ペルシャ人、ペルシャ語文化圏の歴史
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
古代から世界に進出していたペルシャ人、ペルシャ語(タジク語、ダリー語等を含む)圏の
歴史、文化について語るスレです。
主な対象国・地域
イラン、タジキスタン、アフガニスタン、アゼルバイジャン、ウズベキスタン、イラク、
グルジア、パキスタン、バーレーン、インドのパルスィー等
*古代ペルシャも一応対象ですが、突っ込んだ話はこちらで、
ペルシア帝国について語るスレッド
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/whis/1304337577/ サーサーン朝のヤズデガルド2世は、自ら出陣してエフタルと戦って敗れ、
エフタルの捕虜になり、莫大な身代金をエフタルに払って自由の身になった
しかし、これ以後、エフタルはサーサーン王室に深く食い込んでいく
ヤズドガルド2世の死後、三男のホルムズド3世が即位したが、ホルムズドの兄の
ペーローズはエフタルの後援を得て王になっている
エフタルはペーローズを即位させた報奨として、それまでサーサーン朝が
支配していたトハリスターン以北の国々を支配下に置いただけでなく、
莫大な報奨金をサーサーン朝に求めた >ホルムズド3世
これよく考えたらすげえよな・・・
ホルムズドって、神アフラマズダの中世ペルシャ語訛りだろ?
神名オンリーそのままで人名にしちゃうんだからな。まさに神の化身ってわけか 欧米だとダイアナ(ディアナ)のように、ギリシャ・ローマ神話の
女神にちなんだ名前ならあるな
あとはキリスト教の聖人にちなんだ名前とか エフタルが意外に狡猾な戦法使ってる
ベーローズ一世はエフタルが掘った落とし穴にはまって死んだ
その前にも手足を切断されて放置されてたエフタル人の言うこと
を信じて砂漠に誘導されて多くの兵を失ってる カワード1世もエフタルに擁立された王だが、彼の時代、エフタルは莫大な
報奨金を手にしただけでなく、サーサーン朝の宮廷の警備などを名目に、
王室深くに入り込み、内政に干渉した
金銭的に逼迫したカワード1世はビザンツ帝国に金銭の貸与を申し入れて
断られたりしている 「カワード」ってのも、考えてみれば凄い名前だな
英語で「臆病者」って意味だろ? サーサーン朝はホスロー1世の時代、北東アジアに台頭してきた
突厥と婚姻関係を結び、突厥と協力して、ようやくエフタル撃退に成功した ホスロー二世の頃には意外にもキリスト教国家になってた >>846
ビザンツ帝国との戦いに勝利して、いまでいうレバノン・トルコ・エジプトといったキリスト教圏の国々を征服したからだな ホスロー2世の時代は、サーサーン朝が最後の光芒を放った時代
628年にはビザンツ軍に敗れ、首都クテシフォンが陥落して焼かれた
このとき、西突厥の統葉護可汗が、ビザンツの要請でホスロー2世を攻めた アリー次男坊の嫁がササン朝の王女だなんてね
ゾロアスターの火は消えなかった ホスロー2世の死後、サーサーン朝宮廷内は混乱を極め、
突厥や貴族たちが勝手にそれぞれの思惑で王を擁立したが、
最期の王ヤズデゲルド3世が、アラブ軍に追われてトハリスターンに
逃れる途中、イラン東方のメルブで殺されて、サーサーン朝は
400年の王朝の幕を閉じる それまでは、シリアやエジプトがキリスト教圏だったからな
つい忘れそうになる事実 パルティアの文化は、最初はギリシアの影響が強かったが、
次第に土着的な伝統が強まっていく
コインにはギリシア語ではなくパルティア語の銘文が現れるようになった
メソポタミアでは、ギリシア風の宮殿建築は一方にイーワン(屋根と柱のあるテラス)
をともなう大建築に変わる ホスロー1世はシリアや小アジアに侵入して、アレッポやアンティオキアその他
多くの都市を攻略し、おびただしい金銀珠玉をぶんどり、多数の敵を虐殺し、
シリアからは大理石を大量に持ち帰った
そしてクテシフォンの近くに、ルーミーヤ(ギリシアの町)という色とりどりの
石造の市街を建設した HHMODEL x HAOYUTOYS
1/6 Imperial Legion-Persian Cavalry (Man and Horse Set)
https://www.youtube.com/watch?v=HkwG7N3SNG4 クセノフォンのアナバシスかなり面白かったわ
アルタクセルクセスの時代だが、大王と言っても直接的支配圏ってそんなに広いもんじゃなかったみたいだな
ギリシャ人舞台が北の山間の方に逃れたら追撃終わって後は原住民との戦いばかり ホスロー2世がバフラム・チュービーンを一騎打ちでボコった
ってのはやっぱ話盛ってるの? ミタンニの支配階級である戦士は自分たちをマリアンヌ(勇士)[注釈 1]と呼んだ。
マリアンヌwww >>860
首都に近いところでもペルシア王に服さない部族とかがいるよね。 約3,000年前以前のイラン高原の住民は
ペルシャ人・クルド人とトルコ系を取り除いた集団
どんなイメージだろうか? 黒羊朝、白羊朝というのがいまいちよくわからんのだが >>869
インド南部のドラヴィダ系は違うのかなあ ドラヴィダ系がパミール高原を越えて
イラン高原に分布したと言う情報はまだない シュメールの一本眉人種はイランにも混じってるよね
タジク人タイプ >>869
エラム人が先住してただろ
実際ペルシャ帝国も最初はエラム語を公用語にしてたし >>873
ただイラン高原先住のエラム語はドラビダ語との関係が指摘されてる ドラヴィダ人は基本的に以下の混血
①狩猟採集民(オーストラロイド)
②イラン高原から農業をもたらした集団(9000年前頃にインドに進入か)
③①と②が混血して原ドラヴィダ人を形成
④③にアーリア人やモンゴロイドが広汎に混血して現ドラヴィダ人を形成
ドラヴィダ語は②の言語ではないかという説がある
そうすると言語のルーツはイラン高原ということになり
上記の指摘にあるようにエラム語との関係も頷ける アンダマンも絶対入ってるだろ
ネグリトが入ってないわけない
小さいし アンダマンはデニソワはいってないから違う
南ルートで氷河期以前にすでに来てたサピエンス アケメネス朝ペルシャ
ダレイオス1世は大帝国を統治する官僚組織、軍事組織を整えた。
また、地方行政を整え、貨幣を統一し、王の道を整え情報ルートを整備し、共通語を自分たちのペルシャ語ではなく帝国内で一番多く使われていたアラム語とし、大帝国を統治する技術を整えた。
この世界帝国を目指してギリシャ人が流入し、ペルシャ文化とギリシャ文化が融合しヘレニズムが始まった。
アケメネス朝を滅ぼしたアレクサンドロス大王は、ダレイオスの帝国のインフラを使って乗っ取っただけで、大帝国をゼロから作り上げたわけではない。
そう考えると統治者としての格はダレイオスが上に見える 「ある種の接辞が動詞を名詞化する役目を果たしたこと,そして今もなおそのような役目を果たすことは,オーストロネシア語族の多くの言語に共通の特徴である」 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています