
修道服の色に因んでいるんだぜ、と学のあるところを彼女にみせてみよう。 修道士会が学校を持つようになったのはいつごろからですかねぇ 教育的な修道会が盛んになったのは対抗宗教改革からだよね 一番大きいのはラ・サール会かな。イエズス会は教育もやるけどメインは宣教 無教育な修道会ってあるの?
僧兵みたいなのばかっりな修道院ってあったの? >>99
そうだよ。おかげで日本でも知られていると言ってもいいかも >>62
むしろテンプル騎士団の方が、シトー会に似ているというべきじゃないのかな?
創設のいきさつからしても。 テンプル騎士団創立の時には、シトー会の重鎮であるクレルボーのベルナールが大きくかかわっていて、
会則もベルナールが書いたんじゃなかったかな。 ラ・サール会は正式名称が「キリスト教学校修士会」で、学校設立と教育自体が
会の主目的だということだね。 つまり青少年の育成ってこと自体が目的であるということか。
学校や大学を経営しているという意味なら
フランシスコ会だってやってるけど
医療とか福祉とかが多いんだろうから
教育を目的としているなんてのとはまた違うよな。
ラ・サール会にとって、学校運営って、どれぐらいの比重なの?
外から見ると、高校運営しているだけにしか見えないけど。 ラサール会はどこかの県の宣教担当とかしてる?してないっぽいよな
宣教担当リストとかどっかにないかい
愛知:神言会
群馬:フランシスコ会
三重:メリノール会
静岡:パリ宣教師会
みたいなリスト 18 名前:人間七七四年 投稿日:2010/11/17(水) 22:11:28 ID:DdMCpnr/
この時代のイエズス会士の情報収集能力の高さは異常
(かれらが到達しうる限りの)世界全体の社会情勢・文化等の情報を
収集・分析できた唯一の組織だろうね
後にロシア以外のヨーロッパ諸国が潰しにかけたのは納得だな >>111
本当に情報収集能力に優れているなら、
イエズス会自身の追放を避ける手立てを幾らでも打てただろう。
各国の宮廷に深く食い込んでいたのに、なんでむざむざ追放されたのか
そこがいまいち理解できん。 547 名前:世界@名無史さん 投稿日:2011/12/09(金) 20:18:06.47 0
ちなみに、日本人の知能に舌を巻いた、というのは、多分
「洗礼をすれば救済されるというが、それなら既に死んだ先祖はどうなるのか」
と日本人が言ったのに宣教師が答えられなかった話だと思うが。
聖書には、死んだ人間は一旦陰府(ハデス、地獄であるヘルでも煉獄でもない)に行くと書いてある。
新約聖書のペテロの手紙に「キリストが復活する前の三日間、陰府でキリストを知らない人々に説教していた」とみたいな事を書いてある。
非クリスチャンには、失笑物だと思うかもしれないが、書いてあるのだから仕方ない。
こういう「セカンドチャンス論」を普通に説けばよいのに、それを出来もしないくらい当事のカトリック、イエスズ会は駄目駄目だったわけだ。
今でも、アメリカなんかの牧師はセカンドチャンス説を余り説かないらしい。
逆に伝道の邪魔になるんじゃないかとかどうとか。 >>114
ペテロの手紙(1のほう)に書いてるのは処刑後イエスの霊がノアが箱舟を作ってる間に神に従わなかった連中相手に宣布したというくだり。
そんな数千年前の連中、それも先祖ですら無い(洪水で全滅)やつを相手に布教していたに過ぎないことを持ちだしても
先祖を改宗させられないだろ、と再反論されるのがオチじゃないか?
本気で入信したいのなら先祖など無視して入信するだろ。 44 名前:世界@名無史さん 投稿日:2007/06/04(月) 23:54:39 0
東欧には要塞教会があるけど、武器などため込んでいたのだろうか?
48 名前:世界@名無史さん 投稿日:2007/06/05(火) 08:37:49 0
>>44
17世紀にロシアのトロイツェ・セルギーエフ修道院を訪れたアレッポのパウロによると
そこの軍備は「数え切れないほどの砲、無数の大型小型の銃、弓、矢、剣、ピストル、槍、
鎖帷子に鉄の鎧――すべてトルコ人の国々より良質なものであった」という状態だったそう。
「動乱時代」に1万2千のポーランド兵が60門以上の大砲で4ヶ月攻囲しても陥落しなかった。
54 名前:ギシュクラ・ヤーノシュ ◆4yzbf0MFE. 投稿日:2007/06/06(水) 00:56:15 0
>48
ルーマニアの要塞教会に限らず、要塞化した修道院というのはあります。
スロバキアのニトラなんかは城そのものですし、スピシュ城の麓のスピシ
ュカ・カピストラも周囲に銃眼のついた防壁をめぐらしてます。他にも例
はいくつもありますが、修道院は食料も財宝もあるので防備を固める必要
があったのかと思います。 漏れのご先祖様は英雄的な戦士なので、地獄でも異教徒の偉人と同じくリンボに行っているのでよろしいのです。 地獄に落とされるのは「キリストを知る機会がありつつも、否定した人間」だけ。
キリスト登場以前の義人、知性が発達する前に死んだ子ども、キリスト教を知る機会の無かった人間は、
別途救済措置を神がとっているであろうとみなす。 >>122
たぶん、あの宗派の信徒なんだろうけど
その宗派特有の見解だから、学問板それも修道会スレで主張すべき話題ではない ポルトガル王とイエズス会、スペイン王とフランシスコ会みたいに、
海外に出ていった修道会って、王がパトロンになっていることが多いけど、
航海資金を得るためには、当時はそういう方法しかなかったのかな? >>125
自腹で船を用立てるなんて無理。
船以外にも船員もいるし、巨額の金がいる。 ポリネシアからヨーロッパ行こうと思ったら巨額の資金いるんじゃね 世俗の人が一定の戒律に従って規則的に集団で生活する組織。
修行僧は、世俗じゃないよね。 現在の高野山とか比叡山は、バチカン+全寮制神学校のようなものだろう。
一生居ないといけない誓いなんか無いだろうし。 修道院の17世紀の絵画を見ると、修道士が多くの病人を介護している絵があった。
病院ができる前は修道院が預かり、かなりのお礼金をもらっていたのだろうな。
それであんなに立派な建物ができたんだ。 中世西欧の多くの修道院は、修道院に入るためには、騎士階級以上の出身であることと、持参金が必要だった。
修道院はエライサンも次男三男の捨て場所というのがレーゾンデートル。
日本の寺もそうだが。 17 小倉==2001/08/08(水) 23:06
ヴェネツィアでもらった『イタリアガイドブック』に
『ルネサンス時代の修道僧たちは乱れていて、女性の修道院に平気で
修道僧たちは出入りしており、子をもうける者も少なくなかった』
とか書いてあった。ホントかなあ。
上記の様子ならなんとなく想像できるんですけど、
『胸をはだけて歩く修道女まで現れた』
というのがにわかに信じがたい・・・
この時代に限らず、如何に修道僧たちの素行が乱れていたのかを
知る事が出来る書籍か何か有りましたら、ご紹介願えませんでしょうか。
18 アマノウヅメ==2001/08/08(水) 23:57
昔、角川文庫で『風俗の歴史』フックス著てのが出てました。全9巻。
ルネサンス、絶対王政(用語にケチつけないでね)近・現代と3巻ずつで。
著者はユダヤ人で第2次世界大戦の時行方不明になってます。
この本はエロを真面目に研究した本でけっこう面白いんですけどね。
それからカサノバの『回想録』全訳、河出書房新社。
抄訳のほうが面白いんですが。
とにかく18世紀までの記録とか回想録とか読めば修道者の堕落はいたるところに出てきます。
女子修道院が乱れていたのは、入る人の質が悪かったせいですね。
現代で修道女になるというのは、信仰篤く志の高い女性ですが
ルネサンス頃は出来の悪い娘を隔離するという役目を持った修道院もありました。
貴族の娘が政略結婚するのは外交官になるようなもので美貌と才能が必要だし、
市民の娘でも能力なくては、大商人の妻は勤まりません。
だから、できの悪いのは寄付金つけて修道院にいれるわけです。
そういう修道院は18世紀に絶滅して、現代では本物だけが残っています。 19 世界@名無史さん==2001/08/09(木) 00:29
まあ、カンタベリー物語やボッカチオとか読むと、中世以来から
それなりに好色坊主と色気違いのあまさんの話は、やまほどありますからなあ。
ボルジア家の父兄妹近親相姦で名高い、あのおねえちゃんも最初は修道院から。
こりゃ、修道院以外でスタートした美人を探すのも難しいでしょう。
芸能界でヤンキー出身じゃない美少女さがすのが難しいみたいに
20 世界@名無史さん==2001/08/09(木) 02:00
>>17
特に中世末期のフランスのどこだったかの修道院が有名で、
尼僧は殆ど娼婦のようだったそう。その修道院のトイレに
は堕ろした子供の骨が散乱していたほどだったそうな。出典
はしらないが、中世史をやってる教授が言ってたからホントでしょ。
21 小倉==2001/08/09(木) 12:46
想像以上に乱れていたのですね・・・修道院。
これじゃまるでまともな僧侶探す方が難しいような・・・
のわりには素行の美しい僧侶の話ばかりが本に取り上げられているような気がしてなりませんね。
どうして事実を隠すのかな?
歴史は誇らしい部分より、人間らしい面の方が好きな人多いと思うんだけどなぁ。 >>98
チュートン人の聖母マリア騎士修道会
リヴォニアのキリスト騎士修道会
こいつらヤバかった だから、中世の修道院は、信仰の場でなく、できのわるい上流階級の子女の捨て場だったり、
刑務所の代わりであったりしたわけでしょう
だから、好き勝手なことをしていた
全てが、そんなおかしなところだけではない
ちゃんと神に仕えたり、学問をするための修道院もあった
今の学力底辺高校と同じ
灘高校も高校だが、分数計算のできない生徒でも卒業できるレベルのところも高校 修道院の乱れかたも、国や地域によって違うと
思うんだけど。
施療施設に慢性疾患の患者を預かり、介護している絵を見たことある。金持ちの
人だったらかなりのお金が入ったと思う。 『修道士ファルコ』って、このスレの人結構読んでいたりする? 中世でも信仰心が薄い人もいた、親が信仰心が薄いので心配して、修道院に入れるが、
結局入れられた本人からすれば自由を奪われ、現代人的視点で言えば少年院だった。
この論調が成立するなら、
明治時代の年季奉公は、少年院だった。強制労働有り仮出所付き少年院だったとか、
何とでも言える。
我々は、普段、きちんと理解していない単語を適当に結びつけて考えてしまうことが多いが、
歴史学は、そうした危険性を認識させてくれる学問でもあるとおもうが。
悲しいかな、できないのが多い。 後世の歴史家が、日本の女子校は、売春宿だったという研究を発表するんだろうね。 J. カスタニエダの、『イエズス会教育のこころ』って誰か読んだことある人いないですか? フランシスコ会は異端とされるギリギリの所で妥協したって事かな。 さあ、一緒にあすの日の悲しみを忘れよう、
ただ一瞬のこの人生をとらえよう。
あしたこの古びた修道院を出て行ったら、
七千年前の旅人と道伴れになろう。 修道院の性の乱れについてのいくつかの記述
中世の売春宿は、必ずしも女子修道院と明確に区別されてはいなかった。
異教の巫女たちの集団であるcollegiaの痕跡が両方の組織にまつわりついていた。
ひとつの共同体の中で男性と女性がともに住む初期の「共同修道院」は、
ときには神聖な売春婦の宿となった。数人の教皇はローマに「聖なる売春宿」を持っていた。
ナポリ王妃ジョアンナは、ローマ教皇庁があった(1307-99)アヴィニヨンの町に、
「大修道院長」という名の娼婦たちの宗教的な家を建てた。ヴィクトリア朝時代には、
歴史的な先例は忘れ去られたが、娼婦の女主人を、「尼僧院長」と呼ぶ習慣は、一般的なものとしてまだ残っていた
1609
宗教改革以前は教会の堕落はすさまじく、
教会や修道院で売春をしていた。
1610
有名なローマのシスティナ礼拝堂は売春宿経営の「あがり」で建設された
1611
修道女は「隣人愛」の名の下に無料で体の提供行なう事も多く、
そのため娼婦達の一番の「ライバル」だった
市営もしくは教会経営の娼家につとめる娼婦たちが商売敵としてうらんでいたのは、
女中、ウェイトレス、湯女といったあくまで副業として売春をしていたいわゆる私娼たちだけではなかった。
それとは別におそるべきライバルがいて、彼女らの大事なお客をさらっていた。
当時は女子修道院までもが、娼家に負けず劣らずの乱痴気騒ぎを繰り広げることがあったのである。
女子修道院が売春の巣窟だったのだ。
つまり、中世ではセックスを大いに楽しみ、公権力や教会がそれを公認していた。
本書は、教会経営の娼家が大きな利益を上げたから、システィーナ礼拝堂が完成したとさえ言う。 修道女は男子禁制の閉鎖的な空間で神に仕える生活を送っていたわけですが、
早くも六世紀には「浴場で男たちとふざけ合っている」と非難されるなど男と通じ合う者が少なからず存在しました。
十四世紀にも修道院が「淫らさと快楽の隠れ家」と言われたり、
十五世紀初頭には「売春宿」呼ばわりされており修道女がふしだらな素行している事が常に問題視されていたようです。 なんかそういうの扱った有名な文学作品なかったっけ? >>162
>異教の巫女たちの集団であるcollegiaの痕跡が両方の組織にまつわりついていた。
非キリスト教の内容とキリスト教の修道院がごやまぜにしているへんてこな文章。 なんか今までずっと過疎ってたのに、
修道女の堕落の話になるとみんな寄ってくるなw えろ話に食いつくのは人間の性
>>166
修道院ってのはキリスト教だけのもんじゃないからな
日本の尼さんだって腐敗や性の乱れの話が色々あるんだぜ 修道院には貴族や資産家の令嬢も結構入れられたりしたらしいが
大半の貴族や金持ちは娘の教育は家庭教師のようなものを雇うなりして自分の家でできるから、
修道院に送られる令嬢というのは知能的か肉体的に何だかしらの問題があるか、
家で娘に一通りの教育をしようとすると莫大な財がかかるため
経済的に厳しい状況になった貴族等が修道院に娘を送りつけたって何かであったな。
そのため家に帰る事なくそのまま修道院で生涯をすごした令嬢がかなり多かったそうな。 探せば修道会関係のみだらな歴史文献ってあれこれ出てくるもんだな
清楚な格好が逆に男の情欲を煽るというのは非常に分かる
1588年にアンリ四世は修道院長クロード・ド・ボーヴィリエを口説き落としました。
彼女は、「修道院で最も美しくて大きな乳房の持ち主」として知られていたそうです。アンリ四世は巨乳好き・尼さん属性だったわけですね。
実際、彼に限らず一般に修道女を対象として性的興奮する性癖の人物も少なからず存在したようで、
軍事的征服を受けた場合に現地の修道女はしばしば陵辱される対象となったわけですが、清潔・清楚な服装が逆に征服者にとっては欲情をそそるものであったとか。
そんな状況でしたから、修道女たちも欲情をもてあました際には相手を見つけるのには苦労しませんでした。
イッポリト・テーヌは「若く美しい修道女で、自分に善くしてくれる男を持たない者はない。」
「彼女たちはほとんどが強制的に修道院に入れられただけで、女として生きることも望んでいる。あらわな胸に花を飾った彼女たちは魅力的だ。」と述べていますし、
ディジョン議会議長を務め人格者として知られたブロスもまた「本当のところ、もし私がここに長い間滞在しなくてはならないとしたら、私もまた修道女たちに気を引かれるだろう。」
「私が見た修道女たちはみなきわめて美しい。」「衣類は簡素で、ほとんどいつも白。女優たちを彩るようなローマ風衣装に勝るとも劣らないほど肩も胸元もむき出しになっている。」と述懐しています。…実によく観察していますね。
このように修道女たちが多くの男たちを魅了し密通していた事は公然の秘密であり、十九世紀にはパリの売春宿が隠語で「修道院」と呼ばれたのもその現われだったといえます。
無論、修道女が密通する相手で一番多かったのは男性修道士だったようですが。 清楚な外観と雰囲気とは裏腹に性欲まみれというのが逆にエロくてたまらん 金払っていかにもビッチってのを抱くよりも
タダで表向きには神に仕える立場で清楚な雰囲気の女性を抱ける方が
どう考えてもたまらんし、修道女が欲望の捌け口とされるのも当然っちゃ当然 1951年、アイルランド。私設看護婦ジューン・ゴールディングが新しく派遣された職場は夜勤無し、カトリック教会が運営する修道院。
未婚のままで出産する女性達の駆け込み寺であったのにもかかわらず、「堕落した女性」として判断された収容された女性達にとっては刑務所であった。
当時助産婦にしていたジューン・ゴールディングの回想録。
「マクダレンの祈り」は映画で観ました。当時のアイルランドは厳正なカトリック教会の方針もと、レイプ、未婚のまま身ごもった被害者というべき少女たちが収容され、
人間としての扱いされることもなく、まるで刑務所のような生活を強いられました。マクダレン修道院は1996年まで運営されていました。 >>173
映画の中と違って、現実に美人いる可能性はものすごく低いんだけどな。 >>165
デカメロンは全是違ったと思うが、エプタメロンはよく知らない。 >>176
修道院とそれ以外の場所とで美人の割合が違ったりするの?
そりゃ娼館とかになると話は違うだろうけど…
嫁にやれないような超ドブスちゃんが修道院送りにされることが多いからとか? 日本の神社の巫女は、清楚だが、悩める男の性欲処理が主な任務。 >修道院とそれ以外の場所とで美人の割合が違ったりするの?
世間一般でも、美人なんて滅多にいないだろ。
修道院もそれと同じ。
なのに映画の中では決まってやたら美人な修道女がいる。 容姿にすぐれず嫁入り先がないから修道院へっていう場合もあるが、
美人すぎて男関係の問題を起こす→女子修道院に入れられる、っていうパターンもある。
また、聖職者がラブな関係になったカワイイ娘に修道院入りを勧めることもある。
俗世の悪い虫がつく心配がなくなるから。 学校として修道院に入れるというケースもある。
ここで読み書きを学ぶ。寄宿寺子屋である。 >>182
思春期前に修道院に入れるのが普通じゃないの? エロイーズたんは18歳ぐらいで修道院入りだったな。 もともと修道院に入れるつもりもなかったが、引き離すために修道院に
入れたのだから、普通の人が修道院に入る年齢とは関係ない。意味が無い。 かのマザー・テレサも修道会に入ったのは18歳だな。 ハムレットがオフェーリアに言う有名なセリフ「尼寺に行け!」には
二通り解釈があるらしいね。 アビラの聖テレサがカルメル派の女子修道院に入ったのは19歳だったな。
そんな若さで禁欲生活に入れば、下世話な話だが女性でもたまるだろう。
天使の黄金の矢に体を貫かれる神秘体験(聖テレサの法悦)なんて
男が聞けばおいおいそれって・・・てな感じ。 収容施設から修道院だから、19歳。
最初から修道院ならもっと、若くなる。 >191
>女性でもたまるだろう。
女の場合、外からの刺激が全く無ければ溜まらないんだよ。 うっかり世をはばかる恋に落ちて私生児の母になってしまったとか、
昔は修道院送りのケースが多かったろうな。
プッチーニのオペラ『修道女アンジェリカ』とか可哀想すぎる。 フィリッポ・リッピの略奪婚はすごすぎ。
略奪された嫁さん(こっちも修道女)はさぞ美人だったんだろうな。 修道女相手にやり放題なプレイボーイの坊さんといえば「ルーダンの悪魔憑き事件」で
何度も映画化されているグランディエ司祭が羨ましすぎ。
最後は火あぶりだけど、あれだけおいしい思いをすれば人生に悔いは無いな。 修道院の武装化、要塞で有名なのはどこ?
僧兵みたいの、いたんだろうか? それそれ
テンプル騎士団のメンバーは、
敬虔な信者の騎士?
武装した司祭? >>150
面白かったよ。
ちゃんとドイツとスペインの修道院を取材して書かれているので、勉強になるし。
掲載誌の都合で、4話で止まっているのが残念。
著者も書いていたけど、ぜひ話を再開して欲しい。 中世初期アイルランドの修道院とかそんな感じじゃね
王族やらが結びついて修道院経営してるから
実態としては修道院領の民衆だけど名目上は半世俗の修道士として武装してたらしいが ルネサンス期には、修道女と姦淫した者は、勃起したまま死ぬという都市伝説があった。 >>209-210
罰当たりどもが今から死ぬまで勃起したまま
童貞で生涯を終えますように 戦後のポーランド映画の『尼僧ヨアンナ』って名作だよな。
『エクソシスト』などの映画は『尼僧ヨアンナ』のパクリだろ。 しかし修道院が禁欲というのは表向きだったらしいからな
>>208みたいな都市伝説が作られるのも修道女と淫行してたやつが実際にいるから 道を外れた女性にも改悛の機会をってんで売春婦も大量に受け入れてたしな >>215
>しかし修道院が禁欲というのは表向きだったらしいからな
で、そのソースは? 塩野七生の本にそういうトンデモ法王が登場するね
あれは本当のことなの?
マルキ・ド・サドの本にも肉欲に爛れた修道女が登場するけど、
ああいう話はどこまで真実なの?作り話なの? エーコの薔薇の名前で色んな修道会があることを知ったな
聖ベネディクト修道会 クリュニー修道会 シトー修道会 フランシスコ修道会 ドミニコ修道会など
その小説でフランシスコ修道会から異端がでたというのが実に興味深かった >>222
教会、修道院の人達が全員聖職を志してその道に入ったとはまさか思ってないよね?
持参金のない娘が無理やり修道女にさせられたり、男の場合は領主の次男以下が最初から司教や大修道院長になって政治権力握るために聖界に入ったりするわけだから、俗臭プンプンでも仕方ないよ。 >>222
修道女についてはよくある話
教皇については、特にルネサンス期では妾囲って庶子を持ってない教皇の方が少ない (1)土地の有力者の寄付によって運営されている、女性用の修道院がある。
(2)持参金が高いため、無理やり修道女にされる女性も多かった。
(3)綺麗な女性が、無理やり修道女にされる。
(4)(1)の有力者の息子などが、(1)の修道院に夜に無理やりおしいって、
新しく入った修道女に会わせろ、と要求。手には武器。
後、都市から離れたところにある、女性修道院は、
略奪の対象にしばしばなった。
楽しい話ばかりではない。
そういえば、京都市の北西部、北野天満宮があるあたりは、
尼寺がおおい地域と、遊郭の場所(上七軒)が隣接している。
何やらいろいろ考えてしまう。 網野善彦が日本の寺社について書いたような、中世のアジールとしての地位は、
あまり高く無かったって事なののかな>修道院
それとも、近世に入って低下したのかな? 一定の寄付金を納めると、後は面倒を見てくれる
老人ホームのような場合とか、色々あるんだけど。 いや、軍事力とか、そこを侵した場合に受ける神罰みたいなことを聞きたんだろ。 アジールって、共同成員同士の紳士協定・心理的なもので、
たとえば、市には武器持ち込みができないが、それは自分も
持ち込まないし、相手も持ち込まないということを前提にしている。
その前提が成立しないような相手には効力がそもそも弱い・ないし無い。 そりゃ、アジールとは言わないだろ。
宗教的権威等の聖なる力に対する恐れが根底にあるかどうかが大きい。
ヨーロッパじゃキリスト教。 わが国も信長の比叡山焼き討ちや本願寺攻めで寺社のアジールなど有名無実化しただろ だから、それが近世に入ったってことなんだろ。
何言ってんだよ。 修道院の富って、金銀財宝とかよりも領主権とかじゃないの? それもまったく同じ
市場ってのは、中世では寺の門前で開かれるものだよ 修道院てぶどう酒は飲んでもいいけど
性欲を抑えるのがメインの修行だから
予想以上に苦しいよね。 シトー会が水車をヨーロッパに広めたって、ディスカバリーチャンネルでやってたな。
水車で小麦粉をどんどん挽いて大もうけウハウハ状態だったとか。 >>239
それが今のトラピストクッキーのルーツ? シトー会は製粉や製材や金属加工に水車を使っていて、
その修道院はさながら中世の工場のよう。
農業面でもlay brothers(労働修道士)を大勢使って
中世ヨーロッパの農地開拓に大きな役割を果たした。
祈りの生活ため人里はなれた森の中に修道院を立てたはず
だったのが、いつの間にか修道院の周りは広い畠が広がり、
やがて村が出来、町になり・・・ シトー会は祈りと労働の二本立てだしね。
祈っては森を切り開いて開墾。
祈っては野良仕事。
そして仕事のあとにトラピストビールうまい。 信仰と労働を結びつけて考えたのは、何もプロテスタントの専売特許じゃないってことだな。
教理問答に明け暮れたり、異教徒の寺院を焼き払ったりするのに比べりゃ、遥かに健全な
宗教的生活態度だと言える。 お布施を集めるしか能のない宗教法人は、少しはシトー修道会を見習うべきだな。 >>244
部分的に同意。
ただ,職業を召命とみたのはやっぱりプロテスタントかと思う。 ワーカーホリックな修道士は必ずしや天国に迎えられるであろうアーメン イエズス会≒グノ−シス≒ユダヤ≒ナチス
カトリックとナチスはお友達だったしね 修道院大好き人間向け新作ドキュメンタリー映画
『おおいなる沈黙へ グランド・シャルトルーズ修道院』
http://www.ooinaru-chinmoku.jp/
入会したくはないが覗いてはみたいよね テレビもインターネットも出来ない生活は苦しいな。
逆に言えばオンラインゲーム依存症患者などの更生には効果的かもしれん。 上で出てた労働価値観とは別の点だけど、
資本主義の源流をカルヴァン派(プロテスタント)ではなく
イエズス会(カトリック)を中心とするサラマンカ学派に認める
ハイエクのような経済学者もいるね。 『修道士カドフェル』っていう修道士が名探偵のドラマシリーズ、
舞台は12世紀の中世まっただ中なのに捜査手法が科学的で吹いた。 >>254
それ、オンラインでフリーでどっかれ見られないかな? 無料だから違法とは限らない。
特に数十年も前のテレビ番組の場合は 修道院を舞台にした歴史小説や映画がもっとあれば、
我ら縁なき衆生も、イメージを持ちやすいんだけど。
何かおススメのない? 青池保子の『修道士ファルコ』ぐらいしか思いつかんなぁ。
結構面白いのに1巻で止まってしまっているのが残念。 >>264
いまは連載再開してるみたいよ。
映画に出てくる修道会いえば、『尼僧物語』とか『天使にラブ・ソングを』とかに
部分的にでてくるけど、はじめから終わりまで修道院シーンだと、観客は退屈して寝てしまうこと必定・・・ おう全然知らなかった。。。
嬉しいけど、なんか買い方難しい出版の仕方っぽいな。
昔の持ってる人間は3巻から読めばいいのかな? ダヴィンチ・コードにはたしかシトー修道会が出てくるな
まぁ、かなり偏見に満ちた描き方なんだが 薔薇の名前は最初っから最後まで修道院の中だけど眠たくならなかったぞ お前には、ハリウッド映画とアニメ以外はまだ早かったな 後は枢機卿になるまでの裏のドロドロとか法王庁の金の話しとかを書いたジャック・アラン・レジェの『悪徳の法衣』とか。
映画化もされてなかったけ? スレ違いだけど、トラピストクッキーっていまやAmazonでも買えるんだな。 イギリスで修道会をぶっ壊した後、
チューダー朝以後、修道会再建運動とかなかったのか? >>284
修道院はカトリックだから、イギリスで反宗教改革でも成功せんかぎり、
修道院の文化が大々的に復興することはないだろう。 ベネディクト会がないので追加
おそらく最古の修道院。教会のあり方に異を唱えローマ付近、サビーナなど
山の上に篭りはじめる。最終的にモンテカッシーノに落ち着き修道院を開く。
「神様の声を広めよう」というフランシスコ会に対し、「神様の声のとおりに生活しよう」
という発想のため、「服従」「清貧」「童貞(純潔)」、建物から出ない・・
など修道院のなかでも正統主義派としてより厳しい戒律として知られる。
グレゴリアン音楽発祥の会で、音楽ものを得意とし、イタリアのファルファ修道院に
最古の楽譜を持つ。
正統派、厳しい戒律を持ちつつも、ゲストを受け付けているんですよね。現在も。
残念ながら日本のベネディクト会は撤退するみたいですが、訪問できるみたいなので、
興味ある方は行かれてみてはいかがでしょうか? もうひとつ失礼。
ウィーンへ訪問したとき、ハプスブルグ家の納骨堂がカプチン会の修道院でした。
内臓はシュテファン大聖堂のカタコンベにあるのですが、
内臓をやっぱり取り出したのはカプチンの修道士たちなのでしょうか?
よく修道士って骸骨堂とか作りますけど、あれってミイラでなく骸骨だから
やっぱり切ったんですよね? クラブ世界一サッカーのアフリカ王者、マゼンベってチームはベネディクト会が作ったそうだ 中世初期・中期だと修道院の生産物貢租を売却する都合で修道院のそばに
市場ができやすい。それが核となって都市に発展した。
盛期・後期だと都市に托鉢修道会ができる。 シテが有って、外郭に修道院を核としてブールができるという構造だね。 どの修道会の僧が一等
男色好きだったのですか?
東方教会も含めて どこの国のそれもはじめにパワー系真面目が作ってリア充が腐敗させるの繰り返し ザビエルといえば頭頂ハゲ、頭頂ハゲといえばザビエル
日本人ならば小学生時代にそうした刷り込みが自然とできてしまうが、
イエズス会ではトーンスーラ(剃髪)をする習慣がなく、ザビエル本人はああいう姿ではなかった可能性が高い
有名なあの絵は死後70年以上たって列聖された後に描かれたもので(国内は既に取り締まりが厳しい時代)、
修道会間の慣習の違いに明るくなかった画家の手によるものと考えられている 新大陸での伝道活動についてウィキペディアの記述ですが
[[フランシスコ会]]と[[フニペロ・セラ]]では落差がありすぎます。
何とかならないものでしょうか。 フランシスコ会はかのコロンブス氏の有力なスポンサーだった。
つまりスペインの新大陸征服に便乗して布教したのではなく、
征服プラン立案の初期段階から関わっている。 トラピストバター高すぎだろ
どんだけ殿様商売してんだよ
人件費度外で安く売るなら分かるけどブランドで割増料金とかふざけてる
絶対買わねー トラピストバター 200g1200円
カルピス社 発酵バター50g 411円
ルアーパック 250g 1367円
ボルディエ 250g 2280円 「人件費度外で安く」とか平気でいっちゃうブラックカスタマーなんざ最初から相手にしてないよ 安易な値下げって結局こういう連中が集まってタカるだけなんだよな 連合国軍は、モンテカッシーノ爆撃の時て、、心痛まなかったんか?
宗派違うからなんとも思わんかった? >>309
連合国側にだってカトリックは大勢居るだろう。
上で出ていた『黙示録3174年』の作者ウォルター・ミラーJrは
B-25爆撃機の尾部銃手だったが、自分が乗っている機が有名な
修道院を爆撃してるのを見て、生涯残る心の傷を負った。 サンタ・マリア・ノヴェッラ薬局は、1221年に始まる修道院を起源とする
薬草を調合する漢方(伊方?)薬局。 悪いひとたちがやって来て
みんなを殺した
理由なんて簡単さ
そこに弱いひとたちがいたから
女達は犯され
老人と子供は燃やされた
悪いひとたちはその土地に
家を建てて子供を生んだ
そして街ができ
悪いひとたちの子孫は増え続けた
朝鮮進駐軍 関東大震災 日本人虐殺
https://goo.gl/1ntWvZ
https://youtu.be/D0vgxFC04JQ >>288で思い出したけど、頭蓋骨だけ取って積み上げるとか、
人骨をお堂の装飾にしてしまうとかして骨がバラバラになってしまうと、
復活の日に支障を来すのではないか。
http://gotrip.jp/2017/02/56892/
信仰的にどう納得しているんだろう。 ドゥームズ・デイに、神様がジグソーパズルに取り組みます 世界史のようにおもしろいかねがはいってくるさいと
グーグルで検索⇒『羽山のサユレイザ』
D727Q >>193
幼児自慰っといって五歳未満の女の子でも本能的に自慰する子はいるよ
君のお母さんだってオナニーぐらいしてるから安心して 修道院ってインターネットとか禁止だろうか。
も、もちろん勉強に使うんですよ! ブルターニュにあるモン・サン・ミッシェルの修道院って要塞みたいになっててめちゃ格好いい
オムレツが有名らしい
死ぬまでに一度訪れてみたい 友達から教えてもらったパソコン一台でお金持ちになれるやり方
興味がある人はどうぞ
検索してみよう『立木のボボトイテテレ』
V4X このスレでも何度か名前が出た『薔薇の名前』、
NHKの『100分de名著』で明日から放送だよ! 中公新書から『禁欲のヨーロッパ』『贖罪のヨーロッパ』
『剣と清貧のヨーロッパ』と続いてきた佐藤彰一の
修道院の通史の4冊目は『宣教のヨーロッパ』とのこと きっと新大陸でインディオを迫害した歴史が詳述されるのですな。 >>320
「すげー、すげー、ちょー、すげー、ひゃっはー」
「あれ、水がいっぱい増えてきたぞ」
「うわぁkdかkdかかkdっk」 漫画「将国のアルタイル」では王国の王宮のデザイン設定になっている。 中世で、宿屋以上のまとまった人数が宿泊できるのは修道院。
よって王などの移動時の宿泊所になる事が多い。 現代でもホテルを経営している修道院とかあるな。
または昔の修道院を改装してホテルにしてるとか。 中世だと、元娼婦の収容先として福祉施設的家がある。
アヴィニョンでは1280年頃設置。1370年の規則が残っている。
その規定では、入所は25歳で、若くて美人であること。
このような集団生活空間では修道院を擬してスールなど修道院風な単語が用いられる。このため古い史学では修道院=売春宿という勘違いもあった。 中世以降のヨーロッパに見られた「ベギン会」という女性の団体が興味深い。
女子修道院に近いのだがそれほど規律が厳しくなく、実態は女性の互助組織で
経済的にかなり成功したところもあったらしい。 修道会(しゅうどうかい)は、キリスト教の西方教会における組織。カトリック教会においては教皇庁の認可を受けて、キリスト教精神を共同生活の中で生きる、誓願によって結ばれた信徒の組織である。修道会の会員は修道者といわれる。
なお、東方諸教会・正教会・聖公会・ルター派にも修道院制度は存在するが、前二者の東方教会には修道会制度は存在しない。 はい違います
例
厳律シトー会 天使の聖母トラピスチヌ修道院
修道会 厳律シトー会
修道院 天使の聖母トラピスチヌ修道院 バチカンがナチ戦犯を南米へ逃がす過程で戦犯連中を一時的に
修道院にかくまってるのな。 青学の今野國夫先生の本はよく読んだな
朝倉文市先生の本もよく読んだ
今は佐藤彰一先生の本が面白いな カトリックのミサも中止があいついでるらしいし
信仰もコロナウイルスには勝てないらしいな。 コロンブスやリー将軍の像をお払い箱にするなら
フニペロ・セラのもぜひこの機会に ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています