行軍速度を論究するスレ [無断転載禁止]©2ch.net
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「ティームール軍の進度は、インド遠征の場合を例に採れば、速くても1日約50〜60kmであるから…」
(『ティームール朝成立史の研究』P273)
鬼のように速いわ!! 日本史で最速は北畠顕家の多賀城から鎌倉経由して坂本まで950キロを23日間で行軍だな。
途中で戦闘もしながら1日40キロ以上。
モンゴル軍より速い。 ローマ軍で25キロだっけ。軍隊の移動スピードって意外に遅いんだよな >>7
トラックも列車も無い時代に重い装備を引きずって歩くんだぞ 軍隊の移動スピードと糧食の携帯能力が世界帝国の版図の限界を規定する 行軍と一口に行っても、支配領内を進むのと領外を進むのとでは違うよね
北畠顕家のは秀吉の中国大返しと比べて、ハードモードでその速度ってどんだけや
ティムールのは詳細しらんけど、インド遠征ならほぼ領外での計算なのだろうか http://www18.big.or.jp/~ggg/b/bbs/mbbs.cgi?mo=p&fo=kokuhatu&tn=4061 ヘイスティングスの戦いの直前、イングランド北部に上陸したノルウェー軍を迎え撃つために
イングランド王ハロルドは一週間でロンドンからヨークまで突っ走り、スタンフォードブリッジで大勝利
ところが今度はノルマンディー公ウィリアムが南イングランドに上陸したので
またまた同じぐらいのスピードで南イングランドにとって返す
軍隊を無茶苦茶に動かしすぎたせいでヘイスティングスでは惨敗戦死 クラウディウスネロの1日100キロってのが信じられないのです >>12
なんか可哀想だな
頑張ったのに負けた方だけ取り上げられるし イングランドじゃそれなりに人気高くないか?
スタンフォードブリッジの戦いがあるだけに、今川義元みたいな気の毒な扱いはされてないと思う 同じ軍隊でも、街道を進むのと野っ原を進むのでは全然スピードが変わってくる。
砲車などを引いていると、この差はさらに大きくる。 >>10
領外なうえにヒンドゥークシュ山脈とインダス川とタール砂漠があるで
化け物か ヘイスティングスの戦いについて
まず、ノルマンディー公ウィリアムとイングランド王ハロルドは海峡を挟んで3か月間対峙
これはノルマンディーからの船団が渡海するのに適する風が吹かなかったため
両軍の士気は落ち、ハロルドは90日期限の契約で徴集した軍を解散する
そこにノルウェー王ハーラル・ハロルラダがヨーク付近に上陸したとの報(9/20)
ハロルド王は少数の直属軍だけでイングランド南岸のペヴェンシーからヨークまで急行し、
スタンフォードブリッジでノルウェー軍を撃破(9/25)
ヨーク近郊には前日夜に到着しているので、日速およそ100キロとなる
2日後、海峡の風向きが急変してノルマンディーの船団が続々とイングランドに上陸(9/27)
ハロルドは3日後にヨークでそれを知る(10/1)
翌々日にハロルドはヨークを発ち、まる5日で320キロ離れたロンドンに到着(10/6)
ここで市民軍を集めてヘイスティングスの戦い(10/14)にいたる 一方、はるか後世のマールバラ公チャーチルは日速11キロで神速と謳われた 大砲があるとはいえ、そこまで鈍重な軍隊なら軽騎兵で奇襲して弾薬燃やしたいな・・・
というのを実際やったのがワラキア公ヴラドだの、ナポレオン戦争の時のコサックだのか >>19
日速100kmとかヘイスティング前の5日で320kmとか
記録盛ってるんじゃないかって疑いたくなるレベルだなあ
直属軍の規模が100名程度で、ヨークに駐屯していた守備軍と合流して撃破なのか
そもそもハーラルとトスティグの軍勢が少数だったのかどっちだろうか まあどこの国にも千年に一人ぐらいはとてつもない機動をする指揮官が出てくるんだろう
顕家しかり、ハロルドしかり 大砲抱えて清やムガルやオスマンはなんであんな巨大な領土になるまで遠征できたんだ
と考えてみたら、あれは小銃が主力のうちに大帝国までいけたからか? そういえば新田義貞の鎌倉攻めも何気に早いか
府中分倍河原から藤沢まで3日で南下してる 違うか
15日に分倍河原、16日に多摩永山で戦って、18日には鎌倉攻めはじめてる
永山から藤沢経由して鎌倉まで40キロぐらいを1日程度か 結構早いが、あそこは街道沿いなのでそんなもんかも。60キロかそこらだろう。 失礼。永山から鎌倉1日は早いな。
今でも遠いもんな。乗り換え多いし。 分倍河原から藤沢まで40km弱で普通に歩けば一日の距離
行軍は普通の徒歩の三分の一の速度と考えればまあそんなものだろう ムガル帝国
・地方の高官の呼び出しの帰り1日平均30km
・早馬伝令125km
・皇帝の行軍スピード16km(翌日休憩)(ジョス・ゴマンスの研究) >>36
翌日休憩って、1日おきに行軍と休みを繰り返したってことか
まあ、暑い印度じゃ1日おきが限度っぽいな 伝令といえばバトゥがハンガリー北部でオゴデイの死を知ったのも、
フレグがシリアでモンケの死を知ったのもだいたい三ヶ月後で距離は1万キロぐらい
なんでも国家というものは端から端まで90日というのが維持可能な限界らしい
ローマ帝国なんかはブリタニアからユダヤまで三ヶ月掛かったからほぼ限界まで拡張したことになる
現代でいえば月までは統治できるけど火星は厳しい 出典:近藤治 鷹陵史学2012「近年のムガル帝国論について」 >>36
日本の早かごはいちにち100キロくらい移動したな
ただしは箱根は除く 兵種や道の状態に何も言及せず、一日に何キロ動いたから神速などというのは
中二病臭くてたまらぬ。 行軍速度最強は金日成
縮地法によって、数歩歩くだけで瞬時に数百数千里を移動できたと伝わっている ルイ14世の施設がエチオピアの海岸から王都まで150キロぐらいを進むのが、あまりの悪路で一年ぐらいかかったらしい
軍隊ならもっと大変なんだろうな >>43
マハーバーラタのクルクシェートラ戦争におけるインドラ神は三歩で宇宙を跨いだ >>42
いや、どんな兵装・道路であっても
「それにしても速い行軍」ってのはあるでしょ 早い行軍はどこかにしわ寄せがきている。
ナポレオン軍の移動は早いが落伍者が多いとか。 アメリカ独立戦争 ダニエル・モーガン
ライフル中隊でウィンチェスター・ボストン間600マイル21日 >>48
ナポレオン軍はロシア遠征以外では他国軍と比べて飛び抜けて落伍者は出してないよ >>51
「嵐」のあだ名を賜ったジュノー将軍などは、
ポルトガル攻略戦で攻略目標のリスボンに達した時、
急行軍すぎて兵士の9割が脱落していた。
将軍は褒めそやされるが兵士はたまったものではない。 アレクサンドロスとかティムールとかは決戦後の敵将追撃で一日百数十キロとか無茶やってるな
ティムールに至っては1週間で千キロぐらい追撃してたような >>50
マイルってキロに換算するとどのくらいなんだ?
未だによくわからん 1マイル=1.6kmだよ
大まかな数字でいいなら1.5強くらいで考えると楽 とすると>>50はだいたい1000キロぐらいを20日ぐらいだから、日速50キロ維持か
こういうのって単純な兵士のスタミナ以上に川の氾濫とかにぶつからないことが重要だろうな 兵隊稼業はのんびり歩ける鈍行の軍隊に限るな。
早い軍隊じゃなくて、遅い軍隊が知りたい。 行軍速度の世界記録保持者は、やはりアメリカ陸軍だろうな。 巡航速度は16ノットとかそんなレベルよ
全速だと機密だろうが40近くは出せるだろう 近代以前の艦隊は昼しか動けなかったから、徒歩移動と大差無い速度だな >>63
んなわけないだろ
大西洋太平洋横断とか夜はどうしてたんだよ >>65
たぶん、古代〜近世の地中海のガレー船とごっちゃになってるのでは 沿岸で浅瀬とかの危険があるので夜移動しないの拡大解釈じゃないか? スペインの無敵艦隊は戦いで損耗した後もイングランド上陸の機会を窺っていたが、慣れない海域で天測を誤り海流を読み違えた為、夜間に艦隊ごと座礁し壊滅したという。 エーっト
沿岸航法でやる昔の航法だと夜に移動しないってのはふつうにありうるよ
位置がわかんなくなる
ただ沿岸航法方式でも普通に動かす船長もいる
つうかそのほうがおおい
瀬戸内海なんかでは動力船以前では相当な水先案内人がついてないと
夜船を動かすのは非常に危険だったからあんまやら無かっただろうね ポリネシア人なんかだと星を目印に航海したらしいから夜こそ本番なんだろうけど、
あいにく古代ポリネシア人の海上遠征の記録とかは残存していない 月と星しかない夜がどれほど暗いものか、現代人は忘れてしまった フリードリヒ・ヴィルヘルム1世(フリードリヒ大王の父)
東西プロイセン(ベルリンとケーニヒスベルク間)を670kmを4日でいったりきたり 戦争は浪費に過ぎないのだから、もたもたはできない。
上手に早い決定、下手に早い決定はどちらもありえるけれども。
上手に遅い決定はありえない。遅い決定は下手な決定しかない。
でもな・・。孫子は戦争の方法論であり、戦争以外の適用は注意するべきかと。
戦争以外では、遅い決定が適切であることも多いはず。 軍事の拙速というのは、戦力の集中というもうひとつの原則と
矛盾することが多い。戦争の現場ではね。
今がチャンスだ手持ちの軍勢で攻めるぞ・・・と拙速な判断で
敗北した例もこれまた多くある。 情報も少ないから、それこそ「勝利の秘訣」を
知ってる奴は勝ち続け。。。 ライバルとの闘争に勝ち抜き、ローマ帝国初代皇帝の座に就いた
オクタウィアヌスは拙速を嫌った。
「ゆっくり急げ」というのが彼の座右の銘。 南北戦争序盤のリー将軍みたいなのが拙速の上手く行ってる例かね。 相手が拙速を嫌うマクレランだったのが面白いよね
リー&ジャクソンの黄金コンビでも、守りに入ったマクレランを破れなかったけど 守れるし走り回っても良し
片腕どころか半身無くしたようなもんだよね。 拙速はあっても巧遅が存在しないのは、軍事行動は何も生産せず、大量浪費する一方だからでしょう。
ということは、その集団が大量消費せずに待機できるか、何かの生産活動しているなら、巧遅はありえるってこと。 相手より経済力が上の国なら、持久戦を強要することで疲弊させ、降伏させられる。これなら巧遅もなりたつかな あるいは三つ巴の状況の時は、拙速に動き回るより、
出兵を控えてほかの二者がまず戦う状況に持っていく。 そんなものは戦争準備の状況による。
戦備80の相手に戦備30の自軍が拙速に攻め掛かれば惨敗を喫する。
その逆であれば自身の戦備が100になるのを待たずに攻めるのが正解。
状況を問わずに拙速を良しと決めてかかる者は阿呆。 >>1
1日50〜60kmで驚くのは早い。
ホンタイジが鴨緑江を渡り漢城を落とした丙子の役
ぐらいから驚くべき。
(400kmを5日→つまり1日あたり80km)。
秀吉の中国大返しなんて、これに比べればトホホ情けない
凡記録であることよ。
(200kmを10日→つまり1日あたり20km) 敵地なのに行った先に交代する馬がいる訳がない
替えの馬を疲れさせないように後からのそのそと行かせたら待ちぼうけを食らうことになる 何も載せない馬を並走させるんだよ。
武装した兵士を載せている馬さんより随分楽で
同じ速さでも体力を維持できる。 >>97
敵地だからこそ徴発し放題なんじゃない?
清軍の攻撃を王に知らせる使者は走りに走って、
漢城についた時点でようやく清軍を1日分リードしていた。
そんな有様だから、行程の途中では知らせが届いた半日後とかに
清軍がやってくる。馬を隠したりする余裕はない。 >>97
徴発していると時間がかかるだろう。
しかもどの馬も高性能とは限らない。 >>101
持ち主を脅すか殺すかして馬を奪うのに30秒もかからない。
潰れるまで走らせてあとは食料にするんだから、高性能なんて必要ない。 一定の速度で歩けるのか、指示は理解できるのか。軍馬の調教は簡単ではないし、調教済みの馬はそこらにゃ落ちてないよ。 使えない馬を飼うようなカネとヒマは朝鮮人にもなかろう。 駿馬を乗り続けるつもりで走らせるより
駄馬を乗りつぶすつもりでムチをあてる方が
よっぽど早い スペイン継承戦争でネーデルラントに進軍したオイゲンってどうやったんだろう しかしオール騎馬軍団でも数日以上行軍するなら1日80kmが上限だろうな。
1日だけなら100km越えも可能だが。 行軍から取り残された兵隊さんは、あとで自分の部隊に追いついたときに
罰せられるのかな?何かペナルティがあるの? ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています