刑罰の歴史 [転載禁止]©2ch.net
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現代日本では罪人を他人の社会から切り離すことをもって
罰としてる。社会的生活を営む生命は孤独であるだけで
発狂してしまうくらいの重圧を受けるからである。
では昔の人々の刑罰はどうだったのか。 面白そうなスレだ
俺は中世は大雑把にしか知らんし、近代以降がどっちかってーと詳しいが なぜ「罰する」行為が強制労働なんだろ?どういう思想でこうなったのか 旧約聖書などの世界では窃盗では窃盗で失われた被害を賠償すればよし、
殺人なら自らも死なねばならない。これがなぜ懲役(強制労働)になったのか。 更正は不可能だ。例えば、次のようなヤツ。
長谷川櫂(長谷川隆喜)という変態田舎者オカマが
如何に陰険卑劣極まりない無知無教養な忘恩の徒であるかは、
『高橋睦郎の友達の作り方』(マガジンハウス・刊)の349ページ以下に語られている。
オカマの長谷川櫂は、新宿二丁目のゲイバーのママを介して詩人の高橋睦郎氏に、
あざとく巧みに取り入り、処女句集の駄句を一字一句ずつ添削してもらって、題名までつけてもらい、
出版させて貰っておきながら、おぞましくも嫌らしい忘恩ぶりをさらけ出し、意図的に高橋睦郎氏の名を謝辞から外して
恥じないありさま。
この陋劣下等な「人格」の欠落には、さすがの橋氏も長谷川櫂を「俳句とは無縁な人」と断言している。
東海大学の学生や関係者の皆さんも、是非とも本書に図書館ででも目を通してみて、
長谷川チョンの嫌らしさ、下劣卑賤さの実態を知るよう心がけて頂きたいものだ。
すでに長谷川櫂は、東海大学当局からも厄介者扱いされていると聞く。
長谷川を早々に追い出されるよう切に望んで已まぬ次第である。 >>6
>殺人なら自らも死なねばならない
逃れの町に入れば罰せられないがな 応報論から目的論へ
そして日本では教育刑論へ
また犯罪原因論から犯罪機会論へ >>9それは傷害致死で民衆が故殺だと思って襲い掛かってくるから。
留置場みたいな意味。積極的な殺人はやはり自分の生命で償う。 なんか死刑制度の賛否みたいなくっさいスレになりそうだな
せっかく刑罰の歴史の話が出来るかと思ったのに まぁ、今の世界史板では良くある事だな
しかも、そういうやつは非常に粘着質だから救いようがない 旧約聖書の時代には故意殺か過失致死か見極める捜査能力なんてなかっただろう
結局は逃れの町が今でいう刑務所みたいな役割を果たしてたと思う はっきりとはしないことは多いだろうけど。
ナイフを突然取り出して突き刺せば故意殺ぐらいはわかるだろう。 イギリスと大陸で違う経過をたどっていく手続法の歴史は面白いよ 全部は読んでないけど、ハンムラビ法典の刑罰は
・死刑や目を潰すなどの身体にダメージを与える罰
・罰金
・街からの追放
の3種類だった気がする。 蓑踊り
蓑を着せて火を点けるジャップランドの処刑法 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています