トルコ人って移動し過ぎだろ
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
なんで気付いたらアナトリアなんかに住んじゃってるの? ユーラシアから南アメリカを渡ってイースター島まで行っちゃった人たちも
移動しすぎじゃね? >>100
アラブ人は明色化しなかったコーカソイドだよ。 >>100
× トルコ人→モンゴロイドが混じった白人
○ トルコ人→90%白人になってしまった元モンゴロイド >>100
ペルシア=エレガントな感じのやつ。本当はペルシャイラン人はそんなにイスラムっぽくない。テレビとか嘘。
アラブ=ミスターイスラム。占星術とか天文学とか数学とか商売に強そうな魔術師。
トルコ=一言では語りつくせないヨーロッパもアジアもアラブも包含した存在。猫を被っているので、そのことを知られていない。 "アナトリアのトルコ人"という概念を作り出して、
自分達があらゆる部族と因果を持つ事をラップして地に立つ人達 >>100と>>103の比較でいうなら>>100が正しく>>103が間違い
アナトリアのトルコ人は言語がトルコ語化したから
トルコ人を自称してるだけで、血統上は先住民の子孫。 トルコ系はロマンがあるね。
過去には、モンゴル高原でモンゴル系、ツングース系と覇権を争い、脱落して
匈奴、突厥、ウイグルなど次々と西遷していった。
オアシスまで下って定住民化した現在のウイグルやウズベクはかなりイラン系の血が混じってるけど、
ステップ・山岳地域のカザフやキルギスは、個人差はあるが基本的には典型的なモンゴロイド顔。
元々モンゴル高原〜キルギスステップを駆け回っていたころのトルコ系は、のっぺり顔のモンゴロイドだったんだろうね。 ペルシア、アラブ、トルコがみんな同じイメージなのは、
旧時代の支配階層だから。
今で言うゲルマン、スラブ、ラテンの区別が付かないようなもの。
時代の転換期に、トルコはモンゴロイドを掘り起こし、
アラブはイスラム原理を懐古させ、
ペルシャは迷走した。 >>107
過去にも話題になったけど、トルコ系というのは、血統は異なっても、言語だけは残す。
それは何故かということなんだけど? タジク人はペルシャ語だけどトルコ系。
違うと言ってもまかりません。 アッティラという名前がトルコ語「ata(父)」と関係あるとか言われるがはてさて。 まさかのケマル・アッティラテュルク
ヨーロッパに刃を突き付け続ける国 トルコ語がこれだけ普及するということは習得しやすい言語なんだろうね。 >>59
南韓に進駐して実効支配→唐に叩き出される
朝鮮半島全土進駐
加藤清正が満州まで進軍→士気低過ぎ、親分死亡で中止
東南アジアへ移民→山田長政倒れた上に
本国との連絡が途絶えて現地と混血
アジア・オセアニアへ進出→ヤンキーに喧嘩売り全て失う
現地に残った組はごく僅か
アメリカへ移民→完全に星条旗に忠誠を誓いました
日本の国益?何それ
ブラジルへ移民→天皇崇拝を続ける、現代の大日本帝国臣民
大和民族の対外進出のほぼ唯一の成功例 インドやハワイやオーストラリアまで遠征した例が抜けてるな トルコ人が学校で学ぶ自国史って突厥の頃から順を追って学ぶのかな?
それともアナトリアをスポットに当ててヒッタイトから学ぶのかな?
まあ両方なんだろうけど
日本は列島から動かないからこっちの方が世界的に特異なのかもしれん 1.自「国」史なら国の歴史なんだからケマル革命からということになる。
2.自「民族」史ならトルキスタンからになるだろうし、
3.自「地域」史ならヒッタイトからということになる。
だが普通は「自国史」という場合、
漠然と1〜3までのどれのことかはっきりしないから何とも言えん。 そういうことじゃなくて
単純にトルコの歴史の授業の内容が知りたい 「世界の教科書」シリーズにトルコ版があるから買って読めよ ではギリシア共和国では歴史はどこから始まるのだろうかね?
エジプトではどうなんだろうね?
イスラエルでは歴史はどこから?
まさか創世記からか? >>121
それは知ってるけど時間がないから聞いたんだけどな
しらないならいいんだ
ありがと トルコ人さんたちはいつごろまで
朝青龍顔だったの? >>124
またお前か・・・(呆れ)
トゥルクマーンって呼ばれて中央アジアからペルシャ文化圏に侵入してきてる時点で既にモンゴル臭くない混血顔だったに決まってるだろ 遡ったらキリがない
ブルガール人の琴欧州は朝青龍の親戚なの?
って話になるわな >>112
阿弖流為も日本語の[otou]「お父」と関係あるかね 契丹人だってかなり移動してる
耶律阿保機(遼・華北、満洲)→耶律大石(西遼・トルキスタン)→バラク・ハージブ(カラヒタイ朝・イラン) 欧州民族大移動のドサクサに紛れて北アフリカまで行っちゃった奄蔡アランだってなかなかの移動っぷり カラヒタイ朝って中国では後西遼(伊朗)って呼ぶんだな 契丹人ってイランまで移動してたのか
後西遼なんて高校教科書にはまず載ってないよね? >>129
ってことはイランには少し契丹の末裔がいたんだろうな
現在はもう殆ど混血しちゃったんだろうけど >>129
デネ・イェニセイ系も中々。
仮にフン族の構成部族の中にいたとしたら北半球ほぼ一周だ >>129
イランのカラヒタイ朝の君主名(wikiより
1.バラク・ハージブ(在位:1223年 - 1234年もしくは1235年)
2.ルクヌッディーン・ホージャ・ムハンマド - バラク・ハージブの子
3.クトブッディーン - ターヤンクーの子
4.スルターン・ハッジャージュ(在位:1257年もしくは1258年 - 1271年) - クトブッディーンの子
5.クトルグ・テルケン(在位:1271年 - 1282年) - クトブッディーンの妻
6.ジャラールッディーン・ソユルガトミシュ(在位:1282年 - 1292年) - クトブッディーンの次子
7.パードシャー・ハトゥン - クトブッディーンの子。ソユルガトミシュの姉。イルハン朝のアバカの元に嫁ぎ、アバカの死後ゲイハトゥの后とされた
8.ムハンマド・シャー - ハッジャージュの子
9.シャー・ジハーン(在位:1303年 - 1306年) - ソユルガトミシュの子
耶律阿保機時代とは似ても似つかぬ名になってるw フィンランド人のことも、たまには思い出してあげてください。
今でこそ金髪碧眼長身の本場北欧人種とされているが、言語はアジア系。
遺伝子の調査によって、なんと紀元前1万年ごろ東南アジアから北上した
モンゴロイドが祖であると判明。なぜそんな大移動をしたのかは謎だ。 >>138
この頃のペルシャ人にありがちなごく普通のテュルク・ペルシャ・アラブ系の混合wwwwwwwww 白人と信じて生きてきた人がいきなり「あんたの先祖はモンゴロイド」なんて言われたら大ショックだろうな
トルコ人もフィンランド人もスラブ系も一般の人は自分にはモンゴロイドの血なんて一切ないと考えてそう >>141
そういう感情を抱くようになった時代は意外と新しいのではないかねぇ
ダーウィンやメンデルの遺伝学が出てからの話ではないかねぇ Y-dnaハプログループの研究結果が最初に発表されたのっていつ頃なんだろ?2000年前後?
その時のテュルク系やウラル系、南欧の人々の反応はいかに?
やっぱりそうか、程度かな >>139
いや、それだったら容易に説明がつく
まさに紀元前1万年の頃、最終氷河期が終わって、海水面が上昇したときだ!
人類が多く暮らし森林に覆われた温暖な気候で住みやすかった
スンダランド(現在のインドシナ半島とボルネオ島とスマトラ島に囲まれた水域)が水没するころと重なる
彼らは、海水に追われ、東南アジアのスンダランドを脱出した人々だよ
ちなみに、北東方面に脱出した者たちの一部は日本列島にたどり着いた >>141
フィンランド人は自分たちがアジア系だという自覚はあるよ リップスライムのイルマリは日本人の血が二分の一入っただけで75%東アジア人の顔になったな フィンランド人なんて金髪碧眼でまさにザ・白人って感じのイメージなんだが トルコってモンゴルや満州みたいに何か独自の制度ってないの? >>141
トルコの教科書ではモンゴル高原の突厥が自分達の祖先だと書いているらしいね
ただトルコ化しただけで実際にはヒッタイト人やフリギア人、アルメニア人、
ギリシャ人が祖先の人の方が多そう ただロシアで先祖がタタール貴族と言った場合、
単なる旧支配層だったという以上に突厥の一氏族ハザール=アシュケナジー・ユダヤ問題も
絡むのでややこしい事になりそうだ トルコでは、突厥以前にも
冒頓単于(メテハン)
蒲奴単于(パヌ)・・・北匈奴始祖
アッティラ
も建国の英雄・偉大な祖先と教えてる >>147
それはスウェーデン系フィンランド人とかだよ 権威ある国際歴史学会では、匈奴やフン族はいまだ、民族・系統不明としているのに、
トルコでは、それらは、すべて、偉大なトルコ民族の先祖として教えているらしいね
チムール帝国のチムールもトルコ人らしい
俺個人としては、匈奴≒フン族=モンゴル民族と思っているけどね
見た目は、痩せた朝青龍や白鵬のような男たちだろ
また、チムールは自身の発言で、○○ハン国のモンゴル系貴族出身って語ってたはずなんだが…
逆に現代モンゴル人って、控えめだね。
先祖に史上最大の世界帝国を築いた皇帝を輩出したのに
あまり、自国史を自慢しないね
韓国人に爪のアカでも煎じて飲ませたいわ ティムールはチャガタイ配下となったバルラス部(千人隊長クラス)の子孫だから、少なくとも氏族ベースではモンゴル
チャガタイ集団も例によってテュルク化が著しかったが、とりあえずアナトリア・トルコのルーツであるオグズとは関係なし 民族主義が世の潮流になった19世紀以降、トルコ人も自らのアイデンティティを確立しなくてはならなかった。
ヨーロッパ人やアラブ人・イラン人に囲まれたなかで、数千キロ離れた場所にルーツの大もとがあるという困難。
そのへんは生暖かく見てやらんといかんとは思う。
気の毒なケマルなんかは、こじらせすぎてムー大陸にまでルーツ探しを追い求めてしまったしなw >>152
匈奴は騎馬民族連合でその中にモンゴル系の部族もいる、という事ではないだろうか
匈奴の一部がトルコ系な事は確実だから >>152
自分の親が殺人鬼だということを自慢する息子なんていない ソ連支配下ではチンギスハンについて語ることが厳禁だったから
チンギスハンを知らないだけ ユーラシア大陸は歴史的にモンゴロイド勢力が強くなっているね >>158
その一番東に位置する大和民族が一時隆盛を誇り、
欧米列強と伍して戦い、ときに勝利もおさめた。
しかし、大きな戦争で惨敗し、その後、経済規模で世界2位に登りつめるも、
今はかつての経済力もなく、少子高齢化人口減少で衰退する一方だ >>159
とはいっても、みんなが趣味のランニングを楽しんでいる時に一人だけやりたくもない全力疾走をしていたようなもんなんだよな。
そうするしか生き残る道がなかったのかもしれないけどさ >>157
チンギスハン以上に恐ろしあな露助がよく言うわw にしても匈奴って漢字の当て字、マジ凄いよ
のちに欧州で神の鞭って怖れられたアッチラのフン族の祖先の名称に相応しい >>162
高校の時、世界史の先生が雑談的に話してくれたんだが、
匈奴が隆盛を極めてた時、苦しめられた中国大陸の前漢のシナ人が
その当て字を「キョンフン」って発音してたそうだ
おそらく匈奴人が自分たちの部族名ないし民族名の総称として語った発音に
音韻が近い漢字を充て字にしたんだと思う。
そうなると、フン族の「フン」がかぶっているよな
これは偶然の一致じゃないと思わないか!? フンヌかフンナ じゃないのか?w
それにしても初めてこの説を唱えたのって、支那に宣教にやってきた
欧州の宣教師たちなんだよな
当該民族名の発音や民族性習俗がそっくりだったんで、
「もしかしてフンって匈奴なんじゃね?」と 匈奴はトルコ系とモンゴル系を含む連合国家の可能性が高い 東胡や丁零も傘下に収めてるんだから、そこは可能性が高いどころの話じゃないだろ
匈奴が何系かって問いは、攣テイ氏や呼衍氏が何系かってことに絞らないと意味がない トルコ(チュルク)系は、もともとバイカル湖の西南の地域が発祥の地らしいから
モンゴル民族と先祖は同祖なんでは?
つまり、匈奴をチュルクかモンゴルかを議論することに紀元前500年の頃は意味がないと >>169
それ中央公論社の世界史にも書いてあったぞ(笑) >>170
そうか、ならよかった
うろ覚えだったから モンゴル自体は、室韋時代まで大興安嶺の東側でウロウロしてたんだよな
室韋の源流である鮮卑は大拡張した勢力だが、元々の出自を示している鮮卑山はやはり同地域にある
さらにルーツを遡った東胡も同じく大興安嶺に盤踞していた連中で、テュルクの出てきたエリアとはかなり離れてる >>169
トルコ系とモンゴル系が分かれたのは1万年以上前 トルコ系でもモンゴル系でもどっちでもいいけど遊牧民っていろんな国に迷惑かけすぎでしょ アラビア半島の内陸なんて今でも国境無いが
どうせあんなところは遊牧民しか居ないんだろうな >東胡や丁零も傘下
隔昆(のちのキルギス)さんも烏褐(のちのオグズ)さんも忘れちゃいかん しかし、匈奴人はすげーな
南下して中国大陸を恐怖のどん底に陥れ、略奪と暴虐の限りをつくし、
その後、西進してヨーロッパに侵入し、
これまた、ゲルマン民族やローマ帝国臣民を恐怖のどん底に陥れ、
地獄のような思いをさせる
戦闘力、パネェー でも、おふら単于のころの南匈奴はザコだよな
漢化されて弱まっちゃった トルコ系は今でもロシアに歯向かっている
ツワモノ! むしろイスラム国勢力統一して騎馬兵団組織してヨーロッパに対抗するぐらいの気概を持ってほしいよ おふらは劉淵の祖父じゃなかったか
もし同時代のフン族の王も虚連題氏の血が流れていたら、バラミールと血のつながりはあった可能性もあるのか >>179
平家や室町時代の足利も京都に住むようになってから格段に弱くなった
騎馬武者は毎日馬に乗って武術を鍛錬し質素な生活してないと弱くなる >>178
>南下して中国大陸を恐怖のどん底に陥れ、略奪と暴虐の限りをつくし
実際は漢民族が北進を続けて遊牧民の土地を奪っていったというのが実情だが
もともと関中盆地の大半は西戎の故地だしな >>144
>スンダランドを脱出した人々だよ
>ちなみに、北東方面に脱出した者たちの一部は日本列島にたどり着い・・・・・・・・・・・・・
たどり着いたのが港川人だと云うのが貴説なの? >>185
確かに 犬戎は周の首都を陥落させたんだからな
のちの匈奴も首都陥落までは成せなかった
徐々に北狄や西戎といった遊牧民たちのテリトリーが後退していったとみるのが妥当 西周を滅ぼしたのは申侯で犬戎はたんなる取り巻きに過ぎんだろ
秦の隴西郡、北地郡、上郡ももとは義渠の土地だったのを宣太后が遠征によって編入したもの
http://w3.pku.edu.cn/academic/zggds/004/001/041/image006.jpg
それ以前にも驪戎、代戎、伊戎、洛戎、陰戎など様々な戎がいたことが分かっているがすべて滅ぼされている
略奪と暴虐の限りを尽くして中原を恐怖のどん底に陥れたのはどうみても漢人たちのほう >>189
チベット系とか印欧語族系かな
甘粛や青海とか西からやってきた 犬戎は西からやってきたじゃなくて漢民族と同様に黄河一帯が発祥の民族
あの辺りはもとは遊牧民と農耕民が共存するエリアだったが次第に繫殖力に優れる農耕民に追いやられ
古公亶父のように同化するか犬戎みたいに滅ぼされるか匈奴のように僻地に逃げ延びるかして最終的に定住農耕民一色の世界になった 犬戎は鬼方とか鬼戎、厳允などと書かれることもあった
のちの匈奴を構成する遊牧民族じゃまいか
周都を陥落させた勢力は、以前周の穆王などに征討された後に
首都のすぐ西に移住させられた(のちの五部南匈奴のように)部分じゃないのかな >>193
その定住農耕民が、あの現在の中国人達かよ
確かに繁殖力はすげぇなw
しかし、あいつら俺たちのご先祖様を東夷(東方の野蛮人)とか呼称してやがったし
何様だよ!
地震も台風もないのに、住宅団地の裏山が突然崩壊して
大勢生き埋めになる国なのによ 穆王、幽王、犬戎が跋扈してた時代って、日本の弥生時代の約1000年前で
かつかなりの記録が残っているのだから恐れ入る
項羽、劉邦、冒頓単于の時代からもさらに500年以上前だもんなぁ 犬戎と鬼方が同一の存在かどうかは古すぎてわからない
逃げ延びた犬戎の一部が匈奴に合流したという説もあるが後代になると城を築いたり定住してたようなので大半は秦に同化したとみるのが妥当
鎬京を陥落させた奴らはもとから黄河流域に暮らしてた連中
そもそも東周代になっても定住民のエリアはようやく黄河南部に及んだばかりで周の穆王の頃とかほんとただの都市国家なのでそんな力ない
http://www.readlishi.com/uploads/allimg/150604/4-150604092059.jpg でも犬戎鬼方両者ともオルドス付近にいるね
別の地図だ薫育や厳允もその付近に分布してる
匈奴に合流というより最初は小さかった集団が優れた首長のもとで纏まって
大規模な匈奴集団に成長し構成したんじゃないのかな >>195
その「東夷」も辺境の民を「蝦夷」、「熊襲」と呼び出すし
現在の西洋先進地域もバーバリアンとかバルバロイって呼ばれてたしな 犬戎や鬼方の時代って単于みたいな称号はなかったのか ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています