中興の祖と言える名君
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中興の祖!
弱体化してしまった国をなんとか立て直すのは、ある意味新たに作るより難しい。
そんな名君を挙げてみよう。 長く続いたローマや東ローマには多いよね。
ヴェシパシアヌスにディオクレティアヌス、
あるいはヘラクレイオスやアレクシオス・コムネノスなんかもそう。
あとはミカエル8世なんかも中興の祖といえるかも。 ローマは滅亡しそうになって盛り返すってヤツが多いからなー 中興の祖って、
ある程度続いていないとだめ、
その後で一気に没落もだめだよね。
大ルウェリンとか
ロバート・ブルースとか アッバース大帝 アクバル大帝
アッバース朝のアンナーシル オスマン朝のメフメト2世
西ゴート王国の後継、アストゥリアス王国の祖ドン・ペラーヨ。彼がイスラム勢力に負けてたら今のイベリア半島は、そして新世界はどうなってたんだろう
一応イベリア半島のキリスト教勢力の中興の祖的な意味で アウレリアヌスは道半ばで暗殺されて中興の祖になり損ねた。 マイケル・コルレオーネも実在すればコルレオーネファミリー中興の祖 >>20
兄弟を殺したりとか、明の永楽帝っぽいな。第二創業者というか。
父ちゃんが流れ者から一代で権力をなしたという点も似てる。 >>19
東ゴートのトティラも中興の祖になりえる器だったけど、いくらなんでも相手が悪すぎ。
ベリサリウスを苦戦しながらも退けたかと思えば、次に来たのがナルセスだもの。 >>28
オマーン国 (the Sultanate of Oman) Part.1
http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/news5/1327170229/1,8
1 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[] 投稿日:2012/01/22(日) 03:23:49.84 ID:d/9EnXZv
オマーンについて語るスレです。
〜オマーン概略〜
昭和45(1970)年に父王を追放して以来、絶対君主として
カーブース・ビン=サイード陛下が君臨する湾岸諸国であり、
石油や天然ガスを豊富に産出する産油国でもあるオマーン。
19世紀前半、サイード・ビン=スルタンの時代には、アラビア
半島沿岸や東アフリカ沿岸を支配して一大勢力を築き上げ、
ザンジバル島ストーン・タウン(現在のザンジバル・シティ)に
本拠地を構え、「オマーン海上帝国」を現出した歴史を持つ。
石油を積んだタンカーが、海賊や海上封鎖の心配をしないで
インド洋やホルムズ海峡を安全に航行できるのも、オマーンの
安定に依る所が大きい。
8 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2012/01/23(月) 01:49:00.35 ID:???
>>1
>昭和45(1970)年に父王を追放して以来、絶対君主として
>カーブース・ビン=サイード陛下が君臨
父王を追放した名君と言えば、本邦の武田信玄を思い出すな! >>28
オマーン国 (the Sultanate of Oman) Part.1
http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/news5/1327170229/163
163 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[] 投稿日:2012/04/21(土) 13:39:24.37 ID:llQJIK+f
『中東研究 第513号』(財団法人中東調査会・2012)、pp.94-98 より
http://www.fujisan.co.jp/product/1281683849/
http://img.fujisan.co.jp/images/products/1281683849_l.jpg
> オマーンは国王が首相、外相、国防相、財務相を兼任する絶対君主制であり、
> 2011年まで議会に立法権はなく、報道自由度は178ヶ国中124位と、メディアも
> 厳しく規制されている国である。しかしながら、オマーンで発生した抗議活動は
> 大きな盛り上がりを見せることなく沈静化していった。
> 抗議者の大半は国王に対する忠誠を表明し、問題があるのは閣僚であって
> 国王に対する批判はしていないことを抗議活動の中で繰り返し主張している。
> ……(中略)……一部の興奮した抗議者が「体制転覆」を唱える場面もあったが、
> 他の抗議者がすぐにそれを修正し、抗議活動の目的は「体制転覆」ではなく
> 「体制改革」にあることを強調していた。
> 抗議活動を受けて政府が実際に行った改革は、汚職閣僚として糾弾された
> 経済閣僚を含む多数の閣僚の更迭、諮問議会議員からの閣僚選出、議会
> への立法権・監査権の付与、検察機関の独立、国家行財政検査院の改組、
> 地方議会の設立といった政治改革から、求職者手当の支給、最低賃金の
> 引き上げ、年金等の社会保障手当の増額、5万人分の雇用創出(政府部門
> 3万5千人: 民間部門1万5千人)、消費者保護庁の設立、結婚基金の創設、
> 奨学金の増額、国立大学の新設、イスラム銀行の設立許可といった社会・
> 経済改革が主なものとして挙げられる。 >>10
フランス革命の原因の起源は、ルイ14世という意見もあるね >>32
お前に向いてるのはnaverまとめとかそういう類だよ
今のような流れを断ち切るようなレスは2chでは本当に求められてないぞ 文化とか芸術とかは発展したのかもしれないけど。
当時の市民にとってみれば、そんなことはどうでも
いい罠。 >>33
ルイ14世は有能だったけど江戸幕府以上に民に厳しい政治をしたらしいね
そしてルイ15世はルイ14世の路線を継承したうえに無能だったから政治は厳しいのに戦争で負けまくって莫大な借金ができた
ルイ16世は経済改革をしようとはいたけど貴族の反対でことごとく失敗してフランス革命がおきたから不運な王様だと言えるだろう >>37
ルイ16世は、啓蒙思想にも理解が深かったそうな
開明的と言われたオルレアン公よりも、個人としては、より開明的だったらしい >>43
どこの?
神聖ローマ皇帝?
プロイセン王国? ここまでユスティニアヌスが出てこないな。
ビザンツどころかローマ帝国中興の祖なんじゃないか。 完全破綻した軍隊と経済を後世に渡した皇帝を中興などと言わない 国力を使い果たして負の遺産を残しまくっただけで、実績は十二分だろ
征服した面積とか、広さとか、領土とか、版図とか、土地とか、地面(ry 版図を最大にした王
王の死亡
無理がたたって国力が低下
無理がたたって国力がさらに低下
無理がたたって国力がどんどん低下
こんな状態でも版図を最大にした王様は評価されるよね。 受験で、何とか王のとき、最大の版図って、覚えさせるから?
何とか王のとき最盛期って思っちゃうんだよね。 そう考えると漢の中興の英主は文帝だな。
呂氏の乱を片付けた上で内外とも平和を保って国力を充実させた。
呂后の政治自体は必ずしも悪くなかっただけに
もし彼が失敗していたら劉氏の帝位の正統性も吹っ飛んでただろう。 ローマ史で中興の祖といったらカミルスとカエサルぐらいだろ >>54
カエサルは新体制の父的なポジションだから
中興の祖と呼ぶのは厳しいだろ >>50 アウラングゼーブか。先代までの融和策をとってたら、もうちょっとムガール帝国は勢いを持ったまま
長続きできたのかな フランスのシャルル7世も仲間に入れてやって下さい。 >>58
でもパキスタンではアウラングゼーブは英雄。軍艦の名前にもなってるよ。 >>58
息子のバハドゥール・シャーがあと10年長生きしたら
アウラングゼーブの評価も変わっただろうなあ 今までホスロー一世の名前が挙がっていないのがとても不思議。 >>68
だって、カワード1世もなかなかの名君じゃないか >>37-38
専制が国是の国に、妙に啓蒙的な為政者が出現すると、本人の努力とその方向性の正しさにも関わらず
大抵は国(レジーム)本体が、あっという間に崩壊する。
つまりゴルバチョフの亡国パターンw
>>54
ローマで言うなら、カエサルじゃなくて、アウグストゥスだろうなあ。
SPQRの建前を維持しながら、換骨奪胎して「大帝国」をまとめあげた。
あくまでSPQRの維持は鉄板としていたから、辛うじて「レジームチェンジした創始者」ではない。
レジーム解釈を緩くすれば、典型的な「中興の祖」かもしれない。
そう解釈するなら、ローマの「第二の中興の祖」はコンスタンティヌスじゃね?と言われると、結構悩むけどw なんかスレの趣旨とずれる気もするが
南宋の創始者の、誰だっけ?高宗だっけ?もいいんじゃね
ガタガタの領土北半分を切り捨てて(美化)、エクソダスした先で小さくまとまって
北宋時代を上回る経済的・文化的繁栄ってのは悪くない
>>50
ホラズムのムハンマドとかどうなんだろな
絶頂期に消し飛ばされた稀有な王様
まぁ相手がモンゴルじゃ仕方ないけどね うーん・・専制体制で啓蒙君主や指導者がでて崩壊する国って結局専制じゃないからじゃないの?
つまりフランスなら保守的な第一身分や第二身分、ソ連なら共産貴族みたいなテクノクラート
既得権益をもつ組織に対して指導者の力が及ばないからこそ崩壊するんだとおもう
真の専制可能な独裁者ならそのパターンにはならない
そのパターンにおちいるキーワードは専制ではなく、非民主的政体だとおもう 啓蒙主義と専制主義は相容れない。啓蒙主義で蒙が啓いた人々は
専制主義に飽き足らず体制の改革を望む事になる。 啓蒙主義と専制主義の二股をかけたエカチェリーナ2世 王朝の衰退は目を覆うほどだったのに、経済ひいては国民生活自体は上り調子だったって事例はあるのかな
江戸の化政期なんか、幕府の力は吉宗が盛り返して以降は下降して行った気がするけど、文化の華が開いたからお金も市中に回ってそうだけど。
オスマン朝や清ではどうだったんだろう。君主の力の低下が経済にも悪影響になって行ったのかな 東からはセルジュク朝、西からはノルマン人が首都に迫り、その上、国内では内戦が続発で
しかも、財政は破綻状態という、どっからどうみても詰んでいる状態から、
東ローマを再び大国として蘇らせたアレクシオス1世まじぱねえ。
ここまで絶望的な状態から国を立て直した名君ってほかにはいないんじゃね? セレウコス朝のアンチオコス三世はどう?
一時は領域をかなり回復したし 明軍をポアした黎利
王朝の創始者だが
ベトナムの歴史全体から見ると十分中興 >>3
バシレイオスもいるぜ
一世も二世もすごいぜ >>48
天然痘の流行で国力が低下しただけで、実績から見ても超名君なのは異論はないだろ
ユスティじゃなかったらローマは7世紀には滅亡してただろう >>50
アウラングゼーブだな
ユスティとは格が違うわ >>77
オスマンは経済的に完全にイギリスの半植民地 >>86
黒死が流行った時点で戦役を中止すべきだった
それに実績と言っても
治世後半に頻発したスラブ人のバルカン襲撃も
当初は撃退したが、それ以後は略奪を許して
ギリシャの人口を半減させている
バルカン半島のスラブ化の原因の一人だわ ユリアヌスも折角成功していた遠征中に戦死しなければ
中興の祖と呼ばれていたと思うと同時にキリスト教があそこまで
のさばることも無かったろうに タビンシュエーティ
晩年は失墜したがバインナウンの覇業も
この王によるペグーやアヴァの滅亡あってのこと 本人は無理をしてるとは全く思ってないどころか
「十全武功」等と思い上がっているから始末が悪い。 >>95
ただチベットを掌握したのは大きい。これでチベット仏教の影響力の強いジュンガルなどの
モンゴル諸部族への支配が安定したのは戦争の締めくくりの形としては非常に良いものと言える。 ロシアのアレクサンドル2世。農奴解放だけでなく近代化に邁進した皇帝。
暗殺されなければロシアに国会が開設されるはずだった。 オスマン朝は意外にも全盛期を過ぎたメフメト4世の時に最大版図を記録してるんだな 相対的な力が落ちたと言う事?
シェアが落ちたと言う感じで >>100
メフメット4世は遊んでいるだけだったが
大宰相のカラムスタファが>>50で挙げられてるような奴だった オスマン朝のスルタンといえば、マフムト2世なんかが中興の祖になりうる資質を
もっていたんじゃないかとおもう。
周囲の状況が悪すぎてあまり成果はあがっていないけどね。 英雄 耶律大石!
中興の祖と言えば、まだ国が保っている状態からなんとか盛り返す人。ところがこの人は
遼が完全に滅んでから逃げに逃げて、その後に大帝国を再興した。
こんな例は他にあるだろうか? 滅んでから大帝国を起こす例か
北魏の拓跋珪、ムガル帝国のバーブルも該当するな >>103
本人より、周りががんばっていただけのような 後ウマイヤ朝のアブドルラフマーンとか。
大セルジューク朝のサンジャルはほぼ滅亡から一旦再興したが
結局自分の代で滅亡したな。
それでも在位は40年間とセルジューク朝ではケタ外れに長かったけど。 カール5世。
彼が居なければ神聖ローマ帝国なんて雨散霧消してた。 >>93
始皇帝以来十二人しか実施していない祭祀泰山封禅の儀を
一人で十回も執り行うって、どんだけ自意識が強いのか
「ねえねえ神様、俺が史上最高の帝王だよ」と主張しまくり >>114
十全老人とか名乗っちゃうくらいですし、雍正帝の爪の垢でも煎じて飲むべきだよね。 >>50
遺産の食い潰しでも規模がでか過ぎる、後世に影響する
ならそれはそれで偉業。始皇帝なんてそうだろ。 >>117
西漢と東漢とは別物。
光武帝は中興の祖ではなく新規王朝の創業者。
なお、比較される唐→武周→唐では制度や法体系は継続しているので、
途中での国号変更といえる状態。 室町時代の日本と江戸時代の日本は別物
といようなこと? >>125
現在の学問的には別政府と言えるのかも知れないが、後漢時代の人にとっては、
中興という意識は一部かも知れないが、あったと思う。
例えば、蔡邕(132-192年)の「独断」には、「高帝より桓帝まで386年、王莽、劉聖公を
除けば366年」という記載が出てくるし、この「独断」で光武帝は「世祖」と
呼ばれていて、前漢と後漢の廟号に重複が無い。「独断」では、
前漢 高帝(高祖)、文帝(太宗)、武帝(世宗)、宣帝(中宗)、
後漢 光武帝(世祖)、明帝(顕宗)、章帝(粛宗)、和帝(穆宗)、安帝(恭宗)、順帝(敬宗)、桓帝(威宗)
と記載されている。
王充の「論衡」でも、「宣漢篇」で漢を一代として扱い、「漢家三百歳」、「至平帝時、
前漢既に滅び、光武中興、復到太平」、「高祖、光武は周の文、武王なり。文帝、武帝、宣帝、明帝、今上帝は
周の成、康、宣王である」という文章がある。
あと、中央政府は制度が変わっているが、地方制度や法制がどこまで変わったのか、少し疑問がある。
地方政府や法制は結構継続していたのではないかときう気もする(気がすると
いうだけで強く主張するわけではない)。 >>126
日本の場合は国号すら変わってないし、建前上の元首も継続したまま
事実上の支配者が入れ替わろうと、行政府や法体系が再構築されようと
千年も前に実権を失った名目上のトップがお役御免にならない希有な例
>>127
そりゃ「劉家の後継者が簒奪王朝を倒して漢帝国を再興した」という
建前なんだから、連続した王朝だって意識はあるでしょう 西ローマ帝国末期の皇帝マヨリアヌス
当時、ゲルマン人の大移動で帝国は内外ともに崩壊していたが、
マヨリアヌス帝は即位すると、ガリアやヒスパニアなどの諸蛮族を撃破するなどの活躍を見せていた。
行政機構の改革も試みており、志半ばで奸臣リキメルに殺害されなければ、西ローマ帝国はあと50年は延命できたと思う。 バーブルはムガル帝国の祖として扱われるけど
本人たちの意識ではティムール帝国をインドに再興しただけだから
実は本人たちの認識では中興の祖扱いなのよな
あと光武帝を創業者扱いしてる奴は間違いな
光武帝は中興の祖
魏晋革命の時に光武帝を中興の祖として論じてる >>105
オスマン帝国近代史でも、
君主主導の近代化改革を進めたセリム3世、マフムート2世、アブデュルハミト2世は、
中興の祖といえそうだな。
立憲政への端緒を開くとともに、スルタン主導による政治の最後を飾った
アブデュルハミト2世は様々な意味でインパクトがあると思う。 >>132
現代の歴史家は光武帝を創業の君主と言ってるで >>131
自分の立場を強化しようとヴァンダルと戦うとか無謀なことをして自滅した
無能に過ぎないよ。東のレオがアスパールにやったのと同じで宮廷クーデタ
に踏み切る勇気が欠けていた。 >>134
そういう風にしたい人がいるってだけ
歴史的には完全に中興の祖扱い そもそも中興の意味わかってなヴァカ学者なんだろ
一度途絶えてた王朝でも近い時期に復活させればそれが中興
途絶えてなくても滅亡待った無しとか危機的なところから盛り返せば中興
そもそも「中興」って言葉の語源そのものが後漢書で光武帝に対して使われた言葉なのに
光武帝は中興ではない、ってそりゃ定義おかしいわ 「中興」と言ってるのに何で小さい領域確保しただけの人が該当者になるんですかね 劉備は益州だけだが
劉淵の漢は晋を倒して中原を制覇したぞ >>144
劉備って中興じゃないよね
比較対照としておかしくね? 北斉の文宣帝も「光武、何故中興せるや」って恐ろしい問いを
自分が簒奪した東魏の皇族に向かって言ってるな。
光武帝はやはり中興の祖だと認識されていたと分かる。
なんで恐ろしいかっていうと、これ「引っ掛け問答」なんだよな。
その皇族がなんでそう考えたのか
「王莽が劉氏を皆殺しにしなかったからです」と
答えたのをつかまえて、東魏皇族元氏の大虐殺の口実にした。 「劉氏を皆殺しにしたところで、張氏やら洪氏やらの馬の骨に滅ぼされたやもしれませぬ」
くらい言い返すやついなかったのかな?実際、そのパターンのほうが一般的なんだし やはり「光武には天命が下ったから」と答えるべきだったな。 その皇族がそう答えたら、自分たちの末路はわかりきってるだろ
文宣帝がそう言わせたか、そいつがそう言ったことにしたんだよ あの文宣帝のことだかからな
そう言わせたと考えた方がいいだろう その皇族は最初別の答えをしたのだけど、文宣帝が「他には」「他には」
と質問を続け、回答ネタに窮した皇族が思わず、王莽の件を持ち出してしまった、
というのが、実体かも。と想像してみる。 >>131
最後の有能な(自発的に行動できた)西ローマ皇帝かあ
無能は言い過ぎにしても、志半ばでリキメルに廃位されてるから中興とは言えないな
能力・人格を評価して、〜〜できたはず、というのもif話になるから歴史の対象外になるし 皇族某「こ、これこれこういう理由でしょう」
文宣帝「いや違うな、王莽が劉氏を皆殺しにしなかったからだ。
史書にはお前がそう答えたと書かせよう。では」 >>143
領地をいっぱい拡大した人が偉いというわけでもないだろ。 >>155
中興というからには王朝全盛期のある程度の姿を取り戻すか
その王朝の全盛期を中興の祖本人が作り上げるかしないと話にならんと思うが? アウラングゼーブ「教科書の地図に最大版図時として名前を残したもん勝ちよ!」 アウラングゼーブやユスティニアヌス大帝はいつも拡張主義のせいで
王朝はその後衰退した、って言われちゃうけど実は逆だよね
死ぬまでは上手く回ってるわけだし
彼らのせいで衰退したのではなく、彼らの後継者が彼らと同じくらい
運や実力がないから王朝が衰退する >>157
やはりユスティが最高の中興の名君だったか >>159
アウラングゼーブはだめだな。
在位時から崩壊が始まってたのがなんとも >>156
あんた、このスレでケチョンケチョンだぜ ムガール朝ならアクバルだろう
他には金の世宗なんかどうだ 王朝としての再興という意味だろうが、後醍醐天皇とちがって主体性はなかったしな 中興の祖のすぐ後は暗君が続いてるな
前漢の宣帝の後の元帝や明の弘冶帝の後の正徳帝とか >>171
立憲君主国における理想的な君主だったよ よものうみみなはらからとおもうよに
などなみかぜのたちさわぐらむ
などといっても無視されるくらい ウィリアム一世だな。
1688年以後のイングランドは戦争に連戦連勝で百年戦争以後落ちていた国力が世界史上最強までいった。 >>175
ノルマンディー公ギョームがどうしたって? プーチン
まあロシアが史実以上の失敗国家になってても、あの領域を他国が侵略して独立を奪ってしまうことは現代の国際社会ではタブーだから、曲りなりにロシアと言う国は続いてるだろうけど。
それが許されたのは中国のチベット侵攻かインドネシアのイリアンジャヤ併合までか 改革開放が不発あるいはもみ消されてたら、中華人民共和国って国体はどうなってたんだろうな
毛沢東時代に日本に国交を持たせるなど、経済の失敗にもかかわらず中華民国包囲網は着々と狭められていったわけだけど 上のほうで話題になった、光武帝は漢を中興してはいないと主張する学者は確かにいる
臧エという人が『東漢光武帝劉秀大伝』で
光武帝の事業は新朝が前漢を完全に崩壊させたところから始まったから
夏の小康、殷の盤庚、前漢の宣帝のように衰えた王朝を立て直す「中興」とは違う、
東晋や南宋のように皇統をつないだ「中興」とも違う、という趣旨で論じてる
光武帝がエポックメーカーだと思いたい向きには受けるんだろうけど
この本は光武帝に甘々な上に「光武帝は始皇帝・漢高祖・唐太宗と違って親征したから強い」とか
およそ学者の書いたものとは思えない幼稚な議論が載ってて正直読んでられない代物 玄宗みたいな簒奪を取り戻した君主は中興に入るのかな >>185
康熙帝の時代から清は右肩上がりだったので入りません。 >>187
あえて自分の人生をドラマチックにしてんじゃねーかと疑いたくなるような展開だわな
おかげで全王朝の中でもかなり上位の知名度、嫌われ者にはなってないし名の残し方としてはウマーだな ロシアのプーチンは中興の祖
それ以下でも以上でもない存在 足利義教みたいに最期が悲惨な人も中興の祖に入りますか? そういえば「同治中興」という言葉があるな。
垂簾聴政してた西太后が中興の祖になるのかな。 >>168
ウィリアム3世の事?
あれはむしろ国内がゴタゴタ過ぎたから、ネーデルランドに侵略されたっていう、中央公論社の「世界の歴史」の説を取りたいな ウィリアム3世の男色相手では誰と誰とが有名なのかナッ?
知らぬなら、「知らぬ」と答えてたもれ。 >>196
ウィリアム三世以後はイングランドは勃興の道を歩んだな。
世界中がイングランドに屈服した。 昭和天皇は?
政治主導的な事はしていないけど、現代における君主としてはかなりの物だと思うが。 中興とは思わんが、2.26事件で明快な態度を示したのは評価されてしかるべきだろう
流されるままにしてたら、最悪、お台場沖に待機した「長門」がクーデター撃滅のため議事堂に砲撃してたかもしれん
同情的だった陸軍と異なり、はっきり一線を引いていた海軍の高橋三吉大将の後日談として知られる 明治帝はある程度意思を示したし
日本国を近代化させたんだから結構いいかも
ただ江戸が国力落ちちたと見るのはやや難 >>201
幕末は国力の低下と言うより政権の凋落だね
その後の急速な技術革新を可能にする素地はあった訳だし >>206
歴史の教科書は事実だけを書くから、
1000年後の教科書とかには「戦争に敗れ、台湾と満州を失った」とだけ書かれるかもね 朝鮮は1000年後にはムー大陸やアトランティスみたいな扱いかw >>208
今の大統領のお父さんは、本当に中興の祖だったと思うよ。
結構凄い人。強圧的だったけどね。 80年代とかまだ普通に戦争の気配あった時代だしなぁ
俺物心ついたの90年代だけど80年代前半くらいまでの書籍とか記録とか漁ってるとまだ危機感が残ってる 80年代後半の高校の地図帳で韓国の諸統計を見ると、80年代半ばくらいだとまだ一人当たり国民所得が二千ドル台だったんだよな
単純比較はできないけど今のシリアとかフィリピンくらい >>212
そもそもカペー朝は中興という以前の問題
フィリップ2世より前なんて興隆してねーだろ カペー朝の次のヴァロア朝では、ルイ11世がそうかな。百年戦争の傷を癒してイタリアに進出してるし >>213
それならルイ9世が中興の祖になるな
一応ルイ4世も一旦滅んだカロリング朝を再興したから上ゲておこう
中「興」とまで言えるかは疑問だが。 >>215
サン・ルイって失敗も多かったけど弟のシャルルの活躍も含めて一気にフランス王の権威高めたしな >>215
そもそもルイ8世も失政とかあんまない
早死にしただけ >>218
早死したからこそカペー朝が傾きかけたんだよ。
8世が死んだとき9世はまだ12歳ぐらいで
さらにオーギュスト以前と異なり戴冠さえされてなかった >>219
自分の代で傾きかけたのを、自分の代で立て直しても中興なのか? >>220
自分で傾かせた自作自演ではない
寧ろ成人して自分で差配できるようになってからは
衰退を食い止めて再び交流に向かわせたのだから
中興でよくね?
このパターンでもっと極端なのがシャープール2世 その点、イヴァン雷帝はカンペキだ
幼帝時にgdgdにされたのを長じてから実権奪回のうえ国力回復、
そこから自らの剣呑な政策で再びgdgdにさせた ダヤン・ハーンも中興の祖か?自分の死後すぐ再分裂したけど いや朝鮮なんて中興もなにも最初からまともに興ってないだろ ハールーン・アッラシード
日本じゃあまり知られてないけど中東での人気はどうなのかな
最盛期の名君だったというだけで吉宗みたいなものか 吉宗は傾いた幕府の財政をある程度立て直して、とりあえず延命するくらいの働きはした。 中興の祖ってそもそも英語で該当する言い方あるのかな。
例えば、ユスティニアヌスにつけるとして、
Justin the Reviver とか Justin the Restorator とか the Reconstructor
とかいったりするんだろうか。 >>231
ローマ皇帝アウレリアヌスは
Restitutor Orbis ("Restorer of the World"、世界の復興者)
と呼ばれているね。 ローマ帝国の中興皇帝
ウェスパシアヌス
セプティミウス・セウェルス
アウレリアヌス
ディオクレティアヌス
コンスタンティウス・クロルス
テオドシウス1世
ユスティニアヌス1世
ヘラクレイオス
レオ3世
レオ6世
テオドロス2世
こんなとこ? >>230 法人税って発想があったら、後の田沼時代には相当幕府の財政を立て直せただろうな 吉宗の上米の制は諸大名に石高1万石あたり100石の米を上納させる制度で
幕府の財政をある程度立て直す役に立ったけど、幕府の権威を失墜させる事になったらしい。 冥加金とかでとってたがそもそも収入を把握しにくい
把握しなくても頑張れよといいたいだろうが
農民9割の経済状況では役人の給与で赤字出る
農家は土地みたら収入わかるので役人少なくてすむ >>237
朱子学では商業などは撲滅すべきものなので、税金を課するってことは存在を認めること。
だけど考えてみれば、間口税なんてのは商人に対して課していたけど、商行為や事業所得に課してるわけじゃないんだな。 ドミティアヌス時代は滅亡に瀕していたわけではないと思うが? >>241
ネルヴァって至高の皇帝を後継に決めたくらいしか業績なくない? それだけで十分評価できないか
後継者人事が下手過ぎて滅亡した国家は数知れず
しかもネルヴァの統治って一年いくかいかないか
その間でもってトラヤヌス抜擢したんだからたいしたもんだろう
中興の祖かどうかは微妙だけどな
共和政期ならカミルスとカエサルが中興の祖 トラヤヌスあたりは前もって決まってて
外国人への反発薄めるためのリリーフという感じがしなくもない トラヤヌスは地方出身てだけで元老院議員の子
日本で言えば沖縄出身の国会議員の子みたいな感じ 日本だと国会議員とはいえど、沖縄みたいな属州民はトップに立てないから、
ローマの方が進んでいるかも。 今は違うけど江戸時代初期に島津軍が琉球王朝滅ぼしたあとは確かに属州っぽいな
あとは戦後の米国が沖縄返還する前の状態
それ以外だと日本の旧国名も州で呼んでたりしたな
薩摩なら薩州、土佐なら土州、長門なら長州、甲斐なら甲州、安芸なら芸州とか… ユスティニアヌスよりもアレクシオス1世の方がよほど中興の祖らしい気がする。 ユスティニアヌスは「古代ローマ後継国家東ローマ帝国」の中興
アレクシオスは「ビザンツ帝国」の中興かなー?
東ローマだけになってからも1000年くらい歴史あるし中興の祖が何人居たっていいじゃない
光武帝的な中興の祖はラテン帝国からビザンティオン奪還したニカイア帝国の面々かね 奪還したところで、その後のパレオロゴス朝の零落続きをみてるとなぁ・・・ ユスティニアヌス1世をあげるんならそれよりもユスティヌス1世のほうだと思うが。 レオ3世、コンスタンティノス5世
「俺たちのことをわるれるな」 マケドニア朝自体有能続きだから
スレイマン大帝みたいなもんじゃね 耶律大石やバーブルやアブドルラフマーンは
「中興の祖」とは言えないか? イギリスだと
イングランドでは薔薇戦争を終わらせてイングランド絶対王政の基礎を作ったヘンリー7世、
スコットランドの方は自国の後継者問題のゴタゴタとウェールズを制圧を達成してブリテン島統一を目指して
スコットランドにも攻勢をかけたイングランドのエドワード1世をかわしたロバート・ブルースを推したい。
あと日本だと桓武天皇なんかどうだろう?
道教みたいなのが幅を利かせたりして奈良の朝廷がグダグダになったのを立て直した。
日本にしろイギリスにしろ大陸の大帝国じゃないから地味だが、
皇室・王室が今に残ってる分、彼らの功績は大きいと思う。 ユスティニアヌス1世、バシレイオス2世、アレクシオス1世 ケ小平
毛沢東が滅茶苦茶にした中国を見事に立ち直らせた ケ小平は共和国の元首であって君主ではないので該当せず >>271
構わないんじゃないか。上にも朴正煕とか出てきてるし。 >>271
ケ小平は国家元首(国家主席)になったことはありません
ケ小平時代の国家主席は
李先念→楊尚昆→江沢民
です 高校で日本史もやったけど。
日本でもっとも中興の祖らしいのは後三条天皇だと思う。久々に政治らしい政治を手掛け、国衙領を拡大して国家財政を再建させた帝王。 >>272
じゃそいつもアウトで
>>273
指導者であっても元首ではなかったか
じゃあ尚更「名君」ではないってことだな
名相ってことで >>275
ケ小平は首相になったこともありません
ケ小平時代の国務院総理は
趙紫陽→李鵬
です 日本だと景行天皇か
領土が1.5倍になったよ
獲ってきたのは日本武尊だけれど >>276
名相ってのは別に首相に限った話じゃないんで >>278
そうなん?
相国は内閣の筆頭だから、名相は宰相に限ってるん違う? 国家元首でもなく首相でもなく、しかし間違いなく最高権力者だったケ小平を
日本のマスコミは「最高実力者」というよくわからん呼び方してた 日本には面接して総理を決める、国家元首でもなく首相でもない人がいましたな >>280
最高権力者なら国政に於いて最高実力者だろうに、なにがよくわからんの? めい‐しょう〔‐シヤウ〕【名相】
すぐれた大臣。名高い宰相。 役職と実態が乖離している場合、表現が出来ないからだろ。
北朝鮮の「ナンバー2とされる」も、ナンバー2なのかそもそも不明。
役職名を聴いても日本人にはほとんど不明。 >>268
その二人(+持統)は創業者の性格も帯びてるね >>280
カダフィーも公的には何の肩書きも無い一般人なんだよな
マハトマ・ガンディーも独立運動組織の一員以上の肩書きではない
権力者/国家指導者のパターンとして意外とあるね >>280
ケ小平の肩書きは中央軍事委員会主席でいいのに >>279
中国や日本・朝鮮では、宰相は複数制だったんだよ。 >>274
後三条天皇は治世が3年程度と短いのが残念。
枕草子とか見てると平安中期くらいの天皇は政治家というより文学青年みたいな感じだから、
貴族の大量粛清とかやって後世に暴君・独裁者扱い受けるくらいの奴が一人くらい居ればおもしろそうなんだが >>290
後白河法皇はなにやらそんなイメージ。
後三条天皇は院政こそ敷かなかった(敷く意図については説が別れる)けど、摂関家主流から外れた有能な中流貴族を登用して自ら政治を主導した点など、白河上皇以降の院を彷彿とさせる点が多いよね。
ご指摘の「文学青年」だけど、それまでの天皇は有力貴族の孫だし若かったから、まさにそんな感じだよね。
後三条は違う。有力な後見人も無く皇位に就けるかも不明な中で研鑽を積みブレーンを作ってきた苦労人。しかも即位時にはもう35歳になっていた。
唐の宣宗や明の孝宗に近い雰囲気の帝王じゃないかな。 >>290
後白河法皇は平家、義仲、義経と武家連中を使い捨てるのが
スターウォーズのダース・シディアスみたいなイメージ。
平清盛や源義経が妙に甘いところがある分、このオッサンが裏ボスみたいな感じ。 >>280
普通に「最高指導者」じゃあいけなかったのかな?
北朝鮮なんかは金日成は「主席」、金正日は「総書記・国防委員長」、
ソ連はレーニンは「人民委員会議議長」、スターリン以降は「書記長」で
トップの役職は違うからトップを一まとめにすると歴代「最高指導者」ってされてるけど。 >>293
「最高指導者」じゃ長すぎるからフューラーと呼ぼう どうせ日本語訳なんだし同じ意味を違う言葉で乱立させなくてもよかろ、「○○界の天皇」って便利な言葉があるじゃないか イランは大統領と最高指導者が別で紛らわしい
ただし今のイランの最高指導者は大統領経験者ではあるが 社長が会長になったり、将軍が大御所になったり、天皇が院政やったり、するようなものか >>300
子供の頃、会社の「会長」の意味が分からなかった。社長より偉いと聞いて謎は深まるばかり。
あれは「取締役会会長」なんだね。 我が社の前会長は会長になってから取締役会には一度も出席しなかったw
ま、それは会社によっていろいろだよね
会長という職でありながら毎日出勤して社長以上にばりばり仕事してる人もいる
そういう場合の社長ってどういう立場なんだろう?
株主総会の議長専門だったりしてw 逆に会長が完全に名誉職で
役員名簿に名前が載ってるだけで実際には何もしない
会社に顔を出すことすら滅多に無い
なんてところもあるし 将軍引退後の徳川家康や中央軍事委員主席を退いた後のケ小平は生存中は拒否権を持っていたので二重権力構造になっていた >>307
一線を退いて特に肩書きは無くても権力持ってるって意味では「ご隠居」が適切だが、
ニュースとかで「中国の『ご隠居』ケ小平が・・・」なんて言っても緊張感が無くなるな 上皇とか太上とか院とか
そういうのは退位した元天子なわけだが
ケ小平の場合、元々国家元首でも首相でももちろん皇帝でもなかったわけで
引退して肩書きが無くなったというわけではない
強いて言えば中央軍事委員会主席 江沢民以前の中国では
国家主席=インドやドイツの大統領のような名誉職
総書記=共産党のトップ
中央軍事委員主席=人民解放軍のトップ
ただし江沢民以降は文民出身のせいか軍部が中央軍事委員主席の言う事をあまり聞いてくれなくなった 軍事委員会主席も確か党中央軍事委員会主席と国家中央軍事委員会主席があるんだよな。
だいたい同じ人が兼任なんだろうけど。 共産党のために国家があるという国・・・
と、
昨日の軍師官兵衛の「豊臣家のために天下があるのではなく、天下のために豊臣家があるのです」
の台詞を思い出した >>313
天皇含めた王制の国は何かあればスローガンは「天皇(国王・皇帝)陛下のために」だろ。
共産国だってスローガンは「人民の云々」だし。 中興しようと企てたけど果たせませんでしたって感じか 後醍醐はアカンだろ。
暴君とか暗君と言ったら言い過ぎかもしれんが名君ではないのは確か。
後醍醐なら醍醐の方が良いかと。 ワンマン吉田茂がいなければ日本の戦後の復興はなかったと思う >>320
乳製品好きのお茶目さんも醍醐の方じゃね?
醍醐は戦争での活躍はないが、勅撰和歌集を作ったり法律を纏めたり、貧民の暮らしを思って冬の寒い日に上衣を脱いだ良い人的なものから乳製品好きが高じて追号にまで使うエピソードがあったり名君のカテゴリーに入ると思う。
逆に後醍醐は醍醐の親政の部分だけ意識してやった事は戦争だけと醍醐とは正反対。
流石に一般民衆の虐殺こそしてないが、理想に走って政権は短期で破綻、事実上の失脚後もしぶとく抵抗を続けた流れはポル・ポトと重なる。 百年戦争と薔薇戦争の混乱の後にイングランド絶対王制の基礎を作ったヘンリー7世とか ビクトリア、アン、エリザベスと英女王は国を発達させるな 豊田織機からトヨタ自動車を作った人
タニタの今の社長 >>287
カダフィの大佐というのはニックネームで実際に大佐の階級持ちでは無い >>316
後三条天皇こそ中興の祖かと。
あとは光格天皇。地味に幕府への指揮権を確立してしまった英主。 >>329 カーネルサンダースのカーネルみたいなもんか >>329
と言うのが通説だけど形だけでも元大佐であるとする説もある >>330
光格天皇は皇室の中興の祖にはなるかもしれんけど、
政治自体はあくまで幕府が握ってたからなあ。
後三条天皇は摂関体制の流れを変えたけど如何せん治世が短いから、
彼一人で中興かといえば疑問符が付くと思う。
やはり、自分で流れを変えて尚且つ軌道に乗るまで主導したとなると
桓武天皇ではなかろうか? >>334
光格天皇かと思ったら桓武天皇の親父か
即位時に60歳だから当時だと相当高齢だろ
既にバックギア入ってたんじゃないかと勝手に想像 テストでアウラングゼーブって書かずにアウランゼーブって書いても正解でしょ? アルファベット音写がAurangz?bだから大間違い 中国の南朝・南斉と梁は同じ蕭氏。
もし蕭淵が国号を変えなかったとしたら武帝は中興の祖と言われたのかな?
というか蕭淵はなぜ国号を変えたのだろう? >>339
・血筋微妙に遠い。
・蕭衍の地盤の襄陽には側近として恩幸が多く、王朝交代でないと爵位が貰えない。 >>338
音写なのか、単にラテン文字に置き換えたのか。 旧ソ連の共和国だった時代からを連続した国と考えれば、カザフスタンのナザルバエフか
居抜きで独立国の国家元首になったようなもんだし 一般的に大空位時代を収束させたという意味で
ハプスブルクのルドルフが中興の祖のような扱いを受けているが
西ローマからの帝位の流れでいけば
カール大帝やオットー大帝の方が
中興の祖にふさわしい >>345
さすがにフランクや神聖ローマを西ローマの連続扱いにはできんだろ。 我らが今上天皇も82歳でその治世も27年か。
即位時は大正天皇みたいに短期になると思ったものだが。 今上の次の次が短そう
年齢順なら皇太子秋篠宮となるが
これは短いだろ >>351
明治と昭和が長かっただけで大正は言われてるほど短くない。
前近代だと寿命が50歳くらい、即位が30歳くらいで
譲位とか抜かせば平均在位は20年くらいだろう。
>>352
サウジの王室は同世代での継承ばっかやってるよな。
皇太子っていうから精々50代くらいだと思ったら、
国王と2〜3歳しか違わない爺さんで、国王より先に死んだりする例もあったし。 皇太子とか王子っていうとどうしても若いイメージが付いてまわるから、
親王という訳語のほうがそのへんの爺には相応しいかもな >>354
>皇太子とか王子っていうとどうしても若いイメージが付いてまわるから
中世辺りが時代背景の御伽噺のイメージも大きいからね。
実際それくらいの時代だと>>353で言われてるように
30前後で即位して50前後で崩御くらいが一般的な治世だろうし、
王子や皇太子は20前後の時の初子とすると若い人が多いでしょ。
今は今上天皇とかエリザベス女王とかプミポン国王とか軒並み80代だから
60代、下手すれば70代でも皇太子や王子のままだがw 若い女王ってのはレアだが今の英女王は十分わかかったんだよな
測位時にブひってた萌え豚の英版は当時いただろうw 今上やエリザベスの後釜はいっそのこと悠仁親王とかジョージ王子とかに即位させて
新記録に挑戦しようとか言う不謹慎な輩は居ないか。 エリザベス2世は即位のときに「1世のような偉大な時代を」って言われてことがあったとか
イギリス左前だったしね。
成功したかどうかは分からんが 英は女王のときに伸びるというジンクスがあったからな
まぁ悪くない程度には栄えているのではなかろうか 失敗してたら今頃スコットランド高地とかは、まだ泥炭を燃やして暖と明かりをとる前近代の暮らしをしてたかもしれない
There's no tube,no radio,seldom I see a car pass by♪
(左前のままのイギリスの1990年代のヒット曲「I hate such a village」(IKZO)より ) >>358
明日ウィリアム王子が即位しても多分現職のエリザベス2世より治世は短い。 >>363
チャールズ皇太子やウィリアム王子とばしてジョージが即位すれば記録を抜けるかもな。 >>360
齢90になんなんとして国が分裂の危機に瀕するとは、女王の胸中如何 ウルトラマンの中興の祖 ウルトラマンティガ
昭和仮面ライダーの中興の祖 仮面ライダーBLACK
平成仮面ライダーの中興の祖 仮面ライダー電王
昭和スーパー戦隊の中興の祖 超電子バイオマン
平成スーパー戦隊の中興の祖 百獣戦隊ガオレンジャー
日曜朝スーパー戦隊の中興の祖 特捜戦隊デカレンジャー
21世紀スーパー戦隊の中興の祖 侍戦隊シンケンジャー
(スーパー戦隊の場合、時代の区切り方(昭和と平成、日曜朝移転前と後、20世紀と21世紀)によって中興の祖に当てはまる作品が微妙に違ってくる)
プリキュアの中興の祖 ハートキャッチプリキュア! ☆ 日本人の婚姻数と出生数を増やしましょう。そのためには、公的年金と
生活保護を段階的に廃止して、満18歳以上の日本人に、ベーシックインカムの
導入は必須です。月額約60000円位ならば、廃止すれば財源的には可能です。
ベーシックインカム、でぜひググってみてください。お願い致します。☆☆ ラーマ5世「洋服を着て洋食を食べただけのいんちき名君」
明治大帝「義務教育の導入、奴隷・人民解放、官僚制導入を導入した名君」 エチオピアのメネリク2世
・ショア王の領土拡大。皇帝に即位
・電話・鉄道・道路・銀行・郵便・貨幣制度・病院など近代化をすすめる
・イタリア軍を破る 上に向かって土下座と朝貢外交
下に向かってばらまき外交
安倍は名君と言ってもよい 世界史のようにおもしろいかねがはいってくるさいと
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M3KOZ 友達から教えてもらったパソコン一台でお金持ちになれるやり方
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検索してみよう『立木のボボトイテテレ』
32W カルロス・ゴーン
日産の中興の祖にして、晩節を汚す >>127
中国は制度・組織はともかくとして県名だけみたら古代から継続してるところ多いな
新疆ウイグル自治区なんか現地のテュルク系言語の地名よりも漢語地名の方が古くからある 君主制国家ではないし名君でもないけどけど旧ソ連だとブレジネフ
かなって気がせんくもない。ただし晩年は斜陽になってっいったような
(アフガン介入、スースロフ死去、アンドロポフに足下をすくわれはじめるetc) ちなみにソ連が崩壊したため迎えられなかった建国69周年を、中国がついに越えてしまったな
北朝鮮は去年
なんか両国とも取り返しのつかない領域に踏み込んでるような気がする 社会主義国としてはとっくの昔に崩壊している気がするが > 中国
そもそも社会主義国ですらなかったな > 北朝鮮 唐の宣宗。
大中の治といわれたが業績は不明らしい。 >>386
ベルナドットは経済政策も有能
軍事目でもナポレオンを打ち破る
国民からの人気も高い
若いころははっちゃけていたが
それも愛嬌 スウェーデン生まれではない
スウェーデン語が出来ない
平民出身(ナポより不利) 中興の祖と言われてる前漢の宣帝も明の弘治帝も後継者に失敗してる >>4
こういうのって国力が衰退したわけじゃないから下手打たなきゃ誰でも中興できそう 戴正呉
2016年社長に就任し、SHARPを復活させた台湾の実業家。 >>386
うちやぶったのはベルナドット一人でやったわけじゃないし
主力はプロイセン軍だった 戦略のグランドデザインがベルナドット。
ナポレオンよりこの点は能力が高い。 >>391
ビサンツは
ヘラクレイオス1世 コンスタンティヌス4世 コンスタンティノス5世 ニケフォロス1世 レオン6世 コンスタンティノス7世 ニケフォロス2世 ヨハネス1世 バシレイオス2世 アレクシオス1世 ヨハネス2世 ヨハネス3世 テオドロス2世 ヨハネス8世 マヌエル2世
と該当しそうな皇帝が ビサンツは
ヘラクレイオス1世 (ヘラクレイオス朝)
コンスタンティヌス4世 (同)
コンスタンティノス5世 (イサウリア朝)
ニケフォロス1世 (同)
レオン6世 (マケドニア朝)
コンスタンティノス7世 (同)
ニケフォロス2世 (同)
ヨハネス1世 (同)
バシレイオス2世 (同)
アレクシオス1世 (コムネノス朝[)
ヨハネス2世 (同)
ヨハネス3世 (ニカイア帝国・ラスカリス朝)
テオドロス2世 (同)
マヌエル2世 (パレオロゴス朝)
ヨハネス8世 (同)
と該当しそうな皇帝が >>392
東洋経済に載ってたインタビュー記事見ると
いい人らしいが、
ただシャープは中興してるかな。
株価が下がってる気がするが。 意外にサファヴィー朝のアッバース一世が空気だね?
オスマン帝国に奪われた土地を奪い返して、ポルトガルからホルムズ島を奪還してる 中国時代劇武則天-The Empress-
放送時間【12月4日〜】https://www.bs11.jp/drama/busokuten/
毎週火〜土曜日 あさ4時00分〜5時00分
第1話「初めての後宮」(12月4日放送)
時は武周王朝。宰相 張柬之は武則天を退位させるべく、皇太子・李顕を促し、武則天の寝宮へ配下と共に押し寄せる。
武則天は、張柬之たちの謀議を受け、皇太子へ譲位することに同意する。もはや一介の老婆となった武則天は、かつて愛
した2人の男性を懐かしみ、入宮したばかりの頃を思い出す。貞観11年、14歳の武如意(武則天)は、時の皇帝 太宗
より正五品 才人の位を与えられ、大勢の若き妃嬪と共に後宮に召し入れられる。
全82話って長ぇ! 劉少奇は文革が起こらなければケ小平みたいになれたのかな 数百年後の世界史の教科書には安倍晋三が日本の中興の祖と書かれるんだろうな 史上最高の有効求人倍率
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