1914年のサラエボでの大公暗殺は非難されてしかるべきである。
即ち、それは、ナショナリズムという民主主義独裁の一形態を掲げて、あまり
民主主義的とは言えないけれど、多民族協調をある程度実現していたところの、
オーストリア・ハンガリー帝国の解体を期して行われた凶行であったことから
非難されるべきであり、しかもそれは、ロシアの勢力圏拡大の一環として、云わば
ロシアの手先として行われた凶行であった点から一層非難されるべきなのです。

嘆かわしい事に、その後の英国外交は夢遊病者的であった、と私は思うのです。
なぜなら、ドイツやオーストリア・ハンガリーと戦った英国は、セルビアのナショナ
リズムを支持したということになるところ、多民族帝国たる大英帝国の分解に
お墨付きを与えたに等しかったからであり、また、ロシアの勢力圏拡大を支持した
ということになるところ、これまた、クリミア戦争(1853〜56年)を戦う等、大英帝国を
維持すべく、接壌的膨張主義のロシアとユーラシア大陸全域にわたってグレート・
ゲームを演じてきた、云わば19世紀以来の国是の放棄に等しかったからです。

英国は、せっかく日本側に立って事実上参戦した日露戦争において、
ロシアの東アジア進出を挫折させたのですから、今度は、独墺側に立って事実上
第一次世界大戦に参戦し、(フランスと)ロシアを短期間で決定的に敗北させ、
その欧州進出を半永久的に挫折させるべきだったというのに・・。