ポエニ戦争 [無断転載禁止]©2ch.net
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第一次から第三次まで戦われたポエニ戦争
ピュロスがローマに攻めてきたときは両国は同盟を結んでいたのにカルタゴが滅亡するまで戦争することになるとは ポエニ戦争とは明らかにローマ視点の名称ではないか
ここは平等に、ロマカル戦争と呼称することを提案する! スペインなんかじゃなくてブラックアフリカに移動して文明を伝えろ 第三次ポエニ戦争のカルタゴの悲惨な戦いぶりを知ることのできる資料ある? >>8
ポリビュオスの歴史って第二次ポエニ戦争の部分は散逸せずに現存していたけど、
第三次ポエニ戦争の部分は現存していたかな?
知ってたら教えて この戦争、
カルタゴ側が毎度チャンスを見逃すので
アンチローマとしては
見ていて非常にイライラする。 兵器開発の天才、アルキメデスを活用し損ね失ったのがあまりに痛い(>_<)
カルタゴはシュラクサイの救援を最優先すべきだったのだ 国力というか経済力だけならカルタゴも大概チートだよね 現在、シリアで親ロシア派と親欧米派が激戦を繰り広げている。
この戦いは断続的に紀元前264年から行われており、その前哨戦は紀元前332年に戦われている。
これを起点とすると戦いは今年で実に2346年目になるのだ。その戦いの名前は「ポエニ戦争」である。
ポエニ戦争では、陸軍国ローマが海軍国カルタゴと長い戦いを続けた上で勝利した。
この戦いは西洋史では深く研究されており、陸と海の戦いの重要な史料である。
ローマ帝国が分裂した片割れである東ローマ帝国が1453年に滅亡した時に、
最後の皇帝コンスタンティノス11世の姪ゾイ・パレオロギナがローマに脱出した後、
1467年にモスクワ大公国のイヴァン3世=イヴァン大帝の妻となり、ローマ帝国の継承者
(「第3のローマ」)であることを宣言したことから、モスクワ大公国のイヴァン4世など歴代のロシア
(ロシア・ツァーリ国、ロシア帝国)指導者はローマ帝国の継承性を主張している。
この事実は、ロシア正教が東方正教会系列であることと合わせ、ロシアがローマ帝国の後継国家
であることを示している。一方で、国際金融資本はフェニキアのティルスからカルタゴ、ベネチア、
オランダ、イギリス、米国マンハッタン島(旧オランダ領ニューアムステルダム)と本拠地を移してきた。
これらの本拠地はいずれも大陸から少し離れた島・川中島ないし半島の先端にあり、陸軍の攻撃を
回避しやすいという共通点を持つ。米英蘭は間違いなくカルタゴの後継国家である。
だから、この戦いはポエニ戦争の続きなのだ。
現在世界を支配している国際金融資本の祖先は、フェニキア商人であった。
彼らの最大の拠点はレバノンのティルスであった。この町は紀元前1000年頃に大陸から1km
離れた小島に本拠地を移しており、その目的は大陸国家の強大な陸軍力から身を守ることであった
と思われる。フェニキア都市は海軍力は強いが陸軍は非常に弱かったからだ。
そしてこのティルスの植民都市の一つが、ポエニ戦争の当事者であるカルタゴである。
カルタゴも大陸から突出した半島の先端に本拠地があったとされる。 ティルスの繁栄が全盛期を過ぎていた紀元前332年、アレクサンダー大王に服従しないティルスに
対して、大王は1kmの海を埋め立てて半島にしたうえで攻撃・占領した。住民の多くが殺され残りも
奴隷となった。この残忍な攻撃と占領・虐殺の背景には、フェニキア商人が強盗や奴隷狩りなど
悪の限りを尽くしており、大陸の住民に激しく憎まれていたことがあると思われる。
このアレクサンダー大王によるティルス攻撃は、第ゼロ次ポエニ戦争という性格を持っている。
ポエニ戦争はローマとカルタゴの戦いであり、世界史を学んだ人なら必ず聞いたことがある筈だ。
ローマ帝国はカルタゴとの苦しい戦いを通じて成長し、地中海全体を支配する巨大国家に変身した。
重要なことは、アレクサンダー大王とティルスの場合と同様に、ローマは陸軍中心の国、カルタゴは
海軍中心の国であったことだ。ランドパワーとシーパワーの対立である。
この戦いでローマが最も苦しい状態に置かれたのは、第二次ポエニ戦争である。カルタゴの将軍
ハンニバルはイベリア半島(スペイン)を占領してそこで陸軍力を育成、象部隊とともにアルプスを
越えてイタリア半島に侵入し多くの戦いでローマを苦しめた。しかしローマは持久戦法を採りつつ、
ハンニバルの本拠地のイベリア半島(スペイン)を後略することで難を逃れる。
そして第三次ポエニ戦争でとうとうカルタゴを滅亡させ、全住民を殺すか奴隷にして廃墟に塩を撒き
カルタゴを完全に消滅させた。この激しい憎悪の裏には、ティルスと同様にカルタゴ人が極悪商人
として強く憎まれていたことが挙げられるだろう。
しかし、滅亡を予期したカルタゴ人は滅亡前にカルタゴを脱出してローマ帝国内部に潜み、
一神教のキリスト教を広め伝えることで多神教のローマを弱体化させて、後に西ローマ帝国を
滅亡させる。これはカルタゴによる復讐と見て良いだろう。東ローマ帝国とカルタゴ人勢力の
関係はどうなっていたのか気になる。西ローマ帝国滅亡後にもイスラム教が誕生した後急激に
支配地域を拡大しているが、これもカルタゴ商人の支援によるものだろうか? ローマ帝国滅亡後、カルタゴを脱出した元カルタゴ支配階層は、地中海沿岸の大陸から少し
離れた島に根拠地を置いた。ベネチアである。ここを拠点に元カルタゴ商人は欧州政治に
強大な影響力を行使した。何人かのローマ法王がベネチア支配階層から送り込まれた。
神聖ローマ帝国の皇帝選出にもベネチアは大きな影響力を持っていた。
ユダヤ人シャイロックを登場人物とする小説「ベニスの商人」はユダヤ人をスケープゴートに
しているが、最も悪徳なのはフェニキア・カルタゴの伝統を引き継ぐベネチア商人である。
カルタゴはとうとうポエニ戦争に逆転勝ちして、欧州大陸を支配下に置いたのだ。
残る東ローマ帝国は、オスマントルコの隆盛により1453年に滅ぼされる。正史では、この事件で
コンスタンチノープル経由のアジア貿易が困難になったベネチアなどの地中海商人が、喜望峰
廻りや大西洋横断によるアジア貿易を目指して、大航海時代に乗り出したとされる。
しかし、このオスマントルコの急激な隆盛を、実はベネチア商人が金銭的に支援していたという
可能性も考慮されるべきだろう。また、古来フェニキア商人は海上貿易ルートに明るく、喜望峰
廻りルートを古来から知っていたという情報もある。正史はまず疑う事が必要だ。
その後大航海時代によって、国際金融資本は南北アメリカ大陸とオーストラリア大陸という
三つの大陸(地政学的にはいずれも世界島の外に浮かぶ島嶼と認識される)を手に入れた。
また名誉革命でブリテン島を乗っ取った。その後これらの地域の住民や新たに導入した移民・
奴隷などを用いて、彼らは世界を支配するに至ったのだ。これは、ポエニ戦争でハンニバルが
イベリア半島を手に入れて、その軍事力によりローマを攻撃したことに似ている。 シーパワーの特徴は、巨大な海軍力を持ち補給が容易である事。一方で陸軍力は弱く、
内陸での戦争には弱い。更にシーパワーは人口が少ないため、巨大な陸軍を持つ内陸の
大国に戦争で勝利することは困難である。大陸には海岸から侵入するため、大陸の全ての
海岸を敵に押さえられるとその時点で敗北してしまう。
20世紀の西洋の東アジア侵略でも、国際金融資本は巨大な人口の中国はおろかベトナム
・北朝鮮すらを占領することはできなかったが、これは彼らの陸軍力の弱さの証拠である。
現在のシリアでの紛争も直接陸軍を派遣することはできず、反政府勢力を支援して戦わせて
いるだけである。
一方のロシアは、アレクサンドル・ドゥーギンのユーラシア主義思想に代表される様に、
地政学的観点から自己をランドパワーと定義した上で、日本・ドイツ・イラン等との同盟を目指し、
トルコや中国などの仮想敵国とも手を組みつつ、最大の敵である米英蘭などのシーパワー
との対決姿勢を鮮明にしている。
歴史が繰り返すならば、シーパワーはランドパワーに勝てずに敗北する。
近未来の米英蘭は、かつてティルスやカルタゴが辿った様に、ユーラシア大陸の巨大陸軍国
連合に占領されて滅亡し、その国民の多くは憎悪に煮えたぎる諸国の兵士によって虐殺され、
悲惨な末路を辿ると私は予想する。 今日もこの糞塗れ全身無毛の格好(水中長靴とゴム手)
で深夜の散歩。まずお酢を体に満遍なく塗ってから
糞を頭から全身に塗りつる。酸っぱさと糞の匂いで凄まじいことに。
外出寸前で500mlのグリセリンと小便を混ぜたものを
浣腸し巨大エイナスストッパー10を挿入。
ビニール袋には牛丼を入れ、バケツとジャンボウナギ持って写真の格好で外へ・・・
歩きながらも糞と酸っぱい体臭で大興奮。外灯の下で見たら
永久脱毛したチンポはフル勃起で糸をだらだらたらしまくり
人に遭遇しないように気をつけながら、家から10分ほどの公園に到着。
まず誰も来ない公衆便所に入る。
それから持ってきたバケツに跨りストッパーを
抜いて大量の排便をしました。
夕方に食べた白滝や未消化のネギが混じっていているものを
正座し既に糞塗れになっている体に、頭から全部被りました。
ここで持ってきた牛丼を糞で汚れていない床にばら撒き四つんばいで豚のように食べました。
食事後は1時間ばかり便所の床に寝転んで、ジャンボウナギでアナニー
をして帰宅しました。
誰かにこの一連の流れを、動画撮影してもらいたいんですが。
それか自分と同じような格好になってプレイ出来る方がいたらな・・・・
長文すいませんでした。 さいきんウィキペディアでポエニ戦争の記事が増えてるね カルタゴ遺跡から発掘された紀元前6世紀の人骨を調べたところ
DNAタイプは「U5b2c1」と出た。
http://tocana.jp/2016/06/post_10028_entry.html
まあフェニキア人というのは多民族混成のグループだったのだろ。
いまでいえばアメリカ人みたいなもんだ。 Wikipediaといえば第三次ポエニ戦争でカルタゴが敗れたあとの記述で
「陥落時にローマが虐殺した市民は15万人に上り、捕虜とした者も5万人にも上ったとされる。」
これって出典はなんだろう?ちと誇大な数字な気がするが・・・
「カルタゴの土地には雑草一本すら生えることを許さないという意味で塩がまかれたという。」
これも俗説じゃないかって話があったよね・・・ 世界史のようにおもしろいかねがはいってくるさいと
グーグルで検索⇒『羽山のサユレイザ』
AIQMG カルタゴの敗因は何でしょうか
どうすればローマをノックアウトできたのですか エクノモス岬の大海戦が歴史の分岐点だったな。
海戦の中盤まではカルタゴの作戦が当たっていた。
これにカルタゴ艦隊が勝てばローマ海軍は壊滅。
フェニキア帝国が地中海の覇権を握る世界が実現したんじゃね。 >>14
>この残忍な攻撃と占領・虐殺の背景には、フェニキア商人が強盗や奴隷狩りなど
>悪の限りを尽くしており、大陸の住民に激しく憎まれていたことがあると思われる。
フェニキア人は大人しく争いを好まないという評判だったのだが・・(旧約聖書士師記)
交易も衝突を避けるため沈黙交易が主流だった
ここら辺は略奪や奴隷狩りを伴った、というかそっちが主体だったギリシャ人とは真逆 フェニキア人じゃ帝国は無理だろ
できたばっかのローマ海軍に負けてるようじゃな
逆にローマの合理性を見習うべきだった >>21
>塩
俗説というか状況的に呪いとか儀式の類
常識的に考えて、農地に海水を引き込むような大工事をしない限り
サラリーの元ネタ塩を、塩害をおこせるほど大量に農地に撒く財力なんてない >塩
実は戦災に荒れ果てたカルタゴの市民を救うために
ローマから送られたブレゼントだった。 毎回ハンニバルの救援を断ってたくせに本国せめられて大慌てして傭兵雇うか会議し出すカルタゴ貴族に笑う
コントかよ 友達から教えてもらったパソコン一台でお金持ちになれるやり方
興味がある人はどうぞ
検索してみよう『立木のボボトイテテレ』
DPA やっぱ議会政治一辺倒では駄目だわ。独裁官も居ないと。 ハンニバルはザマの後に改革したけど貴族の反発で結局国外逃亡せざるを得なくなったからね
独裁官いてもカルタゴじゃ意味あるのかな 西洋を中心に世界を支配するdeep stateのルーツの中心は、恐らくスファラディ系ユダヤ人
と呼ばれる人々である。彼らはイスラエルとは直接関係は無く、カルタゴやその植民都市を
中心とするフェニキア商人の末裔で、中世にスペインやベネチア、ジェノバなどに居住していた。
ポエニ戦争でハンニバルは領土のスペインから集めた傭兵の軍隊でイタリア本土に攻め込んだ。
スペインの地中海岸にある都市カルタヘナは名前を見れば解る様にカルタゴの植民都市であり、
その旧名は新カルタゴである。カルタゴはチュニジアの陸から地中海に飛び出した半島の先端
に建設されており、城壁によって大陸から切り離され防衛されていた。更にチュニジアのある
マグレブ地域は地中海とサハラ砂漠に挟まれた島の様な地域で、巨大な陸軍で欧州側や
エジプト側から攻め込むのは難しい。また、カルタゴとシチリア島の間は地中海が狭くなっており、
ここを支配することで地中海の東西方向の海運を支配することができる。このような観点から
ティルスのフェニキア商人達はカルタゴを建設しそこに本拠地を移したのだと思われる。
さて、このカルタゴ人、つまりフェニキア人の宗教はバアル神と呼ばれる神の崇拝であった。
そして、バアル神の宗教行事では、乳幼児が生贄として捧げられたことが有名である。
最近、deep state関係者が小児性愛に関与しているとの主張が多数取り上げられているが、
フェニキア商人の末裔がdeep stateとして米英などを拠点に世界を支配しているのだとすれば、
現在も乳幼児を生贄とする宗教行事が脈々と受け継がれているのは当たり前とも思われる。
カナダ系ユダヤ人とされるベンジャミンフルフォードは、ハザール系ユダヤ人をdeep stateの
中枢として激しく非難する。しかし、ハザール可汗国はモンゴル高原に存在した西突厥が
西方に移動して建国され、その過程で白人と混血した民族と考えられており、騎馬遊牧民族
ではあっても海洋商業民族とは程遠い。ランドパワーの元祖とも言える内陸の騎馬遊牧民族が
海洋商業民族に変身するなど、どう考えてもおかしい。これは、スファラディやその先祖である
フェニキア商人が、自分達の正体を隠すためにハザール人を生贄にしているのだと思われる。 カルタゴの軍港は220隻の軍船を収容できる巨大な施設だったといいますが
本当だったらすごいことですよね。
http://www.movieweb.me/ancient-carthage-port.html >>35
やれやれ、アシュケナージ=ハザール説の次は
セファルディ=カルタゴ説か
血統バカは反シオニズムを血統トンデモ説でやらかすのが好きだな
シオニズムどころかユダヤ教自体がイデオロギーなんだから、
堂々とイデオロギーで論破しろよ
お前はそもそもdeep stateの意味を間違えている ソロモンがタルシしから持ち帰ったものが象牙とかすずとか
カルタゴに関係ありそうなんだよね >>27
フェニキア人は海賊で有名じゃないか。大人しいどころではない。 交易民族に海賊という評判が立ったら
誰も取引してくれなくなるだろう
フェニキア人はむしろ海賊を憎んだと見なければ
辻褄があわない 古代地中海における奴隷貿易はフェニキアが独占支配してたんです。
これはちゃんとした論文にも書いてますが、世界最初のオークションは
フェニキア人による『奴隷のオークション』だったそうです。
最初は自分たちで人間をさらってたんですが、時代を下るにつれ、
『下請』に人さらいをさせて、自分達は『元請』として獲物を買い取り、
地中海の交易網を利用して、それを全然別の地域で捌くようになりました。
北アフリカの例ではガラマンテス族に、トログロデュタイという蕃族を
奴隷狩りさせてるんです。トカゲを食べてる様な未開の人たちです。
それが、ガレー船の中で船こぎ奴隷として一生を送ることになるわけです。
フェニキアの繁栄を支えたのは、実は奴隷貿易だったんです。
マラトンの戦いの時も、ギリシアの神殿から像を略奪しています。
彼らは「貿易」と「海賊」を兼業しそれはもはや国家ぐるみというより、
フェニキア全市が完全に連携していて、王や神官も公認の下、
地中海最強の艦隊がバックアップしてます。誰も止めれられない。 一般にフェニキア人は薄利多売を行なって、現地の産業を潰して市場を独占する
貿易戦略を採っていました。現にティルスでは派手な製品が量産されて、それが
現地の素朴な商品を駆逐しています。フェニキア人は、元々が人食い人種に近い
海賊だから、彼らにとって貿易は、最初から「略奪行為を偽装して行なう手段」に
過ぎなかったのかもしれない。
ギリシアやローマなど、同時代の人間から見たフェニキア人の印象は
『常に何を考えてるんだかわからない』存在です。
彼らの証言には色々矛盾があります。
『裏切り』『嘘つき』『ずる賢い』『陰謀』『信心深い』『敬虔』『質素』『残忍』などなど。
私はこれが全部事実だと思うんです。
私はこのひとたちの考えていた事がわかるような気がします。
それは、それほど間違っているとは言えないのではないか?とさえ感じます。
つまり、彼らは他民族を「同じ人間」とは見ていないのかもしれない。
豚や牛を屠殺する人も、個人的に信心深くもありうるし善良でもありうる。
ただ、それが結果的に他民族の怒りを買い、やがてはナチスドイツによる
ユダヤ人大虐殺にまでつながってくるわけです。
フェニキア人は、ある意味で今のユダヤ人の『原初の姿』なんです。
フェニキアを知らずに、ユダヤ教における「ゴイム」という言葉を正確に理解する事は
おそらくできないと思いますよ。 >>10
軍備に関していえばカルタゴは時代遅れの後進国だったからな
チャンスがあっても活用できない 奴隷貿易はフェニキア人に限ったことではないのでは?
ギリシア・ローマ系の史料ばっかりだから目立つだけで まあギリシア人からすれば商売敵だから悪しざまに言うのでしょうね。
実態はどっちもどっちじゃないかなあ。 「フェニキア人が一方的に悪い、何千年もの間独占的に地中海で人さらいをして奴隷商人やってた」
が持論のガイジがこの板にはいるからな
>>42
>古代地中海における奴隷貿易はフェニキアが独占支配してたんです。
これはちゃんとした論文にも書いてますが、世界最初のオークションは
フェニキア人による『奴隷のオークション』だったそうです。
あんたのバイアスは要らないからその論文の名前と引用を書けよ
読み間違いを片っ端から指摘してやる 奴隷の何が悪いのか
現代の価値観をを古代に適用するのは愚劣そのもの
そしてフェニキアの商材なら染料じゃろ
>>48
基地に論争をしかけても無駄じゃねW 確かに染料以外にも色々取引していて、その商品の中に奴隷が含まれていたのは事実
でも当時はそれが当たり前 じゃあなんで一般的な歴史では独占的な奴隷貿易中心じゃなかったことになっているのさ
隠された真実発見!て証拠もなしにいきがりたいだけだろ
だから論文も挙げられない
現代の価値観どうこうじゃないんだよ >>52
人より小さい象がいてインドゾウと思われるスールーはでかいとされてるので
所謂森林象ではあるだろうが、サハラの北上で絶滅してるので何とも言えん 可愛いゾウだったんだな、ペットにも家畜にもちょうど良さげなのに、絶滅して残念だ… >>54
ペットにしたら臆病だからすぐ暴れて大変そう トラだってコーカサス付近には19世紀までは生息していたからな
ライオンもイタリア・ギリシャにはローマ時代の途中までは生息していた ギリシャはフェニキアに植民地化されて、その後、半ばフェニキア化してしまった。
民主制やポリスの形成、奴隷制、アルファベッドの使用、等々。
ロシアがモンゴルに支配され、半ばモンゴル化してしまったようなものだ。 >>57
海の民スレから逃げ出したと思ったらこんなところにいたのかw >>57
セム語にやたら多く他系統の言語では全く無用なGutteralの子音文字群を
全く音価の違う、しかし必要な母音文字に転用することは
当時ではギリシャ人にしか思いつかなかった
何千年経ってもセム人には母音文字なんて思いつかない
当然、フェニキア人にも不可能
ちゃんと理解してから反論しろよ >>59
いずれも全部の母音を書くわけじゃないけど
アラム語やヘブライ語は母音と子音どっちも表す文字があるし、普通のフェニキア語は母音絶対書かなかったけどポエニ語では一部転用されてなかったっけ
>>57はアレだが >アラム語やヘブライ語は母音と子音どっちも表す文字があるし
そんなものはない
>フェニキア語は母音絶対書かなかったけどポエニ語では
フェニキア語とポエニ語がどう違うって? >>62
>そんなものはない
準母音
ポエニ語=フェニキア語北アフリカ方言 アラビア文字でも子音の一種であるw,yなどを二重母音や長母音などを暗示する記号として使っているが、
母音そのものではない
アリフでさえaそのものではない
セム語の文字はだいたいそう
完全に母音を書こうとしたセム文字は存在しない フェニキア人にはフェニキア文字でギリシャ語を書こうと考えた痕跡がない
フェニキア文字からギリシャ文字を生み出したのはギリシャ人自身でしかありえない ヘブライ語で「’」みたいなのでたら大抵イーじゃないの でもそれって母音の存在を暗示するだけのものであって
違う役割のときもあるし母音そのものじゃないよね 軍事的には戦略>>戦術なのに
なんでハンニバルは名将扱いされているの?
結果を見ても最後は負けているし
欧米とアジアでは名将の定義が
違うの? ローマ人がハンニバルは凄かったって言ってるからじゃない? 項羽だって中国や日本で名将扱いされてるやん
勝った数負けた数での評価じゃねーの
戦った相手からの評価ももちろんある いくら戦略で勝ってても連戦連敗した劉邦を名将とは呼びたくねー
匈奴にもボロ負けしてるし ローマ人の物語ハンニバル戦記は
かなり面白かった。
これはおススメ。
ポエニ戦争のことがよくわかる。 フェニキアとカルタゴ全体でひとつの民族とかいう感覚がなかったんだよ ゴーンの強欲な犯罪と逃亡で、何故、フェニキア人・カルタゴ人が
蛇蝎の如く嫌悪されてきたか、日本人も思い知った事だろう。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています