鮮卑族について語るスレ
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>>7
違うよ
鮮という字は少ないという意味だよ
朝鮮は中国の冊封体制において朝貢が極めて少ないという意味
朝鮮人たちは朝が鮮やかといういい意味で捉えていたそうだがそれがわかってこの半島の雅号である「韓」といういう字をいれて大韓帝国としたらしい
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59HFY >>352
朝鮮ってのは元々は川の名前だぞ
後に川の向こうの土地も朝鮮と呼ぶようになったんだから
朝貢は関係ないよ 鮮卑は、つんぐーす。
隋唐の李氏はトルコ系
鮮卑は上
ちなみにモンゴルは柔然違う 友達から教えてもらったパソコン一台でお金持ちになれるやり方
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SCK 鮮卑帝国の偉大な遺産「皇帝」「可汗」「天皇」は世界に帝国を築いた フン族になって全世界を席巻した匈奴と比べたらザコすぎる 匈奴って漢に民族分裂させられたザコじゃん。単于なんてカスみたいな称号価値下落しすぎて誰も名乗らなくなったな。 南北分裂後の匈奴は弱すぎ
恭奴って呼ばれるくらいw >>356
もまえの珍説なんかどうだっていいんだよ 現代中国華北人の半数以上が歴史上の3人の皇帝の血を引く
https://i.imgur.com/4O1xQgJ.jpg
秦始皇帝 趙政 O2a2b1a1-M117 16%
漢高祖 劉邦 O2a1c-JST0026411 19%
北魏道武帝 拓跋珪 O2a2b1a2-F444 14%
特に鮮卑族とされる北魏皇室がモンゴル・ツングース系民族の主力である
Y染色体ハプログループC2ではなくシナ・チベット系民族に多くみられる
Y染色体ハプログループO2のサブクレードに属することが判明したのは注目に値する https://famousdna.wiki.fc2.com/wiki/Y%E6%9F%93%E8%89%B2%E4%BD%93O2a2b1a2%E7%B3%BB%E7%B5%B1
北魏の初代皇帝・道武帝(本名:拓跋珪, 371-409)のY染色体は、ハプログループO2a2b1a2(O-F444)である(注1)(注2)。北魏(386-534)は、
中国の南北朝時代に鮮卑族の拓跋氏によって建てられた国で、前秦崩壊後に独立し華北を統一して五胡十六国時代を終焉させた。
拓跋部 漢人起源説 Wikipedia
『魏書』序紀において、拓跋氏は黄帝の子孫としている。黄帝は伝説の人物であるが、漢民族は古くから自らを黄帝の子孫としており、拓跋氏と漢人とは同じ起源ということになる。
『宋書』索虜伝には、「索頭虜、姓は托跋氏といい、その祖先は漢の将軍李陵の後裔なり。陵は匈奴に降り、匈奴の一部落の索頭部となる」とあり、拓跋氏の祖先は漢人の李陵としている。
また、『翰苑』註所引の『漢名臣奏』では、「鮮卑は秦始皇の時代に、長城建築の際に逃亡した者たち」とあり、やはり漢人起源としている。これらの理由としては、匈奴人が西方系の深目・高鼻・多鬚・赤髪・緑目であったのに対し、
鮮卑人が身体的に漢人と酷似していたために、鮮卑は漢人起源とされたと思われる[14]。 鮮卑人は満州人と同族かもしくは類縁だよね。個人的にはサービア人、サビル人、シベリア系の類だと思ってる。
皇室とも無関係ではなかったりして。 >>362 匈奴は雑多な感じだからな。華夏民族で河北省辺りに都を築いたらしいが。
それでも匈奴は漢民族よりはまともな奴らだった気がするよ。 >>340 アヴァール(AV)は、たぶん日本の神別士族と似たような遺伝子が出てくるはずだよ。
匈奴とは李、つまり、唐氏であって、藤原氏と似通った輩のはずだからね。日本にも新羅、唐連合軍が、645年以降に結構渡来したからね。
>>366 漢族って要は劉邦の系統で、たしか、漢の国は四川辺りを勢力圏とした民族で、麻婆豆腐を食べてたような、雑多な国家の気がするよ。 >>356 気が合うな。
鮮卑はツングースで、後の満州民族だと思う。
サビル(シビル)人だと思われるよ。ポーランド系みたいに白人とモンゴロイドとのハーフがいたんじゃないかって噂だ。 >>363 高句麗は中国南方系の王朝だったしな。北朝鮮の一般階級になぜかやたらと南方系の顔つきがいるのをYOUTUBEのビデオで見たが、
たぶん、高句麗系じゃないのかな。 >>366
O2a2b1a1とかO2a1cとか新石器時代から華北ではありふれたハプロなのに
それら全員が皇帝の子孫とかむりあるだろ >>342
アヴァールと鮮卑は似て非なると思う。アヴァールは暴ーる、AVar、アヴリルラヴィーン、動的と考えると、
鮮卑の動きはどこか静的だ。このことから、鮮卑はxianbaiと呼ばれ、日本では煎餅となった。詫び錆のサビの部分であり、しゃべるやしゃぶるやしびれるの語源であり、サブさやサビれた雰囲気を持っている点が、サビル人なんではないかなと思ったことがある。
どこか日本人の遠い親戚のような気もするのがこの鮮卑だ。
烏桓は宇多田ヒカルを連想してしまう。ちなみに東湖は椎名林檎を連想してしまう。
白人とモンゴロイドの混ざった気質が鮮卑な気がするよ。 >>352
それはあるんじゃないかな?
なぜか、「朝鮮人」を差別用語と思う人が多い
もっとも、中国人は「高麗人」を差別用語として使っているが 「鮮卑」は、明らかに差別的な表現
「鮮やか」という字は、良い字ではない 鮮は「太陽が昇る方向」だから単に「東」という意味
卑字でも敬字でもない >>377 漢民族の視点からすればの話だろ。漢の民が他民族を蔑視してただけの話で、その鮮卑と呼ばれた民が劣っていたわけではないと思うぞ。
鮮卑拓跋氏は華北に北魏を建設するまでになった、とある。 鮮卑 卑 いやしい
匈奴 匈 騒々しい
突厥 厥 ぬかずく
悪口ばっかり 結局は鮮卑に支配された漢民族のほうが劣等種族だった >>380
中華王朝は周辺異族に対して殊更に卑字を宛てるという有名な御約束を知らないのか。
羌、蕃、貊、…、
「倭」だって「矮」とほとんど同義、ロクな字じゃないぞ。 >中華王朝は周辺異族に対して殊更に卑字を宛てるという有名な御約束
周辺異族に何度も蹂躙された悔しさをまぎらわすため、卑字を宛てることで、コンプレックスを克服したつもりになったのだろう >>383
烏恒とか烏丸と呼ばれた人々
冒頓単于に負けた時、鮮卑山に逃げた人々が鮮卑、烏恒山に逃げた人々が烏恒
前漢末期になると次第に強くなって匈奴と対抗できるようになったし
後漢光武帝は烏丸突騎の部隊を率いていたので多分傭兵業も営んでいただろうね
烏丸の傭兵らしきものは三国志で劉備の配下にもいた 中原への進出で考えると
匈奴より鮮卑のほうが脅威と思うけどどうだろう >>380
「匈奴 匈 おののく」の語源説もある。
ビビり野郎ども、ってな意味だろうね。 唐室の皇族の下の名前って日本語で読めるよな
玄宗なんてタカモトやし
ふと思ったんやが、もともと中国北東から日本まで鮮卑系列の民族が存在してて、中国南部から山東半島沿に朝鮮に倭人が来たんやなかろうか、騎馬民族に制服されたんやなくて倭人に朝鮮南部から九州地方を侵略されたんやない?
これやったら高句麗語と日本語が新羅、百済を跨いで一致する状況ができる。
韓国人が本当の倭人じゃね? 日本語で読めるっていいかたはおかしいわ。現代日本人にどこか馴染みがある漢字名のつけかたで、最初見た時中国人の名前っぽくなくて違和感を感じた。 >>382
九州だけだけどな
邪馬台国、卑弥呼、奴国、狗奴国・・・碌な名前じゃない
でも大阪にあった「日の本」国とか普通だし
「扶桑国」なんて美名まである
不思議なもんだ 週刊新潮 2023年5月25日号
モンゴル人の物語/百田尚樹
https://www.shinchosha.co.jp/shukanshincho/backnumber/20230518/
百田はここで鮮卑族はモンゴル系だとわかってきているというようなことを書いている。 鮮卑族出身の唐の皇族は目が青く、白人の可能性があるという情報をどこかで読んだ記憶がある。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています